修士論文梗概(二〇一四年度修了生)
臨床心理学専攻 三名 人間共生専攻 〇名 はじめに 摂食障害( eating disorders : ED )という病気は、そ の言葉が意味する内容「食物をとることが普通にできな い、障害されている」ことだけではなく、気分・対人関 係・社会適応などその人の生活全般にわたり問題が生じ たり、 あるいは身体的合併症を伴う場合もしばしばあり、 「 人 生 障 害 」( 鈴 木, 2013 ) と 呼 ば れ る ほ ど で あ る。 そ れにもかかわらず、日本の社会的・医療的対策は非常に 乏しい状況に置かれている。摂食障害の特徴と治療の工夫
—
治療者へのヒアリング調査より
—
臨床心理学専攻 石郷岡 愛 ED の 人 た ち の 心 を 蝕 む も の は 一 体 何 か。 そ の 病 気 に 罹ることで、かれらは何を訴えたいのか。どうしたらか れ ら の 援 助 に な れ る の か。 筆 者 に は そ ん な 問 い が 生 ま れ た。 本 研 究 で は、 ま ず ED に つ い て 概 観 す る。 次 に、 ED の 治 療 者 一 〇 人 を 対 象 に ヒ ア リ ン グ 調 査 を 実 施 す る。 そ し て、 ED と い う 病 に つ い て の 病 理 構 造 の 理 解 を 深め、 有効な治療は何かということを考察していきたい。 第一章 摂食障害とは 第一節 問題と目的 本 研 究 は、 ED の 複 雑 な 病 理 性 を 理 解 し、 そ こ に 潜 む 原 因 や 背 景 は 何 か と い う こ と と、 ED に ど ん な ア プ ロ ー チが有効なのかを検討することを目的とする。 第二節 摂食障害の概念 ED は 通 常、 主 に 神 経 性 や せ 症( anorexia nervosa : AN ) と 神 経 性 過 食 症( bulimia nervosa : BN ) を 包 含 したものをいうが、 非定型なもの(Eating disorder not
otherwise specified : EDNOS ) ま で 含 め る と 多 種 多 様 な 臨 床 症 状 を 示 す。 二 〇 一 三 年 に 改 訂 さ れ た DSM-V で は、 EDNOS の 一 つ と し て 述 べ ら れ て い た、 BN の う ち 嘔吐や下剤乱用など排出行為が認められないものを過食 性障害 (
binge eating disorder
:
BED
)
「 幼 児 期 ま た は 小 児 期 早 期 の 哺 育 」 も 含 め た、 食 行 動 障 害 お よ び 摂 食 障 害 群( feeding and eating disorders ) と い う あ ら た な 診 断 カ テ ゴ リ ー に な っ た( 和 田・ 福 居, 2014 )。 ED に み ら れ る も っ と も 基 本 的 な 症 候 は、 体 重 に つ い ての過度のこだわりと、体重や体型の自己評価への過剰 な影響と認知の歪みである。そしてやせや食行動異常を きたす器質的な疾患を認めない病態である(久保 ・ 河合, 2010 )。 AN は 身 体 像 の 障 害、 強 い や せ 願 望 や 肥 満 恐 怖 などのため不食や摂食制限をきたす結果、著しいやせと 種 々 の 精 神 身 体 症 状 を 生 じ る 症 候 群 で あ る。 一 方、 BN は体重が正常範囲内で、強迫的に多量の食物を摂取し続 け、自制困難な過食のエピソードを繰り返しては、嘔吐 や下剤の乱用ならびに極端な摂食制限により体重増加を 防ぐという症候群である。 第三節 摂食障害の歴史 (1) AN (神経性やせ症) 一 六 八 九 年、 Morton の 報 告、 『 消 耗 病 ( Phthisisiologia )』 か ら 始 ま る。 日 本 で は、 江 戸 時 代 の 香 川 修 徳「 不 食 病 」 ま た は「 神 仙 労 」( 大 塚, 1955 ) が 最 初 と さ れ て い る。 一 八 七 四 年 に Gull が anorexia nervosa と 命 名。 一 九 三 〇 年 代 ま で、 AN は シ モ ン ズ 病 と混同されていた。一九四〇年代に入って両者は明確に 区 別 さ れ る よ う に な り( 切 池, 2003 )、 一 九 七 〇 年 代 に なると日本において摂食障害が問題になり始めた。 (2) BN (神経性過食症) 一九五〇年代頃から過食と肥満症との関連で研究が始 ま る。 一 九 七 七 年、 Nogami ら が、 過 食 し て は 嘔 吐 や 下 剤 を 使 う 患 者 群 を、 AN の 一 表 現 型 と 考 え ら れ る と 指 摘 した。英国 Russell ( 1979 ) が bulimia nervosa と命名。 1994 年 に DSM-V の 診 断 基 準 で AN と BN が 明 確 に 区 別された(切池, 2010 )。 第二章 調査方法 摂 食 障 害 の 患 者 の 治 療 を 経 験 し た こ と の あ る 治 療 者 一〇名(臨床心理士七名、精神科医三名)を対象に、ヒ アリング調査を行った。 第一節 手続き 摂食障害の特徴や治療について、基本的な質問を交え ながら一人ずつ半構造化面接の形で語ってもらった。 実施期間:二〇一四年五月一〇日~八月二七日 時間:六〇分~一二〇分
