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八郎康隆

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(1)

47

肥前地方の中舌母音の痕跡事象

八郎康隆

      1.0

本稿では,肥前地方も,長崎県域に限定して,そこでの中舌母音の痕跡事象,およびそ の分布について述べ,その解釈について,いくらかのことを述べてみたい。

      1.1

 ここに,中舌母音の痕跡事象というのは,かって,〔u〕,〔i〕などの中舌母音が行        まり      へ

なわれた名残りのものとして,今,たとえば,「徽」〔K:abの,「毬」〔maru〕などの ように,通常(共通語生活とか,多くの諸言語社会では),〔q〕で言うところを〔C旦〕

      ざるに言う事実とか,「昼」〔ciri〕, r旅」〔zari〕,「烏」 〔karaエ1〕などのように,通 常,〔Cu〕で言うところを,〔Ci〕に言う事実をさしてのことである。

 現高時面で,こうありえているのは,たとえば,「徽」などは,〔kabDのように,中 舌母音〔宝〕が,「旅」などは,〔zar◎のように,中舌母音臼〕などの,中舌母音現象

の関与するところがあったからのことであろう。

 方言音としての〔u〕,、〔i〕を,現に保有する社会の言語は,通常,「ヅーヅー弁」

と呼ばれる。今ここに,中舌母音の痕跡事象と解してよい事実を,相当によく認めること ができるならば,かつて,そこに,「ヅーヅー弁」,あるいは,「ヅーヅー弁」的状況の ありえたことを,語りかけるものとして注目される。

      1.2

今日,いわゆる「ヅーヅー弁」地域として知られているのに,東北地方と出雲地方とが あり,裏日本地方本位に言えば,東北地方の「ヅーヅー弁」は,さらに下越,中越地方に まで辿られ,続いて点々と越中の沿岸部,中東部(高地部),さらには,奥能登地方にま       コ 

で,これを辿ることができる。言いかえれば,東北:地方から.出雲地方にかけて,日本海 沿いに,「ヅーヅー弁」の系脈を辿ることができるのである。「ヅーヅー弁」そのもの,

       

換言すれば,中舌母音〔U〕,〔i〕そのものを保有しない,たとえば,加賀,越前地方 などにあっても,その痕跡を思わしめる諸多の事象が認められることは,東北から出雲に かけての,「ヅーヅー弁」の系脈を証することとして,あわせて注目される。

 つつく,出雲以西の状況はどうであろうか。藤原先生は,このことについて,次のよう

(2)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第25号

に述べておられる。

 「東北とともに出雲地方にヅーヅー弁があることに関しては,いまも,寒冷の気候のた  めにと説かれることが,ないではない。一面の真理はあろう。が,南の薩摩半島にもこ  れがあるのからすれば,気候風土の説だけをおし進めることはできない。私どもは,む  しろ,薩摩半島や南島方面に中舌母音のいちじるしいものがあることから,ヅーヅー弁  分布についての適切な解釈を,求めてこなくてはならない。」(「方言学」P.471三省堂)

 このように,出雲と薩摩半島,南島とに中舌母音の分布を見る時,おのずと興味の目は 両地方にはさまれた地域に注がれる。この聖域間の地域の,特に九州域について,藤原先 生は,さらに,次のように述べておられる。

 「さきに問題にした南薩の中舌母音は,大隅東部にもたどられないことはない。(中略)

 が,そちらでは,それから北になると,このような発音はあまり聞かれないようであ

       り      

 る。ところで西がわでは,中舌母音の痕跡的なものが,肥筑の西辺にたどられる。」

 (「方言学」P,455,傍点の施しは愛宕)

 「発音関係の事実を見れば,例の中舌母音またはその痕跡的なものの見られるのは,西  がわの内であり,九州東がわでは.このようなものは見られない。」(「方言学」P.461)

 このような状況である時,肥前長崎県下の中舌母音の痕跡事象の分布について考察を加 えることは一定の意義を持つものと考える。

〔注〕1 「裏日本地方のことばの発音」 (「音声の研究」第7輯 藤原先生 昭和26年)

