最
近
の
天
壽
國
問
題
に
就
い
て
大
屋
徳
城
一 天 壽 國 と は 聖 徳 太 子 の 往 生 し 給 ひ し 浮 土 の 名 で あ る、 天 壽 囲 繍 張 の 銘 に、 ム ナ シナ リ ノ ミ レ ナ リ 下 ヲ 我 大 王 所レ 告、 世 間 虚 假、 唯 佛 是 眞、 玩 味 二其 法一、 謂 我 大 王 癒レ 生 二於 天 壽 國 之 中 一。 と あ る も の で、 之 に 就 い て、 古 來 種 々 の 解 繹 が あ る。 何 と な れ ば、 天 壽 國 と い ふ 浮 土 の 名 は 佛 典 に 所 見 な く、 其 指 示 す る 所 が 判 然 と し な い か ら で あ る。 或 は 阿 彌 陀 佛 の 西 方 極 樂 浮 土 と し、 或 は 彌 勒 菩 薩 の 兜 率 天 と 解 繹 す る。 夫 等 の 詳 か な る こ と は か つ て 余 が 雑 誌 ﹃ 宗 教 研 究 ﹄ に 載 せ た 天 壽 國 繍 張 孜 に 述 べ た 通 り で あ る か ら、 此 に 繰 返 さ ぬ で あ ら う。 最 近 に は 拙 著 ﹃寧 樂 佛 教 史 論 ﹄ の 第 二 章 寧 樂 佛 教 の 源 流、 第 三 節 聖 徳 太 子 の 浮 士 に 詳 述 し て あ る。 然 る に、 最 近 に 至 つ て、 天 壽 國 の 解 繹 に 關 し、 二 つ の 説 が 出 た。 説 其 物 と し て は 別 に 珍 し い も の で は な い が、 一 は 其 資 料 が 新 出 の も の で あ る 爲 め、 他 は 論 者 が 自 ら 稽 も て 新 読 ( 其 實 は 藷 説 に 過 ぎ な い が ) と 構 す る 爲 め、 一 磨 之 を 検 討 し て、 其 安 當 な り や 否 や を 批 判 し て み た い と 思 ふ の で あ る。 爾 説 と は 常 盤 大 定 傅 士 が 三 井 家 所 藏 の 敦 焼 出 華 嚴 経 の 識 語 を 根 嫁 と し て 立 て ら れ た、 天 壽 國 は 西 方 極 樂 世 界 な り と い ふ 御 高 説 で、 管 見 の 及 ぶ 限 り で は、 ﹃ 佛 教 考 古 學 講 座 ﹄ 第 一 巻 昭 和 十 一 年 三 月 十 日 刊 行 に 牧 む る ﹁ 大 藏 経 概 説 ﹂ の 九 軍 行 本 の 部 最 近 の 天 壽 國 問 題 に 歳 い て 三 七最 近 の 天 壽 國 問 題 に 就 い て 三 八 五 七 ・ 五 八 五 九 頁 と、 同 博 士 の 高 著 ﹃ 支 那 佛 教 の 研 究 ﹄ に 牧 む る ﹁ 天 壽 國 に つ い て ﹂ と い ふ 文 に 出 て 居 る 説 が 其 一 で あ り、 吹 は 大 阪 毎 日 新 聞 の 昭 和 十 三 年 十 二 月 二 十 日 か ら、 二 十 一、 二 十 二、 二 十 三 の 四 日 に 亙 つ て 掲 載 さ れ た 青 木 茂 作 と い ふ 方 の ﹁ 天 壽 國 曼 茶 羅 の 新 研 究 ﹂ で、 夫 れ に は 天 壽 國 は 阿 閾 佛 の 浮 土 な る 妙 喜 世 界 な り と い ふ お 説 が 述 べ て あ る。 こ れ が 其 二 で あ る。 先 づ 常 盤 博 士 の 御 高 説 か ら 紹 介 致 す で あ ら う。 二 ﹃ 佛 教 考 古 學 講 座 ﹄ の ﹁ 大 藏 経 概 説 ﹂ の 九 輩 行 本 の 條 に は、 刻 藏 に 至 る ま で の 窮 経 と 及 び 藏 経 未 牧 の 輩 行 本 の 上 に、 種 々 の 鮎 に 於 い て、 興 味 多 い も の が あ る と い つ て、 爲 経 の 題 識 の 上 に 重 要 な 嚢 見 が あ る 事 に つ い て、 二 つ の 例 を 霧 け て あ る が、 二 つ の 中 の 一 つ が 華 嚴 経 の 識 語 で あ る。 左 に 原 文 を 引 か う。 そ の 一 つ は、 日 本 在 來 問 題 と せ ら れ て 居 る 天 壽 國 曼 茶 羅 の、 天 壽 國 の 用 例 を 寡 経 の 欺 識 に 見 出 し た 事 で あ る。 そ は 三 井 家 所 藏 の ﹁ 華 嚴 経 ﹂ 第 四 十 六 の 奥 書 で あ る。 こ の 経 は 北 魏 延 昌 二 年 ( 五 一 三 ) 筆 爲 の も の が あ る が、 之 に 加 へ た 奥 書 は 階 の 開 皇 三 年 ( 五 八 三 ) の も の. で あ つ て そ れ に は 此 の 如 く あ る。 大 晴 開 皇 三 年、 歳 在 癸 卯 五 月 十 五 日、 武 侯 帥 都 督 前 治 會 稽 縣 令 宋 紹 演、 因 レ遭 二母 喪一、 苧 私 治 服、 獲 願 讃 華 嚴 輕 一 部、 大 集 纏 一 部 法 華 経一 部、 金 光 明 輕 一 部、 仁 王 纏 一 部、 葵 師 纏 珊 九 遍、 願 國 主 興 隆、 入 表 蹄 レ 一、 兵 甲 休 息、 又 願 亡 父 母、 託 生 西 方 天 壽 國、 常 聞 正 法、 己 身 幅 慶 從 心、 遇 二 善 知 識 旧 家 春 大 小 康 膣、 一 切 含 生、 普 蒙 斯 願。 開 皇 三 年 は、 聖 徳 太 子 十 歳 の 時 で、 會 稽 縣 は 本 邦 と 最 も 近 く 往 來 に 最 も 便 な 呉 越 地 方 で あ る か ら、 こ の 文 書 は 我 が 天 壽 國 曼 茶 羅 の 何 で あ る か を 保 謹 す る も の と し て、 此 の 上 も な い 資 料 で あ る。 こ の 天 壽 國 は、 西 方 と あ る 以 王 は、
