フジ タ タカシ
氏名(生年月日)
藤 田 俊
(1985 年 4 月 20 日)学 位 の 種 類
博士(史学)
学 位 記 番 号
文博甲第 133 号
学位授与の日付2019 年 3 月 15 日
学位授与の要件
中央大学学位規則第 4 条第 1 項
学 位 論 文 題 目
戦間期日本陸軍の宣伝政策に関する研究
論 文 審 査 委 員 主査佐藤 元英
副査
山崎 圭・黒沢 文貴
内容の要旨及び審査の結果の要旨
1.本論文の課題と構成
本論文は、シベリア出兵から日中戦争期において、日本陸軍によって行われた新聞・雑誌・映画 等のメディアを介した宣伝政策の構想とその実践、それに反応する民衆の受容形態との関係性を究 明することを研究の課題とし、軍部に操縦されるメディアの協力と対立の実態、受け手の民衆の意 識、民意の作られ方の「軍民関係」を解明しようとするものである。
従来の研究では、⑴陸軍の対民衆政策を明治初期以来の軍による国民統合の延長と捉え、対内外 政策構想や組織防衛、利害追求の論理の変容について充分な議論なされていない、⑵1920~1930 年 代の陸軍と民衆との関係性に関しても、国家権力(軍部)対個人(国民)という単純な構図の中に 落とし込んで論述されてきたきらいがある、⑶陸軍の諸政策の宣伝効果は、あくまでも「純軍事的 活動の付随要素」とみなし、都市化あるいは大衆化の重要な推進力となったメディアを、陸軍が総 力戦完遂に向けていかに活用していたの実態分析については、ほとんど研究対象とされてこなかっ た、という状況を指摘したうえで、新たな研究の切り口として、以下 5 点の検討を目的としている。
⑴ 陸軍が国民を総力戦体制へ動員するにあたり、軍事の意義、重要性や国策遂行に向けた政治的 行動の正当性、有用性をいかにして国民に訴えかけたか、そして、国民はそれをどのように受け止 めたのかを検証する。
⑵ 日本陸軍の対国民政策を宣伝の面から分析し、宣伝を計画・実施する陸軍、宣伝を中継・拡散 させる新聞社・出版社・映画製作会社・百貨店などの民間企業、宣伝を消費する国民の三者によっ て複合的、漸進的に形成される軍民関係の変遷を明らかにする。
⑶ 陸軍独自の宣伝が創成されたシベリア出兵期から、大本営設置で政戦両略一致の宣伝体制が確 立する日中戦争期までを分析対象に据え、陸軍の宣伝政策と民間企業・国民との関係性を考察する。
⑷ 陸軍が、政党政治期(昭和初期)にいかなる宣伝工作を試みて対外派兵を行ったのか、その一 事例として、陸軍中央と派遣軍の連携、派遣軍構成師団の衛戍地である熊本で起こった民衆の反応
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を分析する。
⑸ 1930 年代の軍制改革が進められる中で、陸軍の三官衙である陸軍省・参謀本部・教育総監部を 横断する「国防思想普及委員会」が組織され、陸軍記念日の権威付けとメディア・イベント化が同 時進行し、さらに、陸軍初となる統一的宣伝大綱が立案されていく一連の過程を検討することで、
満州事変以降の世論の親軍化を検討する。
目次 序 章
第一部 シベリア出兵と陸軍宣伝の創成 1918-1923 第一章 シベリア出兵下の新聞操縦活動
はじめに
一 出兵発動と新聞操縦の機運上昇 二 極東ロシアにおける露字紙操縦 三 ハルビンにおける邦字紙創刊 おわりに
第二章 陸軍省新聞班の設立 はじめに
一 明治後期より大正期に至る新聞界の趨勢 二 「臨時新聞局」設置構想と陸軍の姿勢 三 新聞班と記者クラブ
おわりに
第二部 大衆社会への順応と親陸軍世論の素地形成 1924-1930 第三章 新聞班長桜井忠温と大衆娯楽型陸軍宣伝の創成 はじめに
一 軍人作家桜井忠温の誕生
