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36モ ッ セ 、 前 掲 書 、10頁 。

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エ ル ン ス ト・ユ ン ガ ー の 新 〉 ナ シ ョ ナ リ ズ ム に つ い て1

糸瀬 龍

第1章 エ ル ン ス ト ・ユ ンガ ー の政 治評 論 を読 む こ と

11920年 代 のユ ンガ ー の政 治論 文 に つい て

本 稿 は 、 ドイ ツ の 作 家 エ ル ン ス ト ・ユ ン ガ ー(ErnstJiinger,1895〜1998)の 作 活 動 初 期 に お け る ナ シ ョナ リ ス トと し て の 側 面 に 照 明 を あ て よ う と試 み る も の で あ る 。 こ の 際 筆 者 は 、 ユ ン ガ ー が ドイ ツ の1920年 代 、 い わ ゆ る ヴ ァ イ マ ル 共 和 国 期 に 著 し た 諸 々 の 政 治 論 文 の い くっ か を 対 象 とす る2。こ れ ら の 論 考 は 当 時 さま ざ ま な 同 人 誌 や 機 関 誌 に 掲 載 さ れ 数 多 く の 読 者 を 持 っ た が3、そ の う ち の ほ と ん どが ユ ン ガ ー の エ ル ン ス ト ・ク レ ッ ト社 版 著 作 集(1960〜1971)と ク レ ッ ト=コ ッ タ社 版 全 集(1978〜)に は 収 録 され て い な い4。

エ ル ン ス ト・ユ ン ガ ー は 段 誉 褒 既 の 激 しい 作 家 で あ る、とよ く言 われ る。ユ ンガ ー に 対 す る 評 価 の 振 幅 の 大 き さ は 、 何 に も ま して 彼 の ほ ぼ20世 紀 全 部 に わ た る 長 命

1本 論 文 は、2009年1月 に首 都 大学 東京 人 文 科 学研 究 科文 化 関係 論 専攻 ドイ ツ文 学教 室 に提 出 した 修 士論 文 「時代 のザ イ スモ グ ラ フー1920年 代 エ ル ン ス ト・ユ ンガー の 〈新〉 ナ シ ョナ

リズ ム」 の題 名 と文 章 の一 部 を変 更 した もの で あ る。

2こ れ ら1920年 代 に さま ざま な雑 誌 に載 っ たユ ンガ ー の論文 はお お よそ140篇 を数 え る

。 こ の うち100篇 以 上 は20年 代 の後 半 に集 中 して い る。Vgl.SteffenMartus,ErnstJUnger , Stuttgart/Weimar:Metzler,2001,S.49.

3当 時 ユ ン ガー は 、復員軍人組織 《鉄兜団(Stahlhe㎞)》 の機 関誌 『軍旗(Standarte)』 自身 が 主 宰す る 『アル ミニ ウス(Armrnius)』 、 『前 進(Vormarsch)』 な どに精 力 的 に寄稿 した 。

4収 録 され て い る もの も も ちろ ん あ る。 た だ し、 こ の作 家 の 常 で あ る の か、 第 二 次世 界 大 戦 以 前 の 著 作 が全 集 な どに収 録 され る際 に も 、大 幅 な改 稿 や部 分 的 削 除 が行 われ て い る。 た と えば20世 紀 の戦 争 を 「総動 員 」≫DietotaleMobilmachung<《 とい う概 念 で把 握 し定義 づ けた 同 名 の 論文 が そ うだ 。 こ の論 文 は、1930年 にユ ンガー の手 に よっ て編 集 され 発 行 され た論 文集

『戦争 と戦 士(KriegandKrieger)』 に発表 され た も ので あ る。 この論 文集 の 執筆 者 に はユ ン ガ ー の弟 で詩 人 の フ リー ドリヒ ・ゲ オル ク ・ユ ンガ ーや 、第 一 次 世界 大戦 に は 従 軍 しな か っ た が 大 戦後 の混 乱 期 に義 勇 軍 兵 士 と して活 動 し、 ヴ ァイマ ル 共 和 国外 相 ヴ ァル ター ・ラーテ ナ ウ暗 殺 に連 座 して懲 役刑 に服 した著 述 家の エル ンス ト ・フォ ン ・ザ ロモ ンな どが い る。

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に 因 る と ころが大 きい。ユ ンガー の長命 はそ の結 果 と して 、1920年 の 自費 出版 『 鉄 の 嵐 の 中で(lnStahlgewittern)』 に よって 幕 を開 い た彼 の長 い キ ャ リアの 中 で 膨 大 な 作 品群 を生 み 出 した。 著 作活 動 初 期 か ら、ユ ンガー はエ ッセイ ス トと して高 い 評 価 を 受 け て き た が 、 これ は 第 二 世 界 大 戦 以 前 の 『総 動 員(,,Dietotale Mobilmachung")』(1930)や 、彼 の主 著 と 目され る 『労働 者 支 配 と形 態(Der Arbeiter.HerrschaftandGestalt)』(1932)5の 著 者 と して のユ ン ガー に 向 け られ た もの で あ る。

『労働 者 』以 前 のユ ンガー の エ ッセ イ の 多 くは保 守 主義 的 ・ナ シ ョナ リズム 的性 向 を もつ もの で ある。 これ らナ シ ョナ リス テ ィ ック な20年 代 の論 考 を は じめ と し て、 そ の後 もユ ンガ ー は と りわ けエ ッセ イ ス トと して 賞賛 され 、 あ るい は攻 撃 の対 象 ともな るの で ある が、近 年 で は 、膨 大 に残 した 日記 形式 の作 品 に よ って 、 日記 文 学 の 作者 としての 評価 を高 めて い る6。そ れ らの 目記 ある いは小 説 作 品の 多 くは 第 二 次 世 界 大戦 以後 に書 かれ た もの で あ り、この期 間 は、20世 紀 とほぼ重 な るエ ル ンス

ト ・ユ ン ガー の著 作生 活 にお い て後 半 に位 置 す る もの で あ る。

こ こま でユ ンガ ー の作家 と して の経 歴 を 大 まか にた どって みた とき頭 に浮 か ぶ の は、 この章 の 冒頭 で 「殿 誉褒 既 の激 しい 作家 」 と筆 者 が述 べ た、 ユ ンガ ー に対 す る 評 価 の 分 かれ方 は 、 これ らの 日記 や あ るい は小 説 につ い て あるの で は ない とい うこ とで あ る。 そ うで は な くて 、ユ ン ガー へ の評 価 の 「分 かれ 則 は 、先 に述べ た よ う に彼 の エ ッセイ を対象 とす る とき は じめて 生ず るので あ る。 ユ ンガー の 作 品や とき には そ の書 き手 本 人 が、賞 賛 され る にせ よ、 あ るい は批判 者 の攻 撃 に さ ら され る に せ よ、 そ の どち ら もが、 ユ ンガ ー の多 分 に政 治 的 なエ ッセ イ の数 々 に対 して向 け ら れ るの で あ る。

5ユ ンガ ー と同 じく、当時保守的な思想家の一員 に数 えられ 、また第二次世界大戦後ナチ党 との 関 係 が 取 り沙 汰 され る こ とで も 共通 す るマ ル テ ィン ・ハ イ デ ガー の 『存 在 と時 間(Seen andZeit)』(1927)が 当時 の ドイ ツ にお け る哲 学 的 なセ ンセ ー シ ョンだ とす る と、 ユ ンガ ー の この 大部 の 論考 は 「文 学 的セ ンセイ シ ョン 」(脇圭 平 『知 識人 と政治 一 一 ドイ ツ ・1914〜1933』

岩 波 書店 、1973年 、159頁)と して迎 え られ たの で あ った。

6ユ ン ガー の 『総動 員』(田 尻 三千 夫訳)に 付 され た 丘澤 静 也 に よる 「解説 」(『現 代 思想 』1981 年1月 号(第9巻 第1号)、 青 土社 、175頁)参 照。 ま たユ ン ガー の小 説 『ヘ リオー ポ リス あ る都 市 の 回顧』(1949)の 日本 語 訳者 で もあ る 田尻三 千夫 はそ の 「あ とが き 」 で、ユン ガー の 日記 が 「ぼ くた ちが想 像 す る よ うな 事実 をそ の まま に語 る とい う意 味 での 素 朴 な 日記 で は な く、 過 去 に距 離 を おい た 視 点 か ら体 験 を新 た に構 成 し直 した 、何 回 で も書 き換 え可 能 な 作 品 と して の 日記 だ」 と指 摘 して い る(ユ ンガ ー 『ヘ リオー ポ リス』(下)、 国書 刊 行会 、1986 年 、232〜233頁)。 この意 味 で 、ユ ンガ ー が第 一 次世 界 大戦 の戦 場 で手 帳 につ け た 日記 を も

