一2003年 吉 林 省 図椚 市 の 事 例 か ら
三 好 章
は じめ に
21世 紀 に 入 り,中 国 にお い て1978年 以 来 「改 革 開放 」 と い う名 の 政 策 で 進 め られ て きた 脱 社 会 主 義 化 の 動 きが 確 固 た る もの で あ る こ と,そ して 90年 代 以 降 の,「 先 富 論 」を 旗 印 に野 放 図 に執 行 され た経 済 発 展 政 策 か ら, 地 域 間 の み な らず 地 域 内格 差 の 拡 大 が 固定 化 して い る こ とが 誰 の 目か ら見 て も 明 らか に な っ て き て い る 。 党 と政 府 が 「三 農 問 題 」 な ど とあ え て 言 わ ざ る を得 な くな っ た の も,最 大 の 人 口 を抱 え て い る 農 村 ・農 業 ・農 民 部 門 に 最 も顕 著 に,社 会 問 題 とな る ほ どそ う した 矛 盾 が 押 し寄 せ て い る か らに ほ か な らな い 。1949年10.月,貧 しい 農 民 の 支 持 と支 援 と に よ っ て 中 国共 産 党 が 政 権 を 獲 得 し,毛 沢 東 に よ っ て 成 立 が 宣 言 され た 中 華 人 民 共 和 国 は, しか し最 も熱 心 に 支持 し,歓 迎 して くれ た か れ らを 一 顧 だ にせ ず,そ の成 立 後 の歴 史 に お い て,専 制 王 朝 と同 じ く,あ る い は そ れ 以 上 厳 格 な 人 民 公 社 シ ス テ ム に 農 村 と農 民 を組 み 込 ん で 管 理 の 対 象 と し,ひ たす ら重 工 業 化 を 軸 とす る 「社 会 主 義 建 設 」 の た め,原 始 的 蓄 積 を 行 うた め,農 村 と農 民 を 収 奪 の 対 象 と して き た こ とを 考 え る と,21世 紀 に 入 る 頃 に な って 「三 農 問 題 」 な ど と仰 々 し く述 べ 立 て る の に対 して は,何 を 今 更,と い う怒 りに も似 た 感 情 を 抑 え られ な い 感 さ え あ る 。 人 民 共 和 国 成 立 後 す で に60年 に な ん な ん と して い る が,中 国歴 代 各 王 朝 の 統 治 期 間 を 考 え てみ れ ば,こ の 時 間 は決 して 短 い もの で は な か った はず で あ る。
振 り返 っ て 教 育 分 野 に 目 を 向 け て み れ ば,1950年 代 以 来,ソ 連 に 倣 っ て 高 等 教 育 部 門 へ の優 先 投 資 に よる 「人 材 」 確 保 路 線 を 突 き進 ん で き た 中 国 は,教 育 そ の も のが 機 能 停 止 に 陥 った 文 化 大 革 命 期 を挟 ん で も,1986年 の
義 務 教 育 法 制 定 に至 る ま で,「 義 務 教 育 」制 度 を提 起 す る こ とす ら しな か っ た(1)。現 在,日 本 に来 て い る 中 国 人 留 学 生 に 話 を聴 い て も,現 行 の 義 務 教 育 の 「義 務 」 とは い ま だ に 国 民 の 義 務 で あ って,国 家 の 義 務 で は な い と理 解 し て い る 者 が か な りい る。 実 際,制 度 面 だ けか ら見 て も,義 務 教 育 法 制 定 以 前 の 人 民 共 和 国 で は,高 等 教 育 は学 費 な どが 無料 で あ っ た が,基 礎 教 育 に あ た る 小 学 校 や 前 期 中等 教 育 段 階 に あ た る初 級 中 学 な ど で は,一 貫 し て 学 費 を徴 収 し,そ の た め もあ って80年 代 に 入 る ま で,小 学 校 入 学 率 は70
%に も達 しな か った(2)。そ の 一 方 で,人 民 共 和 国 成 立 当初80%程 度 と考 え られ る非 識 字 率 は(3),初 等 教 育 に お い て 地 道 に 教 育 活 動 に あ た っ た 教 員 た ち の 努 力 に よ って 着 実 に低 下 して い っ た(4)。そ して,1990年 代 末 に は,小 学 校 へ の 学 齢 児 童 入 学 率 は全 国 平 均 で99%を こ え る よ うに な り ⑤,入 口段 階 で の基 礎 教 育 問題 は 解 決 した か の よ うに 見 え る。 しか し現 在 で も,広 涜 な 農 村 地 区 で は 多 額 の 学 費 ・雑 費 徴 収 に 耐 えか ね て 子 ど もを 退 学 させ る 者, 勉 学 を続 け させ る た め に都 市 部 に 農 民 工 と して 出稼 ぎ に 行 く者 が 後 を絶 た な い 。
想 起 す れ ば,1950年 代 末,虚 構 の デ ー タ に 埋 没 し,1500万 人 以 上 の餓 死 者 を 出 した 「大 躍 進 」 時 期,農 村 で は進 学 欲 求 を 自 ら満 た そ うと農 業 中 学 が 雨 後 の 筍 の 如 く誕 生 した 。 そ の ほ とん どは 「大 躍 進 」 の破 綻 と共 に消 え 失 せ,い くぶ ん か は60年 代 の 経 済 調 整 時 期 に お い て 正 規 の 学 制 に 組 み 込 まれ る こ と に成 功 した 。 これ は,当 時 の 中 国 農 民 が 抱 い た 「昇 官 発 財 」
(1)中 華 人 民 共 和 国 に お け る 教 育 史 の 概 要 に 関 し て は 拙 稿 「中 国 の 教 育 体 制 改 革 」(小 島 麗 逸 編
『中 国 の 経 済 改 革 』 勤 草 書 房,1988年4月pp.223〜248)参 照 。 ま た,こ の 間 の 基 礎 デ ー タ に 関 し て は 中 国 教 育 年 鑑 編 輯 部 編 『中 国 教 育 年 鑑1949〜1981』(中 国 大 百 科 全 書 出 版 社1984年
9月)参 照 。
(2)『 中 国 教 育 年 鑑1949〜1981』1024頁 。
(3)中 共 は,政 策 的 に 識 字 運 動 を 展 開 し た が,そ の 成 果 を 誇 る た め,人 民 共 和 国 成 立 当 初 の 非 識 字 率 を95%以 上 と す る な ど と,異 様 な 数 値 を 掲 げ て い る 。 清 末 民 国 初 期 で す で に80%ほ ど の 非 識 字 率 で あ っ た と の 推 計 も あ り(EvelyuSakakidaRawski,"EducationandPopularLiteracyin
ChinChina",Univ.ofMichiganPress.February1979),ま た,統 計 的 に も こ う し た 推 計 は 成 り 立 た な い(PopulationStatisticsofChina(1.D.E.StatisticalDataSeriesNo.55)Compiledby
YasukoHayaseandSeikoKawamata InstituteofDevelopingEconomies,Tokyo,Japan,March 1990参 照)。
(4)拙 稿 「祁 建 華 速 成 識 字 法 始 末 」(『 紀 要 』 愛 知 大 学 国 際 問 題 研 究 所,2007年3月)参 照 。 (5)中 国 教 育 統 計 年 鑑 編 集 部 編 『中 国 教 育 統 計 年 鑑2005』 人 民 教 育 出 版 社,2006年6月,15頁 。
の 機 会 を 自 らの 手 で掴 も う とす る 試 み で もあ っ た。 ま た これ は,人 民 共 和 国 成 立 後 の 中 国 に お い て も,中 等 教 育 段 階 が 将 来 の 進 路 を決 定 す る 鍵 とな
る時 期 で あ った か らで あ り,こ の こ とは現 在 も変 わ りは し な い 。
1.中 国 の 学 校 体 系
