にお け る平和主 義 につ いて
争 Υ , 折 口社会科教育
(公
民的分野
)
社会科教育研究室
細
On thc Pacifis■ l in SOcial Studics EducatiOn
Satoshi HOsOkavFa
(―)は
じ め に 平 和 主義(PacifiSm)は
民主主義 と共 に,社
会科教育の中核 と云 って も過言ではない。 これは, 戦 後 のわが国の文教政策が戦前 の軍 国主義,超
国家主義,全
体主義 の教 育 の反省か ら,
平 和 と民主 主義 の教育でなければな らない とい う構想か ら出発 し,又 ,社
会科 の目標が「 民主的,
平 和的な国 家社会 の形成者 と しての必要な資質 の基礎」を養成 す るとうたわれている(※1)と
ころか らも当然 の ことと云わなければな らない。 しか も教育基本法の前文 には,「
憲法 の理 想 の実現 は,根
本 において教育 の力 にまつべ きもので あ る」 と しているが,新
しい憲法 の理想のひとつは,戦
争放棄,
交戦権 も否定 した徹底 した平和主 義で ある。 か くして戦後,初
期 の段 階では,
戦 時 中の軍 国主義 と全体主義の教育 の内容や制度 の解 体 に力が入 れ られ,
昭和20年12月末 には軍 国主義や極端 な超 国家主義 の中心的教科であった修身, 地理,
歴 史教育の禁止等 の措置が取 られたのであった。 そのあとに憲法 と教育基本法 に従 った平和 と民主主義 の教育 とい うものが,強
力 に計画推進 されて来たのである。 か くて,
学校 の教 師で「 平和」 の問題を取上 げない教 師はな く,「
平和 の尊 さ」を教えない社会 科教 師はな く,「
平 和主義」 について書かれていない社会科教科書 (公民的分野)は
な い の で あ る。誠 に平 和 こそ,現
代 に生 きる人 間の最低 の生存条件であ り,ま
た最高 の倫理 であ る。 長州一二 教授 の言葉を借 りれば,「
平 和へ の認識や姿勢が低 い ことは,人
間失格 を示 す」(※2)と
さぇ言 い得 るので あ り,ま
して,伸
びゆ く生命 をあずか る教師,
とりわけ社会科の教師で,平
和 の問題 につ い て,真
剣 に考えない教師は,
教 師 と して失格 とも言い得 るのである。 教 師が,「
平 和」 について教え る場は,主
と して社会であ り,
具体 的には歴 史 的分野 の近 。現代 史 の学習,公
民灼分野の憲法学習,
国際関係 と平和の単元である。地理 的分野 の学習 において も, 帝 国主義,
植民地政策の実態を分析検討することによ り,「
戦 争」・ 「 平和」 の問題 を取 り上 げる ことも出来 るが,「
平和」 その もの と して学習 の対象 となって こないのである。 従 って「 平和」そのものが,学
習 の対象 とされ るのは,
社会科 の中の歴史 的分野 と公民的分野 に おいてであるが,「
平和」が歴 史上 の個 々の戦 争 との関連 において理解 され るにとどま らず,「
平 (※1)改
訂中学校学習指導要領社会科総括目標 として明示され (※2)長
州一二編 :戦争をどう教えるか,明
治図書,1966.P15参
照 ま ふ ■ I は細川 哲 :社会科教育 (公民的分野
)に
おける平和主義について 和 主義」 とい うひとつ の主義・ 理念・ 思想 と し学 習の対象 とされ るのは,
公民的分野 においてで あ ろ う。 た ゞ「平和主義」 における「平和」 とい う言義は,「
あ る意味では,ま
ことに便利な,時
には, ま った く万能 の,
したが ってまた 無 内 容 の殺 し文句」(※3)で
ぁ るとも云 い得 る。 ま ことに戦 後 , 「 平 和」 とい う言 葉 は,あ
らゆ る国,あ
らゆる政府,政
党,団
体,
個人 が ことあ るごとに使用 す る 言 葉であるが,そ
の中味は,時
と して天 と地 ほ どの相違 のあるものである。 これは,
か って の戦 争 が,「
平 和 のため」 とい う大義名分を掲 げて戦 われた ことを想起すれ ば,「
平和」 とい う言葉 は, そ の場に応 じて,ど
のよ うにで も使用 し得 るものであるとも云い うる。 従 って平和主義 とい うものを抽象 的,
一般 的に とらえれば,と
らえ るほ ど,無
内容のものとな っ て しま う。 単 に教師が「 平和の尊 さ」を説 き,「
平 和 のために,努
力 しなけれ ばな らない。Jと
い うことを何十べん教壇で話 そ うとも,
平 和 につ いて真 に子供 に理解 させた こ と にな らないで あ ろ う。 平 和 主義が,ひ
とつ の奇麗事,観
念 的理 想 と して,
通 り過 ぎて しまわれてはな らないのであ る。 子 供達 は,す
で にマス ●コ ミを通 じて,
沖縄,国
内の軍事基地,
自衛 隊,
日米安全保障条約等 々の 問題 につ いて,か
な りの程度,知
識,関
心 を持 っているのである。 しか るに教 師がそれ らの問題 を一切避 けて通 り,
平 和主義を観念的,抽
象 的に片 づ けて しま った のでは,
子供 の正 しい事実認識や社会認識 を阻害す るばか りでな く,平
和主義そのもの も理解 させ 得 ない ことにな る。 か くして「平和主義」を取扱 うに当っては,
教科書を解説 した リー般的説 明で終 らせ るのでは, 極 めて不充分 と云 わなければな らず,
そ こには,ど
う して も教科書 の記述を補充 し,更
に現実 の間 題 に 目を 向け させ,現
実具体 の中で考 え させ,
討論 させ る学 習が是非 とも必要である。 しか し,そ
こに又,
多 くの教育 上 の問題 を発生せ しめ るので ある。 平 和 の問題が,
現代社会 において最低 に して最高 の倫理 であればあるほ ど,そ
の実体や間題点を 適確 に把握する必 要が あろ う。 本小論 において は,過
去 の個 々の戦 争の歴史 を無視 す るものではないが,
平和 の問題を個 々の戦 争 との関連 において と らえ るのではな く,「
平 和主義」 とい う原 則・ 主義・ 理念・ 思想 につ いて凱 実 の問題 と関連 させ なが らその問題点 につ いて若子 の考察 を加 え るものであ る。 (二)憲
法 学 習 と平 和 主義 平和主義そのものが学習の対象 とされているのは,
社会科の公民的分野 (政経社的分野)に
おけ る憲法学習 (小学校では第6学
年,
中学校では第5学
年)を
まずあげなければならない。 すなわち,
現行中学校学習指導要領社会科編では,社
会科の全体 目標のひとつ として「世界の平 和 と人類の福祉に貢献 しようとす る態度を養 う。」 とし,第
5学
年の 日21民主政治の組織 と運営」 の項の「 日本国憲法 と民主政治」において「 日本国憲法は,基
本的人権の尊重,平
和主義,国
民主権 主義……などの基本的な原則に基いていることを認識 させJと
して,
平和主義を 日本国憲法の基本 的原則 として取 り上げ,
