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生命史観的経絡論序説―12

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Academic year: 2021

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生命史観的経絡論序説―12

       天寿堂整復院       稲村 正治 〔はじめに〕  私は、以前に本誌上に発表した「もう一つの経絡論の試み」の中で到達した「経絡は、猿から 人間への進化の過程で、猿的四足構造を認識主導で直立二本足的に使用すると直接にそれに見 合った生理的再編成が行われた結果として形成されたものであり、その異常化の実体的な主役は スジのネットワークの異常である」2)との結論と、最新の生命史論の精華を指針として、さら に一層の経絡論の深化を目指して本論考を開始した。そして、ついに一言で経絡の全体像を明示 できる経絡の本質を掴むことができた。  ここでこれを踏まえて構造論から具体の現象論へと展開していくべきであろうが、本論稿はあ くまでも序説であり、本論への導入としての序説の使命は此処までで充分果たしており、此処で 一旦打ち切って本論の本格的展開に向けてしばらくお休みを頂きたいと思う。  そこで今回は最終回ということなので、経絡の実像が明らかになるとこれまでバラバラであっ た東洋医学の概念が立体的・有機的に結びついてダイナミックに運動しはじめるということをお 目にかけたい。それは何かというと経絡と腠理の関係である。これについては、前回詳しく論じ る予定であったが、残念ながらある事情で出来なくなってしまったので、此処では簡単に要点だ け説明しておこう。 1、経絡と腠理が結びつくことの意義  経絡とは、人類の特殊な進化の結果として生じた人間体の生活体と生物体とへの二重構造化・ 二重権力化によってもたらされ、かつ実際の生活過程における生活体の生物体への圧迫・浸透の 結果として生じた生物体の歪みであった。このように生活体の圧迫・浸透の結果として生物体が 生活体的に歪むというとき、では生物体の一体何が歪むのかといえば、まず最初に歪むのは、主 に生物体の中枢たる本能力とその直接の統括下にあるスジのネットワークである。 このスジのネットワークは、皮膚・血管・神経線維・筋肉・骨・膜・内臓諸器官など人体のあら ゆるところに分布して、膠原線維や弾性線維・細網線維などの各種の結合組織がその場所の特性 に合わせて組織化されてネットワークを構築しているのである。  それではどうして生物体が歪む時、必ずといってよいほどにこのスジのネットワークが歪むこ とになるのであろうか?それは、このスジのネットワークが、本能力の直接の統括を受けて、生 活体の運動に応じて運動をサポートしつつ各組織・器官の形態を維持するという動と静との矛盾 した役割を調和的に果たすとともに、組織・細胞を浸す組織液の保持・浄化、さらには血管・神 経線維の流通経路が運動の渦中にあっても阻害されないように確保しているからであり、これら を一言で総括していえば“運動・代謝環境の維持・防衛”という最も歪みに敏感でかつ歪みの圧 力を受けやすい任務を担っているからである。 このような“運動・代謝環境の維持・防衛”の働きを、東洋医学では何というかといえば“衛 気”である。ところで、衞氣は、「分肉を温め、皮膚を充たし、腠理を肥し、開闔を司るゆえん の者なり、」(『霊枢』本蔵篇)とあるように“腠理”を「肥し」「開闔を司」っているという ことであるが、そもそもこの“腠理”とは一体何であろうか? “腠理”というと、発汗に関わるところから古くから汗腺のことだと思われていたが、名古屋玄 医は「金匱要略注解」の中で、「服食其の冷熱苦酸辛甘を節して形体衰ることあらしめざれば病 は則ち其の腠理に入る由なし。腠は是れ三焦の元真を通會するの處。血氣の注ぐところと理は是 れ皮膚臓腑の紋理なり。」