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W.ヴォリンガーの北方装飾論

小倉奈緒美 博士課程前期2年

(2)

ヴィルヘルム・ヴォリンガー1)が『抽象と感情移入』2)、『ゴシックの形 式問題』3)において、ゴシック様式の出発点として「北方的装飾」を扱っ ているのは周知のとおりである。そこではゲルマンやケルトの装飾が持つ、

抽象的な線の表現や動物装飾が発生するまでの過程が考察されており、北 方の芸術、しかも芸術的創造の根本に言及している点に関しては大変貴重 であり、注目に値するだろう。しかし、その説明はやや粗く不明瞭である ことも否定はできない。従って本稿では、ヴォリンガーによる北方的装飾 の見解の理解に努めること、そして今後北方的装飾を研究する上での有用 性について明らかにすることが目的である。まずⅠにおいては、ヴォリン ガーの美学理論の基本的立場と人間の基本類型についてまとめ、Ⅱでは北 方的装飾の初期においてどのような特性が現れているのか、そしてⅢでは 北方の装飾の最大の特徴である動物装飾の成立過程と、北方民族の捉えた という「現実性」について、ヴォリンガーの見解を他の研究者の学説と対 比させながら考察する。以上のことからヴォリンガーによって北方的装飾 がどのように捉えられていたか、そして現在、その見解がどのように評価 できるのかを明らかにする。

Ⅰ ヴォリンガーの美学理論

1.「抽象」衝動と「感情移入」衝動

ヴォリンガーが主著『抽象と感情移入』において掲げた「抽象」と「感 情移入」の対立概念を説明するために、初めにその基盤を為しているテオ ドール・リップス4)とアロイス・リーグル5)の学説を示したい。リップス が明確に叙述した感情移入の概念は、美的客観主義から美的主観主義へと 歩んだ近代美学の出発点となっている。つまり、あらゆる美的経験の心理 的前提として考えられたのが感情移入の衝動であり、ヴォリンガーはこの 概念を以下のように性格づけている。

(3)

こういった美的経験の種類をごく簡単な形で言い表すと、美的享受 は客観化された自己享受である。美的に享受することは、私とは異な るある感覚的対象において自己を享受すること、その中に感情を移入 すること(einzufühlen)である。6)

ここで移入する感情とは生命であり力、すなわち対象を捉えようとする 内的な活動とされる。7)感性的対象はそれが与えるものと「私」という主 体の統覚的活動によって生じたもので、主体の活動によって貫かれている。

従ってある対象の形式というのは─その形式の美であるか醜であるかの定 義も同様に──主体の内的活動によって形成される。8)またヴォリンガー は、この概念から出発する近代美学が、本来は何の関係も持たない自然美 の美学から芸術美の美学へとそのまま導入されていることを指摘し、この

「有機的なものの美のうちに自己の満足を見出す」9)衝動があらゆる時代、

民族の芸術的創造の前提であったという説に疑問を呈している。

次に、ヴォリンガーが自身の理論の拠り所としたリーグルの概念「芸術 意欲(Kunstwollen)」10)についてごく端的にまとめておく。ゴットフリー ト・ゼンパー11)を始めとする当時(19世紀後半)の芸術史家らは、原始 的芸術は使用目的・素材・技術からなる一つの所産であり、芸術史は「能 力(Können)」の歴史であるとした。それに対しリーグルは、能力は第二 義的なものであり、芸術的創造の原動力は「意欲(Wollen)」に始まると した。12)つまり過去の時代の様々な様式の独自性は、能力の不足などでは なくして意欲によって決定される。13)芸術意欲はあらゆる時代、民族にお いて存在しているのであるが、何故当時(20世紀初頭)の芸術史家らが 自然主義的な芸術のみを高次的で、それ以外の芸術を低次的であると判断 してしまうのかという問題に対しては、ヴォリンガーは次のような答えを 出している。すなわち、彼らは「造形芸術においては自然の原型への接近 という同一の目的から出発しているという捨てきれない判断の基準」14) 持っているからである。以上二つの学説を踏まえて、以下に述べられるヴ ォリンガーの美学理論の意義が決定させられる。

(4)

先に叙述した通り、ヴォリンガーは「感情移入」衝動の対立概念として

「抽象」衝動を掲げた。感情移入が有機的な、生命を肯定するものに向か うのに対し、無機的なもの、あらゆる生命を否定するものに向かうのが抽 象衝動である。どのような民族の芸術にこの衝動が読み取れるかといった 点に関しては次の節において叙述するが、これら抽象衝動の心理的前提は

