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HIV/エイズ研究におけるスティグマ概念・理論の変遷と現在的課題

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HIV/エイズ研究におけるスティグマ概念・理論の変遷と現在的課題

大島 岳 本論文は、世界のHIV研究・対策におけるスティグマ概念の特徴を明らかにし、これま でのスティグマ低減に向けた対策実践とそれを枠づける社会理論の特徴と限界を俯瞰す る。その上で、日本におけるHIVスティグマの現状および低減に向けた社会運動の変遷を 分析することによって、スティグマに関する新たな理論構築の手がかりを探ることを目的 とする。日本では、これまで自然科学的アプローチ偏重のもと、スティグマに関する社会 科学的アプローチは軽視されてきた。しかし、世界的な取り組みのなかでは、スティグマ は一つの中心的な概念であり、尺度も開発され多くの調査で用いられてきた。近年日本で も、HIV陽性者当事者参加型研究においてこの尺度を用い、スティグマの高い実態が明ら かにされた。従来のスティグマ概念の理論化は、シンデミック理論と構造的暴力を主軸に 実践が展開されてきた。とりわけハイチのような貧困と暴力が蔓延する国において、無料 診療所の設立によりスティグマが低減され、貧困や暴力対策につながる著しい成果をあげ てきた。一方で、日本に目を転じると、医療制度が整っても依然としてスティグマが高い 現状があり、これらの理論化とは別の方向性を探る必要が生じている。健康と病いの社会 学では、HIVをめぐる生存に向けた社会運動をA. Giddensのいう「ライフ・ポリティクス」 として位置づける論者がおり、日本では薬害HIV感染被害訴訟をめぐる社会運動がその代 表例といえる。近年、東アジアを中心に、より小さなグラスルーツの日常生活上の諸問題 を直接解決することを目指す「リヴィング・ポリティクス」の生起が指摘されている。日 本の HIV をめぐる現象との関連では、1990年代にさまざまなCBOs(コミュニティ組織) が誕生し、2000年代にLiving Together計画が生起した。さらに、現在HIV陽性者は「Unde-tectables(血中ウィルス検出限界未満の人たち)」という新たなアイデンティティを獲得し つつあり、日常生活のなかに遍在するスティグマ低減に向けた実践が生じている。ゆえに、 これら諸実践とリヴィング・ポリティクス論との関係を精査することは、今後HIV研究・ 対策の一つの重要な課題となる。 キーワード:HIV/エイズ、スティグマ、リヴィング・ポリティクス 1 .はじめに HIVの歴史は、厚生省と製薬会社がそれまで血友病者に用いていた非加熱製剤の HIV混 入を隠蔽する意図で、1985年に男性同性愛者を「第1号患者」とする操作的な認定からは じまった(風間・河口2010: 14)。以後、エイズパニック(1)時代を経て、日本では1997年 に導入されたART(多剤併用)療法により、疾患コースは慢性疾患へと変化を遂げた。だ が完治薬は未だ存在せず、服薬を中断すればウィルスは再び増殖をはじめ免疫機能を破壊 し死に至らしめる。現時点では治癒はせず半永久的に治療を受けなければならない。また、 現在問題となっている死亡要因は、直接エイズによるものではなく、肝・腎・心疾患や悪 性腫瘍など非エイズ関連疾患によるものが大きい(HIV感染症およびその合併症の課題を 克服する研究班2018)。

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さらに広く社会からみると、人びとが理解する意味や経験としての病い(illness)と社 会的な病い(sickness)の次元においては、いまだに「社会的な死」というスティグマは 強い(Sontag 1978 [1989]=1990: 178; Kleinman 1988=1996: 4-9)。その証左として 2018 年 の「HIV感染症・エイズに関する世論調査」(2)をみてみよう。エイズの印象は「死に至る 病である」をあげたものが 52.1%と最も高く、つぎが「原因不明で治療法がない」が 33.6%であった。ここから昔の誤ったイメージが現在も残存していることがわかる。じじ つ歯科や透析など診療拒否、高齢者施設入所拒否、雇用の差別、SNSや電子掲示板では、 個人を特定した差別的・排除的な書き込みなどもしばしば散見され、強い悪影響が続いて いる(e.g. 日本経済新聞2018年7月14日夕刊)。 本論文の目的は、日本におけるHIVスティグマを取り巻く社会状況、および(スティグ マの)低減に向けた実践の変遷と現在的課題を明らかにすることにある。そのために、第 2節ではHIV研究・対策におけるスティグマ概念の変遷を簡潔に整理したうえで、近年の 日本における調査結果からスティグマをめぐる理論を精査する。第 3節では、それらの理 論を日本において展開されてきたスティグマ低減をめざす社会運動と照らし合わせ、実践 的含意から現状の理論では何が説明できていないのか、それを説明する理論を構築してい くための手がかりはどこに見いだせるのかを探る。 2 .HIV研究・対策におけるスティグマ概念 ( 1 )HIV/エイズに関するスティグマの概念化と次元 最初に、スティグマがどのように規定されてきたのかを簡単に確認しておこう。語源は ギリシア語で奴隷や犯罪者の身体に刻印された徴である。この徴は、それを刻印されたも のを忌み穢れあるいは危険な存在として広く公に指し示す。E. Goffmanによれば、スティ グマは「対他的な社会的アイデンティティと即時的な社会的アイデンティティにある特殊 な乖離」、すなわち他者からのステレオタイプと自己の属性とのあいだにある差異によっ て「信頼をひどく失わせる特質(attribute)」として、個人が十全に社会的承認を得る資格 を剥奪し、存在価値が低められるような関係性を表す概念として用いられる(Goffman 1963=2001: 16)。スティグマは性質を言い表すために用いられるが実際には関係的な概念 であり、社会構造や心理特性に還元できるのではなく「共在」とよばれる日常生活におけ る対面的な相互作用のダイナミクスにあらわれる。ゆえに、スティグマは「固定した存在」 や「実体」ではない(石黒1970; 安川1991)。 Goffman によればスティグマの種類は以下の三つに大別される。(1)肉体のもつ醜悪、 (2)個人の性格上の欠点、(3)人種、民族、宗教など集団にかかるスティグマである。 Goffman はこの三つの関係を詳細には説明せず、むしろこの三つの特徴を合わせ、「常人 (the normals)」と「それ以外のもの(the other)」との間で交わされる対面的な相互行為に

