Kobe Shoin Women’s University Repository
Title 谷崎潤一郎氏のこと
Author(s) 木村 毅(Kimura, Ki)
Citation 文林(BUNRIN),No.2:1-20
Issue Date 1967
Resource Type Bulletin Paper / 紀要論文
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Right
谷
崎
潤
一
郎
氏
の
こ
と
木
村
毅
一 、 少 年 世 界 の 投 書 前 に こ の 紀 要 に か い た ﹁ 芥 川 龍 之 介 の 思 出 ﹂ は 、 芥 川 と 呼 び す て に し 、 今 度 は 谷 崎 氏 と 敬 称 を 付 し て も 、 こ れ は 評 価 や 尊 卑 の 差 別 は 、 毫 末 も ふ く む も の で は な い 。 芥 川 が 死 ん で か ら は 、 も う 四 十 年 以 上 に な る 。 谷 崎 氏 が 亡 く な っ て 、 ま だ 三 年 に み た な い 。 つ ま り 芥 川 は 、 完 全 に 呼 び ず て に し て も い い 歴 史 的 距 離 に 遠 ざ か っ て い る の に 、 谷 崎 氏 は 、 ま だ 私 の 思 出 の な か に 、 生 き た 肌 の ぬ く み を の こ し て い る 。 自 然 と 先 輩 に 対 す る 敬 意 を 表 せ ず に お れ な い の だ 。 谷 崎 氏 を 語 る に は 、 直 接 の 知 交 を う く る 前 に 、 そ の 投 書 家 時 代 の こ と に 言 及 し た い 気 が す る 。 と い う の は 、 私 自 身 、 投 書 家 あ が り で あ り 、 投 書 が 、 私 の 生 涯 で は 、 そ の 修 養 上 じ つ に 重 要 部 面 を 占 め る か ら で あ る 。 私 は 高 等 小 学 校 ( 尋 常 科 四 年 、 高 等 科 四 年 の 八 年 制 度 ) を 出 る と 、 二 、 三 年 ブ ラ ブ ラ し て い て 、 当 時 の 早 稲 田 は 満 十 七 才 に な る と 入 れ て く れ た か ら 、 小 学 校 か ら 早 稲 田 に 直 結 し て 、 中 学 の 経 歴 を も た ぬ 。 そ の 間 は 文 学 雑 誌 に 作 文 を 投 書 す る の が 、 私 の 唯 一 最 上 の 勉 強 法 だ っ た 。 僅 少 な が ら 私 の も つ 学 問 的 基 礎 は 、 こ の 投 書 時 代 に 築 か れ た の で あ る 。 し た が っ て 投 書 の 経 験 を も つ 人 に は 、 一 種 の 親 し み を 感 ず る 。 田 子 一 民 、 青 木 得 三 、 鶴 見 祐 輔 な ど と い う 人 は 、 の ち に官 吏 と な り 、 政 治 家 と な り 、 大 臣 と な っ た が 、 ﹁ 中 学 世 界 ﹂ の 投 書 家 だ っ た 。 広 津 和 郎 、 久 保 田 万 太 郎 、 米 川 正 夫 、 中 村 白 葉 、 あ る い は 早 稲 田 の 文 学 部 長 に な っ た 谷 崎 精 二 の 諸 氏 は 、 文 章 世 界 の 投 書 家 だ っ た 。 や や も す る と 、 投 書 家 だ っ た こ と を 恥 じ 、 隠 し 、 語 ら ぬ 人 も あ る 。 し か し 別 に 気 の ひ け る こ と は な い 。 大 臣 が 収 賄 し 、 代 議 士 が 投 票 を 買 収 し 、 官 吏 が ス パ イ を は た ら い た よ う な 破 廉 恥 行 為 と は 、 わ け が ち が う 。 侑 仰 し て 天 地 に 恥 ず る と こ ろ は な い の だ 。 じ つ は 谷 崎 潤 一 郎 氏 も ﹁ 少 年 世 界 ﹂ の 投 書 家 た る 経 験 を も つ 。 そ れ は 木 村 小 舟 の ﹁ 少 年 文 学 史 ・ 明 治 篇 ・ 下 巻 ﹂ ( 昭 和 十 七 年 十 月 出 版 ) に 書 い て あ る の で 、 初 め て 知 っ た 。 こ の 少 年 世 界 は 、 日 清 戦 争 の 大 勝 に 乗 じ 、 明 治 二 十 八 年 に 博 文 館 か ら 発 行 さ れ た の で 、 巌 谷 小 波 が 主 筆 で 、 明 治 中 期 の 代 表 的 少 年 雑 誌 で あ っ た の だ 。 ﹁ そ の 第 八 巻 ( 明 治 三 五 年 ) に 入 る や 、 俄 然 谷 崎 潤 一 郎 が 目 立 ち て 活 躍 し て い る ﹂ と 云 っ て 、 こ の 本 は ﹁ 時 代 と 聖 人 ﹂ と い う 投 書 を 、 一 例 と し て 掲 げ て い る 。 お そ ら く は 大 谷 崎 の 文 が 世 に 公 け に な っ た 最 初 の も の な の で 、 と く に 注 目 を 要 す る で あ ろ う 。 二 、 樗 牛 の 影 響 そ の 全 文 は 次 の と お り で あ る 。
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東 京 市 日 本 橋 区 南 芽 場 町 五 十 六 番 地 谷 崎 潤 一 郎 へ う ヘ ヘ ヘ キ ヘ セ ヤ へ お キ ヘ マ て へ お も ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ も ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 基 督 は 沖 と し て 、 繹 迦 は 佛 と し て 、 教 を 立 て た り 、 マ ホ メ ッ ト 、 ル ー テ ル 、 亦 沖 を 信 じ 、 支 那 の 古 聖 尭 舜 の 如 き 者 、 亦 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 天 帝 の 命 を 信 ず 、 彼 等 の 自 信 は 極 め て 輩 固 也 、 彼 等 は 神 を 信 ず る 故 に 能 く 大 階 也 、 マ ホ メ ッ ト の 英 断 、 ル ー テ ル の 勇 猛 キ も セ ち キ ヘ ヘ ヤ 一 に 之 れ よ り 出 づ 。 才 子 強 者 が 超 凡 の 力 を 有 す る は 、 彼 等 に 於 け る 猫 特 の 天 稟 也 、 他 人 得 て 之 を 學 ば む と す る も 、 倒 底 彼 等 に 及 ぶ べ く も 非 ず 、 至 誠 の 淵 源 は 人 情 に 在 り 、 既 に 人 情 と い ふ 、 人 誰 か こ れ な か ら む や 、 故 に 至 誠 の 人 た る は 、 如 何 な る 人 に 向 つ て も 希 望 し 得 べ き 也 、 聖 人 と は 多 く 剛 毅 朴 訥 に し て 涙 脆 き 田 舎 人 種 が 、 其 の 誠 情 を 激 し く 一 方 に 送 出 し た る に 過 ぎ ざ る 者 也 。 