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ドイツと日本は「普通の国」であるのか

―国際政治学における普通化の議論に関する一考察―

曺  三  相

Are Germany and Japan Now Normal State?:

Debates on Normalization in International Relations Theory

J

O

Sam-Sang

The post-war Germany and Japan had behaved differently, emerging as a different kind of powers, known for the low-key international politics and the reticence of the use of force. In the beginning of the 1990s, right after the end of the Cold War, Germany and Japan were perplexed as to how to deal with the unfamiliar challenges in the non-post-modern global society. However, after passing through their initial confusions, two countries have begun to advance the “normalization” by deploying their armed forces for purposes other than the defense of German or Japanese territories and by asserting their national interests in the regional and international affairs. The notion of ‘normalization’ has entered the discourse on international relations theory. A critical mass of international relations scholars has debated whether or not Germany and Japan are in the process of normalization acquiring political and military power commensurate with its almost universally acknowledged great economic power. This paper is to attempt to analyze the key points of debates between two major international relations theories — that is to say, realist approach and cultural approach — and to comprehend the limits of two approaches. The paper thereby argues that it is imperative that the new framework must be developed in order to figure out whether or not Germany and Japan are finally ‘normalizing’.

キーワード:ドイツの外交安保政策,日本の外交安保政策,異常な状態,普通の国,普通化,

国際政治学理論,現実主義的アプローチ,文化論的アプローチ

*中央大学文学部兼任講師

(2)

【目次】

1.は じ め に

2.国際政治学における「異常な状態」と「普通の国」に関する議論:現実主義的アプローチ と文化論的アプローチを中心に

3.現実主義的アプローチと文化論的アプローチ間の論争の核心 4.お わ り に

1 .は じ め に

 近代世界史にはドイツと日本ほど多くの類似性を持つ国はないと考えることができる.これ は,日本が政治・経済から文化に至る様々な面でドイツを模範とした体制を採り入れたためだ けではなく,ドイツと日本が直面した状況がよく似ていたからでもある.19 世紀後半から,

ドイツは欧州でイギリスとフランスを中心とする国際秩序を,日本は東アジアで中国を中心と する国際秩序を受け入れ,この秩序に徹底的に統合されることを強いられてきた.しかし,欧 州または東アジアを離れ,世界的な帝国になるには力不足であった.また,ドイツと日本がイ ギリスとフランスのような他のヨーロッパ諸国に比べて民族国家になったのが遅かったという 点で,ドイツ社会学者ヘルムート・プレスナーが言ったように,ドイツと日本のアイデンティ ティーは「後発国(Die verspätete Nation)」と規定できる1).「後発国」というアイデンティテ ィーは,本質的に反西欧的な属性を内在していたため,ドイツと日本が民主主義と自由主義を 完全に受け入れること,そして安定した近代民主主義国家を発展させることの大きな障害とな った.結果的にドイツの発展は国家社会主義,日本のそれは軍国主義の勃興に帰結した.つま り,戦前ドイツと日本は,国内では権威主義が自由民主主義を圧倒し,対外的に膨張主義を追 求した「権力に偏執的な国(Machtbesessenheit)」であったと言えるだろう.したがって,ア ンドレイ・マルコビッツとサイモン・ライヒは,ドイツの近代歴史を「 20 世紀の政治的発展 および悲劇の見本」と呼ぶ2).岡崎久彦は近代日本史を「植民地化を免れ近代化に成功」し「国 際孤立化」したという物語であると指摘する3)

 第二次世界大戦が終わると,米国を中心とした新たな自由民主主義の世界体制の中で,ドイ ツは,協力と和解を介して欧州の信頼されるパートナーとなり,日本は,チャルマーズ・ジョ ンソンが「発展指向型国家(developmental state)」4)と呼んだ独特の経済発展モデルを介して,

1) Helmut Plessner, Die verspätete Nation. Über die politische Verführbarkeit bürgerlichen Geistes(Stuttgart, 1959).

2) Andrei Markovits and Simon Reich, The German Predicament: Memory and Power in the New Europe (Ithaca: Cornell University Press, 1997), p. 34.

3)岡崎久彦『日本の失敗と成㓛』扶桑社文庫,2003 年,44 60,134 ページ.

4) Chalmers Johnson, Japan: Who Governs? The Rise of the Developmental State (New York: W.

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世界第二の経済大国と最大のアジア経済援助国になった.両国は戦争と軍事力の使用を放棄し て,力の政治とは距離を置く穏健な外交を実行し,「奇跡」と呼ばれるほどの経済復興を成功 させ,ヨーロッパと東アジアの平和と安定体制の構築と国際社会の発展に寄与した.彼らは「パ ワーを忘却した国(Machtvergessenheit)」に発展した.また,一般的に各国が自国の保護と 特定の目的を達成するために軍事力の使用を容認し,国益を追求することを認める近代ヴェス トファーレン体制の中で,ドイツと日本はアイデンティティーが他の普通の国とは異なること から,「異常な状態(abnormality)」と呼ばれる外交安全保障政策を実行して,国際関係の発 展を手助けすることができた.

 一方,1989 年に冷戦が終わって,国際社会の安全保障秩序が予期より複雑な進路に向かう ようになると,ドイツと日本の異常な状態の外交安全保障政策は歴史的な分岐点を迎えること になった.1990 年代の初頭には,湾岸戦争,ユーゴ内戦のような地域紛争,米国の圧力など によって,ドイツと日本は新たな国際政治の挑戦を受け,対応する方法についてかなりの混乱 を経験した.これらの混乱から一定の時間が過ぎた後,ドイツと日本は自国の領土を越えて海 外に軍隊を派遣するとともに,過去 40 年の間に支持してきた反軍国主義規範を見直し始め,

安全保障分野の「普通化(normalization)」を経験することになる.外交政策においても,ド イツに過去と異なり欧州より国益を一層重視する現実主義的な態度が見て取れるようになる一 方,日本も,様々なチャネルを介して,ますます国益を守るという姿勢を明確に見せるように なる.これは,冷戦後のドイツと日本の異常な状態を抜け出す傾向を示している.

 このような変化は,1990 年代以後,ドイツと日本の政治家が普通の国という政治的言説の 形成を論じたことと関連している.ドイツでは,ヴィリー・ブラントの側近として,東西ドイ ツが分断を克服するために「接近による変革」と「東方外交(Ostpolitik)」というアイデアの 提供に主導的役割を果たしたエゴン・バールが,統一後のドイツが追求しなければならない「ド イツの道(Der deutsche Weg)」は,「ドイツがヨーロッパと相互協力するとともに,過去を後 にして将来に向かって進み,強大国フランスとイギリスのように行動しなければならないとい うことを意味する」と主張した5).日本では,小沢一郎のゴーストライターであり,安倍晋三 のブレーンとして「普通の国」論を創始した北岡伸一が「国際秩序の維持のために,日本がそ の経済的な力に応じた責任を果たすべきだ」と主張した6).また,普通の国をドイツ元首相ゲ アハルト・シュレーダーは「誇りに基づく成熟した国」,日本の安倍首相の場合は「美しい国」

と称した.ドイツ国民はまだ超国家主義(supranationalism)の立場を堅持しており,日本国

W. Norton & Company, 1995).

5) Egon Bahr, Der deutsche Weg: Selbstverständlich und normal (München: Blessing, 2003), p.

