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ド イ ツ 株 式 会 社 法 理 成 立 過 程 に お け る

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(1)

ま ﹂え が き  

最近私法二般理論としての法人論は新たな意義を帯びて注目されつつある︒現状は団体法人論からの法人論の独立化.と名づけら  

れる法技術概念としての法人論展開を目ざした法人学説史再検討の段階であり︑川島・福地両教授を始めとして多くの秀れた研究  

が為されている︒この段階での法人学説史の任務は︑﹁近代的法人理論の古典的諸機構を︑たんに自己完結的な論理体系として取  

扱うのでなく︑それぞれの分析対象︵現実の社会関係の一側面︶によって構造規定をうけつけつつ︑逆にまたそれぞれの対象自身  

の再生産のために媒介機能をいとなみ︑そして対象との問のこのような相互作用︵対流作用︶をくりかえしながら学説史的発展の  

うえに各日の位置を占めるものとして取扱い︑しかも︑その成立・・機能・発展に関する経験科学的な法則性を解明︵福地・古典的  

法人理論の再検討蔽ついて・私法20号74頁︶﹂することといえよう︒そしてその裡で法的カテゴリィ一般の法則怖が︑特に福地教  セマンチクス  授ほプラグマヂズム理論体系化の出発点だった意味論を駆使されることにより︑究朋されようとする志向が強い︒   

前号に続く本稿も右両教授政教えられつつこの学界の傾向のき尾に随うにすぎない︒ただ資本制社会発展史における私法の機能  

への関心をいわゆる団体法の場に展開しょうとして商法に取雑んだ筆者は︑わが商法の斡となったドイツ商法をドイツ近代社会発  

展史と照合しっつ把まえることを山課題としている︒そのさい資本制経済の単位である企業の典型形式=株式会社の法理が一中心  

︵七八こ 五九.   ドイツ株式会社法理成立過程における法人理論の意義︵二︶  

ドイツ株式会社法理成立過程における  

法人理論の意義︵二︶トゲビニイをめぐつて  

山石   崎  

(2)

第三十二巻 第六骨  

︵七八二︶ 六〇  

となる︒こういう作業にとって大事なのほ︑単なる法と経済の照応の指摘でなく︑その照応の仕組みかたの解明である︒法脾釈学  

にとって︑ドイツ株式会社法理成立段階でのドイツ市民階級の国家権力に対する位相・身構えないし力関係の表われ方を指摘す  

ることは無用かもしれない︒しかしドイツ法がなぜ完三七年株式法迄は株式会社に権利主体の実質な与えながら法人格ずばりを  

規定しなかったかほ︑この点の解明なしには理解でせないし︑今日なおドイツの人的会社が法人格をもたない所以もただその組合  

たる実質のみに由来するものでほない︒   

かような株式会社制度史への関心から法人論ヘアブローチする本稿は株式会社制度史と法人論史の並列的提示という陣腐なもの  

紅終るにせよ︑資料を追うに精一杯で元来貧困な分析力強化に手の届かぬ筆者の現状でほその可能性も大きいが︑かけだしにとっ  

てはな串意義ある一里塚となろう︒本稿に取扱う時期の経済的背景についてほ前号を参照されたい︒   

十八世紀後半以降殊竺九世紀前半のドイツ社会を扱う際見落してならないのは︑当時経済的後進性に喘ぎつつ近代社会化プロ  

セスを強行していた絶対制の社会構成体的側面とそうした状況で多様な課題を同時的︒並列的に負わされた開明絶対制期知識人の  

精神構造︵特に国家観︶である︒ザビニイの理論もその点を抜きにしてほ理解できない︒前者ほ福地教授の指摘される所であり︑  

また最近社会経済史で多くの秀れた労作がみられる◇後者についてほプロイセソ開明期知識人の最も喋大な存在であるWi−he︼ヨ  

喜HuヨbO−tについて西村教授の秀れた評伝を参照されたい︒︵西村貞二・フンボル上−巌も鋭い自然法的個人主義を表現し  

たフンボルトの私法分野の集散に句ついたのはギールケのお蔭である︒︵例えばD・2ri蔓r2CざBdJu S◆会NAnm﹂ご︒   

ザビニイ紅とって擬制説がそれ自身東要なのでなく国家権力の優越性=許可主義の前提として重要なのにすぎないことほ夙に指  

摘される所であるが︑近代私法学の父といわれる彼にあって︑英米法にいうfic−iOnt訂OryがcOnCeSSiOnOrSOくrelgntbeOry  

とイコールとされたことがまきに問題なのである︒擬制説・がゲビニィ的実質を失い取引主体性の単なる法的表現として純技術概念  

化しゆく過程の端緒を示すため︑ザヴィニィ.から十八四八年迄を扱う本号で破格紅プフタとブイント←レヤイトを第三節に収めてお  

く0   

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(3)

歴史法学が概念法学となりきる内在的必然性宗く鍵である一九世紀ドイツ聾の方法論︑殊にザ三イとプフタの方法論︑に ヽヽヽヽ  

ついては︑好著萱terWl膏m盲r音1s−ischenMethO計n㌃Frel已⁝aぎhun蔓こ誤00簸えられた︒いずれ紹介の磯  

を得たい︶ザピ言の法人論は福地教授が問題を余すことなく究明しておられるから︑本稿誓れに附加えることはないが︑学説  

史としてザビキイを抜かす訳にもいかないので触れる次第で︑詳しくは同教授の労作を参照されたい︒  

仙ザビュィは︑レヤ㌻タイン改革の這を担ってドイツ近代教育制度を樹立した≦∴≠︻どmbO−tが㌻八仙○年  

ベルリン大学︵初代総長フィヒテ︶を創設した際︑招かれ教授に就任し︵三十二歳︶︑その学問活動のかたわら︑  

一八二六年以来プロイセン法律改訂委員会︵2reussischen︑Ges21Nr2象OnSkOmmissi旦の成員だった︒故に山八  

三八年鉄道会社の起草に当ってブローセソ立法者の前述した困難ほ︑彼にとって︑実用的必然性と伝来の法体系と   の間の亀裂を解決する︒という課題を意味したに違いなかったろう︒この事情は夙にその﹂年も前からザクセン州  

︵1︶  

会両院の果しない株式法案審議が明瞭ならしめていた 

新しい私的資本の結合体にそれ相応な地位を私法上認めること︑この結合体をAIRにみるようなKOrpOratiOn・  

牒eCb−驚と警ついた個々の国軍渉−切から解放すること︑殊にこの結合体がその自己財産をその私的目的に  

応じて処分する権利を認めること︒これこそ彼に迫る実際的必然性であった︒彼ほこの結合体が︵宮m2innutzig2ご ︵2︶︵$︶ 即ち封建臼的追求のためでなく⁚小ass阜2r12nごd・ぎmbinier−2n︶表apita−ist2n︑・つまり只apita−s22−eを具え  

︵4︶︵5︶︵¢︶ た・意思と意識をもつ・人格化した資本であることを考慮せねばならなかった︒   

もちろん︑彼の法人論の中心ほ十八世紀後半釆GⅦmeinh2i−s−h2i−uロ的︵共有地分割︶関係語農業立法をかなめと  

︵七八三︶\六山   ドイツ株式会社法理成立過程における法人理論の意義︵二︶  

(4)

第三十二巻 第六号  

︵七八四︶∴六二  

︵7︶ ︵8︶ して変質過程にあったGemeinde︵中世的共同体←近代的地方自治体︶にあった︒しかし︑彼の当時の社会的現実  

に立脚し雲﹂く多様な法人形式の論及・分類︑ローマ法の法人史論の箇所における彼のいう法人人格つまり財産能  

︵9︶ 力と法人の目的︵活動︶の区別・関連についての簡要な説明︑またとりわけ法人設立における﹁擬制﹂と不可分に  

︵10J  

︵11︶ 関連した﹁許可主義﹂力説︑法人について相錯綜する諸利害対立と法人自体の利益に関する彼の分析︑こうした点  

へHし に︑擬制説の名の故にまた﹁偉大な母のやや堕落した子﹂となった︵ゲルバァとラパントを代表とする︶概念法学  

を方法論史上生みだした歴史法学の祖の故に見失われがちな彼のレアリスト町現実接近態度が仙賢して表現されて ︵用︶  

いる︒この彼の能虔はグマインデ解体の諸農業立法や会社立法にも与った法律改訂委員の体験による所大きいと想   像される︒その意味で彼を株式会社法理成立過程の裡で扱うこともあながち附会ではなかろう︒   

