• 検索結果がありません。

南京市における城壁空間に関する研究 [ PDF

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "南京市における城壁空間に関する研究 [ PDF"

Copied!
4
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

4-1 1. はじめに 1-1 研究の背景  中国における殆どの古代都市は、外敵の防御や都市範 囲の確定のために城壁が築かれており、特に歴史的価値の 高い構造物といえる。しかし、時代の変化に伴い城壁が本 来有していた機能は失われつつあり、多くの城壁が破壊さ れ、現存する城壁にも保全と開発を巡って数多くの議論が なされている。また保全した城壁は、観光資源として修復・ 整備が進んでいるものの、人々の都市生活との関わりは希 薄であり、都市環境にも多くの課題を残している。そのため、 城壁を保全する際に、再び城壁の社会価値を理解した上 で、城壁の現代都市における社会機能を豊かにし、城壁及 び周辺空間の整備・開発・保全を進めることが重要である。 1-2 研究の目的  本研究では、現在の中国において残存規模が最大であ り、今後も保全が期待できる南京の城壁を研究対象とし、 具体的に以下の 3 点を明らかにすることを目的とする。(1) 城壁の残存状況を把握し、城壁保全に関する法制度の変 遷を整理する。(2) 南京市の都市発展史における城壁の形 態の変遷と機能転換を分析し、城壁と都市発展の関係性 を明らかにする。(3) 城壁と周辺空間の利用状況を考察し、 空間構成の特徴を考察した上で、城壁と周辺空間の関係性 を把握する。以上の 3 点を論じた上で、城壁の現代的役割 や城壁空間の形成への必要性を明らかにし、城壁空間の 整備・保全・開発方針を示唆する。 1-3 城壁空間の定義  城壁は都市スケールの建築様式として、都市空間、都市 構造等各方面の要素と相互作用のシステムを形成し、お互 いに影響を受けている。よって、城壁に対する研究を行う時、 それぞれの要素と城壁の関連性に配慮しながら、城壁と周 辺空間を一体化し、城壁空間として考慮する必要がある ( 図 1)。ここでいう城壁空間とは、城壁本体とその両側の一番 近い障害によって囲まれた空間と定義する(図2)。障害とは、 堀や山地の斜面、自動車道及び閉鎖的な区域など、歩行 者の自由通行を妨げる要素である。 2. 南京市における城壁の保全状況 2-1 研究の対象地  南京市は“中国の四大古都”の 1 つであり、現在は中 国江蘇省の省都、長江三角洲都市圏の 3 つの中核都市の 1 つである。中国南東部の長江下流平原に位置し、総面 積は約 6,582km2、中心市街地の面積は約 866km2であり、 城壁に囲まれた古城区の面積は約 53km2である。総人口 は 2009 年時点で約 771 万人である。 2-2 南京城壁の概要と残存状況  現存する南京城壁は明朝 (1368 ~ 1644 年 ) に築かれ、「四 重城郭」( 宮城、皇城、都城、外郭 ) のうちの都城城壁 に相当する。部分的に取り壊された結果、現存する城壁 は 5 つの部分に分かれているが、全てを合計した距離は 25.091km となり、2010 年現在で 25 の城門が残存している。 高さは 10 ~ 20m であり、上面の幅は広い所で 18m,狭い 所で 3、4m である。 2-3 城壁の保全に関する法制度  現在、中国における城壁の保全は、「中華人民共和国文 物保護法 」( 以下、文物保護法 )と各省等の条例により規 定されている。文物保護法の第一章第二条一項により、古 建築は当該法律の保全対象となると規定されているが、城 壁が保全対象となるには、文物保護単位として認定する必 要がある。また、城壁の保全は、都市計画、建築、自然

