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昭和四年五月二十二日日向灘地震調査

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(1)

昭 和 四 年 五月二十二日

調

- 山 出 ・ 4 1 世 一 、 緒 言 昭和四年五月二十二日午前一時三十五分頃日向灘に強震の殺現を見た。其の震域内第一闘に 一不す如く九州全般、四園、山陽、山陰に亘るもので照若地震に屈する。本震の被害股況に関して打、官 崎測候所の報告になる被害概表を左に掲げる。 ( 市 内 中 央 銀 行 ) 据 時 計 ( 長 3 一尺五寸、巾一尺、高 3 六 尺 ) 柑 特 例 破 壊 す 。 煉充、煙突崩壊多数 3 結子窓破損、土壁倒落、陶器破損、液韓流夫、屋根破壊等あ ' η 。

宮崎市内 ( 市 内 闘 書 館 ) 書 棚 轄 倒 。 宮崎郡青島村内海 岸壁長 3 三十問、巾一分乃至二分鶏裂す。 此の外各地に電信、電話其の他小破損あ h た ' n 。 乙の報告に依れば被害は大したものではなかった。 月々の気象要覧に一不す如く、元来日向灘は局殺性地震の頻殺する所ではあるが、本地震の如主勢力優 勢なるものが日向機に起った事付近年に一度もなかっ介。若者は幸

K

して‘岡田台長閣下の命を受け、 一 一 一 一 九

(2)

三 四 O 各凱測所長諸彦の御好意によ'り気象牽宛塗られた記象紙を本として本地震の調奄をなすととを得た。弦 震 度 分 布 flEH

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支分布圏

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に岡田蚕長閣下及び各観測所長 に厚く御泊四申し上げる次第であ る 。 本地震の調査に蛍って著者の 特に留意した所は P 杓 及 れ わ 初 中 に 於 け る 各 特 使 位 相 に 抗 日 し わ 灯 時 知

に あ る 。 嚢に石川氏は昭和三年六月 日の天草島附近の地震(気象集 誌第二輯第七各第七競)・に就

3

て P 相中後震時線に平行なる援 位相を三、四得られ.共の殺震 時 線 に 卒 行 な る 事 ょ の 日 疋 壮 一 寸 務 位 第 一 回 。

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相は次々に起れる P の現れであって、隠って震源の運動の単純でなく複雑にな 3 れ売ものとして論ぜら

(3)

れてゐる。著者が本報文

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て主として論じよう曹とする所もこの姑にある。即ち

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相中及 S 相中の各援位 相を丹念に験測した結果、

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相中の特使位相に勤し℃は殺震時線に平行なる線を数本得、

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相中の務位相 に鈴し℃は郎曲線に平行なる曲線数本を得た。然も P 相中の特使位相に謝して得られた数本の直線が、 S 相中の特製位相に勤して符られた数本の曲線化封して夫々相鈴鹿するものである事から、本地震の震源に 於ける運動が数段の階級を経℃次々に行はれたものではあるまいかと剣断する者である。喰其の材料の 取扱方には可成不満足な貼もあると思はれるが、該に敢℃後表して大方の御批剣を仰ぐ次第である。 次に先づ各観測所に於ける殺震時を気象要覧よムり轄載する。 こ、震央の決定 曽 山 遺 習 的 予言世沖.1~詰誌〉担〉ト習時 ‘ 泊 法D さ2 合ケ モ.>¥"3 め!JllIt義 潟 湖 E 柑 認 冷 却 写 一F ・ω ω ・ω 4 ・c h u m p 同 σ ω . m p m 山 町 い ・ 4 0 ぽ ・ ω α ∞ ・ 。 何 回 匂 酔 日 。 。 。 ・ ω 。 回 。 出mm-早世田 表 ﹄ 富 岡 国 H H E

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o ~ 01 0 0 、;'.0 0 震央を決定するにや田つては、本地震の勢力可成。大にして記象紙上後震姑の明瞭な事から主として等 殺震時線に依'り、初動方向を参考とした、.かくして決定し待た震央は に 砂 田 る 。 宮崎の東南東約三十五粁の日向漉沖合 東経二二一度八 北緯ゴ二度八 この震央よ'りして百高分一の地固にて各観測所の震央距離を求め、震央距離に劃する殺震時線 を描くに、第五固に一不す如く、各観測所の観測せる殺震時は殆ど一直線上に乗ることから見れば、 震央は本震の震央として遁蛍なるものと思はれる。 、