焦点を当ててきた(Goffman 1963=2001: 14-15)。

以上の規定にもとづき、社会学者はおもに象徴的相互作用論の伝統を受け継ぎスティグ マの社会的構築に焦点を当て、社会心理学者はなぜどのようにスティグマがステレオタイ プなカテゴリー化や態度と結びついているのかを理解することに主眼をおいてきた(Mar-kowitz 1998; Corrigan and Kleinlein 2005; Crocker, Major and Steele 1998)。他にも人類学や 政治学など、スティグマ概念が用いられる領域は多岐にわたり、学際的あるいは領域横断

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的に広範に用いられてきた。つまり対象も状況や条件によって多様に用いられながら緩や かに結びついた状況にある。LinkとPheranらによれば、それぞれの学問領域で扱うスティ グマ概念は「これまで異なる概念枠組によって異なる概念化がなされてきた」(Link and Pheran 2001: 365)が、「同じものの一部」(Pheran, Link and Dovodio 2008: 365)であった。 つまり、理論的な位置づけとしてもスティグマは研究者のあいだで共有される「関係的」 な概念である。 以下、国際的な取組みの中でHIV関連スティグマがどのように定義されてきたかを概括 的に見ていく。世界的には以下のUNAIDSによる定義が広く用いられている。 HIVやエイズとともに生きている、あるいは関連のある人を低く評価するプロセス (UNAIDS 2003: 7) この定義の特徴はシンプルさにある。Goffmanが指摘したように、スティグマ概念を静 態的あるいは実体としてとらえるのではなく、過程(プロセス)として捉えることを重視 する。さらに、「関連ある人」とあるように、Goffmanの三類型のうち(3)集団に着目す る一方で(1)醜悪や(2)性格のレベルは除外されている。その代わりに「低く評価する」 という力の作用に定位した再定義がなされている。 では、スティグマと集団の関係はどうなるのだろうか。社会学者G. Greenによれば、以 下のHIV陽性者の人生におけるスティグマの軌跡と対処に着目した社会学者A. Alonzoと N. Reynoldsによるスティグマ化された集団の以下の定義がもっとも有用だという(Green 2009: 13)。 より広範な社会によって侮蔑的にみなされ価値を貶められた、さもなければ自由で 拘束されない人間的な社交にアクセスする生活・人生の機会を減じさせられた、人び とについてのひとつのカテゴリーである。(Alonzo and Reynolds 1995: 304)

この定義の特徴は、「ひとつのカテゴリー」とあるように、個人よりも特定の集団全体 にかかるスティグマの状況を量的に把握することが容易になる点である。それによってゲ イ・バイセクシュアル男性、薬物使用者、セックスワーカーといった個別のカテゴリーを 定め、実証研究をおこなうことを可能にした。さらにこの定義のもと、HIVに関連するス ティグマは一般的に次の三つの次元に大別される。 (1)HIVのために当人が恥や恐れを感じる「感じられたスティグマ(felt stigma)」ある いは「知覚されたスティグマ(perceived stigma)」、(2)偏見を持たれ差別的なできごとを 経験する「実際に生じたスティグマ(enacted stigma)」、(3)差別や偏見にあっても仕方 ないと自身に否定的な態度をとる「内面化したスティグマ(internalized stigma)」の三つ である(Herek and Glunt 1988; Fife and Wright 2000)。多くの場合、自己規制により「感じ られたスティグマ」の方が「実際に生じたスティグマ」よりも多い割合で経験される(Sobo and Green 2000)。

この三つの次元の整理に基づき、B. Berger らはスティグマを計測する「Berger 尺度 (scale)」を開発し、世界中多くの研究で用いられている(Berger et al. 2001)。

