Title
琉球のオカヤドカリ類に関する民俗的伝承について(試論
2)
Author(s)
当山, 昌直
Citation
史料編集室紀要(32): 1-20
Issue Date
2007-03-30
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/7797
Rights
沖縄県教育委員会
史料 編集 室紀 要 第32号 (2007)
琉球 のオカヤ ドカ リ類 に関す る民俗 的伝承 について (
試論
Ⅱ)
当 山 昌直1.は じめに
当山 (2000)は、オカヤ ドカ リ類 に関す る方言、伝承、針突等 について述べ、その方言 が琉球文化圏にひ ろ く分布 Lかつ音韻的に類似 してい ること、民話 の中に トーテ ム として の関わ りがみ られ るこ と、その伝承が琉球文化圏に広 く分布 してい る可能性があ ることを 指摘 した。 さらに針突 にオカヤ ドカ リの文様 があること、す なわち トーテムの存在 を確認 してい る。 また、アマ ミク神 とオカヤ ドカ リ類 との関連性 について検討 し、アマ ミク神 の 伝承がオカヤ ドカ リ類 の方言、伝承、針突等 に影響 を及 ぼ した可能性があると考 えた。そ の結果 、オカヤ ドカ リ類 の方言は、アマ ミク神 (海人)が海 か らあがってきた とい うこと と、オカヤ ドカ リ類 の生態的特徴 とが類似す ることか ら名付 け られ、その方言は民俗学的 な意味 を含 んでい るとい う考 え方 (試論) を提示 した。 しか し、 この試み は明快 な説 明に至 らず、不十分 なままであった。 このよ うななかで、 当山 (2006a)は、別 の試 み として風葬 を と りあげ、オカヤ ドカ リ類 の方言 が 「葬」 と関 係 してい る可能性 を指摘 した。 しか し、崎 山 (1993)は、言語学 の分野か ら琉球 のオカヤ ドカ リ類 の方言 がオース トロネ シア語 の要素 を含む と指摘す るなかで、アマ ミキ ヨとの関 、い 連性 を否定 してい る。 一方、奄美諸 島にお けるオカヤ ドカ リ類 の方言 については未収集 の地域が多か ったが、 2006年9月 に加計 呂麻 島等 において若干収集す ることができた。 また、沖縄 ・宮古 ・八重 山諸 島については、当山・
演 口 (2006)がアンケー トに よる調査結果 をま とめた。 それで も未調査 の部分 は多いが、 よ り多 くの地域 をカバーす ることができた0 そ こで、本稿 では、崎 山 (1993)の指摘 に基づいて、当山 (2000)では説 明で きなかっ たアマ ミク神 (またはアマ ミキ ヨ) とオカヤ ドカ リ類 との関係 を再度考察 し、オカヤ ドカToYAMAMasanao:APreliminal'yReportontheFolkloreRelatlngtOtheLandHermitCrab,Coenobitain theRyukyusII
(1)崎山 (1993)の指摘については、当山 (2006)では 「葬」を対象 としたこともあって、未検討 のまま終わっている。
史 料 編 集 室 紀 要 第32号 (2007) リ類 の方言 の系統 について、若干の検討 を行 って伝承 との整合性 を試みた結果 を報告す る。 なお、 ここでい うオカヤ ドカ リ類 とは分類学上のオカヤ ドカ リ属 Coenobitaを指すが、便 宜上、本稿 では特 に断 りがない限 りオカヤ ドカ リと称す る。 本稿 をま とめるにあた り、沖縄県のオカヤ ドカ リ方言 を提供 していただいた沖縄県内市 町村担 当者 に感謝 申 し上げる。安渓貴子、安渓遊地、木下尚子、崎 山理、渡久地健 の各氏 には ご教示 をい ただいた。 また、史料編集 室 のみ な さんには校 閲等 でお世話 になった。 2006年 にお ける奄美大島、加計 呂麻 島、沖縄 島国頭村等の調査 については、総合地球環境 研究所 のプ ロジェク ト 「日本列 島にお ける人 間一 自然相互 関係 の歴史的 ・文化 的検討」の 研 究費 を活用 した ことを記 し謝辞 とす る。
2.
