21
周期的恐慌の必然性と固定資本
武 井 邦 夫
たといっても過言ではない。
はしがき マルクスは『要綱』の第2篇「資本の流通過 周期的恐慌の必然性の解明は経済学原理論最大 程」の冒頭で・まず二種類の「価値喪失過程」に の課願だといっても過言ではない。周知のように ついて述べる。
マルクスは「経済学批判体系」の最終課題に恐慌 「そこで厳密に考察すれば・資本の領填攣蓼渾 論をかかげたが,その作業は結局未完に終った 桿 そして貨幣は価値増殖過程を通じてはじめ
し,また彼の死後100年におよぶ今日においてす て資本となる一は・同時にその価値喪失過程・
ら,これに対する追究は不充分であるといわざる その貨幣資格喪失としても現れる。しかも二っの をえない。「100年1日のごとし」とはまさにこの 面から。第一に・資本が絶対的労働時間を増加 ことである。私はさきに編著『景気循環の理論』 することなく・生産力の増大を通じて相対的必
(1983年,時潮社)第2篇において,この点に関す 要労働時間を減少させるかぎりでは・資本はそれ る見解を明らかにしたが,同書の性質上,問題点 自身の生産費用一一資本が一定額の商品として前 を充分に論ずることができなかった。そこで,本 提されていたかぎり を切下げ・その交換価値 稿においては,問題の核らである固定資本の減価 を切下げる。一一すなわち現存する資本の一部 に関するマルクスの叙述鰹理・検討しつつ澗 は・それを再生産することのできる生産費用の減 思点を明らかにすることにしたい。 少を通じてたえず価値喪失してゆくが・これは・
資本に対象化されている労働の減少を通じてでは
なくて,この一定の生産物のうちに自己を対象化1『要綱』における二種類の価値喪失 するのに現に必要な生きた労働の減少を通じてで
@過程論 ある。現存する資本のこの不断の価値喪失は,こ
● ■ ● ■
1857〜1858年に執筆された『経済学批判要綱』 こでの問題ではない。なぜならそれらはすでに資 までのマルクスの恐慌論は一言でいえば,現象記 本を完成した形で前提しているからである。価値 述的なものにすぎず,科学的分析とはいえない。 喪失についてここに注釈をしておくのは,ただの 経済的恐慌現象と政治的崩壊現象を同一視したこ ちになってから述べるべきことがすでに資本の一 とは,その水準の低さを現実的に暴露したもので 般的概念のうちにふくまれていることを示してお あるが,これは恐慌の周期性の解明が不充分であ く必要があるからである。それは諸資本の集積と ることを意味している。もちろん,恐慌の10年ご 競争の理論に属することなのである。ここでとり
との周期性の存在自体は確認されてはいたが,そ あげる価値喪失とは,資本が貨幣の形態から商品 ● ● ■ ●
の原因が理論的に分析されなければ,その必然性 の形態に移行していること,実現されるべき一定 ■ ● ■ o ●
は明らかにされたとはいえないのである。 の価値をもつ生産物の形態に移行していることに この点を裏づけるかの如く,『要綱』における かんする価値喪失である」(Gr. S.305〜6,『要綱』
マルクスの固定資本・流動資本の規定は難渋をき 高木幸二郎監訳,大月書店・第2分冊・329〜330 わめており,アダム・スミス的水準に止まってい ページ)。
ここでは価値水準の変革から生ずる価値喪失と 生産過程に直接ふくまれたものとして現れる資本 実現の困難からくる価値喪失とが互いに無関係に と,貨幣として生産過程の外部に自立して(相対 併置され,前者は「集積と競争」の部分で始めて 的に)現れる資本とのあいだにあるのである(Gr.
論ずべきであるとされている。 S・311,訳皿,341ページ)。
後に明らかにされるように,恐慌の必然性はこ マルクスによれば,「全信用制度と,それに関 の二つの種類の価値喪失過程の統一によって,始 連ある過度の取引,過度の投機などは,流通と交 めて解明されるのであるが,ここではマルクスは 換部面との制限を拡大し,それをとびこえようと その点に全く気づいていない。そこで,後者によ する必然性に立脚している」(Gr. S.315,訳】1,
る恐慌の説明もきわめて現象論的なものに止まら 345ページ)。しかし,このように恐慌を産業資本 ざるをえなかった。彼は流通過程における制限と と信用制度の対立から説明しようとしても,その して,第一に「消費それ自体」,「商品に対する 周期性までも説明することはできない。
欲望」,第二に,剰余価値実現のための「剰余等 それでは,次に『要綱』段階における固定資本 価物」の存在をあげている。この二つの条件が充 の規定とその価値喪失,および流動資本について
たされるためには「流通の圏域のたえざる拡大」 の把握をみてみよう。
が存在しなければならないが,それは具体的には
「世界市場」の拡大的創出ということである。「世 2『要綱』の固定資本論・流動資本論 界市場を創造しようとする傾向は,直接に資本 流動資本と固定資本とは常に平行して規定され
自体の概念のうちに与えられている。どんな限 る。したがって流動資本の規定の仕方に対応し 界も,克服されるべき制限として現れる」(G筑 て固定資本も規定されることになる。マルクス
&311,訳皿,336ページ)。 は『要綱』で,「流動資本」(Capital Circulant,
しかし,このような理論からは,価格変動と資 Zirkulierendes Kapital)を次のように規定する。
本の移動を通じての需給関係の調整が導かれるだ 「この運動のさまざまな諸局面を包括し,この けで,恐慌の周期性の解明は不可能である。実 運動のなかで自己を保持し,価値を倍加させる主 際・マルクス自体,ここでは,「生産と消費」の 体としては,一つの円環進行のなかで一螺旋と 一致を強調するセイ=リカードを,「資本の積極 して,自己を拡大させる円として進行する こ 的な本質をより正しく,より深く把握していた」 うした諸変換の主体としては,資本は流動資本で と評価する反面,シスモンディを「資本のうえに ある。……だからこの側面からみれば,どの資本 うちたてられた生産の狭い限界や,その否定的 もまた流動資本である」(G濫S.514,訳皿,565ぺ な一面性を,より深く把握してはいたのである」 一ジ)。
