Walking ‑ S t i c k
考神 部 晴 子 *
A S t u d y on t h e Walking ‑S t i c k
Haruko Kambe
要 旨 現在では歩行用の補助として使われているステッキは,
2 0
世紀初頭までは男性の大切なアク セサリーの一つであった。歴史の上では,王や支配者が持つステッキと呼ばれたが,アクセサリーとし て流行するのは,1 7
世紀頃からである。剣
( s w o r d )
と同時にステッキを持つことが紳士としての重要な装いの一つであった1 7
世紀から1 8
世 紀初頭には,先端に金や象牙, トルコ石などを付けた大変高価なものが愛用された。1 8
世紀初頭に,帯 剣が禁止された結果,ステッキの普及,流行が際立ってくる。装飾品としてだけではなく,剣の代用品 としてステッキが持たれたからである。また一時期,医師が疫病除けとして持ち歩いたり,男性だけで なく女性にも携えられた。1 9
世紀は最もステッキが多様化した時代であり,ステッキを見れば,その人の精神がわかると言った のはパルザックである。そして,2 0
世紀初頭には,ある雑誌で,ステッキはファッションの恩人とまで 評された。ステッキには,男性が本能的に持つ一種の決闘意識が内在してきたと考えられるが,ファッションとしても重要な役割をもってきたのである。
は じ め に
ファッションプレ}トを見る時,男性が小粋 なステッキを手にしている姿が目に留まる。文 献によると,それは特に,
1 7
,1 8
世紀に流行が 始まっている1)。そして,男性問では今世紀に 至るまで,しばしば,服装の大事なアクセサリ ーのーっとして用いられている。一体,装いと してのステッキには,どんな意味が隠されてい るのであろうか。日本語のステッキは,英語のスティック
( s
白' c k
杖)から転じた語で,正しくは,ウォーキング・ス テ ィ ッ ク (
w a l k i n g ‑ s t i c k )
である。本稿では,英語読みに統一し,以降
w a l k i n g ‑ s t i c k
と表記 する。w a l k i n g ‑ s t i c k
は,しばしばケーン( c a n e )
と呼ばれることもある。
cane
とは,I
篠製のス テ ッ キ , 軽 い 細 身 の ス テ ッ キ 」 の こ と で2),w a l k i n g ‑ s t i c k
としても使用されたことからそう 呼ばれる。w a l k i n g ‑ s t i c k
は,仏語では,カンヌ*本学助手服装史学
( 3 3 )
( c a n n e )
。語源を辿ると,1 3
世紀,ラテン語のc a n a
(葦,管)に遡る3)。walking‑stick
と呼ばれる以前は,s t i c k
,s t a f f
という言葉があった。それは,支配者であることや身分の高いことを示す印であったが,
w a l k i n g ‑ s t i c k
とは別のものである。しかし,一 般に概説書で、はw a l k i n g ‑ s t i c k
の前身として考え られている。本稿では,それらをw a l k i n g ‑ s t i c k
前史として取り扱った。第
1
章walking‑stick
前史フォン・ベーンは,著書『装飾品.1
(Ornam‑
e n t s )
4)の中で,また,レスターとオアークは 共著『衣服の装飾品.1( A c c e s s o r i e s o f D r e s s )
5)の中で,
w a l k i n g ‑ s t i c k
の歴史について以下のよ うにとらえている。すなわち,古代エジプトで は,高身分の人達によって保持たれていたとさ れる装飾された持ち手(把手)のあるものや,先端に袋などを吊り下げるための木釘が付いた 長さ 3~6 フィート(約 90cm ~
1 8 3 c m )
のs t i c k
が多く発見されている。また,ツタンカーメン 玉の墓の発掘品の中にも数多くの杖 ( s t i c k ) が発見されており,その中には非常に珍しい製 作品として,それぞれの持ち手に動物の姿が,
一方は黒檀,もう一方は象牙で浮き彫りにされ ていたものがあった。この他,金製のものなど も見つかっている
6)。このように,彼らは象徴 的な杖 ( s t a 妊)を携えることによって支配者で あることを表現した。古代ギリシアでも,同様 に,杖は高貴の象徴であった。これは,ギリシ ア神話の中に杖を持った神が幾っか描かれてい ることによっても明らかである。神話の中では,