155.

6)北岡伸一『「普通の国」へ』中央公論新社,2000 年,10 ページ.

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民もまだ平和憲法の改正に心理的な抵抗感を持っているにもかかわらず,シュレーダーと安倍 の現実主義的パラダイムに基づく外交安保政策の普通化のビジョンは,異常な状態という戦後 のアイデンティティーを変化させる基盤を提供した.

 これらのドイツと日本の実質的な外交安保政策の普通化と政治家たちによる政治的言説の形 成に応じて,国際政治学者もドイツと日本の普通化をめぐる議論に積極的に参与し始めた.国 際政治学者たちは,外交政策の手段としての軍事力の使用,穏健な外交,過去などについてド イツと日本の態度にどのような変化が生じたかについて大きな関心を持っており,ドイツと日 本の変化,すなわち普通化についての議論に積極的に関わるようになった.特に,ドイツと日 本が普通の国か否か,普通の国だとするならば,その基準は何であるかについて,様々な議論 を展開してきた.グレン・フックは,日本が普通の国ではないと認めつつも,日本以外の国も 必ずしもみんな普通の国ではないと主張する7).ジェームス・スパーリングとブレンダン・ハ ウは,ドイツと日本が追求した外交安保政策は,冷戦の終息前から他の国と似ていたため,ド イツと日本は以前から普通の国とみなされるべきだと主張する8).アンドリュー・オロスは議 論の核心は,普通の国とは何かではなく,日本人が考えている普通の国とは何であるかだと,

普通の国について既存の議論に大胆に挑戦する9).ライナス・ハグストロームは異常な状態が 社会的に構成されたように,日本を普通の国とみなすことも社会的構成の副産物であり,構成 された異常な状態から抜け出そうとする内的動機が常に存在すると主張する10)

 ドイツと日本が,異常の状態の国家として行動しているのか,異常な状態であるならばその 基準は何であるか.また普通の国のように行動しているのか,普通の国であるならばその基準 は何であるかについて,国際政治学者たちの間で様々な議論がなされてきたにもかかわらず,

彼らの間では,異常な状態と普通の国の性質あるいは普通化への動機と過程についてまだ一致 した見解に至っていない.国家が複雑なペルソナ(persona)を持っていることを考慮すると,

特定の国を異常な状態である,あるいは普通の国であると規定するのは容易なことではない.

この論文は,ドイツと日本は「普通の国」であるのかを検討する.この問いに答えるために,

第二章では,既存の議論,特に国際政治学の主要な理論として現実主義的アプローチと文化論

7) Glenn D. Hook, Militarization and Demilitarization in Contemporary Japan (London: Rout- ledge, 1996).

8) James Sperling, “Neither Hegemony nor Dominance: Reconsidering German Power in Post-Cold War Europe”, British Journal of Political Science, vol. 31, no. 2(2001), pp. 389 425; Brendan Howe, “Between normality and uniqueness: Unwrapping the enigma of Japanese security policy deci- sion-making”, Modern Asian Studies, vol. 44, no. 6(2010), pp. 1313 1336.

9) Andrew Oros, Normalizing Japan: Politics, Identity and the Evolution of Security Practice

(Stanford, CA: Stanford University Press, 2009), p. 3.

10) Linus Hagström, “The ʻabnormalʼ state: Identity, norm/exception and Japan”, European Journal of International Relations, vol. 21, no. 1(2015), p. 133.

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的アプローチの議論を通じて異常な状態と普通の国の概念を分析する.第三章では,二つのア プローチの間の主要な争点を扱うことにより,最後の章では,ドイツと日本の普通化について 実証的研究を行うに当たり手助けになる二つの新たな分析枠組み,すなわち「現実主義的アプ ローチと文化論的アプローチの理論的融合」と「単純な変容と根本的な変化の区分」を提示する.

2 . 国際政治学における「異常な状態」と「普通の国」に関する議論:

現実主義的アプローチと文化論的アプローチを中心に

 冷戦が終息した後,ドイツと日本の外交安保政策の普通化に関する熾烈な論争は,国際政治 学の主要な理論的な現実主義的アプローチと文化論的アプローチの間で行われた.学者の間の 普通の国の基準について理解が異なるにもかかわらず,従来の普通化の議論は,幅の広い枠組 みで見ると,現実主義的アプローチと文化論的アプローチの間で起きていると分類できる.普 通の国の基準を議論するに当たって,現実主義的アプローチが経済力と軍事力間の対称性問題,

そして国益追求などに関心を持つ一方,文化論的アプローチは制度,規範,アイデンティティ ー,文化,歴史,集団的記憶などの観念が普通の国を判断する主要な変数だと捉える.そして 現実主義的アプローチと文化論的アプローチの中にも異なる立場を持っているグループが存在 する.現実主義的アプローチの中には伝統的現実主義(orthodox realism)と修正現実主義

(modified realism)に,一方文化論的アプローチの中には制度論(institutionalism)と構成主

表-1 現実主義的アプローチと文化論的アプローチにおける異常な状態と普通の国に関する議論

国際政治学理論 戦後ドイツと日本 冷戦後ドイツと日本

現実主義的 アプローチ

伝統的

現実主義 ドイツと日本はいつも普通の国 現在のドイツと日本の積極的政 策は全く新しいことではない

修正 現実主義

戦後のドイツと日本は異常な状 態の国

国益の追求は一般的な法則 異常な態度は単に一時的なもの

冷戦後,外部環境が変わって,

ドイツと日本は普通化をためら うことなく進む

積極的な普通化は当然の帰結

文化論的 アプローチ

制度論

戦後のドイツと日本は異常な状 態の国

超国家的な機構と平和憲法という 制度が異常な状態を可能にする

冷戦後,制度はドイツと日本の 国内政治と政策決定過程に重要 な影響を及ぼす

普通の国に復帰した兆候は発見 できない

構成主義

戦後ドイツと日本は,典型的な 異常な状態の国

平和主義的な規範と自制文化は ドイツと日本が経験した第二次世 界大戦での敗北という集団的記 憶によって社会的に構築された

過去の残酷な記憶に基づいた規 範と自制文化は重要な役割を持 続的に果たす

ドイツと日本が普通の国になる のは容易ではない

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義(constructivism)に分けることができる(表 1 を参照).もちろん,「異常な状態」と「普 通の国」を理解する上で,諸説の間には微妙な違いが存在するが,これらは現実主義的アプロ ーチや文化論的アプローチという大きな理論的言説の中での議論であると考えられる.

2.1 現実主義的アプローチによる「異常な状態」と「普通の国」

 ヨーロッパとアジアにおいて,安全保障秩序の変化をもたらした冷戦終結とともに,ドイツ には自国の統一,日本には中国の再登場という地政学的変化を招く歴史的な事件が発生した.

このような変化に応じて,「ドイツ問題(German Question)」あるいは「日本の対応(Japanese Response)」が国際政治に再び重要な問題として登場したことで,現実主義的アプローチの立 場から過去数十年間のドイツと日本の外交安保政策とこの変化を理解し,説明しようとする試 みが,さらに脚光を浴びるようになった.だが無政府状態の国際秩序の中で,国は当然のこと ながら自国の安全を保護するために国益を追求するはずだと信じている現実主義的アプローチ の中でも,伝統的現実主義と修正現実主義は,戦後ドイツと日本の外交安保政策が異常な状態 だったのか否かという議論以来,冷戦後ドイツと日本の普通の国への道がどのくらい進んだの かについて見解が分かれている.

