• 検索結果がありません。

中学校における聞くこと・話すことの 教育内容の構造化

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "中学校における聞くこと・話すことの 教育内容の構造化"

Copied!
6
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

95

中学校における聞くこと・話すことの 教育内容の構造化

稲  田  繁  夫

 結論を先にいうと,「聞くこと話すことの教育は,高度のディスカッション能力を身に つけた国語実践者を育成する営みである」ということである。

 初めに,国語科教育の目的目標を引き出す根拠について考える場合に,一般には,憲法 を出発点とし,教育基本法,学校教育法第十八条第四項,第八項等の法令をまつ先に引用 してこれを根拠とし,次に学習指導要領の教科目標に言及していくようである。しかしな がら,このように法令を第一の根拠として説明する行き方は,戦前の法令規則を根拠とす る説明の方法と同様,法令の改訂とともに動くこともありうるのである。現にわれわれは 戦前の法令規則を捨てて,戦後のそれに基づいて国語科教育の総目標を引き出そうとして いる。このような行き方は,もし将来政治の体制が大きく変ることがあるとすると,法令 が改まり,それを根拠として国語科教育の総目標を説明しなければならないことに成るで

あろう。もとより国語科教育は学校教育の一一環であり,それは時の政治や社会の必要,要 求に答えるものでなければならないが,それ以上に不易なるものの上にその第一一の根拠を

見つけなければならないと思う。不易なるものとは社会生活における言語の機能あるいは 役割りである。言語機能はいくつかに分析されるが,この言語機能を一人一人の児童生徒:

の上に最高度に発揮されるための国語科教育の目標が,学校段階,学年段階に応じて考え られなければならない。法令規則はこうして引き出された目的目標を達成するための法的 裏付け,あるいはそれを支援するものとして位置づけられなければならないと思う。

 :文部省認定通信教育のための日本教育大学協会編集「国語科教育」には,言語学者ガー デナーの著「談話と言語の理論」を引用して,言語活動を話し手,聞き手,素材,という 三点から観察して,言語活動の三作用ということについて述べ,表現作用,伝達作用,叙 述作用の三作用が混然と相交わり,三頂点がそれぞれ吸引力を持っていて,時として自己 本位に話したり,また,聞き手本位になって話したり,事柄中心になったりする具体例を 挙げている。そして,ディスカッションのような高度な言語活動は,これら三作用の理想 的総合形態として考えられると述べている。つまり理想的な高度のディスカッションは,

これら言語活動の三作用を含めて,あらゆる言語の機能が高度に発揮された姿であるとい えるであろう。このようなディスカッションは聞き話す言語活動を主動力として推進しな がら,その中に読み書く活動を機能的に包含するところの,言語活動の全領域にわたるも

のともいうことができるであろう。

 このような高度の言語活動としてのディスカッションは,我が国においてもすでに中古 以来の歌合に見ることができる。歌合においては作者と方人一後には参加歌人即方人と なったのであるが一というディスカッション構成員の上に,その司会者たる頭が任命あ るいは推薦され,読師という進行係,講師という和歌の詠吟披露者一三読師という一人 兼役の場合もある一篶刺という記録係,一人という世話係,左右歌門番の批判判定を下 す判者によって構成された高度の文学的ディスカッションであった。承暦二年四月二十八

(2)

日の承暦二年内裡歌合などは,左右の討論が白熱化して,同月三十日これを不満とする右 の方人は丁番歌合を開くとか,康和二年四月二十八日の参議中将国信卿家歌合のように,

源俊頼の主導性によるとはいえ,自由な衆議判による活巖な討議が行なわれ。それらの方 入たちの討論は白熱化し,活濃であっても,今日の国会を始めとする多くの討議にしばし ば見られるような・言語行為の枠をはずれた別の行為がからみ合うようなものではなく,