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日本では、2009年には風間孝らが『解放社会学研究』23号にて「スティグマと(性的) 健康―HIV/エイズに対する社会(科学)的アプローチ」と題した特集を組み、医学と 疫学といった自然科学的アプローチ偏重の日本の状況を批判的に捉え、偏見や差別の問題 と密接な関係にあるスティグマに対する社会科学的アプローチの重要性を指摘した(風間 2009: 59-97)。そこでは同時に、世界的な社会科学的アプローチによる取り組みの限界も 指摘されている。岡島克樹と新ヶ江章友によれば、国際的な研究・実践の実態は「マクロ 社会アプローチ」であり、一つの指標を用いてスティグマの質量を同定することから文化 や「社会的プロセス」への目配りが不十分な状況があるという(岡島 2009: 76; 新ヶ江 2009: 84)。こうした不十分さは課題であるものの、翻って日本の状況をみると、あらゆ るレベルの社会(科学)的アプローチそのものが脆弱なために「エイズ関連スティグマの 削減に関する研究・介入実践はほとんど見あたらない」(岡島 2009: 77)のが、近年まで の日本の特徴であった。 ( 2 )HIV陽性者のスティグマの現状 井上洋士らが実施した、日本ではじめての全国規模の性感染を含めたHIV陽性者(以下 「陽性者」と表記)の当事者参加型調査研究「HIV Futures Japan」(第一回目は2013年から 2014年実施、第二回目は2016年から2017年実施)において上記のBerger尺度が用いられ た。筆者も研究参加した最新の第2回調査(2016年12月∼2017年7月実施、1,110人回答、 有効回答数1,038人)では、以下のような強いスティグマの実態が明らかにされた。各質 問ではHIVに対する社会からのスティグマについてどのように感じているかを8項目で質 問した。各質問は、「まったくそうではない」「あまりそうではない」「ややそうである」「と てもそうである」の4段階で回答する形式をとった。なお、以下の数値は「ややそうである」 「とてもそうである」の割合である。 最初に「知覚されたスティグマ」に関する結果を述べる。「HIV陽性であることを他の 人に話すときはとても用心する」ものは 92.8%に達し、「一般に人々はHIV陽性であるこ とを知ると拒絶する」ものは 85.7%、「HIV陽性だと誰かに打ち明けると、さらに別の人 に伝わるのではと心配になる」ものは85.2%であり、ほとんどの人がHIV陽性であること を知られることに強い不安や心配を感じていた。また、「HIV陽性であることを雇い主や 上司に知られると職を失うと思う」では63.6%が「そうである」と回答しており、HIV陽 性であることを知られることに対する恐怖を、職を失うといった具体的なものとして捉え ているものが少なくなかった。 次に、「実際に生じたスティグマ」に関する結果を述べる。「HIV陽性と他の人に打ち明 けたものの、言わなければよかったと思うことばかりだった」という質問に対して「そう である」と回答したものが 50.5%であり、「私が HIV 陽性であることを知ったとたんに、 物理的に距離を置かれたことがあった」では「そうである」が 47.0%、「HIV陽性になっ たのは自分がいけないからだ、と周囲の人に言われたことがあった」では「そうである」 は41.8%であった。つまりHIV陽性であることによるネガティヴな実体験が約半数の人に 認められた。 最後に、「内面化したスティグマ」に関する結果を述べる。「HIVに感染していることは 恥ずかしいことである」ものは 50.7%、「他の人とHIVを話題にするときにウソをついて

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いる」ものは 64.3%、「HIV陽性であることを周囲に知られないように頑張っている」も のは65.9%であった。周囲に隠すために「嘘をつく」「頑張る」など行動を自主規制して いるものが 6 割以上にのぼっていた。「他の人々と交流したいが、HIV 陽性であるので、 交流しないでいる」では「そうである」が 30.0%であり、「HIV陽性であるため新しい友 人をつくることをひかえている」では「そうである」が30.0%と他の人との交流を控えて いる人は 3 割程度にとどまっていた。しかし、「HIV 陽性であることで、他の人とセック スしたり恋愛関係になったりすることは避けている」については「そうである」が42.1% であり、セックスや恋愛関係などを目的とする他者との交流は4割の人が自主規制を行っ ている状況にあった。 以上をまとめると、日本の陽性者は、大半のものがスティグマにさらされ陽性であるこ とを懸命に隠しながら現代社会を生きている状況にあることが明らかとなった(井上編 2018)。 ( 3 )重層的スティグマと社会的排除 このように、大半の陽性者が上記で定義されたスティグマを感じており、実際にスティ グマに由来すると思われる差別や偏見を経験し、それを受けても仕方ないと内面化あるい は身体化されている状況が明らかとなった。では、こうしたスティグマは陽性者にどのよ うな影響を及ぼしているのだろうか。多くの研究が示すように、陽性者は肉体的・身体的 な健康を相乗的に悪化させるスティグマおよび差別、偏見をしばしば経験している。結果、 社会的サポートを得られず孤立しがちであり、心理的精神的にも傷つきを生じさせ、性感 染症でもあることから性生活や結婚・恋愛・就労などに強い影響を与えている(若林・生 島 2005; 矢島・井上編 2017)。同時に、心理的には抑うつ、自殺念慮と自殺企図双方、薬 物使用、孤立が高く、逆に健康生成の側面では首尾一貫感覚(Sense of Coherence: SOC) が 低 い(Alonzo and Reynolds 1995; Devine et al. 1999; 井 上 編 2018; Togari et al. 2016)。つ まり、スティグマは関係性の中で生じるがゆえに、他者との関係性を築くことそれ自体を 自主規制によって控えさせ、社会的排除を強固なものにする機序が浮かび上がってくる。 とりわけ陽性者のなかでも性感染かつ性的少数者である場合は、セクシュアリティと HIVに関する二重のスティグマ影響を受けるため、健康に関するさまざまなアウトカムが 互いに関連し合いながら雪のように降り積もり、相乗的な悪影響を及ぼすこととなる。こ の重層的にスティグマが生じる現象を、M. Singerらは「シンデミック(syndemic)」とし て概念化した(Singer 1994; 2009; Grov et al. 2010; 新ヶ江 2013)。シンデミックとは、M. Singerが1990年代半ばに提唱した概念であり、「有害な社会的物理的状況というコンテク ストにおいて相乗作用する、互いに絡まり合い相互に健康上の問題を強化する一連のセッ ト」であり、それによって「ある集団における疾病負担や健康状態全体に著しく影響を及 ぼしうること」(Singer 2009: xiv)と定義される。また、特定の集団において「二つ以上 の疫学上の疾患、あるいはその他の障がいやそれらの相互作用を促進する社会環境のコン テクストが関連するひとつの動的な関係」のことである(Singer 2009: 29)。新ヶ江章友 によれば、米国疾病管理センター(CDC)のシンデミックの定義は、「ある集団における 疾病負荷を相乗的に悪化させる二つ以上の苦痛」(新ヶ江 2013: 51)であったという。前 者のSingerの定義では、それぞれの「疾患」の関連性と、そうした諸疾患にある特定の集