第と鷲とともに見られるゼウス,三又の槍を携 えるポセイドン,先端に輪,あるいは 2 匹の蛇 のついた杖を持つヘルメスといった神々が表現 されている
7)。中世では,聖職者が棒 ( s t a f f ) を携えており,それはまさしく,身分や力の象 徴であった。この他,審判者や役人も官職の象 徴として棒を携える一方,巡礼者や牧師,農夫 は臼常の備品として杖 ( s t i c k あるいは s t a f f ) を 携えたことも触れている
8)。
1 1 世紀には,フランスの女性の一部に w a l k i n g
も
t i c k が現れた。それらはリンゴの木で制作さ れ,先端は装飾されていた。そして, 1 5 世紀末 期になると,シャルル 7 世の寵妃であり,ファ ッションにも非常に敏感であったアニエス・ソ レルが w a l k i n g ‑ s t i c k を取り入れたとされる
9)。 しかしながら,女性問では,それは間もなく姿 を消すが, 1 8 世紀末期に再び姿を見せることと なる。
このように,ベーン,およびレスターらはそ の歴史について,古代から触れている。しかし,
語義上では区別していると思われる。なぜなら,
両者において s t i c k と s t a f f の語は使い分けられ ているからである。
元来, s t i c k とは杖,いわゆるステッキの意 味であり, s t a f f とは武器または支えとしての杖,
棒,梶棒の意味である。つまり,初期の頃は w a l k i n g ‑ s t i c k という語は用いず,それを頻繁に 使うようになるのは 1 5 世紀末期頃からである。
このことはベーンでも同様である。
f
皮らによると, w a l k i n g ‑ s t i c k の言己録:としては,
イギリスでは,ヘンリー 8 世が数多くの w a l k i n g
目s t i c k を所有していた最初であるという。これに よると,絹で覆われ,金で装飾されたものが 6 本,銀メッキで装飾されたにぎりの中に天文時 計の入ったもの,取っ手(持ち手)の中に道具 箱を持つもの,この他,上端に香水ピンを入れ たもの,そして,日時計,毛抜き,コンパス,メ ジャー,ナイフ,金や銀の試金石のついたもの などがあった。こうして彼は,相当の s t i c k 収 集家であったことがわかる。しかし,この頃は まだ,上層の聞でしか用いれられなかった 1 0 ) 。
一方,フランスでは,イギリスよりもやや遅 れてアンリ 4 世が s t i c k を最初に所有した人物 であった
11)。
このように,文献では,イギリスがやや早い ものの,ほぼ同じく 1 6 世紀中頃,またはそれ以 降に w a l k i n g ‑ s t i c k の最初の記録がみられる。そ して, O.E.D. 1 2 ) によると, w a l k i n g ‑ s t i c k の 言 吾 は , 1 5 8 0 年に登場する。
第
2
章17 世紀から 18 世紀にみる w a l k i n g ‑ s t i c k
( 1 ) w a l k i n g
凶s t i c k と剣
1 7 世紀における男性の装飾品は, walking
目s t i c k と剣 ( s w o r d ) であったとリベイロが述べ ているように 1 3 ) , w a l k i n g ‑ s t i c k は 1 7 世紀を通し て剣とともに携えられていた。剣は,もともと 左の腰に吊り下げられていたためであろうか,
w a l k i n g ‑ s t i c k は通常,右手で握っていた。そう することにより,当時の紳士の服装は完壁なも のとなったと言われる
14)。
イギリスでは, 1 7 世紀初頭,チャールズ 1 世 の時代に,先端に金や象牙のついたものが持た れるようになる。ヂヤールズ自身も立派な w a l k i n g ‑ s t i c k を数多く所有していたと言われ る 1 5 ) ( 図 l 参照)。そして,この 1 6 3 0 年代は,
数多くの肖像画の中に, w a l k i n g ‑ s t i c k を見るこ
とが出来る。他方,同じ頃のフランスでは,ル
イ 1 3 世が象牙製の持ち手のついた長い黒檀の
W a l k i n g ‑ S t i c k
考s t i c k を持っていたと言う 1 6 ) 。
チャールズ 2 世 ( 1 6 6 0‑8 5 ) の代になると,
持ち手の所にリボンやふさ飾りの付いたwalk‑
i n g ‑ s t i c k が見られるようになる。また,この時 代のs t i c k については,その日記で知られる S .