あくまで教養のある,語感やことばの匂いひびきに鋭敏な耳を働かせた,洗練された討議 であったのである。我が国のディスカッションには,このような高度な言語機能の発揮さ れたディスカッションの実績と伝統があるのを誇りとしなければならないと思う。

 さて,中学校の聞くこと話すことの教育内容は,一つの観点に立って眺めるζ,ディス カッション能力の学年的発展の系列であるということができるであろう。中学校の学習指 導要領の聞くこと話すことの各学年のそれぞれの指導事項は,「次の各項目に掲げる活動

を通して,上記の事項を指導する」として,一年,話し合い,会議などに参加する(これ は現行小学校国語科指導要領の一年,「数人の仲間で話し合う」二年, 「話し合いをす る」五,六年,「話し合いや会議に参加する」などの発展である)二年,会議,討議など に参加して,進行などをつとめる。三年余会議,討議などに参加して,司会などをする。

という,学習活動の学年的発展が系統づけられている。

 ここでいうディスカッション能力とその発達系列というのは,聞くこと話すことの学習 領域,学習活動の中でその一部分としての,狭い意味でのディスカッションの技術を考え るのではなくして,聞くこと話すことの教育内容を,高度のディスカッション能力の達成 を目標として有機的,総合的に系統づけ整序しようとするのである。

 中学校学習指導要領国語科の第三には,聞くこと話すことを主とする学習は,計画的に 指導し,年間最低授業時数の協以上をこれにあてるようにする。」とある規定を生かすの には,少なくとも隔週一時間の割合にある「聞くこと・話すこと」の学習指導の時間のか なりの部分を,はっきりと上のような目標を達成するために計画すべきではないか。読む ことの学習指導の中にも,聞くこと・話すことが関連をもつが,聞くこと,話すことの学 習指導においては,その骨格的な部分は高度のディスカッション能力養成のための営みが

一計画的に積み重ねられるのが適当と思われる。

 学習指導要領の聞くこと・話すことの学習活動として,話し合い,会議,討議のほか

・に,発表,報告,説明を挙げている。これらはまた,学年の発展が考えられており,話し 合い,会議,討議と切り離して,これらの活動を独立的に行なうこともできるが,これら の学習活動も,高度のディスカッション能力の育成に盛りあげるための学習活動の系列の 中に整序されなければならないであろう。

 聞くこと・話すことの指導事項では,応答,二二の技能,態度の育成を目ざしていて,

(一年)これらの的確さ, (二年)改まった場での応待,発言, (三年)これに慣れさせ

る,という発展が系統づけられており,その学習の場は狭い国語教室だけでなく,あらゆ る教科の中で,さらに全校的行事,登下校,外出時などの場に広げて独立的にも指導でき るが,総合的な学習の場としての会議,討議の学習の要素的なものであり,また,その指 導体系の中に位置づけられなければならないと思う。

 たとえば会議,討議における発言の基礎的技能としては,語句,ことばづかい,話題の 選択力,要点を押え,文および文章の構成,組み立てへの考慮が払われなければならな

(3)

中学校における聞くこと・話すことの教育内容の構造化(稲田) 97

1い。もちろん発言の前提として的確に相手の表現を聞きとる技能の発揮がなければならな いのは言うまでもない。このような発言能力の育成が高度のディスカッション能力育成の 指導体系の中に有機的,系統的に位置づけられなければならないであろう。

 イ項,ウ項は直接的に話し合い,会議,討議への参加の態度と技能の養成を目ざしてい て,一年では,相手を尊重する誠実な態度の育成をとりあげている。この態度は話し合い のもっとも基本的な態度で,この基礎的技能度として,礼儀をわきまえて聞くとか,冷静

な態度で話すなどが養われなければならない。 「冷静な態度」に関連したものとしては,

.三年の早早に,自分の感情に支配されないで,落ちついた態度で話す,がでているだけで あるが,上記のような基礎的な態度から盛り上げていかなくてはならない。このために は,まず,国語科教師が生徒に対してはもちろんのこと,職員相互間,地域社会の生活,

