肴 倉 宏
1811mad肋8h㏄a刷㏄加dge
Hiroshi Sakanakura 抄 録 光と闇は、肋ε肋施を構成する重要な要素であるだけでなく作品のテーマを支える重 要な意味も与えられている。光と闇は、それぞれ、善と悪を象徴的に示している。 lshmael Bushは、悪に蝕まれた人物として描かれている。彼は、物語の中で偽審判者の役 割を果たしている。彼が偽審判者になった原因は、魂の再生を体験していないからであ る。 キーワード:ジェームズ・フェニモア・クーパー、 「大草原」、イシュマエル・ブッシュ (2000年8月31日 受理) Ab剛mclThe contrast between1ight and darkness constitutes both structural and thematic frames of 肋e戸庖㎞e.Light symbolizes good while darkness symbolizes eviL lshmaeI Bush is described to be a pe帽。n po弱essed by evll He plays the ro1e of a false】udge m the na皿atlve The unde卜 1ying cause is to be sought in the fact that lshmael Bush has no regenerative expe㎡ence.
KeywoId8:』ames Fenimore Cooper,肋e〃口㎞e,Ishmael Bush
(Received August31.2000)
」ohnP.McWi11iams,』r.は、」amesFenimoreCooperの作品肋e〃。伽(1827)に描かれて
いるlshmael BushをNatly Bumppoより高く評価している。彼は、次のように述べてい
る。
It is lshmael Bush,not Na町Bumppo,who restores social order at the end of肋e〃。’比.
Because Ishmae1be1ongs to society,even in its lowest form.he can bhng rudimentaW fomsoicivi1justicetothebarbarouswiidemess.(1〕 McWiliiamsは、lshmael Bushが物語の最後で荒野に正義をもたらし社会秩序を回復して いるからNat蚊Bumppoより重要なのだという。 しかし、光と闇から構成された舞台の中で肋肋施のishmaeiBushを捉え直してみ るとどうなるであろうか。光と闇から構成された舞台の中で捉え直してみると、lshmae1 Bushは、象徴的な意味を与えられた新しい人間像として浮かび上がってくるように思え るのである。そして作品を構成する舞台は、重要な意味を持ってくるように思えるのであ る。 光は、作品肋e〃。肋の舞台を構成する重要な要素となっている。Cooperは、物語の 第1章と最終章の第34章で夜の闇が訪れる直前に燃えるように輝いている夕陽を描いた。 このようにして、彼は肋ε肋椛の物語を光の枠組の中に置いているのである。しかし、 この作品で光が果たす役割は、作品を構成する要素として重要であるだけでない。それ は、作品のテーマを支える重要な意味をも与えられている。Cooperは、夕日に示される 光が象徴的な意味を持っていることを示そうとしたのである。第1章でCooperは、夕日 の場面を次のように描いている。
The sun had fauen below the crest or the nearest wave of the Prai㎡e,leaving the usual
hchandglowingtrainon i舳ack−lnthecentre ofthisHood offie引ighta human fom
appeared,drawn against the gilded background,as distinctly,and seemingly as palpa− ble,砥though it wouid come within the grasp of any extended hand−The figure w譜。o− 1ossal;the attitude musing and melancholy,and the situation direct1y in the route oi the traveue帽.But embedded,as it was,in its setting of garish1ight,it was impossible to di$ ti・g・i・hi帥・tp・・p・れi・・…tm・・h・…t・・.(14−15)(2)
Nat蚊Bumppoは、小高い丘の上に立って燃えるように輝いている夕日を満身に浴びてい る。この場面にやってきたishmaei Bushは、Natty Bumppoを照らし出している夕日の背 後に自然現象を越えた宗教的な意味を読み取ったのであろうか、一瞬、“supe帽titious awe” i15)に打たれて立ち止まってしまうのである。Cooperの作品における光の使い方 に関心を寄せているDonald A,Ri㎎eは、肋e肋池の冒頭の夕日の場面に注目して“the light_sumundsthetrapperwithahaio」o川ght,andineflect,a㎞ostsanctifieshim。”(3〕と述 べている。冒頭の夕日は、宗教的な意味が込められているとRingeは指摘してるのであ る。 光に与えられた象徴的な意味は、最終章の第34章でさらに強調されている。死を目前に しているNattyBumppoが、Duncan UncasMidd1eton.Pau1Hover,Pawnee族のHard−He舳 一106一