ピープス (SamuelPeyps 1 6 3 3 ‑1 7 0 3 ) によっ ても記録されている。この日記は, 1 7 世紀イギ リスにおいても貴重な資料とされ,頻繁に引用 される。彼は, 1 6 6 4 年 4 月 8日の項に次のよう に記している。
「岸に上がるとすぐに,雨とあられのどえら い嵐がやってきた。それでステッキ屋に入り,
散歩用のものを一本買った。値は
4シリング 6 ペンス。つぎ目一つだけのものだ。
J17)そして, 1 6 6 6 年 7 月20 日には,
「彼は,ニス塗りの杖を進呈してくれた。大 変立派なもので,持ち歩くにも軽い。 J 1 8 )
と言己している。
一方フランスでは,イギリスと同様,この世 紀の中頃,絹の紐やふさ飾りで持ち手が装飾さ れたs t i c kが持たれている 1 9 )( 図 2 参照)。長さ は,歩く時に都合のいい長さで,大体, 2 フィ ート 1 0 インチから 3 フィート(約8 6 c m から 9 1 c m ) で制作されていた。
図
1 r チャールズ 1 世.1,ダニエル・マイテン作,
1 6 3 1 年,ロンドン,ナショナル・ポートレー ト・ギャラリー所蔵
( 3 5 )
ルイ 14 世 ( 1 6 4 3‑1715) は , s t i c k の熱烈な 擁護者であった。その証拠に彼は, s t i c k を持 たずして公けの場に姿を現すことはほとんどな かった
20)。そして,彼はとりわけ,高価に装 飾されたs t i c k を好んだ、2 1 )( 図 3 参照)。フランス では,ルイの治世になってw a l k i n g ‑ s t i c k が男性 ファッションの不可欠の装飾品になったこと は,レスターも指摘するとおり 2 2 ) ,それは,
非常に高価なもので作られていたことにもよ る。象牙や黒檀などを使い,持ち手には,琉拍,
ルビー, トルコ石,ダイヤモンドなどがあしら われた(図 4 参照)。
1 8 世紀になると, w a l k i n g ‑ s t i c k は男性にとっ てそれまで以上に重要な装飾品となっていく。
その要因の一つに,パースにおける帯剣の禁止 がある。 1 8 世紀パースの賑わいを生み出したと
ことで知られるリチヤード・ナッシュ (1674‑
1 7 6 1 ,別名ボー・ナッシュ)は,街中で剣を携 帯することを禁止した。それは, 1 7 2 7 年頃と考 えられている。禁止するに至った直接のきっか けは,剣による悲惨な事故を目のあたりにした ことによるものと言われているお )0 1 8 世紀後期 になってもその禁止令は続き,やがて定着して いく。この帯剣の禁止は,ロンドンでも受け入
図
2 W1690 年代フランスのs t i c k , l . A . トルーヴァ
ン 作 , 1 6 9 4 年
れられ, 1 7 2 0 年から 3 0 年にかけて,上流紳士ま でもが朝の散歩に剣を持ち歩かなくなった 2 4 ) 。 帯剣の習慣は純粋に護身用だけでなく,紳士の 身分を表す社会的な意味を持っていたから,こ の禁止はやはり一つの大きな改革だったと蛭 J I I
も述べているように
25),このことは s t i c k の高 揚に少なからず影響を与えたと考えられるので ある。リベイロも,ボー・ナッシュの行為が c a n e を普及させる要因の一つであることを主 張している
26)。この他,箪事力の増大によって,
どんな軍人でも剣を手にすることが出来るよう になり,もはや剣は騎士のエリート性を示すア クセサリーではなくなった 2 7 ) ということも考 えられる。メルシエも次のように述べている。
「ステッキが剣の代わりに用いられるように なったので,剣はもはや併用されなくなった。
朝,人々はしなやかな細身のステッキを手に 急ぐ。おかげで歩みは軽快になったし,それ に 6 0 年前にはあれほど日常茶飯事であり,単 なる不注意がもとで流血の結果を招いた喧 嘩,口論をする者はもはやいない。法律とい うよりも,風俗がこの大変化をもたらしたの である。 J
28)このように, w a l k i n g ‑ s t i c k は剣の代用品とし
図 3 r ルイ 1 4 世と s t i c k j ,アンリ・テステリン作,
1 6 6 7 年,ヴェルサイユ宮殿蔵
( 3 6 )
て持たれるようになったのである。しかし,フ ァッションとしての役割も持っていた。フラン スでは 1 8 世紀末期,紳士達が w a l k i n g ‑ s t i c k に無 謀にお金を費やし,独創的なデザインのものに は極度の課税がなされたといわれている
29)。お 酒落にはあまり関心のなかったヴォルテールで さえ 8 0 本の s t i c k を収集し,また自らの服装の 簡素さを誇っていたルソーも 4 0 本以上は持って いたと言われている 3 0 ) 。
( 2 ) 医師用の w a l k i n g ‑ s t i c k
1 8 世紀初頭, s t i c k は伝染病を防ぐという理 由から,特に,医師が持ち歩いた 3 1)。病気を抑 えるための殺菌剤として当時,酢が利用された。