(G鵡S・314,訳L339ページ)とも評価している これに対応して「固定資本(Fixes Kapita1)は が,このような両面評価からは周期的恐慌の必然 次のように規定される。
性の解明は不可能であり,単に両者の相互補完性 「だが資本がこのように流通の全体として流動 の指摘を聞くだけである。 資本であり,ある局面から他の局面への移行であ そこで・マルクスは前者の論理の延長線上に再 るとすれば,同様にまた資本はどの局面において 生産表式の萌芽的研究をこの場で行うと共に,一 もある規定性で措定されているとともに,また特 般的過剰生産の必然性を産業資本と信用制度の対 殊な姿態に封じこめられているのであって,この 立に求める。 ような特殊な姿態は全運動の主体としての資本の
「全般的な過剰生産の恐慌にあっては,矛盾は 否定なのである。非流動資本,固定資本。資本が 種々の生産的資本のあいだにではなく,産業資本 通過しなければならないさまざまな規定性,局面
と貸付資本(10anable Kapita1)とのあいだに の一一つに固定されているところの,本来固定され
武 井:周期的恐慌の必然性と固定資本 23
た資本」(Gτ.S.514,訳皿,566ページ)。 訳皿,569ページ)。
「だから流動資本と固定資本の区別はさしあた マルクスがこの第2篇で信用にたびたび言及 りは,資本が過程の統一として現れるか,それと し,その「基本理論」が「資本一般」に含まれる も過程の一定の契機として現れるかにしたがって と言明しているのも,本来,この篇が全体として の,資本の形態規定として現われるのである」 恐慌の下向的分析という性格を強く帯びているか
(Gr. S.515,訳皿,566〜7ページ)。 らであろう。
マルクスはこのような意味での資本の「流動 以上が「流動資本」と「固定資本」に関するマ 性」と「固定性」の上に「価値増殖過程」と「価 ルクスの第一規定である。次に第二規定はこれと 値喪失過程」とを重ね合せる。 部分的にずれながら,ほぼアダム・スミスにそっ
「他方では,価値増殖過程それ自体の本性から て規定される。そこでは「流動資本」がある時は 生じるこの限界は,固定的ではなくて,もろもろ 商品資本と,ある時は資本の流動的運動そのもの の事情によって変化し,また資本は流動的なもの と混同される。
としてのそれの妥当な規定に多かれ少なかれ近づ まず固定資本については・「固定資本は価値と くことができるのであるから,〈また〉価値増殖 しては,それが摩滅するのに比例して同じく流通 過程が同時に価値減少過程として現われるという する」(Gr・S・571,訳皿・629ページ)といい・そ
この二つの規定への分解は,可能なかぎりの価値 れが生産物への価値移転一回収の様式によって 増殖をめざした資本の傾向とは矛盾するのである 規定されることを明らかにする。「それは使用価 から,資本はやはり,固定性の局面を短縮するた 値としては流通しない。固定資本は・それがその めに,もろもろの仕組み(COntriVanCeS)を発案す 素材的側面から考察されるかぎりでは・生産過程 る。他方では二つの諸条件は同時に併存しない の契機として,その境界からけっして去らない で,それらは交替する。ある時期は過程はまった し,それの所有者により譲渡もされないで・彼の
● ● ● ● ■ ■ ● ●
ュよどみないものとして現れる一資本の価値増 手中にとどまっている。それは単にそれの形態側 殖が最大の時期。前者の:反動である他の時期に 面からみたばあい,資本として,多年生の価値と は,他の契機がそれだけ暴力的につくりだされる して流通するにすぎない」(Gr・S・572・訳皿・630 一資本の価値減少と生産過程の停滞とが最大で 〜1ページ)。これはほぼ固定資本についての完成
ある時期。二つの規定があいならんで現れる時期 した規定だといってよいだろう。
は,それ自身たんにこれらの暴力的な移行と回転 次に固定資本と生産の連続性との関連につい のあいだの中間期をなすにすぎない」(Gr・S.516, て,「固定資本の価値が再生産されるのは,ただそ 訳皿,568ページ)。 れが生産過程で消費されるかぎりでだけである。
資本の「流動性」と「固定性」とは同時併存的 利用されなければ固定資本は・その価値が生産物 な「一般性」と「特殊性」との対立であったが, に移行することなしに,その使用価値を失う。だ ここにいたって,その同時併存性を否定される。 からわれわれがここで考察しているその点の意義 そのような変化が生ずるのは,マルクスによれ での固定資本の発展規模が大きければ大きいほ ば,信用制度の機能によるものである。 ど,生産過程の連続性または再生産の不断の流動
「われわれは後に,信用が資本の価値増殖のこ が,ますます資本に立脚する生産様式の外的強制
● ●
うした諸制限を止揚するのもまた,信用がそれら 条件となる」(Gr. S.591,訳皿,652ページ)。
の諸制限をそのもっとも一般的な形態へとたか ここでは生産の中断による固定資本の価値喪失 ● ● ● ● ●
め,過剰生産と過少生産の時期を二つのく別々 が問題とされるが,まだ価値革命による価値の喪 ● ● ● ●
の〉時期として措定するということによってだけ 失については,語られていない。
であるということを見るであろう」(GL&517, したがって,次のように固定資本の寿命と「産
業循環」の周期性との関連について語っても,そ もっとも,次にみるように「流動資本」の正し の内的関連性は不充分にしか説明されない。 い規定に事実上到達している所もないわけではな
「バベージによればイギリスにおける機械装置 い。
の平均的再生産は5年である。だから実際の再生 「流動資本がより短い期間に全部的に流通する 産はたぶん10年であろう。固定資本の大規模な発 のに,固定資本はより長い期間に断片的に流通す 展以来・10年前後の期間で産業が通過するところ る」(GLS609,訳皿,672ページ)。