3)の行の注解として「後人は只、汗空を以て腠理と為す。腠理は臓 腑筋骨脂湊會の處を指して言うことを知らざるなり。」3)と批判している。 つまり、腠理とは、皮膚や筋肉・骨や臓腑など体内のあらゆるところの細胞・組織の間隙を埋め るように存在して、神経線維や血管の流通路を確保し、細胞の生存環境である津液の保持と浄化 をしつつ、“本能力にその開閉を統括されているスジのネットワーク”そのもののことである。 つまり、腠理は経絡の実体をなすものに他ならないということである。  同じ東洋医学に属するのに鍼灸と漢方とは、鍼灸は鍼灸の、漢方は漢方の独自の世界があるか の如くそのつながりが明確でないのが現実である。これは決して、別々の道を辿らざるをえな

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かったという特殊事情を抱える日本にだけにいえる問題ではなく、理論上にその原因を求められ るべき普遍的な問題である。  たとえば、鍼灸の経絡と漢方の六経病とが、同じ三陰三陽を用いているにもかかわらず両者の つながりは理論的に明確化されてはいない。その原因は、従来の経絡の概念が虚像だったからに 他ならない。  経絡の本質が明らかにされ、虚像が正されてその本当の姿が浮かび上がってきた今、鍼灸と漢 方は、はじめて真の理論的統一のための条件が整ったといえる。その意味で、経絡の実像が明確 化したことによって、経絡と腠理とが論理的に結びついたことの意義は、その鍼灸と漢方の真の 理論的統一の端緒を開くということである。  そこで、それが本当にその端緒を切り開くことになるのかを証明するために、腠理の経絡的異 常の発展過程の論理構造を「傷寒論」の中から抽出・提示することにしよう。 2、「傷寒論」の陽明病→少陰病→厥陰病の過程的構造  この問題を解く鍵は、「厥」である。なぜなら、「傷寒論」中において、「厥」が条文に登場 するのは陽明病・少陰病・厥陰病だけだからであり、しかも、その登場の仕方が、陽明病―二 条、少陰病―五条、厥陰病―二十四条と病の進展のあり方を暗示しているかのようであるから だ。  以後の展開を分かり易くするために、まずは結論的にこの陽明病→少陰病→厥陰病の発展過程 の構造を簡単に俯瞰しておこう。  安藤昌益の四行的五行論は、「難経」の腹診と相似して、上が心で下が腎でその中間の中央に 脾胃を配置している。そして、この心と腎は互性関係にあって常に互いに交流し合っていると観 ている。これは現代医学的にも全くその通りで、殊更に説明する必要もないほどであろう。  ここで陽明が邪に冒され、心と腎の間の脾胃が実して心・腎の交流を阻害するため心・腎不交 となって、いわゆる“冷えのぼせ”が起きることになる。これも全くその通りであり、安藤昌益 の五行論が如何に現実に即したものであるかが分かる。  問題は、ここからである。この下半身の“冷え”が腎の主るところの骨の中へと入っていく過 程が少陰病の段階である。したがって、この段階は踵などの骨に冷えを感じて眠くなるのが特徴 である。とりわけ、命門周辺の骨や踵の骨の中に冷えが入ってそこを冒すと、芯が冷えて真寒仮 熱となって表面が火照ることになる。 これは少陰病が進んだ状態で、この表面の火照りが冷めると陰が完全に冷えて固まってしまって 厥が常態化することになる。これが厥陰病の段階である。これは少陰病の段階でスジのネットワ ークの中枢である骨の中が冷えてその中枢としての機能を果たさなくなるために、その支配下に あるスジそのものが冷えて固まった状態となって気が巡ることができなくなってしまう状態であ る。 つまり、少陰病の段階では、主観的には盛んに冷えを感じて訴えるのに、客観的にはその冷えを 感じている部分を実際に触ってみるとさほど冷えていないというのが特徴である。これに対し て、厥陰病の段階になると、本人の主観は冷えを全く感じなくなるのであるのに対し、客観はと いうと、他人が触るとその手が凍り付いてしまうほどに冷えてしまっているというように、全く 正反対になってしまうというのが特徴である。