西 方 浮 土 で あ る 事 に 於 て、 些 の 疑 惑 を 挿 む べ き で な い.、 或 は 之 を 元 壽 と 讃 ま ん と す る も の も あ る が、 こ れ は 矢 張 天 壽 で よ い の で あ る。 唯 天 壽 と い ふ 様 な 妙 な 用 例 が、 他 に 見 ら れ ぬ 所 か ら、 種 々 の 説 が 起 つ た の で あ つ た が、 今 や 呉 越 地 方 に 而 も 太 子 と 同 代 に 用 ひ ら れ て 居 る 例 が あ る 以 上 は、 こ の 曼 茶 羅 に 於 て 初 め て 使 用 さ れ た も の で な い 事 が 明 瞭 と な り、 而 も 西 方 浄 土 な る 事 が 詮 明 せ ら れ る の で あ る。 聖 徳 太 子 は ﹁ 維 摩 経 義 疏 ﹂ の 中 に、 ﹁ 無 量 壽 経 ﹂ の 唯 除 五 逆 誹 講 正 法 の 二 句 を 引 謹 せ ら れ て あ る。 こ の 二 句 は、 四 十 八 願 中 の 最 も 重 要 な 第 十 八 願 の 終 り に 附 随 せ ら れ て 居 る。 所 謂 繹 奪 の 抑 止 と い ふ も の で あ る か ら、 太 子 が 是 等 二 句 に 注 目 せ ら れ て 居 る と い ふ 事 は、 や が て 第 十 八 願 に 留 意 せ ら れ て 居 る 事 を 示 す の で あ つ て、 こ の 鮎 か ら 見 る も、 西 方 浮 土 が 太 子 の 願 求 と な る べ く 當 然 の 因 縁 を 有 す る。 こ の 天 壽 國 は 古 來 の 問 題 で あ る の で、 一 暦 之 に 背 景 を 與 へ ん と し て、 北 魏 よ り 北 齊 ・ 北 周 ・ 梁 ・ 階 に 至 る ま で の 造 像 銘 文 の 中 か ら、 明 白 な 往 生 信 仰 の 見 え る も の を 選 出 し て、 五 十 六 個 を 得 た。 中 に 於 て 西 方 往 生 の 明 白 な る も の 二 十 七、 上 天 信 仰 の 明 白 な る も の 十 五、 そ の 他 は 爾 者 の 結 合 せ る も の で あ つ て、 西 方 信 仰 が 最 も 多 い。 西 方 信 仰 の 表 白 と し て、 往 生 西 方 妙 樂 國 土 と い ふ が 十 三 ま で あ り、 ま た 往 生 西 方 妙 洛 國 土 と い ふ も あ り、 託 生 西 方 妙 洛 世 界 と い ふ も あ り、 軍 に 往 生 西 方 と い, 即 も あ り、 往 生 妙 樂 と い ふ も あ り、 外 に 往 生 西 方 妙 樂 國 と い ふ も あ り、 往 生 妙 樂 國 と い ふ も あ り。 遊 紳 西 方 浮 佛 國 土 と い ふ も あ り、 常 登 安 樂 と い ふ も あ り、 又 軍 に 往 生 浮 土 と い ふ も あ り 心 蓮 花 化 生 と い ふ も あ る。 是 等 を 綜 合 し 來 る と、 六 朝 時 代 に 於 け る 信 仰 の 最 も 普 及 し た も の が、 西 方 に あ る 事 を 知 ら し め る。 而 し て 又、 か の 開 皇 三 年 の 奥 書 の 末 文 と、 頗 る よ く 文 句 の 類 似 せ る も の す ら あ る。 師 ち 次 の 二 個 で あ る。 託 生 西 方 妙 樂 世 界、 不 遙 三 塗、 値 佛 聞 法、 一 切 衆 生、 感 同 斯 稲-東 魏 天 平 四 年 ( 五 三 七 ) 最 近 の 天 壽 國 澗 題 に 就 い て 三 九
最 近 の 天 壽 國 問 題 に 就 い て 四 〇 往 生 西 方 妙 樂 國 土、 生 生 世 世、 値 佛 聞 法、 又 願 天。 丁 太 平、 居 家 春 属、 皆 同 蛙 砺-果 魏 武 定 元 年 ( 五 四 三 ) 西 方 天 壽 國 と、 西 方 妙 樂 國 土 叉 は 西 方 妙 樂 世 界 と、 文 字 上 の 相 違 は あ る が、 内 容 は 同 一 で、 而 も 文 の 構 造 と い ひ、 彼 此 同 一 と い ふ ま で に 類 似 し て 居 る。 こ れ に ょ つ て、 太 子 時 代 に 於 け る、 大 陸 の 信 仰 一 般 が 西 方 に あ り、 而 も 天 壽 國 と 書 い て 居 る も の も あ る と い 瀞 に 至 つ て は、 我 が 天 壽 國 を 以 て、 西 方 妙 樂 國 土 で あ る と 断 じ て、 決 し て 誤 り は な い と 思 ふ。 こ れ 實 に 爲 経 の 欺 識 か ら 得 た 知 識 で あ つ て、 窟 経 の 興 味 の 一 は か ゝ る 所 に も あ る。 ﹃ 支 那 佛 教 の 研 究 ﹄ に 牧 む る ﹁ 天 壽 國 に つ い て ﹂ の } 文 も 大 罷 右 と 同 趣 意 で あ り、 殊 に 其 論 嫁 と な つ 池 資 料 は 全 く 右 に 引 く 華 嚴 経 の 識 語 で あ る。 伍 つ て、 長 文 に 亙 る か ら、 此 に は 其 文 を 引 か ぬ で あ ら う。 三 楮 て、 常 盤 榑 士 の 主 張 は 天 壽 國 は 阿 彌 陀 佛 の 極 樂 世 界 で あ る と い ふ。 其 根 檬 は 維 摩 経 義 疏 に 無 量 壽 経 の 十 八 願 の 終 に あ る 唯 除 五 逆、 誹 誘 正 法 の 句 を 引 用 す る こ と、 支 那 の 北 魏 よ り 階 に 至 る 造 像 銘 中 明 に 往 生 信 仰 を 述 べ た も の が、 五 十 六 あ る が、 其 中 明 に 西 方 往 生 を 述 べ た も の が 二 十 七 あ. る。 か く も 多 歎 に 西 方 往 生 を 説 く 以 上、 西 方 往 生 が 其 時 代 に 於 け る 信 仰 の 中 心 で あ つ た こ と か ら、 推 古 時 代 に も 西 方 信 仰 が 流 行 し 九 で あ ら う と い ふ 推 論 を 試 み、 随 つ て、 天 壽 國 は 西 方 極 樂 世 界 で あ る べ く、 更 に 明 に 之 を 謹 す る も の は、 開 皇 三 年 に 記 さ れ た 識 語 ( 爲 経 の ) で あ る。 詳 に い へ ば、 北 魏 の 延 昌 二 年 に 霧 さ れ 九 華 嚴 経 奮 第 四 十 六 の 奥 に、 宋 紹 演 が 開 皇 三 年 に 識 語 を 加 へ て 居 る が、 其 文 中 に 西 方 天 壽 國 の 語 が あ り、 而 し て. 開 皇 三 年 は 聖 徳 太 子 十 歳 の 時 て あ る か ら、 太 子 の 往 生 し 給 う 尤 天 壽 國 は 斯 経 の 識 語 に い 謁 西 方 天 壽 國 に 符 飾 を 合 す る か 如 く、 全 く 一 致 す る、 随 つ て、 天 壽 國 の 西 方 極 樂 世 界 え る こ と は 寸 毫 の 疑 ひ を 容 る べ き 飴 地 無