前述の経済的事実はずピニィの琴論においてほ法的動機という形を執ちねほならなかった︒この形こそ伝来の法   律観の伝統を破らず︑この経済的事実が究局的に法律形式で是認されるための適法性を具えた調和的法体系にかな  

ぅ筈のものだった︒同時に彼ほ封建貴族の代表者としてまたプロイセン国家の官吏として許可制度・その他の国家   干渉維持の理論的正当化む課題とした︒このことを株式会社が私法に属する事実と対立させてほならなかった︒彼  

︵14︶ 自身の学部同僚E・Gansのみならず︑その頃ともなれば自由主義的市民層一般が機会ある毎に国家の許可強制・  

︵15︶ その他の干渉の経済的無意味さを主張しだしていたから︑この課題ほ格別に重要であった︒   

以上の課題はすべてまさに正統な=ローマ法の体系から得られた正統な法概念の本性から導出されねばならなか  

︵16︶ った︒周知臥ようにザビニィほ主著﹁現代ローマ法体系﹂第二巻第八号〜岩二節二三五頁以下の三九頁にわた  

る法人論でこの課題を引受け彼なりに解決した︒   

︵1︶ 前号所収拙稿会の頁参照︒   

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(5)

︵2︶ D◆舛apita−Bd・戸S・N‖芦  

︵3︶ a.a.〇◆︶ Bd● Ⅰ● S●詳〇・  

︵4︶ a◆a.〇..Bd.H●S・N血戸  

︵5︶ a.a・〇.−S●⊥昌◆  

︵6︶ a.a.〇・V Bd・声S・讐のf・  

︵7︶ 〇.く.Gierke−D・Pri志treCFt Bd・Hこ00声S・∽欝f・  

︵8︶ 福地・ザブィニーの法人理論・法と政治七巻畠の貫以下︑参照︒  

︵9︶ 同右・畠○頁以下参照︒   

︵10︶ 同右・缶N真参照︒  

︵11︶ 同右・一缶¢頁参照︒  

︵12︶ Tコepe︼︼ Staatsrechtu●PO−itikin⁝謬itr毒2N・au巴・箆・Recど亡・吉−ke岩eC貫Heft−︵−¢誓︶︶S・N∽YNit・naCh  

宅ilbe−m.a.a.〇..S.N∽.  

︵13︶ 福地・前出畠面責︒  

︵14︶ 前掲拙稿会○頁参照︒  

︵15︶ くg−.MittFei−ungen戸die宕rhand−ungen desrandsta拇S.S◆等ff・∵;∃f・こ詰∽﹀N彗∽︵前掲拙稿告の頁︶︒  

︵16︶ Saまgny︸ Systeヨdes Feutigen rαmiscFen Rechtひ忘溺de.Beユinこ00芦 なお英米法上ザビニィ法人論の検討は  

Frede−ick Ha≡s−COrpOrate PersOna−ity⁚AStudyinJurisprudence−LOndOn−黒岩−Pt一Ⅰ∵Cba廿.−.なお参照︑本  

間・英米法人論・経済理論53号関学10周年記念集所収︒  

㈲ ザピニィほmO邑i㌢henP2rSOnの概念を次の二点を根拠として却けた︒﹁第rに︑この概念ほ一般に︑何   

ドイツ株式会社法理成立過程における法人理論の意義︵二︶︑  ︵七八五︶ 六三   

(6)

\  

讐一手二巻 第六号 ︵七八六︶ 六四  

ら倫理的状態と何ら関連しない︵法人︶概念の本質に触れない故︒第二に︑この表現はむしろ︑個々人の問で非々  

ラリッシュな人の逆を表示するのに︑適しているので︑この名称により全く異種の億域へ考えがひきずりこまれる  

︵1︶  

故﹂︒   

さらに彼は︑法人の設定︵Statui2rung︶が財産関係と私法関係についてのみ意義をもち︑いかなる種類の組織か  

▲1こ が問題でありそしてその組織が公目的一・私目的のどちらを追求するのかはどうでもよい︑と認めた︒つまり彼にあ  

︵3︶ っては法人の概念ほ私法上の権利能力に関する側面だけを言い尽すものだった︒これは︑封建的公法に邪魔が入ら  

Tこ ぬようこの﹁琴こ継受を私法に限定七た彼の全体系の枠内でほ︑必然のことであった︒   

彼は法人の概念を彼以前の試み︵Dabe−OW−Heise一Dirksenなど︶を手がかりにローマ法にひきいれて解釈し︑  

そのことによってこの概念に理論・実務にとり不可欠の正統性を付与し︑こ︑の概念の叫般的普及をもたらした︒も  

で5︶ っともそのさい彼はローマ人がかような抽象物を知らなかったことを自認せざるをえなかった︒   

彼ほ法人の種類を︑法人が公・私いずれの目的を追求するかに従って︑区別することもしなかった︒こう区別し  

ていたら︑法人が︑御ほ封建的公法の原則により︑仙部ほ資本制的私法の原則により︑成立するといっ結論にな  

ったであろう︒それ故︑疲は別のただ組織形式だけに基く社団・財団の区別を選んだ︒そのさい教会法上の諸形態  

︵6︶  が夙に十分な歴史的例証を供しているように︑この区別に明確な限界が画せないことは︑彼も認めた︒ともかくか  

くして新しい株式会社を権利能力ある私法主体として苦労なく収容できる体系が築かれた︒さてしかし︑この法人  

なる法的地位獲得の国家許可維持の法的必然性を法人の概念から証明する必要があった︒これをしとげるため︑ザ  

ピ土イほ過去に遡って詳説しまたその点に彼の仝理論の核心が存した︒まず︑彼はD串︼︶N帖の有名な竜旬か  

らトピereditas甘遠忌‡首こざ貧富−∽ぎti冒unicipiumetdecuriaetsOCietasり﹀の語をひきだし︑それを根   

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(7)

拠にかような諸主体ほ擬制人︵fi昇ierte PersOn︶であると論結した︒実のところ︑この章句がインテルポラチオ  

︵7︶ されたものか否かの疑問ほ今なお未決定のままのようであり︑当時のローマ法研究水準からみて止むえなかったに  

︵$︶  せよ︑ザビニィほこの点の可能性を顧慮せずにこの章句を彼の全理論の基礎としたのであった︒   

ローマ人はpOp已us−COmmunitas∴ヨunicipiumリまcusゝ2Curiaもuria﹀C基egiumusOdal昔00﹀hereditas等が個  

々の私法関係について実際上人と同じに取扱われるべきであると言う以上に出たことがなく︑そのことに﹁擬制  

的﹂ 私法主体論を結びつけほしなかった︒ギールケがこの.限り正当に評するように︑︑﹁いぜんとして persOnae︑  ︵9 priくat宏■Singu−iの諸範疇が重なり各う﹂︒uni完rSitasやcOrpuSの概念も何むかかる抽象を内容としなかった︒  

