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~ 1 で実施した高塚遺跡の範凶確認調査報告書である 現地発刷調査 2008 年 9 月 1 日 ~9 月 12 整理 報告作業 2008 年 9 月 12 日 ~12 月 22

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全文

(1)

しずおかけんはままつし

静岡県浜松市

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』塚

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江跡

第1図高塚遺跡周辺直跡分布図

2008

(財)浜松市文化振興財団

(2)

例 言

1.本書は、浜松市南区高塚町における高塚駅周辺地区整備事業に係り、静岡県浜松市南区高塚町

931 - 1で実施した高塚遺跡の範囲確認調査報告書である。 2.調 査 期 間  現地発掘調査 2008年9月 1日∼9月12日 整理・報告作業 2008年9月12日∼12月22日 3.調査対象面積  3,000r# 4.調 査 面 積  332m2 5.調 査 体 制  調査委託者  浜松市 浜松市長 鈴木康友(主管 区画整理課) 調査受託者  財団法人浜松市文化振興財団(理事長 庄田 武) 調査指導機関 浜松市教育委員会 (生活文化部生涯学習課文化財担当が補助執行) 調査担当者 川江秀孝・仲川美津保(生涯学習課文化財担当) 調査補助員 熊谷洋子(生涯学習課文化財担当) 6.原稿は、川江秀孝が執筆した。 7.調査に係る費用は、全額委託者が負担した。 8.本吾に係る諸記録は、浜松市生活文化部生涯学習課文化財担当が保管している。

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㌦常識

-.∵_._:. '・ ∼ '・,tu_I-1∼/. 」 第2図 調査区周辺地形図 Ll.・: .1 L\一、..--一二==-ご・→、.1 1957年都市計画図 S=1. 3,000

例 日

1. 本書は、浜松市南│ヌー高 塚町における高塚駅周辺地区整備事業に係り、静岡県浜松市南医高塚町 931 ~1 で実施した高塚遺跡の範凶確認調査報告書である。

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.

調 査 期 間 現地発刷調査 2008 年 9 月 1 日 ~9 月 12 11 整理 ・報告作業 2008 年 9 月 12 日 ~12 月 22

1

1

3. 調査対象面積 4. 調 査 面 積 5 調 杏 体 制

3

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0

0

rrf 332 m2 調査委託者一 浜 松 市 浜 松 市 長 鈴 木 康 友 ( 主 管 区 阿 整 理 課 ) 調 査 受 託 者 財 団 法 人 浜 松 市文化振興財団 ( 理 事 長 月 田 武 ) 調査 指 導 機│胡 浜 松 市 教 育 委 員 会 (生活文化 部生涯学習課文化財担当が補助 執 行) 調 査抑当者 川 江秀 孝・仲川美 津保(生涯学習課文化財担当) 調査補助員 熊谷洋子(生涯学習課文化財担当) 6 原稿は、川江秀孝が執筆した。 7. 調査に係る費用は、全額委託者が負担した。 8 本書に係る諸記録は、浜松!lJ生 活 丈化 部 生涯 学 科 課 文化財担当が保管している。 第

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図 調 査 区 周 辺 地 形 図

(3)