く、 從 來 永 年 の 疑 問 は 此 に 解 決 し 池 と い ふ の で あ る, 故 に 同 博 士 の 論 糠 は 三 つ あ る が、 就 中 華 嚴 経 の 識 語 が 最 も 重 大 な 役 目 を も つ も の で、 他 の 二 つ の 理 由 は い は ゞ 間 接 的 の も の で あ る と い. 弾 こ と に 蹄 着 す る、 故 に 常 盤 博 士 を し て 斯 言 を 爲 さ し む る も の は、 右 華 嚴 経 の 識 語 の 護 見 が 其 動 機 を 爲 す と い つ て も 過 言 で は あ る ま い。 此 鮎 は 同 博 士 も 之 を 承 認 さ る ゝ で あ ら う と 思 ふ。 果 し て 然 ら ば、 華 嚴 経 の 識 語 は 右 の 通 り に 解 繹 し て 安 當 で あ ら う か、 こ れ が 第 一 の 問 題 と な ら ね ば な ら ぬ。 華 嚴 経 の 識 語 中、 西 方 天 壽 國 と い ふ 五 宇 の 繹 文 に つ い て は、 余 は 俄 に 賛 成 す る こ と が 出 來 な い, 何 と な れ ば、 斯 識 語 を 通 讃 し て、 其 筆 法 を 熟 視 す れ ば、 西 方 と 壽 國 の 四 宇 に 異 議 は な い が、 天 字 に 就 い て は、 之 を 天 と 解 す べ き か、 莞 と 解 す べ き か は 頗 る 疑 問 の 飴 地 が あ る。 余 は 筆 法 を 學 ん だ こ と が な い の で、 其 筆 法 に 就 い て、 專 門 的 熟 語 を 以 て 表 現 す る こ と。 か 出 來 な い の で、 適 切 な る 語 を 以 て 述 ぶ こ と を 得 ぬ は 誠 に 遺 憾 で あ る が、 今 常 識 で 論 じ て み れ ば、 此 識 語 中、 大 字、 八 字、 會 字 な ど の の 一 叢 は 皆 外 方 に 向 つ て 擾 ね て あ つ て、へ の 如 く な つ て 居 る。 然 る に、 常 盤 博 士 が 天 字 と よ ま れ る 一 字 は 内 方 に 掻 ね て あ つ て、 と 爲 つ て 居 る。 即 ち 天 と な ら す に、 元 と な つ て 居 る。 陥 つ て、 卒 然 と し て 之 を 見 れ ば、 天 か 元 か 明 か で な い が、 他 字 の 筆 法 を 十 分 に 調 べ て、 斯 字 を 見 れ ば、 明 に 元 字 で あ つ て、 天 字 で は な い。 伽 つ て、 博 士 が 西 方 天 壽 國 と よ ま れ 弛 五 字 は、 其 實 西 方 天 壽 國 で あ る。 然 る に、 西 方 無 壽 國 と い ふ 浮 土 は な い か ら、 余 は 西 方 無 量 壽 國 の 量 字 を 落 し た も の と 考 へ ざ る を 得 ぬ。 人 或 は い は ん、 察 経 の 識 語 に 落 字 な ど あ る べ き 筈 は な い と。 併 し 宴 維 の 識 語 だ か ら 落 字 が な い と は い へ ぬ。 現 に 此 察 経 の 識 語 の 最 初 に あ る 大 階 は 原 本 に は 明 に 大 随 と 爲 つ て、 階 を 随 と 誤 つ て 居 る。 さ れ ば、 量 字 を 落 し た と 解 し て も、 決 し て 牽 強 の 詮 と は い へ な い で あ ら う。 爾、 令、 金 の 最 近 の 天 壽 國 問 題 に 就 い て 四 一
最 近 の 天 壽 國 問 題 に 獣 い て 四 二 二 字 も、 前 に 學 げ た 大、 八、 會 の 文 字 と 同 一 筆 法 で あ る。 こ れ は 同 経 の 爲 眞 を 見 ら る れ ば、 一 暦 よ く 分 る の で あ る。 因 に 同 経 は 昭 和 十 年 五 月 十 日、 東 京 で 第 三 十 六 回 史 學 會 大 會 開 催 の 時、 之 に 附 帯 し て 麻 布 匠 笄 町 銀 行 集 會 所 で 開 か れ た 三 井 家 主 催 の 展 寛 會 に 初 め て 出 陳 せ ら れ、 右 展 覧 會 目 録 に 同 経 の 巻 尾 が 極 め て 小 さ い 爲 眞 版 で 掲 載 さ れ て 居 る。 つ い で、 常 盤 博 士 の ﹃ 支 那 佛 教 の 研 究 ﹄ に 中 版 の 察 眞 が 挿 入 さ れ て あ る。 余 も 未 だ 實 物 を 覧 る の 機 を 得 す。 右 二 種 の 爲 眞 に 依 つ て 論 じ て 居 る 次 第 で あ る が、 大 局 に 於 い て は 間 違 ひ は な い と 思 ふ。 倫 此 事 に 關 し て は、 拙 薯 ﹃ 寧 樂 佛 教 史 論 ﹄ の 一 二 二、 一 二 三 の 爾 頁 に 聯 か 述 べ て 置 い た。 昭 和 十 二 年 十 一 月 刊 行 以 上 述 べ 池 通 り、 華 嚴 経 の 識 語 は 西 方 天 壽 國 で な く、 西 方 え 壽 國 で あ り、 量 字 を 落 し 九 と 解 す べ き で あ る か ら、 常 盤 傅 士 が 右 識 語 を 論 嫁 と し て、 聖 徳 太 子 の 生 れ 給 ひ し 浮 土 の 天 壽 國 は 西 方 極 樂 浮 土 で あ る と い ふ 御 高 説 は 成 立 し な い こ と と 爲 る。 