唱歌の文化的位置付けに関する一考察
—自文化、伝統文化、古典に向けて—
*石原 慎司
【要 旨】 唱歌はどこの文化的所産であるのか、これまで学術的な説明がなされてこなかった。その結果、教科書で唱歌 が日本の文化として明示されていないばかりか、外国曲と並んで単なる歌唱教材のひとつの扱いとなっていたりする。一方で、 国家政策や学習指導要領解説などの公文書には、唱歌を自文化に類する文言で記すことが増えてきており、冒頭の問いに対 する検証をすることが急務となっている。 そこで本稿では唱歌の文化的位置付けを明らかにすべく、文化の定義をルーマンの自己準拠的な社会システム理論に求め、 ここで示された文化の構成要素に基づき唱歌を検討した。その結果、唱歌は日本の社会から生み出されたものであること、 社会的課題の解決のために国家政策として唱歌を用いていること、そして、国民に広く受容され当該社会の記憶が含まれて いるという 3 点がルーマンの定義に合致しており、唱歌は自文化であることを検証することができた。 最後に、伝統や古典の定義に基づき検討を重ねた結果、唱歌は時間的に伝統文化といえる域に達しており、中には古典の 範疇に入る可能性があるのではないかと思われる曲も存在することを示唆した。 キーワード:唱歌、自文化、伝統文化、古典、社会システム、ルーマン、ライスはじめに
「唱歌」(曲種)はどこの文化に属するものであるのか。 出版されている事典項目内での記載によれば、「日本の急 激な近代化、西欧化の過程で、学校での音楽教育は以前の 伝統音楽とは異質なヨーロッパ近代の音楽を全面的にとり いれてきたが、その核になったのが唱歌であった」(小島 1982)というもので、西洋側に強く関連させたものとなっ ている。確かに当初は翻訳 ( 翻案 ) 唱歌が多かったことも あり、歴史説明としては妥当であるかもしれない。 しかし、唱歌がどこの文化的所産なのかについての説明 はどの事典等にも記載されていないため、西洋に関連付 けられた情報のみが相対的に強い印象を与え、唱歌は自 文化か否かといった文化的位置付けの理解が曖昧なまま にされてきたように思われる。2009(平成 21)年告示の 「学習指導要領」に準拠した小学校音楽科の教科書1)では、 唱歌が掲載されているページのタイトルやキャプション 等に「日本」の語を使用することがあっても、「日本の文 化」とは示していない。さらに「日本」さえ記載されて いない場合が多く、共通教材の《故ふるさと郷》が外国曲と同じキャ プションで括られて、連続したページの中に掲載されて いる教科書がある。 一方、最近になると公文書の中で唱歌(曲種)を「自文 化」に類する文言で形容することが増えてきた(「3」で 詳述)。また学術書では「童謡や唱歌は、・・・・・ 伝承文芸 であり、日本文化の一部分」(水野 2016)、「童謡・唱歌 など ・・・・・・、伝統文化の継承」(平澤 2018)とも記され ている。ところが、公文書や学術書に示された文言には、 定義やその構成要素の説明がなく、現時点においては文 化としての唱歌の帰属先は曖昧なままである。 そこで本稿の目的は、唱歌を「自文化」、さらに進んで 「伝統文化」や「古典」とみなすことができるのか否かに ついて明らかにすることである。唱歌は、童謡2)やその 他の歌3)も含めて、音楽科の単なる歌唱教材のひとつと いうだけでなく、文化的・教養的な教材や文化遺産といっ た視点を有する存在ではないのだろうか。* The cultural position of shoka songs in light of domesticity, traditionality, and classicality
by ISHIHARA Shinji 専門分野:指揮・音楽科教育
所 属:秋田大学教育文化学部 連 絡 先:[email protected]
次に研究の進め方については、まず「文化」の定義を明 らかにする必要があるだろう。しかし、「文化」という概 念は、18 世紀後半以降の西洋に始まる「文明」に近い概 念、いわば未開明の反意語的用法がなされつつ、その後 意味を拡大しながら様々な定義・解釈がなされて今日に 至っている。したがって唱歌に限らず、何らかの対象を「自 文化」「異文化」と同定するためには膨大な作業が必要で ある。そのために、本稿では対象とする「唱歌」の範囲 を明確にしたうえで、その特徴を適確に説明できる「文化」 の定義を最初に提示したい。 その上で、採用した定義の構成要素に関わる唱歌関連 の具体例を報告し、これを定義の構成要件に照らしつつ、 ① 唱歌が自文化か否かについて検討し、② 自文化と認め られた場合は、「伝統」や「古典」の定義も示した上で、 文化的位置付けについての検討を重ね、結論を導き出し たい。
1.唱歌の文化的位置付けに関する検討に向けて
1.1 検討する「唱歌」の範囲
1.1.1 範囲指定の方針(定義の設定)
ここで「唱歌」とは何か、定義を明確にしておく必要が ある。しかし、唱歌の定義は論者によってかなり異なって いる。比較的狭い範囲で唱歌を捉えている例として『音楽 大事典』の「唱歌」の項を挙げると、「唱歌科」やその後の「芸 能科音楽」における、「教材としての歌曲」で、「伝統音 楽の要素を一部に取り入れて日本人に受けいれやすい形 に直した洋楽スタイルの歌」とされている(小島 1982: 1215b-c)。一方、『日本童謡事典』の「唱歌」ではやや広 義に捉えられ、「近代日本国家による」「初等教育の場にお いて」「音楽科の教材として作られた児童歌曲」が挙げら れ、「これと関連しつつ、民間で作られ拡められた抒情的・ 叙事的・軍国愛国的な歌曲」と定義されている(上 2006 :194a)。『音楽大事典』と『日本童謡事典』の記述を比 べてみると、後者には「伝統音楽の要素」「洋楽スタイル」 の条件がないだけでなく、学校外における「民間」の派生 的な唱歌も含められている。共通点は両者共に対象が初等 教育に限定されており、中等教育の「音楽科」で用いられ た唱歌教科書は含まれていないことである。 これらとは別に、『唱歌大事典』では「文部省唱歌」の 項目で、「文部省によって編纂・企画された学校用唱歌教 科書」において「作詞、作曲とも邦人の著作によった唱歌 で、その教科書に初出した歌」と記され、民間発行の歌は 含まれない(江﨑他 2017:341)。一方、『日本童謡事典』 では「学校現場における唱歌はその主幹者としての文部省 の名を冠して「文部省唱歌』と呼ばれ、一般社会における 唱歌は単に『唱歌』と呼びならわされるようになった」とし、 教材であるか否かを区別しているのみである(上 2006: 194a)。以上から、要するに特定範囲を指す言葉でさえ見 解は定まっていないといえる。 しかし、このように一定しない記述が今日の我々に「唱 歌」の本質を伝えているともいえる。つまり、「唱歌」と いう用語には音楽や歌詞、掲載媒体、理念・目的などの面 で「多岐に亘る用例が存在する」ということである。それ ゆえに範囲を絞れば説明しきれないものが生じ、広げると 多種多様な種類のものが入りすぎて「定義」することとは 相反する方向に向かってしまうのである。 このような「唱歌」の特徴は、唱歌が学制で制定された 当初、実態が全く不明なものだったことに起因する。ひな 形さえない「無からの手探り」で作り始められた結果、手 が触れた先々で「多岐に亘る用例」が出現し、さらに諸所 で広がっていったのである。したがって、「唱歌」の概念 については「文部省唱歌」や「学校唱歌」という範囲を限 定した語でない場合には「多岐に亘る用例」を尊重する定 義が妥当だと思われる。ちなみに文化的位置付けの検討を 重ねることは、対象をふるいに掛ける行為であるから、そ の前段階では広い範囲で捉えておく必要がある。そのため には、上述した数々の定義よりも一層「由来面」を軸とし た説明が有効であるだろう。 