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認知症高齢者への保険対応

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■アブストラクト

認知症は,保険の世界においては縁辺的な位置づけを与えられている。そ れは通常の保険関係や当事者のモデルに,認知症高齢者を当てはめづらいた めである。しかし高齢社会においては,認知症はむしろ標準的なプロセスで あり,これに正面から対峙していく必要があろう。その典型的な場面として,

いわゆる不慮の事故,介護事故,自傷他害事故などがある。認知症高齢者に おいては,病気と事故,事故の偶然性と蓋然性,事故に対する過失と無過失,

自傷と他害の区別等々がいわば融解していく傾向にある点を踏まえて,これ らに即した保険対応を模索していく必要があろう。

■キーワード

認知症,介護事故,不慮の事故

.はじめに

高齢社会において,認知症は最大の問題(あるいは少なくともそのひと つ)である。近時,認知症高齢者の事案は裁判例においても目立つようにな ってきた。これに対しては保険法や保険実務の観点からも多々検討されてい るが,本稿ではそれらについて,認知症自体の方に焦点をあててみるもので ある。

とくに議論が活発化している不慮の事故事案においても,認知症高齢者が 時折登場する。それは一般成人,あるいは泥酔者や精神障害者などと並んで,

認知症高齢者への保険対応

長 沼 建一郎

/ 平成27年 月30日原稿受領。

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事案の登場人物としてあらわれる。保険の適用においては,同じ被保険者等 の当事者なのだから,統一的に,あるいは一律の法理のもとで横並びに扱わ れることになる。約款でも認知症高齢者を別に扱っているわけではない。

しかし高齢社会において,あるいは社会保障のフィールドでは,認知症は 格別の位置づけを与えられており,政策対応が強く要請されている。認知症 は圧倒的な規模をもつ,高齢者にとってのひとつの常態となりつつあるから である。そのことからすると,保険関係の処理や適用において,今のところ 認知症高齢者はやや例外的な事象として扱われがちであるが,今後はむしろ 正面から向き合った方がいいように思われる。

ただ,これに正面から向き合いづらいのも分かるところがある。認知症高 齢者は,通常の保険関係や当事者のモデルに当てはめづらい,場合によって は衝突するような存在だからである。そのため認知症高齢者に対して,保険

(とくに支払)実務の側が防御的なスタンスをとるのも理解できるところが ある。一つの事案で支払を認めると,一挙に多くの事案で支払を認めること になりかねないからである。

ただ,今後ともそのような対応のままでいいかどうかは別問題であり,と くに支払実務というよりは,保険対応のあり方全般(とりわけ商品対応)に おいては,積極的にこれと向き合っていくべきではないかと考える。

以下,本稿では認知症の基本的な位置づけをみたうえで,具体的に認知症 が問題となっている局面を三つ挙げてみていきたい。すなわちすでに多々論 じられている不慮の事故の問題,また認知症高齢者の人身損害(いわゆる介 護事故)の問題,さらに逆に認知症高齢者による加害の問題(名古屋での鉄 道立ち入り事故で有名となった)である。

なお,このテーマ(とりわけ不慮の事故)に関しては,近時膨大な文献

(判例,学説等)があり,具体的な約款文言との関係も大きな問題となるが,

これらの内容に立ち入って論じる能力も紙幅も無い。本稿ではむしろ社会保 障領域からの視点をもとに,もっぱら認知症が問題となる事案や事例に焦点 を絞ってその諸相を紹介することで,現行法の解釈問題としてではなく,今

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後の幅広い保険対応に向けて,若干の問題提起を試みるものである。

そのなかでもいわゆる民間介護保険(あるいは介護年金)については本稿 では扱わない。本稿は,一般的な保険商品や保険加入者にとって,認知症が どのように問題となるかに焦点を置くためである。それでも今後の対応にお いては,これらの商品によって対応可能な部分も出てくるかもしれない。

ただ,それらの問題に入る前に指摘しておきたいのは,認知症のそもそも の位置づけ,とくにそれが 疾病 なのかという点である。

.認知症の見方ないし位置づけ

⑴ 認知症は疾病か

保険(法)領域においては,しばしば認知症が 疾病(病気)である と いうことを前提として,議論や検討が組み立てられている。それは結論とし てとり得るひとつの考え方ではあるが,自覚的な検討の結果ではなく,単に 認知症という 呼称 から,疾病であることを前提としているケースも多い のではなかろうか。

もちろん認知症のベースには,アルツハイマー病や,脳血管性疾患等があ る。そのことからすれば,認知症を疾病,あるいは疾病による症候群といっ て差し支えないはずである。

ただ周知の通り,以前は 痴呆 と呼ばれていて,それが侮蔑的だという ことで認知症と呼ぶようになった経緯がある。そのことによって, 誰にで もなる可能性がある,一般的な現象だ という認識が定着したことの意義は 大きいが,それを保険関係の処理や取扱に直輸入していいかどうかは別であ る。