この段階になると最早お灸をしても熱さを感じな くなるので、熱いと感じる感覚が戻るまでお灸しつづける必要が出てくるのである。 以上の陽明病→少陰病→厥陰病という病の発展の基本的な論理構造を踏まえて、具体的に「傷寒 論」の条文を検討していこう。 1)陽明病の段階 「197 陽明病、反って汗無くして小便利し二三日嘔して欬し、手足厥する者は必 ず頭痛を苦しむ。もし欬せず嘔せず、手足厥せざる者は頭痛まず。」4)  足陽明は胃である。胃は手足を主るとあり、腹診は正中線上の上腹部の心点と下腹部の腎点と の中間の中央部で診る。臨床において、ここが圧痛をともなう程度に硬くなると手足が冷え、こ れを取り除くと手足が温まるという経験は誰でも一つや二つもっていることであろう。

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 かかる経験から本条を考察するに、腹部中央は万歳の姿勢を取ったとき両手両足を結ぶ線の交 点に中り、この中心部・交点にスジが集まって絡み合って硬く凝縮すると、手足のスジのネット ワークは中央に絞られて、先ず手足の付け根が締まり、手足への血行が悪くなって冷えて厥の状 態になる。また、この手足の付け根のスジ締まるとそこから皮膚にいっている腠理が閉ざされて 汗が出にくくなる。そうなると、当然、その分、小便が利すことになる。手足の付け根が締まる ということは、手の根本にある胸郭も締まることになりそれを何とかしようとして欬嗽が出て来 るだけでなく、首から頭にかけての腠理が閉じて硬くなって締め付けるようになるため、頭痛や 嘔気起きるようになるのである。  このように、これら一連の症状は同じスジのネットワークすなわち一つの腠理のネットワーク の異常によって引き起こされたものであるから、この腠理のスジのネットワークの異常の程度が 「もし欬せず嘔せず」レベルなら、「手足厥せざる者は頭痛まず。」となるというわけなのであ る。 2)少陰病の段階 「317 少陰病、下痢清穀、裏寒外熱し、手足厥逆し、脈微にして絶せんと欲す。 身反って悪寒せず、其の人面赤色、或いは腹痛氏或いは乾嘔し、或いは咽痛み、或い は利止みて脈出ざる者は、通脈四逆湯之を主る。」4)  陽明病の段階でできる腹部中央のスジの塊の近くを腎経が通り、臍のすぐ脇には腎経の肓兪穴 というツボが存在する。それ故、その塊は容易に腎経と結びついて少陰病へと発展しやすい。 その過程は以下の通りである。腹部中央の塊が腎経と結びつくと腎系統の骨の総元締めともいう べき腰の第二腰椎棘突起間の命門穴へ、そしてそこから踵の骨へと異常のネットワークが形成さ れることになる。こうなると、腎の主る骨に冷えを感じ、実際に骨が冷えていくと、その骨の骨 髄がスジの源基形態である繊維芽細胞を造り、かつその骨髄が造り出すセロトニン等を通じてそ の働き方を統括しているスジが、深いところから冷えていって裏寒となり、結果として外熱とな る。これは、腹部においては、腹部と背部の腠理が結びついて締まって腹痛を起こし、かつまた 腸の腠理が閉じて水分の移動が阻害されて下痢清穀となり、手足においては、芯が冷えて表面が 火照るという陰陽分離が起きて厥逆となる。  かかる状態であるために、腹部以下への血流が阻害されて結果として頭部顔面への血流が増え て顔面紅潮し、外熱があるので悪寒はなく乾嘔になる。また、腎経の腠理が閉じて締まるため小 便不利となったり、咽に痛みが出ることもある。  以上の構造は、決して空想的な解釈などではなく、実際に臨床上でよく経験するところであ る。たとえば、経絡現象一口コラムの症例報告で紹介しているように、肓兪穴に刺鍼したときに 命門穴に向かって響きが生じたり、命門穴に刺鍼したときに下腹部が温かくなりそれが咽のあた りにまでのぼっていき、口の周りの鬱血の赤みが取れたという事実を踏まえてのものである。 3),厥陰病の段階  「325 少陰病、下痢し脈微濇、嘔して汗出で、必ずしばしば更衣し、反って 少なき者は、当に其の上を温むべし。