 第一に,いくつかの自由主義的な現実主義を含む伝統的現実主義は,戦後ドイツと日本は,

実際には普通の国のような外交安保政策を行ったと主張する.リチャード・ローズクランスは,

経済的合理性に基づいて,ドイツと日本は経済的パワーの追求に没頭したと主張する11).ドイツ,

フランス,イギリスのヨーロッパの統合の動機を研究したアンドリュー・モラフチークは,他 の国のようにドイツも多様な外交手段を使って国益を追求し,「ヨーロッパの統合は,ドイツ,

フランス,イギリスなどの指導者たちの合理的な選択の結果として行った」と主張する12).ハ ンス・クンナニは,「戦後ドイツの外交政策の中核としての超国家主義の立場は決して利他的 な動機からなされたものではなく,制約されたパワーが,自分の野心と目的を達成するために 超国家主義を手段として利用したものに過ぎなかった」と手厳しく指摘する13).ケネス・パイ ルも,「国際政治の中で,日本の行為は理想主義で動かされたものではなく,実用的な,時に は日和見主義的な動機に基づいていた」と主張した14).サミュエル・ハンティントンは戦後の 日本は,「自分の力を最大化して,自分の安全を確保するために,国際政治の現実主義的アプ

11) Robert Rosecrance, The Rise of the Trading State: Commerce and Conquest in the Modern World (New York: Basic Books, 1986).

12) Andrew Moravcsik, The Choice for Europe (Ithaca, NY: Cornell University Press, 1998), p. 3. 13) Hans Kundnani, The Paradox of German Power (London: Hurst & Company, 2014), p. 84. 14) Kenneth Pyle, “Profound Forces in the Making of Modern Japan”, Journal of Japanese Studies,

vol. 32,no. 2(2006), p. 405.

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ローチに基づいて最もよく行動した国」だったと主張する15).つまり,戦後ドイツと日本も他 の国と同じように国際構造と物理的環境の中で,自国の利益の追求という現実主義的政策を行 ったため,事実上普通の国との相違はなかったと主張する.

 ドイツと日本も主権国家として国益と安全保障の追求という目的を達成する点においては,

他の国とは異ならないと主張する立場から見れば,ドイツと日本は常に普通の国であり,現在 のドイツと日本のより積極的に普通化しようとする試みは全く新しいことではないと主張でき る.伝統的現実主義の中で攻撃的現実主義(offensive realism)を代表しているジョン・ミア シャイマーは,冷戦後ドイツと日本は,単なる普通の国を超えて,他の強大国のような地位を 享受するために核兵器まで持つ「超大国」になるつもりだろうと主張する16)

 第二に,構造的現実主義を含めて,修正現実主義は,戦後のドイツと日本は経済大国である にもかかわらず,経済力に相応する軍事力の保有に消極的であり,武力よりも外交を好む穏健 な外交政策を繰り広げてきた点で「異常な状態」の国に発展したことを認めつつ,ドイツと日 本の外交安保政策の根本的な行為の動機は,他の普通の国と異ならないと主張する.修正現実 主義者は,このような状態を「制限ありバランサ(circumscribed balancer)」17),「バック・パ ッ サー(buck-passer)」18 ),「 ミ ド ル パ ワー(middle power)」19 ),「 重 商 主 義 的 な 現 実 主 義

(mercantile realism)」20),「脱古典的現実主義(postclassical realism)」21)など,様々な名前で呼 んでいる.無政府状態の国際秩序の中で「国家は自国の利益のために行動することが一般的な 法則」であるため,異常な状態は単に過渡期の現象にすぎないと主張するのである.特に構造 的現実主義者は,これらの異なる形の国ができる条件は,米国とソ連の二極体制という独特の 国際構造・秩序が提供された側面が強いと主張する.したがってドイツと日本の異常な態度は 覇権国家としてのアメリカが提供したものであり,「ただの逸脱」であって大きな意味をなし ていないと主張する.

 国益の追求という本能は常に存在してきたため,異常な状態は一時的なものであり,いつで 15) Samuel Huntington, “Why International Primacy Matters”, International Security, vol. 17, no. 4

(1993), p. 72.

16) John Mearsheimer, “Back to the Future: Instability in Europe after the Cold War”, International Security, vol. 15, no. 1(1990), pp. 5 56.

17) Christopher Twomey, “Japan, a Circumscribed Balancer: Building on Defensive Realism to Make Predictions about East Asian Security”, Security Studies, vol. 9,no. 4(2000), pp. 167 205.

18) Jennifer Lind, “Pacifism or passing the buck: Testing theories of Japanese security policy,” Inter- national Security, vol. 29, no. 1(2004), pp. 92 121.

19)添谷芳秀『日本の「ミドルパワー」外交―戦後日本の選択と構想』ちくま新書,2005 年.

20) Eric Heginbotharn and Richard Samuels, “Mercantile Realism and Japanese Foreign Policy”, Inter- national Security, vol. 22, no. 4(1998), pp. 171 203.

21) Tsuyoshi Kawasaki, “Postclassical Realism and Japanese Security Policy”, Pacific Review, vol. 14,

no. 2(2001), pp. 221 240.

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も簡単に変わる可能性が高いと主張する修正現実主義者は,冷戦の終結後,外部環境が変わる ことによって,ドイツと日本は普通化にためらうことなく進んだと主張する.サイモン・バル マーとウィリアム・パターソン22),ウィリアム・パターソン23),カイ・オペルマン24),アリスタ ー・ミスキモン25 )は,冷戦後,ドイツの統一,アメリカの覇権の弱体化,フランスの弱体化 という構造的変化に基づいて,ドイツが国益中心の外交戦略を選択することや,外交の目標を 達成するために制度的権力を使うこともしばしばあると主張する.また,中国の再登場,北朝 鮮の脅威の増加,アメリカの圧力という東アジアの構造環境の中で,戦後国家のパワーの根幹 を拡大することにより,さらに積極的な外交安保政策を展開し,平和憲法の改正に積極的にな る日本の普通化は当然の帰結だとも主張する.

2.2 文化論的アプローチによる「異常な状態」と「普通の国」

 過去 30 年間,ドイツと日本がヨーロッパとアジアでそれぞれ担ってきた役割と展開してき た外交安保政策について制度,規範,文化,アイデンティティーなどの観念的変数に焦点を置 いて分析してきた文化論的アプローチは,現実主義的アプローチとともに国際政治学理論にお いて二大山脈をなしている.文化論的アプローチによる普通化の議論は,戦後ドイツと日本の 外交安保政策が異常な状態だったのか,そうでなかったのかというテーマより,異常な状態を もたらした原因と異常な状態の特徴は何であるか,冷戦が終わってもドイツと日本の異常な状 態が持続できるかに関して行われた.つまり,文化論的アプローチは,権力の行使と国益の追 求を規制する「制度」の役割に関心を見せている制度論と,異常な状態と普通の国は社会的に 構成されたという意味を持っている構成主義との,二つのグループに分けることができる.