たちに囲まれて夕日を見つめている。Cooperは、その様子を次にように描いている。
The trapper had remained near1y motionless for an hour.His eyes,alone,had occasion−
a11y opened andshut.When opened his gazeseemed fastened on the doudswhich hung
aroundthewestemhohzon,reHectingthebrightco1ou帽and giving fom and loveliness
to the g1orious tints of an American sunseしThe hour−the ca1m beauty or the season− the occ砥ion a11 conspired to fm the spectato帽with so1emn awe.(385)
夕日が放つ光は、ここでは、Nat}Bumppoをはじめとして夕日を見つめているものたち の心に畏敬の念を呼び起こしている。そして、それから間もなく、Natty Bumppoは両側 を支えられながら立ち上がり、“withafinemilitalye1evationofthehead,andwithavoice
that mightbe heard in eveW pa血。l that numerous assembly”(385)と描かれているように
姿勢を正し大きな声で“Here!”(385)と応答している。夕日に示された光は、人間の全身 全霊を持って応答しなければならない神的な存在を象徴的に示しているのである。 Cooperは、肋e肋加eの第1章と最終章で栄光に輝く夕日を描いた。そうすることに よって、彼はこの作品を包む枠組みを作り上げた。しかも、作品を包む枠としての光は、 夕日が織り成す色彩的な美しさを強調するためではなく、明らかに神的な意味を帯びる象 徴性を与えられているのである。 肋e肋〃eの舞台を構成するもう一つの重要な要素は、闇なのである。Cooperは、物 語の冒頭の夕日の場面に続いて、すなわち第1章後半から第6章にかけて闇の場面を描い た。闇は、光と同様に作品のテーマを支える重要な意味を与えられている。Cooperは、 闇に与えられている意味をSiouxes族を通して示一している。“the lshmaelitesoftheAmeH・ can dese応”(40)と描かれているSiouxes族は、NattyBumppoに“the miscreants!”(37) や“the thieves”(38)と言われている。彼等は、倫理的に腐敗している連中なのである。 Cooperは、夜陰に紛れて獲物を求めて俳個しているSiouxes族を“Aband of bei㎎s,who
resembled demons rather than men sporting in their nightIy revels across the b1eak plain”
(37)と述べている。Siouxes族は、人間というより悪魔に似ているというのである。この ような連中を包み隠す闇は、悪の跳梁を許す象徴的な意味が与えられているのである。 闇に与えられている意味は、Siouxes族の族長Mahtoreeを通して一層強調されている。 Cooperは、Mahtoreeを描くとき蛇のイメージをふんだんに用いている。たとえば、略奪 を企むMahtoreeがlshmael Bush一家のキャンプに忍び込む様子は、次のように描かれて いる。
The progress oi Mahtoree was now slow,and to one less accustomed to such a species of exercise,it would have proved painfully laborious.But the advance of the wi1y snake it− self is not more certain or noiseless,than was his approach.(50)
Mahtoreeは、ずる賢い蛇が音もたてず確実に獲物に近づくよりも巧妙にlshmaeiのキャ
ンプに忍び込むのだ。彼は、lshmael Bush一家の一人一人の顔を覗き込み寝静まっている ことを確かめたうえで、キャンプの中を歩き回る。Cooperは、Mahtoreeの様子を“he
stalked through the encampment,like the master of evii,seeking whom and what he should
