シリーズ
Vol.1 (No.1)
川名が語るふるさとの歴史
愛知の川名 矢作川水系
【稲武地区・旭地区】
(写真:稲武地区を流れる矢作川 撮影:平成 25 年 11 月)平成 26 年 1 月
愛知の川名 矢作川水系
第 1 章 稲武地区 50・旭地区 61 の川名 目 次 川ことば 1.やはぎがわ 矢作川 (1)川名の由来 --- 1 (2)矢作川の概要 --- 1 (3)やはぎ(矢作)地名の由来 --- 1 (4)みかわ(三河)の語源 --- 1 (5)矢作川の初見 --- 1 (6)古文献 --- 1 (7)遺跡 --- 2 (8)舟運 --- 2 (9)岡崎城と六名堤 --- 2 (10)徳川家康と矢作川放水路 --- 2 (11)利水 --- 2 (12)矢作や は ぎ村の沿革 --- 2 (13)矢作川のおもな支流 --- 3 2.豊田市稲武い な ぶ地区 50 の川名 (1)稲武い な ぶ地区の沿革 --- 4 (2)矢作川に注ぐ大野瀬お お の せ町の 3 渓流 --- 4 1)おおくわたにがわ 大桑谷川 --- 4 2)おおさわがわ 大沢川 --- 4 3)うえのひらがわ 上の平川 --- 4 大野瀬お お の せ町の沿革--- 4 (3)矢作川に注ぐ押山おしやま町の 5 渓流 --- 4 1)たいらばやしさかいがわ 平林境川 --- 4 2)ほったがわ ホッ田川 --- 5 3)おくばたがわ 奥畑川 --- 5 4)こうじやがわ 糀屋川 --- 5 5)たわがねざわ タワガ子沢 --- 5 押山 おしやま 町の沿革 --- 5 (4)矢作川に注ぐ川手か わ て町の 2 渓流 --- 6 1)いろやまがわ イロ山川 --- 6 2)ししなどぼら シシナド洞 --- 6 川手か わ て村の沿革 --- 6 (5)野入川と 6 支流 --- 6 1)のいりがわ 野入川 --- 6 2)まるねがわ 丸根川 --- 6 3)きぢやまがわ 木地山川 --- 6 4)そまじぼら 杣路洞 --- 6 5)いどいりほら 井戸入洞 --- 7 野入の い り村の沿革 --- 7 6)なかかしわぼら 中粕洞 --- 7 7)おこちぼら おこち洞 --- 7 (6)名倉川と 23 支流 --- 7 1)なぐらがわ 名倉川 --- 7 2)よこはぎがわ 横萩川 --- 8 3)ほんほらがわ 本洞川 --- 8 4)ごうとがわ 合戸川 --- 8 納庫な ぐ ら村の沿革 --- 8 5)みやがわ 宮川 --- 9 6)たきがほらがわ 滝ケ洞川 --- 9 7)だいこくぼら 大コク洞 --- 9 中当 なかとう 町の沿革 --- 9 8)いやまがわ 井山川 --- 9 9)いやまぼら 井山洞 --- 9 10)ぼんぼりがわ 雪洞川 --- 9 11)ほそのしもざわ 細野下沢 --- 10 稲橋 いなはし 村の沿革 --- 10 12)くるみざわ クルミ沢 --- 10 13)ふかさわぼら 深沢洞 --- 10 14)くろいわがわ クロイワ川 --- 10 15)たてのがわ 立野川 --- 11 16)たにがわぼら 谷川洞 --- 11 17)おおのなかぼら 大野中洞 --- 11 18)まんじさわ 万治沢 --- 11 夏焼 なつやけ 村の沿革 --- 11 19)いりやまがわ 入山川 --- 12 20)あなぶしざわ アナブシ沢 --- 12 御所ご し ょ貝津が い つ村の沿革 --- 12 21)うるしぜなかほらがわ 漆瀬中洞川 --- 12 22)おおぞりぼら オオゾリ洞 --- 12 23)みやよこぼら 宮横洞 --- 12 川手か わ て村の沿革 --- 1324)たきざわがわ 滝沢川 --- 13 (7)黒田川(名倉川支流)と 4 支流 --- 13 1)くろだがわ 黒田川 --- 13 2)こまたがわ 小又川 --- 13 3)こやがいとがわ 古屋貝戸川 --- 13 4)たにがわ 谷川 --- 14 5)みずわかれがわ 水別川 --- 14 黒田く ろ だ町の沿革 --- 14 (8)小田木川(段戸川支流)と 3 支流 --- 14 1)おたぎがわ 小田木川 --- 14 2)おーじながわ オージナ川 --- 14 小田木お た ぎ町の沿革--- 14 3)いしがみがわ 石神川 --- 15 4)とみなががわ 富永川 --- 15 富永 とみなが 町の沿革 --- 15 3.豊田市 旭あさひ地区 61 の川名 (1) 旭あさひ地区の沿革 --- 16 (2)段戸川と 5 支流 --- 16 1)だんとがわ 段戸川 --- 16 2)みやのいりがわ 宮ノ入川 --- 16 3)やよがわ 八予川--- 16 4)さんのさわがわ 三之沢川 --- 16 大多賀お お た が村の沿革--- 16 5)れんだにがわ 連谷川 --- 16 連 れん 谷 だに 町の沿革 --- 17 6)つぼさきがわ 坪崎川 --- 17 坪崎 つぼさき 町の沿革 --- 17 (3)介木川(矢作川支流)と 13 支流 --- 17 1)けんぎがわ 介木川 --- 17 介 けん 木ぎ村の変遷 --- 17 小渡お ど町の沿革 --- 17 2)そうだがわ 惣田川 --- 18 惣 そう 田だ町の沿革 --- 18 3)こばたがわ 小畑川 --- 18 小畑こ ば た町の沿革 --- 18 4)くさかべがわ 日下部川 --- 18 日下部く さ か べ町の沿革--- 19 5)いくまがわ 伊熊川 --- 19 伊熊い く ま町の沿革 --- 19 6)わらびのがわ 蕨野川 --- 20 八幡や わ た町の沿革 --- 20 7)おおばたがわ 大畑川 --- 20 8)おおだがわ 太田川 --- 20 太田お お だ町の沿革 --- 20 9)ほんごうぼら 本郷洞 --- 21 10)ほんごうざわ 本郷沢 --- 21 余よだいら平町の沿革 --- 21 11)てらぼらがわ 寺洞川 --- 21 12)かきだいらがわ 柿平川 --- 21 13)かわぐちがわ 川口川 --- 21 万 町 まんじょう 町の沿革 --- 21 14)あすががわ 明賀川 --- 21 明賀あ す が町の沿革 --- 22 (4)奥矢作湖に注ぐ牛地う し じ町の 5 渓流 --- 22 1)おおさわがわ 大沢川 --- 22 2)こまやまがわ 駒山川 --- 22 3)ふどうぼら 不動洞 --- 22 4)なかきりがわ 中切川 --- 22 5)いどほら 井戸洞 --- 22 牛地う し じ町の沿革 --- 22 (5)矢作第二ダム湖左岸の 3 渓流 --- 23 1)まつねざわ 松根沢 --- 23 2)あかさわがわ 赤沢川 --- 23 閑 しず 羅瀬ら せ町の沿革 --- 23 生駒い こ ま村の変遷 --- 23 3)くしけどざわ 串毛沢 --- 23 時 とき 瀬ぜ町の沿革 --- 23 (6)旭地区矢作川左岸の 11 渓流 --- 23 1)しろいしがわ 白石川 --- 23 白石 しろいし 村の変遷 --- 24 杉本 すぎもと 町の沿革 --- 24 2)こだがわ 小田川 --- 24 小田こ だ町の沿革 --- 24 菊田き く た村の変遷 --- 24 3)こうのがわ 高能川 --- 24 4)あんまがわ 有間川 --- 24 有間あ ん ま町の沿革 --- 25 5)いじきがわ 井敷川 --- 25 6)おおいりがわ 大入川 --- 25