南京市における城壁空間に関する研究

王 成康 図 1 南京城壁周辺のオープンスペース 城壁空間 自動車道 閉鎖的住宅区 図 2 城壁空間の概念図 表1 南京城壁の保全に関する条例の変遷 定 義 特 徴 定 義 特 徴 1982.7 「関于公布南 京市文物古 跡保護管理 办法的通知」 城壁が文化財に属することを 確定 1982.8 「南京市人民 政府関于保 護城墙的通 知」 城壁内外両面の 15m以内 占用、破壊禁止保護区域から50m以内 建物を新築、改 築する時政府の 許可が必要 1989 「南京市文物保護条例」 保護区域の外縁 は城壁内外両面 から15m以上離 れた位置に定め る 非文化財の建物 は取り除く必要 があり、拡張、 改築、新築をし てはならない 規制区域の外 縁は城壁内外 から50m以上離 れた位置に定 める 1995 「南京城墙 保護管理办 法」 現存城壁の保護 地域に、一般地 域と特殊地域と 設定し、一般地 域は城壁内外両 面から15m以 上、特殊地域は 「南京城壁保護 規劃」に基づく 非文化財の建物 は除却免除許可 を持つことがで きる。道路建設 の許可を持つこ とができる。 現存城壁内外 から50m以上離 れた位置に定 める 建設活動は法律 の内容に従わな ければならない 新築の建物は城 壁周辺の環境と 協調する 、 ①南京城壁の法体制の範囲は 現存の城壁だけでなく、遺跡 と壊された部分も対象とする ②「南京城壁保護規劃」を作 成する③城壁の遺跡と取り壊 された部分に対する開発方法 を定める④城壁を利用した利 潤活動を行う場合は政府の許 可を得なければならない⑤城 壁の補修と保護の経費の出所 を確定する 1997 「南京市文物 保護条例」 (修正) 2004 「南京城墙 保護管理办 法(修正)」 城壁を利用した利潤活動を行 う場合は政府の許可が必要、 かつ、法律の内容に従わな ければならない 2010 「南京市歴史 文化名城保護 条例」 城壁と遺跡内外か ら30m以内 新築を禁止 城壁と遺跡内外から50m 範囲内 新築の建物の高 さ制限は12mと なっている 文物管理部門が確定した城壁の 跡地上の建造物・構造物を取り除 く必要がある   その他 年 法 規 保護区域 規制区域 城壁空間 堀 城壁空間 自動車道 山地

(2)