之を灸す。脈経にいう厥陰に灸す。五十壮す べし。」4)  これは、まさに少陰病から厥陰病へと移らんとする過渡期のもので、少陰病でありながらその 内実はすでに大きく厥陰化しているので、厥陰病の治療が処方されているのである。 「326 厥陰の病為る、消渇し、気心に上撞し、心中疼熱し、飢えて食を欲せず」4) この条が、厥陰病の典型的・代表的な症状である。少陰病の段階で、腠理を生み出すところの骨 自体か冷えていくことによって、手足の腠理が深いところから次第に冷えて閉じて固まってい き、これが完全に冷えて固まって感覚もなくなってしまい、いわゆる手足の腠理が完全に機能し なくなって厥冷が完成するのが厥陰病の段階である。

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こうなると、全身を巡るべき気や熱も行く手を阻まれて上逆するので、「消渇し、上撞し、心中 疼熱」ということになる。また、少陰病の段階ですでに腹部の腸の腠理も冷えて固まりつつあっ たため、厥陰病の段階ではそれが手足同様厥冷状態になるため、消化吸収も悪くなって飢えてい るにもかかわらず食欲が出てこないということになる。 これらは全て陰が厥したために出てきた症状であるので、治療の要諦は、いかにこの冷えて固 まってできた陰の厥を溶かして陽気を全身に巡らせるようにするか、ということになる。それ 故、厥陰に灸をすえる場合は、感覚を喪失した腠理が感覚を取り戻して自ら厥を脱することがで きるよう熱さを感じるようになるまで何十壮もすえなければならないのである。 3、“厥”とは何か 以上見てきたように、陽明病→少陰病→厥陰病という一連の病の発展過程の構造を解くための重 要な鍵は“厥”であり、この一連の過程は“厥”の生成発展過程と言い換えてもよいほどのもの である。 では、この“厥”とは一体何かと問うたとき、その実体像が今ひとつ明確とはいえない現状であ ることも事実である。それ故、一昨年の本誌九月号にあったように、“厥”の正体を「イボ・タ コ・魚の目」とする珍説までもが飛び出すことにもなってしまうのである。 そこで、生命史観的経絡論の立場から、この“厥”の実体的構造を明らかにしておきたい。こ の“厥”という概念に関して、広州中医薬大学の傷寒論教研室編の「傷寒論」が詳細に検討して いるので、先ずはそれを見てみよう。 「厥の概念【原文】 凡そ厥は、陰陽の気相順接せざれば便ち厥を為す。厥は手足厥冷する者是 れなり。(337) 【釈意】 本条は厥証の病理機序および臨床上の特徴を概括したものである。・・(中略)・こ れらの厥証は厥陰病に見られるだけでなく、(寒厥や熱厥のように)少陰病や陽明病にもみられ る。厥証の形成は、いろいろな原因にて引き起こされうるが、そこには共通の発生機序がみられ る。皆“陰陽の氣が互いに順接することができない”ことに因って生じているのである。厥証の 随伴症状はいろいろあるが、全てに共通してみられる臨床的な特徴は“手足厥冷”である。 所謂、“陰陽氣相順接”に対する歴代の研究家の見解は一致していない。 一説は、陰経の氣と陽経の氣とが相順接しないこと、三陰三陽の経脈は各々手足十指において繋 がり合って循行している。もし陰陽の経氣が相通じ合わなければ、手足は逆冷する。 二説は、厥陰肝経の陰陽の氣が相順接しないこと、或は陽は寒邪の為に氣鬱となり、或は陰は熱 邪の為に枯渇し、二氣は相交通することができず厥するに致る。 三説は、脾胃の陰陽の氣が相順接せず、胃は逆し脾はへこみ、中の氣運回せず、四肢は養われず 厥となる。 四説は、《内経》の“陽は氣を四肢に受け、陰は氣を五臓に受ける”の理論を根拠として、陰陽 氣相順接は実際のところ、人体の内臓の氣と体表の四肢の氣が相順接せず、またそれは即ち表裏 の氣が通じ合うことができず、したがって、手足が厥冷する。 我々は以上の解釈の中で四説を全面的に合理的とみなす。