この視点から「唱歌」を定義するならば、先ずは「学制 に記載された『唱歌』を起点として誕生し、派生していっ た歌」と大きく捉えることができる。この定義だと「多岐 に亘る用例」の説明がつくだけでなく、唱歌の対象期間に ついても旧教育制度期間、すなわち「大東亜戦争3)終結 までの間に作られたもの」と時代が限定される。 このような視点から、本稿では唱歌を以下のように定義 して論を進めたい。 唱歌の定義:学制に記載された『唱歌』を起点と して誕生し、派生していった歌の中で、学制制定 から大東亜戦争終結までの間に作られたもの 「1.1.2」ではこの定義に基づき、対象とする唱歌の範囲 を具体的に限定する。 1.1.2 検討対象とする「唱歌」の範囲ここでは「1.1.1」の定義に基づいて唱歌の具体的な範囲 を規定したい。定義は「多岐に亘る用例」を前提にしている。 そこで、これを最も損なわない具体的な範囲規定の方法と して、「掲載媒体面」から唱歌を捉えることにする。それは 「唱歌」という表題を書名に含む発行物、および、「国民学 校教科書」の掲載曲である。その上で、唱歌と捉えるには 「不適当な種類なもの」について個々に判断し、予め除くこ とにする。 まず、唱歌として「不適当な種類のもの」を除く手順を 説明する。本稿の定義は比較的広い範囲を包含し得るので、 比較的狭義である『音楽大事典』の定義、およびこれに該 当しないものについて、その適否を「個々に判断」すると いう方法をとる。 次に狭義の定義の内容である「唱歌科ないしは芸能科音 楽の教科書に掲載されている洋楽スタイルの歌」という 条件を満たしていない種類である以下の a) ~ i) について、 個々に唱歌に含めるか否かの判断をした。結果は表の通り である。 表1 「唱歌」に含めるものと含めないもの 唱歌として検討対象に含めるもの 唱歌として検討対象から除外するもの a)『保育唱歌』(『保育並ニ遊戯唱歌』、『新楽唱歌』(公称)ともいう)。 『小学唱歌集』以前の試行的性質を持つ雅楽的な曲で未発行。しかし、省庁間の公 務として撰譜(作曲)されたもので、1877 ~ 1883 年にかけて順次墨譜に加えら れ(Gottschewski 2003)、1877(明治 10)年からすぐさま東京女子師範学校と その附属幼稚園で使用された。このような「雅楽系統の唱歌は明治末まで歌われ ていた」(白川 1975 p.34)とのことである。 また、初年に作られた〈風車〉を含む歌曲が文部省音楽取調掛編『幼稚園唱歌集』 (1887 年)など、複数の発行物に掲載された。中でも〈君が代〉は『中等唱歌集』(1889 年)、『小学唱歌』(1892 年)、『祝祭日唱歌集』(1893 年)等々、今日に至るまで 掲載され続けている。ゴチェフスキ(Gottschewski 2003)は〈君が代〉を「和 洋折衷のハイブリッドな新曲」と分析している。その他の曲も単なる雅楽の新作 ではなく、本来の雅楽にはあるべき臨時音が皆無の単純な音階で、装飾音もかな り制限されている(伊吹山 1979)。つまり学校教育の必要に配慮して作られてい ると解せられ、上記複数の理由により「学制の唱歌を起点」に誕生した唱歌とみ なすことにする。 b) 外国歌曲の翻訳もののうち、日本独自の歌詞に大きく改変または入替(当て嵌め) が認められるもの。いわゆる翻訳(翻案)唱歌と呼ばれるもの。 外来の旋律に日本独自の歌詞がつけられ、大抵は教育的意図が反映されている。 さらに、上(2006 p.194a)は、「唱歌 ( しょうが )」の語が江戸時代には「歌詞」 を指すようにもなったことに基づき、「この事情を踏まえて、・・・(中略)・・・ 教 授すべき児童歌曲の名に、古い『唱歌』の名を選びこれに新たな意味を付与した のである」と指摘している。つまり、曲種としての唱歌は、歌詞の重要性が含意 されたものともいえるわけである。これらの点から翻訳唱歌は学制の唱歌を起点 とした系譜上にある唱歌と判断した。例としては『小学唱歌集』(1881 年)の〈見 渡せば〉〈蛍の光〉などで、『唱歌萃錦』第一(1889 年)の〈千代田の宮居〉の ように、原曲が大幅に改変されたものもある(例:モーツァルトの歌曲《春への 憧れ》KV.596)。 c) 日本古来の音楽に拠るもの(西洋音楽の理論に拠らないもの)。 教育的意図が反映された歌詞をもっている歌は「学制の唱歌を起点」として誕生 しており、また、「多岐に亘る用例」も前提となっていることからこの種のものも 唱歌として検討する。例としては『幼稚園唱歌集』(1887 年)に〈数え歌〉(わ らべうた5)の教育的替え歌)、『小学唱歌』第 1 巻(1892 年)に戊辰戦争時の軍 歌といえる〈宮さん〉などがある。国民学校教科書では『ウタノホン』上・下(1941 年) に〈江戸子守唄〉(日本古謡)、〈さくらさくら〉(筝曲《桜》が原曲)などがある。 上記①の『保育唱歌』も雅楽系であり、ここの説明にも該当する。 f) 江戸時代以前から存在する「唱しょうが歌」の概念の 用例と考えられるもの。 京都府女学校編、京都府発行『唱歌』一篇 (1878 年)、同二篇(1880 年)が該当する。 これは同女学校の『体操遊歩の時間』内で行 われた「絃歌」という教育課程上の時間で用 いられ、古来の旋律を筝で弾きながら歌うも ので(上 2006 p.646)、唱歌科に由来する教 材ではない。 さらにまた、『小学唱歌集』初編(1879 年) の発行以前に曲種としての唱歌の概念は普 及していなかった。メーソンが着任の 1880 (明治 13)年時点について伊澤修二が「唱歌 といふことばすらも確定してをったのでは無 い、といふ有様であった」(伊澤 1912:72-73)と述べている通りである。確かに「song」 や「singing」に相当する外来語の訳語に「唱 歌」の語が使用され、1871(明治 4)年に仏 和辞典、翌年に英和辞典には記載されたもの の(江﨑 2017 p.718)、「唱歌(しょうが)」 の江戸時代の用例には、語り物における「唄 の文句」というものがあり(江﨑 2017 : 717)、筝を弾きながら歌う京都府の『唱歌』 はこちらの意味合いが強いと考えられる。現 にこの『唱歌』の冊子には歌詞の記載しかな く、歌詞だけの冊子、という意味に捉えるの が適当だと判断した。 g) 外国曲の翻訳ものの中でも、比較的忠実に翻 訳されたと思われるもの。 外国歌曲の翻訳もので、例えばウェルナー作 曲《野ばら》は『小学唱歌集』第三編(1984 年) においては〈花鳥〉であり、上記②に該当す る翻訳唱歌に分類するが、『女声唱歌』(1909 年) では〈野中の薔薇〉で、翻訳は比較的 原意を反映したものである。後者のような場
d) 民間発行の教科書外の子ども向きのもので、主に当該発行物のために作 られた作品で構成されているもの。 童謡とは称さず唱歌の名を冠した正規の学校教材以外の子ども向きの歌 曲集、例えば、『かはいい唱歌』(1921 年)のように理念的には童謡と 近似のものがある。それでも子ども向きのため、教育的意図が認められ、 本稿定義内の唱歌と判断した。例としては『ヱホンシャウカ』(1931 年) の〈こいのぼり〉や〈チューリップ〉などがある。 e) 民間発行の一般向きのもので、主に当該発行物のために作られた作品で 構成されているもの。 学校外で派生的に作られた民間の唱歌ではあるが、『養蚕唱歌』(1911 年) や『地理教育 鉄道唱歌』(1900 年)など、大抵は何らかの教育的意図が認 められる点で、本稿定義内の唱歌と判断した。なお、『三重県地理唱歌』(1890 年)等は、わらべうたの「数え歌の節」で歌うことが指定されているが、 上記 c) の通り音楽内容の類別は問わない。 合は「外国歌曲」とみなされ、唱歌とするには不適切 と判断した。 h) 民間発行で「唱歌」の表題を有するが、既存の唱歌や 童謡、その他の歌が区別なく所収されている曲集的な もの。 