日本 に お い て も,中 等 教 育 段 階,特 に前 期 中等 教 育 が 生 徒 の 進 路 決 定 に お い て重 要 な 時 期 で あ る こ とは 言 うま で もあ る ま い 。 後 期 中等 教 育 に 関 し て も ま た,高 校 進 学 率 が90%を 優 に 超 え て い る状 況 下 で は,や は り重 要 な 段 階 とい え る。 この こ とは しか し,現 代 中 国 に お い て は よ り深 刻 な 意 味 を 持 つ 。 本 稿 は 中 国 に お け る 中 等 教 育 段 階 で の進 路 指 導 の 実 態 を 探 る こ と が 目的 で あ る が,そ の た め に も 中国 の学 校 体 系 に つ い て 簡 単 に説 明 して お
く必 要 が あ ろ う。
中 国 で は,1985年 の 「教 育 体 制 改 革 の決 定 」(6)にお い て 文 革 期 の 単 線 型 学 校 体 系 を 全 面 的 に 否 定 し,人 材 の ヒエ ラル ヒ ー構 築 を 目指 した 複 線 型 学 校 体 系 を 制 度 化 した(7)。これ は,現 在 も基 本 的 に維 持 され て い る 学 校 体 系 で,小 学 校 卒 業 段 階 か ら選 別 を 開 始 す る もの で あ る 。 す な わ ち,大 学 な ど 上 級 学 校 に 進 学 す る た め に は 普 通 課 程 に進 ま ね ば な らな い が,職 業 課 程 に 進 学 す る と普 通 課 程 へ の 進 学 の 道 は 用 意 され て い な い とい う,行 き 止 ま り 型 の シ ス テ ム で あ る 。 最 近 で こそ,大 学 受 験 浪 人 が社 会 的 に存 在 す る こ と が 公 然 化 し,か れ らを 相手 にす る予 備 校 も産 業 の ひ とつ とな っ て い る が(8),
当時 は予 備 校 な ど存 在 せ ず,現 在 も普 通 課 程 以 外 か らの 大 学 進 学 は 制 度 的 に 不 可 能 で あ り,社 会 教 育 の 中 で 学 歴 を 獲 得 す る よ うに な っ て い る(9)。と は い え,そ う した 社 会 教 育 に よ って 獲 得 した 学 歴 が,学 校 教 育 の 枠 内で の
(6)《関 干 教 育 体 制 改 革 的 決 定 》 『光 明 日報 』1985年5月29日 。
(7)拙 稿 「中 国 の 教 育 体 制 改 革 」(小 島 麗 逸 編 『中 国 の 経 済 改 革 』 勤 草 書 房,1988年4月pp.223
〜248)参 照 。 もち ろん,理 念 型 の み で あ った 文 革期 の 単 線 型 学 校 体 系 が,教 育 機 関 の機 能 静 止 状 態 の 中で 全 く機 能 しな か った こ と,そ の 一 方 で 中等 教 育 段 階 で は 普 通 課 程 が 圧 倒 的 多 数 の 生 徒 数 学 校 数 に な っ て い た こ とな ど,教 育 行 政 の 面 か ら見 れ ば 尋 常 で は な い 状 況 に あ っ た こ と は 事 実 で あ る。
(8)た とえ ば 『北 京 晩報 』2007年7月3日 号 に は,「 北 大 学 園 高 考 復 読 指 導 中 心 」 学 生 募 集 の広 告 を 出 して お り,全 寮 式 で 一 歩 も 外 に 学 生 を 出 さず に勉 強 させ う こ とを 売 り物 に して い る 。 こ う した 予 備 校 の費 用 は 寮 費 込 み で 年 間2万 元 以 上 か か る 。
学 歴 と社 会 的 に 同等 の 扱 い を 受 け て い る か 否 か に 関 して は,不 明 な 部 分 が 多 い 。 した が って,学 校 教 育 の 現 場 にお い て 敗 者 復 活 戦 な しの 進 学 競 争 が 展 開 され て い るわ け で あ り,こ れ は 都 市 も農 村 も変 わ りは な い 。 い や,農 村 部 の方 が 都 市 に合 法 的 か つ 有 利 な 条 件 で 移 動 で き る 手 段 と して 高 等 教 育 機 関 へ の 進 学 が 想 定 し うる以 上,潜 在 的 な 熱 気 は都 市 部 以 上 の もの が あ る か も しれ な い 。
高等教育
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上 に,中 国 の 現 行 学 校 体 系 を 示 し た(1°)。既 に 説 明 し た よ うに,行 き 止 ま
(9)こ の 社 会 教 育 に よ っ て 得 られ る 「学 歴 」 が,一 般 の大 学 な どで 得 られ る それ と同 等 と され て い る が,そ うし た評 価 が 社 会 的 に 認 め られ て い る か,は な は だ 疑 わ しい。
(10)中 国 教 育 地 図 集 編 纂 委 員 会 編 『中 国教 育 地 図 集 』(上 海 科 学 技 術 出版 社,1995年6月)15頁 。 な お,1951年 学 制 に 関 して は,265頁 付 図2を 参 照 。1951年 学 制 で は,業 余 学 校 や 速 成 学 校 か らの 高 等 教 育 機 関 進 学 が 可能 と され て い た が,『 教 育 地 図 集 』 の 記 述 か ら は そ う した 例 は一 件 もな い 。 す な わ ち,業 余 学 校 も速 成 学 校 も,あ くま で 成 人 教 育 あ る い は 社 会 教 育 と し て考 え る べ き もの で あ り,正 規 の 学 校 教 育 とは 別 物 な の で あ っ た とい え よ う。
りの 複 線 型 で あ る。 しか も,こ れ は 人 民 共 和 国 成 立 当初 に 制 定 され た1951 年 の 学 校 体 系 と大 き く変 わ る もの で は な く,し た が って 中 国 で は 共 産 党 政 権 成 立 以 後,異 常 な ま で の理 念 優 先 型 平 等 主 義 が 掲 げ られ た文 化 大 革 命 の 一 時 期 を 除 い て,一 貫 して 複 線 型 学 校 体 系 が 取 られ て き た こ とを 意 味 して い る 。 ま た,1950年 代 以 来,教 育 預 算 は 高 等 教 育 に 厚 く基 礎 教 育 に は 薄 か っ た。教 員 給 与 や 教 員 組 織 に 関 して も 同様 で あ る(11)。くわ え て,1986年 ま で 制 度 と して す ら義 務 教 育 が 存 在 しな か った とい う こ と は,基 礎 教 育 に 関 し て も学 費 が 必 要 で あ っ た わ け で あ り,教 育 の機 会 均 等 とい う基 本 的 人 権 の 観 点 か ら見 て も,共 産 党政 権 下 の 中 国 は 著 し く公 平 性 に 欠 け て い た 社 会 で あ っ た とい え よ う。 ま た,小 学 校 卒 業 段 階 で の 将 来 進 路 決 定 は,社 会 的 に見 て 大 き な 問題 を は らん で お り,本 人 の 可 能 性 を 判 断 す る 年 齢 と して は 早 す ぎ る と言 わ ざ る を得 な い 。
これ ら の こ とか ら考 え て,中 等 教 育 段 階 で の 進 路 決 定 は,中 国 の 場 合, 日本 以 上 に 本 人 とそ の 家 族 の 人 生 に決 定 的 な 意 味 を 持 つ と い え よ う。 そ れ を 中 国 の 東 北 地 方,吉 林 省 延 辺 朝 鮮 族 自治 州 図 椚 市 とい う地 方 都 市 の 場 合 で 考 え て み る こ とが 本 稿 の 目的 で あ る。 図 椚 は 農 村 を そ の 後 背 地 に 持 つ た め,州 都 延 吉 や 省 都 長 春,深X111な ど の南 方 の 経 済 発 展 の 著 しい 都 市 へ の移 動,あ る い は そ れ らの 土 地 で の就 業 を望 む 人 々 も 多 く,よ り高 い ス テ イ タ ス で そ の チ ャ ン ス に望 み た い とい う希 望 は 当然 な が ら強 い 。 さ らに,先 進 国 水 準 に 到 達 して い る 同 じ民 族 の 国 家 で あ る韓 国へ の 出 稼 ぎ は,合 法,非 合 法 を 問 わ ず 盛 ん で あ り,そ の 目的 も多 くが 子 弟 の 教 育 費 捻 出 で あ る。