医師はそれの一杯入ったボールが先端に付いた s t i c k を持ち歩いた
32)。その様子は, 1 7 3 6 年のホ ガースによって描かれた「葬儀組合」という作 品の中に見ることが出来る(図 5 参照)。そこ では, s t i c k の先を鼻に付けた医者の姿が見ら れる
os t i c k を鼻に持ってくることは,その時 代の同業者の間の親しさを表したとも言われ,
特に,評判の良くない職業,例えば葬儀屋など の聞でみられた 3 3 ) 。
また,悪臭がひどかった当時の街で,防臭の ためにポマンダー ( p o m a n d e r ) と呼ばれる,
図 4 r 1 7 7 0 年代の s t i c k .lデレ作, 1 7 7 6 年
W a l k i n g ‑ S t i c k
考中に香りの玉が入った細かい穴の聞いた金属製 の小箱が取り付けられたs t i c k も用いられ,さ らに健康に留意した人達によっても疫病除けと して持ち歩かれた。
( 3 ) w a l k i n g ‑ s t i c k を携えた女性達
この世紀のもう一つの特徴で, s t i c k の歴史 においても忘れてならないのが,特に 1 7 8 0 年代 の女性達によっても携えられたことであり,そ の姿は残されたコスチューム・プレートの中に も見ることが出来る(図 6 参照)。メルシエは,
1 7 8 2 年に次のように記している。
「女性も 1 1 世紀に携帯していたステッキをふ たたび使用するようになった。ステッキを手 に外出し,ひとりで街路を,環状並木道を行 く。それは彼女らにとっては,無駄な飾りで はない。 J34)
そして,持ち手の部分には化粧用鏡や香水ビ ン,またオルゴールや小さなヴァイオリンが隠 されているものがあった。なぜ,特にこの時代 の女性聞で取り入れられたのであろうか。再び メルシエは
「歩くこともできなくなるほど高くなったお かしなハイヒールをはくために,男以上にス テッキが必要になったのだ。 J 3 5 )
図
5 W s t i c k を持った医師たち
j,ホガース作, 1 7 3 6 年,ブリティッシュ・ミュージアム所蔵
( 3 7 ) と 。
事実,この頃女性の靴のかかとは一段と高さ を増した。その様子をモンタギュー嬢は次のよ うに記している。
「まあ,なんと未婚の女性がこの通りの周辺 でよたよた歩いたり,股を広げて歩いたり,
そりかえって歩いたり,威張って歩いたり,
両手を腰に当てて肘を引っ張ったり,前後に 揺れたりしているのを見た。 J36)
このように,高いヒール靴をはくことによっ て歩行に多少なりとも支障をきたしている様子 が汲み取れる。ベーンも, I 女性にとってそれ は単なる装身具ではなく,むしろ男性よりも必 要であった J37) と述べているように,女性にと ってのs t i c k は装飾性よりもむしろ実用性が高 かった。比較的寸法の長いものが多く見られる のもそういった理由からでがあったのだろう。
そして, 1 7 7 0 年以来パリでは当時流行していた 憂愁症の治療として,医師が女性に運動のひと つとして歩行を推奨していた 3 8 ) ということも あった。
他方,その頃女性服における男性服の影響を 見ることが出来,特にそれは 1 7 8 0 年代において 強かった。例えば,男性コートのように大きな
図
6 W s t i c k を持った女性
j, 1 7 7 8 年
用されている 3 9 ) 。このことから, s t i c k は男性 モードの流行のーっとしで女性達によって取り 入れられたとも推察出来る。
第
3
章walking
田s t i c k
流行の最盛期‑19 世紀から 20 世紀初期ー
1 9 世紀は最も w a l k i n g ‑ s t i c k が流行し,多様化 した時代である。シルクハット,コート,そし てステッキという姿は,当時の男性の典型的ス タイルであった(図 7 参照)。パルザックも,
次のように述べている。「ステッキの握り方ひ とつにその人の精神が現われるのだ。 J ( 1風俗 のパトロジー J )
40)これほどまでに walking‑
s t i c k は,重きを成すものであった。また,当 時紳士の間ではそれを持たずに外出することは 不作法で、あるとさえ考えられ,ダンデイーと言 わ れ る 男 性 は 様 々 な 状 況 に 応 じ た 幾 つ か の s t i c k を所有していた。 1894 年には,フランス の新聞で 2 2 種類もの w a l k i n g ‑ s t i c k について触れ ている
41)。例えば,カメラの三脚,化粧台,
画家用のイーゼル(掛け台),足のせ台,手提 げランプ,椅子,キャンドルスティックとして
図 7 r 1 8 3 0 年代のダンディ‑:.1, 1 8 3 6 年
( 3 8 )
活用できるもの,そして持ち手にナイフ,フォ ーク,スプーン,ハンマー,ベン,インク,ピ ストル,タバコケース,外科医療用機器,マッ チ箱,双眼鏡,カメラ,ライタ一等を備えたも のもみられた。