マ ホ メ ッ ト を 見 ず や 、 彼 が 至 誠 の 心 を 起 す に 至 れ る 以 前 は 、 平 凡 の 人 物 と 毫 も 異 な る こ と な き を 見 る な り 、 而 も 一 旦 物 に 感 し て 、 世 界 幾 億 の 人 類 を 救 濟 せ む と す る の 至 誠 を 起 す や 、 奮 然 と し て 劔 を 按 し て 起 ち 、 無 道 の 悪 人 を 諌 し て 教 を 廣 む 、 何 故 に 彼 は 教 に 従 順 な ら ざ る 徒 に 加 ふ る に 劔 を 以 て せ し 乎 、 之 を 不 仁 残 酷 也 と い ふ 者 は 、 倶 に 語 る に 足 ら ず 、 之 を 威 嚇 手 段 な り と な す 者 は 、 倶 に 議 す 可 ら ず 、 蓋 、 彼 の 自 信 は 輩 固 也 、 彼 の 至 誠 や 激 烈 也 、 故 に 彼 は 自 己 の 教 を 以 て 、 当 に 人 生 の 大 路 也 と 確 信 し 、 之 に 逆 ふ 者 は 人 類 の 敵 と 認 め て 諌 獄 し た る 也 、 不 仁 残 酷 、 威 嚇 手 段 、 言 何 ぞ 容 易 な る や 、 マ ル チ ン 、 ル ー テ ル を 見 よ 、 彼 は 始 め 、 頗 怯 儒 に し て 正 直 な る 人 物 な り き 、 其 人 の 戸 外 に 立 ち て 樂 を 奏 す る 時 、 内 よ り 銭 を 恵 與 す る 者 あ れ ば 、 忽 赤 面 し て 逃 げ 去 り ぬ 、 而 も 至 誠 の 心 中 に 燃 ゆ る や 、 猛 然 と し て 百 難 を 排 し て 奮 起 し 、 如 何 な る 者 に 遭 遇 す る も 、 彼 が 不 動 の 精 神 は 磐 石 の 如 く に し て 一 歩 も 退 く 事 な か り き 。 繹 迦 も 亦 其 始 め は 頗 多 情 多 恨 の 人 な りヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ し が 如 し 。 知 る 可 し 、 時 代 は 能 く 此 の 種 の 人 物 を し て 聖 人 化 せ し む る こ と を 、 曹 教 践 雇 し て ル ー テ ル 出 で 、 婆 羅 門 蔓 延 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ も ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ し て 悉 達 現 れ 、 春 秋 徳 齪 れ て 仲 尼 生 ず 、 若 し 彼 等 を し て 古 今 時 を か へ 、 東 西 所 を 異 に せ し め ば 、 必 ず や 其 人 物 も 同 じ か も も も も ら ざ ら む 、 若 し 夫 れ 更 に 一 歩 を 進 め て 今 よ り 幾 百 年 の 後 、 完 全 無 歓 な る 杜 會 が 成 れ る の 時 に 、 彼 等 を し て 生 出 せ し め ぱ 、 ル ー テ ル は 遂 に ル ー テ ル な ら ず 、 悉 達 は 遂 に 悉 達 な ら ず 、 仲 尼 は 遂 に 仲 尼 な ら ず し て 終 ら む の み 。 ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヤ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヤ 予 輩 を し て 更 に 以 上 を 概 括 せ る 一 語 を 襲 せ し め よ 、 曰 く 、 聖 人 は 時 代 の 産 物 也 。 評 日 聖 人 は 時 代 の 産 物 な り と 論 じ て 此 編 に 及 ぶ 而 も 時 代 の 産 物 は 山豆 独 り 聖 人 の み な ら ん や 英 雄 も 豪 傑 も 凡 て 是 時 代 の 産 物 に し て 痴 愚 狂 盗 も ま た 時 代 の 産 物 な り 只 其 人 の 精 神 及 其 人 の 意 気 に 依 つ て 賢 と 不 肖 と を 別 つ 聖 人 は 時 代 の 産 物 に 相 違 な き も 聖 人 は ま た 時 代 産 物 に あ ら ず し て 時 代 の 精 神 を 代 表 せ る も の な り い つ の 世 に 生 れ て も 聖 者 た ら ず ん ば 聖 人 の 実 即 ち 空 し 作 者 の 再 考 を 要 す こ の 選 評 は ﹁ 少 年 文 学 史 ﹂ の 著 者 の 木 村 小 舟 に よ る と 、 当 時 の 記 者 武 田 鶯 塘 が あ た っ た の で あ る 。 高 山 樗 牛 の 影 響 の 痕 が い ち じ る し い と し て も 、 修 辞 的 に も 、 ほ と ん ど 批 の 打 ち ど こ ろ が な い 。 そ の 次 の 号 ( 三 五 年 二 月 ) に は 、 投 書 が 休 載 さ れ て 、 そ の 翌 号 ( 三 月 ) に は ﹁ 日 蓮 論 ﹂ が 賞 外 佳 作 で 掲 載 せ ら れ て い る 。 ﹁ 時 代 と 聖 人 ﹂ と ち が い 、 こ の 方 は そ の 後 、 ど の 書 に も 転 載 せ ら れ た こ と が な く 、 し た が っ て 、 今 の 人 に は 全 く 忘 失 せ ら れ て い る と 思 う か ら 、 こ れ も 転 載 し て お こ う 。 日 蓮 上 人 東 京 谷 崎 潤 一 郎 今 を 距 る こ と 六 百 年 、 東 洋 亜 細 亜 の 絶 東 安 房 の 邊 隅 に 於 て 、 一 大 英 雄 は 佛 陀 の 使 徒 と し て 我 國 民 を 救 濟 す べ く 其 の 福 音 を も た ら し て 此 の 世 に 現 出 せ り 、 之 を そ も 誰 と か 爲 す 、 焔 々 た る 燃 ゆ る が 如 き 一 團 の 至 誠 を 胸 中 に 抱 懐 せ る 熱 火 的 人 物
口 蓮 上 人 即 ち 是 れ 也 、 日 蓮 は 山 師 に あ ら ざ る 也 、 彼 は 至 誠 の 外 、 一 物 を も 有 せ ざ り き 、 試 に 當 時 の 佛 教 を 見 よ 、 脚 あ り 、 律 あ り 、 眞 言 あ り 、 天 台 あ り 、 而 も 繹 迦 の 所 謂 佛 教 は 何 庭 に 在 る 乎 、 日 蓮 は 此 の 問 題 を 解 繹 す べ く 、 出 で 、 京 に 上 り 、 學 を 積 む こ と 葱 に 十 年 、 彼 の 拶 裡 は 始 め て 幽 冥 界 を 解 説 し 得 た る も の ・ 如 く 、 三 十 二 歳 の 春 、 再 故 國 に 帰 り て 建 長 五 年 四 月 二 十 八 日 、 彼 は 奮 然 法 華 経 を 握 て 起 て り 、 而 し て 宇 宙 に 向 て 宣 告 し て 曰 く 、 ﹁ 南 無 妙 法 蓮 華 経 ﹂ と 、 彼 は 法 華 経 を 以 て 、 繹 迦 の 精 坤 也 と 確 信 せ り 、 而 し て 心 に 誓 て 曰 く 、 ﹁ 他 宗 は 悉 是 れ 繹 迦 如 來 の 意 に 背 馳 せ る 者 、 即 佛 陀 の 敵 、 人 類 の 仇 也 、 我 は 佛 の 使 と し て 、 此 の 佛 陀 人 類 の 仇 敵 を 全 滅 せ ざ る べ か ら ず 、 ﹂ と 、 今 や 彼 が 悩 奥 に 沈 潜 せ る 至 誠 の 巨 塊 、 既 に 燃 え 上 り ぬ 、 彼 は 遂 に 是 等 他 宗 の 群 集 せ る 鎌 倉 の 府 に 向 て 飛 込 め り 、 而 し て 軍 身 天 下 を 敵 と し て 路 傍 に 立 ち 、 他 宗 に 封 す る 、 職 闘 的 言 語 を 以 て 演 説 し 、 先 づ 絶 叫 し て 曰 く 、 ﹁ 念 佛 無 間 輝 天 魔 、 眞 言 亡 國 律 國 賊 ﹂ と 、 鳴 呼 壮 な る 哉 彼 ' 是 れ 彼 が 狭 量 な る に あ ら ず 、 佛 教 に 忠 實 な る に 因 る 也 、 果 然 鎌 倉 の 人 民 は 多 く 彼 を 悪 み 初 め た り 、 然 れ ど も 偉 大 な る 日 蓮 は 、 鎌 倉 の 人 民 を 學 て 之 に 封 す る も 、 遂 に 及 ぱ ざ り き 、 迫 害 を 加 ふ れ ば 、 更 に 一 層 の 熱 度 を 高 め 、 流 罪 に 庭 せ ば 、 到 る 所 の 人 民 を し て 、 我 宗 旨 に 服 さ し め 、 龍 ノ ロ に 首 を 斬 ら む と す れ ば 、 偉 大 な る 精 神 の 閃 き は 、 日 本 刀 の 鋭 利 を 以 て し て 猶 及 ば ざ り き 。 