所謂、“陰氣”はここにおいては人体 の内臓の氣を指し、“陽氣”は肌表に展開し、四肢の氣を養う正常な状態の時、人体の内臓の氣 は不断に体表の四肢の氣を補充しているので、四肢の体温は保持されている。これが即ち“陰陽 氣相順接”ということである。もし、内臓の氣が虚衰して全身に送り出す力が無くなったり、邪 によってそれが阻まれたりすると、体表の四肢の陽氣が元から断たれてしまい、手足はもとより 甚だしいものは全身的な厥冷症状が出現することになる。これがすなわち“陰陽氣不相順接”で ある。」5)(日本語訳は著者がその責を負う) この中の四説ともに皆、帯に短し襷に長し、である。編者が合理的として推している第四説にし ても、陰氣を内臓の氣とし陽氣を体表四肢の氣としたのでは、体が冷えることの説明にはなりえ ても、肝心の厥の厥たる所以である上逆の説明にはなりがたいように思う。 “陰陽氣不相順接”の“不相順接”とは、“本来進むべき方向に進んで繋がり合うことができな い”という意味であるから、ここはより一般的に広くとらえて、本来上から下へと流れるべき陽 気と本来下から上へと流れるべき陰気とが何らかの原因で陽気は上へ・陰気は下へと逆流するこ とを“陰陽氣不相順接”という、ということでよいと思う。

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 たとえば、感情的な怒りの爆発で逆上したときなど、頭に血が上って相対的に手足の血の気が 引いて冷えるという現象も厥逆の一種と考えられるが、これを“陰氣=内臓の氣・陽氣=四肢の 氣”説で説明することは不可能であって、これらをも包含するためにはより一般的な概念で括る ことの方が正当なのであり、これこそが論理的ということなのである。 しかしながら、このような様々な“厥もどき”をも含んだいわば“広義の厥”に対して、当然に もこれぞ正真正銘の“厥”と呼べる“狭義の厥”が存在する。それが厥陰病段階の“厥”であ る。否、むしろ陰が正真正銘の“厥”になってしまったからこそ厥陰病と呼ばれるのである。 それでは、この厥陰病の“厥”と陽明病や少陰病の“厥”と一体何が違うのであろうか?端的に は、質が全く違うのである。陽明病や少陰病の“厥”は、一時的であり機能的であるので、変化 しやすくまだ比較的元に戻りやすい“厥”である。 これに対して、厥陰病の“厥”は、手足を網羅するスジのネットワークすなわち腠理が完全に冷 えて固まる、つまり、実体的に完全に変質してしまった状態になってしまったものをいうのであ る。この状態がどういう状態なのかをイメージしていただくためには、スジを冷やして固めた料 理の“煮凝り”を想像していただきたい。実際はあれほどブヨブヨと柔らかくなく、足などを掴 んだときに、もう少し硬く鉛のような動きのない塊のような感触があるはずである。つまり、津 液と一体となって冷えて固まって動きが極端に悪くなった状態である。 しかし何よりも一番問題なのは、感覚がなくなってしまっていることである。冷えているにもか かわらずその冷えを感じない、あのお灸の熱さまで感じなくなっている、ということである。だ から、元に戻り難いのである。 4,「生命史観的経絡論序説」を閉じるにあたって最後に  今回披露したように「傷寒論」の六経病の発展過程の構造を、経絡―腠理を用いて過程的構造 論的に説くということは、史上未だかつて誰も為し得なかったことであり、おそらく多くの漢方 の先生方も驚かれることであろうと思う。このようなことが出来たのも、この新しい経絡論が真 の意味で科学的であり、経絡の実像を正しく捉えているからこそであろうと思う。  しかしながら、この革命的な意義が充分に理解されたとは言い難い現実があることも事実であ り、それが現実というものであろう。今後は健康腺療法を極め、その普及に全力を注ぐ実践の中 で、この経絡論を熟成させ、より多くの人々を納得させうる理論をひっさげて帰ってきたいと思 う。その意味で、私の理論に共感し健康腺療法にも興味のある方で、私心無くして道を共に歩ん でくれる同志になりたいという奇特な方がいたら是非とも連絡を頂きたいものである。  