s t i c k の製造業者は様々な種類を創案し, s t i c k であること以上に多くの機能を持ち合わせたも のでなければならなかった。当時,パリで製造 された s t i c k は評判が高く,数千人がその製法 をパリで勉強したとまで言われる
42)。モンテス キュー伯爵
43)は , s t i c k の立派なコレクション を持っていた。 F'ジ、ユリアンによると,彼の s t i c k は大きな磁器の壷に入っていて,主人の 散歩を力づけ,主人の身振りにめりはりを与え る光栄に浴するのを待っていたのである
44)。全 体が象牙でできたものの他, トルコ石や七宝の 孔雀で装飾されたもの,さらに握りの部分が根 付けで出来ているものまであった。彼はゴンク ールの売り立てで,握りが黄金製のうえトルコ 石がはめこまれたルイ 1 5 世のものだ、ったといわ れる娠で、出来た s t i c k を購入した。 1 8 9 7 年の官 展に出品されたボルデイーニによるポートレー ト の 中 で 彼 が 手 に し て い た の が ま さ に こ の s t i c k であった(図 8 参照)。彼の s t i c k を手にし
図 8 r ロベール・ド・モンテスキュー伯爵
j,ボル
ディーニ作, 1 8 9 7 年,オルセ一美術館所蔵
W a l k i n g ‑ S t i c k
考た肖像画はこの他にも数多く残されている。
2 0 世紀に入っても, w a l k i n g ‑ s t i c k の様々なス タイルを生みだしながら,紳士のエレガントな アクセサリーのーっとして用いられている。
1 9 2 6 年の「メンズウエア」誌の中で,ある記者 はステッキをファッションの思人と評してい る。そして,
「その理由は明らかである。ステッキを携行 しようと決心した男性は,自動的にバターを 塗ったような古びた帽子,かかとがすり減っ た靴,問題になりそうなスーツやオーバーコ ート,汚れきった破れそうな手袋,あるいは 5 セント, 1 0 セント均一庖で人気のある洋品 類といったものを着用するのはやめようと決 意する。 J 4 5 )
とある。ところが, 3 0 年代に入るとこうした人 気は徐々に衰えの兆しをみせ始めた。そのこと を裏付けるかのように, 1 9 4 5 年の「エスカイア」
誌のファッション部によると,ステッキの復活 という見出しとともに特集を設けている。そこ では, I 男性の服装では自己表現が出来る部分 は幾っかに限定されているが,それをステッキ で示すことが出来る。」と説明している
46)。す なわち, w a l k i n g ‑ s t i c k は男性の精神性も示した と考えられる。
このように,ステッキは 1 9 3 0 年代に入り次第 に使われなくなるが,一部の男性問ではその後 も持ち続けられ,完全に消え去ることはなかっ たものの 1 9 4 0 年代にはあまり見られなくなって
くる。
第
4
章 考 察以上見てきたように, w a l k i n g ‑ s t i c k は,歴史 上では幅広くとらえられているが,ファッショ
ンとしての最初の記録は 1 6 世紀中頃であり,流 行し始めるのは 1 7 世紀以降である。ブ}シェも 指摘しているように
47),特に 1 7 世紀は, s t i c k
と剣が紳士としての重要な装いのーっとなっ た。決闘が日常行なわれていた時代において,
剣は,生活の一部でもあり,紳士としての伝統
的な象徴の一部でもあった
48)。しかし, 1 8 世 紀初頭の帯剣の禁止令が w a l k i n g ‑ s t i c k を流行さ せる要因のーっとなった。すなわち, s t i c k は アクセサリーとしてだけでなく,剣の代用品と
しての役割も持つこととなった。
( 3 9 )
歴史的に見ても, 1 8 世紀は啓蒙と理性の時代 と呼ばれるように,貴族階級の特権である決闘 に対する意識も次第に変わっていったと考えら れる。つまり,決闘はより洗練化され,美化さ れるようになった 4 9 ) 。山田勝もブルジョワ階 級ならびにブルジョワ思想の台頭が決闘そのも のを崇高化,儀式化,神秘化させたことは否定 出来ないとしている 5 0 ) 。
1 9 世紀になると w a l k i n g
田s t i c k は,流行の最盛 期を迎えた。パルザックやモンテスキュー伯爵 な と 守 w a l k i n g ‑ s t i c k の歴史上,非常に興味深い人 物も登場する。そして, 1 9 世紀男子服について 述べるとき忘れてならないのはダンデイズムで ある。その発生の背景には,ブルジョワの台頭,
そして貴族の衰退が大きく関わっている。ボー ドレールの言葉を借りれば, I それは殊に,民 主制がまだ全能になるに至らず,貴族性の動揺 と失墜もまだ部分的でしかないような過渡期に 現われる。こうした時代の混乱の中にあって,
自分の階級からはみ出し,嫌気がさし,するこ ともない人々,それでいていずれも生来の力を 豊かにもった人々が一種の新しい貴族性を打ち 建てようとする計画を抱くことがあり得る。 p )
そのような状況の中でダンデイー達は服装によ って貴族性を保とうとした。しかも,彼らにと って装飾品は特に重要であったと考えられる。
