朝鮮明衍の『念仏普勧文』について
韓 普 光(泰植)
1.本書の編纂の動機 編纂者である明衍(?–1704–?)の行迹について調べた いが,詳細な資料はなく,わずかに『念仏普勧文』の序文の末尾で自分が淸虚の 後裔であることを明かしているだけである.なお,本書が醴泉竜門寺から康熙甲 申年に開版されたという以下の記録から,彼が1704年頃の人物であり,17–18世 紀頃に生存していたということが推定できる. 康熙甲申春 慶尙左道 醴泉龍門寺 淸虛後裔1) なお,序文における本書の表題は「大弥陀懺畧抄要覧普勧念仏文」となってお り,彼は王子成の『礼念弥陀道場懺法』を要約し抄録として集成したことを明ら かにしている.しかし,すべてを略抄したのではなく,前半部は明衍自身が複数 の経論から選んで要約し,刊記以降は往生事例を抜き出したという.刊記によれ ば, 此上諸經論文 畧抄要覽 普勸諸人以下大彌陁懺文 昔日念佛往西方十人傳記 一字不改 專出寫示以 字兼出解釋 又勸諸人念佛2) とあり,彼は往生伝に出てくる10人の往生譚も引用したことを述べている.と りわけ彼は漢文の往生譚や経論を 文(朝鮮庶民の文字)に訳して,誰にでも容易 に理解できるようにしたことを繰り返し述べている.原文には漢文の原文と 文 の訳が併記されているが,それは知識人たちが漢文を読んで発心し,漢文を知ら ない庶民が訳を読んで念仏の心を起こすことを意図したためであろう. 『礼念弥陀道場懺法』は高麗時代から伝わり1503年に海印寺で刊行されて高麗 大蔵経の私刊本に編入され,灯谷学祖が跋文を付している3).これは各寺院にお いて浄土念仏懺法として多く愛用されており,これを浄土の布教書として活用し たのが虚応堂普雨(1507?–1565)の『勧念要録』である.次いで浄土の布教書の役割を果たしたのは,栢庵性聰(1631–1700)の『浄土宝 書』である.同書は仏教の往生霊験譚を流布させて信心を頓発せしめ,大衆に広 く布教する目的で著された書である4). 続いて編纂されたのが明衍の『念仏普勧文』である.彼は最初から表題を『大 弥陀懺畧抄要覧普勧念仏文』とし,序文では複数の国の皇帝や王,宰相,高官た ちが皆仏法を敬い,李太白,白楽天,蘇東坡,黃山谷のような智慧を有する士大 夫がすべて阿弥陀仏を讃嘆し発願文を作ったとしたうえ,彼らの行跡を詳細に記 録して,以下のように述べている. 古今天下諸國大帝明王及名相尊官兼崇佛法如太白樂天東坡山谷 智達士而皆知尊 向讃彼 陁佛 自作願文 古今緇素名人 念佛行道 已歸西方而成佛者 昭載傳錄故極樂居士王子 成 本儒家名相君子也 儒之百家之書 佛之諸經之論 通知撮畧 作念佛懺罪十三文 普 勸諸人念佛 咸皆離苦得樂 其功莫少也 然文廣意深 末世諸人 少知多疑 不能通知 亦不知念佛之大有益 貪着世間之物慾也 我以管見 畧抄諸經之說 以爲念佛之文 且以 書解釋 使善男善女 易通易知 摘葉尋根 由粗入精5) 以上の内容をまとめると次のようになる. ・王子成は本来儒学者であったが,多くの仏教経論の中から浄土関連の内容を 集めて『礼念弥陀道場懺法』を編纂した. ・『礼念弥陀道場懺法』の内容を13門に分けてまとめ,これを以て多くの人々 に念仏を勧め浄土に入門させており,その功德はまさに大きいと言えよう. ・しかし,『礼念弥陀道場懺法』はあまりにも尨大かつ奥深く,末世の多くの 人たちに広く読ませるには難しいので,この内容から重要な部分を選んで簡 略に要約した. ・自分の狭い所見で簡略に念仏文を作った. ・『礼念弥陀道場懺法』を 文に解釈し,すべての善男善女が容易に通達して 分かるようにした.よってこれを読んで発心し,仏法の精密なところへまで 入って欲しい. つまり王子成の『礼念弥陀道場懺法』の内容を要約して,多くの人が読むこと のできるように漢文と 文本に編纂したものと理解できる.明衍の編纂意図は多 くの人々に念仏法を広く勧めることと簡略かつ楽しい「浄土念仏の布教書」を広 めることにあったといえる. 2.構成と流通について 本稿のテキストは,現在東国大学校で編纂されてい