家庭生活の中に至るまで,この二項の手本となるほど,身につけていかなければならない であろう。これらの技能,態度が三年のウ項で,人の意見を批判的に聞く技能,態度を目 ざして将来への方向づけがされていると考えられる。「批判的に聞く」に関連して,読む ことの指導事項の三年ア項に「文章の内容を読みとって批判する態度を身につけること」

がでてくるが,直接聞くこと・話すことの指導事項には取り上げていない。しかし,批判 的に聞くことは大切な技能であり,高等学校の現代国語の目標にある「批判力を高め」る

ことに発展させていかなければならない。

 「批判的」ということについて考えさせておかなければならないことは,批判の尺度で ある。批判は自己や自己陣営の利害とか,愛憎,親疎の感情からなされるものではなく,

真理という尺度に照らしてなされなければならない。ところで,自然現象における真理は 地球上はおろか,月世界においても絶対不動のものであるが,人間的事実の真実はこれら

と必ずしも同じではない。自他ともに折れ合える共通の広場ともいうべきものの中で,自 他ともども見つけていくべきものである。真実とは在るべきもの,努力して見付けていく ものである。会議,討議を十分に成功させるには,このような批判的な聞きがその構成員 に盛りあがっていかなければならないのである。一年工項の「常に向上しようとする態度 で聞き,聞き出そうとする意欲を持ち続ける」ことこそ,聞くことの機能の第一義的なも ので,このような聞きの機能を発揮させるためには,上下の身分を離れ,茶室に一座する ような丸腰で先入観を捨て,白紙の立場で謙虚に話し手に言い了させ言い尽くさせ,聞き 届け聞き浸らなければならない。マタイ伝第五即断三節の,「心の貧しきもの天国はその 人のものなり」歎異四聖三章の「善人なほもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」の,心の 貧きもの,善人悪人とは,自己を疎外した客観的な第三者としてとらえたそれではなく,

自分自身を「心の貧しきもの」「悪人」と自責するものこそ天国に至り,往生疑いなしと いうことであって,己れの心を空虚にするものには,正しい教えが流れこんでくるが,己 れを善人と高ぶる心には流れこんでくることがむずかしいというのである。このような聞 きが行なわれることによって,話し手のことばが100パーセント聞き手に流れこみ,聞き の機能が果たされるのである。そこに聞き手の人間成長が行なわれる。

 浄土真宗においては「信心の機」ということが言われる。自己ということを人はよく言 うが,真に自己が明らかになっていない。これを機という言葉で言い,仏法に会うことに よって真の自己が誕生し,真の人間の主体が確立する。人格の主体が生まれるのを機とい う。そして,信心の機は生得の機,自力の機,正定聚の機という深化の段階が言われる。

(4)

自力の機というのは,自己中心の聞きで,第三者の親切な言葉を反って敵と見たり,食い かかったりする聞きになることがあるが,正定聚の機というのは,相手の言葉に仏を感ず

る聞きの世界である。これはそのまま,言語活動における聞くことの心理の段階と結びつ

けて考えられるであろう。

 このような聞きを深めることによって,三年のオ項の,落ちついた,自分の感情に支配 されない話しが可能になり,会議,討議のメン・ミーの発言が,その前提としての聞きに洗 われて,A発言→B発言→C発言と,いわゆる弁証法的発展を遂げ,むだな重複などもな

