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ロ o 笹 蒔 ① ⇒ 8 と 過 失

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(1)ロo笹蒔①⇒8と過失 ー不法行為法におけるf. 一︑問題の所在 二︑莞αq一茜98の内容. 四︑結論. 三︑琴αQ凝窪8と云う呼称. 剛 問題の所在. 須. 賀. 淳. ﹁5品一蒔窪8とは︑人間行動を通常規律する諸考慮事項に指針をえた合理人が行なうと考えられることをなさな ︵1︶ い︑あるいは注意深くかつ合理的な者ならしないようなことを行なうことを云う︒﹂. ︵2︶. かかる文脈におけるp品凝窪8を訳出するとしたら︑どんな日本語をあてるのがよいだろうか︒これを検討する のが本稿の目的である︒. 八九. 従来は︑これに﹁過失﹂と云う訳語があてられ︑その上で目本法の︿過失﹀と英米法の︿過失﹀は異なると云うこ b罐凝窪8と過失︵須賀淳︶.

(2) 早稲田法学会誌第三十六巻︵一九八六︶. 九〇. とが強調されてきた︒前者は心理状態を指すのに対し︑後者は注意義務に違反したく行為Vだと云うわけである︒こ ︵3︶. れに対し︑最近では徐々にかかる両者の相違を重視したのか︑﹁過失﹂と云う訳語を避け︑﹁ネグリジェンス﹂と表現 する文献が現われているQ. そもそも訳出と云う作業は比較法の作業と親密な関係をもつ︒複数の法体系間から類似の概念あるいは制度を抽出. し︑その類似性の存在を踏まえて両者の相違を発見しその原因を明らかにするのが比較法であると云える︒全く共通. 項をもたないもの同志ではそもそも比較と云うことが成り立たない︒そして訳出の作業は︑望むと望まざるとに拘わ. らず︑諸体系間における諸概念︑諸制度の間に類似性が存在することの承認を伴なう︒両者が比較されるべき︑ある いは比較しうる要素であるとの承認の宣言を付随してしまうのである︒. 昌品凝窪8を﹁過失﹂と訳出する場合︑英米法上のロ品凝窪8と云う概念と目本法における過失の概念が比較. しうる要素であることを承認していることになる︒行為と心理状態と云う相違は類似性を土台とした上での相違にし かすぎず︑比較を成立させるための類似性を破壊するものではないと云うわけだ︒. しかし翻って考えてみれば︑比較に不可欠な類似性の存在は充分に論証されてきたのだろうか︒私のみるところ︑. そうではないように思われる︒両者問に類似性のあることは自明のこととされ︑これを前提とした相違ばかりが強調. され考究されてぎたように思う︒両者間の類似性を根拠付けてきたものは︑唯一︑言語的同一性だけだったのではな. いだろうか︒﹁過失﹂と訳出した文献で︑その訳語の選択にあたってどのような注意を払ったかを明らかにしたもの. はないのでこの点は定かでないが︑もしそうであるとしたら︑あまりに稀薄な根拠であると云わざるをえない︒勿. 論︑内容面ばかりを強調して︑言語的同一性︑形式的同一性︑法的構成の同一性︑これら一切を無視するわけにはい. かないにしても︑内容の点で昌お凝き8と過失が異なっている以上︑何故言語的同一性が生じたかをよく考えてみ.

(3) る必要があると思う︒この原因を突き止め︑それを内容面の相違と合わせ考察し︑その後に全体として両者に類似性 があるかどうかに結論を下すべぎと思うのである︒. したがって以下においては︑まず諾αQ凝窪8の内容を明らかにし︑次に何故かかる内容に対してぎ磯凝窪8と. ︵4︶ 云う表現が与えられたかを考えてみる︒そしてその後に︑目本の過失概念をとりまく他の諸概念にも照らして︑莞αQ・. 一蒔窪8の訳語を決定することにする︒. 二 昌藷凝窪8の内容. ︵5︶. 冨鵬凝窪8はそれだけで孤立して存在しているわけではなく︑ネグリジェソス不法行為の成立要件のひとつとし. て他の諸要件と相関的関係をもつ︒また︑琴αq凝窪8と云うひとつの概念の中には︑心理状態としてのづ畠凝窪8 ︵6︶ ︵行為の結果を予見しなかったこと︶と行為としての昌畠一蒔窪8と云うふたつの意味が含まれており︑かなり複雑. なものとなっている︒そのため︑これの内容を明らかにするためには︑他の要件との関係でこれがどのような位置に. 立つか︑行為としてのづ品凝窪8と心理状態としてのそれがどのような関係にあるかを検討しなければならない︒. ﹁原告は︑被告が彼に対して負った義務︑ 被告によるその義務の違反︑そして結果としての損害を立証しなけれ ︵7︶ ばならないo﹂. 判例上︑ネグリジェンス不法行為の要件はこのように定式化される︒これをさらに精密に分析するならば︑五つの. 九一. 要件に分解できる︒すなわち︑ω義務情況︑②義務違反︑③近接性︑ω事実的因果関係をもつ損害︑⑤法的因果関係 5紹凝窪8と過失︵須賀淳︶.

(4) ︵9︶. 早稲田法学会誌第三十六巻︵一九八六︶ ︵8︶. 九二. の存在︑である︒需αq一蒔魯8は②に対応する︒ωからωまでが責任に関係し︑⑤は補償に関係する︒したが. 本稿ではとくに前者︑それもとりわけ①から③までを必要な限りにおいて考察する︒. って︑. 義務情況 qD ﹁イギリス法においては︑義務︹の存在︺が確証されることが不可欠である︒ある者が他の者の行為によって侵. 害を被ったと云う単なる事実だけでは訴因を生ぜしめない︒⁝⁝行為が然るべき注意の欠如を含む場合︑注意深く ︵10︶ あるべき義務が存在しない限り︑訴えうるネグリジェンスの主張は生じない︒﹂. ﹁ネグリジェソスにおける注意義務の領域がどのくらいの範囲で設置されるべきかと云うことは︑最終的に︑他. の者の不注意から保護してほしいとの社会の要請を裁判所がどのように評価するかと云うことにかかっている︒経. 済的保護は︑身体や財産に対する侵害が発生する有形的な場合の保護に遅れをとっている︒想定しうる請求の範囲 ︵11︶ の大きさや広さは経済的保護の拡大を阻止するものとして作用すると云ってよい︒﹂. ﹃ドノヒュー対スティ1ヴンスン事件判決は往々にして︑申し立てられている損害が物理的であった︑すなわち. 中Go占§αU窪β蜜く●ω仁℃℃凱o︒︒印↓蚕霧bo二〇〇●い注の︹お㎝O︺N閑●切●. 身体あるいは財産に対するものであった場合にのみ適用されてぎたことが看取されうる︒恥禽頃霧︒蛋ま〜ρ ︵2 1︶. ︾●U鎚嶺馳ωo昌い孟●︹お亀︺N国 濯o .﹂ o.

(5) ︵13︶. イギリスにあっては︑ドノヒュー対スティーヴソスン事件判決によってネグリジェソスと云うひとつの不法行為類. 型が成立した︒この不法行為は︑さしあたり故意によらざる不法行為︵§ぎ一窪ユ8巴ε邑に関するものであると. 云ってよいが︑これ以前にあってもこうした不法行為に対する救済方法の途が完全に閉ざされていたわけではない︒ ︵14︶. たとえば︑公衆的職業︑公衆的官職や制定法︑あるいは慣習法の定める場合︑危険物を保管する者などは︑まαQ一黄窪8. を理由として責任を負った︒断片的にのみ不法行為が成立したわけである︒そして︑その他の者︑その他の場合は契 ︵15︶ 約関係が存在しなければ訴えられない︑つまり不法行為を理由とする訴権は生じないのであった︒ ︵16︶. 一九世紀は︑イギリス・コモン・・⁝の硬直化の時代として知られるが︑その後半期に生じた馬車同志の衝突︑ス ︵17︶. ピード競争などによる交通事故が激増し︑社会はケースの訴えの拡大を要望した︒その結果︑まず交通事故について. 5畠凝窪8を理由とする訴権が拡大創設されるが︑こうした動きが訴訟方式の廃止と手を携えて︑それまで断片的に ︵18 ︶. しか法的保護を与えられなかった状態を大幅に拡大して︑故意によらざる不法行為についての一般理論を構築するこ とを促したのである︒ ︵19︶. しかしながら︑このことはあらゆる加害が不法行為となると云うことは意味しない︒ネグリジェンス不法行為が成 0︶︵21︶. 立するためには︑まず︿義務情況﹀が存在しなければならない︒すなわち︑加害態様並びに損害の種類が訴えられう ︵2 るものとして︑裁判所によって承認されていなけれぽならないのである︒英米不法行為法ではとくに︑無形と有形と ︵22︶. 云う区別に注意が払われる︒その結果︑次のような図式が考えられる︒①行為と有形的損害︑②言説と有形的損害︑. ③行為と無形的損害︑④言説と無形的損害︒このうちドノヒュー判決が不法行為となりうることを承認したのは① ︵23︶. ︵及び②︶だけであった︒行為と云う有形的態様によって︑身体あるいは財産に対する損害︑すなわち有形的損害を. 九三. 加えた場合は︑製造物であるか否かと云った細目に拘わらず︑義務情況にある︑不法行為となりうるとしただけなの ⇒①oq一一㏄竃8と過失︵須賀淳︶.