4-2 環境などの各分野に関わるため、それぞれの関連法規も関 係している。しかし、城壁に限定した法律はまだ規定され ていない。  一方で、南京市は 1982 年に中国政府によって歴史文化都 市 (「 歴史文化名城 」) に指定されて以来、文物保護法と「 江蘇省文物保護条例 」 等の法令に基づいて、城壁の保全に 関わる条例を 7 度公布している( 表 1)。城壁の保全に関し ては「厳格―緩和―厳格」という経緯を経ている。現在、城 壁形態の改変は禁止されており、周辺環境へのコントロール にも厳しい規制を加えているが、城壁周辺の空間に対する 開発基準は未だ明確に制定されていない。 3. 南京城壁の変遷と都市発展の関係性 3-1 元朝までの城壁と市街地の変容 ( 図 3- ① )  元朝まで ( ~ 1368 年 ) の南京の歴史には、「 六朝時期 」 と「 楊呉南唐時期 」 の 2 つの重要な時期がある。これらの 時代には、朝廷の崩壊と社会経済の発展のために、旧来の 城壁が 2 度取り除かれ、より大きい規模の城壁が新築され ており1)、防御機能の維持とともに都市発展にも寄与した。 3-2 明朝以降における城門の建設経緯と市街地の変容 (1) 明朝における風水思想による城壁の築造  明朝時期 (1368 ~ 1644 年 ) になると、南京は中国を統一 した王朝の首都となり、南京という名称もこの時代に名付 けられた。当時の城壁の全長は約 33 ㎞で、13 の城門が設 けられていた。明朝の南京城は主に宇宙の天象、自然の地 形、および前時代の城壁利用などによって計画された。平 面形は北斗七星と南斗六星が合わさった形状となっている 2) ( 図 3- ① )。城壁の規模は巨大なため、1980 年代に至る まで南京市の建設は主に城壁内に集中していた。 (2) 清末・民国初期 (1908 ~ 1927 年 ) の城門の新築  中国の近代化の礎が築かれた時期であり、都市発展に伴 い城壁内外を連絡する交通も増えていった。特に下関埠頭 を中心とする新街区を発展させるため、西北の城壁で「草 場門」、「金川門」、「四扇門」、「海陵門」が次々と開門された。 また、1909 年に南洋勧業会が開催され、玄武湖公園の観 光客のために「豊潤門」が設けられている ( 図 3- ② )。 (3) 民国後期 (1927 ~ 1949 年 ) に 「 三孔城門 」 の誕生  1927 年、中華民国国民政府は首都を北京から南京に遷 都した。近代の西洋思想の影響を受けたため、旧来の城門 の名称は封建思想を含み革命時代の理念とは不一致であ ることから、1928 年に多くの城門の名称が改変された。さ らに、1929 年の「首都計画」公布後、大規模な都市建設 が開始され、城門の新築・改築が多く行われた ( 図 3- ③ )。 また、自動車等新たな交通手段の登場により道路が新設さ れ、城門の形態は従来の 1 つの門から歩車分離の 3 つの 門が並列する形態に変わった。この時期では、城壁はまだ 戦争に対して一定の防御機能を持っていたため保存されて いた。また、南京市の行政上の都市範囲が城壁の範囲を 越えたため、城壁が都市の境界を定める機能を失った。 (4) 新中国建国後~文化大革命終了までの城壁の破壊  この時期 (1949 ~ 1976 年 ) 南京市は、1952 年の防空の 時に政府の要員を分散するため、市政府の近くに「解放門」 を設けた。城壁は防御機能を失い、南京市も全国各地の 都市と同様に城壁を破壊し、文化大革命が終わるまでの間 に約 11km の城壁が完全に取り除かれ、大部分の城門も破 壊された ( 図 3- ④ )。その後、残存する城壁は周辺住民 の活動の場として利用されていた。 (5) 改革開放後の城壁の再生 (1978 年~ )  1982 年に南京市は「歴史文化名城」に指定され、残存 する城壁は重要な文化遺産として保護されることになった。 城門の建設は、2005 年までの間に、1991 年に南西の城壁 海陵門 聚宝門 通済門 正陽門 朝陽門 太平門 得勝門 金川門 儀鳳門 定淮門 清涼門 漢西門 三山門 草場門 豊潤門 鐘阜門 四扇門 海陵門 聚宝門 通済門 正陽門 朝陽門 太平門 得勝門 金川門 儀鳳門 定淮門 清涼門 漢西門 三山門 草場門 豊潤門 鐘阜門 四扇門 玄武湖 玄武湖 鐘山 下関埠頭 下関埠頭 長 江 長 江 1927 年1927 年 N 0 1000 3000 5000m ② ② 0 1000 3000 5000m 鐘阜門 神策門 太平門 朝陽門 正陽門 聚宝門 三山門 石城門 清涼門 定淮門 鐘阜門 金川門 神策門 太平門 朝陽門 正陽門 聚宝門 三山門 石城門 清涼門 秦 淮 河 秦 淮 河 定淮門 通済門 南 斗 六 星 北斗七星 北斗七星 N 皇宮区 居住・商業区 軍事区 皇宮区 居住・商業区 軍事区 玄武湖 玄武湖 儀鳳門 儀鳳門 南斗六星 六朝時期 (229 ~ 589 年 ) の城壁 楊呉南唐時期 (902 ~ 975 年 ) の城壁 明朝時期 (1368 ~ 1644 年 ) の城壁 鶏籠山 覆州山 ① ① 漢西門 和平門 中華門 共和門 光華門 中山門 太平門 金川門 鐘阜門 興中門 定淮門 清涼門 水西門 草場門 小北門 玄武門 中央門 漢中門 挹江門 新民門 中華西門 中華東門 武定門 雨花門 漢西門 和平門 中華門 共和門 光華門 中山門 太平門 金川門 鐘阜門 興中門 定淮門 清涼門 水西門 草場門 小北門 玄武門 中央門 漢中門 挹江門 新民門 中華西門 中華東門 武定門 雨花門 玄武湖 玄武湖 鐘山 鐘山 中 山 大 道 中 山 大 道 中 山 大 道 中 山 大 道 長 江 長 江 1942 年 N 0 1000 3000 5000m

