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密教文化 Vol. 1976 No. 113 003武内 孝善「宋代翻訳経典の特色について――附・宋代翻訳経典編年目録―― P27-53」

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全文

(1)

・宋

序 宋 代 に お い て、 訳 経 史 上 特 筆 す べ き こ と に、 大 蔵 経 の 開 板 と 訳 経 事 業 の 振 興 と が あ る。 こ の う ち、 前 者 に 関 す る 研 究 は 少 な か ら ず 発 表 さ れ て い る が、 後 者 に 関 し て は 二、 三 を 数 (1) (2) え る に す ぎ な い。 そ こ で、 本 稿 で は 後 者 の 中、 宋 代 に 欝 訳 さ れ た 経 典 の 特 色 に つ い て 論 じ る こ と に し た い。 以 下、 ﹃大 中 (3) (4) 祥 符 法 宝 録 ﹄ ( 以 下 ﹃ 大 中 録 ﹄ )、 ﹃ 天 聖 釈 経 総 録 ﹄ ( 同 ﹃ 天 聖 (5) 録 ﹄ )、 ﹃ 景 祐 新 修 法 宝 録 ﹄ ( 同 ﹃ 景 祐 録 ﹄ ) 等 の 記 述 を も と に、 問 題 を 一、 い か な る 方 針 の も と に 訳 経 事 業 は な さ れ た か。 一、 訳 出 経 典 の 数 量 と 所 属 ( 大 乗 経 蔵 等 ) か ら み た 特 徴。 一、 原 典 ( 中 天 竺 梵 本 等 ) 別 に み た 訳 出 経 典 の 特 徴。 の 三 点 に し ぼ っ て 私 見 を 述 べ る こ と に す る。 一 -い か な る 方 針 の も と に 訳 経 事 業 は な さ れ た か -本 題 に 入 る ま え に、 ま ず ﹁ ど の よ う な 契 機 で 訳 経 事 業 が 再 興 さ れ た の か ﹂ を 見 て お き た い。 訳 経 事 業 を 再 興 す る に 至 っ た 経 緯 を ﹃ 続 資 治 通 鑑 長 編 ﹄ 太 平 興 国 七 年 ( 九 八 二 ) 六 月 の 条 は、 有 二 北 天 竺 克 什 密 爾 国 僧 天 息 災 郡 等 答 国 僧 施 護 一 継 至。 法 天 聞 二 天 息 災 等 至 一亦 帰 二 京 師 一。 上 素 崇 二 尚 釈 教 一。 即 召 二 見 天 息 災 等 一令 レ 閲 二 乾 徳 以 来 西 域 所 レ 献 梵 経 一。 天 息 災 等 皆 暁 二 華 言 一。 上 遂 有 レ 意 二 翻 訳 一。 因 レ 命 内 侍 鄭 守 鈎 就 二 太 平 興 国 寺 一建 二 訳 経 院 一。 是 月 院 成。 詔 二 天 息 災 等 一各 一 経 以 献 (6) 択。 と 記 し て い る。 こ れ よ り、 崇 仏 政 策 を と っ て い た 太 宗 は、 天 宋 代 翻 訳 経 典 の 特 色 に つ い て