2.図 椚 の 事 例(2003年8月) 1)図 椚 に つ い て
図 椚 市 は,す で に 述 べ た よ うに 中 国吉 林 省 延 辺 朝 鮮 族 自治 州 の 東 端 に あ り,図 椚 江(朝 鮮 名 「豆 満 江 」)を 挟 ん で,北 朝 鮮 南 陽 市 に 接 して い る。 次 頁 の 写 真 の 手 前 が 図椚 市,図 椚 江 を 挟 ん だ 向 こ う側 が 北 朝 鮮 で あ り,「満 洲
(11)拙 稿 「中 国 の教 員給 与 制 度 に つ い て 」(『日本 大 学 経 済 研 究所 紀 要 』 第27号1999年3月), お よび 拙 稿 「民 弁 教 師 に つ い て 」石 原 享 一 ・内 田 知 行 ら編 『途 上 国 の 経 済 発 展 と社 会 変 動 』1997 年10月 緑 蔭 書 房)参 照 。
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国 」 時 代 に は 満 鉄 と朝 鮮 鉄 道 の 引 継 ぎ の ポ イ ン トで も あ った 。 現 在 で も, 一 日 に何 本 か の 列 車 が 北 朝 鮮 と行 き 来 し,1941年 に つ く られ た 図 椚 大 橋 を 通 る トラ ック 便 も あ る 。 中朝 国 境 は 南 部 は 鴨 緑 江,北 部 は 図椚 江 に よ っ て 区 切 られ て は い る もの の,歴 史 的 に見 れ ば,近 代 国 家 に よ っ て 国 境 線 が 画 定 管 理 さ れ る 以 前,そ こ に住 む ひ とび とは 自 由 に 行 き 来 し て い た と考 え る の が 自然 で あ る(12)。
行 政 区 画 と して の 図 椚 は,満 洲 国 時 代 の1934年 に 図 椚 市 と して 現 れ る の が 最 初 で あ る(13)。そ の後,1936年 に 図 椚 街 に 格 下 げbにな っ た が,1945 年8月,満 洲 国 の 崩 壊 に と もな い,延 吉 県 臨 時 政 府 が 成 立 し,11月 の 延 吉
(12)鄭 雅 英 は 「朝 鮮 民 族 の 中国 境 内へ の大 量 移 住 は1860年 代 に 始 ま る」 とす る(『 中 国朝 鮮 族 の 民 族 関 係 』 現 代 中 国研 究 叢 書XXXV皿(平 成11年 度)ア ジア 政 経 学 会)。 そ の 他,中 国朝 鮮 族 が 清 代 以 降 初 め て朝 鮮 半 島 か ら 中国 東 北 部 に移 住 した とす る研 究 は多 い。 中 国 で は こ う した清 代 以 降 の 朝 鮮 民 族 の移 住 を も って 現 在 の 中 国朝 鮮 族 の 祖 と して い るが,地 理 的 に 理 解 しが た い ば か りか,歴 史 的 に も 高 句 麗 ・渤 海 ・高麗 な ど,朝 鮮 系 諸 王 朝 が 半 島 部 だ け で な く満 洲 地 域 に に も領 域 を 展 開 し て い た こ とか ら考 えて,首 肯 しが た い 。近 年物 議 を 醸 して い る,中 国 に よ る 東 北 工 程 が,韓 国 で は 高 句 麗 史 な ど の 中 国地 方 史 化 と 批 判 を受 け て い る が,韓 国が 自国 のナ シ ョナ リズ ム の た め に歴 史 を 利用 して い る こ と は も ち ろ ん で は あ る に せ よ,中 国 も同 様 で あ る。
(13)図 イ門市 の 行 政 区 画 の 成 立,変 更 に 関 して は吉 林 省 図 イ門市 地 方 志 編 纂 委 員 会 編 藍 海 主 編 『図椚 市 志(1644‑1985)』(吉 林 文 史 出版 社2006年7月)42〜44頁 。
県 政 府 正 式 発 足 時 に は 延 吉 県 図 椚 市 とな った 。 これ は,現 在 の 龍 井 県 を含 ん で い た 。 中華 人 民 共 和 国 成 立 後 の1952年9月 に 成 立 した 延 辺 朝 鮮 族 自 治 区 の な か に延 吉 県 図 椚 市 は 組 み 込 ま れ,こ れ は1955年 の 延 辺 朝 鮮 族 自 治 州 に も引 き 継 が れ た 。1965年4月,延 吉 県 図 椚 鎮,注 清 県 の 石 蜆 鎮 を あ わ せ て現 在 の 図 椚 市 が 成 立 し,同 年5月1日 の全 国 人 民 代 表 大 会 常 務 委 員 会 の 批 准 を 経 て 図椚 市 と称 す る こ とに な った 。 以 後,農 村 部 に 行 政 区 画 を 拡 大 しつ つ,現 在 に い た っ て い る 。
2006年 末 現 在,図 椚 市 の総 人 口 は13万2795人,う ち 非 農 業 人 口10万 5783人,朝 鮮 族 は7万3897人 で 全 体 の55.6%,漢 族 は5万6681人 で 全 人
口の42.7%で あ った(14)。そ こか らは,一 定 の 都 市 化 が 進 み,朝 鮮 族 自治 州 とは い う もの の,朝 鮮 族 自体 が よ うや く半 数 で あ る こ と(15),また 朝 鮮 族 自 体,1990年 以 降 全 国 レベ ル で 見 る と人 口 の伸 び が ほ とん ど 見 られ な い こ と(16)か ら,こ の 中 朝 国境 の 町 に お い て も漢 族 化 が 進 ん で い る こ とが 見 て 取 れ よ う。 しか し,こ こ の漢 族 は 朝 鮮 族 と接 す る こ とに よ り,韓 国 へ の 出 稼 ぎや 韓 国 か らの観 光 客 相 手 の 仕 事 が 直 接 現 金 収 入 に 結 び つ く こ と を理 解 して か,韓 国語 を 勉 強 す る ケ ー ス が よ く見 られ る とい う(17)。こ れ は 中 国 に お け る他 の 「少 数 民 族 」 とは 全 く異 な る状 態 で あ り,隣 接 す る 同 じ民 族 が 形 成 す る 国 家 の 国 際 的 な 影 響 力 の 大 き さ との 関 わ りで あ る と考 え られ る。
2)朝 鮮 族 教 育 の 特 徴
朝 鮮 族 が 子 弟 の教 育 に熱 心 で あ る こ とは 以 前 か ら知 られ て お り,植 民 地 化 が 進 む 中 で も,現 在 の 延 辺 朝 鮮 族 自治 州 に あ た る 間 島 に多 くの 書 塾 を設
(14)図 椚 市 政 府 公 式 ホ ー ム ペ ー ジ よ り。http://www.tumen.gov.cn/board.php?boardニtumen ̲ jingji&act=view&no=12
(15)現 在,図f門 市 市 長 の 金 基 徳(1965年 生 まれ)は 朝 鮮 族,市 委 党 書 記 朴 松 烈 も名 前 か ら朝 鮮 族 で あ ろ う。自 治 州 州 長李 龍 煕(1963年 生 まれ)は 朝 鮮 族 で あ るが,自 治 州 党 書 記 の$R凱(1959 年 生 ま れ)は 漢 族 で あ る。 自治 州 内 で も,敦 化 よ り西 側 にな る とハ ン グ ル よ り漢 字 表 記 の看 板 な どが 目立 つ よ うに な る 。朝 鮮 族 は 多 数 を 占 め る も の の,漢 族 化 が 進 ん で い る こ とが 理 解 され る 。
(16)大 西 広 「寧 夏 回族 自 治 区 東 部 貧 困 県 の 平 均 的 回族 家庭 の 生 活 状 況 につ い て」(2008年6月15 日,日 本 現 代 中 国 学会2008年 度 関 西 部 会 自由 論 題 報 告)に お い て 示 され た 資 料 に よ る 。 (17)2003年8月27日,愛 延 日本 語 培 訓 学 校 校 長 と のイ ン タ ビ ュ ー に よる 。
(18)拙 稿 「『満 州 国 』の朝 鮮 人 一間 島 にお け る朝 鮮 人 へ の 皇 民 化 教 育 に つ い て 」(『中 国21』(Vol.