本稿の基準で示した唱歌の他、童謡、ラジオ放送用の 歌曲など、様々な種類の歌を区別なく転載した曲集的 な「唱歌集」「童謡集」が存在する。この種のものは 曲種判断の根拠に使用できないと判断した。 i)中等教育諸学校用の音楽教科書 「唱歌教科書」とは別に中等教育諸学校には「音楽教 科書」がある。これは「唱歌」の文言を書名に含んで おらず定義外となる。この教科書の特徴は、音楽史や 楽典、楽器の説明の他、歌の掲載もあるが、その部分 は様々な歌の曲集的なもので、既出の唱歌や日本歌曲 (滝廉太郎の〈花〉など)、外国歌曲(原語のままの場 合もある)などが掲載されていたりもする。したがっ て、この種の教科書への掲載をもって唱歌認定の条件 とすることはできないと判断した。 ※ 後に唱歌教科書へ「転載」された曲に関する補足。 初出が「唱歌」の表題を持たなくとも、後に正規の唱歌教科書に転載さ れた曲は本稿で示した唱歌の定義に含まれる。例としては『中学唱歌』 (1901 年)の〈荒城の月〉がある。 1.2「自文化」の定義と構成要素 1.2.1 採用する定義選択の方針(定義の設定) 唱歌が「自文化」か否かを検討するためには、「文化」 の定義を明確にしておく必要がある。唱歌を文化的所産に 含めることには疑問の余地はないだろう。覚井(1950 : 33)は自らの見解6)に基づいて、「教育が社会に於ける最 も優れた文化現象」と指摘している。これに則れば、教育 の教材である唱歌もまた本質的に文化的所産であると捉え られる。すると本稿を進める上で確認すべき主要な点は当 該文化の「自他」の峻別である。そこで上記の前提に,議 論を進めていきたい。しかし、文化的所産の内側に焦点を 向けて検証しようとすると、特に複合的な地域の要素を含 む客体の「自他」の区別は容易ではない。ゆえに、「自他」 の峻別はこれを取り巻く社会的な側面からのアプローチが より適切だろう。特に本研究の端緒のひとつが公文書内に みられる自文化に類する文言の出現だったのであるから、 客体の外側にこそ、正に注目すべき情報が見られると考え られる。以上のような考えにより、社会的側面からのアプ ローチが可能な定義を探していきたい。 この点に関しては唱歌の出自が議論の基盤となる。伝 統音楽の曲種の出自を見ると、田楽から能が派生するよう に、多くの伝統芸能 ・ 音楽は先行する曲種の延長線上に発 展する形で誕生している。しかし、唱歌の場合は新たな近 代的国家構築に端を発し、全く新たな曲種として意図的に 生み出されている。学制で唱歌科を設定していなければ唱 歌の誕生はあり得ず、「唱歌」という曲種の誕生には「社 会的要素が先行」していたことは明確である。この特徴は 「自他」の峻別に大きな手がかりを提供している。 この特徴をルーマン(Niklas Luhmann 1927-1998)の「自 己準拠的な社会システム理論」に拠る社会学分野の定義を 援用して、唱歌を検討してみよう。ルーマンの理論では「全 体社会が自身の記憶を指し示すために文化という概念を発 明した」(ルーマン 2009:665)とされており、文化は社 会から生じることを明確に示している。唱歌について文化 の「自他」を検証するための基盤理論としてルーマンの「自 己準拠的な社会システム理論」を用いることにする。 1.2.2 自己準拠的な社会システム理論に基づく自文化の定義 最初に理論の概要を説明したい。まず、「自己準拠的な 社会システム理論」とは、社会が自律的にそのシステムを 作動させて機能し、維持されているということを示唆して いる。社会が文化に先行し、文化は社会システムが作動し た結果として生じるとルーマンは考えているのである。 例を挙げると、最初の人間アダムとイヴが出会うこと でまずは社会が誕生する。この段階で他者との新たな出 会いによって未知数の相互影響が生まれる。ルーマンは
この状態を「二重の偶然性」と呼んでいる(1993:158-213)。この過程で彼らは必然的に(自動的に)共同生活の 仕方、料理の味付け、考え方など多岐にわたる合意を行う。 その内容は自ずと「記憶」され、必要な場面で「想起」さ れる。得られた合意は記憶され、将来に生じるストレスを 回避しなければならない。想起しなければこの社会は崩壊 の危機に至りかねないのである。このようにして「社会の 記憶」、つまり、「文化」が誕生するとルーマンは考える。ルー マンは文化について次のように定義している。 文化とは実際のところ、全体社会の記憶に他なら ない。つまりは忘却/想起のフィルターであり、未 来における変異の枠組を規定するために過去を用い ることなのである。(ルーマン 2009:665) とはいえ、社会を起点とした以上の流れには続きがあ る。一旦社会システムが作動し、「副産物」として文化が 生じることになれば、結果的には、社会のシステムは自己 再生のために「自己の記憶(文化)に依存」するようにな るのである(Lumann1995:44)。その理由についてルー マンはこのように説明している。 文化は自身を、あらゆる可能性の中の最善のもの と見なすわけではない。むしろ文化は比較の可能 性を司るのであり、それは同時に、他の可能性へ と視線を向けることを阻止する結果にもなる。言 い換えるならば文化は、馴染みのものの代わりに 別のものを置くことができるとの発想を妨げるの である。(ルーマン 2009:666) これは社会が記憶したもの、すなわち文化が最善であ るという前提はないものの、文化は新たに接触する何かが 当該社会にとっての適否を判断する試金石にはなるという ことを説明したものである。さらに、既に「馴染みのもの」 があるわけだから、当然他のものへの選択には抑制が働く。 先の引用で「変異の枠組を規定する」とした部分のことで もある。社会は文化に拠らずして誕生するが、社会システ ムの作動と共に生み出される当該社会の記憶(文化)に結 果的には依存するようになると考えられる。 このルーマンの理論では社会が「自己の記憶(文化) に依存」するとされている一方で、記憶の範囲に関する詳 細は明確ではなかった。そこで今度は「おふくろの味」を 例にして検討してみよう。家庭という社会内に存在する「お ふくろの味」をその社会が記憶しているのは単なるレシピ や味といった一部の情報だけであろうか。それは記憶の最 初期のもので、時の経過と共に母親や家族、家風、歴史等 の付随情報が多くの場合は併せて想起されるだろう。この 点で多田はルーマンの理論の補足として、社会システムの 「作動の継続とともに累積した自らの過去」と解説し、文 化は起点の記憶に加えてその後の情報も包含していくこと を指摘している(多田 2011:42)。さらに本橋は、直接ルー マンの理論に言及しているわけではないものの、ルーマン の文化の概念と多田の解説の両方に通底する次のような見 解を示している。 文化が意味生産のシステムであって、そこから特 定の社会秩序が伝達され、再生産され、体験される という点である。言い換えれば、文化的な活動は、 芸術作品の創造にせよ、生活習慣の実践にせよ、社 会秩序を構成するものであって、あらかじめ与え られた秩序を表現するものではない。( 本橋 1999: 8-9) ここでは「記憶」という言葉が見当たらない。しかし、「秩 序」が過去の「記憶」と比較して成り立つ現象であり、「文 化」が機能した結果として説明している点でルーマン理論 と整合しているといえる。なお、本橋が示した「社会秩序」 とは、単におふくろの味のレシピという起点の記憶を守り 伝えるレベルの秩序だけでなく、多田が補足した「累積し た自らの過去」を含んだより大きな社会秩序であることが 以下の説明から判る。 当然、構成する諸々の力のせめぎあい、つまり階 級や、人種、エスニシティ、ジェンダー、セクシュ アリティ、宗教、年令などによって複合的に影響さ れる差異や多様性に侵された場のヘゲモニー構造こ そが、文化をよりダイナミックなものとして見よう とするとき注目されるようになるのである。(本橋 1999:9) ここに示されたような社会的な問題、課題が噴出するよ うな場面で関係する秩序は、社会全体のモラルやマナー、常 識、といった、長年の「記憶の蓄積」と関係しており、文化 の機能が顕在化した際に観察されると捉えられている。 このような文化の機能面や役割面の見解は、ボックの 文化人類学の方面からの考察と一致する。ボックによれば、