日 蓮 の 勇 氣 は 彼 が 佛 陀 を 信 ず る に 因 て 起 る 勇 氣 也 、 彼 謂 は ず や ﹁ 我 は 賎 し き 者 な れ ど も 、 既 に 佛 の 御 使 た る 上 は 、 日 天 月 天 も 我 が 左 右 を 護 り 、 天 照 大 神 も 我 が 前 に 低 頭 す べ し ﹂ 、 と 。 鳴 呼 是 れ 彼 が 自 信 也 、 マ ホ メ ッ ト ' マ ル チ ン ル ー ル の 勇 、 亦 頗 之 に 類 す る も の あ り 、 彼 は 五 十 三 歳 の 時 、 佐 渡 の 流 罪 を 許 さ れ て 蹄 り 來 れ り 、 日 蓮 は 遂 に 天 下 に 打 ち 勝 て り 、 彼 は 佛 陀 の 使 命 を 果 せ り 、 而 し て 始 め て 安 堵 し 得 た る も の ・ 如 く 、 弘 安 五 年 十 月 十 三 日 、 身 延 山 に 於 て 浬 繋 に 入 り ぬ 。 鳴 呼 偉 な る 哉 、 日 蓮 大 菩 薩 、 日 本 に 於 け る 空 前 絶 後 の 大 英 雄 、 彼 は 長 へ に 精 耐 界 の 大 王 と 爲 て 、 日 本 國 民 の 麟 裡 に 存 在 せ ん 哉 。 ﹂
日 蓮 を 説 く に お よ ん で 、 樗 牛 の 影 響 は 何 人 の 目 に も い よ い よ 顕 著 で あ る 。 こ れ ら の 文 は 、 谷 崎 氏 が 数 え 年 の 十 五 才 で 、 日 比 谷 中 学 の 一 年 生 の 時 に 投 じ た も の で あ る 。 こ の 三 月 に 、 氏 は ︼ 段 と び こ え て 進 級 す る 試 験 に 合 格 し 、 一 年 か ら 直 ち に 三 年 に 直 結 し た 。 校 内 の ﹁ 学 友 雑 誌 ﹂ と い う の に ﹁ 護 良 親 王 ﹂ と い う 史 論 か ら 、 相 か わ ら ず 樗 牛 ば り の ﹁ 厭 世 主 義 を 評 す ﹂ ﹁ 道 徳 的 観 念 と 美 的 観 念 ﹂ な ど の 諸 文 を 発 表 し 、 そ の 異 常 な 文 才 と と も に 、 同 級 生 を 抜 く 高 い 水 準 の 知 識 を も っ て い る の に 、 全 学 内 を 瞠 目 せ し め た 。 ﹁ と に か く 普 通 の 人 間 で は な い と 思 っ て 、 舌 を ま い た ﹂ と い う 意 味 の 思 出 を 、 ク ラ ス ・ メ ー ト だ っ た 辰 野 隆 博 士 が 、 再 三 か た り 残 し て い る 。 谷 崎 氏 の 文 壇 拾 頭 が 、 ﹁ 刺 青 ﹂ と い う 歴 史 的 物 語 か ら 発 足 し 、 そ の 長 い 創 作 生 涯 の 要 所 要 所 で 、 時 々 、 思 出 し た よ う に 歴 史 の 世 界 に か え っ て ﹁ 武 州 公 物 語 ﹂ や ﹁ 春 琴 抄 ﹂ の よ う な 作 が 、 珠 玉 を 黙 綴 し て い る 淵 源 が こ こ に う か が わ れ る 。 ま た 、 明 治 の ω 貯 日 日 巨 匹 U 鑓 ロ αq の 駝 将 と い わ れ た ( 島 村 抱 月 の 批 評 ) 高 山 樗 牛 に 傾 倒 し た よ う な 情 熱 は 、 谷 崎 氏 に い つ ま で も 枯 死 消 滅 せ ず 、 潜 熱 と な っ て 全 作 品 の 内 部 を あ た た め て い る コ っ い で に 言 っ て お く が 、 中 学 時 分 の 仲 の よ か っ た 友 人 に 大 貫 晶 川 と い う の が お り 、 一 高 、 大 学 か ら 、 校 門 を 出 て も 親 交 が っ ず い た 。 ツ ル ゲ エ ネ フ の ﹁ 春 の 波 ﹂ の 翻 訳 一 巻 を 新 潮 社 か ら 出 し た 以 外 に 、 遺 著 が な い が 、 実 妹 の 岡 本 か の 子 が 、 兄 の 感 化 の い ち じ る し か っ た の を 語 っ て い る の を 見 て も 、 す ぐ れ た 才 分 の 所 有 者 だ っ た こ と が 偲 ば れ る 。 こ こ ろ み に ﹁ 中 学 世 界 ﹂ の 明 治 三 十 九 年 三 月 号 を ひ ら い て み る と 、 そ の ﹁ 青 年 文 壇 ﹂ と い う 投 書 欄 の 最 初 に 、 大 町 桂 月 め 選 で ﹁ 春 宥 記 ﹂ と い う の が 当 選 し て い る 。 作 者 は 大 貫 野 薔 薇 ( 青 山 南 町 三 丁 目 ) と あ る 。 谷 崎 氏 の 級 友 の 大 貫 品 川 に ち が い な く 、 魂 麗 哀 腕 の 美 文 で 、 今 な お 愛 論 す る に 足 る も の が あ る 。 中 学 五 年 ご ろ の 作 と 思 え る 。
私 も 谷 崎 氏 よ り 四 年 お く れ て 、 明 治 三 九 年 秋 か ら ﹁ 少 年 世 界 ﹂ の 投 書 家 と な っ た 。 こ の 間 に 日 露 戦 争 を さ し は さ み 、 投 書 家 の 年 齢 が 低 下 し て 、 そ れ ま で は 中 学 生 ぐ ら い で な い と 、 な か な か 入 選 し な か っ た の が 、 私 た ち の 頃 か ら 、 投 書 規 則 で 文 章 は ﹁ 言 文 一 致 ﹂ に 制 限 さ れ て や さ し く な っ た 加 減 か 、 小 学 生 が 目 に み え て 多 く な っ た 。 選 者 は 木 村 小 舟 に か わ り 、 そ の ﹁ 少 年 文 学 史 ﹂ 下 巻 を み る と 、 当 時 の 投 書 家 だ っ た 番 匠 谷 英 一 ( 立 教 教 授 ) 、 平 林 初 之 輔 ( 早 大 教 授 ) 、 浜 田 広 助 ( 少 年 文 学 者 ) 、 百 田 宗 治 ( 全 上 ) 、 原 田 実 ( 早 大 教 授 ) と と も に 、 私 が 初 め て 投 書 し た 一 文 も 採 択 せ ら れ 、 私 に つ い て は ﹁ こ の 作 者 は 、 号 を 雷 音 と い ひ 、 ほ と ん ど 毎 号 そ の 名 を 列 し て い る 。 し か も 今 日 文 壇 に 雷 名 を と ど ろ か す こ と 、 又 あ や し む に 足 ら ぬ で あ ろ う ﹂ と 云 っ て い る 。 後 年 、 早 稲 田 に 入 っ て 、 原 田 君 は 二 級 上 、 平 林 と は 同 級 、 浜 田 君 は 一 級 下 。 ま た 番 匠 谷 君 と は 立 教 の 教 授 と し て 同 僚 と い う 関 係 に あ っ た が 、 み ん な 黙 し て 語 ら ぬ の で 、 お た が い が 前 後 し て 少 年 世 界 の 投 書 家 で あ っ た こ と は 全 く 知 ら ず に い た の だ 。 そ れ は 余 談 だ が 、 私 は 谷 崎 氏 と 同 じ 雑 誌 の 投 書 家 で あ っ た 縁 を よ ろ こ び 、 明 治 の 少 年 文 学 の 唯 一 の 基 本 資 料 で あ る 木 村 小 舟 先 生 の 大 著 ﹁ 少 年 文 学 史 ﹂ の な か で 、 と に か く 谷 崎 氏 の 膜 尾 に 付 し て 、 私 の 名 も 書 き つ ら ね ら れ て い る の を 、 ほ こ り に し て い る の だ 。 三 、 兵 庫 時 代 の 手 紙 さ て 、 そ の 谷 崎 氏 と の 直 接 の 接 触 だ が 、 日 記 を つ け ぬ 私 は 、 そ の 日 時 を 明 確 に せ ぬ の で 、 今 手 も と に の こ る 手 紙 か ら 、 記 憶 を た ぐ る 外 な い 。 じ っ さ い は 六 、 七 通 あ っ た が 、 い ま 筐 底 に 三 通 し か 見 つ か ら ぬ 。 年 代 の 順 に う つ し と っ て 、 解 説 を