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-27-密 教 文 化 息 災 ・ 施 護 等 に 召 見 し、 乾 徳 以 来 西 域 か ら 献 上 さ れ た 梵 経 を 見、 天 息 災 等 が 中 国 語 に 通 暁 し て い る の を 知 っ て 訳 経 を 思 い た ち、 太 平 興 国 寺 に 訳 経 院 を 建 て た こ と が わ か る。 ﹃ 仏 祖 統 紀 ﹄ 太 平 興 国 五 年 ( 九 八 〇 ) 二 月 の 条 に も、 同 じ 趣 旨 の 記 述 (7) が あ る。 い ず れ に し ろ、 太 宗 皇 帝 は 大 蔵 経 の 開 板 な ど の 仏 教 復 興 政 策 を と っ て い た か ら、 天 息 災 ・ 施 護 等 の 来 朝、 召 見 を 機 に、 訳 経 事 業 に 着 手 さ れ た の も 当 然 の こ と と 言 え る。 で は、 そ の 訳 経 事 業 は い か な る 方 針 ・ 規 準 の も と で な さ れ た の で あ ろ う か。 ﹃ 大 中 録 ﹄ 太 平 興 国 七 年 ( 九 八 二 ) 七 月 の 条 に、 詔 令 三 偏 閲 二 梵 來 一。 凡 経 律 論 取 二 今 大 蔵 目 録 一校 定。 其 未 レ 有 者 翻 訳 以 進。 巳 有 者 更 不 二 重 訳 一。 傍 藍 以 二 禁 中 所 有 梵 夾 一付 レ 院。 天 息 災 等 即 以 二 梵 來 一編 二 列 経 律 論 及 密 教 讃 碩 (8) 等 一 次 第 翻 訳。 と あ る。 こ れ よ り、 太 平 興 国 七 年、 訳 経 事 業 を 開 始 す る に あ た っ て、 ﹃ 重 訳 を さ け、 い ま だ 訳 さ れ て い な い 経 典 だ け を 訳 出 す る ﹂ と の 規 準 が 設 け ら れ、 こ れ に 依 っ て 翻 訳 が 進 め ら れ た と 言 え る。 こ の こ と は、 大 平 興 国 七 年 か ら 景 祐 二 年 ( 一 〇 三 五 ) ま で の 五 十 四 年 間 に 将 来 さ れ た 梵 経 一 千 四 百 二 十 入 夾 の 中、 訳 出 さ れ た の は 五 百 六 十 四 巻 で あ っ た と す る ﹃ 宋 会 要 ﹄ (9) 道 釈 二 の 記 述 が 如 実 に 物 語 っ て い る と 考 え る。 宋 代 の 訳 経 事 業 に つ い て は、 一 般 に ﹁ 唐 代 ま で に 伝 訳 さ れ て い た も の の 重 訳 や 拾 遺 ・ 補 足 的 な も の で あ っ た ﹂ と 言 わ れ る が、 先 に 見 た 規 準-未 訳 の 経 典 だ け を 訳 出 す る-に 立 っ て、 い ま 一 度 再 検 討 す る 必 要 が あ る と 考 え る。 二 -訳 出 経 典 の 数 量 と 所 属 か ら み た 特 徴 -宋 代 の 訳 経 事 業 は、 先 に み た ご と く 天 息 災 ・ 施 護 の 来 朝 を 機 に、 太 平 興 国 七 年 訳 経 院 が 太 平 興 国 寺 に 建 て ら れ て か ら 本 格 的 に 始 ま っ た。 そ の 後、 組 織 的 な 翻 訳 が 続 け ら れ、 景 祐 四 年 ( 一 〇 三 七 ) ま で の 五 十 六 年 間 に 二 六 三 部 五 七 三 巻 の 経 典 が 訳 出 さ れ た。 表 一 ( 二 九 頁 上 段 ) は、 こ れ か ら の 経 典 の 部 数 ・ 巻 数 を ﹃ 大 中 録 ﹄ ﹃ 景 祐 録 ﹄ の 分 類 に し た が っ て、 所 属 別 に あ ら わ し た も の で あ る。 こ の 表 を も と に、 宋 代 の 翻 訳 経 典 に み ら れ る 特 徴 を 考 察 し た い。 は じ め に、 年 代 順 に み た 特 徴 で あ る。 表 一 を み る と、 淳 化 三 ・ 四 年 (九 九 二 ・ 三 ) に 訳 出 経 典 ゼ ロ が 認 め ら れ る。 こ れ が

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問 題 と な る。 ﹃ 大 中 録 ﹄ 淳 化 二 年 ( 九 九 一 ) の 条 に、 是 年 五 月。 詔 二 西 面 沿 邊 黎 州 階 州 泰 州 廣 州 等 四 慮一。 有 二 梵 僧 一自 二 天 竺 一来。 及 中 国 僧 遊 二 天 竺 一還 者。 所 費 梵 経 舎 利 (11) 功徳。 竝 先 具 奏 二 聞 其 梵 経 等一。 傍 封 題 以 進。 (12) と あ り、 辰 じ 趣 旨 の 記 述 が ﹃ 仏 祖 統 紀 ﹄ 淳 化 四 年 の 条 に も 見 ら れ る。 す な わ ち、 淳 化 二 年 五 月 黎 州 等 の 西 辺 四 州 に 詔 し て、 天 竺・ 西 天 か ら の 来 朝 僧 ・ 帰 還 僧 が あ れ ば、 た だ ち に 将 来 の 梵 経 等 を 上 進 さ せ て い る。 こ れ よ り、 二 年 間 の 訳 出 経 典 ゼ ロ は、 翻 訳 す べ き 原 典 の 欠 乏 に よ る も の で あ っ た と 考 え る。 淳 化 二 年 に 詔 が 出 さ れ て い る こ と か ら、 淳 化 二 年 ま で に 訳 出 さ れ た 経 典 の 原 典 は、 宋 室 所 有 の 梵 経 か 淳 化 二 年 以 前 に 将 来 さ れ た 梵 経 で あ り、 淳 化 二 年 以 後 に 訳 出 さ れ た 経 典 の 原 典 は、 淳 化 二 年 以 後 将 来 さ れ た 梵 経 で あ っ た と 言 え る。 そ れ で は、 宋 代 に は い か 程 の 梵 経 が 将 来 さ れ た の で あ ろ う か。 ﹃ 大 中 録 ﹄、 ﹃ 景 祐 録 ﹄、 ﹃ 仏 祖 統 紀 ﹄ よ り、 来 朝 僧 お よ び 帰 還 僧 を 抽 出 し た の が 表 二 で あ る。 註(1)所 属 は 「大 中録 」 「景祐 録 」 の分 類 に よ る。(2)数 字 は部 数 と巻 数 を示 し、3-3は、3部3巻 とい うこ とで ある。 宋 代 翻 訳 経 典 の 特 色 に つ い て

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-29-密 教 文 化 表 二-一 梵 経 の 将 来 ( ﹃ 大 中 録 ﹄ ﹃ 景 祐 録 ﹄ 自 太 平 興 国 七 年 至 景 祐 四 年 )