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団を追いやるような社会の不平等という「コンテクスト」との両者の関係性を分析するこ とを強調するのに対し、後者のCDCの定義では、ある集団における健康上の不利益に力 点が置かれている。さらに現在のCDCの定義によれば、「相乗的に互いに影響を及ぼす(病 の)流行」(CDC 2014)とされ、「疾病管理センター」という名にふさわしく疾病の流行 管理だけに定義が矮小化され、その背景にある健康上の不平等や権力作用のプロセスへの 目配りは捨象されてしまった。 しかし、CDCのように疾病管理の側面を重視する立場とは反対に、2000年代にはスティ グマ概念を「信頼をひどく失わせる特質」が関係づけられる社会過程に目を向ける概念化 の動きが登場し、社会構造の変動と力学を分析する「スティグマ化(stigmatization)」と して概念化を行う構造化理論の導入の重要性が指摘されるようになってきた(Parker and Aggleton 2003)。それは、1990年代までの黎明期における有効な治療薬がまだなかった時 代とART療法中心の現代が同じ状況にはないこと、あるいは開発途上国と先進国では量 的質的に治療状況が異なること、さらに女性や性的少数者の人権に関する状況がまちまち であることなどから、HIVに関するスティグマが静態的ではないことは明らかだからであ る。つまり、「究極的には、スティグマは社会的不平等の働きと結びついており、スティ グマ化と差別の問題を適切に理解すべき」なのである(Parker and Aggleton 2003: 16)。ジェ ンダー、セクシュアリティ、人種、違法あるいは貧困状態におかれている者への偏見や非 難が、HIVスティグマを徴づけられたものに属性として帰属させる過程のなかで、既にあ る社会的不平等を一層強化することにより重層的なスティグマは構造化される。ゆえにこ の機序そのものの変化を捉えるには、スティグマが社会的排除として帰結する「力 (power)」に着目する必要性が生じる(Parker and Aggleton 2003: 16)。であるならば、ス ティグマが徴づける個人の「態度や特質」に着目するのではなく、むしろその徴づけが「不 当な取り扱い」となる社会的排除の過程を解明する必要性が生じる(Sayce 1998: 341)。 このように、重層的スティグマと社会的排除に関するスティグマ化の議論は、いまやHIV に関するスティグマの議論のうえで必要不可欠となっている。 ( 4 )理論的・実践的課題としてのスティグマ低減 以上、HIVに関するスティグマは、シンデミック理論およびスティグマ化の議論へと推 移していった。この背後には、社会的不平等の帰結として疾病や苦難の過剰な負担を強い る社会の不平等と動態に着目した P. Farmerの「構造的暴力論」がある。さらにこの構造 的暴力論は、社会学者で平和学を主導した J. Galtungまで遡ることができる。かれは武力 による直接的な暴力だけでなく、貧困や抑圧、差別が社会に構造化されている不平等も暴 力の行使とみなした(Galtung 1969=1991)が、Farmer はこの概念をさらに拡張して、暴 力を「人間の尊厳に対する一連の攻撃、つまり極端な貧困や相対的な貧困、人種差別から 性差別に至る社会的不平等、まぎれもない人権侵害である甚だしい暴力、構造的暴力から 逃れようとする者に加われる罰などが含まれる」(Farmer 2003=2012: 35)と指摘し、明確 に健康の不平等の背景にある社会的不平等を理論的に捉え、そしてその不平等の積極的に 働きかける実践を重視した。そして実際にハイチのエイズ対策を主導してきた。貧困と人 権問題に主眼を置き、無料診療所と治療薬の提供によって著しい効果を上げた。しかし、 新ヶ江章友が指摘するように、「たしかに近代医療によるエイズ治療が導入されていない

