智 山学報第三 十一輯
プ
ラ
マ ーナ
・ヴ
ィ
ニシ
ュチ
ャヤ
ー
現
量
章 和
訳 (
H
)
一高 麗 行 真
サ ン ス ク リッ トで は,Pram
的 avini6caya . チ ベッ ト語で は,
tshad
ma rnampar
hes
pa
・(量 決 択 ).文 殊 師 利菩
薩
に敬礼
し奉
る。 阿閣梨
(デ ィ グナ ーガ )は, 無 垢 なる智 慧を具 足 し た妙 吉祥 なる人で ある。 (し か し,)彼の 愚か な る世 間の 人 々 は, 彼の優
美で 秀麗な る 言葉
を, 正 し く理解
するこ との でき
ない 人 々 であ
る。 だ が,(
愚鈍
な る)
世 問の人々 が教 化 され, 増益 さ れ る そ の 時には, 愚者 (である世の 人 々 ) が ,誹謗
された り馬鹿 者 扱い され るこ と も全 くな るだろ うか ら, (大 )悲
を もっ て , 彼の 学説 が 明 らか に されん こ とを。r
論 者』有
益な る もの を獲得
し,無
益 な る もの を捨離
するこ とは, い かな る場合
に も正智
(samyagjfitina )を前 提 とする か ら, その (正智 )を愚者 達
に 説示す
るため に, こ の (論 書 ) が, 述 作 された。こ の 正智 とは , 二 種で あり, 「現量 と比量とで ある」 (
Il
) な ぜ な ら, これ等 (二 量 )に よっ て, 対象
を決択
して 悟入する な らば, (対 一31
一プラマ ーナ ・ ヴ ィ ニ シ ュ チ ャ ヤ (高麗 行真 )
象
の )有
効な働
き (arthakriyE)
と撞着
しない か ら。『
敵者
』声量 (
−9abda
)
や 比喩
量(
= upamE )な どの 他の量 も , あるの で は な い の か(
と論
難す
る。)r
論 者 』量であるもの は, だ だ こ の (二量 )の うちに 包 摂 される か ら, 「量は , (こ の )二種 」
(
12
) の みであ
る。 「な ぜ な ら, 現 量 以外
の もの は, 他の (量, す な わ ち 比 量 )に も とず
い て, 相 似 し た形 体 と結 合 し て, (対 象を) 認識 する か ら」(
13
)対
象
は 二種の みであっ て, 現証 されるもの と, 現証
され ない もの とである。 こ の うち,知
の 顕 現が,自
体の 随 行 と遮離
とに適 応 する こ と, そ れ が, 現 証 さ れ る もの である。 そ れは , 不 共 なる事 物 (vastu )を 自性 とした もの で あ り, 自相 (
svalaksarpa)
である。 一方, (現証
され ない もの は,)知
に事物
の自性
を 安 立 する能 力に 欠 けてい る もの で ある か ら, (事物
を直接に) 知 覚す るこ とは で きない 。 (すな わ ち)他
の もの(
禹A
)
を観察
する場
合に ,他
の もの (=B
)が認
識 される の は不合理で あ り, (それは,)無 窮の過 (atiprasahga )と なる か ら。 或は, (他の )排除され るべ きもの を もた ない 場 合に も, 他の もの を認 識 す る こ とに な るだろ う。 それは, 種 類 (vidha )と 自性 との結合 関係
が成 立 して い る, その ような種類
を現証
し て, (その )結
合関係
か ら, 一般 的 な方法
に よ っ て(
対
象
を)認識
する こ とが, 比量で もある か ら, 量 は 二種
の みで ある。 (そ れゆえ) 他の (第三 の 量 )に よっ て認 識 する ことは, 不合理 で ある。『
敵者
』彼
の (対象
との )結 合 関係だけが (認識
の )因
相である とい うの で は な くて, 所取
の法
と倶
な る有
法 を知覚
する こ ともま た(
因相)
であ
り, そ れは言葉 と し て存在 す る もの で は な い か ら, ど うし て (これが,)別 の(
第
三 の ) 量 とは な ら ない のか o −32
一智山学報第三十一輯
r
論者
』 そ れ等 (
有
法 )が, そ の (言葉の ) うち に観察
され な ければ, 対象
は い かに 成就
され,或
は滅す
る とい うの か 。『敵
者
』 では先 ず, (対 象 を )知 覚 する場 合に, どの ように記 憶が喚
起 され るの か。 『論 者』 言 葉 と因と を (観 察す る こ と)な くし て, 何かある もの の 自性が,何か
あ
るもの と して記 憶され るこ とはない 。 或はま た, こ の ような (言葉
と 因とに よる観 察 とい う) 両方の 状 態に も差 別が存 する か ど うか , とい うこ とで ある。 それ ゆ え, (こ の言 葉 と因とに よ る観 察は, )何
か あるもの を成就
するこ と な しに,何
かあ
るものを成就
した り滅
した りす
べき (
性質
の もの)で は ない か ら, ど うして,何
かあ
るも
のを成就す
るこ とができ
るのか。 それ等 (
言葉
と 因とに よ る観察
)に よっ て , 対 象が成就
されるの で も な く, そ れ等
(言葉
と因 と)
は,彼
の(
何かあ