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相中の愛位相友

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設震時線に平行する事 との 各相中の特使位相テ一験測するに蛍って何?一基準とする かと云ムことは困難な事であるが、主として振幅、遡期を考慮し前後の記象の模様から務節してゐると 三 四 三

(6)

三四四

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(9)

思はれる鈷を特使位相の後震姑とした。同一観測所の記象にしても地震計の種類によって記象の型が異つ てゐ℃、甲地震計にあらはれてゐるものでも乙地震計には表はれてゐない。又一詑象紙に就いても東西 動に表はれてゐる務節姑も南北動にり認め得なかったものが多くあったので、 たものを結果として用ひた。 とれ等を総合し℃相補つ 一倍に東西動に於て P 相に務節黙を多く認め得られるものは、南北動に於て S 相に多︿特使節知を認め 得られ、東西、南北雨分動に於て P 相に於いて等しく特使節貼を認め得るものは、円相に於℃も嗣分動に 等しく援節貼を認め得た傾向があるが、是は P 没 、 S 波の性質として静岡然の事と思はれる。 叉震央附廷の観測所の記象紙に於て P 相中に於て部俊化を多く認め、震央距離の大となるに隠って 8 相 中 に 特 使 化 を 多 く 認 め 得 た 。 右の注意を以て著者が記象紙から直接験測した P 相中の特使位相の後震時と震央距離との関係を見るに 第四固に一不す如主配布となる。斯くの如き配布であるから、日疋の庭理の仕方で可成現象の相違したもの となる。著者も種々其の庭理の仕方を考へたが、日疋れを積軸に卒行と見るが最も遁砂回してゐ℃、其の現 象も簡単に推理し得るものであると思ふ。他の方法で庭理するときは容易にその現象乞説明し得ないも のである 0 ・ 次 に P 波の観測表を表示し℃ー共の横軸に平行するとする事が遁蛍である事を一不 3 う。こ、 で各愛位相の殺震時と云ふは各観測所に於ける記象紙上、最初の接震貼から何秒遅れの意であって、本 三四七

(10)

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(12)

三 五 O 故に、震源に於て P 波が数秒の間隔を置いて順次に殺散 3 れたものであるこをが容易に推断ヨれ得る o' 向著者が直接験測せる観測所以外の観測所に於℃も、 P 相中務化を認め験測された観測所もあっ℃、大泊 の一秒九、徳島の二秒四.巌原、積演の八秒五、那覇の一

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秒 四 、 一 脂 井 の 十 一 秒 六 、 私 仁 川 の ↓ 三 秒 三 、 那覇の三十秒四等の報告があって、夫々九、 DU 、 P H 、九等に屈する様に思はれる。かく観測所に於ても 注意おれて駿測 3 れた貼から考へる時、其の縫化は相砂田町制若であったものと推察ヨれる ο 回 、 8 相中の愛位相及び阿曲線に卒行する事 S 相中の特使位相を取るに営って、 S 相にては P 相 よ ム リ も振幅、週期の相違が可成。目立つ℃ P 相よ ι りも験測し易い戚があった。今著者が駿測した各観測所の 数種の間値と夫々の震央距離との関係を闘によって求めて見るに、震央

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一離大となるに随って凶値は略 扇形に開く。これを P 波を慮理した方法にならって、震央に最も遅い宮崎の郎値七秒七から震央距離約 四百四十五粁なる紳戸附近迄の第一郎として験測した郎値を基準にして求めた第一郎曲線に封して平行 なる曲線を約十本引く時第四国(岡中

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に一不す如く是等扇形に開く郎値は殆いことの十本の平行曲線に整 理 3 れるものである。 叉著者が直接験測し得なかった観測所の報告になる刊値乞見るに是亦震央距離に封して略扇形に開主

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、この報告になる郎値から遁静岡なる一本の問曲線を求める事は益く不可能であるが、先に著者が験測 せる間値から求めたる数本の凶曲線の何れかに属する事を知る。

(13)

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(17)

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(18)

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との表中括弧を附せるものは、第一郎に相蛍すろ験測値を符られなかった故に、曲線上から第一目値 を 求 め 、 とれと他の郎値との差を求めたものである。 斯く各 S 相の楼震時差を求めて見るに各務一位相は白から九迄分類 3 れ、その各々の 8 の殺震時差は震 央距離に無関係に殆ど一致した値乞取ってゐる。

i ち各総段位相は到曲線に卒行なる十本の曲線の何れかに属するものであって、是等間曲線が互に平行 する事から震源に於℃ S 波が順次に数秒の時間差を以て後散 3 れたものであるととは P 波と岡裁に容易