とくに重要なのは,認知症には障害という側面が強いという点である。障 害という語は多義的だが,ここではたとえば 身体障害者 というときのよ うな,すなわち身体の一部の欠損が固定的になっているような状態を念頭に おいている。通常,認知症は脳の器質的障害を伴う。少なくとも認知症は普 通の病気とはだいぶ異なり,一括りに 疾病だから という形で議論を進め

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ることには慎重であるべきだろう。

⑵ 障害と疾病

障害と疾病の位置関係を整理すると,以下の点を指摘できる。

すなわち一般的に,疾病は回復可能だが,障害は症状固定といわれる。も ちろん認知症でも症状には波があるし,逆に慢性疾患や 不治の病 という のもある。両者は相対的で,並存する部分もあるといえる。ただ典型的には

(とくに急性疾患では), 病気やケガに対して,一定の治療が終了・治癒し て,しかし障害が残る という形で定式化できる。

たとえば交通事故でケガをして手足が欠損したというケースであり,ある いは目の病気により失明したというケースである(もっとも先天性の障害も あるし,後天的な障害の中にも内部障害などもあるが)。

そこで,たとえば視覚障害者(目の病気により失明した)が,道路にあい ていた穴(目が見えれば確実に気づくような)に落ちて,そのせいで死亡し たという場合,(保険での扱いは別として)少なくとも通常の感覚からすれ ば,それは 不慮の事故死 であろう。およそ 病死 と呼ぶことは考えづ らい。

ただこのとき,もし視覚障害がなければ,この事故は100% 発生しなかっ たといえるし,逆に道路の穴がなければ,やはりこの事故は100% 発生しな かったといえる。すなわち内的要因(視覚障害)と外的要因(道路の穴)と が重畳的に競合・作用して,事故に至っているといえる。

もっともそのようなことは障害に限らず,疾病でもあるだろう。たとえば 風邪でふらふらしているときに,強風を受けてよろめいて転倒・転落したと いう場合,両方の要因(ふたつのカゼ)が競合している。だからそういうケ ースが,法解釈において難題を提供してきている。

しかし問題は障害においては,そのようなレアケースが日常的・永続的に なるという点である。すなわち裁判になるかどうかは別として,事故に際し てはほとんど常に両者(内的要因と外的要因)が競合する。そのことは通常

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の疾患(風邪を含め,やがて治る急性疾患)とは大きく異なる。

事故時のワンポイントだけを見れば,風邪をはじめとする疾病も,障害も,

事故発生の諸要因が競合するパターンは一緒だとしても,その主体が永続的 に,そのような内的要因と外的要因とが重畳的に作用する状態であるという のは,やはり同列に扱うべきではない事情であるように思える。

⑶ 認知症の位置づけ

この究極が,認知症だといえる。アルツハイマー型にせよ脳血管性にせよ,

器質的障害であり(つまり目に見える器質的変化が生じており,統合失調症 などの精神障害とは異なる),基本的にそれは治療によって治せるものでは なく,その意味において 障害 だといえる(もちろんケアや自立支援に意 味が無いという趣旨ではない)。

しかも認知症は脳の障害なので,あらゆる言動に,認知症が介在する。脳 があらゆる言動を司っている以上,逆に認知症の影響からまったく脱したと ころでの言動というのは(事故に遭うことも含めて)やや想定しづらい。

もちろんたとえば乗っていた飛行機が落ちたというように,認知症とは まったく関係なく 事故に遭うケースはあり得るものの,少なくとも認知 症が関与する事故と比べると,かなり稀であろう。

したがってこれを疾病や精神障害等と位置づけて,約款において免責条項 等に当てはめると,認知症高齢者の事故は,その保険ではまずもってカバー されないことになる。認知症高齢者の場合,転倒にせよ行方不明にせよ,大 体は内的要因である認知症と,外的要因とが不可分に競合,重畳的に作用し ている。そのなかでも極点というべき位置づけにあるのが次の誤嚥であろう。

⑷ 誤嚥の位置づけ

誤嚥とは,食物や水などが食道ではなく気管の方に入ってしまうことだが,

認知症でなくても加齢とともに,人体の構造として(喉頭蓋の機能劣化によ り)誤嚥しやすくなる。他方,認知症の場合はこれに加えてその指示(神

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経)系統の機能が劣化する。つまり二方面から誤嚥しやすくなるわけで,実 際に誤嚥した時にその 原因 がいずれであったのかを特定するのはもとも と困難である(さらに食物の詰め込み等が関与する場合は,より原因は錯綜 する。)

いわばエレベーターの扉が経年劣化により建て付けが悪くなり,同時に電 気系統も劣化してその開閉が覚束なくなったという風であり,実際に事故が 起きたときには 原因 は重畳的に作用しているというほかはない(もとも と人間の場合,この扉(喉頭蓋)を重力に逆らってタテ(上下)に開閉する 点にムリがある)。

このようなときにも,厳密な判定が不可能というわけではないが,少なく とも 非常に困難 であり,後述するように大量現象でもあるので,いちい ち解剖するとか,その都度裁判で原因を確定するというのは現実的でない1)

そのなかで,一般成人が,誤嚥により窒息して即死した場合なら文句なく 不慮の事故 となるところ,認知症高齢者では,保険約款により精神障害 や疾病免責,嚥下障害等を根拠に,少なくとも文言上は支払対象にならない ことが多いのが現状であろう。

