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Bulletin o{ Mu."ology, Kolugakuin University HAKUBUTUKANGAKU-KIYO CONTENTS A View Point of Local Museum - Works and "a Region" in the Prefectural Muse

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(1)

:SSN 0286-5831

(2)

Bulletin

o{ Mu."ology,

Kolugakuin

University

HAKUBUTUKANGAKU-KIYO

2006,No.31

CONTENTS

A View Point of Local Museum

- Works and "a Region" in the Prefectural Museum SUGIYAMA Masashi

The Histry of Open Air Museum

- about Kumagusu

Minakata's

Open Air Museum

which introduced

an Open Air Museum

to our country

for the first time

... OCHIAI Tomoko ..."...15

A Consideration

of Out-door Museums and National Parks

- Focusing on the Process of the Establishing of

a S y s t e m

o f N a t i o n a l

P a r k s -

. . . KONNO

Y u t a k a

. . . ' . . . 3 3

Preservation

of Books

in a Museum

WATANABE Mai '...59

A study on diorama

- Import of diorama and its history of

d e v e l o p m e n t

-

' . . SHIMOYU Naoki .'...'..T1

M u s e u m

a n d

C i n e m a t h i q u e s

. . . ' KANNO Masatoshi

' . . . 9 1

T h e R e s e a c h o f a P h o t o g r a p h i n a M u s e u m " . I T O H D a i s u k e . ' . . . 1 0 b

A report on the case,

use of "replica",

in Art Museums

exhibition

... OGAWA Fusako

A Study

of Display

Area and the Elements

of

D i s p l a y

f r o m V i e w o f M u s e u m

M a n e g e m e n t

. ' . AOKI Yutaka '...--....'...I25

Tendency of Choice of Basic Policy to

Utilize a Historical

Building...

. KOIKE Shinroku ..."...133

Maintenance

and Practical Use of Medieval Castles

a n d H i s t o r i c

s i t e s

K A W A S E K e n s h u . ' . . . 1 4 9

" S c h o o l ' s

E x h i b i t i o n "

i n m u s e u m s

-Problem and view-

TAMAMIZU Hirotada...169

The Museum Study Room

KOKUGAKUIN UNIVERSITY

(3)

第 31韓

(4)
(5)

地域博物館 の視点

∼県立館 における

地域

" と

取組∼

A Vie、v Point of Local NIuseum

一 Works and ``a Region'' in the Prefectural Museulll一

杉 山 正 司

S U G I Y A M A M a s a s h i

l は じめに∼地域概念∼ 博物館 において 「地域」 とい う用語 は、比較的安易に使われている. 特 に市‖町^ 村立博物館の設立 理念 には、地域T I I l 念が不可 欠であ る. 市 町村 立博物館 は、 自治体 の境 界内、いわゆ る管l J i 下を フィール ドとして扱い、そ こに 「地域博物館J と しての存在意義がある。そ うしたことか ら、地域 博物館 とい うと市町村 立博物館が中心 と考えられがちであるc 国立博物館 は 1 1 本今土、都道府県立館 ( 以 ド、県立館 と略す) は 市町村の集合体 としてのエ リア という概念で、一般的な 「地域J の 認識 とはかけ離れていえるか もしれない。だが、見方を変 えれ │ ゴ「地域博物館J は 、 日本全土 とい う地域 を扱 う博物館、都道府県 という地域 を扱 う博物館 ともい うことがで きるのである。平成1 7 ( 2 0 0 5 ) 年 1 0 月に開館 した九州卜1 立博物館 は、九州の名が冠せ ら れ、 しか も九州 とい う地域 の特性 を生か し、「東 アジアとの交流J と い う大 きなテーマ設定の もと 展示 を始め事業展開が行われてお り、いわば地域博物館 とい うべ き国立博物館である. も ちろん九 州 とい う地域だけを扱 うわけではな く、対外交流 とい う視′点か ら日本全国を視野に人れているが、 その基幹は九州 にあることを主張 しているようである。 これ まで も京都国立博物館や奈良国立博物 館 も、立地する地域 の特性 をテーマ として展示 などが行われて きた ともいえるが、九州日立博物館 は地域 博物館 としての姿が鮮明になった といえる。 つ ま り地域博物館 とは、「ある意味 を持 った、あるいは何 らかの関係 を持 った特定の地域 を対象 とした博物館Jと いえるであろう. 地域博物館論 については、伊藤寿朗の 「地域博物館論J を は じめ多 くの先学が定義等 を発表 され、 本紀要第2 8 号で中野知幸 によって先行の論考 をまとめて考察 されているので、本稿では改めて紹介 しない。 また、加藤有次 も 「地域 博物館の使命は、その地域 人がいかなる自然風上 をJ i t って、永い 時間の中、衣 ・食 ・住 を通 じて暮 らしをし、歴史的風土 を築いて きたかを、市民に博物館で生涯学 習 をさせて、地域 における生 き方、 まちづ くりの方法など、未来にかけての倉1 造をよ りよく促進 さ せ ることにある。 これが地域博物館の 目的理念であ り、地域学の樹 立となるのである.Jと 述べ て お り、地域博物館の定義や使命について、広義には大方の異論はないであろう.

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地域博物館 の視点 さて、県立館 とい うと所在す る自治体 内を対象 とす ることが中心 となる。加藤有次 らは、『秋田 県立綜合博物館設立構想』のなかで 「秋田学」 を提唱 され、秋田 とい う地域 (郷土 または風土)に 根 ざした地域綜合博物館が生 まれているが、多 くの県立館 は内容の違いはあれこの範疇に入る。 一方、東北歴史博物館や九州歴史資料館など、自治体の範囲を越えた地域 を対象 とする博物館 も ある。千葉県立の各博物館 などの ように旧国な ど限 られた地域 とそこにおける特徴あるテーマを取 り上げた博物館 をは じめ、滋賀県立琵琶湖博物館の ように琵琶湖 とい う地域 を対象 とした博物館 な ど、 (市域 を越 えて相模川水系 を扱 った平塚市立博物館 な どの例 もある)県 立館 の地域博物館は市 町村 よ りは比較的フレキシブルに地域 を捉 えている。 筆者が、平成1 8 年3 月 末 まで 3 年 間勤務 した埼玉県立歴史資料館 (以下、歴 史資料館 と略す)は 、 昭和5 1 ( 1 9 8 6 ) 年 に開館 した資料館である。鎌倉時代の武蔵武士 ・畠山重忠が居館 を構 えた と伝 え られる国指定史跡 「菅谷館跡」 に立地する。当初は調査研究 を行 う機関 として設置 されたため展示 施設 を持たない館 として建設が開始 されたが、建設途中か ら地元住民な どか ら展示に対す る要望が あ り、翌5 2 年1 1 月に展示館が増設開館 した とい う経緯がある。館の活動内容は、埼玉県全体 を対象 とするが展示内容 は所在す る比企地域 (比企郡 と東秩父村の 1市 7町 1村 )の 考古 ・歴史 ・民俗 を 対象 として きた。開館以来3 0 年が経過 しようとしているが、 これまで国庫補助 による調査事業は区 切 りがつ き、県 単の調査事業 も緊縮予算 により継続で きない状況である。 この状況のなか限 られた 予算 をや りくりして、特 にこの 3 年 間は比企地域の 自治体や団体 などと連携 して地域博物館 として の意義 をもう一度見直 して もらお うと、様々な事業 を企画 し取 り組んで きた。わずか 3年 足 らずの 短い期 間ではあったが、 この間歴史資料館が これほ ど地域の人々と強 く関わ りを持 ち、 また愛 され ているか を感 じたことはなかった。筆者が、学芸員生活の多 くを過 ごして きた県立博物館 との大 き な違いであ り、驚 きで もあ り、 これ までにない喜びであった。 比企地域 には、市町村立博物館がないこともあ り、特 に調査事業が終了 したこの数年間は比企地 域 を意識 して活動 して きた。 こうした活動が奏功 して、わずかづつではあるが利用者 も増加 してい る。 しか しなが ら、埼玉県の博物館再編整備計画によ り、平成18年3月 末で歴 史資料館 は再編統合 さ れて規模 も縮小 されたが、その後の先行 きは不透明な部分 を含んでいる。利用者か らは現状での存 続 を求める声があったが、平成1 8 年4 月 か らはさきたま資料館 と統合 され、考古系博物館の枠組み のなかで 「埼玉県立嵐 山史跡の博物館」 として再スター ト切 った。 これによ り、 これ まで培 って き た地域博物館 としての取組の多 くが、基本的には新生博物館 に継承 されているが、職員等の削減か ら徐 々にそれ らは解消 される危惧がある。 小稿では、筆者が経験 した歴 史資料館 における事業の取組 を通 して、県立館 による地域博物館の 視点 を考えてみたい。 2

