第7章 海洋博から沖縄キャンペーンへ ―沖 縄の 観 光リゾート化の プロセス―
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(2) で あ る 。稼働率 が 10%を 切る ホテル も続 出 し、倒 産と 失業 が 相次 いだ 。そ し て こ れ を契 機 に、 本 格 的 な観 光キ ャ ン ペ ー ン が 行わ れ る よ う に な っ て い く 。 し か し冷 静 に考 え て み れ ば 、75 年だけが 非 日 常 的な お祭 り で、かなり 特殊 な 事態 だ っ た のだとも 言 える 。実 際 、前 後の 74 年と 76 年 を比 べ て み れ ば 、観 光 客は 3 万人増 、観 光 収 入も 60 億 円の 増で 、 な だ ら か に つ な が っ て い る 。そ の た め 、短 期 的な 反動 だけで 海 洋 博 の功 罪を 評 価す る と い う の は、 や や疑 問が 残 る と こ ろ で もあ る。 む し ろ そ の後 、77〜79 年の 急 速 な伸 び 方に 注 目 し て み よ う 。 落 ち込 ん だ観 光 客 数が 、 77 年に は一 気 に 120 万人 にまで 回復 し、再び 100 万人 の 大台 を超 え る。翌 78 年 には 150 万人 、わ ず か 3 年で 海 洋 博 と同 等レ ベ ルま で達 し 、さらに 翌 79 年に は 180 万 人と 、県 外 観 光 客は 完 全に 海 洋 博 レ ベ ルの 人 数を 上回 り 、しかも 以 後、 この 人 数よ り下 が る こ と は な く、 ひ た す ら上 昇を 続 け て い く の で あ る。 観 光 収 入の 方 も こ の時 期 に異 例の 伸 びを 示し 、 77 年 991 億円 ( 前 年 比 1.5 倍) 、78 年 1,331 億円 ( 同 1.3 倍) で海 洋 博の 75 年 を 突破 、 79 年 1,786 億 円( 同 1.3 倍)と、この 3 年間 は、それ 以 後に は二 度 と見 ら れ な い ほ ど の 割 合で 伸び て い る 。 もっとも 、 前 年 比だ け を見 れば 、 海 洋 博の 75 年の 方 が伸 び率 は は る か に 高 いが 、規 模 の恒常的 な 拡大 と い う 意味 では 、77〜79 年 の 3 年間 かけて 連 続 的 に伸 び、 海洋博 の年 の 水準 を超 え て し ま っ た こ と の方 が 、沖 縄に お い て 実 質 的 な意 義を も っ て い た と も考 え る こ と が で き よ う。 この 急 速な 観光 リ ゾ ー ト化 の 進行 は、 海洋博 のお 祭 り的 な非 日 常が 、沖 縄 において 日常化 し て い っ た プ ロ セ スだ と見 る こ と もで き る。 一体 こ の時 期、 沖 縄に 何が 起 こ っ て い た の だ ろ う か 。そ し て こ の急 激 な変 容は 、75 年の 海洋博 と 、い か な る 影響関係 に あ っ た の だ ろ う か 。本 章 では 、60〜70 年代 の 沖縄 の一 連 の観 光リ ゾ ー ト 化の プ ロ セ スを 見 て い く な か で、 こ う し た問 題を 考 察し てい く こ と に し よ う。 さ し あ た り ここでは 、そ れ 以後 の傾 向 について 、引 き 続き グ ラ フ から 読み 取 れ る こ と を 概 略 的に 整 理し て お こ う。急 成 長の 3 年 の後 、80 年からは 客数・収 入 と も に、微増・低 成 長へ と傾 向 が変 わ っ て い く 。そ し て 87 年、 バ ブ ル期 に は再 び右 上 がり 成長 に 転じるが 、 バ ブ ルが は じ け た 91 年に は、 ま た横 ばい 傾 向に 戻る 。 そうして 、 長期不況 の 真っ 只中 な がら 沖縄 ブーム が高 ま る 90 年代後半 には 、 三た び右 上 が り の伸 び を示 し て い く。 そ れ が 2000 年に は 450 万人台 で 頭打 ち に な っ た と こ ろ へ 、2001 年の約 9 万人 の減 少 は言 う ま で も な く、 あの 9.11 テロ 事件 の影 響 に よ る と こ ろ が 大き い 。 こ の よ う に見 て く る と 、 一定 の 傾向 が 浮 かび 上 が っ て く る こ と が わ か る 。70 年代 、80 年代 、90 年代 、 そ れ ぞ れ の 後 半 期に 、 沖縄観光 は 右上 がり 型 の伸 びを 示 した 後、 次 の 80 年代 、90 年 代、2000 年代 の前 半 期に 、停 滞 傾 向 に転 じ る の で あ る 。も ち ろ ん こ れ は、 時 代ごとの 全体的 な政 治 経 済 の情 勢 の影 響を 受 け て い る し 、各時代 そ れ ぞ れ状 況 は異 な る わ け だ が 、そ れ に し て も 興 味 深 い繰 り返 し よ う で あ る 。し か も こ れ は 、10 年ご と に更 新さ れ て き た 4 次に わ た る 沖 縄 振 興 開 発 計 画(72〜81 年、82 年〜91 年 、92 年〜2001 年 、2002 年〜 〔沖 縄 振 興 計 画 〕 )の 周期 と も、 ほぼ ち ょ う ど重 な り合 っ て い る。 こ れ は 、何 ら か の 関係 が あ る の か も し れ な い 。非 常 に興味深 い と こ ろ だ が 、こ こ で は 即断 しか ね る の で、 ひ と ま ず は こ れ を 指摘 す る ま で に と ど め て お く こ と に し よ う。. 146.
(3) 第2 節. 復帰前 ・60 年 代の 沖 縄 観 光ブ ー ム. (1)沖 縄 パ ッ ク ツ ア ーの 誕生 先の グ ラ フ は便宜上 70 年代 か ら掲 載し た が、 こ れ は も ち ろ ん 、 沖縄観光 そ の ものが 復 帰と と も に 誕生 し た こ と を 意味 す る わ け で は な い 。む し ろ、 す で に 60 年代 に は、 規模 は 全く 違う が 、観光客 の 数は 着実 に 増加 し、 沖 縄へ の観 光 の ま な ざ し は高 まっ て き て い た 。 復 帰 後の 観 光 立 県の 下 地は 、す で に こ の時 期 に あ る程 度 形 成 さ れ つ つ あ っ た の で あ る。 表1 復 帰 前の 沖 縄へ の入 域 旅 客 数の 推 移 西暦. 昭和. (年) (年). 入域旅客数 (万 人). 表1 は沖 縄 の復帰前 、昭 和 30 年代か ら 復帰 の 47 年までの 入 域 旅 客 数 の推 移で あ る 2。1960 年代 、旅 客 数が 着実 に 増え. 1956. 31. 1.3. て い っ て い る こ と が わ か る 。60 年 の 2 万 1 千人 から 、60 年. 57. 32. 1.6. 代 前 半に は 毎年 6〜9 千人 ずつ 増 えている 。 後半 に は さらに. 58. 33. 1.9. 上昇 の幅 が 拡大 して 、 毎年 2〜3 万 人 台も の 増加 と な る 。こ. 59. 34. 2.1. の う ち、 観 光 目 的の 旅 客は 約 8 割 を占 め て い た 3。70 年 だけ. 60. 35. 2.1. 大阪万博 の 影響 で停 滞 す る が、71 年 は再 び 3.2 万人増 に 転じ. 61. 36. 3.0. る。そ し て 復帰 の 72 年、一 挙 にケ タ違 い の 24 万人増 で 、倍. 62. 37. 3.9. 以上 の 44 万人 に達 す る こ と は 、先 に も見 た と お り で あ る 。. 63. 38. 4.7. 64. 39. 5.3. 65. 40. 6.2. 66. 41. 8.6. 67. 42. 11.2. 68. 43. 14.7. 69. 44. 16.9. 70. 45. 17.2. 71. 46. 20.4. 72. 47. 44.4. 先ほどはこれ 以後の数十万人単位 の増加に 焦点を当 てた ため 、71 年までを「微 増」と 見る こ と に な っ た。し か し 、こ う し て復 帰 前の 方を 独 立し て見 て み る と、 規 模は 異な る が、 観 光 化が 着 実な 形で 進 行し て い た こ と が わ か る。 ところで 、復 帰 前の 沖縄 は、 日 本 本 土に と っ て は ま だ 「外 国」 で あ っ た。 つ ま り 、沖 縄へ 旅 行す る こ と は「 海 外 旅 行」 で あ り 、パ ス ポ ー トと ビザ が 必要 だ っ た の で あ る 。と こ ろ が、 第 1 章 で見 た よ う に、 戦 後 日 本で は 20 年 近 く、 外 貨 政 策の ため 海 外 旅 行そ の も の が制 限さ れ て い た。 観 光 目 的の 海外旅 行は 、認め ら れ て い な か っ た のである 。海 外 旅 行の 自 由 化 は、 1964 ( 昭和 39) 年 に な っ て よ う や く 行わ れ た 。「 外 国 」と. し て の沖 縄 は 、実 際の 距 離 以 上に 、本 土か ら遠 い 存在 で あ っ た わ け で あ る 。少 な く と も 1950 年代 、本 土 か ら の旅 客 の大 半は 、 ビジネス な ど特 別な 目 的に 限定 さ れ て い た 。 ところが 60 年 代に 入る と、この 状 況が 変わ り 始め る。き っ か け は 59 年 6 月、日 本 政 府 が他 の外 国 に先 駆け て 、沖 縄 渡 航 の制 限 を大 幅に 緩 和し た こ と で あ っ た 。こ れ は 、58 年に 沖縄 の通 貨が B 円か ら ドル に切 り 替えられ 、沖縄 がド ル 経 済 圏に 入 った こと に 対応 し た も ので あ っ た 。こ の変 化 に対 して 早 速、 旅 行 代 理 店 が動 き 始め た。 翌 60 年 1 月 、日 本 交 通 公社・京 都 駅 前 案 内 所が 、戦 後 初の「沖 縄 訪 問 団」86 名 を送 り込 ん だの で あ る 。こ の団 体. 琉 球 政 府 通 商 産 業 局 商 工 部 観 光 課、1970 、お よ び渡 久 地 、1990、154-1 5 5 から作 成。 6 9 年の 入 域 旅 客の 目 的 別 構 成 比は 、 訪 問 者( = 観光 )81.1 % 、公 務 者 3.7 %、 商 用 者 0.7 % 、通 過 者 14.6 %で あ る(琉 球 政 府 、同 上、p.6 )。6 0 年 代 後 半か ら通 過 者が 増加 し 、そ れ以 前 の 6 0 年 代 前 半の 時 点で は 、観 光 客 が 9 割 前 後 を占 め て い た 。ま た 、入 域 者の 国 籍は 、日本 が 5 9 年 60.9 %(13,081 人)→ 69 年 80.9 %(136,928 人 で人 数 的 に は 1 0 倍 )と 割合 が 高ま っ て い る の に対 し て、 米国 は 5 9 年 24.5 % →6 9 年 14.4 % と、 割 合 的 には 下が っ て い る( 人 数 的 に は 5,270→24,306 人 と増 加。 同上 、p.7 ) 。 2 3. 147.