とに して書 い た 『鋼 鉄 の嵐 の 中で』 もま た 日記 文 学 のひ とっ だ とい え る。

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エ ル ン ス ト ・ユ ン ガ ー の 新 〉 ナ シ ョ ナ リ ズ ム に つ い て

ユ ンガー は 、1918年9月 、 幾度 に も及 ぶ 負 傷 を経 て 、 西部戦 線 で の活躍 に対 し てプ ロイセ ンの最 高 勲章 で あ るプ ール ・ル ・メ リッ ト勲 章(、PourleMerite)を 年 少 で 受 け る とい う名 誉 に あず か る7。 しか しこ の 「名 誉 の軍人 」も 、第 一次 世 界 大 戦 が 終 わ る と敗 軍 の将 校 と して復 員 兵 とな る8。そ のの ち 、人 員 を削減 され た 国防 軍 に残 っ て歩 兵操 典 の作 成 な どにユ ンガ ー はた ず さわ る が、 この 時期 に刊 行 され た の が 『鋼 鉄 の 嵐 の 中で』 で あ る。

この第 一 次世 界 大戦 で の戦 陣 日記 を元 とす る作 品 『鋼 鉄 の嵐 の 中で』 は 、第 一 次 世 界 大戦 後 に 出版 され た他 の数 多 くの 「戦 記 物 」 とは少 し変わ って い る。 両大 戦 間 期 の ドイ ツで 「戦 争小 説 の最 高傑 作」9と よ ばれ たエ ー リヒ=マ リーア ・レマ ル ク の 『西 部 戦線 異 状 な し(llnWesten.NichtsNeues)』(1929)や 、 自由主義 的 作 家 と して知 られ 、 ま た コ ミュニ ス トで もあ った フ ラ ンスの ア ン リ ・バル ビュス の小 説

砲 火(LeFeu)』loと 異 なっ てユ ンガー の 作 品 の調 子 は 、反戦 を叫 んだ り厭 戦 気 分 をっ つ っ た りす る ので は な く、そ の反 対 に戦 争 を血 気 盛 んに煽 った り、 た ん に戦 争 を賛 美 した りす るの で も ない。 そ こで 、戦 争 に 対す る 「評価 」 が 書 き手 に よ って な され る こ とは ほ とん どな い と言 って よい。 第 二 次世 界 大 戦前 に この作 品 を翻 訳 し た 旧 日本 陸軍 の佐 藤 雅雄 は、『鋼鉄 の嵐 の 中で 』を は じめ と した第 一 次世 界大 戦 直 後 のユ ンガ ー の著 作 が、 文学 者 の書 い た物 とい うよ り軍 事 雑誌 に載 る軍人 の書 き物 と して 当時 受 け とめ られ て いた と報 告 して い る11。先 に書 いた よ うにユ ンガ0の 日記 を 「書 き換 え可 能 な作 品」 と述べ た 田尻 も これ と同様 の ドイ ツのユ ン ガー研 究 者 の 理 解 を紹介 して い る。 この作 品に記 され て い るの は、一 貫 して戦 争 の 「観 察 」12な

71nStahlgewitternの 中 でユ ン ガー は 、戦争を回顧す るさい自分の負傷箇所を数え上 げてい る。 負 傷 回数 は 、 こ の作 品 で は 「14回 」 と記 され 、 カ ール ・シ ュ ミッ トとの 『往復 書 簡 』 に は 「7度の 後 に プール ・ル ・メ リ ッ ト受 勲 」(編者 キ ーゼ ル に よ る註)と あ る。7度 とい うの は 重傷 の みで あ る と思 わ れ る。

8敗 戦 時、 ユ ン ガー は少 尉 で あ った。

9モ ー ドリス ・エ クス タイ ンズ 『春 の祭 典一 第 一 次世 界大 戦 とモダ ン ・エイ ジの誕 生一 金 利 光 訳、 テ ィー ビー エス ・ブ リタニ カ、1991年 、388頁 。 「最高傑 作 」 とい うの はま た レ マ ル クの本 に ほ ぼ10年 先が け て出版 され た ユ ンガ ー の 『鋼 鉄 の 嵐の 中 で』 に も宛 て られ た評 価 で、 これ らは イ ギ リスの 首相 ロイ ド ・ジ ョー ジや フ ラ ン スの 作 家 ア ン ドレ ・ジ ッ ドに よ っ

てな され た。

ioア ン リ ・バ ル ビュス 『砲 火 』 田辺 貞 之助 訳 、岩 波 書 店 、1956年(原 著1916年)。

11佐 藤 雅 雄 「は しか き 」エ ル ン ス ト ・ユ ン ゲル 『鋼 鐵 の あ ら し』佐藤 雅 雄 訳 、先進社 、1930 年 、1頁 参 照 。

12ユ ンガ ー には 自身 も認 め る とお りの 「観 察癖 」が あ っ た。 「私はすでに幼い うちか ら、巨大 な もの と微 小 な もの を見 る道 具 と して の望 遠 鏡 と顕 微 鏡 とを と くに好 ん で いた 。 そ して作 家 の うちで は 、す べ て の 目に 見 え る もの へ の 明敏 な眼 力 と と もに 目に見 え な い もの へ の本 能 を

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の であ る。 ユ ンガ ー が、 第 一次 世界 大 戦 をそ の囎 矢 とす る近 代 物 量戦 の 「専 門家 」 と評 され るの は、大戦 の戦 場 の光 景 を彼 が 克 明に 観 察 し、「あ りえ たか も しれ ぬ よ う にで は な く、 あっ た まま 」13を 即物 的 に記 述 した こ との結 果 で もあ る。

2ヴ ァイ マル 期 のユ ンガ ー へ の評 価 とそ こか ら発 す る本稿 の動 機

a.同 時 代 に おけ る評 価

ユ ンガ ーの20年 代 の ナ シ ョナ リステ ィ ックな論 考 群 は、 こうした彼の経歴のな か に あ って さま ざまな 受 け とめ られ 方 をす る こ とに な る。

た とえば、1995年 の ユ ンガ ー百 歳 の誕 生 日をき っ か け と して巻 き起 こ った 、ユ ン ガ ー を賞賛 す る者 とそ れ に反発 す る者 との あい だ での 論争 の類 は、 も とも とユ ンガ ー の政 治論 文 が多 く発表 され た20年 代 にす で に激 し くあっ たi4

。ユ ンガ ー に よ って 命 名 され20世 紀 の 戦争 を考 え る際 の有用 なキ ー ワー ドとな った 「総 動 員 」は 、 ユ ン ガー が編集 ・発 行 人 を務 めた1930年 の評 論集 『戦争 と戦 士(Kriegand、Krieger)』

に掲 載 され た 『総 動員 』 とい う論文 に起源 を もつ とされ るが 、ユ ンガー とその周 辺 に対 す るヴ ァル ター ・ベ ンヤ ミンの辛 口の批評(『 ドイ ツ ・ファ シズ ム の理論 』)は この 雑誌 に向 け られ た もの で あ る15。

も そ な え て い る 人 々 を 、 昔 か ら 高 く 評 価 し て い た 。 」Vgl.Jiinger,。 益iegsausbruch 1914"(1935),in:ders.,Samth'cheWerkeBd.1(Tagebucherl:DerersteWeltkrieg),

Stuttgart:Klett・Cotta,1978,S.544.以 下 本 稿 で は 、Klett‑Cotta版 ユ ン ガ ー 全 集 を5研 と 略 記 し 、 引 用 の 典 拠 を 挙 げ る 際 に は 、SW.の 後 に 巻 号 と 頁 数 を記 す 。

13ErnstJitnger

,,,Vorwort̀̀zuIn8加 ゐ伽 而 漉 ㎜(1920),in:ders.,PolitischePublizistilr 1919‑1933,Hrsg.kommentiertandmiteinemNachwortvonSvenOlafBerggotz.

