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智山學報 第31 022高麗 行真「プラマーナ・ヴィニシュチャヤ : 現量章和訳(II)」

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全文

(1)

智 山学報第三

マ ー

    

章 和

訳 (

H

        高   麗   行  真

サ ン ス ク リッ トで は,

Pram

的 avini6caya . チ ベ

ッ ト語で は,

tshad

 ma  rnam  

par

 

hes

 

pa

・(量 決 択 ).

文 殊 師 利菩

敬礼

る。 阿閣

(デ ィ グナ ーガ )は, 無 垢 なる智 慧を具 足 し た妙 吉祥 なる人で ある。 (し か し,)彼の 愚か な る世 間の 人 々 は, 彼の

美で 秀麗な る 言

を, 正 し く理

するこ との で

ない 人 々 で

だ が,

愚鈍

な る

世 問の々 が教 化 され, 増益 さ れ る そ の 時には, 愚者 (である世の 人 々 ) が

誹謗

された り馬鹿 者 扱い され るこ と も全 くな るだろ うか ら, (大 )

を もっ て , 彼の 学説 が 明 らか に されん こ とを。

 

r

論 者』

  有

益な る もの を

獲得

し,

益 な る もの を

捨離

するこ とは, い かな る場

に も正

(samyagjfitina を前 提 とする か ら, その (正智 )を愚

者 達

に         説示

るため に, こ の (論 書 ) が, 述 作 された。

 

こ の 正智 とは , 二 種で あり, 「現量 と比量とで ある」    (

Il

) な ぜ な ら, これ等 (二 量 )に よっ て, 対

決択

して 悟入する な らば, (対       一

31

(2)

プラマ ー ・ ヴ ィ ニ シ ュ チ ャ ヤ (高麗 行真 )        

の )

効な

き (arthakriyE

撞着

しない か ら。

 

敵者

声量 (

9abda

や 比

= upamE )な ど量 も , あるの で は な い の か

る。)

 

r

論 者 』

 

量であるもの は, だ だ こ の (二量 )の うちに 包 摂 される か ら, 「量は , (こ の )二種 」

 

12

)           の みで

る。 「な ぜ な ら, 現 量 以

の もの は, 他の (量, す な わ ち 比 量 )に も と

        い て, 相 似 し た形 体 と結 合 し て, (対 象を) 認識 する か ら」

 

13

 

は 二種の であっ て, 現証 されるもの と, 現

され ない もの とである。         こ の うち,

の 顕 現が,

体の 随 行 と遮

とに適 応 する こ と, そ れ が, 現 証 さ れ る もの である。 そ れは , 不 共 なる事 物 (vastu )を 自性 とした もの で あ り, 自

相 (

svalaksarpa

である 一方, (現

され ない もの は,

)知

事物

自性

を 安 立 する能 力に 欠 けてい る もの で る か ら, (事

を直接に) 知 覚す るこ とは で きない (すな わ ち

)他

の もの

A

観察

する

合に ,

の もの (=

B

)が

識 される の は不合理で あ り, (それは,)無 窮の過 (atiprasahga )と なる か ら。 或は, (他の )排除され るべ きもの を もた ない 場 合に も, 他の もの を認 識 す る こ とに な るだろ う。 それは, 種 類 (vidha )と 自性 との

結合 関係

が成 立 して い る,         その ような

種類

現証

し て, (その )

関係

か ら, 一般 的 な

方法

っ て

を)

認識

する こ とが, 比量で もある か ら, 量 は 二

の みで ある。 (そ れゆえ)         他の (第三 の 量 )に よっ て認 識 する ことは, 不合理 で ある。

 

敵者

  彼

の (対

との )結 合 関係だけが (認

の )

相である とい うの で は な くて

な る

法 を

知覚

する こ ともま た

相)

, そ れは言葉 と し て存在 す る もの で は な い か ら, ど うし て (これが,)別 の

三 の ) 量 とは な ら ない のか o       −

32

(3)

      智山学報第三

 

r

』 そ れ

等 (

法 )が, そ の (言葉の ) うち に観

され な ければ, 対

は い かに 成

され,

滅す

る とい うの か 。

 

『敵

』 では先 ず, (対 象 を )知 覚 する場 合に, どの ように記 憶が

起 され るの か   『論 者』  言 葉 と因と を (観 察す る こ と)な くし て, 何かある もの の 自性が,

 

何か

るもの と して記 憶され るこ とはない はま た, こ の ような (言

と 因とに よる観 察 とい う) 両方状 態も差 別が存 する か ど うか , とい うこ とで ある。 それ ゆ え, (こ の言 葉 と因とに よ る観 察は, )

か あるもの を成

するこ と な しに,

るものを

成就

した り

した り

き (

の もの)で は ない か ら, ど うして,

のを成

就す

るこ とがで

るのか。 それ

等 (

と 因とに よ る

観察

)に よっ て , 対 象が成

されるの で も な く, そ れ

(言

と因 と

は,

何か

対象

と)