改詞中学校学習指導要領社会科編 も第二学年の公民的分野の「(4)国民生活 (※5)長
洲 :前 掲書P16参
照鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第12巻 第 1号 と政治」の項 の「 国際政治 と平和」 において「 日本国憲法の平和主義 についての理解を深 めるとと もに
,平
和 と安全 の問題 について考えさせ る。」 (傍点筆者)と
して平和主義 に対す る深 い理解 と 考 察を要求 して い るので ある。 小学校 において も平 和主義や平和の問題 は第6学
年 の公民 的分野 に おいて取扱 われ,そ
の際,
日本 国憲法の平和主義が取 り上 げ られ ることになってい る。 か くして平和主義は公民的分野 の憲法学習の場で取 り上 げ られ ることになるのであ り,
以下,ま
ず 日本 国憲法上 の平和主義 について,
その問題点を検討す ることにす る。 憲法上 の平 和主 義の宣言 と して は,前
文(Preamble)と
第二章第九条 がある。 憲法前文 の平 和 主義の規定 と しては,
前 文の第一項 において「 政府の行為 によって再 び戦 争の惨禍が起 こることの ないよ うにす る」 のが,
憲法制定 目的の ひ とつ と して上 げ られ,第
二項 において,「
日本 国民は恒 久 の平 和を念願 し,人
間相互 の関係を支配す る崇高 な理 想 (high ideals)を深 く自覚す るのであっ て,
平 和 を愛す る諸 国民の公正 と信義に信頼 して,わ
れ らの安全 と生存を保持 しよ う」 とす る誠 に 崇高 なまでの決意を示 し,「
平 和を維持 し,専
制 と隷従,圧
迫 と偏 狭を地上か ら永遠 に除去 しよ う と努 めてい る国際社会 において,
名誉 ある地位を 占めたい」 とい う希望 と「 全世界の国民 が,等
し く恐怖 と欠乏か ら免 がれ,
平 和の うちに生 存す る権利を有す る」 ことの確認を述べ,第
二項 におい て,「
いづれの国家 も,
自国の ことのみ専念 して他 国を無視 してはな らない」 と して,平
和主義が 明確 に宣言 せ られて い るのであ る。 しか も前文 はその結語 と して「 日本国民 は,国
家 の名誉 にかけ 全 力を あげて この崇高 な理想 と目的を達成す ることを誓ふ。」(傍点筆者)と
してい るが,
この憲法 前文の平和主義が,如
何 に,現
実具体の政治の場 と飢解 があ リギ ャップがあるかは,
学 習 の場で児 童生徒 の考察討 議 の対象 とさるべ きもの と考 える。 平和主義 を,
決 して抽象 的願望や美辞冠句 を並 ぶた理 想主 義に終 らせない為 には,現
実具体の国 内,国
際政 治の推移 と現状の認識 の上 に立 って,検
討 され なければな らない。 しか る時は,
前 文 の 云 う,「
全世界 の国民 が等 しく恐怖 と欠乏か ら免 かれ,
平 和 の うちに生存す る」 ことが,い
か に無 り に踏み に じられているかは,
ベ トナム,
ビア フラ,中
東,東
西 ドイ ツ等 の現状を見 るまで もな く 明 らかで あ り,「
いづれの国家 も,
自国の ことのみ専念 して他 国を無視 してはな らない」 とい う国 際政治道徳 が,
自国の利害 のみを主張す る国の多 い ことによ り,如
何 に無視せ られてい るかは,今
日迄 国際社会 における国家間 の紛御を子細 に検討すれば明 らかであろ う。 更 に「 日本 国民 は恒久 の 平 和を念願 し………… …平 和を愛 す る諸国民の公正 と信義 に信頼 して,
われ らの安全 と生存を保持 しよ うと決意 した」 (傍 点筆者)に
至 っては,真
に悲壮 なまでの決意 と云 う外 はな く,
これ も世界 は ひ とつ と見 られた新憲法制定当時 は,な
お可能であったであろ うが,
その後の 自由主義陣営,社
会主義陣営の対立抗争,各
種 の国際紛争を見 れば,
はた して国際社会 に信頼 に価す る公正 だ とか信 義 が存在 す るので あろ うか,そ
の よ うな ものを信頼 して,
はた して我 が国の安全 と生 存が保持 し得 るので あろ うか等 の ことを考 えれば,憲
法前文 の平和主義 に も,
国際政 治 の現実か ら多 くの問題 が 提起せ られ る ことにな るので あ り,
これ らの問題 も子供 の発達段階 に応 じて考察の対象 にさせ るの が,真
に平 和につ いて考えさせ,
平 和 につ いての問題点を認識 させ,平
和へ の関心,熱
意を高め さ せ る所以 になるのではなかろ うか。 憲法学習 におけ る平和主義で最 も問題 となるのは,
云 うまで もな く憲法第二章第九条の問題 であ る。 これ は教育全体の問題 と して も,「
教 え子 を再 び戦場 に送 るな。」等 のス ローガ ンで絶 えず間 題 とされて きた と ころであ るが,
ここでは社会科教育公民的分野 における憲法学習の立場か ら検討 を加 えることとす る。細川 哲 :社会科教育 (公民的分野
)に
おける平和主義について まず社会科 の教科書 が,
この憲法の平和主義を如何に取 り上 げてい るかを見 ると,戦
後今 日迄 そ の記載 の大 きな変化を見 る ことがで きるのである。すなわち,
戦 後初期 昭和25年 版 の 中学校社会科 用教科書 (文部省著作)「
あた ら しい憲法のはな し」では,
憲法 の第二章第九条の戦 争放棄,戦
力 不保持 について,
次 の よ うに 自信 と誇 りに満 ちて書かれてい る。「 みなさんの中には,
こん どの戦 争 に,お
とうさんやにい さんを送 りだされた人 も多いで しよ う。 ごぶ じにおかえ りにな ったで しょ うか。 それ とも,
と うと うおかえ りにな らなか ったで しよ うか。 また,
くう しゅうで家や うちの人 を,
な くされた人 も多いで しょう。 いまや っと戦争はおわ りま した。三 度 とこんなおそろ しい,か
な しい思 いを した くない と思 いませんか。 こんな戦争を して,
日本 の国は どんな利益 があったで し ょうか。何 もあ りません。 ただ,お
そ ろ しい,
かな しい ことが,た
くさんお こっただけではあ りま せ んか。 戦争は人間をほろばす ことです。世 の中のよい ものを こわす ことです。 ………」 と し て,
戦3に
対 す る深 い反省 と戦争の罪悪性を指摘 したあと,「
……… そ こで こん どの憲法では,
日 本 の国が,け
っ して三度 と戦多を しないよ うに,二
つ の ことを きめま した。 その一つは,兵
隊 も軍 艦 も飛行機 も,
お よそ戦 争をす るための ものは,い
っさい もたない とい うことです。 これか らさき 日本 には,陸
軍 も海軍 も空軍 もないのです。 戦 争の放棄 といいます。 `放棄、 とは ミす てて しま う 、 とい うことです。 しか しみなさんは,け