7)おおつぼがわ 大坪川 --- 25 大坪 おおつぼ 町の沿革 --- 25 8)はぎひらがわ 萩平川 --- 25 東 萩 平 ひがしはぎひら 町の沿革 --- 25 野の見み村の変遷 --- 26 9)えのきほらがわ 榎洞川 --- 26 10)いちだいらがわ 市平川 --- 26 市 平 いちだいら 町の沿革 --- 26 11)さわなかがわ 沢中川 --- 26 池島 いけじま 町の沿革 --- 26 (7)旭地区 阿摺川の 6 支流 --- 26 あすりがわ 阿摺川 --- 26 1)つきはたがわ 月畑川 --- 26 月 つき 畑 はた 村の変遷 --- 27 2)しょうざわがわ 小沢川 --- 27 押 おし 井い町の沿革 --- 27 押 おし 手で村の変遷 --- 27 3)はなのきがわ 花ノ樹川 --- 27 榊 さかき 野の町の沿革 --- 27 4)ひがしかしおがわ 東加塩川 --- 28 5)かしおがわ 加塩川 --- 28 加塩か し お町の沿革 --- 28 6)かまのくちがわ 釜ノ口川 --- 28 万 まん 根ね町の沿革 --- 28 (8)明智川と 2 支流 --- 28 1)あけちがわ 明智川 --- 28 2)かみすぶちがわ 上須淵川 --- 28 3)しもすぶちがわ 下須淵川 --- 29 須すぶち淵町の沿革 --- 29 (9)阿妻川と 7 支流 --- 29 1)あづまがわ 阿妻川 --- 29 2)あかばねがわ 赤羽根川 --- 29 赤羽根あ か ば ね村の変遷--- 29 3)いしきがわ 一色川 --- 29 4)いどほらがわ 井戸洞川 --- 29 5)きびうほら キビウ洞 --- 30 一色い し き町の沿革 --- 30 三濃み の村の変遷 --- 30 6)いちのせぼらがわ 一之瀬洞川 --- 30 7)はたがわ 畑川 --- 30 8)なかやぼら 中屋洞 --- 30 浅谷 あざかい 町の沿革 --- 30 (10)旭地区矢作川右岸の 5 渓流 --- 30 1)とりでざわ 捕手沢 --- 30 2)しもぎりざわ 下切沢 --- 31 下切 しもぎり 町の沿革 --- 31 3)しもなかがわ 下中川 --- 31 4)なかぎりがわ 中切川 --- 31 下中 しもなか 町の沿革 --- 31 上中 かみなか 町の沿革 --- 31 5)おおなぎさわ 大渚沢 --- 31 島崎 しまさき 町の沿革 --- 31 野原の は ら村の変遷 --- 31 巻末資料集 河川案内図 2. (2)矢作川に注ぐ大野瀬 お お の せ 町の 3 渓流 --- 資料 1 2. (3)矢作川に注ぐ押 山 おしやま 町の 5 渓流 --- 資料 1 2. (4)矢作川に注ぐ川手 かわて 町の 2 渓流 --- 資料 2 2. (5)野入川と 6 支流 --- 資料 2 2. (6)名倉川と 23 支流 --- 資料 3 2. (7)黒田川(名倉川支流)と 4 支流 --- 資料 4 2. (8)小田木川(段戸川支流)と 3 支流 --- 資料 5 3. (2)段戸川と 5 支流 --- 資料 6 3. (3)介木川(矢作川支流)と 13 支流 --- 資料 7 3. (4)奥矢作湖に注ぐ牛地 うしじ 町の 5 渓流 --- 資料 8 3. (5)矢作第二ダム湖左岸の 3 渓流 --- 資料 8 3. (6)旭地区矢作川左岸の 11 渓流 --- 資料 9 3. (7)旭地区 阿摺川の 6 支流 --- 資料 10 3. (8)明智川と 2 支流 --- 資料 10 3. (9)阿妻川と 7 支流 --- 資料 11 3. (10)旭地区矢作川右岸の 5 渓流 --- 資料 12 写真集 2. 豊田市稲武地区 --- 資料 13 3. 豊田市旭地区 --- 資料 14 豊田加茂建設事務所管内図 一級河川一覧表 ---- 資料 15 愛知の川名 編集委員会 監 修 磯貝 洋尚(地名文化研究会会員) 委 員長 吉永 次男 委 員 川﨑 明 神戸 譲 玉井 信之 田中 利佳
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川ことば
川名は歴史の生き証人 平成の大合併が終わり、多くの自治体名が消滅した。 消滅した地名はいずれ人々の記憶からも消えていく ことであろう。 川名の由来研究を通して、川名は歴史の生き証人で あることに気がついた。 多くの川名が川筋の地名を冠しているのである。そ れは水源地(最上流)の地名であったり、河口(川の 最下流)の地名であったり、あるいは川が流れる村名 であったりする。 合併など幾多の変遷を経て消滅した地名も川名とし て残されているのである。 まさしく川名は歴史の生き証人である。 川名の由来・川の概要・地名の由来には可能な限り 川名に残された地名の所在を明らかにし、川名が付け られた往時の村名と村の沿革を紹介し、地名や川名に 託した先人の自然に対する感性を紹介することに努め た。 【かわ】の語源を考える 私たちの祖先は、山から海に流れる川をどうして「か わ」と呼んだのであろうか。 「かわ」にはどんな意味が含まれているのか。 「かわ」を漢字で表わすと、川・側・皮・ 厠かわやなど があり、川は村の外側を水が流れる所。 側は外側・内側など位置的な意味があり、皮は、リ ンゴの皮・ライオンの毛皮など、生物の身体を包む外 側の膜を意味し、トイレの 厠かわやは、母屋お も やに対し外側に ある屋敷を意味する。 いずれの「かわ」にも共通するのは、一番外側そとがわの意 味がある。 これらのことから、川は集落の外側(端はし)に位置す る所から生まれた言葉なのか。 川と〔谷・沢・洞・渓〕の使い分け 谷・沢・洞・渓のいずれも、山と山に挟まれたV 地 形・凹地形の所を水が流れている。 谷・沢・洞・渓の幅が広く、凹部の所に田畑や家屋 も在る場合には水の流れる所を「川」として区分けす る習慣になったと解釈される。 また、谷を「たに」と撥音するのは関西ことば、「や」 と撥音するのは関東ことばと言われる。 谷よりも小さい所を沢と呼ぶが、地方によって異な る習慣があり、洞・沢・谷・渓の使い分けも方言と同 じで、地方によって習慣が異なる。谷・沢・洞・渓の 分布範囲を調べることも興味がわく。 ちなみに愛知県下では渓は使われていない。また谷 は、旧)幡豆郡・碧海郡、および東三河地域は谷を「や」 と呼び、その他の旧)地域は谷を「たに」と呼ぶ。 [がわ]と[かわ]の撥音 かなりの確率で、自然の川は「○○がわ」と濁音を 付けて撥音し、人工の川は「かわ」と濁音を付けずに 撥音する川が多い。 たとえば東三河を流れる豊川は「とよがわ」と撥音 し、渥美半島に引かれた豊川用水は「とよかわようす い」・豊川市は「とよかわし」と濁音付けずに撥音する、 なぜなのか。 自然の川は洪水の時に土石流で川が濁るから、濁音 つけて「がわ」と呼ぶ習慣になったと推測され、先人 は、濁音を通して、川の 恵めぐみと荒すさみを教示したのであ ろうか。 なぜ【河川か せ ん】というのか 国語大辞典で[河・川]を見ると、「地表に集まった水 が、傾斜した陸地のくぼんだ所を流れるもの。と記述 されている。 また漢和辞典には、【川】は川が流れている形にか たどられる。外側の線が川の両側で、中の線が川の水。 と記述されている。 また【河】は、イ)水。ロ)ほりわり。ハ)運河。 と記述されている。 川は自然の川で、河は人が造った構造物とある。 【河川】とは、自然の川と人口の河すべて地表に集 まった水が流れる所を言う。この語法は(道路)(天 空)(海洋)などと同じ重複語法で日本語の特徴なの である。 なぜ川の最下流を【河口】というのか はるか 4 万年ほど前に大陸から黒潮海流に乗って漂ii 着した我々の祖先が、海から湾に、湾から川を遡り内 陸に辿り着いた。その時から【河口】とは、海から内 陸に入る入り口と定められたのであろう。 その後、物資の輸送路(舟運)として利用する人間 社会では、川の出入口を【河口】と言い継がれてきた。 すなわち人間の営みから河口と呼ぶ習慣がついたと 解釈され、川を主体に考える思考回路は無かったので ある。 川の長さは河口から 川の始点は河口なので、川の長さも河口から測った 長さなのだ。 ぶんすいれい(分水嶺)とは 降水が二つ以上の水系に分かれる嶺を言う。 ぶんすいかい(分水界)とは 地上に降った雨が二つ以上の水系に分かれる境界を 言う。 げんとう(源頭)とは 川から見た分水嶺の表現で、水源地の頭を指す。 すいげんち(水源地)とは 川の流れが生まれる地点を言う。 りゅういき(流域)とは 降水が川として集まる区域。源流域・上流域・中流 域・下流域など区分して使う場合もある。 川の右岸と左岸 川の流れる方向(下流)を向いて、右手側を右岸、 左手側を左岸という。 すなわち、人は右、車は左の交通規則と同じく、川 の進む方向を正面にして、右左としている。この決ま りだけは、川を主体としている。 さかさがわ【逆川】とは 川は山から海に向かって流れるのが通常である。 しかし満潮の時や高潮の時に海から山に向かって水 が流れる川がある。