3愛 知 大 学 現 代 中 国学 会,1998年4月)な ど参 照 。
置 し,そ れ が 朝 鮮 独 立 運 動 の拠 点 とも な った こ と もま た,よ く知 られ た 事 実 で あ る(18)。これ は,朝 鮮 王 朝 を は じ め とす る朝 鮮 族 ・朝 鮮 人 の 中 国文 化 受 容,儒 学 受 容 と関 わ る も の で あ ろ うが,そ れ が 近 代 以 降 は ナ シ ョナ リズ ム の 揺 藍 と もな っ た の で あ る 。
人 民 共 和 国 成 立 後 は,し か し,漢 語 と朝 鮮 語 との バ イ リンガ ル 化 が 進 む こ と にな り,朝鮮 語 で の 高 等 教 育 は延 辺 大 学 に よ って 保 障 され る こ とに な っ た も の の,漢 語 を習 得 しな くて は 北 京 へ の 階 段 を 上 が れ な くな って しま っ た 。 こ の こ とは,イ ン タ ヴ ュ ー で も しば しば 指 摘 され る と こ ろ で あ る が, 延 辺 大 学 が 中 国教 育 部 の 指 定 す る 重 点 大 学 で あ る に もか か わ らず,朝 鮮 族 の 間 で は さほ ど高 い評 価 が 与 え られ て い な い 現 実 とな って 現 れ て い る。 ま た,こ れ は 同 じ くイ ン タ ヴ ュ ー で も言 及 され て い る こ とで は あ る が,民 族 教 育 の最 高 峰 で あ る 中央 民 族 大 学 に対 す る 評 価 と も関 わ っ て くる 。
な お,言 語 と して の 朝 鮮 語 は,構 造 的 に 漢 語 よ り 口本 語 との 親 近 性 が 強 い 。 こ の た め 朝 鮮 族 の 子 弟 は 中 等 教 育 段 階 で 履 修 す る 外 国語 と して 日本 語 を 選 択 す る こ とが 多 か った が,1990年 代 半 ば 以 降,そ の 地 位 は 英 語 に取 っ て 代 わ られ つ つ あ る 。
3)図 椚 で の イ ン タ ヴ ュー
2003年8月,吉 林 朝 延 辺 朝 鮮 族 自 治 州 図 椚 市 に お い て,筆 者 は 教 育 関係 者 や 生 徒 保 護 者 に対 し,進 路 指 導 に 関す る こ とが らを ふ く めイ ン タ ヴ ュ ー を 行 っ た(19)。以 下,そ の 内容 を 一 件 ず つ 紹 介 した い。
①2003年8月27日 午 前:図 椚 市 職 業 高 級 中学 こ こ で は,校 長 ・副 校 長 に会 うこ とが で き た 。
図 椚 市 職 業 高 級 中 学 は1979年9月9日,図 椚 技 工 学 校 と して 創 設 され, 別 の 中学 の2階 に 間借 り して授 業 を開 始 した 。 こ の 中 学 は,日 本 時 代 の校 舎 をそ の ま ま 使 っ て い た が,こ の 建 物 は,2003年 現 在,既 に取 り壊 し済 み と の こ とで あ っ た 。 技 工 学 校 設 置 時 の 生 徒 数 は300人,6ク ラ ス で 始 ま っ た が,1987年,別 置 の 職 業 学 校 を 吸 収 して規 模 を 拡 大 し,2000年 に 図 椚 市 職 業 高 級 中学 と改 称 と改 称 した 。 現 在,生 徒 数600人,18ク ラ ス(6ク
ラス ×3学 年)と,創 立 当初 の倍 の 規 模 に な って い る 。教 員 は89人,う ち 基 礎 科 目担 当 者40人,技 術 科 目担 当者39人,専 門 科 目 は の べ22科 目 あ っ
図椚 市 職業 高級 中学 正門 前 にて
(19)音 声 記 録 で は な く,イ ン タ ヴ ュ ー しなが らの 筆 記 に よ る記 録 。 な お,中 国 の 出 入 り は北 京 か らで あ った た め,北 京 に あ る 人 民 大 学 附属 中 学 お よび 中学 生 を持 つ 一般 市 民 か らの 聴 き取 りも 行 っ た 。 そ れ らは 図 椚 と異 な る場 所 で あ り,本 稿 の テ ーマ とは 離 れ る が,一 定 の 資 料 価 値 が あ る と思 わ れ る の で,あ わ せ て 以 下 に 記 す 。
①2003年8月25日:人 民 大 学 関係 者
中 学 の 学 費+諸 経 費 は,人 民 大 学 附 属 中 学 が 月 当た り1800〜2000元,北 京 大 学 附 属 中学 は 1400〜1600元 。 北 京 市 民 の 平 均 月 収 は1600元,「 白領 」(ホ ワイ トカ ラ ー)3000元 と言 うこ とか ら考 え る と,か な りの 高 額 で あ る。 人 民 大 学 の 体 育 館 は 学 生 ・生 徒 の 保 護 者 の 寄 付 に よ っ て 建 設 され た が,そ の 寄 付 は付 属 小 中で 児 童 生 徒 一 人 あ た り700元 に の ぼ った 。 「実 験 ○ ○ 学 校 」 と名 を 変 え た も との 重 点 学 校 で は 学 費 ・諸 経 費 を 授 業 料 を払 え な い 生 徒 もい る とい う。 ま
た,近 年 大 学 入 試 向 け の 「導 航 」(塾)が 増 え て い る と の こ とで あ っ た 。
な お,人 民 大 学 へ の 外 国人 留 学 生 に 関 して は,漢 語 進 修 生 が 年 あ た り2500〜2600米 ドル, 高 級 進 修 生 は3600〜3800米 ドル を一 括 払 い す る よ う求 め られ,分 割 は 相 談 に 応 ず る と の こ と だ が5%増 に な る。
②2003年8月30日:2003年 に息 子 が 高 級 中 学 に 進 学 した 父 北 京 市 進 学 事 情 に つ い て 話 を 伺 う こ とが で き た 。
北 京 で も,初 級 中学 か ら高 級 中 学 へ の 進 学 は 市 内 の統 一 試 験 で 決 定 され,進 学 先 も 自動 的 に振 り分 け られ る。試 験 科 目 は 例 年5科 目で あ った が,2003年 はSARSの た め3科 目360点 満 点 で あ った 。 北 京 大 学 附 属 中 学,清 華 大 附属 中 学,北 京 師範 大 学 附 属 中学 が 最 高 点 に ラ ン ク され, い ず れ も330点 以 上 で な い と合 格 で きな か っ た 。そ れ 以 下 は5点 刻 み で 学 校 の ラ ン クが 発 表 さ れ る 。 進 学 先 は 市 教 委 が 一 方 的 に 決 定 し,各 大 学 の 附 属 初 級 中学 か らそ の ま ま附 属 高 級 中学 に 上 が れ る とは 限 ら な い 。 な お,市 教 委 指 定 外 の 学 校 へ の進 学 も可 能 で あ る が,そ の 場 合 は一 律 3万 元 プ ラ ス+学 校 毎 に異 な る 手続 き 費 用 が 請 求 され る 。 さ らに,そ れ とは 別 に 生 徒 の棺 案 移 動 手 数 料5000元 が 必 要 と な る。各 学 校 と も,合 格 最 低 点 の10点 下 まで 人 員 を 受 け 入 れ て い る。
これ は ま た 小 学 校 で も 同様 で あ り,幹 部 の 子 弟 が 通 う学 校 と して 有 名 な 東 城 区 の 景 山小 学 で は 6万 元 が 必 要 とさ れ る 。
た が,こ れ は 改 革 開放 政 策 開始 後 の 経 済 発 展 に従 っ た もの で,科 目開 設 時 に 担 当教 員 が 不 足 す る と近 隣 の 関 連 企 業 に 専 門 家 の 派 遣 を依 頼 し,問 題 な けれ ば こ の 学 校 へ 移 籍 して き た 。 現 在,コ ン ピ ュ ー タ ・自動 車 ・日本 語 の 3科 が 設 け られ て い る 。 コ ン ピ ュー タ科 の 場 合,教 員 は 延 吉 に あ る 延 辺 科 技 大 学 で研 修 を受 け た 。 ま た 自動 車 科 の場 合,外 部 の 自動 車 整 備 工 場 と提 携 し て お り,基 礎 は3か 月 間 学 校 で 学 習 し,そ の後,工 場 で 実 地 研 修 を お こな い,同 時 自動 車 運 転 の免 許 も延 吉 の 自動 車 運 転 試 験 場 で 取 得 す る こ と に な っ て い る 。