H帽tdevoteto fellp岬。ses.”(53)と描いている。残虐な目的を遂げるための犠牲者を探し ているMahtoreeは、悪の化身なのである。Mahtoreeの暗躍を許す闇は、倫理的腐敗を隠 し悪の跳梁する象徴的な意味を与えられているのである。 Cooperは、まず初めに物語の舞台を設定した。彼は、象徴的な意味を帯びる光を物語 の枠組として設定している。神的な意味を与えられた光の枠組みは、その中に倫理的な腐 敗を隠し悪の跳梁する恐ろしい闇を包み込んでしまうものなのである。このようにCoひ perが肋e肋椛の冒頭で見せる光の舞台は、これから繰り広げられる事柄に関する問題 の中心が、光か闇に深い関わりを持つ問題であることを予表しているのである。冒頭の光 の場面は、光が象徴的に表すものを信じるか、それとも闇の世界にとどまるかという倫理 的な問題が、肋肋肋eの中心課題であることを暗示しているのであ糺 1shmae1Bushが、光と闇から構成されている肋e肋〃eの舞台に登場す糺彼は・.第 1章から登場する。ishmaelは、家族を連れてKentucky州からMississippi河を越えて大 草原にやってきたのであ糺彼等は、ちょうど大草原に着いたとき小高い丘の上にたって 燃えるように輝いている夕日を満身に浴びている.Nat蚊Bumppoを見て“supe耐itious awe” i15)に打たれ立ち止まってしまうのである。しかし、このことから、lshmaelBush 一家が燃えるように輝いている夕日に宗教的な意味を読み取っていると判断することはで きない。 lshmae1Bushの光に対する姿勢は、幌馬率を通して描かれている。彼は、何台かの荷馬 車に家財道具を積んできたのだけれども二台目の馬車だけは幌がかけられている。Coひ
perは、二台目の馬車を“The second vehicle was covered with a top of doth so tightly drawn,as to concea1its conte商with the nicεst care・”(13)と描写し読者の注意を引き付
ける。二台目の馬車だけは、中身が見えないように細心の注意を払って幌がかけられてい るのである。lshmae1Bushは、大草原に来る途中で立ち寄ったし。uisianaでそこの有力者
Don Augustin de Ceれavallosの娘でDuncan Uncas Middletonの新妻であるlnezを誘拐し
幌馬車に隠しているのである。彼は、Abiram Whiteにそそのかされて身代金を取る目的 でlnezを誘拐したのである。しかも彼は、家族の他のものには大草原で“a decoy”(92) として使う動物を積んでいると信じ込ませている。1shmaelがlnezを幌馬車の中に隠して いることは、lshmae1の腐敗した人間性を隠すことなのであ孔1shmaelは、家族からだ けでなく象徴的な意味を与えられた光からも自分の倫理的な堕落を覆い隠そうとする。 lshmael Bushは、倫理的腐敗を隠し悪の跳梁を許す闇の側にいる人物なのである。 1shmael Bushが闇の側にいることは、彼とMahtoreeとの関係を通してさらに強調され ている。Mahtoreeは、悪の化身として描かれていた。lshmaelは、Mahtoreeに自分の馬 や家畜を奪われたときは憎しみから復讐を誓う。しかし彼は、NattyBumppoをはじめ MiddletonやPau川。verたちが1nezや団1en Wadeを解放したときは彼等を捕らえるため Mahtoreeと同盟を組む。Nat}Bumppoは、lshmaelとMahtoreeが手を組んだことを Hard−Hea血の話から知るのであ糺彼は、Hard−Hea血から聞いたことをMiddletonやPau1 に次のように話す。 一108一
But he teus me more,my men,and what I am mainiy sony to hear,which is,that the cm− ning Mahtoree,instead of going to blows with the squatter has become his friend,and that both broods,red and white,are on our heels,and outlying around this ve−y buming pIain to circumvent us to our destn』ction.(259)
Natty Bumppoは、1shmaelとMahtoreeが手を組んだというのである。1shmae1は、目的 のためには悪にさえ自分の魂を売る節操のない男である。lshmaelは、悪の化身Mahtoree に人間性を蝕まれ倫理的に荒廃しているのであ糺 1shmael Bushの倫理的に荒廃した姿は、第8章の場面を通して具体的に描かれている。 彼は、この場面で再びSiouxes族に襲撃されても持ちこたえられるようにキャンプを小高 い丘の上に移動させそこに砦を築いている。砦の一番上のところにテントを張り、bh− mae1はその中に1neZを隠している。ところがテントがはためき、1neZが外に現れようと している。lnezが現れることは、lshmae1の倫理的腐敗を白日のもとにさらけ出すことに なるのである。自分の倫理的腐敗を知られたくないlshmaelは、lnezを外に出さないよう テントのそばにいる刷1en Wadeに警告するが、口で言っても効き目がないのでE11enに
鉄砲を撃つ。lshmaelのこの無謀な行為を見た舶aは、“What has E11en done,Father...
