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浅間南麓御代田町の町村合併 : 一九五六年・昭和の町村合併

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南麓御

︱一九五六年・昭和の町村合併︱

歴史 の 時 代 区 分 の 中 で '現 代 を 規 定 す る こ と は必 ず し も 難 し い こ と で は な い 。 し か し そ れを 叙 述 す る こ と は き わ め て 難 し い 。 即 ち 世 界史 上 の 一 九 四 五 年 、あ る い は 日 本 史 上 で 併 用 す る昭 和 二 〇 年 は世 界 史 に お け る 第 二 次 世 界 大 戦 の 終 了 で あ り 、ま た 日 本 の 明治 憲 法 体 制 の 終 寓 にし て 太 平 洋 戦争 に お け る 敗 北 で あ っ た 。 だ か ら こ の 年 を 現 代 へ の 転 換 点 で あ る と 規 定 す る こ と に 異論 の あ る 人 は先 ず い な い 。 以 来 戦後 の 五 〇 年 を 経 た 今 日、 世 界 史 を 展 望 す る にし て も 日 本 史 を 概 観 す る にし て も 、文 部 科 学省 と 検 定 教 科 書 の 著 者 たち に 見 る 如 -、 現 代 を 論 じ る 史 観 論 争 には 厳 し い も の が あ る 。 即 ち 「史 的 現代 」 の 歴史 は な か な か 客 観 的 に 叙 述 の で き る も ので は な いので あ る 。

そ れ は 同時 代 を 共 に 生 き た人 々 が 存 命 で あ る間 に 、彼 や 彼 らを 主 格 に し た 史 実 を客 観 的 に ま た 一 般 的 に 叙 述 し ょ う と し た な らば ' そ の 主 格 の 当 人 た ち が 当 時 の 自 分 の 心 情 に た ち か え っ て 異 議 を と なえ る こ と が少 な -な い 。 即 ち客 観 的 な 目 に さ ら さ れ る こ と を 嫌 う の で あ る。 あ る い は 自 分 に 即 し た 真 相 を 客 観 的 真 相 と主 張 も す る。 こ れ は 地域 の 現 代 史 を 措 -とき に も 顕著 で 、全 体 を 構 成 す る 一 部 で あ る 個 人 が 、 自 己体 験 や 心情 や 当 時 得 た 情 報 に 照 ら し て 、個 々 に 千差 万 別 に 第 三 者 の 分析 に 不満 や不 当 性 を 訴 え る も ので あ る。 筆 者 も 長 野 県 北佐 久 郡 御 代 田町 の 町誌 編纂 に 参 加 し て 、当 町 の 現 代 史 の 執 筆 を 担 当 し た時 に ' こ の よ う な体 験 を し て 考 え さ せら れ た 。

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そ う し た場合 に は結 局 は原稿 を 改 め ざ る を え な か っ た が、 しか し 今 も 元 の 原稿 の 方 に 愛 着 があ る 。本 稿 は こ の 元 原稿 に 出 典 な ど を 明 記 し て 再 構 し たも ので あ る。 これ は き っ と 三 〇 年 後 、 五 〇 年 後 の 時 点 で の 同 町 地 域 史 研 究 の 再 調査 を す る と き の 手 が か -に も な る だ ろ う tと 思う 。 の みな らず '近 年 に 他 の 地 域 の 現代 史 の 調査 が お こ な わ れ る 際 の 参 考 に も な る に ち が い な い 、と 考 え た 。 さ て 本 稿 の 中 心 テ ー マ は、敗 戦後 一 〇 年 前 後 の 時 点 で 行 わ れ た 「 昭和 の 町村 合 併 」 の 時 代 に 、 長 野 県 北佐 久 郡 の 浅 間 山 の 南 麓 に お い て 旧 三村 が合併 し て 御 代 田 町を 形 成 した ' そ の 地 方 の 形 成 の 政 治 的 プ ロ セ ス を 追 っ た地 域 史 で あ る 。 兼 せ て ま た ' これを 日 本 の 戦 後 民 主 主 義 の 一 段 階 を 考 察 す る 資 料 と し て 、提 供 した い と 考 え た 。

(広

)

第 一 節 「明 治 の町村 合 併 」 と 旧 三 村 の 成 立 御 代 田町 は 、 昭 和 三 l 年 ( 1 九 五六 ) に 浅 間 山 の 南 麓 に 傾 斜 し て 隣 あ っ て い た 旧 い 三 つ の 村 が合 併 し て 誕 生 した 。 こ の 時 合 併 した村 々 は 、 六 八 年 前 の 明治 二 二 一 八 八 八 )年 に 市 制 ・ 町村 制 が制 定 さ れ た時 に 成 立 し た 旧 三 村 に 起 源を も っ て い た。 こ のこ と を さ か の ぼ る と ' 明治 期 以前 の 日 本 の 各 地 に は 江 戸 期 に で き た 自 治 的 な小 村 落 、す な わ ち 自 然 村 が形成 さ れ て い た 。 例え ば 現 在 の 御 代 田町 の 塩 野 、馬 瀬 口 、小 田井 ' 前 田 原 '草 越 な ど の 部 落 が そ れ で あ る 。 当 時 の 明 治 政 府 は 、 欧 米 の 制 度 や 文 化 など を モデ ル と す る 近 代 化 路 線 を 急 い で い た 。 こ こ で 問 題 に し て い る 地方 制 度 の 確 立 も 、 そ の 政 策 の 一 環 で あ る 。 明治 二 一 年 ( 一 八 八 八) 年 の 市 制 ・ 町 村 制 の 制 定 も そ の 1 つ で あ っ た 。 明治 二 1 年 と い え ば維 新 政府 が 二 〇 年 の 統 治 経 験 を 積 んだ 時 期 で あ -、 そ れ は 大 日 本 帝 国憲 法 を 発 布 さ せ て 帝 国議 会 を 開 設 す る 直 前 で あ っ た。 政府 は 既 に 近 代 化 政策 の 一 つ と し て '明 治 五 年 に 公 布 し た 学 制 、 「邑 に 不 学 の 戸 な-家 に 不学 の 人 な か ら し め ん 」 こ と を 目標 に '初 等 教 育 課程 の 義 務 化 を す す め て い た ので あ る 。 こ れを 実 現す るた め に は 各 村 に 郷学 校 、 す な わ ち 小 学 校 を 設 立 し な け れば な らな い 。 し か し江 戸期 か ら租 税 米 の 徴 収 単 位 と し て 続 い て き た 小 規 模 な 自 然 的 村 落 に と っ て は財 政 上 そ れ は 不 可能 な 事 で あ っ た。 そ う な れば これ ら の 小村 を 1 つ に 統 合 さ せ て 、合 併 し た 各 村

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の 庶 民 の 初 等 教 育 の た め の 郷 学 校 を 設 立 さ せ る こ と を 目 論 ん だ 。 無 論 こ の 合 併 は 学 校 教 育 を 維 持 で き る 財 政 規 模 の 行 政 的 単 位 を 目 処 と し て 再 編 成 さ せ る 必 要 が あ っ た 。 こ れ が 明 治 二 一 年 に 市 制 町 村 制 を 実 現 さ せ た 1 つ の 重 要 な 契 機 で あ っ た 。 こ の 近 代 化 政 策 は 義 務 教 育 の 実 施 だ け で は な い 。 新 に 全 国 一 律 に 徴 税 を 実 施 す る こ と が 最 重 要 な 課 題 で あ っ た 。 そ の 実 硯 を 計 る に は 、 村 毎 に 戸 籍 や 私 有 財 産 の す べ て を 調 査 す る 必 要 が あ る 。 ま た 町 村 の 役 場 の 機 能 を 1 律 に し て 全 国 的 に 上 意 下 達 を 円 滑 に さ せ る 必 要 が あ る 。 こ う し て 明 治 二 一 年 に は 今 日 の 部 落 で あ る 旧 来 の 自 然 村 が 中 規 模 の ま と ま -の 統 合 を 行 っ て 、 末 端 の 行 政 を 担 う 町 村 を 形 成 し た の で あ る 。 こ れ が 「明 治 の 町 村 合 併 」 以 降 、 現 在 の 御 代 田 町 が 誕 生 す る ま で 六 八 年 間 続 い て き た 小 沼 、 御 代 田 ' 伍 賀 の 三 つ の 行 政 村 で あ っ た 。 第 二 節 日 本 国 憲 法 と 地 方 自 治 第 二 次 大 戦 後 、 地 方 自 治 制 度 の 改 革 は 日 本 の 民 主 化 政 策 の 重 要 な 課 で あ っ て ' ﹃日 本 国 憲 法 ﹄ で は 第 八 章 に 四 ヶ 条 の 地 方 自 治 の 規 定 が あ る 。 旧 憲 法 の 場 合 に は 地 方 自 治 の 規 定 は な -' 天 皇 制 の 下 に 自 治 体 の 首 長 は 勅 任 で あ っ た 。 し か し 新 憲 法 の 下 で は 新 し い 地 方 自 治 の 規 定 に よ っ て 、 自 治 体 の 首 長 や 議 員 は 住 民 に よ る 公 選 で 決 め ら れ る も の と さ れ 、 そ の 下 で 戦 後 の 地 方 分 権 が 推 進 さ れ る こ と に な っ た 。 し か し 戦 後 の 混 乱 状 況 と 国 民 の 政 治 的 未 熟 さ か ら 、 そ の 理 念 と 運 用 に は 極 め て 難 し い 点 が あ っ た 。 か -し て 昭 和 二 七 年 に ﹃地 方 自 治 法 ﹄ が 改 正 さ れ ' 翌 二 八 年 ( 一 九 垂 二 ) に ﹃町 村 合 併 促 進 法 ﹄ が 制 定 さ れ ' こ こ に 至 っ て 戦 後 の 地 方 制 度 は 〓 正 の 方 向 性 が 与 え ら れ た 。 即 ち 、 戦 後 の 憲 法 発 布 直 後 の 数 年 間 は 国 、 都 道 府 県 、 市 町 村 は そ れ ぞ れ 対 等 な 「完 全 自 治 体 」 と さ れ た 。 と こ ろ が 二 七 年 の 改 正 に よ れ ば ' 国 は 「広 域 的 地 方 公 共 団 体 」 で あ る 都 道 府 県 に 対 し て 、 ま た 各 都 道 府 県 は 「基 礎 的 地 方 公 共 団 体 」 で あ る 市 町 村 に 対 し て 助 言 ' 勧 告 、 資 料 の 提 出 、 措 置 要 求 な ど が で き る よ う に な っ た の で あ る 。 そ し て 政 府 は 、 翌 二 八 年 に ﹃町 村 合 併 促 進 法 ﹄ を 制 定 し ' 今 後 三 年 の 間 に 全 国 の 町 村 の 数 を 従 前 の 三 分 の 1 に 減 ず る よ う 、 強 力 に 指 導 す る こ と に な っ た 。 こ の 町 村 合 併 促 進 法 の 公 布 に 当 っ て 、 当 時 の 内 閣 総 理 大 臣 吉 田 茂 は ' 談 話 の 中 で 次 の よ う に 述 べ て い る 。