このような川を水が逆さにながれ る「さかさがわ逆川」と呼ぶ。 また山間地で、坂道を下っているのに川の流れは逆 流(遡って)いると錯覚する区間がある。このような 区間を「さかさがわ」と呼ぶ場合がある。 わんど【湾処】とは 国語大辞典で湾処わ ん どを見ると、「入江。また、川の淀み や淵をいう。」と記述されている。 わん[椀・碗・・・湾]とは、飲み物・川水・海水 など、すべて水が淀む所を意味する言葉なのである。 気象変動期の地球は、男性的な気象となり、降れば 大雨大洪水、晴れれば高温・旱魃と極端な気象に変動 した。 湾処・遊水地・ダム湖など流木や岩石を貯留する水 が休息する場所が必要な世紀になったのである。 ごがんてい【護岸堤】とは 洪水や悪霊から集落を守る堤防を【護岸堤】と言う。 国語大辞典には、まもり(守・護):1)見張りをす ること。敵に対する備えをかまえること。守備。警備。 警護。「固い守り」。2)神仏などの加護があること。 神仏などがわざわいを取り除き、幸運をもたらしてく れること。また、そのような神仏。守り神。守護神。 神の守り。3)神仏の霊がこもり、人を加護するという 札。また、それを入れる袋。守り札。おまもり。護符。 守り袋。と記述されている。 いぬばしり【犬走】とは 堤防の【いぬ走り】は、小段・ステップ・バームを 指す。 しかし本来の犬走りは、神社や地鎮祭に張られる 注連縄し め な わとおなじで魔除ま よ けの意味を持ち、先人の言い伝え から「龍が怒り洪水となるのだ」村を悪魔から守る【護 岸】にいぬ走りを設け監視しようとしたのが【犬走】 なのである。 国語大辞典には 1)築地つ い じの外壁と、その外側の溝ま たは敷石の間の小路。犬の通い得るほどの空間の意。 2)城の垣かきと堀との間にある狭い空地。3)建築物の外 壁に沿った周囲の部分をコンクリートや砂利じ ゃ り敷きにし たもの。またいぬ【犬・狗】は人の守りとも魔よけと もなり、物の怪けを追い払うという。と記述されている。 なぜ堤防の斜面を【外のり・内のり】というのか 堤防とは、集落を洪水から護るために築かれた片側 の堤であった。
iii このことを理解すれば内法・外法が理解できる。 そとのり外法:堤防の外側(集落の外側)の斜面、水 が流れる川側の斜面を指す。 うちのり内法:堤防の内側(集落側)の斜面を指す。 なぜ 橋の名前 には濁点がつかないのか 川に架かる橋はしは、集落の外側(端はし)を流れる川から 生まれた言葉なのである。 また、橋のひらがな表記の銘板には濁音がついてい ない。 例えば、矢作川に架かる矢作橋のひらがな銘板は、 やはぎはしと濁音が付いていない。撥音するときは 「やはぎばし」と濁音をつけて読む習慣がある。なぜ なのか? 濁音をつけると、川が濁る、川が濁るのは洪水が起 きる事で、橋が流されることにつながる。だから銘板 には濁音を付けない習慣が生まれた。 いやそうじゃなく、江戸時代まで、ひらがなに濁音 を付ける習慣が無かった、濁音を付けるのは明治にな ってからである。 はたして土木屋の先達せんだつはどのような思考であった のであろう。 ハザードマップと河川環境保全 気象変動期に入り、予期せぬ自然災害が多発する今 日、各市町ではハザードマップが作成され、水害危険 地域等が示されている。 また「多自然川づくり」や「生物多様性」など環境 保全の大切さが喚起され、川の領域は人間社会と自然 界との棲み分け境界であり、自然との共存をはかる共 生の場でもあると言える。 このような時代に、本書が川の歴史文化をたどる資 料の一助になれば幸いである。
本書の用語の見方・読み方
河川の名前(川名)について 最初に呼び名(ひらがな)を表示し、次に名称(漢 字・ひらがな・カタカナ)を記載している。 沿革と変遷について 沿革 物事の移り変わり、今日までの歴史。変遷ともいう が、ここでは少し広い範囲で捉えた。沿革には「変わ らぬモノ(沿)と変わるモノ(革)」があり、この場合、 名称などが消滅した場合も含む。 変遷 時の流れとともに移り変わること。ここでは、例え ば、「○○村の沿革」の場合では、その一つに「地名の 変遷」というように沿革の細目として取り扱った。 本流と支流、渓流、源流の使い分けについて 本流 ここでは、「矢作川」である。この本流にも上流、中 流、下流(域)といった地域(流域)の名称を使う場 合がある。 支流 本川に合流する河川のこと。本川の右岸側に合流す る支川は「右支川」、左側に合流する支川を「左支川」、 また、本川に直接合流する支川を「一次支川」、一次支 川に合流する支川を「二次支川」というが、ここでは、 これらの全てを「支流」と称した。 渓流 一般に谷川の流れを指すが、ここでは、本川に直接 流入する沢などもいう。また、地域により、「渓流」と いう言葉を使わないところもあるが、ここでは、渓流 という名称(例:○○川に注ぐ渓流)を使用した。 源流 河川の始まりは、岩や斜面から染み出す湧水から始 まる。これは次第に幅を広げながら斜面を下りやがて はっきりとした流れる地形をつくり出す。前記の「渓 流」と明確な区分はないが、ここでは「河川の始まり のところ」とした。 水系図- 1 - 国道 1 号線・矢作橋 矢作神社 1.やはぎがわ 矢作川 (1)川名の由来 東海道(国道 1 号線)と矢作川が交差するあたりの 往時の村名「矢作やはぎむら村」「矢作やはぎしゅく宿」に由来する。 (2)矢作川の概要 1 級河川。流長 117km・流域面積 1,830 ㎢ 。木曽山 脈南部斜面を水源とし、岐阜・愛知の両県を流れる川。 長野県下伊那し も い な郡に発する支流根羽川・上村川が、恵那 郡上矢作か み や は ぎ町小田子こ だ こで合流して矢作川本流となる。本流 は恵那郡串原くしはら村の東南方を、愛知県境をなして南西流 し、同村で明智川を合流して愛知県に入り、勘八峡で 山地を出て、挙母こ ろ も盆地を貫流し、巴川を合流、三河山 地と碧海へきかい台地の間の狭長な沖積平野を緩やかに蛇行 し、安城市木戸付近で矢作古川を左岸に分流したのち、 台地を東から西に切って三河湾に注ぐ。下流の三河平 野は、わが国有数の農・工業地帯であり、この川の利 用価値はきわめて高い。 (3)やはぎ(矢作)地名の由来 矢作りの技術集団「矢作部」が住む村を言う。現) 岡崎市矢作町 国道 1 号線に架かる矢作橋・名鉄矢作 駅辺り。 矢作神社の社伝:大和武尊命やまとたけるのみことが当地に駐留し、対岸の 賊を平定するに際し、矢作部が川辺に自生する矢竹で 多数(数万本)の矢を作り、献上したことで大勝した とある。 (4)みかわ(三河)の語源 大和政権が東征に成功したのは、矢作川で得た弓 矢のおかげと大和政権はこの川を「神の川・御みかわ河」 と崇め、この御川が流れる国を「三河みかわのくに国」と名づ けたのが始まりと推定される。 (5)矢作川の初見 寛永 21 年版「下学集」に「愚按、本朝参河風土記、 有作矢河也」とあり(風土記/古典大系)、これが「三 河国風土記」逸文と考えられるとすると初見史料とな る。 (6)古文献 「類聚三代格」承和 2 年 6 月 29 日の渡船の増加を命 じた太政官符によって造橋不可の大河であることが (国史大系)、また「催馬楽」貫川によって「矢矧の市」 がたっていたことがわかる。 十返舎一句「東海道中膝栗毛」〔かくて二人も此処を 立出で、宿はずれの松葉川を打ちこへ、矢矧のはしに いたる。欄干は弓のごとく反橋や これも矢はぎの 川にわたせば〕。 短歌「夫木抄 藤原規隆」〔矢矧うへのにたてるか ば桜いつか軒ばにならむとするか〕。 「柿園詠草 加納諸平」〔風はやき矢作の橋のなか ばよりま神にかかるむら時雨かな〕。 民謡「岡崎五万石」〔天下取りたきゃ矢作の川の水 で産湯を浴び直せ〕。