二 大正期陸軍の対内課題と社会認識 三 桜井忠温の新聞班長就任と軍事の大衆化 ㈠ 宇垣軍政と桜井新聞班長
㈡ 民間軍事撮影の活用から軍民協働の軍事劇映画製作へ おわりに
第四章 田中内閣期の陸軍と世論―済南事件の善後処置をめぐって―
はじめに
一 山東出兵を巡る国内外の論調 二 陸軍の戦時宣伝体制構築
三 衛戍地における銃後体制と師団間の経験共有
おわりに
第五章 浜口内閣期軍制改革問題と「満二十五年陸軍記念日事業」
はじめに
一 国防思想普及委員会の始動 二 宣伝媒体化される日露戦争の記憶 三 陸軍記念日に向けた軍民双方の動き 四 記念日の反響と満州事変への布石 おわりに
第三部 政治的陸軍宣伝の展開 1931-1939 第六章 満州事変前後の陸軍宣伝
はじめに
一 国防思想普及運動の展開と陸軍中央の統制 二 「満蒙の危機」と親陸軍世論
㈠ 万宝山事件・中村大尉事件を巡る報道と陸軍中央の姿勢 ㈡ 満州事変の勃発と親陸軍世論の形勢
三 満州事変の終息と政治宣伝の萌芽 おわりに
第七章 粛軍期から日中戦争期に至る陸軍宣伝 はじめに
一 粛軍期における陸軍の対新聞政策
㈠ 「陸密第七四一号」による記者対応改革 ㈡ 改革の要因㊀―報道検閲体制の転換 ㈢ 改革の要因㊁―陸軍省官制改革 ㈣ 改革の要因㊂―内閣との連携
二 日中戦争と「政戦両略一致ノ宣伝」体制 ㈠ 大本営陸軍報道部の編制
㈡ 内閣情報機構と陸軍宣伝 ㈢ 「戦略宣伝」の構想
三 日中戦争下における軍民関係の一側面―陸軍省記者倶楽部閉鎖事件―
おわりに 終 章
2.論文の概要
本論文は、陸軍宣伝政策の創成(1918-1923)、発展(1924-1930)、変容(1931-1939)とい う三部構成から成る。
第一部「シベリア出兵と陸軍宣伝の創成」では、国内外での陸軍による宣伝政策の創成を、シベ リア出兵下の極東露領や北満地域における対外新聞操縦と陸軍省新聞班の設置過程から分析した。
「第一章 シベリア出兵下の新聞操縦活動」では、日本が出兵したウラジオストク・ハバロフスク・
ブラゴヴェシチェンスク・イルクーツクなどの極東ロシア地域や、ハルビンを中心とする北満地域 で、陸軍省・参謀本部と派遣軍・出先機関の連携の下、親日露字紙の経営補助、買収や邦字紙の設 立、助成が活発に繰り広げられたことを明らかにした。
「第二章 陸軍省新聞班の設立と陸軍宣伝の創成」では、シベリア出兵下、陸軍省に新聞係・新聞 班が誕生したことで、陸軍の情報・宣伝政策が新たな局面を迎えたことを明らかにした。新聞係の 設置は、陸軍における統一的かつ恒常的な情報・宣伝機関設立の起源となり、同係を発展させる形 で設置された新聞班は、従来の「検閲」に加え「宣伝」の本格的実施に向けて陸軍が動き出したこ とを意味する機関であった。こうした政策の背景には、国内外のデモクラシー思潮対策と総力戦体 制の構築といった課題があったこと、それと同時に内務省主導の戦時検閲機関に対する対抗意識や 陸軍省と師団、省部間のような陸軍内部での新聞記者応対に関する認識の不一致改善といった課題 も存在していたこと、また、国家情報宣伝機関設立構想の主導権を巡って発生した内務省と陸軍省 との対立を明らかにした。
第二部「大衆社会への順応と親陸軍世論の素地形成」では、1920 年代後半の陸軍宣伝の新たな展 開を、桜井忠温の個性、山東出兵と済南事件、軍制改革問題と世論から分析した。
「第三章 新聞班長桜井忠温と大衆娯楽型陸軍宣伝の創成」では、日露戦争の戦場体験をもとに小 説『肉弾』(丁未出版社、1906 年)を執筆し、現役陸軍軍人作家として国内外で名を馳せた桜井忠 温の「陸軍省新聞班長」時代(1924 年~1930 年)に焦点を当て、桜井忠温の思想と活動、陸軍の対 国内宣伝政策上の役割と都市及び地方の民衆に及ぼした影響を論じた。陸軍省新聞班を設置した田 中義一陸相、その後任宇垣一成に支持された桜井忠温の活動によって、国家総動員体制構築のため のプロパガンダ構想が具現化されていったとの新見解を示した。