の循環が・このようにして規定された資本の総再 しかし,このような規定も,『要綱』全体とし 生産局面と関連しているということは,まったく ては,「流動資本」と「流通資本」の混同の中に 疑問の余地がない。われわれはまた別の諸規定根 埋没しているといわざるをえない。
拠をも見いだすであろう。しかしこれはその一つ
である。以前にも,収穫に豊凶があるように(農 固定資本と流動資本・特に後者の形態規定の未 業),工業の好況・不況は存在した。しかし特徴 熟さは・利潤率の規定に影響を与えざるをえない・
的な諸期間,諸時期にわかたれた多年にわたる産 実際・『要綱』の第三篇「果実をもたらすものとし 業循環(Industriezyklus)は,大工業のものであ ての資本」における利潤率の規定は未熟かつ中途
る」(G鵡S.608,訳皿,671ページ)。 半端であり・その内容は利潤率をめぐる競争とは (1) 無関係の雑多な分析へと拡散してしまっている。
これに対し,「流動資本」については一方では ωマルクスが両資本の正しい形態規定に到達するの
「髄資本↓特に商蹟本と混同し,またそれに 辮華騰轍蟄灘贈巨纂∫資
対応して貨幣資本の規定に悩んでいる。「スミス
は貨幣について,これを流動資本と名づけるべき 3『資本論』第一巻における機械論
順になる),ここではそれを念頭においた上で,た形態である」「Gr. S.605,訳皿,667ページ)。
1巻一一2巻一一3巻の順に追跡し,論理構成のこのようなことの生ずる原因は,資本価値の自 一貫性を考えてみよう。
立的運動と,使用価値としての素材的な運動とが
未分離であったからである。だからこそ,貨幣資 『資本論』第1巻で,マルクスが固定資本の減 本の分類に当惑すると共に,流動資本の中の可変 価について最初にふれるのは,第6章「不変資本 資本部分の扱いにも困惑せざるをえなくなる。マ と可変資本」の末尾である。
ルクスは,これを労働者の購入する生活必需品に 「原料の価値と同じように,すでに生産過程で 還元して,これを「流動資本」とよんでいる。し 役だっている労働手段すなわち機械その他の価値 かし,そうなると,資本家の生活資金で購入され も,したがってまたそれらが生産物に引き渡す価 る生活手段や,原材料は固定資本(実は労働手段) 値部分も,変動することがある。たとえば,もし からも「流動資本」 (実は労働者用生活手段)か 新たな発明によって同じ種類の機械がより少ない らも脱落する。 労働支出で再生産されるならば,古い機械は多か
武 井:周期的恐慌の必然性と固定資本 25
れ少なかれ減価し,したがってまた,それに比例 マルクスはこれに続けて,「イギリスの巨大綿 してより少ない価値を生産物に移すことになる」 業者の一人であるアシュワース」がN.W.シー
(K.1,S.255,訳,マルクス・エンゲルス全集, ニアに対して「もしわれわれの使用人(すなわち 大月版23a,274ページ)。 工場労働者)の一人が工場を去るならば,彼は
次に,第4篇第13章「機械と大工業」ではこの 100,000ポンド。スターリングもかかった資本を 点が労働日延長の重要な契機となる点が指摘され むだにすることになる」と教えたという言葉を引 る。 用し,「考えても見よ!100,000ポンドもかかっ
「しかし,物質的な摩滅のほかに,機械はいわば た資本をただの一瞬でも『むだ』にするとは!
無形の摩i滅(moralischen Verschleiss)の危険にも じっさい恐しいことにちがいない,われわれの使 さらされている。同じ構造の機械がもっと安く再 用入の一人がかりそめにも工場を去るというよう 生産されうるようになるとか,この機械と並んで なことは! 機械の規模が大きくなるということ
もっと優秀な機械が競争者として現れるようにな は,アシュワースに教えられたシーニアにもわか るとかすれば,それに応じて機械は交換価値を るように,労働日がますます延長されてゆくこ 失ってゆく。どちらの場合にも,たとえ機械その とを『望ましい』ものにするのである」(K.1,
ものはまだ若くて生活力を持っていようとも,そ S・428,訳23a,529〜30ページ)といっている。
の価値は,もはや,実際にその機械自身に対象化 ここでは,価値増殖よりも価値維持・回収の方が
. ・ ■ 9 ■ ● ● G O ● ● ● ● ■ ● ●
されている労働時間によっては規定されないで, より強く生産の目標になっているといってよい。
● ● ● ● ● ● ● o ● ● ■ ● ● ● ・
それ自身の再生産かまたはもっと優秀な機械の再
生産に必要な労働時間によって規定されている。 以上の点が景気循環の進行とどう関わるかは,
したがって,それは多かれ少なかれ減価している。 資本の蓄積過程で始めて明らかにされる。
機械の総価値が再生産される期間が短かければ短 『資本論』第1巻第7篇「資本の蓄積過程」第 いほど・無形の摩滅の危険は小さくなり,そして, 23章「資本主義的蓄積の一般的法則」では,第1 労働日が長ければ長いほど,かの期間は短い」 節で「資本構成の不変な場合に蓄積に伴う労働力
(KI,S.426〜7,訳23a,528ページゴチ筆者)。 需要の増加」を論じ,第2節で「蓄積およびそれ
「労働日を延長すれば,生産規模は拡大される に伴う集積の進行途上での可変資本の相対的減 が,機械や建物に投ぜられる資本部分は不変のま 少」を論じているが,この二つの蓄積の型が景気 まである。したがって剰余価値が延長されるだけ 循環の各局面に応じてどのように現れるかについ ではなく・その搾取のために必要な支出が減少す ては明確ではない。マルクスは一・方では世紀的単 ることになる。このことは,ほかの場合でも労働 位でこの問題を扱っている。「たとえば,紡績業 日が延長されればつねに多かれ少なかれ起きるこ に投ぜられている資本価値は,今日では%が不変 とではあるが,この場合にはいっそう決定的に重 部分で,嬉が可変部分であるが,18世紀の初めに 要である。というのは,ここでは労働手段に転化 は%が不変部分で,%が可変部分だった」(KI,