約款が困難な判定を回避しているのは理解できるが,精神障害や嚥下障害 の判定自体も微妙であるのに加えて(精神障害はもちろん,誤嚥事故におい ても嚥下障害の程度自体が(関係者の認識を含めて)争われるのは,後述す る介護事故の裁判ではお決まりのパターンである),逆に精神障害,嚥下障 害であれば,すべての誤嚥を対象外にするというのもひとつの 決めつけ ではある。障害がなくても誤嚥は発生するからであり,前述の例では 目の 悪い人の事故は,すべて目が悪いせいだ という論理と重なる。

たとえば肺炎で死亡したとき(つまり典型的な病死)でも,そのきっかけ

1) 誤嚥の場合の死因自体(その評価ではなく)が争われたケースとして,たと えば横浜地判平成22年8月26日判時2105号59頁(2014)がある。判決の位置づ けにつき,長沼建一郎 事故死・病死という二分法 週刊社会保障2654号54頁 以下(2011)。

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が,以前の誤嚥だということは十分あり得る。約款では不慮の事故となる期 間制限を超えるとしても,後述する介護事故の裁判においては,事故の数年 後の死亡に対する賠償責任が争われることは少なくない。また誤嚥自体につ いても,たとえば夜中に唾を誤嚥して肺炎に至ることもあり,完全な防止は もちろん,病因の追跡も困難であることが多い。

要するに誤嚥においては,事故と病気,さらに自然現象が,一挙に収斂し てくるのである。誤嚥による死亡は,事故死,病死と自然死(老衰死)の境 界線上にある。いまや肺炎は日本人の死因の第 位であり,しかもその多く は誤嚥性肺炎だといわれている。やや大げさに言えば,誤嚥は肺炎とともに,

高齢者にとってのメルティングポット的なトポスを形成しているのであ 2)

⑸ 認知症の普遍性と保険

厚労省の推計(2015年)によれば,2025年には認知症は65歳以上人口の 人に 人にまでなる。これは本人だけをみれば,逆に4/5の確率で認知症を 免れるともいえるものの,たとえば65歳以上で配偶者がいれば,ともに認知 症を免れる確率は4/5×4/5=16/25で,64%と一挙に低くなる。またそのと きに親が生きていれば,それらが認知症になっている確率が加わる。自分が 要介護になるリスクに加えて,介護する側に回るリスクも無視できない。

さらにこの数値は静態的な確率で,いわば瞬間風速である。たとえば死ぬ までの間に一度も風邪を引かない人はいないが,瞬間風速で いま 風邪を 引いている人数の割合は少ないのと同じである。いいかえれば死ぬまでの間,

とくに長生きした場合には,どこかの段階で認知症になる確率はずっと高 3)

2) 長沼建一郎 国民が肺炎で逝く国で 週刊社会保障2703号44頁以下(2012)。

3) 三好春樹・痴呆論19頁(雲母書房,2003)(その後,認知症介護(雲母書房,

2014)と改題)は認知症の原因を吉本隆明にも依拠しつつ, ヒトが人間にな ったこと とまでいう。その人間というのは 近代人 ということでもあろう。

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これらからすると認知症高齢者の問題は,ほとんどすべての保険加入者に 遅かれ早かれ関わるものだといえる。しかも認知症は一般成人から徐々に進 行するものであり,程度も様々で,認知症かどうかという二分法では割り切 れない点が,認知症高齢者に対処することの困難性を増している。

そして後述する介護事故の裁判例としては,転倒と誤嚥が突出している。

これは理由のないことではない。高齢者が認知症になり,転倒して寝たきり になり,やがて誤嚥により肺炎となって死亡するというのは,高齢社会の医 療や介護現場においては典型的・標準的なプロセスのひとつであり,そのこ とは今後さらに明白になっていくだろう4)

保険判例においては,そのプロセスのごく一部が垣間見えて,それが支払 事由に該当するかどうかが争われる。仮に保険判例のなかではレアケースと して,既存の(一般成人についての)枠組みにおける限界的な事案として処 理できたとしても,それが高齢社会において,また認知症高齢者においては ごく一般的な現象であり,しかも今後急増が予想される現象であるというこ とを認識しておく必要があるだろう。つまり保険関係を一般成人に適用する 場合の単なる応用問題として認知症に処することは,危ういともいえる。

以上を踏まえて,以下では保険に関わる具体的な諸相をみておきたい。

. 不慮の事故をめぐって

⑴ 認知症高齢者と不慮の事故

いわゆる不慮の事故(死)に対して保障を行う一群の保険商品がある(損 保の傷害保険や生保の災害特約等)。これらでは疾病(病死)の場合ではな く事故(死)の場合にだけ支払われる5)。そこでその不慮の事故の判定が,

かねてよりしばしば問題となってきた。とくにその原因が疾病と競合したケ 4) 長沼・前掲注2)。これらは見方によっては人類が二足歩行を開始した際の人 体設計が,近時の急速な長寿化に追いついていないために起きるもので,いい かえれば人類が進化したことに伴う つけ でもある。