〔注〕2 「北陸道方言の中舌母音」 (「文学・語学」11号拙稿 昭和54年)

       2.o●

長崎県下には,現今,中舌母音そのものを見ることはできないようである。事象として は,もっぱら,中舌母音の痕跡事象を見うるばかりである。

 以下,県下の痕跡事象の分布を北から南へと1頂に概観していくことにする。

       2.1

 北松浦郡地域のことは,今,つまびらかではないが,中舌母音の痕跡事象は,それほど 認められないようである。

 「全国方言資料」 (日本放送協会編.第6巻.P.214)によれば,平戸島中野村には,

 ○ンーネヤ イマノー コドモラ サムシ モンニャ モン  いやいや,いまのこど   もはさびしいものだよ。 (老男)

 ○オナゴドマ アノ キャクヤノ エンデ テマルツキッチューテ  女の子たちは客   屋の縁側で手まりつきといって, (老男)

のような事象が報告されている。

(3)

       肥前地方の中舌母音の痕跡事象(愛宕)       49

 また,鹿町町船の村では,細川サツ子さんによれば,

 ○額田ノ フガンデ アラス モンシェン ナー。 眼が見えないものだからねえ。 (中

  男)

の言いかたがあるという。「フガンデ」が「ヒガンデ」であれば,ここに取りあげられる。

       2.2

 大村湾東部域(東彼杵郡,大村・諌早市域)でも,関係事象は,乏しいように見受けら

れる。

 川棚町五反田では,「蛭」の「ビリ」が聞かれる。

 また,諌早市黒崎町小野には,緒方隆一君の報告にしたがえば,

 ○シワシ ナレバ イロイロ。 師走になればいろいろ(お金が要る)。 (老男)

 ○バカサルン モンナ タイガイ フトッジャン モン。  (狐に)化かされる者は,

  たいがい同じだもの。 (山男)

「三菱」は「ミツブシ」に実現しやすいという。

 ここでは,〔Cu〕<〔Ci〕とともに〔Ci)<〔Cu〕の事象も見られる。

       2.3

 西彼杵郡は,いったいに,関係事象の比較的よく見られる:地域として,後述の島原半島 域とともに,注目される?

 島懊部の大島町黒瀬では,山高陽子さんの報告によれば,

 ○ハヨ マワッテ ムン ニャ。 はやく回ってみるね。<地上転回の練習をしながら   〉(少男)〈「見る」が「ムン」に実現〉

      シ

 ○ハヨ スカン ネー。 早く(ふとんを)敷:きなさいねえ。 (中女)

      カゴ

 ○オマヤー ホゲソブキジャー。 おまえは,籠引きだよ。〈運動会〉(老女)<「ひ   きずる」を「ソビク」と言う〉

などの事象があり,ほかにも,「徽」は「カブ」,「くさび」(魚名,学名「きゅうせん」)

は「クサブ」,「あの人」は「アンフト」などが見られる。

    天シゴ_

 崎戸町本郷でも。

  _    ノ

 ○サムスカ ネー。 さびしいねえ。 (老女)

があり,「くさび」も「クサブ」が見られる。

       ソトメ

 西彼杵半島に入り,その西岸部(外海地方)を見ると,大瀬戸町白浜では,

      ひ

 ○粉ひき臼をフケバ (磯けば)……。 (老女)

 ○タッタ フトリデ……。 たった一人で……。 (老女)

(4)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第23号

などが聞かれ,「横槌」も「ヨコズツ」に実現されている。

 南下して,三重村樫山にも,

 ○ヨージンバー フトリ オッテ……。 用心棒が一人いて……。 (老男)

 ○フテ モロータジャロ。 してもらったでしょう。(老男)

       ヒラチ       

などがあり,同じ,三重村の平地地方では,「二匹」は,「ニフキ」,地名の「東上」は

「フカシアゲ」に実現されている。

 ところで,ここの三重村の平地地方をはじめ,その南に隣る旧式見村(現在,長崎市)