くなっていくはずである。

 このような聞きが習熟されていくと,聞き手の次の発言は事柄の的を射,言えば必ず聞 き手をうなずかせる発言となっていくであろう。こうして話される言葉は相手を傷つけ,

従ってまた自分を傷つける言葉でなく,相手を生かし,また自分も生かす道元禅師の正法 眼蔵の四摂法の「愛語」,それから発展をはかられた西尾実氏のいわゆる「生きたこと

ば」となっていくであろう。

 真に「批判的に聞く」という批判的ということも,こういう地盤なくしては成立しない であろう。今日,国会を始めとして,このような聞きが行なわれず,その批判も自党,自 派,自己の利害という尺度に照らすだけの,万人に通用しない尺度による批判的聞きで終 始レ従って当然のこととして,次の発言は相手を傷つけ,また自己をも傷つける言葉が 横行しているのはなげかわしいことである。国語科教師は次の世代の会議,討議がこのよ

うな不完全な聞きの態度を受けつがないようにさせる責任と義務があるのである。

 各学年力項の話題の豊かさ,相手への配慮,話題と聞き手への調和ということは,話し 手の話し合いにおける重要な技能態度である。言葉は話し手がただ一方的に,聞き手に投 げつけるものではなく,あたかも大切な重病人にスプーンで薬を静かに含ます心持ちで,

その口に流し送るものである。「物も言いようで角が立つ」といわれるように,栄養のあ るものものも乱暴にぶっつけられると,反って逆効果をもたらすことが多い。二年オ項 の,話の出所を明らかにし,自分の話に責任を持つことも,日本古来の言霊思想,つまり 言挙げ,言語行為を律する真摯な感情態度の伝統を生かすべきで,事新しく外国の言語教 育理論によって初めて教えられるものではないのである。

 一年,三年半キ項,二年力項も,相手に分かりやすくする目的をもって,話の組み立 て,筋の運び,時間の考慮など聞き手に対する思いやりから出発する。これまた話し合 い,会議,討議の成功をはかる重要な事柄である。思いやり,いたわりの心は望ましい人 間関係を成り立たせる根源であり,人間教育の根本である。一年イ項の,相手を尊重しつ つ,進んで話し合いに参加することの根底でなければならない。

 以上の聞くこと・話すことの指導事項が,理想的な話し合い,会議,討議の完成に向か って計画的に積み重ねられていくことによって,聞くこと・話すことの学習指導はその使

命を果たしうるものといえるであろう。

 こういう学習指導の計画的営み中に,聞くことの機能を発揮させる学習要素として,メ モの取り方,また,話すことの機能を高めるための学習要素として,原稿,草案の書1き 方,その他資料の読み方,いろいろなデーターの選び方,重要個所の抜き出し方と,四つ

の言語活動と機能的に結びついた指導体系が考えられてくるであろう。中学校,さらに高 校の聞くこと・話すことの学習指導は読むこと,書くことの学習と密着させることによつ

(5)

中学校における聞くこと・話すことの教育内容の構造化(稲田) 99

て,その効果が挙げられるのである。

 今日,大人の世界において,一対一の対話,少人数の会話には,なかなか洗練された人 が多い。ことに中年婦人などには含みをもった話の巧みさに出会うことがある。しかし,

会議,討議,公訴となるど,そういう教育を受けなかったせいか,不慣れな人が多いよう である。中学校以上の聞くこと・話すことの学習指導においては,それの社会化が行なわ れなければならない。そこに,聞くこと・話すことによる民主社会の建設が成り立ってい くのである。このような民主社会の完成は,実に理想的なディスカッションの単位集団 が,全国の中学校や高校の国語教室を出発点として,国中に広がっていくことによって成