される資本部分が一般にいっそう大きな比重をも &651,訳23b,813ページ)というのが,その一一 つからである。すなわち,機械経営の発展は,資 例である。これは「同じ一つの国についていろい 本のうちのたえず増大する一成分を・資本が一方 ろ経済的時代を比較してみた」場合,その単位が ではたえず価値増殖を続けうると同時に他方では 世紀的長さにわたっていることを意味する。しか 生きている労働との接触を中断されれば,たちま し,「資本主義体制の一般的基礎がひとたび与え ち使用価値も交換価値も失ってしまうような形態 られれば,蓄積の進行中には,社会的労働の生産 に,抱束するのである」(KI,S427〜8,訳23a, 性の発展が蓄積の最も強力な槙秤となる点が必ず 529ページ)。 現れる」(K.1,S.650,訳23 b,811〜2ページ)
とか,「蓄積が与えられた技術的基礎の上での生産 う形態規定は,だた,生産過程で機能する資本価 の単なる拡張として作用する中休み期間は,短く 値,すなわち生産資本の回転の相違から生ずるだ
● ● ● ●
ネってゆく」(KI・&658・訳23b,820ページ) けである」旨を強調し,「貨幣資本や商品資本が とかいう言葉をみると,産業資本確立後の主要な どんなによく資本として機能し,どんなに流動的 蓄積型態は構成高度化的なものだと考えていたと に流通しようとも,それらが固定資本にたいして いえる。 流動資本になることができるのは,それらが生産
しかし,蓄積が「与えられた技術的基礎の上で」 資本の流動的な誠分に転化してからのことであ 単なる拡張として行われねばならぬ必然性と,そ る。ところが,この貨幣資本と商品資本という二 れから解放されている時期の必然性との区別は明 つの資本形態は流通部面をすみかとしているため 確ではなく,前者は単に後者の一時的中休みとし に,A・スミス以来の経済学は,われわれが後に て片づけられている感じである。 見るように,これに迷わされてこの二つの資本形
もっとも,だからといって,マルクスがここで 態を流動資本という範疇のもとで生産資本の流 固定資本を全く無視しているとはいえない。たと 動部分とごちゃまぜにしてきたのである。じっさ えば,第23章第2節の末尾では, い,この二つの資本形態は,生産資本にたいして
「正常な蓄積の進行中に形成される追加資本は, は流通資本ではあるが,しかし,固定資本にたい 特に,新しい発明や発見,一般に産業上の諸改良 する流動資本ではないのである」(K』,S.168,
を利用するための媒体として役立つ。しかし,元 訳24,204ページ)といっている。これはスミス の資本も,いつかはその全身を新しくする時期に 以下の古典派批判という形をとってはいるが,『要 達するのであって,その時には古い皮を脱ぎ捨て 綱』時代の自己批判でもある。マルクスは第10章 ると同時に技術的に改良された姿で生き返るので 「固定資本と流動資本とに関する諸学説」で重農 あり,その姿では前よりも多くの機械や原料を動 学派とA・スミス,第11章で同じくリカードを批 かすのに前よりも少ない労働量で足りるようにな 判しているが,このように学説史的部分が本文の るのである」(KI,S・657,訳23b,819ページ) 付録となっている箇所は,『資本論』中,ここと といっている。しかし,この点を景気循環の各 再生産表式の部分だけである。このことは,これ 局面にわたってさらに深く分析することはなされ らの理論部分が『資本論』体系中もっとも後期に ていない。 仕上げられた箇所であり,また従って難問部分で
あったことを示すものにほかならない。4『資本論』第2巻の固定資本論 固定資本の摩滅にっいて,マルクスは第一に
『資本論』第2巻は現行『資本論』体系中もっと 「使用すること自体によってひき起される」摩損,
も後に執筆されたものであるから,ここにおける 第二に「自然力の影響によって生ずる」ものをあ 理論水準から,他の巻,特に第3巻の理論的低水 げ,「最後に,大工業ではどこでもそうであるよ 準を批判できるという点で・きわめて重要である。 うに,ここでも無形の摩滅がその役割を演ずる。
その第1篇「資本の諸変態とその循環」で貨幣 たとえば,以前は4万ポンドだったのと同数の車 資本の循環・生産資本の循環・商品資本の循環, 輌や機関車が10年たてば3万ポンドで買えるとい および流通費を論じた後・第2篇「資本の回転」 うことは,普通のことである。したがって,この で・固定資本と流動資本の形態規定がなされてい ような材料については,使用価値の減損が生じな る。第8章「固定資本と流動資本」第1節「形態 いばあいにも,市場価格の25%の減価を見積もら 上の相違」の末尾で,マルクスは4項に分けて結 なければならない」(K』,&171〜2,訳24,207 論を下している。 ページ)といい,続けて次のようにいう。
まず,第1項では,「固定資本と流動資本とい 「労働手段は大部分は産業の進歩によってたえ
武 井:周期的恐慌の必然性と固定資本 27
ず変革される。したがって,それは元の形ででは である。このような,連続的な,いくつもの回転 なく,変革された形で補填される。一方では,大 を含んでいて多年にわたる循環に,資本はその 量の固定資本が一定の現物形態で投下されてい 固定的成分によって縛りつけられているのである て,その形態のままで一定の平均寿命だけもちこ が,このような循環によって,周期的な恐慌の一 たえなければならないということが,新しい機械 つの物質的な基礎が生ずるのであって,この循環 などが除々にしか採用されないことの原因になっ のなかで事業は不振,中位の活況,過度の繁忙,
ており,したがってまた,改良された労働手段の 恐慌という継起する諸時期を通るのである。資本 急速な一般的な採用を妨げる障害にもなってい の投下される時期は非常に種々さまざまである。
る。他方では,競争戦が,ことに決定的な変革に とはいえ,恐慌はいつでも大きな新投資の出発点 さいしては,古い労働手段が自然死の時期に達す をなしている。したがってまた一社会全体とし る前にそれを新しいものと取り替えることを強制 て見れば一多かれ少なかれ次の回転循環のため する。このように事業設備をかなり大きな社会的 の一っの新たな物質的基礎をなすのである」(K.