(6) 早稲田法学会誌第三十六巻︵一九入六︶. 九四. ︵24︶ であった︒そして︑その他③及び④は後の判例によって展開されるのを待つほかなかったのである︒ ︵25︶. ︵26︶. かかる義務情況の有無は裁判所が社会の要請を評価することによって決定される︒そしてある判決での決定は後の. 事件を拘束し︑これは法律問題として扱われる︒たとえば︑ヘドリー・バーソ判決に至るまでは︑言説によって純粋 ︵27︶. に経済的な損害を加えることは︑当該事件の具体的な事実関係に立ち入って考察するまでもなく︑不法行為となりえ ︵28︶. ないと考えられてきた︒それはとくに︑かかる加害態様︑損害の種類では︑損害が無制限に拡大していってしまうと. 云う配慮からであった︒そのため︑画一的に︑言説によって純粋に経済的な損害を加えることは一切不法行為となり ヤ. ヤ. ヤ. えないとされたのである︒しかしヘドリ!・バーン判決は損害が無制限に拡大しない場合もあるとして︑原告が被告. の言説に信頼していたときは不法行為が成立しうるとした︒この点で︑不法行為成立・不成立の一線を画そうとする. わけである︒そしてかかる決定は法律問題であるため︑ヘドリー・バーソ判決︵貴族院︶はそれまでの先例であった. キャソドラー判決︵控訴院︶を覆すと云う手続を採らなければならなかったのである︒義務情況の有無についての判. ︵29︶. 断は︑それまで先例のなかった場合︑あるいは先例を覆そうとする場合には︑あたかも立法者が行なうような社会一 ︵30︶︵31︶. 般への影響を視野に入れた琶げ一ざ℃&昌8霧箆震蝕oロ︵社会的実質判断︶に基づいて行なわれるが︑ひとたび先 例が確立すれば︑これを機械的に適用するだけの論理的なものとなる︒. ② 義務違反︵β縄一置窪8︶. ﹁予見しうる危険に対して何らかの注意が払わるべきかどうかを考察するにあたっては︑一方において危険の大. きさ︑事故が生じる蓋然性︵露琶チo&︶そして事故が生じた場合に想定しうる結果の重大性と︑他方において︑ ︵32︶ 注意を払うことの困難さ︑出費︑その他の不利益を比較考量︹しなければならない︒︺﹂.

(7) これが本稿で問題にしている露αQ凝窪8の有無が考察される際に考慮に入れられる諸因子である︒要約するな ︵33︶. ら︑原告の事情と被告の事情︑それに社会的影響を含むその他の事情を加え︑全体として比較考量をすると云うわけ. である︒義務情況の部分では︑諸当事者の事情よりむしろ︑かかる請求を認めたらあるいは認めなかったら︑社会一. 般にどのような影響がもたらされるかと云うことを考えた︒かかる一般性︑抽象性がこの問題を法律問題とし︑ルー. ルヘと結晶化することを促した︒対照的に︑この義務違反では︑社会的影響と云うことも無視されるわけではない. が︑むしろ当該事件の両当事者の事情の比較考量と云う具体的事項に重点が置かれる︒そのためこれについての判断 ︵34︶ は︑当該事件のあらゆる情況が考慮に入れられ︑当該事件に固有のものとなる︒事実問題とされるわけである︒と云 ︵35︶ うのも︑当該事件のあらゆる情況が考慮に入れられるとき︑これに類似した事件は存在しなくなるのである︒義務違. 反の有無の基準を合理性とすると云うのは法律問題であり後の事件を拘束するが︑当該被告の行為が合理的であった ︵36︶ かどうかは事実問題であり︑その決定は後の事件を拘束しない︒. ③近接性. ︵38︶. ﹁民事訴訟にあっては︑抽象的な露αQ凝窪8と云うようなものは存在しない︒ 被告が注意義務を負っている相 ︵37︶ 手方に対する注意義務の解怠が存在しなければならない︒﹂. ︵39︶. 九五. 注意義務︵義務情況︶に関しては︑ その存在についての間題に加え︑ その範囲と云うことが問題となる︒ 前者は今. 述べた義務情況の有無の問題であり︑ 後者が近接性の問題である︒ 嵩ooq一蒔窪8と過失︵須賀淳︶.

(8) 早稲田法学会誌第三十六巻︵一九八六︶. ︵40︶. 九六. 義務情況の有無についての判断は︑当該事件の細かな事実関係には関わらないと云う意味において︑抽象的・一般 ︵41︶. 的なものである︒しかしネグリジェソス不法行為成否についての考察はこれだけでは完結せず︑より具体的な考察へ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. と進展していかなければならない︒そしてそのひとつが義務違反であったが︑さらにこの近接性の部分では︑当該被. 告が当該原告に対して義務を負っていたかと云うことが問われる︒換言するならば︑当該原告及び当該損害が被告の. ても不法行為は成立しない︒. 注意義務の範囲内にあったかが問われるのである︒もしこの範囲内になかったならば︑たとえ義務違反があったとし. これの基準となるのは︑ボーヒル判決で確立されたように︑原則的に︑当該被告の当該原告及び当該損害に対する. 予見可能性である︒ドノヒュー判決においてもマクミラン判事は抽象的な不注意と云うものに言及しており︑注意義. 務の範囲と云うことに思いを馳せていたようであるが︑当のアトキソ判事の判示ではそのことが述べられず︑あたか. も予見可能性が注意義務の存在の有無を考察する際の基準となるかの如き誤解を生んでいた︒しかし︑ボーヒル判決 ︵42︶ でこの点が明確にされた︒ ︵43︶. しかし︑あらゆる事件で常に予見可能性が近接性の内容となるわけではない︒たとえば︑言説によって純粋に経済 的な損害を加えた場合は信頼性の有無がその基準となる︒. ㈲ 心理状態としての琴讐蒔窪8と行為としての琴覧蒔窪8. ﹁義務︑︹事実的︺因果関係︑そして遠隔性の三つの問題がお互いに不断の交流をもっていることが見出されるで ︵44︶ あムう︒それらは全く同一の問題を眺める三つの異なった方法でしかないように私には思われる︒﹂.

(9) ︵45︶. このように述べてデニソグ記録長官は︑ネグリジェンス不法行為の考察を﹁危険範囲﹂と云う単一の基準に収敏さ ︵46︶. せようとした︒この単一の基準と云う考え方は他の裁判官によって採用されることなく霧散したが︑ウヅズ対ダソカ. ソ事件判決で経験的に例証されるように︑ネグリジェンス不法行為の各要件がそれぞれお互いに互換性をもっている ことは確かである︒. 心理状態としてのまαQ薩窪8では予見可能性の有無が問題となってくる︵前出九一頁︶が︑ネグリジェソス不法 ︵好︶. 行為の考察では合計四回も予見可能性が重要な役割を演ずる︒まずω近接性の部分︒さらに②法的因果関係の部分で. も基準として用いられる︒そしてさらに③被告の行為の質を決定する際のものさしを設定する際に予見可能性が用い. られる︒そしてまた︑④義務違反の有無を考察する際の一因子︵鼻①年o&︶としても問題になる︒. 注意義務に方向性を与え相対的なものとし︑その媒介として近接性と云う概念が用いられることを確立したのは︑. ナーヴァス・ショックを扱ったボーヒル判決であるが︑それ以前にあってはそうでなかった︒同判決に至るまでは︑ ︵狢︶. 必ずしも義務の相対性は確立しておらず︑それまでのナーヴァス・ショックの事件では︑同判決で扱われた問題が法. 的因果関係の問題として処理されていたのである︒すなわち︑︿近接性Vとは︑そもそもは法的因果関係の中に含ま. れていたものであって︑義務に方向性を与えるに際して︑その媒介物として補償の領域から責任の領域へともってこ られたものなのである︒. そこで︑ネグリジェンス不法行為の原型に即したものとするため︑近接性を法的因果関係の部分に戻してみる︒し ︵弱︶. かしそれでも尚かつ︑予見可能性が責任のそれ以外の部分で必要になる︒それが︑③と④である︒しかし︑④では予. 九七. 見可能性の有無ではなくその程度が問題にされるのであるから︑結局のところ③が心理状態としてのまαQ凝窪8だ と云うことになる︒ ooQ凝9 8 と 過 失 ︵ 須 賀 淳 ︶.