5) 約款の内容・文言は,業界や商品により異なるため,本稿がきわめて概略的 な(精確ではない)記述である点につき,ご海容を乞いたい。

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ースも難問となる。

そもそも不慮の事故を特別にカバーするのは,保険設計上の事情と関わっ ている。すなわち自分とは関係の無い外的要因に起因する事故なので,年齢 や個人差は事故の発生率に影響せず,いいかえれば料率を細分化したり,本 人の告知を待ったりする必要がない。つまり低い事故率に加えて,事務コス トも含めて,安い保険料での保障が可能となる。

ところが認知症高齢者に関しては,上記のような前提が大きく変っている。

すなわち第一に認知症高齢者にあっては,不慮の事故の確率は格段に高ま る。人口動態統計(2013年)によれば不慮の事故死の総数は年間約 万件で あり,日本人の死因の第 位を占め,その約 割が高齢者である。内訳とし ては交通事故もあるが,不慮の窒息(誤嚥にほぼ近い),不慮の溺水,転 倒・転落等が多い。後述する介護事故の裁判例ではお馴染みのものばかりで あり,認知症になればこれらに遭う確率がさらに高くなるのは明らかであろ う。

第二に,認知症高齢者にあっては,事故死と病死,自然死の判別が困難に なる。疾病を内的要因,事故を外的要因とすれば,認知症が有している 障 害 としての側面を介して,いわばその 内外 の区別が希薄になって,両 者が不可分・競合的に作用して死亡に至ることが多い。

この判定を,死亡診断だけでつけるのも困難だろうし,大量現象なので,

いちいち解剖するというのも現実的ではない。解剖しても分からないことも 多いだろう。ましてや裁判までするのは大変である。とりわけ誤嚥について は前述したように原因が絡まりあっている点に加え,時期的にも窒息してた だちに死亡する場合から数年後の肺炎死亡まで,ケースは連続的にぎっしり 並んでおり,その内実に即した(機械的ではない)切り分けは困難である。

そして第三に,ひとたび認知症になると,多くは死ぬまでその状態が続き,

前述したようにその死亡の段階では,病死・事故死・自然死がいわば融解す るようなステージに至ることが多い(付言すれば,それ自体は必ずしも不幸 な事柄ではないともいえる)。

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極言すれば,認知症高齢者の非常に多くは,とても広い意味での 不慮の 事故 で死亡するとさえいえる。前述したように肺炎は日本人の死因の第 位になっているが,その多くは誤嚥性肺炎だといわれており,逆にいえば

即死ではない不慮の事故 というケースもかなりあろう。ちなみに死因の 第 位は 老衰 であるが,これとの距離も必ずしも遠くはない。それらも 含めて,認知症高齢者は 不慮の事故 にとり囲まれているのである。

⑵ 保険対応における課題

これに対して,どのような保険対応が考えられるだろうか。前述したよう に認知症高齢者が遭遇した不慮の事故のうちで,認知症が少しでも関わった 事故をはずすと,ほとんど意味がなくなってしまう(認知症が全く関わらな い不慮の事故は稀であろう)。しかし逆に認知症が関わった事故を担保する ことにすれば,今度はほとんど全部が入ってきてしまう。

そこで,もちろん保険設計なのだから,料率との見合いで,グレーゾーン を一切不担保とすることが許されないわけではない。ただ,もし認知症を理 由の一端とした事故はまったく担保されないとすれば,認知症になった時点 で,保険付保の意味をほぼ失うことになる。認知症になると,ある保険商品 が ほとんど支払われることはなくなる , 加入している意味が著しく薄れ る のであれば,少なくともそのことを加入時にも,一般的にも確実に知ら せておく必要があろう。そうでなければこれだけ認知症が一般化する中では,

極言すれば欠陥商品ともいえる。

この点で,いわゆる割合的認定も不可能ではないが,事故の要因は不可分 に絡まりあっているので,寄与割合を精確に評価することもまた困難であろ う(認知症の程度も様々で,そもそも要介護度の判定自体も容易ではない。

もっともたとえばフィクショナルに寄与度を 半分ずつ と評価して半額を 支払う等の対応は可能であろうが)。

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⑶ 保険対応の方向

そこで改めて,なぜ不慮の事故に絞って,ことさらに手厚い保障を行うの かを考えてみたい。通常,給付範囲を不慮の事故に絞ることで,安い保険料 で高い保障を実現できるという説明がされる。しかしこれでは必ずしも実際 的な説明になっていない。それだけなら他にも給付範囲を(たとえば死亡原 因や状況・場所等で)絞って,安い保険料にする方法はあるからである。

不慮の事故について,とくに手厚く保障する実質的な理由があるとすれば,

それは病死がいわば ノーマルな死に方 であるのに対して,不慮の事故死 が ノーマルではない死に方 だからではないだろうか。いいかえれば本人 の寿命とは別の次元での人生の中断,ロナルド・ドゥオーキンの表現を借り れば人生の 挫折(フラストレーション) と位置づけられるからだろう6) 突然の死亡というなら,くも膜下出血や心筋梗塞などもしばしばそうであ る。ただ,それも一種の寿命と考えられなくもないのに対して,犯罪を含め て典型的な不慮の事故(死)は,予期することも防ぐことも難しく,まさに