合して

成就

してい る

の で

ない か ら。 そ し て , 論 者 が

認 する対 象 を現

す る こ とは, 合 理である か ら。 その よ うに了

され るぺ き (論 者)根 拠 (

agama

は, 実に, こ の こ と なの である。

 

反証

 

しか し, そ の よ うな こ とが 成立 して い る場 合で あ っ て も, (対 象 が

)存在

するこ に よる (

)生起

認識

され ない こ とに よる非

存在

とを

成就す

る場 合, 比 量 が (問

と さ さるの で は

ない 。 なぜな ら,

こ の 両

を 成立 させ る ため の もの, す な わ ち

)随行

がない か ら。 こ の 場合, (同 一 )喩

鶚 例

upam

は ない 。 成

就す

べ き

の (い か なる もの も)

存在

しない か ら。 そ れ が (

随行

して い る) 成

すべ

の で

無窮

にな る とい うの か 。

 

『論 者』

 

し か ら

。 その場合に は, 対境を指示 して, (その )悟入 せ る対

(因 ) と し て, (それを)記 憶 するため で あ り, 因 と果と の 自 性 は,

行と

遮離

と別の もの で はない 。 こ の よ うに ,

るもに

対す

)知 覚

の 正 当 性が認め られない

に は,

対象)

存在

しない , と

ぜ られ る。 そ れ ゆ えに , (同様に, あるもの が)知

されない 場 合に,

象 が

)存在

しない , と 因

を 説 示し て, 愚者に言

協約 (

salpketa )を以っ て成 就 する。 例 えば, 生 み の

る場 合, 父 とい うが

し。 さ らに, 顕

しない もの は知 覚され       一

33

(4)

プラマ ー ・ヴ ュ チ ャ ヤ (高麗行真 ) ない とい うこ とは,

因相

がない とい うこ とで もある か ら,

現存す

るもの として の 言葉の 協 約は, 否 定される。 例 えば, 生みの 親では ない と説示する場 合に, 父で はない とい が如 し。 それ ゆえに, 自か ら成

するもの で は な くて, 一

の もの は, (その ものの )

性 と結 合し て成 就 し, 錯 乱は 他に見 られ な い の で あるか ら,

量でない 量 は, 比 量で あ り, (そ れ 以外の )他の (量 は)全 く

在 しないの である。

 

他の人々  ・ 

Carvaka

は, 現 量で は ない量, (す なわ ち, 比 量は)

存在

しな い

と主

張す

る。

  (

しか し

それは不

理 で

る。 なぜな ら, 「量と違っ た もの が 一般 的に成

する ため に , そ し て, 異っ た知を認

するため に , さらに,

か あるもの を

遣する た め に も, 他 の 量        

なわ ち, 比量 )が 必ず

存在す

る」

 

II

 

それは, 清 明な る

認識す

る場 合に, 撞

と無

とを識 別 して, い か に 説 示 する か とい う

場合

識する もの は無 錯 乱であ るべ きだか ら, た だ

量の み が

っ て , 比 量は (量た り

え ない , とい うその よ

見解

を 主張する 者に とっ て , (相の )類 似を見 るこ とに よっ て, あるが ま まに 成 就 し て い る もの ,         『 そ れは 比量の (対 象と) すべ きもの で は ない

と主張 する だ ろ う)。 し か し, その ことを ま た,

者は)成 就 し て い ない か

対境

直接知覚

して

示 す る場 合で も,

明 なる

存在

しない とい う理由で, (そ の主張カ ミ

)排

さ れ るばか りか, 量 或は量に非ざ るもの ともな らない し, そ れ

自己の 相

に ある,

示 されるぺ き も

の に っ て ま た, これ ( 二

自相

svalaksapa

々 に

伝達す

る こ とは不 可 能である か ら,

論書

述作

) しない ので ある。 もし,

論 書 を )

ろ うと

れ ば,

か らの見 解を自か らの 言

嘲 笑

す る こ とにな る

々 を通

せ し め るた め に, 論

を (述 作 ) し よ うとする場 合 に も, 比量が放 棄される, とい うの は不

理で

る。

の 比量が放 棄 され るの で れば, (その

論書

ろ うと

る)

行為

は, 無 意

な もの とな っ て し ま う       一

34

(5)

                                          智山報第三十一輯 だ ろ うか ら。

 

ま た, 身体その もの は, 心 (=認識 主

, と 同 一 の で は な い。 その (

身体

と心 とは 同一で るとい うこ と)が成 就 するの で あれば, 心の 識 別 作用 に も

惑が生ずる か ら。 こ うし た こ とが, 他の もの に も

係 する (認 識で ある と

れば), 人々 は

し て

量 と して は 了

し ない 。

 

し か し, こうし た遮遣 する とい う (

き) が, ひ と り

量に よっ てぽか り

され る とは限らない 対象の (有す る)能力に依 存す るこ とに よっ て, 存 在 し ない のが, そ の (

量の )対 境と し て (存 在 する こ とは) 矛

してい る か ら。

もし,

対 象

有す

能 力

しない とすれ ば,

蔽 等の事 象と して生 起 する こ とに な るか ら。

 

r

者 』

 