thatsheshou1dbeshotat,likeastragg1i㎎deerorahu㎎WwoM1”(90)と言って父を非難す
る。Asaに対して1shmaeiは、“mischief,boy;mischiei.Take you heed,that the disorder
dont spread.”(90)と言う。lshmaelは、E11enが命令に従わなかったことを非難すると同 時に彼女を弁護して父に反抗的な態度を取るAsaを威圧する。実際、lshmaelは、
“strengthofthe elephant’’(12)を背景に父親の権威をちらつかせて“地a,you a〆a man,as
you have o血en boasted;but,remember i am your Father,and your better”(90)とAsaにい
う。lshmae1は、子供たちを人間扱いせず動物のようにみなしている。しかも彼は、父親
の権威や命令に対する絶対的服従を子供達に要求する。lshmael Bushは、子供たちを対等 な人間とみなさず愛情も示さない家父長的権威主義の体現者なのである。
子供たちを抑圧するlshmael Bushは、家族を悲劇的な結末に導くのである。lnezがテ
ントの外に現れると、lshmaelとAsaの対立から地aとAbiramの対立へと移る。父親に
威圧されたAsaは、“the rank1i㎎impuise oi the recent quan・e1”(92)を感じながらも“ln−
stead...oibravingthe resentmentofhisfather”(92)と描かれているように父親の怒りを恐
れてAbiramにはけ口を求めて不満をぶつける。Asaは、Abiramを“The new吐paper of
Kentuc吋have called you a dealer in b1ack Hesh,a hundred times,but1ittle did they reckon
that you dmve the trade into white iami1iesl”(92)と言う。Asaは、奴隷商人のAbiramが
白人まで誘拐したと非難する。Asaに対して、Abiramは、次のように言い返す。
Who is a kidnapper!_Look toyourown iamily,boy;1ook toyou説1ves.The ve1ystumps,
of Kentucky and Temessee,c収.out ag’in ye!Ay,my tonguey gentleman,I have seen,Fa− ther and Mother,and three chiIdren,you帽elHor one,published on・the−ogs and stubs of the settlements with doua帽enough f0Heward to have made an honest man rich,fo卜一 (92)
Abiramは、おまえたちも多額の賞金をかけられているお尋ね者じゃないかとAsaに応酬 する。彼は、IshmaelBush一家が他人の所有地を不法に占拠し彼等を追い立てようとし
た“the she舳s deputy”(58)を射殺したことを指摘しているのである。一族を侮辱され たと感じるAsaは、Abiramを殴りつける。Abiramは、Asaに叩かれたことを根に持ち狩
りにでかけたとき報復として背後から射殺するのである。AbiramによるAsa殺しの原因 は、家父長的権威主義の体現者1shmae1の子供たちに対する姿勢にある。子供たちは、
Asaを死に追い込んだ父親1shmaelに恐怖感を持つのである。実際、Cooperは、子供た ちの目に映ったlshmae1の姿を次のj;うに描写している。
There were,raint and indistinct images in the minds oHwo or three oHhe oldest,which poれrayed the iather,himseIf,as ready to imitate the exampIe of Ab胞ham,Mthout the iustiiication of the sacred authority,which commanded the holy man to attempt the fe− volting office.(143) 子供たちは、lshmaelを神から認められるだけの権威を持たないアブラハムにたとえてい る。lshmaelと地aの関係に示されているように愛の無い命令と服従の親子関係は、恐怖 政治に過ぎないものと子供たちの目に映っているのである。倫理的に腐敗しているlsh− mael Bushは、家族を分裂させる原因を作っているのである。 lshmael Bushは、倫理的に腐敗しているだけではない。彼は、判断力を持たない男とし ても描かれてい糺Cooperは、lshmaelを次のように描写している。
He was tall,sun−bumt man,past the middle age.of a dull countenance and listless man− ner−His irame appeared1oose and Hexible;but it Was vast,and in realily oi prodigious power。_The inferior1ineaments−oi his countenance were coa旧e,extended and vacant; whi1e the superior,or those nob1er paIts which are thought to a肘ect the inte11ectual be−
ing,were1ow,receding and mean.(12)
lshmae1は、図体は大きくけた外れの力を秘めているが、体と対照的に知的部分のある頭
は後退していてみすぼらしいのである。このような1shmaelは、“incapable of matuh㎎
any connected system of forethought,beyond that which re1ated to the interests of the p咋
sent moment” i14)と描かれているように目前のことは考えられるが、先々の見通しを立
てることができないのである。知的判断能力を欠いているlshmae1は、しばしば“oveト fattedb制t”(14)、“awe11fedandfattenedox”(122)、“aリawakenedlion”(145)と動 物のイメージで描かれている…shmael Bushは、倫理的に腐敗しているだけでなく、知 的判断力を欠いた動物的な男でもある。こうしてCooperは、lshmae1Bushが審判者の役 割を果たすにはふさわしくない人物であることを暗示している。 lshmael Bushは、物語の第31章で裁判官の役割をする。ishmaelは、Middletonとlnez, Pau1とE11enそして0bedBattiusやNatlyBumppoたちを前に“lamca11edupon,thisday,
to fi−1the o雌ice,which in the setuements you give unto judges who are set apart to decide on
matte胴that ahse belween man and man.”(343)と宣言する。そして彼は、判断基準とし て“an‘eye mustbe retumed foran eye1and‘a tooth foratooth’”(343)という同質同量の復
讐法を用いるという。自分の役割と判断基準を示したうえで彼は、最初にMidd1etonを裁
くのである。彼は、Midd1etonに次のように言う。
As to ou帽elves,young Captain,there has been wrong on both sides.IH have bome hard upon your fee1ings,in taking away your wife,with an honest intention of giving her back to you when the plans of that devil incamate were answered,so have you bmken into my encampment,aiding and abetting,as they have caued many an hone6ter bargain,in destmying my properly.(345) lshmae1は、inezを誘拐してMidd1etonに辛い思いをさせたと言う。一見すると、彼は、 自分の犯した過ちを反省しているように思える。しかし、すぐに、彼は、Midd1etonの非 をあげつらう。1shmaelは、キャンプに侵入し家財道具を破壊したとMiddletonの非を非 難する。そして1shmae1は、自分もMiddletonも過ちを犯したのでおあいこだと言うので ある。彼は、自分の倫理的腐敗を復讐法を用いて隠蔽しようとしているのである。ish−
maelに家財道具を破壊されたと非難されたMiddletonは、“But what l did,w譜to liberate
一” i345)と言ってlnezを解放するための正当な行動であると抗議する。しかし、lsh−
maelは、Middletonの抗議を途中で遮り、一方的に“The matter is sett1ed between us.”