る対象
と)結
合して成就
してい るも
の でも
ない か ら。 そ し て , 論 者 が容
認 する対 象 を現証
す る こ とは, 合 理である か ら。 その よ うに了解
され るぺ き (論 者の )根 拠 (agama
)は, 実に, こ の こ と なの である。『
反証
』しか し, そ の よ うな こ とが 成立 して い る場 合で あ っ て も, (対 象 が
)存在
するこ とに よる (知
の)生起
と,認識
され ない こ とに よる非存在
とを成就す
る場 合, 比 量 が (問題
と さ さるの で は)
ない 。 なぜな ら,(
こ の 両者
を 成立 させ る ため の もの, す な わ ち)随行
がない か ら。 こ の 場合, (同 一の )喩(
鶚 例証
upamの
は ない 。 成就す
べ き他
の (い か なる もの も)存在
しない か ら。 そ れ が (随行
して い る) 成就
すべき
もの であ
っ ても
,無窮
の過
にな る とい うの か 。『論 者』
し か ら
ず
。 その場合に は, 対境を指示 して, (その )悟入 せ る対境
の持
つ (因 ) と結合 し て, (それを)記 憶 するため で あ り, 因 と果と の 自 性 は,随
行と遮離
と別の もの で はない 。 こ の よ うに ,(
あ
るもに対す
る)知 覚
の 正 当 性が認め られない場
合に は,(
対象)
も存在
しない , と論
ぜ られ る。 そ れ ゆ えに , (同様に, あるもの が)知覚
されない 場 合に,(
対
象 が)存在
しない , と 因相
を 説 示し て, 愚者に言葉
の協約 (
salpketa )を以っ て成 就 する。 例 えば, 生 み の親
を説
示す
る場 合, 父 とい うが如
し。 さ らに, 顕現
しない もの は知 覚され 一33
一プラマ ーナ ・ヴ ィ = シ ュ チ ャ ヤ (高麗行真 ) ない とい うこ とは,
因相
がない とい うこ とで もある か ら,現存す
るもの として の 言葉の 協 約は, 否 定される。 例 えば, 生みの 親では ない と説示する場 合に, 父で はない とい うが如 し。 それ ゆえに, 自か ら成就
するもの で は な くて, 一切
の もの は, (その ものの )自
性 と結 合し て成 就 し, 錯 乱は 他に見 られ な い の で あるか ら,現
量でない 量 は, 比 量で あ り, (そ れ 以外の )他の (量 は)全 く存
在 しないの である。他の人々 ( ・
Carvaka
)は, 現 量で は ない量, (す なわ ち, 比 量は)存在
しな い ,(
と主張す
る。)
(
しか し)
それは不合
理 であ
る。 なぜな ら, 「量と違っ た もの が 一般 的に成就
する ため に , そ し て, 異っ た知を認識
するため に , さらに,何
か あるもの を遮
遣する た め に も, 他 の 量(
す
なわ ち, 比量 )が 必ず存在す
る」(
II
)それは, 清 明な る
知
を認識す
る場 合に, 撞着
と無撞
着
とを識 別 して, い か に 説 示 する か とい う場合
,認
識する もの は無 錯 乱であ るべ きだか ら, た だ現
量の み が量
であ
っ て , 比 量は (量た り)
え ない , とい うその よう
な見解
を 主張する 者に とっ て , (相の )類 似を見 るこ とに よっ て, あるが ま まに 成 就 し て い る もの , 『 そ れは 比量の (対 象と) すべ きもの で は ない ,(
と主張 する だ ろ う)。 し か し, その ことを ま た,(
敵
者は)成 就 し て い ない から
,対境
を直接知覚
して説
示 す る場 合で も,清
明 なる知
が存在
しない とい う理由で, (そ の主張カ ミ)排
除 さ れ るばか りか, 量 或は量に非ざ るもの ともな らない し, そ れ等
自己の 相続
に ある,表
示 されるぺ き もの 以外
の もの に よ っ て ま た, これ ( 二自相
svalaksapa)
を他
の 人々 に伝達す
る こ とは不 可 能である か ら,論書
を(
述作
) しない ので ある。 もし,(
論 書 を )作
ろ うとす
れ ば,自
か らの見 解を自か らの 言葉
で嘲 笑
す る こ とにな る。他
の 人々 を通達
せ し め るた め に, 論書
を (述 作 ) し よ うとする場 合 に も, 比量が放 棄される, とい うの は不合
理であ
る。彼
の 比量が放 棄 され るの で あれば, (その論書
を作
ろ うとす
る)行為
は, 無 意味
な もの とな っ て し ま う 一34
一智山学報第三十一輯 だ ろ うか ら。
ま た, 身体その もの は, 心 (=認識 主
体
, と 同 一 の もの )で は な い。 その (身体
と心 とは 同一で あるとい うこ と)が成 就 するの で あれば, 心の 識 別 作用 に も疑
惑が生ずる か ら。 こ うし た こ とが, 他の もの に も関
係 する (認 識で ある とす
れば), 人々 は決
し て現
量 と して は 了解
し ない 。し か し, こうし た遮遣 する とい う (
働
き) が, ひ と り現