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今 回 の 町 村 合 併 の 計 画 は 実 に 、 明 治 の 新 政 府 が 市 制 町 村 制 の 実 施 に 先 立 っ て 断 行 し た 町 村 の 大 合 併 以 来 の 大 事 業 で あ っ て ' 地 方 行 政 の 進 展 上 正 に 一 時 期 を 画 す る も の で あ る 。 1 万 の 町 村 は 六 十 有 余 年 間 よ -住 民 各 位 の 協 力 と 選 良 有 志 の 努 力 と に よ -、 堅 実 な 経 営 を 続 け ' 民 政 の 向 上 と 国 運 の 進 展 と に 大 き な 役 割 を 演 じ て き た の で あ っ て 、 深 い 敬 意 を 表 す る に や ぶ さ か で は な い 。 し か し な が ら 、 そ の 間 交 通 経 済 の 発 達 は 著 し -、 自 治 行 政 の 内 容 も 質 、 量 共 に 変 化 し ' 殊 に ' 民 力 の 充 実 と 行 政 の 飛 躍 的 発 展 を 期 す べ き 秋 に 当 た -、 従 来 の 町 村 規 模 を 以 し て は 、 よ -今 後 の 自 治 の 経 営 に 全 き を 期 す る こ と が で き な い 。 政 府 と し て は 、 現 在 の 町 村 を 今 後 一二 年 間 に 約 三 分 の 一 と す る 目 途 を 挙 げ て 町 村 合 併 の 促 進 に 努 力 し た い 所 存 で あ る 。 (﹃ 長 野 県 町 村 合 併 話 ﹄ 総 編 ) 第 三 節 国 家 事 業 と し て の 「 昭 和 の 町 村 合 併 」 と 南 麓 三 村 昭 和 二 八 ( 1 九 五 三 ) 年 、 内 閣 総 理 府 に 町 村 合 併 推 進 本 部 が 設 置 さ れ て 、 町 村 基 本 計 画 の 策 定 が 行 わ れ た 。 そ の 下 に ' 長 野 県 で も 町 村 合 併 促 進 審 議 会 が 設 け ら れ た 。 さ ら に 県 当 局 は 広 報 紙 を 通 じ て 、 「時 代 の 進 展 と と も に 制 度 も 変 わ り 、 こ と に 地 方 自 治 法 は 昔 の 町 村 制 の よ う な 官 僚 的 な も の で は な -' そ の 住 民 の 福 祉 を 増 進 す る こ と を 主 眼 と し て で き た 自 治 制 で あ っ て ' お 互 い の 郷 土 の 発 展 は 、 つ い に そ の 住 民 の 行 動 い か ん に か か っ て い る 」 こ と を ア ッ ピ ー ル し て い る 。 各 市 町 村 の 役 場 の 壁 と 広 報 紙 に は 、全 国 公 募 で 当 選 し た 「村 興 す 、 こ の 合 併 が 国 興 す ー 」 「広 が れ ば ' ま だ 出 る 村 の 底 力 ! 」 の 二 句 が 掲 げ ら れ て 意 識 を 喚 起 し て い た (﹃ 伍 賀 の 時 報 ﹄ 四 七 号 ) 。 二 八 年 九 月 二 二 日 ' 長 野 県 社 会 部 は 一 六 の 地 方 事 務 所 の 所 長 を 召 集 し て ' 管 内 の 町 村 合 併 計 画 を 一 〇 月 一 〇 日 ま で に 策 定 す る よ う に 指 示 を し た 。 こ の 会 議 に お い て 示 さ れ た 合 併 の た め の 留 意 点 は 、 大 略 次 の 三 つ に 要 約 さ れ る 。 (前 掲 ﹃長 野 県 町 村 合 併 話 ﹄ ) 二 地 理 的 に 不 可 能 な 場 合 を 除 い て は 、 管 内 全 町 村 を 合 併 の 対 象 と す る 。 二 ' 合 併 は 原 則 的 に 八 ' 〇 〇 〇 人 以 上 と す る 。 そ れ は 地 勢 ' 人 口 密 度 、 経 済 状 況 、 生 活 圏 な ど に 鑑 み て 、 住 民 の 利 便 や 将 来 的 に 地 域 一 体 性 の 形 成 が 予 測 さ れ 、 行 政 能 率 が あ が る こ と の 見 通 う せ る ほ ど の 規 模 で あ る こ と 。 三 、 新 町 村 へ の 合 併 が 無 理 な 場 合 に は ' 旧 町 村 の 分 割 や 一 部 変 更 が 生 じ る こ と も 止 む を 得 な い 。

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こ れ に 基 づ き 当 時 の 長 野 県 当 局 は 各 地 方 事 務 所 に ' 一 〇 月 一 〇 日 を 期 限 と し て ' 県 内 三 〇 八 ケ 町 村 を 1 六 八 ケ 町 村 に 編 成 し 直 す 試 案 を 作 成 す る よ う 指 示 を し た 。 北 佐 久 地 方 事 務 所 で は 一 〇 月 七 日 に 郡 下 二 七 ケ 町 村 長 を 召 集 し て '管 内 を 七 ブ ロ ッ ク に 合 併 さ せ る 試 案 を 発 表 し た 。 (﹃ 信 毎 ﹄ 二 八 年 一 〇 月 九 日 北 信 版 。 以 下 ﹃信 濃 毎 日 新 聞 ﹄ を ﹃信 毎 ﹄ と 略 記 す る ) こ の 中 に 浅 間 山 南 麓 の 御 代 田 、 小 沼 ' 伍 賀 の 三 ケ 村 が 一 つ の 合 併 ブ ロ ッ ク と な っ て い た 。 こ こ に は 「従 来 組 合 立 中 学 建 設 の 動 き が あ -、 御 代 田 駅 を 経 る 小 沼 ' 伍 賀 の 森 林 資 源 、 高 原 野 菜 な ど 経 済 的 に も 密 接 。 合 併 後 は 二 千 三 一 戸 ' 一 万 一 千 九 十 四 人 」 に な る 、 と そ の 理 由 が 上 げ ら れ て い た 。 確 か に 南 中 北 に 隣 接 し て 総 面 積 七 二 ㌧ 五 七 平 方 メ ー ト ル を な す 三 ケ 村 は 交 通 上 、 経 済 上 の 密 接 度 が 高 か っ た 。 ま た ' 当 時 組 合 立 中 学 校 の 建 設 が 検 討 さ れ て い た 。 ﹃伍 賀 の 時 報 ﹄ 四 四 号 (二 八 年 八 月 一 日 ) に よ れ ば 、 同 村 で は 「 1 昨 年 村 当 局 の 御 苦 心 よ -な る 中 学 校 新 築 が 村 民 各 位 御 支 援 に よ り 見 事 に 結 実 し ほ っ と 一 息 の 現 在 で あ り ま す 。 所 が た ま た ま 御 代 田 村 よ -小 沼 、 伍 賀 、 御 代 田 三 村 合 同 組 合 立 中 学 建 設 の 問 題 が 投 げ か け て ら れ て 参 -ま し た 。 そ こ で 当 村 教 育 委 員 会 で も 種 々 検 討 し て お -ま す 」 と あ る 。 ま た 組 合 立 中 学 校 の 利 点 と 欠 点 が 箇 条 書 で ま と め ら れ て い る 。 そ れ に よ れ ば 、 「

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、 新 築 ' 増 築 建 物 が 1 時 的 で は あ る が 不 用 に な る 。

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、 1 時 的 に は 村 費 の 負 担 が 重 -な る (五 年 後 に は 少 な -て 済 む よ う に な る が )」 な ど の 欠 点 は あ る が ' 「教 育 費 が 有 効 に 活 用 さ れ 施 設 の 充 実 を 図 る こ と が で き る 」 な ど 利 点 の 多 い こ と が 挙 げ ら れ て い る の で あ る 。 こ れ ら の 地 方 事 務 所 の 試 案 の 中 で 早 速 合 併 協 議 が 進 展 し た の は 、 小 諸 町 と 近 郷 が 合 併 し て 市 に 昇 格 す る 案 や ' 南 御 牧 な ど 二 村 の 合 併 、 あ る い は 岩 村 田 町 他 三 村 合 併 を 模 索 す る 場 合 で あ っ た が ' そ の 他 は 多 -の 問 題 を 抱 え て 話 の 進 展 は 鈍 か っ た (﹃ 伍 賀 の 時 報 ﹄ 五 五 号 ) 0 伍 賀 村 の 場 合 を 見 る と 、 二 九 年 二 月 に 地 方 事 務 所 総 務 課 の 柏 木 担 当 者 が 来 村 し 、 以 来 二 三 名 の 専 門 委 員 を 中 心 に 検 討 を 重 ね て い た 。 ま た ' 役 場 の 担 当 者 が 一 般 村 民 へ の 啓 発 と 各 部 落 に 合 併 の 賛 成 を 得 る た め の 活 動 を お こ な っ て い た 。 七 月 五 日 に は 、 代 表 が 御 代 田 村 役 場 の 「 三 ケ 村 議 貞 及 議 会 書 記 の 会 議 」 に 出 席 し た 。 こ こ で は 「 ほ ぼ 三 村 の 合 併 の 気 運 が 構 成 さ れ た の で 各 村 一 五 名 宛 の 委 員 ( の 選 出 ) を 決 定 し 、