(345)とMiddletonに言い渡す。独断的に判決を下すlshmae1は“arbitra剛udge”(342) と描かれている。自分の倫理的腐敗を自覚せずしかも復讐法を用いて自分の不正な行為を 正当化しようと腐心するlshmaelは、身勝手で傲慢な裁判官なのである。 ところで、第31章の裁判の場面で見落としてはならない重要なことは、Hard−Hea血の存 在であ糺Hard−He舳は、復活のメシヤであると同時に最後の審判のときの審判者として 描かれている。メシヤHard−Hea血が臨んで行われる第31章の裁判は、すべての人の宗教 的・倫理的行いが裁かれる最後の審判を象徴的に描いているのである。(4)しかし宗教的な 意味を与えられた光から自己の倫理的腐敗を隠そうとしてきたlshmaelは、Hard−Heaれに 与えられている象徴性を理解できないのである。彼は、自分が審判者としてのHard−Hea血 の前に立っていることに気がついていない。実際、Cooperは、lshmaelのHard−He舳に 対する態度を次のように表現している。
Ishmael had received his new aHy with a coldness that showed his entire insensibility to that delicacy,which had induced the young chiei alone.in order that the presence of his wa㎞o曜might not create uneasiness,or distrust.He neither courted their assistance,nor dreaded their enmity,and he now proceeded to the business o“he hour,with as much 砥。omposure as iI the species of patriarchal power he wie1ded was unive帽a11y recog−
nized.(342−343) lshmae1Bushは、Hard−Hea血に冷ややかな態度を取っている。そのうえ、彼は裁判官とし ての権威がHard−Hea血にも認められたものと錯覚している。彼は、Hard−He舳を復活の メシヤであると同時に最後の審判のときの審判者として認識していないのである。Hard− Heaれの象徴性を理解できないままにlshmaelは、MiddletonをはじめNatly Bumppoたち を裁こうとする。審判者としての倫理的にも知的にもふさわしくないままにlshmaelは、 一1ユユー
Hard−He舳の前で審判者のごとく振る舞うのである。彼は、自己の倫理的腐敗を自覚せず しかも法を用いて自己正当化することに腐心していた。メシヤHard−Hea血の前で明らか にされたことは、皮肉にもlshmae1の倫理的に荒廃した姿なのである。lshmaelは、メシ ヤHard−Hea血に裁かれているのである。 批評家たちは、1shmaelについて論じている。』ohn P.McWlams,』rは、1shmae1Bush が荒野に正義をもたらし社会秩序を回復していると述べていた。しかし審判者のごとく振 る舞う1shmaelが、メシヤHard−Healtに裁かれているのである。lshmaelは、正義を行う ところか正義を歪曲していると解釈すべきであろう。Wmiam Wasse舳。mは、第32章で Abiramを処刑したlshmaelについて次のように述べている。
Having o耐ered in sac舳。e that part of himseIf,as we may say,which is gui吋,Ishmael announces his own gui1t,paれicipates in Abiramls agony,achieves expiation and is re− born.(5)
Wasse帽tromは、Abiramの処刑は1shmaelの悪の部分を生費にしたことを表し、それに よって罪の償いをし生まれ変わったのだという。』ames Emmet Lo㎎も同様の解釈をして いる。彼は次のように述べている。
Through Abiram,the consciousness of guilt,of evil in himse1i,and of the need ior purgか
tion breaks upon lshmaers dull mind,moving him toward a kind oheligious awaken− ing.{6〕 Longは・lshmael Bushが罪の意識に目覚めたとい㍉Wasse舳。mもLongもともにish− mae1が宗教的な回心の体験をしているという。しかし、lshmae1は、Hard−Hea血の象徴性 を理解できなかった。そのうえ彼は、審判者の役割を果たそうとしてHard−Hea血に裁か れている。Abiramの処刑が描かれている第32章は、荒涼とした闇の場面である。メシヤ Hard−Hea血に裁かれたlshmael Bushは、倫理的な腐敗を隠し悪の跳梁する闇の中にとど まり象徴的な意味を与えられた光の世界へと踏み出すことがないのである。lshmaelは、 偽審判者なのである。 lshmae1Bushが偽審判者になってしまった原因をさらに究明するためには、少し視点を
変えてlshmaelBushのNat蚊Bumppoに対する姿勢に目を向ける必要がある。Nat蚊