なぜなら,ダンデイズムは 1 9 世紀において風俗 と趣味の指導権を握ったいくつかの価値の中の ひとつに属すものであり,立居振舞い,衣服,
そして個人の外観を特徴づけるすべてのものに 異例の重要性を割り当てることにあるからであ る 5 2 ) 。すなわち,お酒落による決闘こそ,ま さに風俗上のダンデイズムにおける絶対的な価
f
直ではなかろうか。
一方,山田勝は次のように述べている。
「決闘は中世に始まり,様々な変貌を遂げな がらその完熟期を迎えた。決闘は野蛮であり,
殺人行為と非難されながらも上流階級ノブレ ス・オブリジ、ェとして生き続けた。そしてそ の様式の完成が産業革命のブルジョワと民主 主義の台頭と大きな関わりを持っていた現在 のように完全な平等が常識になっていたわけ でもなく,また貴族と貴族趣味への憧景が根 強く残っていた時代でもあった。この過渡期 において,貴族性を望む者は,その生活様式 によって新興成金には真似の出来ないライフ スタイルを採用することになった。権力でな い権力,無言の威圧力,空無の儀式性といっ たものが,この時代ではまだ支配力を持って いたわけである。決闘も一部から非難されて はいたものの,大衆から賛美と好奇の目で見 られていた,それでもやはり,決闘は生命を かけたものであることに変わりはない。貴族 のオブジェとはいえ,できれば避けたいのが 人情であろう。その意味で別の様式,つまり 生命に別状のない決闘も生まれたことは自然 である。お酒落による決闘もそのひとつであ ろう。 J 5 3 )
また,簡素化された男子服と装飾的効果を持 つ s t i c k の調和も重要であったと推察する 5 4 ) 。
その後, 1930 年代の終わり頃まで流行は続く が,徐々に姿を消すこととなる。服飾史におい ても, 1930 年頃というのは男性の衣装が大きく 変化した時期であり,少なくとも,その影響か らまぬがれなかったとは言い難い。すなわち,
その変化はいわゆる単純化の傾向へと向かった のである。その背景には,スポーツウエアの普 及,さらに 30 年代におけるアメリカの大躍進に よる影響も隠しきれない。それは,装飾品にお いても同様であったと思われ, 1935 年には,そ れまで外出時に欠かすことの出来なかった帽子 が着用されなくなったのである 5 5 ) 。そのよう な中にあって, w a l k i n g ‑ s t i c k も必然的にその影 響を受けたと考えることも出来る。一方,ベー ンも次のように言っている。「新聞と昼食のサ ンドウイッチ以外何も入ってもいなくてもアタ
ツシェケースを持つということが上流階級の紳 士にとっての義務であると感じていた時は,
s t i c k は幾分後方に追いやられたこともあった。
しかし,彼らは同時に 2 つのものを持つほど器 用ではなかったのである。 J56) また,バイヤー ドらは,自動車の普及が s t i c k を衰退させたひ とつの要因でもあると述べている 5 7 ) 。以上が,
現在まで、の w a l k i n g ‑ s t i c k についての歴史とその 流行及び背景である。 w a l k i n g ‑ s t i c k にはファッ ションとしてだけでなく男性が本能的に持つと 考えられる一種の決闘意識が内在していたとい えよう。 walking ‑ s t i c k を持つということが,貴 族性すなわち精神的なエリート意識を強めたと するならば,それは,まさしく帯剣が意味して きたものと同じであった。考察を進めていく過 程で,最近また新たな文献に出会った。今後,
それらの資料を加え,研究を継続して行きたい。
最後に,本稿の執筆に当たり,適切な御指導と 御校聞を賜った石山彰名誉教授に感謝する。
註
1 ) Y a r w o o d . D o r e e n . The E n c y c l o p a e d i a o f World C o s t u m e . L o n d . . 1 9 7 8 . p . 6 4
C u n n i n g t o n . C . W i l l e t & P h i l l i s . A D i c t i o n a r y o f C o s t u m e . L o n d . . 1 9 6 0 . p . 6 4
2 )
新英和辞典,1 9 8 0
年,第5
版,研究社3 ) B l o c h . O . e t Wartbrurg. W . v o n . D i c t i o n n a i r e
立t y m o l o g i q u ed e l a Langue F r a n c a i s e . P a r i s . 1 9 6 8 4 ) B o e h n . Max v o n . O r n a m e n t s . N . Y . . 1 9 2 9
5 ) L e s t e r . K a t h e r i n e M o r r i s & O e r k e . B e s s V i o l a . A c c e s s o r i e s o f D r e s s . 1 9 5 4
6 ) L e s t e r .