「第四章 田中内閣期の陸軍と世論―済南事件の善後処置をめぐって―」では、田中内閣による山 東出兵中に発生した済南事件について、事件後の新聞・雑誌論調の変遷を整理して同内閣を取り巻 く世論状況を分析した。陸軍省・参謀本部・山東派遣軍・留守師団が実施した報道統制や戦時宣伝 について、新聞社・映画製作会社等の民間企業や派遣軍構成師団の衛戍地熊本の状況と関連付けな がら論述した。
「第五章 浜口内閣期軍制改革問題と『満二十五年陸軍記念日事業』」では浜口雄幸内閣期におけ る国防思想普及委員会の活動、特に日露戦争勝利の陸軍記念日の第 25 回目(1930 年)を迎えるに あたっての陸軍が行った宣伝活動について検討した。浜口内閣期の軍制改革と国際的な軍縮の機運 で反陸軍世論が高揚するが、これに対する陸軍の危機意識は、陸軍省・参謀本部・教育総監部・憲 兵司令部の人事を横断した国防思想普及委員会の場で共有化され、陸軍省新聞班の役割の価値を上 昇させたこと、国防思想普及委員会は、有名無実化していた旧来の陸軍記念事業に音楽・映画・展 覧会・ラジオ等の大衆娯楽を融合させたことの実態を明らかにした。
第三部「政治的陸軍宣伝の展開」では、シベリア出兵期に創成され 1920 年代後半に発展した陸軍 宣伝が、満州事変後に大きく変容していったことを、陸軍の政治勢力化との関係性において分析し た。
「第六章 満州事変前後の陸軍宣伝」では、軍制改革問題を巡る国防思想普及運動の展開にあたり、
陸軍中央は国防思想普及運動から陸軍の政治介入を極力抑える方針を一貫して維持しており、満蒙 問題を政治問題化すことを望まず、万宝山事件や中村(震太郎)大尉事件への世論対策についても 同様であったとしている。むしろ陸軍は軍政改革問題や満蒙問題については、帝国議会あるいは公 的な言論の場を避け、政党やメディアによる陸軍の政治的志向への批判をかわしながら、陸軍の民 衆接近策としての宣伝を活発化させたことによって、民衆の陸軍支持、政治的影響力の増大がもた らされたとする見解を示した。
「第七章 粛軍期から日中戦争期に至る陸軍宣伝」では、二・二六事件から日中戦争までの陸軍中 央の内部統制強化策と政戦両略実行に向けた動きを、宣伝政策という社会史およびメディア史的側 面から分析している。準戦時体制下における陸軍省主導による陸軍の情報・宣伝政策統一化を踏ま え、日中開戦に伴う大本営設置を、外征軍での情報・宣伝機関の始動という側面から再検討した。
そして、陸軍宣伝が軍政・軍令・政略を跨いで構想され、日中戦争下の政戦両略一致に寄与すると ともに、戦時体制下における陸軍にって重要な政治介入の手段となっていったと結論付けた。また、
1938 年 12 月~1939 年 2 月にかけての「陸軍省記者倶楽部閉鎖事件」を経て、記者倶楽部側より主 張された報道の「自由」と記者クラブの「自治」は、実は戦時体制に極めて協力的であり、各社間 のスクープ報道を互いに牽制していたことを論証し、閉鎖性と排他性を持った陸軍省記者倶楽部は、
もはや権力の監視・批判という言論機関としての基本的責任を果たせなくなっていたことの実態を 明らかにした。
3.論文の評価
戦間期における日本陸軍の対国民政策を宣伝の面から分析し、宣伝を計画・実施する陸軍、宣伝 を中継・拡散させる新聞社・出版社・映画製作会社・百貨店などの民間企業、宣伝を消費する国民 の三者によって複合的・漸進的に形成される軍民関係の変遷を明らかしたことは、これまでにない 独自の軍民関係史研究の分野を大きく切り開いたといえる。