(10) 早稲田法学 会 誌 第 三 十 六 巻 ︵ 一 九 八 六 ︶. ヤ. 九八. ﹁損害に対する合理的予期の存在・不存在は︑ β畠凝︒暮あるいはぎぎ8馨としての行為の法的な質を決定す る︒﹂. ︵50︶. ヤ. これは法的因果関係の基準について︑以前の法を定立した判決として必ず引用される一九二一年のポレミス判決で. ある︒ここでは法的因果関係の基準が直接性とされているため︑その一内容としての近接性がーもしこの時代にそ ︵51︶ 予見可能性と云う内容をもつ筈がない︒したがって︑ここで述べられている予見可 う云う概念があったとしても. 能性︵予期性︶こそが心理状態としての琴αq凝魯8であワ︑その内容である︒ アカデミックな論稿ではこの心理状態としてのβ品一蒔象8をこう分析している︒. ﹁何らかの侵害についての予見可能性は︑被告の行為の需αQ凝①暮な質を決定するのに必要とされる︒⁝⁝特定. 人に対する特定種類の侵害についての予見可能性は︑被告の行為の箒讐鴨鼻な質にではなく︑原告による訴え. 可能性︵8ぎ塁蓬ξ︶に関わる︒⁝⁝自動車運転者がクラクションを鳴らさず高速で中央通りに進入したとしよ. う︒彼の行為は付近に偶々誰もいなかった場合でさえ︑やはり需αQ凝①艮なものとされる︒こうなるのは︑一般. ﹁当該情況において合理人が如何に行動したかを眼前にありありと浮かび上がらせるには︑第一にその情況にお. 的に誰かにぶつかるのではないかと云うことが予見されうるからなのである︒⁝⁝彼の行為は諾磯一蒔o導なもの ︵甜︶ である︒しかし誰もこの者に対し訴えを提起することはできない︒﹂. いてどんな結果を予見したであろうかを測り︑そして次に︑それに照らしてその行動を如何に規律したであろうか.

(11) 盆︶ を灘らなげればならないのであるo﹂. 以上のところをまとめてみるならこうなる︒まず︑竃αQ一蒔窪8にはふたつの意味︑@行為としての莞αQ凝窪8︑. ⑥心理状態としてのp品凝窪8がある︒@の内容は︑諸因子の比較考量であり︑注意義務︵義務情況︶での考察が. 一般的・抽象的で法律間題であるのに対し︑@の行為としての露αQ凝窪8での考察は特定的・具体的で事実問題で. ある︒そして︑⑥の心理状態としてのロ畠凝窪8は︑注意義務の範囲を画定する近接性︑法的因果関係︑に含まれ. る予見可能性ではなく︑行為としての籍αq凝窪8の部分でなされる比較考量の一因子としての一捧︒一旨oaでもな. く︑⑥の考察の前提となる﹁誰かある者に対する何らかの損害についての予見可能性﹂である︒すなわち︑行為義務. 規範を定立する場合には︑侵害の重大性や侵害回避措置のコストなどが問題になるが︑これらは行為の時点で被告が. どんな侵害を予見しえたかを想起せずには︑考察の対象とすることがでぎないのである︒かかる予見可能性が存在し ︵54︶ なければそれだけで直ちに責任の発生しないことが確定される︒⑥が@の考察の前提並びに外枠となっているわけで. ある︒したがって︑通常︑被告には莞αQ一お窪8︵義務違反︶があったと述べるとぎ︑⑥と@ふたつの意味で匿叩. 一蒔窪8があったことを意味していることになる︒しかし︑このことはこれまでの考察を通じてようやく明らかにな. の内容についての考察は︑我々目本人に心理状態としてのまσQ凝窪8を﹁過失﹂︑行為としての. 昌畠凝窪8と云う呼称. るのみで︑通常は︑ふたつの需αq凝窪8はづ品凝窪8と云う一語をもって一体化して表現されているのである︒. 三 露αq凝窪8. 九九. 琴αQ一お窪8を﹁違法性﹂と訳すべきとの印象を起こさせるであろう︒少なくとも私はその想いを拭払することがで 諾αq壽窪8と過失︵須賀淳︶.

(12) 早稲田法学会誌第三十六巻︵一九入六︶. 一〇〇. きない︒しかし現実には︑英米法では両者を一体化し︑ロ畠凝窪8と云う一語をもって表現している︒したがって︑. そこに何らかの必然的理由が存するのか︑行為としてのきαQ一お窪8を一三ξごではなく︒三冨として捉えるべき. 思想的基盤でもあるのか︑ふたつの意味の器αq一蒔窪8は不可分のものなのかどうかと云うことが問われなければな. らないであろう︒すなわち︑何故︑内容的には違法性であるものを過失であるものと一体化させて︑単純に訳したら ︵55︶ ﹁過失﹂となるきαQ凝窪8と云う言葉一語で表現するのかと云うことを︒. 私は別稿において一般的故意不法行為理論を考究したことがあるが︑そこでネグリジェンス不法行為はただそれだ ︵56︶. けで孤立して存在しているわけではなく︑とりわけ故意不法行為との相関で考察されなければこれの正しい像を把握 ︵57︶. することは難しいとのことを強調しておいた︒私はかかる考察をここで実践してみょうと思う︒ネグリジェソス不法. 行為理論と冥ぎ餌融9の8旨理論との比較である︒. 一般的故意不法行為理論としての冥ぼ鋤富9Φεユ理論では︑①故意の存在︑②免責事由あるいは正当化事由の ︵58︶ 存在しないこと︑③現実的損害に結果する権利の侵害︑が要件として掲げられる︒. これ. ﹁⁝⁝故意と質囲凝窪︒oとの間の相違は︑通常︑法的意味合いにおいては︑行為者に知られた情況の下︑ 及び ︵59︶ 一般的経験に従ったときの︑一定の結果あるいは諸結果が一定の行為から生ずる蓋然性の相違以外にはない︒﹂. ﹁侵害の蓋然性が極めて高く明白である場合︑行為は悪意によったあるいは故意によったと呼ばれる︒・ ︵60︶ に対して︑蓋然性は低いが責任を負わせるに充分である場合︑昌品一戯窪8によったと呼ばれる︒﹂.

(13) これはアメリカに冥ぎ帥富︒88旨理論を導入したホームズ判事の分析である︒ したがって︑①の故意は前章で の分析における心理状態としての蓉αq凝窪8に対応することになる︒. ﹁︹正当化事由の考察においては︺素朴に云えば︑帰着するところの価値︑すなわちなされんとする行為を容認す ︵61︶ ることからえられるものと︑行為によって加えられる損害とを比較すべきである︒﹂. ︵62︶ 再びホームズ判事である︒したがって︑③の正当化事由の考察は行為としての需αq凝窪8︵義務違反︶の考察に 対応することになる︒ ︵63︶. ③の要件では︑これをさらに細分すれば︑@損害の発生︑⑥事実的因果関係︑◎法的因果関係︑そして⑥権利の侵. 害︑が要求される︒それぞれ︑前章︵九一頁︶の分類によれば︑⑥と⑥はネグリジェンス不法行為の④の要件に︑⑥. は⑤の要件に対応する︒箕言鋤貯巳08旨理論では近接性に対応する概念が存在しないが︑@の法的因果関係のう ︵磁︶. ちに含まれているものと思われる︒そして︑⑥の権利の侵害は︑たとえば道徳権の侵害が訴えられうるかと云うこと が考察されるから︑①の義務情況に対応すると云える︒. ここで重要なのは︑ホームズ判事が冥ぎ螢貯9︒8旨理論においては︑故意と正当化事由とを分離し︑行為とし. ての露αQ一お窪8で行なわれるような℃o一一身8獣匡R蝕§を故意の部分ではなくーこれと明確に分断された1. 正当化事由の場所で行なうことにした点である︒そしてさらに︑故意と悪意を分離し︑悪意を正当化事由の部分に位 ︵65︶ 置付けたのである︒. 一〇︸. ところがその後︑この理論がニューヨーク州に受容され︑しばらくすると︑故意︑悪意︑正当化事由︑これら三者 昌罐凝窪8と過失︵須賀淳︶.