場所:協力者の職場(先方の都合で、喫茶店で行った 場合もある) 記 録: ヒ ア リ ン グ 内 容 を IC レ コ ー ダ ー に て 録 音 し、 逐語記録を作成。 第二節 質問内容 ・ 年齢、臨床歴、主な臨床現場、摂食障害の治療患者 数 ・治療法(アプローチ) ・改善率とその理由 ・摂食障害の治療においてのカウンセリングの役割 ・ 摂食障害の治療のどういうところに難しさがあるか ・摂食障害の人の特徴 ・考えられる病因 ・時代に伴いどういう病態の変化があるか ・摂食障害の治療にあたっての今後の課題 第三章 結果と考察 第一節 摂食障害の病因と病態の変化 (1) 社会的・文化的要因 ED の 文 化 的 背 景 に、 痩 せ た 身 体 が も て は や さ れ る 時 代 が あ る こ と は 確 か で あ る と 鈴 木( 2010 ) は 述 べ て お り、ほとんどの協力者もそれを認めた。発展途上国には 少なく、欧米や日本には多いことと、日本は終戦直後の 食 物 が 乏 し か っ た 時 代 に は ED は 存 在 し て い な か っ た こ とから、髙宮( 2010 )は、 ED は文化結合症候群や文化 変化症候群の範疇に入ると述べている。富澤 ( 2011 )は、 昨今の女性誌を例に「美味しいものを食べろ。しかし痩 せ て い ろ 」 と い う メ ッ セ ー ジ を 発 す る、 「 文 化 の 圧 力 」 と現代の風潮を表現している。しかし、協力者の語りか らも、人間には元々根深い痩せ志向があるということが 示唆された。他にも、時代に伴うライフスタイルの多様 性という変化が見られ、それは男女限らず考えられるこ とが推察された。 (2) 環境的要因 環境的要因で挙げられるのは、多くが家庭環境の問題 で あ る。 す べ て の 協 力 者 が、 ED と 家 族 問 題 と の 関 係 を 語った。 そのなかでも母子関係を指摘する協力者は多く、 先行研究からも乳幼児期の食事場面は重要な意味を持つ ことが示唆された。つまり、親が子どもに食べ物を食べ させるとき、単に身体に栄養を与えるという生理的な意 味だけでなく、心理的な意味も持っているのである。こ の と き、 養 育 者 の 応 答 が 不 適 切 だ と、 「 コ ン テ イ ナ ー ― コンテインド」関係の失敗が観察され、それは、子ども の内在化の過程を困難にしてしまうことを意味する。こ
のことは、分離の感覚や自身の同一性の感覚を獲得する 障壁となる。 母親だけでなく、父親との関係にも注目した。協力者 の語りによると、近年では放任する父よりむしろ、母を 排除し、子と密着するタイプの父親が少なくないことが 推察され、今後の検討課題として考えられた。このよう に、家族の問題が関係しているという見解は協力者全員 に一致していたが、その中身は様々であり、事例ごとに 吟味する必要性が示唆された。 (3) 個人的要因 協 力 者 の 語 り か ら 共 通 す る ED の 特 徴 は 以 下 の 通 り で ある。 • 真面目で優等生ないい子 • 完璧主義 • 自己愛的 • 病識の乏しさ • 自信がない • 強迫的 • 認知のゆがみ • スペクトラム これらの特徴は、心の発達の乳児期の痕跡から考える ことができる。かれらには幼少期の親との関係から来る 強烈な「抑うつ不安」が心の中を渦巻いており、それま では表面上うまくやれていたのが、思春期になって途端 に行き詰まるようになる。そこでかれらは、食欲をコン ト ロ ー ル す る こ と に よ り、 何 と か 自 分 を 保 と う と す る。 こ れ に よ っ て 心 的 苦 痛 を 感 じ ず に す み( 倒 錯 的 )、 次 第 に 慢 性 化 し( 嗜 癖 的 )、 痩 せ て い る 自 己 の 理 想 化 へ し が み つ く( 自 己 愛 的 )。 ED の 中 核 病 理 は 自 己 愛 性 で あ る。 近 年 で は 特 に、 ED の 症 状 を あ ら わ す 精 神 病 理 が ED と して診断されがちなので、治療者により慎重な鑑別診断 が望まれる。 (4) 病態の変化 協 力 者 の 語 り か ら、 発 達 障 害 と ED と の 関 連 性 が 近 年 注 目 さ れ て き て い る こ と と、 ED の「 軽 症 化 」 が 病 態 の 変化として挙げられた。後者については、食物が気晴ら し の タ ー ゲ ッ ト に な り や す く な っ た と い う 面 が あ る 一 方、表面上は症状が軽くても、根深い心の病が自他共に 隠されているという真実があることが考えられた。そし てその「軽症化」の理由として、家族関係、ひいては人 間 関 係 の 希 薄 化 が 指 摘 さ れ た。 ED の 患 者 数 は 減 っ て い るようで、中核群は一定数いるということから、時代性 だけでない病理が考えられる。