量に よっ てぽか り為
され る とは限らない 。 対象の (有す る)能力に依 存す るこ とに よっ て, 存 在 し ない ものが, そ の (現
量の )対 境と し て (存 在 する こ とは) 矛盾
してい る か ら。(
もし,対 象
の有す
る能 力
に)
依存
しない とすれ ば,遮
蔽 等の事 象と して生 起 する こ とに もな るか ら。r
敵
者 』遮離 す
る (とい うこ と)に よっ て, 現量は事物
の 無な るこ と を決択す
るとい うのか 。r
論 者』そ の ような (現量)は,存在
しない し, また, その (現
量 )に よっ て了 解さ れ る とい う (主 張 ), これ は(
論拠
が)薄弱
で ある。 遮離
する とい う, そ うい う場 合に , ど うし て 存在しない といわ れ るこ とに な るの か。 (な ぜ な ら,第
二 の 量に よっ て)
決択さ れ るこ とは ない か ら。 もし, (以上の よ うな 主張を) 容認 するの で あれ ば, そ れ と全 く同じ (知 覚される非存
在物
)は,知覚
さ れ な い存在
では ない か ら, そ の (知 覚の 非 存在 )は, その(
知覚
され ない存在)
に よっ て,事 物
の 非存
在の 因である。『
敵者
』(
彼
の 因が )無撞着
である場 合で も, そ の もの の 自性の うちに 錯乱
が観 察される か ら,(
その 因は )信 頼で きない もの で ある, とい うのか。r
論者
』さに あ らず。 その もの の
自性
を認識
しない か ら。 そし て, 自性と の結 合 関係が因相で あっ て , その (自
性 との 結 合 関係が存
在 する)場合
に は, 錯 乱は存
在しない の であ り, その (因と結合 した対 象
)が存在
しない の であ れ ば,自性
は存在
しない の である か ら。 すな わ ち, 「現 量 とい う場合に は, (そ れは )対 象を成立せ し めない とい うこ と で は決し て ない か ら, 量性た りうる の である。 そ して, その もの の 自 一35
一プ ラマ ーナ ・ヴィ ニ シ ュ チ ャ ヤ (高麗行真)
性
と結
合 関係
にあ
るも
の を因性
とし て い る場 合に は, (現
量 と比 量 との)二 (量
)
が妥 当
であ
る」(
III
)現
量は また , 対象
と無撞 着
な るもの で ある か ら, 量た りうるの であ
る。 無 撞着
な るもの はまた , その (対象
その もの )か ら生 起 する もの (atmaltibha
与
)
で あるか ら。 そ して,何
か ある他
の もの か らあ
る時
は生 じ,あ
る時は生 じない と い う, そ うい うこ とが, こ の よ うな場 合に , 必 ず 無撞着
であ
る とい うこ とは, 不合
理である か ら。r
敵老
』も し, 現量 が対 象 と無 撞 着で あ り, し か も,
対 象
が存
在しない 場 合,(知の対 象か らの生 起 ) 不 生 起 とい うこ とに よ るの で は な く, む し ろ, 対象
を観察す
るこ とに よ るの で は ない の か。『論
者
』対
象
を観 察す
る こ と, それは また, 対 象で もあ り, 決知で も あ る の か。 も し対 象で ある とい うの なら, 一切の対象
は現
量 で ある こ とになる か ら, 一 切の もの が 一切の もの に よ っ て観察
さ れ るこ とにな る。 また(
決
)知で ある とい うの な らど うし て 他の あるもの の(
知
の)存在
が, (対 象 との)結 合 関 係
な くし て ,他
に確実
に存
在 するこ とに な るの か。『
敵者
』観察
され るか ら, (対 象は) 現 存する もの とし て 成就
され るの か 。『論 者 』
観 察 する とい うこ とは, こ れが, どうして そ の もの で ある か , 過 失 を
検
討 し批 判 するこ とでは ない 。 しか も, そ の ため に (決)知
が存在
す ると い うこ とよ り, 対 象の存在
が要請
されるか ら, その知
との結
合 関 係が論究 され るべ きで ある 。 そ して , 果 ( =作 用 )と自性 との 因に よ り比 量 と 同一 の もの であ
る か ら とい うこ とで, (そ の )比量が量 とし て の相を具 足 し て い ない と い う の で はない 。この揚
合
, 「現量は, 分 別を離
れ, 錯 乱な きもの で ある」(
IV1
)翳
眩 ・速旋
・航行
・ 惑乱
な どに よ っ て,錯乱
されるこ との ない無分
別 なる智
一36
一智山学報第三十一輯 が現量で ある。 し か るに , その 分別 とは , い か なる もの であるの か。 「分 別 とは, 言 説 (と結 合 するこ とが可能 な影
像
を有 する) 知で ある」 (IV3
)分
別 とは, 言 説と結びつ く可能 性の ある影像
を持つ 知であ り, そ れ (一現量 〉 とは, 無 関 係の もの で ある。根智
に は, その(
分
別 )は存
在しない 。 「対 象の もっ て い る能 力に よっ て , (根智
が)生起