外からの アタックによって人生が中断させられたとの印象が強い。

そこでの不条理性というべきものは,小さくないように思われ,その挫折 への慰謝として,特段の保障には意味があるだろう7)。もしそうだとすれば,

そのようないわば不条理性を慰藉する必要性が,認知症高齢者の不慮の事故 において,どこまで妥当するかを考えることが,ひとつの手がかりとなり得 るように思われる。

そこでたとえば認知症になった時点で,一定の不条理性は 消化 されて いるとみる余地はあろう。そうだとすれば,不慮の事故から認知症高齢者は 一括して除外することや,認知症(たとえば一定の要介護状態)になった時 点でキャッシュ・アウトするという方策もあり得る。しかし認知症になると,

それで以後の不条理性がすべて消えるわけではないとすれば, 未消化 の

6) ロナルド・ドゥオーキン〔水谷英夫・小嶋妙子訳〕・ライフズ・ドミニオン 140頁以下(信山社,1998)。

7) 長沼・前掲註1)。

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不条理性に応じて一定程度は支払うという選択肢も浮上しよう。

そしてその 一定程度 に関しては,ドゥオーキンの示唆する 挫折 の 深刻さ(いわば悲劇の程度)をあらわす曲線に沿って,保障水準が年齢とと もに逓減する形での給付設計として,認知症も含めて不慮の事故あるいはそ の 周辺 を幅広く保障することがあってもいいように思われる。

.いわゆる介護事故をめぐって

⑴ 認知症高齢者と介護事故

認知症高齢者においては,その身体損害が,いわゆる介護事故としても問 題となる(もちろん介護事故は認知症の高齢者には限らないが)。そこでは 不慮の事故をめぐる争いとかなり近い事例があるし,実際に両者が交錯する 裁判例もすでにあらわれている8)

しかしその法的紛争では,不慮の事故事案と違ってサービス提供者として 介護事業者が登場して,基本的にはその介護のあり方の適切さが問われるこ とになる。すなわちその事業者側の法的責任の有無が問われるが,そこで事 業者側に過失があれば,その損害は賠償責任保険でカバーされ,法的な責任 の所在と保険によるカバーとがリンクしている9)

ただ介護の対象が認知症高齢者であった場合には,事業者側の法的責任の 評価には,固有の困難性が随伴する。これらはたとえば自動車事故と比べれ ば明瞭な違いであり,とくに保険対応を見据えると以下の点が重要である。

すなわち第一に,相手方の状態に,法的責任の判定が大きく依存する。自 動車事故のように被害者は単に受動的な存在ではなく,認知症介護において は,いわば当意即妙の対応が求められる。たとえば待機指示に従わずに認知

8) たとえば大阪地判平成18年11月29日判タ1237号304頁(2007)のほか,医療 機関でのベッドからの転落事案だが,大阪地判平成19‑11‑14判タ1268号256頁

(2008)でも保険金請求と医療機関への賠償請求がひとつの裁判で争われてい る。

9) 介護事故については,具体的な裁判例の所在を含め,長沼建一郎・介護事故 の法政策と保険政策(法律文化社,2011)。

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症高齢者が動いてしまって転倒した事案や,逆に介護を拒否した高齢者が転 倒してしまった事案などが,裁判で微妙な判断を迫られている。

とりわけ高齢者の そのとき,その状況下での 状態がどうだったかが,

その介護の適切さ(当意即妙さ)の評価を左右する。高齢者が 認知症であ ったか,そうではなかったか という二分法ではおよそ割り切れない領域な のである(その意味では認知症高齢者の遺言の効力を巡る争いとも似てい る)。

第二に,不作為の責任が問われることが多い。それも自動車事故のように 具体的な不作為(信号を見落とした,ブレーキを踏まなかった等)ではなく,

見守りが不十分だったので,転倒や誤嚥が生じた というように,やや抽 象的な形で責任が問われることが多い。そのようにあとから(回顧的に)

より適切な形で介護すべきだった というのは,いくらでもいえるところ があり,いいかえればその責任範囲が際限なく広がる可能性もある。

第三に,すでに不慮の事故について述べたように,結果としての損害(た とえば死亡)について,それが事故死なのか,あるいは病死なのかという評 価自体が難しいことがある。これも自動車事故では考えづらい(交通事故死 だったか病死だったか分からないというような事態は,少なくとも稀だろ う)。

これらのことからたとえば医療と比較しても,介護事故についての事業者 側の法的責任の判定は,固有の困難を抱えている。 介護 の法的定義が無 いことが,その一端を物語っている。

別の角度からみれば介護事故においては,一般的な事故の偶然性と,認知 症高齢者における(その脆さに起因する)事故の頻発性,さらには蓋然性と が交錯している。そのため介護事業者の行為と,事故の損害との間の因果関 係に擾乱が生じている。