し遂げられるであろう。

 つけ加えて言わなければならないことは,会議,討議の参加者のもっとも心すべき重要 な心構えである。いやしくも討議の参加者は単なる傍聴者であってはならないということ である。自分が意見を述べないで聞いておれば,自分自身は他人の話によって自己の成長 になるであろうが,問題の解決に貢献することにはならない。ことに正しいことを発言し ているとき,その人の発言に賛成することすらしないのは,反対者の立場を有利にし,正 しいことを発言する人を見殺しにする正義感の薄い薄情な心の持ち主となるのである。企 業の株主総会が総会屋といわれる少数者に鏡乱されたり,町会などで実力者の手前,正し いことを発言する人があるのに黙りこくっていて,終って後に,よく言ってくれた,聞い ていて胸がすっとした。などと言う人があるが,こういう話し合いの場で自己の個人的打 算や思惑から,正論を支持しないのは民主社会の成長の足を引くものである。これらの人 は,戦前の国語教育において民主的な会議,討議の構成員としての指導を受けていなかっ たためである。今日社会の風潮として,正義に無関心であり,正義を助けないことが知識 人に多く見られるのは残念である。ナポレオン侵入による惨敗のさ中に,ブイテイは「ド イツ国民に告ぐ」の中で,「現下のドイツに必要なことは経済の復興でもなく,産業の促 進でもなく,道義国家の建設である」と呼びかけたことは周知のことであるが,それはま た現下の日本において感銘深く思い出される言葉である。そして彼のいう道義国家の建設 は,われわれ国語教師の責任としては,前述のような聞くこと・話すことの学習を正しく

盛りあげていくことによってであると思うのである。

 最後に会議,討議における司会者としての必要な条件についていうと,ディスカッショ ンが成功するか否かは,司会者の機敏な分析・総合の能力にかかっている。司会能力を分 けると,1討議全体の流れの方向を洞察し,2発言者の屈折した発言の中からその要点を つかみ,3異なった言葉やいろいろな見解の中から一致点や共通の場を見つけ,4複雑な 論争点を簡単に要約し,5討議の範囲を基本的問題に狭め整理する能力などがあげられ

る。また司会者の発言は一一党一派に偏しない公平さが何より大切である。また討議員の発

言の少ないときは,発言できるよう誘い出し,討議にふさわしい場づくりの工夫がなけれ ばならない。討議員や司会者が,ごつごつと概念概念と物を言うのは頭が痛くなるほどで ある。たとえば,論理は通り,立板に水を流すような発言を,相手は道理としてうなずき ながら,体の奥深い所で何か反擾を感ずるということがある。ここに討議者や司会者に,

理性や論理以上の人間としての深み,上品なユーモアというものが要請される。それが聞 き手を感銘させ,発言の機能を達成させる。話すことはつまるところ深くその人の品性,

人格,教養の根底と交渉する。

(6)

 話し合い,会議,討議における聞くこと・話すことの行為の根底には,道元のいう,「

慈念衆生猶如赤子の思ひを蓄へて言語するは愛語なり」という,官他一・体に立つ慈心が支:

えにならなければならないであろう。そのような慈心愛心は,その人の生得の天性にもよ るが,また一方それは教育の力によって育てられるはずである。だから道元も「愛語を好 むよりは,ようやく愛語を増長するなり。しかあれば,日頃知られず,見えざる愛語も現 前するなり。」といっているのは国語教育に自信を与えてくれるものである。以上のよう にして,聞くこと・話すことの教育は司会能力を内包した高度のディスカッション能力を 身につけた国語実践者を育成するための計画的な営みでなければならないと思うのであ,

る。昭和43年改訂の小学校学習指導要領の改訂内容も,この考え方の支えになるものであ

るし,近く改訂される中学校のそれも同様であると確信する。(43.11.30)

参照

関連したドキュメント

 

17‑4‑672  (香法 ' 9 8 ).. 例えば︑塾は教育︑ という性格のものではなく︑ )ット ~,..

 筆記試験は与えられた課題に対して、時間 内に回答 しなければなりません。時間内に答 え を出すことは働 くことと 同様です。 だから分からな い問題は後回しでもいいので

夜真っ暗な中、電気をつけて夜遅くまで かけて片付けた。その時思ったのが、全 体的にボランティアの数がこの震災の規

食べ物も農家の皆様のご努力が無ければ食べられないわけですから、ともすれば人間

これにつきましては、協働参加者それぞれの立場の違いを受け入れ乗り越える契機となる、住民

(注)