範囲確認調査の経過

8月28日(木)睛 コンテナーハウスとトイレの設置位置と見杭の設位置を決めるため、現地で略測量を行う。 トレンチ(試掘溝)を仮設定して、東から 1トレンチ,..___,3トレンチとした。 ※後に、1トレンチを3トレンチに、3トレンチを1トレンチに名称を変更した。 神原町埋蔵文化財調査事務所で現地に搬入する発掘器材を準備した。 8月29日(金)雨 コンテナーハりスとトイレを設憐する。 9月1 日(月)睛 発掘資材を現地に搬入する。 甚準点測量を行い、T」,..___,T.6 (第3図) を設置する。 水準測量を行い、各基準点(杭上)に仮水準点を罹く。 3トレンチ(旧1トレンチ)から重機による盛士(造成土) の除去を開始する。 午後から2トレンチを 掘削する。 3トレンチの南平部で、基盤の黄褐色砂層を掘り込んだ溝と小穴(ピット)が出始 める。 両トレンチの中央部から北寄りにかけて、地盤が谷状に窪み、低湿地特有の黒色 粘土)晋が充満していた。 窪みの底には東西方向に走る溝が認められた。 9月2日(火)雨 現地作業を中止する。 前日に作成した図面を整理する。 9月 3日(水)曇 3トレンチを精査して、悲盤を掘り込んだ遺構の検出を試みる。 トレンチの西賠面で七層の 堆積状況を観察する。 遣構の平面図を作成する。 谷状窪地が水没したため前日に見 えた溝が確認できなくなった。 3トレンチの発掘完了写真を撮影する。 9月4日(木)曇 2トレンチを精査する。 南半部で十.坑と溝を検出する。 遺構の一部を掘削して十層の堆 積状況を観察したが、遺構などが刻まれた兆候は認められなかった。 また、遺物の包 含も確認できない。 遺構の仝掘は避けて、平面形の計測ど写真撮影するに止めた。 2トレンチの西壁面で上屈の堆積状況を観察する。 9月5 日(金)晴 3トレンチから埋戻しを開始する。 2トレンチを精査して遺構の検出を試みたが、新たな遺構 9月8日(月)晴 9月9日(火)晴 9月10日(水)晴 9月11 I」(木)晴 9月12日(金)睛 9月16 I」(火)晴 9月25日(木)睛 は認められなかった。 午後、2トレンチを埋戻す。 1トレンチの掘削準備として、除草と駐車 場区画用トラロープの撤去などを行う。 lトレンチで重機掘削を開始する。 撹乱が著しく、これと言った遺構は認められない。 lトレンチを精査する。 近現代の水田、 コンクリト製井戸枠などが表れる。 土)箇断面の観 察と計測を行い、発掘完了写真撮影する。 午後から地戻す。 発掘器材を神原町へ撤 収する。 出士品を洗浄する。 遺構と十層観察データを整理する。 出七品を写真撮影する。 調杏完了届けを作成する。 調査結果概要を作成する。 出士品の実測と浄書など調杏報告書を刊行するための準備を始める。 コンテナーハウス・トイレを撤収する。

(4)

高塚遺跡の位置と環境

1日浜松市域の地形は、北部の山間地、天竜川右岸の汎昧責平野、三方原台地、そして台地と現海岸線まで の間に広がる鉛;-'仕低地帯に大別される。 この沿岸低地には6~8列の砂丘が形成されている。 台地の南縁 は比高弟20~25mの海蝕崖で、尼下の第1砂嬰列に県道竜禅寺雄踏線が走っている。 第2砂虚列は西郵 便局付近まで確認できるが入野町までは及んでいない。 第3砂堤列には1日囚追一号線とJR東海道木線が 走っている。 高塚遺跡は第3砂嬰列のほぼ中央部に位置し、JR晶塚駅の),'d辺で古代~中世の遺物が広範 圃から採集されて知られるようになった(第1図)。 しかし、遺跡の性格や規模など詳細は分かっていない。 台地卜には占墳仙期の大集落である坊ヶ跡追跡と中平迎跡があり、入野町の大平遺跡では豪族居館跡が 検出されている。 砂堤列ヒでも幾つか遺跡を見ることができる。 第1砂堤の志都呂町東前追跡(縄文前期~ 弥生、古墳中後期、奈良平安~中近世)では弥生後期の組帯文 1一.堺、 銅塊入り壺、占墳中期の卜.製と石製 の祭祀遺物、奈良時代の木簡などが出上して注「Iされる。 志都呂町角江追跡 (縄文後期~弥生・奈良平安 時代) では弥[「中期の人面付壺、 銅鐸形士製品、木製農具類が出七した。 その他、入野町八反田逍跡(奈 良時代)、人野町村西遺跡 (鎌食時代) が知られる。 舞阪町付近で砂堤列は収倣して、第3砂堤列の西端が 分からなくなっている。 弁天島と舞阪町及び篠原町中田尻追跡は弥生中期の迎跡である。 高塚式古墳の 分布は希薄である。 舞阪町天山辿踊、 芥林町東野宮遺跡、 若林町村西迎跡、 東苫林迎跡では7~8111: 紀の住居跡を検出された。 特に店林遺跡の和銅開弥が汁Hされる。 第3砂堤列では、71止紀後平代になっ て急速に開発が進んだことが知られる。