亡ni完rSitasほ人または物の統十ないし総括という以外の意味ほなく︵ぎy.H.L晋y・BruEu AspectssOCi010giques  

dudr︒itこ欝㌢p・−Nゆ︶︑またこれは法律技術的表現として使われたのでなかった︒Ca邑sfe−dほ彼が参照できた  

かぎりの山切の法律的・非法禅的資料を歴史的に整序した後に結論して日く︑﹁諸古典ほ︑ゲマインデおよび他凱  

ケルペァシャフトを包括するuni詔邑tas概念を全く有しなかった︒古典ほまたこの語を公好上のコルポラチオン  

︵10︶  と私法上のコルポヲチオンいずれの表示にも使わなかった﹂︒また彼ほ︑この語がPer呂′enmeFrFeitの意味に用  

︵11︶ いられているような場合︑この語ほインテルポラチオされているとみなす︒cOrpuSの概念はただ現実の団体を表  

わすのみで︑何らその法的地位に触れる表現でほなかった︒その後の展開の中で初めてこの概念に技純的意義が添  

付されたのである︒   

ローマ人はこれらの概念で法的擬制でなく社会的現実を表現したのだった︒完全な公的団体の私法的側面は枝葉  

のこととして全く背後におしやられそして実際的必要に応じこれら公団体への訴権付与の点だけで人に類比して規  

制されたにすぎなかった︒﹁⁝⁝そこでこの点で後代の汝学者ほこれら団体をぎristisc訂﹀﹀Od.︷ざ○邑iscざ︶  

ドイツ株式会社法理成立過程における法人理論の意義︵二︶  ︵七八七︶ 六五   

(8)

第三十二準罪六号  ︵七八八︶ 六六  

︵12︶ Od・︵渚旨st−icbe PersOn﹀﹀と認める慣行になっていたと思いこんだようである﹂︒  

︵1B︶   しかもずビュイほこれら団体に﹁模造の︵kunst−ichヱ︑単なる擬制に由って認められた主体﹂をみいだした︒こ  

ノ   ︵‖︶  の擬制︑この概念がこれら団体にと′つて権利の擬制的担い手だった︒それから財団に′ついて彼ほさらに敷和して日  ︵柑︶ ︵16︶  く︑﹀ ﹁権利の真の主体ほまたも人として認められた概念︑すなわち目的︑である﹂︒観念的概念崇拝の一典型とい   

えるザビニイのこの理論は︑団体そのものほ法律行為を全く行いえない永遠の未成年者であるから︑未成年者・狂  

︵17︶  人と同じく代理人が要る︑と帰結された︒   

聞 この主体化された擬制ほザビニイにとって単なる妄想でほなかった︒それどころか彼の推論全般にとってこ  

︵18﹂ れを必要としたのである︒彼にあってほ人間の権利能力からして人間の﹁概念﹂に結びついた︒これに対しザビニ  

︵19︶  イの﹁観念的主体︵idea−200Subj2Ct︶﹂ほまず擬制に由って権利能力をもつのであり︑そしてかような擬制ほハ︿Priくat・ 

wi−−k旨rごが行えるのはでなく︑れ毒i−−e derhg訂teロGewa−t︶﹀のみにできることだった︒けだしまさにザビニイ  

の表現によれは実際は全然存在せずただ最高権力の意思にのみ実存する﹁模造的権利主体﹂を創成したのほ最高権  

︵20︶  力だからである︒この推論の帰結がつまり国家認許の必然性の﹁徹底した法律的な根拠﹂であった︒その後いかに  

多くの市民法学者がこの推論帰結に呪縛されたか︑そしてこの﹁帰結﹂を免がれるためにほ︑資本結合体にただ法  

人なる法雅式を放棄する以外何らこれに対抗することを知らなかったか︑ほ今日なお驚きに催しよう︒   

ザビニイはまださらに国家認許の必然性のための決定的な政治的根拠を有した︒しどぐ質呪に彼ほ当時の株式会  

社の国家認許是非に関する時論叱かかりあわず︑この問題を︑﹁COrpOratiOnenの可能的危険さほ一般の承認する  

︵21︶  所である﹂︑との簡潔な評言だけで︑無視した︒その点当時の市民層が常に指摘し貫いたのほ︑国家に詐欺的企業  

戚 排除のための専門知識が欠けている切に︑公衆ほ国家の許可を戎程度の保障とみよう改︑投機公衆に対する危険の   

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(9)

可能性ほ認許に由って減少するどころか却って増大しょう︑ということだった︒   

ザビニイほこの点を直接株式会社につ・いて検討せず︑ほるかに危険の少い財団を取上げ︑財周に国家認許が必要  

︵22︶  な所以を証明して︑株式会社については言わずもがなのように灰かした︒そのさい彼は願え出つつある社会主義者  

を指示して市民層の階級利益に/も訴えた︒みかけたところ無害な財団さえも﹁決して無条件に有益かつ考慮の要ら  

ないものでない︒戎豊かな財団が国家に危険な︑無宗教な︑非倫な教説︒書物の普及のために作られたとしても︑  

国ほこれを許容すべきか﹂︒﹁我らの時代にさようなことがありえないとほ詭も言わないであろう︒サン・レモン主  

︵28︶  養老の金持たちがいたとする︑その一人が彼の説の鼓吹のために大財団を作ろうと考え及ばない訳があろうか﹂︒  

︵26︶   ︵24︶   叙上のどLくずビニイほプロイセン国家が彼に期待した要請に﹁学問的﹂.方法で応えた︒彼のローマ法から﹁発  した﹂体系にほ古いものと並んで新しいものも収容された︒彼の理論は経済発展が必然化した株式会社を収容した  と同時に︑既成のもの就中絶対制プ法イセン国家の許可権維持を正当化した︒㌧﹂の点セまさに彼ほ彼の代表する歴  

︵25︶  史法学派の方法に二鼠して忠実だったのである︒   

仙八四二年ザビニイは新設の Miロisterium f旨GesetNgebungsreまsiOnを引受け︑翌年彼ほ四〇年刊行にかか  

る叙上の法人論に山八四三年株式会社法第八条でプロイセン国権に由る法文上の承認を得させ∵蕗ktiengeseus・  

chaften eユangen durch die−andesFerrisch Genehmiguロg die EigenscFaft juristischer PersOnen一und in・  

sbesOnderedasRecht一GrundstgkeundKapita−ienaufiFren2amenzuerwerbenundindasロypOthekenbuch  

eintragen zu−assenり 

︵1︶ a.a◆〇・一S・N∽∽ff■  

︵2︶ a.a.〇・S・N生・   

ドイツ株式会社法理成立過程における法人理論の意義︵二︶  ︵七八九︶ 六七   

(10)

\   ︵3︶ a.a.〇.u S.N∽のff・  ︵4︶ こう簡単に片づ骨てよいかが実ほザブイニィ法人論評価のポイントであるが︑この問題ほ彼の方法論の検討と合せて考え  

るべきであるから︑本稿では結論だけを掲げておく︒  

︵5︶ a︐a︐○︐︸S・Nた⁚  

︵6︶ a.a.〇.﹀S.思料f・  

︵7︶ くgL Raben HO−tNendOrff・只OEers Enzyk−Op註ie der Rechtswissemghaftu↓●AufL﹀Bd●−一Beユin−竺︳S.訟∽.  

Anm.∽いSchnOrr戸CarO−巴e−d﹀GescFichte der juristischen PersOn﹂.Bd.>M旨chen−欝∽.S.∽N f.   

︵8︶ そのさい彼ほhereditas iacen少も法人として認めざるをえなかった筈だが︑そうはしなかった︒またいわんやさらにロ  

ーマ人が人と同山祝したことの全くない sOCietas を法人として認める積りも彼にほなかった︒ともかく︑これらの点  

は︑彼の推論の多少ともの怒志さを示すものといえよう︒その点で少くとも論理的に﹂貫していたのほPa訂ekten﹀∽.  

Au芦︶N.Buch−Leipzig−∞缶−S.∽¢f.い Windscheid﹀Lebrb.d.PandektenrecFts−N.AufL.厨d﹂.D諾se−dOユ  

↑00彗﹀.S.ご㍗   

︵9︶ Gierkeu DasdeutscheG.・reCどーBd●呂⁝望eStaats占nd kOrpOratiOnS−eF蒜des A−tertums undMitteEtersu Berロn  

−00m戸S・誤・但しS∴声Anm・N−ひの議論ほ筋外れの独断で彼のドグマの正当化にしか役立たない︒彼の﹁個人主義的  

ローマ的団体概念﹂論議にも同じ批判を下せる︒くg−.CarO邑e声a.a.〇.1Bd.uS.N声  

︵10︶ ∽●a.〇.︸ S−提ff・   

︵n︶ a−a・〇こS●−定●  

︵12︶ RFeinfe亭苧DasWOrtぺP2rS昌ae−√BeibefteNurN註scbr●f賢rOmanischePhi−○−OgieuHeftヨ√HaHe−箆00︸S.−∽.  