規模で早期に更新することを強要するものは,お ∬,S.185〜6,訳24,226ページ)。
もに災害や恐慌である」(K・∬,S・171・訳24,208 ここでは,「このような循環によって周期的な ページ)。 恐慌の一つの物質的な基礎が生ずる」といってい
ここでは固定資本の「無形の摩損」による「早 るが,何故にそれが物質的基礎となるかについて 期更新」が実現されるのは,恐慌後の時期である は,全く語られていない。逆に恐慌が「大きな新 としている。恐慌後といっても,不況期のいつの 投資の出発点」となることによって「次の回転循 時点かについてはのべていない。しかし,それが 環のための一つの新たな物質的基礎」となること 景気の下降期ではなく,回復期であろうことは論 が語られているにすぎない。こうして,マルクス 理的に出てくる。こうして,われわれは恐慌と固 は恐慌論の核心に迫りながら,遂にそれに到達す 定資本の「無形の摩損」というこの論文の中心テ ることはできなかったのである。
一マに接近するのであるが,マルクスはこのよう 5『資本論』第3巻第5・6章での不変な「無形の摩損」を含む固定資本の生命循環を
資本の節約と価格変動論「周期的な恐慌の一つの物質的な基礎」とみなし
ている。 『資本論』第3巻では,第1篇第5章「不変資
「だから,資本主義的生産様式の発展につれて 本充用上の節約」の第1節「概説」で,固定資本 充用される固定資本の価値量と寿命とが増大する の増大に伴う不変資本充用上の節約が説かれてい のと同じ度合いで,産業の生命も各個の投資にお る。
ける産業資本の生命も,多年にわたるものに,た 「不変資本の固定部分,すなわち工場の建物や とえば平均して10年というようなものになるので 機械などの規模は,それを用いて行われる作業が ある。一方で固定資本の発達がこの生命を延長す 16時間であろうと12時間であろうと,同じである。
るとすれば,他方では,同様に資本主義的生産様 労働日の延長は,このような不変資本中の最も費 式の発展につれて,生産手段の変化も,それが肉 用のかかる部分の新たな投下を必要としない。そ 体的に生命を終るよりもずっと前から無形の摩滅 のうえに,こうして固定資本の価値はより少ない のためにたえず補填される必要も,増大する。大 数の回転期間で再生産され,したがって,一定の 工業の最も決定的な諸部門については,この生命 利潤をあげるために固定資本を前貸ししておかな 循環は今日では平均して10年の周期をもつものと ければならない期間は短縮される。それゆえ,労 推定してよい。とはいえ,ここでは特定の年数が 働日の延長は,超過労働時間が支払われる場合に 問題なのではない。ただ,次のことだけは明らか も,またある限界までは,超過時間が標準労働時
問よりも高く支払われる場合にさえも,利潤を高 の方法は,資本に内在する力として,また資本主 くするのである。それゆえ,近代的な産業体制で 義的生産様式に固有でこの生産様式を特徴づける は固定資本をふやす必要がますます大きくなると 方法として現れるのである」(K皿,S.95,訳25a,
いうことは,利潤をむさぼる資本家にとっては労 107ページ)とか,「さらに,これに加えて、大規模 働日の延長への主要な刺激だったのである」(K. 生産が,資本主義的形態ではじめて発展するよう
皿,S.87,訳25a,98ページ)。 に,一方では狂暴な利潤欲が,他方では商品ので
「多くの経常的な雑費は,労働日が長くなって きるだけ安い生産を強制する競争が,このような も短かくなっても,ほとんど変わらないかまたは 不変資本充用上の節約を資本主義的生産様式に特 全然変わらない。監督費は労働者が750人で12時 有なものとして現われさせ,したがって資本家の 間労働の場合よりも,500人で18時間の場合の方 機能として現われさせるのである」(K皿,S.96,
が少ない。 訳25a,108ページ)とか述べて,その機械制大工 国税や地方税,火災保険料,いろいろな常雇使 業的資本主義的性格を強調するが,特に注目を要 用人の賃金,機械の減価,そのほか工場のいろいろ するのは,次の指摘である。
な雑費は,労働時間が長くても短くても変わるこ 「資本は生きている労働の直接的充用にさいし となく先立って出てゆく。生産が減るにっれて, ては,それを必要な労働に還元しようとし,また これらの費用は利潤に比べて大きくなる」(K.皿, 一つの生産物の生産に必要な労働を労働の社会的 S.88,訳25a,99ページ)。 生産諸力の搾取によってたえず短縮しようとし,
ここであげられている諸雑費中,機械の減価と こうして直接に充用される生きている労働をでき いうのは,「無形の減価」であるが,これは他の雑 るだけ節約しようとする傾向をもつのであるが,
費が常時,好況期にも不況期にも存在しているの 同時にまた,このような,その必要な限度にまで に対し,好況期には潜在的にその可能1生が増大 切りつめられた労働を,できるだけ経済的な諸条
し,不況期に集中的に現実化するというちがいが 件のもとで充用しようとする傾向,つまり充用さ ある。というのは,好況期に資本構成高度化的な れる不変資本の価値をできるかぎり最少限度に切 蓄積が進行するにつれて,社会的価値水準の下落 りつめようとする傾向をもっている。商品の価値 の可能性が強まるからである。そしてその可能陸 は,その商品に合まれている必要な労働時間に の増大につれ,資本家のこれに対する対応的行 よって規定されているのであって,およそその商 動,すなわち,生産の大量的,連続的遂行をひき 品に含まれているかぎりの労働時間によって規定 起すであろう。いいかえれば,好況の末期には集 されているのではないとすれば,資本こそは,こ 中豪雨的大量生産の必然性が生育し,しかもこれ の規定をはじめて実現すると同時に一つの商品の が周期的にくり返されるのである。もしその流通 生産に社会的に必要な労働時間をますます短縮し 過程における価値実現が可能ならば,別段問題は てゆくのである。これによって商品の価格はその
ない。だが,流通の水路はこのような集中豪雨的 最低限度まで引き下げられる。なぜならば,商品 大量生産物を吸収しうるだけの容量を持たないこ の生産に必要な労働のすべての部分が最少限度ま とはいうまでもない。こうしてひき起こされる周 で切りつめられるからである」(K.皿,S.97,訳 期的過剰生産こそが,恐慌の主要原因なのではあ 25a,109〜110ページ)。
るまいか。 これは前に述べたことのふえんであると同時
● ● ●
これについては,また後にふれるとして,ここ に,一歩進んで価値法則の貫徹と確立とをそこに におけるマルクスの規定をさらに追ってみよう。 見ようとするものである。固定資本の減価におび 彼は「このような生産手段の充用の節約,すなわ えての好況末期における集中豪雨的大量生産は,
ち一定の成果を最小の支出で達成しようとするこ このような意味での価値法則の貫徹過程であると
武 井:周期的恐慌の必然性と固定資本 29
いいうるであろう。 ける次の叙述を見るべきである。
さて,第1篇第6章「価格変動の影響」で,マ 「原料の価格,たとえば棉花の価格が上がれば,
ルクスは恐慌論についての重要な指摘を行ってい もっと安い綿花で製造された綿製品一糸のよう る。 な半製品と織物などのような完成品一の価格も