する か ら」(
IV3
)ど うし て対
象
の持
っ て い る能
力に よっ て (根智
が)生 起 するのか とい うと, た だ その もの の形 体 (tadrUpam )の みを模
倣す るか ら。 い か なる もの に よっ て, 彼 (の対象)
が顕 現する か とい うと, そ れは,顕現
する であ
ろ う対 象
に は言葉
が (結合 して )い る の で は あるが, し か し, その もの の自
性で はない 。 こ の知
覚
の特
性(
sa 甲 vedanadharm碑
, 即ち,根智
の特
性)
は, 対 象 と必 ず接
触 する とい うことである。 その(
根智)
は,対
象と常
に結
合して い るか ら。 そ して, それ ゆ えに また, 諸の対象
は, 認 識され ない とい う過 失に な るか ら。 そ れ ゆ え. こ の (根)が, (対 象と)接触 し て (根)智
が 生起
する場合, (その対 象の ) 自 性でない もの は存在
しない とい うの であ
れば,(
根智
の)
不生起
が,前 提
とし て知覚
され るの で は ない。 例 えば, 味な どが別 個に (存
在しない) よう
に 。 そ の (対 象が有 する)能 力に よっ て生起 する(根)智
は また, 他の対 象に随 入 し ない 。 例 えぽ,味覚
等の 如 く。 その (対 象の ) 自性に適
合し た名称
で あろ う と も, 根とは別 な智が 生起 する とい うこ とは 不可能
である か ら。 そし て, 必ず
過失
が随伴す
るか ら,妄分
別す
る働 き
は,(
前
五識
で はな くて)
意識 (
manovijfifi ・ nam )で ある。 対 象の有
す る能
力に は親 近す るが, (そ れ に )依 存 するこ と な く 妄 分 別の習 気に よっ て生超 するもの を, 不確 実 なる根の 対 象とし て認 識 するこ とは, 何かあ
る知覚
と結合 する た めぼか りか, 同時
に別 個の もの として認識
さ れるこ とに もなる か ら。更
に , −37
一プラマ ーナ ・ ヴ ィ ニ シ ュ チ ャ ヤ (高麗行 真) 「もし
根智
が, 言葉
を伴
っ て結合
して い る記憶
に依存
して い るの であ
れ ば, 対 象の作用
があ
るにも
か か わ らず, その対象
は遮
遣さ れ るであ
ろ う」 (V
)なぜな ら,
世
間 的言 葉の 協 約でな りた っ てい る時に,熏
習 された 言説と共 通 の もの が記憶
されず, しか も, その (対 象 ) との結 合 関 係 も存在
しない か ら。 例え ぽ, (その対 象
と結
合す るこ とが可 能な) 他の言葉の如し。 対 象に 親 近 す るこ とに よ っ て作
用 する内
的な転変
(vikara )か ら覚
醒 するこ ともな く, 限定
された (特
定の ) 言葉
を記憶
する こ とは, 不 合理 である。 その (言葉 の記 憶 ) が, そ の よ うな働 き
に よっ て (生起し)ない ので あれば, その もの の名言を把 、捉
しない とい う過 失に落ち入るか ら。 こ の よ うな 場 合に は, 記 憶 する とい うこ と が障 礙 となる か ら,対
象に親
近 する無
間ec作
用 する果 とは な らない だ ろ う。 その ため に, 「先
に (根)智
が生 起 し て いない 限 りは, (ある対 象に) 親近 し て い る特定
の もの は存在
しない か ら, それは, その後
に (認 識 )さ れ る」 (Vli
)(もの の) 自性に は 差 別が存在 しない た め に , (対 象の 有 す る)能 力 に も 差 別が存 在 しない か ら, 同 一 の ものにつ い て, ある時に は作用 が あ り, (またあ る
時
に は)作
用が ない とい うこ とはない だろ う。 「そ うい っ た場 合,対象
が損害
さ れて い ない とすれぽ, 眼の智
とな る だろ う」 (VI2
)対象
を(
現証
す る) 智に , 事 物が親近 し てい ない か ら。 そ し て, 記 憶が回復 し た時
に は, (対象
と)結 合 する か ら, (根 )智
は無 益(
すな わ ち, 影響
力がな 一38
一智 山学報第三十一輯 い
)
の で あ り , その (根 智 )が存 在 する とし て も, (根智
に は )依存
し な い 。対 象
に親近す
る こ とに よっ て (根
)智
が生起
するの であ
れぽ, 言葉
を記
1憶
する とい う (働 き)
は止ん で しま うか ら,現
量は分
別を離
れ た もの で ある, とい う こ とが成就
する。 さ らに ,「限定 するもの (vi6e §analp )と限 定される もの (vi ≦eeyam
)
との結
合関係を, 世 法上 の
慣
例 とし て 了解 する。 す なわち, (ある限 定 さ れ た もの の 自性と)結 合 する こ とに よっ て, そ れが他
の もの(
す
なわ ち, 根智
に 起 因するもの )ではない , と了解 する 」(
VII
)
限定 す る もの と限 定され る もの, こ の (両者の )結 合 関係 と, 世 間に 安立 さ れてい る (慣 例 )とを認 識 する場 合, そ の (限