随 つ て、 ﹁ 此 の 文 書 は 我 が 天 壽 國 曼 茶 羅 の 何 で あ る か を 保 読 す る も の と し て、 此 の 上 も な い 資 料 で あ る。 こ の 天 壽 國 は 西 方 と あ る 以 上 は 西 方 浮 土 で あ る 事 に 於 い て、 些 の 疑 惑 を 挿 む べ き で な い ﹂ と は い へ な い で あ ら う。 此 鮎 同 博 士 の 御 再 考 を 煩 は し た い と 思 ふ の で あ る。 四 次 は 大 阪 毎 日 新 聞 に 四 回 に 亙 つ て 連 載 さ れ た 青 木 茂 作 氏 の 一、 天 壽 國 曼 茶 羅 の 新 研 究 L に 述 べ て あ る お 説 で あ る。 部 ち 天 壽 國 は 阿 閤 佛 の 浮 土 た る 妨 喜 世 界 で あ る と い ふ。 青 木 茂 作 と い ふ 方 は ど う い ふ 御 仁 で あ る か、 余 は 寡 聞 に し て 未 だ 之 を 知 ら ぬ。 併 し 其 御 論 法 を 舞 見 す る と、 恐 ら く は、 年 少 氣 鏡 の 士 で、 從 來 の 研 究 な ど は、 十 分 調 査 せ ら れ な か つ 池 か と 思 は る ゝ 節 が あ る。 氏 は 先 づ 天 壽 國 曼 茶 羅 と
は ど う い ふ も の か と い ず げ と を 述 べ て、 次 に 從 來 の 読 の 一 斑 を 紹 介 し て 次 の や う に 述 べ て 居 ら れ る。 句 讃 な ど 頗 る 不 揃 で あ る が、 今 は 原 文 の 通 り に 引 用 す る。 た ゞ ﹁ 天 壽 國 ﹂ な る 浮 土 の 名 前 が 経 典 の 上 に 所 見 が な い た め に、 こ れ ま で 幾 多 の 學 者 論 客 に よ つ て い ろ く に 説 が れ 或 は 太 子 の こ ろ は ま だ 西 方 往 生 の 思 想 が な く 聡 勒 の 信 仰 が さ か ん で あ つ た か ら こ れ は 彌 勒 の 浮 土た る 兜 率 天 を 描 い た も の で あ る と か、 或 は 彌 陀 の 浮 土た る 無 量 壽 國 す な は ち 極 樂 浮 土 を 現 は し た も の で あ る と か、 或 は 佛 本 生 潭 を 現 は し た も の で あ る と か、 或 は ﹁ 天 壽 國 ﹂ は た ゞ 軍 に 天 壽 な か き 國、 つ ま り 漠 然 た る 意 味 の 浮 土 で あ る と か、 あ る ひ は ﹁ 天 壽 ﹂ は ﹁ 光 壽 ﹂ の 書 き 誤 り で ﹁ 莞 壽 ﹂ は ﹁ 光 量 壽 ﹂ の 誤 脱 で あ る と か、 あ る ひ は 太 子 關 係 の 書 物 中 も つ と も 古 く 日 本 書 紀 以 前 の 古 詮 を 傳 ふ る も の と さ れ て ゐ る 法 王 帝 設 に す ら 天 壽 國 は ﹁ な ほ 天 と い ふ がご と き の み ﹂ と あ る こ と に よ つ て 奈 良 朝 以 前 に お い て す で に 天 壽 國 の 何 も の で あ る か は わ か つ て ゐ な か つ た な ど さ まぐ な 論 議 や 考 謹 が 行 は れ て ほ と ん ど 適 從 す る と こ ろ を 知 ら な い 有 様 で あ る。 次 に 自 説 を 述 べ て、 阿 閤 佛 の 浮 土 た る 妙 喜 浮 土 で あ る と 主 張 し て 居 る。 し か し 自 分 は 今 度 そ の 繍 張 に 描 か れ た 圖 様 を 子 細 に 考 察 検 討 し、 そ れ を 一 々 経 論 所 説 の 上 に 蹄 納 根 嫁 づ け て 行 つ た 結 果、 そ れ は 決 し て 彌 勒 の 兜 牽 天 浮 土 で も な け れ ば、 彌 陀 の 極 樂 浄 土 で も な く、 ま た 繹 迦 の 露 山 浮 土 で も な け れ ば 漠 然 た る 意 味 の 浮 土 で も な く、 全 く は 維 摩 経 説 く と こ ろ の 維 摩 の 浮 土、 す な は ち 妙 喜 浄 土 の ぞ れ だ と い ふ 結 論 に 到 達 し た の で あ る。 而 し て、 其 理 由 と し て、 太 子 は 婦 人 の 爲 に 勝 髭 経 を、 出 家 の 爲 に 法 華 経 を、 在 家 居 士 の 爲 に 維 摩 経 を 説 か れ、 御 自 最 近 の 天 壽 國 問 題 に 就 い て 四 三
最 近 の 天 壽 國 問 題 に 就 い て 四 四 ら 維 摩 を 以 て 任 ぜ ら れ た こ と。 又 夢 殿 は 法 華 経 法 師 品 の 衣 座 室 の 説 に 嫁 り、 ﹁ 佛 陀 の 室 ﹂ と し て 建 て ら れ 弛 こ と。 其 八 角 た る 所 以 は 維 摩 経 の 観 衆 生 品 に 設 か る ゝ 八 殊 勝 法、 同 香 積 品 に 説 か る ゝ 八 法 に 擬 し て 建 て ら れ た こ と。 維 摩 縫 の 佛 國 品 に 於 い て、 佛 國 師 ち 浮 土 と は 如 何 な る 意 味 を 有 し、 如 何 に し て そ こ に 往 生 し 得 る か、 其 荘 嚴 如 何 を 説 き、 見 阿 閾 佛 品 に 至 り て、 維 摩 が 前 生 に 暮 し て 居 仁 妙 喜 浮 土 の 薮 嚴 を 示 し、 ﹁ か う し た 清 浄 な 功 徳 蕪 嚴 を も つ 佛 土 を 構 へ 弛 い と 思. 勘 も の は ま さ に 無 動 如 來 の 本 地 に 修 行 な さ れ た と こ ろ の 當 然 の 大 道 を 學 修 せ ね ば な ら ぬ ﹂ と 説 き、 さ ら に、 ﹁ か う し た 正 法 の 紹 糧 者 を 萱 重 供 養 す る こ と は す な は ち 佛 陀 世 奪 を 供 養 す る こ と だ し、 か う し た 深 義 の 経 巻 を 書 窮 し、 受 持 す る も の は 全 く 佛 陀 世 奪 と 同 室 に 起 居 す る も の と い. 