(4) 旅行 の主 目 的は あ く ま で「 沖 縄 戦 没 者 の慰 霊 」とされ 、 ビザ 申請 の 理由 にも 書 か れ た。 当時 、昭 和 30 年代 の時 点で 、 本土 か ら の 沖縄 に対 す るま な ざ し は、 美的 な <観 光の ま な ざ し> へ と純粋化 し て し ま う に は、 まだ 程 遠い も の で あ っ た。 そ れはまた 、 沖縄 が純 粋 に「 観光 」 をテーマ 化 して 売り 出 す に は ま だ 難し い状 況 にあった こ と を も、 同 時に 意味 し て い る。 こ のツアー の 参 加 者に は 、親 類を 沖縄戦 で失 っ た人 も多 数 いた 。だ か ら、 彼ら は あくまで 「 訪 問 団」 を 名乗 り、 決 して 「観 光 団」 とは 言 わ な か っ た 。と は い え 、い ざ沖 縄 に来 て み る と、 沖縄 サイド か ら は 熱烈 な歓 迎 を受 け、 実質的 には 「 観 光 団」 と し て の も て な し を受 け る よ う な 形 に な っ て も い た の で あ る。 こ う し た こ と か ら は、 戦 後 沖 縄 観 光の 導 入時 の、 「 観光 」を め ぐ る 微妙 な た め ら い と 揺れ が う か が え る。 4 ち な み に こ の京 都か ら の訪問団 は 、空 路 で 4 泊 5 日し 、旅 行 費 用 は 1 人 6 万 円 であった 。 当時 の勤 労 者の 平 均 月 給が 2 万円台 だから 、「 海外旅行 」と は い え ま だ か な り 高く 、参 加 者は 京都 の 伝統産業 の 経 営 者 夫 妻 を中 心に 、 一部 の高 額 所 得 者に 限 定さ れ て い た。 と は い え こ の訪 問 団の 成功 は 、そ の 後の 沖 縄 観 光に 大き な 影響 を与 え た。那覇 1 泊→ 名護 1 泊 → 那覇 2 泊 と い う ス ケ ジ ュ ー ルで、 南 部 戦 跡や パ イ ナ ッ プ ル 畑などを 訪 問す るル ー トが、 そ の後 の沖 縄 観 光 のモ デ ル コ ー ス と な っ て い っ た の で あ る 。 交通公社 は こ れ を契 機 に、 沖 縄 団 体 旅 行の 本 格 的 な準 備に 入 った 。客 層の 拡 大を 狙っ て 船 利 用に よ る低価格 化 を推 し進 め、7 泊 8 日(沖 縄 2 泊 3 日)で「3 万円 の 海外旅行 」を 、 同 60 年 10 月か ら 実現 した 。 その 結果 翌 61 年 3 月ま で の半年間 で 、航 空 機 利 用を 含め た 交通公社 か らの 観 光 客 は、45 団体 約 2000 人に も達 した 。5こ こ か ら 沖縄旅行 は 飛 躍 的な 発 展を とげ 、 一気 にブ ー ムと し て の 様相 を呈 してき た。 こ の流 れ こ そ 、沖 縄パ ッ ク ツ ア ー の 誕生 で あ る 。 ち ょ う ど こ の時 期、 日本 は 高 度 経 済 成 長 期 をひ た 走っ て い た。 国 民の 間に は レジャー 志 向が 高ま り 、大 衆レ ベ ルで 国 内 観 光ブーム が 高ま っ て き て い た。 財 団 法 人 日 本 交通公社 は こ れ に対 応 して 、63 年に 営 業 部 門を 分離・株 式 会 社化 し 、商 業 主 義 とサ ー ビ ス の徹底化 を 図っ て い く 。こ の頃 か ら「 チ ケ ッ ト・エ ー ジ ェ ン トか ら トラベル・エ ー ジ ェ ン トへ の 移行 」 が目 標に 掲 げら れ、 よ り包 括的 な 旅行 サ ー ビ スの 提供 が 趨勢 と な っ て い く。 その 具 体 策 の一 つ と し て、62 年に は 「セ ット 旅 行」 が開 始 され た。 団 体 旅 行と は 別に 、 個 人 旅 行 者 向け に宿 泊 と往 復の 交 通の 座席 を 予約 し、 セット で販 売 する 商品 である 。交 通 公社 は、 日 本 航 空・ 全日空 ・国 鉄 との 提携 に よ っ て、 これを 実現 し た。 従来 は 団体旅行 が 主流 で あ っ た の に対 し て、 セ ッ ト 旅行 は個 人 旅 行 そ の も の を 商 品 化 し、 パ ッ ケ ー ジ 化し た 点で 画 期 的 であった 。 こ れ は、 家 族・ グ ル ー プ旅 行の 台 頭や 旅行 ニーズ の多 様 化に 対応 し たもので も あっ た 。62 年度 には 全国 43 コース 、2,500 人の 実 績を 上げ 、翌 63 年度 に は さ らに 拡大 さ れ、 こ こ に 「沖 縄セ ッ ト旅 行」 も 組み 込ま れ る こ と に な っ た 。以 後 、団 体 旅 行 と個 人セ ッ ト旅 行が 、 沖縄旅行 の 二つ の柱 として 発展 し て い く。 (2)戦 跡 参 拝 と舶 来 品シ ョ ッ ピ ン グ の結 合 こ の よ う な プロセス を 経て 、観 光 はすでに 60 年代 、 砂糖 ・パ イ ンと 並ぶ 沖 縄の 三 大 産 業の 一つ へ と発 展し て い っ た 。69 年の観 光 収 入 は 3,317 万ドル で 、パ イ ナ ッ プ ルの 輸 出 額 4 5. 以上 の詳 細に つ い て は、 公 旅 連 沖 縄 支 部 記 念 誌 編 集 委 員 会 、1993、p.56 -5 8 。 日 本 交 通 公 社 社 史 編 纂 室 、1982、p.350。. 148.
(5) 1,868 万ド ル を大 きく 上 回り 、砂 糖 類の 輸 出 額 4,458 万 ドル に近 づ こ う と す る 勢い で あ っ た。 ち な み に、69 年 の基 地 関 係 収 入 は 2 億 920 万ド ル で、 基 地 依 存 経 済の 状 況は 依 然 変 .. .. . .. . わ っ て い な い の だ が 、 それ を別 と す れ ば 、 観 光は 砂糖 に 次い で、 沖 縄 経 済を 支 える ドル の 収 入 源へ と 成長 し た の で あ る。 6 ところで 、60 年代 の 沖縄観光 は 、戦 跡 参 拝 とシ ョ ッ ピ ン グ が中 心 であった 。海 外 渡 航 手 続き が緩 和 さ れ た こ と を契 機に 、 沖 縄 戦の 戦 没 者 遺 族 が 全国 から 訪 れ、 戦跡 を 参拝 した 。 だが 、肉 親 の遺 骨や 遺 品が 見つ か ら な い・ わ か ら な い という 人は 多 く、 遺族 の 切実 な要 望 のもとに 、 都 道 府 県 別 に慰 霊の 塔 が続 々と 建 てられた 。 そ の ほ と ん ど の 建 立 時 期は 、こ の 60 年代 に集 中 している 。7その 多 くが 集ま る 糸 満 市 摩 文 仁を 、琉 球 政 府は 65 年 、政 府 立 公 園に 指定 し た。 一方 、沖 縄 観 光 の も う 一つ の軸 は ショッピ ン グで あ っ た 。沖 縄は 58 年 以 来 ドル 経 済 圏 にな っ た た め、 世 界 各 地からの 舶来品 が安 く 買え ると い う、 特 殊 事 情が は た ら い て い た 。 また この 時 期、 本土 か ら沖 縄へ 渡 航す る際 に は、 外 貨 持 ち出 し額 の 制限 が あ っ た が 、こ れ が当 初の 1 人 当 たり 200 ドル から 、64 年に は 500 ドルに 、さらに 69 年に は 700 ドルに 引 き上 げ ら れ た。 その 上 、洋 酒・ 腕時計 ・カ メ ラなども 数 量 制 限つ き で免税品 に 指定 され 、 本土 で買 う よ り も安 く 買う こ と が で き た。 そ の た め、 こ れ ら や宝 石 など 、高 級 な外 国 製 品 を買 う観 光 客が 増え て き た の で あ る。69 年 の 観 光 客の 一人当 たり 平 均消費額 は 196 ド ル (当 時の レート は 1 ドル =360 円だから 70,560 円) で あ っ た が、 そ の う ち約 6 割の 119 ドル (42,840 円) ま でを 、土 産 品 代 に使 っ てい たの で あ る 。 8 すなわち 、モ デ ル コ ー ス は こ う で あ る 。初 日に は 南部戦跡 を 参拝 し、 二 日 目 以 降 には 中 部・ 北部 を 周っ て、 沖 縄の 風 光 明 媚の 自然 と 史跡 を堪 能 した 後、 最終日 には 那 覇の 国 際 通 りで シ ョ ッ ピ ン グを し て帰 る。これが 、当 時 の標準的 な 観光 コ ー ス であった 。9戦跡参拝 と 舶 来 品シ ョ ッ ピ ン グ と は、 一 見 似 ても 似つ か な い 、相 容 れ な い要 素 のように 思 える 。し か し両 者は 、 沖 縄 戦と 米 軍統治下 の ドル 経 済 圏 と い う、 沖 縄 固 有の コ ロ ニ ア ル な 状況 から 生 じ た と い う 点で は 、共 通す る も の で も あ っ た 。こうした 二 つの 外 生 的 な要 因が 結 びついて 、 60 年代 に沖 縄 観 光 を定 着 させ る役 割 を果 たし 、(基 地 関 係 以 外 で の)沖 縄 経済 に、中 枢 的 なド ルの 収入源 を新 た に形 作っ て い っ た の で あ る 。 10. 第3 節. 沖 縄を め ぐ る 観光 のエ ピ ス テ ー メ ー の変 容. (1)69 年: 「自 然 発 生 的」 への 懸 念と 、観 光 開 発 への 意 志 以上 のような 60 年 代の 流れ を 下地 と し な が ら 、い よ い よ 観 光 開 発の ま な ざ し が 沖縄 を 本 格 的に とらえ 始め る の は 、や は り 69 年 11 月の 日米共 同 声 明 に よ る正 式 な復 帰 決 定 の後 、 新 全 総〜 沖振計 の開 発 のエ ピ ス テ ー メ ーへ の 組み 込み に よ っ て で あ った 。こ れ に つ い て は す で に第 2 章 で 見てきた が、 こ こ で は観 光そ の も の を中 心 に据 える 視 点か ら、 あ ら た め て 琉 球 政 府 通 商 産 業 局 商 工 部 観 光 課、1970 『観 光 統 計 要 覧 1969 年版 』p.17。この 砂 糖の 輸 出 額 と観 光 収入 の関 係 も、 復帰 の 7 2 年 には 完 全に 逆転 し 、観 光 収 入 の方 が飛 躍 的に 伸び て い く こ と に な る 。 7 沖 縄 県『 観 光 要 覧 昭 和 5 0 年版 』p.38。 8 琉 球 政 府 、前 掲 、p.16 。 9 石川 、1979 、p.13。沖 縄 観 光 協 会 、1963、p.154 。 10 ま た こ の 時期 、本 土に お け る 沖縄 への 関 心の 高ま り か ら 、高 校 生の 修 学 旅 行が 増 大し つ つ あ っ た こ と も、 観 光 客 増 加 の一 因 と な っ て い た。 6. 149.