(19)

' 巴, . 民推断 3 れ 得 る 。 豆 、 P 発震時線と問曲線との釘慮、及複雑なる震源の運動 先に著者は P 波及 S 波が震源に於て順次 に 政 官 散 3 れたる事を述べたが、若し震源に於て或る時間差を以て順次に運動が行はれた式のとすれば. P 波及 S 波が一運動毎に同時に殺せられるものである以上、是等順次に起る運動によって後散 3 れる P 波及 S 波と、最初の運動 K よって殺散ヨれる P 波及 S 波との夫々の脱税震時差は、各観測所に於て震央距 離に関係なぐ等しいものでなければならね。勿論順次に後せられる P 波 8 波は何れ玖皆最初に殺せられ た P 波 S 波と同一震源を殺し.同一一経路 b w 一 取 る も の と 限 定 す る 。 P 波及 S 波の殺震時差が震央距離に関係なく各観測所に於て殆いと等しい値を示してゐる事は第三及第 四項に於て阪 K 表示して置いた。次に P 波の殺震時差と S 波の夜震時差が一致するかどうかと云ム事で あるが、夫は P 波及 S 波の後震時差の平均値を夫々比較して見ればよい。 今共の後震時差の平均値を、 P 波と S 波に就主比較して見れば次の表になる心 一 問 l H 一 ωlH7iH 一 切 │ 同 一 。 i H 一 4 1 1 H 一 ∞ l i H

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(20)

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との各笈位相の後震時差が全く一致することよムリ推断する時、本地震の震源に 於ける地震運動向車純に一同で絡ったものでなく、順次に或る時間去を置いて何同かにな弓れたものと 思ムのである。此の種の地震は'本震に限ったものでなく、恩義に石川氏が単純地震と複雑地震 K 分類ぷれ 計八如く、他の地震にも相静岡多いものであらうと思ふ。 六、震源の深さ 宮崎の強震計よ ι り験測した開値七秒七を基準とする各観測所の第一郎値を用ひて本 地震の震源の深 3 を 求 め る 。 震波が直注するものとし、地表面の曲率を無親し得る範固に於ては、ムを震央距離、 h を震源の深 3 t を 郎 値 、 h を常数とする時 ピタゴラ只の定理によ'り h V H N + γ 凶 H H r d H M h V H N + v N 凶 H H r J M M h v u N + F N L U F 闘 に

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、、,ノ の二式を得る。 ζ の二式に宮崎から震央距縦約五百粁の京都迄の第一郎値を代入して著者は深 3 を求めた。普通、地 表面の曲率の無視し得る範国は震央距離約三四百粁位迄と 3 れてゐるが賓際関曲線から見ると主五百粁 位迄は上記の式を満足するものと思はれるので、代入する郎値を多︿用ふるゑめ五百粁位迄の値を用ぴ た の で あ る 。 之等宮崎から京都迄十四箇所の郎値を用ぴ 7 n 及 hを求めて見る

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げ M H O -o h p V H h M F 立 川 市 亡の震源の深さを求むふに最も重要なる間値は最も震央に遅き宮崎の郎値であるが、 この宮崎の阿値 三 五 九

(22)

一 六 O 七秒七は P と S の明瞭なる強震計記象から求め得たもので可成の信用の置けるものであって、隠って求 められた ' d 、 ︿ 一 日 一 弊 r M H O -c ト 減 , 溺 吊 ) 孫 v u V H U 恥 ・ 会 4 は可成信用の置けるものである。故に五十四粁を本震の震源の深さとして採用した。命 P の走時曲線よ ムリも震源の深ヨを求めて確か

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可主であるが.不幸にして最も重要なる宮崎の後震時が非常に早く、宮 崎の後震時を信用するときは、震源の深ヨ零となるが同じ宮崎の郎値七秒七であることから見るに震源 の 深

3

零なる事は有 ι り得ない事である。而か式宮崎の郎値七秒七は可成 h 信用の置けるもので、多少の 誤差あ λ りとするも七秒七よ ι り 短

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値を取る事はないと思はれる故に郎値よ h 求めたる震源の深さを採 用する事にした。 士 、