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清泉女学院短期大学研究紀要 (第20号) (こ の 結 果 を 各 村 に )報 告 す る 事 を 申 合 せ 次 会 当 番 を 小 沼 と 決 定 」 し て い る 。 こ の 会 の 決 定 事 項 に よ れ ば ' 三 村 合 併 の 総 合 的 な 利 点 は 「町 村 合 併 促 進 法 で 言 は れ る 所 謂 適 正 規 模 で あ る 」 と し て 、 こ れ は 地 勢 ' 経 費 、 交 通 通 信 ' 衛 生 、 産 業 ' 学 校 施 設 な ど の 諸 点 か ら 明 か で あ る と 述 べ て い る 。 ﹃伍 賀 村 報 ﹄ は 以 上 の よ う に 報 じ て ' そ の 最 後 を 「伍 賀 村 の 福 祉 を 増 進 さ せ る 最 善 の 合 併 と 信 じ ま す 」 と 結 ん で い る 。 御 代 田 村 の 場 合 は 、 二 九 年 二 月 二 五 日 に 北 佐 久 地 方 事 務 所 長 を 招 い て そ の 講 演 を 聞 き ' 三 月 三 日 に 村 会 議 員 、 部 落 長 、 各 種 団 体 代 表 に よ る 合 併 研 究 委 員 会 を 発 足 さ せ た 。 こ の 委 員 会 は 五 月 二 四 日 に 役 場 吏 員 ら と と も に 、 合 計 三 〇 名 が 篠 ノ 井 町 や 塩 田 村 な ど の 合 併 問 題 先 進 地 区 を 視 察 し て か ら ' 同 年 八 月 二 一 日 に は こ れ を 改 組 し て 「御 代 田 村 '小 沼 村 '伍 賀 村 三 ケ 村 合 併 委 員 会 」 の 設 立 へ と 発 展 さ せ て い た 。 御 代 田 村 長 市 川 久 舌 は 、 昭 和 三 〇 年 元 旦 の 年 頭 に 「村 民 の 福 祉 を 第 1 に 」 と 題 す る 次 の よ う な 所 感 を 述 べ て い る 。 御 代 田 村 の 行 政 面 を 見 ま す と 幾 多 の 困 難 が 待 ち 受 け て お り ま す 。 第 一 に 、 町 村 の 合 理 化 を 計 る 合 併 問 題 で あ -ま す 。 昨 年 九 月 1 日 町 村 合 併 促 進 法 が 交 付 さ れ 十 月 1 日 よ -施 行 さ れ ま し て か ら 一 年 有 余 、 こ の 間 北 佐 久 郡 は 一 市 一 町 二 ケ 村 が 合 併 の 運 び と な -ま し た 。 新 憲 法 及 び 地 方 自 治 法 等 の 一 連 の 自 治 関 係 法 令 に よ っ て 、 町 村 住 民 に 直 結 す る 性 格 機 能 は 1 変 し て 、 町 村 住 民 に 直 結 す る 基 礎 的 地 方 公 共 団 体 と し て ' 住 民 福 祉 を 第 一 の 目 的 と す る よ う に な っ た が 、 今 日 現 在 の 町 村 行 政 で は 矛 盾 が あ る わ け で あ -ま す 。 ま た 1 年 の 経 費 の 三 分 に 1 を (政 府 か ら の ) 平 衡 交 付 金 で 村 財 政 を 賄 っ て き た の が 、 国 家 財 政 の 窮 乏 に よ -緊 縮 さ れ ' 平 衡 交 付 金 は 年 々 減 少 さ れ 行 -現 状 で あ -ま す 。 こ れ か ら の 町 村 が 現 在 の こ の よ う な 行 政 を 経 済 的 、 能 率 的 に 行 っ て い -た め に は 町 村 規 模 を 八 千 人 以 上 の 組 織 に し て ゆ か ね ば な ら な い わ け で あ り ま す 。 こ れ ら の 点 を 研 究 す る た め に 本 村 も 町 村 合 併 研 究 委 員 会 を 設 置 し 村 民 の た め の ' 村 民 の 行 政 機 構 で あ る よ う ' 村 民 の 皆 様 と 研 究 調 査 し て 後 世 に 禍 根 を 残 さ な い よ う に 此 の 合 併 問 題 を 進 め て 行 き た い と 思 い ま す 。 (中 略 ) 尚 新 制 中 学 の 建 設 問 題 等 本 年 の 村 運 営 は 幾 多 の 事 業 が 待 ち 受 け て お り ま す 。 (﹃ 御 代 田 村 時 報 ﹄ 元 旦 号 )

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御 代 田 村 村 内 の 「三 ケ 村 合 併 委 員 会 」 で は 隣 の 岩 村 田 と の 合 併 の 可 否 な ど を 含 む 検 討 が な さ れ て ' 「数 度 の 会 合 の 末 、 こ れ 又 三 〇 年 一 月 二 十 四 日 三 ケ 村 合 併 に よ る 適 正 化 を 計 る こ と に 満 場 一 致 承 認 す る 運 び 」 (﹃ 御 代 田 村 時 報 ﹄ 八 言 了 ) と な り ' こ の 日 に 「研 究 課 題 を 終 了 し た の で 即 日 解 散 し 」 た の で あ る 。 こ れ に と も な っ て 合 併 促 進 法 第 五 条 の 規 定 に 基 づ き 三 ケ 村 に よ る 「町 村 合 併 促 進 協 議 会 」 が 設 置 さ れ た 。 こ う し て 三 〇 年 三 月 に は 三 ケ 村 に よ る 「町 村 合 併 促 進 協 議 会 」 が 前 途 明 る -発 足 し た よ う に 思 わ れ た 。 そ し て 同 会 は 政 府 の マ l= ア ル に そ っ て 「新 町 村 建 設 計 画 の 策 定 」 に 着 手 し 、 ま た 新 町 名 を 公 募 す る こ と に な っ た 。 以 上 の 他 北 佐 久 地 方 事 務 所 の 町 村 合 併 試 案 は ﹃伍 賀 の 時 報 ﹄ 47 号

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﹃御 代 田 村 誌 ﹄ 四 二 九 頁 ∼ 、 ﹃御 代 田 村 報 ﹄ 8

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を 参 照 。 な お ' 小 沼 村 の 資 料 は 御 代 田 町 側 か ら も 小 諸 市 側 か ら も 入 手 で き な か っ た 。 第 四 節 各 三 村 内 部 の 合 併 反 対 運 動 と こ ろ が こ の 段 階 で ' 三 ケ 村 そ れ ぞ れ に 反 対 の 動 き が 起 っ た の で あ る 。 御 代 田 村 で は そ の 三 月 九 日 の 夜 に 役 場 で 臨 時 村 会 が 開 か れ て 、 議 案 「三 村 合 併 問 題 を 白 紙 に も ど す 」 こ と が 可 決 さ れ た 。 こ れ に 連 動 し て 四 月 二 一日 の 村 会 で は 「三 村 合 併 協 議 会 」 の 解 散 が き ま っ た 。 云 う ま で も な -村 の 合 併 は 村 民 の 村 か ら の 望 み と 自 主 的 発 意 に よ ら な け れ ば な ら な い 。 本 村 と 伍 賀 、 小 沼 三 村 合 併 問 題 も 研 究 段 階 も す ぎ 、 促 進 協 議 会 で 新 町 村 計 画 の 策 定 も 進 み 、 新 村 名 募 集 の 段 階 に 来 た の で あ る が ' 村 民 の 中 に 強 い 反 対 意 見 が あ -' こ の 際 白 紙 に 返 す 方 が 、 こ れ か ら の 明 る い 村 行 政 の た め に も 、 村 民 の 福 祉 を 増 進 す る 意 味 か ら も 賢 明 で あ -、 強 硬 に 合 併 す る こ と は 合 併 の 主 旨 に も 反 す る こ と 多 大 で あ る こ と を 村 議 会 議 員 全 員 一 致 で 認 め 、 合 併 問 題 は 一 切 白 紙 に 返 す こ と に 当 日 の 村 議 会 で 可 決 さ れ た 。 従 っ て 三 村 合 併 促 進 協 議 会 も そ の 必 要 性 が 無 -な っ た の で 解 散 さ れ た 訳 で あ る 。 (﹃ 御 代 田 村 時 報 ﹄ 八 四 号 、 三 〇 年 五 月 ) 反 対 運 動 は 三 ケ 村 そ れ ぞ れ に 展 開 さ れ た 。 御 代 田 村 で は 小 田 井 ' 西 屋 敷 の 二 部 落 が 隣 の 浅 間 町 (後 に 佐 久 市 に 合 併 ) と

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の 合 併 を 強 -主 張 し た 。 小 沼 村 で は 乗 瀬 部 落 が 小 諸 市 へ の 合 併 を 希 望 し た 。 伍 賀 村 で は 茂 沢 部 落 の 住 民 が 軽 井 沢 町 へ の 合 併 を 望 ん だ 。 こ の よ う に 合 併 を め ぐ っ て 激 し い 反 対 運 動 が 繰 -広 げ ら れ た 。 そ の 結 果 ' 先 の 報 道 の よ う に 協 議 会 は 三 月 三 一 日 に 解 散 す る に 至 っ た の で あ っ た 。 さ て ' 三 〇 年 末 の 長 野 県 内 の 合 併 進 行 率 は 、 全 国 平 均 の 八 四 パ ー セ ン -を 大 き -下 回 る 五 八 パ ー セ ン ト で あ っ た 。 こ れ に 対 処 し て ' 長 野 県 町 村 合 併 促 進 協 議 会 は 三 〇 年 一 二 月 一 三 日 に 県 庁 で 会 合 を 開 き 、対 象 村 に 対 し て 合 併 促 進 の ﹃勧 奨 状 ﹄ を 送 付 す る と と も に 、 地 方 事 務 所 長 に は 合 併 計 画 の 再 検 討 を 行 う よ う 六 項 目 の 指 示 を お こ な っ た 。 (﹃ 御 代 田 村 報 ﹄ 九 二 号 ) 三 〇 年 四 月 末 、 御 代 田 村 で は 二 八 代 村 長 に 原 田 太 郎 が 無 競 争 で 当 選 し た 。 彼 は 一 村 の 行 政 能 力 か ら 考 え た 場 合 に 町 村 合 併 が 必 要 で あ る こ と を 説 い て 、 三 一 年 三 月 か ら 各 部 落 を 歴 訪 し て 合 併 問 題 懇 談 会 を 開 き 、 三 一 年 三 月 二 四 日 に は 再 度 合 併 研 究 会 を 発 足 さ せ た の で あ る 。 当 時 は 農 村 各 地 で 青 年 団 や 婦 人 会 の 活 動 が 盛 ん で ' そ れ ら は 各 部 落 の 連 合 会 、 郡 内 連 合 会 、 県 内 連 合 会 、 全 国 連 合 会 を 構 成 し て い た 。 御 代 田 村 で は 三 一 年 五 月 二 七 日 に ' 同 村 内 八 部 落 の 連 合 青 年 団 が 村 役 場 を 借 -て 「合 併 研 究 討 論 会 」 を 開 催 し た 。 そ の 記 録 が ﹃御 代 田 村 報 ﹄ 九 七 号 に あ る 。 こ の 中 に は 、 こ の 国 策 と し て の 町 村 合 併 が 巧 み に 選 挙 区 変 更 と 連 動 さ せ る 意 図 が 潜 ん で い る t と 指 摘 す る す る 青 年 ら し い 鋭 い 意 見 も 展 開 さ れ て い た 。 以 下 は そ の 抜 粋 で あ る 。 荒 町 ' 栄 町 派 は 三 村 合 併 を 主 張 し ' 西 屋 敷 ' 中 宿 派 は 浅 間 町 と の 合 併 を 主 張 し て い る 。 市 川 (荒 町 ) 、 立 地 条 件 の 似 た 三 村 合 併 に 賛 成 す る も の だ 。 例 え ば 高 冷 地 野 菜 な ど は 御 代 田 駅 を 中 心 と し た 三 村 が 合 併 し て 一 大 中 心 地 と す れ ば 有 利 だ 。 ・ 金 沢 (西 屋 敷 ) 町 村 合 併 法 は 選 挙 区 に も 関 係 が あ っ て 、 小 町 村 を ま と め あ げ て 選 挙 区 を 確 保 し よ う と し て い る 。 三 村 合 併 は 実 状 も 調 査 せ ず 県 の 役 人 が 机 の 上 に 於 て 都 合 の い い よ う に ま と め た 机 上 の 空 論 で あ る 。 三 力 村 の 合 併 は 不 自 然 で 地 理 的 に 見 て も 中 仙 道 す じ は 中 仙 遺 す じ で ま と ま -、 北 国 街 道 は 北 国 街 道 す じ で ま と ま る べ き だ 。 ま た 生 産 面 で も 三 村 と 浅 間 町 と で は 強 弱 の 差 が い ち じ る し い 。 藤 村 (栄 町 ) 広 い 見 地 に 立 っ て 浅 間 高 原 を 観 光 地 と し て 発 展 さ せ る 。 ま た 浅 間 の 資 源 開 発 を め ざ す べ き だ 。 例 え ば