︵13︶ a.a.〇.︸S・N∽P    第三十二巻 第六号  ︵七九〇︶ 六八  

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(11)

︵21︶ S・N詔−   

︵22︶ なお参照︑福地畠∽頁︒  

︵23︶ ebenda u.Anm.   

︵24︶ 福地畠∽頁以下参照︒  

︵鱒︶ ちなみに︑マルクス初期の労作﹁ヘーゲル法哲学批判序説﹂ぼ一八四四年に歴史法学派を﹁今日の低劣さ︵芝edertr賢btig・  

訂it︶ノを昨日の低劣さに由って合法化する学派﹂と鈍うった︵改造祉版全集仙巻四四二頁︶︒   

ドイツ株式会社法理成立過程における法人理論の意義︵二︶  ︵七九・こ 六九    ︵14︶もう周知のようにこの考えも日新tいものでなく︑per書aefictaなる法概念ほ明か竺三世紀イノセント四世下の教会  

法に始まるとされている︒例えばCf・JOぎDewey∵ヨ已−OSOphyandCi量izatiOn一N.Y.−誤−MppL∽N2−芦  

︵15︶ a︐a.〇..S.N怠.An芦b.  

︵16︶Di2deutsc訂IdeO−Ogi2㌦・∽00〇・⁝﹁言語払おいてほ一切の関係が概念としてしか表現できない︒この普遍性と概念が神  

秘的な九として通用するということほ︑これら普遍性と概念が表現する現実関係の独立化の必然な帰結である︒山般人の  

意識におけるこの通用の他にこの普遍性はなおまだ政治家と法律家の許で特殊な通用と発達を受ける︒彼らほ︑労励の分  

化に由りこれら諸概念の崇拝が唯山の頼りでありそして総ゆる現実の所有関係の真の基礎を生産関係にでなくこの概念崇  

拝紅見だすのである﹂︒   

︵17︶ a・a・〇・ⅦS・N∞Nf.福地・前掲恵薫風以下参照︒  

︵18︶ a・a.〇.u S.N.   

︵19︶ S・N謡.  

︵20︶ 福地・前掲畠∽頁︒S.N謡.  

(12)

二  

日 ドイツ市民階級がその固有の利益においてザビニイの理論の帰結を受諾できなかったのほ当然だった︒彼ら  

は︑既に一八一五年以来ドイツの統治権力が不本意ながらも市民階級の直接的物質的利益を考慮せざるをえなくな  

っていること︑また市民階級が必要とあらば政治的野望と引換えに商事立法に影響力を揮えること︑を知悉してい  

︵1︶  

た︒だから︑この方法ででも立法へ︑の影響力をかちとるためには︑﹁個個の場合すべてにおいて経済的事実ほ︑法  

︵2︶ 律形式で効力づけられるためには︑法的理由の形を執らねばならない﹂から︑︵半︶封建的法律観に市民階級ほ彼  

ら自身の法律観を対置させかつ法律的に理由づけねほならなかった︒彼らがこの法律的理由づけを反動側に委ねれ  

ば︑反動側ほこれを︑何とかできる限り古いものを保全・強化しかつ新しいものを妨げる好機として︑利用しょう  

︵但しそのさいも新しいものを単純に無視できずかつ経済的発展が考慮されざるをえないのほもちろんである︶︒  

市民階級の理論象にとっ︑てほ新しい法律の法律的理由づけは︑封建的桂楷から解放されるための︑新しい土台に逐  

︵3︶ 次その地固め妃必要な語形式を得さしめるための︑︵決定的でなくとも︶手段であった︒   

それ故︑市民階級の焦眉の任務ほ︑資本制的結合体の法律関係についでの半封建的法律観に彼ら独自の法律観を  

対崎させまた従ってザビニィの教説を粉砕することだった︒   

とてろが︑市民階級側法学者の反応ほ︑彼らがまず何よりもこの新しい法形式の断念に甘んじる︑ことを示し  

た︒彼らが自己の階級の要求を正当化するために︑何とか煩雑な出口を求め︑それが思弁的理論づけの方向に導く  

ことになったのほ︑ドイツ市民階級の政治的あきらめのイデオロギイ的表現の叫であったゆれども︑その方向がそ   

第三十二巻 第六号  

︵26︶ GeぞSammu−ung−∞金一S●∽たff.︵だ∽︶︐   ︵七九二︶ 七〇  

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(13)

の後のドイツ市民法学を完全に烙印づけることになった︒   

その後の法律観ほかの反動的教説の魔力に呪縛され︑市民法学者の殆どほザビニ小が彼の法人概念に押しこんだ  

内容で原則的に甘んじた︒しかし︑その実際的帰結︑株式会社の許可強制およびその他の国家後見︑を免かれるた  

め︑株式会社ほ法人でないという証明が企てられた︒もちろん株式会社制度の発展のために法人格の実質ほ二暦拡  

充されねはならないのたが︑名称上法人という法形式を放棄しようというのである︑︵福地・私法20骨相頁も指摘する  

︑   所︶︒この理論的不斉合さほまさにドイツ市民階級の政治的態度の不斉合さの反映といえ︑ザビニイの教説に正面  

からぶっかることを始めから諦めていた︒ 

ロ グクセンの法律家トライチケがザビニィの法人論公刊の翌年ザピー岬イ説に反応を示した行われたか︑彼は全  

くあっさり株式会社について法人なる法概念を斥けそして ー 彼自らがまだ出口を見つけられなかった故に靂株  

︵4︶  式会社の体系的整序一般を断念した︒彼の論述ほ株式会社法理の問題性の説明で始まるが︑そこにほ次の点が訴え  

られた︒株式会社の法律関係ほ﹁一般実証法︑即ちローマ法に仝ぺ無縁であり︑しかもその関係者たちに本質・  

法的意義・効果が末路すっかり明白でない非常に多くの事柄を含み︑そしてこれが組織的法体系を成す制度全体  

︹5︶  ︵gan2en Institute︶ 紅占むべき地位についてかなりの法曹を困惑させている﹂︒   

彼ほローマ人に法人の概念が未知だったことにザビニイの注意を促がしたが︑この﹁偉大な法学者﹂と刃窒父す  

へ6︶  ことを伴った︒同時に彼はこの﹁理念上﹂超時代的目的規定の附いたCOrpOratiOnという法観念を拒否しかつそれ  

に株式会社を単に共有者︵T2i−bab2r︶の利得目的に仕えるものとして対立させた︒それ故株式会社は単に︒Zu∽a苧  

︵7︶  ︵8︶  meロSCbi2SS2nくOn Kapita−︶﹀に由って始まりかつ社員の決議に基き当然に消滅せねばならなかった︒なお彼は︑  

Aktien慧§註ミり叫との名称から︑まさに理論上国家後見を免かれること周知な一種の SONiet警㌧が問題なのだ︑  

︵七九三︶ 七一   ドイツ株式会社法理成立過程における法人理論の意義︵二︶ 

(14)