漢西門 和平門 中華門 通済門 光華門 太平門 金川門 鐘阜門 興中門 定淮門 清涼門 水西門 草場門 小北門 玄武門 中央門 漢中門 挹江門 新民門 武定門 雨花門 中山門 解放門 漢西門 和平門 中華門 通済門 光華門 太平門 金川門 鐘阜門 興中門 定淮門 清涼門 水西門 草場門 小北門 玄武門 中央門 漢中門 挹江門 新民門 武定門 雨花門 中山門 解放門 1988 年 1988 年 玄武湖 玄武湖 N 0 1000 3000 5000m

鐘山 鐘山 漢西門 中華門 通済門 光華門 太平門 中山門 鐘阜門 水西門 玄武門 挹江門 新民門 武定門 雨花門 神策門 金川門 儀鳳門 定淮門 清涼門 草場門 小北門 中央門 漢中門 中華西門 中華東門 集慶門 長干門 標営門 解放門 富貴山トンネル 中山門トンネル 清涼門大橋 玄武湖トンネル 九華山トンネル 華厳崗門 漢西門 中華門 通済門 光華門 太平門 中山門 鐘阜門 水西門 玄武門 挹江門 新民門 武定門 雨花門 神策門 金川門 儀鳳門 定淮門 清涼門 草場門 小北門 中央門 漢中門 中華西門 中華東門 集慶門 長干門 標営門 解放門 富貴山トンネル 中山門トンネル 清涼門大橋 玄武湖トンネル 九華山トンネル 華厳崗門 玄武湖 玄武湖 鐘山鐘山 長 江 長 江 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 1415 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 1415 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 29 2010 年 2010 年 N 0 1000 3000 5000m

城壁 明朝時期に建設した城門 清朝時期に建設した城門 中華民国時期に建設した城門 1949 年以後に建設した城門とトンネル 城門の改築、また名称の変化を示す 無名城門 都市化区域 水系 凡例 図 3 南京城壁と市街地の変遷

(3)