加 え よ う 。 ﹁ 長 々 御 ぶ さ た い た し ま し た 。 さ て 突 然 な が ら 先 日 改 造 社 の 浜 本 君 が 来 て の 話 に 、 貴 下 が バ ル ザ ッ ク の ド ロ ー ル ・ ス ト ー リ イ の 珍 版 を 所 蔵 せ ら れ 、 そ れ を 小 生 に 御 ゆ ず り 下 さ る と の 事 を き き ま し た 。 就 い て は 甚 だ 虫 の よ い 御 願 い で あ り ま す が 、 目 下 あ の 本 を 非 常 に 読 み た い と 思 っ て い る 際 な の で 、 ど う せ 御 ゆ ず り 下 さ る も の な ら 一 刻 も 早 く 送 っ て い た だ き た い の で あ り ま す 。 貰 は ぬ 先 か ら ま つ 御 礼 を 申 し 述 べ て 置 き ま す 。 そ し て 何 卒 御 聞 き 届 け 下 さ る や う 重 ね て お 頼 み い た し ま す 。 か ね て 博 学 の 聞 え あ る 尊 台 の こ と 故 、 小 生 の 方 に 交 換 す べ き 珍 本 の な い の が 遺 憾 で す が 、 何 か 関 西 の う ま い 物 で も 御 送 り し ま せ う か 、 御 注 文 も あ ら ば 御 申 越 し を 願 ひ ま す 。 今 度 御 下 阪 の 節 は 御 立 寄 り あ り 度 、 御 ま ち 申 ま す 。 先 は 御 礼 や ら 催 促 や ら 如 斯 早 々 十 一 月 二 十 五 日 谷 崎 潤 一 郎 木 村 毅 様 梧 下 ﹂ 消 印 を み ろ と 15 と あ ろ か ら 大 正 十 五 年 で あ る 。 住 所 は 兵 庫 県 武 庫 郡 本 山 村 北 畑 と あ り 、 私 の ア ド レ ス は 東 京 市 外 西 大 久 保 二 〇 三 と あ る 。 し て み る と 、 二 人 の 接 触 が は じ ま っ た の は 、 こ の 年 の 春 か ら で あ っ た こ と が 今 思 い 出 さ れ ち 。 じ つ は 谷 崎 氏 と 私 と は 、 年 齢 も 入 つ 違 う 。 友 達 と い う に は 少 し 先 輩 で あ り す ぎ る 。 向 う は 東 大 、 私 は 早 稲 田 、 学 校 も 対
立 し て い る 。 向 う は 日 本 橋 そ だ ち の 都 会 人 中 の 都 会 人 で あ り 、 私 は 田 舎 の 百 姓 そ だ ち だ 。 向 う は 文 壇 き つ て の 華 や か な 存 在 で 、 目 の く る め く 程 の 豪 華 な 生 活 を し て い る の に 、 私 は コ ン マ 以 下 の 雑 兵 で 、 や っ と 務 め を 辞 し て 、 筆 一, 本 に 自 立 し た ぼ か り の 時 だ 。 な ん の 接 触 の 縁 も あ る べ き 筈 が な い の だ が 、 そ れ を つ な い だ の が 、 文 中 に あ る 浜 本 ( 浩 ) で あ る 。 彼 も 私 と 同 じ く 投 書 家 あ が り で 、 明 治 四 十 二 年 か ら 知 り あ っ た 不 良 仲 間 で あ る 。 途 中 で 一 時 、 何 年 か 友 交 が 断 絶 し て い た が 、 こ の 頃 復 交 し 、 彼 は 改 造 の 常 駐 記 者 と し て 京 都 に い て 、 編 集 会 議 に 東 京 に 出 て く る 度 に 私 の 家 を 宿 と し 、 私 も 西 下 す る 毎 に 、 彼 の 家 に と ま る と い う 程 の あ い だ だ っ た 。 大 正 十 五 年 の 春 、 私 は 吉 野 作 造 博 士 の 依 嘱 で 、 ﹁ 反 響 ﹂ と い う 雑 誌 の 編 集 を 担 当 す る こ と に な り 、 京 都 方 面 の 学 者 を 訪 問 す る の に 、 浜 本 の 助 力 を た の ん だ 。 そ う し た ら 、 ﹁ ち よ う ど 用 事 が あ る か ら 、 こ れ か ら 谷 崎 さ ん の 所 へ 、 い っ し よ に 行 こ う ﹂ と い っ て 引 っ ぱ っ て 行 っ て く れ た の で あ る 。 谷 崎 氏 は 、 大 震 災 後 ず っ と あ ち ら に 居 っ い た の で 、 そ の 時 の 家 の あ っ た 所 は 、 い ま 、 何 市 の 何 と い う と こ ろ に 変 っ た ろ う 。 そ の こ ろ 夫 人 は な き 独 り 住 ま い で 、 縁 が わ の 座 蒲 団 の 上 に 、 ペ ル シ ャ 猫 が 寝 そ べ っ て い る の が 珍 ら し か っ た 。 話 に は き い て い た が 、 実 物 を み る の は 、 こ れ が 初 め て だ っ た の だ 。 ﹁ こ れ か ら 大 阪 ま で 食 い に 出 か け よ う ﹂ と い っ て 、 谷 崎 氏 は 浜 本 と 私 を さ そ い 、 大 阪 に つ く と 、 ど こ か 裏 町 の 暖 簾 を く ぐ っ た 。 谷 崎 氏 は エ ビ の さ し み 、 私 は イ カ の さ し み を 注 文 し 、 途 中 で 、 ﹁ ど れ 、 そ の イ カ を ︼ つ く れ て ご ら ん 。 君 も こ の エ ビ を 食 い 給 え ﹂
と い っ て 、 食 味 の バ ー タ ー ( ? ) を し た こ と を お ぼ え て い る 。 そ れ か ら 今 度 は ザ ン ボ ア と い う バ ァ に 引 っ ぱ っ て い か れ て 、 ゴ ク テ ー ル を の ん だ 。 ﹁ オ リ ー ヴ の 実 を ー ﹂ と 云 っ て 、 特 別 に 取 り 出 さ せ た の を 忘 れ ず る い る の は 、 私 が こ の 実 の 塩 づ け を 食 っ た の は こ の 時 が 初 め て で あ っ た か ら で あ る 。 ﹁ 君 、 こ こ の 名 前 の N 国日 ぴ 富 と い う 綴 り は N o 日 び 9 と し た 方 が い い よ ﹂ と カ ウ ン タ ー の 男 に 氏 が 教 え る よ う に 云 っ た こ と も 記 憶 に あ る 。 私 は 帰 京 し て か ら 、 久 し く こ の 好 意 に 、 い さ さ か で も む く い た い と 思 っ た が 、 適 当 な 物 も チ ャ ン ス も な い 。 た ま た ま 、 丸 善 に 、 一 冊 だ け 、 珍 本 が と ど い て い る と い う 話 を 内 田 魯 庵 翁 か ら き い た 。 そ れ は ヴ イ ク ト ル ・ ユ ー ゴ ー が 二 十 年 も 島 流 し に な っ て い た 英 仏 海 峡 の ガ ー ン シ ノ ・島 で 、 バ ル ザ ッ ク の ﹁ ド ロ ー ル ・ ス ト ー リ イ ズ ﹂ の 、 削 除 を 加 え な い 原 話 の ま ま を 英 訳 し た の を 五 百 部 だ け 刊 行 し た 中 の 一 冊 な の だ 。 ﹁ お そ ら く 、 誰 れ も そ の 珍 ら し さ を 知 ら ぬ か ら 、 ま だ あ る か も 知 れ ぬ 。 見 つ か っ た ら 買 っ て お き な さ い ﹂ と 魯 庵 翁 か ら き か さ れ 、 早 速 と ん で 行 っ て み る と 、 目 こ ぼ し に な っ て 、 ま だ 残 っ て い た 。 鼠 色 の 紙 表 紙 の 粗 末 な 、 い か に も 島 の 漁 港 で 刷 っ た ら し い や ぼ っ た い 本 だ っ た 。 し か し 中 味 は 、 エ ロ 話 な ど も あ っ て 、 無 作 法 さ が 思 い の 外 に 面 白 い 。 そ こ で 上 京 し て き た 浜 本 に 、 も し こ の 本 を よ ろ こ ぶ 人 が あ る と し た ら 恐 ら く 谷 崎 氏 だ 。 興 味 が あ る な ら 、 呈 上 し て も い い と 云 っ た の で 、 こ の 手 紙 と な っ た の で あ る 。 こ の 本 は 、 大 い に 、 谷 崎 氏 の 気 に 入 り 、 間 も な く 手 に 入 れ た 別 な 英 訳 と 読 み く ら べ て 、 た い へ ん 詳 密 で あ る と の 手 紙 を
も ら っ た の だ が 、 そ れ が ど う し て も 見 つ か ら な い 。 そ の こ ろ 、 ス タ ン ダ ー ル の ﹁ パ ル マ の 僧 院 ﹂ の 英 訳 も 、 や っ ぱ り 谷 崎 氏 か ら 望 ま れ て 呈 上 し た こ と が あ る 。 ま こ と に 旺 盛 な 勉 強 家 だ っ た 。 こ れ は 、 谷 崎 氏 手 も ち の 英 訳 の 方 が よ く 、 私 の お く っ た 本 を 散 々 に ご き く さ し た 手 紙 が 浜 本 の と こ ろ に き た の を 、 彼 か ら 見 せ ら れ た こ と が あ る 。 だ か ら 浜 本 所 蔵 の そ の こ ろ の 谷 崎 氏 の 手 紙 を み る と 、 私 に 関 し た こ と も 出 て く る 。 私 が 冒 辰 採 三 山 不 老 草 ﹂ と か い た 色 紙 を 浜 本 宅 に の こ す と 、 あ る 日 、 谷 崎 氏 が 京 都 に 訪 問 し て き て 、 そ れ を 見 た 。 ﹁ 木 村 の 字 ば 肉 が 細 く て 、 い か に も 自 信 が な さ そ う で す な あ ﹂ と い っ た ら ﹁ い い や 、 こ の 字 は な か な か う ま い よ ﹂ と 云 っ て 、 谷 崎 氏 が ほ め た と い う の で 、 意 外 と し て 浜 本 が 後 で そ れ を 私 に 語 っ た こ と が あ る 。 四 、 疎 開 地 は 私 の 郷 里 手 も と に の こ る 谷 崎 氏 の 第 二 の 手 紙 は 、 そ れ か ら 二 十 年 と ん で 、 大 東 亜 戦 争 も 終 末 に せ ま っ た 昭 和 二 十 年 六 月 二 十 七 日 の 日 付 に な っ て い る 。 発 信 地 は 岡 山 県 津 山 市 八 子 谷 崎 潤 一 郎 と あ り 、 私 の 宛 名 は 東 京 都 淀 橋 区 戸 塚 町 四 の 六 九 一 と あ る 。 大 山 郁 夫 氏 の も ち 家 を か り て 住 ん で い た の で あ る 。 ﹁ 拝 復 御 芳 書 拝 見 、 細 々 と の 御 心 づ か ひ 誠 に 難 有 存 候 。 当 地 に は ほ ん の 僅 か な る 縁 故 有 之 候 の み に て 全 く 未 見 の 地 に 御 座 候 。
尤 も 勝 山 町 月 田 に 疎 開 中 な り し 岡 成 志 君 の 勧 め も あ り て 参 り 候 と こ ろ 同 君 は 去 る 五 月 二 十 三 日 逝 去 さ れ 、 旅 愁 一 入 身 に 泌 む 折 柄 一 人 に て も 知 人 を 得 ろ こ と は 心 丈 夫 に 御 座 候 。 っ い て は 御 申 越 の 方 々 を も 追 々 御 訪 ね 可 致 候 間 願 ば く は 御 紹 介 の 御 名 刺 な り と も 頂 戴 致 度 御 繁 忙 中 恐 縮 な が ら 折 返 し 御 郵 送 被 下 候 は ば 幸 甚 に 存 候 ・ 末 筆 な が ら 時 局 い よ い よ 急 迫 の 折 柄 随 分 御 身 御 大 切 に 被 遊 べ く 候 。 早 々 山ハ 月 十 七 日 公 制 献呵 ㎞潤 岡 一 郎 木 村 毅 様 侍 史 ﹂ こ の 手 紙 の 背 景 は こ う で あ る 。 谷 崎 氏 は 、 戦 争 の な り ゆ き を 案 じ て 、 坂 神 -熱 海 か ら 更 に 遠 く 岡 山 県 北 部 の 津 山 に 疎 開 し た 。 年 譜 に よ る と 昭 和 二 十 年 の 五 月 で あ る 。 そ の こ と を 岡 山 の 新 聞 の 記 事 で 知 っ た 私 は 、 幸 に 郷 土 の 近 く だ か ら 、 で き る だ け の 助 力 を し た い と 思 い 、 小 学 時 代 の 旧 友 が 地 方 の 名 望 家 と な っ て お り 、 ま た 自 分 の 生 家 も あ る こ と だ か ら 、 何 に で も 相 談 に 行 か れ た い 、 そ の 者 た ち に は あ ら か じ め 、 手 紙 を 出 し て お く か ら と 申 し お く っ た の に 対 す る 返 事 で あ る 。 じ つ は そ の 頃 、 令 弟 で 早 稲 田 の 文 学 部 長 の 谷 崎 精 二 博 士 に 、 校 庭 で あ い 、 聞 い た と こ ろ 、 ﹁ い や 、 兄 の 家 内 が 松 平 侯 ( 津 山 の 旧 城 主 ) の 家 老 か 何 か に 関 係 あ る 家 で 、 そ れ を た よ り に 行 っ た と い う 事 で す ﹂ と い う 返 事 に 、 そ れ で は 僕 等 よ り 有 力 な 手 づ る だ か ら 、 余 計 な さ し 出 口 を し た か な と 思 っ て い る 矢 先 き に 、 こ の 手 紙 だ っ た の で 、 早 速 名 刺 を 書 き 送 っ た 。 後 日 の 備 忘 の た め 、 , そ の 紹 介 し た 先 き の 氏 名 を 明 か に し て お く 。 竹 久 栄 津 山 木 材 会 社 幹 部
津 田 一 友 林 野 精 米 業 木 村 幹 父 勝 問 田 農 協 役 員 下 山 正 ] 〃 農 こ の 同 姓 者 は 私 の 実 弟 で 、 生 家 の 家 督 の 継 承 者 だ っ た 。 あ と は み ん な 少 年 時 代 の 私 の 文 学 仲 間 、 こ と に 竹 久 君 は 小 学 校 で 私 よ り 一 年 下 、 文 章 の 才 に す ぐ れ 、 や っ ぱ り 少 年 世 界 の 投 書 家 で 、 一 位 に 当 選 し た こ と も あ る 。 富 ん だ 農 家 の う ま れ で 、 こ と に こ の 頃 は 木 材 会 社 で 羽 ぶ り を き か し て い た し 、 物 惜 し み を せ ぬ 鷹 揚 な た ち だ か ら 、 さ い わ い 津 山 の 地 も と に い る こ と な り 、 先 ず 彼 を た ず ね て 相 談 な さ い と 申 し 送 っ た 。 し か し 後 で 彼 等 に き い て み る と 、 谷 崎 氏 は 私 の 紹 介 名 刺 は 一 枚 も 利 用 し な か っ た 。 