第二節 治療法 (1) 摂食障害の治療の難しさ 協 力 者 全 員 が ED の こ と を、 「 難 し い 病 気 」 と 口 を 揃 えた。何が難しいかという意見は様々だが、一番は治療 者との「関係の築きにくさ」であった。治療に対するモ チベーションの低さや、人への不信感の高さから、治療 者との信頼関係を築くことに困難があるということであ る。 (2) アプローチの方法 ED に 有 効 な 治 療 法 は、 長 く 論 じ ら れ て き た わ り に は いまだ、コンセンサスの得られたアプローチが見出され て い な い の が 現 状 で あ る( 鍋 田, 2013 )。 協 力 者 の ア プ ローチを、大きく分けて①精神分析、②折衷法、③そし て身体管理と心理療法も行う精神科医のやり方に分けら れた。 (3) 協力体制での治療 ED は、 多 職 種 チ ー ム に よ る 統 合 的 治 療 を 必 要 と す る 病態である。しかし、現状臨床心理士の位置づけがまだ 曖昧であり、臨床心理士の役割が十分に発揮できていな い。 まずは他職種のスタッフにも理解してもらうように、 双方の努力が必要であることが、協力者の語りからも分 か っ た。 ま た、 「 家 族 は 治 療 の た め の も っ と も 重 要 な 資 源 の 一 つ で あ る 」 と 井 上( 2013 ) が 述 べ る よ う に、 家 族 と の 連 携 も 治 療 に は 欠 か せ な い。 ED の 治 療 に は、 一 対一より周りとの協同作業が重要だと考えられた。 (4) 治療者としての在り方 ED は 治 療 の 難 し い 疾 患 だ か ら こ そ、 治 療 者 は 回 避 す る こ と な く 向 き 合 う、 い わ ば「 チ ャ レ ン ジ ン グ な 姿 勢 」 ( 松 木, 2014 ) が 持 て る か が 鍵 で あ る と 言 え る。 協 力 者 は ど う い う 思 い で ED の 人 と 対 峙 し て い る の か。 語 り に 共通していたのは、①熱意と根気を持って治療に臨むこ と、②しかし神経質になりすぎないこと、③患者の本来 持 っ て い る 力 の 可 能 性 を 信 じ る こ と、 こ の 三 つ だ っ た。 ア プ ロ ー チ は 違 え ど 通 底 し て い る の は、 「 治 療 者 と の 信 頼関係」が基盤になるということだと思われた。 第三節 今後の治療の課題 手 探 り の 状 態 が 続 い て い る 摂 食 障 害 の 治 療 に お い て、 今 後 課 題 だ と 思 わ れ る こ と を 協 力 者 に 語 っ て も ら っ た。 結 果、 三 つ の 観 点 か ら 考 察 を し た。 ま ず、 「 親 の 立 場 に なった摂食障害患者」へのケアをどうしていくかという 点。 次に 「治療者が不足している現状」 という点。 これは、 マニュアル化したアプローチも、治療者の経験則による
独自の磨かれたアプローチも、両方必要であるというの が筆者の考えである。最後に、そもそも食べるというの はどういうことかという点。そう問い直すことで、人生 を考えるという、社会全体の課題が見えてきた。 第四章 まとめ 第一節 総合考察 ED の 準 備 因 子 と し て 三 つ の 要 因 を 考 察 し て き た が、 松木( 2008 )が強調するように、 ED は「こころの中核 の 深 刻 な ひ ず み 」 で あ り、 ED の 本 質 は、 心 理 的 な 要 因 にこそあるということが筆者の考えである。治療者がか れらの心を見つめていく、やがては患者が自分で自分を 見つめていけるようにすることが、大切だと考える。 幼少期の頃、親に「抱えてもらう」体験を十分にして こ な か っ た ED の 人 た ち は、 治 療 者 と の 間 で そ れ を 再 体 験する、言わば「育てなおし」をすることが、治療的に な る と 何 人 か の 協 力 者 の 語 り か ら も 考 え ら れ た。 「 幸 せ は身体性ではなく、他者との関係性の中からしかやって こない」 (井原, 2006 )のである。 第二節 本研究の課題 本研究を振り返るにあたって、課題となった点が二つ あ る。 一 つ は、 BN へ の 焦 点 付 け の 弱 さ、 二 つ 目 は、 男 性 の ED に つ い て あ ま り 触 れ ら れ な か っ た こ と だ。 ど ち らも近年増加傾向にあり、今後より検討されるべき課題 である。 おわりに 本 研 究 を 通 し て 筆 者 が 学 ん だ こ と は、 ED へ の 理 解 に ついてはもちろんのことだが、それ以上に、経験を積ん できた治療者たちの臨床に触れたことが大きかったよう に思う。今後、心理士として現場に出たとき、ヒアリン グで得られた数々の心に留まる言葉を思い出して患者の 人たちと向き合っていきたい。
第一章 ソーシャルスキルと社交不安との関連につい てと本研究の意義 1 社交不安の疫学 社 交 不 安 障 害( social anxiety disoder : 以 下 SAD と す る ) は, 社 交 恐 怖( social phobia ) と も 呼 ば れ, 一 九 八 〇 年 に 米 国 精 神 医 学 会 に よ る DSM-III に お い て 診 断 基 準 が 示 さ れ て 以 降, 欧 米 で は 多 く の 研 究 が 行 わ れ る よ う に な っ て き て い る。 