      すでは.「来る」が「クイ」,「為る」が「スイ」などと実現される,顕著な傾向が認めら れる。たとえば,平地地方では,

 ○ナンバ シヨイ トネ。 何をしているのね。(青女)

      ゴ

 ○イッテ クイケン ネ。 行ってくるからね。 (少女)

 ○ヨカ。ジブンデ スイケン。 いい。自分でやるから。 (帯下)

 ○ヨ了カラ ノ■ トネ1 ここから乗るのね。(中女)

 ○ミンナ キバイ ナー。 みんな精出すねえ。 (青男)

 ○マタ モッテ キヨイ。 また持って来ている。(老女)

などが見られ,式見地方でも      」

 ○スイ ナ。 するな。 (青女)

 ○アイ ネ。 あるかえ。 (中女)

      ヘ         ロ

 ○ドコニ イキヨイ ト。 どこに行っているの。 (少女)

などが聞かれる。

 これら一連の事象は,すべて動詞,補動詞などの活用語尾の「ル」音が,規則的に

「イ」音に実現されるものである。九州西里域は,ラ行音の変容を見せがちな地域である が.今,「ル」音の母音〔u〕が,〔i〕に実現されていることが注目される。一つに,

       テゲマ〔i〕<〔ri〕<〔ru〕のコースが考えられようか。旧式見村手熊(現在,長崎市)で,

「昼食」を「ヒリアガリ」などと言っているのは,一つの参考となろう。

 ともあれ,これら〔イ〕<〔ル〕のものは.イ段沸くウ段子の事象と受けとめることに

したい。

 さて,西彼杵半島の内側,つまり,大村湾西岸域はどうであろうか。先の外海地方に比 して,痕跡事象は乏しいと思われる。

      トロプク  i琴海町寄りの時津町登呂福では,

 ○ワタシ シルマセンジャッタ……。 私,知りませんでした……。 (老女)

       リ       シシガワ

があり,一方に,「めばる(魚名)」の「メバリ」がある。また,隣の子々川では.「干 越」の「カンパチ」,「束髪頭」の「ソクハチアタマ」などが聞かれる。

(5)

      肥前地方の中舌母音の痕跡事象(愛宕)      51

      2.4

長崎市域でも.古老中心に,中舌母音の痕跡事象を聞くことができる。

       ゴ

 ○アルマシタ ヨー。 ありましたよお。 (老女)

 ○オルマセン ト。 おりませんよ。 (老女)

 ○オカーサンノ ハルシゴト,……。 お母さんの針仕事……。 (老女)

また,「長崎方言集覧」 (古賀十二郎編。長崎市史・風俗編 大正14.10)には,

 ○トルハダ とりはだ。トリハダのなまり。

 ○トルハダタツ 鳥肌立っ。

 ○テマル 手球。てまり。

 ○テマルクワ 手球花。てまり花。

などが見える。

 同書にはまた,

 ○フタイ ひたい,額。

 ○セブラカス セブラカスはセビラカスの訂ヒりである。セビラカスは戯れ半分にいぢむ   るを云ふ。

なども見える。

 市内の中老年者は,しばしば,「徽」を「カブ」と言う。

 また,

 ○フトン スカン ネ。 ふとんを敷きなさいね。

のように「敷く」を「スク」と言うのは,老若にわたって行なわれている。

 旧北高来郡戸石村(現在,長崎市戸石町)の「戸石」も地元人,旧長崎市人の中老者は

「トイス」と言いならわしている。

 古老には,時に,

 ○ズット イクヨリマシタ。 ずっと行っていました。 (老女)