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気 象 条 件 が 悪 い 南 軽 井 沢 の 飛 行 場 を 西 に 移 そ う と し て い る 。 こ れ を こ ち ら に 誘 致 す る 。 ・ ・ ・ 原 田 (中 宿 ) 人 口 や 面 積 は 問 題 外 で 強 力 な 自 治 体 の 基 準 は 人 口 密 度 が 問 題 で そ れ は 担 税 力 の 問 題 に 直 結 す る 。 (人 口 密 度 表 省 略 ) 三 村 の 集 合 体 で は そ の 力 が あ ま -に 弱 い の だ 。 ま た 中 山 道 の 開 発 を 促 進 し 陸 運 の 発 達 に よ り 浅 間 と 合 併 す れ ば 東 方 信 州 の 心 臓 部 に な る こ と が 出 来 る 。 市 川 (荒 町 ) 三 村 が 合 併 す れ ば 中 心 は 現 在 の ま ま だ が ' 浅 間 町 と 合 併 す れ ば 中 心 は 浅 間 町 に 移 っ て し ま う の だ 。 こ の 点 で 御 代 田 ' 伍 賀 と む す ん で 小 田 井 に 中 心 を お -こ と の 出 来 る 三 村 合 併 に す べ き で あ る 。 金 沢 (西 屋 敷 ) 浅 間 町 と 合 併 し て 平 根 発 電 所 の 余 っ た 電 力 を 利 用 し て 岐 月 原 に 大 工 場 を 誘 致 す る (す で に 申 し 込 ん で き て い る の だ か ら 受 け 入 れ ゝ ば よ い )。 そ う す れ ば ' 二 、 三 男 の 就 職 対 策 は 出 来 ' 御 代 田 駅 が 表 玄 関 と な る 。 (同 報 九 七 号 、 六 月 1 0 日 ) し か し こ う し た 連 合 青 年 会 も 、 合 併 に つ い て の 意 見 の 対 立 か ら 遂 に 下 宿 、 荒 田 ' 西 屋 敷 の 三 青 年 団 が 連 合 か ら 脱 退 し た 。 こ う し て 連 合 青 年 団 は 三 一 年 九 月 三 日 に は 規 約 に 基 づ き 解 散 へ と 追 い 込 ま れ た 。 第 五 節 下 宿 部 落 の 分 村 運 動 そ の 間 に 事 態 は 次 第 に 悪 化 し た 。 同 年 七 月 二 七 日 に は 下 宿 の 部 落 長 と 農 業 委 員 は 御 田 村 に 辞 表 を 提 出 し た 。 彼 ら は 浅 間 町 へ の 分 村 を 望 む 請 願 書 を 提 出 す る な ど し て 事 態 は 深 刻 化 し 、 「浅 間 村 」 の 構 想 が 進 ん で い っ た 。 こ れ に か ん が み ' 翌 日 北 佐 久 地 方 事 務 所 の 有 賀 課 長 は 、 県 庁 の 地 方 課 に 出 向 い て 事 態 の 収 拾 を 協 議 し て い る . (﹃ 信 毎 ﹄ 三 1 年 七 月 二 八 日 ) 他 の 二 村 を み る と ' 小 沼 村 の 乗 瀬 地 区 が 小 諸 市 へ の 合 併 を 希 望 し て 、 「半 ば 暴 力 的 な 抗 争 」 を 続 け て い た 。 ま た 伍 賀 村 の 茂 沢 部 落 は 、 一 〇 月 一 八 日 ま で に 軽 井 沢 町 へ の 合 併 が 承 認 さ れ て い た が ' 「具 体 的 な 境 界 変 更 の 線 及 び そ れ に 伴 う 財 産 処 分 」 を め ぐ っ て 抗 争 が お こ っ て い た 。 三 一 年 九 月 末 日 に は 時 限 立 法 の 町 村 合 併 促 進 法 の 適 用 が 終 る 。 そ れ 故 に 三 ケ 村 内 で も 期 限 内 の 決 着 を 意 識 し て 合 併 を め ぐ る 紛 争 が 激 化 し 、 最 終 段 階 を 迎 え る こ と に な っ た 。 わ け て も 御 代 田 村 の 小 田 井 宿 南 部 の 下 宿 は 、 分 村 し て 浅 間 町 へ の 合 併 を 考 え 、 北 部 の 上 宿 は 三 ケ 村 合 併 を 主 張 す る な ど ' 相 対 立 す る 見 解 か ら 部 落 内 に 亀 裂 が 生 じ て い た 。 八 月 三 一 日 、 御 代 田 村 上 宿 公 民 館 で は 、 児 玉 部 落 長 の 古 越

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の 提 案 に よ っ て 全 部 落 長 会 議 が 開 催 さ れ 、 村 長 お よ び 村 議 会 議 長 あ て に 「申 入 書 」 を 提 出 す る こ と が 決 っ た 。 そ の 二 日 後 の 九 月 二 日 の 朝 、 浅 間 町 合 併 促 進 連 盟 は ﹃合 併 問 題 特 報 ! ﹄ と い う 新 聞 折 込 の ビ ラ を 村 内 に 配 布 し た 。 そ の 中 に は 村 会 へ の 「申 入 書 」 の 内 容 が 掲 げ ら れ て い た 。 と こ ろ が そ の 翌 日 に 部 落 長 有 志 の 名 前 で ' 特 報 ビ ラ の 「全 部 落 長 の 申 入 書 に 記 さ れ た も の は 原 文 と 相 違 し 、 従 っ て 意 義 の 解 釈 に 誤 解 を 招 -点 が あ -、 た め に 混 乱 を 来 た 」 す の で こ れ を 認 め な い 、 と す る 反 論 が 各 戸 に 配 布 さ れ た の で あ っ た 。 浅 間 町 合 併 派 は 特 報 の 中 で 、 「三 村 首 脳 会 談 を 開 催 し 即 時 三 村 合 併 促 進 協 議 会 を 中 止 す る か 然 ら ざ る 時 は 分 村 希 望 部 落 に 対 し 住 民 投 票 の 結 果 三 分 の 二 の 分 村 希 望 者 が あ る 時 は 村 議 会 に 於 て 合 併 議 決 前 に 分 村 を 議 決 す る こ と 」 と い う 内 容 の 申 込 書 を 村 長 と 議 長 に 渡 し て 、 こ れ が 議 員 懇 談 会 理 事 と 議 員 全 員 と 部 落 長 全 員 と の 懇 談 の 末 に 受 理 さ れ た t と し て い る 。 ま た 「合 併 促 進 協 議 会 中 止 は 不 能 な た め '分 村 を 認 め る こ と に な り 分 村 希 望 部 落 に 対 し て 選 挙 管 理 委 員 会 の 手 を 経 て 即 時 投 票 を 行 う こ と 」 に な っ た 、 と い う 。 さ ら に 「分 村 の 議 決 は 合 併 の 議 決 を な す 以 前 に 行 う こ と に 決 定 し 、 理 事 者 と 議 員 間 で 文 書 の 取 交 わ し を 行 っ た 」 の で 、 分 村 派 部 落 の 「浅 間 町 へ 合 併 が か な う こ と に な っ た 」 と 結 ん で い る 。 こ れ に 対 し て 前 記 の 「部 落 長 有 志 」 の ビ ラ は こ れ に 反 論 し て 、 「吾 々 は こ れ を 認 め な い 。 こ こ に 吾 々 は 妥 協 を 望 み 、 即 時 三 村 合 併 の 断 行 を 要 請 す る も の で あ る 」 tと 村 民 に 向 け て 訴 え て い る の で あ る 。 分 村 を 主 張 す る 下 宿 と は 反 対 に ' 上 宿 部 落 は 三 村 合 併 を 支 持 し て い た 。 上 宿 を 含 む 「部 落 長 有 志 」 は 事 態 の 紛 糾 を お そ れ て ' 九 月 四 日 に 村 会 議 長 宛 に 次 の よ う な 「請 願 書 」 を 提 出 し て い る 。 (前 略 )状 況 は い よ い よ 急 を 告 げ 且 重 大 な -来 た -親 状 を 此 侭 黙 視 し 得 ず 九 月 二 日 正 午 よ り 部 落 常 会 を 開 催 し 全 英 智 を 積 集 し て 慎 重 に 協 議 を 致 し ま し た 処 今 日 迄 希 望 致 し て 来 ま し た 〃 円 満 な る 自 治 の 発 展 〝 が 認 め ら れ ず 意 外 に も 村 議 会 に 於 て 分 村 を 協 議 な さ れ た 由 此 事 は 当 部 落 に 於 き ま し て は 甚 だ 遺 憾 で あ -ま す 。 由 来 小 田 井 宿 は 幾 つ か の 部 落 別 と は な っ て 居 れ 是 に 堺 は あ -ま せ ん 祖 先 よ り 農 業 を 以 て 生 計 と し 境 遇 思 想 感 情 等 も 亦 相 通 ず る も の の あ る は 自 然 の 理 で あ -宿 命 で も あ -ま す 。 か 、 る 因 習 の 内 に 在 る 部 落 で あ り ま す が 故 に 三 部 落 の 分

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村 は 到 底 忍 び 得 ま せ ん 。 も し 三 部 落 の 分 村 が 実 現 す る な ら ば 不 本 意 で は あ -ま す が 是 に 同 調 し て 浅 間 町 へ 合 併 す る も 止 む を 得 な い と の 話 が 出 来 取 -急 ぎ 此 処 に 連 署 を 以 て 請 願 の 手 続 き を 致 し た 次 第 で あ り ま す 何 卒 慎 重 御 審 議 の 上 然 る べ -御 配 意 を お 願 い 致 し ま す 。 昭 和 廿 1 年 九 月 四 日 上 宿 部 落 代 表 尾 台

紹 介 議 員 尾 台 進 は 「分 村 貫 徹 ま で 最 後 ま で や -ぬ -」 構 え を 示 し た 。 御 代 田 村 で は 臨 時 教 育 委 員 会 や 村 会 協 議 会 を 開 催 し た 。 原 田 村 長 は 「平 常 に 復 す る よ う 勧 告 し た い 。 即 時 分 村 が 時 期 的 に 無 理 と し て も 手 続 き さ え す め ば 分 村 さ せ る つ も り な の だ か ら ' 分 村 派 も も っ と 落 ち 着 い て も ら い た い 」 と な だ め て い る 。 そ の 後 両 者 は か み あ わ な い ま ま に 事 態 は な お 悪 化 し て い っ た 。 下 宿 で は 各 戸 に 「浅 間 町 合 併 契 約 の 家 」 の 木 札 を 掲 げ て 気 勢 を あ げ た 。 御 代 田 村 の 西 屋 敷 、 下 宿 、 荒 田 の 三 部 落 の 分 村 派 は 九 月 二 〇 日 を 予 告 し て 「浅 間 村 」 を 宣 言 し 、 元 村 議 会 議 員 の 武 井 伊 四 郎 を 村 長 に 選 び 、 下 宿 公 会 堂 に 役 場 を 開 設 し た 。 ま た 小 学 校 の 児 童 一 七 二 名 と ' 中 学 校 生 徒 八 九 名 の 同 盟 休 業 を 実 施 し て 、 子 ど も た ち を 各 部 落 の 公 会 堂 や 民 家 に 分 散 さ せ た 。 児 童 生 徒 の 学 習 指 導 は 婦 人 会 や 青 年 団 が 受 け 持 っ た 。 し か し ' 一 方 そ の 部 落 内 の 合 併 派 の 家 庭 の 児 童 二 名 と 生 徒 五 名 は 本 校 に 通 学 し た の で 、 部 落 内 が 二 つ に 分 れ た 。 分 村 派 事 態 は 深 刻 化 し て 、 県 の 調 停 委 員 が 斡 旋 に 乗 -出 し た 。 三 ケ 村 は 促 進 法 の 期 限 内 に 一 度 は 御 代 田 町 に 合 併 す る 、 そ し て 次 の 段 階 で 、 三 つ の 分 村 希 望 の 部 落 は 改 め て 御 代 田 町 か ら 分 町 し て 浅 間 町 、 小 諸 町 お よ び 軽 井 沢 町 の そ れ ぞ れ と 合 併 す る と い う 案 を 提 出 し た 。 三 村 は こ れ を 受 け 入 れ て ' 合 併 の 議 決 を 行 っ た 。 第 六 節 合 併 論 議 の 問 題 点 旧 三 村 の 合 併 議 論 は 単 純 な も の で は な -、 三 ヶ 年 の 長 き に お よ ん だ 。 そ れ に は い -つ か の 理 由 が あ っ た 。 1 つ に は 、 三 村 そ れ ぞ れ は 、 江 戸 期 の 自 然 村 以 来 の 財 産 区 (区 有 財 産 プ ロ ク ) を 形 成 し て い た 。 そ れ が 合 併 に よ っ て 新 し い 行 政 村 に 再 編 さ れ る と ' そ の 所 有 権 者 が 新 御 代 田 町 の み な ら ず 小 諸 町 ' 浅 間 町 、 軽 井 沢 町 な ど 複 数 の 町 村 に 分 散 さ せ ら