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-地域博物館 の視′点 2 歴 史資料館 を取巻 く地域環境 ( 1 ) 比 企 地域 の歴史環境 比 企 地域 は、埼 玉県 西部 にひろが る東松 山市 ・吉 見‖町・川 島町 ・鳩 山田] ・ と きが わ町 ・小 川町 ・ 嵐 山町 ・滑 川町 と東秩 父村 の 1 市 7 町 1 村 ( 平成1 8 年 2 月 1 日 現在) の 地域 である。 もともと東秩 父村 は秩 父郡 に属 し、 それ以外 は比 企郡 とい う行政 区分 であ るので、 この地域 を包括す る名称 と し て 「比企地域J と 呼 んでい る。 この地域 は、東松 山市以外 は町村 ばか りで、平成 の大合併 の動 きの なかで幾 多の合併 の話 が生 ま れて は壊 れ、結局合併 は都幾 川村 と玉川村 が合併 してで きた ` ときが わ町' の み で ある. 現 況 で は、 町村 が ひ しめ き分立 して いて ま とま りが ない よ うに も見えるが、歴 史的 には一つ の ま とま りを持 っ てい た。比企郡 は、かつ ての横 見刑` をあわせ た地域 で、古代 には東 山道が通 っていた場所 で、近年 吉 見町か らは遺構 の一部 が検 出 され てい る。 占代 の瓦窯九卜か らは国分寺 の郡名瓦が焼 かれ るな どし てい る。 中 山には、郡名か ら鎌倉幕府 の有力御家 人 ・比企能員一族 の出 自に関係す る ともいわれ、 畠山重忠 ・源 義 賢 ・源範 頼 らが館 を構 えるな ど してい る。一方 、慈 光寺 は平安 時代 に創建 された と 伝 え られ、源頼朝 らの信仰 を得 てい る。慈光寺 に伝 わ る国i t 「法+ 経 一品経J は 、頼朝 との関係 か ら摂 関家であ る九条家 ゆか りの 人々に よって書写 され本納 された といわれ、京 まで崇拝 を集 めてい た。比 企地域 には この他 に多 くの寺 院があ り、いずれの寺 院 も鎌 倉時代 の仏教美術 の優 │キ1 1 を今 に伝 えて い る. 戦 国時代 には、比企 1 1 陵のいたる ところに城が築かれ、戦略的要地 となっていた. こ の 地域 は、 F r 代か ら│ │ 「世にあ って は、 政 治的 ・社 会的 ・文化 的拠 点 としての歴 史環境 を有 してい るし ( 2 ) 地 域 連 携 埼 玉 県 内各 地 の市 町村 で幾 多 の連携 が行 われ て い る. 博 物 館 関係 で は、合 同企脚i 展 「葛 西 用 水 展J ( 2 0 0 1 ) に お け る鷲宮 町立郷 土資料館 ・春 日部市郷 土資料館 ・八潮市 立資料館 ・埼 玉 県立文書 館 ・葛 節j 区郷 土 と天文 の博物館、そ して合 同企画展 「人 間川再発 見 │ ― 身近 な川 の 自然 ・歴 史 ・文 化 を さ ぐって一」 ( 2 0 0 4 ) の川越市 立博物館 ・入 間 市博 物館 ・狭 山市立博 物館 ・飯 能 市郷 土館 ・名 栗村 教 育委 員会の共f l l 展な どが あげ られ る。残 念 なが ら、比企地域 には博物館施設が な く、 わずか に東松 山市 と古見 町 に埋 蔵文化財 セ ンターがあ るのみで、 博物館機能 は歴 史資料館 が 中心 的 な役割 を呆 た して きた ことが、 今回の拙稿 の契機 となってい る。 また、教育委 員会の文化財担 当者が集 まって地域 の文化財 を調査 して報告書 を刊 行 し、展示 に結 び付 けてい る ところ も埼 玉県 内で は見 られ る. 比 企 地域 で は、比企地 区文化財振興協議会が組織 されてい る。 同協議会 は、比 企地 区の市 町村教 育委 員会 の文化財担 当者 で組織 され てい る。研 究会や 見学 会のほか機 関誌 を発行す るな ど、活発 な 活動 を してい るが、 なかで も巡 I J 展は特 筆 され る事 業 であ るc 後 述 す るが 、「比 企の タイム カプセ

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地域博物館の視点 ル Jと 題 した展示 は、地域の文化財 を住民に知ってもらうとともに文化財保護の啓発 を目的 として いる。展示 には、歴 史資料館 も関わってお り、回を重ねて今年度で 7回 日とな り、地域に定着 した 展覧会 となっている。 この ように近年は、各地 において地域連携が広がってきてお り、博物館の呆たす役割 も増大 して きているといえる。 3 事 業展開 と取組 ここでは、歴史資料館が実施 して きた地元教育委員会や機関 ・団体 な ど、地域 との事業の収組 を 祝点に置 き、主な活動実例 を紹介 してお きたい。 (1)比 企のタイムカプセル (展示事業) 平成12(2000)年 か ら開始 された、比企地域 を対象 とした地域連携事業である。歴史資料館単独 で事業 を行 うのではな く、地元10市町村 と対等の立場で連携 して共催す る展覧会 として企画 された。 これは10市町村 (比企地区文化財振興協議会)が 中心 となって企画 された展示 に、歴史資料館が加 わって行われている。 内容は、比企地域の全市町村が参加 で きるように、共通のテーマの下、地元文化財を展示紹介 し て文化財保護事業の理解 と保護活動の啓発 を目的に毎年開催 されている。 これまでのテーマは、は にわ ・緑色の石のメッセージ ・土の器 ・比企のまつ りなどで行 われて きた。夏休みに入る 7月 20日 前後 にスター トして、10市町村 を 1∼ 2週 間の会期 として巡回 し、最後の会場 として10月下旬 に歴 史資料館 を会場 として11月末ない し12月初旬 まで開催 される。展示資料の選定 も各 市町村が リス ト ア ップ し、歴 史資料館 に資料 を持 ち寄って全員で協議 し決定、 さらに展示 レイアウ トを行って、パ ネル、キャプションの検討を行 っている。 ここでは、歴 史資料館 は展示の助 言や必要展示機材等の 提供 を行 う。殆 どの町村 は展示施設 を持 たないため、ケース内展示が出来ずに露出展示 となるため アクリルカバーやベース、 フェル ト、パ ネル、展示小道具 などを用意 している。展示内容が決 まる と、ポス ター・展示解説 リーフレッ トの作成 を分担 し、歴史資料館が とりまとめて印刷業者に依頼、費 用 も折 半 している。展示資料の各会場 間の搬出入 と展示は、歴 史資料館 と前後の会場 となる市町村 が担 当 して行 っている。 県立館が入ることで、 ともす ると市町村側が県立館 を頼 って しまいがち となる虞があるが、 この ように市町村 と県立館が同 じ立場 に立って事業が行われてお り、地域博物館 としての歴史資料館の 位置が明 らかであろう。 (2)比 企歴史の丘教室 (講座) この事業は、比企地域 を中心 に埼玉県の歴 史や文化 について年間のテーマ性 を持たせてほぼ毎月

(9)