などが聞かれる。先の「長崎方言集覧」には,

 ○ニクミ 面炮。にきび。

が見える。

 長崎市域では,〔ru〕<〔ri〕,〔杢u〕<〔9i〕,〔bu〕<〔bi〕,〔su〕<〔∫i〕,

〔Ku〕<〔Ki〕などのように,〔Cu〕<〔Ci〕の傾向が目につく。

      2.5

 長崎半島は,行政区画上,ほとんど西彼杵郡に属するが,これを地形上,先の2.5から 切りはなすことにする。

   オヘサキミヨ 

 茂木町大崎名では,

(6)

  ヘ      コ

○フトリ オッタ ゾー。 一人おったよお。 (老女)

 ○コーシテ フッカケットデス タイ。 こうしてひっかけるのですよ。 (老女)

 ○ヅダイカギ〔dzudaikagi〕 自在かぎ(老女)

 ○ビワノ ヒクロ びわの袋(老女)

などが聞かれる。

 また,「長崎県西彼杵郡樺島方言」(小川信一著,中国民俗学会,昭和9年2月)には,

 ○フトモジ葱  ○フトツ 一つ

 Oフルー拾う  ○フサシュー久しく  ○コメブツ 米櫃

など,〔歪u〕<〔gi〕,〔bu〕<〔bi〕のものが目立っ。

      ノモザキ

半島突端の野母崎町下には,

 ○フサシブリ 久しぶり

 ○カブノ ブイタ。 徽が生えた。      ・  ○クサブ くさび

 ○フトンバ スカン ネー。 ふとんを敷きなさいねえ。

などがあり,高浜町下でも,

 ○フサシュー久しく  ○カブ徽

 ○スク 敷く などが聞かれる。

       2.6

 島原半島は,県下でも中舌母音の痕跡事象のもっともよく見い出される地域として注目

される。

    ミ エ

 島原市三会では,

 ○ジャメナッテ ナー・イ。 アルガト ゴザッシター。 おじやまになりましてねえ。

  ありがとうございました。 (妻女)

 ○アルガト ガーシタ。 ありがとうございました。 (老男)

などのように, 「ありがとう」の〔ri〕が,きまって〔ru〕に実現される。

 また,

 ○ユクノ ブリヨル。 雪が降っている(全)

 ○マイットク スルギラ トイモン ニヤル バナイ。 もうしばらくするとさつまい

(7)

       肥前地方の中舌母音の痕跡事象(愛宕)       55

  もが煮えるよね。 (中女)

 ○ウソナクバ シター。 うそ泣きをした。(中男)

 ○ナガイク 長生き(中女)

などのように,〔Ku〕<〔Ki〕も,よく見い出される。

 ほかに,

 ○マー ヒトイキ ヤスムナヘー。 まあ一服なさい。 (老女)

      ヘ         ゴ

 ○アラー ノムスギ タイ。 キット。 あれは酒の飲みすぎだよ。きっと(中男)

などの,〔mu〕<〔mi〕が見られる。

 これら,〔Cu〕<〔Ci〕に対して,

 ○オラシジャロ カーイ。 おられるでしょうか。 (中耳)

のように〔∫i〕<〔su〕のものも見られる。島原半島には,この種(敬語助動詞の終止・

連体形の「〜ス」,「〜ガス」,「〜デス」,「〜ヤス」などの〔su〕を〔∫i〕に実現するもの

      o       ■       ●       ●

が多くのところで見い出される。

    ド ザキ

 有家町堂下でもそうである。

 ○コッチコソ ヨロシュー オネガイシヤシ。 こちらこそよろしくお願いします。

  (老男)

 ○ヘーイ。 アイガトガシ。 はい。ありがとうこぎいます。 (老男)

「ガシ」は「ガヒ」ともなって,

 ○オキバッデ ガヒ ナーイ。 がんばっておられますねえ。 (老男)

のように用いられる。

 また,2.5で三重村や旧式見村に見られた,〔i〕<〔ru〕の事象は,ここでも,

 ○……シランゴテ アイ ヨー。 ……知らないほどですよ。(中女)

のような用例が認められる。

 「全国方言資料」 (日本放送協会編第6巻)の有家町の方言資料にも,

 ○オテンキデ ゴザリヤヒ  (いい)お天気でございます。 (老女)