範囲確認調査の概要

調査の方法 1757年の都市計画図(第2図) を見ると、 調査対象地は、JR高塚駅方而から続く微高地(砂丘)の西端で、 周辺には水田が広がっているのが分かる。 1970年代 にはフ゜ロバンガスの貯蔵施設が建設されている。 1990年 代に更地となって以降、駐中島として再整備され、 敷地の全而に砕石が敷鈎された。 このことから、砕右な どの造成上を除去するため重機を用いることにした。 調企開始前に測品業者に委託して基本杭を6本(T.l ~T.6)打設して、 これに水準点を閥いた。 次に、 T.lとT.2の間を1トレンチ、 T.3と T.4の間を2トレンチ、 T.5とT.6の間を3トレンチとした (第3図)。 それぞれの基 本杭を結んだ線を中心に、東と西に各lmづつ取って輻2 mのトレンチ(試掘溝) とした。 1トレンチでは駐中→島との 兼ね合いから、西側へ0.5m、東側に1.5m取った。 各基準点間の距離 T. l -T.2 59.000m T.3-T.'1 56.000m T.5-T.6 54.000m T.1-T.3 29.000m T.3-T.5 20.000m LT.3, T.l, T.2=90° LT.5, T.3, T.4 =90° 点名 FT. 1 FT. 2 T. 1 T. 2 T. 3 T.4 T. 5 T. 6 座標覧表

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座椋 y座標 標高 -114872.020 -75063. 761 2.132 -144930.9!J2 -75070.848 2.267 -144875. [1J3 -75055.921 2.142 -144933.709 -75063.065 2.273 -144878.655 -75027.134 2.146 -144934 .213 -75033.916 2.134 �144881.077 -75007.281 2.233 -144934.680 -75013.820 2.110

(5)

-2-南北方向に設定した3本のトレンチで、まず、ハヾックホ-を用いて造成土および旧表上(耕作土)を除去した。掘 削開始直後から表面が磨耗した土器の細片が出始めた。旧表土層と基盤との間が遺物包含層になっている と想定されたが、遺構の有無を確認することに主眼を置いたため、分層発掘は行わず、各層で遺物の包含状 況を確認しながら基盤砂層の直上まで掘り下げた。当該地では現在も駐車場として利用されている関係で、 1・2トレンチでは通路を確保した。このことから一部に未発掘部分が生じた。結果として、第3図に示すとおり、 各トレンチの幅は平均2.1mで、総延長158mを掘削し調査した。 重機掘削終了後、人力で発掘面を平滑にして遺構の検出に努め、購(sD)と土抗(sx)、小穴(SP)を検出し た。検出した遺構は、時期や性格を求めるのに必要な範囲は底まで掘削してみたが、原則として全掘しない で平面形を観察するに止めた。検出した遺構と土層堆積状況の計測は、各トレンチの南端に設置した基準点 T.1、 T.4、 T.6を測量の基点oとして行ったo