Stuttgart:Klett‑Cotta,2001,S.11.以 下 本 稿 で は 、 同 書 名 をPP.と 略 記 し、 ユ ン ガ ー が20 年 代 に 発 表 した 論 考 の 出 典 を 註 で 挙 げ る 際 は 、PP.の 後 に 頁 数 を 記 す 。

14ユ ン ガ ー が フ ラ ン ス で 人 気 が 高 い こ と は よ く 知 られ て い る

。 彼 の 作 品 の ほ と ん ど は フ ラ ン ス 語 に 訳 さ れ 、 し か も 多 く の 読 者 が 手 に 取 りや す い か た ち で 出 版 され て い る 。 連 合 国 占 領 軍 に よ る ユ ン ガ ー に 対 す る 出 版 禁 止 措 置 が 解 除 さ れ た1949年 に 出 た 小 説 『ヘ リ オ ー ポ リ ス 』 を 日本 語 に 訳 出 し た 田尻 三 千 夫 は 、 学 生 の 頃(1968年)に あ る モ ン ゴル 革 命 研 究 者 」 か ら 次 の よ うに 聞 か さ れ た と書 い て い る 。 「フ ラ ン ス で 最 も 人 気 の あ る ドイ ツ 語 作 家 は エ ル ン ス ト ・ ユ ン ガ ー だ 、 彼 は も っ と 紹 介 研 究 され て よ い。 」(「あ と が き 」ユ ン ガ ー 『ヘ リオ ー ポ リス 』(下)、

230頁)ユ ン ガ ー 本 人 は 自 身 の フ ラ ン ス で の 人 気 の 高 さ の 理 由 を フ ラ ン ス 人 の 知 性 の 高 さ」

に も と め て い る 。 前 掲 の 本 に 付 録 の 『マ ガ ジ ン ・ リテ レー ル 』 誌1982年6月 号 か ら転 載 され た イ ン タ ビ ュー 記 事(矢 野 香 代 子 翻 訳)で 、 聞 き 手 は ユ ン ガ ー に 対 して あ な た は ドイ ツ 語 の 最 も 偉 大 な フ ラ ン ス 人 作 家 と言 わ れ て い ま す 」 と も 語 っ て い る 。

isVgl .WalterBenjamin,TheoriendesdeutschenFaschismus ,zuderSammelschrift

血bg〃 ηゴ血 碗 蝋 ゐθ盟 〃8卵 卵 伽 θ̀♂伽 卵 鴫in:ders .,GesammelteSchriftenBd.

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エ ル ン ス ト ・ユ ン ガ ー の 〈新 〉 ナ シ ョ ナ リ ズ ム に っ い て

この時 期 の ユ ンガ ー の 思想 的 ポ ジ シ ョン を確 定 す る こ とに は つ ね に あ る種 の 困 難 が ともな う16。しか し、歴 史 家 ゴー ロ ・マ ンの 次 の よ うなユ ンガ ー に対 す る評価 が い くらか私 た ちの助 け にな るだ ろ う。マ ンは、彼 の19世 紀 か ら20世 紀 の前 半 を 見渡 す 大部 の 書物 にお いて 、 ユ ン ガー の姿 を次 の よ うに描 い てい る。

青年 運 動や 戦 場 での 経 験 か ら生 まれ 育 って きた ヴ ァイマ ル 共和 国期 の青 年 た ちに とってe筆 者 注〕エル ンス ト・ユ ンガ ー は もっ とも重 要 な代 弁 者 で あ った。

彼 は輝 か しい軍 人 で あ った し、ま た偉 大 な美 文家 で あ り、哲 学者 、 審美 家 、 冒 険 家 で あっ た。彼 が本 当の とこ ろ望ん で い た もの 、そ の苦 悩 に満 ちた感 受 性 で 怖 れ 、 あ るい は望 ん でい る とただ称 した もの、 それ を私 た ちが知 る こ とはで き ない し、お そ らくユ ンガ ー 自身 も知 らなか った ろ う。 ユ ン ガー は、 彼 の鋭 敏 な 精 神 を悩 ま せ る疑 念 を、 読者 に命令 を下 す鋼 鉄 の作 家 将校 の仮 面の 下 に 隠 した のだ。(『19世 紀 と20世 紀 の ドイ ツ史 』1966年)17

b.現 在 までの 評 価

また 、 ユ ンガ ー の作 品 が受 容 され る場 面 に特徴 的 な こ とと して、 この時 期 のユ ン ガ ー の著 作 が、 ナ チ スの先 駆 け、 あ るい は その 思想 を準備 した も の と して捉 え られ 非 難 され る一 方 で 、 ま った く逆 の 立場 か ら擁 護 され もす る とい うこ とが あ る。後 者 の見方 は、 その 後 のユ ンガー の作 品一 た とえば 、エ ー リ ヒ ・ケ ス トナー の よ うな

国 内 亡命 」の ひ とっ の形 式 と して理 解 され る こ との多 い小 説 『大 理 石 の断 崖 の上 で(AufdenMarmorklippen)』(1939)や 、 あ る いは ナチ ス政 権 へ の 「抵 抗 運動 」 との 関連 の も とに読 まれ るパ ン フ レッ ト 『平和(DerFriede)』18(1943年 完成) と継 承 され るナ チ ズム へ のア ンチ ・テー ゼ と して 、 ヴァイ マル 期 のユ ンガ ー

の著 作 を捉 え る もの で あ る。 ユ ンガ ー の受容 の あ り方 はなぜ こん な に も違 った もの

3,Frankfurta.M.:Suhrkamp,S.238‑250.

16ユ ン ガ ー の 思 想 的 ポ ジ シ ョ ン を 確 定 す る こ と の 難 し さ は 、 た と え ば 彼 に 宛 て られ た 「右 翼 系 左 派(LinkeLeutevonrechts)」 と い う評 言 に あ ら わ れ て い る(脇 、 前 掲 書 、144頁 参 照)。

17GoloMann ,DeutscheGeischichitedes19.and20,.Jahrhundert,Frankfurta.M.:

Fischer,1992,S.735.

18ヒ トラ ー へ の 抵 抗 運 動 」 の 礎 と な っ た と も い わ れ る 『平 和 』 に つ い て の い き さ つ を 、 ユ ン ガ ー の 言 語 論 を 訳 出 し た 菅 谷 規 矩 雄 は つ ぎ の よ うに 書 い て い る 。 「1944年 に パ リ で ユ ン ガ ー が 不 名 誉 除 隊 に 処 せ ら れ た 理 由 の ひ とつ も こ の 文 章 に あ る とお も わ れ る。 題 名 どお り平 和 へ の か れ の 見 解 を 表 明 した 文 章 な の で あ る 。 こ の 時 期 に 平 和 を 力 説 した 文 章 を か け ば 、 そ れ が ど の よ う な 内 容 で あ れ 、 そ れ だ け で 反 軍 的 ・反 ナ チ 的 行 為 を 意 味 す る こ と は い う ま で も な い 。 」(ユ ン ガ ー 『言 葉 の 秘 密 』 菅 谷 規 矩 雄 訳 、 法 政 大 学 出 版 局 、1968年 、165頁)

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にな り うるのか。 はた して 、ユ ンガ ーの 作 品 自体 がそ もそ も両義 的 で あ るか らなの か19。この 疑 問 を本稿 で は 、20年 代 のユ ンガ0の ナ シ ョナ リズ ム を追 うこ とで明 ら か に した い と思 う。

この ヴ ァイ マル 期 の ユ ンガ ー受 容 の両 義性 は ま た、 第一 次 世界 大 戦 の経 験 を契 機 と してユ ン ガー の作 品 や論 文 を理 解す る際 のふ た通 りの方 法 に も表 わ れ てい る とい え よ う。 一方 は 、ユ ンガ0の 著 した ものが近 代 物 量戦 の 姿 を克 明 に写 し出 した もの で あ る とす る見 方 で あ る。 これ は、彼 の作 品 を、普 遍 的 ・原 理 的 ない わ ゆ る 「戦 争 論」 と して読 む態 度 で あ り、 そ こで ユ ンガー の 「政 治 」性 が問 われ る こ とは 、少 な く とも表 面上 は あ ま りな い。 この よ うな読解 に は た と えば ロジ ェ ・カ イ ヨワ 『戦 争 論』(1963年)や 西 谷 修 『戦争 論 』(1992年)が あ る。 これ らにお い て は、 ユ ンガ ー の作 品 は政 治 的価 値 判断 か らはず され て い る。 も う一方 は、ユ ンガ ー の作 品 を、

肯定 的 に み るにせ よ否 定 的 にみ るにせ よ、政 治 的 な コ ノテー シ ョン を強 くもつ もの と して 見 る もの で あ る。後 者 は 、戦 死者 を媒 体 と して ネー シ ョン に訴 え か ける もの と して ユ ン ガー の作 品 を読 む こ とか ら出て くる理解 で あ る。 興 味深 い こ とに、 この 揚 合 の ユ ン ガー の読 み 方 は、 ユ ンガ ー の賞賛 者 お よび 攻撃 者双 方 に見 られ る。 こ う

したユ ンガー に つ いて の 「政 治1生」 と 「非政 治(普 遍)性 」 か らす る二重 の理 解 か ら して も、彼 の もっ とも有 名 なふ た っの 作 品(『 鋼 鉄 の嵐 の 中で 』 と 『労働 者 』)の あ いだ に ち ょ うど挟 ま れ る格好 の1920年 代 は 、 その 時期 の 多 くの 作 品 が現在 で は ほ ぼ無 名 で あ るに もか か わ らず、 ユ ンガ ー に とっ て問題 的 な時期 で あ りつ づ けて い