地域博物館の視点 一l・l 第二金日程日に開催す る講座である。特 に最初の 3 回 は、郷 1 1 への理解 を深めて もらうため比企 地域のテーマに絞 っている。参加者は、比企地域が中心であるが、ほぼ全県か ら応募 されている. 毎回7 0 ∼1 0 0 名ほ どの参加が コンスタン トにある講座で、その半数以上 は常連の参加者である。多 くの博物館 で もみ られる傾向であると思 うが、いわゆるシルバー世代が受講者の大半を占める。筆 者 も勤務 して開催 目を何故、金曜 日にするのか とい う疑間があった. そ の理 由は、かつて土曜 日に 開催 したことがあったが、参加者が減 って しまった とい う. 生 涯学習時代 を表 して他の施設での講 座等への参加希望 もあ り、 また主婦の参加 も多 く上日程日は家族が在宅 しているので外出 しに くいな どの意見が寄せ られ、平 日の開講 を要望 されて再び金曜 日に戻 した とい う経緯 を聞いた。 さて、地域 をテーマ とするだけでは、当然であ り特筆す る事業ではないが、この講座 も県立館の 学芸員は もとよ り、比企地域 の市 R I 村教育委員会の文化財‖l 当者、地元で活動 している団体や個 人 ・研究者 などを講師に招いている。 しか も、講師はボランテ イアで謝金無 しでお願い している. 甘 えているといえばそれ までだが、地域博物館 としての歴史資料館の位置付 け と講座への理解があ ればこそ といえるのではないだろうか。地域で活動す る人が講師 とな り、地域への理解 を深め よう とす る参加者の思いが、歴史資料館 を 「場」 として集 う。 こうした地元の人たち と事業 をつ くる収 組 も、地域博物館本来の姿の一端 を表 しているといえるのではないだろうか. ( 3 ) 企 画展 「埼玉の戦国時代 城 」 とシンポジウム 「埼玉の戦国時代 検 証 。比企の城」 当館 は、比較的県の財政状況が良好 な平成 4 年 か ら6 年 にかけて企画展 を実施 していたが、その 後大 きな調査事業や予算の関係か ら開催 されてこなかった。 しか し、平成1 4 年か ら始 まった 「発掘 調査i 評価 ・指導委員会比企地域中世遺跡委員会J ( 以 ド、委員会) の 成果 を公開 したい と考えて 「埼 玉の戦同時代 城 」 ( 2 0 0 5 ) を開催す ることになったG 一般に、企画展 など通常予算で賄い きれない比較的大 きな事業は、前年度か ら予算要求をして措 置 しなければ開催 は難 しい。だが、 これ まで企画展 を開催 してお らず、緊急性があるもの以外の新 規 に予算要求 は認め られない とい う状況で、通常 予算 を遣 り繰 りしてF 7 1 0 催す る方向で準備が進め ら れた。その一方で、展示以外の シンポジウムなどの関連事業については、文化庁の芸術拠点形成事 業の助成 を中請 した. 結 果、助成が受け られることな り、事業の 予算面での不安 はな くなったc 展示 は、委員会の指導 により進め られた比企地域 における中 陛城館跡の最新発掘成果を紹介す る こととした。特 に松 山城 (吉見HJ^)・杉 山城 ( 嵐山町) ・小倉城 ( 玉川村) は 、発掘直後の出上品、 しか も未整理の状態で当然報告書 も出ていない とい う状況のなかでの展示であった。発掘担 当者 は、 通常報告書刊行以前に成果 を公表す ることを嫌 う向 きがあるが、最新の成果 を地元の人々に還元 ― 公表 したい との担当者の熱意によ り実現 し、接合な どしていない状態での展示であった。 まさに生 の資料のため、理解 されないか との危惧 もあったが、かえって迫力があるもの とな り、見学者のア

(10)

地域 博物館 の視点 ンケー トか らも好評 の結果 を得 るこ とがで きた。 シ ンポ ジウム を中心 と した関連事業 は、前述 の とお り芸術拠点形成事業の助成 を受 けたが、展示 以上 に地域博物館 と しての存在 を明確 にで きた。展示 で は、 「城」 として比企地域 を中心 としたが、 シ ンポ ジウムは 「比企 の城Jと 題 して地域 の城 にテーマ を絞 って行 った。 2日 間の参加者 は1000人 を超 え、 このテーマの関心 の高 さが感 じられた。 これ に関連 して 「城跡 見学 会Jを 行 った。歴 史資料館 と嵐 山町 。玉川村 と連携 して、菅谷城 ・杉 山城 ・小倉城 の三城 を、行政バ スな ど 3台 を利用 して見学会 を行 った。特 に杉 山城 と小倉城 は、交 通不便地 にあ る山城 のため、 なか なか個 人で は見学 しに くい城 である。 各城 には担 当者 を配置 し、 解説 を行 った。地元 に住みなが らこうした機会 を待 っていた住民の参加が多 く、 この見学会は地域 との連携 によ りに実施で きた事業である( : ( 4 ) 企 画展 「まほろばの里 。比企∼慈光寺 とその周辺∼」 この企画展 も、平成18(2006)年 1月 開催 を目標 に、予算化 されないまま企画 された。それは、 前項の 「埼玉戦国時代 城 J 開 催が予想以 L の反響があ り、 しか も歴史資料館 として も手 ごたえが あったことか ら、年度が明けて急遠、年度内に企画展 開催 を検討 した。その結果、中世 において宗 教 ・文化の拠点であった都幾川村 の慈光寺 を中心 としたテーマ とす ることとした。そ して歴 史的 ・ 文化的に密接 に関係 を持つ隣接する玉川村 を含めた中世の文化財 を通 じて、かつての ` まほろばの 里' を再認識 して もらうこととした。 この展示 も、当該地域の都幾川村 ・玉川村、両村教育委員会 の共催や地元観光協会 と商工会の協賛 を得て実施することがで きた。 また歴 史資料館が単独で開催 するような動 きを避けるため、展示資料の選定や所有者 との連絡調整、搬 出入等の立会い、キャプ ションや図録原稿 などの執筆への参加 など、両教育委員会文化財担 当者に も担当 して もらった。 こ うしたことが地域 をよく知る担 当者 をは じめ、村や教育委員会全体の意識 を醸成することがで きた と考えている。 慈光寺所蔵の国宝 「法華経一品経J の 寺保管分2 5 巻全巻公開や、重要文化財、県指定文化財、村 指定文化財 を中心 とした展示資料の内容や質 ・量 などか らなれば、当然県立博物館で開催 して しか るべ き展示である。だが、県立 博物館では、 これまで この うちの一部の資料が様 々な展覧会に展示 されたに過 ぎなかった。ちなみに比企地区をテーマに特別展 「比企」 ( 1 9 8 9 ) を開催 しているが、 これは溜池農業、民俗芸能、瓦窯関係資料 を中心 とした展示であった。 しか し、今 回の展示の趣 旨か らみて も、地元比企 に所在す る歴史資料館で開催 してこそ意義があ るもの といえる。地域 をテーマに、地域で開催する地域博物館の展示本来の姿である。 地域への取組 として、両村広報紙への展示や事業等 について 2ケ 月にわたって連載 を行い、広報 紙に展示パ ンフレッ トを挟み込んだことがあげ られる。 自治体の広報紙 は、全戸配布 されるため地 6

(11)

-地域 博物館 の視点 域住民が直接 手 にす る ものであ る。埼 玉県の広報紙 「彩 の国 だ よ りJ も 県民全 戸 配布 され るため、 こち らに も情報 を提 供 してい るが、情報過多 な うえに項 目の スペー スが小 さいため 目に入 らない可 能性 もあ り、両村 の広 報紙 利用 は有 効 であ った。住 民 の 関心 を喚起 させ る こ とが で き、 地域 の テー マ を扱 うための関心 もあろ うが、 これ まで以上 に歴 史資料館へ の来館 が 日立 って増加 した。 この ほか 「寄 り合い∼文化財 を とお した‖]‐お こ し∼J と 題 した シ ンポ ジウム を企画 した。歴 史資 料館 が 、地域 に何 が で きるか を考 えた場 合 に、展 示 も ^ つ の方法 で あ るが 、 陣物館 の特性 を生 か し て文化財 をキー ワー ドに町お こ しに活動 に資す るこ とがで きるので はないか と考 えた. こ の事業 は、 全 国各地で世界文化遺 産登録 の活動が盛 んであ るが、 当該地域 をみ る と歴 史的遺産、つ ま り文化財 を もとに町の活性化へ の起爆剤 となる こ とも地域 博物館 の役割 であ る と考 え企 画 した。地域 の持つ 問題 点 の発展 的解 決 の ため、必要 な提 言 を博 物館 か ら発信 し、地域 振 興へ 結 び付 け る こ とも地域博 物館 が果 た しうる機 能 で あ る。 ( 5 ) ア ンケー ト調査 にみ る来館者動 向 地域博物館 として、館 自体 と事業が来館 者 に受 け入れ られてい るか を検証す る手段 として、前 出 の企画展 「まほろばの里 ・比 / 1 N ∼慈 光寺 とその周辺∼J 会 期 中に来館者 ア ンケー ト調査 を行 った。 これ は ( 3 ) で あげた企画展 「埼 玉の戦 国時代 城 」 の調査項 目に、新 たに展示法 に関す る設 間 を加 えて行 った。 ア ンケー トで は多 くのデー タが得 られたが、本稿 と離 れ る内容 も含 まれてい るが、他 館 の活動 の参考 にな る と思 うので最小 限 に とどめ るが紹 介す る こ とと し、地域博 物 館 と して のあ り 方 に資す る結果 を中心 に述べ るc ア ンケー トの狙 い は、基本デー タと企画展 の認知度、企画展 に よる新規来館者 の掘 り起 こ し、地 域へ の未着度、展示評価 な どであ る。 会期 中人館 者6 , 8 2 5 人に対 して ア ンケー ト6 0 4 枚と、約 9 パ ー セ ン トの 回答 が あ り、前 回 3 パ ーセ ン トであ った こ とか らも、今回か な り精 度の高い結果が得 られた。 設 間 は、 問 い に対 して○ をつ け る方式 と し、 1 年 齢 、 2 男 女別 、 3 住 所 、 4 来 館 回数 、 5 誰 と来館 したか、 6 来 館 目的 、 7 認 知経 路 、 8 展 示 で紹介 した社 寺 ヘ の 認 知 度 、 9 展 示 の感 想 、1 0 解 説 パ ネル、1 1 印 象 に 残 った展 示 資料 、1 2 全 体 評 価 をあ げ た。 そ の ほ か 各設 間 と全体 で、 感想 や意 見 を 自由 に記 入 して もらう方式 と した。 ◇ 1 の年齢構成 【表 1 】 は、6 0 代以上が中心の3 1 パーセ ントで、来館者傾向をみても首肯できる結果である。 1 5 歳以 下 50ノ人 8 % 1 5 ∼ 1 2 人 2 % 1 9 歳 2 0 代 2 0 メ、 3 % 3 0 代 59メ、 :