土層の堆積状況

各トレンチの西壁面で上層の堆積状況を観察し、作成した図面を柱状図にして第4図に示した。堆積する上 層は概ね①∼⑥に区分される。 ①は造成用に三方原台地から搬入された黄色粘土混じりの砂磯と、駐車場 整備用の青灰色の砕石である。ガス貯蔵関連施設が建築されていた関係で、 1トレンチでは21m地点付近を 中心に広範囲に渡って撹乱されていた。撹乱孔には産廃混じりの砂榛が厚く堆積していて、その上を砕石で 覆われていた。また、北半部は現代の水田を砂磯で埋め立てて宅地化されており、その一角、 50m地点付近 にコンクリート製の井戸枠が設置されていた。 ②は、やや灰色の粘土が混じる灰茶褐色砂層で、用地造成前は 畑地の耕作土であったと思われる。この土層は調査区のほぼ全域で認められ、土器の細片を含んでいた。 lトレンチでは4.6m地点から北が現代の水田で、 ②相当層は灰色砂質粘土層であった0 3トレンチでは3.2m地 点付近まで②が基盤砂層の卜面を覆っていた。調査対象地の北側が低地(現水田)に接する関係か、北半 部で②層は若干グライ化して青茶色を呈していた. ③は茶褐色砂層であり、遣物を少量包含しているo元来、 ②と③は同一の地層で、耕作が及んだ範囲が②と思われる。 2トレンチでは、 8.5m地点付近から南側の基盤が 大きく窪み、 ③が深くまで堆積していた。 ④が堆積する以前の遺構の可能性も考えられたが、土層断面でも 平面観察でも遺構とする根拠を見出せなかった。 ④は茶褐色の砂が混じる有機質分の強い黒色砂層である。 構(SD07とSDO8)及び谷状窪地の上半を覆う黒色粘土層に繋がっている。 1トレンチの南半部では基盤の卜 にそれが直接乗る。 -一見すると泥炭層と見紛う土壌であり、水成堆積と思われる。 2トレンチの④と1トレンチの⑤ 卜半部は同水準なので、水成堆積ならば、 1トレンチにも④が及んでいると考えられる。しかし、 1トレンチでは湧 水で詳細に観察しなかったためか④を確認することはできなかった。 ⑤は基盤の黄褐色砂を斑文状に含ん だ有機質分の多い黒色粘質砂層である。 ⑤の平面的な広がりと最深部の標高は(第4図の数値)、 1トレンチで は12m地点から45m地点の範囲で、最深部の標高0.82m。 2トレンチでは20m地点から40m地点の範囲で、 最深部の標高1.35m。 3トレンチでは23m地点から38m地点までの範囲で、最深部の標高1.22mである。この ことから、 ⑤が東から西に向かって大きく扇形に広がっているのが分かる。この凸レンズ状に窪んだ範囲を谷 状窪地と仮称した。 2トレンチでは谷状窪地の最深部に溝sD06があり、構内の標高1.1m付近で奈良時代の 須恵器(第7図16)が山上した。また、 3トレンチ28m地点付近の谷の駆け上がり部で、 13世紀の山茶碗と中世 土師器(第7図8・10)が出上したo このことから⑤は8世紀以降の水位上字引こより13世紀ころに堆積した土層 と推察される。なお、 ⑤は伊場大溝が埋没して最後に堆積した土層(伊場山層)と質色共に近似し、包含する 遺物の年代も一一一致している。 ⑥は黄褐色砂層で遺跡の基盤である。第2図によると、東西方向に伸びる第3 紗堤列(旧東海道が乗る)の支丘が、 JR高塚駅の中央部を通って当該調査区の東側を掠めて北に伸びてい る。このことから当該地は第3秒堤列の一角で、⑥は砂丘砂と理解される。また、砂丘周縁部の水田は堤列 間低地と看て取れる。谷状窪地は、砂丘の縁辺部に形成された一種の侵食谷のように見える。 南北方向に設定した3本の卜レンチで、まず、ハヘバホーを用いて造成士および旧表上(耕作土)を除去した。制 削開始直後から表面が磨耗した上器の細片が出始めた。 18表土層と基 盤との聞が造物包含層になっている と也、定されたが、遺構の有 1!\~ を確認することに主眼を置いたため、分層発出は行わず、各層で造物の包含状 況を昨認しながら基 盤 砂 層の直 ヒまで掘り下げた。 生

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該地では現在も駐車場として利附されている関係で、 い2トレンチでは通路を確保した。このことから一部に未発柵部分が生じた。 結果として、第3図に示すとおり、 各卜レンチの幅は平均 2.1mで、 総 延 長 158mを掘削し調在した。 電 機柄 削終了 後 、 人 力で発掘 而を平滑にして遺 構の検出に努め、情(SD)と士ザr:(SX)、小穴 (SP)を検附し た。検山した遺構は、時期や性格を求めるのに必要な範凶は成まで脳削してみたが、胤則として全掘しない で 半由形を観察するに上│めた。検問した遺構と上回堆積状況の計測は、各トレンチの両端に設置した基準点 i¥l、'1'.4、'1'.6を測 量の基点Oとして行った。 土 層 の 堆 積 状 況 各トレンチの凶壁面で上層の堆積状祝を観察し、作成した図面を柱状図にして第

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に示した。堆 積する上 層は概ね①~@に区分される。 ① は造成用に三方針(台地から搬入された黄色粘上混じりの砂礁と、駐車場 整 備用の占灰色の砕石である。 ガス貯蔵 関 連 施設が建築されていた関係で、 1卜レンチでは 21m地点付近を

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也と仮称した。

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SD06 があり、 溝内の標高 l. ~m 付近で、奈良時代の 須恵器(第7同 16)が山上した。また、 3トレンチ28m地 点 付 近の谷の駆け上がり部で、 13世紀の山茶碗と中111: 上│叩器(第7同8・10)が山上した。このことから⑤は8世紀以降の水枕上昇により 13世紀ころに堆積した上層 と推察される。なお、⑤は伊場大溝が埋没して最後に堆積した上層(伊場凹層)と質色共に近似し、包合する 造物の午代も一致している。⑥ は 黄 褐色 砂 層 で 遺 跡の基盤である。第2図によると、東│珂方向に伸びる第3 砂嵯列(旧東海道が乗る)の支正が、