- 2 - 六名堤から望む岡崎城 よねづ橋 (7)遺跡 矢作川の河床より数基の井戸が確認され、縄文時代 から中世にいたる遺物を出土する複合遺跡として矢作 川中流域を考えねばならないことが明瞭になった。と りわけ矢作橋右岸下流の渡A地区の立会い調査で発見 された、31 点の墨書土器や鳥形木製品・墨付木片を含 む奈良期末から平安期初頭に一括される出土遺物は、 県下でも有数の遺物として評価できるものである。こ のうち「郡府」と記された墨書土器は古代の碧海ない し額田郡衙の所在をうかがわせる貴重な資料である (岡崎市史研究 5)。 (8)舟運 慶長年間の改修工事によって寛文年間頃から発達し た舟運は、上流で中馬や三州馬と結びつく形で隆盛を みた。矢作川を上る荷は、鉄・繰綿・樽・鋳物・土管・ 酢や農産物・水産物など多種で、多くは城下町岡崎で 陸揚げされた。また上流では材木の筏流し・管流しが 行われた。これら川を上下する荷を管理・統制して分 一税をとるため、寛文年間東広瀬村(豊田市)に分一 番所が設置され、享保 3 年に細川村(岡崎市)に移さ れた。 (9)岡崎城と六名堤 1399 年に、今の岡崎市に六名堤が築かれたのが治水 事業の始まりで、1452 年~1455 年の間に、西郷弾正左 衛門が岡崎城の築城にあわせ堤防を築き、流れを固定 させた。 (10)徳川家康と矢作川放水路 徳川家康が 1605 年に治水の目的で米津清エ門に命 じ、下流部の台地を開削し、今の矢作古川から川を付 け替え、現在の矢作川の川筋が概ね出来上がった。 (11)利水 古くから農業用水として利用され、枝下(しだれ) 用水・明治用水などの大規模な用水が明治期に開削さ れた。 近年、矢作川下流域の西三河地域における各種用水 の需要増加に伴い、昭和 46 年に完成した矢作ダムを水 源とした矢作川総合農業水利事業・西三河水道用水供 給事業・西三河工業用水道事業が実施された。 第 1 ダム:昭和 46 年竣工、堤高 100m・堤長 320m・ 有効貯水量 6,310 万㎥、最大出力 6 万 kw、所在地串原 村と旭町の間の閑しず羅ら瀬せ。 第 2 ダム:堤高 38m・堤長 130m・有効貯水量 92.2 万㎥、最大出力 3.12 万 kw の発電をはじめ、治水・用 水などの多目的ダムとして利用されている。所在地 川ケ渡か わ か と。(3)~(10)出典『角川地名大辞典』 (12)矢作や は ぎ村の沿革 平安期:三河国碧海郡・額田郡矢矧。東海道と矢作 川が交差する交通の要衝地である矢作に市が立ってい た。鎌倉初期の矢作宿は当然矢作川の両岸にあったと 見られ、碧海・額田両郡にまたがっていたと思われる。 江戸期~現代:三河国碧海郡矢作村。明治 11 年碧海郡 東矢作村と西矢作村が合併し、矢作村となる。明治 39 年中郷村・本郷村・渡村・長瀬村・志賀須香村・志貴
- 3 - 村を合併し、矢作町となる。大正 12 年愛知電気鉄道(現 名鉄)開通、矢作橋駅・宇頭駅設置。 昭和 30 年~現在の岡崎市矢作町となる。 記録:治承 5 年 3 月に源行家軍と平家軍が矢作川を挟 んで対陣した(平家物語・源平盛衰記)。 承久の乱後、矢作宿に守護所や公文所が置かれ、往 還する顕貴の宿泊施設を兼ねた邸宅を構えた。矢作宿 は足利氏の三河支配の拠点となって政治的に重要な場 所となり、都市化も進んで東西交通・周辺経済の中継 地として大いに繁栄した。 矢作橋は、 慶長けいちょう5~6 年頃対岸の八町村との間に架 けられ、寛永かんえい11 年徳川家光の上洛の際、総欅造り 208 間の板橋となった。江戸期に 10 度の修復を実施。 矢作川の洪水は、天文てんもん年間から明治 22 年までに 103 回を記録(旧岡崎市史)。 名所旧跡:「ヤハキ薬師寺」・浄瑠璃御前の悲恋物語・ 足利軍と新田義貞らの軍の激戦(太平記・梅松論)。 (13)矢作川のおもな支流 1)岐阜長野の県境を流れる上村かみむら川 2)長野県根羽村を流れる根ね羽ば川 3)設楽町~稲武地区を流れる名倉なぐらがわ川 4)段戸山~足助地区を流れる段だん戸ど川 5)岐阜県恵那市から旭地区に流れる明知あけち川 6)小原・藤岡地区を流れる犬伏いぬぶせ川 7)下山地区・足助地区・松平町を流れる 巴ともえ川 8)下山地区を流れる神かみ越こし川 9)豊田市と岡崎市の境界を流れる郡ぐんかい界川 10)岡崎市内を流れる大平おおひら川 11)岡崎市内を流れる乙川おとがわ 12)岡崎市内を流れる男川おとがわ 13)岡崎市内を流れる占部うらべ川がわ 14)岡崎・西尾市内を流れる安藤あんどうがわ川 15)西尾市内を流れる広田こうた川がわ 16)安城市内を流れる鹿か乗川のりがわ
- 4 - 2.豊田市稲武い な ぶ地区 50 の川名 (1)稲武い な ぶ地区の沿革 ・地勢:矢作川上流の山間地に位置する。 ・地名の由来:北設楽郡稲武町は、昭和 15 年武節村と 稲橋村が合併して成立。町名は、稲橋村と武節村の各 1 字を組み合わせた合併合成地名である。平成 17 年豊 田市に合併、広域地名〔稲武地区〕となる。 ・武ぶ節せつ村:はじめ、三河国加茂郡武節町村、中世戦国 期は三河国加茂郡武節郷、江戸前期からは設楽郡武節 村、明治 22 年武節町・桑原・御所貝津・川手・黒田・ 小田木・富永の 7 か村が合併。昭和 15 年からは稲武町 の大字。 ・稲橋いなはし村:はじめ三河国加茂郡稲橋村、江戸前期から は設楽に編入、明治 11 年北設楽郡になる。明治 22 年、 夏焼・稲橋・中当・野入・大野瀬・押山の 6 か村が合 併。昭和 15 年からは稲武町の大字となる。平成 17 年 から豊田市に合併、稲武町は稲武地区稲武町に、各大 字〔夏焼・稲橋・中当・野入・大野瀬・押山〕は町に なる。 (2)矢作川に注ぐ大野瀬お お の せ町の 3 渓流 1)おおくわたにがわ 大桑谷川 <大野瀬お お の せ町> ・川名の由来:この川が流れる三国みくに山やまの南側一帯の集 落を「大桑おおくわ」と言い、大桑集落を流れる谷川を大桑谷 川という。川名から生まれた字地名は「下しもおおくわ大桑」 「大桑沢おおくわさわ」が在る。『稲武の地名』 ・川の概要:愛知・岐阜・長野の県境を意味する三国 山 1,161.6mを源頭に、大野瀬町地内を流れ矢作川に 注ぐ川。 ・おおくわ(大桑)地名の由来:大桑おおくわの語源は大側おおかわ、 一番外側そとがわの意味で、三河国の先端の村を意味する。 2)おおさわがわ 大沢川 <大野瀬お お の せ町> ・川名の由来:この川が流れる沢の大きさを表現した 川名で、表記文字のとおり大きな沢を流れる川。 ・川の概要:字[大カサワ]と字[シバガキ]の境界を東 流し、矢作川に注ぐ谷川。 ・おおかさわ(大ケ沢)地名の由来:字[大カサワ]は、 元は大桑沢と表記されていた。三河国の一番外側の沢 を意味する。字[シバガキ]は、元は柴ケ崎と表記され ていた。当地より下流は美濃国上矢作村で(国境)で あり、シバ・ガキは柵・崖の意と推察する。『稲武の地 名』 3)うえのひらがわ 上の平川 <大野瀬町・元)北設楽郡大野瀬村> ・川名の由来:この川が流れる地名、旧)北設楽郡大 野瀬村字「上ノう え の平ひら」を冠した川名。 寛永 かんえい 1 年名寄帳には字上ノ平と表記されている。 ・川の概要:大野瀬町地内字上ノ平地内を流れ、大野 瀬橋の袂で矢作川に注ぐ用水路。 ・うえのひら(上ノ平)地名の由来:小木曽泉氏宅裏 の小高い一帯をいう。『稲武の地名』 大野瀬お お の せ町の沿革 ・地勢:根羽川と野入川に沿った山間地に位置する。 ・地名の変遷:江戸期三河国加茂郡大野瀬村。江戸前 期からは設楽郡に編入。明治 11 年北設楽郡に所属。明 治 22 年稲橋村の大字となる。昭和 15 年からは稲武町 の大字。平成 17 年から豊田市大野瀬町となる。 (3)矢作川に注ぐ押山おしやま町の 5 渓流 1)たいらばやしさかいがわ 平林境川 <元)北設楽郡き たし たらぐ ん押おしやま山むら村・現)豊田市押山おしやまちょう町> ・川名の由来:この川の流れる地名、押山おしやま村字「 平 林たいらばやし」 を冠した川名。 ・川の概要:鳥屋場と や ば730m を源頭に白山洞を下り、大野 瀬町と押山おしやま町字平林の境を流れ矢作川に注ぐ流長 600m の 1 級河川。 ・たいらばやし(平林)地名の由来: 平 林たいらばやしは、大野 瀬と接する境の沢に沿った奥の深い洞。『稲武の地名』 山中にあってこの程度の傾斜地なら「たいら=平坦 な所」と表現するのか、あるいは、はやし(早い=傾 斜地)に重点がおかれているのか、傾斜地形の山地を 表現した瑞祥地名と推察する。 参考)地名用語語源辞典では、たいら(平)の語源は