表 1】年齢層

10%

(12)

県外 比企 埼玉 0 50 100 150 200 250

表2】居住地

地域博物館 の視点 しか し、20代は少ないが、ほぼ各年代バラン スが取れている。 ◇ 2の 回答の男女比は、5.8:4.2で、男性がや や多いが、全体の口1答傾向での男女差は、ほ ぼ変化がない。誰 と来館 したかという同伴者 を問う設間については、女性は単独 よりも家 族や友人 と来館する傾向が顕著であった くら いである。 ◇ 3の居住地 【表 2】 は、埼玉県内が87パーセ ントで、県外は関東一円が1 3 パーセントで、 1 人 香川県か らの来館があった。埼玉県内のうち、 地元比企地域は全体の3 0 パーセントに及び、地域の人々の利用が中心であることが確認された。 ◇ 4 の 来館回数 【表 3 】 は、初めてが4 3 パーセントで、今回の企画展が来館のきっかけになってい る。この企画展が、新規来館者の掘 り起こしにつながったことを示 している。一方で5 7 パーセン 卜が リピー ター という結果 もあ り、催 し物の有効性 とともに地域の人々の リピー ター となっていること が確認で きた。 ◇ 5 の 同伴者 【表 4 】 については、全体的には家族 と ともに来館 されるのが特徴的で、前述の とお り女性 は家族や友人 と来館するが、一方男性 は単独で来館 する傾向が顕著である。 この傾向は、博物館 に限 ら ず 日常行動 にもみ られるもので、予想 された傾向で ある。 ◇ 6 の 来館 目的 【表 5 】 は、今回の企画展が6 5 パーセ ン トと最多であるが、次いで観光が11パーセ ン トで、 余H 限等 をあわせて1 9 パーセ ン トが企画展 を知 らずに 来館 されたことが分かる。つ ま り5 人 に 1 人 は偶然 に来館 して企画展 を見学 したことにな り、次の設問 にも関連す るが広報が │ ^ 分に行 きわたっていなかっ たのか、残念 なが ら今回の調査結果か らは判然 とし ない。 ◇ 7 の 認知経路 【表 6 】 は、広報 をどこか ら得ている か、今後 どのような広報手段が有効かを知ろうとし

表 3】来館回数

表41誰 と来館したか

(13)

地域博 物館 の視点 た。 回答 数で最 も多いの はポ ス ターであ るが 、それ以外 の媒体 もわずか数 ポ イ ン ト差 で あ り、大 き な 差 は 無 い。 つ ま り 様 々な経路 か ら情 報 が得 られ てお り、 あ る程度講 じた広報手段 は奏功 した ともい える。全 般 に埼 玉県 が毎 月 1回 発行 し、 新 間 の折 込 な どを通 じて令戸 配布 してい る 「彩 の │■lだよ りJが 全 般 的 に効 果 が あ る こ とが わか るっ また、女性 で特徴 が顕 著 なの は、伝 聞 (回コ ミ)に よる ものが 男性 に比 べ て突 出 してい る. また、前 述 の とお り来館 して女Πった、 あ るい は企画 を知 らなか ったが 18パーセ ン トで あ るの は、広 報 が 行 きわ た らな か った ともい えるが、単 に企画展 が 来館 の きっか けで はないだけで資料館利用ヘ の意識が あった こ とともいえ、 む しろ喜 ば しい こ とか も知 れず、別 な形 の調 査が 必 要 であ るこ とを痛感 した。 さ らに今 回展示 の中′ιヽ資料 が所 在す る 都幾 川村 と玉川村 の両村 の広 報紙 に、 開 催 前 2同 にわた って連載 記事 を掲 載 して も らったの しか し、実 際 に両村 か らの来 館 者 は多 か った に もかか わ らず 、 認知 度 はわずか 5パ ーセ ン トであった.両 村 か らの来館者 では15パーセ ン トが 見た こ と にな り、村 内全戸配布 とい うこ とで両村 民 の認知 度 はか な り得 られ、地域 との連 携 として有効 な手段 であ った。 今 回顕 蕃 だ った認 知手段 と して あげ ら れ るの は、男性 の インター ネ ッ トに よる 認 知 が、彩 の国 だ よ りと同割 合 であ った。 ― ― ― │ 0 50 100 150 200 250 300 350 400 450

表 5】 来館目的

60 80 100 120

表 6】 認知経路

0 50 100 150 展示 講座 団体 学校 余暇 観光 │ そ の他

ポ スター リー フ 彩の国だよリ 村広報誌 雑誌 1丁・HP 伝 聞 来館 不知 その他 慈光寺 霊 山院 萩 日吉 多武峯 龍福寺 円通寺 東光寺 光 明寺 小倉城 不知 131 1 7 1 1 1 1 1 1 1 1 1 5 1 1 ■■│ 151 168 33

表 7】 知っている社寺

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地域博物館の視点 時代 を反映 しているといえ、広報手段 として主力 にな りつつあることを示 している。 ◇ 8 社 寺認知度 【表 7 】 は、展示で対象 とした地域の 社寺や史跡について、 どの程度認知されているか知ろ うとした。中心 となる慈光寺は、68パーセントと最多 であったが、比企に住んでいる人でも知 らない人がい た 。 ◇ 9 展 示感想 【表 8 】 では、9 4 パーセントか ら好評を 得た。つまらない、難 しいは 6パ ーセントで、特に女

表8】展示の感想

性か らはキャプションの漢字全てにルビを つけてほ しい との意見が多 く、他 に社寺の 案内地図が欲 しいなどである。 また展示ス ペースの関係か ら国宝の慈光寺経は傾斜台 を使 って上 下2 段 に展示 したが、 L 段 が見 難い との意見 もあった。 ◇1 0 解 説パネル等 【表 9 】 では、見やすい、 分 か りやす い をあわせ て9 4 パーセ ン トで あった一方で、見に くい と分か りに くいは、 感想 と同様 に漢字全てにルビをつけるべ き、 資料保護か ら照度 を落 としたことによ り解 説が見えに くかった、 とい う意見であった。 今回の展示では、解説パ ネルをガラス全面 に掲 出 した り、キャプシ ョンをA4版 に大 型化 した り、指定の色分けや見出 し (リー ド) →資料名称→資料解説 とい う工夫 な ど の改善 を試み、多 くはその効果が検証で き たが、 一部の見学者 には照度の調整 により 効果が薄 らいだことは残念であった。 ◇1 1 印 象に残 った展示資料 【表1 0 】では、 中心 となる国宝の慈光寺経が最多 と予想 し ていたが、龍福寺の阿弥陀如来像が多かっ た。 これは展示構成上、見学者の印象 に残 350 見易 い 分 り易 い 見難 い 分 り難 い