Bumppoは、肋e肋碗εでは罠師として描かれている。罠師は、高齢になり体力の衰えた Natty Bumppoの生計を支える職業であるばかりではなく、象徴的な意味も与えられてい る。Natty Bumppoは、メシヤUncasとHard−Healtの死と復活について語る伝道者である ばかりか聖餐式の司式者としても描かれている。(7〕彼は、Chi㎎achgookとUncasの係わ りに描かれた愛する独り子を犠牲にしてまで人間を救おうとする神の愛、Hard−Hea血の復 活にみられる死からでさえ生を造り出す神の豊かな創造力そして終末の接近について語 り、荒野であった人々や老犬のHectorを聖餐式に招くのである。(8〕彼は、神や人間そし て自然との交わりを深める宗教的な人物なのである。このようなNat1y Bumppoに対する lshmae1Bushの態度は、1shmaei Bushの宗教的な真理に対する姿勢を示すことになるので ある。 一112一lshmael BushがNat蚊Bumppoをどのように理解しているかは、二人の会話を通して浮
かびあがる。lshmael BushとNatty Bumppoの対話に耳を傾けてみる。lshmaelは・最初・
Nat収 Bumppoを大草原に前から住んでいる“an o1d settler”(12)と考える。Natサ
Bumppoがそれを否定すると、彼は“A hunter,l reckon?”(21)と言う。彼は、開拓者で なければ猟師だと考えたのだ。Natty Bumppoは、“You are mistaken,ihend,in caui㎎me
ahunter;lamnothi㎎betterthanatrapper.”(22)とlshmaelに答える。Na岬Bumppoは、 猟師ではなく、罠師だと主張するのである。Nat蚊 Bumppoのこの返答を聞いたlshmael
は、“If you ar’much of the one,rm bold to say you ar’something of the other;ior the two
ca11ingsgomain1ytogether,in these districts.”(22)と言い返す。1shmaelは、猟師でも罠師
でも一緒だという。彼は、猟師であれ罠師であれ獲物を捕る職業には変わりはないという
のである。彼は、Nat蚊BumppoをメシヤUncasとHard−He舳の死と復活について語る伝 道者にして聖餐式の司式者として理解できないのであ札1shmael Bushは、Nat}
Bumppoに与えられている象徴性を理解できない。
lshmael Bushは、Natty Bumppoの象徴性を理解できないだけではない。彼は、Natty
Bumppoに敵意さえ表すようになる。lshmae1は、大草原に着いた夜にSiouxes族に襲撃 され家畜を奪われる。彼は、Siouxes族の襲撃にNat蚊Bumppoが絡んでいると疑うので ある。そして彼は、NattyBumppoに“01dman,youhavebroughtthist㎡beoireddevHs
uPOnus,andtOmOmwyOuwmbesharingthebooty.”(60)と言う。NattyBumppoが
Siouxes族の仲間だろうという印象は、lshmaelの頭からなかなか離れない。Nat取 Bumppoに対するlshmaelの不信感をあからさまな敵意に変えていくのは、Abiramであ る。AbiramがNat}Bumppoを“ourmoれal enemy”(134)と呼ぶのを聞きその直後にκa の死体を発見すると、lshmaelはNat収BumppoをAsa殺しの犯人と思いこむ。Abiramに 比べ頭の回転が鈍いlshmaelは、Abiramの与えた印象を修正できず物語の第31章に至る まで激しい敵意をNattyBumppoに燃やし続け無実のNattyBumppoを裁こうとするのである。NattyBumppoに敵意を抱くlshmaelは、NattyBumppoの語るメシヤUncasと
Hard−Heaれの死と復活の話に耳を傾けることはない。ましてや、彼は、Natly Bumppoが 荒野で執り行う聖餐式に加わることもない。1shmael Bushは、Natty Bumppoの語る宗教的真理を受け入れようとしないのである。
宗教的真理を受容しないlshmael Bushは、人間関係に歪みをもたらす。彼は、Ellenを
“astragg1i㎎deerora hu㎎lywo1f”(90)の様にみなし鉄砲を撃っていたし、長男のAsaを
“one of...meanest catt1e”(90)の様に扱っていた。家族を非人間的に扱うlshmaelの家父
長的権威主義的な姿勢は、Abmmによる柵a殺しを招いていた。1shmaelは、自分の子
供を抑圧するだけでなくインディアンをも一段と低いものと蔑んでいる。実際、彼は、
“1made a forage or two among the Cherokees when l was a1ad myse1i;and l iouowed Mad
Anthonyonese砥。n,through the beeches”(63)と言っている。彼は・インディアンの討伐
作戦に参加したことやインディアン嫌いと言われたMad Anthonyの部下だったことを得 意になって話す。インディアンに偏見を持つlshmaelは、インディアンの土地を所有する
権利を認めようとしない。Nat蚊Bumppoが“The Teton and the Pawnee and the Konza,