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高塚駅の中央部を通って当該調査灰の東側を掠めて北に伸びてい る。このことから当該地は第3砂嵯列の一角で、⑥は砂丘砂と耳目解される。また、砂斤:周縁部の水田は児列 問低地と看て取れる。行 状 窪

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也は、砂丘の縁辺部に形成された一種の侵食谷のように見える。

(6)

第3図 発掘区全体図・遺構配置図

-4-ー

OFT.l 。下1

T.3

T.5 現代の建 FT.2

一一

一一一一一一

1トレンチ 2トレンチ 3トレン

S006 SD06

谷状窪地

一一一一一一一

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一一

一一一一一一

SX04_ー ご二S005 、 、S004 SP01 現代の建物(油憎)1跡、 O 30m 第3以

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発掘

l

五全体図・遺構 配置図

4

(7)

-49m 58m 3トレンチ T.6から1.8m     5m 14m     18m

1

トレンチ

T.2から2m 4.5m 12m 21m 33m 49m ① 2ml ② ③ ' ト s l H W T i t i 1 1 1 1 1 1 1 1 h ノ リ 山 コ I.Om ④ 撹 乱 1.5m ⑥ ①砕石・砂礁 1.46日1 凡 例 ②灰 茶 褐 色 砂 層 北 側 で は 青 茶 色 ③茶褐色砂層・黒色粘土 ④茶 褐 色 砂 湿 り 黒 色 砂 層 低 地 で は 黒 色 粘 ⑤黄色砂混り黒色粘質砂層 ⑤ O.9m ⑥黄褐色砂層(基 盤)数字は砂層上面の標高値 ※ 垂 直 方 向 の 縮 尺 8=20:1 O.82m

2

トレンチ

T.4から6m 8m m 35m 38m 39m ① 2m ④ ② ③ 1.76m 1.67口1 克首 基盤ゆ未催?104m 1.35m 3

トレンチ

T.6から1.8m 5m 13m 14m 18m 23m 2m I.R7m ⑥ 谷 状 窪 地 ⑥ 第4図 上 層 断 而 杭 状 図 l.22 111 ⑥ 30m ① 一 ② 一 ③ 一 ④ ⑤ 58m O.83m 1.57m 標高2m 40m 標高I2m 1.85m 39m 標高2m 発J1iJlI丘 北 端で 1.9m

(8)

検出した遺構

第2・3トレンチで溝(SD)、土抗(sx)、小六(sp)を検出した(第3図)。幅2mの範囲内に限定した調査なので、 各遺構の全貌は確認していない。確認した範囲内での詳細を第5図と第6図に示した。通常、土壌を(SE)、 不明遺構を(SX)と表記しているが、今回、性格が判然としなかった遺構は土抗をSXと表記した。 2トレンチ7m地点から15m地点の間でSDOl∼SD03とSXOlが重なって検出された。遺構の切り合い関係は 判然としない。 SD03が他を切っていると見えた。 SDOlの幅0.55m、深さ0.03m。 SXOlは深さ0.35mまで確 認したo SD02の幅0.25m。 SD03の幅1.55m. 17m地点から20m地点の間にSD05を切るSD04がある。い ずれも③の茶褐色砂が充填している。各遺構の表面を削った限りでは、遺物を検出していない。 38m地点 の谷状窪地最深部で、谷の向きに平行して東西方向に走るSD06が検出された。検出直後には幅0.5mの 一直線の溝に見えたが、降雨で水没した後の精査では不整形に仕上がった。 3トレンチでは南半部に遺構が 密集していた。 Sl)07は幅0.7m、深さ0.3mで③を覆土としている。 SX02は幅2.8m、深さ0.25mで④を覆土 としている。 SD08は幅0.65m、深さ0.35mで④を覆土としている。 SD09は幅0.65m、深さ0.3mで④を覆土 としている。 SPOlは直径0.35m、深さ0.4m。 SP03は直径0.65m、深さ0.26mで拳大の円磯が認められた。 遺構の年代観を示す遺物は、 SD05の奈良時代須恵器以外にはなく、各遺構の年代を俄かに決めがたい。 包含層から7-8世紀、 12-13世紀、 16世紀頃の遺物が検出されたことから、概ね、この期間内に収まると思 われる。検出した層位と覆土からSD06は8世紀後半。 SDO8、SD09とSX02は12-13世紀頃。その他は 16世紀頃と思われる,J 調査対象地の南東部に遺構が集中しているC 第2図によれば、当該地の東側と南側に砂丘が広がっている。このことから、当該地は遺跡の末端部に近 く、中心部は南東付近と判断される。 ib      調査区域外 調査区域外 第5図 2トレンチ内の遺構 ー6 検出した遺構 第2・3卜レンチで溝(SD)、土抗(SX)、小穴(Sp)を検出した(第3図)0 111