4-3 に「集慶門」を設ける以外には殆ど行われなかった。その後、 南京市で第十回全国体育大会の開催が決定されて以降、 大規模な都市開発が始まった。交通の需要のため、古城 区の東、西、南方向における城壁残存部分に城門が設けら れた ( 図 3- ⑤ )。同時に、都市の発展はすでに単純なハー ド面の建設から、都市の文化や特色の発掘などソフト面の 計画も初めて重視され、城壁は独特な地域特色と歴史文化 のシンボルとして修復・再建されている。 4. 南京城壁周辺の空間特性 4-1 城壁と周辺空間の利用状況(図 4)  近年、南京市政府が城壁の修復・再建工事を行ったこ とにより、城壁周辺は観光や市民公園の一部として利用さ れている。城壁の外側の大部分が公共緑地として整備がほ ぼ完了し、市民公園として利用されて幾つかの高級飲食店 も開店しており、また一部には高層住宅も建設されている。 城壁の内側の土地利用状況は複雑であり、一部の山に沿っ て築かれた城壁の内側と城門の周辺は整備されたが、残り の大部分の地区は主に居住用、公共施設用、工業用など の土地利用が占めている。 4-2 城壁とその周辺空間の特徴 ( 表 2)  城壁の端と通行できる城門をノードにして、神策門の西にある 城壁の遺跡を除き、現存する南京城壁を 25 の部分に分けて、そ の周辺空間を含めて考察する( 図 4)。考察の指標は以下の通り である。①城壁内外の空間機能: 城壁と一番近い街区内の土地 利用をもとに、住居、商業、業務、憩い、道路の 5 つの機能に 分けた。②城壁の利用状況:「登れる( 無料 )」「登れる( 有料 )」 「登れない」の 3 つに分けた。また、城壁の物理的特徴として③ 昇降点数、④城壁の上面の平均幅、⑤平均高さを挙げる。  現地調査や資料調査の結果を表 2 にを示す。城壁の外側は、 主に憩い機能を持っており、一般の人が利用している。内側は、 機能が複合で多くの地区は特定の人しか利用できない。城壁の高 さはあまり差がなく、15 m前後が基本である。整備すれば観光 資源となる可能性のある地区が多いにもかかわらず、昇降点の数 が少なく、利用し難いという問題点もある。 4-3 典型的な空間構成(図 5)   上述の 25 地区の特徴をもとに、各種の空間機能と城壁 の利用状況を示す 6 つのタイプを選び、断面構成の分析を 通して城壁と周辺空間の特性を考察する。 A.商業開発型 ( 武定門の北 )  この部分の城壁は、整備されているものの登ることはで きない。城壁の内側には高級飲食店街があり、車の通行 が可能である。外側には道路があり、道路と堀の間に幅約 40m の緑地帯が整備され、その中には高級飲食店もある。 城壁そのものは利用されておらず、障害感が強い。 B. オープンスペース型 ( 中華門の東 )  この部分の城壁は今後観光資源として中華門城堡公園と 一体的に開発される予定である。内外にあった住居は緑地 として開発され、現在は市民公園になっている。全体的に 城壁 緑地 飲食店 庭 車道 歩道・車道 市民公園 堀 川 飲食店 飲食店 15000 12000 6500 22000 22500 11000 12000 12700 16800 13000 2700 2200 4100 1900 230050002600 15100 19600 33580 空地 車道 市民公園 城壁 市民公園 堀 16000 3150 460 3400 2100 2800 塀 A B C D E F 15000 20000 14000 4000 8100 3200 低層住宅 緑地 城壁 緑地 歩道 緑地 堀 15000 2300 3400 1000 600 11850 18000 7500 5000 2500 21000 10000 70003000 3500 住宅 市民公園 