遮離 す

る (とい うこ と)に よっ て, 現量は事

の 無な るこ と を決

択す

るとい のか

 

r

論 者』そ の ような (現量)は,

存在

しない し, また, その (

量 )に よっ て了 解さ れ る とい う (主 張 ), これ は

論拠

)薄弱

で ある。 遮

する とい う, そ うい う場 合に , ど うし て 存在しない といわ れ るこ とに な るの か。 (な ぜ な ら,

二 の に よっ て

決択さ れ るこ とは ない か ら。 もし, (以上の よ うな 主張を) 容認 するの で あれ ば, そ れ と全 く同じ (知 覚される非

)は,

知覚

さ れ な い

存在

では ない か ら, そ の (知 覚の 非 存在 )は, その

知覚

され ない

存在)

に よっ て,

事 物

の 非

在の 因である。

 

敵者

 

が )無

撞着

である場 合で も, そ の もの の 自性の うちに 錯

が観 察される か ら,

その 因は )信 頼で きない もの で ある, とい うのか。

 

r

論者

 

さに あ らず。 その もの の

自性

認識

しない か ら。 そし て, 自性と の結 合 関係が因相で あっ て , その (

性 との 結 合 関係が

在 する)

場合

に は, 錯 乱は

在しない の であ り, その (因と結合 した

対 象

)が

存在

しない の であ れ ば,

自性

存在

しない の である か ら。 すな わ ち, 「現 量 とい 場合に は, (そ れは )対 象を成立せ し めない とい うこ と で は決し て ない か ら, 量性た りうる の である。 そ して, その もの の 自        一

35

(6)

プ ラマ ーナ ・ヴ ニ シ ュ チ ャ ヤ (高麗行真)

 

合 関

の を因

とし て い る場 合に は, (

量 と比 量 と        

 

の)二 (量

妥 当

る」

 

III

 

量は また , 対

無撞 着

な るもの で ある か ら, 量た りうるの で

る。 無 撞

な るもの はまた , その (対

その もの )か ら生 起 する もの (

atmaltibha

で あるか ら。 そ して,

か ある

の もの か ら

は生 じ,

る時は生 じない と い そ うい うこ とが, こ の よ うな場 合に , 必 ず 無

撞着

る とい うこ とは, 不

理である か ら。

 

r

敵老

 

も し, 現量 が対 象 と無 撞 着で あ り, し か も,

対 象

在しない 場 合,(知の対 象か らの生 起 ) 不 生 起 とい うこ とに よ るの で は な く, む し ろ, 対

観察す

るこ とに よ るの で は ない の か。

 

『論

 

観 察す

る こ , それは また, 対 象で もあ り, 決知で も あ る の か。 も し対 象で ある とい うの なら, 一

る か ら, 一 が 一 っ て

観察

さ れ るこ とにな る また

)知で ある とい の な らど うし て 他の あるもの の

)存在

対 象 と

)結 合 関 係

な くし て ,

確実

在 するこ とに な るの か。

 

敵者

 

観察

され るか ら, (対 象は) 現 存する もの とし て 成

され るの か 。

 

『論 者 』

 

観 察 する とい こ とは, こ れが, どうして そ の もの で ある か , 過 失 を

討 し批 判 するこ とでは ない 。 しか も, そ の ため に (決)

存在

す ると い よ り, 対 象の

存在

要請

されるか ら, その

との

合 関 係が論究 され るべ 。 そ して , 果 ( =作 用 )自性 に よ 比 量 同一 の の で

る か ら とい うこ とで, (そ の )比量が量 とし て の相を具 足 し て い ない と い う の で はない

 

この

, 「現量は, 分 別を

れ, 錯 乱な きもの で ある」

 

IV1

眩 ・

速旋

航行

・ 惑

な どに よ っ て,

錯乱

されるこ との ない

無分

別 なる

      一

36

(7)

             智山学報第         が現量る。 し か るに , その 分別 とは , い か なる もの であるの か。 「分 別 とは, 言 説 (と結 合 するこ とが可能 な影

を有 する) 知で ある」            (

IV3

別 とは, 言 説と結びつ く可能 性の ある影

を持つ 知であ り, そ れ (一現量 〉 とは, 無 関 係の もの で ある。

根智

に は, その

別 )は

在しない 。 「対 象の っ て い る能 力に よっ て , (

根智

が)生

する か ら」

 

IV3

 

ど うし て対

っ て い る

力に よっ て (根

が)生 起 するのか とい うと, た だ その の の形 体 (tadrUpam )の みを

倣す るか ら。 い か なる もの に よっ て, 彼 (の対

象)