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地域での無料の治療薬の提供は効果的であり、スティグマ・差別の軽減に至るという ファーマーの指摘は妥当かもしれない。だが、日本をはじめとする「工業先進国」の文脈 に当てはめた場合、近代医療によるエイズ治療薬の導入のみでは、スティグマや差別に対 する根本的解決にはならない」(新ヶ江2010: 89-90)。 日本では血友病薬害HIV感染被害者による訴訟と和解を経て、健康保険に加え、自立支 援医療(更生医療)や福祉医療費助成制度などの助成制度が利用でき、継続して医療を受 け続けることができる。たとえば、HIV感染症の治療が月237,280円であれば、3割負担で 71,180円の自己負担となる。しかし、一定の基準を満たすと「ヒト免疫不全ウィルスによ る免疫の機能障害」として身体障害認定を受け、身体障害者手帳を持つことができる。こ れにより、障害福祉サービスとして、医療費の自己負担を軽減する自立支援医療(更生医 療)の制度を、感染経路に関わらず利用することができる。それによって、所得に応じて 0円∼2万円と少ない自己負担額で済む。また、薬害被害者については、自己負担を0円に する制度(特定疾病療養費と先天性血液凝固因子障害等治療研究事業)があり、継続的に 治療が受けられる体制が整えられている。 こうして医療アクセスは他の国と比して優れているにもかかわらず、先述の当事者参加 型研究が明らかにしたように、大半のものがスティグマに晒されHIVを懸命に隠しながら 現代社会を生きている状況にあり、抑うつやメンタルヘルスに問題を抱えているものが多 い。メンタルヘルスに関しては、「本気で自殺を考えたことがあるか ?」との質問に、 66.6%が「考えている」と回答し、そのうち「これまでに自殺の計画を立てたことがある か?」を聞いたところ、40.2%が「はい」と回答した。その内「過去12ヶ月に自殺の計画 を立てたことがある」としたのは 26.4%で、4人にひとりに上ることがわかっている(井 上編2018)。ここから、シンデミック理論とスティグマ化の観点を構造的暴力論から捉え、 医療アクセスを困難とするとりわけ貧困や暴力に焦点を当てた社会構造に照準を合わせる ことは確かに有用ではあるものの、医療福祉制度が整備されている日本では必ずしも十分 とはいえない。換言すれば、シンデミック理論や構造的暴力論を踏まえた新たなスティグ マに関する理論が求められている。 3 .スティグマ低減実践から新たな理論構築の探求へ ( 1 )HIVをめぐるライフ・ポリティクス 見過ごされがちだが、健康と医療の社会学において、HIV/エイズに関する社会運動は ライフ・ポリティクスの典型的な例としてしばしば紹介される。1980年代から90年代に かけて米国で社会運動を巻き起こした「Gay Men s Health Crisis(GMHC)」や「AIDS Co-alition to Unleash Power (ACT UP)」がその典型的な例である(e.g. Nettleton [1995] [2006] 2013: 57; Heaphy 2007: 163-5)。A. Giddens によれば、「フォーマルな定義をするならば、 ライフ・ポリティクスは、グローバル化する影響力が自己の再帰的プロジェクトに深く浸 透し、逆に自己実現がグローバルな戦略に影響する、そのようなポスト伝統的環境におい て、自己実現の過程から出てくる政治的な問題」を扱う。第一に選択の自由と生成的権力 (変化を可能にする権力)から発生する政治的決定であり、第二にグローバルな相互依存 という文脈下で自己実現を促進する道徳的に正当化可能な生活形式の創造であり、第三に ポスト伝統秩序において、また実存的問題の背景のもとに「いかに生きるべきか」に関わ

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る倫理を発展させる政治である。 一方、日本における HIV に関連するライフ・ポリティクスは、薬害 HIV 感染被害訴訟 であった。1985年5月に大阪地方裁判所で、10月には東京地方裁判所で、それぞれ第一次 原告団が血友病治療を目的として使用されていた非加熱血液製剤によって HIV に感染し 被害を被ったことに対する損害賠償請求訴訟を提起した。約七年の厳しい法廷闘争と社会 運動の歳月を経て、1996年3月の大阪地方裁判所と東京地方裁判所において、国と製薬企 業5社を被告とした集団訴訟の和解が成立、製薬会社と国は和解金を支払い、健康管理費 用を支給し、エイズの発症予防や手当て、研究治療センターの設置、拠点病院の拡充、身 体障害者認定など被害の「救済・回復」に向け社会制度の整備・推進の約束を勝ちとった。 にもかかわらず、その後国や製薬企業による恒久対策はなかなか進まず多くの被害者が亡 くなっていった。こうした危機的な状況のなかで、HIV訴訟原告団はみずから被害の救済 と自立をめざすことを決め、和解金の一部を用い東京原告団は同年「はばたき福祉事業団」 を、そして大阪原告団は2000年に「ネットワーク医療と人権」を設立した。 翻って性感染陽性者では、1991年に陽性が発覚した大石敏寛が1986年に設立された「ア カー(動くゲイとレズビアンの会)」での活動を通じて「府中青年の家」裁判に関わり、 1994 年に横浜で開かれた国際エイズ会議で GNP+(Global Network of People Living with HIV/AIDS)のメンバーとしてスピーチを行い、同年パリ・エイズサミットでは日本の HIV陽性者としてはじめて公式な政府団の一員として参加した。現在もアカーは東京都中 野区とさいたま市でHIV検査事業の他、電話相談や法律相談事業など一貫して健康とアイ デンティティ、そして人権擁護を主軸に活動を展開している。 米国の性感染を中心とする社会運動と日本の薬害 HIV 感染被害訴訟を中心とする社会 運動は、総じてスティグマとの闘いでもあった。Goffmanがスティグマによってわれわれ が「事実上かれらのライフチャンスを狭めている」(Goffman 1963=2001: 19)のであるな らば、スティグマとの闘いはライフチャンスを広げることということになる。そのために は、差別・偏見に対する人権擁護に向けた取組みと性教育の促進は引き続き重要である。 ( 2 )HIVをめぐるリヴィング・ポリティクス 石川准は、スティグマに対して働きかける主体の次元についてのGoffmanの演劇論的人 間観に着目し、スティグマを烙印された人間をただスティグマに翻弄されるだけではな く、自らかわすという行為を取る意思と能力をもった存在として考えたパッシング戦略を 積極的に評価した(石川1992)。この点について、岡島克樹はこの戦略の時代的拘束性に 着目し、「スティグマを抱えさせられた人間のなかにはさらに積極的な異議申し立てを志 向するものもおり、また、かれらに利用可能なアイデンティティ管理手法には自分ではな くスティグマを押す社会の規範をずらしたり、瓦解させたりするというように、さらに多 様なものがある」(岡島2009: 66-67)と指摘する。つまり当時のスティグマ概念が1960年 代当時の産物であったことに注意する必要がある。 多様な対スティグマ戦略について、本稿で提示する論点は以下の点にある。それは、 Goffmanの「ある特定のスティグマをもつ人びとは、その窮状をめぐって類似の学習経験 をもち、自己についての考え方の類似した変遷……類似の〈精神的遍歴(モラル・キャリ ア)〉をもつ傾向がある」(Goffman 1963=1973: 56)という説明(モデル)である。ここ