定
された もの の自性
と)結合
す るこ と に よ り認識
されるもの は全て, い か なるもの で あろ うと, 限定 されるも の とし て了解
され るの で ある。 例 えば,杖
を持
っ てい る人達
の如
し。対象
との結 合関係
と,言
説の安
立 とカミ認識 され ない場 合, (智は生起 )しない の で あ る か ら, (ま し てや)
他の(
方法
な ど)はあ
りえ ない 。 種 (jati
)・ 徳 (gurpa
)・業
(kriya
)と倶 なるもの は, こ の (現
量,す
なわ ち,根智 )
に は全 く存在
しない 。 限 定されたある もの の 自性 と結 合 し てい るもの 等が顕 現 しない た めに , (そ の ) 結 合 関 係は不 合理である か ら。 そ し て, その よ うな認 識 も存 在しない か ら。 例 え ば, 水 と乳
との如
し。 限定
さ れ た もの と して認識
され るこ とが ある, そ うい う場合
に は, その もの との (結
合関係)
もま た,認
識 されるこ とに なる。 「前 後 関 係とい う認 識か ら離 れて い る眼識に お い て, その よ うな (認識
) とは, 一体 , 世 間的言葉
の協
約を記憶
する こ とを前提 とし て い る のか , それとも, もの の自性
に合致
してい る知覚
な の であ
る の か, (その )ど ち ら なの であ
る か」(
VIII
)
一39
一プラマ ーナ ・ ヴ ィ ニ シ = チ ャ ヤ (高麗行真)
どうし て, この (
現
量 )に, 既 述 し た能 力が存在 しない の か とい う と,(
そ れ は, )対境
た る対
象に親近
して (得
た)力
に よっ て(
智
が)
生起す
る場合
で も,伺察 (
vic 訌ra)
がない か ら。 もし伺察
があるとす れば, 意識 (manovijfiana ) と (前五 の )根 智 とに は相 違が ない とい う矛 盾にな る か ら。 もし (両 者に )相 違が存
在しない とす れ ぽ, 過 去 と未
来との事物
を識
別 して, 把 捉 した り把 捉 し なか っ た り,推
量 した り推
量 しなか っ た り, 或は 対 象の存在
に依 存した り依存
しなか っ た りする とい う矛盾に落
ち 入 るだろ う。『敵 者』
意 識に よっ て造 作さ れ る (abhisarpskTta )場合で も,
根智
に よ っ て把捉 され るとい うの か。『論 者』
さに あらず。 すで に (根智に つ い て は)論 述 し た よ うに , (
根 智
は もの を)把 捉 するもの で はない の で, その よ うな 了解
は不合理 である。 そ し て, 対境
では ない もの に (智
が)働 くこ とはない か ら。 すな わ ち, 種 (jati
)等
や 結 合 関 係 や過 去 や 言葉
の協 約 等々 は , 根智
の対 象
で はない か ら。 それ ゆ えに,根智
は , 対 象 と (互い に ) 結合 し て い る諸の 分 別に属
す るもの で は ない 。 「それが,分
別を (生 起せ しめ る もの で ある)か ら, (その 分 別 が) 混 濁して い て, しかも,欲望
に よ っ て退転
し てい る場合
に は , 親 近 す る対 象に , 智は依存
しない 」(
IXi
)さ らに , これが 限
定
す る もの 等の分
別に よっ て混 濁 し て い る な らぽ, 複 合 因 が働
い てい るか, 欲 望に よっ て, 退 転 して い る こ と なるだろ う。 例えば, そ れ とは別な分
別 の如
し。 諸の分
別は, 簡 択 力に よっ て退 転 してい る能
力で はあっ て も,根智
で は ない 。 複 合 因が (働い て い る)場 合に ,牛
とい う知 を排 除し て馬
と簡択
するの であ り, (それ こそ が ま さに )牛
と知覚
する こ とで もある か ら。 こ の (知 )は,親近す
る対 象
にも依存す
るこ とはないだ ろ う。牛
な どの簡択
は, 親 近す る対 象か ら生起 す る もの で はない か ら。 一40
一智 山学報 第三 十一輯 「
r
敵 者』こ れと同じこ と (すな わち, “ これは 牛で
あ
る” , とい う 知 ) が, 他に ど うして存在
しないの か」(
IX2
)
“ これは牛で ある”, とい う (知 )が, (対 象に )親 近 し て い ない場 合 に は, ど う して 生起
しない の か とい う と, 我々 が (主 張 する)現 量 もまた, それ と同 じ (“ これは牛である” , とい う知 )で あ り, 親 近 してい る 対象を決定付
け る相 を有 するもの で ある か ら, とい うの か 。『
論
者』 そ の ような こ とはあ りえ ない 。 なぜな ら, 「それ は,根
に作
用する対象
で は ない か ら。 し か し,何
も存在
しない , す なわ ち, 限定 するもの が存
在しない 場 合で も, (対 象 との )接 触があ るた めに ,智
が その ような場 合に生 起 するこ と もあるだ ろ う」(