っ して心 ぼそ く思 うことはあ りません。 日本 は正 しい こ とを,ほ
かの国よ りさきに行 なったのです。 世 の中に正 しい こと ぐらい強い ものはあ りません。」 と して,我
が国が一切の戦力,
軍 備 を無持 しない徹底 した平 和主義であ ることを示 し,
しか もそれ が,
世界 の国の先端を切 って行 う正 しい道であることを 自信を持 って書 いてい るのであ る。 さらに 「 ………… も う一つ は,よ
その国 と 争 い ごとがお こった とき,
けっ し戦争 によって相手をまか し て,
じぶんのいいぶんを とお そ うと しない とい うことを きめたのです。 おだやtか に そ うだんを し て,き
ま りをつけよ うとい うことです。 なぜな らば,い
くさを しかけ る ことは,
け っ き ょ く, じぶ ん の国をほろぼす ようなはめになるか らです。 また,戦
3と
まで ゆかず とも,国
の力で,相
手をお どすよ うな ことは,い
っさい しない ことにきめたのです。それを瑛争の放棄 とい うのです。そ うし て,よ
その国 となか よ くして,世
界 中の国が,
よい友 だちになって くれ るよ うにすれば,
日本の国 は,さ
かえて ゅけるのです。 み な さん,あ
のおそろ しい戦争が,二
度 とお こ らない よ うに,
また戦争を三度 とお こさないよう にいた しま しょう。 」 (傍 点筆者)と
して,平
和 に徹す ることの必要を切 々と,説
いているのであ る。 しか も,
戦 争放棄の さ し絵では,飛
行機 や大砲や戦車や爆 弾な ど,戦
争 に備 え る兵器 が大 きな るつ ばに投 げ込 まれ,そ
こか ら,
平 和で豊 かな文化生活 に必要な電車や汽船 や ビルが,威
勢 よ く, 沢 山作 り出されている絵 が示 されているのである。 この さ し絵 は,我
が国が一切の戦争 と軍備を放 棄 す ることによ り,
非 生産 的膨大 な軍事費 が,平
和産業,科
学,文
化 の振興 に振 向け られて,国
民 の豊かな文化的な生活を上台 と した平和国家 と しての明 るい未来を示 した もの と考 え られた のであ る。 さ らに昭和28年 版(1%5年
)検
定教科書,小
学校社会科「 あか るい社会・ 六年 の上」では,戦
争放棄戦力不保持 についてのべたあと,「
…… ………… `た とえ,
じぶんの国を まもるための軍備 だ といって も,
軍備 を もて ば,い
つ戦 争を しかけるた るためにつかわない とはか ぎ らないか ら,ど
ん な理 由で も,い
っさい軍 備を もたないや くそ くである。 `と,
その ときの総理大臣吉 田茂 は,国
会 で説 明 した。」 (傍点筆者)と
して,憲
法の平和主 義が,
自衛 の為 の軍備戦力 も保持せず,従
っ て 自衛戦 争 も放棄 したもの と して書かれていたのである。 送時 の教科書が,す
べて この よ うに憲法 の平和主義を記述 していた とはいえないが,
それで も昭和55年 (1960年)頃
まで の教科書 のなかに鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第12巻 第 1号 は
,戦
力 の不保持 についてふれてい るものが何種類かはあった。(※4)と
ころが,そ
の後 の教科書 で は,
この徹底 した戦争放棄,戦
力不保持 の絶対平和主義 の精神 は次第 に稀薄 とな り,「
戦 争 は しな いで平和をまもるJと
簡単 に書 かれ ていて も,
戦 力不保持 について触れているものはほ とん どな く な って しまったのである。 さ らに最近 の教科書では,「
自衛 の為 の軍備を認 めている」 とす る表現 が使用せ られ るに至 ったのである。その一例を,昭
和45年 (1968年)の
文部省検 定済教科書,「
中 学社会― 政治 。経済・ 社会的分野―」 (安倍能成監修 日本書籍株 式会社発行)で
見 る と平和主義 に つ いて,
次 のよ うな ことが,書
かれてい るのである。すなわ ち,「
世界 の平 和 は,世
界 諸国民 の共 通 の願いで ある。 しか し,1949年
10月 中国に中華人民共 和国が成立 し,1950年
6月 に朝鮮 に動乱が お こった ころか ら,
ア メ リカとソ連 を中心 とする二つの世界 の対立が険 しくなった。 このよ うな情 勢 のなかで,1950年
8月 に設 置 された警察予備隊は,
ア メ リカの援助 によって次第 に強化 され,19
54年7月 には 自衛隊が創設 された。 この間に,第
九条 の内容についての論議 も高 ま り,
自衛 隊 の設 置 は憲法の規定に違反す るものだ とい う意見がでて きた。 しか し政府 は,
自衛 のための軍 備 は憲法 も認 めて い るとい う解釈を とっている」 (傍点筆者)と
して,
自衛 の為 の戦力,軍
備を認 め る とい う表現が使 われ るようにな り,
従 って 自衛 の為 の戦 豊 も肯定 され るとす る立場 が記載 せ られ ること になったので あ り,
しか も 自衛隊の演習風景が,さ
し絵 と して載 せ られているので あ る。 か くして,
戦後,社
会科公民的分野 における平 和主義 についての教科書 の記載 は大 き く変化 して い るので あるが,
戦 後初期 の社会科 における平和主義 も,現
在 の平和主義 も,と
もに同 じ憲法第二 章 第九条 を基 盤 と しているのに,
何故 このような相違 があるのであろうか。 まず,憲
法 の平 和主 義 が,現
在 の教科書が示す如 く,
自衛 の為 の戦力,軍
備 を認 め,従
って 自衛 の為 の戦 争を肯定す るも のであるか否かについて検討 してみたい。 憲法 の平 和主義の具体的発現で ある第二章第九条 の戦争放棄 の規定は,
条文 は僅 か一条 にす ぎな いが,重
要 で あるばか りで な く,
諸外 国憲法上 にも例を見ない徹底せ る平和主義 の規定 と して,世
界 憲法史上画期的意義を有 し,
世界 的特色 を持 った もの と考え られたのである。すなわち,従
来 の 各 国憲法 に も,戦
争 の制限,平
和主 義に関す る規定が見 られなか ったわけではないが(※5),我
が国 の如 く戦力,軍
備 の徹廃,
自衛戦 争 も放棄 と考 え得 る徹底 した平 和主義ではないので ある。我 が国 が,
か くの如 く世界 的特色 を持つ平和主義を宣言 したのは,ポ
ッダ ム宣言 が 日本 の軍 国主義の永久 除去(6項
)戦
争遂行能力 の破壊(7項
),
軍 隊の完全武装解除(9項 )を
要 求 して お り,
日 本 は,
これを承諾降伏 したのであるか ら,
この精神 は当然新憲法 に義務 と して引継 がれ る運命 にあっ たので あ り,
マ ッカーサー司令部 の提示 した憲法原案 も「 日本 の国際的地位 を高 める唯― の方 法」 と して,
戦 争放棄の原則を示 したのである。 日本 もこれに対 して,戦