そ れ は 津 山 か ら は 、 当 時 の 汽 車 で 恐 ら く は 二 時 間 以 上 か か る 勝 山 に 移 転 し た か ら で 、 そ れ は 作 東 ( 美 作 の 東 部 と い う 意 味 ) と い わ ろ る 勝 間 田 や 林 野 か ら は 、 い よ い よ 遠 い か ら で あ る 。 美 作 観 光 連 盟 会 長 の 苅 田 与 禄 氏 の 話 に よ る と 、 あ る 日 、 突 然 、 谷 崎 氏 の 訪 問 を う け た 。 中 央 公 論 に 連 載 の ﹁ 細 雪 ﹂ も 軍 の 圧 迫 で 、 中 止 せ ら れ て い る 問 題 の 人 物 か ら 、 何 を 云 い 出 さ れ る か と 、 内 心 で い さ さ か 警 戒 し な が ら 、 用 向 き を き い て み る と ﹁ 勝 山 へ ゆ く の に 、 汽 車 の 切 符 が 手 に 入 ら な い 。 何 と か 御 心 配 ね が え な い か ﹂ と の 事 に 、 そ れ な ら お 易 い 御 用 だ と い っ て 、 つ ま り 苅 田 氏 配 慮 の も と に 、 津 山 か ら 勝 山 に う つ っ た の だ と 云 う こ と で あ ろ 。 私 が も つ も う 一 通 の 手 紙 は 、 そ の 勝 山 か ら 、 九 月 六 日 の 日 づ け で 出 さ れ て い る 。 そ の 三 週 間 前 の 八 月 十 五 日 に 、 終 戦 に な っ て 日 本 は 全 面 的 降 伏 し た も の の 、 し か し マ ッ カ ー サ ー は ま だ 日 本 に 到 着 す る 約 二 週 間 前 で 、 全 日 本 の 虚 脱 時 代 だ っ た
こ と を 、 考 慮 に い れ て 読 ま れ た い 。 の と 同 じ で あ る 。 発 信 地 は こ ん ど は 岡 山 県 真 庭 郡 勝 山 町 新 町 小 野 は る 様 方 と な っ て お り 、 私 の 住 所 は 前 ﹁ 拝 啓 其 後 御 無 沙 汰 い た し 候 処 新 ら し き 情 勢 に 対 し 何 か と 御 忙 し き 御 事 と 存 候 。 一 昨 夜 の 放 送 に て 御 元 気 の こ と は 承 知 仕 候 へ 共 御 尊 宅 は 最 後 ま で 御 無 事 御 残 り 被 成 候 哉 伺 上 候 択 私 事 は 津 山 と 当 地 と 当 方 を か け も ち 致 す つ も り な り し と こ ろ 乗 車 券 入 手 面 倒 の た め 遂 に 津 山 の 方 は 完 全 に 引 払 ひ 申 候 随 て 折 角 頂 戴 い た し 候 各 方 面 へ の 御 紹 介 状 も 利 用 仕 る 機 会 無 之 御 厚 意 を 無 に す る 結 果 と 相 成 候 段 幾 重 に も 御 容 赦 被 下 度 、 人 間 は 現 金 な も の に も 、 空 襲 の 恐 れ な く な り 候 と た ん に 田 舎 が わ び し く 相 成 、 家 族 ] 同 口 ( 一 字 不 明 ) 愁 に 駆 ら れ 居 候 へ ど も 、 留 守 番 を 残 し 置 き 候 阪 神 間 の 家 は 不 幸 に し て 停 戦 の 十 日 程 前 に 焼 か れ 申 し 、 さ し あ た り 帰 る に 家 な く 候 に 付 先 づ 本 年 は 此 処 に て 越 冬 致 す よ り 外 無 之 候 以 上 御 無 音 の 御 詫 び 労 々 近 況 御 報 申 上 候 昨 今 頓 に 爽 涼 を お ぼ え 申 候 御 自 愛 被 遊 べ く 候 九 月 六 日 谷 崎 潤 一 郎 木 村 毅 様 研 北 ﹂ 五 、 私 家 版 ﹁ 細 雪 ﹂ ま ず こ の 手 紙 で 気 づ く の は 、 自 分 の 止 宿 す る 家 に た い し ﹁ 小 野 は る 様 方 ﹂ と 敬 称 を 付 し て あ る 丁 寧 さ で あ る 。 そ れ か ら 、 諺 に も い う 通 り 、 ど う な っ た か わ か ら ぬ も の の 代 表 は 、 紹 介 の 名 刺 の 行 衛 で あ る 。 そ れ を 、 私 の よ う な 後 輩
に 対 し て さ え 、 一 枚 も 使 用 し な か っ た と こ と わ る 所 に 、 日 本 橋 そ だ ち の 江 戸 っ 子 ら し い 義 理 が た さ 、 律 義 さ が う か が わ れ る 。 社 交 的 に ダ ラ シ な い と い う よ う な と こ ろ が 、 氏 に は 微 塵 も な い 。 文 面 に よ る と 、 私 の ラ ジ オ 放 送 を き い て 、 こ の 手 紙 を か く 気 に な っ た も の と 思 わ れ る が 、 こ れ は き び し い 軍 命 令 で ニ ュ r ス 以 外 久 し く 中 絶 に な っ て い た 講 演 放 送 が 終 戦 後 に 復 活 し た 最 初 の も の で 、 ﹁ マ ッ カ ー サ ー 元 帥 を 語 る ﹂ と い う 題 で あ っ た 。 間 も な く 、 マ ッ カ ー サ ー 司 令 部 が 入 っ て く る と い う の に 、 日 本 で は ﹁ 鬼 畜 米 英 ﹂ の 主 脳 と い う 以 外 、 そ の 人 と な り 、 文 化 性 、 軍 功 に つ い て 何 も 知 ら な い と い う の で 、 J O A K ( ま だ N H K と は い わ な か っ た ) か ら 、 特 に 私 に た の ん で 来 た も の で あ る 。 私 は マ ニ ラ 従 軍 中 、 日 本 軍 が 占 領 し て 厳 重 に 密 封 し た マ ッ カ ー サ ー の 室 に 、 特 に 乞 う て 入 れ て も ら っ て 、 つ ぶ さ に 内 部 を み て 、 当 時 、 席 を お い た 毎 日 新 聞 に 打 電 し た と こ ろ 、 ﹁ マ ッ カ ー サ ー の 機 密 室 を の ぞ く ﹂ と い う セ ン セ ー シ ョ ナ ル な 見 出 し を つ け て 掲 載 せ ら れ た 。 そ の 内 容 に 、 寝 室 の 壁 に は 日 露 戦 争 中 に 彼 の 亡 父 ア ー サ ー が 観 戦 武 官 と し て も ら っ て き た 大 山 (巌 ) 満 洲 軍 総 司 令 と 、 児 玉 ( 源 太 郎 ) 全 総 参 謀 長 、 お よ び 出 羽 海 軍 大 将 の 写 真 が 飾 っ て あ る こ と 。 ベ ッ ド の 枕 元 に は 毎 晩 ね る と き に 愛 読 し た と 見 え 、 ホ イ ッ ト マ ン の 詩 集 、 シ ェ ー ク ス ピ ア の ソ ネ ッ ト 集 、 お よ び ロ ー マ の ス ト イ ッ ク の 哲 学 者 エ ピ ク テ タ ス の ﹁ 金 言 集 ﹂ が 半 開 き に し て 伏 せ て お い て あ っ た こ と 。 そ の 書 斉 に は 古 今 東 西 の 典 籍 何 千 巻 が 四 面 の 壁 を 埋 め つ く し て 天 井 ま で と ど く 高 い 書 棚 に な ら ん で い て 、 そ の 中 に は ア ス ト ン の 日 本 文 学 史 な ど ま で み え る こ と 。 ー な ど を 報 じ て 、 こ れ だ け の 読 書 人 、 こ れ だ け の 精 神 内 容 を も つ 軍 人 は 、 日 本 に は い な い と 、 そ の 電 報 で 云 い 切 っ た の だ 。 こ れ が 軍 主 脳 部 の カ ン に さ わ っ た ら し い 。 こ の 私 の 電 報 は 、 東 京 に い る 外 国 記 者 に よ っ て 、 た だ ち に 各 本 国 に 打 ち か え