表 91解 説パネル等の見易さ

3101 龍福寺 聖僧文殊 宝冠 仏手 鉄仏 銅造 頭部 法華経 大般若 絵巻 古文書 蔵骨器 密教法具 鰐 口 小倉城 多武峯 流鏑馬 その他

表10】印象に残つた展示資料

1 0

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-地域博物館の視点 りやすい ように最初の展示室 l f 面に配置 した効果 と、初公開の見出 しが効いた ものか と思われるc すなわち資料の質 より展示演出によって、展示資料の印象が左右 される傾向にあるとみ られる. ◇1 2 満 足度 【表1 1 】は、9 9 パーセ ン トは満足で、 1 パ ーセ ン トの不満 は、慈光寺経が見難かった と、夫 について きたため関心がな くつ まらなかった、などである。 ◇13 全 体の感想では、紙数の関係か ら列挙で きないが、満足度を反映 した内容で、要約す ると企山i展の継続要望 と地元にあって も普段 見ることがで きない資料 に接 した感動が多 く 記 されている。博物館再編が間近 に迫 ってい ることもあ り、地域か ら博物館が消 える、 ま たはこうした事業がな くなるのではないか と い う危惧 した意見が多数 を占め、地域博物館 としての歴史資料館の活動が、認め られたこ とが検証で きた と考 えている。 (6)ロ ビー展示 歴史資料館では、常設展示 とは別に、エ ン トランスロビーを利用 して 「ロビー展示Jを 実施 して いる。 ロビー展示は、 もと受付があった場所で、受付が展示館内に移動 したため、空いたスペース を利用 して行 っているcこ の展示 は、 ロビー とい う無料空間を利用 して行 ってお り、休憩や トイレ 利用:などの利用者 も自由に見学で きる。 ここでは、 1回 の会期 を lヵ 月半程度 として、年間 7回 ほ どの展示 を行っている。歴 史資料館の設立理念や常設展示 にとらわれることな く、 自由なテーマで 開催 している ミニj/1N口i展である。比較的固まった常設展示に対 して、展示の固定化観 を避 ける狙い もある。 筆者が担当 して 3年 であるが、 この間近世の洪水や飢饉な どの災害碑 を調査 して拓本 を採収 して いる小川町の郷 ll史研究家の協力 を得て、拓本 を中心 に地域 の災害の歴史を紹介 した.見 学者か ら は 「碑 は知 っていたが こうい うことが刻 まれていたのか」や 「家の近 くで洪水があったのを知 らな かったJな どの反響 を得たc地 域のことは地域の人に聞 くのが最良で、地道な活動であるが新たな 地域 史の掘 り起 こしともなった。 また、地元嵐山町にある俳句結社 「堅香 千Jは 、折 々に当館の常設展示の歳時記 コーナーや菅谷 館跡 を詠んだ句会を催 している。 単なる俳句では当館 との関わ りは全 くないが、展示や館跡 を詠ん だ もの もあ り、そ うした接点か ら同人の句 を展示す ることとした。同人 も機関誌 な どの紙 画を通 じ ての発表は 日常行われているが、展示 とい う形態での経験 は少な く、当館 との思惑 と合致 した。 こ ■■1溝足■│ ■■433人■│ │││175%│││

表111展 示総合表価 (満足度)

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地域博物館の視点 の展示か ら、 これ まで当館 に足 を運んだことがなかった人々が、同人の句 を見学がて ら常設展示 も 見学するとい う効果 をもた らした。 同様 に東松 山市 を中心 に史跡め ぐりを行いなが ら郷土の歴史の見聞を広めている 「ふるさと探訪 の会」 との共催 も行った。同会 は、会員の写真家が探訪の記録 として撮影 を続けてお り、 ビジュア ル的にも優 れた ものである。そ こで、同会が訪ねた身近な歴史 と文化財の記録 を展示紹介 した。 さ らに同会 と、次項で紹介する当館 も加盟 している 「彩 の国 。文化の森連絡協議会J 会 員である(財) 原爆の図丸木美術館の共催 を得、 日本画家 。丸木位里 。俊夫妻が描いた長野県松本市の寺院の襖絵 を紹介す る展示 を行った。 これは非公開の襖絵 を、同会が住職の好意で見学 して撮影する機会を得、 地元 にゆか りのある作家の作品を紹介で きないか との希望が当館 に寄せ られたことに始 まる。当館 として も遠方で しか も非公開のため知 る人が少ないこともあ り、そのような作品を紹介することも 意味あることと考えた。 しか も近隣に丸木美術館が所在 し、前出協議会員で もあることか ら、かね てか ら同協議会員間で何か連携事業がで きないか と考えていた折で もあ り、同作品の関連資料の展 示 も合わせてで きれば意義深い展示 となる。そこで、三者共催 を打診 し、快諾 を得たことか ら開催 となった。探訪の会か らは写真 を、美術館か らは丸木夫妻の関連資料の出品をいただ くことがで き、 しか も会期中、美術館では襖絵の数面 を借用展示することがで き、相乗効果で来館者増 につながっ た。 通常 な ら当館 とは接点 を持たない団体 も、 この ようなフレキ シブルな展示 を媒介 として地域 の文化 活動の ^ 端に関わった。 このほか、嵐 山町教育委員会 と共催で、 自治体史の一環で調査 し刊行 した 「嵐山の博物誌 ア ニ マ リアJの 成果 を提供 して もらい、歴 史資料館周辺や嵐山町周辺に生息する昆虫を写真 と標本で紹 介 している。夏休みの 自由研究の参考 になるように、夏休み期間に開催す るようにしてお り、 子供 や保護者か ら好評 を得ているため毎年実施 している。人文系博物館ではあるが、館の所在する地域 の 自然環境 を知 る Lか らも、 こうした 自然系の展示の取組 も重要であるc ( 7 ) 彩 の国 。文化の森連絡協議会 埼玉県 には、埼玉県博物館連絡協議会 とい う県内の公私立の博物館 ・美術館等の加盟機 関がある。 それ とは別に、博物館施設だけでな く比企地域 を中心 とした文化施設の連絡機関 「彩の国 。文化の 森連絡協議会J が 組織 されている。 これは埼玉県西部 ・北部地域内の学術 ・文化等の関係施設が相 互に連携 を図 り、広域的な広報活動や研修会の開催、来館者増 とその便宜 を図ることを目的 として いる。加盟館 は、運営や活動形態が異 なる施設が連携するもので、研修会のほか、現在の ところ地 域的に接近 していることか ら手始めに施設 をまわるス タンプラリーを行っている。歴史資料館 とし ては、前述のロビー展示の共催 を行ったほか、共催事業の計画 を持 っている。今後地域 博物館 とし ―-12-―

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地域 博物館 の視点 て 博物館 以外 の文化施設 との連携 を模索 してい る ところであ り、今年度実現 で きそ うであ る. 4 結 語― 地域博物館 の視 点一 地域博物館 の ひ とつ の事例 として、埼 玉県立歴 史資料館 にお ける事業 の取組 を紹 介 して きた。 こ の事例 を通 して、私 な りの地域 博物館 の視 点 をま とめてみたい. 博 物館 学 で は従来か ら、 第一世代 ・第二世代 ・第二世代、 または地域志 向型 。中央志 向型 ・観 光 志 向型、 あ るいは地域社 会型 ・観光型 ・研 究型 な ど博物館 を 3つ の類型 に当て はめ、地域博物館論 につ い て述べ られて きたcま た近年 は第四世代、矢目的 リク リエー シ ョン志 向型 とい う考 え方 も提 案 されて い る。 第二世代 の利用者が成長 して 博物館 活動 に参画 し、 ボ ラ ンテ ィアや他 の施設や地域 、 学校 との連携 をはか り、楽 しみ なが ら利 用す る段 階 に きてい る とい う もので あ る.第 1項 で も触 れ た よ うに、 これ らの分類 は傾聴すべ き論 であ り、小生 も否定す る ものではない。 特 に伊 藤寿朗 の第二世代 と三つ の類 型 に分類 され た地域博 物 館論 は、 い まだ にI ■きは失 って はお らず、地域博物館定義 の指標 となってい る。 しか し、伊藤 自身 も認識 してい る とお り発展論 におい て現代 は第二世代 (第四世代)の 博物館 とい うが、多 くの博物館 は第 ^世代 か らのすべ て を備 えて い るのであ り、 さらに博物館 の形式 をあ えて三つ あ るい は四つ の類型 に当てはめ る必 要 はない と思 う。 多 かれ少 なか れ、 そ れぞ れすべ ての性 格 を有 してい る場 合 が多 いので あ る.こ れ は、小生 を含 め現場 の多 くの学芸 員の偽 らざる意 見で はないだ ろ うか。 さて、 こ う した地域博物館 の発展論 や形式論 は と りあ えず置 いておいて、現代 の博物館 は事業 中 心 、 しか も体験 学習偏重 の傾 向が強 いの は確 かであ るcこ うした こ とが第 四 1時代 とい われ る所 以 で あ るが、実 は地域 博物館 は多様 な面 を持 ってい るので あ り、 地域博 物館 の定型 はない とい わ ざる を 得 ないので あ る。 前項 で紹 介 した歴 史資料館 の収 組 か ら、 あ えて地域博 物館像 を語 れ とす れ ば、 次 の よ うにな ろ う かっ 地域 博物館 は、地域 の資料 を中心 として、地域 の人や団体、 自治体 と連携 した博物館活動 を行 い、地域 の課題 に取 り組 む こ とにある。 そ して地域 博物館 に人が集 ま り、地域 の 人たちに利用 して もらい、地域 の歴 史や文化 を学 び、 ここか ら様 々な情 報 を発信 す る.こ う した活動 が地域 に寄 与す る こ とにな り、地域博物館 の存在意義が高 まる と言 えるので はないだ ろ うか。 (埼玉県 立歴 史 と民俗 の博 物館 主任 学芸 員) (1) 註 伊藤寿朗 「地域博 物館 論 ―現代博物館 の課題 と展 望― J『現代社会の課題 と展望』 1986 明 石吉店 ほか 中野知幸 「地域1 専物館論 の考 察」 『同學 院大學博 物館学紀要』 第2 8 f i 2 0 0 4 國 學 院大學博物館学 (2)