(6) この 時期 の ま な ざ し の 特徴 を浮 き 彫りにし て い く こ と に し よ う。 ま ず、 か な り 観 光 化が 進 んで き て い た 60 年 代 末の 時点 で 、関係者 たちは この 状 況を ど の よ う に と ら え 、ま た今 後 の沖 縄の 方向性 に つ い て、 ど の よ う な 問 題 意 識や イ メ ー ジを 抱い て い た の だ ろ う か 。 戦跡参拝 と 舶 来 品シ ョ ッ ピ ン グ に 代表 さ れ る 観光 の現 状 に対 し て は、 多く の 関 係 者た ち が、 新し い 観光開発 の 必要 を感 じ て い た。 戦 跡 参 拝は 、 現状 では ひ っ き り な し に遺 族が 訪 れ て い る が 、時 間を 経 る に つ れ て 、やがて 動 きが 収ま っ て い く だ ろ う。 また 舶来品 シ ョ ッ ピ ン グも 、 沖縄 が日 本 に復 帰す れ ば、 舶 来 品 を安 く買 え るメ リ ッ ト も薄 らぎ 、 や が て と だ え て し ま う だ ろ う。 と い っ てこ れ ら以 外に は 、自 然の 海 の美 し さ ぐ ら い し か 、 沖縄 が観 光 客を ひ き つ け る も の は 特にない 。 そう い っ た 悲 観 的な 見 方が さ れ て い た 。 実際 、太 平 洋 地 域 観 光 協 会 が 67 年に 発行 した「 太 平 洋 旅 行 者 調 査 報 告 書」では 、日本 ・ 沖縄 を含 む 太 平 洋 26 カ国 を対 象 に、 各国 の 観光 をラ ン キ ン グし て い る 。こ れ は、 観 光 客 を ひ き つ け る要 因と し て 12 の項 目を 挙 げ、各項目 のア ン ケ ー トか ら ラ ン クを 出 している 。 各 項 目に お け る 沖縄 の 順位 を見 て み よ う。(1)人情 の豊 かさ 21 位、(2)快適 な宿 泊 施 設 19 位、(3)自 然 美 25 位 、(4) 適切 な 物 価 15 位、(5)魅力 ある 風 俗 習 慣 26 位 、(6) 快 適な 気 候 条 件 21 位、(7) 人工美 21 位 、(8) よい 食物 18 位 、(9) シ ョ ッ ピ ン グの 魅 力 17 位、(10) 異 国 情 緒 21 位、(11) 歴 史 的 血 族 的 つながり 13 位 、(12) 娯 楽 施 設 24 位、 と な っ て い る。 そして 、 これらの 総 合 順 位で は 、沖 縄は 26 カ 国中 25 位 と な っ て い る。 11全体的 に、 沖 縄は 太 平 洋 の中 で か な り下 位の 評 価を 受け て い た こ と に な る 。こ う し た 状況 の な か で、 危 機 意 識を も った 関 係 者 た ち の観 光 開 発 への 意 志は 高ま っ て い く。 69 年 4 月に 開か れ た「 観 光 産 業 開 発へ の ビジョン 」と い う座 談 会 12の中で 、出 席 者の 観 光関係者 たちは 、沖 縄 観 光 ブ ー ムの 現 状を「自 然 発 生 的」な も の と と ら え て い た 。東良恒 ・ 沖縄 ツーリ ス ト 社長 に よ れ ば、復帰問題 や ベトナム 戦 争の B52 問題 な ど で、マ ス コ ミで 頻 繁に 沖縄 が 取り 上げ ら れ て いる た め、 沖縄 へ の関 心や 好奇心 が高 まって 、観 光 客が 増え て い る に す ぎ な い 。観 光 地と し て の 施設 や資 源 、サ ー ビ ス に魅 力が 特 にあ る わ け で は な く 、 む し ろ観 光 客は 満足 せずに 帰っ て い く 状況 で あ っ た と い う。 この ブ ー ム が一過的 な も の で あ れ ば、 い ず れ過 ぎ 去り 、観光客 は 大幅 に減 少 し て し ま う の で は な い か と い う 不 安と 危 機 感 を、 出 席 者 た ち は共 有 していた 。 そ こ で、 現 在の 「自 然 . .. . 発 生 的」 な 観光 に対 し て、 む し ろ 積 極 的に 人工的 な 手 を 加え て い く 、観 光 開 発 のビ ジ ョ ン を、 彼ら は 模索 し て い た の で あ る 。 こうした 議 論の 中で 、彼 ら の話 題に 繰 り返 し登 場 するのが 、 ハ ワ イ・ 台湾 ・ 香港 ・グ ア ム・ プ エ ル ト リ コな ど の事 例で あ る。 こ れ ら の地 域は 明 ら か に、 沖 縄の 比 較 対 象として 、 また モ デ ル と し て、 さらに は競 争 相 手 と し て 意識 され ていた 。と い う の も、 こ れ ら の地 域 は い ず れ も 、自然的 ・ 地 理 的な 条 件が 沖縄 と 似ている 上 に、 す で に 観光開発 に 成功 し て い る点 で、 沖 縄の 先を 進 ん で い る と み な さ れ た か ら で あ る 。 そ し て、 こ れ ら と の 比較 の 観点 から 、沖 縄 の様 々な 問 題が 指摘 さ れ て い く 。 最大 の問 題 は、 観 光 開 発の 資金 の 問題 で あ る 。こ れ ら の 地域 では 、 政府 が地 元 企 業 への 長 期 融 資や 外 山 城 新 好 「観 光 開 発 」伊 藤 ・坂 本、1 9 7 0 所収、1 7 5 -6 。 「観 光 産 業 開 発 への ビ ジ ョ ン 関 係 者 を か こ む座 談 会 」 『沖 縄 生 産 性 』6 9 年 6 月号 、p.12-2 0 。座談 会の メ ン バ ーは、 友 利 寛 造・ 琉 球 政 府 通 産 局 観 光 課 企 画 宣 伝 係 長、渡 名 喜 守 定・ 沖 縄 観 光 開 発 事 業 団 理 事長 、高 良 一 ・沖 縄 観 光 連 盟 会 長、東 良 恒・ 沖縄 ツ ー リ ス ト 社長 、宮 里 定 三 ・沖 縄ホ テ ル社 長、 宮 里 辰 彦・ リ ウ ボ ウ( 百 貨 店 )社 長、 山 城 新 好・ 琉 球 大 学教 授 で あ っ た 。 11 12. 150.