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宋 代 翻 訳 経 典 の 特 色 に つ い て

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密 教 文 化 表 二-二 梵 経 の 将 来 ( ﹃ 仏 祖 統 紀 ﹄ 自 太 平 興 国 元 年 至 景 祐 四 年 )

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宋 代 翻 訳 経 典 の 特 色 に つ い て

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-33-密 教 文 化 と な る。 ﹃ 大 中 録 ﹄ に よ っ て、 詔 の 出 さ れ た 淳 化 二 年 五 月 の 前 後 十 年 間 を 比 較 す る と、 前 の 十 年 ⋮⋮一 一 人 ・ 三 七 夾 後 の 十 年 ⋮⋮一 一 人 ・ 一 六 六 夾、 と な り、 来 朝 ・ 帰 還 僧 の 数 で は 同 一 で あ る が、 梵 経 は 後 の 十 年 に 四 倍 半 も 増 加 し て い る。 し か し、 前 の 十 年 の 実 質 は 端 拱 元 年 ( 九 八 八 ) か ら 淳 化 二 年 五 月 ま で で あ る か ら、 こ れ だ け で (14) は 詔 の 成 果 が 顕 わ れ た も の か ど う か 定 か で な い。 そ こ で、 大 中 祥 符 五 年 ( 一 〇 一 二 ) か ら 天 禧 四 年 ( 一 〇 二 〇. ま で の 九 年 間 を み る と、 来 朝 僧⋮⋮二 一 名 ・ 七 五 夾 将 来 帰 還 僧⋮⋮五 入 名 ・ 一 六 四 夾 請 来 と な り、 こ こ に 来 て 著 し い 増 加 が み と め ら れ る。 こ の 増 加 -特 に 帰 還 僧 の-は、 詔 に よ っ て 梵 経 の 将 来 が 奨 励 さ れ た こ と (15) の 結 果 で あ っ た と 言 え る。 以 上 の ご と く、 淳 化 三 ・ 四 年 の 空 白 は、 訳 出 経 典 の 欠 乏 に よ る も の で あ り、 こ れ を 機 に 皇 帝 は、 詔 し て 西 天 か ら の 来 朝 僧、 お よ び 帰 還 僧 将 来 の 梵 経 を 逐 次 上 進 せ し め た。 そ の 結 果、 訳 経 事 業 は 淳 化 五 年 ( 九 九 四 ) か ら 天 禧 元 年 ( 一 〇 一 七 ) (16) ま で は、 順 調 に 進 め ら れ た と 思 わ れ る。 だ が、 天 禧 二 年 ( 一 〇 一 八 ) 以 降 は、 将 来 さ れ る 梵 経 は 増 加 し た に も か か わ ら ず、 訳 す べ き 原 典 < 未 訳 経 典> の 欠 乏 か ら 衰 微 の 一 途 を 辿 っ て い (17) っ た。 次 に、 所 属 別 に み た 特 徴 を 考 察 し た い。 表 一 を 要 約 す る と、 表 二 を 要 約 す る と、 (1) 摩 端 ( 伽 ) 陀 国 を 含 む (2) 仏 祖 統 紀 に よ り 泥 波 羅 国 僧 羅 護 羅 を 含 む。

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-34-大 乗 経 蔵 秘 密 部 一 二 三 部 二 二 八 巻 大 乗 経 蔵 四 四 部 一 六 九 巻 大 乗 律 蔵 二 部 二 巻 大 乗 論 蔵 一 四 部 四 九 巻 一 八 三 部 四 四 八 巻 小 乗 経 蔵 五 〇 部 七 九 巻 小 乗 律 蔵 六 部 六 巻 西 方 聖 賢 集 二 四 部 四 〇 巻 五 六 部 八 五 巻 と な る。 大 乗 三 蔵 が 部 ・ 巻 数 と も 全 体 の69.5%・78.2%と 断 然 多 い。 小 乗 三 蔵 と 比 較 す る と、 部 数 で 三 倍 強、 巻 数 で は 実 に 五 倍 強 の 多 く を 数 え る。 中 で も 秘 密 部 は 一 二 一二 部 二 二 八 巻 と 全 体 の 約 47 % ・ 40 % を 占 め、 別 立 さ れ て い る 点に の 時 代 の 特 徴 が み と め ら れ る。 こ れ に、 一、 天 息 災 ・ 施 護 ・ 法 天 が 将 来 し、 み ず か ら が 最 初 に 訳 出 し た 経 典 が 秘 密 部 に 所 属 す る こ と。 二、 初 期 の 訳 出 経 典 中、 秘 密 部 所 属 の 経 典 が 甚 だ 多 い こ と。 一、 ダ ラ ニ 経 典 が 多 い 中、 ユ ガ タ ン ト ラ 系 と 無 上 ユ ガ タ ン ト ラ 系 の 主 要 経 典 が こ の 時 代 に 訳 出 さ れ て い る こ と。 等 を 考 え 合 せ る と、 西 紀 一 千 年 前 後 の イ ン ド で は、 ユ ガ タ ン ト ラ・ 無 上 ユ ガ タ ン ト ラ 系 の 密 教 が 主 流 を 占 め て い た と 言 え る。 い ま 少 し、 表 一 に よ っ て 所 属 別 の 特 徴 を 年 代 的 に 辿 っ て み よ う。 大 乗 経 蔵 秘 密 部 -太 平 興 国 七 年 (九 八 二 ) か ら 威 平 五 年 ( 一 〇 〇 二 ) ま で の 前 半 二 十 二 年 間 に、 約 九 割 の 経 典 が 訳 出 さ れ て い る こ と。 大 中 祥 符 八 年 ( 一 〇 一 五 ) 訳 出 の 三 十 巻 本 (19) ﹃ 真 実 摂 経 ﹄ が 最 後 に 位 置 す る こ と、 こ れ ら は、 イ ン ド 密 教 を 考 察 す る 上 で 看 過 す べ き で な い と 考 え る。 大 乗 経 蔵 -前 ・ 後 半 で 疎 密 の 差 は あ る も の の、 全 般 的 に 訳 さ れ て い る 唯 一 の 部 門 で あ る。 大 乗 論 蔵 -景 徳 二 年 ( 一 〇 〇 五 ) か ら 大 中 祥 符 四 年 ( 一 〇 一 一 ) ま で の 七 年 間 に 集 中 的 に 訳 さ れ て い る こ と。 小 乗 経 蔵-や は り、 至 道 元 年 ( 九 九 五 ) か ら 大 中 祥 符 五 年 ( 一 〇 二 二 ) ま で の 十 八 年 間 に 集 中 し て 訳 さ れ て い る こ と。 こ れ ら は、 新 に 将 来 さ れ た 原 典 を 訳 出 し た も の で あ る。 ま た、 小 乗 経 ・ 律 蔵 は 合 計 五 十 六 部 訳 さ れ た が、 小 乗 論 蔵 は 一 部 も 見 ら れ な か っ た。 宋 代 翻 訳 経 典 の 特 色 に つ い て