「植物性および動物陸の素材の生長や生産は, 上がる。同様に,まだ加工されないで倉庫にある ある程度の自然期間に結びついている一定の有機 棉花の価値も,まだ加工中の棉花の価値も上が 的諸法則に従わざるをえないので,このような素 る。このような棉花は,遡及作用によってより多 材は,たとえば機械やその他の固定資本や石炭や くの労働時間の表現となるのだから・それが成分 鉱石などのようにその増加が一他の自然条件を として入ってゆく生産物に,その棉花が最初に 前提すれば 産業的に発達した国では非常に短 もっていたよりも,また資本家がそれに支払った い期間に行われうるものと同じ度合いで急激にふ よりも,高い価値をつけ加えるのである。
やされることはできない。それゆえ,不変資本の だから,原料の価格が上ったときに多量の完成 うちで機械などの固定資本から成っている部分の 商品が,その完成の程度はどうであろうと,市場 生産や増加が,有機的原料から成っている部分よ にあるならば,この商品の価値は上がり,した
りもずっと速く進んで,そのためにこの有機的原 がってまた既存資本価値の上昇が起きるのであ 料にたいする需要がその供給よりも速く大きくな る。同じことは,生産者の手にある原料などの在 り,したがってその価格が上るということは,あ 庫についても言える。このような増価は,個々の りうることであり,また発展した資本主義的生産 資本家にとっては,また資本の一つの特殊な生産 では避けられないことでさえある。…… 部面全体にとっても,原料の価格騰貴から生ずる
・・ 走{主義的生産が発展していればいるほ 利潤率の低下を償うことがありうるし,またそれ ど,したがって不変資本中の機械などから成って を償って余りあることもありうる。ここでは競争 いる部分を急激に持続的に増加させる手段が大き の詳細には立ち入らないとしても,補足として次 ければ大きいほど,また蓄積が(ことに繁栄期に のようなことが言える。
見られるように)急激であればあるほど,それだ (1源料の在庫が相当に大きい場合には,それは け機械やその他の固定資本の相対的な過剰生産は 原料の生産場所で生じた価格騰貴を迎えるように 大きく,それだけ植物性および動物性の原料の相 作用するということ。(2)市場にある半製品や完成 対的な過少生産は頻繁であり,それだけこれらの 商品が非常に市場を圧迫している場合には,それ 原料の価格の前述のような騰貴もそれに対応する は完成商品や半製品の価格がその原料の価格に比 反動もはっきりしてくる。したがってまた,再生 例して騰貴することを妨げるということ」(K.皿,
産過程の主要な要素の一つのこのような激しい価 S・122,訳25a,142〜3ページ)。
格変動を原因とする激しい動揺も,それだけます これによって明らかなように・原料の価格騰貴 ます頻繁になるのである」(K.皿,S.129,訳25a, はそれが入りこんでゆく部門の利潤率低下に必然 150ページ)。 的に結びつくものではない。しかし,たとえ,結
ここでは供給の価格弾力性の相違から生ずる原 びつくとしても,それは主に完成品生産部門にお 料の価格騰貴を「再生産過程の動揺」の大きな原 ける生産の拡大によってひきおこされたもので,
因としているが,この 「動揺」が恐慌を指すこと その意味では消極的な原因にすぎない。実際・
はいうまでもない。それではマルクスはこのよう 原料の価格騰貴が大きな影響をもたらすのは,そ な原因から生ずる部門間不均衡を恐慌の主要原因 れが加工される完成品部門における過剰生産とそ とみていたのだろうか。これについては同章第2 の生産物の価格停滞ないし下落と結びついた場合 節「資本の増加と減価,資本の遊離と抱束」にお である。
マルクスはこの点を同章第3節「一般的例証 や,なに故に好況末期に集中豪雨的過剰生産が生 1861〜1865年の棉花恐慌」の「前史一1845〜 ずるかにある。
1860年)と題する部分で強調する。 6『資本論』第3巻第15章における
「1846年。苦情が始まる。 恐慌論 『もうずっと前から,私は綿紡績工場主たちか
ら彼らの事業の不振について非常にひろまってい 『資本論』第3巻第1篇第15章「この法則の内 る苦情を聞いている。……最近の6週間にいくつ 的な諸矛盾の展開」は第1節「概説」,第2節「生 かの工場は,通例1日に12時間から8時間へと操 産の拡大と価値増殖との衡突」,第3節「人口の 業短縮を始めた。これが広がってゆくように思わ 過剰を伴う資本の過剰」,第4節「補遣」より成 れる。……棉花価格の非常な騰貴が現われたが, る。ここでの主題は「利潤率の低下は新たな独立
……サ品の価格騰貴が現われないだけではなく, 資本の形成を緩漫にし,したがって資本主義的生 むしろ……その価格は綿花騰貴の前よりも低く 産過程の発展を脅かすものとして現われる。それ なっている。最近4年間の綿紡績工場数の大増加 は過剰生産や投機や恐慌を促進し,過剰人口と同 は,一一方では原料需要の激増をひきおこし,他方 時に現われる過剰資本を促進する」(K.皿,S.252,
では市場への製品の激増をひきおこしたにちがい 訳25a,304ページ)という文章に示されている。
ない。この二つの原因は,原料供給と製品需要と しかし,ここでのマルクスの叙述は錯走してい が変わらなかったかぎり,両方とも利潤の引下げ て,必ずしも理解は容易ではない。
に作用したにちがいない。しかし,それらはもっ まず,第1節での論理は次のように構成される。
とずっと強く作用したのであって,そのわけは, 「必要な生産手段すなわち十分な資本蓄積を前
・一福ナは近ごろは綿花の供給が不十分だったから 提すれば,剰余価値の創造には,剰余価値率すな であり,他方では国内でも国外でもあちこちの市 わち労働の搾取度が与えられていれば労働者人口 場で製品の需要が減ってきたからである』(『工場 のほかにはなんの制限もなく,また労働者人口が 監督官報告書。1846年10月』,10ページ)。 与えられていれば,労働の搾取度のほかにはなん 原料需要の増加と市場の製品供給過剰とは,も の制限もない」(K・皿,$253,訳25a,306ページ)。
ちうん,一緒に進んでゆく。…… この「過程の第一幕」にマルクスは今のところ
『それらはすべて多かれ少なかれ最近の10年間 何の問題も見出さない。「そこで,過程の第二幕 に市場の供給過剰の原因になったのであって,現 が始まる」。
在の営業不振の大部分はこの過剰のせいだと考え 「直接的搾取の諸条件とこの搾取の実現の諸条 なければならない。事業の不況がこんなに急激な 件とは同じではない。それらは時間的および場所 工場や機械の拡張から生ずるのは,まったく当然 的に一致しないだけではなく,概念的にも一致し である』(『工場監督官報告書。1846年10月』,30 ない。一方はただ社会の生産力によって制限され ページ)。(K皿,S・134〜135,訳157〜158ペー ているだけであり,他方はいろいろな生産部門の ジ)。〔ゴチ筆者〕 あいだの均衡関係によって,また社会の消費力に ここで引用されている工場監督官の報告書の資 よって,制限されている」(K・皿,S・254,訳25刷 料的価値については,今さらいうまでもないが, 307ページ)。
1847年恐慌のばあいは,1846年になって漸く完成 マルクスはこの「社会の消費力」に重点をおき.