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れ る こ と に な り ' 不 都 合 の 生 じ る こ と が 懸 念 さ れ た の で あ る 。 二 つ に は 、 三 村 は 浅 間 山 麓 地 帯 に 南 北 に 傾 斜 し て 隣 合 う の で 、 鉄 道 に 平 行 し て 走 る 北 国 街 道 筋 の 東 西 道 路 に 対 し て 、 新 に 中 仙 道 筋 の 南 北 を 結 ぶ 幹 線 道 路 が 整 備 さ れ る 必 要 が あ っ た 。 特 に ' 小 学 校 や 中 学 校 が 統 合 さ れ た 場 合 に は 道 路 の 整 備 は 急 務 で あ る 。 ま た 道 路 の 結 合 だ け で は な -、 上 下 水 道 が 広 域 的 に 効 率 的 に 管 理 さ れ る 必 要 が あ っ た 。 し か し そ れ ら の 恩 恵 は 、 中 心 地 域 の 御 代 田 だ け の も の で あ っ て 、 南 の 伍 賀 と 北 の 小 沼 は 果 し て 財 政 負 担 に 見 合 う だ け の 恩 典 が あ る の か 否 か は 疑 問 で あ る t と 言 わ れ た の で あ っ た 。 例 え ば 、 中 心 地 域 が 信 越 線 御 代 田 駅 所 在 地 付 近 に 移 動 し て 、 そ の 地 域 に 小 学 校 が 統 合 さ れ る な ら ば 、 早 速 義 務 教 育 の 始 め か ら 、 遠 方 の 児 童 は 通 学 に 不 公 平 や 不 均 等 が 生 じ る の は 理 不 尽 で あ る 。 特 に 茂 沢 地 区 の 場 合 は ' 小 学 校 へ の 通 学 は 軽 井 沢 町 の 方 が 近 か っ た 。 中 学 校 も 中 心 地 区 に 統 合 さ れ れ ば 、 地 理 的 に 不 便 が 生 じ る 地 域 が 出 る 。 三 つ に は 、 同 じ 旧 御 代 田 村 内 の 場 合 で も ' こ れ ま で の 行 政 の 中 心 で あ る 役 場 が 国 鉄 御 代 田 駅 の 近 辺 に 新 築 移 転 さ れ れ ば 、 当 時 の 村 役 場 や 郵 便 局 の 所 在 地 で あ る 上 宿 の 部 落 は 衰 退 が 懸 念 さ れ た 。 四 つ に は ' 高 冷 地 農 業 の 中 核 で あ る 伍 賀 農 業 協 同 組 合 が 、 他 の 中 心 組 織 に 併 合 さ れ た な ら ば ' こ れ ま で の よ う な 伍 賀 区 固 有 の 運 営 が 難 し -な る と 危 慎 さ れ た 。 さ ら に 五 つ に は 、 新 町 郊 外 の 周 辺 部 に 位 置 す る 地 区 の 場 合 に は 、 小 規 模 の 新 し い 「町 」 に 合 併 す る よ -も ' 隣 -に 成 立 す る 大 き な 「市 」 ' 即 ち 合 併 に よ っ て 成 立 す る 佐 久 市 や 小 諸 市 の 一 員 と な る 方 が 広 域 行 政 の 恩 恵 に 浴 す る の で は な い か 、 と も 考 え ら れ た の で あ る 。 以 上 の よ う に 合 併 合 意 ま で の 間 に 、 三 ケ 村 は 苦 渋 に 満 ち た 経 緯 を た ど っ た 。 そ し て 最 終 的 に は 促 進 法 の 時 限 ギ リ ギ リ の 時 点 で ﹃御 代 田 町 新 町 建 設 計 画 ﹄ (別 掲 ) を 策 定 し て ' さ ら に 荻 原 勇 伍 賀 村 長 を 町 長 職 務 執 行 者 に 選 任 し た 。 第 七 節 合 併 申 請 書 の 提 出 小 沼 村 長 奥 田 甲 平 、 御 代 田 村 長 原 田 太 郎 、 伍 賀 村 長 荻 原 勇 の 三 者 は 、 昭 和 三 十 一 年 九 月 七 日 付 で ' 長 野 県 知 事 の 林 虎 雄 宛 に ﹃北 佐 久 郡 小 沼 村 、 御 代 田 村 ' 伍 賀 村 を 廃 し そ の 区 域 を 以 っ て 北 佐 久 郡 御 代 田 町 を 置 -に つ い て の 申 請 書 ﹄ を 連 名 で 提 出 し て い る 。 以 下 の ﹃申 請 書 ﹄ の 内 容 も 、 県 の 審 議 会 の マ ニ ュ ア ル に そ っ

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て 作 成 さ れ た 。 そ の 第 一 頁 の ﹃町 村 合 併 申 請 書 ﹄ に よ れ ば 、 「そ の 地 区 を も っ て 御 代 田 町 を 置 き 昭 和 三 十 1 年 九 月 三 十 日 か ら 施 行 す る よ う お 計 ら い 願 い た -地 方 自 治 法 第 七 条 第 1 項 の 規 定 に よ り 関 係 書 類 を 添 え て 申 請 い た し ま す 」 と あ る 。 以 下 は そ れ に 続 -文 面 で あ る 。 ( こ 理 由 書 小 沼 村 ' 御 代 田 村 、 伍 賀 村 は 北 佐 久 郡 の 東 北 部 に 位 置 し 、 東 は 軽 井 沢 町 ・ 西 は 小 諸 市 ・ 南 は 浅 間 町 ・ 東 村 に つ ら な り 、 区 域 内 に は 中 央 部 を 東 西 に 信 越 線 が 走 -' 御 代 田 駅 を 中 心 と し て 御 代 田 村 ・ 小 沼 村 ・ の 大 部 分 は 町 的 な 形 態 を な し ' ま た 北 国 街 道 ・ 中 山 道 の 二 主 要 路 線 あ -' 東 南 に 湯 川 の 清 流 を 持 ち て 地 理 的 丁 体 性 を 保 ち ' 気 候 風 土 も 全 -類 似 し 、 又 市 街 地 形 成 地 域 に お い て は 活 発 な る 商 工 活 動 も あ -' 経 済 的 環 境 は 全 -同 一 で あ り 、 従 来 に あ り て も 村 行 政 各 般 に 亘 -連 絡 を と -つ ゝ 共 存 の 実 を 挙 げ て 今 日 に 至 り ま し た 。 長 き 歴 史 を 有 す る 三 ケ 村 は 伝 染 病 院 ' ま た 教 育 施 設 と し て 顕 著 な る 成 績 を 挙 げ つ 、 あ る 北 佐 久 農 業 高 等 学 校 分 校 あ -、 商 工 行 政 に つ い て は 御 代 田 駅 を 中 心 に 商 店 街 の 発 展 を な し 、 浅 間 町 ・ 軽 井 沢 町 ・ 小 諸 商 店 街 と の 取 引 多 し 。 農 林 関 係 に お い て も 高 原 特 産 野 菜 の 生 産 出 荷 ・ 酪 農 経 営 の 振 興 発 展 ・ 林 産 資 源 の 活 用 等 浅 間 山 麓 地 区 の 関 係 相 と し て 緊 密 な る 提 携 な ど 言 を 侯 た ず し て 明 か で あ -ま す 。 敢 え て 云 う な れ ば 合 併 す べ き 必 然 的 要 素 を 包 蔵 す る こ と 誠 に 多 -、 町 村 合 併 促 進 法 の 施 行 の 機 に 組 織 及 び 運 営 を 合 理 的 且 つ 能 率 的 な 自 治 行 政 の 確 立 を 積 極 的 に 推 進 す る た め の 規 模 の 適 正 化 を 計 る と と も に ' 町 制 を 施 行 L t 商 ・ 工 ・ 農 一 体 と な り 健 全 な る 町 制 を 行 い ' 住 民 の 福 祉 を 増 進 し 地 方 自 治 の 本 旨 の 実 現 を 期 す る も の で あ -ま す 。 (二 ) 関 係 相 概 況 表 省 略 (≡ ) 新 町 名 選 定 の 理 由 関 係 村 住 民 か ら 公 募 し 協 議 会 に 於 て 選 定 し た 結 果 ' 駅 名 が 御 代 田 、 局 名 が 御 代 田 ' 其 の 他 、 経 済 的 関 係 も 御 代 田 名 を 使 用 す る こ と が 、 非 常 に 有 利 で あ る と と も に 、 地 域 住 民 の 多 数 の 要 望 も あ -、 全 国 的 に も 新 名 は 同 一 の 名 称 が な い の で 御 代 田 町 と し た 。 (四 ) 新 事 務 所 の 位 置 並 び に そ の 位 置 の 決 定 理 由 御 代 田 村 一 、 七 七 九 番 地 の 二 、 (旧 御 代 田 村 役 場 ) は 、 合 併 村 の 中 核 を な す 位 置 に あ -' 庁 舎 も 若 干 増 築 を 加 え