授 業 は1日7時 限,1時 限 は45分 。 コ ン ピ ュ ー タ 科 で は 毎 日 コ ン ピ ュ ー タ 操 作1時 限 が 必 修 とな って い る 。 目標 と して は 卒 業 ま で に 中 級 レベ ル, 国 家 資 格4級 を掲 げ て い る。
写 真 は,コ ン ピ ュ ー タ科 の 時 間 表 で あ る 。 毎 日の 最 後 の 時 間 が 自習 時 間 で あ る点 が 目立 つ が,そ れ 以 外 に も徳 育 ・礼 節 な ど道 徳 教 育 の 時 間 が 多 い 。
自動 車 科 で も専 攻 科 目の 自動 車 は 毎 日1時 限 必 修 で あ り,自 動 車 整 備 士 の 資 格 が 目標 で あ る。 日本 語 科 で は,日 本 の 国 際 協 力 基 金 が 実 施 して い る 日 本 語 能 力 検 定 試 験 受 験2級 合 格 を 目標 と して い る が,実 際 はや や 難 し く,
コ ン ピ ュー タ科 時 間 割
あ ら か た の 者 は3級 合 格 の 水 準 で あ っ た 。 朝 鮮 族 の 特 性 か ら初 級 中学 です で に 日本 語 を 履 修 して い る者 も あ る が,全 くの 初 学 者 もあ り,生 徒 の 学 力 の ば らつ き が 大 き い 。
卒 業 生 の進 路 に 関 して は,希 望 と して は 留 学 が 最 も多 い もの の,実 際 に は 経 済 面 で の 負 担 に耐 え うるか ど うか,さ らに は 手 続 きが 複 雑 で あ る こ とな ど の 問 題 が あ り,実 際 に留 学 に 出 か け られ る もの は少 な い 。 留 学 した 者 は ほ とん どが 語 学,具 体 的 に は 日本 語 習 得 が 目的 で あ り,3年 前, す な わ ち2000年 頃 に 大 阪,広 島へ 合 計8人 が,2003年 に は 東 京 へ1人
が 日本 語 学 校 へ の就 学 生 と して 日本 に渡 った 。 ただ し,か れ らが 日本 か ら 帰 っ て き た の か ど うか,あ る い は そ の予 定 が あ る か ど うか に 関 して は 不 明 で あ っ た 。 そ の ま ま 日本 で 就 労 して い る 可 能 性 も捨 て き れ な い 。 大 学 進 学 で は 日本 で は 学 部 に あ た る本 科 へ の 進 学 は ほ とん どな く,多 くが 専 門 学 院 で あ る コ ン ピ ュ ー タ 関 連 が 多 い 。2003年 は16人 が 進 学 した もの の15人 が 吉 林 ・長 春 の コ ン ピ ュー タ 関連 専 門 学 院 へ,本 科 へ の 進 学 は1人 だ った 。 就 職 の 場 合,学 校 の 推 薦 に よ って 広 州 ・深1111・珠 海 ・大 連 ・山 東 な ど 南 方 へ 通 訳 ・管 理 業 務 な ど を 中 心 に 出て 行 って い る。 省 外 へ 就 職 す る 者 は全 体 の3分 の2に の ぼ る 。 こ の 場 合 も朝 鮮 族 の特 性 を 生 か し,LGな ど韓 国 企 業 へ の就 職 が 目立 つ とい う。 な お,女 子 で 南 方 に就 職 す る の は 給 与 が 高 い 場 合 に 限 られ,こ の場 合 も韓 国 系 企 業 が 多 い 。南 方 各 地 に 就 職 す る 場 合, 初 任 給 は 食 事 ・住 居 付 き で 月 当 た り500〜1000元 で あ り,卒 業 生 の 多 く が 最 初 に就 職 した 企 業 で 何 年 間 も勤 務 を継 続 して い る とい うが,転 職 の激
しい 中 国 で こ う した 状 況 が 起 き る の は,給 与 な ど条 件 が よ い と判 断 して い るか らで あ る 。 そ して,家 計 が 苦 しい 家 の 子 女 は,就 職 した場 合 必 ず 毎 月 故 郷 に仕 送 りを して い る とい う。
い っ ぽ う吉 林 省 内 に 残 る の は 全 体 の3分 の1で あ り,自 営 業 ・サ ー ヴ ィ ス 業 中心 で あ る。 自営 業 者 の 子 弟 は 食 堂 ・自動 車 部 品 販 売 な どサ ー ヴ ィ ス 業 が 多 く,そ の他,プ リ ン タな どPC関 連 商 品 の 販 売 や"網 口巴"(イ ン タ ー ネ ッ トカ フ ェ)を 開 い て い る 者 もい る。 就 職 希 望 者 に 対 す る 求 人 票 は 企 業 か ら来 る が,直 接 電 話 で 求 人 依 頼 を して く る企 業 もあ り,日 本 的 な シ ス テ ム とは 異 な っ て い る 。 学 校 で は1990年 か ら生 徒 へ の 企 業 を 推 薦 す る よ う に な り,個 別 の 企 業 を ひ とつ だ け 紹 介 す る とい う。 日本 で も高 校 生 の 就 職 活 動 は在 校 中 に担 任 あ るい は就 職 担 当 の教 員 か ら紹 介 され,校 長 推 薦 を受
けて 行 わ れ る の が 普通 で あ り,こ れ は類 似 の シ ス テ ム とい え る 。 進 路 決 定 に あ た り,図 椚 市 職 業 高 級 中 学 で は 日本 の 中学 や 高 校 同 様,担 任 教 員 ・本 人 ・保 護 者 に よ る 三 者 面 談 が お こな わ れ る 。 一 般 に 卒 業 前 の学 期 にお こ な わ れ るが,卒 業 直 前 に は 全 員 に 対 して 実施 が 完 了 して い る。 保 護 者 は 時 間 の 都 合 の つ く方 が 出 席 し,父 母 い ず れ で も よい 。 基 本 的 に保 護 者 は 学 校 を 信 頼 して い る の で,教 員 の 指 導 に従 うケ ー ス が ほ とん どで あ る。
しか し,生 徒 の ほ とん どが 一 人 っ子 で あ る た め,子 や 学 校 に対 す る 親 の要
求 は 高 い 。 した が っ て,生 徒 の 就 職 に 際 して 親 の意 見 は 有 効 で あ り,教 員 は そ れ を 勘 案 して 企 業 を推 薦 お よび 紹 介 す るが,最 終 決 定 は本 人 の 判 断 に 委 ね られ る 。
な お,中 途 退 学 は ほ とん ど な い と説 明 され た が,勤 め 先 が 見 つ か った 場 合 に は 中 退 す る生 徒 も あ り,2002年 に は10%に の ぼ っ た と い う。 そ れ で も,卒 業 証 明 書 が な い と就 職 す る に して も始 ま らな い の で,こ の 数 字 に と ど ま っ て い る とい う。
②2003年8月28日 午 前:図 椚 市 石 蜆 中 学
こ こ で は,教 務 主 任 へ のイ ン タ ヴ ュ ー が 行 え た。
石 蜆 中 学 は 図 椚 市 内 の 北 方30kmほ ど,西 に 延 吉 を ひ か え た と こ ろ に あ る。 現 在 の 図 椚 市 成 立 の 時 に組 み 込 まれ た と こ ろ で,も と は鎮 で あ った こ とか ら,農 村 地 区 の 中心 的 町 とい え る。
同校 は 普 通 課 程 の 完 全 中学 で,1960年 代 に創 立 され た 時 か ら初 級 中 学 ・ 高 級 中 学 が 設 置 され て い る。 現 在,全 校 で教 員52人,生 徒 数 は初 級 中学 が1〜3年 ま で 各 学 年1ク ラ ス,3学 年 で 合 計200人,高 級 中学 は3学 年 で380人 で,各 学 年1〜2ク ラ ス 編 成 で あ った 。 朝 鮮 族 は 一 人 っ子 政 策 が 採 られ る 以 前 か ら子 供 の 数 が 少 な く,か つ 教 育 熱 心 で あ っ た こ とで も知 ら れ る(2°)が,石 蜆 中 学 で も初 級 中 学 卒 業 後,直 ち に就 業 す る 者 は ご く少 数 で あ り,専 門 学 校 に 進 学 す る 者20〜30%,残 りは 高 級 中学 に 進 学 す る。
