日本における『禅家亀鑑』刊行とその影響
小 河 寛 和
1.はじめに
清虚休静(1520–1604)は,朝鮮時代を代表する僧侶である.休静は儒教が国教 として定められていた朝鮮時代,僧侶たちが仏教の経典よりも,儒家の文字や詩 を好んでいた風潮を危惧し,その状況を克服するために仏教経典や語録等から重 要な要点のみを抜き出し,『禅家亀鑑』を著した.この書物が,17 世紀初め対馬 の外交僧規伯玄方によって日本にもたらされ1),以後 17 世紀の間に計 5 回(1635 年,1638 年,1677 年 a,1677 年 b,1678 年)刊行された. これまで日本で刊行された『禅家亀鑑』に注目した研究は多くないが,本書は 同時期に日韓両国で刊行されたものであり,日韓仏教関係史を考察する上で,極 めて重要なテキストであると言える.そのため,本稿では日本僧侶による『禅家 亀鑑』の引用や注釈書に注目し,17 世紀の日本でなぜ『禅家亀鑑』が刊行された のか,その背景を探っていく.2.1635(寛永 12)年版の底本について
元々『禅家亀鑑』は儒仏道の三教を論じた『三家亀鑑』の中に収録されていた が,1579(宣祖 12)年にその中から『禅家亀鑑』のみ分離,さらには内容が追加 され刊行された.それ以降『禅家亀鑑』は,朝鮮時代において計 11 回にも及び刊 行されており,朝鮮後期の仏教界において重要なテキストとなった. 日本において『禅家亀鑑』は計 5 回刊行されており,これらは大きく 2 種に分 けられる.1 つ目は 1630 年代に訓点を施したものであり,2 つ目は 1670 年代に頭 書本として刊行されたものである.ここではまず,日本で初めて刊行された 1635 年版が韓国で刊行された 11 種の版本の内,どれを底本としたものか考察する.ま ず,韓国国内の先行研究によると,韓国で刊行された 11 種の『禅家亀鑑』は,神 興寺系(1579 年~),楡岾寺系(1583 年~),鳳巌寺系(1701 年~)の 3 系統に分け 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 2 号 平成 29 年 3 月 (39) も死者についての儀式が盛んに行われるのが現状である.そのような状況におい て,死についての新しい観念を持つ冥顕説等を十分踏まえて,仏教の儀式が誰で も理解可能な意味をもって行われるとすれば,それは仏教の儀式は勿論,仏教の 社会的意味を一層深めることにもなると思う.近来死については東西をとわず, その関心が高くなったと思われる.韓国においても Shelly Kagan の Death(Yale University, 2012〈韓国訳:죽음이란무엇인가(死は何か);初版 1 刷 2012.11;初版 13 刷 2013.2〉)が翻訳され,沢山の関心を呼んだこともある.このような状況の中,末 木氏の冥顕説は,日本近代の仏教伝統に再び光を当てることは勿論,現代の社会 的な問題として死についての観念を見直すにも有益な役割を果すものであると思 われる. 1)李泰昇論文参照. 2)李(2015, p. 72). 3)主に,末木(2012)による. 4)末木他(2014). 5)主に,末木(2013)による. 〈参考文献〉 大谷栄一 2012『近代仏教という視座 戦争・アジア・社会主義』ぺりかん社. 柏原祐泉 1990『日本仏教史 近代』吉川弘文館. 末木文美士 2010『他者・死者たちの近代』近代日本思想・再考 III,Transview. ――― 編 2012『近代と仏教』国際シンポジウム 41,国際日本文化研究センター. ――― 2013『反・仏教学 仏教 vs. 倫理』ちくま学芸文庫. 末木文美士他編 2014『ブッダの変貌 交錯する近代仏教』法蔵館. 李泰昇 2013「일본 메이지 시기 불교의 전개와 근대 불교학의 성립」(日本明治時期の仏教 の展開と近代仏教学の成立)『韓国仏教史研究入門 下』知識産業社,395–429. ――― 2013「일본 근대 불교계의 전쟁에 대한 인식 연구――『젠과 전쟁』와 市川白弦 의 논의를 중심으로――」(日本近代仏教界の戦争に対する認識研究――『禅と戦争』と市 川白弦の論議を中心に――)『仏教学研究』36: 271–325. ――― 2014「일본 근대 인도 철학의 성립과 하라탄잔(原坦山)의 역할」(日本近代印度 哲学の成立と原坦山の役割)『印度哲学』42: 105–133. ――― 2015「일본 메이지 시대 신도와 불교의 갈등」(日本の明治時代における神道と仏 教との葛藤)『日本仏教文化研究』12: 45–79. 〈キーワード〉 末木文美士,冥顕説,近代仏教,他者,死者,葬式仏教 (威徳大学副教授) (38) 韓国仏教の立場から見た日本近代仏教の様子(李) ─ 1000 ─ら,17~18 世紀初めに,拈華の話の真偽が問われており,その内拈華の話を信じ る人々によって三処伝心が引用され,三処伝心を主張する『禅家亀鑑』の受容に 繫がったものと考えられる.