andmenofadozenothertribesdaimtoownthesenakediields.”(78)と言ってインディア
ンの権利を弁護すると、ishmaelは、“Naturgives them the lie,in theirteeth.”(78)といっ
てインディアンの権利を真っ向から否定する。lshmael Bushは、自己中心的な男なのであ
る。
宗教的な真理を受容しないlshmael Bushは、人間関係だけでなく自然との関係を歪め
てしまう。彼は、Nat}Bumppoの老犬を見て、“Your hound is o1d,stranger,and a rap on the head wou1d prove a mercyto the beast.”(75)と言う。Hectorは、人問を除いた神の被
造物を象徴する代表として描かれている。(9〕象徴的な意味を与えられているHectorに向
けた無慈悲なlshmaelの言葉は、彼の動物や植物に対する姿勢を物語る。彼は、自然を搾
取するけれど自然に暖かい配慮を示す責務を果たさないのである。実際、彼は、Na町
Bumppoからキャンプにふさわしい場所を聞き出すと子供たちに命じて辺りに牟えている
木を切り倒させている。Cooperは、その様子を“theystripped a small but suitab1e spot of i㎏bu肘hen o“orest,as if a whMwind had passed alo㎎the p1ace.”(19)と描写している。 lshmael Bush一家がキャンプを撤収した跡は、“the desolation ofthescene”(83)と述べら
れているように自然破壊によってもたらされた荒涼とした光景なのである。Natty Bumppoは、荒涼とした光景を目の前にして“This is man1s wish,and phde,and waste, and siniu1ness.”(83)と嘆いている。宗教的な真理を受け入れないlshmae1Bushは、人間
関係においても自然の関係においても破壊的な影響を及ぼしている。
宗教的な真理を受け入れないlshmael Bushを考えるとき見落としはならない重要なこ
とは、物語の時代背景である。Cooperの肋e肋地は、1805年に設定されている。設定
された時代のわずか数年前の1801年にKentucky州Bourbon Count収のCane Ridgeでアメ リカの教会史の上で特筆すべきことが起こっているのである。Sydney E.Ahlstromは、
Cane Ridgeでの出来事について次のように述べている。
The most impoれant fact about Cane Ridge is that it was an unforgettab1e reviva1of reviv− alism,at a strategic time and a place where it could become both symbol and impetus ior the centuW−1ong process by which the greater part oi Amehcan evange1ica1Protes− tantism became“revivalized一”The o㎎anized revival became a major mode of church e次
pansion−in some denominations the maior mode.The words evangelist and evangelism
took on this comotation.今second consequence of this histo㎡c camp meeting and the
great revival which swept across Kentucky,Temessee,and southem Ohio during the
next three yea脂was the vitality which it poured into the participating churches−The fu− ture of the countIy’s denominational expansion was in1arge part determined by the
foundations1・idduringthisperiod.(m〕
Ahlstromは、1801年のCane Ridgeでの「信仰復興運動」が近隣の州に広まっただけでな くほぼ一世紀にわたってアメリカのキリスト教を活性化するきっかけになったという。 Kentuc吋州Cane Ridgeでの「信仰復興運動」が、第二回目のr大覚醒運動」の先駆けに
なったのである。
lshmae1Bushは、Ke耐ucky州出身である。彼は、自分の故郷であるKentuc吋州や近隣
の州に広まった「信仰復興運動」にどのような態度をとったのであろうか。Abiramと
lshmae1の話に耳を傾けてみることにする。Abiramは、巡回牧師の説教を聞いたことが
あるという。そして彼は、その話をlshmae1に次の様にいう。