「外界の現象によって惹き起こされる人間の大きな内的不安」という世界 感情(Weltgefühl)15)のうちにあり、この不安の感情が先の諸民族の芸術 意欲を抽象の方向に向かわせたのだとヴォリンガーはいう。16)

ヴォリンガーは、リップスのいう「感情移入」衝動は「有機的なものの 美のうちに自己の満足を見出す」ものでありこれが全ての時代、民族の芸 術的創造における前提、すなわちリーグルのいうところの「芸術意欲」の 心理的前提であるという説を否定し、自らの「抽象」衝動の概念を対置さ せた。抽象という概念を対極に置くことによって、芸術における様々な様 式の独自性と、それにより一見稚拙に見えるもの─例えばピラミッドやビ ザンチンのモザイク─は、芸術作品の発生に先立つ意欲が自然主義的芸術

─古典古代ギリシア・ローマやルネサンスの芸術─と反対の方向に向けら れていたことを示し、それらに正当な評価を与えることを目指した。ここ にヴォリンガーの美学理論の意義がある。

次の節において、ヴォリンガーの理論の基礎を為す人間の基本類型につ いて叙述する。

2.ヴォリンガーによる人間の基本類型

発展史的視点に基づく人間の基本類型論がヴォリンガーの理論の基礎を 為している。ヴォリンガーはこの人間の基本型を「人間の外界に対する一 定の比較的簡単な関係が、ある明瞭な典型的な特色を帯びて現われた場合 の発展史上の形態」17)とし、「原始人(der primitive Mensch)」「古典人(der

klassische Mensch)」「東方人(der orientalische Mensch)」の三つに分類してい

る。これら三類型を端的に言うとすれば、「原始人」とはその名の通り原 始的段階にある民族、またあらゆる民族における精神的発展を遂げる前の 最も初期の段階、進化の発端時代の人間であり、「古典人」は古代ギリシ

(5)

ャ・ローマ人及び西洋近代人をさす。「東方人」がさすものは曖昧だが、

エジプト芸術、とりわけピラミッドが度々例に挙げられていることから古 代エジプト人を想定していると思われる。

ヴォリンガーは以下の芸術意欲において抽象衝動を見出す。すなわち、

(1)原始民族の芸術意欲、(2)あらゆる芸術の原始時代の芸術意欲、(3)

ある程度進歩した東方の文化諸民族の芸術意欲、においてである。18)(1)、

(2)はヴォリンガーの三類型のいうところの原始人、(3)は東方人に当て はまる。先に述べた通り、彼らの芸術意欲にはどれも「外界の現象によっ て惹き起こされる人間の大きな内的不安」が現れているのである。

外的現象の混乱した相互関係や変化に悩まされて、無限の安静の要 求がこのような民族を支配した。彼らが芸術の中に求めた幸福の可能 性は、外的世界の物の中に沈み、自己を享受することではなく、個々 の物をその恣意的なものと外見上の偶然性から抽出して、抽象的な形 式に当てはめることで永遠化し、これによって現象の流れの中に静止 点を見出すことであった。19)

このようにして彼らの芸術は純粋に抽象的な幾何学的合法則性を持つも のに向かっていったのであるが、ヴォリンガーは東方人の世界感情は原始 人のそれよりもより一層深く、大きいものであるとしている。原始人の知 覚が外界現象をただ認識できないでいるという意味で「認識以前」にある のに対して、東方人は「認識を越えた」ものであった。東方人においては、

我々人間が理解し、むしろ支配していると感じているあらゆる外界現象が 単にマーヤのベール20)でしかないということを知り、認識の不確実性を自 覚し続けていたということである。

感情移入衝動においては、それが見られるのは主体と客体、すなわち人 間と世界の間に「幸福な親和関係」が成立している古典人の芸術意欲にお いてのみである。ここでは原始人や東方人において現れていた人間と世界 の絶対的二元論は消え失せ、神的なものは彼岸性の衣を脱がせられ、此岸 に引き入れられている。21)通常は精神的発展、合理主義的発展に伴い、原

(6)