争 の惨禍 と罪悪を深 く自覚 し た結果,他
国に先 ん じて平 和主 義 の理 想を実現せ ん とす る積極的熱意 と,今
まで の 日本が,
世界 の 中で も,
最 も極 端 な軍 国主義,好
致 国で あるかの如 く見 られていた世界 の疑惑を解 消す る為 にも最 も徹底 した平和主義を規定 した もの と考え られ るのである。 誰 しも平和を望みなが ら,
世界 の歴史 は,平
和 の歴 史でな く,む
しろ戦 争の歴史で あった ともい い得 るので あ り,
第一 次大戦 後 の国際連盟,不
戦 条約,軍
縮会議等 の人 々の努力 に もかかわ らず, 第二 次大戦 を防 ぐことは出来 なか ったので あ り,第
二 次大戦後 において も,
各種 の国際紛 争が相 次 (※4)宗
像誠也編教育黒書労働旬報社1969年 P157参照 (※5)ブ
ラジル憲法 (1954年)スペイン憲法 (1951年)フィリッピン憲法 (1955年)フ ランス憲法 (1946年)が
その例 として上げ られ るが,い
ずれも自衛戦争は放棄せず,軍
備を廃止 していない。細川 哲 :社会科教育 (公民的分野
)に
おける平和主義について いで 発生 し,
い まなお第二次大戦 の恐怖 を全 く,ぬ
ぐい去 ることは出来 ないでいる現状 で ある。 こ の世界平和の実現を妨 げている要 因は各種 の ものがあるに して も,根
本 において,各
国が軍備 を保 有 し,
自衛 の名 をか りて,戦
3が
行 なわれ る ことにあるので あるか ら,
新憲法 は,世
界平和実現の 為 に世界 の先頭を切 って,い
っさいの軍備を廃止 し,あ
らゆる戦 争を放棄す るとい う絶対平 和主 義 の立場を勇敢 に取 った もので あろ う。 か くして第九条 は次の四つの点が定め られた もの と見 ることが 出来 るであろ う。 (1)侵1零の戦 争のみな らず,
自衛 の戦 争を も合 めて一切 の戦 争を放棄 したこと。 (2)単に戦争 にとどま らず,
戦 多に至 らない段 階で ある「武力 の行使」及び「武力 による威嚇 」を も放棄 した こと。 13)一切 の陸海空軍,そ
の他の戦力を保持 しない こと。 (4)国の交戦権を認 めない こと。 以上 の ことが明確 に宜言せ られた とす る絶対平和主義の立場か らは,
当然,戦
後桝期の社会科 の 教科書が,
憲法 の平和主義 について記載 す る場 合「 …………わが国は,兵
隊 も軍艦 も飛行 機 も,お
よそ戦3を
す るための ものは,
い っさいもたない よ うにする。 これか らさき日本 には,陸
軍 も海軍 も空軍 もないのです」「戦 争や戦争 とまでゆかず とも,国
の力 で,
相手をお どすよ うな ことは,い
っさい しない ことにきめたのです。」 とな り,
これ は憲法の平和主義の規定を正 しく解釈 し,平
和 主義の精神を正 しく取 り上 げるもので あった と云 うことが出来 るのである。 しか るに,
この ような立場 に対 して,第
九 条 は単 に侵 略の戦争のみを放棄 したものであって,
自 衛 の為 の戦 争や 自衛 の為 の軍備 は放棄 されていない とい う立 場 が対立 す ることにな ったので あ り, その解釈 の根拠 につ いてみてみると,
第九 条第一頂 は,戦
争 は「 国際紛争を解決する手段 と しては 」永久 に放棄す るとい う表現を とってい るので あるが,
この「 国際紛 争解決の手段 と しての戦争」 とは何か といえば,
それは不戦条約な どにおける「 国家の政策の手段 と しての戦争」 と同 じ意味で あ り,戦
争や武力威嚇,行
使 は,国
際紛 争解 決の手段 と しては用 ゆべ きでない ことは,
国際的 関係 における 自然法思想を明 らかに した ものであ り,今
日の国際法 においては,
国家間 の紛争 は国際的 調停や裁判等 の平和的解決手段 によるべ きで あって,
その解決手段 と して 自力救済的戦 争に訴 える とい うことは,
国際法 に反す る不法 の戦 争で あ り,ま
たそれ は,そ
の国が不当な意図を もち,か
つ それを強行 しようとす ることを意味 し,
その意味では不 章な侵 略的な戦争であると考 え られ るので ある。 か くして「 国際紛3解
決 の手段」 と しての戦9は
侵 略違法な戦争 とい うことになるので あ り,第
九条第一項 が放棄 したのは,
いわゆる「 侵 略違 法な戦 争」を放棄 したのであって,そ
れ以外 の戦 争 は放棄 してないのだとい う解釈 が成 り立つ ことにな る。 それ以外 の戦 争 とは,
自衛権 の発動 と して の戦 争や,
国際連合 によ り認め られている制裁 と しての戦 争が挙 げ られ る。従 って,い
づれ に して も第一項では永久 に放棄 したのは「侵 略違法な戦 争」と しての戦 争であ って,自 衛戦3は
放棄 され て いない ことになるのである。 さらに,第
一項 で 自衛 の戦争がで きるか らと云 って も,第
二項 で,「陸 海空軍 その他 の戦力を保持 しない」 と定 めているのであるか ら,実際上 ,自 衛戦争を も行 ない得 で, 一 切 の 戦 争 を放棄せ ざるを得ない ことにな るとす る点 に関 しては,「
自衛 のため」 な ら「 陸海空 軍 その他の戦力」を保持 し得 るとす る解釈 が対立す るのである。 す なわ ち,そ
れは,第
九 条第二項 が「前項 の 目的を達す るため」その他 の戦力を保持 しないと定 めてい ることを根拠 とす るもので あ る。 すなわち,第
一項 の「 国際紛争を解 決す る手段」 と しての戦争 (侵 略違法な戦争)は
放棄 し,鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第12巻 第 1号 その 目的を達す るために軍備
,
戦 力 は保持 しないが,そ
うで ない と ころの戦 争,す
なわち,
自衛 の ための ものであ るな らば,軍
備を保持す ることは認 め られ るとす るものであ り,か
くして,
第九 条 は 自衛 のためな らば陸海空軍 その他 の戦力を保持 出来,
自衛 のた めな らば戦 争 が出来 るとす るので あ り,
最 近 の社 会科 の教科書 が「 政府 は,
自衛 のための軍備 は憲法 も認 めて い るとい う解釈 を とっ てい る。」 と書 いているのは,
確 か に憲法の解釈 と して,そ
の よ うな解 釈 も 可 能であるか らであ る。 しか し,そ
れ は解釈 と して可能 であるとい うだけであって,は
た して,そ
れ が正 しい解釈 であ る か否かは充分検討 されなければな らないが,
この 自衛戦3は
放棄 していな く,
自衛 のためには軍 備 が保持で きるとい う立場 に対 しては,
次 の よ うな解釈 を対立 させ る ことが 出来 るのであ る。す なわ ち,第
一 に,
も しも 自衛 の戦3を
認 めるもので あ るな らば,そ