2 mの範凶│人lに限定した調査なので、 各遺構の全貌は確認していない。確認した範囲内での詳細を第

5

図と第

6

図に示した。通常、士墳を

(

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、 不明遺構を

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)

と表記しているが、今回、性格が判然としなかった遺構は土抗を

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と表記した。 2卜レンチ7m地点から 15m地点の闘で、SD01~SD03 と SX01 が重なって検出された。 遺構の切り合い関係は わ

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然としない。SD03が他を切っていると見えた。SDOlの11幅O.55m、深さO.03moSX01は深さO.35mまでf産 認した。SD02の幅O.25moSD03の幅1.55mo 17m地点から20m地点の聞にSD05を切る SD04がある。 い ずれも③の茶褐色砂が充填している。各遺構の表面を削った限りで、は、遺物を検出していない。 38m地点 の谷状窪地最深部で、谷の向きに平行して東西方向に走る SD06が検出された。 検山直後には幅 O.5mの

一 直j泉の溝に見えたが、降雨で、水没した後の精査で、は不整形に仕上がった。 3卜レンチでは南半部に遺構が 特集していた。 SD07は幅O.7m、深さO.3mで、③を覆土としている。SX02は│幅2.8m、深さO.25mで④を覆上 としている。SD08は

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O.65m、深さ O.35mで、④を覆土としている。SD09は111面O.65m、深さ O.3mで、④を覆士 としている。 SP01は直径O.35m、深さ O./lmo SP03は直径O.65m、深さO.26mで、拳大の円際が認められた。 遺構の年代観を示す遺物は、 SD05の奈良時代須恵器以外にはなく、各遺構の年代を俄かに決めがたい。 包含層から 7~8 世紀、 12~13 世紀、 16 世紀頃の遺物が検出されたことから、概ね、この期間内に収まると,思 われる。 検出した層位と覆土から SD06 は 8 世紀後半。 SD08 、 SD09 と SX02 は 12~13 世紀頃。 その他は 16111:紀頃と思われる。調査対象地の南東部に遺構が集中している。 第

2

図によれば、当該地の東側と南側に砂丘が広がっている。このことから、当該地は遺跡の末端部に近 く、 中心部は南東付近と判断される。 SX01

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T.4から 7m 調ff区域外 a b

¥¥標高

+

T.4から 17m 調 査 区 域 外 O 2m 第 5図 2トレンチ│人lの遺構 6 SD03 + 20m

1.6m 十 15m

(9)

標高21m 0      2m 第6図 3レンチ内の遺構

+

T.6

標高 19rY\l\.J'~

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-SX02 標高2.1m 昨1 十 T.6から15m 底 面未発柄 庁1 標高2.1m

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+ 10m 調11:区域外 ;周作区域外 e f 一「\一~一 E / 〆 SX03 調査区域外 k 制丘 l丘域外 k 制itlx:域 外 一一¥¥ J 〆 第6図 3レンチ内の遺構

SX02 + T.6から9m

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骨 9m SX03 + 15m 門 n 標高2.1m ーーーーー一 2m

(10)

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:,7' 」 、 __ _  __ _- ー__ ノ ___ _ _ー __ ー _   _  _ i 第7図 出上遺物実測図