K.M. & O e a k e . B . V . . i b i d . . p p . 3 8 8 ‑ 3 8 9 7 ) L e s t e r .
K.M. & O e a k e . B . V . . i b i d . . p . 3 8 9 8 ) L e s t e r .
K.M. & O e a k e . B . V . . i b i d . . p . 3 9 0 9 ) L e s t e r .
K.M. & O e a k e . B . V . . i b i d . . p p . 3 9 1 ‑ 3 9 2 1 0 ) B o e h n . M. v o p . c i
t..p p . 1 0 6 ‑ 1 0 7 .
L e s t e r .
K.M. & O e a k e . B . V . . o p . c i
t..p . 3 9 2 1 1 ) L e s t e r .
K.M. & O e a k e . B . V . . o p . c i
t.. p . 3 9 2 1 2 ) The O x f o r d E n g l i s h D i c t i o n a r y . 1 9 8 9
1 3 ) R i b e i r o . A i l e e n . Drees i n e i g h t e e n t h c e n t u r y Europe 1 7 1 5
・1 7 8 9 .L o n d . . 1 9 8 4 . p . 3 2
1 4 ) B o u c h e r . F r a n c o i s . H i s t o i r e du C o s t u m e . P a r i s .
W a l k i n g ‑ S t i c k
考1 9 6 5 . p . 2 7 0
1 5 ) L e s t e r . K
.M. & O e a k e . B . V . . o p . c i t . . p . 3 9 3 1 6 ) B o e h n . M . v . . o p . c i t . . p
.l0 7 . W i l c o x . R . T u r n e r . The
D i c t i o n a r y o f C o s t u m e . L o n d . . 1 9 6 9 . p . 5 6
1 7 ) R . C . Latham & W.Matthews e d i t e d . The D i a r y o f Samu
巴1P e p y s . L o n d . . 1 9 9 5 . V o l
心. 1 1 7
1 8 ) R . C.Latham & W.Matthews. i b i d . . Vo
l..p . 2 1 1 1 9 ) L e s t e r .
K.M. & O e a k e . B . V . . o p . c i t . . p . 3 9 3 2 0 ) L e s t e r . K
.M. & O e a k e . B . V . . o p . c i t . . p . 3 9 3 2 1 ) B i n d e r . P e a r l s . The P e a c o c k s T a i
.IL o n d . . 1 9 5 8 .
p
.l8 8
2 2 ) L e s t e r .