つまり介護事業者の一定の行為に起因して事故や損害が生じたと見える場 合でも,それがなくても事故や損害が生じることは多いし,そのような一定 の行為があっても事故や損害は生じないことも多かったりする。そのことは

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事故の損害から因果関係を遡って法的責任を判定することを難しくする。

⑵ 保険対応における課題

このような認知症高齢者の介護事故に対して,現状では賠償責任保険を中 心に対応しているが,そこでは法的責任の判定・評価と同様に,自動車保険 などとはやはり異なる困難性が随伴している。

すなわち第一に,その賠償責任のベースとなる法的責任(過失)には様々 な種類のものが混じっている。悪性の高いもの,ごく些細なミス,専門性に 由来する責任,逆に初歩的なミス等々であり,とくに認知症介護の領域でそ れらを賠償責任保険で一律にカバーするのが適当かどうかは検討を要する。

歴史的にはもともと賠償責任保険は,不可避的な(仕方のない)ミスに伴 う補償責任とタイアップして登場してきたところがある。道徳的な非難に価 するような ひどいミス であっても,被害者救済の趣旨から保険によるカ バーには意義があるものの,そのようなケースで損害が保険ですべてカバー されて加害者側が安穏としていることでいいのか(それで紛争解決になって いるのか)との疑問もある10)。少なくとも介護事故の裁判では今のところ,

むしろ道徳的な非難(を明らかにすること)が主に含意されていることが多 い。逆に明確に損害が生じていても,事業者側に過失がなければ,賠償責任 保険ではカバーされない。

第二に,前述したように介護事故ではしばしば不作為の責任が問われる。

そのため介護(事故)の領域は,賠償責任保険に実は馴染みづらい面がある。

すなわち賠償責任保険は,一定の(過失ある)行為に起因して損害が生じ た場合にそれを補填するものだが,不作為という構成を介して,その対象と なる行為が際限なく広がっていくおそれがある。もちろん法的責任が認めら れる場合にだけ保険でカバーされるのだが,法的責任の有無は裁判してみな いと分からないことがある。そこで逆に割り切って幅広くカバーすることも 10 ) 野 田 良 之 フ ラ ン ス の 責 任 保 険 法 ㈠ 法 学 協 会 雑 誌 56 巻 頁 以 下

(1939)がつとに問題点を指摘している。

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考えられるが,そうすると無過失責任補償に近づき,次の問題に繋がってく る。

第三に,やはりすでにふれたように,介護事故による損害は,そうではな い事故や損害と連続的な関係にある。具体的には病死や自然死であり,まさ に誤嚥を代表とする不慮の事故の位相である。したがって,いわゆる第一当 事者保険と,第三当事者保険によるカバーとが交錯する領域となる11)

たとえば介護施設内でも,当然 単なる病死 はある。したがって仮に保 険でなるべく幅広くカバーするとしても,どこかで線を引く必要はあり,

すべての施設内での死亡 まで保障することとなっては(それも選択肢と してはあり得るが)保障の趣旨が明らかに変質する。

とくにそれらも含めて無過失補償とすれば,まさに樋口範雄が医療の無過 失補償に関していうように, それならみんな死ぬ間際に病院に行こうとい うことになる 12)。医療の領域においても,夙に無過失補償が提唱されなが ら,実際にはかろうじて産科医療の一部だけで2009年から補償制度がスター トして,それもいろいろ問題が指摘されている。ここでは医療との比較に立 ち入ることはできないが,いずれにせよ無過失補償への移行を提唱するだけ ですむ領域ではなさそうである(前述した第二の点も重なり,介護領域での 無過失補償の導入は,医療よりさらに困難を伴うだろう)。

⑶ 保険対応の方向

前述したように介護事故(とくに認知症高齢者)では,事業者の介護行為 と,事故や損害との関係が問題となるが,そこでの因果関係には擾乱が生じ ている。介護行為の不適切さが事故を招くのだとしても,不適切な介護であ っても事故や損害に至らないことはあるし,逆に適切な介護のもとでも事故 11) 事業者側の過失があると,不慮の事故になるとの立論もみられ(前掲・大阪 地判平成18年11月29日にもその趣旨がうかがえる),あり得るひとつの整理だ が,逆に事業者側の過失が無ければ事故ではない,ということには必ずしもな らない。

12) 樋口範雄 続・医療と法を考える 178頁(有斐閣,2008)。

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や損害は生じることがある。そもそも介護というものの外延が確定しづらい。

いいかえれば保険が前提とするような事故の偶然性と,認知症にもとづく 事故の頻出性,さらには蓋然性とが交錯していて,事故や損害をもたらした 責任の確定と,これにもとづく図式的な保険対応が著しく困難になっている。

そうだとすれば,保険対応のあり方としては,たとえば無過失責任の導入 のような 一刀両断 ではなく,とりあえずは諸保険スキームの地道な組み 合わせを意識的に行っていく必要があるのではなかろうか。とくにその際,

事業者に対して非難に値する事案と,そうでない(不可避的な)ものとを見 極めていくことが大切であろう。もちろんこれも二者択一ではなく,法的責 任の評価に遡るが,尤度的な観点を重視した評価が重要な手がかりになるよ うに思われる13)