′′   第三十二巻 璽ハ号  

︵七九四︶ 七二  

︵9︶  

と推論しようとした︒但し彼は︑﹁けれどもすぐに︑すべての共有者が当初から︑企業活動の指揮について持分を  

︵10︶ 有しない者よりも︑控え目であるという特有さ︑が明かになる﹂ことを認めざるをえなかった︒最後に彼が得た結  

論によれば︑まさにただ管理人︵ぎ邑2F2r︶の代理権能および払込済財産への責任限定が眼目たるにすぎぬ故︑  

﹁かの不分明な︑ただ疑惑と係争のきっかけとなるだけの定式︵私許T−1法人︶を避け︑そしてこ\の定式で意味さ  

︵11︶ れている筈の事柄をなおもっと明確な言葉で表わすのが得策であろう︒﹂   

この反応︑つまり法人格また従って株式会社の権利能力ならびにその法体系編入の理論的断念とそれを個別規定  

で実質上成就するLと︑ほトライチケのみの狐立した企てにす㌢ぬのでほなく︑それどころか︑六〇年代の法律観  

にも引継がれ︑ひいてほ現行ドイツ商法典にも痕跡を留めているのである︒この点ほ後に触れる︒   

臼一八四四年マルバッハほ︑株式会社ほ有限責任の故にsOCiet訝でもuni諾rSitasでもなく︑また法人でも  

︵12︶ なく︑権利主体たりえない︑ことを証明しようとした︒法人なる法形式ほ単に公法に屈するにすぎぬ︒私法︵即ち  

市民階級︶ほけっこう権利能力を放棄できよう︑ただ有限責任および︵彼が物権法的関係と解した︶その他の株式  

形式に結びつく法律関係だけが不可欠なのである︒彼ほそこで彼の物権法的Ges−訂訂ft説をフランス商法典およ  

︵13︶  

び封建法制を参照して正当化んようとした︒  

へ‖︶  ジョリイも自分の離合説を正当化すべくプラ/ンス法の模範に注意を促がした︒︑それにもかかわらず︑彼もまたザ  

ビニイ教説の桂楷を免かれるため︑名称上棟式会社の権利主体性を断念した︒﹁のみならず︑︵法人に代えて用い  

る−私註︶新成の権利主体を意味するのが何であるにせよ︑その故にこの権利主体が存在すると認められる唯一の  

原因たるこの権利主体の財産ほ︑この財産の収益が他の権利主体に流れこむにすぎない故に︑やはり事実上その権  

︵柑︶ 利主体のものでほない︒﹂ジョリイにとって株式会社は単に権利主体であり︑その他にもほやへまee詳rer周inheit3   

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(15)

︵16︶ ほ格別な法人にまで高められえないのであった︒この点で既に後年のイエージング説の下地がみられる︒  

︵17︶   フヵクトも法人なる法概念を却けた︒彼ほ株式制皮によって惹起された変革を説明した後に︑株式会社は︑  

j旨stischeOd・mO邑isc膚Per筈ロのような国家関係に結びついた客観的倫理目的をもたないけれども︑やほりた  

とえ単なる私的利得に仕えるにせよなおかつ正義の命令である﹂こと凌確認した︒彼はこの正義をただしく経済的  

事実から解明した﹁才智喚発な経済学者の次の言葉︵L.ヂStein−System骨rStaatswissenschaftVBdトStuttgart  

−吉相・S・全山︶に我らは同意する︒A株式会社ほもう資本の保有︵Besitzan′只apit苫en︶が生業︵Erwerb︶か  

ら分離されている所にのみ現われる︒株式会社ほ大半の世帯︵dieMasseder WirthscFaften︶がまだ自分の自己  

ヽヽヽヽヽヽヽヽ・ヽヽヽヽヽ 資本を自分自身の事業に使用する所でほ︑決して生じない︒株式会社ほ過剰資本の共同体︵傍点ほ筆者による︶ま  

ヽヽヽヽヽヽ  た従って大朝の資本獲得ずみの印︵dieGemeinschaftde?ぎersc嘗ssesderKapita−ienunddamitein Neic訂n  

プロイセンでほこの国家の睡格に対応したザビニイの教説が一八四三年プロイセン痕初の一般株式会社法に法典   ▲炒  

grOSSer芸註亀式竃§g箋顎只apita−erw2rbun笥n︶である∀︒しかもまさしくこの条件が事実存在しかつ株式会  

︵摘︶  社ほ現下の現実的需要となったと思える﹂︒   

しかし披もまたいかなる法形式が株式会社に適するかを規定する因離にぶつかった⁚﹁我らは株式会社が経済的な  

らぴに法的需要である条件を挙 

︵19︶ 恰好︵wiuk旨r−icherMiss的eSta−t︶にして行う以外ほ不可能である﹂︒   

相 当時の文献からの以上の引用だけでももう十分に︑いかに当時のド 

人観に率直に反映していたが︑明かである︒次にての法律勧がまたいか堅五温に影轡したかをみよう︒  

化されたことは既述した︒この状況ほ一八五七年もう市民的法律観が通用したしたこふールソベルグの仙般ドイツ  

ドイツ株式会社法理成立過程に串ける法人理論の意義︵二︶  ︵七九五︶ 七三   

好鱒  

(16)

同審議会でHande−sg2S2−−schaf−−般を法人己て認めようと欲した壷の委員に反対して︑次のような論議が  

もちだされた︒﹁法人なるものが考えだされたもの︵21wasGedacb−2S︶であるから︑単なる観念物︵Gedankend・  

i邑が人にしつちえられることになる﹂\が合名会社でほそれを構成する人々の個性ほ決して無視されなかろう﹂︒  

﹁取引生活の利益ほ必ずしもこの原理の制定法化を要求してなかろう﹂︒﹁生活に促がされた商事会社の個産︵商 ヽヽヽヽ  

号︑商業帳簿︑聴別財産など︶ほかなりよく個々の社員の権利・人格の存続と調和できていよう﹂︒﹁SOCiet聖∵につ  

魚W いて存する諸原則ほ商事会社の法的判備に十分間に合おう﹂︒これ紅反し法人という例外ほ︑﹁今のところ決してす  

︵20︶ っかり見渡せずまた往々商業界が尻込みするような効果﹂を結果しよう︒   

これで分るように︑市民的法億観ほなお相変らず法人なる法形式をザピニィ的考え方に呪縛されたままに考えて   いた︒市民階級の当時の法律観ほこの法形式の絶対制的要素をひきずっており︑また︑その故分相応に︑フランス  

︵飢︶ と対照的に︑できるだけー形式J−法人なる形式を断念し妥協に甘んじた︒かような当時の妥協的解決が﹁自  

己の商号の下に︵unt2rihr2rFirma︶﹂という今なおドイツ商法に保持される公式化であり︑この点から生じる欠  

●−.ニ.■︑吊ご 欽を填め貴く動員されたのが総有理論であった︵G2∽かーローband笥2−−scFaf−こご八六五年表ドイツ商法典の命  

名にかかるOff2n2Hand2−00g2邑schaf−︵○宗︶の名称そのものからしてこの妥協を匂わしたものである︒  

株式会社についてのこふールソベルグ審議会でも︑この法人格を株式会社に付与せざるをえないと意見を出した ︵23︶ 警貝はごく僅かだった︒株式会社に︑完全に合名会社から層別しっつも︑法人格を承認する意図ほ表になかっ ︵24ノ  

た︒  

−1ぅした中途半端な法律観は諸テント法にも見られ︑株式会社は法人とも権利能力ありとも示されず︑法人格の  

第三十二巻 第六号  

商法典︵ADH︶審議会でも変らなかった︒   ︵七九六︶ 七四  

/   

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(17)