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-35-密 教 文 化 西 方 聖 賢 集-雍 煕 元 年 ( 九 八 四 ) か ら 淳 化 二 年 ( 九 九 一 ) ま で の 八 年 間 に 約 六 割 が 集 中 し て 訳 さ れ て い る こ と。 こ れ ら の 原 典 の 大 部 分 は、 表 二 よ り 宋 室 所 有 の 梵 経 で あ っ た と 考 え る。 三 -原 典 別 に み た 訳 出 経 典 の 特 徴 -表 三 は、 ﹃ 大 中 録 ﹄ ﹃ 景 祐 録 ﹄ 記 載 の 原 典 を 所 属 別 に あ ら わ し た も の で あ る。 こ の 表 を も と に、 原 典 別 の 特 徴 を み て 行 く。 こ れ を み て、 ま ず 気 付 く こ と は、 一、 中 天 竺 梵 本 が 総 数 二 六 三 部 の う ち 一 七 七 部 を 占 め、 全 体 の 67 % 強 と 断 然 多 い こ と。 一、 中 天 竺 語 亀 茲 国 書 で は 十 三 部 の う ち 十 二 部、 西 天 竺 梵 本 で は 九 部 の う ち 八 部 を 小 乗 経 ・ 律 蔵 が 占 め、 そ の 割 合 が 極 め て 高 い こ と。 で あ る。 前 者 は さ て お き、 後 者 に は 注 目 し て よ い。 そ れ は、 中 天 竺 亀 茲 国 ・ 西 天 竺 の 地 理 的 位 置 ・ そ の 文 字 ・ 原 典 の 将 来 年 次 等 の 検 討 に よ っ て、 イ ン ド に お け る 仏 教 の 流 布 形 態 が よ り 一 層 明 確 に な る の で は な い か と 考 え る か ら で あ る。 因 に、 こ れ ら 中 天 竺 語 亀 茲 国 書 ・ 西 天 竺 梵 本 が い つ 訳 出 さ れ た か を ﹃ 大 中 録 ﹄ に 見 る と、 表3