さ れ 、 オ ー ス ト ラ リ ヤ に 逃 避 中 の マ ッ カ ー サ も こ れ を 知 っ た 。 そ し て そ れ に よ っ て 、 日 本 軍 が マ ッ カ ー サ ー の 住 居 を 密 封 し 、 厳 重 に 監 視 し て 、 一 毫 も お か さ な い で い る こ と が 明 か に な っ て ﹁ さ す が に 軍 紀 厳 正 な る 日 本 軍 だ 。 家 が 荒 ら さ れ て い な い と 知 っ て 安 心 し た ﹂ と 云 っ た こ と が 、 日 本 に も 、 そ れ か ら マ ニ ラ に も 新 聞 電 報 と し て う ち 返 さ れ て き た 。 私 は 、 そ の 反 響 に い さ さ か 得 意 に な っ て い た と こ ろ 、 軍 で は 、 敵 将 に 安 心 を 与 え た こ と が 怪 し か ら ん と 云 っ て 、 戦 争 終 末 一 年 半 は 、 ず い ぶ ん 戦 争 に は 心 か ら 協 力 し た 私 を 、 事 実 に お い て 執 筆 禁 止 の 目 に 合 わ せ て し ま っ た 。 と こ ろ が 終 戦 の 年 の 九 月 ご ろ の リ ー ダ ー ス ・ ダ イ ジ ェ ス ト に 、 日 本 の 新 聞 は 筆 を そ ろ え て 、 戦 争 中 マ ッ カ ー サ ー に 悪 口 、 漫 罵 、 中 傷 を 加 え て 至 ら ざ る 中 に 、 マ ニ ラ か ら の 通 信 で 只 ひ と り 、 こ れ を ほ め た 記 者 が い た の が 例 外 だ と 書 い て い る の は 、 名 前 こ そ 上 げ て い な い が 、 私 以 外 に 誰 れ が あ ろ う 。 ﹁ マ ッ カ ー サ ー が き た ら 日 本 国 中 の も の が 、 み ん な 処 罰 さ れ て も 、 木 村 君 だ け は 、 ま ぬ が れ る だ ろ う ﹂ と さ え 言 わ れ た も の だ 。 放 送 局 は そ の 鮎 を 買 っ て 、 最 初 の 文 化 講 演 の 復 活 に 、 私 を 起 用 し た の だ が 、 事 実 ま た 文 化 人 は み ん な 疎 開 し て 、 焼 け の こ り の 東 京 に 最 後 ま で 居 の こ り 、 一 日 に 二 度 も 三 度 も マ イ ク ロ ブ ォ ソ の 前 に 立 っ た の は 、 阪 西 志 保 さ ん を の ぞ け ば 、 私 ぐ ら い な も の だ っ た ろ う 。 そ の 私 の 第 一 声 ﹁ マ ッ ヵ ー サ ー 元 帥 を 語 る ﹂ は 、 彼 が エ ピ ク テ タ ス の 金 言 集 や 、 ホ イ ッ ト マ ン の 愛 読 者 で あ る こ と を 特 に 強 調 し た の が 、 聴 衆 に 多 大 の 感 銘 を あ た え た 。 こ れ は 戦 後 の わ が 文 壇 の ホ イ ッ ト マ ン 復 興 の 一 刺 戟 に も な っ て い る 。 こ の 放 送 が 谷 崎 氏 の 耳 に も 留 ま っ た こ と は 、 私 の 至 大 の 満 足 で あ る 。 こ ん な 機 会 で も な け れ ば 、 氏 は め っ た に 放 送 な ど 聞 か な い 人 で あ っ た ろ う 。
こ の 手 紙 に は 、 何 も か い て な か っ た け れ ど 、 氏 か ら は 前 後 し て 小 さ な 小 包 が と ど い た 。 中 か ら 出 て き た の は ﹁ 細 雪 ﹂ の 私 家 版 で あ る 。 フ ラ イ リ ー フ に 、 木 村 毅 様 著 者 と あ り 、 そ し て 僑 松 庵 の 印 が お し て あ る 。 奥 付 に は 非 売 品 二 百 部 印 刷 と あ り 、 発 行 者 は 兵 庫 県 武 庫 郡 魚 崎 町 魚 崎 七 二 八 番 地 の 三 七 谷 崎 潤 一 郎 と あ り 、 印 刷 者 は 大 阪 市 南 区 安 堂 町 橋 通 一 丁 目 一 番 地 浜 田 印 刷 所 と な っ て い る 。 ﹁ 細 雪 ﹂ 。 こ れ は 中 央 公 論 に 連 載 が は じ ま る と 早 々 、 第 一 回 で 軍 か ら 禁 止 さ れ た の で 、 あ と は ひ そ か に 、 い わ ば 福 沢 諭 吉 が 上 野 に お こ ろ 彰 義 隊 攻 撃 の 砲 声 を き き な が ら も 、 ウ ェ イ ラ ン ド の 経 済 学 の 講 義 を や め な か っ た の と 同 じ く 、 谷 崎 氏 も 空 襲 警 報 に お び え な が ら 、 孜 々 と 筆 を と る こ と を 止 め な か っ た の だ 。 文 学 に か た む け る 情 熱 の 異 常 さ と 共 に 、 黙 し て 語 ら ぬ と し て も 、 軍 へ の 反 抗 心 に 燃 え 立 っ て の 執 筆 で あ っ た ろ う 。 こ の 二 百 部 刊 行 の 稀 書 は 、 所 有 者 が 大 半 、 戦 災 で う し な っ て 、 今 日 残 存 す る 部 数 が 極 め て 少 い そ う で あ る 。 毎 日 新 聞 の も よ う し た 文 豪 谷 崎 潤 一 郎 展 に は 、 橘 弘 一 郎 氏 所 有 の 一 書 が 出 陳 さ れ て い た 。 私 も 秩 を つ く っ て 大 切 に 保 存 し て い る 。 ﹁ 細 雪 ﹂ の 中 巻 は 、 美 作 疎 開 中 に 、 ど れ だ け か の 部 分 が 出 来 た の で 、 岡 山 の 合 同 新 聞 ( い ま の 山 陽 新 聞 ) 記 者 が 、 そ れ を 訪 問 し て 、 執 筆 の 状 況 を た ず ね た 記 事 が 、 そ の こ ろ の 同 紙 に の っ て い る 。 谷 崎 文 学 成 立 の 上 で 、 た い せ つ な 資 料 だ と 思 い 、 切 り ぬ き は し た が 、 だ ら し の な い 私 の こ と だ か ら 、 保 存 が 悪 く 、 い つ し か 見 失 っ て し ま っ た 。 し か し ﹁ 細 雪 ﹂ の 執 筆 、 あ る い は 中 下 巻 の 構 想 は 、 美 作 疎 開 を は な し て は 究 明 で き な い 。 氏 の 止 宿 し た 小 野 家 で は 、 そ の 後 阪 神 に 移 住 し て 、 い ま は 空 き 家 に な っ て い る ら し い 。 も っ と も 当 時 氏 と 親 し ん だ 人 々 は 勝 山 に ま だ 幾 人 か 健 在 の よ う だ か ら 、 そ の 聞 き 書 き を あ つ め る と か 、 座 談 会 で も も よ う し て 、 思 出 を 記 録 に の こ せ ば 、 有 力 な 文 学 資 料 と な ろ う 。 さ し