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れ ば 、 使 用 に 供 さ れ る の で 、 新 庁 舎 の 建 設 ま で の 間 事 務 所 と し た 。 (五 ) 現 況 表 省 略 し か し こ れ が 県 議 会 で 審 議 さ れ て い る 途 上 に も ' 合 併 に 反 対 す る 陳 情 が お こ な わ れ て い た 。 そ の 間 に 関 係 者 は 話 合 い を 行 っ て 九 月 二 五 日 に 村 長 、 議 長 お よ び 分 村 派 代 表 の 署 名 を も っ て 「三 か 村 の 合 併 に 関 す る 紛 争 の 処 置 に つ い て 関 係 各 村 及 び 分 村 派 は 県 議 会 及 び 県 理 事 者 に 白 紙 一 任 す る こ と を こ こ に 確 認 い た し ま す 」 と い う 協 定 書 を 、 県 会 議 長 と 知 事 に 提 出 す る こ と に な っ た 。 県 議 会 に お い て は ' 総 務 委 員 長 か ら の 審 査 報 告 に も と づ き 、 こ の 三 か 村 合 併 が 議 決 を み た 。 こ の 審 査 報 告 に は 次 の よ う な 部 分 が あ る 。 ・ ・ ・ 御 代 田 、 小 沼 、 伍 賀 の 三 か 村 合 併 に 関 す る 紛 争 ' そ の 他 の 難 解 な る 合 併 の ケ ー ス を 直 視 す る に 、 い ず れ も 全 住 民 の 円 満 な る 話 し 合 い と か 自 然 の 歩 み よ -を 待 た ず し て ' 急 速 に ひ た す ら 促 進 法 の 恩 典 の み を 考 え て 、 無 理 じ い を し た よ う な 向 き も あ る や に 解 釈 さ れ る 点 も あ り ま し て 、 こ れ は と -に 可 及 的 速 や か な る 分 村 を 促 進 す る と い う 条 件 を 付 し て 議 決 さ れ た の で あ り ま す 。 (﹃ 長 野 県 町 村 合 併 話 ﹄ ) 合 併 は 県 会 で 議 決 さ れ 、 知 事 の 処 分 を 経 て 三 1 年 九 月 三 〇 日 に 御 代 田 町 が 発 足 し た 。 こ れ に 先 立 ち 各 村 は 役 場 に お い て 解 村 式 を 挙 行 し て ' 三 ケ 村 は 六 八 年 の 歴 史 に 幕 を お ろ し た 。 第 八 節 御 代 田 町 の 誕 生 御 代 田 町 は 昭 和 三 一 ( 一 九 五 六 ) 年 九 月 三 〇 日 に 誕 生 し た 。 こ の 旧 三 村 の 合 併 に あ た っ て 、 町 の 広 報 紙 ﹃御 代 田 時 報 ﹄ (以 下 ﹃時 報 ﹄ と 略 称 ) の 第 言 了 の 冒 頭 に は 、 「何 十 年 来 の 村 の 歴 史 に 別 れ を 告 げ て 新 し い 町 ・ 御 代 田 が う ま れ た 。 -・ ・ 九 月 三 十 日 ' 新 し い 歴 史 の 1 項 目 の 日 で あ る 。 こ の 日 は 連 日 の 雨 風 か ら か ら -と 晴 れ 亘 り ' 新 町 の 前 途 を 祝 福 す る か の よ う に ' さ ん ぜ ん と 太 陽 は 輝 -希 望 の 町 ' 誰 の 町 で も な い 私 た ち の 住 む 御 代 田 町 は 力 強 -発 足 し た の で あ る 」 と 記 さ れ て い る 。 新 御 代 田 町 に 合 併 し た の は 、 現 在 の し な の 鉄 道 の 前 身 で あ る 国 鉄 信 越 本 線 御 代 田 駅 の 所 在 地 御 代 田 村 (標 高 七 七 〇 米 ) を ま ん 中 に し て 、 北 の 小 沼 村 (同 八 四 〇 米 ) と 南 の 伍 賀 村 (同 七 六 〇 米 ) の 旧 三 村 で あ っ た 。

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荻 原 町長 職 務 執 行 は ﹃御 代 田 町時 報 ﹄ 第 一 号 で ' 「三 年 越 し に 亘り ま し た 三 村 合 併 も 合 併 促 進 法 の 最後 で はあ -ま した が 、 町 民 の 皆 様 の 御 熱 意 と御 協 力 に よ -ま し て 、 新 御 代 田 町 の 誕 生 が で き ま した こ と は '御 同慶 に 存 ず る 次 第 で ご ざ い ま す 」 と 、感 慨 深 -そ の 決 定 に 謝 意 を 表 し て い る 。 三 一 年 一 一 月 八 日、 町 長 選 挙 が行 わ れ て 初 代 町 長 に 荻 原勇 が 当 選 した 。投 票 率 は 八 二% で あ る 。新 町 長 は 就 任 に 当 っ て 、 耕 地 の 1 部 を草 地 農 業 に 転換 す る こ と 、 開墾 地 に 自 給 可 能 な 水 田を 造成 す る こ と '隣 の 軽 井 沢 町 と提 携 し て 観 光施 設 を 設 け る こ と 、南 北 に 傾 斜 し た旧 三 村 を 結 ぶ 道 路 を整 備 す る こ と など を 緊急 要件 と し て 挙 げ た 。 ら の 希 望 を 受 け て 、 同 地 区 は 御 代 田 町 へ 編 入 さ れ る こと に 決 っ た 。 旧村 の 一 部 が別 の 市 町村 に 合 併 した場 合 は '区 有 財 産 の 処 分 問 題 の 他 に 、消 防 活 動 や 義 務 教 育 段 階 の 児 童 の 通学 に 関 す る 問 題 な ど '地 域 の 社会 的 な仕 組 み に も 影 響 が生 じ て き た 。 ま た当 時 分 町希 望 の 部落 か ら御 代 田町消 防 団 へ 、 ハ ッ ピ を 返 上 す る と い う 騒動 も あ っ た 。 (﹃ 信毎 ﹄ 三 二 年 l 月 1 四 日) 第 九 節 分 町 問 題 当 町 は 、合 併 の 合 意 を め ぐ っ て 紛 糾 し た 数 ケ部 落 に つ い て は ' 一 度 合 併 を 行 っ た 後 に 分 町す る こ と を条 件 と し て い た 。 新 町 の 最初 の 業 務 は ' こ の 間 題 の 処 理 と解 決 で あ っ た 。 これ によ っ て ' 昭 和 三 二 年 二 月 一 日、乗 瀬 部 落 は 小諸 市 へ '小 田 井 地 区 の 下宿 、荒 田、 西 屋敷 は浅 間 町 (後 の 佐 久 市 ) へ '茂 沢 部落 は 軽 井 沢 町 へ と そ れ ぞ れ 分 町 を す る こ と に な っ た 。 1 万 三 二 年 四月 l 日 に は、軽 井 沢 町追 分 の 西鰍 沢 の 住 民 か 一 月 二 六 日 に 御 代 田町役 場 で 分 町 調印 式 が 行 わ れ た 。荻 原 御 代 田町 長 、 佐 藤 軽 井 沢 町 長 、金 子小 諸 市 長 代 理 が 出 席 し ' 今 井 地方 事 務 所 長 の 立会 いの 下 で 調印 が お こ な わ れ た。 し か し 浅 間 町 は、御 代 田小 学 校 が 分 町 す る 小 田 井 地 区 の 下 宿 、荒 田、 西 屋 敷 三部落 の 児 童 の 依 託 収 容 を 承 知 しな か っ た こ と を 理 由 に 、 こ の 席 に 出 席 し な か っ た。 浅 間 町 は、 下宿 な ど の 三部落 の 行 政 財 産 の 分割 と 、今 後 も 児 童 ・ 生 徒 を 自 宅 に 近 い 御 代 田小 学校 、 中 学 校 に 委 託 通 学 さ せ た い 意 向 を 御 代 田 町 に 伝 え た 。 しか し 御 代 田 町 は 、 三 部 落 が 同 町 へ 復 帰 し な い 限-通 学 問 題 の 依 託 期 限 は 三月 の 年 度 末 で あ る と した 。 こ れ に 関 し て 地 方事 務 所 は 、 二 度 に わ た る 調停 案 を 提 示 し

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清泉女学院短期大学研究紀要 (第20号) た 。 す な わ ち 、 す で に 両 町 の 間 で と -き め た 村 有 林 の 分 割 は 翌 年 四 月 一 日 ま で 延 期 す る こ と ' 児 童 ・ 生 徒 の 通 学 問 題 に つ い て は 新 学 期 よ -一 ケ 年 間 は 御 代 田 小 学 校 ・ 中 学 校 に 依 託 通 学 さ せ る t と い う 内 容 で あ る 。 浅 間 町 の 場 合 も 、 こ の 児 童 ・ 生 徒 を 受 け 入 れ る た め に は 同 町 立 学 校 に 教 室 の 増 築 を 図 ら な け れ ば な ら な か っ た の で あ る 。 し か し 分 村 ・ 分 町 運 動 以 来 の 感 情 的 な し こ り は 大 き -' 御 代 田 町 は 譲 ら な か っ た 。 両 者 の 間 を 佐 藤 県 会 議 員 が 斡 旋 の 労 を と っ た け れ ど ' 浅 間 町 議 会 協 議 会 は 「と う ぜ ん 行 政 財 産 を 使 う 権 利 が あ る 」 と し て ' 新 学 期 か ら 御 代 田 町 の 学 校 に 「浅 間 町 分 校 」 の 看 板 を 掲 げ て 三 部 落 の 児 童 ・ 生 徒 を 通 学 さ せ る こ と に す る t と い う 強 行 策 さ え 決 め て い る 。 結 局 三 月 二 〇 日 に 浅 間 町 議 会 は 全 員 協 議 会 を 開 き 、 小 田 井 地 区 の 通 学 問 題 の 折 衝 を 打 ち 切 っ て 岩 村 田 小 学 校 、 中 学 校 へ の 受 け 入 れ を 決 定 し た 。 こ れ に と も な い 、 小 学 校 に 四 教 室 、 中 学 校 に 二 教 室 を 増 築 す る こ と 、 小 田 井 地 区 の た め に ス ク ー ル ・ バ ス を 一 台 購 入 す る が 、 当 面 は 毎 日 貸 切 -バ ス を 運 行 す る t と す る 町 長 の 提 案 を 受 け 入 れ た 。 こ う し て 、 同 地 区 は 浅 間 小 、 中 学 に 編 入 す る 手 続 き を と る こ と に な っ た 。 (﹃ 北 信 濃 新 聞 ﹄ ' ﹃信 濃 毎 日 新 聞 ﹄ に よ る ) 小 諸 に 合 併 し た 乗 瀬 部 落 で は 祝 賀 会 で 新 市 名 入 り の 手 拭 を 配 っ た 。 ま た 軽 井 沢 に 合 併 し た 茂 沢 で は 冬 季 に 小 学 校 の 分 教 場 が 開 設 さ れ る こ と に な っ た 。 御 代 田 町 は 、 合 併 促 進 法 の 「施 行 令 」 に 基 づ い て 政 府 か ら の 補 助 金 支 給 の 委 任 事 務 を 県 知 事 が 行 う よ う 要 請 し た 。

第 一 節 町 長 と 町 会 議 員 の 選 出 町 行 政 を 執 行 す る 役 場 は 旧 御 代 田 村 役 場 に 本 庁 を 置 き 、 伍 賀 と 小 沼 の 旧 庁 舎 を 支 所 と し た 。 町 の 首 長 で あ る 町 長 は 住 民 の 選 挙 に よ っ て 選 ば れ 、 そ の 町 長 の 推 薦 に よ っ て 助 役 と 収 入 役 が 町 議 会 か ら 選 任 さ れ た 。 役 場 で は 助 役 の 下 に は 総 務 課 、 税 務 課 、 社 会 課 、 経 済 課 、 建 設 課 が 置 か れ ' 各 課 の 下 に 諸 係 が 位 置 し た 。 収 入 役 の 下 に は 会 計 係 が 置 か れ た 。 (昭 和 三 二 年 ﹃図 表 で み る 御 代 田 町 町 勢 要 覧 ﹄ の 見 取 図 と 事 務 分 掌 表 を 参 照 ) 。 こ の 他 に 役 場 に は 教 育 委 員 会 、 農 業 委 員 会 、 選 挙 管 理 委 員 会 、 町 議 会 の 各 事 務 所 が 置 か れ て い た 。 三 二 年 一 一 月 八 日 に 初 代 町 長 の 選 挙 が 行 わ れ た 。 町 内 に 一