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地 域 博 物 館 の視 点 研 究室 (3)加 藤有次 「 Ⅱ 地 域社 会 と博物館J『新版博物館学講座 3 現 代博物館論―現状 と課題― 』 2000 雄 山閣 (4)加 藤有次 ほか 『秋 │口県立綜合博物館設立構 想』 1972 秋 田県 (5)『 県立博物館施設再編整備 実施 計画策定報告書』 2004 (6)東 秩 父村 は秩 父郡 に属 してい るが、近年 は生活圏が隣接 す る小 川町な ど比企郡 に拠 っている。その ため近年 は、行政面等 か らも比企郡の管轄 に組み入 れ られているので、比 企地 区あるいは比企地域 と総称 してい るc (7)平 成18年 2月 1日 合併 (8)東 松 山市 と吉 見 町の理 蔵 文化財 セ ンター以外 は、 図書館、公民館、 コ ミュニテ ィーセ ンター な どの 講座室等 を使用 してい る。 (9)杉 山 ・栗 岡員理子 「企画展示 と事業展 開∼企画展 「埼 玉 の戦 国時代 城 Jと シ ンポ ジウム 「埼 玉の 戦 国時代 検 証 比 企 の城」∼J『研 究紀要』 第277 2005 埼 玉県立歴 史資料館 (10)高 橋信裕 「生涯学習時代 にお ける博物館 の役害1∼最近の動 向 を中心 として∼」 (埼玉県博物館連絡 協議会後期研 究 レジュ メか ら)1999

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-14-野外博物館 の歴史

― 我が国に 「野外博物館」を初めて紹介した南方熊楠の野外博物館について 一

The Histry of Open Air h/1useum

― about Kumagusu Ⅳ Iinakatゴs Open Air Ⅳ Iuseum which introduced

an Open Air h/1useum to our country for the first tiine― ―

落 合 知 子

OCHIAI Tomoko

は じめ に 野外博物館 の唱矢 は北 欧の スウェーデ ンに見 られ る もので、その後 も北 欧 を中心 として欧米諸 国 に発展 を遂 げた ものであ る. 北 欧の野タト博物館誕生 の要 因は、1 9 世紀 の産業 革命 に よ り伝統 的民俗 文化 の減少 を招 き、それ に対す る危機 感か ら保存活用 に取 り組 んだ ものであ った。 同様 に我が 国 に お いて も戦後 の農地改革 ・高度成長 に よる開発 に よ り、伝統 的建築物 が取 り壊 されてい くこ とに対 す る焦燥 感 か らの保 存意識 が大 きな要 因 となった ものであ るc 我 が 国の野外 博物館 の設立 は、 昭和3 1 年 ( 1 9 5 6 ) 日本民 家集 落博 物館 の誕 生 を もってその始 ま り と して扱 われ るが、野タト博物館構想 はす で に昭和 1 4 年 ( 1 9 3 9 ) に渋沢敬三 に よって東京府北 多摩郡 保 谷市 に建設 された民族学会 附属民族学博物館 の開館 時 に見 られ る ものであ った。実際 に武蔵野民 家 と絵 馬 堂 の移築 が行 われ てい た こ とか らも、 そ れ は野外 博物館 的概 念 と して 見 な され る もので あ り、 野外博物館 誕生 の一つ の歴 史 と して意義深 い もの と考 え られ る。 本稿 は、南方熊楠 が神 社 の神林 こそが 野外博物館 であ る と提 唱 した社叢 、我 が 国の代表的 な野外 陣物館 であ る 日本民 家集落 陣物館 と川崎 市立 日本民 家 園、野外博 物館 の唱 矢 と考 え られ る民族学博 物 館 を事例 として考察す る ものであ る。 また、 海外 の野外博物館 としては我 が国の野外 陣物館 は言 うまで もな く、 l U 界の野外 陣物館 の発 展 に大 きな影響 を及 ぼ した スカ ンセ ンを例 に とって考 察す る もので あ る。 日本 の野外博物館 1 . 社 叢 我 が l I I で「野外 博物 館」 とい う言葉 をは じめて使 用 し紹 介 した の は南 方熊楠 で あ る. 熊 柿 が説 い た野外 博物館 とは神社 の神林 であった。 天然物 は神社 と別 な り、相 当に別 方法 を もって保存すべ しといわんか. そ は金銭 あ り余 れ る 米 国 な どで初 め て行 なわ るるべ きこ とにて、実 は前述 ご と く欧米 人のいづ れ も、 わが邦が 手軽

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野外 博物館 の歴 史 く神社 に よって何 の費用 な しに従 来珍草奇木異様 の諸生物 を保 存 じ来 たれ るを羨 む もの な り。 近 く英 国に も、友人バサー博士 ら、 人民 を して土地 に安着せ しめん とな らば、その土地 の事歴 と天産物 に通暁せ しむるを要す とて、野タト博物館 を諸地方 に設 くるの企てあ りと聞 く。 この人 明治二 十七年 ころ 日本 に来 た り、 わが国の神池神 林が非常 に天産物 の保存 に益 あ るを称揚 しお りたれ ば、名 は大層 なが ら野外 博物館 とは実 は本邦 の神林神池 の二 の舞 な らん。 ( 中略) わ が 国の神社、神林、池泉 は、人民 の心 を清澄 に し、 国恩 のあ りが た きと、 日本人 は終始 日本人 と して楽 しんで世界 に立つべ き由来あ るを、いか なる無学無筆 の輩 にまで も円悟徹底せ しむる結 構 至極 の秘 密儀軌 た るにあ らずや。加之、人民 を融和せ しめ、社交 を助 け、勝 景 を保存 し、 史 蹟 を重 んぜ しめ、天然 記念物 を保護す る等、無類無数の大功 あ り。 これ は1 9 1 2 年 ( 明治4 5 年 2 月 9 日 ) に 自井光太郎 に宛 てた書簡 であ り、 同年 の神社合 併反対 意見 の 中 に も同様 の記載が見 られ る ものであ る。 熊楠が考 えていた野外 博物館 とはまさに神社 の神林であ り、社叢 こそが我が国における広義の野 外博物館 の疇矢 と見なせ る ものであろう.神 社 はその地域住民の拠 りどころであったので、神社が 廃社 となれば、民俗学的に も宗教学的にも失 うものが多い。外 国の ように野外博物館 を設けて寸1地 の来歴、風土等 を継承 させた ように、神社 は我が国の野外博物館であ り、人々の生活すべてが凝縮 している神林 を保存 しなければな らないことを説いた ものである。神社合祀反対 によって生涯 をか けて神林の保存 を訴えた熊楠は、外国文化 に実際かかわって きた経験か ら我が国の伝統文化が国民 教育にとって も重要な ものであると実感 していたのである。 熊楠の書簡の中に見 られるバサー博士が 日本 に訪れたのは1894年 (IIn治27)頃 とされているが、 その時期熊楠 はロ ン ドンに留学中であったので、両者 における日本での接点は見 られない。来 日し た時点でバサー博士 は1891年 (明治24)に 開館 したスカンセ ンをすでに見ていたのか、あるいは日 本か ら帰国 した後 に見た ものかは定かではないが、英国にも同様の野外博物館が必要であるとの設 立構想 を立てていたことは確実である。 (その後英国では1938年にマ ン島に初の野外博物館が建設 されている。)日 本で見た神社 の社叢が野外 博物館 としての役割 を果た していることに注 目し、そ の環境 を羨み、そ してその保存 を英国に帰国 してか ら熊楠 に促 しているのである。熊楠 自身が1892 年 (明治25)∼1901年 (明治34)に かけてロン ドン留学 中に野外博物館 を実際に見た とい う記録 は な く、「野タト博物館」の語 は留学中に友人であったバサー博士か ら得 た知識 によるものであると考 えられる。バサー博士 はスカンセ ンを見学 してお り、その影響 を強 く受けていると考え られること か ら、熊楠の使用 した 「野外博物館Jと い う語 も、 まさにスカンセ ンを意味す るものであったこと が理解で きよう。 したがって、博物館学的な観点における我が国の野外博物館構想の最初 は南方│〔 楠が使用 した 「野外 博物館Jで あることを提唱するものである。 しか し、熊楠 自身の 目的は 「野外博物館」ではな く、あ くまで も神社 ・社叢 を守ることであった -16-―