 第一に,制度論は異常な状態の特徴を「制度」の面で究明している.この議論ではドイツと 日本の制度的な側面が,戦後ドイツと日本の外交安保政策の独特な性格を説明する最も重要な 要因であると主張される.ドイツは「超国家主義」あるいは「思慮深い多国間主義(reflective

mutilateralism)」に基づいて,EU(欧州連合)という超国家的機関に自国の主権を譲渡し,自

国をヨーロッパ統合の枠組みの下に置くこと,一方日本は戦争と軍事力の保有を放棄した平和 憲法 9 条に,その例を見ることができるだろう.ドイツと日本において独特なのは,強大国と 22) Simon Bulmer and William Paterson, “Germany and the European Union: from Tamed Power to

Normalised Power?” International Affairs, vol. 86, no. 5(2010), pp. 1051 1073.

23) William Paterson, “Does Germany Still Have a European Vocation?”German Politics, vol. 19, no.

1(2010), pp. 41 52.

24) Kai Oppermann, “National Role Conceptions, Domestic Constraints and the New Normalcy in German Foreign Policy: the Eurozone Crisis, Libya and Beyond”, German Politics, vol. 21, no. 4

(2012), pp. 502 519.

25) Alister Miskimmon, “German Foreign Policy and the Libya Crisis”, German Politics, vol. 21, no. 4

(2012), pp. 392 410.

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しての役割を果たすには十分なハードパワーを持っているにもかかわらず,ドイツは「政治家 が国際的な公共の場,すなわち超国家主義の枠組み(EUと大西洋共同体)の中で,自国の主 権とパワーを制御」し,日本は「戦争放棄,戦力不保持,交戦権の否認に関する規定を置いて いる憲法 9 条の枠組みの中で,外交安保政策を実行」したことだったとされる.つまり,ドイ ツと日本の制度的な側面が戦後ドイツと日本の外交安保政策の特徴を説明する最も重要な要因 であると主張するのだ26).超国家的な機構と平和憲法という制度のため,米・ソ間の緊張と対 決の中でも,パワーゲームに参加せず,反軍事主義と穏健な外交という独特の外交安保政策を 維持することができたという.

 制度論は,1950 年代以後ドイツと日本を拘束したヨーロッパ統合の枠組みや憲法は,冷戦 が終わってもドイツと日本の国内政治と政策決定過程に重要な影響を及ぼしていると主張する.

ピーター・カッツェンスタインは,冷戦後,統一によって,ドイツは法律的・政治的に完全に 主権国家になったにもかかわらず,現実主義的アプローチの主張とは異なり,「力の政治に基 づいた普通の国に復帰しようとする明らかな兆候は見つからなかった」と主張する27).代わりに,

ドイツは,伝統的な主権国家のように一方的な国益を追求するよりも,EUのメンバーとして 超国家主義の枠組みの中で,ヨーロッパ統合を加速させ,国益と欧州全体の利益を合致させる ために継続的に努力している.日本も軍事主義の復活を警戒し,平和憲法の枠組みの中で,国 連の指揮下での平和維持軍を派遣するなど,国際協力を強化させるために努力していると主張 している.

 ドイツの場合,冷戦の終結とドイツ統一後,ドイツの国内外の環境が急激に変化したことを 認めながらも,トーマス・バンチョフは「ドイツはまだ制度という細かい枠組みに拘束されて いる」と主張している.彼は「ドイツ統一とは,単一ドイツ民族国家の再誕生を意味するにも かかわらず,ドイツの一方的な国益の追求ではない」と言及する28).ジョン・ダッフィールドは,

26) Peter Katzenstein, Cultural Norms and National Security: Police and Military in Postwar Japan (Ithaca, NY: Cornell University Press, 1996); Peter Katzenstein, Rethinking Japanese Secu- rity: Internal and External Dimensions (London: Routledge, 2008); John S. Duffield, World Power Forsaken (Stanford: Stanford University Press, 1998); J. Tsuchiyama, “War renunciation, Article 9,and security policy”, T. U. Berger, M. M. Mochizuki and J. Tsuchiyama eds., Japan in International Politics: The Foreign Policies of an Adaptive State (Boulder, CO: Lynne Rienner, 2007), pp. 47 74; M. Tadokoro, “Change and continuity in Japanʼs ʻabnormalcyʼ: An emerging external attitude of the Japanese public”, Y. Soeya, M. Tadokoro and D.A. Welch eds., Japan as a ‘Normal Country’? A Nation in Search of Its Place in the World (Toronto: University of Toronto Press, 2011), pp. 38 71.

27) Peter Katzenstein ed., Tamed Power: Germany in Europe (Ithaca: Cornell University Press, 1997), p. 9.

28) Thomas Banchoff, The German Problem Transformed (Ann Arbor: University of Michigan Press, 1999), p. 10.

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1990 年代以後,「ドイツが自分と同じような規模と地位を持っている他の強国のように外交安 保政策を実行する」にもかかわらず,「普通化の兆候よりも,以前のような外交安保政策を見せ,

まだ著しく逸脱している状態にある」という点で,ドイツの異常な状態は持続していると主張 する29 ).そして,このような連続性は,「超国家主義への継続的な献身と支持,同時にドイツ 特有の道(Sonderweg)と呼ばれる独自の道を模索することに対する拒否感」がまだ根付いて いるからだと主張する30)

 日本の場合には,ピーター・カッツェンスタインと大河原伸夫31),神谷万丈32),アンドリュー・

オロス33),田所昌幸34),ヘン・イー・クアン35)は,やはり平和憲法の制度的制約は,まだ日本 の指導者たちが国益を追求する方法に強固な影響を及ぼしていると主張する.さらに,最近の 政治指導者が主導して進める普通化は,戦後平和憲法の成功に基づいていると主張している.

また,冷戦という強力な外部的制約が消えたにもかかわらず,日本の成熟した戦後民主主義が,

日本の外交安保政策の継続性・安定性と自制外交を奨励するだけでなく,特に単独で脅威的な 行為を制限する潜在的な役割を果たしていると主張する.

 第二に,構成主義は,平和主義的な規範と「自制の文化(culture of restraint)」を最もよく 構築した戦後ドイツと日本は,典型的な異常な状態の国だと主張する.構成主義は,ドイツと 日本の国際関係において異常な状態の特徴を,反軍事的な規範と「自分を抑制する文化」とす るとともに,ドイツと日本の外交安保政策を形成した主要な要素は物質的な力ではなく,むし ろ共有された観念つまり反軍事的な規範や自制文化であり,これらの規範や文化はドイツと日 本が経験した第二次世界大戦という敗北によって「社会的に構築され」,集団的記憶の形とし て社会の中に根付いていると主張する.トーマス・バーガーは「第二次大戦の悲惨な敗北の結 果として出現した強い反軍事主義はドイツと日本の政策決定者たちの政策と行為に深く根付い

29) John S. Duffield, World Power Forsaken (Stanford: Stanford University Press, 1998), pp. 229 230.

30) Ibid., pp. 229 230.

31) Peter Katzenstein and Nobuo Okawara, “Japanʼs National Security: Structure, Norms, and Policies”, Michale Brown, Sean Lynn-Jones and Steven Miller eds., East Asian Security (Cambridge: MIT Press, 1996).