始人に特有な心的過程に代わって古典人におけるような感情移入衝動が現 れるが、ただ東方人のみが深い世界感情を持ち続け、こういった過程を歩 まないのである。

以上をまとめると原始人、東方人の芸術意欲は抽象の方向へ、古典人の 芸術意欲は感情移入の方向に向いている。ヴォリンガーの理論では基本的 にこの三類型がその基礎を為しているのであるが、このどちらの方向にも 向いていない、「中間現象」ともいうべき芸術意欲を持った「北方人(der

nordische Mensch)」が例外的に扱われている。Ⅱ以降ではこの北方人の芸

術意欲とその芸術の固有性についてのヴォリンガーの見解を扱う。

Ⅱ ヴォリンガーによる初期北方装飾の見解

1.初期北方装飾とその特色

ヴォリンガーは『ゴシックの形式問題』の中でゴシック美術を論ずるに あたって、その発展の出発点として北方人の芸術に触れている22)。通常 我々が「北方人」という時はケルト・ゲルマンの民族を指すことが多く、

またヴォリンガーにおいても『抽象と感情移入』の中では北方芸術を「ケ ルト・ゲルマンの芸術」としているが23)、後の『ゴシックの形式問題』で はゴシックの根源を「ゲルマン人のスカンディナヴィア」24)、ゲルマン人 を「ゴシックの必須条件」25)とし、その本質を考察している。従ってヴォ リンガーが「北方人」と記す際はそれが「ゲルマン人」を指すとみてよい と思われる。ここで扱われる芸術というのは装飾芸術のことである。とい うのも彼らの芸術意欲は何れも装飾芸術の範囲内で満足させられていたと して、ゾフス・ミュラー26)の言うように北方人の芸術がすなわち装飾芸術 であることをヴォリンガーもまた認めているからである。27)28)

ヴォリンガーの見解によれば、北方人の装飾においても初期に現れてい るのは原始人のものと同じような純抽象的な性質である。初めは原始人が 用いるような単なる点や線のみが使用されていたが、次第に弧線、円、螺 旋、電光型、S字型のモチーフが現われ、更に様々な使用の仕方によって ゲルマン的な組紐模様(Bandverschlingungsornamentik)や撚り合わせ模様

(7)

(Fechtornamentik)などが生まれた。29)Ⅰ-2で述べた通り、通常は精神的発 展に伴い抽象衝動に代わって感情移入衝動が成立するが、東方人と同じく、

北方人もこの時点ではまだこのような過程を歩んでいない。しかし彼らの 芸術においては東方人のものに見られる原始的幾何学的「抽象的特色」の 中に古典的有機的「有生命的特色」が見られるという。しかもヴォリンガ ーがここで言っているのは、二つの相反する特色の調和的な融合、すなわ ち「併有」などではなく、不純で何となく気味の悪い混合である「中間現 象」である。30)

2.「中間現象」について

ヴォリンガーは北方的装飾の中間現象について、以下のように説明して いる。

われわれは有機的な明瞭さと均斉とを備えた古典的な装飾に対して は、あたかもそれが何のよどみもなくわれわれの生命感情から流れ出 て来るような感じを懐く。その装飾は、われわれがそれに与えている 表現以外にはなんら異なった表現をもたない。これに反して北方的装 飾の表現は直接にはわれわれと無関係である。むしろここではわれわ れとは無関係に存在するように見えながら、しかもわれわれに対して ある要求をもってあらわれ、そのため自己の意に反してやむを得ずそ れに屈従するような一種の運動を強制する生命に出会う。31)

古典的有機的な装飾は感情移入能力と結びついており、従って我々の内 的な活動によってすべてが形成されている。しかもそれらが要求するもの と我々の持つ好みや傾向が合致し、我々は古典的装飾を美しいものとみな すのである32)。それに対し北方的装飾は根本的には無機的なものであり、

我々の感情移入能力とは結びつくことのない、無関係なところに存在して いる。しかしそれでありながら我々は、無理矢理その線の中に引き入られ ていくように感じるのである。ヴォリンガーはこのことをより精密に把握 するために「鉛筆で紙の上に線を引く」という日常的な経験の例を挙げて

(8)

いる。

美しい円い曲線を引くとき、われわれはしらずしらずのうちに内部 感情を注ぎながら自分の手の関節の運動に追随してゆく。〔…〕線が 引かれてゆくときに感じていたものを、その線の表現に帰してしま う。/われわれが強い内的な興奮に満たされて、しかもその興奮は紙 の上に現わすより他ゆるされていないとすれば、書きなぐられた線は まったく違った結果を呈するであろう。〔…〕自発的に線を創り上げ てゆくのは手首ではなくて、手首に対してみずからの運動を命令的に 強制するわれわれの激しい表現意志である。33)