(14) 早稲田法学会誌第三十六巻︵一九八六︶. の関係は徴妙なものになっていく︒一方の論者は︑鷺ぎ. 一〇二. 富9︒8旨理論における故意は︿悪意﹀と云う特殊な意味. 合いをもち︑既存の不法行為における故意︵強度の予見可能性︶とは異なると論じる︒他方の論者は︑悪意を正当化. 事由の内部にあるものとして位置付け︑これらを故意と明確に分離する︒故意には予見可能性の意味しか与えないの. である︒つまり︑第一の論者たちは故意の概念に︑予見可能性並びに正当化事由︵悪意︶を含ませ︑これら全てを故. 意概念だけで統一的に考察しようとするのである︒さながら︑需匹戯窪8︵義務違反︶において行なわれるようにQ ︵66︶. これに対して︑第二の論者たちは故意を正当化事由︵悪意︶から分離することによって︑この故意概念には予見可能 性と云う内容しか与えないのである︒何故このような対立が生じたのか︒. 質ぼm貯9①8旨理論はその名が示す通り︑故意による加害があるとそれだけで推定的に不法行為が成立すると. 考えられていた︒故意及び加害は︑不法行為成立の駿ぎ帥貯︒冨雲箆98になると考えられていたのである︒故意. と損害を原告が立証すると︑責任を免れるためには被告の方で正当化事由の存在することを立証しなければならなか ったのである︒しかしそれはあくまでも原型でしかなかった︒. 正当化事由の立証責任についての問題は︑ニューヨ!ク州では一九五四年に︑その不存在を立証する責任を原告の. 方で負うと云う形でようやく結着がつけられる︒しかし︑それまでの間︑つまリニューヨーク州でこの理論が受容さ. れた一九二三年から一九五四年までは︑この立証責任をどちらに負わせるかについて動揺があったのである︒. つまりこうである︒正当化事由︵悪意︶の立証責任を原告に課せば︑原告の立証事項である故意︵予見可能性︶と. 区別する必要がなくなり︑︿故意﹀はま晦凝窪8のように予見可能性に比較考量の手続を加えたものを内容とする ︵67︶. ことが可能となる︒逆に被告に負担させれば︑どうしても故意︵予見可能性︶と正当化事由︵比較考量︶とを区別し なければならなくなる︒.

(15) ネグリジェソスと云う不法行為はそもそも従来承認されていたヶースの訴えを大幅に拡大することによって成立し. た︒心理状態としてのまαq凝窪8︑そして冥首帥盆9︒8旨理論における正当化事由︵悪意︶に対応する・比較 ︵68︶. 考量を行なう場としての行為としての冨畠凝窪8は︑そもそもの初めから原告の立証事項であると信じられ︑疑わ. れたことがなかったのだ︒心理状態としてのきαQ凝窪8と行為としてのまαQ凝窪8とは︑後者が被告の立証事項. となれば分離されうる性質のものであり︑ただそれら両者が原告の立証事項とされて疑われたことがないから︑これ. までそれが表面に出ることなく︑一緒くたに扱われ︑昌品凝窪8と云う一語を以て表現されてきたのである︒僅か. に︑アカデミックな分析によって心理状態としてのβ罐一蒔聲8と行為としてのロβ凝窪8がま笹蒔窪8の中に. 混在していることが明らかにされたにすぎなかった︒行為としての需αq一蒔窪8が︑賓ぎ節富︒ざε旨理論の正当 ︵69︶. 化事由においてかつてそうだったように︑被告の立証事項となれぽ︑これはもはやぎσQ凝窪8とは呼称されず︑こ. 結 論. れと区別するため正当化事由と呼ばれることになるのである︒. 四. 日本民法第七〇九条は︑不法行為成立の一般的要件を掲げるが︑ここでは﹁故意・過失﹂の具体的内容が何ら定義. されておらず︑﹁権利侵害﹂も﹁違法性﹂と読み替えられ︑判例・学説により様々な解釈が加えられ論争の的となっ ︵70︶. てきた︒そのため︑目本法におけるこれら諸概念の内容自体を確定することが先決なのであるが︑本稿ではさしあた り通説の考え方を基準としてまαQ一蒔窪8の訳語を決定することにする︒. 一〇三. ﹁過失とは︑その結果の発生することを知るべきでありながら︑ 不注意のためそれを知りえないで︑ ある行為を 莞聾びq窪8と過失︵須賀淳︶.

(16) 早稲田法学会誌第三十六巻︵一九八六︶. ︵71︶ するという心理状態である︒﹂. 一〇四. 通説は︑過失をこう定義し︑さらに補足して︑﹁違法な事実ないしはその結果たる損害の発生は︑何人かに生ずる ︵72︶ ということで足り︑特定人にそれが生ずるということまで予見することは必要でない︒﹂と述べる︒. したがって︑英米法上の概念で﹁過失﹂と訳すべきものは︑法的因果関係で間題となる予見可能性には関わらない. し︑義務の範囲を画定する際の近接性の内容となる予見可能性にも関係がない︒これは特定人に対する特定の損害の. 発生を予見することを要求する︒﹁過失﹂と訳すべきは︑義務違反の有無を判断するに際してその第一段階で問題と. なる・﹁被告の行動の誇αQ語︒葺な性質を決定するのに必要﹂な﹁何人かに対する何らかの侵害についての予見可. 能性﹂があるにも拘わらずこれを予見しなかった状態である︒つまり︑心理状態としての5品凝窪8を﹁過失﹂と 訳すべきである︒. 近接性において問題となる予見可能性は︑当該原告が当該被告を訴えうるかどうか︑逆に云えば︑当該被告が当該. 原告に対し責任を負うかどうかを決定するための基準である︒そう云う意味では︑日本において云われる有責性の間. 題を扱っているかの如くにみえる︒しかし︑そもそもこれは法的因果関係の中に含まれていた概念であって︑法的因. 果関係の問題を有責性の問題として位置付けるには無理があるだろう︒さらに︑近接性はく当該原告に対するV責任. を決定するものであって︑帰責根拠一般に関わるものではない︒帰責根拠となるのはあくまでも︑何人かに何らかの. 侵害を加えることを予見しえたこと︑つまり因果の連鎖を支配繰縦する可能性一般があったことであって︑それはと. くに当該原告に対すると云う限定を付されない︒義務違反の考察の前提となる予見可能性が存在しなければ︑侵害の. 発生を回避する行為はそもそも期待されないから︑被告は帰責されないのである︒かくして︑心理状態とレての.

(17) 冨αQ一蒔窪8ボ﹁過失﹂であるとすると︑近接性における予見可能性は︑目本でば因果関係の部分に包摂されて扱わ れていることになる︒ ︵73︶. 違法性について︑通説である相関関係理論は︑被侵害利益の性質︑種類︑これと加害態様を比較考量することにょっ. て︑これを判断するとしている︒ここで云う︑﹁被侵害利益の性質﹂では﹁対世権︑対人権﹂﹁積極的権利︑消極的権. 利﹂と云ったことが問題となり︑﹁侵害行為の態様﹂では﹁刑罰法規違反︑取締法規違反︑公序良俗︑権利濫用﹂と. 云ったことが問題になる︒したがって︑損害の種類と加害の態様を有形的なものと無形的なものとに分けて︑注意義 ︵径︶︵75︶. 務の存否を決定している﹁義務情況﹂の部分が︑ある程度︑﹁違法性﹂の部分と対応する︒﹁被告は義務情況に立たさ. れている﹂と述べるのと︑﹁被告には違法性がある﹂と述べるのはほぽ同じである︒利益や態様の分類については異. なるが︑全体としてみれば同じと云える︒英米と目本では損害概念︑したがって侵害概念自体に相違があるが︑ここ ではそれも問題とならないであろう︒. それでは︑行為としての露αQ凝窪8とは一体何なのか︒もうすでに述べたように︑これは義務情況における抽象. 的判断を前提として︑これをさらに具体的に考察する場所である︒義務情況は﹁大気中に浮かんだβ品凝窪8︵琴αQ・ ︵%︶ 一一αq窪8ぎ渉︒鋤ぼ︶﹂なのである︒義務情況と義務違反とは︑前者が法律問題で後者が当該事件のあらゆる情況を考 ︵77︶. 慮に入れて固有の判断を下す事実問題であることから分離されているのである︒かかる根拠が消滅したとき︑両者は. 分離される必要がなくなる︒ ︵78︶ 結果不法︑行為不法と云う分類に照らすとき︑相関関係理論は結果不法を採用していると云われる︒しかし本当に ︵79︶. そうなのだろうか︒行為不法理論であっても︑行為無価値性を判断する際の前提としての行為義務規範は結果無価値. 一〇五. 性への言及なくしては定立しえない︒被侵害利益が重大であればある程︑行為義務規範は高度なものとなっていく︒ 壽讐oq窪8 と 過 失 ︵ 須 賀 淳 ︶.