実質は個別規定に由って枠づけられた︒この法律遺産紘新商法典︵胃GB︶ にも︑株式会社の権利主体性についてほ  

︵25︶  明瞭だったにせよ︑継承された︒︑山九三七年株式法で始めて株式会社の法人格が明文で定められた︒   

国 ザビニィの理論体系に積槌的に独白の法人論体系を対決させようとした最も有名なまた殆ど唯一の市民的法  

︵26︶  学者ほダルマニストの開祖ベーゼラアであった︒披は法人をCOrpOratiOnlStiftung・類似施設︑CO︼−egieに分け︑  

さらにCOrpOratiOnをGemeindeとGenOSSenSChaftに下分した︒G溜OSSenSChaftほさらに︑直接政治的意義  

のあるそれ︵例︑ドイツ同盟︑関税同盟︶︑地主などのそれ︑商業・営業のためのそれ︑と分けられた︒しかも商  

業︑営業のための団体ほなお︑−nnun的︵ツソフト︶ と﹁通常ほ株式会社として現われる大工・商企業﹂ に分けら  

れた︒最後に彼はなお若干の団体種類の列挙の末尾に上級員族の家門を持ってきた︒こシいう次第で彼ほ資本制団  

体を封建的組織体系に有機的に収容したのであるが︑そのさい法人なる上級概念を資本制前の団体に接木しなが  

ら︑破はこの分類法に何の理由づけも加え庵かった︒ 

な法律観に照応した︒さてしかし︑彼がこの方法を何に利用したかほ団体成立論において示される︒  

︵27︶   まず彼ほ︑﹁中世法生活の豊かな多様催﹂のうらでも団体ほとりわけごく多様な態様で成立しかつ決してその実  

在に必ずしも国家権力の作用を必要としなかった︑ことを示した︒次いでこの点から彼ほ近代的団体のための論結  

をひきたし︑そして近代団体において﹁歴史発展のしじまの裡にも集中的活功を伴って潜むところの︑形成力を具  

えた結合精神︵AssOCiatiOロSgeist︶﹂ が立ら現われそして﹁意識的取引 ︵Hande−n︶およびこれを通して団体﹂を  

誘発す︵撃と説いた︒団体ほ司法行為は由って設定︵s−a−uieren︶され︑その司法行為において各個人に儲体成  

︵29ノ 立の旨望且告が与えられ鷲   

彼ほさらにザビニイの擬制説に反対する自分の意図を弁護して日く︑団体ほ擬制でなく︑それどころかまさにそ  

ドイツ株式会社法理成立過程における法人理論の意義︵二︶ ︵七九七︶ 七五  

︑   

(18)

警手惑第六号  

︵七九八︶ 七六  

の秩序ある全体の中に︵民法上の財産能力を含んた︶人格が存する︑と︒﹁しかもさらに法律的なものとして表示  

されてよいかような人格が︑国儀意思を通してしか成立できないとい㌢﹂とは︑ゲルマン民族の歴史と法生活に由  

︵30︶ って否定されるp2titiOprincipii紅すぎない﹂︒  

それからほ彼ほザビニイに全く正当な非難を加えて日く︑国家認許の必然性のゲYニイ自称の﹁洞徹せる根拠﹂ ︵封︶ ほ実のころ単に政治的根拠にすぎずそして我身を屈して政治の領域に立■った論証をしたのだ︑と︒また最後に彼ほ  

何が市民層に肝心なのかを述べて日く︑﹁ドイツにかくも過剰な国権に由る自由な市民の後見と逆に︑より高次の  

全体の利益が公益︵zuma吉emeimen遍esten︶に迫られてそう要求する場合にしか︑国家が個人の用件に関与せ  

ずかつ個人の自由な活動を認許と監督に由って制限しないことが国の政策のまた健全な法律学の原則に固持されね ︵82︶  

ばならない﹂と︒このばあい彼は﹁より高次な全体の利益﹂や﹁公益﹂を市民階級の立場から理解しており︑国家  

︵33︶ はただ市民階級の全体利益の保護を任務とするだけだった︒  

詐欺企業の危険は結局国家の後見で殆ど阻止できず︑少くともかような後見は長所よりももたらす害の方が大き   いとして︑﹁結局︑この場合にも各人が自分の利益を最も展く配慮するのが常であるという原理が︑ここでも確証   されよう︒そしてとりわけ人民裁判所と自由な報道にその機関を見出す有用な公生活が存するところでほ︑人民自   一︑  

らもすでに一般的に監督を行うことを知るであろう︒国家ほただ実際の詐欺ペテン師に確固たる処罰を加えるに適  

︵34︶ 当な刑法を通してのみ配慮すべきである︒   

ベーゼラアが決して市民革命派でなかったことほ彼のフランクフルト国民議会での言動によく示されている︑と ︵ 

35︶   いわれる︒彼を代表者とする当隙のロマン主義的ダルマニ︑ストほ︑政治的に全く不毛な形に終ったドイツ市民階級  

の政治的反抗期︵ス四ひ〜四八︶における市民階級のイデオギロイを反映したご﹂の代弁者ほ封建イデオロギイ   

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(19)

の助けで市民的関係を正当化するため封建グルマン法の衣をまとった︒他方で︑絶対制の代弁者ほローマ法︑即ち  

本質上反封建法︑の衣をまとって古さを正当化するのに努めた︒ゲ 

︵鋼︶  ●ギールケの父プロイセン農相ユリクスにらいて嘲けったところであった︒   

この歴史法学派のプル‡言卜分派とロマニスト分派ほ新旧両方向に交換的役割を演じた訳であり︑両方向と  

︵訂︶  も︑﹁旧体制が老い朽ち破産し︑放棄されざるをえないこと﹂について彼らが同意していた点と他方で彼らが革命  

一︵88︶ を拒否しきった点で︑共通した︒ロマニストとゲルマニストの対立が所詮イデオロギイ的に八百長論争でしかあり  

えなかったのほ︑妥協好きのブルジョワジィとブルジョア化し尭封建貴族の間の関係の法理論的表現でしかなかっ  

︵39︶  たからである︒   

閑 寂上の粗雑なスケッチで登竺八四八年寄命頃の株式会社史に必要な限りの法人論史検討を了える︒生産力  

発展に条件づけられた新しい経済的事実が伝来の法体系と矛盾し︑法理論は経済的必要に条件づけられた株式会  

社の法形式をドイツ絶対別法体系に調和させる問題に直面していた︒この問題こそ法人学説の現実的機縁の∵だっ  

た︒ノしかし個個の法学者がこの新しい所有型式を法体系に適応ぎせる試みは所詮その階級性に制約されたから︑株  

式会社の設立・存立の前提要件たる許可強制の問題が対決の要となった︒このこと−−1Lまた擬制説と許可主義の仙  

体性−はドイツ的後進性に宰又られた絶対制枠内での政治権力のありかと未だ弱少な経済発展の担い手との問の  

対抗関係を反映するものだった︒   

以上の点の実証が幾分でも成功していたら幸いである︒論文の体裁としてほ旧ドイツ商法典成立を中心とする一  

八六〇年代迄進みたかったが︑次回に譲る︒  

︵1︶ M.−E.V Re召−utiOn u.只Onterreく﹂n U2ut買F﹀S・Nひf・   

ドイツ株式会社法理成立過程における法人理論の意義︵二︶  ︵七九九︶ 七七   

(20)

︵3︶ マルキストたらずとも∴例え慄︑G・Rip2r−ゝspec−s百id誉2∽ducapi−a=smeヨOd2rneuN・芦−望洋chap.−も強調  

する所︒  ︵4︶ Treitsc冥e︶Einig2﹃rag芦AktiengesescFaftenbetreffend﹀inNeitschr﹂.deutschesRechtu.deutsche村echt.  

Wiss.︸Bd.′∽︸−00た一S.いN−ff.   

︵5︶ a.a.〇こ S.∽NP  

︵6︶ a.a.〇.﹀ S.∽びひff.  

︵7︶ a.a.〇.﹀ S.∽N可.  ︵8︶ ザビ一㌦ィの擬制説ほ法人消滅にも国家認許を要無した︒Saまgny㌫.a.〇.V S.N声  

︵9︶R2na鼻Da∽R2Chtd2rAct12ngeSe=schaf−芦S・−鮮隕⁝﹁このようにしてトライチケほそこでSOCle−許なる法的怪  

物︑即ち実ほ法人の資格をもつ債務関係︑の認容に立ち至った⁝:﹂︒  

︵10︶ a.a.〇こ S.∽N↓.  

︵11︶ a.a.〇こ S.璧岩.  ︵12︶ F・A・MarbacF EinW邑旨erdenRcb−scbarak−erd21Ak−i2ngeSe=scbaften﹀LeipNi∞−00岸S.:㍗−−﹂∞ff.  