4.その他の注釈書
その他の『禅家亀鑑』関連注釈書としては,『禅家亀鑑五家弁』と『禅家亀鑑略 記』の写本が存在する.『禅家亀鑑五家弁』は,17 世紀末の紀州の虎林全威の著 述である.『禅家亀鑑五家弁』の内容は,最初に禅宗の法脈問題を取り上げ,その 後『禅家亀鑑』に倣い,禅宗五家の宗風ならび臨済宗旨を論じている.その中で も特に注目すべきことは,禅宗法脈の部分において全威が臨済法脈を強調する天 王道悟説を採用していることである10).天王道悟説は,達観曇穎の『五家宗派』 より当時二大勢力であった臨済宗と雲門宗を融和するために発生したと思わ れ11),以後臨済法脈を重視する人々によって継承されていき,休静の『禅家亀 鑑』でも天王道悟説が採用されている12). この背景には『禅家亀鑑五家弁』が著されたであろう 17 世紀末~18 世紀初め に,天王道悟説を批判し,本来の伝統であった天皇道悟説が唱えられていたこと が関連しているように思われる.17 世紀末は,明の白巌浄符の『法門鋤宄』(1667) やそれを受けた日本の徳巌養存の『五家弁正』(1690)によって,天皇道悟説が主 張された時期であった.したがって,『禅家亀鑑五家弁』が著述された背景には, 天王道悟と天皇道悟を巡る法脈認識に対する論議が盛んであったことが関係して おり,その中虎林全威は,臨済宗旨を重視する『禅家亀鑑』を注釈しながら,天 王道悟説を主張したのであった.5.おわりに
以上,朝鮮国清虚休静によって撰述された『禅家亀鑑』の日本における刊行と その背景について論じた.『禅家亀鑑』の著者休静は,元来臨済宗の法脈を継ぎ, 臨済法脈を重視した僧侶である.日本において,『禅家亀鑑』を刊行し,またその 注釈書が著された背景には,拈華微笑の真偽や,臨済法脈ならびに臨済宗旨を主 張する意図があった. 本稿で取り扱った内容は,日本で刊行された『禅家亀鑑』を巡るいくつかの問 題にしか過ぎない.今後とも近世期におけるテキストの刊行や注釈書を通して, 日韓仏教の類似性や違いを明らかにしていきたい. 日本における『禅家亀鑑』刊行とその影響(小 河) (41) られる2). 1635 年版の特徴としては,休静の弟子である四溟惟政(1544–1610)の跋文が収 録されている.韓国版『禅家亀鑑』の内,惟政の跋文が収録されているものは, 神興寺系の神興寺(1579)版と松広寺(1618)版の 2 種のみである.さらに『禅家 亀鑑』の本文には,臨済宗の法脈に関して論じられている部分があるが,1635 年 版ではその部分中,“日圓…宗杲” という文章が他の部分に比べ,文字を小さく, 2 行に分けて刻んでいることがあげられる3).これらの特徴は,韓国で刊行された 神興寺(1579)版のみに見られる特徴である4).したがって,日本に初伝した『禅 家亀鑑』は 1579 年版であり,1635 年版はそれを底本として刊行したものと考え られる.3.日本における『禅家亀鑑』の引用
日本の僧侶の著述における『禅家亀鑑』の引用は,『禅家亀鑑』中,主に三処伝 心の部分である.三処伝心は仏が弟子の迦葉に対して,特別に法を伝えたという 多子塔分半座,拈華微笑,槨示双趺という三つの逸話の総称であり,これらをま とめて三処伝心という用語を使用しているのは韓国が唯一である.韓国において, 三処伝心という用語が初めて登場したのは,高麗の亀谷覚雲(13 世紀)が著した 『禅門拈頌説話』の中の槨示双趺に対する注釈部分である5).その後三処伝心は, 韓国の禅僧の間で継承され,『禅家亀鑑』でも禅と教の違いを論じる際に言及され ている6). 日本における三処伝心の引用は,主に『無門関』の注釈書の中,第六則拈華部 分に見られる.まず『禅家亀鑑』を日本にもたらした規伯玄方の注釈書である. その箇所は,玄方が拈華微笑の内容について疑問をもつ人々に対して記述したも のである.玄方は朝鮮の仁暹に法を問うたところ,拈華の話の疑問が消えていっ たと述べている.そしてそこで仁暹より『禅家亀鑑』を受け取り,その後『禅家 亀鑑』の三処伝心を引用している7).またこれと同様に,西栢が著した『無門関 西栢鈔』でも,『無門関』の拈華について『禅家亀鑑』の三処伝心を引用している8). 先にあげた二つの『無門関』の注釈書は共に,17 世紀後半に刊行されている. それから少し時が経った 18 世紀初めに臨済宗の無著道忠(1635–1745)が禅の用語 集である『禅林象器箋』を編集しているが,その中でも拈華が言及されている. 道忠は,拈華を批判する記録を集め,拈華は虚妄であると指摘している9).玄方 が拈華の話について疑問をもっていたことや,道忠が拈華を批判していることか (40) 日本における『禅家亀鑑』刊行とその影響(小 河) ─ 999 ─ら,17~18 世紀初めに,拈華の話の真偽が問われており,その内拈華の話を信じ る人々によって三処伝心が引用され,三処伝心を主張する『禅家亀鑑』の受容に 繫がったものと考えられる.