32) Matake Kamiya, “Nuclear Japan: Oxymoron or Coming Soon?”Washington Quarterly, vol. 26 no.

1(2003/2003).

33) Andrew Oros, Japan’s Security Renaissance: New Policies and Politics for the Twenty-First Century (New York: Columbia Univ. Press, 2017).

34) Masayuki Tadokoro, “Change and Continuity in Japanʼs ʻAbnormalcyʼ: An Emerging External Atti- tude of the Japanese Public”, Yoshihide Soeya et al. eds., Japan as a ‘Normal Country’ (Toronto:

University of Toronto Press, 2011).

35) Yee-Kuang Heng, “Smart Power and Japanʼs Self-Defense Forces”, The Journal of Strategic Studies, vol. 38, no. 3(2015), pp. 282 308.

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ている」と主張する36).特にドイツの場合はワイマール共和国の崩壊とホロコーストの残酷さ,

日本の場合は,敗戦と広島・長崎への原爆投下,ドイツと日本の残酷な歴史的な経験に反響す る集団的記憶が,軍事力と権力を使う意志と能力に影響を与えて反軍事的な規範と自制文化を 構築させ,ドイツと日本が異常な状態の国になるようにしたと主張する.

 トーマス・バーガーは「過去の歴史的な失敗の繰り返しを回避したいドイツと日本の不屈の 決意は,現在も継続してドイツと日本の心に重くのしかかっている」と主張する37).アンドレイ・

マルコビッツとサイモン・ライヒも「集団的記憶とその継続的な再生産はすべての国の政治的 行為の核心的要素」であり,特にドイツの過去の過失と責任について「社会的合意は,持続的 で安定的である」ため,まだ過去の残酷な集団的記憶が,ドイツの行為を抑制する重要な「文 化的コード」として役割を果たすので,ドイツが(おそらく日本も),「普通の国」になるのは 容易ではないだろうと主張した38)

3 .現実主義的アプローチと文化論的アプローチ間の論争の核心

 以上の議論をまとめると,現実主義的アプローチと文化論的アプローチの議論の核心は,

⑴ 異常な状態とは何か,⑵ 普通の国とは何か,⑶ どのような条件で普通化が起こるのか,

⑷ ドイツと日本が普通の国になったのか,⑸ ドイツと日本は再び脅威的な国家になるのかを 巡るものである(表 2 を参照).

 第一に,現実主義的アプローチと文化論的アプローチの間の論争の核心の中で,異常な状態 の特徴は何であるかにある.「異常な状態(abnormality, deviance, psychopath)」という用語は,

精神分析学,心理学,社会学,犯罪学などの学問で極端な暴力を犯す行為から,単純に正常で はない状態のこと,逸脱的な行為に至るまで,幅広い意味で使われている.一般的には,異常 な状態は,平均的な人格像や心理状態から大きく離れている状態と定義することができる.一 方,国際政治学の文脈でヴェストファーレ体制の中でも,特定の国が,もし国際社会を構成す る国家の大多数が支持する基本的な行為のルールと方式から「逸脱している状態」を示してい れば,これを異常な状態とみなすことができる.

 現実主義的アプローチにおいて,逸脱しているまたは異常な状態は,普通の国とは異なり経 済力に応じた軍事力を発揮しない場合と,自国の利益を追求するのに消極的な姿勢を見せてい る場合などを指す.ドイツと日本が普通の国とは差異がないと主張する伝統的現実主義たちを 除き,修正現実主義は,異常な状態の特徴について,概ね戦後ドイツと日本が経済力に相応す 36) Thomas Berger, Cultures of Antimilitarism: National Security in Germany and Japan (Balti-

more: Johns Hopkins University Press, 1998), p. x.

37) Ibid., p. 7.

38) Andrei Markovits and Simon Reich, The German Predicament: Memory and Power in the New Europe (Ithaca: Cornell University Press, 1997), p. 42.

(12)

る軍事力の保有に消極的であり,武力よりも外交を好み,軍事力の使用を最終手段としないと いう安保政策と近隣諸国に穏健な外交を繰り広げてきたことによって,ドイツと日本が異常な 状態だと認めている.しかし,現実主義的アプローチは,国益追求が法則である無政府状態の 国際秩序の中で行われるこれらの逸脱行為を,ドイツと日本の国益に損害を与えるのみの不適 切な態度であると否定的に認識する.

 現実主義的アプローチとは異なり,文化論的アプローチは,ドイツの場合にはヨーロッパ統 合とホロコーストへの罪責感,日本の場合には平和憲法と戦争責任感を通じて,普通の国と違 って自己抑制をするという点を考えると,ドイツと日本が異常な状態だというのは議論の余地 がないという.かなりの国力を有するにもかかわらず,ドイツと日本は,ヨーロッパ統合と平 和憲法によって制度的に拘束され,歴史的記憶によって権力欲を抑える異常な状態の特徴を持 っていると主張する.文化論的アプローチは,軍事力の不使用と穏健な外交のような政策は「制 度」,「規範」,「アイデンティティー」,「歴史的記憶」など制度的,歴史的,規範的要素によっ

表-2 現実主義的アプローチと文化論的アプローチ間の論争の核心 異常な状態

とは何か

普通の国 とは何か

どのような条件で 普通化が 起こるのか

ドイツと日本が 普通の国に なったのか

ドイツと日本は 再び脅威的な 国家になるのか

現実主義的 アプローチ

経済力に応じた政 治力・軍事力を発 揮しない場合 国益の追求に消 極的な姿勢 異常な状態を否 定的に認識

無政府状態の国際 秩序で,経済力に 合わせて軍事力を 保有・運用 国益の追求に躊躇 がない主権国家

冷戦後に外部環 境が変わること によって普通化 が進む 修正現実主義:

米・ソの二極体 制の崩壊に伴う,

国際政治のパワ ーの分配の変化 が普通化を誘導

過去との不連続 性を強調 伝 統 的 現 実 主 義:冷戦後,実 質的な大国 修正現実主義:

国内外の環境の 変化に応じて,

普通の国に変化

悲観的 ドイツ:欧州連 合を不当に利用 日本:憲法 9 条 を改正して戦争 が可能な国に 地域と国際社会 に脅威的な要因

文化論的 アプローチ

ヨーロッパ統合 とホロコースト への罪責感およ び平和憲法と戦 争責任感を通じ ての自己抑制 異常な状態は前 向きの姿

国益の追求とい う本能的な行為 が観念的要因に よって制約され ない国

外部の衝撃によっ て普通化を生むこ とが可能である 制度論:ドイツ のヨーロッパ統 合と日本の平和 憲法に予期しな い変化が生じる 構成主義:過去 の残酷な集団的 記 憶 が 衰 え た 時,反軍事的な 規範や文化が効 用性を失った時 に変化が起こる

観念的要素は簡単 に変化しにくく,

継続性が高い まだ制度と歴史 的記憶が,ドイ ツと日本の外交 安保政策に重要 な影響を及ぼし ている 衝撃的なショック が生じなかったの で,普通化は起こ らなかった