現 在, DSM-V に お い て SAD は「 社 交 不 安 症 / 社 交 不 安 障 害( 社 交 恐 怖 )」 と 明 記 さ れ て お り, わ が 国 に お い て は, SAD の 生 涯 有 病 率 三 ~ 一 三 %( American Psychiatric Association : Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders.Fourth Edition , American Psychiatric Association , W ashington , D.C. , 1994 ) に 基 づ き, 日 本 国 総 人 口 一 ・ 二 七 億 人( 総 務 省 統 計 局 人 口 推 計, 平 成一五年一〇月一日分)より試算すると,潜在的な患者 数は三〇〇万人以上にものぼると推定されている。 2 社交不安の心理学的維持モデル 近 年, Beck ( 1976 ) の 認 知 理 論 を 援 用 し て 抑 う つ・ 不 安 等 の 臨 床 像 を 把 握 す る 試 み が 注 目 さ れ て い る。 SAD 症 状 の 代 表 的 な 心 理 学 的 維 持 モ デ ル に Clark & W ells ( 1995 ) の「 SAD の 認 知 モ デ ル 」 と Rapee & Heimberg ( 1997 ) の「 社 交 恐 怖 に お け る 不 安 の 認 知 行 動 モ デ ル 」 が あ る。 こ の 二 つ の モ デ ル を も と に, SAD の心理学的メカニズムの解明や,心理学的介入について の研究が進められてきた。これら二つのモデルでは,対 人場面において,自身のネガティブなスキーマが活性化 されることでネガティブな自動思考が生起するため,対 人 場 面 そ の も の を 脅 威 と 認 知 し, ネ ガ テ ィ ブ な 自 己 イ メージを持ったり,他者からネガティブな評価を受ける ことへの懸念が発生したりすることが不安を生じさせる と 考 え ら れ て い る。 よ っ て, SAD 患 者 は 社 交 的 場 面 に おいて,自身に関して否定的な信念をもっており,スト レスを感じる場面で悪いことが起きると予測する傾向に あ る こ と が SAD の 疾 患 の 維 持 要 因 と な っ て い る と い え る。 3 ソーシャルスキルと社交不安
大学生におけるソーシャルスキルと社会不安と
の関連
臨床心理学専攻 山下 沙織SAD 症 状 を 低 減 す る 重 要 な 要 因 と し て ソ ー シ ャ ル ス キルが注目され,ソーシャルスキルに関する研究が多数 報告されている(相川 ・ 藤田, 2005 )。相川 ・ 佐藤 ・ 佐藤 ・ 高 山( 1993 ) は「 社 会 的 ス キ ル の 生 起 過 程 モ デ ル 」 を 提 唱 し, 「 社 会 的 ス キ ル と は, 対 人 場 面 に お い て, 個 人 が相手の反応を解読し,それに応じて対人目標と対人反 応を決定し,感情を統制したうえで対人反応を実行する ま で の 循 環 的 な 過 程 」 と 定 義 し て い る( 相 川, 2009 )。 ま た, 藤 本・ 大 坊( 2007 ) は ソ ー シ ャ ル ス キ ル を 階 層 構造として捉えた「スキルの扇」を提唱している。 4 ソーシャルスキル・トレーニングと社交不安 近 年, ス キ ル 研 究 の 実 践 的 応 用 で あ る ソ ー シ ャ ル ス キ ル・ ト レ ー ニ ン グ( social skills training : 以 下 SST と す る ) の 取 り 組 み が, 学 校 教 育 場 面 を 中 心 に 積 極 的 に 行 わ れ て い る( 渡 辺・ 山 本, 2003 )。 従 来 の 研 究 で 指 摘 さ れ て き た 社 会 的 ス キ ル 欠 損 仮 説( Trower et al. , 1978 ) に よ る と, SAD 患 者 が 社 会 的 な 場 面 に お い て 適 切な行動をとるためのソーシャルスキルを欠いているた めに, SAD 症状が発症すると考えられてきた。 現在では, SST は, SST の対象者を精神医学領域の患者とした「治 療法」 として捉えるのではなく, 一般健常者を含めた 「予 防法」として位置づけられてきている。 5 ソーシャルスキル測定 ソ ー シ ャ ル ス キ ル の 概 念 の 明 確 化 や SST の プ ロ グ ラ ムの拡大に伴い,ソーシャルスキルの実証的な研究が求 められてきた。現在,様々なソーシャルスキル測定尺度 が存在しているが,方法の簡便さからスキル測定には自 己報告尺度を用いた質問紙法が多く使用されている。自 己報告尺度によるソーシャルスキルの測定は,ソーシャ ルスキルに関する個人の主観的な知識,感情,認知傾向 を測定することは十分に可能であるが,自己のもつソー シ ャ ル ス キ ル と 実 際 の 行 動 が 一 致 し て い る か ど う か は 十 分 に 確 認 さ れ て い な い こ と が 指 摘 さ れ て い る( 相 川, 2000a )。 また, 自己評定によるソーシャルスキル測定は, 社会的な望ましさ, 反応の構え, 無関心など, 態度によっ て大きく左右される可能性があり,自己評定と実際の行 動との間にズレが生じる可能性が指摘されている (渡辺, 1996 )。 6 本研究の目的と意義 本 研 究 で は 第 一 に, ソ ー シ ャ ル ス キ ル と SAD 症 状 と の関連を検討することを目的とする。第二に,ソーシャ ル ス キ ル の 基 礎 ス キ ル の 要 素 と な る 解 読 ス キ ル に 注 目 し,解読スキルの概念,枠組みを明確にするため社会的 技能尺度(
Social Skills Inventory