高 級 中 学 へ の 進 学 に は 入 学 試 験 を受 け な けれ ば な らず,完 全 中 学 で あ る 石 蜆 中学 で も,同 校 の 高 級 中 学 へ は 入 試 に 合 格 しな け れ ば な らな い 。 入 試 は 図 椚 市 で 統 一 して 実 施 され,石 蜆 中学 で は600点 満 点420点 を 高 級 中学 合 格 の最 低 ライ ン とす る よ う,図 椚 市 教 育 委 員 会 よ り提 示 され た 。しか し, 石 蜆 中学 で は 合 格 者 最 低 ライ ン を396点 に 引 き下 げ た が,こ れ は 市 教 委 の ライ ン で は 欠 員 が 発 生 した た め,そ の補 充 を 行 わ ね ば な ら な か った か らで あ っ た。 要 す る に補 欠 合 格 で あ り,石 蜆 中 学 で は話 が 出 な か っ た が,後 述 の 図 椚 鉄 路 学 校 で の イ ン タ ヴ ュ ー な どか ら考 え る と,一 定 の補 欠 合 格 入 学
(20)満 洲 国成 立前 後 か ら1950年 代 ま で の 間 島 ・延 辺 朝 鮮 族 自治 州 の朝 鮮 人 ・朝 鮮 族 に 対 す る教 育 に つ い て は 金 美 花 『中国 東 北 農 村 社 会 と朝鮮 人 の 教 育 一 吉 林 省 延 吉 県 楊 城 村 の 事 例 を 中心 と して(1930‑49年)』(お 茶 の 水 書 房,2007年1月)参 照 。
金 とで もい うべ き別 途 手 続 き 費 用 を徴 収 して 学 校 経 費 を まか な って い る と 考 え られ る 。 補 欠 合 格 者 ライ ン に 関 して は,学 校 か ら市 教 委 に 報 告 が な さ れ て い る とい う。 しか しな が ら補 欠 合 格 者 は,高 級 中 学 で の教 育 内 容 に対 応 で き る よ うに と設 定 した 当初 の ライ ン を,5%以 上 下 回 って い る わ け で あ り,入 学 者 の 学 力 問 題 が 発 生 す る の で は な い か と心 配 して い た 。 至 極 当 然 の 事 で は あ るが,学 校 の財 政 的 維 持 と学 生 生 徒 の 学 力 維 持 とは 一 見 反 比 例 す る よ うに 見 え て,長 期 的 に 見 れ ば 比 例 す る も の で あ り,学 校 の 社 会 的 評 価 と も関 わ って くる 。 そ れ は,図 イ門市 内 よ り30kmと い う こ とは 州 都 延 吉 に も40kmと い う微 妙 な 位 置 が 反 映 した 結 果 で もあ っ た 。 教 務 主 任 の話 で は,以 前 は 石 蜆 の 生 徒 は必 ず そ の ま ま地 元 の高 級 中 学 に進 学 した が,こ
こ4年 ほ どの 傾 向 と して 図椚 市 内 の 学 校 に 進 学 した が り,さ らに は 延 吉 の 学 校 に進 学 す る者 も増 えて い る とい う。
進 路 決 定 に 関 して の 三 者 面 談 は 制 度 と して は 取 っ て い な い もの の,生 徒 の 保 護 者 が 学 校 へ 来 れ ば 必 ず 対 応 す る とい う。 ま た,特 に高 級 中 学 の 場 合 大 学 進 学 が 問 題 とな る が,志 望 大 学 の選 択 は,生 徒 の 意 見 が 主 とな り教 員 の 意 見 は 助 言 に と どま り,あ え て 数 値 化 す る と生 徒65に 対 し教 員35で あ る と い う。 た だ し,教 員 側 は 生 徒 の 学 力 を 把 握 して い るの で,合 格 可 能 性 の あ る大 学 を 示 す 事 に な る。 す で に述 べ た よ うに,中 国 の 大 学 入 試 は 国立 大 学 の場 合 全 国統 一 試 験 だ け で 決 ま る た め,受 験 機 会 は 一 回 しか な い 。 こ の た め,い く ら生 徒 の 意 見 が 主 で あ る とい って,教 員 の 助 言 を 無 視 す る事 は 考 え に くい 。 学 校 側 も,大 学 入 試 に対 して 補 習 授 業 を お こ な って 学 力 向 上 を 図 っ て い る。 そ の 結 果 は,一 部 が 浪 人 す る も の の ほ とん ど全 員 が 合 格 して い る との こ とで あ った 。 しか しな が ら,教 務 主 任 が 挙 げ た 事 例 と して は,重 点 大 学 の 例 と して1998年 に 中 央 民 族 大 学,北 京 理 工 大 学,上 海 交 通 大 学 に 各1名,2003年 に は 北 京 理 工 大 学 の 日本 語 学 科 に女 子 が1名,他 は 延 吉 の 延 辺 大 学 朝 鮮 語 学 科 や 医 学 部 に毎 年5〜8人 ほ ど合 格 す る に と ど ま る。 こ う した 実 績 は,図 椚 市 内 の 技 術 学 校,鉄 路 学 校 と同 レベ ル で あ り, 2003年 の 結 果 と して 大 学 本 科 は32人 受 験 して10人 合 格,短 大 ・専 門 学 校 に あ た る 専 科 は32人 受 験 して20人 合 格 との こ とで あ った 。 こ の 受 験 実 績 か ら考 え る と,石 蜆 中 学 の高 等 教 育 機 関 へ の 進 学 希 望 者 数 は2003年 の場 合 総 計 で32人,全 員 が そ の 希 望 を 叶 えた 事 に な る 。 な お,国 外 へ の 就 職
は 毎 年5〜6人 あ り,す べ て 韓 国 で あ る 。
学 校 の財 政 は 生 徒 数 が 多 い ほ ど豊 か に な る と い う。 市 政 府 か ら年 間 経 費 と し て3万 元 が 補 助 され る もの の,そ れ 以 外 は 学 費 で ま か な わ ざ る を 得 ず, 初 級 中学200人,高 級 中学380人 の生 徒 数 で は全 く足 りな い とい う。 経 費 は,教 員 給 与 が 大 部 分 で あ り,残 りは実 験 室,す な わ ち 理 科 教 育 関 連 経 費 が 占 め て い る 。
な お,石 蜆 中学 の よ うな 農 村 に 準 ず る よ うな 地 域 に あ る学 校 で は 教 員 不 足 が 深 刻 で あ り,特 に 数 学 ・物 理 ・化 学 な ど理 数 系 科 目の 教 員 に 欠 員 が 発 生 し,授 業 に も差 し支 え る こ とが あ る。 理 数 系 科 目の 教 員 は,コ ン ピ ュ ー タ 関 連 な ど他 の 仕 事 へ の 転 職 が 容 易 で あ り,実 績 な どか ら好 条 件 で 引 き抜 か れ る事 が 多 い とい う。 こ の た め 他 の教 科 の 教 員 が 理 数 系 科 目を 兼 担 した り,退 職 者 の 再 雇 用,図 椚 に 隣 接 す る注 清 な ど他 地 域 か ら の招 聰 して い る とい うが,話 しぶ りか ら判 断 す る 限 り,実 際 は 困難 な よ うで あ った 。ま た, 朝 鮮 族 地 域 で あ りな が ら朝 鮮 語 の 教 員 も不 足 して い る とい う。 根 本 的 な 問 題 解 決 の た め,同 校 で は 大 学 卒 の 教 員 を配 置 して くれ る よ うに 市 政 府 に要 求 し て い る が 実 現 は 困 難 で あ り,本 来 大 卒 を 条 件 に して い た若 い 教 員 に つ い て は,専 門 学 校 な ど4年 制 高 等 教 育 を 受 けて い な い 者 で も よ し とせ ざ る と得 な い 状 況 に あ る 。 学 歴 と教 員 と して の 能 力 とは 必 ず しも一 致 す るわ け で は な い が,長 期 的 に 見 る と教 員 へ の社 会 的 評 価 と も関 わ り,教 育 の 質 の 問 題 に影 響 す る危 険性 が 高 い 。