れは,過
去 の我 が国や多 くの国が行 な ってきたよ うに,
自衛 の美名 の下 で実際の戦 争 が行 なわれ る危瞼を包合 す るも の で あ り,お
よ そ,
自衛 の戦 争 と侵 略の戦 争 との区別 は実 際上 はつ けに くく,
従 って,第
九 条 が単 に侵略の戦 争の み の放棄を定 めるだけであるとす るな らば,
特 に第九 条 が設 け られ た積極 的な意味がない といわな けれ ばな らない。 第二 に,も
しも憲法が 自衛 の戦争 は認 めるとい う趣 旨であるとす るな らば,戦
争 に関連す る事柄,た
とえば宣戦,講
和の手続,
軍 隊 の指揮統率,軍
人 の権利義務等の事項 が定 め ら れ るべ きはずであるのに,憲
法 にそれ らに関 して伺 ら規 定を設 けて いないのは,
自 衛 戦 争 を含 め て,一
切 の戦 争を憲法 は放棄 していると考 え られ るのである。第二 に「 前項 の 目的を達す るため」 を条件 と して解釈 し,
侵 略戦争を放棄す るために軍備を持 たないのであって,
自衛 のためには軍備 を持つ とい う点 に関 しては,第
二項 の「前項の 目的」 とい うのは,
む しろ第一項 の最初 に規定 して ある,「
日本 国民は,
正義 と秩序を基調 とす る国際平和を誠実 に希求す る」 とい う目的を指す と解 すべ きで あ り,
その 目的を達す るために軍備を保持 しないので あって,決
して侵 略戦3の
ためのみ の軍備の不保持を定めた ものでな く,
一切の軍備 の不録持を定 めた ものである。第四に憲法の前文 は,
平和主義,国
際協調主義を明確 に規定 して い るので あ り,さ
らに 日本の安全 については「 平和 を愛す る諸国民 の公正 と信義に信頼 して,
我 が国の安全 と生存 を保持 しよ う」 と しているので あ っ て,決
して軍備や戦力 によっていないのであ り,
この憲法前文 の精神を指導理念 と して第九条を解 釈 す るか ぎ り,
それは一切 の戦力,
軍備を放棄 し,
一切の戦:争 を放棄 した と考えるべ きことにな る。 以上 の観点か らは,
憲法 を 自衛 のためには軍備 が保持 出来,
自衛 のため には戦 えると して解釈す るのは間違 った,
全 くこじつ けの解釈 と云い得 ることにな るのである。 戦後,社
会科 (公民的分野)の
平和主義は,
この二つ の解釈を反映 して,
初 期の ものは「 一切の 戦 争,一
切 の軍 備をを放棄 している」 とす る徹底 した絶対平和主義の立場を と り,
最近 の もの は, 「 自衛 のためには軍備 を保 持 し得 る」 とす る面 を記載 して い る。 一体,
どち らが正 しいのであ ろ う か。全 く対立 している立 場で あるだけに,
一方 が正 しければ,他
方 は間違 い とい うことにな るが, はた して ど うで あろ うか。 この点 に関 しては,筆
者 は,
どち らの教科書 も間違 って いない とす る立場を とるのである。 すな わち,戦
後初期 の段階では,
憲法 の平和主義 は「 一切 の軍備,一
切 の戦 争」を否定 した絶対平和主 義で あるとす るのが,
唯― の正 しい解釈 であったはずで あ り,
その趣 旨を教科書 に書 いてあるのは 正 しい記載 と云 い得 るのであ る。 しか し,そ
の後 の国際情勢 の変化 は,憲
法 を して「 自衛 のために は軍備 を保持 し得 る」 とす る解釈 が必要 とされ るに至 り,
現在で は,そ
の よ うな解釈 が,可
成 り支細川 哲 :社 会科教育 (公民的分野
)に
おける平和主義について 持 せ られ,最
高裁判所 も,
後述 の如 く,「
自衛 のための戦力Jを
認 め る立場 に立つ と考 え られる判 決 を しているので ある。法治国 における,法
解釈 の最終的判 断は最高裁判所 にあるので あ り,
法解 釈 につ いて,各
自の判 断が あ り得 ると して も,そ
れ が法的効力を有す るもの と して,
一 定 の拘束 力 や基準性を持つ ことにな り得 ないのであ り,
各 自の法解釈 を全 く正 しい もの と して,教
師が教室で 説 くことも出来 るものではないのである。 従 って,「
現在 で も憲法 の平和主義 が,一
切 の攻 争,軍
備 を否定 した ものであ り,
自衛 隊 の存在 は憲法違反 と して許 されない ものである。」 と してだけ説 明す るのは,現
在 では,い
ささか問題であろ う。 しか し教師の個人的見解 と して表 明 され るのは, 一 向にさ しつかたないのであ り,
またその よ うな,教
師 自身 の見解 が提示せ られ るほ うが,一
定の 発達段階 に達 した子供 には,む
しろ歓迎せ られ るであろう。 か くの如 き「 憲法解釈 の変遷」 が生 じていることは否定で きない事実 と して,
教 師 も認 め ざるを 得 ない ところと考 え る。 日本国憲法が制定 され た当時 は,憲
法第九条は,完
全 な戦争放棄 および戦 力不保持を意味す るとの解釈 の もとに,
他 の規 定 とともに,政
府 お よび大多数 の一般 国民 の支持を 受 けていたので あ る。それ が,昭
和25年 に朝鮮動乱が勃発す ると,ア
メ リカの対 日政策は急角度の 転 回を見せ,
マ ッカーサーか ら警察予備隊設置の指令 が出され,
日本側 は これに応 じて警察予備隊 を成立 させ,
それ に関連 して,政
府及 び国会 の多数 の憲法解釈 は変更 されたのである。憲法制定当 時 は,政
府 当局 は,
憲法第九条 にい う「 戦力」 とは,あ
らゆる戦力を意味す ると解 していたが,警
察予備隊,
保安隊 が設 け られ るに当 って は,
政 府及び国会の多数 は,「
戦力」 の意味 に限 定を加 え,「
近代戦争を有効 に遂行す るに足 る程度の装備編成 を備 え るもの」 と解 して,関
係 法律及 び予 算 を成立 させ,さ
らに 自衛隊成立後 は,鳩
山内閣以来佐藤 内閣 まで,
自衛 のための戦力は,憲
法 の 禁 ず る「戦力」ではない との見解 の下 に,
自衛隊 の組織及 び装 備 は年を逐 って拡大強化せ られ,今
日では 自衛隊 は,す
で に軍隊 の実質を備 えるまで に成長 しているので ある。 かか る現実 と,こ
れ に 伴 な う憲法解釈 につ いての変遷 につ いて は,中
学三年生 ぐらいの発達段階であれば,
あ る程度触れ る必要があるであろう。 その際,相
対立す る憲法解釈 につ いては,
現在,二
通 りの解釈 があるので あ り,「
自衛 の為 には戦力を保持 し得 るJと
す る解釈 が有力であ るが,
で は「 自衛の為 にも戦力は 保 持 し得な く,
あ らゆ る軍備,あ
らゆる戦争を放棄 した ものであ るJと
す る解釈 が,現
在 全 く間違 った解釈 であるか と云 えば,
必 ず しもそ うとも云い得ないのではあるまいか,な