品の過剰生産の傾向が明確となり,それがもたら それを「社会の大衆の消費」に還元し・それが した原料価格の上昇と相まって,綿工業の利潤率 「多かれ少なかれ狭い限界のなかでしか変動しな を押し下げる結果となったことが,これによって い最低限に引き下げられて」おり,また「さらに 明白に証言されている。こうして,問題はいま 蓄積への欲求」によって制限されていることを述
武 井:周期的恐慌の必然性と固定資本 31
べる。ついで, ここでの難点は「生産力の絶対的な発展への傾
「これこそは資本主義的生産にとっての法則な 向∫が「既存資本価値の維持とその最高度の増殖」
のであって,それは生産方法そのものの不断の革 と外面的に対置されていることである。そのため 命,つねにこれと結びついている既存資本の減 に,この矛盾の解決である恐慌の周期性の解明が 価,一般的な競争戦,没落の脅威のもとでただ継 不可能になる。いいかえれば「生産力の発展」は 続するだけの手段として,生産を改良し,生産規 「既存資本価値の維持とその最高度の増殖」とい 模を拡大することの必要によって,与えられてい う目的によって当初促進されるが,ある時点でそ るのである。それだから,市場は絶えず拡大され れと衝突するようになるという弁証法的過程が説 なければならないのであり,……内的な矛盾が生 明されていないために,周期性の解明も不可能に 産の外的な場面の拡大によって解決を求めるので なるのである。
ある。ところが,生産力が発展すればするほど, このように,ここで周期性の解明に失敗したこ ますますそれは消費関係が立脚する狭い基礎と矛 とが第3節での労賃騰貴による資本の絶対的過剰 盾してくる」(K』,S.254〜5,訳25a,307ペー 説の導入の伏線になってゆく。
ジ)と述べている。 「それゆえ,個々の商品の過剰生産ではなく,
ここでは,一方で生産力の発展について一般的 資本の過剰生産一一といっても,資本の過剰生産 に述べ,他方で価値実現の制約である消費力の限 はつねに商品の過剰生産を含んでいるのだが一一 界をこれに対置させている。そのために,両者の の意味するものは,資本の過剰蓄積以外のなにも 衝突が周期的なものとしてとらえられずに,不断 のでもないのである。この過剰蓄積がなんである に存在することにならざるをえない。 かを理解するためには(それのもっとも詳しい研 同じような欠陥は第2節でも見られる。 究はもっとあとで行われる),それを絶対的なも
「抗争する諸能因の衝突は周期的に恐慌にはけ のと仮定してみさえすればよい。どんな場合に資 口を求める。恐慌は,つねに,ただ既存の諸矛盾 本の過剰生産は絶対的なのだろうか? しかも・
の一時的な暴力的な解決でしかなく,撹乱された あれこれの生産領域とか二つ三っの重要な生産領 均衡を一瞬間回復する暴力的な爆発でしかない。 域とかに及ぶのではなく・その範囲そのものにお 矛盾は,ごく一般的に言えば,次のような点に いて絶対的であるような,つまりすべての生産 ある。すなわち,資本主義的生産様式は,価値や 領域を包括するような・過剰生産は?」(K・皿・
それに含まれている剰余価値を離れてみれば,ま S・226,訳25a・315ページ)。
た資本主義的生産がそのなかで行われる社会的諸 ここで資本の「絶対的過剰」というのは・「すべ ■ ● ●
関係をも離れてみれば,生産力の絶対的な発展へ ての生産領域を包括する」という意味で用いられ の傾向を含んでいるが,同時に他面では既存資本 ているのであるが,これは従来のマルクスの恐慌 価値の維持とその最高度の増殖(すなわちこの価 論とは大いにくいちがっている。というのはマル
値のますます速くなる増大)とを目的としている クスは全般的恐慌を説くには「主要産業における (1)
という点にある。この生産様式の独自な性格は, 過剰生産」を説けばよいとしていたからである。
既存の資本価値をこの価値の最大可能な増殖のた すでにみたように,マルクスは第1篇第6章では めの手段とすることに向けられている。それがこ 原料生産部門における「過少生産」と完成品生産 の目的を達成する諸方法は,利潤率の低下,既存 部門における「過剰生産」との不均衡から恐慌 資本の減価,すなわち,すでに生産されている生 を説明しようとしていた。それがここにいたって 産力を犠牲としての労働の生産力の発展を含んで 「全生産部門における過剰生産」へと視点が変る いるのである」(K皿,S.259,訳25a,312〜3ぺ のである。しかし,その説明は「主要産業部門」
一ジ)6 における周期的過剰生産の解明よりも難かしいた
めに,「過剰生産」は労働力に対する「過剰蓄積」 ω「恐慌(したがってまた過剰生産)が一般的であ へとすりかえられる。 るためには,それが主要商品を襲えば足りる」
「資本主義的生産を目的とする追加資本がゼロ (TheorieロUbeτden Mehrwert S 506,訳大月 になれば,そこには資本の絶対的な過剰生産があ 版全集∬・683ページ)。
るわけであろう。しかし,資本主義的生産の目的
は資本の:増殖である。すなわち,剰余労働の取得 7結論的考察
であり,剰余価値,利潤の生産である。だから, すでに述べたように,固定資本と流動資本の形 労働時間に比べて資本が増大しすぎて,この人口 態規定はマルクスの一連の経済学研究の中でもっ が供給する絶対的労働時間も延長できないし, ともおそく完成したものである。したがって,こ 相対的剰余労働時間も拡張できないようになれば れを前提にしなければならない資本蓄積論が不備
(相対的剰余労働時間の拡張は,労働に対する需 な点を残さざるをえないのは当然であった。この 要が強くて,賃金の上昇傾向が強いような場合に 点が第3巻第15章における恐慌論の展開に重大な はどのみち不可能であろうが),つまり増大した 影響を与えたのである。ここでは利潤率の低下が 資本が,増大する前と同じか,またはそれよりも どのようにして「過剰生産や投機や恐慌を促進 少ない剰余価値量しか生産しなくなれば,そこに し,過剰人口と同時に現われる過剰資本を促進す は資本の絶対的過剰生産が生ずるわけであろう。 る」かという問題意識の下に,当初「剰余価値の
…… ヌちらの場合にも一般的利潤率のひどい突然 生産と実現」の矛盾が追求される。しかし,この の低下が起きるであろうが,しかし今度は,この ような一般論的抽象次元における問題設定の視角 低下をひき起す資本構成の変動は,生産力の発展 の下では,好況末期における周期的過剰生産の必 によるものではなく,可変資本の貨幣価値の増大 然性を説明することはできない。ここでは利潤率