美しい曲線を描く場合と強い興奮のまま線を書きなぐる場合、そのどち らも成立過程を追従しながら体感するが、前者がある種の幸福感を伴うの に対して、後者はそういった感情は伴わず、我々の手首はそれ自身の動き とは別の意志によって動かされる。自然な運動傾向はこの命令的な意志に よって絶え間なく妨げられ、表現は熱を帯びてゆき圧倒的で感動的なもの になっていく。これがヴォリンガーの考える「線の固有表現」である。

また、北方的装飾にみられる線の固有表現は北方人の精神状態に深く根 差しているという。厳しい自然に囲まれていた彼らもまた大きな世界感情 に支配されていたのである。34)北方人と古典人との芸術意欲における本質 的相違は明らかであるが、同じく世界感情に支配され、芸術において無機 的抽象的な本質を持つ原始人と東方人との相違点はどこにあるのだろう か。北方人においても、最初にあるのは止めどない外界現象を目の当たり にして生まれる内的不安であり、その知覚は原始人と同じ「認識以前」に あった。つまり原始人と同じように東方人のような認識の不確実性はまだ 現れていなかったということである。しかし北方人の芸術は原始人におけ るような単なる抽象的形式に終わることはなく、有生命的特色を帯びた固 有の表現へと向かっていく。両者は、外界の現象を芸術的に捉えるにあた っての目的をもって区別される。

(9)

原始人は目的物を死んだ幾何学の言葉に翻訳する。彼は目的物を幾何 学化して、それによって目的物の生命力の表現を克服する。原始人に とってはあらゆる生命表現を、このように不断に克服するということ のなかに芸術目的が成立する。/[…]こういう[超感覚的な]世界 に没入することは、混沌とした現実形像に束縛されている北方人にと っては、解脱的な陶酔状態をたのしむことであったに違いない。した がって世界に対して世界に対しての彼の芸術的対立は、外界の対象を 自分の特殊な線的表現のなかに同化するという目的[…]を持ち得た のである。35)

Ⅲ 動物装飾と現実性

1.動物モチーフの発生

ケルトのものも含め、北方の装飾の特徴を挙げるならば、それはキリス ト教伝来以前に支配的であった動物文様であろう。ケルト・スカンジナヴ ィア様式とも呼ばれ、そこでは大抵蛇かドラゴンらしき動物が曲がりくね り、もつれ合っている。(図

1、2)民族移動期にはローマ帝国の弱体化に

伴ってその大量の金がスカンディナヴィアに流れ、首輪や腕輪などへの装 飾加工の需要が高まると文様も多様化した。36)おそらくこの時期に、動物 モチーフが装飾品などに現れ始めたのだろう。この動物モチーフの発生に 関するヴォリンガーの見解は次のようなものである。すなわち「純粋に装 飾的=線的な方向において、つまり自然原型を離れて発展し」37)、「線の 空想から任意的に発生し、この空想なしにはまったく存在しない」38)とい うことである。このことについてはヴォリンガー以前の研究者、ミュラー やカール・シュナーゼ39)、リンデンシュミット40)も同様の見解を示してい る。41)ヴォリンガーはこの成立過程を以下のように考察している。

ある種の純粋な線的構成をしているとき、動物の構造についてのお ぼろげな記憶が浮んで来る。[…]この両者の類似をさらに進んで顕 著にし明瞭にさせるような方向に向かって、たとえば点を二つ三つ打

(10)

ってそれで眼を暗示するとか、その他の方法で追求された。42)

動物装飾が成立する過程で、北方人は何か特定の動物ではなくただ一般 的な「動物」を思い浮かべ、しかもそれはある種遊戯的に行われた。後に この動物は誰もが知るところの架空の動物になったので、特に好まれるよ うになった、とヴォリンガーは考えている。43)この架空の動物は異教のモ チーフとして

11、12

世紀頃まで装飾の中で生き続けることになる。(図

3、

4)

動物モチーフの成立に関する考察は、エルンスト・ゴンブリッチ44)によ って更に補強されよう。彼は、ヴァルター・ヒルトブルク45)の民俗学の論 文によって明らかにされた、多くの人が持つ「混乱しているものほど悪魔 が嫌うものはない」という信仰を例に出し、装飾における獣や怪物の絡ま り合いを説明している。46)というのは、敵の目を混乱させ、自らを守るた めには迷路のような絡み合いや結び目が必要であり、この種の装飾はそう いった信仰に基づいているというのである。そして単なる絡まった紐に頭 部を付け加えることによってその効果はより高められる。(図