る。

19ド イ ツ文 学 者 の 山本 尤 は 、ユンガー と親交のあった画家アル フレー ト・クピーン とユ ンガ ー の 関係 につ い て の スケ ッチ の な かで、 こ う した ユ ン ガー の 作 品 の 、 ま たそ れ を受 容 す る際 の複 雑 さを紹 介 してい る。 す な わ ち、 「ユ ンガー ほ ど矛 盾 に充 ち た多 彩 な顔 を もつ 作 家 も少 な い。 『衝 動 と意 識 、観 照 と行 動 、豊 満 と疑 惑 、陶酔 と苦 行 、エ ラス ムス 的精 神 と英 雄 精神 、 博 物 館 的 世界 と労働 世 界 、身 軽 な旅 と蔵 書 道楽 の間 の緊 張』 とはあ る学 者 のユ ンガー 評 だ が、 ナ チ時 代 の行 動 につ いて も 『第 三帝 国 の明 白な案 内人 で あ りな が ら、 ナ チ ズム の明 白な敵 対 者』

で も あ り、 戦 後 の文 壇 で の 段 誉褒 既 の 賑 や か さは 、 か の詩 人 ゴ ッ トフ リー ト ・ベ ン と双 壁 を な して い る」(「ユ ンガー とク ビー ン」『ヘ リオー ポ リス』(下)、 付 録 「月 報53」 、2頁)と れ る。ユ ンガ ー には また 「大 都 市」的 要 素 と 「大 地 」的 要素 との矛 盾 も指摘 され てい る が、 ユ ン ガー 自身 は た とえば本 稿 で扱 うこ とにな る1926年 の論 文 「大 都市 と 田園( Grol3stadtand Land")」 に お い て は、 「大都 市 」 を悪 としそ こか ら逃 避 す る ことで は な く、む しろ その 真 っ 只 中へ と個 々 人 がみ ず か らを投 入 す る こ とを求 め て い る。 この こ とはユ ンガ ー の ナ シ ョナ リ ズ ムに お いて 、 また 本稿 にお い て も重要 な点 であ り第4章 に お いて 考察 の 対 象 とな る。

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エ ル ン ス ト ・ユ ン ガ ー の 新 〉 ナ シ ョナ リ'ズム に つ い て

'C.本 稿の動機

以 上 、ユ ンガー 作 品受 容 の一 面 を見 て き たが 、 と りわ け1920年 代 にお いてユ ン ガー に対 す る評 価 を さま ざま な もの に し、そ して現 在 もその 評価 自体 の判別 を私 た ちに 困難 に す るの は 、ユ ンガー が そ の頃 書 いた い くっ か の有名 な作 品(た とえば 『 鉄 の嵐 の 中で』 や 、 それ にっ つ く1922年 の 二作 目 『内的 体験 と して の戦 闘(Der KampfalsinheresErlebnis)』 とい うよ りは、 む しろ、彼 が い ろい ろな 同人誌 や 団 体 の機 関誌 に寄稿 した 小 さな、 しか し当 時それ な りの影 響 力 を も った政 治的 評論 で あ る。 これ らの 一つ ひ とっ は長 くない が 、そ の数 は膨 大で あ る。 そ して これ らの評 論 の ほ とん どが 、す で に述 べ た よ うに彼 の 著作集 お よび 全集 には収 録 され て い ない。

本稿 で 対 象 とな る のは 、現 在 あ ま り言及 され る こ とな く、 そ して ユ ンガ ーの 経歴 か ら抹 消 され っ づ けて きた これ らの小 品 で あ る。 百年 を越 えて生 き、多 くの著名 な作 品 を残 したエル ン ス ト ・ユ ンガー を前 に して 、 こ こで 当然 の こ とな が ら、彼 が20 年 代 に 書 いた評 論 、 しか もそ の うちの 二、 三 の政 治 的評 論 を対 象 と して ユ ンガー の イ メー ジ を象 ろ う とい う試 み は、自身 の著 作 群 を 「一 っ の全 体 と して 受 け取 る」20よ う読者 に要 請す るユ ン ガー を考 察 す る際 には あま りに局 所 的 で あ りす ぎ、 この作 家 の一 面 のみ を取 り出 して論 じてい るにす ぎな い、とい う批 判 を受 ける こ とに な ろ う。

しか し、ユ ンガ0の 指示 に従 って この作 家 を 「全 体 と して 」考 えるな らば、彼 が ヴ ァイ マル 期 に残 した 作 品 を読 む こ とは この 作家 を理解 す る うえで ま った くの 的外 れ で もな いは ず であ る。 む しろ必 須 の こ とが らで ある と筆者 は考 え る。

とこ ろで 、本 稿 が20年 代 の ユ ン ガー の政 治評 論 にお いて あ らわれ たユ ンガ ー の ナ シ ョナ リズ ム論 を考 察 の対 象 と して取 り出そ うとす る理 由は 、 この 時期 のユ ンガ ー こそ が 「真 のユ ン ガー 」21で あ る と筆者 が考 え て い るか らで は ない。 では なぜ 1920年 代 の ユ ンガ0を 、そ して 彼 の ナ シ ョナ リズ ム論 を読 むの か。そ の理 由 はユ ン ガ ー が事 物観 察 の 専 門家 だ とい うこ とに あ る22。『鋼 鉄 の嵐 の 中で』が優 れ た戦 争観 察記 となっ てい る よ うに23、ユ ン ガー が この 時期 に書 い た140篇 を越 す論 考群 は一

20田 尻 三 千 夫 「あ とが き」 、ユンガー 『ヘ リオーポ リス』(下)、253頁 に引用 され たユ ンガ ー の こ とば。

21ユ ン ガー評 価 の 現状 は、た とえば脇圭平によれば次のよ うだ。 〈ある一つの時期のユ ンガー、

彼 の 特 定 の本 だ け を と りだ して きて 、 これ こそ 「貢 あ ユ ンガ ー 」で ある と絶 対化 され が ちで、

「だれ もユ ンガ ー を全 体 と して 問題 に して い な い。 確 か に ユ ンガ ー を あ ぐる論 争 は さか んだ が、 ユ ン ガー との思 想 的討 論 は ほ とん どない 」〉 〔傍 点 は原 文 〕。 脇 、前 掲 書 、152頁 参 照。

221923年 に国 防軍 を離れ たユ ンガー は 大学 生 活 に入 り、 ライ プ ツ ィ ヒの生物 学 研 究所 や ナポ リの 動物 学 研 究所 で海 洋 生 物 学 、動 物 学 、植 物学 、 昆 虫学 な どの 自然 科 学 を学 ん だ。

231nStahlgewitternの 英語 版(StormofSteel ,PenguinBooks,2003.底 本 は1978年 のユ ン

7

(8)

種 の 「ナ シ ョナ リズム観 察 記 」 また は 「ナ シ ョナ リズ ム総 覧」 で あ る と言 えよ う。

ユ ンガー がす で に幼 年 時代 か ら備 えて いた 、物 事 に対 して 「観察 」で のぞ む態 度 は、

鋼 鉄 の嵐 の 中で』 に お いて 私た ちに 第一 次世 界 大戦 の姿 を ま ざま ざ と見せつ け る 役 割 を果 た す こ とにな る24。そ うす る と、 ヴァイ マル 期 にユ ンガー が お こな った観 察 に も、同 じこ とを私 た ち は期待 で きる ので は ない だ ろ うか。 ユ ンガ ー は、第 一 次 世 界 大戦 の前 線 に 向か うとき にはす で に軍 服 の ポケ ッ トにメモ を取 るた めの 手帳 を しの ばせ て いた(こ の手 帳 に記 した メモ が 『鋼 鉄 の嵐 の 中で』の 原型 とな った)25。

そ の ユ ンガ ー が、軍 隊 生活 を離れ て か らは海洋 生 物 学 、動 物 学、植 物 学 、昆 虫学 な どの 自然 科 学 を学 び、 自身 の観察 眼 にます ます 磨 きを か けた ので あ る。 この過 程 で 培 わ れ た観 察 眼でユ ンガ ー が捉 え た もの が 、彼 のナ シ ョナ リズ ム論 に現 れ てい るの で はな いか 。す な わ ち、 もっ と も激 しい 政治 的対 立 の 時代 で あ り、 その 状況 を読 み 解 く こ とが 私 た ちに 困難 で あ りっづ けて い る この時 代一 お もに文化 的 な側 面 か

らは 「黄 金 の20年 代 」 と呼 ばれ 、一 方 で政 治 的 な側 面 か らは 「空位 時代 」(ア ル ミ ン ・モー ラー)と あ だ名 され 、数 年 後 に は 「ナ シ ョナル な社 会主 義」 を標榜 した 凶 暴 な政権 に よって そ の空位 が埋 め られ て しまっ た時 代一 をユ ン ガー が どの よ う