︵13︶ a.a.〇こ S.篭ff.  

︵14︶ <gL Renaud.a.a.〇.YS.−∽A.  ︵哲J︒y︸D・兄ech:・AkIiengese−−schaftenin2﹂.deut邑esR∵u.deutscbeRecFts宅issこBd﹂−.S.ひ寧  

︵16︶a.a.〇こS.いNP  ︵17︶G亡SS−=10g−・2ur→heOr㌃derHande−品eSe=sch已訂n∵nsbesOnder2derAktienge邑schaften∵nNHR.Bd.IV    第三十二巻 第六号  

︵2︶   ︵八〇〇︶ 七八  

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(21)

Erlaロgen−00∽00﹀S.彗↓.   

︵18︶ a.a.〇: S.∽N研.  

︵19︶ a・a.〇.−S.念∞.  

︵20︶ 窟︼・l・LutN︶PrOtOkOHeNurBeratung eineひAgemeinenDeutsc訂nHande−品eSetZbucFe∽﹀1.Tei−﹀W賢Nbu蒜   

−党葬S﹂∽:f・なおこの寄議会で目立つことほ市民階級の利益のほっきりした重視と同時に政府側へⅥ譲歩が不断に射  

線ざれていた点であるっ  

︵21︶ 磨−.J.ヂGierke∵許nde−乳ec≡∵u.ScEffahrtsrecざ野Auf−.−誤00一S∵忘牢  

︵22︶ くg−・J︐ヨGi鳶ke︸a.a●〇.S.−宗f.   

︵23︶ Lut2J PrOtOkOe.Bd.目−′S.岩のり.  

︵24︶ a・a▼○こSJO会ル   

︵25︶ ちなみに︑現行株式法と同旨に山九五八年改正参照草案一条⁝﹁株式会社ほ自己の法人格および株式に分散された資本を  

具えた会社である︒そしてその義務につき債権者紅会社財産だけが茸を負う﹂︒磨−.1.く.GierkeinNHR.こNN.Bd﹂.  

Heft.S.ド   

︵26︶ くgL Bese−er.く○−k実eCht und luri盟enrecht﹀LeipNi喝−00缶︸S.−2ff.  

︵27︶ a・a・〇.u S﹂コ⁚   

︵賀︶ a◆a.〇.﹀ S.−↓N.  

︵29︶ a・a●○: S﹂コ●  

︵30︶ a.a.〇.−S−−3.  

︵31︶ a.a.〇こ S.−讃.   

ドイツ株式会社法理成立過程における法人理論の意義︵二︶  ︵八〇こ 七九   

(22)

︵33︶ 彼とザピー㌦ィの階級的利益ほ次の劇点で一致した︒﹁破壊的傾向あるくereinほ決して法的存在を保ってほならない﹂と  

か﹁直接に政治的意義を主張する団体は国権の協力なしにほ創立されえない︒くg1.a.a.〇.W S.−ヨf.   

︵34︶ a・a●○こ S・−苦.   

︵35︶ POSCh.S.空.   

︵36︶ M.・E.u Die Reく○−亡tiOn吉n−∞あこ誤∽︸S◆−↓N⁝﹁⁝⁝そしてこの不幸な大臣ほ︑彼が苦心惨胆LehnreFt︵釆邑法︶  

に近代民法的ど託宣を発させ︑山二世紀の封建領主蔽二九世紀・のブルジョアと同じ思考・判断を行わせながら︑ただ副般  

的上機嫌さをみせかけるにすぎない︒﹂a.a.〇こ笹−謡⁝﹁実さい︑ギールケ氏はかくも惨めな結果を得るためにそんな重  

罪を犯したけれども︑苦労した偲打があったろうか﹂︒  

︵37︶ M㍉E.︸Re召−utiOn u.只Onterre戸inDこS・当・  

︵38︶ ルカーチがドイツのロマン主義者について端的に銘打った次の言共は歴史法学全般にも当てはまる い﹁されば彼らほ資本  

制以前の社会秩序の再建に努めるのでなく︑封建退制をA組織的Wに受容・保存する政治的・社会的反動資本主義に努め  

る﹂︒G.Lukacs.︑FOrtSCFritt und ReaktiOn in der︑de亡tSCFen Literatur.溺er−in−澄↓﹀S.ひ㌢   

︵39︶ Pau−只OSCFaker︐EurOpa und dasrαmiscFe RecFt■M旨cFen由eユin−澄↓.S・−ひN⁝﹁⁚・・仙八四六︑四七年にフラン  

ダフルト・アム・マインとリモヘックで開かれたゲルマニスト会議に︑若干のロマニストも︑被告としてでなく︑招待さ  

これほ二ダースのドイツ教授連  れた︒継受についてまた普通法および普通ドイツ私法の概念について討議されたが︑ 

の決議笹格別適すること疑いない題目だった︒事態ほまさにこっけい至極たらんばかりだった︒この教授連の口論が劇  

般に雷きをなしえたことは当時のドイツの状態の狭除・国師さをよく特長づけている﹂︒しかもこの教授連の口論が翌年  

フランクフルト国会の討議の対象となった︒M.・Eこ沖eく.亡.只Onterreヨin■DこS.詔⁝﹁この討議ほ全然実際的成果なし    第三十二巷 第六ロマ  

︵32︶ a.a.〇.﹀S●−謡亡﹂ヨ.   ︵八〇二︶ 八〇  

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(23)

に終った︒その論議はただ鳩代後れの哲学・法律諸学派の陣腐な常馨語な反射したにすぎなかったから︑理論的価値すら  

なかった﹂︒  

三   

︵1︶   小八六〇年代迄擬制説ほ通説たり蔵けたが︑五〇年代迄ザビニイの理論が殆どそのまま尊重されたのに射し︑や  

がて注目されだしたプフタのより徹底的な擬制説ほ︑その封建的内容にもかかわらず︑許可制魔の積極的な理論的  

正当化を含んでなかった故に︑かなり市民層の階級的利益に応えるものだった︒だから︑たとえば亡ngerほ封建  

︵2︶  的許可制度を攻撃するさいプフグを手がかりとした︒   

プフタほザピニイの擬制説な更に仕上げたが︑本質的に新しい考えは別に盛込まれなかった︒ただ彼を評価すべ  

き点ほ︑同じく概念崇拝に囚われていたにせよ︑彼がザビニイより理論的に徹底していたことで︑そのさい彼ほザ  

ビュイの﹁証明手続﹂の鎖凌ひきちぎり︑ザビュイの叙述の不合理を理論的に追いつめるのを辞さなかった︒ザビ  

ュイが擬制説から︵まさに彼の全理論の橡心たる︶許可主義を導出したのに対し︑プクタほ﹁自然人の成立のさい  

に︑新しい人間ごとに出生がまず届出られかつその者の人間たることの当局の告示を請願するのが︑本来自明であ  

︵3︶ る︑と観念弟る﹂のと同じ誤まりをこの説が犯していると批判した︒   

しかし︑プフタほ封建的法律観に屈服して理論の実際的一貫性を欠き︑︑劇切のPri表tkOrpOrStiOnen につきザ  

︵4︶  ビニイに倣い︵しかも理論的根拠づけなしに︶許可制度を固執したから︑右の批判も四〇年代ヰは顧りみられない  

ままだった︒   

プブタほ︑ザビニイの許可制度必然理論を実質上粉粋しさった故に︑市民的法律観の出発点となった︒プアタの  

ドイツ株式会社法理成立過程における法人理論の意義︵二︶  ︵八〇三︶ 八劇   

(24)