勘 べ き で あ る。 も し こ の 経 文 を 聞 い て 随 喜 し う ろ も の は 必 す 一 切 智 に 到 達 す る だ ら う し、 た と ひ、 経 中 の 一 四 句 の 偶 で も 心 か ら 信 解 正 受 し て 他 入 の た め に 説 く な ら ば そ の も の は ま さ し く 無 上 正 等 菩 提 を う る で あ ら う ﹂ と 説 き 明 か し て ゐ る の を 御 覧 ぜ ら れ、 し か も 太 子 が も つ と も 念 と せ ら れ、 意 と せ ら れ そ れ は こ の 維 摩 経 で あ り、 御 み つ か ら 任 ぜ ら れ て ゐ た と こ ろ も ま た こ の 維 摩 居 士 で あ つ た と し た な ら ば、 太 子 が 御 他 界 の の ち 往 き 生 ま る べ く お 心 に 期 し て を ら れ た 漆 土 も ま た 必 す や こ の 維 摩 経 所 説 の 妙 喜 浮 土 の そ れ で あ つ 池 ら う と い ふ こ と は 決 し て 考 へ ら れ ぬ こ と で は な い。 と 設 き、 然 る に、 繍 張 の 圖 様 を 見 る と、 一 向 浮 土 ら し き と こ ろ は な く、 俗 世 間 の 有 檬 ら し く 見 え る が、 こ れ は 婆 娑 郎 浮 土 を 表 現 し た も の で、 維 摩 経 の 佛 國 品 に 佛 菩 薩 の 浮 土 は 婆 娑 世 界 の 外 に 在 る の で な く、 婆 娑 郎 佛 國 土 で あ る と い. 幽 読、 洞 香 積 品 の 諸 佛 の 浮 土 に は 決 定 の 相 が あ る 課 で な い と 説 く と こ ろ に 依 り、 娑 婆 郎 寂 光 土 の 思 想 に 縁 る も の で あ る と い つ て、 左 の 如 く 述 べ て あ る。 聯 か 引 用 長 き に 亙 る 嫌 ひ が あ る が、 こ の 鮎 は 後 に 批 評 す る 時 必 要 を 感 す る 故、 繁 き を
煩 は す、 引 用 す る で あ ら う。 し か も そ の 天 壽 國 の 圖 様 は ﹁ 太 子 往 生 の 浮 土 の 有 様 は 目 に 見 が た い も の で あ る か ら、 希 は く ば 圖 像 に よ つ て そ れ を 見 た い ﹂ と い ふ と こ ろ か ら 造 ら れ た と い ふ の に、 一 向 浮 土 の 有 穣 ら し く な く、 む し ろ 俗 世 間 の 有 様 ら し く 見 ら れ る の は 一 見 甚 だ 奇 異 の よ う で あ る が、 そ れ も ま 沈 由 つ て 來 う と こ ろ あ る を 認 め な い わ け に は 行 か な い、 す な は ち そ れ は 佛 國 品 の な か に あ る 一、 佛 陀 の 浄 土、 菩 薩 の 國 土 と い つ て も そ れ は 決 し て こ の 婆 娑 世 界 そ の ま ゝ が 浮 土 で あ り、 佛 國 土 で あ る の だ、 こ の 娑 婆 を 外 か に し て ど こ に 葎 土 が 構 へ ら れ よ う そ L と い. 沖 一 節 や 同 経 香 積 品 の ﹁ 十 方 の 國 土 は み な 虚 室 の よ う な も の だ、 諸 佛 は 衆 生 を 利 導 化 盆 せ ん。 か た め に そ のび 両 と こ ろ に し た が つ て 種 々 の 佛 國 を 示 現 す る が、 そ の 佛 土 に 決 し て 決 定 の 相 が あ る で は な い ﹂ と 説 か れ て あ る のた そ の ま ゝ 受 け 櫃 が れ 九 太 子 の 娑 婆 即 疲 光 土 の 思 想、 す な は ち 虚 儒 の 世 間 と い ひ 眞 實 の 世 界 と い ふ も 畢 土 兄 眞 實 の 世 界 を ほ か に し て 虚 儂 の 世 間 の あ る わ け が な く、 盧 僑 の 世 間 を 別 に し て 眞 實 の 世 界 が あ る わ け が な い。 現 象 の ほ か に 實 在 な く、 實 在 を 離 れ て 現 象 の あ る は す が な い と い 爾 御 理 想 を そ こ に 具 現 したが た め で あ つ て、 以 下 は あ と に 引 用 す る。 以 上 で 大 膿 論 者 の 要 旨 は 叢 き て 屠 る、 五 今 之 を 批 評 す る に 就 い て、 夢 殿 の 八 角 弛 る 所 勲 を 蓮 べ て、 維 摩 経 観 衆 生 品 の 八 殊 勝 法 や、 同 香 積 品 の 八 法 に 擬 し た な ど い ふ 牽 強 な 附 會 説 は 暫 く 論 外 と し て お 預 り 申 し、 浮 土 に 關 す る 論 者 の 主 張 に は 前 後 粁 格 し、 自 家 撞 着 し て 居 る 鮎 を 指 摘 せ ね ば な る ま い。 師 ち 論 者 は 前 段 に 於 い て、 太 子 の 浮 土 は 阿 閾 佛 の 妙 喜 世 界 で あ る と 蓮 べ て、 他 方 佛 土 説 を 主 最 近 の 天 壽 國 問 題 に 就 い て 四 五