(18) 早稲田法学会誌第三十六巻︵一九八六︶. 一〇六. 逆に重大でなければない程︑軽微なものとなっていくのである︒したがって結果無価値性を考慮に入れたからと云っ. てそれだけで結果不法論であるとは云えない︒そして︑相関関係理論は被侵害利益の性質と行為態様を相関的に考察. することで違法性判断を行なうのであり︑とりわけ権利濫用と公序良俗と云う抽象的・一般的文言であるがゆえに裁. 判官の裁量を許容しやすく︑比較考量に基づいた具体的考察を可能とさせうる判断因子において︑いわゆる行為不法 にあたる考察をなしうると云える︒. 相関関係理論は﹁権利侵害﹂を﹁違法性﹂と読み替えたため︑違法性判断に比較考量と云う作業を取り込むことが ︵80︶. できたが︑その代わり︑たとえば﹁人格権﹂のような権利を確固としたものとして確立することができなかったと批. 判される︒つまり違法性判断全体を当該事件に固有の問題として扱ってきた︒事実問題として扱ってきた︒Xの場合. Yと云う画一的な適用を可能とする法律問題としては扱ってこなかったと云うことができる︒たとえば︑身体に対す. る侵害があっても︑ただそれだけで違法性があるとするのではなく︑侵害行為の態様や行為の目的︑その他あらゆる ︵81︶ 付帯情況と比較考量してから違法性の有無を決定すると云うわけである︒したがって︑ある結果が生じたらそれだけ ︵舘︶ で直ちに違法とするわけではないと云う意味において︑通説は結果不法ではなく行為不法を採用していたと云える︒. 但し︑債権侵害のように︑その侵害度が極めて軽微であるため︑害意なき限り違法性がないと云うように画一的な処 理が施されてあたかも法律問題の如くに捉えられているものも例外的にある︒. このようにみてくると︑行為としてのまαQ凝窪8はその内容においてー義務情況と並んでー﹁違法性﹂に符. ︵83︶ 合すると云える︒すなわち︑義務情況も行為としてのまαq一蒔窪8もともに︑内容的に違法性の問題を扱っており︑. とりわけイギリスでは内容的に違法性の問題を法律間題・事実間題と云う点で一線を画し︑二つに分断しているわけ. である︒しかし相関関係理論は違法性判断を全体として事実問題と捉えているため︑イギリスにおけるように義務情.

(19) 況・義務違反と云う区別を設ける必要がないと云うことになる︒かくして︑相関関係理論を基礎として﹁違法性﹂と. 訳すべぎものは義務情況と義務違反︵行為としての昌囲一蒔窪8︶を合わせたものと云うことになる︒. したがって結論的には︑もしなしうるならば義務違反の考察の前提となる心理状態としての篇覧αq窪8を﹁過. 失﹂と訳し︑義務情況と行為としてのβ畠凝窪8とを合わせたものを﹁違法性﹂と訳すべきである︒しかし︑本稿. で問題としたまαQ一蒔聲8と云う概念は︑︑行為としての蓉αq一蒔窪8︵違法性︶と心理状態としてのロ品一蒔窪8︵過. 失︶を混在させている︒そのため︑あまりに違法性の要素を含み過ぎ︑まαq凝窪8を﹁過失﹂と訳することができ. ない︒さらに行為としてのロ畠凝窪8と心理状態としての需αQ凝窪8は︑本来的・必然的に結合しているわけで. はなく立証責任の配分情況が変われば訣別せねばならぬ運命にあるので︑﹁過失﹂と訳しておいてその上で︑目本の. 過失とは異なり英米の﹁過失﹂には違法性の要素が含まれると脚註をつけるのも好ましくない︒また行為としての. 途αQ凝窪8は︑違法性の片割れでしかなく︑違法性を法律問題と事実問題と云う基準で分離する用意のない目本法. レ︾ ト. ︽ 4. との対応では︑これだけをもって﹁違法性﹂と訳すには無理があると云わざるをえない︒昌品一蒔窪8は﹁ネグリジ ェンス﹂とカタカナで表現するほかない・ ︽4. 新過失論は︑﹁過失﹂に義務違反行為と云うものを導入し﹁過失行為﹂とし︑これを帰責根拠とさせることにょっ ︵84︶ て︑意思を帰責根拠とする故意不法行為と分岐させた︒両者間に質的断層をもたらしたのだ︒この新過失論はまαQ・. 一蒔窪8を﹁過失﹂と訳すことを前提した上で︑英米法のネグリジェンス理論から多大の触発を受けているように思. 一〇七. われるのだが︑もしそうであるとするならば︑本稿の示したところから明らかなように︑その理解は誤っていると云 わざるをえない︒ ⇒罐凝98と過失︵須賀淳︶.

(20) 早稲田法学会誌第三十六巻︵一九八六︶. 一〇八. ま笹置窪8と云う概念には︑内容的には目本で云う︿過失﹀とく違法性V︵の片割れ︶が渾然としている︒ある. いは正確には︑︿違法性﹀判断の外枠を︿過失﹀が画していると云える︒しかしながら︑両者のかかる混在は︑一般. 的故意不法行為理論であった冥冒餌貯908旨理論と比較してみるとき︑必然的なものでないことがわかる︒ここ. では︑行為としての幕αQ凝窪8︵違法性︶にあたる考察は故意と区別された正当化事由の存否の問題として位置付. を原告が負い︑正当化事由の存在の立証責任を被告が負うなら︑両者は画然と分けられねばならないが︑正当化事由. けられていたのである︒そしてかかる分岐はひとえに立証責任の配分の如何に由来するのであった︒故意の立証責任. の不存在を証明するのが原告の負担となる方向へと傾くと︑故意は正当化事由との混在化を果し︑冥ぎ帥富9︒ε二. 理論における故意は既存の故意不法行為におけるのと異なり︑特殊な意味を帯びた故意である︑予見可能性に加え正. 当化事由の存否の問題をも含むものであると唱えられ始めるのである︒それはまさにロ畠凝窪8を彷彿とさせる︒. 故意は故意行為へ︑すなわち意思から行為へと変化することができるのである︒そしてこのことは︑裏を返せば. 露αq凝窪8が行為から意思へと回帰する可能性をもっていることをも暗示する︒行為としての琴αQ凝窪8︵違法. 性︶が被告の立証事項となれば︑心理状態としてのまαq一蒔窪8︵過失︶と訣別しなければならないのである︒@行為. としてのロ畠凝窪8と⑥心理状態としての昌品凝窪8は︑︿霧αQ凝窪8﹀と云う一語のうちに包摂されてはいる. が︑不可分な程に融合しているわけではない︒@⑥を総合的に考察して昌品凝窪8判断を下すわけではなく︑⑥が 存在することを前提して初めて⑥の考察に移行するのである︵前出九九頁参照︶︒. したがって現在︑英米において故意が意思とされ︑昌畠凝窪8が行為義務に対する違反と云う内容をも有してい. るのは立証責任がもたらした偶然にしかすぎないのである︒このような偶然的要素を除外して考えてみるならば︑故 ︵部︶ 意不法行為とネグリジェンス不法行為との間には質的断層が存しないと云わなければならない︒濤αq凝窪8が﹁過.

(21) ︵86︶. 失﹂と訳出されることを前提すれば︑確かに新過失論の主張を裏付けるものとして英米法を引き合いに出すこともで きるが︒事実はそう単純ではないのだ︒. たとえば︑望月礼二郎﹁ネグリジェンスの構造OO﹂法学三六巻四号一頁︑三七巻二号一頁︵一九七三年︶︒. たとえば︑伊藤正己﹁過失の意味とその歴史的素描﹂︵一九四九年︶︹同﹁イギリス法研究﹂三二頁以下所収︺︒. 1︶ 匹﹃夢<Dω岸旨冒αqざ影妻緯o円≦o蒔ω09︵一〇 ︒蜜y=閏図oび●刈o︒ト一㎝①国轟.勾8﹂Oミ跨一〇お●. 3︶. 本稿では英米法の原点と云えるイギリス法を具体的素材として考察を進めることにする︒ ゆ ここではとりあえず︑2品凝窪8と云う不法行為を﹁ネグリジェンス不法行為﹂と記することにしておく︒. 2︶. 5︶. UヲωきOい閏男囚偽営Zo旨﹇いOz↓○切↓ω竈●ω①?ω簿︵窃渉&︒一〇〇︒卜︒︶旧O=︾勾び国o o名○閃↓=節b国菊O閣磯O客2問O=O国乞O閃窮︒. 4︶. 6︶. 一 ω−一〇︵刈渉& ●︒︒︒G︒︶︒. ●. ︒鋤け島9︾恥&鷺 ︵↓﹃o霜勉αQ8ζ8&︵Zo﹂︶︶︹一8一︺ンP︒︒︒︒o. ︵たとえば菊o︒<︒ζ注︒︒酔段9霞窪一浮. ζ︑蜜巳一§︹ごω凸︾■ρ一暮謡一鎮o︾&一Φ<●湊注ヨ8幻oo臨轟Oo︒︹一〇〇己一名︐い︒冥ω鴇gω①ω1ωO. 7︶ ○く①議Φ器↓き冨錺℃︵q.国︒︶︿●竃o旨︒ ︒Uo︒犀喝国おぎ①R汐鵬Oo. ■o魯αq①一ぐ岸g・ O< o●. ︾ Uヲ9防愚ミぎ盆︵①︶pω︒9. O︒oo㎝暮一〇〇〇︒. 一〇九. ︵欝 ω↓男国国↓OZ↓○閑↓ooサ逡嶺ふる︵刈浮&・這o︒ωy︶. 尚︑デニング記録長官はそれぞれの要件を﹁危険の範囲﹂と云うひとつの基準に収敏させようとした. 8︶. ︒ρ中∪.Oo︒q緯OOト ↓ぎヨ器く●ρ葛旨R臼巴ま︵一〇︒︒ c ﹃︶﹂o. 一8出Nρ甲8讐c︒q︶が︑これは他の裁判官に採用されるには至らなかった︒. 9︶. 11 ︶ ㌧免︑ゼoこ︾o舘8鳶頃&♂図φ胃冨曾09< 頃〇一一R偽憎 触go諾口8占︾ ︒O● 3鉾認?㎝零︑. 10 ︶ ︑ミいoこ巧ユαq露鳶O冨旨く●卜島#①一一き区三再ぎ鵬蜜一一一ωピ亀.︹ごω①︺︾. 12 ︶ Ω曙8昌く︒ミoo自ヨ弩簿ωo嵩︵切ロ一峯輿ω︶一巳◎口8N︺Oρ︒ω●㎝o︒ω簿0瞠●. 一認閏夷菊8.直ON帥鼠09. 13 ︶ Uoづoσqプぢく●ω8<臼ψoβ口8N︺>︒ρ困⑲D 恥禽︸魯磯●一〇〇窯KZ9︾∪お国ω↓○頃↓国国い︾嶺ω○閏国20﹇︾2U︒圏ω 無翁Q● 14 ︶. 5お凝窪8と過失︵須賀淳︶. 15 ︶ 薫言盆昏o簿o旨く︒名ユσo浮︵一〇〇合︶一〇ζの偽名θ一〇Q.