出土遣物

採集した遣物は、いずれも細片であり原形に復しがたいが、特徴的なものを岡示した。 1は須恵器摘蓋で ある。摘みを欠くが、摘みの欠落痕の径が小さいことから8世紀後半代である。 2は須恵器摘蓋の口縁折り 返し部である。折り返しは小さく、端部を肥厚させて折り返し様に仕上げている。 8t帰己後半代である。 3は 須恵器盤の底部である。断面方形の高台が、盤部の屈曲箇所から離れて底部の中心部近くに付けられてい る。 81摘己後半代である。 4は須恵器壷の目線部である。と思われる。 5と6は須恵器鷺の胴部で、 7世紀代 と思われる。 7は12世紀後半代の山茶碗である. 8と9は13t蟻己のIrr茶碗である0 8の高台に籾痕が残るo lOは13世紀の伊勢形鍋である。 8と10は3トレンチ布状窪地の駆け上がり部で⑤層から検出した。 ll-14は 中世土師器の羽釜・内耳鍋・カワラケである。 16世紀頃と思われる。 15は瀬戸括鉢である。 16はSD05の 底から検出した8世紀後半ないしは9世紀初頭頃の須恵器無高台碗である。 17は2トレンチ③層から検出した 16世紀頃の山皿である。 18は1トレンチで灰色砂質粘土層から検出した瀬戸椀である。

おわりに

JR高塚駅周辺は古代東海道の要衝でもあることから、大規模な遺跡の存在が予想されている,。しかし、本 格的な発掘調査を経ておらず、実態は未解明のままである。今回の調査で7-8世紀と12-13世紀、 16世 紀頃の集落遺跡と確認できた。同じく第3砂堤列に乗り、和銅開称や緑粕陶器を山十させた若林遺跡と同じ 時期に営まれた遺跡と判明したのは意義ある成果であろう。今後、高塚駅周辺の開発が進むことと予想され るので、万全を期して発掘調査を行い、より一層、高塚町内の遺跡が解明されることを期待したい。

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15cm 第7図出上遺物実証l1日火│ 出 土 遺 物 採集した遺物は、し、ずれも細片であり原形に復しがたいが、特徴的なものを│苅示した。 1は須恵、器摘蓋で ある。 摘みを欠くが、摘みの欠落浪の俸が小さいことから 81~1: 紀後半代である。 2 は須語、部摘蓋の口紘折り 返し部である。折り返しは小さく、端部を肥厚させて折り返し様に

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東海道の要衝で、もあることから、大規模な遺跡の存在が予想されている。しかし、本 格的な発掘調査を杭ておらず、実態は未解明のままである。今│叫の調査で 7"'8世紀と 12'"13世紀、 l6世 紀頃の集落遺跡と確認で、きた。IliJじく第3砂嵯ダJIに乗り、手11銅開弥や緑粕陶器を山十ーさせた計十本遺跡と同じ 時期に営まれた遺跡と判明したのは意義ある成主!<!:であろう。 今後、高塚駅周辺の開発が進むことと一予想され るので、万全を期して発掘調査を行い、より一回、高塚町内の遺跡が解明されることを期待したい。 8

(11)

発掘前全景(南西から)

重機掘削風景

精査・実測風景

写 真 図 版 1

発 掘 前 全 景(南丙から) 重 機 掘 削 風 景 精 査・実 測 風 景

(12)

写真図版 2

lトレンチ全景(南から) 2トレンチ全景(南から) 3トレンチ全景(南から)

写真図版

2

lトレンチ全景(南から) 2 トレンチ令:/~.:(南から) 3トレンチ全景(南から)

(13)

写真図版 3

2トレンチ 土抗・構 SXOI Sl)01 SDO2 SDO3 2トレンチ 溝 SDO4 SDO5 2トレンチ谷状窪地・溝 SDO6

.

写 真 図 版

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晶 ・軽2・o 走馬、単一 ふ る. j... ~.~ 河L t 鋤喝 . h ' ・ 一 ・ ‘J J議 2トレンチ 上抗・情 SXOl SDOl SD02 SD03

2

トレンチ

1

茸 SD04 SD05 2卜レンチ谷状窪地・

1

茸 SD06

(14)

写真図版 4

3トレンチ 溝・小穴 SDO7 SPOI SPO2 3トレンチ 購 S008 3トレンチ 構 SDO9 , 、 3トレンチ構・小穴 SD07 SPOl SP02 3卜レンチ

i

P

:

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SD08 3トレンチ

J

梓 SD09

(15)

写真図版 5

-     二 15       16      17 3トレンチ 小穴 SPO3

出土遺物

発掘後全呆

(砕石敷均し状況 北西から)

写真図版 5

.