 ○アリガト ゴアヒ  ありがとうございます。 (老男)

などの事例があがっている。

 ほかに,

 ○……オルヤシタバッテン  ……おりましたけれども(中男)

 ○ヘヘー アルガト ゴァヒ  ええ,ありがとうございます。 (老男)

 ○……アン フトール コン ムスコワ キ国遠テ  ……ひとりでこのむすこは来た   よと(中男)

 ○ヤッパル モー コマカ トク ナロートル  やはりもう小さいときから習ってい   る。(中男)

(8)

 ○ドッサル たくさん(老男)

 ○ンナ ソーザブP一ト クジビク タイ  では宗三郎とくじびきだぜ。 (老男)

 ○モー カナシー トクノ カンダノムデ  もう悲しいときの神頼みというわけで   (中男)

地名の「堂崎」は「ドーザク」,「釘崎」も「クサク」である。

 当地の関係事象としては,以上のように,〔ル〕<〔リ〕,〔ク〕<<キ〕のものが見 られがちである。

     オ エ  南有馬町大江では,

 ○オラシ トー。 おりますか。 (老女)

 ○ドッタン イカシトデス カ。 どちらへ行かれるのですか。 (老女)

などの,例の事象が見られ,「何時」は「イーチ」とも実現される。

       サンゲンヤ

 島原半島南端部の口之津町三軒屋には,友永隆君によれば,1やはり, 

 ○アシタ イカシ カナイ。 明日行かれますか。 (中男)

 ○コラシ カナーイ。 来られますかねえ。 (中女)

などの事象があり,ほかに,「席」は「セク」,「どれ位」は「イクラバッカル」などがある。

 南不二男氏の「長崎県口之津方言の音韻体系」 (「国語学」36)に見える,

 /、!ebu/〔je▲β〕〈えび〉,/一gomu/〔90▲m▼コ〈塵〉,/、kaku/〔ka▲k〕〈柿〉,

 / kugu/〔ku▲9〕<釘> P8

 / zumoru/〔dzumo▲1〕〈吃り〉,/一zasiku/〔dza∫i▲k〕<座敷:>  P 3

 / jUkU/〔jU.k〕〈雪〉,/ teg・mU/〔t・γam▼〕<手紙>P4/ t・rU/〔t・・1〕

 <鳥> P10

などの事象も,〔Cu〕<〔Ci〕の関連事象とすることができる。また,〔Ci〕<〔Cu〕

に関するものとしては,

 / mizu(・ mizi/ 〔mi▲zr)mi▲3(mid3i)〕〈水〉,/一karasu(・一karasi/〔kara▲s

 〜kara/〕<烏> P9 などが見えている。

       ハスダケ

 森勝枝さんの加津佐町蓮嶽の調査報告には,次のような,諸事象が見られる。

 ○アカル  電灯

 ○ネコロブナンヘー。 ねころびなさい。 (老女)

 ○シクナンシェー。 (座ぶとんを)お敷きください。 (老女)

 ○マイットク マットンナンへ。 もうしばらく待っておりなさい。(老女)

 ○オトコズクノ スィ ツラジャ モン。 男好きのする顔だもの。 (中女)

 ○オツクサマ  お月さま(老男)

 ほかに,例の

(9)

       長崎大学教育学部人文科学研究報告 第25号      55

 0テッオビョー・インナ ハヤラシ。ハヤラシ。 哲翁病院ははやられる。はやられる。

  (老女)       ,

 ○ソコン カンノンサマガ ヒドー アラタニ アラシトデシ モンナイ。 そこの観   音戸がたいそ霊験が著しくあられるのですもんね。 (老女)

 ○キトラシ トバイ6 来ておられるのね。 (中女)

などの事象がよく見られるし,先の,2.5の三重村,旧式見村で見られたような,〔i〕

<〔ru〕の,

 ○ケイローカイ イク モンナ ナンニン オイ カニャ。 敬老会へ行く者は何人い   るかね。 (老男)