︵八〇四︶ 八二  軍三十二拳 第六号  

死後彼の全集を編集したRudOrffは︑もほや無意義なプフタによる理由づけのない許可制度の正当性主張を削除   

︵5こ した︒  

︵6ノ   さらにプフタは若干の現実と矛盾するまた従って維持できぬ封建的原則を擬制説から放逐した︒   

プフタの学説はそ跡後のあらゆる理論的究明にとってもうーつの利便を供した︒というのほ︑プフタの理論には  

概念的概念崇拝がザビニイよりも露わにその矛盾さを表明し︑プフタの擬制説の不合理を論破するのほたやすかっ  

た︑からである︒たとえば︑彼のパンデクテンの二貝だけからみても︑﹁概念﹂︑﹁社団﹂︑﹁財産﹂︑﹁全体﹂︑  

︵7︶  ﹁目的﹂等が法人の主体に挙げられていた︒この矛盾さほザビニイに比べて目新しくほなくとも︑プフタほより公  

ヽヽヽヽヽヽヽ 然かつぶざまに表明していた︒別の例を挙げれは︑﹁社団が法人の主体である︵h小COrpOratiOnSreChte3な看する︶  

ヽヽ ︵8︶  ヽヽ  ヽヽヽ  投合は興る︒このばあい社団の権利・義務の主体は全体︑即ち法人である ′⁚﹂という公式化︒   

この点に関連して︑プフタの説明から法人概念の観念的内容を取出すことも意義があろう︒彼は日く︑﹁法ほす  

なわち決して人間以外の有体物に人格を付与する程の度外れでほない⁝⁝それ散不可視物のみが︑概念のみが︑も  

う一つの人格主体として扱かわれる︑またその各場合に応じた人間との同仙づけは決して倫理感を傷つけない︒こ  

の人においては単に人格だけでなく人格の主体も法に由って与えられる︒主体そのものも何ら自然的定在でない︒  

︵9︶  ︑︑ またその故にこの人は自然人と対比して︑法人とよはれる﹂︒   

つまりこの概念ほ︑かく表示された組織が単に観念的︑単に法律的︑実在をもつにすぎない︑ことを表現すを訳  

である︒だから︑ザピニイが彼の擬制説をこの概念に結びつけかつそれに山般的通用をもたらしたのも︑偶然でほ  

なかった︒けだしこの概念ほまさに擬制説に合せて仕立てられたからである︒   

後に述べるような六〇年代のめざましい株式会社の発展ほこの全く観念的な概念但界の不負正さを明白化する仙   

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(25)

方だった︒プフタによれば︑人格に相当するのほ人間のみであるのが原則であって︑法人ほ単にその ﹁原則の例  

︵10︶  外﹂にすぎず︑その例外ほ﹁一定の状態で存する必要性に由って﹂惹起されたのであった︒当時の法学者にもかよ  

うな法人概念にもほや満足できないとする見解が増大し︑擬制的法人概念は周知のとおり様々にからかわれだすの  

■︑  であるが︑この点の本格的説明ほ次稿に譲る︒   

それでもヴイントレヤイトはなお慈悲洗く擬制説を守りその故後の有名な代表者とみなされた︒しかし彼の論述  

から分るように︑彼はただ﹁感情的﹂理由からこの説を固持しただけで︑その正当性を確信していたのではなかっ  

た︒かなり優柔に彼は日く︑﹁山方でこうも言えるしまた言わざるをえない︑つまり⁝・⁚主体山般との結びつきな  

しに権利◎義務が存在すると︒たがこの把握ほ自然の︑人間性に貴かれる人格の深遠な特質に根ざす感情に反す  

る︒こめ感情はこのほあいも権利︒義務について担い手の主体な求めそしてこの主体を︵少くとも通常︶横道の︑  

︵12︶  思考作用に由って得られた︑表象された人に見出す﹂︒また他の箇所で日く︑﹁財産主体はその外部の何か別者︵私   

註 − 会社内部の個人︶︑彼らの全体︑彼らに代る単二有である︑ − 財産が無主体で存立するという結果にな  

︵柑︶  ると言いたくなければ﹂︒   

独創的観念を実らせないかつ法政策的な論究を嫌うブイソトシャイトはかく擬制説︒目的財産説 の間で動揺しぬ  

き︑そして彼のなお代表する教説がもほや正当づけられないことを余りにもほっきり感じとっていたのである︒  

一︶   当時のブルジョワジイの典型的代表者だった彼ほ封建的法律鶴に対する戦を一切避けた︒けれども擬制説ほ彼に  

あってほ究局的にその封建的内容を喪い︑またそれと共にその実用的機能も失った︒擬制説軋彼にあってほもはや  

へ柑︶  空袋にすぎなかった︒  

︵1︶ Hn河ecぎs−e諷kOn旨r Juristen aer teutschen Staaten一hrg●吉n Weiske.Bd−肖﹀Leipzig−∞きーS.芸.  

ドイツ株式会社法理成立過程蔽おける法人理論の意義︵二︶  ︵八〇五︶ 八三   

(26)

︵2︶a.a・〇こS・∃・  

︵3︶Saぎw草野mer旨genNurle雷e喜d2r首s−1scb2nP2rS声12−pNig−軍S・買Anm・還ザビュイープ  

フタ説が相変らず支配しかつ支配し続けると認め︑﹁これ富心い過しだという人ほ︑ベーゼラアの民族淡からブィソトシ   ャイトのパンデクテン中の説明に至る迄採掘された法人なる法概念の展開むすっかり読んでどらん︒そうすれは︑かの理   

論が攻撃不能の基礎として尊重されかつこれを去ロとして始警手引きされたややこしい琴論構成が得られる点の姦ぶ  

りにびっくりすることだろう﹂︒  

︵4︶已nger●2urleF彗10ndenjurls−1scFenPersOnen∵n賢ische若rscFaud2rd2utSCh2nGesetNgebungund  

RecFtswi設enSC旨f︶監.≦﹀M旨ch2n−00芦S・−烏︑f・  

︵5︶・季ぎユesung2n旨rdas訂u−1ger旨scFeRecE∵ヨ岩G・句〃憎ゴcFta︼の・AuI−・盲﹂盲gP⁝RudOr芦Leipzim   

−00声S.ご.そこに日く︑﹁この見解ほ全く根拠がない︒この見解ほ︑国権を万事に干渉させそして自由な法的活動をな  

るだけ妨げるという︑近年の惑習から生じたにすぎない﹂︒  

︵6︶たとえば︑法人の消滅のさいその財産ほbOnum喜anSとして国家に帰属せねばならぬとの原則︒  

︵7︶ Pandekten∽・Auf−・︸苧BucFS・芦  

︵8︶ a●a●○こS・当・  

︵9︶InRech邑e︶=﹂uris−enau2r−eu−邑2n・SIaatan這d・声S・宗f・Pandekten︼S・芦  

︵10︶ Pandekten︐S・芦  

︵11︶ ﹁案山子﹂︵翠nN︶﹁法律的お化け﹂・﹁筆舌に尽せぬ怪物﹂︵Brack2nbOef−︶︑﹁民事案山子﹂︵Sa−kOWSki︶︑厚紙作り  

の立体幾何的大男︵D2莞−ius︶など︒  

︵望Wlndsc露dulehrFd・2andek−enrec冨VN・Auf−こBd﹂二宮盃2rdOr=∞芦S﹂−買    第三十二巻 滞六号   ︵八〇六︶ 八四  

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(27)

︵13︶ a.a.〇こ S・−∽¢An芦∽●   

︵14︶ 彼ほビスマルクとザビュィの大崇拝者だった︒  

︵15︶ ﹁法人は現実に存在せぬ︑単に観念された人である﹂︑a−a.〇こ良Auf−.︸Bd﹂こ00謡VS・−会・﹁それ故法人に人格化さ  

擬制説が︑法律関係の帰属  れたもの︑その基盤︑その実質ほ︑その本質転とって規定的たりえない﹂a・a・〇.﹀SL声  

点を表わす純技術概念として通用する今日的法人概念の出発点となったことを考慮して︑擬制説の功罪を論じるのはH・  

Leh望ann﹀ GeseschaftsrecFt.N.Auf−.−富津 SS.NL ff.  

ドイツ株式会社法理成立過程における法人理論の意義︵二︶  ︵八〇七︶ 八五   

参照

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