「文化」は「あらゆる人間社会が当面する適応上の諸問題 に対して、ひと組の解決法となっているもの」である(ボッ ク 1977:48)。「文化」は形而上学に限らず日常を規定し ていることがわかる。 ここで、これまでの「文化」についての議論を要約し たい。まず、社会システムが文化の基盤、出発点であり、 文化は当該社会を記憶する。時間の経過と共に文化は当該 社会の様々な記憶も蓄積し、社会秩序を包摂するようにな る。その結果、異なるものを比較し顕在化させる機能を有 してくる。そして、社会システムは文化が有するこの機能 を自身の維持(社会的課題への対処)のために用い、依存 するようになる。ここで社会が「依存」としているものが 文化、つまり、当該社会にとっての「自文化」ということ になる。 文化に関して以上のような理解に立つと、唱歌の「自他」 議論で確認すべき点は以下の 3 点に集約できる。 ① 唱歌は当該社会(日本)で誕生し創られたものか。 ② 当該社会(日本)は社会維持のために唱歌を用いてい るか(=社会的課題への対処)。 ③ 当該社会(日本)の蓄積された記憶(社会秩序も含む) が唱歌の中に認められるか。 以後「2」「3」「4」では以上の 3 点に対応する唱歌 に関わる具体例等を挙げて検証していきたい。
2.唱歌に見られる日本独自の要素
―西洋由来の要素を含むことについての解釈―
「わらべうたや日本古謡など「日本古来の音楽に由来す るタイプの歌」は自文化に含まれると考えて異論はないだ ろう。この章では洋楽スタイルの唱歌の帰属について確認 したい。 1879(明治 12)年に設置された音楽取調掛の任務のひ とつは、「東西二洋の音楽を折衷して、新曲を作る事」(伊 澤 1971:5)であった。ただし、洋楽スタイルの唱歌は 当然西洋の音階や和声理論等を利用して作られているの で、本稿冒頭で述べた通り、西洋由来の要素を切り口に分 析され、受け取られてきたといえよう。しかし、異分野 の例から引き出すと、例えばイタリア人はパスタを使っ てはいても「スパゲッティ・ナポリタン」を決してイタ リア料理と認めない。それは日本のオリジナル料理とみ なされるのである。西洋タイプの唱歌も同様ではないだ ろうか。19 世紀後半に誕生した唱歌に用いた素材・理論 等は西欧で発達したものである。例えば今日でも使用す る基本的な和声理論は 18 世紀前半のラモー(Rameau, Jean-Philippe 1683–1764)の『和声概論(Traité de l’ Harmonie)』(1722 年)までに確立している。つまり、 唱歌に用いられた素材・理論等知的財産権の視点からは、 国際的なパブリックドメインの素材・理論等であるから、 これを用いて形成した新たな所産については自らに帰属す ることを主張できるのではないか。 他方、植民地主義によって他国から支配地域に強制的 にもたらされたり、創らされたりしたものについては、自 己準拠的な社会システム理論に沿って判断すれば、文化の 帰属先は植民地本国とみなさねばならないかもしれない。 それらは本国の必要で生じたものだからである。ブロッ サーが「文化というものにはまたある社会集団内のメン バーに対してのみならず、そのグループが影響を及ぼした いと思う外部の人々に対しても規制を加える力が内在する ということが重要な特徴」と述べているように(ブロッサー 1982:67)、支配地域に支配者の文化を持ち込んで否応な く同化させるといった現象は世界中に多く見られ、これら を自文化と称するには一考を要する)。 しかし、当時の日本人に西洋中心主義への何らかの思い があろうとなかろうと、西洋列強は日本を占領・支配した ことがなく、また、意図的に本国の歌を日本に普及させる 努力を払ってもいない。つまり、唱歌は押し付けられて生 じた文化触変による産物ではなく、明治新政府による国家 体制構築の一環として、日本が自発的に洋楽を研究し,自 らの必要によって意図的に新たな曲種を誕生させたのであ る。再度伊澤の報告(公文書)から引用すれば、最も重要 なことは、唱歌という曲種を創る当初から、「将来、我国楽 を興すの一助たるべきものを造成する」と企図していた点 である(伊澤 1971:5)。つまり、創ろうとしていたもの は将来の「日本音楽の礎」となるものが意図されていたの である。この意味で唱歌誕生の経緯は、社会を起点とする 自己準拠的な社会システム理論をよく表しており、その「社 会」とは「日本」である。つまり、唱歌は音楽の部分も含 めて日本のものと理論的に捉えることができる。 では、基本的に音楽が外国に由来する翻訳・翻案唱歌 はどう解せられるであろうか。前述したが学制における「唱 歌(科)」のネーミングは、「歌詞」という江戸時代以前の 用例のある中で名づけられたもので、それゆえ本稿では歌 詞の重要性に鑑み、日本独自の歌詞に大きく改変または入替があった場合には、その曲は唱歌の範疇に加えた。 それならば翻訳・翻案唱歌の歌詞にみられる日本の独 自性について確認せねばならない。まず、翻訳・翻案唱歌 を多く含む『小学唱歌集』について検討しよう。歌詞の音 数律については、村井によると『小学唱歌集』第一編(1881 年)が日本の『新体詩抄』(1882 年)をはじめとする近 代詩の「源流のひとつ」であり、「唱歌を含む日本歌曲は、 明治に誕生した日本独自の新文化」と結論づけている(村 井 1998:29-32)。翻訳 ・ 翻案唱歌に限らず、七五調に拘 泥しない日本独自の新しい様式の「詩」が『小学唱歌集』 から誕生していたのである。 次に歌詞の内容について検討する。唐澤は、『小学唱歌 集』全 91 曲中 52 曲は、「忠君愛国的」あるいは儒教に拠 る「教訓的」な歌詞に分類できるとしている(唐澤 1956 :135-139)。佐藤は唐澤の分類を提示した上で「唱歌教 育はナショナル・アイデンティティの創出や徳育、すなわ ち『国民づくり』と呼ばれるような役割」を担っていたと 指摘している(佐藤 2015:36)。つまり忠君愛国的な歌 は他国にもあるが、『小学唱歌集』は日本のアイデンティ ティの形成をなす日本独自のものと言えるのである。原曲 が讃美歌〈神の御子は今宵しも〉である〈栄行く御世〉の 歌詞を見ると、「神」の枕詞「ちはやぶる」が使用されて いるなど、日本の伝統に基づく作詞・作歌例が『小学唱歌 集』には少なくない。 なお、佐藤は唐澤が「自然」の種類に分類していた残り の 34 曲についても「国民づくり」の目的を持っており、「『季 語』に基づいて文化的アイデンティティを創出する役割を 担っていた」と結論づけている(佐藤 2015:36)。この 点を具体的に述べれば、江戸時代の俳諧などを通して庶民 レベルにまで一般化していった典型的な「日本の美」の概 念、特に「季語」を歌詞に反映させる手法である。自然を 題材にした翻訳(翻案)唱歌の歌詞は、佐藤によれば「意 図的にこれらの季節イメージを後付」しているとのことで ある(佐藤 2015:40)。例えば、〈霞か雲か〉では、「原 曲歌詞には『鳥』が情景の全てであるのに対し、唱歌にお いては『霞』と『花』という季語が追加され、『鳥』に関 しても鶯という具体的な春の鳥が登場することによって、 日本的な春のイメージになった」というものである(佐藤 2015:41)。佐藤は民間作成の唱歌教科書『明治唱歌』『小 学唱歌』『教科適用 幼年唱歌』の歌詞を分析した結果、「官 製である『小学唱歌集』をお手本として検定に耐えうるよ うな編纂をしているため、「季語」を中心とした「日本の美」 の表現に、必ずしも大きな飛躍はない」と述べ、歌詞の動 向が『小学唱歌集』と共通していることを指摘している(佐 藤 2015:48)。 以上のように、唱歌はどの種類でも、日本で創作した 独自の部分があり、日本のアイデンティティを創出しつつ、 国の隅々にまでこれを発信、普及させた文化的所産である と結論づけることができる。なお、『小学唱歌集』編纂方 法に関する伊澤の以下の回想からも、最初期の唱歌は複合 素材を融合して総合的に再構築、クリエイトした種類の創 作物であったことが判る。 ムヤミに西洋の曲を蒐めたなどヽいふのでは無く、 先ずメーソン氏が原案たる曲を出し、我々が種々に 論評審議して取捨選択したのであって、・・・ 必らず 我国の民情に適合すると、見込の附いたものに限っ て採用したのであるから、日本の曲であるといって も恥しくない曲のみである。又歌もその通りで一度 提出せられた者に就いて数十通も改作した上に決定 したのであった。(伊澤 1912:76)