顕 現する か とい と, そ れは,

顕現

する で

ろ う

対 象

に は言

(結合 して い る の で は あるが, し か し, その もの の

性で はない 。 こ の

sa 甲 vedanadharm

, 即ち,

根智

は, 対 象 と必 ず

触 する とい ことである。 その

根智)

は,

象と

合して い るか ら。 そ して,         それ ゆ えに また, 諸の対

は, 認 識され ない とい う過 失に な るか ら。 そ れ ゆ え.         こ の (根)が, (対 象と)接触 し て (根)

が 生

する場合, (その対 象の ) 自 性でない の は

存在

しない の で

れば,

根智

不生

が,

前 提

とし て知

され るの で は ない。 例 えば, 味な どが別 個に (

在しない) よ

に 。 そ の (対 象が有 する)能 力に よっ て生起 する

(根)智

は また, 他の対 象に随 入 し ない 。 例 えぽ,

味覚

等の 如 く。 その (対 象の ) 自性に

合し た

名称

で あろ う と も, 根とは別 な智が 生起 する とい うこ とは 不可

である か ら。 そし て, 必

随伴す

るか ら,

妄分

働 き

は,

で はな くて

意識 (

manovijfifi ・ nam で ある。 対 象の

す る

力に は親 近す るが, (そ れ に )依 存 するこ と な く 妄 分 別の習 気に よっ て生超 するもの を, 不確 実 なる根の 対 象とし て認 識 するこ とは, 何か

る知

と結合 する た めぼか りか, 同

に別 個の もの として

認識

さ れるこ に もなる か ら。

に ,       −

37

(8)

プラマ ー ・ ヴ ィ ニ シ チ ャ ヤ (高麗行 真) 「もし

根智

が, 言

っ て

結合

して い る

記憶

依存

して い るの で

れ ば, 対 象の

作用

るに

か か わ らず, その

対象

遣さ れ るで

    ろ う」  (

V

 

なぜな ら,

間 的言 葉の 協 約でな りた っ てい る時に,

習 された 言説と共 通 の の が記

されず, しか も, その (対 象 ) との結 合 関 係 も

存在

しない か ら。 例え ぽ, (その

対 象

合す るこ とが可 能な) 他の言葉の如し。 対 象に 親 近 す るこ とに よ っ て

用 する

的な

転変

(vikara )か ら

醒 するこ ともな く, 限

された (

定の ) 言

記憶

する こ とは, 不 合理 である。 その (言葉 の記 憶 ) が, そ の よ うな

働 き

に よっ て (生起し)ない ので あれば, その もの の名言を把 、

しない とい う過 失に落ち入るか ら。 こ の よ うな 場 合に は, 記 憶 する とい うこ と が障 礙 となる か ら,

象に

近 する

ec作

用 する果 とは な らない だ ろ う。   その ため に, 「

に (

根)智

が生 起 し て いない 限 りは, (ある対 象に) 親近 し て い る

特定

の もの は

存在

しない か ら, それは, その

に (認 識 )さ れ る」              (

Vli

 

(もの の) 自性に は 差 別が存在 しない た め に , (対 象の 有 す る)能 力 に も 差 別が存 在 しない か ら, 同 一 ものにつ い て, ある時に は作用 が あ り, (またあ る

に は

)作

用が ない とい こ とはない だろ う。 「そ うい っ た場 合,

対象

損害

さ れて い ない とすれぽ, 眼の

とな る       だろ う」  (

VI2

対象

現証

す る) 智に , 事 物が親近 し てい ない か ら。 そ し て, 記 憶が回復 し た

に は, (対

と)結 合 する か ら, (根 )

は無 益

すな わ ち, 影

力がな       一

38

(9)

             智 山学報第三十一輯 い

の で あ り , その (根 智 )が存 在 する とし て も, (根

に は )

依存

し な い 。

対 象

親近す

る こ とに よっ て (

が生

するの で

れぽ, 言

1

する         とい う (

働 き)

は止ん で しま うか ら,

量は

別を

れ た もの で ある, とい う こ とが成

する。   さ らに ,

「限定 するもの vi6e §analp と限 定される もの vi ≦eeyam

との

関係を, 世 法上 の

例 とし て 了解 する。 す なわち, (ある限 定 さ れ た もの の 自性と)結 合 する こ とに よっ て, そ れが

の もの

なわ ち,         根

起 因するもの ではない , と了解 する 」

 

VII

 

限定 す る もの と限 定され る もの, こ の (両者の )結 合 関係 と, 世 間に 安立 さ れてい る (慣 例 )とを認 識 する場 合, そ の (限

された もの の

自性

)結合

す るこ と に よ

認識

されるもの て, い か なるもの で あろ うと, 限定 されるも         の とし て了

され るの で ある。 例 えば,

っ てい る人

し。

対象

との

結 合関係

と,

説の

立 とカミ認識 され ない場 合, (智は生起 )しない の で あ る か ら, (ま し てや

他の

方法

な ど)は

りえ ない 。 種 (

jati

)・ 徳 (

gurpa

)・

kriya

)と倶 なるもの は, こ の (

量,

なわ ち,

根智 )