(22) 早稲田法学会誌第三十六巻︵一九八六︶. おい9卑ω$暮ま守ω零︵這ωωy︶. 一一〇. 勿論︑トレスパスによって救済方法を求めることはできたが︑︿直接性Vと云う基準が曖昧であったため︑人々はケースの訴えに依拠するこ. とを好んだ︒︵留 詣ぼ浮缶餅Oo&訂旨︸円︑禽特禽恥黛§織之轟隷篶ミ. ︵16︶. ︵17︶輿験国oぎ︒の〜ζ帥チ震︵一︒︒刈㎝yい菊︒一〇国鉾8一●. ︵18︶ アメリカについてはO・国薯匡貫Sぎ国ミ氏Nミミ&O試鷹諜o﹃臼o︑勘欝毎ミミ馬ミ・o︒Oぺ︾■国rい鶏一︵這ミy邦語文献として. 確かにこのことに誤まりはないが︑しかしこれだけで一般理論の発生を説明し尽すことはできない︒と云うのも︑同じ時代︑同じ情況に置か. は︑藤倉皓一郎﹁アメリカにおける不法行為理論の誕生﹂︹﹁近代法思想の展開﹂二八三頁以下所収︺︵昭和五六年︶︒. れ︑嘆ぎ帥貯9︒ε旨理論と云う一般理論としての受け皿をもちながらも︑故意不法行為理論は抵抗に屈して一般化しなかったのであるQ連載継 頁︑第三四号一三五頁︑第三六号一八九頁︵一九八四−一九八五年︶参照︒. 続中であるが︑拙稿﹁英米不法行為法における類型化と非類型化−一般的故意不法行為理論の研究e⇔㊧i﹂早大法研論集︑第三三号二七. この用語は︑㌧ミいo巳ζo員房亀ωo旨﹃︾Oo誓鷺Uo冨9吋8窪09︿・=o導oO窓8口鶏O︺︾ρ一〇鼠㊤一一80︒の創造によるものと. ︵這︒ ︒ 一y邦語文献としては︑松本恒雄﹁英米. ︿9↓註言窯轟ω︹一︒蕊︺鱒≧一中男●①自暮90. 訴えうるためには注意義務の存在が必要だとするのは︑前に引用したもののほかに魯堕謬崇oお〜08缶口c︒8︺一︾.ρo︒㎝9一〇ご. Uタ9§憾ミ85︵︒︶℃●G︒OS. 思われる︒. ︵19︶. ︵20︶. ︵21︶. Uo岩鑛く︒撃窪ε彗︹一逡︒︺界切﹄ミ螢蕊ωω旧竃oo茜簿Φ竃段8糞一一〇〇9Ua. 法における情報提供者の責任Ol不実表示法理を中心としてー﹂法学論叢一〇〇巻三号三五頁以下︑五三ー五四頁参照︒. ︵22︶R︒Oきρ↓ぎミ無禽§軋馳o§野亀霞恥ミ趣bO黛︑ミ︸緕︾qωー炉い︒︒紹算︒︒お−︒︒刈. ︵23︶尤も︑ドノヒュー判決直後は︑これが製造物責任だけに関わるのか︑それとも一般原理を確立したのかと云うことについて︑判例・学説とも. 勲ミ§動§き淘禽き愚象︑る︒ζ︒戸國●一︵ま刈︶脚b§︒答ミ堅警象§恥§. ﹄肉︑恥罫>犠嘆ミ勉鼻︹一︒謹︺Ωr℃.ωごω︾﹇ζ02u節. にかなりの争いがあった︒ドノヒュー判決の成長の足跡を示すものとして︑ヒューストンの諸論稿が示唆的である︒類o霧8コb§轟評ミ§. =国dω↓OZO2↓○切↓ωマ⑲o︒︒ミ勉趣︵一︒︒号&︒一〇〇︒一y. ︵Ω亀85く・ミo&Bき偽ω8︵ω口まRの︶犀ユ・. 旨㌧還る呂参︶③の形態については︑これの回復を明確に否定したωOζ︵q.溶︶いa・<︒譲﹂・薫一誉琶偽ω呂いa・︹一鴇一︺一9甲5刈以来︑. ︵24︶②の形態は︑ドノヒュー判決の直接の適用によって当然に回復されうると考えられた︒. 徐々にその途が開拓されついにご乱9切8訂ピ鉱≧︒<oぎ岳ピ箆︒︹ご︒︒巴ω譲●野客ミ刈によってその回復が承認されるに至っている︒④の形.

(23) 者は鶏︒臼昌ω﹃糞o俸09<︒=色段卸勺貰9Rωも§ミによってその回復が承認され︑後者はω2跨簑く︒Ko§αq︹這島︺︾ρ旨にょ. 態は︑言説によって純粋に経済的な損害を加えた場合と︑直接の物理的接触なくして加えられたナーヴァス・ショックの場合とに分けられる︒前. 尚︑経済的損害にしろナーヴァス・ショックにしろ︑有形的損害に付随するものについては︑加重的損害賠償金︵囲oq寅く9&留目品窃︶を媒. ってその回復が承認されている︒. 介として︑ドノヒュー判決の直接の適用によって回復されている︒. ︵25︶匹帥鼻く譲剛︒Oo巴Oo●ピaD︹一︒旨︺︾.ρ一お9agU畠8αQ︿●ωぽ嘗貫昌§特ミ簿8G︒旧■9弩σq<●Oo8費﹃︹一8巳一ρω9卜︒ωNgN群 ︵26︶ =&一昌閃楼旨o偽Oo.<●鵠①=R偽勺霞葺R9旨悟ミ︒. ﹁不確定期問︑不確定集団に対する不確定程度の責任﹂がもたらされる︒㌧ミ9&oNoρ9きd寄餌目貰900暮oβぎロ〜↓8畠ρ一試. ︵27︶Oき色R︿・9きoOぼζ琶器︹一8一︺⑲囚︒ω︒一鐘●. ︵28︶. <.霞oヨΦ○窪8も鳶ミ甲鉱︒誕ぎαq8. ︒ミ琴馬恥琶旨一閏・串 <.ω旨一︒︒ゲ男包妻亀のω8&︹一︒認︺︾●ρc. 注意義務の有無が究極的には讐窪︒℃象昌の問題であるとするのは︑前に引用したもののほかに︑たとえば菊o巳巴〜ミo諾一2ロ8︒︺一. 2.国齢蕊一暮 蕊︵一︒o︒一︶●. ︵29︶. い︾譲ωOZ︾乞∪団●ω︒ζ︾閃図国露呂ω︸↓○沁目○¢ω目︾ωF肖肖閃○力d蜜2↓国Z目OZ︾い出︾菊ζ身↓=国OO竃ζOZい︾≦︾ZU↓=国. >︐ρ一︒ごUo議gK8窪Oo●いa. ダ客ωO高℃9Q︒︵ご謡y7い国↓NO国菊>門Pω︾rζOZごOZ﹃d幻一ω℃即dU国20国℃マ一〇︒?寓Go︵一騨げa●お8︶・しかし︑竃Oピ8αQ臣冒〜. Ω<Fい︾≦箸9蕊ゐω︵一〇〇︒鱒︶︸の鴇e筥自9﹃隷bミせo〜O 馨き﹄<轟N骨§ミ 肉ミ恥ミミ肉融特ミ訟&㌧oミ遷肉やミ恥ミヤ一も ω 窯●. ○︑野す7黎㌧ミ9︒零でスカーマン判事は裁判官の役目は当該事件について判決を下すことであると云う理由から︑℃o一一28扇置9呂薯に 対し批判的である︒. ︒−ε$はこの機械的・論理的手続を極めて詳細に分析し ㌧ミピo巳U苞o鼻きUo諾9肖碧窪09ピa・︿・国o導・O田8樽養噂ミ9一80. ている︒. ︵0 3︶. ︵31︶但し︑とりわけ︑ドーセット・ヨット会社判決以来︑注意義務の存否の問題を事実問題とする方向へ徐々に傾いてきたと云える︒︵︾§ω︿●. §憾ミ.︶しかし︑私の見るとこ. ︒︺︾ρ鳶o︒甲男o器く●O窪暮o参︹一〇〇︒O︺畠●8ご︸国ω守︒・8ま議ζ儀.︿・ζ貰﹃℃匹oo巨偽09︹ごo︒ω︺ 寓o旨o昌Uo&o類ω90語げOo茸色︹一箋o. 一一一. ろでは︑かかる傾向はまだ実現しているとは云い難い︒たとえば︑ロス判決では当面の間は事実問題とされるであろうが︑帰納を可能とするに充. 一︾一一鼻殉ふo︒辞さ§艮く・国山≦一昌国奉奮o︒ωo富︹おo ︒8ρゆ響ホo︒﹂暑び厩閃8詳岸傷・︿︒<oぎ臣09ピ巳. 質罐凝98 と 過 失 ︵ 須 賀 淳 ︶.