 ○ヨー アガン コエン ズイ モン。 よくあんな声が出るね。 (青女)

 ○ナーオエ シテ ヤイケン コエー。 直江してやるから来い。 (老女)

などの事象が見られる。

      ミナミクシヤマ

 橘湾岸の方に移って,南串山町下では,松永千穂子さんの調査報告によれば,

 ○ハシル  流し

 ○ハチル  八里,つまり甘藷  ○クサトル  草かき

 ○ウソツク  嘘つき などがある。

       キサシ

 また,小浜町木車にも,野口浩介君の調査報告によれば,

 ○アラー ユックルハイッテ オイデナンヘー。 あら,ゆっくり入っておいでなさ   い。 (老女)      ,  ○アルガトガヒテ アナタ。 ありがとうございましてね。 (老女)

 ○アトトルサン  長男さん

などがあり,「古年(昨年)」は「フイトシ」と言う。

 ○アラー,コンニチワナタ。ヌッカチキバイヨラヒデガヒナーイ。 あら,今   日は暑いのに精が出ますねえ。 (老女)

のように,〔gi〕 (<〔∫i)<〔su〕)のものが見られる。

 「島原半島西目の漁業に関する方言」(「長崎談叢」18輯 田中享一氏)によれば,

チ ジ ワ

千々石地方には,

 ○ソデアム  袖網  ○ウーナム  大浪  ○トルカジ  左廻り

のような事象があるらしい。

 また,古瀬順一氏の「長崎県島原市・南高来郡方言研究〔1〕」 (「文学部論叢」28,

(10)

        立正大学文学部)によれば,

 〔t∫iθtoru〕 (塵取),〔muθkar癩 (麦刈り),〔da∫ikめ (座敷),〔∫u:ru〕 (汁)

などの発音は,半島全域に分布が見られるとしておられる。ややさかのぼるが,「嶋原半 嶋方言の研究」 (島原第一尋常高等小学校編著.昭和7年5月20日)には,おびただしい ほどの,中舌母音の痕跡事象と見られる事例(約340例)を見い出すことができる。今,

本書に,その分布が,「全域」とか,「大部分」とか注記されているもののみを参考まで に抽出しておく。

 〔ノレ〕<〔リ〕

 ○ニワトル  にわとり  ○ヒバル  ひばり  ○チドル  千鳥  ○キュール  きゅうり  ○イガモル  子守  ○オシャベル  お饒舌者  ○スズルバコ  硯箱  ○スルコギ  摺木  ○フルソデ  振袖

 〔ム〕<〔ミ〕

 ○ウム  海  ○不ツム  ねずみ  ○ツボム  蕾  ○ナムダ  涙  ○スム  墨  ○カナアム  金網

 〔クゴ<〔キ〕, 〔グ〕<〔ギ〕

 ○ツク  月  ○セクタン  石炭  ○ウソツク  虚言者  ○ニクム  にきび  ○ウサグ  おさぎ

 〔シ〕<〔ス〕

 ○キシゴ  きす(魚名)

(11)

○ウシ  臼

〔ヒ)<〔フ〕

○ヒロシキ  風呂敷

肥前地方の中舌母音の痕跡事象(愛宕)

57

 ちなみに,中舌母音の痕跡事象と見られる,約340例について,その傾向を見ると,次 のような結果が得られる。

A. 〔Cu〕<〔Ci〕のもの

  〔ノレ〕 < 〔リ〕 ・・。・。・102

  〔ク〕<〔キ〕……73   〔ム〕<〔ミ〕……58   〔ブ〕<〔ビ〕……27   〔グ〕<〔ギ〕……24   〔ツ〕<〔チ〕……12   〔フ)<〔ヒ〕…… 3