(7) 資誘致策 を 積 極 的に 行 い、 観 光 開 発に 力を 入 れ て い る し 、住 民 全 体 が観 光 政 策 に協力的 に な っ てい る 。これに 対 して 、日 本 政 府 の沖 縄 への 取り 組 みはまだ ま だ不充分 なため 、観 光 業者 は資 金 繰り に苦 し ん で い る という 。 さ ら に、 個別的 に挙 げ ら れ た沖 縄 観 光 の問 題 点・ 課題 を 列挙 し て み よ う 。 びんがた. l. 土 産 品: 沖 縄の 特 産 品 で あ る 紅型 や陶器類 は高 価 な た め、 大 量 生 産し て 、安 く出 せる 体制 を つ く る べ き で あ る。 また 現 在、 子供 に 買っ て帰 るのに 適当 な お土 産も な い。. l. 料理 :名 物 と し て引 き つ け る何 か がほ しい 。. l. 人情:沖 縄 の人 情は 厚 いと 言わ れ る が 、タクシー な どの 不 親 切 さは 反感 を 買っ て い る 。. l. 都市美化 : ヤシ の木 は ど う し て も 植え る必 要 が あ る。. l. 舞踊 :ハ ワ イの フ ラ ダ ン ス み た い な代表的 な 舞踊 が必 要 で あ る。 ま た、 現在 の よ う に 料亭 で踊 り を見 ら れ る 人は 限ら れ て お り、 大 衆が 見ら れ る よ う な 場 所 が 必 要 で あ る 。. l. 観光施設 : 海 中 展 望 塔 ・沖 縄 文 化 村・ 水 族 館 ・国 民 宿 舎 な ど の計 画 を進 め て い る。. l. ビ ー チ: 整 備さ え す れ ばハワイ と 同様 の魅 力 が生 まれ 、 アメリカ の ハ ワ イ の よ う に 、 日本 から 沖 縄に 来る の で は な い か 。. l. 歓迎 ム ー ド :ハワイ の よ う に花 束 を贈 って 歓 迎すれば 、 楽し いム ー ドが 観 光 客を ひ き つ け る。 沖 縄の 場合 、 少年犯罪 の 増加 など 、 殺 気 立っ た 印象 を与 え て い る。 も っ と 平 和な ム ー ド がほしい 。. l. リ ピ ー タ ー 確保 :も う 一回沖縄 へ 行き た い と い う 気持 ち を起 こ さ せ る た め、 日程 を ギ ッ シ リ詰 め る の で な く 、ゆ と り あ るコース で の ん び り 楽 し ん で帰 る こ と が大 切で あ る。. l. 船:沖縄 は交 通 費が 高い 。国 鉄 並み に安 く、ま た快 適な 大 型 船 舶を 導 入す べ き で あ る 。. l. 服: 沖 縄 独 特の ア ロ ハ とム ー ム ー を考 案し て 作れ ば、 産 業の 開発 に も な る。. l. 人的資源 : 観 光 業を 経 営す る人 材 の育 成を 急 ぐ べ き で あ る。. l. 観光宣伝 : 亜 熱 帯 植 物 のような 切 り札 が必 要 で あ る。 これらの 未 来ビ ジ ョ ン か ら は、 特に ハ ワ イ が具体的 な モ デ ルと し てイ メ ー ジ さ れ て い る. こ と が わ か る。 彼ら は 、沖 縄を 「 日本 のハ ワ イ」 にす る こ と を求 め て い た と い え よ う。 ただ 、以 上は ほ と ん ど ど れ も、 今日 の沖 縄 では 整備 さ れ て い る も の ば か り で あ る 。例 を 挙げ る な ら 、土産品 は 伝 統 的な 織 物や 陶器 が 広く 出回 っ て い る し 、 食は ゴ ー ヤ ー・ 沖縄 そ ば・ 豚の 角 煮・ 紅い も な ど がブ ラ ン ド 化さ れ 、踊 りは エ イ サ ーや 琉 舞が 有名 である 。県 産 服として 、「か り ゆ し ウ ェ ア」が 作ら れ て い る。人も 、「 ウ チ ナ ン チ ュ( 沖縄 の 人)のホ ス ピ タ リ テ ィ 」が 盛ん に 語ら れ て い る。 観 光 施 設や ビ ー チ も多 数整 備 さ れ て い る し、 亜 熱 帯 植物 も観 光 客が 行く 場 所な ら ど こ にで も植 え ら れ て い る 。「 沖 縄 病 」に か か っ て、 リ ピ ー ター と化 し た観光客 が 多数 いる 。飛行機 やパ ッ ク ツ ア ー も 、60 年代 よ り も 安く な っ て い る 。 だ か ら、 現在 の 視点 か ら す れ ば 、こ れ ら の 提案 は 意外 な印 象 すら 受け る。 つまり 、現 在 .. . .. .. . では ス テ レ オ タ イ プ と 化し て あ ま り に 有名 な 沖縄 イ メ ー ジ群 が、 当 時は 近 未 来 に実 現す べ .. .. . . き規 範と し て 機 能し て い た の で あ る。 こ こ か ら わ か る の は、 現在 で は自 明な 環 境と 化し た これらの < 観光資源 > が、60 年 代の 沖 縄 観 光ブーム の 時点 では 、ほ と ん ど欠 落し 、開発 さ れ て い な か っ た と い う こ と で あ る 。裏 返せ ば 、こ れ ら の <観 光 資 源 >は 、「昔 か ら あった 」 沖縄固有 の も の に見 えるが 、実は 70 年 代 以 降の 30 年 の間 に開 発さ れ 、人 為 的 に創 り出 さ れた 新し い も の だ、 と い う こ と で あ る 。も ち ろ ん そ れ ま で も 、こ れ ら沖 縄 特 有 の文 化や 自 .. . 然の 多く は 、「自 然 発 生 的 」に 、もしくは 潜在的 には 、あ っ た 。が、それは あ く ま で、「 素 151.
(8) .. .. . .. . . . .. . の ま ま」 で 生き ら れ て い た も の で 、観光客 の ま な ざ し を 充分 に意 識 して 、見 せ る ・ 見ら れ . る た め に あ るも の で は な か っ た 。む し ろ 、70 年代以降 の新 た な文 脈の 中 で、観 光の ま な ざ しを 自 覚 的 に取 り込 む こ と に よ っ て初 めて 、 こ れ ら諸 々 の沖 縄の < 文化 >や < 自然 >は < 観光資源 > と し て 、再帰的 な 観光開発 の 対象 =客 体 へと 化し て い く 。それらは 規格化 され 、 メディア の 宣伝 に よ っ て媒 介さ れ 、大量生産 さ れる こ と に よ っ て 、「見 せ る 」「見 られる 」 た め の展 示 的 価 値を 増 していく 。そ う し て、これら 個々 の アイテム は 互い に一 体 となって 、 新た に< 沖 縄らしさ > を演 出す る デ ィ ス プ レ イ装 置と し て、 機能 し 始め るこ と に な るの で ある 。 (2)< 海 >< 亜 熱 帯 >< 平和 > のテーマ 化 69 年はまだ 、本土 からの 大 規 模な 観光開 発の ま な ざ し が 介 入す る前 の 段階 であ り 、ち ょ うど 過 渡 期 であ った 。 この 時点 で 地元 の観 光 関 係 者た ち は、 沖縄 の な か に埋 も れ ている 潜 .. 在的 な< 観 光 資 源> を 掘り 起こ し て発 見 し 、また 創 り出 そう と し て い た の で あ る 。そ の際 、 彼ら が具 体 的・ 現 実 的 なモデル として 目を つ け た の は 畢 竟、 先行 す る海 外の 類 似 地 域で あ った 。 その 中で も と り わ け 注 目さ れ た の が、 や は りハ ワ イで あ っ た。 山 城 新 好・ 琉 球 大 学 教 授 は、 論 文「 沖 縄 の観 光 開 発 と ハ ワ イ 経済 」 13の な か で 、ハ ワ イの 「 観 光 立 州」 の 経 緯を モ デル にして 、 沖 縄の 観 光 立 県 を構 想 し て い る 。 14ハ ワ イは 、 ア メ リ カ合 衆 国の 一 州 で あ り . .. . .. .. . な が ら、 地 理 的 条 件 は 本土 とは 著 しく 異な っ て い る。 そ し て こ れ が 、ア メ リ カ の中 に あ り .. .. . .. .. ながらも ユ ニ ー クな 経 済 開 発を 行 い、 観 光 産 業を 中心 に 急 成 長を と げ る 契機 に な っ て き た . .. . と い う。 同 様に 沖縄 も 、復 帰を 果 た し て日 本 経 済 の一 環 に組 み入 れ ら れ た後 も 、日 本の 中 .. .. . .. .. . .. でも ユ ニ ー クな 地域 として 、独 自 の観 光 立 県 を目 指し て い く べ き だ 、と 言う の で あ る。 15 ハ ワ イも 沖 縄も 、ナ シ ョ ナ ルな 次元 で は あ く ま で 本国 の中 に あ り な が ら、 グ ロ ーバル な 次元 では 、 ア ジ ア・ 太平洋 に対 し て開 か れ て い る 二 面 性 を も つ点 で 、共 通し て い る 。こ の ナ シ ョ ナ ル とグ ロ ー バ ルが 交差 す るロ ー カ ル な地 点が 、 ハ ワ イで あ り、 沖縄 である 。そ こ で、 ハ ワ イ が そ う し た よ う に、 沖 縄の 観 光 開 発も 、日 本 本 土 との 関 係を 縦軸 に しながら 、 同時 にア ジ ア・ 太 平 洋 の中 での 沖 縄を 横軸 にして 、両 面 の視 点か ら 観光開発 を 考え て い こ う、 と い う 発想 が出 て き た の で あ る。 ここから 、< 亜熱帯 >イ メ ー ジ を強 調 する 方 向 性 が出 て く る。 ま た そ れ が 、 新 全 総に お ける 第 8 ブ ロ ッ クと し て の 沖縄 ブ ロ ッ クが、 「日 本 の中 でも 独 特な 亜 熱 帯 地 域 」として 個 性化 さ れ つ つ、 ア ジ ア ・太平洋 に お け る国 際 交 流 の結 節 点と さ れ る よ う な発 想 にも 、つ な が っ て く る のである 。 69 年 4 月の 第 4 回 沖 縄 経 済 振 興 懇 談 会 ( →第 2 章 ) で、 渡 名 喜 守 定 ・沖 縄 観 光 開 発 事. 『沖 縄 生 産 性 』6 9 年 6 月号 、p.22-29 。 ハ ワ イは、砂糖・パ イ ナ ッ プ ル 産業(ア メ リ カ本 土 の保 護 貿 易 政 策 )→ 第 2 次 大 戦 期 の基 地 経 済 → 軍 事 削 減 後 の 観 光 産 業 の 成長 、と い う プ ロ セ ス を た ど っ た 。こ の流 れは 、沖 縄の 経 済 構 造の 推 移と も非 常 に似 て い る 。両者 とも 、ア メ リ カ の軍 事 政 策 との 関係 の中 で そ の 影響 を 受け 、経 済が 流 動 的 な状 態に 置 か れ て い た わ け で あ る 。ち な み に 山 城は 、こ の こ と に つ い て 特に 批 判 的 な見 解な ど は語 らず 、む し ろ ハ ワイ の観 光 開 発 に学 ぶ 態度 に徹 し て い る。 15 山城 は、 第 1 次・ 第 2 次 産 業の 開 発も 重要 だ が、 こ れ ら の育 成に は 時間 が か か る と 見て い た。 ま た 、 も と も と 沖 縄は 基 地 経 済に よ っ て 第 3 次 産 業が ふ く れ 上が っ て お り、 この 構造 を 1 次・2 次 に よ っ て 大 きく 組み 替 え る の は 困 難で あ る と し て 、観 光 産 業 の開 発 が最 も適 切だ と 見て い た 。 13 14. 152.