に は全 く

存在

しない 。 限 定されたある もの の 自性 と結 合 し てい るもの が顕 現 しない た めに , (そ の ) 結 合 関 係は不 合理である か ら。 そ し て, その よ うな認 識 も存 在しない か ら。 例 え ば, 水 と

との

し。 限

さ れ た もの と して認

され るこ とが ある, そ うい う場

に は, その もの との (

関係)

もま た,

識 されるこ とに なる。 「前 後 関 係とい う認 識か ら離 れて い る眼識に お い て, その よ うな (認

) とは, 一 , 世 間的

言葉

約を

記憶

する こ とを前提 とし て い る のか , それとも, もの の

自性

に合

してい る

知覚

な の で

る の か,         (その ど ち ら なの で

る か」

  (

VIII

39

(10)

プラマ ー ・ ヴ ィ ニ シ (高麗行真)

 

どうし て, この (

量 )に, 既 述 し た能 力が存在 しない の か とい う と,

そ れ は, )

対境

た る

象に

親近

して (

)力

に よっ て

起す

る場

で も,

伺察 (

vic 訌ra

がない か ら。 もし

伺察

があるとす れば, 意識 (manovijfiana ) と (前五 の )根 智 とに は相 違が ない とい う矛 盾にな る か ら。 もし (両 者に )相 違が

在しない とす れ ぽ, 過 去 と

来との

事物

別 して, 把 捉 した り把 捉 し なか っ た り,

量 した り

量 しなか っ た り, 或は 対 象の

存在

に依 存した り

依存

しなか っ た りする とい う矛盾に

ち 入 るだろ う。

 

『敵 者』

 

意 識に よっ て造 作さ れ る (abhisarpskTta )場合で も,

根智

に よ っ て把捉 され るとい の か。

 

『論 者』

 

さに あらず。 すで に (根智に つ い て は)論 述 し た よ うに , (

根 智

は もの を)把 捉 するもの で はない の で その よ うな 了

は不合理 である。 そ し て, 対

では ない もの に (

が)働 くこ とはない か ら。 すな わ ち, 種 (

jati

や 結 合 関 係 や過 去 や 言

協 約 等々 は , 根

対 象

で はない か ら。 それ ゆ えに,

根智

は , 対 象 と (互い に ) 結合 し て い る諸の 分 別に

す るもの で は ない 「それが,

別を (生 起せ しめ る もの で ある)か ら, (その 分 別 が) 混 濁して い て しかも,

欲望

に よ っ て

退転

し てい る

場合

に は , 親 近 す る対 象に , 智は

依存

しない 」

 

IXi

 

さ らに これが 限

す る もの

に よっ て混 濁 し て い る な らぽ, 複 合 因 が

い てい るか, 欲 望に よっ て, 退 転 して い る こ と なるだろ う。 例えば, そ れ とは別な

別 の

し。 諸の

別は, 簡 択 力に よっ て退 転 してい る

力で はあっ     て も,

根智

で は ない 。 複 合 因が (働い て い る)場 合に ,

とい う知 を排 除し て

簡択

するの であ り, (それ こそ が ま さに )

知覚

する こ とで もある か ら。 こ の (知 )は,

親近す

対 象

も依存す

るこ とはないだ ろ う。

な どの

簡択

は,         親 近す る対 象か ら生起 す る もの で はない か ら。 一

40

(11)

      智 山学報 第三 十一輯 「

r

敵 者』

 

と同じこ と (すな わち, “ これは 牛で

る” , とい う 知 ) が, 他に ど うして

存在

しないの か」

 

IX2

 “ これは牛で ある”, とい う (知 )が, (対 象に )親 近 し て い ない場 合 に は, ど う して 生

しない の か とい う と, 我々 が (主 張 する)現 量 もまた, それ と同 じ (“ これは牛である” , とい う知 )で あ り, 親 近 してい る 対象を決定

け る相 を有 するもの で る か ら, とい うの か 。

 

者』 そ の ような こ とはあ りえ ない なぜな ら, 「それ は,

用する

対象

で は ない か ら。 し か し,

存在

しない , す なわ ち, 限定 するもの が

在しない 場 合で も, (対 象 との )接 触があ るた めに

が その ような場 合に生 起 するこ と もあるだ ろ う」

  (

X1

 根

る とい う

対境

で はない (その よ うな

)対象

である か ら, そ れが根

生起

させ ると して も, (

対 象

)存

在 しない のに , ど うし て限 定す る もの が

在 するとい のか。 そ の

対 象

有す

)能

力は, そ れゆえに 事

に対 し て一切 時に 遮離し て い るの であるが, (そ れが)相続 す るこ とに よっ て , (対 象 に ) 親 近して い るの で あれば, (そ れは)過 去の知 覚で もある か ら。 そ れ ゆえ, 対 境 とは な ら ない とい うこ と, す な わ ち, 限定す る もの が存在しない場 合でも, (対