3.国家政策として用いられる唱歌
3.1 国家政策としての唱歌 ここでは法令・条文における唱歌の扱いについて、以下 の①②の 2 視点から検討したい。 ① 閣議決定「文化芸術に関する基本的な方針」 (2000(平成 14)年 12 月 10 日) この閣議決定の内容は,文化芸術振興基本法(2001(平 成 13)年法律第 148 号)に基づいたもので、以後 2007 (平成 19)年(第 2 次)、2011(平成 23)年(第 3 次)、 2015(平成 27)年(第 4 次)と何度も繰り返されている。 文化芸術の振興政策を長期的継続的に示している点で国の 強い意志が感じられる。学校教育に関しては「初等中等教 育から高等教育までを通じて」としながら、「授業において、 ・・・ 長い間親しまれてきた唱歌 ・・・ など、我が国の伝統的 な音楽に関する教育が適切に実施されるよう配慮する」と 記されている。ここで「唱歌」が「我が国の伝統的な音楽」 の範疇として公文書に明記された点は注目できよう。因み に上記法律の目的が「前文」に以下のように記されており、 そこから国が文化芸術を社会的な課題解決のために提示し ていることがわかる。 文化芸術は ・・・ 人々の心のつながりや相互に理解し尊重し合う土壌を提供し、多様性を受け入れること ができる心豊かな社会を形成する ・・・・・・。更に、文 化芸術は、・・・・・・ それぞれの国やそれぞれの時代に おける国民共通のよりどころとして重要な意味を持 ち、国際化が進展する中にあって、自己認識の基点 となり、文化的な伝統を尊重する心を育てるもので ある。 ② 閣議決定「文化芸術推進基本計画―文化芸術の『多様な 価値』を活かして、未来をつくる―(第 1 期)」 (2000(平成 30)年 3 月 6 日) これは文化芸術振興基本法を衆参全会一致で可決改正し た「文化芸術基本法」(2017(平成 29)年法律第 73 号) に基づくもので、前述の 2002(平成 14)年の閣議決定を より一層強力に推進しようとする後継政策の閣議決定であ る。「戦略 1」には「我が国の優れた文化芸術を次世代へ 確実に継承する」と記され、その方策として、前回の閣議 決定の内容を踏襲して「学校教育」で「唱歌」その他を「取 り上げたりするように配慮する」としている。前回の閣議 決定とは表現が少し異なるものの、唱歌は日本文化である ことが強調され、学校で扱うよう指示されている。 なお、「文化芸術基本法」の前文には、「今日、少子高齢 化やグローバル化の進展、情報技術の急速な進展など社会 状況が大きく変化する中で、変化に応じた社会の要請に応 じ ・・・・・・」とあり、昨今の世界情勢や社会の変化への対 応を目的としている。「1.2.2」の「ルーマン理論」を適用 すると、これは国が唱歌を「未来における変異の枠組を規 定」し、「他の可能性へと視線を向けることを阻止する」 ものとして利用していると解せられる。 3.2 今日の学校教育で示される唱歌 3.2.1 唱歌が強化された契機 1998(平成 10)年告示「小学校学習指導要領」(文部省 告示第 175 号)では「ゆとり教育」の影響から歌唱共通 教材の必修曲数が削減された。その一方で、「指導計画の 作成と各学年にわたる内容の取扱い」の中では唱歌等をさ らに取り上げるよう以下の新設条項が挿入されている。 歌唱教材については、共通教材のほか、長い間親し まれてきた唱歌、それぞれの地方に伝承されている わらべうたや民謡など日本のうたを取り上げるよう にすること。 つまり、共通教材の必修曲数は縮減せざるを得なかった が、実態としては唱歌を減らしたくはなかった施策がう かがえる。『学習指導要領解説』ではこの部分について以 下のように記されている。筆者が傍点を付した部分は国 が新たに示した認識点として重要である。 世代を超えて歌い継がれてきたそれらの唱歌は、我4 が国の音楽文化そのもの4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4と言うべきものである。 ・・・・・・ これらの唱歌や日本のうたを、共通教材以 外から歌唱教材として取り上げるようにすることが 大切なことである。(文部科学省 1999 :80) これは国が教材として「唱歌」を直接指しつつ自文化に 類する文言で形容した最初のものであり、伝承に向けた並々 ならぬ意図がうかがえる。この点でさらに注目できるのは、 1989(平成元)年告示の小学校学習指導要領で定められた 歌唱共通教材の曲目を、1998(平成 10)年告示の「学習 指導要領」から「変更しない」姿勢が始まった点である。 小学校の共通教材は全 24 曲中「文部省唱歌」が 17 曲も含 まれており、それ以外は日本古謡やわらべうた、童謡で、 いずれにせよ古い時代の日本の歌で占められている。これ らの曲が 2017(平成 29)年告示の学習指導要領に至って も依然変更がなされなかった。結果的には少なくとも 2028 (令和 10)年前後の改訂までの約 40 年間という長期にわ たり、曲目の入替なく固定され続けることになったのであ る。この背景には指定された曲目の定着を幅広い年代に対 して定着させる意図があるのは明らかである。 ちなみに 1998(平成 10)年は、「文化振興マスタープ ラン―文化立国の実現に向けて―」を文化庁が 3 月に発 表した年でもあった。このプランには「経済や社会の様々 な問題に対処する」ことを目的として、「伝統文化の継承・ 発展」が謳われている。このプランが同年 12 月に告示さ れた「小学校学習指導要領」に直接反映された可能性もあ るかもしれない。しかしむしろ、国が「伝統文化」を社会 的な課題解決やその他の国益のために用いるべく動き出し たことに伴う並行現象と見ることが妥当であろう。その線 上に、1999(平成 11)年制定の「国旗国歌法」(法律第 127 号)によって『保育唱歌』の〈君が代〉が正式な国歌 となり、「3.1」で述べた 2001(平成 13)年の「文化芸術 振興基本法」とその翌年以降の数次にわたる閣議決定、そ して 2006(平成 18)年に改正された「教育基本法」(法 律第 120 号)が続くことになったと考えられる。教育基