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波友 S 波の走時曲線及び其の謹度 各観測所の後震時と震央距離との関係、即ち P 波の走時曲 線を求 4りれば第五園の如くなる。闘に見る如く、墓湾の観測所を除けば会図の各観測所の験測し向後震時 は殆ど全部、震央距離約二百粁から約九百五十粁迄一直線上に逗 ' h J 、叉九百五十粁以上は前ょの少しく傾 度の竣った直線上 K 蓮る。震央距離二百粁以下の震央附迩に於℃、宮崎の殺震時乞正しいものとすれば、 二百粁以上九百五十粁迄を蓮ねた直線の延長上に宮崎の殺震時は来って、震源の深ヨ零とな ' n ノ 、 郎 値 か

(23)

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(24)

一 六 ら求めた震源の深 3 五十四粁と相容ぬものである。 一般に震源の深 3 を有する地震の震央附近の走時曲 線は双曲線になるが普通であ ι り同じ震央附近の鹿児島、熊本!大分、温泉、宇和島の後震時から見ると

3

、との走時曲線は、約二百粁位よ'り双曲線的に曲線を描く。へ

3

である様に思はれる。その喰 t k m 値か ら求めた震源の深 3 を基とし、との走時から求めた P 波の速度七・五秒粁を用ひて、との震央附近の曲線 を求むるに固に一不す如き、本地震の走時曲線として遁嘗なる曲線た得た。 この曲線よ h 見るとき宮崎の 後震時は約九秒早過ぎる様に思はれる。 次に各観測所の第一 m m 値に後震時を加へて S の殺震時を求め、 S の走時曲線を求めるに圏中 S の走時 曲線佐得た G S 走時曲線も固から見るとき震央距離約二百粁以上の S の脱税震時は殆ど会 J部一直線とな る。而かもとの直線を延長して縦軸との交貼を求むるに、 P の走時曲線の直線となる部分を延長したも のが縦軸と交る結と殆ど一致してゐる。との走時曲線の直線ーとなる部分を延長したものと縦軸との交結 は震央に於ける殺震時であるから、 P 波と S 波が同時に殺せられるものである以上、其の P 及 8 波の走 曲線のとの延長と縦軸との交黙が一致するのは蛍然であって、との求められた雨走時曲線の正しい事乞 立詮するものである。倫宮崎の S の後震時は P の殺震時子一その俸加へたので約九秒早過ぎる。 次にとれ等雨曲線の震央巨隊約三百粁から約六百粁位迄の範園の傾度から

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波の速度を求 h u ると

3

(25)

H V 際 高 ) 悌 同 門 手日刊誌と事 m 山 陸 沖 ③ 如 何 同 州 3H 恥 ・ ∞ 常 一 事 を 得 た 。 との得られた速度は地表に於ける見掛けの速度とも思はれるが、‘賓際民於てはモホロピチック 屠の下の屠に於ける上屠の速度と見るが遁嘗なものである。嚢にな達技師が但馬地震の調査に於てモホ ロピチック暦の下の屠に於ける上層の速度とし得られたものは 手 H 吋 ・

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常 一 事 3H 恥 ・ ∞ ( ) 清 一 事 であって本地震によって得られた速度と金く一致してゐる。 叉第六項に於て求めた k は て に

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(26)

初 動 分 布 園 第 六 周

プ之 四 で表はしたものであるから、 と な ザ 守す4 ~ 11 と手 I~ .の~ I~ iのp 叫に求められた値を代 入する時 持 日 。 ・ ∞ となって嚢に求めた F H H ] 5 ・0 と殆ど一致 するものである J 八 、

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波初動方向による最初の震源運動 本地震の会館としての勢力は相嘗大な るものであったが、 P 波の初動は一躍に 少

3

く、隠って初動方向も疑問に思はれ る観測所も数箇所あるが、全般の初動方 向の分布から推理するときは、震源に於 ける最初の運動は第六固に一不す如

3

走向 北六十三度西の直線を境として北側に於

(27)

て 西 方 一 に 南 側 K 於℃東方に移動する水平断層か、或は、 との運動に直角なる線を境とじ℃、東側に於

τ

南方に事西側に於て北方に移動する運動との雨運動が考へられるのであるが、初動の大い 3 及び、宇和 島寸高知、新居演の記象が P 波の割に S 波の振幅大であるに反し、一渦岡、熊本、長崎等の振幅が P 波 の 割合に S 波に於℃小なる等から剣断し℃、国の知

3

走向北六十三度西の線を援として北側に於℃西方 化、南側に於て東方に水平の断層運動をなしたと考へるが遁世田と思ばれる。 終 ι りに臨み、本地震調査に嘗

6

御指導下 3 った岡田先生始め藤原、図富先生に厚く戚謝を申し上げる 次 第 で あ る 。 民五

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