るほど政府,国
会 の多数 によって,
明 らか に現在 は,「
自衛 のための戦力」 は合憲 とせ られ,国
会 の多数 と云 うこと は,
国民 の多数 とも考 え得 るので あ り,更
に最高裁判所は憲法84条 によって,違
憲立法審査権 を有 し,
国家行為 の合憲性 につ いて最 終的決定権を与えてい るのであるが,そ
の最高裁判所 が,砂
川事 件 につ いて「 自衛隊を合憲 と していると考 え得 る判決」を しているところか らは,
一 切の戦力を否 定 し,
自衛隊を違憲 とす る ことが成立 し得 ないよ うで あ るが,
しか し,最
高裁判所 は,憲
法第九条 と 自衛隊の問題 について,
正面か らこれを取 り上 げ,合
憲,違
憲 のはっ き り した判 断はい まだ示 し ていないのである。 すなわち,最
高裁判所は,
さきに警察予備隊を憲法違反 とす る社会党の訴訟に 対 しては,
具体的事件 を離 れて抽象的判 断を くだす ことはで きな い とい う理 由で,立
ち入 って審査 せずに却下 している(※6う。 砂川事件の ときも,「
第九条第二項 が 自衛 のための戦力の保持を禁 じた ものであ るか どうかは別 と して …………」 と云 う表現を使 って,
自衛 隊 その ものの,合
憲性 をは っ き り認めた と云 うのではな く,単
にそのよ ううに推察 され るとい うにす ぎないのであ る。(※7)又
恵 (※6)最
判昭和27.10。8民集6巻 9号785貢 (※7)最
判昭和54。12。16刑集15巻 15号5225頁鳥取大学教育辛部研究報告 教育科
¥
第12巻 第 1号 庭 事 件 に つ い て も,
自 衛 隊 その ものにつ いての,
合憲違憲性の判断 は回避 されているのであ る。(※8)こ
の面 か らは,憲
法第九 条 の解釈 につ いて,最
高裁判所の最怒的判断は,い
まだに示 され て いない とも云 い得 るのではなか ろ うか。 従 って,憲
法 が「一切の戦力,戦
争を放棄 した もので あ るとす る解釈」が,
現在 は全 く間違 った ものであるとも云 い得ない面 があ るのではなか ろ らか。 ただ,
自衛 隊 の合憲,
違 憲性 の判 決は,高
度 に政治性 を有す る判 断であるだけに,判
決 によっ, 収拾 出来 ない混 乱を ひき起 こ し,裁
判所 自信 が政治問題 の渦中にまき込 まれ る 恐 れ あ る もの と し て,い
わゆ る司法にな じまない問題 と して,
半J断 を回避 し続 けることは充分考え 得 る と ころであ る。 この ことは,
最高裁判所 の違憲立法審査権 の司法審査 につ いて,い
わゆ る統治行為理論 が認 め ら れ るか否かの問題であるが「 苫米地訴訟 」 において,原
告 が衆議院の解散 は違憲で あると主張 した の に対 し,被
告で あ る国は,
衆 議院解散 とい うが ごときは統 治行為 に属 し,司
法審査 の範 囲外 で あ る と抗弁 した。 第一審 の東京地裁 は,「
我 が国法上 いわ ゅる統 治行為又 は政治行為 の観余 は認 め る ことは出来 ない」 と し,「
衆 議院 の解 散 につ いて も,そ
れが憲法所定 の手続 きに従 ってな されたか の法律 的判断は可能」であると し(※9),
控 訴審 も原審 に同調 して「衆議院 の如 き政 治色 の濃厚 な行 為で あ って も,
その効力如何 が国民 の権利 に直接影響 を及 ぼす限 り審判 し得 る」 もの と解 したので あ る。(Xl。)し
か るに,そ
の後,「
砂川訴 訟」 の判決において,最
高裁 は「 一見極 めて明白に違憲無 効 で あ ると認 め られない限 り」との留保付 きで,「高度 の政 治性 を有す る行為 は,裁
判所 の範 囲外 で あ る」 と し「 ……か ゝる国家行為 は裁判所 の審査権 の外 にあ り,
その判 断は主権者 た る国民 に対 し て,政
治的責任を負 うところの政府,
国会等 の政治部 門の判 断に委 され,最
終的 には国民 の政 治判 断に委 ね られて いるもの と解すべ きで ある。 この司法権 に対す る制約は,結
局三権分立 の原理 に由 来 し,司
法権 の憲法上 の本質 に内在す る制約 と解すべ きである」 と判示 しているので ある(※11)この 判 決 において統治行為 とい う呼称 は用 い られていないが,
一般 に「 統治行為」の法理 を認 めた もの と解 されている。学説 にも,
この統 治行為理論を認 めるものがあるが,要
約すれ ば次 の三つ に区分 す ることが出来 る。すなわち,(1)法 政策説 によれば,
重大 な政治上 の困難を生ず るよ うな政治問題 と不可分 に結合 した法律 問題 は,
その政治上 の結果 と法律的判断の結果 とを調和 させ る必要上,法
律 問題 を政治問題 に吸収 して,
あえて これを審理 しな とす る立場であ り。(21三権分立 根拠説 に よれ ば,
いつ さいの国家作用を,抑
制均衡原理 によ り相交渉 しあ う三権 のいずれか に分属 させ,終
極 的 に割 り切 ることが,
かえ って三権分立 の趣 旨にもとるよ うな場合,国
民 に留録 された事項 と して司 法権 の恨界 にな るとす るものであ り, 13)司 法権 自制説 によれば,法
治主義 とともに国民主権,権
力 分立,
議 会民 主政,責
任 内閣制等 の諸原理が交錯す る現憲法下では,政
治的 に重要 な意味を有す る 行為 の当否 は,
独立の地位 を持 ち政治的責任のない裁判所の審査 の限界 にな るとす るものである。 以上,
統 治行為を肯定す る三説 に対 して,
これを否定す る説は,「
憲法第98条 は憲法 の条規 に反す る国家行為は政治的影響を顧慮せず に一律 に無効 とす るものであ り,
その前提 と しての第84条 は肯 定説 のい う内在的制約 がすでに存在す ると して も,
第81条 がそれを意識 して あえて設 け られ た規定 で あるか ぎり,
この内在的限界 を排除す るものであ り,
内容的に政治性 の高 い行為 も,そ
の手続 に (※8)清
宮四郎続憲法演習,有
斐閣1968.P ll (※9)昭
和28年10月 19日行裁例集4巻10号2540頁 (※10)昭 和29年 9月22日行裁例集5巻9号2181買 (※11)昭 和55年 6月 8日民集14巻7号1206頁10
細川 哲 :社会科教育 (公民的分野)に
おける平和主義について つ いては法的拘束性 があるか ら,
それにつ いての審査 は,政
治的領域 に踏み込む ものではな く,政
治的行為 の決定 が違憲な りとの提訴をまって関与す るものであれば,
それはすでにな された行為 の 審査 で あ り,
行為 の適法違法 の判 断は裁判所 の審査 に適す るものであって,現
行法上統治行為 を認 め る根拠 がない」(※ 1の とす るものである。 しか し,統
治行為否定説 が学説 と して存在 していて も , 法律論 と しては肯定説 に,よ