に観 察 してい たか を知 る こ とで、彼 の観 察 に よっ て取 り出 され た ドイ ツの20年 代 が どの よ うな もの で あ った の か、私 た ちは ユ ンガー の ナ シ ョナ リズム(論)の 中に 見 る こ とがで き るの で はな い か。 そ うす るこ とは 、そ の 時代 の な かでユ ンガー 自身 の位 置 は どこに あ ったか 、 ま た、彼 が 自身 のナ シ ョナ リズ ム をたず さえて どこへ 向 か お うと して いた か を理 解 す る こ とへ とっ なが るので は な いか。 ユ ンガー が20年 代 の混 沌 の 中で どこに位 置 し、 どこへ 向か った の か を知 る こ と。 そ うす る こ とは私 た ち に とって 、 この 巨大 で 「殿誉 褒既 の激 しい」作 家 を理解 す る うえでの 、 まず は ひ とっ の 手 がか りにな る と筆者 は考 え てい る ので あ る。

ガ ー全 集)の 翻訳 者MichelHofinannは 、 同書 に付 され た 「ユ ンガ ー紹 介 」の なか で 、 「1914 年 の戦 争 につ い ての エル ンス ト ・ユ ンガー の本 、 『鋼鉄 の 嵐 の 中で』 は私 の知 るか ぎ り疑 い も な く最 良 の 戦争 書物 で あ る」 とい うア ン ドレ ・ジ ッ ドの1942年 の弁 を紹 介 して い る。 ま た同 じ く 『鋼 鉄 の嵐 の 中で 』の 日本 語版 翻 訳者 佐 藤 も、第 一次 世界 大 戦 の戦 勝 国イ ギ リスの 首相 ロ イ ド ・ジ ョー ジのユ ンガー の この作 品 に対 す る ジ ッ ドとま っ た く同一 の評価 を同書 の 「は しか き」 で 引用 して い る。

24Vgl .Jiinger,sw.Ba.1,S.544.

asEbenda .

(9)

エ ル ン ス ト ・ユ ン ガ ー の 新 〉 ナ シ ョナ リ ズ ム に つ い て

第2章 父 と息子 一 一第 一 次世 界 大戦 と前線 兵 士 ユ ンガ ー

1第 一次 世 界大 戦 一一 父 と しての

この節 で は 、20年 代 にユ ンガー が 形成 したナ シ ョナ リズム の前 提 に な った と筆者 が考 える 「近代 物 量戦 」 た る第一 次 世界 大 戦 の姿 を簡 単 に描 い てみ た い。 この戦争 は 、ま だ 「決 闘」 の概 念 さえ残 され て いた19世 紀 ま で の戦争 とはそ の様 相 を大 き く変 える こ とに な る。開戦 当初 の志 願 兵 た ちは 、「英雄 的 な」戦 争 を期待 して戦 場 へ と向か った。

ユ ンガー ら青 年兵 が 「大 出 陣 」26を 期待 して志 願 した第 一次 世 界 大戦 は 、 しか し 彼 らの期 待 を裏 切 るもの で あ った 。 人類 に とって の未 曾有 の経 験 で あ り、 当時 ヨー ロ ッパ史 最 大 の破 局 と して捉 え られ た第 一 次世 界 大戦 に よ って 、 ヨー ロ ッパ諸 国は 物 質 的 ・経 済的 ・人 的 損 害 を被 った。 また 、 この 大戦 は 、敗 戦 国 ドイ ツ に対 して は そ うした損 害 に と どま らず 、文 化 的 ・精 神 的危機 を も もた ら した。 ユ ン ガー は 、の ち に この戦争 に対 して 「大 破 局 」27と い う評言 を与 えた が、 この 大戦 の 性格 は、 と りわ け この 戦争 に お け る死者 の多 さに表 わ れて い る。 そ の数 はイ ギ リス 、 フラ ンス な どの協 商 国側 、 ドイ ツを 中 心 とす る 同盟 国側 、 双方 を合 わせ る とお よそ1300万 人 に の ぼ る。ユ ンガ ー も参加 した1916年7月 か ら11月 に かけ て の 「ソ ンムの 戦 闘」

(西部 戦線)だ け を見 て も60万 人 を下 らぬ戦死 者 を出 して い るの で あ る。19世 紀 最 大 の戦 争 で あ った普 仏 戦 争(1870〜71年)で は フ ラ ンス ・ ドイ ツ両 軍 合 わせ て もそ の死者 は20万 人 に届 か なか った とい うこ とを考 えれ ば 、 その 多 さが どれ ほ ど の もの かが わ か るで あ ろ う28。加 え て、 陣 地線 の 新た な形 式 で あ る壷 壕 戦 を特 徴 と す る第 一 次世 界 大戦 はま た 、毒 ガ ス 、戦 闘機 、 戦 車 な どの19世 紀 末 ま での戦 争 に はな か った武器 や 戦 争 技術 が猛 威 を振 る う現 代 戦争 のri矢 で あ った 。戦 死 者 の爆発 的な増 加 は 、戦争 技 術 へ と姿 を変 えた近 代 テ ク ノ ロジー に よっ て もた ら され た。 テ ク ノ ロジー を媒介 す る もの と して 「物 質 は絶 対的 な価 値 」を もち、 「大戦 は物 量戦 に お い て最 高 点 に達 した 。 す な わ ち、機 械 や鉄 、 爆薬 が そ の要 素 で あっ た。 人 間 さえ もが物 量 と見 な され た 」29の で あ る。 こ うした人 間 の 「物 量」 化 は 、第二 次 世界 大

26Jiznger ,PP..,S.234.

27Ebenda ,S.548.

28ジ ョー ジ ・L・ モ ッセ 『英 霊 一 創 ら れ た 世 界 大 戦 の 記 憶 一 』 宮 武 実 知 子 訳 、 柏 書 房 、 2002年 、9頁 参 照 。

2sJiinger ,PP.,S.9.

(10)

戦 に入 る と、人 間 自身 が爆 弾 とな る こ とでい よい よそ の究極 の局 面へ とすす む 。「 の とこ ろそ の窮 極 の 姿 は、 日本海 軍 にお け る人 間爆 弾 た るカ ミカ ゼや 人 間魚 雷 に現 われ て い る。 ま さ しく操 縦技 術 の真 骨 頂 と言 うべ きで 、人 間 主体 と射 出物 は一 丸 と な って 目標 にぶ ち 当た り細 々 にな る」 とポール ・ヴ ィ リ リオ は1984年 に記 して い る30。

人 間 が 「物 量(Material)」 に化 す 、 とい う出 来 事 は 、第 一 次世 界 大 戦 の 時点 に おい て すで に 、戦 場 にお い ての み見 られ る もので は な かっ た。この戦 争 で 、負 傷者 、 戦 死者 の 肉体 は人類 が か つて 経験 した こ との ない 状態 に破 壊 され る。 ロジ ェ ・カイ ヨワは 、 「ユ ン ガー は 戦争 の技 術 的 な面 を無 視 しな か っ た」 とそ の著 『戦争 論 』 で 述 べ て い る31。ユ ン ガ0の 理 解 した この 「技 術 的 な面 」 は、戦 場 の兵 士 の上 に 「死」

と 「負 傷 」 を とお して あ らわ に な った。 第 一次 世 界大 戦 に従 軍 した画 家 オ ッ トー ・ デ ィ ックス の 『カー ドプ レイ ヤー(DieSkatspieler)』32や 『プ ラハ通 り(Prager Strafe)』33は この 肉体 破壊 の無 惨 かっ 不気 味 な 有 り様 が 見事 に写 し出 され た一 例 で あ る。敗 戦 後 ドイ ツ の街 々 に溢 れ た復員 傷 病兵 た ちの破 壊 され た 肉体 もま た、 さ な が ら 「物 」 と化 して しま った か の よ うで あ った 。 『カー ドプ レイ ヤ ー 』 に描 か れ た 三人 の傷 病兵 の うち一 人 と して 五体 満足 の者 は お らず 、そ れ ばか りか、彼 らの 身 体 機 能(機 構)は 、機 械 的 な素材(Materia1)に よ って ほぼ ま か なわれ て い るの で あ る。 『プ ラハ 通 り』 の 傷 病兵 の 、 ほ とん ど 「加 工 され っ く した」 とい って も よい 身 体 に いた っ て は、彼 らの背 景 に並 ん で ブテ ィ ッ クの シ ョー ウイ ン ドウに 立つ マ ネ キ ンのバ ラバ ラの 手足 よ りも もっ と 「素材 」 と化 して しま った かの よ うに 、私 た ち の 目に映 る。 デ ィ ックス の これ らの作 品 の五年 後 、 戦場 で 「死」 と 「技 術」 が 結 び っ い た さま をユ ンガ ー は次 の よ うに描 いて い る。

わ れ われ に は、諸 民 族 の最 良 の兵 士 が、名 状 しが た い悲惨 な光 景 のな か に、弾 孔 の戦 場 、ぼ ろぼ ろに な った壷 壕 、破壊 し尽 く され た 村 の なか で 、産業 戦 と名 付 け られ るほか な い戦争 の 効果 に晒 され るの が見 え る。破 壊 し尽 くす 意 志 は も っ ぱ ら機 械 に よっ てみず か らの姿 を現 し、死 は技 術 的 な形 態 で姿 を現 した ので

30ポ ー ル ・ヴ ィ リ リオ 消 滅 の 美 学 一 ま た は 不 可 視 性 の 戦 略J鈴 木 圭 介 訳、 『現 代 思 想 』1985年12月 号 、78頁

31ロ ジ ェ ・カ イ ヨ ワ 『戦 争 論 一 わ れ わ れ の う ち に ひ そ む ベ ロ ー ナ ー 』秋 枝 茂 夫 訳

、 法 政 大 学 出 版 局 、1974年 、203頁

320ttoDix

,DieSkatspieler,OlandCollageaufLeinwand,110x87cm,1920.