(9) 業 団 理 事 長 は、 沖 縄 観 光 開 発 5 ヵ年計画 に つ い て説 明 した 。 16この マ ス タ ー プ ラ ン は、 ① 海 中 公 園 計 画、 ②亜 熱 帯 観 光 基 地 計 画 、③ 平 和 公 園 計 画を 3 つの 柱に し て い た。 ①海 中 公 園 計 画 は、 世 界 二 番 目 の海 中 展 望 塔の 建 設である 。こ れ に よ っ て 、 沖縄 の美 し い海 を「 自 然 発 生 的 」 なままに 見 せ る の で は な く 、人 工 的な 施設 を 自然 の海 と 融合 さ せ る こ と に よ っ て、 新た な 観光 の ま な ざ し を切 り 拓こ う と す るも の で あ っ た 。従 来 光を 当て ら れ る こ と の な か っ た 海 中の 、魚 た ちの 泳ぐ 自然美 の世 界 が、 海中 展望塔 の窓 ガラス のフ レ ーム 越し に ま な ざ さ れ る こ と に よ っ て 、非 日 常 的 な< 海 >の ス ペ ク タ ク ルと 化 す。 「自 然 .. . . 発 生 的」だった 沖縄 の 海そ の も の が、水 族 館 化 される 事 態である 。沖縄 の「美 しい 珊瑚礁 」 . .. .. . .. . .. .. 「多 彩な 熱帯魚 」「 ハワイ よ り も 美し い と い わ れ るビ ー チ」 な ど の 内 在 的な 自 然 条 件を 、 観光資源 として 象 徴 的 に変 換さ せ 、活 用し て い く 方 向 性 で あ る。 ②亜 熱 帯 観 光 基 地 計 画 は、 「一 言 に し て い え ば、沖縄 を 極東 のハ ワ イと す る こ とである 。」 つ ま り、 こ の場 合「 亜熱帯 」と い う の は、 単 に沖 縄の 地理的 ・気 候 的 条 件を 指 す の で は な ... く、 亜 熱 帯 の楽 園・ ハワイ のイ メ ー ジ を外 か ら 沖 縄に も っ て きて 、 ハ ワ イ風 の 空間 を創 り 出す こ と を 含ん で い る のである 。 「日 本の ハワイ 」と い う、 沖縄 の 方向 づ け で あ る 。ま た 計画 は、 「 観光 の綜 合 産 業 たる 性 格を 活か し 、有 用 植 物 か ら の収 穫 と物産館 の 建 設 等に よ る販 路 拡 張 によって 第 一 次 産 業 に も つ な が る 」と し て い る。 観光 は 、他 の産 業 とリンク す る総 合 産 業 と し て把 握 さ れ て い た 。だから 、 <亜熱帯 > と い うテ ー マに 即し て 観光開発 を 行え ば、 それに 関連 す る観 賞 用 植 物や 農 作 物 、特産品 などの 需要 を 広く 産み 出 し、 産業 全 体を 活 性 化 で き ると 考 え ら れ て い た。 また 、 <亜熱帯 > を地 域の シ ン ボ ルと す る こ と に よ って 、自 治 体や 住民 の 観光開発 へ の連 帯意 識 を高 め る こ と も 、同 時 に図 っ て い た。 ③平 和 公 園 計 画 は、 沖縄 が 第 二 次 大 戦 末 期 の激 戦 地であり 、平 和 を祈 念す る には ふ さ わ しい 地と し て、 長崎 ・ 広島 に続 い て国 の予 算 で平 和 公 園 を建 設し よ う と す る も の で あ る 。 こ れ に よ っ て沖 縄を 「 思索 する 観 光」 地、 「 平和 への パ ス ポ ー ト 」 としての 観光地 に し よ うとした 。 この 計画 は、 沖 縄 自 体に 長 崎・ 広島 と並 ぶ 、一 つの 明 確な 特徴 づけを 与え よ う と す る も の で あ っ た 。だ が、 < 海> <亜 熱 帯> と並 ぶ 形で <平 和 >を テ ー マ 化し 、公 園 化す るこ と はすでに 、60 年 代の 遺族 による 戦跡参拝 の 段階 から は 離れ 、沖 縄 戦 が よ り抽 象 化を 進め ら れていく プ ロ セ スで あ っ た とも 言 え よ う。 < 平和 >と い う言 葉と イ メ ー ジ自 体 が、 新た に 観光 ツ ア ー の中 にパ ッ ケ ー ジ化 さ れ、 他の 要 素と 同 質 的 に、 規 格 化 さ れ た形 で 大量供給 さ れる 、そ う いう 問題 性 も は ら ん で い た わ け で あ る 。 以上 の よ う に観 光 開 発 事 業 団は 、沖 縄と 関 連の 深い ものと して < 海> <亜 熱 帯> <平 和 >を テ ー マ 化し 、こ れ ら の テ ー マ を組 み合 わせる 形で 、 観光開発 を 進め て い く 計画 を打 ち 出し た 。こ れ ら は 、60 年代 の自 然 発 生 的 観 光に は な か っ た 明 確な コ ン セ プ ト で あ り 、以 後 の観 光開 発 の方 向づ け 機能 を担 う 点で 重要 で あ っ た。 そ し て こ れ ら は、 その 後 の沖 縄そ の も の のイ メ ー ジ の基 礎 をも 形作 っ て い く こ と に な る。 これらの マ ス タ ー プ ラ ンの 実現 の た め に最 も 必要 な の は、 資 金で あ っ た。 そこで 渡 名 喜 は懇談会 で 、日 本 政 府 の援 助 拡 大 や長 期 融 資 の増 額を 求 めた 。ま た この 時点 で 、沖 縄に 進 出し て き た 外資 の観 光 産 業 は、 本 土 資 本を 含 めご くわ ず か で あ っ た 。そこで 渡名喜 は、 外. 16. 『沖 縄 生 産 性 』6 9 年 6 月号 、p.30-31 。. 153.
(10) 資の 積 極 的 な進 出を 求 めた 。こ の 時点 では 、 復帰 も海 洋 博も 決ま っ て お ら ず 、 本土資本 は まだ ほ と ん ど沖 縄に 関 心を 示し て い な か っ た のである ( →2 章 1 節 )。 この 時 期、 嵐の 前 の静 け さ の 中で 、彼 ら 地元 の観 光 関 係 者た ち は、 新し い 沖縄観光 の 形を 模索 し 、ア ピ ー ル して い た の で あ る。 この 努力 が 実を 結び 、こ の後 3 度 に わ た っ て 総 理 府 主 催 で 沖 縄 観 光 会 議が 開か れ 、本 土・ 沖 縄 両 方の 関係者 の間 で 、沖 縄 観 光 の長期的 な ビジョン が 話し 合わ れ た。 その 結果 、先 の 3 点の テーマ に即 し た形 で観 光 開 発 を実 施 する 方 向 性 が、 定ま っ て い くのである。 (3)70 年: 海 洋 博へ の 包摂 と、 本 土 資 本の 目 覚め さて 、沖 縄 にい よ い よ 激し い開 発 の波 が押 し 寄せ て く る の は 、69 年 11 月の 日米 共 同 声 明による 、 日本復帰 の 正 式 決 定 前 後か ら で あ っ た 。こ れ を受 け 70 年 1 月に は 、通産省 が 沖縄 で海 洋 博の 開催 を 検討 し て い る こ と を 明 ら か に し た 。こ れ を き っ か け に 、 本土資本 が 一斉 に沖 縄 に注 目し 始 める 。同年 3 月 、大 阪で 開か れ た第 5 回 沖 縄 経 済 振 興懇 談 会(以 下 「沖経懇 」 )で は、 初 めて 本 格 的 な沖 縄 開 発 の議 論が 盛 り上 が っ た 。そ の中 で 、海洋博 や 観光開発 の 構想 も語 ら れ て い く 。こ れ ら に つ い て の 詳細 は 、すでに第 2 章 で明 ら か にした 。 観光開発 に と っ て、 や は り 海 洋 博 誘 致 は重 要な 転換点 で あ っ た。 復帰記念 イ ベ ン トと い う祝祭性 が 、大規模 な 公共事業 を 呼び 込み 、 観光 にと っ て死活的 に 重要 な交 通 インフラ を 急速 に整 備 す る こ と が でき た か ら で あ る。 ま た同 時に 、 海 洋 博の 開 催決 定が 、 観光 ・レ ジ ャー 関連 の 本土資本 の 進出 を促 す こ と に も な っ た 。地 元 関 係 者た ち は あ く ま で 、海洋博 そ の も の よ り も、 そ こ か ら波 及す る 開発効果 の 方に 、期 待 を抱 い て い た の で あ る 。 先述 の渡 名 喜 ・沖 縄 観 光 開 発 事 業 団 理 事 長は 、第 4 回に 続 いて 第 5 回の 沖経懇 でも 、観 光 開 発に つ い て 報告 を 行っ た(詳 細 は 2 章 1 節 )。前 年 か ら の観 光 開 発 計 画 が 順調 に進 展 し て い る こ と を 確認 し た上 で、 彼 は新 たに 慶 良 間 諸 島 ( 沖 縄 本 島 近 海) の観 光 開 発 構 想 を 語る 。そ し て そ の中 で、 慶 良 間に 海洋博 を誘 致 す る こ と を 提案 する の で あ る。 この 1 年 間 のうちに 、 渡 名 喜の 観 光 開 発 構 想 の中 には 、 明確 に海 洋 博が 重要 な 座を 占め る に至 った 。 先の第 4 回 の報 告で は 、海 洋 博の よ う な 巨大 イ ベ ン トの 構想 は 、全 く 出て き て い なかった 。 明らかに 、70 年 1 月の 通 産 省に よ る海 洋 博 構 想を 契機 に して 、沖 縄 をめぐる 観 光の エ ピ ス テーメー の 変容 が生 じ て い た の で あ る 。こ の 年、 い よ い よ海洋博 が 動き 出し て い く 。こ こ から 観光 の エ ピ ス テ ー メ ー は、 海洋博 の誘 致 ・開 催 準 備 の枠 組み の 中へ 包摂 さ れる 形で 、 あるいは 海 洋博 と密 接 にリンク す る よ う な 形 で、 新た に 構成 さ れ て いく 。 一方 、こ の第 5 回沖経懇 で は、 日 本 政 府が 観 光 開 発に つ い て は基 盤 施 設 、つまり 道路 ・ 船舶 ・港 湾 ・空 港と い っ た イ ン フ ラの 整備 に 重点 を置 く 方針 を決 め た こ と も 、 重要 な点 で あ っ た。 沖縄側 から 様 々な 構想 と 資金要求 が 出て い た の に対 して 、 政府 の側 に も資 金の 限 度が あ る と し て 、政 府 としては イ ン フ ラに 特 化す る方 向 性を 明確 に し た の で あ っ た 。そ し てこれも 実 際に は、海 洋 博の 関 連 公 共 事 業 と い う形 で 行わ れ る こ と に な る( →2 章 3 節)。 もう 一つ 、第 5 回 沖 経 懇に お け る 観 光 開 発の 報告 の 特徴 は 、本 土 大 手 企業 の 積 極 的な 参 入 状 況が 示 さ れ た こ と で あ っ た 。前年第 4 回 で は、本 土 企 業 の観 光 産 業 への 投 資 意 欲が 著 しく 低い こ と が 、報 告 さ れ て い た 。と こ ろ が 翌年 のこ の 回で は、 芙 蓉 海 洋 開 発 に よ る慶 良 間 諸 島へ の 進出 、大 京 観 光 に よ る 恩 納 村 進 出 、ヒ ル ト ン ホ テ ルや 日 本 航 空の 大 型ホテル の. 154.