5)これがゴ

ンブリッチの考える動物装飾の発生過程である。この発生過程においては、

どんな形象でも「目の存在とそれに相応する特色をかすかに暗示する」だ けで顔と見てしまいがちな人間の心理的特質を挙げている。

[…]この「読み取ろう」としている自分自身を考察してみるとよ い。代表的な特色をすみやかに確かめてから「意味をさぐる努力」に よって、線の絡まり合いのよりどころを捜し求めることになる。線の なかには「わかり」やすいものもあるが、そのままの単なる飾り書き としてしか受けとれないものもある。よく注意して見れば見るほど、

その像が「しだいに消える」ことに気づき、あらゆる可能な解釈に応 じてそれが組み変わるのである。言い換えると、私たちは決して行き 詰まることがない、たえざる生動化の過程に巻き込まれてしまう。47)

ゴンブリッチ自身、こういった暗示法が悪魔の目を退ける形式を求めた

(11)

結果であるのかはわからないとしているが、遠く中国などにも北方のもの と同じような「絡み合い」の装飾が存在することから、一般に共通の心理 的傾向から動物の「絡み合い」装飾が生まれたとするゴンブリッチの解釈 は、動物モチーフが生まれる過程に関して、ヴォリンガーのいうような単 なる遊戯的な行いからとするよりも納得できるものがある。

またゴンブリッチは自らの提起とヴォリンガーの理論の類似を認めてお り、それは「ある狙いがきまれば、人はある手段を頼みにする」48)という 点にあるとしている。つまり、ゴンブリッチがいうところの、守護された いという狙いのために人工物に厄払いの力を賦与する、というものである。

これはヴォリンガーが原始人や北方人において、無限に変化し敵対してい るように思える外界現象を恐れ、各々の無機的で抽象的な様式へと向かっ た、と解したのと同じである。従って、ある種の敵対者から逃れるという 目的に基づいているという点においては両者に共通であり、ゴンブリッチ はそこに動物の絡み合いの役割を賦与したにすぎない。

2.「現実性」について

ヴォリンガーの考察によれば、動物は本来自然のモチーフであるが、こ れによって北方装飾の無機的な性格が弱められることはない。何故なら先 に述べた通り、動物モチーフは自然の原型から離れ、かつ線の空想から生 まれたものだからである。彼はこれを「自然の追憶(Naturerinnerungen)」

ではなくして「現実性の追憶(Wirklichkeitserinnerungen)」している。この ことについてヴォリンガーは以下のように説明している。

われわれが現実性を把握するには、別にそのために自然に接近しな くても十分精密になしとげられる。むしろ有機的という観念がわれわ れのうちに生きて働くようになり、それによって能動的な観照、認識 する観照が可能になったとき、初めて現実的なもののなかに、自然的 なものを認識するようになるのである。49)

しかしこのような認識は古典期の場合にだけ可能であり、「人間と世

(12)

界の間の幸福な親和関係」が成り立っていない北方人の視野のうちには自 然はまだ現れなかった。この説明は以下のように続く。

しかし現実性はそれだけかえって強烈に彼[北方人]に向かって迫 っていた。なぜならば彼は、自然的なものに関する認識によってまだ 全然開拓されていない素朴な眼力で現実を観察し、また非常な鋭さで、

それにともなう幾千とも知れない瑣末な事柄や偶然な事物と一緒に、

これらを彼自身の身につけたからである。この現実性の把握の鋭敏さ によって、北方的芸術は古典的芸術と区別される。古典的芸術は、現 実性のもつきまぐれさを回避して、まったく自然的なものと、その底 に隠されている自然の法則性との上に築かれている。したがって有機 的なリズムを帯びたその線表現は、何のわだかまりもなくそのまま自 然的なものの直接表現に転入することができた。50)

現実性についてのヴォリンガーの説明は以上で全てであるが、彼が考え る「現実性」、そして古典的芸術家と北方的芸術家の現実性の「把握の鋭 敏さ」の違いとはどのようなものであるか。これらをより正確に理解する ために、ニコライ・チェルヌイシェフスキー51)の『現実に対する芸術の美 学的関係』における「現実」に関する概念を足がかりとしたい。彼は芸術 を「現実の再現」であるとしたが、ここでは「現実」そのものの概念では なく「現実」の「再現」に基づく一機能である現実の「説明」概念が問題 となる。52)