330ttoDix

,PragerStraL3e,OlandCollageaufLeinwand,101x81cm,1920.

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エ ル ン ス ト ・ユ ン ガ ー の 新 〉 ナ シ ョナ リ ズ ム に つ い て

あ る 。(「内 的 体 験 と して の 戦 争 」1925年)34〔 強 調 は 原 文 〕

ユ ンガ ー のい う戦 死者 の 「死 」 だけ では な くて 、ディックスの絵 に描かれ たまだ 生 きて は い る負 傷 者 の様 子 もま た 「技術 的 な形 態 」 を とっ た ので あ る。 この こ とは 次 の よ うに言 うこ ともで き るで あ ろ う。 す なわ ち、戦 車 、戦 闘 飛行 機 、 毒 ガス な ど の最 新 の戦 争 技術 とい う形 態 で現 われ た 近代 テ ク ノロ ジ0は 、 戦場 で い っ たん兵 士 の身 体 に も ぐ り、そ れ を破壊 したの ち、 彼 らの 身 体 に埋 め込 まれ 、第 一 次世 界 大戦 の あ とでふ た た びデ ィ ックス の眼 前 に、 す なわ ち この絵 を 目の 前 にす る私 た ちの前 にそ の 姿 を現 したの だ 、 と。 テ ク ノロ ジー の化 身 と して の傷 病 兵 を もつ第 一 次世 界 大 戦 は その 意 味で 、近 代 テ ク ノ ロジー の皮 肉な 精華 とな った の で あ る。

第 一次 世 界大 戦 は 、近 代 テ ク ノ ロジー の結 晶 で あ る毒 ガ スや 戦闘機 、戦 車 といっ た 兵器 がは じめて 実戦 に登場 した だ けで な く、 実質 的 な効 果 をも って使 用 された 戦 争 で も あ る。 これ らの新 兵器 は戦場 で の兵 士 た ち の戦 闘行 動 に も影 響 を及 ぼ す こ と とな る。 相手 方 の 陣地 へ と歩 を進 め るた め にま ず毒 ガ ス を使 用 して 敵兵 を繊滅 す る 作戦 が行 われ た が 、 両軍 の陣 地 が近 す ぎ るた め 、毒 ガ ス の使 用 は 自軍 の兵 士 にま で 被 害 を与 え た。兵 士 た ち は 自軍 の毒 ガ ス弾 の煙 幕 の なか を敵 陣 へ と向か っ て進 ん だ。

兵 士た ちは 、壷壕 を乗 り越 え木 々 をな ぎ倒 しな が ら前進 す る戦車 の 陰 に隠 れ なが ら 砲 弾の 中 を進 ん だ。 弾 孔 に埋 め尽 くされた 戦場 は、 これ ま で に人 類 が地 球 上 では 目 に した こ とのな い よ うな荒 野 とな りは てた 。

長 い こ と踏 み 潰 され て傷 だ らけの野 を歩 いて きた に もか かわ らず 、 ま る で狂 気 と恐 ろ しい夢 か ら覚 めた か の よ うに、繰 り返 し不 意 に飛 び 起 きた 。 どこ にい る の か。 月 の ク レー ター の どこか だ ろ うか。 地獄 の深 淵 に突 き落 とされ た のだ ろ

うか。(「内的 体験 と して の戦 闘」)35

ユ ン ガー が地 獄 の深 淵 と述 べ た 第一 次 世界 大 戦 の戦 場 は 、壷壕 をその象徴にもつ。

先 に 述べ た よ うに、 陣地 線 の一 形 態 で ある.,,.で あっ た こ とが第 一 次世 界 大戦 の 特 徴 と して まず あ げ られ る。 とくに ドイ ツ軍 とイ ギ リス ・フ ラン ス連 合軍 との戦 地 とな っ た西部 戦 線 のcは 有 名 で あ るが 、そ の長 さは 「北 海 か らベ ル ギー 、 フ ラン ドル 、 フ ランス を経 由 して スイ ス に至 るJ36ま でお よそ800kmに もお よん だ。双

34Jiinger

,PP.,5.103.

35Jiinger

,SW.Bd.7,S.20f.

36モ ッ セ 、 前 掲 書 、10頁 。

(12)

方 の 兵 士た ちは 、雨 水 でぬ か るん だ錘 壕 の なか で ノ ミや シ ラ ミ とも苦闘 しつつ 、相 手 方 の榴 弾 が爆着 し炸裂 す る間 隙 を ぬ って突 撃 を く り返 した。 このr陣 地 の奪 い合 い 」 は、 ときに はわず か数 十 メー トル の ライ ン を め ぐって 繰 り返 され た。

あ ま りにお 互 いの前 線 が近 い た め に、敵 の 姿 はす ぐそ こに見 えてお り、声 をか け れ ば 聞 き取れ る ほ どであ った ろ う。 そ の た め、 敵味 方 関係 な く兵 士 た ちが交 流す る とい うよ うな こ とが起 こった 。 大戦 が は じま っ た最初 の ク リスマ ス には ドイ ツ ・イ ギ リス ・フ ランス 軍の 兵士 は 自軍 の 壷壕 か ら這 い 出て 、聖 な る 日を祝 い合 った。 こ れ は政府 の軍 首脳 に は問題 的 行動 として映 った よ うで 、そ の後 す ぐに、〈敵兵 との交 歓(フ ラ タナ イ ゼイ シ ョン)〉を禁 じる軍 規 が設 け られ 、両 軍 の兵 が合 い 交わ るク リ スマ ス のお 祝い はそ の 後二 度 となか っ た37。

と ころが 、 この よ うな 「前線 」 は の ちの 第二 次 世界 大 戦 で は姿 を消 して しま う。

それ は第 二 次世 界大 戦 が、 実 質的 には空 中戦 とな った か らで あ る。 航 空技 術 の発 達 は交 戦 国の戦 闘機 にそれ ぞ れ 「前線 」 を越 え て敵 国 の領 土 に侵 入 す る こ とを可能 に し、 さ らに は 「前 線 」 を越 え る こ とが始 め か ら前提 とされ る爆撃 機 が 主役 に躍 り出 た。 第 一 次世 界大 戦 で は可 能 であ っ た し、 また 同 時 に不 可避 で もあっ た 「前線 」 の 経 験 、す な わ ちTに も ぐっ て敵 の攻 撃 を しの ぎ、隙 を突 いて突 進 し陣地 を回復 す る とい う 「英雄 的 」 な戦 闘行 為 は もはや 第 二次 世界 大 戦 にお い ては 不可 能 とな った の で あ る。

戦争 体 験 の神 話 の起源 と展 開 を見 る上 で 中 心 とな る のは 、第 一次 世 界 大戦 で あ った。 第 二次 大戦 は 、そ れ とは異 な る タイ プの 戦争 で 、前 線 と銃 後 の 区別 を曖 昧 に した。 神 話 を展 開す る に 当た っ て極 め て重 要 で あ った塾壕 戦 は 消 え失 せ、

敗 北 と勝利 は 無条 件 の もの となっ た。38

前線 」 の消 失 は、 第一 次世 界 大 戦 と第 二次 世 界 大戦 に お け る戦 争 兵器 の 役割 と 兵 器 が もた らす 戦 死の 形式 とを合 わ せ て考 える こ とで よ り明瞭 とな る。 第 一 次 世界 大 戦 ま で に達成 され た機 関銃 や 遠 距 離爆 撃砲 とい った火器 の急 速 な発 達 は、 敵方 の 37モ ッセ 、前掲書、85頁 、 ならびに、エクスタインズ 『春の祭典』の扉ページには ドイツ軍 や イ ギ リス軍 の 兵 士 た ち が 交 歓 す る様 子 を撮 った 写 真 が掲 載 され て い る。 当時 前 線 に カ メ ラ を持 ち こ む こ とは禁 止 され て い た の で 、 こ の写 真 は 秘密 裏 に撮 影 され た。 〈敵 兵 との 交歓 (フ ラタ ナイ ゼ イ シ ョン)〉 に っ い て は 、 エ ク ス タイ ンズ の 同書 、155頁 以 降 に詳 しい。 ま た 八 田 、 前掲 書 、55頁 には 、 ク リス マ ス の こ ととは 書 か れ て い な い が、 ドイ ツ兵 とイ ギ リ ス 兵 の 交歓 の模様 が描 か れ て い る。