(11) 建設 、 東急 ホテル の 増築 などの 計 画が 紹 介さ れ た 17。1 年の 間 に こ れ だ け の 変化 が あ っ た のは 、や は り復 帰 決 定 と海 洋 博 構 想に よ る と こ ろ が大 き い。 沖縄 観 光 開 発 事 業 団 も 琉球政府 も、 観 光 開 発に お い て は何 よ り、 莫大 な資 金 の問 題を 重 視してい た。そ こ で、本 土 政 府の 積極 的 な財 政 投 融 資と、本 土 資 本の 誘 致を、69 年 から 活 発に 陳情 し て き た。 結果的 にそ の 営み は、 海洋博 を媒 介 す る こ と に よ っ て成 功 する 。そ れ は具体的 に は、 政府 による 海 洋 博 関 連 事 業 と し て のイ ン フ ラ 整備 と 、本 土 大 手 資 本 に よ る 海 洋 博を 当 て込 んだ 巨 大レ ジ ャ ー 開発 と い う、2 つ の 形に な っ て 現れ た。60 年 代の 地 元 関 係者 た ち の 、「 脱・ 自然発 生 的 観 光」 と い う 思惑 は、 こ の よ う に し て早 くも 現実化 す る こ と に な っ た。 と こ ろ が皮 肉 にも この 成功 は、 第 6 章 で見 た よ う な、 猛烈 な県 民 世 論 の反 発 と い う、 意 図せざる 結 果を 呼び 起 こ す こ と に な る 。イ ン フ ラ 整備 ( 特に 道路 ) に よ る著 し い環 境 破 壊 と、 本 土 資 本による レ ジ ャ ー開 発 目的 の土 地 買い 占め は 、た だ で さ え復 帰に よ る激 動に さ ら さ れ て い た沖 縄 社 会 に、 さ ら に パニック を 加 速 化さ せ て し ま う の で あ っ た 。 し か も こ れ 以降 、沖 縄の 観 光 開 発に お い て は、 本 土 資 本が 圧 倒 的 な力 を示 し 始め る。 渡 名喜 は じ め 地 元 関 係 者 の観 光 開 発 への 努力 は 、あ ま り に 早く 成功 し て し ま っ た 結果 か え っ て、 その 主導権 を本 土 資 本 に譲 り 渡し て し ま わ ざ る を え な い よ う な 、そ う い う 皮肉 な事 態 が、70 年代 初 頭に あ わ た だ し く押 し 寄せ て き た の で あ る 。. 第4 節. 海洋博経由 ・ 本土企業 の 沖縄 進出. (1)総 合 商 社 グ ル ー プの 登場 70 年 3 月の 第 5 回 沖 経 懇 以 降、5 月 には 沖 縄 側 に よ る「 海 洋 博 沖 縄 開 催 推 進 協 議 会 」が 設置 され 、ま た 10 月の 沖 経 懇「 海洋博 ・企 業 誘 致 分 科 会」 の開 催、71 年 3 月 の第 6 回 沖 経懇 などを 通 し て、 本格的 な 海 洋 博 の誘 致 活 動が 進 めら れ て い く 。 18その 中で 徐 々 に実 質 的な 発 言 力 を強 め て い く の は、 丸 紅などの 芙 蓉グ ル ー プ 、三 井 物 産 な ど の三 井 グループ 、 伊 藤 忠 商 事 な ど の第 一 グループ と い っ た、 本 土の 巨 大 企 業グ ル ー プ であ った 。 各グ ル ー プ は、 海 洋 博 の沖 縄 開 催 を前 提に し て調査団 を 沖縄 に派 遣 し、 海 洋 博 のマ ス タ ー プラ ンを 作 成し た。 ま た、 三 菱 商 事などの 三 菱グ ル ー プ 、日 商 岩 井 な ど の三 和 グループ 、 住友商事 な どの 住友 グ ル ー プは 、 マ ス タ ー プ ラ ン は作 ら な か っ た が 、海洋博 へ の出 展 方 針 を決 めた 。 し か し、 な ぜ こ れ ら のグ ル ー プ が出 てきた の だ ろ う か 。特 に そ の 中で も中 心 的な 役割 を 占め て い た の は 、上 に 挙げ た一 連 の総 合 商 社 で あ る。 実 は、 この 時 期の 総 合 商 社は 、地 域 開発 とも リンク する 形 で、レ ジ ャ ー産 業 基 地 の建 設を 全 国に 展開 し 始め て い た のである 。19 その 中に あ っ て 海 洋 開 発・海 洋レ ジ ャ ー も、60 年代末 ご ろ か ら脚 光を 浴 び、各 社は 急速 に 取り 組み を 始め て い た 。例 えば 三 井 物 産は 、 千 葉 県に 鴨 川シ ー ワ ー ル ド をオ ー プ ン し、 丸 紅系 の芙 蓉 海 洋 開 発 は 鹿 児 島に 海 中レ ス ト ラ ンを 計画 し 、伊藤忠 も 和 歌 山や 宮 崎に 海 中 公 園の 構想 を 推し 進め る な ど して い た。 こ れ ら 総合商社 に と っ ては 、 ちょうど こ う し た流 れ のなかで タ イ ミ ン グ よ く、 沖縄 が 浮上 し、 海洋博 が浮 上 してきた わ けである 。 5 回 沖 縄 経 済 振 興 懇 談 会 開 く」 『経 営 』7 0 年 4 月 号 、p.40 。 海 洋 博の 誘致 プ ロ セ スに つ い て の詳 細 は 、沖 縄 県 沖 縄 国 際 海 洋 博 覧 会 協 力 局 発 行の『 海 洋 博 シ リ ー ズ №4 沖 縄 国 際 海 洋 博 覧 会 の推 進 経 過 』。 ま た、 本 論 6 章 1 節 の年 表 も参 照。 19 「白 熱 化 する 総 合 商 社の レ ジ ャ ー戦 略」日本 エ コ ノ ミ ス ト セ ン タ ー 『レ ジ ャ ー 産 業 資 料』7 0 年 1 2 月 号、p.50-9 4 。 17「 第 18. 155.