最 近 の 天 壽 國 問 題 に 款 い て 四 六 張 し、 後 段 に 於 い て、 天 壽 國 繍 張 の 圖 様 が 一 向 浮 土 ら し く 無 く、 世 俗 的 な る を 詮 明 し て、 こ は 娑 婆 郎 寂 光 と い ふ 太 子 の 思 想 に 糠 る も の で あ る と 説 い て、 斯 土 浮 土 説 を 述 べ て 居 る, 而 し て、 其 謹 と し て、 維 摩 経 の 佛 國 品 や、 香 積 品 を 引 用 す る。 然 る 時 は、 前 段 に 於 い て は、 維 摩 経 に 縁 つ て 他 方 浮 土 説 を た て、 後 段 に 於 い て は、 同 じ く 維 摩 経 に 糠 つ て 斯 土 浮 土 説 を 主 張 す る。 而 し て、 此 の 爾 説 の 間 の 矛 盾 に 就 い て は 一 向 説 く と こ ろ が な い。 師 ち 前 段 と 後 段。 か ど う い ふ 論 理 に 依 つ て 矛 盾 な く 説 か れ て あ る か、 其 邊 に 就 い て は 何 の 説 明 も な い。 論 者 は 恐 ら く 此 儘 で 何 の 矛 盾 も 感 じ て 居 な い や う に 見 ゆ る。 果 し て 然 ら ば、 天 壽 國 は 何 故 に 阿 閑 佛 國 で な け れ ば な ら ぬ か、 何 故 に 娑 婆 師 寂 光 で な く て は な ら ぬ か、 抑 阿 閥 佛 國 と 娑 婆 師 寂 光 と は 同 か 異 か。 初 め に は 天 壽 國 繍 張 は 阿 閥 佛 國 を 表 現 せ り と い ひ、 後 に は 天 壽 國 繍 張 は 娑 婆 部 寂 光 の 思 想 に 依 つ て 現 實 世 界 を 表 現 し て 居 る と い 級。 畢 寛 天 壽 國 繍 張 が 二 種 あ つ た こ と に せ ね ば 論 者 の お 説 は 成 立 せ ぬ。 前 引 の 文 に 綾 い て、 論 者 は 左 の 通 り に 蓮 べ て 居 ら れ る が、 こ れ は 一 髄 ど う い. 霊 忌 味 で あ る か。 論 者 以 外 に は 恐 ら く 通 用 せ ぬ 論 理 と い は ね ば な る ま い。 ま さ に 現 世 を 否 定 せ す し か も そ れ よ り も 高 く、 よ り 完 全 に、 よ り 永 遠 な る 世 界 を 憧 憬 し、 も つ て 不 老 不 死 の 國 を 遙 蓮 の か な た に 借 き さ う し て 現 世 に お け る 生 を 終 つ た の ち は さ う し 弛 國、 す な は ち 天 壽 の 國 に 生 れ 得 る と いび 絶 大 な る 慰 め を 投 影 し 弛 結 果 で あ る と い は ね ば な ら ぬ。 したが つ て こ の 一 天 壽 國﹂ な る 呼 稻 は ﹁ 天 壽 國 ﹂ と い つ た よ う な 一 個 の 固 定 し 九 意 味 の 浮 土 と い ふ 風 に 讃 む。 へ き で な く、 む し ろ ﹁ 天 壽 の 國 ﹂ と い ふ 風 に 讃 む べ き で あ る と 思 ふ。 天 壽 國 な る 呼 稽 が 一 個 の 固 定 し た 意 味 の 浮 土 で な い と い ふ の な ら、 何 故 に 論 者 は 天 壽 國 は 阿 閤 佛 國 な り と い ふ 主 張 を 試 み 池 の で あ ら う か。 阿 閤 佛 國 と い ふ の は 固 定 し た 意 味 の 浮 土 で は な い で あ ら う か。 此 に 於 い て、 論 者 の 言 は 支 離 減
裂、 何 等 論 理 の 一 貫 を 認 め ぬ。 自 ら 主 張 し た こ と を、 自 ら 否 定 し て 居 る で は な い か。 評 者 は こ れ 以 上 の 言 を な す 必 要 を 認 め ぬ。 随 つ て、 終 に 圖 像 に 就 い て 設 明 す る 一 段 が あ る け れ ど、 燭 れ ぬ 事 と す る。 六 掴 天 壽 國 を 解 し て 阿 闘 佛 の 妙 喜 世 界 な り と す る 説 は 古 く か ら あ る こ と で、 決 し て 論 者 の 鰯 見 で も な け れ ば、 首 唱 で も な い。 近 く は 明 治 の 末 年 に 故 大 矢 透 博 士 が 其 の 高 著 ﹃ 假 名 源 流 考 ﹄ の 中 で、 天 壽 國 繍 張 銘 を 解 繹 す る に 際 し て 述 べ ら れ て あ る。 部 ち 論 者 よ り は 昭 和、 大 正、 明 治 と 三 代 も 前 の 蕉 説 で あ る。 随 つ て、 天 壽 國 妙 喜 論 を 以 て、 新 研 究 な ど と 稽 す る こ と は、 其 説 き 方 が 多 少 異 る に せ よ、 甚 し く 先 輩 を 閑 却 し た 潜 越 の 言 で は あ る ま い か。 今 左 に ﹃ 假 名 源 流 考 ﹄ の 説 を 引 く で あ ら う。 天 壽 國 は 道 後 温 泉 碑 の 壽 國 に 同 じ く、 出 典 明 か な ら す。 故 に 從 來 種 々 の 説 あ り て、 或 は 彌 陀 の 極 樂 を 指 す と 云 ひ、 或 は 彌 勒 の 兜 率 天 な り と 謂 び、 或 は こ は 津 土 に は あ ら で 天 竺 國 の 事 な り と い ふ 説 あ り。 彌 陀 極 樂 説 は、 阿 彌 陀 の 澤 名 の 無 量 壽 よ り 思 ひ 出 で た る も の な る べ く、 兜 率 天 説 は、 敏 達 推 古 二 紀 の 間 に、 屡 よ 彌 勒 像 に 係 れ る 記 事 あ る に 基 け る も の ゝ 如 く、 天 竺 國 詮 は、 繍 帳 の 圖 中、 日 月 鬼 畜 な ど あ つ て、 天 國 浮 土 の さ ま に あ ら ざ る と、 天 壽 と 天 竺 と 今 の 字 音 の 似 通 ひ た る な ど よ り 思 ひ 寄 れ る も の な る べ し。 編 者 は 未 だ 曾 て 佛 を 學 ば す。 故 に 今 俄 か に 之 を 是 非 し 得 べ き に あ ら す と い へ ど も、 嘗 み に 迂 説 を 述 べ ん に、 前 段 に 纂 ぐ る と こ ろ の 帝 詮 の 恵 慈 法 師 の 登 願 に、 來 年 二 月 二 十 二 ニ ナ バ ア ヒ マ ツ リ ニ ツ カ ヘ マ ツ ラ ム ニ 日 死 必 逢 ニ 聖 王 一 面 奉 二 浮 土 一 と あ る 浮 土 の 事 な ら ん。 何 と な ら ば、 皇 子 は 此 の 法 師 を 師 と し て 佛 教 を 學 ば れ し な れ ば。 其 の 宗 旨 と せ ら れ し も 同 じ け れ ば、 随 ひ て 往 生 を 願 は れ し 浮 土 も 亦 同 じ か る 可 け れ ば な り。 然 ら ば 其 浄 最 近 の 天 壽 國 問 題 に 就 い て 四 七