:
SSI
測定項目の構成概念の見直しを行う。第三に自己報告尺 度を用いた質問紙法によるソーシャルスキル測定の限界 から,実際の日常場面を用いた実験研究を行い,正確な 解 読 ス キ ル を 測 定 し た う え で, SAD 症 状 と の 関 連 を 検 証する。 7 本研究の構成 本 研 究 は 四 章 か ら 構 成 さ れ る。 本 章 で は, SAD の 疫 学やソーシャルスキルの概念について触れ, SAD とソー シャルスキルに関する先行研究をふまえて,本研究の目 的および構成について述べている。第二章では,研究1 で 既 存 の ソ ー シ ャ ル ス キ ル 尺 度 を 用 い, SAD 症 状 と の 関連について検討し,研究2では既存のソーシャルスキ ル 尺 度, な か で も 解 読 ス キ ル 尺 度 を 整 理 し, 研 究 3 で SAD 症 状 と の 関 連 を 再 検 討 す る。 第 三 章 で は, 実 験 法 に よ り 解 読 ス キ ル を 測 定 し, SAD 症 状 と の 関 連 を 検 討 する。そして,第四章では,本研究の一連を通じて総合 考察を行い,本研究で得られた成果の意義と今後の課題 についてまとめる。 第二章 ソーシャルスキルと社交不安 研究1 ソーシャルスキルと社交不安との関連 本 研 究 で は, 社 会 的 技 能 尺 度( SSI ): Social Skills Inventory (Riggio, 1986) が 作 成 し た 自 己 報 告 尺 度 の 日 本 語 版( 榧 野, 1988 ) を 使 用 し, ソ ー シ ャ ル ス キ ル を 測定する。 SSI の六つの下位尺度を 「記号化スキル」 「解 読 ス キ ル 」「 統 制 ス キ ル 」 の 三 つ に 分 類 し, ソ ー シ ャ ル ス キ ル と SAD 症 状 と の 関 連 を 検 討 す る こ と を 目 的 と し た。 結 果, ソ ー シ ャ ル ス キ ル 全 体 と SAD 症 状 と の 関 連 がみられなかったが,ソーシャルスキルの根源とされて い る 解 読 ス キ ル と SAD 症 状 と の 関 連 に 関 し て は, 解 読 ス キ ル を 持 ち 備 え て い る 者 ほ ど, SAD 症 状 が 高 ま る と いう結果が得られた。この結果は,従来のソーシャルス キ ル を 有 し て い る 者 ほ ど SAD 症 状 が 低 減 さ れ る と い う 結果とは異なるものであり,ソーシャルスキル,なかで も 解 読 ス キ ル に 注 目 し, SAD 症 状 と の 関 連 を 詳 し く み ていく必要がある。 研究2 既存の解読スキル尺度の整理 解読スキルを測定する尺度の項目構成の見直しを行う た め に, 研 究 1 で 用 い た Riggio ( 1986 ) が 作 成 し た 自 己 報 告 尺 度 の 日 本 語 版, 社 会 的 技 能 尺 度( SSI )( 榧 野, 1988 )のうち解読スキルを測定している下位尺度 “ 情 緒 的 感 受 性 ” と “ 社 会 的 感 受 性 ” の 二 因 子 三 〇 項 目 を整理し,項目の内容の妥当性と内的整合性を検討する
こ と を 本 研 究 の 目 的 と し た 。 そ の 結 果 , “ 情 緒 的 感 受 性 ” と “ 社 会 的 感 受 性 ” の 二 因 子 二 二 項 目 か ら 成 る 解読スキル測定尺度が作成された。 研究3 解読スキルと社交不安との関連 研 究 2 で 作 成 さ れ た 解 読 ス キ ル 測 定 尺 度 を 用 い て SAD 症 状 と の 関 連 を 検 討 す る こ と を 目 的 と し た。 そ の 結 果, 研 究 1 と 同 様, 自 己 の 解 読 ス キ ル が 高 い 者 ほ ど, SAD 症 状 を 感 じ や す い こ と が 示 さ れ た。 研 究 1 と 同 様 の結果が得られ,この結果から,否定的な認知を活性化 させるスキーマや判断,解釈バイアスといった認知的側 面とスキルとの関連が示唆された。また,自己報告尺度 を 用 い た 質 問 紙 法 に よ る ス キ ル 測 定 の 限 界 が 示 唆 さ れ, 正確な解読スキルの測定を行うために,今後実験法によ り ス キ ル 測 定 を 行 っ た う え で SAD 症 状 と の 関 連 を 検 討 していく必要があるだろう。 第三章 対人関係解読スキルと社交不安 研究4 大学生における対人関係解読スキルと社交不 安との関連 我々は,日常生活で他者との円滑なコミュニケーショ ンを築くために,様々なソーシャルスキルを身につけて いる。 他者との対人コミュニケーションの中で自己認知, 他者認知を繰り返しながらスキルの不足があればそれを 補い, 変化への対応を心がけなければならない。 ソーシャ ル ス キ ル の 重 要 性 か ら, 表 出, お よ び 解 読 に 注 目 し た ソ ー シ ャ ル ス キ ル を 測 定 す る 尺 度 が 作 成 さ れ て い る が, ソーシャルスキルそのものは対人場面において発揮され るものであり,正確なスキルの測定を行うためには,自 己評定や認知的な側面に左右されやすい自己報告尺度を 用いた質問紙法ではなく,個人のもつスキルと実際の行 動との差を最大限に考慮した,実際の日常的な対人場面 を用いた実験的研究を行う必要がある。本研究では,対 人関係解読場面を用いた実験法により解読スキル測定を 行 っ た う え で, SAD 症 状 と の 関 連 を よ り 明 ら か に し て い く こ と を 目 的 と し た。 そ の 結 果, 解 読 ス キ ル と SAD 症状との関連は見られなかったが,対人関係解読の正解 読数と対人関係解読に用いる非言語的手がかり数,また SAD 症 状 と 非 言 語 的 手 が か り 数 と の 間 に 部 分 的 に 関 連 が見られた。 第四章 総括 1 本研究の結果の要約 研 究 1 で は, ソ ー シ ャ ル ス キ ル と SAD 症 状 と の 関 連