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と な る。 こ れ と 表 二 の 来 朝 僧 ・ 帰 還 僧 と を オ ー バ ー ラ ッ プ さ せ て み る と、 威 平 元 年 ( 九 九 八 ) 七 月 ・ 十 一 月 訳 出 の 亀 茲 国 (20) 書 八 部 の 原 典 は、 あ る い は 至 道 三 年 ( 九 九 七 ) 十 二 月 来 朝 の 泥 波 羅 国 僧 羅 護 羅、 お よ び 成 平 元 年 四 月 来 朝 の 北 天 竺 僧 迦 蘭 拏 扇 底 の 将 来 し た 梵 経 で は な か っ た か と 思 わ れ る。 そ れ は、 ( 一 )、 訳 出 す べ き 原 典 が 欠 乏 し た 淳 化 二 年 ( 九 九 一 ) 以 後 の 訳 出 で あ る こ と、 (二)、 淳 化 二 年 以 前 の 将 来、 お よ び 宋 室 所 有 の (21) 梵 経 で あ れ ば、 雍 煕 四 年 ( 九 八 七 ) 訳 出 の 中 天 竺 師 子 国 書、 淳 (22) 化 元 年 ( 九 九 〇 ) 訳 出 の 西 天 竺 梵 本 と 同 様、 淳 化 二 年 以 前 に 訳 出 さ れ て い て し か る べ き だ と 考 え る こ と に よ る。 ま た、 中 天 竺 梵 本 を 除 い た 亀 茲 国 書 等 二 十 五 部 の 原 典 の 中、 雍 煕 元 年 訳 出 の 師 子 国 書 一 部 ・ 淳 化 元 年 訳 出 の 西 天 竺 梵 本 四 部 以 外 は、 す べ て 詔 の 出 さ れ た 淳 化 二 年 以 後 の 訳 出 で あ る こ と に も 原 典 の 将 来 と の 関 係 か ら 留 意 す べ き で あ る。 結 語 以 上、 ﹃ 大 中 録 ﹄ ﹃ 天 聖 録 ﹄ ﹃ 景 祐 録 ﹄ の 記 述 を も と に、 太 平 興 国 七 年 ( 九 八 二 ) か ら 景 祐 四 年 ( 一 〇 三 七 ) ま で の 五 十 六 年 間 に 訳 出 さ れ た 二 六 三 部 五 七 三 巻 の 経 典 に み ら れ る 特 色 に つ い て 考 察 し て き た。 論 じ 足 り な い 部 分 も あ る が、 本 稿 で 明 ら か に な っ た 点 は 次 の ご と く で あ る。 一、 宋 代 の 訳 経 事 業 は、 天 息 災 ・ 施 護 の 来 朝 を 機 に、 太 平 興 国 七 年 ( 九 八 二 ) 訳 経 院 が 太 平 興 国 寺 に 建 て ら れ て か ら 本 格 的 に 始 ま っ た。 二、 翻 訳 に あ た っ て は、 太 平 興 国 七 年、 重 訳 を さ け、 い ま だ 訳 さ れ て い な い 経 典 だ け を 訳 出 す る と の 規 準 が 定 め ら れ、 こ れ に 従 っ て 訳 経 事 業 は 進 め ら れ た。 二、 淳 化 三 ・ 四 年 ( 九 九 二 ・ 三 ) の 訳 出 経 典 ゼ ロ は、 訳 す べ き 原 典 の 欠 乏 に よ る も の で あ っ た。 淳 化 二 年 ( 九 九 一 ) 宋 代 翻 訳 経 典 の 特 色 に つ い て

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-37-密 教 文 化 太 宗 皇 帝 は、 西 辺 四 州 に 詔 し て 西 天 か ら の 来 朝 僧、 お よ び 帰 還 僧 が あ れ ば、 将 来 の 梵 経 を 逐 次 上 進 せ し め た。 一、 右 よ り、 淳 化 二 年 ま で の 訳 出 経 典 の 原 典 は、 宋 室 所 有 の 梵 経 か 淳 化 二 年 ま で に 将 来 さ れ た 梵 経 で あ り、 淳 化 五 年 ( 九 五 五 ) 以 降 の 訳 出 経 典 の 原 典 は、 淳 化 二 年 以 後 新 た に 将 来 さ れ た 梵 経 で あ っ た と 考 え る。 一、 こ の 時 代 の 訳 出 経 典 の 特 徴 と し て は、 大 乗 三 蔵 が 部 ・ 巻 数 と も 全 体 の 七-八 割 を 占 め て 断 然 多 い こ と。 特 に 密 教 部 は 一 二 一二 部 二 二 八 巻 と 全 体 の 約 47 % ・ 40 % を 占 め て 別 立 さ れ て い る こ と。 訳 出 年 代 ・ 訳 者 ・ 訳 出 経 典 の 分 類 か ら、 当 時 の イ ン ド で は ユ ガ タ ン ト ラ ・ 無 上 ユ ガ タ ン ト ラ 系 の 密 教 が 主 流 を 占 め て い た と 考 え ら れ る こ と で あ る。 一、 原 典 別 に み た 特 徴 と し て は、 中 天 竺 梵 本 が 全 部 数 の 65 % 強 を 占 め て 断 然 多 い こ と。 中 天 竺 亀 茲 国 書 ・ 西 天 竺 梵 本 の 中 で、 小 乗 経 ・ 律 蔵 の 占 め る 割 合 が 極 め て 高 い こ と で あ る。 こ れ は、 イ ン ド に お け る 仏 教 の 流 布 形 態 を 知 る 上 で 無 視 で き な い と 考 え る。 な お、 末 尾 に ﹃ 宋 代 翻 訳 経 典 編 年 目 録 ﹄ を 附 し て お い た。 あ わ せ て 参 照 し て い た だ き た い。 註 (1) 塚 本 善 隆 ﹁ 仏 教 史 料 と し て の 金 刻 大 蔵 経 ﹂ 前 編 ( 東 方 学 報 京 都 第 六 冊 ) が 最 初 の 論 致 と 思 わ れ る。 本 稿 作 成 に あ た っ て 多 く の 示 唆 を 受 け た。 岩 井 諦 亮 編 ﹁ 宋 代 新 訳 経 典 索 引 目 録 ﹂ ( 日 華 仏 教 研 究 会 年 報 第 一 年 ) は 新 訳 経 典 の 五 十 音 別 目 録 で あ る が、 誤 記 が 見 ら れ る。 凡 例 に ﹁ ﹃ 宋 代 訳 経 史 の 研 究 ﹄ の 一 部 と し て 作 製 さ れ た ﹂ と あ る が、 該 当 書 は 見 あ た ら な い。 筆 者 未 見 の も の に、 松 本 文 三 郎 ﹁ 趙 宋 の 訳 経 事 業 ﹂ ( 仏 教 研 究 ) が あ る。 (2) 本 稿 で は、 訳 経 院 が 置 か れ た 太 平 興 国 七 年 ( 九 八 二 ) か ら ﹁ 景 祐 録 ﹂ が 完 成 し た 景 祐 四 年 ( 一 〇 三 七 ) ま で の 五 十 六 年 間 を 対 象 と す る。 (3) 大 中 祥 符 八 年 ( 一 〇 一 五 ) 成 立。 二 十 一 巻 中 十 六 巻 現 存。 塚 本 善 隆 前 掲 書、 横 起 慧 日 ﹁ 新 出 金 版 蔵 経 を 見 て ﹂ ( 東 方 学 報 東 京 第 五 冊 後 篇 )、 拙 稿﹁Guhyasamaja-tantra の漢訳年 代 ﹂ ( 印 仏 研 究 第 二 十 三 巻 第 二 号 ) 参 照。 (4) 天 聖 四 年 ( 一 〇 二 六 ) 成 立。 上 ・ 中 ・ 下 三 巻 中 上 巻 欠。 塚 本 善 隆 ・ 横 超 慧 日、 前 掲 書 参 照。 (5) 景 祐 四 年 ( 一 〇 三 七 ) 成 立。 二 十 一 巻 中 十 四 巻 現 存。 塚 本 善 隆 ・ 横 超 慧 日、 前 掲 書 参 照。 (6) 同 書 太 平 興 国 七 年 ( 九 八 二 ) 六 月 の 条、 巻 第 二 十 三、 二 三 頁。 (7) 同 書 太 平 興 国 五 年 ( 九 八 〇 ) の 条 ( 大 正 蔵vol. 49P.8a 二 月。 北 天 竺 迦 湿 弥 羅 国 三 蔵 天 息 災。 烏 填 嚢 国 三 蔵 施 護