る「韓国仏教全書」本を用いた.「韓国仏教全書」本は,いくつかの版本を校勘 した上で,1776年の海印寺版本を中心に編集,電子化したものであり,韓国語 訳も刊行されている6). うち第一部は,明衍の大弥陀懺畧抄要覧普勧念仏文序と各経典,論書から浄土 念仏を勧める内容を選んで抜き出したものである.第二部で,王子成が集録した 『礼念弥陀道場懺法』巻4の「往生伝録」7)に登場する34 の往生譚のうち10 が選述されている.刊記によれば「『大弥陀懺文』 から往生した10人の伝記を一 文字も直さずすべて記録して紹介し,なお 文に訳して,多くの人に念仏を勧め たものである」8)とある.第三部は,念仏作法によって念仏儀式を行う順序を説 明している.これは実際に念仏儀礼を行う際に必要なものであり,今日の『千手 経』の作法と荘厳念仏の始まりとみることができる.浄口業真言から懶翁和尚西 往歌及び流伝記までを念仏儀礼として読誦用に使うようにしている.第四部は, 善導大師の『臨終正念訣』をはじめとして,主に孝養文,回心曲,弥陀経など臨 終者のための内容から成っている.臨終の時期や亡者のための追善供養としての 念仏儀式である.そして,1704年の初版本にはなかった玄氏発願文と玄氏行迹 が載っている.第五部は,補遺編であり,宗本の往生事例と呂洞賔,白楽天,無 尽居士などの話が載っているが,付録であり独立したテキストといえる. 本書の普及につれ複数の版本が刊行されたが,それについて簡潔にみておく. 本書は朴思寅の流伝記9)から判断して1696年以前に編纂されたものと推定され るが,現存最古の資料は,1704年に醴泉竜門寺から開版されたものであり,これ が初版だと考えられる. 本書はその後全国各地で約80年の間に各寺刹で板刻され,その際に新たな往 生譚,或いは他の内容が付加されたが,これは当時の念仏信仰の典型を示すもの と考えられる.一方,版本によって 文の表記法も変化しているので,同書は古 典文学研究と中世国語研究においても重要な資料であるといえる. 3.本書の念仏普勧の発願 明衍が本書を編纂した目的は,先述の通り念仏の普 及である.これについては,いくつかの箇所で触れられている.まず,序文には, 故經云 一念南無阿彌陁佛者 能免生死之苦海 直徃西方之極樂 皆成佛道 亦所謂勸他 念佛 則自不念佛 而同生極樂 由是普勸諸人念佛 咸歸西方淨土10) とあり,自ら念仏することも重要であるものの,自分は念仏せず他人に勧めるだ けでも極楽往生が可能であるとする.また,『那先経』を引用して,
那先經云 國王問那先道僧言 世人平生作惡 命終時 十念南無阿彌陁佛 死生西方 我 不信是言 那先答云 比如大石載船 則因舟力故不沒11) とする.これは『那先比丘経』12)のミリンダ王と那先比丘の問答の中で,念仏の 功徳を説いており,浄土教学を論ずる際に多用される一節である.明衍は,これ を要約,引用して念仏が優れていることを説いている.もし,常に悪行を行なっ ているとしても,仏の本願力という大きな船に乗れば,大きな岩でも海を渡るよ うに,極楽往生することができるという.続いて, 大抵此册 文出經論 諸人皆可通見 不可疑心 雖食酒肉之人 一念陁佛 則消灾厄 增 福壽閑遊時 看此文 而後 高在淨處 莫以淺踏 念佛萬事 雖行之時 亦可思而念之13) とあり,これにより彼が念仏を広く普及させるために尽力している様子が窺え る.仏教の修行で最も重要視されるのは,戒律の受持である.これにより,多く の人々が仏教を信仰することに困難を覚えることさえあるが,念仏は戒律を優先 するのではなく,誰もができる修行法である.もし,酒を飲んで肉を食べたとし ても,念仏するだけですべての罪が消えるという.また,この本を広く普及さ せ,多くの人々に読ませることを勧め,この本を軽く妄りに取り扱ってはいけな いとする.朴思寅の『流伝記』を揭載し, 大抵今觀世之大小人 皆好其古談之冊 而不好其念佛之冊 其亦不思之甚矣 經云 念佛 之冊 或施或傳 若見若聞 則逕投樂邦 皆以成 也 而況用財印傳 兼可披閱者乎 吁 物之興廢 今古無常 後之善南 與我同志 嗣而刻之 印施流傳于萬方 歲之無窮 同歸 極樂 幸甚歲在赤鼠暮春 餘航山下 閑良朴思寅盥手記寫14) と叙述する.この『流伝記』の作者は朴思寅とされているが,彼は咸安の餘航山 に住んでいたようである.時期は赤鼠だが,これは丙子年であり,1696年頃と推 定される.明衍の『念仏普勧文』が1704年に醴泉竜門寺で板刻され,その時か ら現在の『流伝記』が揭載されていたことから,明衍が『念仏普勧文』を編纂し た後,朴思寅の『流伝記』を編入したと推定される. 以上の内容をまとめると,明衍は『念仏普勧文』を編纂して,多くの人々に念 仏を勧めるために努力した.まず,漢文を載せ 文に訳して知識人層と庶民大衆 の誰にでも読みやすく,楽しく読んで浄土門に帰依できるように編纂した.ま た,本の流布による功徳を強調している.本人のみが読んだり,所持したりせず に,広く他人にまわして読むように勧めている.そして,書写したり板刻したり