本法の第 2 条「教育の目標」の中で「伝統と文化を尊重」 が新たに追加された点も重要である。 改正教育基本法(2006 年)成立に向けた審議された国 会答弁を見ると、やはり社会システムの保護を同法の目的 に含めていたことがわかる。2006(平成 18)年 5 月 26 日衆議院教育特別委員会における糸川正晃(国民新党)の 質疑に対する小坂憲次文部科学大臣の答弁を先ず見てみよ う。「グローバル化」の社会にあって、「日本人のアイデン ティティとして ・・・・・・ 伝統に対する認識、日本の伝統文 化」が重要である」旨が述べられ、日本人のつながりを維 持する必要性について説明がなされた。同年 11 月 8 日国 家基本政策両院合同審査会における小沢一郎(民主党)の 質問に対する安倍晋三内閣総理大臣の答弁は、「現在核家 族化が進んでいる中にあって、また地域コミュニティーが、 その関係、絆が希薄になる中で、大切な要素については改 正案の中には書き込んである」と答弁している。このよう に国が自文化を提唱する背景において、多くの場合社会的 課題の解決が意図されていたのである。 3.2.2 強化されていく唱歌―道徳と幼児教育へ― 改正教育基本法(2006 年)後の学習指導要領では、唱 歌関連が一層強化される方向に向かった。2008(平成 20)年告示「小学校学習指導要領」(文部科学省告示第 27 号)で歌唱共通教材の必修曲数が増加、同年告示の「中 学校学習指導要領」(文部科学省告示第 28 号)では削除 されていた唱歌を含む歌唱共通教材の復活があった。中学 校での復活理由について文部科学省(2008b:5)は「我 が国のよき音楽文化を世代を超えて受け継がれるようにす る」と述べており、1998(平成 10)年の「我が国の音楽 文化そのもの」(文部科学省 1999:80)に「よき」とい う肯定的な価値を表す文言が加えられた。なお、前項で述 べた「国旗国歌法」(1999 年)を背景に、新たに〈君が代〉 の「指導」が全校種の学習指導要領に加えられた。 さらに小・中学校の唱歌教育は道徳との関連でも一層強 化された。2008(平成 20)年の小・中学校学習指導要領 の「道徳」と「音楽科」では双方を関連付ける文言が追加 され、音楽科の学習指導要領本文では道徳を「音楽科の特 質に応じて適切に指導をする」とされた。重要なのはこの 箇所についての解説文である。 音楽の共通教材は、我が国の伝統や文化、・・・・・・ を 含んでおり、道徳的心情の育成に資するものである。 (文部科学省 2008a:69-70 および 2008b:57) ここで注目できるのは、文部省唱歌が多数を占める共通 教材を「我が国の伝統や文化」という歴史的な時間経過を 表す文化的位置付けで表現している点である。 次に、2017(平成 29)年告示の学習指導要領等に向け た中央教育審議会答申「幼稚園、小学校、中学校、高等学 校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方 策について」(2016(平成 28)年 12 月 21 日)を参照し たい。ここでは「学習指導要領改訂の基本的な方向性」の ひとつとして、「現代的な諸課題に対応して求められる資 質・能力」の育成のために、「日本人として大切にしてき た文化を積極的に享受し、我が国の伝統や文化を語り継承 していけるようにする」とされている。文化に関わる部分 がやはり「現代的な諸課題」とリンクされている。その結 果、2017(平成 29)年告示の小学校校学習指導要領(文 部科学省告示第 63 号)から、前述の 1998(平成 10)年 の音楽科の歌唱教材選択に関わる新設の補足規定に、目的 面を示す新たな文言が追加された。傍点部分が追加の文言 である。 歌唱教材については、我が国や郷土の音楽に愛着4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4が4 もてるよう4 4 4 4 4、共通教材のほか、長い間親しまれてき た唱歌、それぞれの地方に伝承されているわらべう たや民謡など日本のうたを含めて取り上げるように すること。(小学校学習指導要領「内容の取扱いと指 導上の配慮事項」) これは前項の改正教育基本法(2006 年)関係の国会審 議において、文部科学大臣が「日本人のアイデンティティ」 と「伝統文化」を結びつけたことを明文化した改訂といえ る。一方、幼児教育に関しても 2017(平成 29)年告示の「幼 稚園教育要領」(文部科学省告示第 62 号)と「保育指針」 (厚生労働省告示第 117 号)から、唱歌関連の新設条項が 加わった。幼稚園および保育園の該当規定はおよそ同一内 容である。そこで、両者併せた平成 29 年告示の「幼保連 携型認定こども園教育・保育要領」(内閣府/文部科学省 /厚生労働省/告示第 1 号)を検討したい。 満 3 歳以上の園児の「環境」領域の内容として、「日常 生活の中で、我が国や地域社会における様々な文化や伝統 に親しむ」が新規に加えられている。重要なのはこれに対 する「内容の取扱い」で、「文化や伝統に親しむ際には、 ・・・・・・ 国歌、唱歌、わらべうたや我が国の伝統的な遊び に親しんだり」と規定され、幼児教育でも「唱歌」を「文
さて、『百選』は選びきれずに実際は 101 曲あるのだが、 ここに含まれる唱歌や童謡等の内訳は図 1 の通りである7)。 「戦後の歌」は曲数が多いが、流行歌や子ども向きの歌等の 全てを含んでおり、曲種としては唱歌が最多数でこれに続 き童謡という結果であった。ここで確実に言えることは、「唱 歌・童謡が多数」で、これらが「歌い継ぐ」という意図をもっ た国の発行物内で示されたという事実である。 【図 1】『日本の歌百選』における曲種等の内訳 次に、「日本の伝統文化として次世代に残したい歌」の伝 承経路を明確にすべく『百選』における「教科書教材に採 用されたことのある曲」を改めてカウントした。このカウ ントに当たっての分類基準と各分類項目に該当する曲の特 徴については表 2 に示した。再カウントの結果、国が選定 した教科書教材曲の割合が約 41%、民間発行者が選択した 教科書教材曲が約 46%となっており、共に掲載期間は一定 ではないながらも全体に占める教科書教材割合の合計は約 86% という非常に高い数値であった。加えて、主に幼児教 育現場で扱われているであろう C グループも含めると、そ の合計は約 93%に達している(図2)。 【図 2】『日本の歌百選』における教科書教材率 以上を総括すると、『百選』は日本の社会が保護し、「我 が国の伝統文化として」未来に残すそうとしている歌の具 体例を明らかにするものでもあった。そして、その筆頭の 化や伝統」と捉えて新たに扱うようになったことである。 歌曲の選曲は従前の目的になかった新たな要素を加えつつ 唱歌を導入、未来に向けてかなり強力に継続的に根付かせ、 保護しようという国の姿勢がより一層顕著になってきたと いえる。
3.3 国の発行物に見られる唱歌の伝承姿勢
「3.1」では文化庁(1998)による「文化振興マスター プラン―文化立国の実現に向けて―」が発表され、それが 国家政策にも組み込まれるに至る一連の経緯、文化関連法 令や閣議決定、さらには教育基本法の内容にも踏襲されて いる点について述べた。この過程で文化庁編(2007)『親 子で歌いつごう 日本の歌百選』(以降『百選』)が発行され、 この一連の国家政策で守ろうとしている歌の具体的曲名や 伝承ルートが示顕されることになった。 『百選』は国民の意向を取り入れつつ行政が音頭を取っ て選考委員にとりまとめさせたもので、様々なベクトルが 掛かっている可能性がある。しかしながら、「3.1」で参照 した閣議決定「文化芸術に関する基本的な方針」の最中に 企画されたものであることから、社会システムが文化を用 いようとした際に表す具体的現象を観察できる客体として 注目できる。閣議決定における「人々の心のつながり」「国 民共通のよりどころ」といったキーワードを、企画責任者 である故河合隼雄文化庁長官(当時)が意識していたこと が次のコメントからうかがえる。 いま、みんなで共通に歌える歌が消えかかってい るが、だからこそ世代を超えて、みんなで歌を歌 うということを復活させる、そういう運動が必要。 (文化庁 2007:10) 補足すると『百選』の元になる候補曲の全ては国民の自 発的意思によってアンケートに回答・応募されたものであ る。