K.M. & O e a k e . B . V . . o p . c i t . . p . 3 9 2 2 3 )
蛭川久康,r
パースの肖像.1,研究社出版,1 9 9 0
年,p . 6 5
2 4 )
蛭川久康,前掲著,p p . 6 6 ‑ 6 7 2 5 )
蛭川久康,前掲著,p . 6 5 2 6 ) R i b e i r o . A
.. ib i d . . p
.l1 9 2 7 )
山田勝,前掲著,p . 2 9
2 8 ) L o u i s S e b a s t i e n Mercie
r.Tableau de P a r i s . E d i t i o n e t a b l i e s o u s l a d e i r e c t i o n d e J e a n C l a u d e B o n n e t . P a r i s . 1 9 9 4 . Tome 1 . p p . 2 3 5 ‑ 2 3 6
2 9 ) L e s t e r . K
.M. & O e a k e . B . V . . o p . c i t . . p . 3 9 7 3 0 ) D o n e r . J a n e . F a s h i o n . L o n d . . 1 9 7 4 . p . 5 6 3 1 ) R i b e i r o . A
.. op . c i t . . p . 3 2
3 2 )
リチヤード・ B・シュウォーツ,玉井東助,江藤秀一訳,
r
十八世紀ロンドンの日常生活.1,研 究者出版,1 9 9 0
年,p
.l8 9
3 3 ) Byrde. P e n e l o p e . Male Image. L o n d . . 1 9 7 9 . p . 2 1 5
3 4 ) M e r c i e r . 1 . S . o p . c i t . . Tome 1 . p p . 2 3 5
田2 3 6 3 5 ) M e r c i e r . 1 . S . o p . c i t . . Tome 1 . p p . 2 3 5 ‑ 2 3 6 3 6 ) M o n t a g u . E l i z a b e t h . M r s . M.queen o f t h e B l u e s
: Her l e t t e r s and f r i e n d s h i p s from 1 7 6 3 t o 1 8 0 0 . vo
.l2 . L o n d . . p
目8 2
3 7 ) B o e h n . M . v . . o p . c i t . . p
.l1 5 3 8 ) B o e h n . M . v . . o p . c i t . . p
.l1 5 3 9 ) R i b e i r o . A
.. op . c i t . . 乱 1 5 5
4 0 )
バルザック,山田登世子訳,r
風俗のパトロジ‑.],新評社,
1 9 8 7
年,第6
刷,p . 3 0
また,
1 8 3 6
年, ド・ジラルタン夫人が「パルザ、ツ ク氏のステッキ」という作品を記している。4 1 ) B o e h n . M . v . . o p . c i t . . p
.l1 8
4 2 ) F a v e t o n . P i e r r e . L e s C a n n e s . P a r i s . p
.lO 4 3 )
ロベール・ド・モンテスキュー( 1 8 5 5 ‑ 1 9 2 1 )
。ダンデイーとしての最後の人物であると言われる。
( 4 1 )
4 4 )
フイリップ・ジ、ユリアン,r 1 9 0 0
年のプリンス.],図書刊行会,
1 9 8 7
年,p . 2 5 9
4 5 ) E s q u i r e ' s E n c y c l o p e d i a o f 2 0 t h . C e n t u r y Men's F a s h i o n . U . S . A . . 1 9 7 3 . P . 3 9 6 4 6 ) E s q u i r e ' s E n c y c l o p e d i a o f 2 0 t h . C e n t u r y
M
巴n ' sF a s h i o n . i b i d . . P . 3 9 8 4 7 ) B o u c h e r . F . . o p . c i t . . p . 2 0 7
4 8 )
山田勝,r
決闘の文化史.],北星堂,1992
年,p p . 3 5 ‑ 3 6
4 9 )
山田勝,前掲著,p . 7 1 5 0 )
山田勝,前掲著,p
.l3 6
5 1 )
福永武彦編集,r
ボードレール全集羽.J,矢内原伊作訳,人文書院,
1 9 8 1
年,p . 3 2 2 5 2 )
生田耕作,r
ダンデイズム.],幸子溺都館,1 9 8 7
年,p p . 2 1 6 ‑ 2 1 7
5 3 )
山田勝,前掲著,p p . 2 3 0
凶2 3 1
5 4 )
ピンダーもその重要性について,著書の中で触 れている。B i n d e r .P . . o p . c i t . . p
.l9 0
5 5 )
ブリュノ・デュ・ロゼル,r 2 0
世紀モード史.],平凡社,
1 9 9 5
年,p p . 2 7 8 ‑ 2 7 9 5 6 ) B o e h n . M . v . . o p . c i t . . p
.l1 7 5 7 ) B y r d e . P . . o p . c i t . . p . 2 1 4
図版出典
図
1 O r m o n d . R i c h a r d . N a t i o n a l P o r t r a i t G a l l e r y i n c o l o u r . L o n d . . 1 9 7 9 . P l a t e 9 0
図
2
石山彰編,ファッション・プレート全集,文 化出版局,1 9 8 9
年,第4
刷,第1
巻,N O . 1 6
図3 Diana de Marly. L o u i s X
N& V e r s a i l l e s .
L o n d . . 1 9 8 7
図
4
石山彰編,ファッション・プレート全集,文化出版局,
1 9 8 9
年,第4
刷,第1
巻,N O . 2 8
図5 Burke. ]oseph&Caldwell. C o l i n . H o g a r t h .
F r a n c e . 1 9 6 8 . p
.l6 8
図
6 S c h e f e r . G a s t o n . Documents pour l ' h i s t o i r e du c o s t u m e . d e L o u i s X
VlIl. Pa r i s . 1 9 1 1
図
7
石山彰編,ファッション・プレート全集,文化出版局,