X1
)根
に作
用す
る とい う対境
で はない (その よ うな)対象
である か ら, そ れが根智
を生起
させ ると して も, (対 象
が)存
在 しない のに , ど うし て限 定す る もの が存
在 するとい うのか。 そ の(
対 象
の有す
る)能
力は, そ れゆえに 事物
に対 し て一切 時に 遮離し て い るの であるが, (そ れが)相続 す るこ とに よっ て , (対 象 に ) 親 近して い るの で あれば, (そ れは)過 去の知 覚で もある か ら。 そ れ ゆえ, 対 境 とは な ら ない とい うこ と, す な わ ち, 限定す る もの が存在しない場 合でも, (対象
との)接
触に よ り, “ これは瓶
である”, と認 識す るこ とがあるか ら, こ れが現量 と倶なるもの であるとい うの は, 不合 理であ
る。 「『敵者
』ど う して(
対象
との)接触
, そ れ が実在 物
(dravya
)で あ る の か 」(
X2
)
そ うで は ない 。 実 在 物は (対 象との )接 触に よるの で
あ
るか ら, (対象
と)接
触
し て実在物
を把捉す
る という
の か。 一41
一プ ラV ・一ナ ・ヴィ ニ シ ュ チ ャヤ (高麗行真)
「『
論者
』そ うで は ない 。 ‘‘ これは水 瓶で ある” , と知
覚
す る場 合 に顕 色が顕
現
す るか ら」(
Xli
)“ これ は水 瓶である”, とい う
智
が, 根 との接
触に よ り生起
す る の は不 合理であ
る。 こ の よ うに ( “ これは水瓶である”)と思 惟する場 合に は,顕
色が顕 現す る か ら。 それ ゆえ, こ の記憶
の妄分別
とい うこ とは, 色 と接触
し て (生起 する もの す なわち,前
五)識
の因
で ある意
(manas )で ある。 一 っ つ く一 註記 : Dharmakirti の研 究につ い て は, 現在多 くの研 究成果が発表されて お り, ここ に和訳し たPramEpavinigcaya
に して も 同様の こ とが言 え る。 その成果につ い て は, 拙訳 「プラマ ーナ ・ヴ ィ ニ シ ュ チ ャ ヤ 現量章和 訳」 智山報学 第二十六輯 p.50
以下に述べ た とお りである が, その後も続々 と研 究成果が発表されてい るので, その主な ものをこ こに紹介 する こ とにする。
Ernst
Steinke11ner
. (1
)Dharmakirti
’sPramanavini6caya
車.Zweites
Kapite1
;Svfir
−thinurn巨nam .
Teil
I
。tibetischer
text und sanskrittexte .Teil
H
. tibersetzutng und anmerkungen .6st
.AK
. phi1.−hist
.KL
.287
/4
,358
.Wien
.1979
..
Wirklichkeit
undBegriff
bei
Dharmakirt
量.WZKSA
.Band
。XV
,1971
. ss.179
−
211
.(
3
)New
Sanskrit
−Firagments
ofPramti
寧aviniScayall ,First
Chapter
.WZKSA
,Band
XVI
.1972
, ss.199
−206
.(4)
Miszellen
zurErkenntnistheoretische
−Logischen
Schule
des
Buddhismus
.WZK
・SA
.Band
XXIIr
.lg7g
. 戸崎宏正著 「仏教 認識論の研究 一 法称著r
プ ラマ ーナ ・ヴァ ール テ ィ カ』の現量論一」 大東 出版 社 昭和54
年 木 村俊彦著 「ダル マ キール テ ィ宗教哲学の 原典研究 〔付 ・ ダル モ ー ッ タ ラ釈 『ニ ヤ ーヤ ・ ビ ン ド ゥ』和訳〕」 木耳社 昭和56
年 今回 は紙数の都合で,T
.Vetter
,E
.Steinkellner
両教授に よっ て指摘された サ ン ス ク リッ ト断片を転載するだけに止め, その他の註記は省略 した。(1)
hitahitapraptipariharayor
niyamena samyagjfifinapUrurvakatvad avidfiSa皿 tadvyu −tpadan5rtham 〔
pram
御avini6cayapra 孕ayanam 〕.(K5s
.I
p
.102
,13
)
igm\eeig=-t-pt
・(pt na
hy
abhyam arthaip paricchidya pravartamano' rthakriyayirp visarTivSdyate.
(kEs.
Ip.
101,
23:
beddarS.
p.
33,
12:
HBT
p.
40,
Iat):TBV
p.
468,18)
(3)
prama4asya sato' traivantarbhfivaddve
eva pramape.(TBV
p.59o,
11)
-(D pratyakFam anuminaqi ca pramipe sadlgfitmana/apratyaksasya sarpbandhad
yatab pratipattitaljf(NR p.