楽観的 ドイツ:ヨーロッ パ統合の枠組み 日本:民主主義 に基づく憲法 9 条の枠組み 地域と国際社会 の平和と安定へ の肯定的な役割 を続く しかしながら,国 益中心主義,民族 主義,国家主義が 強固になったドイ ツと日本は危険な 国になると思う人 もいる

(13)

て形成され,これはドイツと日本の社会に深く根付いていると主張する.一方,異常な状態は 絶対的なものではなく相対的な概念であると指摘したミシェル・フーコーは,異常な状態を必 ずしも否定的な性質のものとみなさない.彼は異常と定義されている人々が多くの場合,私た ちの社会に有用であり,生産的な役割を果たし,新しい規範の創出への洞察を提供することが できるからだと指摘する39).文化論的アプローチでは,国際秩序の中で普通の国が当たり前に 実行する政策と行為とは「全く異なる傾向」の行為は,前向きの姿勢で国際関係の発展を手助 けすることができると捉えられている.ハンス・モールは,ドイツと日本を「文明化された国

(Zivilmächte)」と名付け,ドイツと日本の異常な状態は,他の国が学ぶべきモデルであると称 賛する40)

 第二に,異常な状態とは何かという質問は,コインの裏表をなすように普通の国とは何かと いう質問と互いに関連している.現実主義的アプローチは異常な状態の特色と原因については,

比較的に無関心だが,「普通の国」の特性については明確な説明をしている.一方,文化論的 アプローチは異常な状態の特徴と原因は明確に解釈をするのに対し,「普通の国」とは何かに ついては,正確な説明をしていない.

 現実主義的アプローチは,無政府状態の国際秩序の「普通の国」は根本的に国家戦略に関す る問題であり,経済力に合わせて軍事力を保有・運用し,国益の追求に躊躇がない主権国家で あると定義している.つまり様々な国家が自分の地位と権力の土台に合う行為をしてきた近現 代史に照らしてみれば,普通の国なら自国の力の強さに合わせて自分の利益を追求し,軍事力,

政治力を行使するのは当然だというのだ.また,普通の国の行為を理解するのに最も重要な概 念は,自己の利益だと主張する.トマス・ホッブズからジョン・ロールズまでの契約論者が主 張する政治理論の基本的な要素は,自己の利益の追求という概念である.アーサー・ステイン は「無政府状態の中で,人間の本性のように,自発的に国益を追求する動きと生存のためにパ ワーを最大化しようとする動きは,国際秩序の根本的な原則である」と主張した41).古典的な 現実主義者,ハンス・モーゲンソーは,「国際政治の普遍法則は,国家が常に権力に定義され ている自己の利益を最大化しようとすることである」と主張した42).ヘンリー・キッシンジャ ーも「国家は高尚な原則よりも一般的に国益を追求する.そして,このような傾向が将来的に 変わるという明確な証拠を見たことがない」と説明した43)

39) Michel Foucault, Madness and Civilization (New York: Vintage, 2013).

40) Hanns Maull, “Germany and Japan: The New Civilian Powers”, Foreign Affairs (Winter, 1990/91). 41) Arthur Stein, “Coordination and Collaboration: Regimes in an Anarchic World”, Stephen Krasner

ed., International Regime (Ithaca: Cornell University Press, 1983), p. 132.

42) Hans Morgenthau, The Politics among Nations: The Struggle for Power and Peace (New York:

Alfred A. Knopf, 1948/1973).

43) Henry Kissinger, Diplomacy (New York: Simon & Schuster, 2011).

(14)

 現実主義的アプローチは異なり,普通の国に関して具体的なイメージを提示しない文化論的 アプローチは,普通の国とは国益の追求という本能的な行為が観念的な要因によって制約され ていない国だと仮定する.この仮定は結果的に現実主義的アプローチが言う「普通の国」,す なわち経済力に合わせて軍事力を保有・運用し国益を追求に躊躇がない国家,とかなり一致す る.文化論的アプローチはドイツと日本の社会に深く入り込んでいる「ホロコーストへの罪責 感」,「ヨーロッパ統合」,「平和憲法」,「反軍事主義の規範」,「歴史的記憶」など歴史的,心理 的,規範的要素がすでに作動しておらず,経済的,政治的,安全保障的の利益という要素が政 策と行為により重要な役割を果たす国家が「普通の国」だと仮定する.つまり,ドイツの場合 にはヨーロッパ統合とホロコーストへの罪責感,日本の場合には平和憲法を通じて自己抑制と いうメカニズムが,外交安保政策決定過程にもはや機能していない場合を言う.言い換えれば,

ヨーロッパ統合からの離脱,ホロコーストへの罪責感からの逸脱および平和憲法の改正によっ て権力欲を抑える異常な状態がもはや機能しない時にドイツと日本が普通の国になったと考え る.

 第三に,どのような条件で普通化が起こるのかについての議論がある.現実主義的アプロー チは,国際環境の変化が普通化を生む一番大切な要因だと主張する.文化論的アプローチは,

観念的要素に基づいた異常な状態は,一旦社会に深く定着すれば,簡単に普通化しにくいと主 張するが,現実主義的アプローチと同様に,外部の衝撃によって普通化を生むことが可能であ ると主張する.外部から物理的な脅威や国際秩序の構造的な変化に直面した場合,これが普通 化を触発させ,最終的にはドイツと日本が普通の国になるというのだ.

 修正現実主義者は,異常な状態はあくまでも一時的なものであるため,冷戦後に外部環境が 変わることによってドイツと日本はためらうことなく普通化が進んだと主張する.ケネス・ウ ォルツは,米・ソの二極体制の崩壊に伴う国際政治のパワーの分配の変化は,国際体制の変化 を生みこれはドイツと日本に新たな機会を提供することになった.ドイツと日本はこの機会に 応えて,他の普通の国のような外交安保政策を実行するだろうと予想する44).覇権国家として のアメリカがドイツと日本の戦後の国家アイデンティティーの形成に決定的な役割を果たした と主張する構造的現実主張の前提から見ると,アメリカの覇権に変化が生じた冷戦後の国際秩 序の中で,ドイツと日本が異常な状態の変化を模索することは当然の結果である.したがって,

覇権国家の相対的な強さが弱くなる場合とパワーのバランスが壊れる場合に覇権国家によって 強制された異常な状態は崩壊しやすいと言える.この議論は,米国が過去とは異なり,ドイツ と日本の対外政策に直接的または間接的な影響を与える可能性が低くなる場合と,また,補償 というマトリックスをコントロールすることができない場合は,異常な状態は変わるしかない

44) Kenneth Waltz, Theory of International Politics (New York: Random House, 1979).

(15)

と主張する.

 文化論的アプローチも,特定の条件の下でドイツと日本の普通化は完全に不可能ではないと 考えている.制度論はドイツのヨーロッパ統合へのコミットメントと日本の平和憲法の支持に,

それが比較的安定しているにもかかわらず,予期しない変化が生じる可能性があるとする.例 えば,ドイツの場合は,移民の問題,イギリスのEU離脱,ロシアの脅威,欧州懐疑主義,極 右政党AfD(Alternative für Deutschland)の中央政治舞台への登場などの問題がさらに深刻化・

強化・悪化し,国民と他の国がヨーロッパ統合に完全に背を向ける時,日本の場合は,中国の 脅威の増加,北朝鮮の危機,アメリカの日本に対する安全保障の廃棄などによって国民が危機 感を抱く時,両国は外交安全保障について戦略を再評価するとともに,伝統的な民族主義に復 帰して普通化を活発に追求する余地が十分にある.したがって,ドイツと日本は,特定の危機 などの状況では,短期的な利益に基づいた外交安保政策を追求し,世界で生き残るために必要 とされる典型的・現実的な行為におよぶと主張する.