との

)接

に よ り, “ こ

である”, と認 識す るこ とがあるか ら, こ れが現量 と倶なるもの であるとい うの は, 不合 理で

る。 「『

敵者

』ど う して

対象

との

)接触

, そ れ が

実在 物

dravya

)で あ る の か 」

  

X2

 

そ うで は ない 。 実 在 物は (対 象との )接 触に よるの で

るか ら, (

対象

)接

し て

実在物

把捉す

る とい

の か。 一

41

(12)

プ ラV ・一 ュ チ ャヤ (高麗行真)

  

「『

論者

 

そ うで は ない 。 ‘‘ こは水 瓶で る” , と知

す る場 合 に

 

顕 色が

す るか ら」

 

Xli

 

“ これ は水 瓶である”, とい う

が, 根 との

触に よ り生

す る の は不 合理で

る。 こ の よ うに ( “ これは水瓶である”)と思 惟する場 合に は,

色が顕 現す る か ら。 それ ゆえ, こ の

記憶

妄分別

とい うこ とは, 色 と

接触

し て (生起 する もの す なわち,

)識

で ある

(manas )で ある。         一 っ つ 一   註記 :  Dharmakirti の研 究につ い て は, 現在多 くの研 究成果が発表されて お り, ここ に和訳し た

PramEpavinigcaya

に して も 同様の こ とが言 え る。 その成果につ い て は, 拙訳 「プラマ ー ィ ニ シ ュ チ ャ ヤ 現量章和 訳」  智山報学 第二十六輯 p.

50

以下に述べ た とお りである が, その後も続々 と研 究成果が発表されてい るので, その主な ものをこ こに紹介 する こ とにする。

 

Ernst

 

Steinke11ner

. (

1

Dharmakirti

’s 

Pramanavini6caya

車. 

Zweites

 

Kapite1

Svfir

thinurn巨nam .

 

Teil

 

I

。 

tibetischer

 text und  sanskrittexte . 

Teil

 

H

.  tibersetzutng und  anmerkungen .

6st

. 

AK

. phi1.−

hist

. 

KL

287

4

358

. 

Wien

1979

  .

Wirklichkeit

 und  

Begriff

 

bei

 

Dharmakirt

量. 

WZKSA

. 

Band

。 

XV

1971

.  ss.

179

211

 

3

New

 

Sanskrit

Firagments

 of 

Pramti

aviniScayall , 

First

 

Chapter

. 

WZKSA

, 

Band

XVI

1972

, ss

199

206

 (4)

Miszellen

 zur 

Erkenntnistheoretische

Logischen

 

Schule

 

des

 

Buddhismus

. 

WZK

SA

. 

Band

 

XXIIr

. 

lg7g

. 戸崎宏正著 「仏教 認識論の研究 一 法称著

r

プ ラマ ーナ ・ヴァ ール テ ィ カ』の現量論一」 大東 出版 社 昭和

54

年 木 村俊彦著 「ダル マ キール テ 宗教哲学の 究  〔 ・ ダル モ ー ッ タ ラ釈 『ニ ヤ ーヤ ・ ビ ド ゥ』和訳〕」  木耳社 昭和

56

年  今回 は紙数の都合で,

T

. 

Vetter

, 

E

. 

Steinkellner

両教授に よっ て指摘された サ ン ス ク  リ断片を転載するだけに止め, その他の註記は省略 した。

 (1)

hitahitapraptipariharayor

 niyamena  samyagjfifinapUrurvakatvad  avidfiSa tadvyu −

tpadan5rtham

pram

avini6cayapra ayanam .(

K5s

. 

I

 

p

102

13

(13)

igm\eeig=-t-pt

・(pt na

hy

abhyam arthaip paricchidya pravartamano' rthakriyayirp visarTivSdyate.

(kEs.

Ip.

101,

23:

beddarS.

p.

33,

12:

HBT

p.

40,

Iat):

TBV

p.

468,

18)

(3)

prama4asya sato' traivantarbhfivad

dve

eva pramape.

(TBV

p.

59o,

11)

-(D pratyakFam anuminaqi ca pramipe sadlgfitmana/apratyaksasya sarpbandhad

yatab pratipattitaljf(NR p.

410,

5)

・(ol

dvividho

hy

arthab pratyaksaS ca paroksag ca/tatra yo

jfianapratibhssarp

<sva->

anvayavyatirekav anukarayati.

(NVTT

p.

158,

12+TBV

p.

524,

24)

・(6)

Vgl.

NVTT

p.

158,

16

: paroksas tu

buddhau

saksEt

rahito' yuktapratipattireva/na canyadardane' nyakalpana

(

!

)

yukta,

gat/nantariyakatayfi tv anyo' py ayarp gamayet/sa

hi

pratibaddhasvabhEvo

thividhah siddhas, tathaviddhasamnidh5nam sacayati.