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二 の 投 票 所 が 設 け ら れ て 、 こ こ に 有 権 者 六 、 〇 八 七 人 の う ち の 八 二 % の 人 々 が 足 を 運 ん だ 。 町 長 当 選 者 は 合 併 以 来 町 長 職 務 執 行 者 を 務 め て き た 伍 賀 地 区 の 荻 原 勇 で あ っ た 。 任 期 は 四 ヶ 年 で あ る 。 臨 時 町 議 会 は 、 暫 -空 席 の 続 い て い た 助 役 の ポ ス ト に 前 御 代 田 村 長 の 原 田 太 郎 を ' 収 入 役 に は 高 山 薫 を 選 任 し た 。 さ ら に 町 村 合 併 と 同 時 期 に 改 定 さ れ た 教 育 委 員 会 法 に よ っ て ' 従 来 の 教 育 長 公 選 制 に 代 え て 、 町 長 は 任 命 制 人 事 初 代 教 育 長 に 中 島 鉱 蔵 を 当 て た 。 合 併 直 後 の 三 一 年 一 〇 月 八 日 、 旧 村 の 村 会 議 員 の 四 八 人 に よ っ て 第 一 回 御 代 田 町 議 会 が 召 集 さ れ た 。 合 併 直 後 に は 議 員 の 総 辞 職 の 動 き も あ っ た が ' 分 町 問 題 で 踏 み と ど ま っ た 。 翌 三 二 年 九 月 二 〇 日 に は ' 初 の 町 議 会 員 の 選 挙 が お こ な わ れ た 。 当 選 議 員 の 中 か ら 荻 原 英 雄 が 議 長 に 選 ば れ た 。 三 五 年 一 〇 月 三 〇 日 に は 、 任 期 満 了 に よ っ て 町 長 選 挙 が 行 わ れ て 、 原 田 太 郎 が 第 二 代 の 町 長 に 選 出 さ れ た 。 投 票 率 は 九 四 ・ 五 % で あ っ た 。 町 議 会 議 員 の 一 般 選 挙 は 翌 三 六 年 九 月 1 七 日 に 行 わ れ て 、 二 〇 名 が 改 選 さ れ た 。 議 長 に は 木 戸 千 年 が 選 出 さ れ て い る 。 町 の 財 政 は 、 合 併 に よ っ て 三 村 を 束 ね た 分 だ け 大 き -な っ た 。 の み な ら ず そ の 規 模 も 年 毎 に 大 き -な っ て い っ た 。 町 勢 要 覧 ﹃み よ た ﹄ 合 併 一 〇 周 年 記 念 号 ( 1 九 六 七 年 版 ) を 見 る と 、 合 併 直 後 三 ケ 月 分 の 三 一 年 度 の 会 計 は 例 外 と し て 、 三 二 年 度 の 歳 入 は 四 、 一 九 四 万 八 千 円 (歳 出 は 四 、 〇 〇 〇 万 円 余 ) で あ っ た が 、 一 〇 年 後 の 四 一 年 度 の 歳 入 は ' そ の 五 ・ 六 倍 の 二 億 三 、 四 二 四 万 円 余 (歳 出 は 二 億 三 、 四 一 四 円 余 ) に 増 長 し て い る こ と が 分 か る 。 こ う し て 予 算 が 増 加 す る 間 に は 、 中 学 校 の 建 設 や 町 役 場 庁 舎 の 建 設 な ど の 大 型 の 事 業 が お こ さ れ た の で あ る 。 第 二 節 新 御 代 田 町 の 町 民 融 和 と 統 合 中 学 校 の 建 設 旧 三 村 に あ る 小 沼 ' 伍 賀 、 御 代 田 の 各 中 学 校 を 一 つ に 統 合 し て 複 数 学 級 の 町 立 中 学 校 を 新 築 す る こ と は 、 合 併 以 来 の 町 政 の 最 大 の 懸 案 で あ っ た 。 即 ち ' 「御 代 田 町 新 町 建 設 計 画 」 (五 ケ 年 計 画 ) の 中 に も 、 中 学 校 の 校 舎 を 「 一 八 学 級 を 主 体 と し て 早 急 に 新 築 す る 」 と い う 一 項 が 盛 -込 ま れ て い る 。 こ の 中 学 校 の 統 合 問 題 は 戦 後 の 教 育 改 革 と も 連 動 し て い る 。 ま た こ れ は 、 六 〇 余 年 前 に 行 わ れ た 明 治 二 l 年 の 町 村 制 の 施 行 が ' 学 制 の 実 施 と 連 動 し て い た こ と に も 呼 応 し て い る 。

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す な わ ち 明 治 の 町 村 合 併 の 場 合 ' 「 1 股 の 人 民 (華 士 族 農 工 商 及 婦 女 子 ) 、必 ズ 邑 二 不 学 ノ 戸 ナ ク 家 二 不 学 ノ 人 ナ カ ラ シ メ ン 事 ヲ 期 ス 」 ( ﹃法 令 全 書 ﹄ 五 -一 ) た め に ' 当 時 の 自 然 村 を 大 き な 行 政 村 に 再 編 し て 合 併 さ せ 、 郷 学 校 の 設 立 を は か -' こ れ を 契 機 に 国 家 の 末 端 の 機 構 と し て の 村 の 役 場 を ' 地 方 自 治 行 財 政 の 基 盤 と し た の と 状 況 が 同 じ な の で あ る 。 戦 後 は ﹃日 本 国 憲 法 ﹄ に 関 連 し て 六 ・ 三 制 が 導 入 さ れ 、 義 務 教 育 制 度 は 大 改 正 さ れ た 。 こ れ に よ っ て 旧 来 か ら の 六 年 制 の 小 学 校 課 程 に 加 え て ' そ れ に 続 -三 年 制 の 中 学 校 課 程 が 置 か れ る こ と に な っ た 。 こ れ よ っ て 全 国 の 各 市 町 村 で は ' 義 務 教 育 が 三 ヶ 年 延 長 さ れ た 分 の 生 徒 が 収 容 で き る 新 制 中 学 校 を 設 置 す る 必 要 に 迫 ら れ た の で あ る 。 し か し こ れ は 、敗 戦 後 の 乏 し い 市 町 村 財 政 を 極 度 に 圧 迫 し た 。 そ こ で 当 時 の 自 治 庁 は こ の 学 校 建 設 を 契 機 に し て 、 地 方 「住 民 の 福 祉 」 、 即 ち 勧 業 ' 教 育 ' 衛 生 、 建 設 ' 消 防 、 障 害 者 福 祉 な ど を 推 進 さ せ る べ -中 小 規 模 の 町 村 の 広 域 合 併 を 促 進 さ せ て 、 財 政 基 盤 の よ -大 き な 自 治 体 に 再 編 成 す る こ と を 政 策 課 題 と し た の で あ っ た 。 御 代 田 町 に 統 合 し た 旧 三 村 の 場 合 も ' 互 い に 状 況 は 同 じ で あ る 。 そ こ で 財 政 難 に 悩 む 旧 三 村 の 間 に は 、 早 い 段 階 か ら そ の 打 開 の た め に 広 域 連 合 の 組 合 立 に よ る 統 合 中 学 校 を 設 立 す る 案 が 検 討 さ れ て い た 。 当 時 の 北 佐 久 地 方 事 務 所 は 町 村 合 併 計 画 を 推 進 す る に 際 し て 、 こ の 南 北 三 村 を 一 プ ロ ク に ま と め れ ば 適 正 な 財 政 規 模 の 町 村 に 再 編 で き る と し て ' こ れ を 提 示 し た 経 緯 が あ っ た 。 さ ら に こ の 合 併 が 実 現 し た 前 後 に ' 分 村 ・ 分 町 問 題 が 紛 糾 し て 御 代 田 小 ・ 中 学 校 が 同 盟 休 校 を し た 。 町 民 は こ の 合 併 問 題 が 解 決 し た 時 点 で ' 感 情 の し こ り を 1 掃 し て 三 地 域 が 融 和 し て 、 町 民 の 一 体 感 を 共 有 す る 新 し い 町 民 意 識 が 形 成 さ れ る こ と を 期 待 し た 。 統 合 中 学 校 の 建 設 は こ の 期 待 を 担 っ て い た の で あ る 。 さ て 発 足 当 時 の 新 制 中 学 校 は 、 初 等 教 育 終 了 者 の た め に 教 科 の 専 門 性 を 重 ん じ た 中 等 教 育 を 行 う こ と を 目 的 に 、 新 に そ れ 応 じ た 施 設 と 教 員 を 準 備 す る こ と が 要 請 さ れ て い た 。 こ れ は 小 規 模 校 で は 実 現 で き る も の で は な い 。 御 代 田 町 の 場 合 も ' 三 二 年 二 月 二 一日 に 伍 賀 小 学 校 の

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か ら 「現 在 三 中 学 校 と も 特 別 教 室 の 過 小 と ' 教 員 組 織 に お い て は 教 科 の 専 門 制 は 全 -不 可 能 で あ り 、 統 合 中 学 校 建 設 は 1 日 早 き は 御 代 田 町 発 展 の 基 盤 に な る 」 と し て ' 早 期 統 合 の 実 現 を 望 む 陳 情 書 が 町 当 局 に 出 さ れ て い る 。 町 で は そ の 建 設 準 備 と し て 、 三 二 年 四 月 に 統 合 中 学 校 推 進