さらに募集要項にはこのように記されていた。「日本 の伝統文化として次世代に残したい歌を募集します」。つ まり、回答者は「伝統文化」という文言から「過去」を認 識し、「次世代に残したい歌」という文言から「未来」を 意識して選曲していたのである。『百選』の最終選定は選 考委員に拠っているものの、選曲のベースとなる部分は国 も選考委員も関与できない所である。この意味で、『百選』 は国と国民を併せた総合的な社会の反応物かつシンボリッ クなものといえよう。 戦後の歌 38% 39 曲 唱歌 31% 31 曲 童謡 26% 26 曲 戦前のその他の歌 (芸術家曲等) 3% 3 曲 わらべうた(唱歌以外)2% 2 曲 民間選定の教科書教材 45% 46 曲 国選官選の教科書教材 41% 41 曲 その他(幼児 ・ 児童向) 7% 7曲 その他(流行歌など) 7% 7曲曲種は「唱歌」ということであった。しかし、それ以外の 曲についても、表2に見られるように「教科書教材」とし て扱われてきた歌の割合が非常に高かった。つまり、過去 から引き継いで未来に託そうとしているほとんどの歌の主 要な伝承経路が「教科書」、言い換えるならば、伝承と継 承の場としては全国の「学校」が重要な場だったのである 8)。このことは、学校の音楽教育が日本の社会と文化にとっ て非常に重要な存在であることを示している。なお、『百選』 の最終的な選定結果は国民が示す実態とさほど乖離してい ないのではないかと思われるので、このについて「4」で 検討したい。
4.民間レベルにおける唱歌の受容
ここでは、唱歌が個々の国民レベルにおいても伝承姿 勢が保持されているのか、また、受容され続けているのか について確認したい。 4.1 民間の発行物にみられる唱歌の伝承姿勢 唱歌を未来に残そうとする動きは国の政策が最初ではな かった。国が唱歌の伝承に舵を切る契機と考えられる前述 の文化庁(1998)の方針発表前年には、『日本童謡唱歌体 系』が発行されており、その序文には「20 世紀の意義深 き遺産として永遠に伝えたい」との明確な趣旨説明がある (藤田他 1997: 第Ⅰ巻序文)。明治時代以降の歌 1113 曲が 精選され所収されている中の 222 曲が 1945 年以前のも ので、翻訳唱歌以外の唱歌が多数含まれていた。この曲集 以外にも、幼稚園・保育所の教員・保育士向きの伴奏付き 歌集には唱歌や童謡等が数多く掲載されており(例えば森 2011 など)、DVD の中には唱歌関連で文部科学省の「文 部科学省選定」(教育映像等審査制度)を受けたものもあ る。文部科学省による平成 27 年 5 月の『映像作品選定一覧』 を見ると、学校唱歌等を収録した 3 枚の DVD の「作品内容」 の欄には、それぞれ「親子で歌いたい」「歌い継ぎたい」「み んなで歌いたい」といった文化の伝承を示す類のタイトル が記載されており、単なる歌や鑑賞教材ではない点が明ら かである。 以上のようにして、次世代に歌い継ぐことに関して「学 習指導要領」や法律の指示によらない自発的な姿勢が民間 の発行物に散見された。つまり、唱歌の伝承姿勢は、発行 物の上では官民揃って一致している部分があるといえる。 4.2 個々の人々が示している唱歌の受容状況 ここでは日本に住む個々の人々が唱歌等をどのように受 容しているのか、その状態を見てみよう。幼児期における 表 2『日本の歌 100 選』掲載曲で教科書教材に採用されたことのある歌の分類 A : 国 (文部科学省、 旧文部省) または国の機関 (旧東京音楽学校) が選定した教科書教材。 41 曲 ここには昭和 22 年以降の学習指導要領(試案も含む)で指定された歌唱教材(共通教材)や、昭和 20 年以前に発行された国や その機関が作成した官製教科書に掲載された唱歌が含まれる。なお、〈むすんでひらいて〉が元は〈見渡せば〉であったように、 戦前と戦後で歌詞の異なる例も含めた。この集計ではこれらを「同一曲が継続」しているとみなす扱いで捉えたわけだが、その理 由は、歌詞の入替が偶然だとか、異なる新たな曲を生み出す意図があったなどというものではなく、正規の教科書に掲載された歌 で認知度が高く、広く愛好されてきたからこそ、歌詞を変更してまでもさらに歌い継ごうとしたと考えられるからである。これは 本稿の定義の考え方である由来面を重視した判断である。さて、このグループの特徴であるが、国選教材なので非常に多くの児童・ 生徒が歌唱した曲といえる。なお、教科書への採用回数は曲毎に異なるが、評判のよい曲は国選から外れた後でも、戦後教科書 の場合は発行者裁量で再び掲載されることが多く、それゆえここに該当する曲は相当強い影響力を保持し続けていることが多い といえる。 B:民間発行者の自由裁量で選ばれた教科書教材。46 曲 戦前から選ばれている例もあるが、戦後新たに選ばれたものもある。子ども向きの戦後の歌、童謡・唱歌・芸術歌曲以外に流行 歌も数曲含まれる。戦後の場合は教科書採用以前からの人気曲が掲載される場合が多いが、流行のピークが過ぎ去った時点での 掲載が多く、その場合は次の世代に曲の魅力を伝承することになる。 C:その他(幼児教育向き)。7 曲 教科書教材には採用されたことがないながらも、幼児教育現場での使用度が高いと思われる。幼児教育者向きの歌と伴奏の曲集、 例えば西崎(2010)には 7 曲中 6 曲の掲載があり、残りの 1 曲〈思い出のアルバム〉を含め 2 曲は保育士試験の課題曲に指定さ れたことのあるものであった。これらの曲は自らの幼児期、および、親や大人として幼児と関わる際に接することがあり、共に 人生の中の幸福な記憶を想起し得るグループである。 D:その他(流行歌など)。7 曲 学校教科書に掲載されたことのない曲で、国民的な人気と認知度が非常に高かった戦後の流行歌・歌謡曲。〈いつでも夢を〉〈高 校三年生〉〈リンゴの唄〉など唱歌との関わりについては現在では家庭における唱歌の伝 承は減少傾向にあるように感じられる。しかし、家庭の中 で唱歌が教えられることもあり(平澤 2018:69)、「3.2.2」 で述べたように幼児教育現場でも多く扱われている。水野 の調査では、保護者が「子どもにできるだけ童謡や唱歌を 聞かせたい」と考えていることも明らかにされている9)。 水野のアンケート調査では「子どもにできるだけ童謡や唱 歌を聞かせたい」「非常にそう思う」「ややそう思う」が 20 歳代の保護者で 85%、30 歳代で 91%、40 歳以上で 97% であり、各世代ともに大多数が聞かせたいと考えていると いえる(水野 2016:6)。したがって、現在、教育法規や 国家政策で唱歌等を推奨していることは、民意にも沿って いることにもなり、社会的維持の方向性は官民共に足並み が揃っているといえる。 ちなみに幼児の童謡・唱歌への反応を観察すると、幼児 期の子どもは昔も今も変わりはないように見える。「子ど もが童謡や唱歌を好まない」と考えている保護者は 5% と いう低い数値であった。また、ベテラン保育者からの回答 内容10) も 9% であり、さらに太田他(2018)による別の 地域での追調査では 0% であった11)。もしも童謡や唱歌の 扱いが保育現場で減少している部分があるとすれば、それ は幼児教育関係者の幼児の趣向に対する認識に誤解がある かもしれない。 次に小学校と中学校について検討する。この段階では共 通教材の指定があるので現在でも必ず唱歌を歌うことが要 請されている。これは唱歌の強力な伝承経路ととらえるこ とができる。1907(明治 40)年の「小学校令中改正」(勅 令第 52 号)で小学校における唱歌科が必修扱いになって 以降、ほとんどの日本人がこの曲種を制度的に確実に歌い 続けてきた。法令に基づく唱歌の取扱いや指導により、今 日まで強力な社会的維持がなされてきたのである。