(12) もっとも 、レ ジ ャ ー 施設 を 起 爆 剤に し て地域開 発 を進 め て い くと き、 その 作 業は き わ め て大 が か り にな り、 と う て い総 合 商 社 が一 社 単 独 の事 業 で推 進で き る も の で は な い 。そ こ で、同系列 のグ ル ー プ の共 同 事 業 を組 織 化し て い く こ と は必 須 で あ った 。実は 、70 年の 大 阪 万 博の 民 間パ ビ リ オ ンに お け る グループ ごとの 出 展 参 加( 三 菱 未 来 館・三 井グ ル ー プ 館・ 住 友 童 話 館・ 富士 グ ル ー プ館・み ど り館〔 三和系 〕、日 立グ ル ー プ 館な ど)も、こうした グ ル ー プ化 の 流れ の一 環 と し て、 グ ル ー プの ま と ま り を 象徴的 ・物 質 的に 表現 す る形 で、 行 わ れ て い た の で あ る 。そ し て 、75 年の 沖 縄 海 洋 博 も、< 海> と い う テ ー マに 焦 点を し ぼ り な が ら、 この 大 阪 万 博からの 流 れを そ の ま ま引 き継 い で い た の で ある。 第 5 章 で見 た三 菱 海洋未来 館 ・ 三井 こ ど も科 学 館・ 住友館 ・ 芙蓉 グ ル ー プ パ ビ リ オ ン ・WOS く じ ら 館( 伊 藤 忠 系) ・ 海洋 み ど り 館・ 日立 グ ル ー プ海 洋 図 書 館は 、 ま さ に沖 縄 に海 洋レ ジ ャ ー の開 発 .. . .. .. . .. .. . .. .. . .. . . . .. を行 おうと す る 各グ ル ー プ の経 済 的 存 在 力 を 、象徴的 に 具 現 化 し た も の なの で あ っ た。 こ こ で、 こ れ ら 民間 グ ル ー プによる 博 覧 会 空 間 へ の出 展 参 加 と、 当時 のグ ル ー プ 化し た 巨大 レ ジ ャ ー産 業に よ る地 域 開 発 とが 、互い に密 接 に連 動し 合 っている ことに 注意 しよう 。 .. .. . .. .. . .. . .. .. . .. .. . すなわち 、 巨大資本 を 媒介 して 、 博 覧 会の 会 場 内 部の 空 間 世 界 と 、 会場外部 の 一 般 地 域 社 .. .. 会の 空間 と が、 重な り 合い 、連 動 し合 っ て い く事 態で あ る。 さ ら に 言え ば、 博覧会 の会 場 空間 が都 市 ・地 域の 近 未 来 的な モデル とし て シ ミ ュ レ ー トさ れ、 そ のコ ン セ プ トや 空 間 構 成の 主体 が 、現 実の 都 市 開 発・ 地 域 開 発に も 同様 に役 割 を担 っ て い く よ う な 、 そういう 事 態が 生じ て い た の で あ る。 20 実際、 海洋博 で は こ れ ら 民間 グ ル ー プの 海 洋リ ゾ ー ト のコ ン セ プ トが 会 場 内 に演 出さ れ . . .. . . . . . .. . .. て い くが 、 そ れ と並 行 して 、会 場 外 部 の < 沖 縄 > そ の も の が 、同 様 のコ ン セ プ トと 主体 の も と に、 海 洋リ ゾ ー ト と し て演 出 ・開 発さ れ よ う と し て い た 。す な わ ち 後述 す る ように 、 <海 >の 博 覧 会 空 間・テ ー マ パー クは 、海 洋 博 会 場 の内 部 だ け で閉 じ て い た わ け で は ない 。 同 時 並 行 的 に、 会 場 外 部・ 周辺 の 本 部 半 島 一 帯が リ ゾ ー ト ゾ ー ン として 、< 海 >の 博 覧 会 空間 ・テ ー マ パ ー ク として 演出 さ れ よ う と し て い た。 そ し て こう し たテーマ 化 の動 きは 本 部 半 島だ け で な く、 沖 縄 本 島 北 部 、さ ら に は 離島地域 を 含め た< 沖 縄> 全体 にまで 及ん で い く の で あ る。 し か も そ の 主 導 権 を担 お う と す る ア ク タ ーは 、同 じ くこれら 本 土の 巨 大 資 本た ちで あ っ た 。 こ の よ う な 事態 が、 な ぜ こ の時 期に 起 こ っ た の だ ろ う か。 総 合 商 社の 積 極 的 なレ ジ ャ ー 基地開発 の 動き は明 らかに、 第 1 章 で見 た全 総 〜新全総 〜 列島改造 という、 一 連の <国 土 開発 >政 策 を背 景と し て い た。 ま た同 時に 、 日本 の高 度 経 済 成 長 による 「所 得 と余 暇の 増 大」 と い う 当時 の一 般 認識 も、 彼 らの レ ジ ャ ー産 業 拡 大 の一 因と な っ て いた 。 そ し て、 新 全総 〜沖 振 計に お け る 復 帰 後の 沖 縄の 位置 づ け( →2 章 2 節)は ち ょ う ど、 こ れ ら に対 応 するもの で あ っ た 。す な わ ち 沖縄 は 、「 わが 国 唯 一 の亜 熱 帯 地 域 」として 、「 国民的 な保 健 休養 お よ び 観光 レ ク リ ェ ー シ ョ ン 地域」 としての 開 発整 備を 図 ら れ て い く 。こ う し た 開発 の エ ピ ス テ ー メ ー は明 らかに 、総 合 商 社 の沖 縄 進 出 を後 押 し す る形 に な っ て い た の で あ る 。 こ こ で手 短 な が ら、 ①レ ジ ャ ー の産 業 化と ②空 間 のテーマ 化 がそ れ ぞ れ、 我 々に と っ て もつ 意味 を 考え て み よ う。ま ず は ①である 。この 時 期の レ ジ ャ ー産 業は 、消 費 者が 単 に「 休 む」 「見 る 」だ け で な く、 自ら が 能 動 的に 参 加し 、体 験 する 楽し み そのもの を 売る 志 向 性 そ し て こ の流 れ は さ ら に 8 0 年代 、東 京 デ ィ ズ ニ ー ラ ン ドを は じ め と す る 、テ ー マ パ ー ク に よ る 地域 開発 へと 受 け継 が れ て い く 。多 田 、1999 、2000 を 参照 。 20. 156.
(13) を も っ て い た。 典 型 的 な例 は、 ( 当時 ア メ リ カの )デ ィ ズ ニ ー ラ ン ドの よ う な 体 験 型テ ー マパーク である 。そ し てこ の 時期 の万 国 博 覧 会も ま さ に 、体 験 型の 楽 し み を導 入 していた 。 照明 ・音 響 ・映 像・ 移 動な ど、 様 々な 演 出 効 果に よ っ て 体験 を商 品 化し 、五 感 を商品化 し て い く方 向 性である 。 こ の よ う に 、レ ジ ャ ー (= 余暇 ) 、レ ク リ ェ ー シ ョ ン ( =休 養・ 気 晴ら し )、さ ら に は 体験 や 五感 と い っ た 、何 気な い 自 明 性の 領 域にまで 、商品化・産 業 化 ・ サービス 化 が及 ぶ。 こ れは 、そ う し た サ ー ビ スや 産業 の 体系 (→2 章 3 節) が 、我 々を 取 . . .. .. り巻 く環 境 そのもの を 、人工的 に 創り 出し て い く こ と を 意味 する 。 つ ま り、 レ ジ ャ ー産 業 とは 、環 境 創 出 の産 業 な の で あ る 。総 合 商 社 のレ ジ ャ ー 産業 への 進 出は 、よ り 包 括 的な サ ー ビ ス産 業 によって 、 人間 の環 境 そ の も の を 再 編 制し て い こ う と す る営 み で あ っ た 。 こ こ に、 ②空 間 のテーマ 化 が重 な っ て くる 。総 合 商 社 の沖 縄 進 出 は、 海 洋 博 を契 機に し て、 沖縄 の ローカル な 場所 を、 抽象的 な海 洋 レジャー 基 地として 開 発してい こ う とする 営 みで あ っ た 。博覧会 の <海 >の テーマ は、 会 場の 中だ け で な く、 会 場 外 部の 沖 縄の 地 域 空 .. .. . .. 間にまで 拡 散し て、 新 たな 環境 を 構成 し て い く の で あ っ た。 確か に 自 然 発 生 的 には 、沖 縄 は も と も と 亜 熱 帯 地 域 に位 置し 、 海に 囲ま れ てい た。 しかし 、そ の <海 >が 博覧会 のテ ー マとして 、 本土資本 に よ っ て著 し い再帰性 を 向けられ たとき 、沖 縄 の< 海> は 確実 に象 徴 的な 変容 を と げ て い く 。いまや 沖 縄の <海 > は、 <亜 熱 帯> の観 光 リゾート として 、大 規 模な レ ジ ャ ー開 発・ 観 光 開 発の 対 象= 客体 へ と化 し て い く の で あ っ た。 21 (2)三 井 物 産 に よ る 本部半島 と 長期 ビ ジ ョ ンの 提示 70〜71 年に 三井物産・芙 蓉 海 洋 開 発 ・ 伊 藤 忠 商 事 の各 社が 作 成し た海 洋 博の マ ス タ ー プ ラ ンの 中で 、 最もよく 練 り込 ま れ、 また 実 際にその 後 の計 画に 取 り込 ま れ て い っ た の は 、三 井 案 で あ っ た 。 22決 定的 な違 い は、 芙蓉 と 伊 藤 忠が 会 場の 第 一 候 補に 読谷村 を選 ん で い た の に 対し て 、 三井 は本 部 半 島 を選 ん で い たこ と で あ っ た。 だ が こ の時 点で 、 例え ば 70 年 9 月 の琉 球 政 府 の長 期 経 済 開 発 計 画 に お け る ゾ ー ニ ン グ では 、本 部 半 島 は観 光 区 域 に 指定 さ れ て お ら ず、 ほ と ん ど注 目 さ れ て い な か っ た 。三 井は 、 なぜ 本 部 半 島を 選 ん だ の だ ろ う か 。三 井 案の 「会 場 立 地 の 検討 」を 見 てみよう 。 23 まず 、観 客 動 員 や交 通の 便、 敷 地 取 得 な ど の点 か ら、 会場 は 沖縄本島 で な け れ. 21. も っ と も 、本 土 資 本の 沖 縄 進 出が 、す べ て こ の よ う な実 質 的 役 割を 果 た し て い た わ け で は な い こ と も 付け 加え て お き た い 。 中で も、 悪 評 高 い土 地 買い 占め の 中に は、 最初 か ら投 機 目 的 の も の も あ っ た 。 22 各社 のプ ラ ン に つ い て は 、 『海 洋 博 シ リ ー ズ№4 』 。 23 三 井 物 産 、1971、p.13 -1 6 。. 157.