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で見落とされているのは、類似の「説明モデル」や精神的遍歴を有する「スティグマ」を 烙印されかつ受け入れざるをえない状況にあって、だからこそ他の当事者や支援者とつな がり、状況を内破する契機を探ってきたということである。 もっともこの問題は新しいものではなく、早くから指摘されてきた。たとえば、ラベリ ング理論によりスティグマを長期に抱えた状態として捉えるMarkowitzは、「ラベリング やスティグマは間接的に病いを長期間なものに導いてしまう」(Markowitz 1998: 336)と 指摘していた。これに対し、Goffmanはパッシングやカヴァリングなど印象操作を駆使す る「見せる主体」としての「構えを持った主体 stance taking entity」という演劇論的人間 観を導入することによってスティグマに働きかける視点を提供した。この戦術を巧みに応 用したのが前述の「ACT UP」である。L. Kramerは「ホロコーストからの報告」と題して 当時のレーガン政権によるHIV対策を講じない不作為に抗議し、1987年に開発されたHIV 治療薬の提供や治験参加など生存をかけた非暴力の直接抗議活動を次々と行った。その際 に用いられたのが「ACT UP(派手にやれ)」という名のとおりに、教会や路上で「die-in(殺 されたふり)」のパフォーマンスを行うなど、街そのものを舞台とし撹乱するクィア政治 を展開した。これは、社会的排除に対する生存を賭けた社会への働きかけであると同時に、 それを通して自己アイデンティティや文化の形成に向けて働きかける新たな政治の萌芽で あった。 T. Morris-Suzuki らはライフ・ポリティクスそのものの変容に着目し、とくに日本を含 む東アジアを中心として、従来の政治のようにある問題を解決するためにフォーマルな組 織を立ち上げロビーイング活動を行うのではなく、より小さなグラスルーツのピア・サ ポート活動のように日常生活上の諸問題を直接解決することを目指す活動や行動としての インフォーマルな政治としての「リヴィング・ポリティクス」が生じていると指摘する。 ここで中心的な力となっているのは(1)即興性と(2)想像性であり、活動の主な特色は (3)小規模性と(4)非暴力である。マハトマ・ガンディの格言、「人間としてのわたした ちの偉大さは世界を作り変えることにあるのではない―それは「核の時代」の神話であ る―そうではなく、わたしたちの偉大さは自らを変革できることのうちにある」を引用 し、インフォーマルな政治としてのリヴィング・ポリティクスは、より見えにくい形で自 前で行われるものであり、他者とのつながりの中で変化が希求される。それがゆえに従来 の政治の概念からは一見「非政治的」な行動として捉えられるような新しい政治である (Morris-Suzuki and Wei 2018: 1-12)。

( 3 )日本におけるリヴィング・ポリティクスの萌芽

日本におけるスティグマ低減に向けたリヴィング・ポリティクスは大きく二つに見るこ とができる。

一つは、1990年代日本におけるHIVをめぐるさまざまなCBOs(コミュニティ組織)の 始動と 2000 年代の Living Together 計画のはじまりである。今日日本における HIV 感染経 路のほとんどは男性同性間の性行為であり、薬害エイズ訴訟で和解した被害者総数 1384 人と同じ位の数が毎年、新規陽性判明数として報告されている。1990 年代前半には、陽 性者の声を中心として、ゲイコミュニティにおける性感染予防啓発と陽性者支援の必要性 が呼びかけられていた。性科学者池上千寿子は、1994年にCBO「ぷれいす東京」を設立し、