普通いうところでは「詩人は多数の生きた個性的な人格を観察する。

それらのおのおのに共通なるもの、典型的なるものを見出し、あらゆ る私的なものをとりのぞき、種々な人々のなかに分散された特徴を一 つの芸術的全体に統一し、現実の諸性格の純エキスとよばるべき性格 を創造する。」これがすべて正当であって、いつもそうであるものと 仮定しよう。しかし物の純エキスは物そのものには似ていないことが ある。テインは茶ではなく、アルコールは酒ではない。人間の代りに

(13)

ヒロイズムと悪意の純エキスを悪徳の怪物や石のごとく無情な英雄の かたちでわれわれに与える「作者」は実際に上述の原則に従って行動 しているのである。53)

このようにして再現されたものは現実の「説明」的機能を持っている。

ここで問題にされているのは文学だが、造形芸術においても十分適用され よう。またチェルヌイシェフスキーは、詩的天才に必要な能力は「現実の 中に性格の本質を見」、「詩人によって置かれる諸事情のなかでいかに行動 するか」を理解する能力であるとしている。54)思うに、ここで言われるよ うな「作者」「詩的天才」は、ヴォリンガーにおける「古典的芸術家」で あろう。古典的芸術家は自然を認識する観照が可能であり、それ故「自然 から発して来る有機的法則を非常に顕著に具体化」し、しかもそれは「自 然構成それ自体」を「理想的な特徴」を保ちながら再生される。55)古典的 芸術家においては「詩的天才」的能力を十分に持っており、従って現実の

「説明」的機能を持った「有機的構成の法則を直観化するに十分な、自然 構成の理想的な見取り図」を創り出したのである。

北方的芸術家においてはそのような能力は持っておらず、自然的なもの の本質を認識することはできなかった。茶からテインを、酒からアルコー ルを取り出すことすらできず、従って茶や酒そのものを非常に鋭く捉えた のである。次のことが言えるだろう。ヴォリンガーのいう「現実性」とは チェルヌイシェフスキーにおける「現実」と異なり、個々の事物から与え られる直接の印象そのもののことである。また「人間が詩の中でいかに行 動するか」というような一種の「理想的な特徴」を北方的芸術家は持ち合 わせていないがために、冷静な眼を持って対象を眺め、直接的に捉えるこ とができたのである。更に彼らはそれらを単に事実的に模倣しただけでな く、自らの固有の線表現と結合させた。この結合の第一段階が北方の動物 装飾なのである。

(14)

以上、ヴォリンガーの基本的美学理論を始めとし、北方的装飾の発生初 期から動物装飾に至るまでの彼の考察を検討した。ヴォリンガーが従来の ヨーロッパの芸術観を批判し、低次的なものとみなされていた原始・東方 芸術に新たな評価の視点を与えたという点については大いに評価できるだ ろう。しかし、理論の正当さといった面からはどうだろうか。基本類型に ついては彼自身も「大ざっぱな証拠によって仮想的に構成されたもの」56)

であることを認めており、そもそも「東方人」が正確にはどの地域の、ど の民族を指しているのかが曖昧であるという問題はある。また、次のよう な問題点も指摘される。すなわち、先史時代の洞窟壁画や古代エジプトの 写実的芸術も存在するが、これらに関しては単なる「模倣」であり芸術で はないので「自然主義」の中には数え入れられず、よってこれらは「感情 移入」衝動からでたものではないとしたことである。57)それが「模倣」の 結果であるのか、「感情移入」衝動の産物であるのか、判断を下すことは 困難であるし、この主張はかなり強引であると言わざるを得ない。

北方的装飾への見解においても疑問が残る。伝説上の動物が空想の産物 でなく抽象衝動の産物であるとしたこと58)においては「抽象」衝動の優位 性を強調するがためになされたとしか言いようがないだろう。しかし一方 で、ヴォリンガーの示した「抽象作用を通して非在的な形像を表したこと」

や「抽象的線で構成されながら有機的特色を持つという特性」については 実際にケルト装飾の研究に採用されている。59)また別の問題としては、北 方的装飾は本来ゴシック様式の出発点として言及されたものであったが、

この点においてヴォリンガーが後に否定的な立場をとっている60)というも のもある。しかし少なくとも『ゴシックの形式問題』から

14

年後の

1925

年の論文「後期ゴシックと表現主義の形式システム」において、ゲルマン 的ヨーロッパの芸術について「素朴な自然からではなく、現実から出発し ていた」61)という記述が見られるあたり、北方人の捉えた「現実性」につ いての見解は変わっていないようである。以上のことから、基本的な理論

(15)