最 近 の 天 壽 國 問 題 に 就 い て 四 八 土 は 如 何 に と い ふ に、 皇 子 の 最 も 電 信 深 か り し は 維 摩 詰 経 に 如 く は 無 け れ ば、 先 づ 其 の 維 摩 詰 経 を 一 讃 し て、 其 の 要 旨 の 存 す る と こ ろ を 尋 ぬ れ ば、 其 の 佛 國 品 に レ チ ヲ 直 心 是 菩 薩、 浮 土。 レ 萬 善 是 浮 土 因。 セ バ ノ ヲ セ ム ノ ニ 修 二 上 品 浮 業 一往 二 生 上 品 浮 土一。 と あ る 藪 句 の 外 に 出 で す。 而 し て 其 の 浮 土 は 如 何 な る も の な る か と い ふ に、 其 の 見 阿 閤 佛 品 に ゲ ク マ ハ ク ニ リ ク ト ヲ ク ト デ ニ ル ニ ク チ ニ ス ヲ ア リ 是 時 佛 告二 舎 利 弗 唄 有 レ國 名 二 妙 喜 叫 佛 號 二無 動 一、 是 維 摩 詰、 於 二 彼 國 一没 而 生 レ此、 能 於 一子 方 一作 二佛 事 一者、 三 道 費 階、 從 二 閻 浮 ル ニ ニ ョ リ ノ シ ヲ ニ ノ モ シ ニ ノ ト 人 周 世 界 の 一 な り 至 ニ籾 利 天 執 以 二此 寳 階 一諸 天 來 下、 悉 爲 レ 禮 下敬 無 動 如 來 上、 聴 二 受 輕 法一、 閻 浮 提 八、 亦 登 ニ其 階一、 上 ニ昇 初 利一、 見 ニ彼 諸 天 ト ヲ ス キ ノ ノ ノ ヲ 妙 喜 世 界一、 成二 就 如 レ 是 無 量 功 徳一。 ノ ク シ セ パ ン トキ ノ ノ ノ ヲ ニ ス ノ ヲセ ン ノ ヲ 佛 言、 若 菩 薩 欲 ン 得 二如 レ 是 清 漂 佛 土一。 當 ン學 ニ無 動 如 來 所 行 之 道 一 現 二此 妙 喜 國一。 ヒ ク マ フ ノ ンコ ヲ ベ シ ヲメ ルコ ヲ ク ノ ルコ ヲ クナ ラ ノ 世 奪 願 レ 使 下 一 切 衆 生、 得二 清 漂 土 州 如 二無 動 佛一、 獲 ニ紳 通 力 夙 如 二 甲維 摩 詰 上。 と あ る に て 之 を 知 る べ き な り。 皇 子 の 勝 髭、 法 華、 及 び 維 摩 の 三 経 を 研 磨 し て 自 ら 其 の 疏 を 製 せ ら れ、 中 に 就 き 其 シ タ リモ フ の 造 詣 の 深 か り し は 維 摩 に し て、 法 王 帝 説 に も 通 ニ 達 維 摩 不 思 議 解 脱 之 宗 一 と あ り。 一 九 び 其 の 行 實 と、 此 の 経 の 教 旨 と を 封 照 せ ば、 有 髪 妻 帯 の 一 居 士 を 以 て 沸 教 を 修 し、 終 に 籾 利 天 に 昇 り て 妙 喜 國 に 往 生 せ し 維 摩 詰 を 以 て 自 ら 任 ぜ ら れ し も の な る を 知 る べ し。 然 ら ば 皇 太 子 が 平 生 願 ひ 給 ひ つ る と こ ろ は、 維 摩 が 往 生 せ し 籾 利 天 上 の 妙 喜 浮 土 な り し や 疑 ふ 可 か ら す。 さ れ ば 平 生 願 ふ 所 を 以 て、 夫 人 は 勿 論、 其 左 右 に 語 ら れ し が 故 に、 此 の 曼 薬 羅 を 作 ら ん こ と を 請 は れ し な る べ け れ ば、 此 の 天
壽 國 は 郎 ち 其 の 妙 喜 國 な る こ と を 知 る べ し。 然 ら ば 何 故 に 妙 喜 國 と は 謂 は で 天 壽 國 と せ ら れ し に か と い ふ に、 そ は ト ハ ン ナ リ ナ リ ナ リ ニ ニ 明 ら か な ら ざ れ ど、 其 の 妙 喜 國 の 天 壽 國 と も 謂 は る べ き こ と は、 法 華 疏 に、 天 者 天 然、 自 然 勝、 樂 勝、 身 勝、 故 論 フ ト ニ テ ス ト バ ニ ニ ゼ ン ヤ ニ フ ハ ト ナ リ 云 二 清 浮 光 潔 最 勝 最 奪 一故 名 爲レ 天、 筍 非 二 最 勝 之 因 一堂 生 二 最 勝 之 虚 噛 言 二 最 勝 因 一者、 所 謂 十 善 と あ り。 天 は 之 を 以 て 解 す べ し。 帝 説 の 繹 に、 天 壽 國 者、 ホ ノ 猫 レ 天 耳 と あ る に 合 す ニ タ ス ト ニ 維 摩 経 佛 國 品 に 既 生 二 浮 土 一 錐 三 復 佐 二 壽 無 量 一 云 々、 凡 成レ 聖、 或 復 修 ニ 餓 業 一郎 萬 億 ナ リ ト モ セ ン 生 感 二 於 無 量 界 一 な ど あ る に て、 壽 は 之 を 以 て 解 す べ し。 凡 そ 佛 法 の 人 心 に 滲 染 す る こ と の 深 き は 人 生 の 果 な き を 歎 す る 情 に 乗 す る に 因 る。 故 に 柔 弱 な る 女 性 に あ つ て 最 も 甚 だ し と 爲 す。 さ れ ば 皇 太 子 平 生 婦 女 を 教 化 す る に、 天 壽 無 量 な る を 以 て せ し な ら ん.、 是 夫 人 が 妙 喜 國 と 謂 は す し て 天 壽 國 と い へ る 所 以 に し て、 編 者 が 之 を 訓 じ て 塾 コ ト ハ ノ 走 ク ニ と 爲 せ る 所 以 も 亦 是 に 在 り。 之 を 前 論 に 比 較 す る に、 ﹁ 未 だ 曾 て 佛 を 學 ば す ﹂ と 樗 す る 大 矢 翁 の 方 が 論 旨 却 つ て 明 白 で は な い か。 此 鮎 に 就 い て 余 は 主 張 す る。 凡 そ 後 輩 弛 ら ん 者 は、 一 癒 先 輩 の 説 を 知 悉 す べ き で あ る と。 