を検討するために質問紙調査を行った。その結果,統制 ス キ ル, 解 読 ス キ ル に お い て は 部 分 的 に 関 連 が み ら れ, 統 制 ス キ ル, 解 読 ス キ ル が 高 い 者 ほ ど, SAD 症 状 が 高 まる傾向にあるという結果が得られた。この結果は,従 来 の ソ ー シ ャ ル ス キ ル と SAD と の 研 究 に よ る ソ ー シ ャ ル ス キ ル の 低 下, 欠 如 に よ り SAD 症 状 が 高 ま る と い っ た説と異なる結果となった。 研究2では解読スキルの構成概念の見直しを行うため に, 研 究 1 で 用 い た SSI の 中 で 解 読 ス キ ル を 測 定 し て い る項目の内容の妥当性と内的整合性を検討した。その結 果,情緒的感受性尺度と社会的感受性尺度の二因子によ る 二 二 項 目 で 構 成 さ れ る 解 読 ス キ ル 尺 度 が 作 成 さ れ た。 作成された尺度は,信頼性と妥当性が確認されている。 研究3では研究2で作成された解読スキル尺度を使用 し, SAD 症 状 と の 関 連 を 検 討 し た。 そ の 結 果, 研 究 1 の研究結果と同様, 解読スキルを高く有している者ほど, SAD 症状が高まる結果となった。 研究4では,対人場面でのコミュニケーションで重要 となってくる非言語情報に焦点をあて,実験法により解 読 ス キ ル を 測 定 し, 解 読 ス キ ル と SAD 症 状 と の 関 連 を 検 討 し た。 そ の 結 果, 対 人 関 係 解 読 の 正 解 読 数 と SAD 症状との関連は見られなかった。しかし,正解読数と対 人 関 係 解 読 に 用 い る 非 言 語 的 手 が か り 数, ま た SAD 症 状と非言語的手がかり数との間に部分的に関連が見られ た。 2 本研究の総合考察 本 研 究 に お い て 他 者 の 反 応・ 思 い を 読 み 取 る「 解 読 」 に 焦 点 を あ て, 解 読 ス キ ル と SAD 症 状 と の 関 連 の 研 究 を 行 っ た と こ ろ, 解 読 ス キ ル を 高 く 有 し て い る 者 ほ ど, SAD 症 状 が 高 ま る と い っ た 結 果 が 得 ら れ, 従 来 の 研 究 結果と異なる見解が得られた。これらの結果から, SAD 症状と認知的要因との関連性が示唆され,個々人が解読 スキルそのものを高く有していたとしても,自己のスキ ルに対する否定的な認知や解読前後の解釈において過度 に否定的な判断バイアス・認知バイアスの影響を受ける こ と に よ っ て, SAD 症 状 が 高 ま る 可 能 性 が 考 え ら れ る。 従 来 の 研 究 に よ り, SAD 症 状 と 認 知 的 要 因 に つ い て の 研究は多くなされているが,解読スキルに特化した認知 的 要 因 を 踏 ま え た SAD 症 状 と の 関 連 は 精 査 さ れ て い な い。 よ っ て, 今 後 さ ら に 解 読 ス キ ル と SAD 症 状 と の 関 連 を詳しく検討していくために,認知的要因の検討を踏ま え た う え で, SAD 症 状 と の 関 連 を 精 査 し て い く 必 要 性 が示唆される。
派遣労働者におけるワーク・エンゲイジメント
と職業性ストレス諸要因の関連
―派遣労働を選択した理由別による検討―
臨床心理学専攻 吉岡 瞳 問題と目的 現代の日本における労働環境は、長引く構造的不況の 影響を大きく受けており、非正規雇用者の増加やメンタ ルヘルス不調に陥る者の増加が問題となっている。若年 層の非正規労働者は増加し続けており、若年派遣労働者 の 増 加 は 特 に 顕 著 で あ る。 不 況 に よ る 就 職 難 に よ っ て、 主に新卒者が正規雇用に失敗した末に、非正規雇用の中 でも比較的賃金や待遇がよいとされる派遣労働者という 雇用形態を選択することが多いとされる。現在は派遣労 働者として働いているが、いずれは正社員として雇用さ れることを望んでいるといった労働者は、全体の約半数 であることが示されており、このような場合は雇用その ものが不本意であることから、働き方や職務遂行も不満 足なものになりがちであり、メンタルヘルス不調に陥り やすいと考えられる。ところが、これまでの派遣労働者 のメンタルヘルスに関連する実証的な研究は少ない。派 遣労働者のメンタルヘルス対策に取り組むためには、派 遣労働者の実像を正しく捉え、派遣労働者の派遣労働に 対 す る 根 本 的 な 意 識 を 考 慮 し て 検 討 す る 必 要 が あ ろ う。 