についてはその正当性が問われるが、北方的装飾の見解に関しては大部分 において応用され得ると言えるだろう。動物装飾の発生過程については疑 問の残るところであるので、最新の研究と併せて更なる検討が必要である。

今後の研究の示唆としたい。

1) Wilhelm Worringer (1881-1965)ドイツの美術史家。

2) Wilhelm Worringer, Abstraktion und Einfuhrung, 1908, 本稿では 1911

年版を使 用。以下、引用の際は

1911

年版のものを表記する。訳は『抽象と感情移 入』草薙正夫訳(1953)を参照しつつ拙訳した。

3) Wilhelm Worringer, Formprobleme der Gotik, 1911, 本稿では『ゴシック美術

形 式 論 』 中 野 勇 訳 (1 9 6 8) を 使 用 。 な お 、 ド イ ツ 語 表 記 に 関 し て は

Worringer, W., Formprobleme der Gotik, Schriften, 2004

を参照した。

4) Theodor Lipps (1851-1914)ドイツの心理学者、哲学者。感情移入美学の代

表者。

5) Alois Riegl (1858-1905)オーストリアの美術史家。ウィーン学派の始祖。

6) Worringer, 1911, S. 4 7) Ibid.

8)

感性的対象を美であるか醜であるかで判断するには、主体の統覚的活動 の他にも要求されるものがある。このような要求と主体の好みや欲求が合 致した場合は自由な自己活動の感情、つまりは快感、美の感情が生まれ、

要求と主体の欲求の間に衝突が起きた場合には不快の感情、醜の感情が生 まれる。リップスは前者を積極的感情移入、後者を消極的感情移入と呼ぶ。

(ibid., S. 5-6) 9) Ibid., S. 3

10)

『美術様式論―装飾史の基本問題―』(Stilfragen, 1893)において導入され た概念。本稿では長広敏雄訳(1970)を参照。芸術意欲は後にヴォリンガ ーによって形式意志とも呼ばれる。

11) Gottfried Semper (1803-79)ドイツの建築家。芸術唯物論の代表者。

12)

リーグル(1970)42-43

13) Worringer, 1911, S. 9 14) Ibid., S. 10-11

15)

世界感情とは、ヴォリンガーいわく「人間が外界の現象に当面してその 都度見舞われる心理状態」のことである。(Ibid., S.14)

16) Ibid., S. 15-17

(16)

17)

ヴォリンガー(1968)30

18) Worringer, 1911, S. 16 19) Ibid., S. 18

20)

その襞の中に一切の現象界の姿を見得ると伝えられるもの。

21)

ヴォリンガー(1968)40

22)

後の

1920

年代に新たに提起されたヴォリンガーのゴシック観において は、ゴシックが「ゲルマン的」であるという考えは消え失せ、「フランス 的」だとみなされている。〈小田部(2003)の紹介による〉20年代以降の ヴォリンガーのゴシック観については、『問いと反問』土肥美夫訳(1971)

を参照のこと。

23) Worringer, 1911, S. 114 24)

ヴォリンガー(1968)49

25)

ヴォリンガー、1968年、52

26) Sophus Müller (1846-1934)デンマークの古代文化史家、とりわけ先史時代

の研究家。

27) Worringer, 1911, S. 114

28)

「北方の芸術が当時[鉄器時代前半]、本質的に装飾の中にあった〔…〕。

[…]絵画は多かれ少なかれ装飾的で、場所や空間に左右されること、装 飾に結びつけられたからである。」(Müller, 1881, S. 3)

29)

ヴォリンガー、1968年、53頁。時代については明記されていないが、

ゲルマン人のもとで自立した芸術的発達が始まったのは紀元前最後の時代 であることからして、おそらくこの頃を指していると思われる。(Lexikon

der Kunst, Bd. 2, 2004, S. 712)

30)

ヴォリンガー(1968年)54

31)

同上、55-56

32)

8

を参照

33)

ヴォリンガー(1968年)56-57

34) Worringer, 1911, S. 115

35)

ヴォリンガー(1968年)70-71

36)

ヒースマン(2000)21-22

37) Worringer, 1911, S. 66 38)

ヴォリンガー(1968)66

39) Karl Schnaase (1798-1875)ドイツの芸術歴史家。

40) Ludwig Lindenschmit (1809-93)ドイツの先史学者、画家。

41)

このような見解はシュナーゼからリンデンシュミットに受け継がれ、更 に詳しく述べられた。ミュラーとヴォリンガーにおいては彼らの見解を受 け継いでいる。(Müller, 1881, S. 10)