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-38-来。 召 見 賜 二 紫 衣 一。 勅 二 二 師 一 同 閲 二 梵 夾 一。 時 上 盛 二 意 翻 訳 一。 乃 詔 二中 使 鄭 守 均 一。 於 二 太 平 興 国 寺 西 一建 二訳 経 院 一。 為 三 二 堂 一。 中 為 二 訳 経 一束 序 為 二 潤 文 一西 序 為 二 証 義 一。 (8) 同 書 巻 第 三 四 頁 左-五 頁 右。 (9)﹁ 宋 会 要 輯 稿 ﹂ 第 二 百 冊 道 釈 二 之 八-九 自 二興 国 壬 午 一距 二 今 乙 亥 一 五 十 四 載。 其 貢 献 並 内 出 梵 経 無 慮 一 千 四 百 二 十 八 夾。 訳 成 経 論 凡 五 百 六 十 四 巻。 (10) 野 上 ・ 小 川 ・ 牧 田 ・ 野 村 ・ 佐 藤 共 著 ﹁ 仏 教 史 概 説 ・ 中 国 篇 ﹂ 一 二 二 頁。 (11) 同 書 巻 第 八、 九 頁 左-十 頁 右。 (12) 同 書 淳 化 四 年 の 条。 ( 大 正 蔵vol. 49. P. 401a) 詔 二西 辺 諸 郡 一梵 僧 西 来。 中 国 僧 西 遊 而 還 者。 所 持 梵 経 並 先 具 奏 封 題 進 上。 ﹃ 大 中 録 ﹄ の 記 述 と は 年 代 が 二 年 ず れ て い る。 (13) 詔 の 出 さ れ た 淳 化 二 年 五 月 来 朝 の 師 子 国 僧 仏 護 等 五 人 と 将 来 梵 経 二 十 夾 を 含 む。 (14) 淳 化 四 年 ( 九 九 三 ) 十 一 月、 師 子 国 僧 覚 喜 は 梵 経 六 十 二 夾 を 将 来 し た。 こ れ に よ っ て、 梵 経 の 欠 乏 に も 二 段 落 つ い た と 思 わ れ る。 因 に、 淳 化 五 年 に は 十 二 部 二 十 八 巻 が 訳 出 さ れ た。 (15)﹁ 大 中 録 ﹂ 巻 七、 端 拱 二 年 ( 九 八 九 ) 十 月 の 条 ( 十 八 頁 左 ) に、 十 月 中 僧 行 達 宝 基 道 初 三 人 自 二西 天 竺 一還。 以 二 所 得 梵 経 八 夾 一 進 献。 上 召 見 各 賜 二紫 衣 東 島一。 其 後 中 国 僧 詣 二 西 域 一得 二 梵 経 一還 者 竝 如 レ 之。 と あ る よ う に、 梵 経 の 将 来 者 に は 紫 衣、 束 帛 等 が 授 与 さ れ た。 ま た、 特 別 功 績 の あ っ た 者 に は、 大 師 号 等 も 授 与 さ れ た。 (16) 表 二 に み ら れ る 威 平 六 年 と 大 中 祥 符 六 ・ 七 年 の 部 数 ゼ ロ は、 そ れ ぞ れ 次 の 年 -景 徳 元 ・ 大 中 祥 符 八-に 訳 出 さ れ た ﹁ 仏 母 出 生 三 法 蔵 般 若 波 羅 蜜 多 経 ﹂ 二 十 五 巻 と 三 十 巻 本 ﹁ 真 実 摂 経 ﹂ の 翻 訳 に あ て ら れ て い た の で 問 題 な い。 (17) 塚 本 善 隆 前 掲 書、 五 八-六 一 頁 に 原 典 の 欠 乏 状 態 を 詳 説 す。 (18) (19) 付 録 五 二 頁 参 照。 (20) 付 録 四 八 頁 参 照。 (21) 付 録 四 三 頁 参 照。 (22) 付 録 四 四 頁 参 照。 宋 代 翻 訳 経 典 の 特 色 に つ い て