あ た り 松 蔭 短 期 大 学 の 日 本 文 学 科 第 ] 期 生 の 吉 野 順 子 君 は 勝 山 で あ る 。 短 大 卒 業 後 、 四 年 制 の 関 西 大 学 に 入 っ て な お 研 究 を つ ず け て い る ほ ど の 心 力 剛 盛 の 女 性 だ か ら 、 彼 女 が そ の 任 に あ た っ た ら ど う で あ ろ う 。 六 、 外 国 人 の 評 価 最 後 に も ら っ た 書 信 を 、 し ま い 無 く し て 引 用 で き な い の は 、 何 と も 残 念 で あ る 。 そ れ は 黒 船 来 航 の 百 年 祭 を 期 し 、 政 府 は 開 国 百 年 記 念 文 化 事 業 会 と い う 外 郭 團 隊 を つ く っ て 、 明 治 文 化 史 十 二 巻 、 日 米 文 化 交 流 史 五 巻 と い う 彪 大 な る 刊 行 物 を 企 画 し た 。 私 は そ の 中 の ﹁ 日 米 文 化 交 流 史 第 四 巻 学 芸 風 俗 篇 ﹂ を 担 当 し た 。 発 行 さ れ る と そ れ を 久 し ぶ り に 、 当 時 は 熱 海 に 移 住 中 の 谷 崎 氏 に 贈 呈 し た の で あ る 。 じ つ は 、 私 は 、 こ れ ま で 谷 崎 氏 に 著 書 を お く っ た こ と は な い 。 谷 崎 氏 を 評 論 し た 文 章 の 入 っ て い る も の で も 、 送 る の を 潭 か っ た の は 、 氏 の す る ど い 批 評 眼 を お そ れ た か ら で あ る 。 し か し こ の 本 だ け は 、 何 と な く 見 て も ら い た い 気 が し た の だ 。 氏 か ら は 早 速 、 礼 状 が き た 。 じ つ は こ の 刊 行 物 は 、 そ ろ え た い と 思 う が 、 熱 海 に い て は 三 巻 し か 手 に 入 ら な い と の 事 で あ っ た の で 、 会 に た の ん で 、 そ れ ま で に 刊 行 の す ん だ の を 、 全 部 ま と め て お く ら せ た 。 終 戦 後 、 現 代 作 家 も よ う や く 海 外 に 紹 介 せ ら れ る こ と 多 く 、 こ と に 谷 崎 氏 の 小 説 は 一 ば ん た く さ ん 、 各 国 語 に 訳 さ れ 、 名 声 が 世 界 的 に ひ ろ ま っ た 。 ノ ー ベ ル 賞 の 候 補 に も 、 再 三 あ が る に 至 っ た 。 フ ィ リ ッ ピ ン か ら 来 て 、 大 使 館 の 情 報 官 で あ り 、 ま た 新 聞 特 派 員 の 役 も か ね て い る ジ ョ ー ・ ザ ノ ーデ ( 史 学 界 の 書 宿 グ レ ゴ リ オ ・ ザ イ デ 博 士 の 実 弟 で あ る ) 君 は 、 谷 崎 文 学 は 英 訳 で よ ん で も 、 じ つ に ド ス ト イ エ フ ス キ イ や 、 フ ラ ン ツ ・ カ フ カ に 雁 行 す る 世 界 第 一 級 の 大 作 家 だ と 、 歎 称 し て
や ま な い 。 ま た 同 国 の フ ィ リ ッ ピ ン 大 学 の 助 教 授 で ジ ョ セ フ ァ ・ サ ニ エ ル と い う 若 い 女 性 史 学 者 が 、 日 本 近 代 史 研 究 の た め 、 ロ ッ ク ヱ ラ ー 財 団 か ら 東 京 に 留 学 し て き て 、 谷 崎 氏 の 著 作 を 読 み あ さ り 、 ﹁ ゆ る さ れ れ ば 、 訪 問 し た い ﹂ と 口 ぐ せ の よ う に 云 っ て い た 。 そ の 旨 を 、 何 か の 機 会 に 、 谷 崎 氏 に 通 ず る と 、 ﹁ よ ろ こ ん で お 目 に か か る か ら 、 い つ で も つ れ て 来 て く れ ﹂ と の 事 だ っ た 。 も っ と も 、 老 来 、 往 年 の 勇 心 は 鎖 磨 し つ く す し 、 持 病 の 喘 息 で 気 息 炎 々 た る 私 は 、 腰 が お も く て 、 遂 に こ の 二 人 を 熱 海 ま で 案 内 し て ゆ く 気 力 が な い う ち に 、 二 人 は 帰 国 し 、 谷 崎 氏 の 長 逝 を み た 。 二 、 三 年 前 、 た し か 吉 川 英 治 氏 の 新 盆 に 、 荊 妻 と も ど も 、 線 香 を あ げ に ゆ く と 、 文 子 夫 人 が ﹁ 洋 酒 は 召 し 上 り ま す か ﹂ と の 質 問 で あ る 。 僕 は 、 洋 酒 し か 飲 ま な い 、 世 界 中 で 一 ば ん ま ず い の が 日 本 酒 だ と 思 っ て い る と い う と 、 ﹁ じ つ は 谷 崎 さ ん の 奥 さ ん か ら 頂 戴 し た の が あ り ま す 。 う ち で は 誰 れ も 洋 酒 を い た だ き ま せ ん の で 、 こ の 味 の お わ か り の 方 に の ん で い た だ い た ら と 思 っ て い ま し た ﹂ と い う こ と な の で 、 大 よ ろ こ び で も ら っ て き た 。 な ん で も 谷 崎 氏 は 、 熱 海 に 家 を 新 築 す る ま で の 仮 住 居 を さ が し て 、 吉 川 氏 の 別 荘 に う つ っ て 来 た の だ そ う で あ る 。 そ の あ い さ つ 労 々 、 谷 崎 夫 人 の も た ら さ れ た 手 み や け な の で あ っ た 。 私 の 家 で は 、 長 女 の 嫁 し た 主 人 が 、 パ リ の 日 本 商 社 支 店 に 、 派 遣 さ れ て 十 年 も い て 、 な か な か 洋 酒 通 だ か ら 、 二 人 し て あ け た 。 そ れ が 何 酒 だ っ た か 、 今 さ っ ぱ り 記 憶 が な い 。
谷 崎 潤 一 郎 展 の と き 、 私 も 何 点 か 出 品 し た の で 、 そ の と き 、 谷 崎 家 か ら 吉 川 家 に 贈 ら れ た 洋 酒 で 、 木 村 家 (? ) で あ け た も の で あ れ ば 、 観 衆 の 一 藥 を 博 す る 価 値 が あ る と 思 い 、 カ ラ び ん で も 並 べ た い と 思 っ た が 、 家 内 も 、 思 出 に な る か ら 残 し て お こ う と 云 い な が ら 、 い つ の 間 に か 屑 屋 に は ら っ た と 見 え 、 ど う さ が し て も 見 あ た ら ず 、 今 も 残 念 に 思 っ て い る 。 こ の 展 覧 会 は 、 開 会 初 日 の 日 に 見 に ゆ く と 、 幼 少 時 代 、 学 生 時 代 ( 明 治 一 九 年 -四 二 年 ) の 作 品 が 次 の 如 く 並 ん で い た 。 府 立 一 中 卒 業 記 念 写 真 帖 全 ﹁ 学 友 雑 誌 ﹂ 二 冊 全 成 績 表 一 高 ﹁ 校 友 会 雑 誌 ﹂ 三 冊 大 貫 雪 之 助 宛 書 翰 東 京 日 比 谷 校 〃 〃 東 京 橘 弘 一 郎 川 崎 大 貫 初 子 こ の 五 点 に と ど ま っ て い る の だ 。 橘 弘 一 郎 氏 は 、 谷 崎 氏 の 親 戚 か 特 別 な フ ァ ン か 知 ら ぬ が 、 な か な か の 蒐 集 家 で 、 い ろ い ろ な 重 要 品 の 出 陳 者 だ の に 、 最 初 の 世 に 向 っ て 公 け に し た ﹁ 少 年 世 界 ﹂ が 出 さ れ て い な い 。 し て み る と 、 私 自 身 は 子 供 の こ ろ か ら 親 し ん で い た 古 雑 誌 で も 今 で は 珍 品 な の だ な と 思 っ て 、 翌 日 、 そ れ を 持 参 し て 、 会 場 に な ら べ て お い た 。 谷 崎 氏 に つ い て は 、 そ の ﹁ 刺 青 ﹂ に 目 を 見 は っ て 以 来 、 読 者 と し て 、 ま た 文 芸 批 評 の 筆 を と り 出 し 、 明 治 大 正 文 学 の 史 的 研 究 を は じ め て か ら も 、 云 う べ き こ と は 、 ま だ ま だ 沢 山 あ る が 、 そ れ は 別 な 機 会 に ゆ ず ろ う 。