城壁 緑地 歩道 歩道 堀 車道(6車線) 緑地 車道 15400 15000 2700 8500 3900 8500 1200 400 2200 1700 塀 25000 8000 8300 4100 34000 3200 2600 14000 4000 3000 小山 小山 学校 オフィス 城壁 緑地 農地側道 住宅 歩廊歩道 車道 歩道 庭 臨時住宅 13000 9400 9400 2800 8500 1800 12400 塀 2700 40000 6500 20500 5000 6500 3150 8000 3900 6300 住宅 側道 市民公園 城壁 緑地 歩・車道 緑地 堀 小山 小山 2600 1400 15500 4200 12000 2000 内 側 外 側 商業開発型 オープンスペース型 低層建物配置型 高層建物配置型 未整備山地型 整備山地型 図 5 城壁と周辺空間の特性 図 4 現存する城壁と周辺空間の利用状況 漢西門 中華門 中山門 武定門 雨花門 中華西門 中華東門 集慶門 長干門 標営門 中山門隧道 玄武門 神策門 解放門 漢西門 中華門 中山門 武定門 雨花門 中華西門 中華東門 集慶門 長干門 標営門 富貴山トンネル 九華山トンネル 富貴山トンネル 中山門隧道 九華山トンネル 南京市明城垣史博物館 漢中門広場 南京中華門城堡公園 南京中華門城堡公園 南京市明城垣史博物館 玄武門 玄武湖トンネル 玄武湖トンネル 神策門 解放門 漢中門広場 A B C D E F 挹江門 新民門 儀鳳門 清涼門 華厳崗門 挹江門 新民門 儀鳳門 清涼門 華厳崗門 0 1000 2000 3000 4000 5000M N 居住用地 商業用地 その他の公共施設用地 工業用地 公共緑地 市政施設用地 特殊用地 交通用地 河湖水系 凡 例 登れる城壁 登れるのに料金が必要な城壁 登れない城壁 城壁の遺構 車通行が可能な城門 歩行しかできない城門 通れない城門 凡 例 1 2 3 4 5 6 7 8 11 12 13 14 15 1617 1819 20 21 22 9 10 1 2 3 4 5 6 7 8 11 12 13 14 15 1617 1819 20 21 22 23 24 25 23 24 25 9 10 住居 商業 業務 憩い 道路 住居商業 業務憩い 道路 登れる 料金が必要 登れない 1 ● ● ● ● ● 2 5 14 2 ● ● ● ● ● 2 5 12 3 ● ● ● ● ● ● ● 2 5 12 4 ● ● ● ● ● ● ● 1 5 10 5 ● ● ● ● ● ● ● 2 7 16 6 ● ● ● 0 6 13 7 ● ● ● ● ● ● 0 15 15 8 ● ● ● ● ● ● 0 15 15 9 ● ● ● ● ● 0 17 15 10 ● ● ● ● 0 17 16 11 ● ● ● 2 18 17 12 ● ● ● ● ● 0 17 16 13 ● ● ● ● ● ● 0 15 15 14 ● ● ● ● ● ● ● ● 0 15 13 15 ● ● ● 1 3 7 16 ● ● ● 0 4 7 17 ● ● ● ● ● ● 0 4 14 18 ● ● ● ● ● 0 4 18 19 ● ● ● ● ● 2 5 16 20 ● ● ● ● ● 0 4 17 21 ● ● ● ● ● ● 0 4 15 22 ● ● ● ● ● ● ● 2 12 22 23 ● ● ● ● ● ● 1 6 16 24 ● ● ● ● ● 0 6 15 25 ● ● ● ● ● ● 1 6 17 城壁の上 面の平均 幅(m) 城壁の平 均高さ (m) 城壁の 昇降点 の数 調 査 地 点 城壁外側の空間機能 城壁内側の空間機能 城壁の利用状況 表 2 南京城壁と周辺空間の特徴