(24) 早稲田法学会誌第三十六巻︵一九八六︶. =一. 分な程の判決が集積されれば法律問題となるであろうことを示唆している︵養㌧ミ簿も︒曽︶︒またジュニア・ブヅクス判決では︑行為によって純. 同判決の関係の如何を後の判決の判断に委ねており︵吻愚ミ簿㎝自︶︑結果として義務情況が事実問題であるかどうかの判断を回避している︒し. 粋に経済的な損害を加えることが義務情況にないとしたoo窓旨き望8一偽≧一〇器Uけ穿〜竃貰酔ぎ偽09︵Oo艮霊90お︶ζ伍︒︹おお︺ρ︼W●ミと たがって︑現状では従来通り義務情況の間題は法律問題であると云える︒. Ω烈ご幾y. ︵2 3 ︶ζo良ω︿σミ●騨三68一2貰09︹一3︒︺>︒ρ㎝留帥け㎝誤︒R●¢旨一&ω§窃<︒9誕o=↓o註お09し$男温一$螢二お︵N注. かつてはこの問題もルールヘと結晶化し法律問題となる傾向をもった︒しかしこれが事実問題であることは貴族院によって明確にされてい. ︵一鱒象ぎ&︶②損害回避の費用と実際性③結果の重大性㈲行為の目的⑤緊急性等︒. ︵33︶Uヌω弘愚ミ8富︵①︶箸・8︒蕊一︒は︑さらに諸判例を渉猟して具体的な因子を次のように抽出している︒ω侵害の生じる可能性の程度. ︵誕︶. 問題かそれとも事実問題かと云うことは︑それ自体ひとつの法律問題なのである︵塑O閃○ωρ−閃国o国∪胸Z↓望図ZO=ω頴い︾要マ8ω︵︒︒乱. る︒︵ρ猛一8ωス名o零Rぼ菖℃酔9︶〜類昌ま玖這8︺︾O・試ω舞謡9誤S︶そしてこの決定は後の事件に対して拘束力をもつ︒ある問題が法律. 亀﹂Oミ︶●︶◎. 寓醇αQ墨お§傷〇一びRω口09︶一︾●ρO蕊緯①8脳Uo参曾く8算. o導団昏〜ピo巳自き伍o 養㌧ミ簿一〇畠及びG o8夢ミ①ω竃導閑ざ︵一〇︒さy戸園ふΩ℃・置緯. 一82Dロ●8帥二〇一︵一〇N︒︒︶●. ︑ミいo鼠勺o旨R鷺ωo畦岳=︿●刈o旨αq層物袋博ミ象に9齢恥琶鷺憾ミいo巳ζ8鼠一一ききU80磯ゴo︿9ωお<9の9︸隔貸篭ミ曽8一〇 ︒一. ︵36︶ O=>労ピ国ω類○閃↓頴印℃国閃○ざ防愚ミぎ8︵①︶㍗ω蕊. ︵35︶ O・譲F目>竃9い国︾閑2身○↓=国■︾名P露︵お爵&●一箋o︒︶●. ︵37︶. 尚︑ωξ浮〜ω酵鼠轟ぎ冒巧簿R≦o蒔︒︒Oo. 培ミO帥包oさρい鳶勺巴ωαq轟︷︿︒■o夷匠㊤&男矯︒Oo. 曽における義務は相対性をもっていなかったとされる︒ ︵38︶ ㌧恥︑いo&蜀o濤角き一Wo賃7一一一<●緒oロ αq︸ミ辱ミ簿昌OWΩo一伍ヨ弩<. 養︾ミぎ富︵O︶署一き9蒔O刈●. ゆ曽昌急巽R口8呂一国︒甲額Qo緯ミ⑦︶︒尚︑ア. しかし︑かつては義務情況と義務違反が明確に分離されていなかったためか︑近接性が義務違反の名宛人の問題として捉えられていた時代が. Oo.ζ山●︿.=o旨oO︷︷ざρ§瞥ミ帥二〇ωω︒軌ミ琶旨Uヲω. 9 ︵ 3︶. ︵現代法律学全集︶一五〇頁註︵昭和五六年︶参照︶︒. あった︵恥禽辱恥︑頃O薯o誉ダいぎ↓げoヨ器〜ρ仁舘序H旨鉱ロρ旨︾︑黛簿8跨ωo菖o旨一亀. メリカでは現在でもそうであるとされる︵望月礼二郎﹁英米法﹂.

(25) ︵如︶. ミげρ塑一お︵一8一︶●. 必ずしもかかる序列で考察されなければならないと云うことはない︒義務違反は義務惰況から独立して︑孤立した状態で考察することができ. Uヲ9農辱ミ8密︵①︶箸る︒?器︒︒はこれを名目的義務︵8ぎ冨こ暮矯︶と名付ける︒. 前註︵7︶参照︒. ︑ミ■︒巳U︒馨一畠き閃・Φく9暴静響o㌦=g一登防愚ミ毅︒︒9硫禽琶8ρ誤一一霊目9臼ぎ菱寒︑篭ミ蕊. 前出一二頁参照︒. しかし︑ωa浮旨く︒Ko毎騨§辱ミ鋤二〇一でラヅセル判事は存在に関わるとしている︒. るのであるQ. ︵41︶. ︵43︶. ︵覗︶. ︵必︶ ︵45︶. 巧8留<・U暮8昌︹一罐臼︾ρら一では︑ネグリジェンス不法行為についてそれぞれの裁判官がそれぞれ異なった推論をしながらも︑同一. の結論に到達している︒. ︵妬︶. たとえば︑ミぎ愉色魯日隷肉o貸醤駄ミ融§o〜卜8窯凝竜鷺﹃o蕊噂きω両■国O↓ピ国O>い国誘><ω℃℃●ぎO山O︵ご認ソでは︑ナーヴァ. ︵覗︶↓ぼ巧鋤αqgζ8&︵乞o﹂y賜愚ミリ. ス・ショックの事件を因果関係の特殊な適用例としている︒. ︵娼︶. 小さい︑つまり予見可能性の程度が弱いことを理由に原告の訴えを斥けている︒. ︵49︶ たとえば︑切oぎづく︐ω8器︹お蟄︺︾O︒o︒8では︑事故の発生が予見しえたことは認めつつも︑その起こる可能性︵一蒔①一旨o&︶が極めて. 尤も︑デニング記録長官は︑閑8︿︒ζ注湾R鉱=8一爵︾ミ憾ミ跨o︒斜で︑ポレミス判決にあっても予見可能性をその内容とする近接性の. ︵駒︶ 田o一〇臼一ω螢包問葺需ω〜ミ一9冤働Oo●ミ鳶︹一〇曽︺ω国●切﹄①O翼㎝謹. 概念が存在するとしている︒. ︵1 5︶. ︵53︶. 国黛輿箸.︒︒〇一ー︒︒B.. ︵成︶ Uヲρ養特ミぎ一Φ︵①︶℃﹄︒ω︒. れえない場合︑そのような力は存在しない︒﹂. ︵4 5︶ρ妻・=○い竃国ρ↓国国OOζζ○乞ピ︸妻マ8︵一︒︒︒︒一︶はこう述べている︒﹁当該の悪を避ける力を︑責任の条件とする︒⁝⁝悪が予見さ. コ三. ェンス不法行為の一要件としての霧磯凝窪8と云う語が︑何故二つの異なった意味を合わせもつに至ったかを考えようとしているのである︒. ︵55︶ しかし私は篇αQ凝魯8の語源的由来を探ろうとしているわけではない︒大陸法の影響を受け意思的アプ4ーチを強化させた現代ネグリジ. ︒凝曾8と過失︵須賀淳V 幕︒.