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野外博 物館 の歴 史 こ とか ら、我 が国の野タト博物館 の設立 は渋沢敬 三 らの活動 を待つ こ とになった. そ れ以上 に、我 が 国 に 「野外博 物 館J と い う語 、 「野外博 物館」 とい う概 念 を紹 介 した こ とと、社叢 を野外博 物館 と 見立 てた こ との意義 は大 きいc つ ま り民俗 学 ・宗教 学 ・生物 学 ・植物 学 等 あ らゆ る分 野 の総 合 的学 問の研 究対 象 とな り得 る社 叢 は、現代 の野外 博物館 、換 言す れ ば郷 i l の集約 で あ る こ とを明治4 5 年 に論 じた こ とは、野外博物館 の歴 史 L 重 要 な ものであろ うc 我 が 国の 自然 は熊楠 の生涯 をか けた運動 の成果 に よ り残 され た もの も少 な くないc 白 井光 太郎 は 「神社境 内の樹 木 の保 護 に就 てJ の 中で次 の よ うに述べ てい る. ( 前略) 老 樹 巨木 といふ もの は神 社 建 設 の年代 、崇敬 の程 度 を示 し、 「l 其■1 地に能 く適営す る樹 木の種 類 を示す もので、其庭 の 史蹟 名勝 天然 記念物 で、 三度 と出来ぬ貴重 の もので、其神 社 の来歴 、村 落 の新 古 を語 る もの で、百年経 てば又 出来 る といお、は偏 りで あ る。 ( 中略) 社 と 云 ふ は天神 地祇土地 の神五穀 の神 生産の神 を祭 る場庭 で、社木 と云つて本 を神社 と した もので あ る. 即 ち ひ もろ ぎで あ る。上 占大■1 など云ふ ものの無 い時代 には、御宮 といふ もの は全 く無 い、其 時代 には樹 木の森 を神社 と した もので、高葉集 には神社 と書 いて も りと読 ませ てあ る。 また、 「史蹟 名勝天然記念物 の保存 に就 てJ の 中 に次 の如 く述べ てい る. ( 前略) 又 我 国 の驚 くべ き天然記念物 、驚 くべ き風 景 は、帝 に學術 上 に神益 を典 あ、るのみ な らず我風 土 の秀麗、大産の優 越 なる こ とを直接 に矢Π覚せ しむ る もので、 `1 4 生之 を耳 目す るに よ りて、不知不識 の間に愛郷愛 國の観念 を養成す るに典つ て大 に力 あ る ものたるは、論 を侯 たぬ 事 で、従 つ て無 暗 に破 壊 すべ き物 で ない事 も、論 を倹 た ない事 であ ります。 ( 中略) 樹 といあ、 もの は、 史蹟 と天然記念物 を兼 ねた もので、社叢即 ち神社 には、 史蹟、 名勝 、天然記 念物 の、 三者 を兼備 した ものが多数 にあ ります.(中 略) 次 に保存すべ きは社 叢 であ る、社叢 とは村 落 々々に有 る所 の、神明 を奉T E する神聖 な土地 で あつ て。社 地 には必 ず社 木 と云つ て、本 を植へ た ものである。社 は二十 五戸 を社 と云お、事 もあ つ て、社 が集つ て社 曾 を成す ので、今 日使用す る社 含 といふ語 も、此社叢即神社 か ら起つ た も の で、東洋 で は、人民 の集 る所 には、必 ず社 が あつ た もので あ る。 (中略)日 本 には依然 と し て建回以来の社叢、即 ち神社が、村 落 に保存せ られて、驚 く口∫き巨木老樹 が、到 る虎 に蕃茂 し て居 るは、 高国 に比類 の無い もので、国粋 の最 なる ものであ るc 殊 に松 柏科植物 の豊富 なる事 は、我 回の欧米 に優越 す る特粘 であつ て、外 国 人の驚歎す る事 であ る。 農科大学教授 であ り、 史蹟 名勝天然記 念物保 存協 合の評議 員であ った 自井が述べ てい る ように、 社叢 は人 々の集 まる拠 り所 であ り、愛 国心 を育 む場 であ るこ とを指摘 し、欧米諸 国 と対比 させ なが ら、社叢保存 の重要性 を強調 した ものであ った. こ れ は まさに三年 前に南方熊楠 か ら届 いた吉簡 の 影響 を強 く受 けた もので あ る こ とは言 うまで もない こ とであ ろ う。 また、黒板勝美 は 「史蹟遺物保存 に関す る研 究 の概 説J の 中で国家 と して保存すべ き史蹟 や遺物

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野タト博物館の歴史 の範囲を限定 している。 第二類 祭 祀宗教 に関するもの これは申す迄 もな く神社が第一、佛寺が第二です。次 に楔板の奮趾、邊舞所の趾、是等は信 仰風教の上か ら特 に保存 を願 ひたいのであ ります。是 については内務省令の神社併合 はこの保 存の精神 に背反 した ものであることを一言附け加へて置 きます。 黒板 は史蹟保存の立場か ら神社の保存 を述べているが、神社合祀 については白井 と同様 に批判的 であった。 この ように後 に博物館学 と繋が りを持つ ことになる人物が社叢の重要性 を論 じた もので あった。 2 . 日 本民族学会附属民族学博物館 我が国に民家園の考えが入 って きたのは1 9 2 0 年代∼1 9 3 0 年代 にかけてであるが、それは渋沢敬三、 今和次郎たちが海外の野外博物館 を見学 して感銘 を受けたことによるところが大 きい。渋沢 は大正 1 1 年∼1 4 年にかけて横浜正金銀行 ロン ドン支店に勤務の合間に、スカンセ ン民族博物館 をは じめ と してオスロー野タト博物館、その他 コペ ンハーゲ ン人類学博物館、 ウイー ン美術 史博物館、 ロン ドン ナシ ョナルギ ャラリー、大英博物館、 自然博物館、 ヴィク トリアン ドアルバー ト博物館 などを見学 し、我が国にもこのような大規模 な民俗園の実現 を強 く念願 したのであった。昭和3 4 年1 1 月2 9 日付 けの朝 日新聞 「きの うきよう」 にスカンセ ンやグリー ンビレッジを紹介 したあ とで 「わが国にも一 つ立派な野外博物館がほ しい。東京保谷、大阪豊中、上呂等その他各地 に既 にその芽ばえを見せて いる。」 と述べている。 しか しその実現が困難 なことか ら、小規模 で も可能な範囲で直実 にその計 画を進めたのである。 日本民族学会附属研究所 拓 嘉一郎氏 ( 屋根裏の博物館 から転載) 渋沢は大学一年の頃、東京高等 師範学校附属小学校以来の同窓生 と三田の渋沢邸内に屋根裏 を利用 したアチ ック ・ミュージアムをつ くり、植物標本や動物標本、化石 などを持 ち寄 って陳列 を始めたの は周知の如 くであるが、渋沢の博 物館 に対す る理念は小学校時代 に おける同校附属教育博物館主事 を 兼務 していた棚橋源太郎か らの博 物館教育が大 きく影響 した もの と みてよいであろう。 ―-18-―