- 5 - ①平地。平原(方言)。②山中にある平らな所(方言)。 ③長野県で、盆地をいう語。 また、はやし(林)の語源は①樹木が生えている所。 ②植林した所(方言)。③傾斜地(方言)。ハヤ(逸。 急)・シ(接尾語)で、「急傾斜地」。④原野(方言)。 と紹介する。 2)ほったがわ ホッ田川(奥畑川上流) ・川名の由来:この川の源頭の地名、押山村字「堀田ほ っ た」 を冠した川名。 ・川の概要:押山村字堀田地内を源頭に、通称地名本 洞を西に流れ、本洞口付近で奥畑川に注ぐ準用河川。 ・ほった地名の由来:堀田ほ っ たは、墾田ほ っ たにて新たに開拓し た田のある所。旧字地名ドロガネと字奥畑の奥で、大 部分が山林であるが、沢に沿って耕地がある。『稲武の 地名』 参考)地名用語語源辞典には、堀田の語源は①新たに 開かれた土地。開墾地。新田。②「私的に開いた地。 へそくり田。隠田」。③小規模な開墾でごく小さい田と 紹介する。 3)おくばたがわ 奥畑川 ・川名の由来:この川の河口の地名、押山村字「奥おく畑ばた」 を冠した川名。 ・川の概要:堀田川・糀屋川・クワガネ沢を集め、奥 畑地内を西に流れて国界橋の袂、落合で矢作川に注ぐ 渓流。 ・おくばた(奥畑)地名の由来:押山集落の北側(奥) に位置し、沢に沿って田畑がある。『稲武の地名』 4)こうじやがわ 糀屋川 ・川名の由来:この川の河口の地名、字「糀屋こうじや」を冠 した川名。 ・糀屋川の概要:字糀屋地内を北西に流れ、奥畑川に 合流する渓流。 ・こうじや(糀屋)地名の由来:糀屋は、糀を製造販 売する屋号「糀屋」にちなむ地名。 字奥畑の西に位置し、南は沢、北は尾根を境とした 南に面した地域。『稲武の地名』 5)たわがねざわ タワガ子沢 <元)北設楽郡押山村> ・川名の由来:この沢の河口の地名、字「タワガ子ね」 を冠した沢名。 ・沢の概要:クロ岩を源頭に篠平から蛇行する峠道を ほぼ西に貫通して流れ、滝ノ上で北に曲がり奥畑川に 合流する準用河川。 ・タワガネ(タワガ子)地名の由来:タワガ子は、昔 からの峰山へ登る山道の峠(タワ)にちなむ地名。『稲 武の地名』 カネは、曲尺で知られるように直角に曲がることを 意味し、奥畑筋から南へ直角に曲がり、呼称地名滝ノ 上でまた東に直角に上る道筋、沢筋である。 押山 おしやま 町の沿革 ・地勢:矢作川と名倉川に挟まれた山間地に位置する。 ・地名の由来:『角川』・『稲武の地名』ともに、山が押 し迫った急峻な地形にちなむか と言う。また、伊勢神 宮の守札を配る神官を「御お師し」と呼ぶことから、御師 の経費を賄う山、あるいは修験者が居住する山とも推 察される。 ・地名の変遷:はじめ三河国加茂郡押山村。江戸前期 からは設楽郡に編入。明治 11 年北設楽郡に所属。同 22 年稲橋村の大字となる。昭和 15 年からは稲武町の 大字。平成 17 年から豊田市押山町となる。 ・記録:明和 6 年に武節郷より京都御所の御用材の檜 が供出されたという記録があり、全 276 本のうち 101 本が当村より伐り出されている。安政あんせい2 年には「卯年 の荒れ」と呼ばれる大水害があり、田畑の流失や家屋 の倒壊のみならず、数名の死者を出した。明暦めいれき2 年創 建の玉翁院は明治 6 年に廃寺。神社は上大野の神明神 社や西峰山の熱田神社など数社あったが、明治 45 年に 滝沢の熊野神社に合祀された。 大正 5 年、矢作川の水を利用した製材所を日向に開 設。同 11 年大野瀬のダムの水で稼動する押山発電所が 竣工。農業が中心で、昭和 38 年頃には養豚や果樹栽培 が試みられた。昭和 50 年峰山に通じる農道開通。同 52~58 年には川手地区とともに農村基盤総合整備事 業が実施され、圃場整備工事などにより新しい農地に 生まれ変わっている。出典『角川地名大辞典』
- 6 - (4)矢作川に注ぐ川手か わ て町の 2 渓流 1)いろやまがわ イロ山川 <元)北設楽郡川手か わ て村・現)豊田市川手町> ・川名の由来:この川の水源地の地名、字「イロ山」 を冠した川名。 ・川の概要:広大な森林である字イロ山を北西に流れ、 呼称地名城下(川手城跡)で、矢作川に注ぐ渓流。 ・いろやま(イロ山)地名の由来:イロ山は、大字川 手で最も広い山林地帯で、御所貝津との山論で、イロ ハの順に塚を築いて境界とした。『稲武の地名』 2)ししなどぼら シシナド洞 <元)北設楽郡川手村・旭町の境界> ・川名の由来:この川の河口の地名、川手村字「シシ ナド」を冠した川名。矢作川左岸川辺に「シシナド公 園」が在る。 ・川名の概要:旭町と県有林である稲武町川手字ウト ウの境界を流れ、郡界橋の架かる字シシナドで矢作川 に注ぐ渓流。 ・シシナド地名の由来:シシナドの意味は「猪ししケが渡ど」 で、猪の群れが矢作川を渡った場所といわれる。『稲武 の地名』 川手か わ て村の沿革 ・地勢:名倉な ぐ ら川がわと矢作や は ぎ川がわに挟まれた山間地に位置する。 ・地名の由来:地名は川に沿った村であることによる。 ・地名の変遷:初見は戦国期、はじめ三河国加茂郡河 手・江戸前期に設楽郡に編入、明治 11 年北設楽郡川手 村。同 22 年武節村の大字となる。昭和 15 年からは稲武い な ぶ 町の大字、平成 17 年から豊田市川手町となる。 ・名所旧跡:川手城址がある。建武けんむ2 年足助荘川手村 に山田氏の子孫がシロ山に城を築いたといわれる。 ・寺社:八幡神社は川手城主山田氏の勧請による永禄えいろく 年間の創建といわれる。 ・記録:明治 6 年に江戸期より争われていた御所貝津 村との山論が解決している。 大正 13 年真弓発電所竣工。また、昭和 45 年矢作ダ ムが竣工、シシナド地区では多くの耕地が水没あるい は危険区域として買い上げられた。同 57 年押川小学校 は稲武小学校へ統合、廃校となった。 (5)野入川と 6 支流 1)のいりがわ 野入川 <元)北設楽郡野入のいり村むら・現)豊田市野入のいりちょう町> ・川名の由来:この川が流れる村名、「野の入いり村むら」を冠 した川名。 ・川の概要:月ケ平 937.7m を源頭に、野入町地内を 北流し、丸根川・木地山川・杣路洞を集め国道 153 号 と平行して大野瀬町に入り、井戸入洞・中粕洞・おこ ち洞を集めて、大野瀬橋の架かる所で矢作川に注ぐ。 流長 6.79km の 1 級河川。 ・のいり(野入)地名の由来:野入村は、隣村の大野 瀬の入口であることによるという。また、地蔵峠や杣 路峠を越えて当地に入るため、野の入(奥の意味)に ちなんだともいわれる。『稲武の地名』 2)まるねがわ 丸根川 <元)北設楽郡野入村> ・川名の由来:この川の水源地の地名、字「丸根ま る ね」を 冠した川名。 ・川の概要:字丸根地内の高根神社が祀られている 御高根お た か ね様さまを源頭に丸根地内を流れ、上橋場にて野入川 に注ぐ川。 ・まるね(丸根)地名の由来:山の尾根が丸くなって いることによる。『稲武の地名』 3)きぢやまがわ 木地山川 <元)北設楽郡野入村> ・川名の由来:この川の水源地の地名、野入村字 「木地山き ぢ や ま」を冠した川名。 ・川の概要:木地山を水源に木地山地内を北西に流れ、 字貝曲りで西に曲がり下平橋で野入川に注ぐ川。 ・きぢやま(木地山)地名の由来:木地師が集団で生 活していた所からこの名が残る。木地師の小屋跡、屋 敷跡、墓などが残っている。『稲武の地名』 4)そまじぼら 杣路洞 <元)北設楽郡野入村> ・川名の由来:この洞が流れる地名、字「杣そま路じ」を冠 した洞名。 ・洞の概要:山頂の日影鳥屋(杣路峠)から、野入川