410,
5)
・(ol
dvividho
hy
arthab pratyaksaS ca paroksag ca/tatra yojfianapratibhssarp
<sva->
anvayavyatirekav anukarayati.(NVTT
p.158,
12+TBV
p.524,
24)
・(6)
Vgl.
NVTT
p.158,
16
: paroksas tubuddhau
saksEtrahito' yuktapratipattireva/na canyadardane' nyakalpana
(
!
)
yukta,gat/nantariyakatayfi tv anyo' py ayarp gamayet/sa
hi
pratibaddhasvabhEvothividhah siddhas, tathaviddhasamnidh5nam sacayati.
<7)
dvividha
evirthalj pratyakEah paroksag ca. tatra yojfiEnapratibhfisam
yatirekfivfitmano' nukarayati, sa pratyaksalj.tad asfidhEra4arp vasturifparp
sva--*
lak\anam.
anyas tu・-・・・- s5ksat svabhEvopadhanastimarthyarahito' yuktapratipattireva. na canyadargane' nyakalpana yukta, atiprasafigtit. tasya nintariyakatayfi syat.
sa
hi
pratibaddhasvabhivo yathaviddhasiddhas tath5viddhasannidhfinarp sifcayati.s5manyena ca svasambandhino' rthasya pramtipe, anyata pratipattyayogat.
"
buddhau
NVTT,
Tib
(NBhfip
381,
8-13
,WZKSA
XVI.
201,
2-9)
'(8)
pramopetarasfimfinyasthiteranyadhiyfirTi gateb/pramfi4Entarasadbhavab
dhac
cakasyacitl
(SVR
p. 268,9:
PMi
p. 14, 14)<9)
sakhalu
pratyaksarp pram5parp nEnumanamiti
bruvanab
k5s5rpcid
<jfiana->
ktinarli
prau!ttau saipvadrpvisarpvEdarp
oopalabhya tallakeaparpvyaptyakathayed
yathopadeSarp
pravartaminasyEyipralambh5rtham, tad yathadTstasEdharmyfit
tathapras5dhitam anumeyatarp natipatti.
(TSP
p.781,
4)
cu
arthasyfisamqhave' pi pramanati/pratibaddhasvabhavasya taddhetutve samaip
dvayam-
(TBV
p. 17,9;
73,
'1;555,1;
PMi
p.14.
16:TSP
p.775,
27)
aD
pratyaksarpkalpantipodham
abhrintamnfihitavibhramam avikalpakarp
jnVanarp
pratyaksam.(NBhfis
177, 4 ; 178,3--4
:
WZKSA
XVL
201,
11-13)
'za abhilApani/pratitih
kalpana
abhiltipasarpsargayogyapratibhasE pratitilkalpana.
(NBhas
176,
19-2o
:WZKA
XVI.
201,
15-16)
pm
tatrapratyakfiarp
kalpanEpodham
abhrantamdyanahitavibhramam
avikalpakar!ijfianarTi
pratyaksam.ka
pdnab
sEkalpana
?
pratitib
kalpanfi
-43-fyv-
v-
・er
n = c/en sF vv
(Kes
fi#)
abhilipasaTpsargayogyapratibhssa pratitilj
kalpanlj
;tay5 rahitam.indriyajfiane
sasti arthasya samarthyena samudbhavtitftad
dhy
arthasyanarp tadriipam
gv5nukuryat.
mahy
artheshbdalj
santi taditmano vE, yena tasminpratibhtisarnanete'pi pratibhaseran,na cayam arthasarpspargi sar;ivedanadharmah,
arthesu tanniyojanat, tato, py arthapratipattiprasafigEt.
(Rekonstruktion
ausSVR
p.
23,8;
SVT
p.91,
6:
Anak.
I
p.135,
27;
SVT
p.90,
16; Anek.I
p.
136,
10.
Vgl.
NVTT
p.133,
20f.;134,
13.
undNB
cap.L)
*
adi
arthasya sEmarthyena samudbhavatl ..,... arthasarnarthyenotpadyamEnarppam evinukuryat. na
hy
arthedabdab
santi tadatmano vi, yena tasmin** *** ****
samane・・・・・・pratibhaser'an. na cayam arth5sarpsparSi sarpvedanadharmab, arthesu
tanniyojanat, tat' rthfinfim apratitiprasafigat. tasmgd ayam upanipatya vijfianarli
Janayan...,
' tad
dhy
SVT.
** te' piSVT.
'*" -sparSa-NBhfis.
**** -dharmaNBhtts.
*****
Bhfisarvajfia
concludes the sententencein
his
own werds.(NBhfis
178,
19t-179,
1
:WZKSA
XVI.
201
19-23)
as
arthopayoge'pi
pu'nah
smErtarpSabdtinyojanam
/
aksadhir yady apekseta so' rthovyavahito
bhavet-(NM
p.92,
23:NVTT
p.136,
21:TBV p. 525,3:
SVT
p.
91,
23)
aol
yah prtigajanakobuddher
upayogavigesatab/sa
pagcad api tena syad arthtipaye'pi netradhih-(NM p.92, 19:NVTT p. 137, 1u.