 構成主義では,トーマス・バーガーがドイツと日本の政治,軍事,文化の急激な普通化は,

戦争の直接経験がない新しい世代の出現と共に過去の残酷な集団的記憶が衰える時,反軍事的 な規範や文化がもはや国際的現実を扱う実質的な行為のコードとして作動せず,その効用性を 失った時,および「衝撃的なショックが,既存の異常な状態に基づいて行為するのは間違って いると証明する時」に起こると述べた45).外部の衝撃は,国内の政治的危機を触発するもので あり,「このような極端な状況では,外の世界に対して実質的な,あるいは想像上の裏切りに よって,生じた怒りとそれとを組み合わせた民族主義的情緒に再び火が付くだろう」と言 う46).構成主義もドイツと日本が,安全保障が極度の危険な状況を迎えた場合,過去のように 民族主義に傾倒した普通の国,あるいは超普通の国にもなる余地があると捉えている.

 第四の議論は,現在,ドイツと日本が普通の国へと変わったのか否かという問題,あるいは 物理的な脅威と構造的な変化に直面し,普通の国になっているのか,あるいは,普通の国とみ なされるべきであるのかという質問にも関連している.その上,ドイツと日本が異常な状態で あるとするならば,これは一時的な現象かそれとも長期的な現象かという議論でもあり,継続 性(continuity)と不連続性(change)の問題と関連する.

 伝統的現実主義は,戦後ドイツと日本は他の国と同じように行動する普通の国であったし,

冷戦後,実質的な普通の国として大国の役割を果たしていると主張する.一方,過去の異常な 状態との「不連続性」を強調している修正現実主義は,冷戦後ドイツと日本は普通の国になっ たとみなした.国益追求は超歴史的な現象であるため,経済力に応じた軍事力を発揮しない場 合と自国の利益を追求するので消極的な姿勢が見せている異常の状態は一時的であると捉える.

45) T. Berger., op.cit., p. 210. 46) T. Berger., op.cit., p. 210.

(16)

その上,国際政治パワーの配分の構造変化は,国家が新しい環境に合わせて新しい外交安保政 策を取るようにすると主張する.したがって,米・ソの二極体制が崩壊した後に,新たな挑戦 に直面した,ドイツと日本が普通の国の外交安保政策と同様の特性に収斂する傾向を示すのは 当然の結果だと指摘しているのである.例えばユーロ危機の時に明らかになったように,アン ゲラ・メルケル首相は,国民国家を超えた超国家的な機構の創設を志向する超国家主義の価値 観を弱体化させ,統一後さらに強力になった経済力と自国のオルド自由主義(Ordoliberalism)

の原則に基づいて,ドイツの国益に有利な威圧的な緊縮政策を債務国に強制し,あたかもビス マルクのレアルポリティークへの復帰を意味するかのように「戦後に,初めて欧州で覇権を明 確に表すこと」になった47 ).一方,「日本を取り戻す」という旗を掲げた安倍晋三首相は,中 国と北朝鮮の脅威という外部環境に対応するため,集団的自衛権を国会で通過させ,戦後の日 本の安全保障政策の根本であった専守防衛政策を弱体化させ,本格的に平和憲法を改正する歩 みを開始し,世界の舞台で自国の経済力に合わせて積極的な外交安保政策を展開して,普通の 国になったと主張する.

 文化論的アプローチは,ドイツと日本が普通の国に変わったのか否かという問題について現 実主義アプローチよりも積極的に議論している.文化論的アプローチにとっては,ドイツと日 本が普通の国に変わったのか否かという基準は,制度,規範,原則,文化などが変化したのか の問題である.つまり,観念的要素の変化が異常な状態の変化の基準であるとみなす.歴史性,

あるいは特殊な状況を重視する文化論的アプローチは,観念的要素は変わりにくく,「継続の 属性」が高いと主張する.ドイツと日本の異常の状態の基盤である制度,規範,文化などは,

第二次世界大戦の敗戦という特殊な歴史的状況で発生したので,非常に変わりにくい属性があ ると捉える.文化論的アプローチは,普通化はまったく不可能ではないと判断している.一方 観念的要素を変化させるほどの,第二次世界大戦の敗戦という歴史的事件に相当する,衝撃的 なショックが生じなかったため,ヨーロッパ統合の枠組みや憲法と歴史的記憶という規制の要 素が,まだ重要な影響を及ぼしており,ドイツと日本の外交安保政策が急に変化することはな い.したがってまだ普通化は起こっていないと主張する.

 最後の議論は,普通の国になったとするならば,ドイツと日本は再び脅威的な国家になるの か否かである.この議論は普通の国を悲観的に見るべきであるか,楽観的に見るべきであるか とも関連している.すなわち,ドイツは国益のために欧州連合を不当に利用し,日本は憲法 9 条を改正してさらに軍事化を推進して戦争が可能な国を作り,地域と国際社会に脅威的な要因 になるという立場と,一方両国が普通の国になったとしても,ドイツと日本は依然として民主 主義に基づいて,地域と国際社会の平和と安定へ肯定的な役割を引き続き果たすという立場に

47)The Guardian, “Jürgen Habermasʼs verdict on the EU/Greece debt deal”(July 16, 2015).

(17)

分けて見ることができる.概ね現実主義的アプローチは悲観的な見方を,文化論的アプローチ は楽観的な見方を取っているとも言える.

 しかしながら,文化論的アプローチを支持する学者には,異常な状態に基づいた外交的アプ ローチにとって,対処ができない対内外的「大規模な衝撃」と敵対的な外部環境の出現は,ド イツと日本の既存の制度と規範を,(更に深刻なことに)政治・社会・文化構造自体を根本的 に変化させ,ヨーロッパとアジアそして世界の安定と平和に有害な影響を与えることになるだ ろうと主張している学者もいる48).彼らは,ドイツと日本は,異常な状態から逸脱して,国益 中心主義,民族主義,国家主義がさらに強化され,おそらく危険な国になると考える.そのよ うな懸念を彼らが抱くのは,過去ドイツと日本が行った侵略と戦争の行為への集団的記憶が,

いまだに隣国の人々に深く刻み込まれていると考えているからだ.

4 .お わ り に

 現実主義的アプローチと文化論的アプローチの言説は,上記に議論した要因,すなわち,異 常な状態の本質,普通の国の特徴,普通の国になる条件,継続性と不連続性の問題,ドイツと 日本の脅威の可能性などを巡り繰り返されている.このような理論的議論は知識人の知的な思 考と自己満足に終わるべきではない.つまり,今日ドイツと日本に何が起こっているかを明ら かにすることが,両国の未来はいうまでもなく,地域と世界の平和と安定のために,何よりも 必要である.したがって,これまでの議論を整理して,ドイツと日本の普通化に関して具体的 な「実証的研究」をするための手助けとなる論点を次のように挙げることができる.