- 7 - に架かる杣路橋までほぼ直線形の洞(谷)を流れる川。 ・そまじぼら(杣路)地名の由来:字杣路は、大野瀬 村との境の字地で、そま(杣)は樵の別称で、山林作 業に使用する山道の通る所を表現した地名。根羽村と の境は杣路峠で善光寺街道が通っていた。『稲武の地 名』 5)いどいりほら 井戸入洞 <大野瀬お お の せ町・野入の い り町> ・川名の由来:この洞の河口の小地名、「井戸入い ど い り」を 冠した洞名。大野瀬字ミヤの洞と字日ヨモの境を流れ る洞で、呼称井戸入い ど い りと呼んでいる。「井戸入」は野入 村の字地名「井いノの入いり」が転訛した小地名と推察される。 ・洞の概要:根羽村との分水嶺から大野瀬字ミヤノ洞 と字日ヨモの境界を流れる洞で、野入町地内、新前橋 付近で野入川に注ぐ。 ・いどいりほら(井戸入洞)地名の由来:井戸入洞の 水は飲料水などに利用されたことによる。『稲武の地 名』 野入の い り村の沿革 ・地勢:野入川に沿った山間部に位置する。標高が高 く、冬の寒さは厳しい。 ・地名の変遷:戦国期は、三河国加茂郡足助荘野入村。 江戸前期からは設楽郡に編入。明治 11 年北設楽郡に 所属。同 22 年稲橋村の大字となる。昭和 15 年からは 稲武町の大字。平成 17 年より豊田市野入町となる。 ・寺社:氏神である神明神社( 天正てんしょう10 年創建)の一 隅にある山礎之碑にはこの顛末が記されている。 ・記録:大部分が山林であるため境界争いが多かった。 古くは信州月瀬村と杣路峠の境界争いがあり、宝永ほうえい5 年には根羽村との山論があった。享保きょうほ12 年の当村と 稲橋村・武節町村・桑原村との騒動では乱闘の末に武 節町村庄屋(村長)が死亡し、翌年、責任を一身に背 負った野入村庄屋の源蔵は死罪となったが、村人から は義人として称えられた。 伊那街道が通り、明治 15 年には同街道の足助~野 入間を改修。 江戸期からの馬稼ぎも活況を呈したが、明治 45 年 の中央線の開通、荷車・自動車の発達により、大正末 期には付馬の姿も見られなくなった。主産業は米作・ 養蚕を中心とした農業や林業であったが、昭和 30 年 代より勤めに出る人が多くなり、大部分は兼業農家。 昭和 55 年頃より全面的な圃場整備開始。 6)なかかしわぼら 中柏洞 <大おお野瀬町のせちょう> ・川名の由来:通称地名「 柏かしわ洞ぼら」の中ほどを流れる 洞をいう。 ・洞の概要:根羽村との分水嶺を源頭にして西に流れ 野入川に注ぐ渓流。 ・かしわぼら地名の由来:通称地名「 柏かしわ洞ぼら」は、字 ミヤノ洞・日ヨモ・中ギリ・コガイト・字ヲコチ辺り 一帯の広い範囲をいう通称地名。カシワの語源は、当 地には三国山の亀甲石で知られるように堅い岩の処 を流れる洞と解釈される。新前橋付近に柏洞神社が祀 られている。 参考)『地名用語辞典』は、カシワを①カシ(傾)・ハ (端)という形の地名。②カタシ(堅)・イハ(岩) の訳。③ブナ科の落葉高木の植生によるもの。④古代、 皇居守衛の任に当たる衛門の意。などを紹介する。 7)おこちぼら おこち洞 <大野瀬町> ・川名の由来:洞が流れる地名、字「ヲコチ」を冠し た洞名。 ・洞の概要:根羽村との分水嶺を源頭にして西に流れ 野入川に注ぐ洞(川)。 ・おこち地名の由来:ヲコチは大河内にて、川辺の堆 積地にちなむ地名か。『稲武の地名』 (6)名倉川と 23 支流 1)なぐらがわ 名倉川 <設楽したらちょう町納な庫ぐら・豊田市(中なかとうちょう当町・ 桑原町くわばらちょう・川手町かわてちょう > ・川名の由来:源頭の村名「納な倉ぐら・名倉なぐら」を冠した川 名。 ・川の概要:設楽町地内の天狗伝説で有名な碁盤石山 1,189.4m を源頭に、横萩川・本洞川・合戸川を集め、
- 8 - 稲武町に入り中当村を流れる宮川・滝ケ洞・大クゴ洞 を集め、武節町で井山川・細野下沢を集め、黒田川と 合流してから中小川を集めて川手町で矢作川に注ぐ。 流路長 12.95km の 1 級河川。 ・なぐら地名の由来:なぐら(納庫・名倉)クラは岩 場の意と米を納める倉の意がある。天狗山などの明峰 の地勢と米を納める倉が建つ村を願って付けられた 瑞祥願望地名村名と推察される。 参考)地名用語辞典は、ナグラを①ゆるい起伏のうね る地形〔鏡味〕。「波のうねり」をいう方言(宮城、茨 城、静岡、和歌山)からという。②ナ(接頭語)・ク ラ(剥)という地名。③ナガ・クラの転もあるか。④ ナガ・ハラの転もあるか〔池田末則〕などを紹介する。 2)よこはぎがわ 横萩川(名倉川源流) <設楽町西納庫にしなぐら> ・川名の由来:この川の河口の地名、字「横萩よこはぎ」を冠 した川名。 ・川の概要:碁盤石山 1,189.4mの西麓を源頭に、木 戸洞峠から字横萩地内を西流し、本洞川と合流する川。 ・よこはぎ地名の由来:横よこ萩はぎの語源は定かでないが、 碁盤石山の西麓の開墾地を表現した字地名と推察さ れる。 参考)ハキ:①川の合流点。②川の急流部。剥ぎの意 味もあるか。 ハギ:①崩崖。崖。動詞ハグ(剥)の連用形の名詞化。 ②焼畑。③ハリ(墾)の転で、「開墾地」。④マメ科ハ ギ属の植物の植生によるもの。『地名用語語源辞典』 3)ほんほらがわ 本洞川(名倉川源流) <設楽町西納庫字本洞ホンホラ> ・川名の由来:この川の河口の地名、旧北設楽郡納倉 村字「本洞ほんほら」を冠した川名。 ・川の概要:碁盤石山の北に位置する稲武町と設楽町 の境界峰である面ノ木峠・井山 1,195mを源頭に、岩 伏山 982.9m との谷合の字本洞地内を南流し、横萩川 に合流する川。 面 めん ノの木き峠には風力発電所が建設され、茶臼山高原道 路の名所となっている。 ・ほんほら地名の由来:本洞は、井山・碁盤石山・岩 伏山が形成する谷のうち、本流の谷筋を強調した地名 と推察される。 4)ごうとがわ 合戸川(名倉川源流) <設楽町西納庫> ・川名の由来:この川の河口の地名、旧北設楽郡納倉 村字「合ごう戸と」を冠した川名。 ・川の概要:城ケ山 918mの南麓、岩伏山 982.9m の 西麓を水源に、字合戸地内を西から東に流れ、川口と 清水集落の中間(道の駅アグリステーション)で名倉 川に合流する。 ・地名の由来:合戸は、郷処の転で、川口集落や清水 集落の所の意。 あるいは表記文字のとおり、ゴウは合流する意、ト は所の意にて、川に沿った街道と中馬道が出会う辻を 表現した地名とも推察される。 納庫な ぐ ら村の沿革<設楽町> 名倉とも書く。 ・地勢:碁盤ご ば んいし石山・段だん戸と山・寒狭か ん さ山に囲まれ、中央を 名倉川が流れる。 ・地名の由来:名倉は米どころだから米蔵からついた 名と考える人が多いが、ゆるい起伏のうねる地形(ナ グラは波のうねり)、なごり(余波)の転訛かともい う(したら文化 4)。 ・地名の変遷:(南北朝期~戦国期)三河国加茂郡名 倉郷。菜倉郷・名蔵とも書く。白鳥神社(現津具村) の明徳 3 年の鰐口銘に、「三州路菜倉郷津具邑」と記 す。 郷域は、現在の設楽町東納庫・西納庫・大名倉・川 向から津具村、豊根村、富山村にわたっていたと思わ れる。 明治 11 年北設楽き た し た ら郡納庫村となる。清水村・川口村・ 貝津田村・湯谷村・大平村・久原村・宇連村・大桑村・ 大久保村・社脇村・猪之沢村・万場村・市之瀬村・神子み こ 谷下や げ村・寺脇村・松本村が合併して成立。 同 17 年東納庫村と西納庫村の 2 か村に分かれる。 ・明治 22 年~昭和 31 年:北設楽郡名倉村。
- 9 - 東納庫・西納庫・川向・大名倉の 4 か村が合併して 成立。旧村名を継承した 4 大字を編成。明治 31 年設 楽町の一部となり、村制時の 4 大字は同町の大字に継 承。『角川地名大辞典』 5)みやがわ 宮川 <中当なかとう町> ・川名の由来:この川の河口に在る神社のそばを流れ る川を意味した川名。 旧北設楽郡中当村字「宮下みやした」地内に、中当神社が祀 られていて、この中当神社のそばを流れる川に由来す る。 ・川の概要:城ケ山 918mを源頭に字大林地内の山林 地帯を西流し、字「宮下」地内の呼称地名宮坂の脇を 流れて蔵元橋の袂で名倉川に注ぐ。 ・みやした(宮下)地名の由来:字宮下は中当神社の 下の土地を指す。 6)たきがほらがわ 滝ケ洞川 <中当なかとう町> ・川名の由来:この川が、滝のある洞を流れることに 由来する。 ・川の概要:設楽町段戸山を水源にして北流し、中 当町字古畑の山林を東流し、字イナバ地内で名倉川 に注ぐ準用河川。 7)だいこくぼら 大コク洞 <中当町> ・川名の由来:この川が流れる谷を重複誇張し、大谷 洞を「大コク洞」と表現したと推察される。 ・洞の概要:呼称地名カヤ山を源頭に、字サカイノ澤・ 字ヤブノ澤の境を西流し名倉川に注ぐ渓流。 中当 なかとう 町の沿革 ・地勢:名倉川流域の河岸段丘に位置する。 ・地名の由来:名倉川に長トロという所があり、これ がのちに転訛して中当と呼ばれるようになったと考 えられるが、一説には武節郷と名倉郷の中間にあるた めともいう。 ・地名の変遷:はじめ三河国加茂郡中当村。江戸前期 からは設楽し た ら郡に編入される。