本論文の成果につては以下の点が挙げられる。
⑴ 原敬内閣の外交方針に基づいて実施されたシベリア出兵に際し、政府の方針に従い対米協調を 主軸にしていた参謀本部の軍事行動に関して、陸軍新聞班の新聞操縦は政府の意に反し、本来の討 伐対象であったボリシェビキと同等に、連合軍のアメリカを敵対勢力として位置付けていたという 新見解を示した。
⑵ 新聞班長となった桜井忠温は、従前の陸軍宣活動とは異なり、新聞・雑誌・書籍・映画といっ たメディアを複合的に活用する宣伝手法を取り入れたことを明らかにした。そのような活動を可能 としたのは、桜井の軍人作家という稀有な個性と絶大な知名度であった。新聞・雑誌掲載の論考・
小説・随筆・コラムや映画脚本などの広範な執筆活動を通じて、新聞社・出版社・映画製作会社と 良好な関係を構築し、軍事の大衆化を促進させた桜井忠温の陸軍新聞班長の実績を明らかにしたこ との意義は大きい。
⑶ 大衆社会が創成され成熟していった大正・昭和戦前期において、陸軍には総動員体制を実現す べく、柔軟な時代適応の姿勢があったことを指摘した。また、『偕行社記事』掲載の論稿や諸軍人 の日記・書簡・著書を分析対象とし、既存の超然主義を脱した社会変動への対応が陸軍内の各階層・
各方面で模索された事実を発見した。陸軍内では、大正デモクラシーを一方的に批判・排除するの ではなく、それを理解、吸収して各種改革が実行されたことを実証した。
⑷ 田中義一陸相時代に陸軍新聞班が創設され、宇垣一成陸相に引き継がれていく過程で、シベリ ア出兵、山東出兵、済南事件を陸軍の宣伝政策として利用した実態を明らかにし、陸軍新聞班の従 軍記者対する報道指導が、新聞・雑誌・小説・映画という大衆娯楽に結び付き、大衆文化、社会生 活の軍事への関心を高揚させ、民間企業の営利性につながったとの新見解を示したことに独創性が ある。具体的には以下の諸点である。第一に、国内の大新聞は、対中国膺懲を主張するとともに田 中内閣を糾弾したが、陸軍は、対陸軍論調の悪化をかわすため、尼港事件や南京事件(1927 年)の 過去の在留邦人の被害経験を宣伝して済南事件の善後措置を講じたこと、第二に、外征軍として初 めて情報・宣伝部門が設置され、陸軍省新聞班から出向した三国直福が対内外宣伝業務を主導した 事実、大新聞社や映画製作会社は、「戦時」を講演会や記録映画・劇映画の形に娯楽化して大衆へ 提供するが、宣伝活動の陸軍協働者として重要な役割を果たしたこと、第三に、熊本など派遣軍構 成師団の衛戍地で発生した、在留邦人の保護方針を巡る政党間の政策論争に住民が巻き込まれた際 に、陸軍は銃後体制が動揺することを防ぐため、あらゆる階層の地元住民を対象に、留守師団・留 守隊による宣伝活動が行われたことの事実を明らかにした。
⑸ 都市・メディア・消費文化の急速な発達が大衆社会を成熟させつつあった昭和初期において、
陸軍は民間に深く根付いていた日露戦争の〝戦勝〟や〝挙国一致〟などの記憶を呼び起こすととも に、陸軍記念日では「大衆娯楽型陸軍宣伝」という新しい試みがなされ、陸軍記念日は従前の“陸 軍にとっての祝祭”から“国家規模の記念日”へと変貌を遂げたこと、陸軍記念日の推進役を担っ たのは新聞社・百貨店・放送局・映画会社といった民間企業であり、国防思想普及委員会で審議・
採択された計画に積極的に呼応して、間接的ながらも国防思想の普及に貢献したことを実証し、権 威的な国家儀礼と大衆娯楽に富んだ軍民協働のメディア・イベントという両要素を兼ね備えた新た な陸軍記念日像を創出することで、浜口内閣期の反陸軍世論に対抗したことの事実の検証は、当該 研究分野に新たな見識を示したといえる。