<7)

dvividha

evirthalj pratyakEah paroksag ca. tatra yo

jfiEnapratibhfisam

yatirekfivfitmano' nukarayati, sa pratyaksalj.tad asfidhEra4arp vasturifparp

sva--*

lak\anam.

anyas tu・-・・・- s5ksat svabhEvopadhanastimarthyarahito' yuktapratipattir

eva. na canyadargane' nyakalpana yukta, atiprasafigtit. tasya nintariyakatayfi syat.

sa

hi

pratibaddhasvabhivo yathaviddhasiddhas tath5viddhasannidhfinarp sifcayati.

s5manyena ca svasambandhino' rthasya pramtipe, anyata pratipattyayogat.

"

buddhau

NVTT,

Tib

(NBhfip

381,

8-13

,

WZKSA

XVI.

201,

2-9)

'(8)

pramopetarasfimfinyasthiteranyadhiyfirTi gateb/pramfi4Entarasadbhavab

dhac

ca

kasyacitl

(SVR

p. 268,

9:

PMi

p. 14, 14)

<9)

sa

khalu

pratyaksarp pram5parp nEnumanam

iti

bruvanab

k5s5rpcid

<jfiana->

ktinarli

prau!ttau saipvadrp

visarpvEdarp

oopalabhya tallakeaparpvyaptya

kathayed

yathopadeSarp

pravartaminasyEyipralambh5rtham, tad yatha

dTstasEdharmyfit

tatha

pras5dhitam anumeyatarp natipatti.

(TSP

p.

781,

4)

cu

arthasyfisamqhave' pi pramanati/pratibaddhasvabhavasya taddhetutve samaip

dvayam-

(TBV

p. 17,

9;

73,

'1;555,

1;

PMi

p.

14.

16:TSP

p.

775,

27)

aD

pratyaksarp

kalpantipodham

abhrintam

nfihitavibhramam avikalpakarp

jnVanarp

pratyaksam.

(NBhfis

177, 4 ; 178,

3--4

:

WZKSA

XVL

201,

11-13)

'za abhilApani/pratitih

kalpana

abhiltipasarpsargayogyapratibhasE pratitil

kalpana.

(NBhas

176,

19-2o

:

WZKA

XVI.

201,

15-16)

pm

tatra

pratyakfiarp

kalpanEpodham

abhrantam

dyanahitavibhramam

avikalpakar!i

jfianarTi

pratyaksam.

ka

pdnab

sE

kalpana

?

pratitib

kalpanfi

(14)

-43-fyv-

v-

er

n = c/

en sF vv

(Kes

fi#)

abhilipasaTpsargayogyapratibhssa pratitilj

kalpanlj

;tay5 rahitam.

indriyajfiane

sa

sti arthasya samarthyena samudbhavtitftad

dhy

arthasya

narp tadriipam

gv5nukuryat.

ma

hy

arthe

shbdalj

santi taditmano vE, yena tasmin

pratibhtisarnanete'pi pratibhaseran,na cayam arthasarpspargi sar;ivedanadharmah,

arthesu tanniyojanat, tato, py arthapratipattiprasafigEt.

(Rekonstruktion

aus

SVR

p.

23,

8;

SVT

p.

91,

6:

Anak.

I

p.

135,

27;

SVT

p.

90,

16; Anek.

I

p.

136,

10.

Vgl.

NVTT

p.

133,

20f.;

134,

13.

und

NB

cap.

L)

*

adi

arthasya sEmarthyena samudbhavatl ..,... arthasarnarthyenotpadyamEnarp

pam evinukuryat. na

hy

arthe

dabdab

santi tadatmano vi, yena tasmin

** *** ****

samane・・・・・・pratibhaser'an. na cayam arth5sarpsparSi sarpvedanadharmab, arthesu

tanniyojanat, tat' rthfinfim apratitiprasafigat. tasmgd ayam upanipatya vijfianarli

Janayan...,

' tad

dhy

SVT.

** te' pi

SVT.

'*" -sparSa-

NBhfis.

**** -dharma

NBhtts.

*****

Bhfisarvajfia

concludes the sententence

in

his

own werds.

(NBhfis

178,

19t-179,

1

:

WZKSA

XVI.

201

19-23)

as

arthopayoge'

pi

pu'nah

smErtarp

Sabdtinyojanam

/

aksadhir yady apekseta so' rtho

vyavahito

bhavet-(NM

p.

92,

23:NVTT

p.

136,

21:TBV p. 525,

3:

SVT

p.

91,

23)

aol

yah prtigajanako

buddher

upayogavigesatab

/sa

pagcad api tena syad arthtipaye'

pi netradhih-(NM p.92, 19:NVTT p. 137, 1u.

6:

TBV

p.

525,

10:

SVT

p.

43,

9)

.