して広めることを勧めている. 4.まとめ 明衍の『念仏普勧文』は漢文と 文で書かれているが,これは前に 挙げた二つの浄土布教書と異なる点である.この二つを基にした『念仏普勧文』 は知識人層のための漢文本と漢字を知らない庶民層のための 文本を通じて念仏 信仰を広める役割を果たした.時代が降るにつれて,複数の場所で板刻され,ま た新しい資料が追加されていくが,これらの事実は『念仏普勧文』が広範囲に流 布していた証拠となる.本書の構成をみると,次の点が明らかになる. ・経論から浄土関連の文章を引用し,浄土教学や念仏信仰の理論を構築してい る. ・王子成の『礼念弥陀道場懺法』の往生譚を各階層に応じて抜粋している. ・『念仏作法』を載せ,念仏儀礼の手順を定例化した.これを基にして,今日 の韓国仏教で最も広く愛誦されている『千手経』の最初の形態が成立したと される15). ・附録にある『臨終正念訣』などは,実際に我々に迫ってくる死の問題を浄土思 想を以て解決することを目的としているが,特に『王郎返魂伝』を載せ,浄土 念仏に関わる短 小説を読ませることで,誰でも感心して念仏できるようにし ている. ・補遺編では,白楽天,呂洞賔など,高名な歴史的人物たちも念仏して往生し たことを明らかにしている. 明衍の『念仏普勧文』のおもな編纂動機は,南無阿弥陀仏の浄土念仏を普及さ せることにあり,これを平易な 文に訳して誰でも読めるようにした.また,流 伝記などを通じて,この本を広く普及させ,読誦することの功徳を説いた,浄土 念仏の綜合的布教書といえる. これらの影響によって,有璣の『新編普勧文』,箕城快善(1693–1764)の『念仏 還郷曲』,そして19世紀には東化竺典の『勧往歌』,『自責歌』,20世紀には錦溟 宝鼎の「浄土讃百詠」などが著され,朝鮮後期の仏教が疲弊した状況下で,仏教 が再び民衆の中に入り込むような工夫がなされた.その点から大衆布教の先駆け となったといえる. 1)明衍集『念仏普勧文』(韓仏全9, 44b)「大彌陁懴畧抄要覽普勸念佛文序―」. 2)明衍集『念仏普勧文』(韓仏全9, 50c). 3)王子成集『礼念弥陀道場懺法』(高麗47, 263–375)(東国大学校訳経院,1976). 4)韓 2017.
5)明衍集『念仏普勧文』(韓仏全9, 44a). 6)明衍集『念仏普勧文』(韓仏全9, 44–78, 東国大学校,1988).鄭・金 2012. 7)南宋王子成集『礼念弥陀道場懺法』巻4 「往生伝録」(卍続蔵,128) pp. 181–192. 8)明衍集『念仏普勧文』(韓仏全9, 50c)「此上諸經論文 畧抄要覽 普勸諸人以下大彌陁 懺文 昔日念佛往西方十人傳記 一字不改 專出寫示以 字 兼出解釋 又勸諸人念 佛」. 9)明衍集『念仏普勧文』(韓仏全9, 61a)「歲在赤鼠暮春餘航山下閑良朴思寅盥手記寫」. 10)明衍集『念仏普勧文』(韓仏全9, 44b). 11)明衍集『念仏普勧文』(韓仏全9, 49c). 12)『那先比丘経』(大正32, 701c22)「王又問那先. 曹沙門言.人在世間作惡至百藏.臨 欲死時念佛.死後者皆生天上.我不信是語.復言殺一生死即入泥犁中.我不信是也.那 先問王.如人持小石置水上.石浮耶沒耶.王言其石沒.那先言.如令持百枚大石置船 上.其船寧沒不.王言不沒.那先言船中百枚大石.因船故不得沒.人雖有本惡一時念 佛.用是不入泥犁中.便生天上.其小石沒者.如人作惡.不知佛經死後便入泥犁.王言 画像善哉善哉」. 13)明衍集『念仏普勧文』(韓仏全9, 49c). 14)明衍集『念仏普勧文』(韓仏全9, 61a). 15)正覺 1996: 134. 〈一次文献〉 『那先比丘経』(大正32). 王子成集『礼念弥陀道場懺法』(高麗47)(卍続128). 明衍集『念仏普勧文』(韓仏全9). 〈二次文献〉 宇永・金鎮真 2012 『念仏普勧文』東国大出版部. 正覺 1996 『千手経研究』雲住社. 韓普光(泰植) 2017 「朝鮮栢庵性聰の『栢庵浄土讃』について」『印度学仏教学硏究』65 (2): 973–965. 〈キーワード〉 明衍,念仏普勧文,王子成,礼念弥陀道場懺法,念仏作法,往生譚,勧念 要録,浄土宝書, 文 (東国大学校教授・文博)