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密 教 文 化

武 内 孝 善 編 凡 例 一、 本 目 録 は、 ﹃ 大 中 祥 符 法 寳 録 ﹄ (以 下 ﹁ 大 中 録 ﹂ ) ﹃ 景 祐 新 修 法 寳 録 ﹄ ( 同 ﹁ 景 祐 録 ﹂ ) の 記 述 を も と に、 太 平 興 国 七 年 か ら 景 祐 四 年 ま で の 五 六 年 間 に 翻 訳 さ れ た 二 六 三 部 五 七 三 巻 を 編 年 体 に 編 ん だ も の で あ る。 二、 ﹁ 大 中 録 ﹂ ﹁ 景 祐 録 ﹂ の 欠 損 部 分 に つ い て は、 各 々 ﹃ 祥 符 法 寳 録 略 出 ﹄ ( 以 下 ﹁ 大 中 録 略 出 ﹂ )、 ﹃ 景 祐 新 修 法 寳 録 略 出 ﹄ ( 以 下 ﹁ 景 祐 録 略 出 ﹂ ) に 依 っ て 補 っ た。 三、 本 目 録 で は、 西 暦 ・ 宋 暦 ・ 訳 者 ・ 経 典 名 ・ 巻 数 ・ 所 属 ・ 原 典 ・ 大 正 蔵 経 番 号 ・ 大 正 蔵 経 部 門 の 欄 を 設 け た。 こ の う ち、 宋 暦 ・ 訳 者 ・ 経 典 名 ・ 巻 数 ・ 所 属 ・ 原 典 は ﹁ 大 中 録 ﹂ ﹁ 景 祐 録 ﹂ の 記 述 に 依 っ た。 西 暦 と 大 正 蔵 経 番 号 ・ 部 門 は、 検 索 の 便 の た め に 併 記 し た。 四、 宋 暦 の 欄 の 年 月 の 表 示 に お い て は、 年 を ゴ チ ッ ク 体 で 表 記 し、 月 と 区 別 し た。 す な わ ち、 太 平 興 国 七 ・ 七 と あ れ ば、 太 平 興 国 七 年 七 月 を と い う こ と で あ る。 五、 訳 者 の 欄 は、 以 下 の 略 号 を 用 い た。 天 ⋮⋮天 息 災 護 ⋮⋮法 護 法 ⋮⋮法 天 賢 ⋮⋮法 賢 施 ⋮⋮施 護 惟 ⋮⋮惟 浄 六、 所 属 ・ 原 典 の 欄 は、 ﹁ 大 中 録 ﹂ ﹁ 景 祐 録 ﹂ の 分 類 に 従 い、 以 下 の 略 号 を 用 い て 掲 げ た。 < 所 属 > 大 秘 ⋮⋮大⋮大 乗 経 蔵 秘 密 部 大 経 ⋮⋮大 乗 経 蔵 大 律 ⋮⋮大 乗 律 蔵 大 論 ⋮⋮大 乗 論 蔵 小 経 ⋮⋮小 乗 経 蔵 小 律 ⋮⋮小 乗 律 蔵 聖 賢 ⋮⋮西 方 聖 賢 集 < 原 典 > 中 天 ⋮⋮中 天 竺 梵 本 師 子 ⋮⋮中 天 竺 語 師 子 国 書 亀 茲 ⋮⋮中 天 竺 語 亀 茲 国 書 西 天 ⋮⋮西 天 竺 梵 本 北 天 ⋮⋮北 天 竺 梵 本 七、 原 典 の 空 欄 は、﹁ 大 中 録 ﹂﹁ 景 祐 録 ﹂ の 欠 損 に よ る 不 明 を 表 わ す。 大 正 蔵 経 番 号 の 空 欄 は、 大 正 蔵 経 に 該 当 経 典 が 見 当 ら な い こ と を 表 わ す。 八、 な お、 最 下 欄 に ﹁ 大 中 録 ﹂、﹁ 景 祐 録 ﹂ の 巻 数 を 掲 げ て お い た。