その結 果、高齢に至っても唱歌等を歌い続けたり好んだりする姿 が一般的によく見られる。 相澤(2014)は高齢者への音楽セッションにおいて利 用者に人気がある曲を長年にわたって観察しており、文部 省唱歌や童謡は必ず数曲扱うとのことである。「選曲はそ の日の訪問活動の成否を、ある程度決定づける重要なファ クター」と位置づけ、セッションの「終了後では、柔和な 表情に変化する人が多い」「平常の入所時には見られない 言動が現れる」「活動の余韻もあって、翌日にも施設内で『歌 集』を持ち歩いている」など、「様々な好ましい反応がある」 と述べている(相澤 2014:20)。 藤井は高齢者対象に実施した 6 年間の音楽療法セッ ション選曲の「好感度」を 3 段階に評価している(藤井 2002:4-11)。藤井の調査結果では、分類「昔話シリーズ」 は 12 曲中 A 評価の 8 曲が全て学校唱歌(幼稚園含む)で ある。藤井の調査で戦後の子どものための歌も重複して含 まれている分類項目「唱歌・童謡シリーズ」では A 評価 40 曲が挙げられ、その中で戦前のものは 37 曲、そのう ち学校唱歌は 18 曲である。藤井は他に「思い出シリーズ」 (流行歌等)や「戦争の唄シリーズ」(軍歌や戦争関係の歌) の分類項目を提示している。いずれにせよこの調査結果か ら、唱歌等は高齢者向けの音楽療法セッションには欠くこ とのできないレパートリーであることがわかる。 以上から、唱歌等は今日においても幼児期から高齢に至 るまで幅広く受容されている状態にあるといえる。高齢者 の音楽療法面においては唱歌等を用いたセッションが奏功 しており、唱歌の受容の深さは相当なものであることが明 白である。法令に基づいて唱歌が代々教材となっているこ とは、国家によって社会的維持が強力になされてきたとい うことになる一方で、この曲種が法令や政策に拠らない国 民レベルでも広く支持され、伝承姿勢が見られる点が注目 に値する。「3.3」でも明らかにしたように『百選』の総合 的な結果データは個々の人々の実態から乖離したものでは なく、日本の一般社会が示した反応物として一定の妥当性 ある内容であったと見ることができよう。
5.唱歌の文化的位置付けに関する検証
5.1「自文化」構成要素の視点から ここでは「1.2.2」の結論、「自文化」の構成要素①~③ の各事項について、「2」から「4」で行った検討を踏まえ、 唱歌がそれらの項目に合致し得るのかどうかについて検証 する。なお、これらに加えて、ライス Rice Timothy(2001) の「民族音楽学研究のモデル」を参考指標として援用する (図3)。この研究モデルは「個人の創作と経験」「社会的 維持」「歴史的構築」の 3 要素がトライアングル状となっ て相互に関連し合ってひとつの文化が形成されていること を想定しているもので、合致していれば文化としての体裁 をなす要素として考えることができ、また当該文化の特徴 を知る手掛かりにもなるものである。歴史的構築 個人の創作経験 社会的維持 【図3】ライスの「民族音楽学研究のモデル」 (ライス 2001:06) 検証1.日本で誕生し創られたものか 明治新政府による日本の国づくりの一環で学校教育制度 を開始し、その過程で歌唱教材である唱歌を誕生させた (「2」)。これは将来の「国楽」の基盤たるを企図して「和 洋折衷」をコンセプトとしつつ人為的に開発して創り出し た曲種であった。しかしながら、作品の構成素材や技術は 「和洋」のコンセプトを標榜したにもかかわらず西洋由来 のものであった。とはいえ、その使用素材の国籍は副次的 なものと言えるのではないか。漢字が良い例である。また、 翻訳・翻案唱歌にしても、歌詞は「勅撰和歌集」風の歌詞 の創作と季語等を活用した「日本の美」の創出により、日 本人の統一的アイデンティティを全国的に形成、普及させ るものであった。最初期の唱歌の中には日本人だけで作詞 作曲された曲もあることから、さほど時を経ずして高いレ ベルの唱歌に至り、すぐさま西洋に存在しない特徴を有す る曲種を誕生させたことは間違いない。唱歌はここからさ らに童謡その他の歌にも発展し、現在のアジア広範囲にみ られる各国の流行歌謡曲に至る発展の基盤にもなったので ある。つまり、東洋音楽史に大きな影響を及ぼす起点となっ た日本独自の取り組みであり、創作物だったといえる。 以上のようにして唱歌は、社会に端を発して文化的所産 が誕生した非常に明確な存在となっており、完全に自己準 拠的な社会システム理論で説明可能である。ライスのモデ ルで言えば明治の日本は作詞作曲や歌唱の経験面において 「個人の創作と経験」を開始し、学校を通して制度的な「社 会的維持」を確立し、国歌の発展と共に今日に向って「歴 史的構築」をスタートさせたのである。 検証2.日本は社会の維持のために唱歌を用いているか(社会 的課題への対処) 国が国家政策や法律、「学習指導要領」、その他で唱歌を 推奨している目的は、そのことごとくが日本の社会的課題 の解決を目指すものであった(「3」)。例えば、閣議決定 は直接唱歌に言及しており、その政策目的は「国際化が進 展」「少子高齢化やグローバル化の進展」「情報技術の急速 な進展」など社会状況の大きな変化に向けての対応であっ た。期待される効果としては「人々の心のつながりや相互 に理解尊重し合う土壌」「多様性を受容」などで、現在の 日本社会の保護・保持する意図が明確に示されていた。加 えて、今日の唱歌関連の教育法規に至ったひとつの契機と 思われる文化庁の「文化振興マスタープラン」は、「経済 や社会の問題に対処する」を謳っており、その後成立した 改正教育基本法は、「グローバル化」や「日本人のアイデ ンティティ」「地域コミュニティー」の「絆が希薄になる」 ことへの対応策が込められた法律であった。このような文 脈の中で、『日本の歌百選』の企画があり、学習指導要領 では、2017(平成 29)年度の改訂に向けて唱歌が教材と して強く明示されるようになってきたのである。 以上のように、唱歌を「自文化」として用いたこれらの 動向は、日本における社会システム維持への危機意識がも たらした結果、発生した現象であると認めることができる。 ライスのモデルで言えば、唱歌の「社会的維持」(教材指 定の側面)が一層強化され、「個人の経験」をより確実に 積み重ねる方向に動いていると理解することができる。そ の結果、唱歌は自文化としてさらに「歴史的構築」を続け、 未来に向かうことになると予想される。 検証3.「日本の社会の蓄積された記憶(社会秩序含む)が認め られるか」 学校教育は社会の中で生まれ、その後、教育制度の中 で教材としての唱歌も誕生した。当初ささやかだった記憶 はその後、時間経過と共に感覚的なものも含めて様々な記 憶が蓄積されていったと考えられる。このような長期に及 ぶ重層化された記憶の可視化は難しい。しかし、社会の記 憶が蓄積された結果として表面的に顕れてくる「アイデン ティティ」および「道徳」という二つの結果現象は確認が 可能である。これらがどのように唱歌と結びついているの か、以下に観察・検討したい。 まずアイデンティティに関して述べる。そもそも「唱 歌教育はナショナル・アイデンティティの創出や徳育、す なわち『国民づくり』と呼ばれるような役割」がある(佐 藤 2015:36)とのことである。事実、第2の視点でも指 摘した通り、文部科学大臣が国会答弁で「日本人のアイデ ンティティ」という言葉を用い、これを目的として教育に おける「伝統文化」の必要性を説いたのである。その後の 『学習指導要領解説』において、「音楽の共通教材は、我が 国の伝統や文化」(文部科学省 2008a:69-70)と記載さ れたのは「3.2.2」で述べた通りである。つまり、「歌唱共 通教材」はその大半が唱歌であることによって、日本人の ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ ▼