(17)

42)

ヴォリンガー(1968)67

43)

同上

44) Ernst Hans Josef Gombrich (1909-2001)

オーストリアの美術史家。視覚化さ れた世界を通じて、これらを作り出した人間を探求することに努めた。

45) Walter Leo Hildburgh (1876-1955)

アメリカの古物収集家。

46)

ゴンブリッチ(1989)467

47)

同上、470

48)

同上、468-469

49)

ヴォリンガー(1968)68

50)

同上、67-68

51) Nikolai Gavrilovich Chernyshevskii(1828-89)

ロシアの思想家。学位論文『現 実に対する芸術の美学的関係』においてヘーゲル美学を批判し、独自の唯 物論を展開した。

52)

出(1969)の紹介による

53)

チェルヌイシェフスキー(1948)116頁(原文旧字体)

54)

同上、117-118

55)

ヴォリンガー(1968)65

56)

同上、30

57)

吉川(1987)63

58)

吉川(1987)65

59)

鶴岡(1993)70、140

60)

22

参照

61)

ヴォリンガー(1971)86

参考文献

アロイス・リーグル『美術様式論―装飾史の基本問題―』長広敏雄訳、岩崎 美術者(1970)

出かず子「チェルヌイシェフスキーの美学理論

: 『現実に対する芸術の美学

的関係』を中心として(I)」『スラヴ研究

13』北海道大学、87-110

頁(1969)

ヴィルヘルム・ヴォリンガー『抽象と感情移入―東洋芸術と西洋芸術―』草 薙正夫訳、岩波書店(1953)

ヴィルヘルム・ヴォリンガー『ゴシック美術形式論』中野勇訳、岩崎美術社

(1968)

ヴィルヘルム・ヴォリンガー『問いと反問』土肥美夫訳、法政大学出版局

(1971)

エルンスト・ゴンブリッチ『装飾芸術論』白石和也訳、岩崎美術社(1989)

(18)

小田部胤久「ゴシックと表現主義の邂逅

: ヴォリンガーによる『ヨーロッパ

中心主義的』芸術史の批判とその行方」『美学藝術学研究

21』東京大学大

学院人文社会系研究科・文学部美学芸術学研究室、81-114頁(2003)

鶴岡真弓『ケルト/装飾的思考』筑摩書房(1993)

ニコライ・チェルヌイシェフスキー『現実に対する芸術の美学的関係』石山 正三訳、日本評論社(1948)

ヒースマン姿子『世界の考古学

11

ヴァイキングの考古学』同成社(2000)

吉川登「ヴォリンガー『抽象と感情移入』の批判的検討」『熊本大学教育学 部紀要 第

36

号』熊本大学教育学部、61-71頁(1987)

Jäger, G., Die Bildsprache der Edda, Stuttgart, Verlag Urachhaus, 2010

Müller, S., Die Tier-Ornamentik im Norden, Aus dem Dänischen übersetzt von Westorf, Hamburg, OTTO MEISSNER, 1881

Worringer, W., Abstraktion und Einfühlung, München, R.PIPER&CO. VERLAG, 1911 Worringer, W., Schriften, Heraus gegeben von Hannes Böhringer, Helga Grebing und

Beate Söntgen, München, Wilhelm Fing Verlag, 2004

Lexikon der Kunst, Heraus gegeben von Harald Olbrich, Leipzig, Seemann Henschel,

2004, Bd. 2

(19)

1

青銅ブローチの細部、ノルウェー、トロンハイム博物館蔵

(Müller, 1881, S. 94)

2

青銅ブローチの細部、ノルウェー、ベルゲン博物館蔵

(Müller, 1881, S. 95)

(20)

3

シグルズとドラゴンの戦い、ヒュレスタッド木造教会

(Jäger, 2010, S.185)

(21)

図4 「ウルネスの馬」蛇の形像との戦い、ユグドラシルを齧るニーズヘッグと 牡鹿と見られる。ノルウェー、ウルネス木造教会(Jäger, 2010, S. 452)

5

古代北方の青銅金具の動物文様、スウェーデン・ゴトランド

(ヴォリンガー[1968]巻末付録)

(22)

図 2 青銅ブローチの細部、ノルウェー、ベルゲン博物館蔵
図 3 シグルズとドラゴンの戦い、ヒュレスタッド木造教会
図 5 古代北方の青銅金具の動物文様、スウェーデン・ゴトランド

参照

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