(賃金の上昇による)と,これに対応する必要労 の低下はすでに与えられたものとして現われる。
働に対する剰余労働の割合の減少とによるもので しかし,それが蓄積に及ぼす影響については,矛 あろう」(K.皿,S.261〜2,訳25a,315〜6ページ)。 盾した説明が与えられる。一方では,「利潤率が
この命題に対する疑問は,すでにみたように 低下すると同時に諸資本の量は増大し,またこれ
「生産のあらゆる領域」における過剰蓄積を説く に伴って既存資本の減価が進み,この減価は利潤 必要があるかということのほかに,第二として, 率の低下を妨げて資本価値の蓄積に促進的な刺激 このような絶対的過剰論の基礎になる蓄積論との を与える」(K.皿,S.259,訳25a,312ページ)と っながりの欠如である。資本構成の高度化的蓄積 され,他方では,「利潤率が下がれば,一方では,
を主要なものとみるマルクスの蓄積論はすでにみ 個々の資本家が改良された方法などによって自分 たとおりだが,それとのつながりは断絶している の個身の商品の個別的価値をその社会的平均的価 上に,資本主義周辺からの産業予備軍の動員をも 値よりも低く押し下げようとし,与えられた市場 考え合せれば,ここにおけるような絶対的過剰論 価格のもとで特別利潤を得ようとして,資本の緊 は絶対に構築不可能というしかないのである。第 張が生ずる。他方では思惑が現われ,それは一般 三の疑問として,労賃上昇によって資本蓄積が褒 的平均にはかかわりなくそれを越えて高くなる特 えれば,その時点で利潤率の低下も停止すること 別利潤をいくらかでも確保するための新たな生産 は予想としていえても,どうして「一般的利潤率 方法,薪たな投資,新たな冒険の熱狂的な試みに のひどい突然の低下」が生ずるのかは不可解とい よって・一般的に助長される」(K・皿,S・269,訳
うしかない,ということである。少くとも,ここ 25a,324ペー一ジ)とされる。一体,利潤率は上る の説明だけでは理解するのに困難である。 のか下るのか。上っても下っても蓄積を促進する
というのでは,結局何も説明してはいないことに
武 井:周期的恐慌の必然性と固定資本 33
なる。つまるところ,資本には生産力を無制限に の同種の作業機に伝えられ,そこからこれらの作
● ● ● ■ ● ● ●
拡張する傾向があるとされ,この傾向が価値維 業機が同時に均等に衝撃を受けるからである。そ 持・増殖という制約と衡突するとされる。そのた して,この伝動機構もまたある程度までこれらの めに資本主義的生産の「一般的矛盾」が「既存資 作業機に共通である。というのは,各個の道具機 本価値の維持・増殖」という目的と「利潤率の低 のためにはただこの伝動機構の別々な先端が枝に 下,既存資本の減価」をもたらす生産力の発展と なって出ているだけだからである。ちょうど,た の矛盾としてとらえられながらも,この矛盾の激 くさんの道具が一つの作業機の諸器官をなしてい 化・爆発・再形成が景気循環局面の変化とどのよ るように,今では多数の作業機がただ同じ運動機 うに相関するのか,という問題は素通りされる。 構の同種の諸器官をなしているだけである」(K.
そして,ここにおける理論的不毛性が資本の絶対 1,S.399〜400,訳23a,494〜5ページ,傍点筆 過剰説へ転換してゆく契機となったのであった。 者)。
これによって明らかなように,共通の原動機か 以上のような検討から導かれる結論は,固定資 ら動力を受取る「多数の同種の作業機の空間的集 本と流動資本の形態規定を前提として資本蓄積過 合」が工場である。したがって,同一工場内で既 程を構成し,景気循環運動の物質的基礎を確定す 存の原動機から動力を受取る形で作業機の追加的 る必要があるということである。そのために必要 集積が行われる場合には,既存の作業機と同種の な基礎作業の一つは,機械制大工場の技術的性格 ものが導入されなければならない。あるいはまた の分析であるが,それはすでに『資本論』第1巻 部分的・つぎ足し的拡張を機により効率的な原動 で行われている。 機に更新される場合もありうるだろう。しかし,
「産業革命の出発点になる機械は,ただ一箇の いずれの場合にも,そこには技術的統一性がなけ 道具を取扱う労働者の代わりに一つの機構をもっ ればならないのである。これに反して,工場を新 てくるのであるが,この機構は一時に多数の同一 設する形で拡張が行われる場合には,そのような
■ ■
または同種の道具を用いて作業し,またその形態 技術的制約は一切見当らない。問題はそのような
■ ■ ● o ●
がどうであろうと単一の原動力によって動かされ 構成高度化的蓄積によって,既存投資が陳腐化
● ● ■ ● o ●
るものである」(K・1,S・396,訳23a,491ページ, し,「無形の摩損」をこうむることであるが,元 傍点筆者)。 来,追加投資が行われるのは好況期における市場
「このような作業機が一つの複雑な手工業道具 拡大期であるし,それに自由競争の下では自分が の機械的再生でしかないものであろうと,または 投資を抑制しても,他の資本家が行うのはいかん マニュファクチュア的に特殊化された各種の簡単 ともしがたい。それにもし新設投資によって既存 な用具の組合せであろうと, 工場では,すな 投資が陳腐化するとしたら,そのような既存投資 わち機械経営にもとつく作業場では,つねに単 はすでに寿命が終りに近づき,したがって価値更 純な協業が再現するのであって,しかも,さしあ 新も終りに来ているものと考えられる。
たっては(ここでは労働者のことは問題にしない) 次に,これについての引用をしてみよう。
同時に一緒に働く同種の作業機の空間的集合とし 「1845年。綿業の最盛期。非常に低い綿花価格。
● ● ● ● ● ●
て再現するのである。こうして,織物工場は同じ これにっいてL.ホーナーは次のように言ってい 作業用建物のなかに多数の力織機が並列すること る。
によって形成され,裁縫工場は多数のミシンが並 『最近の八年間は,この夏と秋とに一般的だっ 列することによって形成される。しかし,ここに たような活況は見たことがなかった。特に綿紡績 は一つの技術的な統一がある。というのは,共同 業ではそうである。まる半年のあいだ私は毎週工
● ● ● ■ ● ● ● ● o ● ●
の原動機の心臓の鼓動が伝動機構をつうじて多数 場への新投資に関する報告を受け取った。新しい
■ ● ■ ● o ●