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委 員 会 を 発 足 さ せ ' 同 五 月 一 日 に は 町 内 の 三 中 学 校 を 形 式 統 合 さ せ て 「御 代 田 中 学 校 」 と し 、 各 校 を そ の 部 校 と し た 。 こ れ は 文 部 省 か ら 中 学 校 校 舎 新 築 補 助 金 の 交 付 を 受 け る た め の 対 策 で も あ っ た 。 南 北 の 旧 三 村 を 一 つ に す る こ の 町 立 統 合 中 学 校 建 設 の 問 題 は ' 先 ず 何 よ -も 学 校 の 敷 地 の 問 題 で 難 航 し て い た 。 三 二 年 二 月 二 六 日 に は 三 村 の 中 心 地 を 探 し て 八 ケ 原 、 入 向 原 、 水 源 地 ' 丸 山 ' 雪 窓 、 大 林 な ど の 六 つ が 候 補 地 に あ げ ら れ た 。 以 後 建 設 委 員 会 は 、 こ れ ら の 現 地 で 何 度 も 視 察 と 懇 談 を 繰 -近 し な が ら 合 計 八 六 回 の 会 議 を 開 い た 。 そ の 結 果 、 や っ と 三 三 年 四 月 七 日 に 、 町 議 会 は 議 員 全 員 の 賛 成 に よ っ て 雪 窓 地 区 の 一 万 坪 を 中 学 校 建 設 の 敷 地 と す る こ と に 決 定 し た 。 「雪 窓 」 と い う 地 名 は 学 校 唱 歌 の 「蛍 の 光 ' 窓 の 雪 」 を イ メ ー ジ さ せ て 好 評 で あ っ た 。 こ こ に 至 っ て 推 進 委 員 会 は 解 散 し た 。 そ の 後 は 各 団 体 と 各 層 か ら 選 出 さ れ た 者 た ち に よ っ て 新 に 建 設 委 員 会 が 構 成 さ れ た 。 当 時 の こ と を 荻 原 町 長 は 、 「漸 -(中 学 校 ) 建 設 の 見 通 し が つ い た の で 建 設 す る こ と に 踏 み 切 -着 手 は し た も の の 財 政 状 態 は 不 安 で あ っ た 。 し か し 一 方 か ら は 突 き 上 げ ら れ る の で 補 助 起 債 な ど の 申 請 を 進 め る 一 方 、 設 計 を 東 京 虎 ノ 門 の 学 校 建 築 研 究 所 に 依 頼 す る と と も に 敷 地 の 物 色 に か か っ た 」 と 回 想 し て い る 。 一 方 建 設 委 員 会 は 、 全 体 計 画 を 一 ' 二 五 四 坪 と し て 建 設 時 に 八 千 四 百 万 円 を 計 上 す る こ と を 発 表 し た 。 そ の 内 訳 は 補 助 金 二 千 万 円 、 起 債 一 千 八 百 万 円 、 地 元 負 担 金 四 千 六 百 万 円 で あ る 。 二 戸 当 た り の 負 担 金 は 三 万 円 と な る 。 そ の 内 の 二 千 万 円 ま で は 旧 三 村 が そ れ ぞ れ 区 有 財 産 の 処 分 な ど に よ っ て 支 出 す る こ と に な っ た 。 負 担 金 は 議 会 に お い て ' 伍 賀 地 区 が 一 千 万 円 、 御 代 田 と 小 沼 の 両 地 区 が そ れ ぞ れ 五 百 万 円 と す る こ と が 可 決 さ れ た 。 こ れ に 基 づ き 建 設 業 者 八 社 の 入 札 が お こ な わ れ て ' 長 野 市 の 北 野 建 設 ㈱ が 落 札 し た の で あ る 。 (﹃ 御 代 田 中 学 校 開 校 一 〇 周 年 記 念 誌 ﹄ ) 町 が 文 部 省 に 補 助 金 を 申 請 し た 際 に も 思 案 の 跡 が み ら れ る 。 三 三 年 七 月 二 六 日 受 領 の 印 を 押 し た 役 場 所 蔵 の 書 簡 に は 、 文 部 省 管 理 局 教 育 施 設 部 指 導 課 の 川 崎 正 敏 か ら 「今 年 度 は 鉄 筋 コ ン ク リ ー ト 道 で 学 校 を 建 設 し た い と い う 希 望 が 全 国 的 に 大 へ ん 多 -な -、 枠 の 五 倍 に 達 す る と い う 状 況 で 、 と て も 捌 き き れ ず 、 私 た ち と し て も 、 喜 ん で い も の や ら 、 悲 し ん で い も の か ' ま こ と に 弱 っ た と こ ろ で す 。 貴 町 に お か れ ま し て も '

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い ろ い ろ 研 究 さ れ 、 熱 意 の 溢 れ て い る と こ ろ に は 敬 服 致 し て 居 り ま す 。」 と あ る 。 新 町 初 代 教 育 長 を 務 め た 中 島 鉱 蔵 は 当 時 を 回 想 し て 、 ﹃開 校 十 周 年 記 念 誌 ﹄ に 次 の よ う な 1 文 を 寄 せ て い る . 御 代 田 町 の 三 ケ 村 が 合 併 し て 発 足 し た 当 初 か ら ' 中 学 校 の 統 合 と 校 舎 新 築 を 企 画 し て い た が 時 期 を 得 な か っ た 。 昭 和 三 十 二 年 に な っ て ' 統 合 形 態 を と ら な い 中 学 校 に は 校 舎 新 築 の 補 助 金 を 出 さ な い と の こ と で ' 急 に 当 時 の 三 中 学 に 呼 掛 け 幸 い に 三 中 学 校 の 関 係 者 の 了 解 を 得 て 形 式 統 合 が 出 来 、 御 代 田 中 学 校 が 発 足 し た 。 そ れ で 急 速 に 校 舎 の 必 要 が 生 じ た の で 、 時 の 教 育 委 員 会 に 起 案 を 一 切 任 さ れ た 。 町 内 の 大 方 の 意 見 を 聞 -と 、 「木 造 平 屋 建 て 」 で よ い で は な い か と の こ と だ っ た の で 、 時 の 町 長 と 協 議 し て 町 会 と の 合 同 会 議 に 木 造 よ -鉄 筋 の 方 が 補 助 金 額 に 大 差 が あ る こ と を 強 調 し て 遂 に 「鉄 筋 」 に 決 定 し て 戴 だ い た 。 当 初 の 年 に 建 設 全 部 を 施 行 し た か っ た が 、 文 部 省 に 出 向 い た と こ ろ 「財 源 の 見 通 し が な い の に よ -も 申 告 に 来 た も の だ 」 と 注 意 さ れ 、 あ わ て て 財 源 を 捻 出 し て 貰 い 再 度 文 部 省 に 陳 情 に で か け た と こ ろ 、 今 度 は 大 分 見 通 し が つ い た の で ' 県 庁 を 通 じ て 正 式 に 申 請 し た が 、 何 分 に も 当 時 統 合 中 学 校 の 校 舎 の 建 設 が 盛 況 の 状 態 で な か な か 許 可 の 段 取 り に な ら な か っ た の で ' 井 出 1 太 郎 代 議 士 の 前 々 か ら の 仲 介 が あ っ た の で ' ま た ま た 井 出 先 生 に ご 無 理 を 知 -な が ら ご 斡 旋 を 願 う た め に 関 係 者 全 員 で 陳 情 に 出 京 し た 。 そ の 効 が あ っ て か 年 度 が お し 詰 ま っ た 頃 、 所 用 坪 数 の 約 三 分 の 一 が 認 可 に な っ た が 、 そ れ が 木 造 の 枠 で あ っ た の で 大 い に 困 惑 し た が 当 時 の 理 事 者 の 英 断 で 鉄 筋 で 工 事 を 施 行 し た 。 幸 い 次 年 度 は 鉄 筋 で 残 り の 坪 数 の 認 可 が あ っ た の で 、 一 同 ホ ッ ー し た 。 校 舎 が 完 成 を 見 る ま で の 間 、 村 民 の 応 募 に よ っ て 校 歌 と 校 章 を 制 定 し た 。 生 徒 た ち は 三 部 校 対 抗 試 合 大 会 で 野 球 や 排 球 、 あ る い は 陸 上 競 技 を 競 い あ っ た 。 ま た 修 学 旅 行 を 一 緒 に お こ な っ て 接 触 を 深 め て い っ た 。 さ ら に 整 地 を 終 え た 校 庭 の 草 刈 -に も 参 加 し た 。 新 校 舎 の 第 一 期 工 事 ( 二 一六 坪 ) は 三 四 年 三 月 に 完 成 し 、 第 二 期 工 事 (六 二 七 坪 ) も 同 年 二 一月 に 完 成 し た 。 翌 年 三 月 ま で に は 三 つ の 部 校 が 統 合 中 学 校 へ の 移 転 を 終 え て 、 先 ず 開

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校 式 を 挙 行 し た 。 続 い て 第 一 回 の 卒 業 式 を 行 っ た 。 式 場 は 青 空 の 下 の 校 庭 で あ っ た 。 そ れ 以 後 は ' 三 五 年 の う ち に 管 理 塔 ( 一 二 六 坪 ) が 完 成 し 、 翌 年 に は 体 育 館 (二 四 六 坪 ) と 付 属 建 物 が 出 来 上 -、 や が て 給 食 室 や プ ー ル の 工 事 も 完 了 し た 。 こ う し て 浅 間 山 の 南 麓 に 鉄 筋 三 階 の 偉 容 を 誇 る 新 校 舎 が 姿 を 表 し た 。 校 内 に は

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教 室 、 視 聴 覚 教 室 、 音 楽 室 な ど が あ -、 二 三 〇 万 円 余 の 寄 付 金 に よ っ て 購 入 し た テ レ ビ ' ス テ レ オ 、 ピ ア ノ ' 重 油 ス ト ー ブ な ど が 備 わ っ て い て 、 全 国 的 な モ デ ル 校 と し て 知 れ 渡 っ た の で ' 各 地 か ら の 参 観 者 が 集 っ て き た 。 学 校 長 清 水 源 一 は こ れ ら の 恵 ま れ た 施 設 と 校 庭 の 植 木 な ど の 寄 贈 に 対 し て 、 ﹃時 報 ﹄ 五 〇 号 の 紙 上 に 感 謝 と 報 告 の 一 文 を 寄 せ て い る 。 技 術 家 庭 科 の 改 定 に そ な え て 工 作 機 械 器 具 ' 体 育 施 設 ' ブ ラ ス バ ン ド の 楽 器 、 新 校 舎 に ふ さ わ し い 特 別 装 飾 品 ' 視 聴 覚 教 具 等 の 充 実 を 期 し た の で あ り ま す 。 す ぐ れ た 放 送 施 設 は 学 校 生 活 の 神 経 と し て ' 規 則 正 し い 日 課 の 進 行 に よ っ て 学 習 が 進 め ら れ て ま い り ま す 。 精 密 な 気 象 観 測 の 機 械 に よ る 継 続 観 察 は ' 単 に 生 徒 の 実 験 観 察 に と と ま ら ず 地 域 の 気 象 観 測 に 正 確 な 資 料 が 提 供 で き 、 ひ い て は 産 業 開 発 に 役 立 つ ま で に し た い と 考 え て い ま す 。 電 蓄 、 ピ ア ノ ' ブ ラ ス バ ン ド 、 テ レ ビ 等 が 情 操 豊 か な 中 学 生 活 に ど ん な に 役 立 つ か は 今 更 申 し 上 げ る ま で も あ り ま せ ん 。 し か し そ こ に は 設 計 上 の 誤 算 を と も な っ て い た 。 た と え ば 美 術 学 校 を モ デ ル に し て 一 階 に 特 別 教 室 を 置 き 、 廊 下 を 南 側 に と り 教 室 を 北 側 に 配 置 す る 方 式 を 採 択 し た の で 、 浅 麓 の 冬 の 厳 し さ を 受 け て 教 室 の 寒 さ は 大 変 な も の で あ っ た 。 ま た 初 め て の 水 道 設 備 が 不 備 で あ っ た た め に ' 天 井 か ら 水 漏 れ が し た 。 ま た 水 道 代 を 節 約 し た の で 水 洗 ト イ レ で 紙 詰 ま り が 生 じ た こ と も あ る 。 さ ら に は 理 科 室 で は 実 験 が 中 断 さ せ ら れ る な ど の 事 故 が 続 い て 、 水 道 事 故 に ふ り ま わ さ れ た 。 こ ん な こ と か ら 、 一 頃 は 「水 道 ' 便 所 管 理 学 校 」 の 異 名 ま で 頂 戴 し な が ら 、 誇 ら し -ま た 期 待 に み ち た 統 合 中 学 の 教 育 が 始 動 し た 。 し か し 、 堅 牢 な こ の 建 物 は 四 〇 年 後 も 健 在 で あ る 。

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