  〔ス〕<〔シ〕・…・・ 2   〔ズ〕<〔ジ〕…… 1       貌

B. 〔Ci〕<〔Cu〕のもの   〔シ〕<〔ス〕……12   〔チ〕<〔ツ〕……10

  〔リ〕<〔ノレ〕・・・… 7

  〔ジ〕<〔ズ〕…… 3   ⊂イ〕<〔ウ〕・・…・ 3   〔ヒ〕<〔フ〕…… 2   〔ビ〕<〔ブ〕…… 1   〔ピ〕<〔フ。〕・…・・ 1       一密一

 ここに明らかなことは, 〔Cu〕<〔Ci〕のものが,〔Ci〕<〔Cu〕のものにくらべて,

圧倒的に優勢であること,前者の中では,〔ル〕<〔リ〕が,きわめて盛んで,〔ク〕

<〔キ〕,〔ム〕<〔ミ〕が,これに次ぎ,〔ブ〕<〔ビ〕,〔グ〕<〔ギ〕も比較的よ く見い出されること,劣勢な後者の中では,〔シ〕<〔ス〕,〔チ〕<〔ツ〕が目立っこ とである。

 この傾向は,先に見た半島内の各地の状況にも,ほぼあてはまるものと言えよう。

 島原半島全域に,よく見られる中舌母音の痕跡事象群は,発音生活上この地方の方言色 を支える,有力な一項をなしていると言っても過言ではあるまい。

(12)

 中舌母音の痕跡事象の優i劣から見た長崎県下での島原半島域の地位は,きわめて明白と 言わねばならない。

      2.6

 本土をはなれて,離島を辿ってみる。離島全般,資料に乏しいので委細はわからない が,今は,手もとの参考資料によって一瞥するにとどめたい。

 対馬について,今,「対馬南部方言集」 (柳田国界編,滝山政太郎著.中央公論社,昭 和19年9月1日)によって見るに,

 ○ネズミノ シホシリニ イッタヤウ  鼠の塩汁に入ったやう。みすぼらしい姿。

 ○ウハジリケ  飯の腐敗しかけて水分の浮き出たもの,ジリケは湿気。

 ○オシュリ  お汁。

 ○ブリマヒ  振舞ひ,動作。

 ○カブ  徽。

 ○サブシイ  寂しい。

 ○スタダリ  滴り。

 ○クビル  紐などで物を締めくくる。キビルともいふ。

などの関係事象を尊い出すことができる。

 壱岐島について,山口麻太郎氏の「統壱岐島方気早」(春陽堂書店.昭和12年2月5日)

をおかりすると,中に,

 ○ニクミ  (にきび)

 ○オク (沖。漁士部落)

 ○フシャク  (柄杓)

 ○セブラカス (方言セビラカス。からかひなぶる事)

 ○キセリ (きせる)

 ○キビル  (くびる)

 ○チケセン (方言ツケセン。使ひ銭。)

などの事象が見える。

 行政区画上は,南松浦郡に属する五島列島はどうであろうか。これも資料に乏しいが,

今は,「五島列島の方言」 (平山輝男,大島一郎.「都市の言語と周辺の言語(その1)」,

東京都立大学都市研究委員会.1969.3)によることにし,北から南へと辿って行くことに

する。

/.新魚目町榎津:(老男)

 / uhi/〔uQ〕  (臼)

(13)

      肥前地方の中舌母音の痕跡事象(愛宕)

 /karahi/〔karag雲〕    (烏)

2.上五島町二方(中幅)

 / uhi/〔ug菩〕   (臼)

 /karahi/〔karaGB  (烏)

3.若松島若松郷(中男)

 /,Ulli/  〔.ug喜〕      (E≡ヨ)

4.奈良尾町(昭和43.11.26(・28愛宕の調査による)

 〔kabu〕 徽(全)

 〔kusabu〕 くさび(魚名) (全)

 〔akebu〕 あけび(中・老)

5.奈留島大串郷夏井(申男)

 / uhi/〔ugI〕 (臼)

6.樺島本竈郷(豪男)

 /,uhi 〔u{}妻〕      ([≡ヨ)