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野外博物館 の歴 史 アチ ック ・ミュー ジアムの収集資料 の増大 に伴 い、昭和 1 2 年 ( 1 9 3 7 ) に アチ ック同人の高橋 文太 郎 の協 力 に よ り東京 府 北 多摩 郡保 谷 町 に約 1 万 坪 の土 地 を得 て、 2 階 建 て1 2 5 坪の研 究所 と事 務所 が建設 された。 ここにアチ ック ・ミュー ジアムの収蔵民具 の ・部 が移 され、1 0 月に 「1 本民族学 会 に 寄贈 され た。 昭和 1 4 年 ( 1 9 3 9 ) に はアチ ック ・ミュー ジアムの収蔵民具がすべ て 日本民族学 会附属 博 物 館 に移 管 され、博 物 館 が 開館 した。 しか し昭和 1 7 年 ( 1 9 4 2 ) に官 憲 の圧 力 に よ リアチ ック ・ ミュー ジアムの改名 を迫 られ、 「日本常民 文化研 究所」 と改 めた。 その後 昭和26年 (1951)の博物 館 法 の施行 に よ り、 登録 博物館 とな り、昭和3 7 年 ( 1 9 6 2 ) 文部省 史料館民具収蔵庫 の完成 に伴 い、 民 族学協 会 は アチ ック関係 資料 を国 に寄贈 した。昭和5 2 年 ( 1 9 7 7 ) 目立民族学博物館完成 と共 に、 アチ ック資料 はそ こに移管 され今 日に至 ってい る。 高橋 は保谷 町 に 日本民族学 会附属博物館 が建設 され るに伴 い、 博物館 としての既成事 実 を積 み上 げ るた め に野タト展 覧 の整備 を進 め、今和 次郎 にその指導 を仰 ぎ 「Ga r d e n P l a n n i n g 」の本H談 と、高 橋 の所有す る民家の復元 と移築調査 を依頼 したのであった. 昭 和 1 3 年 ( 1 9 3 8 ) に移築復元 可1 事が竣 工 され、武蔵野民家 は 日本初 の野外展示 である 「オープ ングラウ ン ドミュー ジアム」 の第 1号 展 示 物 とな った。 そ の後、今和 次郎 の設計 に よ り絵馬堂 も建設 され、昭和 1 4 年 ( 1 9 3 9 ) に 「日本民族学 会 附属 民族 学博物館」 として開館 されたのであ る 。 武蔵野民家 楕 嘉一郎氏 ( 屋根裏の博物館 から転載) 絵馬堂 栴 嘉一郎氏 ( 屋根裏の博物館 から転載) また、 この時期 に昭和 1 5 年の皇紀2 6 0 0 年記念事業 の一環 として政府 内部 において民族学博物館 の 建 設 を推 進 すべ く、渋沢 は白鳥庫吉、石黒忠篤 とともに建設運動 を進 めていた. そ の構想 には民家 同、 つ ま り野外展観が大 き く加 わってお り、今和次郎 に よって鳥跛図 も作 成 されていた。結果 的 に この計 画 は、渋沢 と黒板勝美 ら皇 国史観 的歴 史学者 との方法論 L の 相違 と、戦争 の切迫 に よ り実現 しなか った。 しか し、 日本民族学 会附属民族学博物館 は 日本 で初 めての民衆 の生活 を扱 い、 日本民 族 博物館 の 目的であ った野タト展 覧の構 想 も部分 的 に実現 した ものであ った。 この皇紀三千 六 百年記念 「日本民族博物館設立建議案 博 物館 ノ ロ的 トソ ノ運営」 の なかで、野 外 展示 の項 目を設 けて次 の如 く記 されてい る 。

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野外展観 一、地方色 アル民屋右干 ヲ建設 スル事 東北 、 関東、 関西、其他 島 中 ヨリ若干 ヲ 選定 スル コ ト ー、其一部ニハ民具其他 ヲ展観 スル コ ト ー、都会家屋 ニモ留意 シ意義 アルモ ノハ之 ヲ取 扱 フ コ ト ー、次 ノ如 キ特殊 関係 ノ家屋、共他 ヲ考慮スル コ ト 1、 家屋 形態 ヲ トル別 陳類 納屋 、 倉、釜屋 、機屋 、氷 室、 鶏小屋 、 薪 小 屋 、水 屋 、船 小 屋 (牛馬 其 他 )、網 小 屋 、使 所 (娘1)、見張 小 屋 (魚見害 鳥 獣 盗 人 見 張 等)、灰 屋、若 者 宿、穀倉 、 田屋 、産屋、室、漆 室、集憩小屋、高倉、 肥 料小屋 、 門、辻番小屋 、火 ノ番小屋 、 風 呂小屋 等 2、 水車類 水 車小屋 、水 車 (足踏車 、風 車 、桶付 水 車 等)、 ボ ツ トリ、 ソー ツ (バツ タ リ) 3、 用水 関係 (飲料 ヲ主 トシテ) 井 戸 (ハネ ツ ル ベ、車 井 戸 、 汲 取 井 戸 等 )、寛 、 天水溜 、川戸 、汲 ミ地等 4、 炭焼 関係 炭竃 、炭焼小屋 5、 焼物 関係 陶磁 器 関係 、上 り竃 、瓦焼其他 6、 鉱業 関係 タタラ関係 、鍛冶、銅 山、金銀 山 鋳 物 等 7、 山樵 関係 山中設備 、材採 関係 、木材搬 出設備等 8、 製塩 関係 9、 製糖 関係 10、造酒醤 関係 11、製紙 製鏡 関係 12、製糸 関係 13、織布染色 関係 14、路傍造設物 不敢 営、地蔵 、一里塚 、馬牛頭観 世音 、 道祖神 、塞 ノ神 、高札 、火 ノ見梯子、番 木、 火 ノ見櫓 、燈 籠、 天下大 将 軍、職 関 係 15、作業場 関係 16、河川池 関係 橋 梁 (丸木 橋 、 ツ リ橋 等)、堤 防、蛇 籠 類 、百本杭 、渡 シ場 、堰 、用 水池 、杭 、 洗 ヒ場 、 サ イ フオ ン 17、石 工関係 採石 、石切場 、 運搬 設備 、石垣 各種 18、船舶 関係 筏 、丸木舟 、ヘ ギ舟 、 ソル コ舟、 ト モ ド、 チ ヨキ、二〇 り、 ボ ワチ ヨワ、高瀬、平 田、川崎、家根 舟 、偉 馬、 ダルマ、 田舟、 チ ヤ ンコ、 カツ コ、 サ ツパ 、 ダ ンベ ー、 渡 海舟、朝鮮 ペー、 ニーヤ ン (小葉舟)、 生箕舟等 19、車権 関係 ネ コ、 コロ、 大 八、 シラ、牛車、馬車、 ツ リ車、荷車 、人力車、 円太郎、 ワバ車、 イザ リ車、様 、一本 ゾ リ、人カ ゾ リ、蓮 壼 、 スキー 関係等 20、牧畜 関係 野外博物館 の歴 史 ―-20-―

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野外博物館 の歴 史 狩猟 関係 穿 、落穴、○〇 、 ( ワナ) 等 季節 行事 関係 信仰 関係 ホ コラ類 ( 石、本) 、神社 、 籠 り堂 、地蔵堂、観音 堂、 堂 、拝所等 2 4 、其他特 殊建 設造型物 仮屋 、 鳥居 、 Oノ 河 原 、 山 2 2 、 2 3 、 エ リ、 害 鳥 獣豫 防装 置 (屋根 裏 の博 物館 か ら転載 ) IⅢ■lt響 スカンセン鳥敵図 (屋根裏の博物館 から転載)

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野タト博物館の歴史 このように具体的な展示施設 として野外展覧が含 まれたものであ り、それは実際の状況を具現化 す るための ものであった。野タト展覧には民族植物園 も計画 されてお り、今和次郎が設計 した鳥厳図 はスカンセ ンと酷似 してお り、渋沢が調査 した民家が描かれた ものであった。今和次郎 は昭和 5年 (1930)に欧州 を訪れた際 に、渋沢か らスカンセ ンの解説書 を入手 している。渋沢 は建築学的調査 お よびアチ ック関係の博物館の設計 を今和次郎 に依頼 している。今和次郎 は日本青年館郷土資料陳 列所開設の際に 「小博物館の開設 に際 して」で次の如 く述べている。 スカンセ ンには、その国の各地方の占い民家その他の建物が、一区域 に集め られて保存 され ているのである。そ して各建物の周囲には夫々の地方の畑や牧場の様子が添 えられているか ら、 遠隔の土地 を旅行 している様 な感が博物館 を逍遥 う事 によって与 えられる。 このように今和次郎が設計 した 日本民族博物館の鳥瞳図の発想 はスカンセ ンが基本 となったもの であったことがいえる。今和次郎が設計 した 「日本民族博物館 屋 外部設計俯眼図」 と設立建議案 を見る限 り、現在我が国で管理運営 されている野外博物館 とさほ ど大 きな変化 はな く、渋沢が構想 した民族博物館が今 も生 きつづけているものであ り、 また当時の概念 を越 えていない ともいえるも のであろ う。今和次郎 は 日本初 の野外博物館 となるはずであった鳥跛図の設計、武蔵野民家の解 体 ・移築復元 ・絵馬堂の設計 と建設 といった我が国の野外博物館 において大 きな業績 を残 した人物 であった。 保谷 市に移築 された武蔵野民家お よび絵馬堂 と、戦後の昭和25年 (1950)に野外展示の拡充 を図 るために建設 されたアイヌの住居 は野外展示 としてオープンしたが、現存 していない。 さらに昭和 35年 (1960)に奄美の高倉が移築 され、高床 はその後武蔵野郷土館 に再移築、現在江戸東京たて も の園に引 き継がれ、当時の民族博物館 に移築 された建物で唯一残 る貴重 な資料 となっている。 民俗博物館 はなぜ必要 か (屋根裏の博物館 から転載) 奄美の高倉 (屋根裏の博物館 から転載) ―-22-―

参照

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