これらを踏まえてとりあえずは第一当事者保険と第三当事者保険の組み合 わせ,加えて あえて保険でカバーしない という趣旨で民事賠償等も含め た役割分担を模索していくことが必要ではないかと考えられる。

.いわゆる自傷他害をめぐって

⑴ 認知症高齢者と自傷他害

介護事故は,認知症高齢者自身に人身損害が生じるケースであったが,別 の局面では,認知症高齢者は加害側の主体ともなり得る。これを端的に示し たのがすでにふれた2007年の名古屋での鉄道立ち入り事故(名古屋高判平成 25年 日判時2202巻68頁(2014)。認知症高齢者が線路内に立ち入り列 車と衝突して死亡した事故)であり,この事案の法的な評価自体が難問だが,

保険のあり方に関しても大きな問題提起となっている。少なくとも 何らか の保険でカバーすればいい というだけですむ問題ではないだろう。

本稿に即しては,以下の点が重要である。すなわち認知症高齢者は被害者 となると同時に,加害者となる可能性を抱えている。そしてその つが同時 に生じる場合もあり,本件ではまさに徘徊に伴って,自らも命を落とし,あ

13) 長沼・前掲注9)第 章。

(17)

わせて鉄道会社にも損害(運行への支障)を与えたものである。

実際,介護施設内でも利用者間のトラブルは多く,それが施設の管理責任 という形で裁判になった事案もある。もちろん悪気のない加害も少なくない。

誰が加害者になり,誰が被害者になるかは実に流動的ないし互換的である。

たとえば施設に入居している認知症高齢者が, 自分の物を壊してしまっ た , 他人の物を壊してしまった , 施設の物を壊してしまった という つの事柄は,法的には全く異なるタイプの責任問題だが,認知症高齢者に即 してみれば,ほとんど類似の,あるいはひと連なりの事態ともいえる。これ が壊す対象が 物 ではなく 人 であっても,事情は同様である。

やや大胆に書けば,認知症高齢者においては,自分と他人との区別ないし 境界が融解する傾向にある。つまり認知症高齢者は,脆い(フラジャイル な)存在であるが,その脆弱性(フラジリティ)は,自分自身が傷つきやす いという脆さであると同時に,他者を傷つけてしまう,加害者になってしま うという脆さでもある。そしてそれらは同時にも生じ得る(この脆さは周知 の通り虐待という形で,ヴァルネラビリティ(攻撃誘発性)としてもあらわ れる)。

精神障害の領域では,自傷他害という用語がある。自殺や殺人を含めて自 分を傷つけたり,他人を傷つけたりという意味である(精神保健福祉法29条 等)。近代的な法関係からすれば,自傷と他害とは全く別の事柄であるが,

それらが精神障害の領域では一括りに語られてきた点に思いを致す必要があ る。

⑵ 保険対応における課題

従来的な保険のモデルからすると,自分が傷つくことと,他者を傷つける ことは当然別の事柄であり,前者はいわゆる第一当事者保険により,後者は 第三当事者保険により対応される。そのなかでも自分自身を傷つけることに ついては,(精神障害による自殺,ないしは自殺全般に対する扱いにみられ るように)これを保障対象とすることに実務は慎重である。

(18)

しかし名古屋での鉄道事故では,まさに自傷(意図せざるものだったろう が)と他害が同時に起こった。法的に争われたのが加害の側面だったからと いって,もっぱらその側面での保険対応だけを考えては不十分であろう。

すなわち第一に,たまたま本件では損害を受けたのが鉄道会社であったの で,そういういわば 強者 から,家族介護で苦労していた 弱者(家族)

への賠償請求ということで批判もされているが,被害を受けるのはそういう 強者 とは限らない。介護施設の入居者間のトラブルをはじめとして,む しろ 弱者 が被害をこうむったときに,事態はより深刻である。

第二に,とくに認知症高齢者の加害性に焦点を当てれば,第三当事者保険 として賠償責任保険を付保すれば,一定の解決が得られるようにも思える。

しかし認知症高齢者の加害可能性はすべての行動に及ぶので,従来の賠償責 任保険を付保するとしても,たとえばごく日常的な小さな事故や損害(お皿 を割る,オムツをぬらす等々)から,鉄道事故のような経済的損失の大きな 事故や損害まで,金額面やとりわけ損害の種類・相手方に関して,どこまで を対象とできるかは難しい。また料率設定についても,その部分に関して事 故率や損害分布をきちんと把握しようとすれば,たとえば要介護度と加害可 能性とは単純な比例関係ではないこともあり,計算は容易ではない14)。あわ せて少なくとも文言上,故意免責を含めて多くの条項をクリアする必要があ る。

第三に,本件では本人も死亡しており,これが施設の入居者であれば,徘 徊に至ったこと自体について,施設の責任が問われても仕方ないところであ る(そのような裁判例もあり,本件もその意味で家族の監護責任が問われた ものでもある)。逆に高裁判決も言及しているように,鉄道会社の安全確保 責務も問題となり得る。誰が加害者で誰が被害者なのか,かくも法的責任関 14) 要介護度が大きくなると,自傷や他害の可能性は大きくなるが,要介護度が とても大きく なると,むしろ行動自体が制約されて(たとえば寝たきりに なって),他害の可能性は小さくなることが考えられる。なお自傷に関しても,