最後に、これまで破天荒な理論に発表の場を与えてくださった医道の日本社編集部の皆様、と りわけいろいろご面倒をおかけした赤羽さんに、深く感謝の意を表したいと思います。ありがと うございました。また、殊更難しく読みにくい文章に辛抱強くつきあって下さった読者の皆々様 にも御礼申し上げまして、この「生命史観的経絡論序説」を閉じたいと思います。ありがとうご ざいました。      (完) 参考文献) 1)「看護のための『いのちの歴史』の物語」本田克也・加藤幸信・浅野昌充・神庭純子 著、現代社白鳳選書、現代社。 2)稲村正治著「医道の日本」1998年7月号∼2000年2月号「もう一つの経絡論の 試み1∼10・番外編」医道の日本社。 3)「金匱要略注解」名古屋玄医著、粟島行春訳、東洋医学薬学古典研究会。 4)「校正宋版傷寒論」粟島行春訓読、東洋医学薬学古典研究会。 5)「中医薬学高級叢書 傷寒論」熊曼琪主編、人民衛生出版社。

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経絡現象一口コラム ―厥陰病→少陰病→陽明病の回復過程を歩んでいる臨床例― 症例) 男性、公務員、32歳  下痢清穀が酷くひどく夜も眠れなくなって病院に行ったところ、自律神経失調症と診断され、 いろいろな薬を飲まされてますます体調を悪くし、体が浮腫んできてダルイということで来院。 当初は浮腫とダルサから脾胃系統の異常であろうとの認識で治療を開始する。しかし、実際の治 療は、股関節の狂いを調整し、その都度の腹診で現れていた腹証に従って治療していったので、 結果的には肝・腎・胃を調整する治療になっていた。  こうした治療を週1・2回のペースで約一年間続けていたある日、治療室に入ってきた彼を見 てビックリ!すっかり浮腫が取れて体重も10㎏近く減り、まるで別人のようにスマートになっ ていた。ただ、浮腫が取れたが治ったわけではなく、むしろ前より冷えを敏感に感じるようにな り、冷えるとすぐ具合が悪くなるという状態で、治療において常に最終的には腹部の臍の下に硬 いスジの塊が残って、そこに刺鍼すると腰椎の命門穴のあたりに響き、腹部から骨盤周りの緊張 が一気にほぐれるということがしばらく続いた。  これはどういうことであったかを今から捉え返してみると、厥陰病であったものをいろいろ投 薬などしてこじらせ、結果として異常な浮腫として現象していたのではないか、と考えられる。 この現象的な浮腫に誤魔化されて脾胃系統の異常であろうとしてしまったが、治療はその都度の 証に合わせて治療していったので、時間はかかったもののそれでも徐々に厥陰病的に厥した陰が 変わりはじめ、一年かかってようやく腠理の開閉機能が働き始めたことによって腠理の周りに溜 まっていた水分が吸収されて浮腫が急激に消退していった、と考えられる。しかし、それは厥陰 病が少陰病へと回復の道程を一歩進めたに過ぎず、ここから少陰病との闘いが始まることとなっ たのである。  この少陰病との闘いの期間は約半年近くかかったが、その間もやはり最終的には腹部の臍の下 の硬いスジの塊が残りそこを刺激すると命門穴に響いてほぐれていくということが必ずあり、時 には下腹部が温かくなり、それが咽頭のあたりにまで上がっていって咽頭の痛みが取れて口の周 りの鬱血による赤みも消えていったということもあった。しかし、少陰病との闘いは、これだけ では足りず、命門穴への直接の刺鍼が絶対不可欠であった。 かかる治療を半年続けていたある日、臍のすぐ脇の腎経の肓兪穴付近のスジの硬い張りが無く なっていて、最終的に中脘穴付近の痼りが残ったのでそこに刺鍼すると、手足にどくどくと血が 流れていくのが感じられたと患者が訴えたことがあった。これは、病位が少陰病から陽明病へと 移行したことを示すものであったと考えられる。その通りに、以後の証は陽明病を示すものに なっていったからである。

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