③2003年8月28日 午 後:図 椚 鉄 路 学 校
こ こ で は,図 椚 鉄 路 学 校 で 日本 語 を担 当 して い た が,現 在 は 学 校 の 受 け 付 け事 務 を 担 当 して い る元 教 員 に 対 して イ ン タ ヴ ュ ー が で き た 。
図 椚 鉄 路 学 校 は鉄 道 部 所 属 の 普 通 中学 で,一 般 の 学 校 が 教 育 部 ・市 教 委 の 指 導 を 受 け る の とは 管 轄 が 異 な って い る 。 学 校 規 模 は 初 級 中 学 が 生 徒 数 1年 次2ク ラ ス100人,2年 次3ク ラ ス120人,3年 次3ク ラ ス160人 の合 計380人 。高 級 中学 は1年 次3ク ラ ス170人,2年 次2ク ラ ス120人,3年 次2ク ラ ス120人 で 合 計410人 。 教 員 は 全 員 で70人 で あ った 。 この 元 教 員 の 配 置 換 え の 理 由 と もな る の で あ るが,1990年 代 半 ば 頃か ら,図1門 で は 従 来 の 日本 語 に代 わ って 英 語 に 外 国 語 の選 択 順 位 が 代 わ る よ うに な っ て き
た と い う。 英 語 の方 が 卒 業 後 の 選 択 の範 囲 が 広 い か ら と言 うの が 理 由で あ る と い う。 そ の 結 果,高 級 中学3年 生 で 日本 語 選 択 者 が15人 い る もの の, 他 は 初 級 中 学 を含 め す べ て 英 語 選 択 者 とな って い る 。 この 傾 向 は,今 後 と
も変 わ る こ とは な い で あ ろ う との こ とで あ った 。
高 級 中 学 で は,初 級 中学 か ら の 内 部 進 学 が4096,外 部 か ら の 入 学 者 が 60%で あ り,初 級 中 学 卒 業 後 た だ ち に就 業 す る者 は な く,多 くが 職 業 中学 に 進 学 す る 。 延 吉 へ の 進 学 は 学 年 で3〜5人 に と どま るが,こ れ は 鉄 路 学 校 が 図椚 市 街 地 に あ る こ と と も関 係 して い る と思 わ れ る。 な お,ク ラ ス担 任 の 教 員 が 初 級 中学 生 と の受 験 先 を決 め る こ と は な い との こ とで あ った 。 高 級 中 学 卒 業 後 を含 め,進 路 決 定 に 際 して 親 子 の 対 立 は ほ とん どな い 。 これ は,学 校 が 鉄 道 部 所 属 で あ り,90年 代 以 前 の 単 位 社 会 で 当 然 と され て き た 親 と 同 じ職 場 で 労働 す る こ とが い まだ つ づ い て い る の か も しれ な い が, この 点 に 関 して の詳 しい 説 明 は な か っ た。 な お,生 徒 の 保 護 者 の職 業 は60
〜70%が 鉄 道 関 係 者 で あ った 。 高 級 中 学 卒 業 後 の 進 路 は60%が 大 学 で あ り,同 校 が か な りの 進 学 校 で あ る こ とが わ か る 。 そ の うち,2003年 の 場 合,北 京 が6人 で 最 多 で あ っ た 。 具 体 的 に は 北 京 師 範 大 学,北 京 科 学 技 術 大 学 各1人,清 華 大 学3人,北 京 大 学2人,こ の6人 は い ず れ も統 一 試 験 で700点 満 点621点 以 上 で あ っ た 。 ま た,延 吉 の延 辺 大 学 へ は30人 以 上 が 進 学 して い る 。 専 門 学 校 は25%が 進 学 して い る が,そ の 行 く先 は 大 連 水 産 学 校 な ど多 様 で あ った 。 い っ ぽ う,就 職 は15%で あ る が,学 校 あ て に 求 人 票 は 来 な い 。 日本 へ 渡 航 す る者 は 日本 語 学 校 で の 就 学 を 目的 と して い る とい うが,実 際 に は 就 業 す る 者 が 多 い と思 わ れ る 。 ま た,韓 国 へ 渡 航 す る も の 者 もあ るが,こ れ は親 族 が 韓 国 に い る者 に 限 られ る。 な お,大 学 卒 業 後 の 日本 留 学 は40%に の ぼ り,朝 鮮 族 ゆ え比 較 的 容 易 に 身 に つ く 日 本 語 を生 か した とい え よ う。
初 級 中 学 ・高 級 中 学 の 入 試 で は,最 終 的 な 合 格 者 の 半 数 以 上 が 補 欠 合 格 扱 い とな っ て お り,各 人6000元 を納 入 しな け れ ば な らな い 。 これ は 学 校 経 費 に 充 当 され る とい うが,特 待 生 制 度 が あ る も の の,負 担 の あ り方 と し て は 問題 が あ る。
④2003年8月28日 午 後:図 椚 市 第 五 中 学
こ こ で は,同 校 の も と 日本 語 担 当教 員 の 話 を伺 う こ とが で き た 。 図 椚 市 第 五 中学 は 普 通 初 級 中学 で あ り,若 干 の漢 族 の生 徒 が い る も の の,基 本 的 に 朝 鮮 族 の 学 校 で あ る。 規 模 は 生 徒 数1年 生8ク ラ ス400人,2年8ク ラ ス400人,3年10ク ラス500人 。 教 員 は全 部 で130人 。1ク ラ ス50人 の 大 学 級 で あ る が,こ れ に つ い て は 格 段 の 問題 は な い よ うで あ っ た 。 な お, 第 五 中学 で は 初 級 中 学 で あ りな が ら外 国語 と して 日本 語 を履 修 す る こ とが で き たが,2003年6月,履 修 希 望 者 数 の減 少 に よ り,最 後 の 日本 語1ク ラ ス が 廃 止 され た 。 こ の た め,こ の 日本 語 担 当教 員 も2003年9月 以 降 は 日 本 語 か ら別 の 教 科 に移 る こ とを 要 請 され て い る とい う。
生 徒 は 図 イ門市 内全 域 よ り入 学 す るが,遠 方 の生 徒 は ア パ ー トを借 りた り, 下 宿 せ ざ る を得 ず,そ の 割 合 は 全 体 の5〜10%に の ぼ っ て い る 。 か れ ら は 保 護 者 と共 に 図椚 市 内 に来 て い るた め,家 族 の生 活 が 破 綻 しか ね な い 。
この た め,学 校 側 は学 校 か ら徒 歩20分 ほ ど の所 に 寮 を 開設 した 。4人 部 屋 で,部 屋 代 は 月 当 た り30元,食 費 が 月 当た り240元 とな って い る 。
生 徒 の 保 護 者 とは か な り頻 繁 に 電 話 で連 絡 を取 っ て い る。 家族 会 の 召 集 も電 話 連 絡 で 行 わ れ,1学 期 に2回 は 必 ず 実 施 され る 。 こ こで 問 題 とな る の は 生 徒 の 出 席 状 況 で あ り,出 席 状 況 が 芳 し く な い 生 徒 につ い て は,教 員 が 家 庭 訪 問 を して 保 護 者 との 連 繋 を持 つ とい う。