2

6 7 10 14 3

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12

~3

16 17 3トレンチ 小火 Sド()~1 出土遺物 発掘後令.民 (百午石敷均し ;IJ~iJl.-1ヒ凶から)

(16)

報告書抄録

書名 劍リ),ク R リ* (* (+ イ 副書名 剪 巻次 剪 シリーズ名.番号 剪 編著者名 劔 ネユリ xヤb 編集機関 劔Vネ鉙 サ8支効醜橙 〒430-0929浜松市中区中央1-2-1イ一一ス=/,I--ジけ船オ7イス仙 浜松市生活文化部生涯学習課文化財担当 (浜松市教育委員会の補助執行) 〒430-0946浜松市中区元城町103-20513(457)2466 発行機関 劍゙ &9d ノVネ鉙 [h峪 Xサグ 62 〒430-7790浜松市中区板屋町111-1053(451)1151 発行年月日 剴# 吋 (ネ ?「 剪イ査面積 3&モ"

所収遺跡名 傀ィンル& ( ク6市町村 冉ク債) 2YMHリbネx 東経 o′′′ (ロ葦ィュB

高塚遺跡 8圷ハyVネ鉙 >ネセhリ),ケ*ツ モ ## " 4-02-ll C C ツ #xx 1370 40′ 52〝 吋 佇 ?ィ 佇 )?「 調査原因 俘),ク踊 ノ]9&霎i 餔X馼シb 所収遺跡名 偃ル¥「 主な時代 剋蛯ネ遺構 剋蛯ネ遣物 高塚遺跡 偖yx 古墳 奈良.平安 中近推 剄`.上坑.小穴 剞{恵器.山茶碗 内耳鍋.羽釜.カワラグ たかつかいせき

高塚遺跡

2008年12月22日 発行 財団法人 浜松市文化振興財団 編集 浜松市教育委員会 (浜松市生涯学習課文化財担当) 〒430-0946 静岡県浜松市中区元城町103-2

生活文闇生涯学習課披化財担当)

TELO53-457-2466 FA貰053-457-2563

報告書抄録

主Eヨ主 名 高 塚 遺 跡 (たかっかいせき) 日jI 書 名 巻 次 シリ ー ズ 名 ・番 号 t扇

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年 続可 集 発

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丁- " 、 り 1J' 1, 所 収 遺 跡 名 れかっかいせき 高 塚 遺 跡 調 査 j点 凶 所 収 遺 跡 名 高塚 遺跡 者 名 川 江 秀 孝 浜 松 市 教 育 委 員 会

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430-0929浜 松 市中I;{中 央 1-2-1ィ ー 計 一 刈 、)1, れ ィ 川 機 関 浜 松 市λ│て活丈化部生涯乍習課文化財担当 (浜松市教育委員会の補助執行) 干130-0946浜 松 市 中

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元 城 町 103-2 05:1;(157) 2466 財 団 法人 浜 松市丈化 振 興 財 同 機 関 干130-7790浜 松 市 中

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板 屋 町11卜l O!):l(4弓l)1151

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2008年 12月 20円 "、 ~J /)'1,:1 コード 北 緯 所 有 地 市 町 村 遺跡番 号 o ! 11 しずtJカ、Irん(上主主つし 静 岡 県 浜 松 市 340 らな斗くた泊・つ!;¥"';.Jt.") 22202 4-02-11 41' 伴

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l7高 塚町 27" 93]-1 高 塚 駅 周 辺 地 区 整 備 事 業 隔 日IJ 主 な 時 代 主 な 遺 構 集 地 : 占墳 奈 良・平安

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坑・小';( 中 近Ilt た か っ か い せ き

高 塚 遺 跡

2008年12月 22

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発 行 財 団 法 人 浜 松

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文 化 振 興 財 団 編 集 浜 松 市 教 育委 員 会 (浜松市 生 涯学 習課丈 化 財 担 当 ) 干430-0946 静 岡 県 浜 松 市 中区)C城 町'103-2

生活文化部生涯学習課(文化財担当)

TEL.053-457-2466 FAX053-457-2553 調 布 面 積 332 m2 東:経 調 査 期 間 o " 1370 2008 年 10' 9 月 1R~ 52" 9月 12~ 主 な 遺 物 須j主器・山茶碗 内 耳 釧・羽釜・カワラケ

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平成12年 6月27日 ひうち救難所設置 平成12年 6月27日 来島救難所設置 平成12年 9月 1日 津島救難所設置 平成25年 7月 8日

6 月、 月 、8 8月 月、 、1 10 0 月 月、 、1 1月 月及 及び び2 2月 月) )に に調 調査 査を を行 行い いま まし した た。 。. 森ヶ崎の鼻 1

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