り理 由があることを認 めざるを得ないのである。 したが って,
統治行為理論 を肯定す る立場 か らは,「
わが国の防衛」や「 自衛隊の問題 は,高
度 に政治性を持 ち,
重大な政治の問題 と不可分 に結合 した法律問題 と し,司
法権 に内在す る限界 」 と して,
司法権 による審査 の対象か ら除外せ られ ることになるのである。将来,最
高裁判所が どのよ うな態度,判
断を示 すかは,現
在 の ところ,
明確 で ない と して も,統
治行為理論をよ り有力 な もの と考 え る筆者 と しては,
将来 も,
こと「 自衛隊」の問題 についての正面 か らの合憲,違
憲 の判 決は な されないものと考えるのである。 さすれ ば,
この問題 につ いては,内
閣,国
会,
国民 の意思判 断が,そ
の根拠 とされ ることにな る ので あ り,国
民 の多数 の意思は,
国会 の多数 の意思 に よ って,反
映せ られ る ことにな って い るので あ るか ら,現
在,内
閣 (議 員 内閣制による),
国会 の多数 が,「
自衛 のための戦力,軍
備 は保持 し 得 る」 とい う解釈 を して い るのは,
可成有力な根拠 と云 い得 るので,「
これが間違 った解釈,立
場 で ある」 とは教 師の個人的見解 はともか くと して,
教 室で は云 い得 ない ことにな る。 いずれ に して も,
憲法 の「 平和主義」「戦 争放棄Jの
問題 は,政
治論,憲
法論 と して も困難 な間 題 を 内包 しているのであるが,我
が国にとっては,極
めて重要 な問題 であるだけに,
これを さけて 通 る ことも,
簡単 に表面 的 に取扱 うこともさるべ きでない と考 え るので ある。 さらに,
以 上 の 如 き,憲
法 の第九条 の「戦争放棄」についての解釈上 の対立 は,
その規定 に問題がある為 と して,我
が 国の防衛体制は如伺 にあるべ きか とい う根本的問題 との関連 において,「
その改正」 が論議 され るので あ り,以
下 その問題 につ いて検 討を加 えてみ たい。 (三)「
憲 法 改 正 」 と 平 和 主 義 社会科教育 において,「
憲法改正の問題」 は主 と して,中
学三年 の公民的分野の「 民主政治 と 口 本 国憲 法」の単元 の中で取 り上 げ られ る。 一例を 日本書籍の「 中学 社会 (政 治,経
済,社
会 的分野)5」
(1968年)で
見 ると,次
の様な記載 を してい るのである。 すなわ ち,「
憲 法 は国の政 治 の基 本法で あ って,
時 々の事情でかんたんに変えるべ きものではない。 と くに基本的人権,国
民主権, 平 和主義 は,
人類 がながい歴史のあいだに,多
くの犠 牲をは らって きずいて きた貴重な 遺 産 で あ り,
日本国憲法の根本原則であるか ら,
その精神は永久 に変え られない。」 (傍点筆者)と
して い る。従 って,教
師 が この教科書 の事項の説 明 と し,「
憲 法の平和主 義 は憲法の基本原理,根
本原 則 であ るか ら,永
久 に変 え られ ないので あ り,
憲 法 の平和主義 は,戦
争放 棄を決めた第九条であ るか ら,こ
の憲法第九条 は永久 に,絶
対 に変 え られ ないので あ る。」 と云 い得 るので あ るが,ま た一面, 教科書 の記載 を よ く見 ると,「
…… …… 日本 国 憲 法 の根本原則であ るか ら,
その精神は永久 に変 え られない。」 (傍 点筆者)と
してい るところか ら「平和主義の精神」を変えない限 り,
第九 条 は 改正 し得 るとの考 え方 も成 り立つのである。 しこうして,平
和主義 の精神 とは,
具体 的 に何 か とい (※12)法学セ ミナー六月号19縄鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第12巻 第 1号 うことにな るので あ るが
,
これは,侵
略違法 の戦 争を永久 に放 棄 した とす る第九 条第一項 が考 え ら れ るので あ り,
これは平和主義の,
従 って平和国家 の根本 的精神で あって,
これを変更す るが如 き 改正 は永久 に,絶
対 に許 され ないので ある。 しか し第九条第二項 については,独
立 国家 と して本来 持 ち得 る 自衛権 を制限 した もの とも解 され,
自衛権行使 の為の 自衛力の保持は,何
ら平和主義の精 神 に反す るものでない との観点 か ら,
しか もかか る点 について解釈上の疑 義があ り,
そのために種 々の問題 を生 じてい るので,
この点を明確な らしむ る為,
第二項 につ いて は し改正得 るので ある と す る考え方 が成立す るのである。 教師が,
いずれの立場 を とるに して も,憲
法上 の字句 の問題 と して考え るにとどま らず,よ
り大 き く,我
が国の 自衛,安
全 とい う根本的,
中心的問題 と関係 な しに これを考 え る ことは出来 ないの であ り,教
師 が,
この問題 について子供 に考え させ,議
論 させ る場合 も同様 である。子供 も中学三 年 ぐらいになれ ば,
これ らの問題 について,
可成 りの程 度 の恩考 と判 断を し,ま
た時 と して,極
め て シ ャープな問題 を投 げかけ,教
師を 困惑 させ ることもあ るので あ る。従 って教師 と しては,
この 点 について も充 分 の理 解 と判 断が必 要 とされ ると考 え るので,
憲法 第九条 と我 が国の 自衛,安
全 の 問題 が政治的,社
会的問題 と して考 え られ,
論議せ られ る場合の問題点を,主
と して憲法調査会, 公 聴会等で述 べ られ た意見(※la)を参考 に して,若
千 取 り上 げてみ る ことにす る。 まず,
我 が国 の 自衛体制 の本質 的 あ り方 か ら して,第
九条 に刈す る批判 が考 え ら れ る。すなわ ち,①
日本の 自衛 は,独
立国家 の理念 に立 ち,二
つ今 日の国際政治の現実 に即 して,自
衛権 に基 づ く自主的防衛 の原則 に基づ くと共 に,今
日における国際法,国
際社会,国
際政 治,
国際平和機構 の 現段階か らみれ ば,
日本 は国際連合,そ
の他の集団的安全保障制度 に参加す ることによ り,
自国の 安全 と共 に世界 の平和 に積極的に貢献すべ きで,
この立場か ら現行第九条を見 ると,
戦 多放棄,戦
力不保持の原則 は,「
他 国 依存 主義」の 自衛体制 とも考 え られかつ今 日の国際社会,
国際政治の現 実 に即 していな い とす る。 ②特 に憲法前文 および第九条 のわ が国の安全 に対 す る考 え方 は,独
立 国 家 の理念 に反す るとす る理 由 と しては,
次の女Πきものがあ る。④個人 に正 当防衛権 があると同様 に 国家 に も,独
立 国家た る以上,当
然 に 自衛権 があ り,か