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予防活動と生活の場を含む支援活動、特にHIV陽性者の直接支援活動と日本でははじめて のNGOを主体とした調査研究を行なってきた(大島・坂2017)。また、HIV陽性者の長谷 川博史は、1994年にゲイ雑誌「Badi」そして1995年には「G-men」を創刊し、HIVに関す るさまざまな記事を連載することによって、なんら公的支援がない中でエイズ対策をみず から講じていった。長谷川は 2002 年に HIV 陽性者当事者の当事者団体「JaNP+」(日本 HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラス)を設立し、現在でも陽性者の自立に向けた調 査を含めた活動を行っている。また、1997年からHIV疫学研究班にMSMグループが設け られ、公衆衛生学者の市川誠一の呼びかけに呼応し、1998 年大阪に「MASH 大阪」2000 年に「MASH東京」のちに「akta」が結成された。両者ともにCBOとして、大阪堂山地区 と東京新宿二丁目地区にコミュニティペーパーとコンドームを配布するアウトリーチ活動 を開始した。これらの活動は 2003 年から全国 6 地域にコミュニティセンター事業として HIV予防啓発活動として展開されていくこととなった。 このひろがりのなかで、ぷれいす東京の生島嗣はコミュニティセンターaktaにて「HIV 陽性者とすでに一緒に生きている」をテーマにした展示会を行い、小冊子「Living To-gether」にある写真展示、陽性者やその家族、友人が綴った手記の展示やリーディングか らなる企画をおこなった。その後、ぷれいす東京都aktaとの協働で手記リーディングを合 わせた「Living Together Lounge」「Living Together のど自慢」 が開催された。街のバーな ど協力店などで定期的に行われ、後者は現在も続いている。「HIV に感染している人も、 感染していない人も、どちらかわからない人も、すでにHIVとともに生きている」という メッセージで、参加者にHIV のリアリテイを伝えるイベントとして多様な層への展開を 図ってきた。HIV陽性者やその周囲の人間としての個人の存在を可視化し、HIVの問題に 対して向き合うことを促すプログラムとして、他の地域や海外でも行われるようになった (市川2013: 110-111)。これは、社会的包摂・共生社会の文脈で行われたスティグマ低減に むけたリヴィング・ポリティクスのひとつの成果(構造化)として位置づけることができ る。課題としては、スティグマ低減の効果がどの程度あったかという効果評価がなされて いないことである。この点に関しては、スティグマ低減プログラムのメタ分析とシステマ ティックレビューを行ったW. Makらも、概して有意で小さな効果量が認められたものの、 依然として多元的なスティグマ指標やアウトカム測定を伴う質の高いスティグマ低減プロ グラムが求められていると指摘している(Mak et al. 2017)。 もう一つ、新たなリヴィング・ポリティクスの萌芽が見られる。冒頭に述べたARTの 進展は新たな画期的な展開を迎えつつあり、HIV陽性者は服薬を続け6ヶ月以上ウィルス を血中検出限界未満に保てば、たとえコンドームを使用しない性行為であっても相手にう つすことはない、という他人への感染予防の側面に関しても効果があることが明らかに なってきた(Rodgers et al. 2016; 2018)。 こうした ART によりウィルスを血中検出限界未満に保つ医療テクノロジーの進展は、 主に西欧先進国において、HIV 陽性者は“Undetectables(検出限界未満の者たち)”とい う新たなアイデンティティの獲得を導きつつある(Grace et al. 2015)。2016年にHIV陽性 者 B. Richman が Prevention Access Campaign を立ち上げ、U=U(Undetectable=Untransmitta-ble・検出限界未満では感染しない)キャンペーンを始めた(The Lancet 2017)。2018年現 在では日本を含め約100カ国720のNGOや国際機関が加わり広がりを続けており、スティ

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グマに伴う差別偏見の低減にとりくんでいる。また、陽性者のなかには出会い系アプリな どで「検出限界未満」とするものもおり、個々の日常生活上での出会いや性の場面という ミクロな場面において、スティグマが帰結する社会的排除に対抗する戦略の萌芽が見てと れる状況にある。ここにスティグマに対抗するリヴィング・ポリティクスの可能性が秘め られている。 4 .おわりに 本論文では、HIV研究・対策におけるスティグマ概念を整理し、HIVスティグマに関連 する世界の実践上の課題とそれを枠づける社会理論の変遷を精査した上で、日本における スティグマ低減実践に着目しスティグマに関わる新たな理論構築に向けて検討してきた。 以下まとめを述べる。 スティグマは、社会学だけでなく、心理学、人類学、政治学といったさまざまな学問領 域で扱われる上に、ある現象や社会問題に対する学際的な研究として領域横断的に用いら れることが多い。ゆえに、異なる概念枠組によって異なる概念化がなされながらも緩やか に結びついてきた(Link and Pheran 2001: 365)。この曖昧な条件のもと、スティグマはグ ローバルな政策目標を達成するための、ひとつの尺度として開発され用いられてきた (Berger et al. 2001)。 自然科学的アプローチ偏重の日本のHIV 研究では、これまでHIV に関するスティグマ 研究はほとんどなかったが、近年HIV陽性者参加型研究においてBerger尺度を用い、医療 制度が確立されている日本においてもスティグマの強い実態が明らかとなった。大半のも のがスティグマにさらされ、HIV陽性者であることを懸命に隠しながら現代社会を生きて いる状況にあり、抑うつやメンタルヘルスに問題を抱え自殺念慮・企図ともに高い状況に ある(井上編2018)。 シンデミック理論によれば、重層的なスティグマ、すなわちジェンダー、セクシュアリ ティ、人種、違法あるいは貧困状態におかれている者への偏見や非難が、スティグマを徴 づけられたものに属性として帰属させる過程のなかで、既にある社会的不平等を一層強化 することにより HIV が及ぼす負の影響を悪化させる機序によりスティグマは構造化され る。このシンデミック理論の背景には構造的暴力論があり、実践としてもハイチなど極度 の貧困や暴力、医療制度を整備するマクロアプローチを行ったハイチのような国や地域で は有効であった。しかし、日本のようにすでに医療制度が整備された国であってもスティ グマの強い実態が明らかになった現在、異なる回路を分析する新たな理論が求められてい る。 健康と医療の社会学では、HIV/エイズはライフ・ポリティクスの一つと位置づけられ てきた(Nettleton [1995] [2006] 2013: 57)。陽性者の生存に向けた社会への働きかけは、 日本でも薬害HIV感染被害訴訟で生起した。性感染陽性者についてもいくつかのCBOsが 始動し、現在でも診療拒否や就労上の課題や性の健康・権利擁護などに取組むライフ・ポ リティクスは引き続き重要である。 以上のライフ・ポリティクスのように、ある問題を解決するためにフォーマルな組織を 立ち上げロビーイング活動を行うのではなく、より小さなグラスルーツのピアサポートグ ループのように日常生活上の諸問題を直接解決することを目指す活動や行動を行う、イン