(4)

4-4 参考文献 1) 蘇則民「南京城市規劃史稿」中国建築工業出版社 ,2008 2) 楊国慶 , 王志高「南京城墻志」鳳凰出版社 ,2008 一体感のある開放的な空間であり、連続性がある。 C.低層建物配置型 ( 中華門の西 )  中華門の西にある無名の城門の周辺にあり、2009 年に 新築されたものである。内側の低層の住居と城壁の間に、 幅約 15m の緑地が整備された。外側は市民公園である。 城壁の底部に歩行通路が設けられたため、城壁の両側のア クセスが良くなった。 D.高層建物配置型 ( 集慶門の南 )  この部分の城壁の内側には、5、6 階の建物の居住区が ある。居住区と城壁の間は塀によって分断され、閉鎖的な 空間となっている。外側には 8 車線の幹線道路があり、城 壁と堀との繋がりが分断されている。 E. 未整備山地型 ( 清涼門の北 )  この部分の城壁は登ることができる。内側は山地で、ま だ整備されておらず、空間の連続性が弱い。外側は居住区 で、住宅と城壁の間は閉鎖感が強く、周辺の住民が農地と して利用している。 F.整備山地型 ( 中山門の南 )  この部分の城壁は内側の小山と一体感がある。外側の市 民公園には高級飲食店があり、来店する車の通行が可能で ある。この部分の城壁は昇降点が1つしかないため、回遊 性がなく、アクセスも不便である。  以上の断面分析によって、城壁の内外の関連性が乏しく 不足で、アクセス性も低いことが分かった。また、城壁の 内側には住宅等を囲む塀があるため、城壁と周辺空間の連 携が分断され、空間の連続性も低いことが明らかとなった。 5.南京市における城壁の現代的役割と城壁空間の必要性 5-1 城壁の現代的役割 (1) 歴史文化のシンボル性  現存する南京城壁は約 650 年の歴史があり、異なる時代 の歴史や文化の特徴を反映している。単なる軍事的な意味 ばかりではなく、城壁の築造から中国古代の礼制文化や風 水思想をも具現化しており、築造技術の変遷を示すことも できる。 (2) 古城区に対する城門のゲート性  城壁はエッジとして旧市街地と新市街地を区分している が、城門はゲートとして 2 つの地区を連結している。城門 を通ると異なる都市景観が感じられ、都市を認識する上で 最も分かりやすい標識の 1 つである。 (3) 景観を見る視点場  南京城壁の周辺は豊富な都市と自然の景観資源があり、 城壁そのものはこれらの景観を融合すると同時に、周辺の 景観を見る視点場としても機能している。 5-2 城壁空間の必要性 (1) 保護区域と規制区域の制定根拠としての必要性  現在の城壁保全に関する法制度では、城壁の両側に保 護区域と規制区域を制定している。その範囲を決める際、 全ての地区において城壁から 30m、50m の範囲に保護区域 と規制区域をそれぞれ設定しているが、周辺空間の複雑性 と多様性は考慮されていない。従って、城壁空間の設定に よって、城壁と周辺の環境、人々の生活実態を配慮しながら、 城壁空間の範囲を確定し、保護区域と規制区域を制定する 際に明確な根拠を提供する必要がある。 (2) 城壁の保全と都市発展とのバランスを取るための必要性  元来城壁は都市の発展に適応しながら機能、規模、形 態を更新し続け、その結果として今日の姿となっている。そ して現在も都市の規模は拡大し、交通量も増加し続けてい る。しかしながら現在制定されている法制度の枠組みの中 では、城壁の改変は基本的に認められておらず、現状の都 市の発展に適応することができていない。そこで、城壁空 間の設定によって、全体として整備・開発の制限に柔軟性 を持たせることによって、城壁空間に都市発展の需要に応 じた相応の変化も期待できる。城壁の保全と都市発展の間 に一定のバランスを得られると考えられる。 (3) 城壁と周辺空間のアクセス性・同一性の向上の必要性  城壁と周辺空間の現状からみると、多くの地区は城壁と 周辺空間の連携が少なく、城壁へのアクセス性が悪い。そ こで、城壁空間の設定によって、環境や交通の整備、城壁 の昇降点の設置等の手法により、城壁両側の連携を強める 必要がある。同時に、城壁空間と周辺の人為的な障害を撤 去し、城壁空間の機能と周辺の都市生活との関連性を豊か にする必要性がある。 6. おわりに  本研究では、まず、城壁の保全に関する法制度の整理 により、城壁の保全に限定した法律条文がないことと城壁 周辺の空間に対する開発基準は未だ明確に制定されていな いことが分かった。次に、城壁が都市発展に応じて変化し てきた過程を明らかにした。また、城壁と周辺空間の関係 性を把握し、多くの城壁内外における関連性の不足、城壁 へのアクセス性の低さが分かった。城壁の現代的役割と城 壁空間の必要性を明らかにしたことにより、以下の知見を 得られた。今日の南京城壁そのものは厳格に保護され、基 本的には改変することはできない。しかし、その適応力を 向上するため、城壁空間としての整備・開発制限に柔軟性 を与えることは、都市の発展と城壁の保全の両者にとって、 役に立つものと考えられる。また、城壁と周辺空間を一体 的に考慮することにより、関連性を深め、そこで行われる 様々な人間活動に多様で利便性のある空間を創出すること が求められる。

参照

関連したドキュメント

2.都市計画原案について ○決定又は変更する都市計画の種類 【大阪府決定】 ・東部大阪都市計画

都市計画法第 17

1級地 東京都の特別区 2級地 京都市 宇治市、亀岡市、城陽市、向日市、長岡京市、八幡市、

本章では,現在の中国における障害のある人び

毘山遺跡は、浙江省北部、太湖南岸の湖州市に所 在する新石器時代の遺跡である(第 3 図)。2004 年 から 2005

[r]

所 属 八王子市 都市計画部長 立川市 まちづくり部長 武蔵野市 都市整備部長 三鷹市 都市再生部長 青梅市 都市整備部長 府中市 都市整備部長 昭島市 都市計画部長

 チェンマイとはタイ語で「新しい城壁都市」を意味する。 「都市」の歴史は マンラーイ王がピン川沿いに建設した