⑹ 満州事変に関する陸軍の宣伝の特徴は、柳条湖事件の真相には触れず、満洲事変の遠因ともい え民衆に直結する中国側の排日排日貨運動の危機を煽る宣伝工作を行い、満蒙問題解決の強行意識 を民衆に植え付けさせ、満州事変軍の事行動を擁護したとの分析を行った。その手段は、新聞紙上 のみならず、ニュース映画の上映、特派員による戦況報告の講演会、写真資料等の展覧会・展示会 などを用いられ、こうした活動を通して、民衆から現地への慰問金、国防献金という陸軍への物質
的後援にも繋がったという。そして、満州事変終息に伴って政財界やメディアが「軍民離間」とい うスローガン掲げて陸軍批判を復活させると、陸軍はこれを巧みに利用し、「軍民一致」「政民離 間」の主張に転換させ、むしろ「軍民対政財」の構図を現出させたと主張する点も説得力のある新 見解といえる。
⑺ 日中戦争期、大本営の設置に伴って始動した戦時情報宣伝体制は、陸軍省新聞班を軍政関連事 項の宣伝へ、参謀本部の報道部を軍令関連事項の宣伝へ、そして、内閣情報部の情報官を政略宣伝 へ従事させていったという変貌の実態を明らかにした。また、陸軍と協働を担う企業側は、宣伝の 消費者としての国民を総力戦体制へ組み込む上で重要な役割を演じ、宣伝を受容する民衆もまた、
陸軍の発する政治・文化・娯楽の新しい指標をメディアや大衆娯楽を通じて積極的に受け入れてい ったという、戦間期に日本で漸進的に形成された陸軍・民間企業・国民の共存・共益関係が築かれ ていたとする斬新な見解を示した。
4.本論文の問題点と今後の課題
⑴ 本論文の提起をシベリア出兵としているが、第一次世界大戦を視野に入れた国際的状況から派 生したプロパガンダにも論及すべきである。その点に関し、『奈良武次日記』(軍務局長・侍従武 官長の記録、防衛省防衛研究所所蔵)は有用な史料である。
⑵ 軍民関係論に新たな視点を提起したことの功績は認められるが、第一次世界大戦後の陸軍の総 力戦構想から生まれた大衆総動員体制と大正デモクラシーは矛盾なく共存していると捉えることの 主張に関し、実態及びその質的変化などについてさらなる補充的実証が必要である。
⑶ 陸軍に創設された新聞班が、なぜ官制外の組織として設置されたままにされたのか、その理由 について、官制外であるメリット・デメリット、記者倶楽部や民衆との関係において明確にすべき である。
⑷ 陸軍の宣伝政策の受け手である新聞記者や民衆を一括的に扱っているが、新聞各社の報道理念、
記者自身の声や民衆のさまざまな社会の人びとの意識まで踏み込んだ検証が必要である。そのため には、都市の大新聞社のみでなく、地方紙記事からみた軍部偏重あるいは批判の動向を探ることも 必要でろう。在郷軍人会による「信濃毎日」の不買運動事件などの事例もある。また、民間企業関 係史料、具体的には日活や松竹等の映画会社、三越や松屋といった百貨店などの史料の発掘も望ま れる。
⑸ 1920 年代の国際関係、国内経済、社会状況などの背景への目配りが必要であろう。例えば、国 際的軍縮問題、第一次大戦後から世界恐慌などの経済不況、無産階級の政治運動、婦人運動、政友 会・民政党の二大政党政治時代などは、軍部に対して大きな影響を与えた要素である。
5.結論
以上のような課題を残しながらも、本論文は戦間期における日本陸軍の対国民政策を宣伝という の側面からとらえ、陸軍、民間企業・国民の三者によって複合的・漸進的に形成される軍民関係の
変遷を具体的に追究したことは独創的であり、多くの史料の分析に基づいて新たな史実を掘り起こ すとともに、当該研究に斬新な見解を示したものといえる。
審査員は本論文の独創性と研究史的意義を高く評価し、博士(史学)の学位を授与することが適 当であるとの結論に達した。