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フォーマルな政治としての「リヴィング・ポリティクス」の萌芽が日本でも生じている。 とりわけ公衆衛生学者と協働して推進する HIV予防啓発事業の中で、2003年から開始さ れた共生社会の実現を掲げるLiving Together計画では、陽性者の手記リーディングや声に 触れることによるスティグマ低減がはかられた。そこではHIVを他人事ではなく身近なこ ととし陽性者への理解を深め、HIV検査までの障壁を低くする狙いがあった。さらに、近 年は陽性者自身が「Undetectables(血中ウィルス検出限界未満の人たち)」という新しい アイデンティティの獲得の広がりが生起している。服薬を続け一定期間血中ウィルスを検 出限界未満に抑えていれば、他者にうつすことがないという医療テクノロジーの進展に伴 うエビデンスを用いて、日常生活における対面的な相互作用のダイナミクスのうち、とり わけ性や恋愛に関する場面で徴づけられるスティグマを乗り越えようとしている。直近で も2018年12月に行われた日本エイズ学会大会では、UNAIDSやCDC同様に上記の「U=U」 キャンペーンを支持するとされた。ここにライフ・ポリティクスとリヴィング・ポリティ クスの相互作用による「スティグマ低減の構造化」を見ることができる。しかし、私たち はまだその内実と機序をほとんど知らない状況にある。ゆえに、今後のHIV研究・対策の 中心的なテーマとして、日常生活におけるスティグマ低減に向けたポリティクスに関わる 理論と実践および調査を通じた対話を促進することが重要となる。 【付記】本研究はJSPS特別研究員奨励費16J05250の助成による成果の一部である。 【注】 (1) 1986年11月「松本事件」、翌87年1月「神戸事件」、同年2月「高知事件」では写真や実名の公表など 人権侵害が相次いだ。「エイズ=死」というイメージが喚起され、血友病者への迫害と社会防衛的発想が 跋扈した。1992年にもタイの状況の報道を契機に再燃した。詳細は池田(1993)参照。 (2) 内閣府による世論調査。全国18歳以上の日本国籍を有するものを層化2段無作為抽出し、3,000人(有 効回収数1,671人)対象にエイズについてどのような印象を持っているかを聞いた。 【文献】

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Changes of the Concept and Theory of Stigma in HIV/AIDS Research and Current Issues in Japan

OSHIMA Gaku This paper offers an overview of the change in the concept and theory of stigma in HIV research and practice in order to clarify current issues in Japan. Previous studies were biased towards natural science; the social science approach to stigma was neglected. In terms of global research, however, stigma has been central concept and used as a measure in many studies. In recent years, stigma has been used as an indicator in participatory research in Ja-pan and high levels of stigma have been noted.

In global research, practice has been principally developed in terms of syndemic theory and structural violence theory. In countries such as Haiti where poverty and violence are prevalent, the establishment of free clinics achieved an especially significant result in decreasing stigma. However, in Japan where the medical system is al-ready well developed, stigma remains at a high level and another approach is necessary.

In the sociology of health and illness, there are a large number of theorists who present the social movements associated with HIV as an example of “life politics.” The movement to support the victims of HIV in the litigation over infection from tainted blood is a representative example of this in Japan. At the same, “living politics” aiming to solve various problems of daily life on a smaller scale at the grass roots level has been particularly notable in East Asia in recent years. In relation to HIV in Japan, the birth of various CBOs (community based organizations) in the 1990s and the beginning of the “living together” projects in 2000s are examples of this. Furthermore, people diagnosed as HIV positive but currently below the detection level in blood tests have acquired a new identity as “undetectables” and this has led to a reduction of stigma in daily life. Further studies of the practice of “living

poli-tics” in stigma reduction will be one important issue in HIV research.

参照

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