我が国における「正社員として働ける会社がなかったか ら」現在の雇用形態を選択した層における派遣労働者の 割合は、契約社員やパートタイム労働者よりも圧倒的に 多い。特に「正社員になれなかったために仕方なく派遣 労働を選択した」派遣労働者は、他の理由によって派遣 労働を選択した者とは理由の質が異なる。そのため、 「正 社員になれなかったために派遣労働を選択した」派遣労 働者は、仕事に対する意欲や満足感が低く、メンタルヘ ルス状態が良好とはいえないことが予想される。 そこで本研究では、派遣労働を選択した理由別に、派 遣労働者のストレス諸要因と職務満足感、ならびに仕事 に対する従事意欲に関するワーク・エンゲイジメントを 検討することを目的とする。 調査の内容と結果 研 究 1 で は、 一 般 型 派 遣 労 働 者 を 対 象 に、 We b 調 査 方式の質問紙調査によって、ストレス反応、仕事のスト レス要因、職務満足感、ワーク・エンゲイジメントの値を測定し、派遣労働を選択した理由別に比較した。その 結 果、 「 正 社 員 と し て 就 職 で き な か っ た 」 た め に 派 遣 労 働 を 選 択 し た 群 は、 「 給 与 」 の 額 を 理 由 に 派 遣 労 働 を 選 択した群と比較するとストレス要因が多く、職務満足感 が 低 か っ た。 ま た、 「 正 社 員 と し て 就 職 で き な か っ た 」 ために派遣労働を選択した群は 「色々な企業で働きたい」 ために派遣労働を選択した群と比較すると多くのストレ ス要因に晒されており、ストレス反応が高かった。この 結果から、不本意な就労を余儀なくされている「正社員 として就職できなかった」派遣労働者は、職場環境から の様々な要請によってストレッサーを生起しやすく、ス トレス反応の高い状態が形成されやすいと考えることが で き る。 一 方 で、 ワ ー ク・ エ ン ゲ イ ジ メ ン ト に 関 し て、 群間の差異はみられなかった。その要因として、派遣労 働という雇用環境が、労働者にとって仕事にエンゲイジ メ ン ト し に く い 環 境 で あ り、 ど の 群 に お い て も ワ ー ク・ エンゲイジメントが高い状態を維持しにくいためである と予測される。 研究2では、実際に派遣労働者に対するインタビュー 調査をおこない、調査によって得られたデータから、ス ト レ ス 要 因 や 職 務 満 足 感、 ワ ー ク・ エ ン ゲ イ ジ メ ン ト、 およびそれらを規定する要因を明らかにし、派遣労働を 選 択 し た 理 由 に よ る 差 異 の 検 討 を お こ な っ た。 そ の 結 果、インタビュー対象者における派遣労働を選択した理 由は、 「派遣労働の特徴や利点を重視しているかどうか」 「 今 後 も 派 遣 労 働 を 継 続 す る 意 思 が あ る か ど う か 」 の 二 軸において四群に分けられた。また、派遣労働の特徴や 利点を重視し、勤続意思のある「派遣労働理想」群は他 の群よりもストレス要因に晒されている程度が高く、給 与や福利厚生を理由に派遣労働を選択し、派遣労働の特 徴や利点を重視しているが今後派遣労働を継続する意思 は な い「 給 与・ 福 利 厚 生 」 群( 以 下「 給 与・ 福 利 厚 生 」 群)および仕事内容を理由に派遣労働を選択し、派遣労 働の特徴や利点を重視していないが今後も派遣労働を継 続する意思のある 「仕事内容」 群 (以下 「仕事内容」 群) よりも職務満足感が低かった。さらに、派遣労働の特徴 や利点を重視せず、 勤続意思も低い「正社員までの過程」 群 は、 「 給 与・ 福 利 厚 生 」 群 お よ び「 仕 事 内 容 」 群 よ り も職務満足感が低く、他の群よりもワーク・エンゲイジ メ ン ト の 程 度 が 低 か っ た。 こ の 結 果 か ら、 「 派 遣 労 働 理 想」群は、主に仕事のコントロール度が低い職場環境に よるストレス要因を知覚しやすく、労働や仕事内容に対 して得られる報酬の不公正感によって職務満足感も低い ために高ストレス状態に陥りやすいことが示された。一 方、 「 正 社 員 ま で の 過 程 」 群 は、 派 遣 労 働 を 正 社 員 就 業 までの過程であると捉えているため、現在の仕事や職場
環境に対する関心が薄く、職務満足感やワーク・エンゲ イジメントが高まりにくいことが示された。 考察 研 究 1 や 研 究 2 の 派 遣 労 働 を 選 択 し た 理 由 の 分 類 で は、職業性ストレス諸要因およびワーク・エンゲイジメ ントにおける差異は部分的に示されたのみであり、派遣 労働を選択した理由を包括的に捉え、各変数の差異を明 確にするには不十分であった。その要因として、派遣労 働を選択した理由は質的な変数であり、我々が就業する 際 は 様 々 な 要 因 を 複 合 的 に 選 択 し、 採 用 し て い る た め、 派遣労働を選択した理由を単純な次元構造として捉えら れない。そのため、本研究の派遣労働を選択した理由の 分 類 で あ る 四 類 型 は 適 切 で は な か っ た こ と が あ げ ら れ る。 まず、派遣労働者の職業性ストレスについて、研究1 で「正社員になれなかったために仕方なく」派遣労働を 選択した層は、それ以外の層と比較すると、部分的にで はあるが、ストレス反応および仕事のストレス要因はと もに高水準であることが示された。