つ これを行 な う自衛力を有す ることは,憲
法 以前の問題で あ り,
独立 国がその固有の 自衛権,
自衛 力を放棄 す ることは,そ
の国の 自主独立を 失 うことで あ る。 ③憲法前文 および第九条 によれば他国か ら侵 略を受 けた場合 には,具
体的 には, 「 平和を愛 す る諸国民 の公正 と信 義 に信頼 して,
自国の安全 を守 る」 とい うことにな る が,
そ れ は,実
質 的 には 自衛 権 の放棄 であ り独立国の本質 に反す る。 ○現在 の国際平和機構 の段階 は,地
域 曲 または世界的な集団的安全保障体制による以外 に一 国の安全 は確保 しえないとい う思 想 に立つ も ので あるが,
この段階 において も,
それぞれの国家 の固有 の 自衛権 に基 づ く自か らの安全保障体制 を有す るとい うことが前提条件である。 みずか らの 自衛 の意思 と能力を放棄 して,
自己の安全を達 成 しよ うとす るのは論外である。 一 国の 自衛力は,全
国民 な意 思 と協力 によって支 え ら れ な けれ ば,真
にその名 に値す る力 とな ることはできない。 国民 が一般 に,そ
の国の 自衛力の本 旨と必要 に ついての認識 を欠 く場合 には,
ほん とうの 自主 自衛 の力 は実現で きないのである。〇 しか も,今
日 の世界情勢の現実か らみ ると,
各 国の公正や信義 に信頼 しうる情勢でない ことは明瞭であ る。以上 の観点か ら,
自衛力 の放 棄 とも取 り得 る第九条第二項 は改正すべ きであるとの議論 がな され得 るの で ある。 (抵15)日 本評論社「憲法調査会報告書J(法
律時報臨時増刊第56巻第 9号)1965.P122∼P469参照12
細川 哲 :社会科教育 (公民的分野)における平和主義について 次 に憲法 の「 戦力不保持」「無防備主義」 が決 して世界平和 に貢献す るものでない との考え方 と して は,「
平和 と安全 をおびやかす ものは,戦
力 で あ り,そ
の戦力の衝突 によって ひ きお こされ る 戦 争で ある。 したがって,世
界 平和を達成 し,
これ に貢献す る最善の方法 は,そ
の戦力 と戦 争を放 棄 す る ことだ と考 え られない こともない。 しか し,そ
の時の国際情勢のいかんによっては,一
国.だ けの武力 と戦 争の放棄 が,必
ず しも,世
界平和 によ りよ く貢献で きるとい う保障 はまった くない。 ことに周 囲の他国がすべて軍隊 を もってい るよ うな現状では,一
国 だけが,無
軍備無防備 で あ る こ とは,そ
の国の安全が保障 されないばか りでな く,そ
れを通 じてかえって世界平和 にマイナスの作 用 を お こす危険 さえあ りうる。」 とす るもので あ る。 わ が国が国際協調主義,国
連 中心主義を外交政策の基本 と してい る以上,国
際連合 の世界平和維 持 活動へ の積極的協力 が必要で あ るが,現
憲法第九条 は,そ
の協力を阻害 してい るとす る意見 と し て,次
の よ うな ものがある。①「全世界か らの戦争 の放棄,世
界 におけ る法 の支配,世
界連邦 の樹 立 とい うことが,世
界平和の理 想 で あ るべ きことはい うまで もない が,そ
の ためには段階的に現実 世 界 に適応す る努力 がな され ねばな らない。すなわ ち これを現段階 においてみれば,国
際情勢 の現 状 を素直 に考 え るべ きで あ り,固
有 および集団的の 自衛権 の存在を前提 と した国連憲章第五十一条 が厳存す るとい うのが現在 および近い将来の環境 なのであるか ら,固
有 お よべ集団的の 自衛権 の行 使 を可能 にす るための軍隊 が必 要で あ り,ま
た憲法 前文 に うたってい る『他 国 と対等関連 に立 とう とす る国家の責務』を遂行す るためにも,少
な くとも国連憲章 の定め る軍事的措置へ の協力 の道を 開 いて お くべ きある。 この点 で現行 の第九条第二項 が支 障 とな り,ま
た少 な くとも疑義があ るとす るな らば,そ
れは当然改正 されねばな らない。」 と してい る。 さ らに,国
際連帯 の立場 よ り国際平 和 軍 の創設 に協力すべ きとの意見 と して,「
② 現行 憲法 の平和主 義 は非 常 に高 い理念 で あ るが,そ
れ は理 想倒れであって,政
治の実際 に合致 しない。 自か らを守 ると同時 に世界 の平和を愛す るとい うこと,す
なわち 自立独立の立場 における平和主義 と国際協調の立場 におけ る平和主義 とをあわせ 守 るところに 日本 の平和主義 があ り,そ
れ がまた世界の実情 に も合致す る。 そ して国際 協調の立場 における平和主義 とい うのは,国
際平和組織,す
なわち今 日においては国連 の実質的強化のために 全面 的 に協力す ることをい う。すなわ ち,世
界 の平和 は直 に国連 によ って保護 され るので なけれ ば 実 現で きないので あ るか ら,
日本 と しては国際連帯 の観念 によって,他
国 と等 しい条件 の下 で あ る な らば,主
権 の制限 に同意 して も,国
連 に積極的 に協力す ることに進むべ きである。 また軍縮 の究 極 の段階 であ る国際平和軍 の創設 に も積極的 に協力すべ きであ る。 しか るに第九 条 の存在 は,わ
が 国 の このよ うな積極的活動 を不可能 な らしめ るものであ る。」 と して この立場 よ り第九 条第二項 の 改正 は国際連帯の観念か ら章然 の ことk考
え るものである。なお,
国家 の防衛 ない し安全保 障 のあ り方 につ いて,特
にその現在 における段階 の特色を述 べ,
日本 の 自衛体制の あ り方 もこの歴史的段 階 に即す るものでなけれ ばな らない と し,一
方 国際社会,国
際法 の発達段階 は,未
だ文 明国の国内 秩序,国
内法 の発達段階 よ りは遅れてお り普遍的安全保 障体制 の実現 はい まだ将来の問題で あ る。 その実現 に至 るまでの間は漸進 的 に,地
域 的な 集 団 安 全保障体制 によ らざるを得ないので あ ると す る立場 か らの見解 と し「 国際連合 が,そ
の本来の機能をいかんな く発揮 で きるよ うにな るのは, 全世界 が『 法 治的世界国家』 に近 い段階 に達 してか らである。 しか しなが ら,そ
れ は い まの とこ ろ,か
な り先の ことであ り,そ
の時 にいたるまでは,各
国はそれぞれ 自らの責任 と方 法 において, 第一 には 自らの 自衛手段,第
二 は地域的集団安全保障体制,第
二 には普遍 的集団安全保 障体制 (国 際連合)に
よ り自国の安全を維持す るほかない。 この三者 は三位一体 とな って,各
国の独立 と安全鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第12巻 第 1号 を保 障 してい るものであ り