38モ ッセ 、前掲書、205頁 。

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エル ン ス ト ・ユ ンガ ー の 〈新 〉 ナ シ ョナ リズム に つ い て

前 線 のほ ど近 くに至 るまで 張 り巡 ら され た 壷壕 をめ ぐる一進 一退 の攻 防 にお いて 、 兵 士 た ちに近 づ い て くる死 の精 度 を 上 げた。 しか し遠 距離 へ の爆 撃 が主 要 な攻 撃 作 戦 とな る第 二 次世 界 大戦 で は さらに進 んで 、死 の 瞬 間は突 然 に訪 れ る もの とな る。

そ の戦 場 で は、誰 それ が 「勇 敢 」 で あ って誰 そ れ は そ うでは な い、 とい うよ うな事 柄 は、兵 士 の 死 と直接 的 な 関係 を もつ もの で はな くな ったの で あ る。

第 一次 世 界 大戦 は 、19世 紀 ま での 戦争 とは もち ろん 、第 二次 世 界大 戦 と もその性 質 を異 にす る。 ではユ ンガ ー は この戦 争 に どの よ うな動機 を もって志 願 兵 とな り、

また 、 どの よ うに戦 った の で あ ろ うか。 次節 で は 、ユ ンガー が志願 にい た っ た過程 が た ど られ 、 また 、年 長 な が ら同 じ く志願 兵 と して戦場 に向 か った フ ラ ンス の作 家 ア ン リ ・バ ル ビュス との 比 較 が な され る。作 家 で あ るふ た りが 、第 一次 世 界 大戦 を、

どの よ うにみず か らの もの と した か 、 この点 を考 えた い。

2前 線 兵 士 ユ ンガ 息 子 と して

子 供 た ち とテ ー ブ ル に腰 掛 け て い た 親 は 、 お そ ら く こ う言 っ た の だ 。

「あ れ は 兵 隊 さ ん だ よ。 戦 争 に 行 く ん だ よ。」

子 ど も た ち は ひ ょ っ とす る と こ う尋 ね る の か も しれ な い 。

戦 争 っ て … … な あ に?」39

a.前 線 へ の志願

ユ ンガ0ら 青年 た ち は 、開 戦 当初 、 この戦争 を 「英 雄 的」 な振 る舞 い を可 能 にす る場 所 とみ な して志願 した 。彼 らは実 際 に前線 に配 属 され るま で 、 旧き 時代 の 「 陣(Campagne)」 を体験 で きる とい う淡 い期待 を抱 いて い た。少 年 時代 、ヴ ィル ヘ ル ム 期 の 「市 民社 会 」を嫌 悪 し、そ れ へ の反発 か ら青年 運 動 に加 わ った ユ ンガ ー は 、 第 一 次 世界 大戦 開戦 のお よそ 一年 前 、家 出 して フ ランス の外 人部 隊 に加 わ りア フ リ カ の 戦 場 に 向か お う とした とこ ろで 父親 に連れ 戻 され る とい う経 験 を も って い る40。

ssJiinger ,SW.Bd.1,S.545.

40少 年 期 に 青 年 運 動 を 経 験 し た ユ ン ガ ー は 第 一 次 世 界 大 戦 後 も こ の 運 動 か ら発 祥 し た 義 勇 団 と 関 係 を も っ て い る 。 こ れ ら に は た と え ば 《シ ル 義 勇 団(FreischerSchill)》 が あ る。 こ れ は 「1924年 に ゲ ル ハ ル ト ・ロ ス バ ッ ハ 退 役 中 尉(GerhardRoβbach)が 、1809年 の 対 ナ ポ レ オ ン 戦 争 で 倒 れ た プ ロ イ セ ン 将 校 の シ ル(Schill)に ち な ん で 結 成 し た 《シ ル 青 年 団 (Schilljugend)》 か ら 、 ヴ ェ ル ナ ー ・ラ ス が 別 れ て 創 設 し た 団 体 で 、 ラ ス は エ ル ン ス ト ・ ユ ン ガ ー の 同 志 で あ り、 そ の 思 想 は ナ チ 党 左 派 の シ ュ トラ ー サ ー 兄 弟 に 近 か っ た 」(八 田 、 前 掲 書 、21頁)。

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こ こで は 、そ の よ うな 冒険 的過 去 を もつ ユ ンガ ーが 、上 で 述べ た よ うな 〈近 代 物 量 戦〉 として の第 一次 世界 大 戦 に ど うい う動 機 を もって志 願 したの か 、 また 、前 線 の兵 士 とな った彼 に とって 、 この大 戦 が ど うい うも ので あ った か を見 てお きた い 。 もっ とも、本 稿 は 両大 戦 間期 にお け るユ ンガー の ナ シ ョナ リズ ム につ いて 考 え る場 所 で あ るか ら、 こ こで 第一 次 世界 大 戦以 前 のユ ンガー 少年 、 西部 戦線 で突 撃 隊 を率 い て勇 猛 果敢 に戦 った ユ ンガ ー少 尉 につ い て詳 細 に述 べ る こ とは しな い。 だ が、 ユ ンガー が 大戦 後 、 ヴァイ マル 共和 国 期 にお いて 提 唱 したナ シ ョナ リズ ム は、彼 の 第 一 次世 界 大戦 の経 験 と切 り離 せ ない 関係 にあ る こ とも確 かで あ る

。そ うで あ る以 上、

彼 が いか な る志 しを もっ て志願 兵 とな り、 弾孔 に 囲 まれ た西 部戦 線 の錘 壕 に暮 らし な が らどの よ うに戦 場 を体 験 した か とい うこ とを知 る こ とは、私 た ち に とって、 ユ ンガー の ナ シ ョナ リズ ム を理解 す る うえで 益 あ るも ので あ るだ ろ うと筆 者 は考 え る。

ユ ンガ ー は1925年 の著 作 にお いて 当時 を振 り返 り、 「1914年 の 時点 で は われ わ れ は物 質 につ い て まだ 何 も知 らなか っ た」41と 書 いて い るが 、その 物質 と文字 どお り 「最 前線 」 で対 峙 した のが 、彼 ら1914年 世 代 で あ り、そ の物 質 が十 分 に威 力 を 発 揮 した の が第一 次 世 界大 戦 で あ った。

ユ ンガ ー が 「大破 局 」 とい う言 葉 で表 した第 一次 世 界大 戦 で な く とも、 戦争 とは 破 壊 と殺鐵 の場 で あ る。 そ してユ ンガー は この 戦争 を父 と喩 え た。 すべ て を破 壊 し 再 生 させ る父 、 と。 「戦争 はす べ て の事 物 の父 」42な の で あ る。 ユ ンガ ー は 自分 た ち第 一 次世 界 大 戦 に従 軍 した青 年 層 、い わ ゆ る 「前 線 世 代(Frontgeneration)」43 ユ ンガー の用語 で は 「董 壕 世代(Grabengeneration)」44一 力職 争 の息 子 で あ り、 ま た 内戦 の息 子 で あ る、 とい う。 この、 第 一次世 界 大 戦 か ら と もに生 まれ 落 ち た とい う感 覚 こそ は 、彼 を 同世代 の前線 兵 士 た ち と結 び っ けた もので あ り、また 、 ユ ンガ ー に 、 自分 と彼 ら とは 同質 性 を保 持 して い る とい う気持 ち をい だかせ た もの で あ る。 こ の、父 を同 じ くす る とい う感 覚 がユ ンガー のナ シ ョナ リズ ム に不可 欠 の もの とな る。 私 た ちに とって は、 この感 覚 を理解 す る こ とが ユ ンガ ー のナ シ ョナ リ ズ ム に近 づ くた め に必 須 の もの とな る。

ユ ンガ ー 自身 の著 作 、 また ユ ンガ ー 関連 の書物 を多 く出版 して い る ク レ ッ ト=コ ッタ社 か ら出て い るユ ンガー全 集 の 第一 巻 『日記1第 一次 世界 大 戦』に は 「戦 争 勃

41JUnger」FeuerandBlut

,h1:3π 」 醜ヒZ1,S.447.

42cTiinger

,PP.,S.12.

43HannahArendt ,ElementeandUrsprungetOtalerHerrschaft,MunchenPiper,1996, 5.705.