また、研究2におい て「派遣労働理想」群はより多くのストレス要因を知覚 しやすく、特に仕事に対するコントロール度が低いこと は主要なストレス要因であることが示唆された。これら の結果から、本意型の派遣労働者にとって最も負荷の大 きな仕事のストレス要因は仕事のコントロール度である こ と、 派 遣 労 働 に 対 し て 不 本 意 で 消 極 的 な 層 は 職 場 の 様々な要請を否定的に認知しやすく、派遣労働に対して 積極的で受容的な層は派遣労働の特徴である仕事のコン トロール度の低さがストレス要因となり、双方ともに心 理的ストレスを感じやすい層であることが推察される また、研究2においてそれぞれの派遣労働者における 派遣元担当スタッフからのソーシャルサポートが派遣労 働者の仕事のストレスに大きく影響していることが示さ れ、派遣労働者に対するサポート体制が整備されている ことは、派遣労働者を取り巻く現状においてストレス反 応を低減させる大きな要因であることが示された。 次に、派遣労働者における職務満足感について、研究 1では「正社員になれなかったため」に派遣労働を選択 し た 層 は、 「 給 与 」 群 と 比 較 し て 職 務 満 足 感 の 値 が 低 い ことが示された。また、 研究2において、 「派遣労働理想」 群と「正社員までの過程」群は他の二群と比較して職務 満足感が低いことが示された。さらに、本意型の派遣労 働者の職務満足感の程度を規定する主要な要因は、仕事 をおこなううえで支払われる努力に対する得られる報酬 の公正さであること示された。仕事における努力と報酬
の公正さは職務満足感の構成概念であると同時に、努力 ―報酬不均衡モデルにおいてストレス反応に影響を及ぼ す要因である。仕事に対する努力を促す要因は外的要因 である「仕事の要求度」と内的要因である「要求状況で 労 働 者 が も つ 動 機 づ け 」 で あ る こ と か ら、 「 正 社 員 に な れなかったため」に派遣労働を選択した層や派遣労働を 「 正 社 員 ま で の 過 程 」 で あ る と 考 え て い る 層 の 場 合、 派 遣労働における仕事の要求度の低さに加え、派遣労働者 としての仕事を要求された状況における動機づけも弱い ために、仕事に対する努力が不足し、周囲からの評価が 低くなりがちである。そのため、本人にとっては努力に 対する周囲からの評価が公正でないと感じやすく、職務 満足感が低下すると考えられる。また、 「派遣労働理想」 群の場合も、本人の動機づけは高いものの、要求度が低 い仕事を続けざるをえないため、仕事の努力が促進され にくい。職務満足感が低下すると、仕事のストレス要因 がストレス反応に大きく影響するため、メンタルヘルス 不調に陥りやすいといえる。 最後に、派遣労働者におけるワーク・エンゲイジメン トについて、研究1では、派遣労働を選択した理由別に おいてワーク・エンゲイジメントの値に差異はみられな か っ た。 研 究 2 に お い て、 「 正 社 員 ま で の 過 程 」 群 は 他 の群と比較してワーク・エンゲイジメントの程度が低い 傾向にあることが示された。ワーク・エンゲイジメント を 規 定 す る 要 因 は 主 に 仕 事 の 要 求 度 と 仕 事 の 資 源 で あ り、 仕事の資源には、 同僚からの支援や良好な人間関係、 上司からの関与や建設的なフィードバック、成長の機会 や仕事の自律性などがあげられる。しかし、派遣労働者 の労働環境において、これらの資源はしばしば不足しが ちである。そのため、派遣労働者は総じてワーク・エン ゲ イ ジ メ ン ト が 向 上 し に く い。 ま た、 「 正 社 員 ま で の 過 程」群は派遣労働者としての労働を自発的なものではな く、正社員になる過程の一部として位置付けているため に、現行の労働環境に対して受動的であり、資源を活用 したりしたり開発することは少ないといえる。 また、ストレスや職務満足感、ワーク・エンゲイジメ ントの得点にいずれの選択理由の分類においても明確な 差がみられなかった理由として、派遣労働者は比較的容 易に別の企業で働き始めることができ、それらを繰り返 すごとに労働環境も一新されるため、実際の測定時には ストレス諸要因やワーク・エンゲイジメントの値には差 異がみられないことも考えられる。 それらを防ぐために、 離職時や派遣登録時からの縦断的な調査も必要であると 考えられる。 今後の展望
本研究では派遣労働者の従事する職種や業種を考慮し ないまま検討をおこなった。従業員の自覚する職場スト レッサーの特徴は、業種・職種などの職場集団の特徴に より大きな影響を受けるとされ、同様に、従業員の自覚 する職務満足感の特徴も、職場状況および職場の諸特徴 により大きく異なることが示されている。また、職務満 足感のストレス反応に対する効果を検討する際には、業 種・職種などの所属集団の特性を踏まえた上で検討して いくことが、重要と考えられる。よって、今後派遣労働 者における仕事のストレスを調査する際には、業種・職 種の分類を含む検証が必要である。 労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の 保護等に関する法律への改正によって派遣労働者を取り 巻く環境が変化していくなか、このように不満を抱えな がら労働を続けていく者への心理的支援や、働きやすい 職場づくりは、派遣労働者を雇用する企業にとっての今 後の課題であると思われる。