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宋 代 翻 訳 経 典 の 特 色 に つ い て

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-41-密

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宋 代 翻 訳 経 典 の 特 色 に つ い て

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宋 代 翻 訳 経 典 の 特 色 に つ い て

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宋 代 翻 訳 経 典 の 特 色 に つ い て

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宋 代 翻 訳 経 典 の 特 色 に つ い て

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-50-宋 代 翻 訳 経 典 の 特 色 に つ い て

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-51-密 教 文 化 註 (1)﹁ 大 中 録 略 出 し 法 天 訳 と す。 (2) 大 正 蔵、 法 天 訳 と す。 (3) 大 正 蔵、 他。 (4) 大 正 蔵、 賢 聖。 (5)﹁ 大 中 録 ﹂ に ﹁ 鄭 州 先 訳 経 讃 ﹂ と あ り。 (6) 大 正 蔵、 法 賢 訳 と す る も、 文 官 階 か ら 法 天 が 正 し い。

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-52-(7) 大 正 蔵、 名 梵 讃。 (8) 大 正 蔵、 ﹁ 多 ﹂ 欠。 (9) 淳 化 五 年 一 〇 月 か ら 至 道 三 年 □月 の ﹁ 三 身 梵 讃 ﹂ ま で は ﹁ 大 中 録 ﹂ 欠 損 の た め ﹁ 大 中 録 略 出 ﹂ に 依 る。 (10) 大 正 蔵、 大 教 経。 (11)﹁ 大 中 録 ﹂ に ﹁ 起 威 平 六 年 春 終 景 徳 元 年 冬。 訳 成 二 部 二 十 八 巻 ﹂ と あ り。 (12) 大 正 蔵、 覚 吉 祥 智。 (13) 大 正 蔵、 ﹁ 寂 友 尊 者 造 ﹂ と あ り。 (14) 大 中 鮮 符 二 年 十 一 月 訳 出 の 二 部 七 巻 か ら 天 禧 元 年 十 一 月 訳 出 の 五 部 五 巻 ま で は ﹁ 施 護 訳 法 護 惟 浄 同 訳 ﹂ と あ る が、 便 宜 上 ﹁ 施 ﹂ と す。 (15)﹁ 其 年 ( 大 中 祥 符 五 年 ) 十 二 月 起 訳 経 一 部 三 十 巻 至 八 年 六 月 訳 成 全 部 ﹂ と あ り。 (16)﹁ 景 祐 録 ﹂ 欠 損 の た め ﹁ 景 祐 録 略 出 ﹂ ﹁ 天 聖 釈 経 総 録 ﹂ ﹁ 高 麗 版 大 蔵 経 目 録 ﹂ 等 に よ っ て 補 う。 (17)﹁ 九 年 十 一 月 起 訳 経 一 部 六 巻 至 天 祷 元 年 五 月 訳 成 全 部 ﹂ と あ り。 (18)﹁ 天 棺 元 年 十 一 月 起 訳 経 一 部 二 十 巻 至 天 聖 元 年 四 月 訳 成 全 部 井 又 訳 成 一 部 一 巻 ﹂ と あ り。 (19)﹁ 二 年 十 二 月 起 訳 経 一 部 十 八 巻 至 五 年 四 月 訳 成 全 部 ﹂ と あ り。 (20)﹁ 五 年 十 二 月 起 訳 論 一 部 十 八 巻 至 八 年 四 月 訳 成 全 部 ﹂ と あ り。 (21)﹁ 八 年 十 二 月 起 訳 経 一 部 十 二 巻 至 明 道 元 年 四 月 訳 成 全 部 ﹂ と あ り。 (22)﹁ 明 道 元 年 十 二 月 起 訳 経 一 部 四 巻 至 今 年 四 月 訳 成 全 部 ﹂ と あ り。 (23)﹁ 景 祐 録 ﹂ に ﹁ 景 祐 元 年 二 月 起 訳 至 四 年 三 月 訳 成 大 乗 経 一 部 二 十 巻 ﹂ と あ る こ と よ り ﹁ 景 祐 録 略 出 ﹂、 ﹁ 高 麗 版 大 蔵 経 目 録 し に よ っ て 補 う。 (24)﹁ 景 祐 録 略 出 ﹂ は 大 乗 経 蔵 秘 密 部 と す。 (25)﹁ 景 祐 録 略 出 ﹂ に 依 る。 ※﹃縁 山 三 大 蔵 総 目 録 ﹄ 巻 下 ( ﹁ 昭 和 法 寳 総 目 録 ﹂ 巻 二、 八 九 頁 ) に ﹁ 大 乗 集 菩 薩 學 論 二 十 五 巻。 在 景 祐 録。 ( 以 下 略 ) ﹂ と あ る が、 ﹃ 景 祐 録 ﹄ ﹃ 景 祐 録 略 出 ﹄ に は 記 載 さ れ て い な い。 宋 代 翻 訳 経 典 の 特 色 に つ い て

表 二-一  梵 経 の 将 来 ( ﹃ 大 中 録 ﹄ ﹃ 景 祐 録 ﹄ 自 太 平 興 国 七 年 至 景 祐 四 年 )
表 二-二  梵 経 の 将 来 ( ﹃ 仏 祖 統 紀 ﹄ 自 太 平 興 国 元 年 至 景 祐 四 年 )

参照

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