6:
TBV
p.525,
10:
SVT
p.
43,9)
.*
a7)
ntipi tadbalenodiyaminarp vijfiinam arthintararp yuktam, rasadijfianavat. sato'pi
tad5tmanaindriyantarajfianotpattav
asnmarthyad atiprasafigac ca. vikalpakarp tu**
manovijfiinam. artha sannidhanEnapeksarp vikalpavfisanotthEpitam
thagrEhi
ktttagcid
anubhavasambhandhtit saha p;thag va glhpiyat. api caarthepayoge' pi punalj smtirtarp
Sabdanuyojanam
/
aksadhir yady apekseta so'rtho vyavahito
na
hi
sarpketakalabhEvinam abhilapasimEnyam asmaratas tadyojana sambhavati.gqbdEntaravat.
na cdrth5bhipatak;te'satydntare
vikare SabdaviSese smTtir yukta,***
ta$yatatk!tatvetannEma grahapaprasafigEt.tat smTtya vyivadh5ntin ntirthopayogo
'nantaravyaparaphalalj
syfit. tatagca
yab prEg ajanako
buddher
upayogivigesatalj/sa pasiAd apisyat. atmEbhodena sEmarthyavigeEan naikasyaikatra
kriyakriye
sambhavatab.tena sytid arthfipaye 'pi
arthasya siksad
buddhfiv
anupayogat sm;tiprahodhe copayuktatvanripo
buddhir
bhivam
apekseta. arthfibhipatak;te cabuddhijanmany
igm\wee=--f--pt
yantarabhEvat.
*
Tib.
rjes suhbrah
ba
ma yin te '"Tib.
don
gyi nus pa would
be
.
Ia-.
*'"-nfima-NBhUs.(NBhas.
179, 2-17 :WZKSA
XVI.
201,
25-202,
11)
t
,aS viSesaparp viSesyaip ca sambandharp
laukikiip
sthitim/g;hitvE sarpkalayyaitat
(!)
tathA pratyetin5nyath5f
PV
III,
145
(NM
p.93,
3:
NVTT
p.
137,9;
TBV
p.515,
1; 525, 14;SVT
p.37,
23)
・asiVgl.
PV
III,
146a
・pm saipketasmararpop5yarp
drstasarTikalan5tmakam/pfirvEparaparfimargaSfinye
tac
ksuse
katham
fPV
III,
174(TBV
p. 515, 5)t-QD
gakyante
hi
kalpanab
pratisaipkhyfinabalena nivartayitum.(NVV
p.169,
7)
ua
vigesaparp vigesyarp ca sambandhaTplaukikim
sthitim/
gThitva
sahkalayyaitat tatha pratyetinanyathti1
kirpcit
kenacid
viSistaqi g;hyama4atp*
titau tatsafikalanena g;hyate
da]
gyadivat.
nfinyathfi,vasthaparijfifine 'bhavfit.
jatigupakriyfivatam
etan na sambhavaty eva,sambandhayor apratibhEsanena
ghavanfiyogEt,
ksirodakavad
atadvedini. yatrfipivi・vekapratipattir asti, tasyapi grahanam.
.
safiketasmaranopfiyam
drstasahkalanAtmakam
/
-
-l
ptirviparaparEmarSaStinyetac caksuse
**
na
hidam
iyato
vytiptiratkartuip
samartham, sarpnihitavisayabalenotpanne
katvat,
victirakatve cendriyarnanojfianayor abhedaprasafigat. abhedevastuprabhedagrahap5grahapehfinaharthabhavtipeksanapekFadiprasafigab.
***
nabhisamskrtam
indriyajfianam
pratyeti cet, na, yathoktagrahinas tathapravrtty-- - -
****
yogfit,avisaye 'prav;tteh,
jatyadisambandhatitaSabdavyavaharadinam
viFayatvfit. tasman nendriyajfiEnam arthasarpyojanarp
kalpanfim
avigati.*****
vikalpotthapita sa ca ni vartetecchaya matib/
narthasamnidhim ikseta
-
******
.apiceyarp vigesapadivikalpotthapitE sati pravTttapisamagrasfimargri
kasya
punar*******
chaya nivarteta tadanyavikalpavat.
Sakyante
hi
kalpanih
pratisafikhyfinena.
yitum, nendriyabuddhayah. samagrisEkalye vinivartya gobuddhim agvam api
ny
payato godarSantit.napiyam arthasamnidhim ikseta,na
hi
gavEdivikalpo- -
nidhfiv eva
bhavati.
"
dapd5-NBhas.
"*The
variant of the pratika yul fiebabi
(Dh
65b6)
thus
is
be
prefered
toTib.
yul gyidon
fiebahi.
***Tib.
rtogspa
wrongly.
tes-pratipatti-. **** -jfifina-.
NBhas
***** naNBhfis.
******kasyapunarhasno equivalent
in
Tib.
******* so sorbrtags
pasTib.
andNVV
:-45-プラマ ーナ ・ヴィ ニ シ ュ チ ャ ヤ (高麗 行真) nena