而 し て、 之 が 學 界 に 於 け る 禮 儀 で あ る こ と を 牢 記 せ ら れ よ。 七 以 上 の 論 述 に 依 つ て、 天 壽 國 に 關 し 最 近 世 に 現 れ た 二 つ の 説 を 紹 介 し、 且 つ 之 を 批 判 し 終 つ 弛 と 信 す る。 師 ち 前 読 に 就 い て は、 其 最 大 の 論 縁 と 爲 つ た 華 嚴 経 の 識 語 中 の ﹁ 西 方 天 壽 國 ﹂ の 五 字 は、 其 實 ﹁ 西 方 無 壽 國 ﹂ で あ り。 無 字 の 下 に 量 の 一 字 を 脱 す る こ と を 指 摘 す る こ と に 依 つ て、 常 盤 博 士 の 御 高 設 は 成 立 せ ぬ こ と。 随 つ て、 同 博 士 の 御 再 考 を 煩 は し た い こ と を 述 べ、 後 説 に 於 い て は、 前 段 に 於 け る 他 方 浮 土 詮 と、 後 段 に 於 け る 斯 土 浮 土 説 と は 粁 格 矛 盾 し て、 同 時 最 近 の 天 壽 國 問 題 に 就 い て 四 九
最 近 の 天 壽 國 問 題 に 就 い て 五 〇 に 爾 命 題 は 成 立 せ ぬ こ と を 指 摘 し、 青 木 氏 の お 読 は 自 語 相 違 の 失 に 堕 し て 居 る こ と を 述 べ、 且 つ 天 壽 國 が 阿 閤 浮 土 な る 説 は 古 く か ら あ り、 其 一 例 と し て、 故 大 矢 透 博 士 の ﹃ 假 名 源 流 考 ﹄ に 述 ぶ る と こ ろ を 引 用 し た。 さ れ ば、 も は や 説 く べ き こ と は 悉 く 読 き 畢 つ 喪 繹 で あ る。 而 し て、 天 壽 國 が 西 方 極 樂 世 界 で な い こ と、 又 阿 閤 浮 土 で な い こ と の 根 本 問 題 に 關 し て は、 既 に 嚢 表 し た 余 の 論 文 や 著 述 に 詳 か で あ る か ら、 此 に は 一 切 鰯 れ ぬ こ と ゝ す る。 終 に 臨 ん で、 一 言 し た い こ と は、 天 壽 國 を 論 す る 人 々 が 何 故 に 太 子 御 悩 平 癒 若 く は 往 登 浮 土 を 所 願 す べ く 造 立 し た 法 隆 寺 金 堂 の 繹 迦 三 奪 を 考 慮 に 入 れ な い の か と い ふ こ と で あ る。 こ れ ほ ど の 好 資 料 に 眼 を 蔽 ふ て ど う し て 天 壽 國 を 論 す る こ と が 出 來 よ う そ。 之 を 閑 却 す る は 断 じ て 學 問 的 態 度 と は い へ ま い。 事 實 は 最 後 の 雄 癬 で な い か。 余 が 主 張 す る 天 壽 國 婁 山 浮 土 説 に 關 し て、 御 悩 平 癒、 往 登 浮 土 の 奉 爲 に 造 立 し た 佛 像 が 彌 陀 で も な く、 彌 勒 で も な く、 繹 迦 で あ る と い ふ 説 に 封 し て、 そ は 佛 教 々 主 で あ る か ら と い ふ 説 は 一 慮 の 理 由 が あ る や う に 思 へ る。 但 し 藥 師 あ り、 彌 陀 あ り、 彌 勒 あ る 時 代 に、 輩 に 佛 教 々 主 な る が 爲 に と い ふ 理 由 で、 藥 師 を 排 し、 彌 陀 を 排 し、 彌 勒 を 排 し て、 繹 迦 を 選 ん だ 理 由 と し て は 薄 弱 で あ る。 必 す や 更 に 深 く 更 に 重 い 理 由 が な く て は な ら ぬ。 随 つ て、 余 は し か く 簡 輩 に 其 設 に 瀦 從 す る を 得 な い。 又 御 悩 平 癒 と い ふ 鮎 か ら は、 同 じ く 法 隆 寺 金 堂 の 藥 師 三 奪 の 如 く、 何 故 に 藥 師 を 造 立 し な か つ た か と い ふ 説 に 封 し て は、 其 所 願 の 封 象 が 輩 な る 除 病 延 命 で な く、 往 登 浮 土 を も 併 せ て あ る か ら と も い へ る。 況 ん や、 繹 愈 の 雨 脇 侍 は 藥 王 藥 上 の 二 菩 薩 と 構 す る に 於 い て を や。 藥 王 が 除 病 延 命 の 封 象 と し て 極 め て ふ さ は し い こ と は、 法 華 経 の 藥 王 菩 薩 本 事 品 に、 此 品 の 流 通 を 宿 王 華 菩 薩 に 属 累 す る 一 段 に、 コ レ 此 経 則 爲 閻 浮 提 入、 病 之 良 藥、 若 人 右レ 病、 得 ソ聞 ニ 是 経 噛 病 帥 浦 滅、 不 老 不 死。
と あ る で は な い か。 而 し て、 右 繹 迦 の 脇 侍 に 就 い て は、 光 背 銘 に 記 載 は な い が、 藥 王、 藥 上 の 二 菩 薩 た る こ と は、 聖 徳 太 子 傳 私 記 の 上 巻 に、 金 堂 を 述 ぶ る 一 段 が あ り、 其 一 節 に、 繹 迦 三 尊 に 就 い て、 等 身 金 銅 繹 迦 像 光 銘 太 子 御 入 滅 事 見 タ リ 脇 士 二 禮 藥 王 藥 上 共 手 持レ 玉。 と 見 え て 居 る。 斯 書 は 鎌 倉 時 代 の も の で あ る け れ ど、 寺 の 古 傳 を 記 す も の と 見 て 差 支 あ る ま い。 果 し て 然 ら ば、 藥 王 を 脇 侍 と す る、 繹 奪 を 除 病 延 命 の 封 象 と し て 造 立 し 弛 と 考 へ て も、 強 ち 不 合 理 で は あ る ま い。 但 今 は 天 壽 國 に 關 す る 自 己 の + 工 張 を 説 く の で は な い か ら、 こ れ 以 上 の 事 は 述 べ ぬ で あ ら う。 池 ゞ 二 三 の 批 評 に 就 いて、 自 己 の 考 へ を 述 べ た ま で ゝ あ る。 (昭 和 十 四 年 六 月 二 十 九 日 稿 了 ) 最 近 の 天 壽 國 問 題 に 就 い て 五 一