第 五 中 学 か ら高 級 中学 へ の 進 学 は,2003年 度 は12ク ラ ス 卒 業 した うち, 延 吉 の 延 辺 一 中へ13人 進 学 した ほ か,残 りは 図 椚 第 一 高 級 中学 や 鉄 路 中 学 に進 学 した 。 な お,初 級 中学 卒 業 者 の うち3分 の1が 漢 族 の 高 級 中学 に 進 学 した 。 保 護 者 の 考 えで は,漢 族 社 会 に 早 く なれ させ る た め で あ り,漢 語 が で き れ ば 中 国 国 内 な らど こで も仕 事 が あ るか ら との こ とで あ った 。 な お,英 語 を 学 習 させ る た め に漢 族 の 高 級 中 学 に進 学 す る こ とは 制 度 上 あ り 得 るが,実 際 に は存 在 しな い 。 朝 鮮 族 の大 学 受 験 は,入 試 に 日本 語 が 科 目 と して あ っ て 有 利 な よ うに思 わ れ るが,現 在 は 問題 の 難 易 度 が 英 語 が 同水 準 に な る よ うに簡 易 化 され て しま った た め,日 本 語 履 修 の メ リ ッ トは な く な っ て しま っ た 。 以 前 は30点 差 あ っ た も のが2003年 に は10点 差 とな っ て い る こ とか ら,日 本 語 履 修 の メ リ ッ ト喪 失 とそ れ に と も な う履 修 者 の減 少 が 説 明 で き る とい う。 しか も,現 在 は英 語 指 定 の 大 学 が 多 く,こ の 点 で
は 日本 語 履 修 が 逆 に デ メ リ ッ トとな っ て しま う。 な お,中 華 人 民 共 和 国 に お け る民 族 教 育 の頂 点 と され る 中央 民 族 大 学 は,国 家 教 育 部 に よ って 重 点 大 学 とさ れ て い るが,延 辺 の 朝 鮮 族 か らは そ うい った 評 価 は 受 け て お らず, 人 気 は な い 。 これ は延 辺 大 学 も同 様 で あ り,教 育 熱 心 で あ る朝 鮮 族 は,民 族 や 民 族 言 語 の ハ ン デ ィ を ほ とん ど気 にせ ず,漢 族 と同 様 か そ れ 以 上 の進 学 欲 求 を持 って い る こ とが 理 解 され た 。 実 際,条 件 さえ 整 え ば との 話 で あ るが,高 級 中学 卒 業 後 た だ ち に 外 国 の大 学 に 進 学 す る こ と も あ り,そ の 中 に は 日本 や 韓 国 の大 学 も含 まれ て い る。 とは い え,高 級 中学 卒 業 ま で は祖 国 で あ る 中 国 で 終 わ らせ て や りた い とい うの が 多 くの 保 護 者 の 希 望 で あ る
とい う(21)。
第 五 中 学 関 係 者 か らは ま た,気 にな る状 況 が 紹 介 され た 。 そ れ は,子 供 の 学 費 を まか な うた め に 両親 が 外 国 に 出 稼 ぎ に行 っ た あ との 状 況 で あ った 。 両 親 と も出 国 して しま えば,子 供 と祖 父 母 が 図 椚 に残 る こ とに な る 。 これ は こ こ5年 ほ どで 急 増 し,2003年 現 在 で は朝 鮮 族 の50%の 家 庭 が 出稼 ぎ に 出 て い る とい う。行 く先 は 韓 国が80%,残 りは 日本 な どで あ る とい う。
漢 族 が ほ とん ど外 国 へ の 出稼 ぎ を しな い の に 比 べ る と,こ の多 さは 際 だ っ て い る とい う。
⑤2003年8月30日 午 後:図 椚 市 立 小 学 校
最 後 に,30年 近 く図 椚 市 立 小 学 校 教 員 を務 め て き た 女 性 に,イ ン タ ヴ ュ ー す る機 会 が あ っ た 。 彼 女 は2002年 夏,49歳 の 時 に 児 童 数 減 少 を 理 由 に指 名 退 職 とな った 。
彼 女 の話 に よ る と,朝 鮮 族 は 両 親 そ ろ って 韓 国へ の 出 稼 ぎ が 多 く,金 銭 的 に は裕 福 に な る もの の,結 果 的 に 子 供 を放 任 して しま い,非 行 に 走 る ケ ー ス が 多 く,社 会 問題 化 して い る との こ とで あ っ た。 ま た,高 級 中 学 以 上 の 学 校 は義 務 教 育 段 階 で は な い た め に独 立 採 算 を迫 られ,教 員 給 与 と若 干 の 実 験 費 補 助 の み が 市 政 府 か ら支 給 され る に と ど ま っ て い る。 こ の た め,各 学 校 は 入 試 不 合 格 者 を 「補 欠 」合 格 扱 い と し,一 定 範 囲 ま で を一 律 に6000 元 の 入 学 許 可 金 を 支 払 えば 入 学 を 認 め て い る と い う。 入 試 成 績 な どは 公 表
(21)少 数 で は あ る が,高 級 中学 段 階 か ら 日本 に編 入 学 の 形 で 留 学 す る 子 弟 もい る とい う。
して い る が,そ の割 合 は 定 員 の 半 分 に もの ぼ り,学 校 の 資 金 確 保 の 重 要 な 手 段 とな っ て い る とい う。 入 試 制 度 を利 用 した 資 金確 保 と言 っ て も過 言 で は な い状 況 で あ る とい う。
3.小 結 図椚 の事例 か ら見 え る こと
図 椚 で の イ ン タ ヴ ュー は5件 に とど ま った が,普 通 中学 ・職 業 中学,市 内 の 市 街 地 の 学 校 ・農 村 地 区 の 学 校,管 理 職,現 職 教 員,元 教 員 と,教 育 関 係 者 と して 見 た 場 合,あ る程 度 幅 広 い環 境 にお か れ た 人 た ち と接 す る こ
とが で き た 。 こ の た め,2003年 に 実 施 した この イ ン タ ヴ ュー は,延 辺 朝 鮮 族 自治 州 の 東 端 に あ る 図 椚 市 の 状 況 の一 端 を 知 る手 が か り とな る と思 わ れ
る。
共 通 す る 事 柄 と して は,20世 紀 以 前 か らの 朝 鮮 族 の 子 弟 に対 す る 教 育 の 熱 心 さ で あ った 。す で に 指 摘 した こ とで は あ る が,朝 鮮 王 朝 で の 儒 学 受 容, 儒 学 の教 養 を 身 につ け た も の を 尊 崇 す る風 潮 が 漢 族 以 上 で あ る 朝 鮮 人 ・朝 鮮 族 は,元 々 の 活 動 範 囲で あ っ た 現 在 の延 辺,す な わ ち 以 前 の 間 島 各 所 に 多 く の書 塾 を 設 置 して きた 。 そ の 中 に は,ハ ー グ密 使 事 件 に も関 わ り,日 本 の 植 民 地 化 に抗 した 瑞 旬 書 塾 な ど も含 ま れ る。 す な わ ち,近 代 ナ シ ョナ
リズ ムが この 地 の朝 鮮 人 ・朝 鮮 族 に浸 透 す る 中で,従 来 の 儒 学 を 中心 と し た 書 塾 教 育 も歴 史 的変 化 を見 せ た の で あ る 。 これ は,本 稿 の テ ー マ か らは 逸 れ るが,認 識 して お か ね ば な らな い 事 実 で も あ ろ う。 そ う した 歴 史 に根 ざす 教 育 へ の 熱 意 は,現 在 の この 地 で は後 期 中等 教 育 ・高 等 教 育 段 階 へ の 進 学 欲 求 と して 現 れ る 。 しば しば 学 校 に 出 向 い て担 当 教 員 と面 談 す る保 護 者,子 弟 の 学 費 を ま か な うた め の 韓 国へ の 合 法 的 ・非 合 法 的 出 稼 ぎ な どは, 外 面 的 状 況 さ え ちが うも の の,日 本 の 現 在 と も相 通 ず る もの を 感 じ させ た 。 特 に進 路 指 導 に 関 して は,異 口 同 音 に生 徒 本 人 が 最 終 的 に決 断 す る との こ
とで は あ っ た が,そ こ に至 る に は 教 員 ・保 護 者 の働 き か けが あ る こ とは容 易 に推 察 で き た 。 単 な る情 報 の 提 供 で は な い 相 談 が 進 路 指 導 に は 求 め られ るが,日 本 的 な 三 者 面 談,学 期 毎 の 保 護 者 会,必 要 が あ れ ば取 られ る教 員 か ら の直 接 個 別 指 導 な ど,教 育 とい う営 為 の 本 質 的 な 同 質 性 を 感 じず に は い られ な か った 。