明治 22 年稲橋村の大字 となる。昭和 15 年からは稲武い な ぶ町の大字。平成 17 年よ り豊田市中当町になる。 ・寺社:氏神は中当神社で、 天正てんしょう6 年再建の棟札が 残る。 ・記録:耕地に比較的恵まれた村であったが、名倉川 の河床と耕地との高低差が大きいため、川の水は利用 できなかった。 明治 8 年頃より稲橋村の古橋源六郎暉皃の指導に より養蚕や茶の栽培が盛んとなる。 米作を主とした農業が中心。第 2 次大戦後、地元の 農家により鈴原モチという稲の新品種が開発された こともある。昭和 46 年名倉川流域の水田は、圃場整 備が行われた。近年はキクの栽培も行われる。『角川 地名大辞典』 8)いやまがわ 井山川 <稲武いなぶ町> ・川名の由来:この川の水源の地名、稲武町字「井山い や ま」 を冠した川名。地元では、井山川を単に川と呼んでい る。 ・川の概要:井山 1,195m を水源とする井山川は、字 横 川 渡 よこかわわたし で名倉川に合流する。砂防河川として改修が 行われ、井山洞堰堤・雪洞川堰堤が築かれている。 ・いやま(井山)地名の由来:井山は、津具村・設楽 町・根羽村と境を接する広い山林。江戸時代の初め頃 には、稲橋用水(大井平用水)の修理に必要な用材林 として管理されていた。そのため井(用水)の山の地 名が付いている。『稲武の地名』 9)いやまぼら 井山洞 <稲武いなぶ町> ・洞名の由来:この洞が流れる地名、字「井山いやま」を冠 した洞名。地内に砂防堰堤が築かれている。 ・洞の概要:天狗棚・面の木原生林を水源とし、面ノ 木峠から西流し、砂防堰堤に至る洞。 10)ぼんぼりがわ 雪洞川 <稲橋町> ・川名の由来:この川が雪洞のように消えたり現れ(流
- 10 - れ)たりする様態を表現した川名。 ・川の概要:字井山地内に在る砂防堰堤の直下流に流 れる川。 11)ほそのしもざわ 細野下沢 <稲武いなぶ町> ・川名の由来:この川の河口の地名、稲武町字「ホソ ノ・細野ほ そ の」を冠した川名。 ・沢の概要:夏焼町の城ケ山 849.1m の東側の山腹を 水源に稲橋町字「細野」地内の下流境を西に流れ、井 山川に注ぐ渓流。 ・ほその(細野)地名の由来:細野は、井山川に沿っ た細長い野原を意味するか。『稲武の地名』 稲橋 いなはし 村の沿革(現:稲武町) ・地勢:名倉川右岸に位置する。 ・地名の由来:江戸期には名倉川を隔てた武節町村の 飛地が多くあり、稲作のため橋を渡ったためとも、伊 那(長野県)に接するためともいわれる。 ・地名の変遷:はじめ、三河国加茂郡稲橋村、江戸前 期からは設楽し た ら郡に編入。明治 11 年北設楽郡に所属。 同 22 年夏焼なつやけ・稲橋いなはし・中当なかとう・野入の い り・大野瀬お お の せ・押山おしやまの 6 か村が合併して稲橋いなはし村むら成立。明治 30 年からは武節ぶ せ つ村 と組合村。昭和 15 年稲武い な ぶ町の大字となる。平成 17 年 から豊田市稲武町となる。 ・寺社:八幡神社。寺は寛永かんえい年間創建の臨済宗瑞竜寺。 末寺として大休寺が明暦めいれき4 年から明治 13 年までマノ (通称山寺)にあった。 ・記録:稲橋村は名倉川に面していながら河床と水田 との高低差が大きいため遠方より樋により水を引い ていたが、延宝えんぽう4 年より井山の山林を公儀へと差し出 し、見返りとして大井平より取水する大がかりな用水 路の工事が国役普請で行われた。享保きょうほ年間頃、美濃国 中津川より当村へ移住し酒造の権利を得た古橋家は、 豪農へと成長し武節郷一帯の指導者的存在となった。 6 代目の古橋源六郎暉皃は、天保てんぽうの飢饉の体験を基に 植林や備荒貯穀を呼びかけ、また、明治新政府の殖産 興業施策を受け入れて茶の栽培や養蚕を地域に広げ た。 ・経済:名倉川を隔てて隣接する武節町村には伊那街 道の継立場として武節宿が置かれたが、当地と合わせ て稲武宿とも呼ばれた。明治 16 年に井山の官林が払 下げになると、木挽きなどとともに木地師が入山。『角 川地名大辞典』 12)くるみざわ クルミ沢 <夏なつ焼やけ町> ・沢名の由来:水源地の地名、夏焼村字「クルミサワ」 を冠した沢名。 クルミ沢の概要:字「クルミ沢」地内を北流し、字「下田しものた」 辺りで名倉川に注ぐ渓流。 ・クルミ沢の地名由来:字クルミ沢は、夏焼公会堂の 沢から平治洞の阿弥陀ケ洞の沢に挟まれた地域で、江 戸時代は稲橋の飛び地であった。沢筋にクルミの木が 多く自生していたことから付けられた字地名、沢名。 『稲武の地名』 13)ふかさわぼら 深沢洞 <夏なつ焼やけ町> ・川名の由来:この川の流れる地名、夏焼村字「フカ サワ・深沢ふかさわ口ぐち」を冠した洞名。 ・洞の概要:城ケ山 889.1mを源頭に字「フカサ」地 内を西に流れ国道 153 号を横切り、クロイワ川と合流 して呼称地名下カワラで名倉川に注ぐ渓流。 ・地名の由来:深沢は、奥が深くまた深く刻まれた沢 である。『稲武の地名』 14)くろいわがわ クロイワ川 <夏なつ焼やけ町> ・川名の由来:この川が流れる地名、夏焼村字「クロ イハ」を冠した川名。 ・川の概要:呼称地名沼ノ峠から字「クロイワ」地内 を西流し、国道 153 号を横切り字ナカ子で深沢洞と合 流し、名倉川に注ぐ準用河川。 ・クロイワ地名の由来:クロイワは、昭和のはじめ頃 には、川の畔くろに大きな岩があり、また淵があって水遊 びができた。クロイワとは川の畔の岩、または黒い岩 のある所と言う。『稲武の地名』
- 11 - 15)たてのがわ 立野川 <夏なつやけ焼町> ・川名の由来:この川が流れる地名、夏焼村字「クダ リヤマ」地内の呼称地名「立野た て の」を冠した川名。 ・立野川の概要:広大な字「クダリヤマ」地内の小名 槙 まき 立 だて ・笹方ささがた辺りを源に南に流れ、小名菜な畑口ばたぐちでクラ ガリ洞と合流し、西に曲がり小名立野た て ので南へ湾曲し、 落合洞で字カヤダテ地内を流れる貝かひ立川たてがわと合流して 名倉川に注ぐ。名倉川には椀淵という伝説の淵がある。 立野川と貝立川の合流点にある洞を、落 合おちあいの洞ほらとい う。『稲武の地名』 ・たての(立野)の地名由来:立野た て のは、夏焼町の町有 林地帯の総称で、広大な山林の字クダリ下り山 495 番 地となっている。天保てんぽう初年、時の庄屋次郎兵衛が 29 人と相談して植林し、村の繁栄を願った。『稲武の地 名』 16)たにがわぼら 谷川洞 <夏焼なつやけ町> ・沢名の由来:谷と川と洞は同義語で、谷川だけでは 固有名にならないので洞も加えて川名とした。先達の 苦労が偲ばれる。 ・谷川洞の概要:広大な山林の字クダリヤマ地内の小 名尻しりまつ松を源頭に、西流し小名大 落おおおとし・小名大野坂お お の さ かぐち口・ 小名大野お お の橋ばしの袂で名倉川に注ぐ洞。(小名:字地の中 で付けられた地名=小地名。) 17)おおのなかぼら 大野中洞 <夏焼なつやけ町> ・洞名の由来:この洞が流れる地名を表現した洞名。 小名「大野お お の」地内の中ほどにある洞。 ・洞の概要:広大な字クダリヤマ地内の小名池ケ洞い け が ほ らと 大野坂お お の ざ かの中央を東流し、小名アシガ口辺りで名倉川に 注ぐ洞。 ・アシガロ地名の由来:アシガ口は、芦が多く生えた 洞の入り口。 ・おおのざか(大野坂)地名の由来:峰山の大野へ通 じる坂道の特に勾配が急な所。 ・いけがほら(池ケ洞)地名の由来:急な洞で、江戸 時代に馬の代金を奪われ殺された一作という人が住 んでいたと言われる。『稲武の地名』 18)まんじさわ 万治沢 <夏焼なつやけ町> ・沢名の由来:この沢が流れる所の地名、字「マンシ サワ」を冠した沢名。 ・沢の概要:峰山を源頭に字マンシサワ地内を西に流 れ、国道 257 に万まん治じ橋が架かるあたりで名倉川に注ぐ 渓流。 ・マンシサワの地名由来:不詳。この付近に耕地があ る。万治沢はウルシゼ集落の水源となっている。『稲 武の地名』 夏焼 なつやけ 村の沿革 ・地勢:城ケ山の北西麓に位置する。地名は焼畑にち なむ。 ・地名の変遷:江戸期~明治 22 年:三河国加茂郡夏 焼村。江戸前期からは設楽し た らに編入。明治 11 年北設楽 郡に所属。同 22 年稲橋村の大字となる。昭和 15 年か らは稲武い な ぶ町の大字。平成 17 年から豊田市稲武町とな る。 ・記録:地内の稲橋に近い所にシホヤマという地名が あり、 天正てんしょうの検地帳には夏焼村でなく塩山村と記さ れている。浅間神社の奥からは鉱泉が湧出しており、 現在も夏焼温泉として利用されている。この辺りはシ ホノタワという地名で、南北朝の争乱の際に御所貝津 の真弓山に潜居していた尹良親王が軍需用の岩塩を 採掘したという伝説がある。 当村では稲橋村の古橋源六郎暉皃の呼びかけによ り天保初年頃より植林を始めたが、この時 29 名が規 定書に署名をしており、現在に引き継がれている共有 山の運営組織である二十九戸会の創始といえる。 伊那街道が通り、江戸後期には農間に馬による運送 業を営む者もあった。阿弥陀堂や観音堂があった。氏 神は浅間神社。 明治 30 年頃より馬車運送、昭和初期にはトラック 運送に変わった。大部分が山林で、明治 30 年頃立野 地区には沢水を利用した水力による製材所があった。 『角川地名大辞典』