*

a7)

ntipi tadbalenodiyaminarp vijfiinam arthintararp yuktam, rasadijfianavat. sato'

pi

tad5tmana

indriyantarajfianotpattav

asnmarthyad atiprasafigac ca. vikalpakarp tu

**

manovijfiinam. artha sannidhanEnapeksarp vikalpavfisanotthEpitam

thagrEhi

ktttagcid

anubhavasambhandhtit saha p;thag va glhpiyat. api ca

arthepayoge' pi punalj smtirtarp

Sabdanuyojanam

/

aksadhir yady apekseta so'rtho vyavahito

na

hi

sarpketakalabhEvinam abhilapasimEnyam asmaratas tadyojana sambhavati.

gqbdEntaravat.

na cdrth5bhipatak;te'saty

dntare

vikare SabdaviSese smTtir yukta,

***

ta$yatatk!tatvetannEma grahapaprasafigEt.tat smTtya vyivadh5ntin ntirthopayogo

'nantaravyaparaphalalj

syfit. tatagca

yab prEg ajanako

buddher

upayogivigesatalj/sa pasiAd api

syat. atmEbhodena sEmarthyavigeEan naikasyaikatra

kriyakriye

sambhavatab.

tena sytid arthfipaye 'pi

arthasya siksad

buddhfiv

anupayogat sm;tiprahodhe copayuktatvan

ripo

buddhir

bhivam

apekseta. arthfibhipatak;te ca

buddhijanmany

(15)

igm\wee=--f--pt

yantarabhEvat.

*

Tib.

rjes su

hbrah

ba

ma yin te '"

Tib.

don

gyi nus pa would

be

.

Ia-.

*'"-nfima-NBhUs.

(NBhas.

179, 2-17 :

WZKSA

XVI.

201,

25-202,

11)

t

,aS viSesaparp viSesyaip ca sambandharp

laukikiip

sthitim/g;hitvE sarpkalayyaitat

(!)

tathA pratyetin5nyath5

f

PV

III,

145

(NM

p.

93,

3:

NVTT

p.

137,

9;

TBV

p.

515,

1; 525, 14;

SVT

p.

37,

23)

・asi

Vgl.

PV

III,

146a

・pm saipketasmararpop5yarp

drstasarTikalan5tmakam/pfirvEparaparfimargaSfinye

tac

ksuse

katham

fPV

III,

174

(TBV

p. 515, 5)

t-QD

gakyante

hi

kalpanab

pratisaipkhyfinabalena nivartayitum.

(NVV

p.

169,

7)

ua

vigesaparp vigesyarp ca sambandhaTp

laukikim

sthitim/

gThitva

sahkalayyaitat tatha pratyetinanyathti

1

kirpcit

kenacid

viSistaqi g;hyama4atp

*

titau tatsafikalanena g;hyate

da]

gyadivat.

nfinyathfi,

vasthaparijfifine 'bhavfit.

jatigupakriyfivatam

etan na sambhavaty eva,

sambandhayor apratibhEsanena

ghavanfiyogEt,

ksirodakavad

atadvedini. yatrfipivi・

vekapratipattir asti, tasyapi grahanam.

.

safiketasmaranopfiyam

drstasahkalanAtmakam

/

-

-l

ptirviparaparEmarSaStinyetac caksuse

**

na

hidam

iyato

vytiptirat

kartuip

samartham, sarpnihitavisaya

balenotpanne

katvat,

victirakatve cendriyarnanojfianayor abhedaprasafigat. abhede

vastuprabhedagrahap5grahapehfinaharthabhavtipeksanapekFadiprasafigab.

***

nabhisamskrtam

indriyajfianam

pratyeti cet, na, yathoktagrahinas tathapravrtty

-- - -

****

yogfit,avisaye 'prav;tteh,

jatyadisambandhatitaSabdavyavaharadinam

viFayatvfit. tasman nendriyajfiEnam arthasarpyojanarp

kalpanfim

avigati.

*****

vikalpotthapita sa ca ni vartetecchaya matib/

narthasamnidhim ikseta

-

******

.apiceyarp vigesapadivikalpotthapitE sati pravTttapisamagrasfimargri

kasya

punar

*******

chaya nivarteta tadanyavikalpavat.

Sakyante

hi

kalpanih

pratisafikhyfinena

.

yitum, nendriyabuddhayah. samagrisEkalye vinivartya gobuddhim agvam api

ny

payato godarSantit.napiyam arthasamnidhim ikseta,na

hi

gavEdivikalpo

- -

nidhfiv eva

bhavati.

"

dapd5-NBhas.

"*

The

variant of the pratika yul fie

babi

(Dh

65b6)

thus

is

be

prefered

to

Tib.

yul gyi

don

fie

bahi.

***

Tib.

rtogs

pa

wrongly

.

tes-pratipatti-. **** -jfifina-.

NBhas

***** na

NBhfis.

******kasyapunarhas

no equivalent

in

Tib.

******* so sor

brtags

pas

Tib.

and

NVV

:

(16)

-45-プラマ ー ・ヴ ュ チ ャ ヤ (高麗 行真)   nena  

NBhifs

.    (

NBh

179

19

180

14

WZKSA

 

XVI

202

13

203

3

) 一

46

参照

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