(26) 早稲田法学会誌第三十六巻︵一九八六︶ ︶拙稿e前掲註︵18と二四頁註︵12︶︒. コ四. なわれてきた︒しかし︑イギリスとアメリカではネグリジェンス不法行為についてほとんど構造的差違がないこと︵望月礼二郎前掲註︵39と五〇. 56 訂︶ 一般的故意不法行為理論である︵あるいは︑であった︶質ぎ帥融990旨理論の洗練化は︑専らアメリカそれもとりわけニューヨーク州で行. ネグリジェンス法と冥ぎ騨融908旨理論とを︑過失不法行為と故意不法行為との封比として︑仮想的に比較することは充分に可能であるよう. 頁註参照︶︑及び冥ぎ聾融908旨理論はそもそもイギリスで誕生した︵拙稿0前掲註︵18︶一二五頁︶ことなどを考え合わせるとき︑イギリスの. ︶拙稿e前註掲︵ 1 8 ︶ 一 三 二 頁 ︒. に思う︒. 58. o ㎝︶︒但し︑これは惨品一黄窪8による禁反言の可能性を論じた文脈で述べ 5︶ 9 ㌧ミ=oぎ①の﹄きミ匡器く・U轟αqoP置O蜜窃の﹂o︒簿8︵一〇︒︒ られたものである0. ﹄ミ. 国<一四二︵一c︒濾︶︒. OおーO設. Q︸㌧註ミN轟♪ミ匙魯♪ 6︶0 =oぎoω.一〇︒O一一①#①二〇勺o一一〇〇F顕○ピ竃国ω貼oいいOO区ピ国↓月問力ωH簿ω㎝︵頃oゑo&●一〇亀︶題ミ琶旨=〇一琶o︒ 亀ミ軋〜ミ馬ミ℃o︒=︾因<●r. 鼻o︒=︾国く︒U●切国<●簿ご恥ミ琶亀<oαq巴号昌< O§葺R﹂爲蜜霧ω8矯赴Z●団﹂Oミ讐一〇〇︒O︵一〇︒8︶● ︶ 61 但しその後︑かかる考え方をあくまでも基盤にしていたとは云え︑正当化事由は様々な変化を見せる︒拙稿②前掲註︵18︶参照︒. 同右一九五頁︒. ︶ 62 拙稿㊧前掲註︵18と八九頁参照︒ ︶ 63. 拙稿0前掲註︵18︶一三三ー一三四頁︒. 64 ︶ 65 ︶ 同右二一⁝頁︒ 66 ︶ 同右二壬ハー一三七頁︒ 67 ︶. ︑ミいo乱竃8怠評bきU80σqぼ①︿あお話霧oF養憾ミ暮露騨尚︑前註︵7︶も参照︒ 68 ︶. その他の学説及び判例がネグリジェンス不法行為とどのような対応関係を示すかは︑紙幅の都合上︑残念ながら割愛せざるをえない︒ しかし. 恥驚男閃○ω目劉訟︾20ωOO民○閏↓=国い>毛○閏↓○閃↓のや置o︒︵癬ゲ&●ご謡︶甲薯壱国国い∪印一〇い○名HONOZ↓○園↓箸6 69 ︶ 嵩静&・一零㊤︶ ︶ 70. 通説との対応関係を類推すれば容易く理解でぎるだろうと思う︒︵念のため別の機会にやりたいとは思うが︒︶.

(27) ︵71︶. 加藤一郎﹁ 不 法 行 為. 増補版﹂︵法律学全集︶六四頁︵昭和四九年︶︒. O・譲F瓢︾ζω律鷹国唱いP閃○⊂ZO>目OZω○閃↓訟国ピ︾毛O問↓○閑6や8︵曽傷&●ご︒︒むまた︑邦語文献でこのことを指摘する. 同右一〇六頁Q. ︵η︶ 同右六六頁註e︒ ︵招︶. ︵魯斡. ︵盟︶. 一九世紀後半の事件では︑義務ではなく権利の観点からのアプ胃ーチが試みられているが︑このことを裏書きするものと云える︒. のは︑林田清明﹁グリーンの保護目的・保護範囲論﹂九大法学三九号八九頁以下所収一二三頁︵昭和五五年︶︒ ︵75︶ 野言&窪︿︒=鐸g℃ ぼ 窪 ︵ 一 〇 ︒ ︒ ︒ 直 y 置 ρ 中 U ● 置 一 銭 置 9 ︶. ︵76︶を莞胃国■O印一〇rO類8Nも愚ミぎ8︵8︶暮o︒9. 必要性に疑問を投げかけている︒. ︵77︶ たとえば︑薫ぎ浮5bミ黛き↓ミ織o§>ポ覧尉§盆逡OOいd罫﹃閃両ダ畦魯8︵一8直︶は︑義務情況と義務違反を分離して捉える. ︵昭和五三年︶︒. 4︶ ︵78︶ 四宮和夫﹁事務管理・不当利得・不法行為 中巻﹂︵現代法律学全集︶二八二頁︵昭和五八年︶︑前田達明﹁不法行為帰責論﹂一九一頁註︵1. 五十嵐清﹁判例演習・債権法2﹂一九八−一九九頁︵昭和三九年︶︒ 加藤一郎前掲註︵71︶三六ー三七頁︒. 沢井裕﹁不法行為法学の混迷と展望f違法性と過失ー﹂法セニ九六号九〇頁︵一九七九年︶参照︒. 沢井裕前掲註︵四︶七八頁は︑﹁所有物の有形的侵害や身体傷害のように︑被害事実から直ちに所有権・人格権侵害といいうる場合は別とし. ︵79︶. ︵81︶. ︵0 8︶. ︵2 8︶. 行為としての諾αq凝窪8︶を比較の対象とすべきことを示唆している︒尚︑林田清明前掲註︵%︶二⁝頁は︑義務情況が違法性に符合する. 藤倉皓一郎﹁過失による不法行為﹂︹英米判例百選H・私法一四頁以下︺一五頁は︑日本法における違法性と英米法の﹁過失﹂︵具体的内容. て: ⁝被害事実よりもむしろ侵害行為の態様を重視して不法行為責任の成立しうる余地を開いたこと﹂を相関関係論の有用性であるとしている︒. は︑. ︵83︶. 平井宜雄﹁損害賠償法の理論﹂四二〇頁︵一九七一年︶︒. ことは述べている︑ が︑義務違反にまでは言及していない︒ ︵艇︶. また︑平井宜雄﹁責任の浴革的・比較法的考察−不法行為責任を中心として﹂︹基本法学51責任﹂所収︺二五ー二六︑二八−二九頁は英. 二五. 米法において故意不法行為と過失不法行為の区別が基本的である旨説くが︑ いくつかの基本的な誤りに陥っているため的をはずれた理解に辿り着. ︵5 8︶. 5砧凝窪8と過失︵須賀淳︶.

(28) 早稲田法学会誌第三十六巻︵一九八六︶. 一六. いている︒まず︑訂藷㎏ざ器鴇巳けなどの不法行為を#oω窓器§夢08ω免と考え︑ネグリジェンス不法行為をそれ以外のものと考えているこ. と︒前者は㌶窃冨器で後者が#窃窓器象昏︒8器である︒第二に︑﹁霞︒︒︒嘔器詩巨ぐ﹂︵同論文によれば貫①ω℃器のと9器を云う︶を故. 意不法行為の代名詞であるかの如くに記述してあることoO器Φはネグリジ轟ンス不法行為を含むし︑窪窃窓器についても一九六四年のド9讐晦. ・︒であり︑加害が直接的かそれとも間接的かと云う点で両者は区分される︒貸⑦ε器のは故意不法行為も過失不法行為もともに包摂したの 浮︒8︒. く●Oo8魯旨辱ミ以降は別論︑浴革的には過失不法行為をも含んできた︒英米不法行為法における最も基本的な区別はぼ①沼緩ωと訂霧窓誘9. から生れたという経緯が示すように︑故意ないし意図的︵ぎ一臼銘o髭一︶な不法行為であったのに対. である︒現在において英米法が故意不法行為・過失不法行為と云う分類をもっていることは確かであるが︑本稿で考察したところから明らかなよ. して︑ぎ8&8が不要であるかわりに義務違反を必要とする霧αq凝窪8という不法行為が成立し﹂た︵同論文二五頁︶と云うことにょっては. うに︑﹁︹評幕蔓矯 器 ω 窪 一 け な ど は ︺ 鉾 霧 冨 器. 説明しえないことは明自である︒他の理由に由来しているものと思う︒拙稿前掲註︵弼︶はこの点を類型化・非類型化と云う対比を媒介項として追. 平井宜雄前掲 註 ︵ 艇 ︶ 四 二 二 〜 四 二 三 頁 ︒. 求するものであるQ ︵鎚︶.

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