- 12 - 19)いりやまがわ 入山川 <御所ご し ょ貝津が い つ町> ・川名の由来:この川の水源地の地名、字「入山いりやま」を 冠した川名。 ・川の概要:地蔵峠・字「入山いりやま」を源頭に、北流し名 倉川に注ぐ流路長 1.2km の一級河川。 ・いりやま(入山)地名の由来:字「入山」は、字シ マソラの東側。山の入り口という意味か、または山の 奥をいうか。今泉保氏の屋号でもある。また字シマソ ラは、シマ島・ソラ空にて、一番高所の所。『稲武の 地名』 イリは用水を意味することが多く、用水の水源とな る山か。 20)あなぶしざわ アナブシ沢 <御所ご し ょ貝津が い つ町> ・川名の由来:この沢の源頭の地名、字「アナブシ」 を冠した沢名。 ・沢の概要:字アナブシ地内を水源に、字フルヤ・字 水クサ地内を西北に流れて字月ケクゴつ き が く ご地内で入山川に 注ぐ沢。 ・アナブシ地名の由来:九沢集落南の山林。武士が穴 に隠れていたという伝説がある。『稲武の地名』 御所ご し ょ貝津が い つ村の沿革 ・地勢:黒田川左岸の河岸段丘から北部の山地にかけ て位置する。 ・地名の由来:後醍醐天皇の皇子宗良親王の第 2 皇子 といわれる尹良親王が住んでいたことによるという。 ・地名の変遷:はじめ三河国加茂郡御所貝津村、江戸 前期からは設楽郡に編入。明治 11 年北設楽郡に所属。 明治 22 年武節村の大字となる。昭和 15 年からは稲武 町となり、平成 17 年豊田市御所貝津町となる。 ・寺社:氏神は八王子権現で、のち誓約神社となる。 同社境内に地芝居の舞台が残っているが、改築される 以前は人形浄瑠璃の舞台であったと伝えられている。 ・記録:大部分は山林で、しばしば隣村との境界問題 が起こり、なかでも川手村との山論は長い年月を経た のち明治 6 年に解決している。境界にイロハ……の順 で塚が築かれており、イノジ山という地名もある。美 濃街道が通る。明治 9 年に今泉半七が製糸を始め、御 所半製糸として従業員数十名を雇うまでになったが、 大正期に廃業。 農業が中心で、米作のほか養蚕・茶の栽培が盛んで あった。昭和 6 年頃より真弓館製糸場が従業員約 50 人の規模で営業していた。昭和 46 年自動車部品の加工 工場が操業開始。『角川地名大辞典』 21)うるしぜなかほらがわ 漆瀬中洞川 <川手町> ・川名の由来:この川の河口の地名、字「ウルシセ」 にちなむ川名。 ・川の概要:字大洞おおほら地内を北東に流れ、漆瀬うるしぜ橋の架か る辺りで名倉川に注ぐ。名倉川には発起ノ淵が在る。 ・うるしぜ(漆瀬)地名の由来:昔 漆うるしの木が多く作 られていた時代があったと言われるが定かでない。『稲 武の地名』 漆瀬 うるしぜ は潤瀬の転で、いつも濡れている瀬の所を表現 したか。 22)おおぞりぼら オオゾリ洞 <川手町> ・川名の由来:この洞の河口の地名、字「ヲヽゾリ」 を冠した洞名。 ・洞の概要:字ヲヽゾリ地内の番ばん洞ほら旧名ウバガ洞を源 に小豆ヶ沢あ ず き が さ わを北東に流れ、上ヲヽゾリで名倉川に注ぐ 洞。 ・ヲヽゾリ地名の由来:大きくゾレた所で、崩壊地形 による地名か。『稲武の地名』 参考)ソリ・ゾレ:①焼畑。中部地方西半部に分布〔鏡 味〕②山などの土が崩れ落ちて崖になった所。(方言) 静岡県周知郡、三重県飯南部、壱岐ほか。③信州碓氷 峠付近では、雪崩のこと〔山口貞夫〕『地名用語・地名 用語語源辞典』 23)みやよこぼら 宮横洞 <川手町> ・川名の由来:この洞が流れる所を表現した洞名。八 幡神社の横を流れる洞。本来の地名は宮ノ入の洞とい
- 13 - う。 ・洞の概要:本来は、字ミツフ地内の宮ノ入の洞をい い、八幡神社の南側の洞で、中部電力真弓発電所の送 水路の排水管が通っている。 ・ミツフの地名由来:古文書にはミゾフと書かれてお り、フは所の意味、溝のある所=宮ノ入の洞を指す。 『稲武の地名』 川手か わ て村の沿革 ・地勢:名倉川と矢作川に挟まれた山間地に位置 する。 ・地名の由来:川に沿った地であることによる。 ・地名の変遷:戦国期は、三河国加茂郡河手。 江戸前期からは設楽し た ら郡川手村。幕府領、小田原藩領、 幕府領、重原藩領を変遷。明治 11 年北設楽郡川手村。 同 22 年武節村大字川手となる。昭和 15 年からは稲武い な ぶ 町大字川手。平成 17 年から豊田市稲武町となる。 ・寺社:寺は大慈院。氏神は八幡神社。川手城主山田 氏の勧請による永禄年間の創建といわれる。 ・記録:明治 6 年、江戸期より争われていた御所貝津 村との山論が解決している。 大正 13 年真弓発電所竣工。昭和 45 年矢作ダムが竣 工、シシナド地区では多くの耕地が水没あるいは危険 区域として買い上げられた。昭和 57 年押川小学校は 稲武小学校へ統合、廃校となった。 24)たきざわがわ 滝沢川 <押山おしやま町> ・川名の由来:この川の水源地の地名、押山町字「滝澤たきざわ」 を冠した川名。 ・川の概要:秋葉神社を源頭に字滝たき澤ざわ地内を西流し、 ショウガ平辺りで名倉川に注ぐ川。名倉川対岸は宮横 洞・八幡神社がある。 ・たきざわ(滝澤)の地名由来:字板橋の北側の字で、 山に囲まれた広い谷となっている。古くは竹沢と呼ば れていたようだ。瀧澤幸男氏宅の屋号で、その周辺を いう。『稲武の地名』 (7)黒田川(名倉川支流)と 4 支流 1)くろだがわ 黒田川 <黒田く ろ だ町> ・川名の由来:この川が流れる所の地名、「黒田村」 を冠した川名。 ・黒田川の概要:段戸山を水源とし、設楽町段戸の駒 ケ原地区を流れ、黒田ダム湖へ入り、第 2 ダムの上で 小又川と合流して北へ流れ、水別川を合わせ、黒田町 地内で古屋貝戸川・谷川・萩原川を集め、同町御所貝 津地内を流れ、名倉川へ注ぐ流路長 7.84km の 1 級河 川。黒田ダム建設以前は水量も豊富で、川にまつわる 伝説も多い。昭和初期にダムができてからは、藻など が繁殖し、途中にある滝も勢いがない。なお稲武地内 の水別川との合流点までは、段戸川とも呼ばれる。 ・くろだ(黒田)の地名由来:黒田村地内の字上手わ でに、 黒田坂く ろ だ さ かという地名があり、屋号「黒田く ろ だ」の家もあり、 ここが黒田の発祥地で、沼地をヌタ言い、黒いヌタの 地を表現した地名と考えられる。『稲武の地名』 2)こまたがわ 小又川 <黒田くろだ町> ・川名の由来:この川の河口の地名、黒田村字「コマ タ」を冠した川名。 ・川の概要:設楽町沖ノ平を源に黒田貯水池の東側を 流れ、黒田町字コマタ地内で黒田川に注ぐ渓流。 ・こまた(小又)の地名由来:設楽町との境で、黒田 川本流に小又川が分岐する分岐点を意味した地名。 『稲武の地名』 3)こやがいとがわ 古屋貝戸川 <黒田くろだ町> ・川名の由来:この川の河口の地名、黒田村字 「古屋貝戸こ や が い と」を冠した川名。 ・川の概要:寺てら洞山ほらやまの山林を水源に字「古屋貝戸こ や が い と」と 字「折坂おりさか」との境を東南に流れ、水別川と合流して黒 田川に注ぐ渓流。 ・こやがいと(古屋貝戸)の地名由来:定かでないが、 表記文字のとおり、古くからある集落区画を表現した 地名と推察する。旧黒田小学校付近から山頂へかけて の地域。地内に小地名的場・宮ノ越・宮ノ入、井戸沢・