(14) ばな らな い と し て、慶 良 間 や八重山 などの 離 島 地 域が は ず れ た。次に 、本 島 の う ち、那覇 ・ コザ を中 心 と す る中 部 は、 都 市 化 地 域 の た め 困難 と し た 。糸 満が 候 補に 挙が っ て い た南 部 .. は、 戦跡 や 慰 霊 碑が 多 い「 聖域 」 で あ り、 平 和 公 園の 観 点か ら整 備 さ れ る べ き と し た。 ま た東海岸 は、中城湾 から 金武湾 に か け て、工 業 化を 進 め て い る た め不適切 とした 。さらに 、 中部地区 の 有 力 候 補 地 ・読 谷の 残波岬 は、 米 軍 施 設が 近 いことが ネック で あ る と し て退 け ら れ た。 < 戦争 >< 基 地> <工 場 >と い っ た 、海 洋リ ゾ ー ト には 似 つ か わ し く な い イ メ ー ジをもつ 地 域が 、周 到 に除 外さ れ て い る こ と が わ か る 。 こ れ は、 < 戦争 の沖 縄 >< 基地 の 沖縄 >と は ま た 別の と こ ろ に、 パ ラ レ ル ワ ー ル ド と し て 、「 青い 空 、青 い海 」 の< 観光 リ ゾ ー トと し て の 沖縄 > イメージ が 構築 さ れ て い く プ ロ セ スの 、現 実 的・ 空 間 的 な様 相を 表 し て いる 。 残る は、 恩 納 村 以 北 の西 海 岸で あ っ た。 恩納村 〜名 護 の海岸線 は 、サンゴ が 群生 する 美 しい 地区 であり 、那 覇 か ら の交 通 の便 にも 恵 まれ 、す で にレ ジ ャ ー 観光施設 の 開発 が進 み つつある 。 だが 恩納 地 区は 、水 資 源に 乏し い 上に 、沿 岸 の背後地 も せ ま い た め 、用 地 確 保 が困 難で あ る。 こ れ に 対し て本 部 地 区 は、 那 覇か ら 2 時間 も か か る距 離 に あ る わ け だ が 、 三井 は ど の よ う に し て 本部 のメ リ ッ ト を語 るのか 。重 要 な箇 所な の で、 引用 し て みよう 。 「以 上に よ り、 恩 納 地 区と 本 部 地 区が 候 補 地 と し て残 る わ け で あ る が、 前者 が 観客 の動 員、 交通 の 便か ら み て 極め て有 利 であるが 、 視点 を か え て、 海 洋 博 を機 会に 沖 縄 開 発 基盤 の整 備 を行 う も の と す る な ら ば、6 年 乃 至 10 年の サ イ ク ルで の開 発 を見 越し て 、 む し ろ本 部 地 区 をク ロ ー ズ ア ッ プ して 行く べ き で あ る と 考え る。 即 ち、 那覇 から 名 護 へ か け て の 開発 の み な ら ず 、政 府 の立案中 である 沖 縄 本 島 縦 貫 高 速 道 路 の延長及 び 平 良湾 を含 む 北 部 循 環 幹 線 道 路 網 の 整備 、更 に は平 良 湾 以 北の 未 開 発 地へ の開 発 拠 点 と して 、こ れ を つ な ぐ 企 画の 観点 からも 勝れ て い る 。」 ( 強調 は多 田 ) 現状 の交 通 の便 や観 客 動 員 な ど を 考えれば 、やはり 恩納村 の方 が 妥当 と い う こ と に な る 。 だが 、目 先 の海洋博 の こ と だ け を 考え る の で な く 、あ え て視 点を 変 えて 、以 後 の沖 縄 開 発 も見 すえ て 長 期 的 展 望 を と る な ら ば、 本 部 地 区の 方に 目 を向 け て い く べ き だ 、 と言 う の で ある 。本 部 半 島 を会 場 にすれば 、 博 覧 会の 会 期後 も そ こ を拠 点と し て、 那覇 〜 名 護 間に と どまらず 、 北部全体 に も開 発を 広 げて い く こ と が で き る 、という 発 想である 。 後述 す る よ う に 、こ の よ う な三 井の 長期的 ビ ジ ョ ンは 、の ちの 北 部リ ゾ ー ト 開発 の方 向 性に 影響 を 与え る こ と に な るわ け だ が 、さ し あ た りま ず 、海洋博 そ の も の に 三 井の プ ラ ン は受 け入 れられ 、琉 球 政 府 の会 場 用 地 選 定 委 員 会 は、 本 部 地 区を 選 ん だ の で あ っ た (そ の 詳細 は 4 章 4 節)。 実 際、恩 納 村は す で に、 い く つ か の 企業 が 観光開発 を 始め てお り、 わ ざ わ ざ海 洋 博を 起 爆 剤 に す る必 要 もな か っ た 。むしろ 、 最大 の開 発 効 果 を考 え る な ら、 最 も広範囲 に インフラ を 整備 でき 、 本島北部 の 産業 ・雇 用 を活性化 す る こ と が で き る と い う 点で は、 本 部 半 島は 合理的 な選 択 と言 え る の であった 。 三井 のプ ラ ンは 、本 部 半 島 を北 部リ ゾ ー ト 開発 の 拠点 に置 く と い う点 で、 明 ら か に重 要 なタ ー ニ ン グ ポ イ ン ト と言 え る も ので あ っ た 。先 に も ふ れ た と お り 、それ 以前 の 段階 では 、 本部半島 は ほ と ん ど 注 目さ れ て い な か っ た 。と こ ろ が 、71 年の 三井 プ ラ ン を経 て 、72 年 2 月に 会 場 地 に決 定し た 瞬間 から 、 本部半島 は 一挙 に注 目 を浴 びる ( そ し て、 本 土 企 業の 土 地買 い占 め と地 価 高 騰 とい う、 思 わぬ 副 産 物 を呼 び込 むほど に ま で なる )。 同 年 12 月の 沖 縄 振 興 開 発 計 画の ゾ ー ニ ン グ に お い て も 、 北 部 圏は 「 沖 縄 国 際 海 洋 博 覧 会 を 機会 に本 部 158.
(15) 半島 に形 成 さ れ るリ ゾ ー ト ・ゾ ー ンを 核と 」 す る こ と が 、明 記さ れ た。 そ し てさ ら に重 要な の は、 三井 のプ ラ ンを 通し て、 海洋博 が明 確 に、 沖縄 の 長 期 的な リ ゾ ー ト ゾ ー ンの 開発 と 連動 さ せ ら れ て い っ た こ と で あ る 。博覧会 ・ テ ー マ パ ー クと 地 域 開 発と の、 密 接な 結び つ き で あ る 。 こ れ は単 に 、物質的 な 経済効果 という 面だ け に は と ど ま ら な い。 よ り重 要な の は、 博 覧 会 ・テ ー マ パ ー ク が周 辺 地 域 に与 え る、 テ ー マ 化の 象 徴 的 な効 果で あ る。 海 洋 博 とい う< 海 >の テ ー マ 博は 、会 場 の中 だ け で な く 、外 部 の周 辺 地 域 に ま で、 < 海> のテ ー マを 割り 当 て、 包み 込 んでいく 。 そ れ は、 地 域ブ ラ ン ド の開 発で も あり 、博 覧 会の コ ン セ プ ト に よ る 、新 たな 環 境の 創出 で も あ っ た 。 し か も そ の 効果 は、 本 部 半 島→ 本 島 北 部→ 沖 縄 全 域 24、と い う よ う に 、ど ん ど ん 拡散 し て い く の で あ っ た。 (3)公 共 性の 活用 と 多 元 的ヘ ゲ モ ニ ー ところで 、こ の よ う な成 功 から 、三 井 物 産 の ほ う は ど の よ う な メ リ ッ トを 引 き出 し た の だろうか 。 三井物産 は 他社 に先 駆 けて 、す で に 70 年ご ろ か ら本 部 半 島 に進 出 し始 め て い た。 そのこ と は 、同 社 が本 部 半 島 を会場地 に 推し た こ と と、 密接 な 関連 が あ っ た は ず で あ る。総 合 商 社が「レ ジ ャ ー 産業 による 地 域 開 発」25と い う 先述 の方 向 性を 進め て い く 場合 、 国や 県、 市町村 の行 政 を味 方に つ け る こ と は 、活 動の 正 当性 を手 に 入れ るた め に は 非常 に 重要 な点 である 。ま し て、 万 国 博 覧 会 と い う 国際 イ ベ ン トを 誘致 し て き て、 そこに 一 役 買 う形 を と る こ と は、 国家的 にも 国際的 にも 、 絶大 な支 え を得 る こ と に な るの で あ っ た。 た だ し 、三 井 の立 場 は あ く ま で、 サ ブに と ど ま る 。 26マ ス タ ー プ ラ ン を 作 成し て 本部 へ の会 場 誘 致 を促 し、 海洋博 の下 案 を提 示し た 後は 、沖 縄 県・ 海 洋 博 協 会 ・通 産 省な どに 、 実 質 的な 議 論と 判断 を ゆ だ ね て い く。 だが 、 実は そ れ の 方が 、逆 に 有利 なの である 。こ れ らの ア ク タ ーが 、三 井 のプラン を 基礎 に し て 構想 を練 り 上げ て い く に つ れ て 、 三井 のプ ラ ンと 活動 は 「公共性 」 を お び、 正 統性 を承 認 され て く る の で あ る 。 こ れ は一 種 の公共性 の 活用 で あ る 。これに よって 三井 は 、本 部 半 島 のリ ゾ ー ト 開発 に対 し て、 より 正 当な 立場 を 与え ら れ よ う と し て い た の で あ る 。 27 一方 、沖縄県 や 通 産 省も 、本 土 資 本 の沖 縄 進 出 を積 極 的に 求め て お り 、海 洋 博や リ ゾ ー ト開 発に 企 業が 参入 し て く る こ と に は 大い に 歓迎 であ っ た。当 時、企 画や 資金 な どの 面で 、 民間活力 を 積 極 的に 導 入す る こ と が、 地 域 開 発に 求め ら れ て い た 。 海 洋 博も ま さ に 、政 府 主導 で巨 大 イベント を 立ち 上げ な が ら 、そ こ に民 間 企 業 を参 加さ せ 、地 域の 経 済 開 発を 図 っていく 営 み で あ っ た 。 実は 、ここに 実 現さ れ よ う と し て い た の は 、沖 縄の 国 土 空 間を め ぐ る 、多 元 的ヘ ゲ モ ニ ーの 確立 で あ っ た。 す な わ ち、 日 本 政 府、 沖縄県 、諸 々 の巨 大 資 本 グループ 、 これらが 権. 24. 実際、本 部 半 島の 会 場 選 定と 並行 し て、離島 を含 む県 内 の他 の地 域 も、海 洋 博を 契 機に、< 海> の テ ーマ に関 連 する 施設 を 建設 す る こ と に な っ た 。こ れ に よ っ て 各 地 域 は救 わ れ る と と も に 、海 洋 博 のテ ー マが 県 内 全 域に 広げ ら れ る こ と に も な っ た 。 詳細 は 5 章 6 節 を 参照 。 25 三井 は海 洋 博 に 関し て も 、地 域 開 発を 明 確に 意識 し て い た。第 6 回 沖 経 懇 で、滝 沢 哲 雄・ 三 井 物 産 沖 縄 対 策 室 長 は こ う言 っ て い る 。「 我々 当 三 井 グ ル ー プ と し て の計 画の 立 案 方 式で あ り ま す が 、沖 縄の 国 際 海 洋 博 覧 会と 沖縄 の 経済 を ど う や っ て開 発 し て い く か と 、こ う い う 点に 視点 を お き ま し た 。」沖 縄 経 済 振 興 懇 談 会、1 9 71 、p.137。 26 同じ く 第 6 回 沖 経 懇で 長 亨・三 井 物 産 取 締 役 業 務 部 長は 、海 洋 博プ ラ ン作 成の 件 に関 して 結 局 最 終 的 には 、「 や は り こ れ は 政府 のお 仕 事に な る わ け で す か ら 、… 」と い う 発 言を し て い た。 同上 、p.135 。 27 私は 以前 、ピ エ ー ル ・ブ ル デ ュ ーの 社 会 学 の理 論 的 検 討の な か で 、こ の よ う な「 公 共 性の 活 用」 の 問 題に つ い て 論じ た こ と が あ る。 多 田、1996 、1997 を参 照。. 159.
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