.Neither you nor l,wiu ever be the betteバ。r what we have done,unless we thoroughly finish what is so we11 begun.Ay,that is the doctrine of the who1e world,1judge:I heard a travelling Preacher,who was ski血ing it down the Ohio,a time since,say if a man should Iive up to the faith,for a hundred yea脂,and then fall from his work a sing1e day, he would find the settlement was to be made ior the finishing blow that he had put to his job,and that au the bad and none of the good would come into the iinai account.(87)
Abiramは、牧師が信仰にいきるように奨励していたという。lshmaelは、Abiramの言葉
を聞くと・“And you believed the hu㎎W hypocrite?”(87)と言って冷やかす。!shmaelの
冷やかしに対してAbiramは、次のように答えている。
Who said that l believed it!一。一1s it believing to tell what a roguish−and yet lshmael,the man might have been honest after au.He to1d us that the world was,in tmth.no better than a deseh,and that there was but one hand that could1ead the most leamed man through a11its crooked windings.Now,if this be true of the whole,it may be tme of a pa血.(87) Abiramは、倫理的に不毛な世界の中でイエス・キリストだけが人を導くことができると いう話を巡回牧師から聞いたという。彼は、lshmae1よりはキリスト教の中心的な教えを 理解するだけの頭脳は持っている。けれども彼は、自分の奴隷商人としての生き方を悔い 改めていない。それどころか、彼は、lnezを誘拐し幌馬車に隠しているのである一sh− maelは、牧師を偽善者にすぎないと決めつけ牧師の話を聞いたAbiramを冷やかす始末 であ糺1shmae1Bushは、Kentuc吋州の「信仰復興運動」のことは知っているのだけれ ども自分たちの生き方を悔い改め魂の再生を得る機会を失っているのである。このような lshmae1BushがNatty Bumppoの象徴性を理解し彼の語るメシヤUncasとHard−He舳の 死と復活の物語に聞き入るのは、至難の業であろう。lshmaelは、魂の再生の体験をして いないのである。lshmael Bushが偽審判者になってしまった原因は、魂の再生を体験して いないことにある。 注 (1)』ohn P.McWilliams,」r.Po伽。o〃u∫比εfηo他ρub〃。リロmεs柁η’mo”2Cooρε{λmε叱。(Berkeley= Unive鴨吋。1Califomia Press,1972)268 (2)』amesFenimoreCooper肋ε肋’㎡ε’ハ〃ε(Albany:StateUnive帽吋。fNewYorkPress,1985)本 論文中の作品からの引用は、全てこの版による。なお、()ないの数字は、そのぺ一ジを示 す。 一ユ15一
(3)Donald A.Ringe肋e〃αo㎡o’Modεj卵。cεα〃dηmε加佐ε一4κofBαo叱伽加gαηd Cooρer(レxing− ton:The Unive肥i}ofKentucky,1971)109
(4)拙論「荒野における聖餐式」大阪女学院短期大学紀要第28号(1998)115−127
(5)William Wasse鮒。m“Cooper,Freud and The Origin ol Cultwe,”in加α肋e耐。〔点加g oηd伽C榊。5 ed.byWan−en S.Walker(Chicago:Scott,Foresman and Company,1965)l12
(6)James Emmet LongJomεs柁η’mo昭Cooρer(New York:A Frederick Ungar Book,1990)70
(7)拙論「Nat1yBumppoとHector:人間と自然の新しい関係」大阪女学院短期大学紀要第29号
(1999) 69−83
(8)肋e此∫fo舳eMo〃。㎝∫におけるChingachgook,Unc砥,Nat奴Bumppoと彼等の関係に関しては、 拙論「Cora Munroの死の意味」大阪女学院短期大学紀要第24・25号(1995)77−87、 「Chi阯
gachgookとMagua一クーパーの神義論」大阪女学院短期大学紀要第27号(1997)53−62,
「Glem’sの彼方へ一Cooperの救い一」大阪女学院短期大学紀第24・25号(ユ995)109−120で論
じている。
(9)拙論「Nat蚊BumppoとHector:人間と自然の新しい関係」大阪女学院短期大学紀要第29号(19
99) 69−83
(1O)Sydney E.Ahlstromλ他惚わ雌〃∫foび。戸肋eλme比。η比。ρ’ε(New Haven:Yale Unive帽ily Press, 1973)435