必Junger〜PP

.,S.23・ 生

(15)

エ ル ン ス ト ・ユ ン ガ ー の 新 〉 ナ シ ョ ナ リ ズ ム に つ い て

発1914年 」 とい う短 い エ ッセ イ が収録 され て い る。 そ こに は彼 が 開戦 の 報せ を受 けた 日か ら西部 戦線 へ 配 属 に な るまで の思 い 出 がつ づ られ て い る。

ユ ン ガー は大 工職 人 が 自分 の 家 の屋根 を修 繕す る様 子 を見 学 して いた の だ が、郵 便 配達 夫 が彼 らの とこ ろを通 り過 ぎ るな り開 戦 を告 げ た。 「動 員令 が 下 りたぞ!」45

この言 葉 を聞 いて す ぐにユ ン ガー は志願 を決 意す る。彼 は 翌 日には入 隊手続 きの た めにハ ノ0フ ァー の連 隊 に 向か うこ とに な る。 こ の とき彼 は まだ ギ ムナ ー ジ ウム の 学 生 で入 隊資 格 は な か った のだ が 、臨 時 の試 験 を受 けて大 学 入学 資格 を と り、ハ イ デ ルベ ル ク 大学 の 学生 として 、士官 候 補 生 とな る。 そ して ユ ンガー が訓 練 を受 けた の ち シ ャ ンパ ー ニ ュ地 方 の西 部 戦線 に配属 され た の は、 志願 か ら約 半年 後 の1914 年 の12月27日 で あ る46。第 一 次世 界 大 戦 を とお して もっ とも激 しか った 戦 闘 と し て 有名 な 「ソンム の会 戦 」に はユ ンガ ー は兵 士 と して前 線 に いた が 、「ソン ム」以 前 には もっ とも重 要 な戦 闘 と見 な され 、 ドイ ツ軍 内部 で 戦意 高 揚 の軍 歌 に まで 取 り入 れ られ た1914年11月10日 か ら11日 に か けて の 「ラン ゲマ ル ク の戦 闘」には参加

して い ない47。

志願 兵 ユ ン ガー の動 機 は ど うい うもの で あ った ろ うか。

ユ ンガ ー ら若者 が第 一 次世 界 大戦 へ 志願 す るに 至 った動 機 の 一端 を、 ジ ョー ジ ・ L・ モ ッセ は 次 の よ うに説 明 して い る。 「兵役 を志願 す る こ とは常 に 、社 会 の足 枷 を 突破 す る試 みで あっ た。 安 定 した生 活 を後 に して死 を直視 で きる が ゆえ に兵 士 だ け が 自由で あ る 、 との一 最初 の義勇 兵 が 戦場 に立 った 頃 に書 かれ た一 フ リー ドリ ヒ ・シ ラー の歌 は 」、 「今 や反 資 本 主義 の 意 味で 受容 され た。 実 際 、そ れ は浅 薄 な る 近代 な る もの の拒否 で あっ た」48。 第 一 次世 界 大戦 の 前線 へ 向 か うま で のユ ン ガー は 、 同時 期 に志願 兵 となっ た青 年 た ち同様 、第 一次 世 界大 戦 以 前 の ヴ ィル ヘ ル ム期 の社 会 を嫌 悪 し、 そ こか ら逃 避 す る手 段 と して の 青年 運動 の洗礼 を受 け、そ れ に飽 きた る こ とな く戦争 へ 志願 す る とい う、 当 時の若 者 が 身 をひ た してい た 時代 精神 を 反 映す る道 を ス トレー トに進 んだ の で ある。

45Junger ,SW.Bd.1,S.542,

as『 ユ ン ガ ー ・シ ュ ミ ッ ト往 復 書 簡 』 の1934年12月26日 の ユ ン ガ ー の 手 紙 へ の 編 集 者 キ ー ゼ ル の 註、43頁

47「 ラ ン ゲ マ ル ク 」 と い う名 は ドイ ツ に お い て 国 威 発 揚 の た め に 軍 歌 の 一 部 に 取 り入 れ ら れ る ほ ど 人 気 の あ る 地 名 だ っ た が 、 実 際 に 戦 闘 が 行 わ れ た の は ラ ン ゲ マ ル ク で は な く 、 西 に5 キ ロ 離 れ た 「ビ ッ ク シ ョー ツ 」 と い う場 所 で あ っ た 。 ジ ョー ジ ・モ ッ セ は 、 地 名 が 混 同 さ れ た 」 わ け を 、 「ラ ン ゲ マ ル ク(Langemarck)」 と い う名 前 の 「ドイ ツ 的 な 響 き 」 の せ い だ と説 明 し て い る(モ ッ セ 、 前 掲 書 、77〜78頁 参 照)。

娼 モ ッ セ、 前 掲 書 、167頁

15

(16)

b.バ ル ビュス との比 較

ア ン リ ・バル ビュ スの小 説 『砲 火 』 とユ ンガー の 『鋼 鉄 の嵐 の 中で 』 は、一 方 が 小 説 、 も う一方 は 目記 とい う形 式 で あ りなが ら、 第 一次 世界 大 戦 の戦 場 の姿 が一 巻 の作 品 の なか に写 し と られ た もの と して共 通す る。 そ して ふ たま わ りほ ども年 の 離 れ たふ た りの作 家 は、 彼 らが 第一 次 世 界大 戦 に志 願 した とい うこ とで も共 通 点 を も つ ので あ る。ユ ンガー とお な じ く第 一次 世 界大 戦 開戦 直 後 に志願 した バル ビュス は、

復 員 後 の1916年 に発 表 した 『砲 火 』 に よ って 同年 の ゴ ンク ール賞 を受 賞す るこ と に な る。 バ ル ビュス は従 軍 開始 当時 す で に41歳 で あ った 。作 家 と して はす で に脂 の の った状 態 で ほぼ完 成 され て い た。 つ ま り、 ギ ムナ ー ジ ウム を出 るや い なやす ぐ さま戦 場へ 向 か ったユ ンガー とは ち が って 、作家 と しての 人格 形成 は果 た され てい た とい うことが で き よ う。彼 が志願 兵 として前線 へ 赴 く とい うこ とを聞 い た作家 仲 間 た ちは 、バ ル ビュ ス をなん とか 思 い とどま らせ よ う と諫 め てい る49。一方 、 ユ ン ガ ー はま だ19歳 、 な かば 強 引 に大学 の 入 学資格 を得 、軍 隊 志願 の資 格 を得 た の ち 士官 候 補 生 とな った。言 うなれ ば 、も とも と軍 人 と して 出発 したユ ンガー は 、『鋼 鉄 の嵐 の 中で』 の 出版 に よって初 めて 、 「作家 」 に な った ので あ る。

ふ たつ の作 品 の性 質 の違 い が象 徴 的 に あ らわれ るのは 、戦 場 での食 事 の取 り扱 い で あ る。 ユ ンガ ー の 『鋼 鉄 の嵐 の 中で』 には ほ とん ど食事 の場景 が 出 て こな い。他 方 、 バル ビュス の 『砲火 』 で は 、兵 士 た ちは炊 事 兵 に嫌 み を言 って 喧嘩 して みた り 自分 た ちの粗 末 な食 事 に愚 痴 を こぼ した りしなが ら、そ れで も 「飯 」 を唯 一 の楽 し み と して戦 地で 生 きて い る。彼 らの 頭 の 中は 、 目々 の戦 闘 での 死 の恐怖 に怯 え なが ら も、 いつ も飯 の こ とで一 杯 で あ った。

そ れ は なぜ か?バ ル ビュス の兵 士 た ちは 「人 間 」 であ る か らだ。

「実 際 に ゃ 、 あ れ ら こそ ほ ん との 兵 隊 さ 」

「お れ た ち は 兵 隊 じゃ ね え 、 お れ た ち は 人 間 だ か らだ 」 と、 で か の ラ ミ ュー ズ が い う。

時 刻 は も う暗 く な っ た が 、 こ の い か に も 正 し い 明 る い 言 葉 は 、 今 朝 か ら、 も う

49日 本 語 版 の訳者 田辺 貞之 介 に よれ ば 「バ ル ビュス は は じめ軍 国主 義 の元 凶 で あ る ドイ ツ を滅 亡 させ れ ば平和 をか ち うる もの と信 じて 兵役 を志願 したJと い う。 ア ン リ ・バル ビュ ス 『砲火 』

(上巻)、237頁 参照 。 こ のバル ビ ュス の志 願 の動 機 は、か つ て吉本 隆 明 が行 な っ た戦後 の 「 主 主義 者 」へ の 批 判 を筆 者 に想 起 させ る。す なわ ち 、 こ こで のバ ル ビュス は 、 「戦争 自体 が ダ メ だ」 とい う発 想 に届 い てお らず 、吉本 が 批判 した 、戦争 も戦 う相 手や そ の 目的(た とえば戦 争 を革 命 の契機 にす る)に よっ ては 肯 定 で きる と した ロ シア ・マ ル クス 主義 的 思考 に則 って い る とみ て よい と思 う。

参照

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