 第一に,実証的研究を行う場合,ドイツと日本の普通化という複雑な状況をより正確に描く ために,現実主義的アプローチと文化論的アプローチ,両方の理論を融合しなければならない と考える.現実主義的アプローチと文化論的アプローチの偏狭な態度(theoretical parcimony)

を超える,両方の理論の妥協と融合は,ドイツと日本の普通化という複雑な状況をより正確に 描くことができる.二つのアプローチが,両極端に分裂する傾向があるにもかかわらず,普通 化への現象の理解には,二つのアプローチの妥協と統合が必要である.

 現実主義的アプローチと文化論的アプローチという二つのアプローチには実際的・理論的な 欠陥が存在している.現実主義的アプローチは,自分の国力に合う政治的・軍事的役割を果た そうとする欲求と国益の追求という,超歴史的法則などが独立変数として外交安保政策の決定 に重要な影響を与えている,と主張している.一方,文化論的アプローチは反軍事文化,アイ デンティティー,歴史的記憶,責任感などの概念が独立変数として外交安保政策決定に主に影

48) Stephanie Lawson and Seiko Tannaka, “War memories and Japanʼs ʻnormalizationʼ as an interna- tional actor: A critical analysis”, European Journal of International Relations, vol. 17, no. 3(2011), p. 421.

(18)

響を与えると強調している.したがって,二つのアプローチは,それぞれ異なる変数を中心に 置いて,国際政治と国家行為を分析しているため,現実主義的アプローチには規範と歴史的記 憶という観念的要因を無視する傾向があり,文化論的アプローチには国家の行為の根本的動機 の一つである国益追求と内在外的環境という物質的要素をないがしろにする傾向がある.これ らの理論の偏狭な態度は,異常な状態とは何か,普通の国とは何か,ドイツと日本が普通の国 になったのかという問いに答えることと,普通の国への変化の全体的な姿を理解することに困 難をもたらす.すなわち,現実主義的アプローチと文化論的アプローチをそれぞれ排他的なも のと理解して,現実にドイツと日本で起こっている変化,あるいは普通化の全体像を説明しよ うとすることには限界がある.国家が複雑なペルソナを持っていることを考慮すると,特定の 国が異常な状態であるか,普通の国であるかを決めることは容易ではない.

 現実主義的アプローチの観点から見ると,普通の国の基準は,機能的に同等な主権国家で構 成された世界で国益を追求するのか否かということである.しかし,単純に主権国家として国 益を追求していることで,「完全な普通の国」になったと主張することは,普通の国と呼ばれ る全体像の一部だけを見るという誤りを犯すことになる.つまり,文化論的アプローチが主張 したように,「歴史的,心理的,規範的要素を通じて自己抑制というメカニズムが,もはや機 能していない状態」,つまり観念的要素がもはや国益という要素を規制していない状態も普通 の国のもう一つの在り方であることを念頭におく必要がある.ドイツと日本が普通の国になっ たのか否かという複雑な問題は,国益という変数と,歴史的・心理的・規範的な側面も含めて 総合的に考慮しなければならない.

 普通の国に関して具体的なイメージを提示しない文化論的アプローチの観点から見ると,普 通の国というのは国益の追求という本能的な行為が制度,規範,アイデンティティー,歴史的 記憶など観念的要素によって制約されない国と仮定される.したがって,観念的要素が独立変 数だと主張している文化論的アプローチは,観念が国益を規定し,国益は与えられたものとい うよりも,社会的に構築されたものとみなしている.国益という概念は,単に媒介変数だとさ れる.しかし,国は崇高な原則だけでなく,一般的に国益を追求するということを考えると,

国益という概念は,国家の外交政策の本質を理解する重要な要素の一つであり,もう一つの重 要な独立変数であるということに議論の余地はない.文化論的アプローチは過度にドイツと日 本の平和主義という観念的要素の重要性を論じることにより,ドイツと日本の外交政策におい て,「覇権主義的」,「利己的」,「民族主義的」などの現実主義の側面があることを見落として しまう.文化論的アプローチの期待とは違って,現実的にドイツは世界最大の武器輸出国の一 つであり,日本は世界で最も優れた海軍と空軍を保有している.だから,文化論的アプローチ は,国益追求という変数が制度,規範,アイデンティティー,歴史的記憶などの観念的要素に どのように影響を及ぼし,普通化の過程を引き起こし,加速させるのかを考察する必要がある.

(19)

 現実主義的アプローチや文化論的アプローチのどちらかだけでは,ドイツと日本の普通化を 適切に説明することが困難である.国益の追求という本能的な行為と観念的要素を先験的に分 離すると,ドイツと日本の外交安保政策の結果を全体的に理解できなくなる.さらに異常な状 態を理解,評価することや,彼らの今後の行動,すなわち普通化を予測することも困難になる.

したがって,この論文が提起した両理論の融合に基づいて,ドイツと日本の普通の国に関して 具体的な実証的研究をすることが重要である.

 第二に,両理論の融合に基づくならば,ドイツと日本が普通の国になったのか否かという重 要な質問に答えることが可能となる.また,実証的研究を行う場合において,重要な問題は,

ドイツと日本が普通の国に変わったのか否かの基準である.したがって,普通化をさらに厳密 に「既存の異常な状態の中での変化,あるいは単純な変容」と「異常な状態の根本的な変化」

に分けて見れば,普通の国への変化に対して正確なおよび役立つ評価をすることができると考 える.「単純な変容」は,制度,規範など観念的要素の変化ではなく,現実主義的アプローチ が主張する国益追求とルール・政策決定過程の変化を意味する.一方「根本的な変化」は文化 論的アプローチが主張する制度,規範の変化,すなわち根底にある変化を意味する.

 「単純な変容」は,国益の追求などにより,既存の異常な状態と国益の追求行為の間に矛盾 が現われて,異常な状態の重要な特質に大きな分裂が起こることになる.つまり異常な状態が 弱体化していることを言う.制度・規範とルール・政策決定過程などの間に相互関連性が欠如 する状況や実質的な行為が制度・規範などと一致しない事態が頻繁に発生する際は,異常な状 態は弱体化したと考えられる.例えば,ドイツと日本の軍事力の海外派兵・積極的な外交政策・

自国中心の外交政策・頻繁な国益の追求は,普通の国への変化というより,異常な状態の弱体 化を意味する.なぜならば,新たな行為が普通の国への変化を誘発したことは事実だが,根本 的な制度・規範が直接に挑戦を受けたり,廃棄されたりしたわけではないからだ.つまり制度,

規範が放棄されて,普通化への根本的な変化が起こったことを意味するわけではない.

 一方,もし異常な状態の制度・規範に「根本的な,あるいは革命的な変化」が起きれば,ド イツと日本が普通の国に転換したということができる.制度・規範が直接・根本的に挑戦を受 けることになり,放棄されている場合は,異常な状態自体の変化とみなすことができ,異常な 状態の単純な変容と明確に区別される.ドイツの場合は,ホロコーストへの罪責感から逸脱し て,ヨーロッパ統合に完全に背を向ける時,日本の場合は,平和憲法の改正がされた時,制度・

規範が根本的に変化したという意味で,根本的な変化つまり普通の国になったということがで きよう.

(20)

参照

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