 /hohi/〔ho9善〕  (乾す)

7.三井楽町浜ノ畔(申男)

 / uhi/〔ugl〕  (臼)

 /karahi/〔kara⊆i〕  (烏)

 / ohi/〔og 〕  (押す)

 /ki lahi/〔kijagD  (消す)

8.福江市(中学)

 /kahi/〔kaq〕 (貸す)

 /hanahi/〔hanag雲〕  (話す)

 /hanahi/〔hanaG善〕  (離す)

 /dalnahi/〔damag喜〕  (騙す)

 / wakahi/〔wakaq雲〕  (沸す)

 / omedahi/〔omedag;〕 (思い出す)

 / uQkorohi/〔ukkoroQ〕  (殺す)

五島列島では,〔Ci〕<C幻の傾向が強いように見受けられる。

59

      3

以上,長崎県下の中舌母音の痕跡事象およびその分布状況,分布傾向を見てきた。それ らを整理して,今,ここにどのようなことが言えるであろうか。

(1)痕跡事象の傾向

(14)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第23号

 総じて,県下では,〔Ci〕<〔Cu〕よりは,〔Cn〕<〔Ci〕のものが優勢であることが 注目されよう。その中でも,特に,〔ru〕<〔ri)が著しく,〔杢u〕<〔Gi〕,〔bu〕

<〔bi〕, 〔ku〕<〔ki〕, 〔mu〕<〔mi〕などが目につく。

 〔Ci〕〉〔Cu〕では,西彼杵半島外海の三重村,旧式見村,それに島原半島有家町堂 崎に見られた,〔i〕<〔ru〕,あるいは,島原半島に見られた敬語助動詞の終止,連体 形の「〜ス」,「〜ガス」,〔「〜デス」,「〜ヤス」などの〔Su〕を〔∫i) (さらには

〔Gi〕)に実現する特徴的な事実のあることが注目される。この種の助動詞の活用語尾の

「ス」に限らず,五島列島では,サ行五段動詞の終止形の「〜ス」が,〔〜Gl〕に実現さ れがちのようであり,あわせて注目される。

 (2)痕跡事象の分布傾向

 中舌母音の痕跡事象の分布傾向を概観するに,県北地方や東彼杵:地方には分布はうす く,西彼杵半島,それも外海地域,それに長崎半島.島原半島域に分布の濃さが認められ る。中でも,既述したように,島原半島域には,諸多の痕跡事象が,もっともよく見い出 される地域として,大いに注目される。このような島原半島域の色濃い痕跡事象の分布脈 が,さらに南に位置する天草:地方に,しぜんなつらなりを見せていくものと思われる。

 (3)裏日本系脈から見た当域

 東北地方の「ヅーヅー弁」が日本海沿岸域に沿って,これが中越にまで聞かれ,越中,

奥能登にもそれが点々と辿られ,出雲の「ヅーヅー弁」へとつらなりを見せる。とんで,

薩摩半島,南島に,これを聞くことができるという時,出雲と薩摩半島間に介在する,日 本海沿岸域が注目されてくる。その沿海域の中でも,長崎県域は,おのずからに注視され

る要域と言えよう。

 そこでの,関係事象の分布相は,2.1〜2.6に見たとおりである。そこには,中舌母音 そのものの分布,つまり「ヅーヅー弁」こそは聞かれないが,その痕跡を思わせる諸事象 が,島原半島域を濃域として,長崎半島,西彼杵半島に辿られ,北上するにつれて,次第 に分布の濃度をうすめていくように見受けられる。

 このような現況から推定してみるのに,おそらく,今見る,薩摩と出雲の「ヅーヅー弁」

地域に介在する当長崎県下にも,かっては,「ヅーヅー弁」が広く行なわれたことの可能 性は,きわめて高いように思われる。

 このようである時,九州西辺の,当長崎県域が,方言上裏日本系脈上の一二をなすこと は言うまでもなかろう。      〔終〕

参照

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