要介護度が とても大きく なると,転倒等は減って誤嚥が多くなる。長沼・

前掲注9)第 章。

(19)

係は錯綜し,それに応じて保険スキームによる対応の可能性も複雑になる。

⑶ 保険対応の方向

これらをみると結局のところ,認知症高齢者が いろいろな対象に,いろ いろな種類と大きさの損害を生じさせている との印象が強く,(前節で述 べたこととは矛盾するようだが)これらをなまじ既存の枠組みに当てはめて,

細かく腑分けしても,かえって現実的な対応にならないようにも思える。こ こまでみてきたように第一当事者保険にも,第三当事者保険にも,認知症高 齢者に即してはそれぞれ固有の難点がある。

そうなると,最初からこれらを 認知症高齢者がらみの諸損害 として一 括して除外する方向に舵を切りたくなるのも理解できるが,むしろそこを逆 手にとって,認知症高齢者の危険性自体をいわば まるごと 扱う方向に,

ブレークスルーの可能性があるようにも思われる。より困難な道には見える が,認知症高齢者の脆さ(フラジリティ)自体に焦点を当てた保険対応を模 索していくべきではなかろうか(もちろん本稿全体と同様に,これをただち に解釈論として,という意味ではない)。ちなみに自動車保険等においては 自損事故を含めて オールリスク という設計が普及するに至っているが,

これはむしろ参考となるのではあるまいか。

あるいは認知症高齢者が いる こと自体に着目すれば,それはある種の 生存保障の必要性なのであり(つまり,生きていること自体に伴うコストと 考えることが可能であり),その意味ではたとえばトンチン型の終身年金の ようなスキームによる費用準備等も今後,検討に値しよう15)

.むすびに代えて

保険スキームは,近代的な人間像を前提として組み立てられている。すな わちまずもって自己というものが確立して,他者や外界から区別されている 15) トンチン型の終身年金の活用可能性につき,認知症との関連も含め,長沼建

一郎・個人年金保険の研究第 章(法律文化社,2015)。

(20)

(主体としてのサブジェクト)。それが契約主体ともなり,しかも被保険者と して,保険関係を構成する(臣民・対象としてのサブジェクト)16)。あるい は保険スキームが,その人間のサブジェクトとしての二重性を架橋している。

そこでは病気(内的要因)と事故(外的要因)とは峻別され,因果関係と それに伴う責任の所在は見極められ,偶然の事柄と蓋然的な事柄とは区別さ れ,自分に害が及ぶことと他者に害を及ぼすこととは当然全く別の事柄とし て位置づけられる。

しかし認知症高齢者にあっては,その辺の前提が崩れてくる。フラジリテ ィに覆われる中で,人間の内と外の境界,偶然性と蓋然性の差異,自分と他 人の区別等がいわば融解してくるのである。そこでは具体的には事故と病気,

また事故に対する過失と無過失,さらに自傷と他害の区分などが不分明にな ってくる。しかもごく一般的な加入者が,加齢に伴って,徐々にそのように 近代的な人間像,近代的保険モデルに当てはまらない当事者に変化して行く。

これらの事態に直面して,実務の立場からすると,認知症だというだけで,

なるべく保険の対象から除外して考えたくなるのは理解できる。適正な保険 数理が働く気がしないからである。

しかしこのきわめて大きな領域を,保険の世界においては縁辺的なものと 位置づけたままでいいかどうかは考えどころだろう。高齢社会において,認 知症の場合にはほとんど役に立たなくなる保険が,人生を支える保険たり得 るだろうか。

元旦に急逝したウルリヒ・ベックは周知の通り,ポストモダンにおける保 険の不可能性を指摘していた。それは主として原発リスクをはじめとする外 的要因の料率算定の困難性について論じたものだが,認知症高齢者において は,内的要因も含めていわば二重に(しかも人間自身がそれを引き寄せたと いう意味では,再帰的に)保険付保の困難性があらわれるものだといえる。

それでも保険の歴史において,原初的な形態からこれまでも長期保険や無

16) ミシェル・フーコーやヴィレム・フルッサーが,この人間の サブジェクト としての二重性 を指摘している。長沼・前掲注15)終章。

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過失保険,社会保険等々を進化・発展させてきたように,保険スキームのさ らなる更新によって,対応の道を模索して行くべきではないか。仮に料率の 算定が困難だとしても, まったく算定不能 なわけではないからである。

多くの人が 遅かれ早かれ 認知症になると考えれば,その種のリスクをカ バーするのは,たとえば長期保険スキームの得意とするところではなかった か。

もちろんそれらを到底ここで論じ尽くせるものではない。ただ,認知症に 即した保険スキームの構築に向けて,フランソワ・エヴァルドの表現を借り れば,まさに 保険的想像力 が問われているのではないだろうか。

(筆者は法政大学教授)

参照

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