奄 美 ・沖 縄 ・宮 古 ・八 重 山諸 島 に お け るオ カ ヤ ドカ リの方 言 (1)奄美諸 島 奄美諸 島にお けるオカヤ ドカ リの方言 についての整理結果 を表 1に示す。 また、2006年 9月1日∼ 5日にかけての加計 呂麻島 と奄美大島での収集 も追加 した0 鹿児 島県 を調査 した税所 ・鈴木 (1987)はほ とん どの島でアマ ン ・アマ ム ・アマ ミと称 してい る と記述 してい るが、アマ ミと称 してい るのが どこの島であるかは明記 されていな お さい かった (当山,2000)。宮 良 (1926)は奄美大 島小港 [小湊]か らアマ ミ、於斉 か らアマ - ミを報告 してい る。今 回、加計 呂麻 島で2集落、奄美大 島で1集落 に 「アマ ミ」 と称す る方言 の存在 が確認 された。於斉では、被調査者 は会話 の中ではアマ ン と発音 していたが 調査時に再度確認 した ところアマ ミである と断言 し、会話 中のアマ ンとい う方言 を否定 し た。 これ は、アマ ミか らアマ ン-変化す る一面 を示 してい るのか もしれ ない。 この方言が、 地名 としての奄美 (あまみ) と同 じ音韻 を備 えてい ることには興味が持 たれ る。 また、与 路 島のア ワムは、他 の方言 に比較す る と特異の よ うにみ えるが、安渓遊地氏 による とm音 が軽 くなってW音 に変化 したのではないか との コメン トがあった。 (2)沖縄 ・宮古 ・八重 山諸島 当山 ・演 口 (2006)は、オカヤ ドカ リの生息調査 の一環 として、アンケー トによる各字 のオカヤ ドカ リの方言 を収集 した。 ここでは、 当山 ・演 口 (2006)の資料 をもとに、新た に加 えた文献等 も含 めて整理 した結果 を表2に示 した。表2では、字 によっては複数 の方 言 も示 されてい るが、筆頭 にあげ られた ものが第一候補である。 当山 ・演 口 (2006)には、史 料 編 集 室 紀 要 第32号 (2007) 回答者 の年齢 が示 されてい るが、今 回は省略 し、表2では出典文献のみ を示 した。 また、 調査 の都合上、市町村教育委員会の回答 はカタカナ表記 になってい るが、引用 した文献 も カ タカナで示 した。 また、表 1、 2の 中本 (1976-1980,1982)お よび宮 良 (1926)は、 原著では音声表記 のみで記 されてい るが、筆者がカタカナ表記 に直 して示 した。 なお、文 献か らの表記 の引用ではアクセ ン トの記号は省略 した。 表 1.奄 美諸 島 にお け るオ カヤ ドカ リの方言 島名 集 落名 等 方 言名 出 典 (刊 行 年 :掲 載 頁 ) 奄美 大 島 笠利村 手花部 アマ ン amaq 名瀬 アマ ン amap 大和浜 アマ ン ?amaN 湯湾 アマ ムー 7amamu: 三方村 小港 [小湊 ] アマ ミamami 古仁屋 アマ ム amam 住用村 アマ ム amamu 屋鈍 アマ ミ?amami 加 計 呂麻 島 薩川 アマ ミ?amami 於斉 アマ ミ?amami 浦 相 入 角 徳 鈍 路 三 瀬 嘉 押 秋 諸 与 アマ- ミama:mi アマ ム 7amam アマ ム 7amam アマ ム?amam アマ ン ?amal〕 アマ ム ?礼mam アマ ム7amam ア ワー ム ?awa:m ア ワム?awam 諸 島 請 阿室 アマ ム ?amam 喜界 島 喜界 島 アママ- amama: 志戸桶 アママ- 7amama: 徳 之 島 井 之川 アマ ン ?amal] 阿三 アマ ン?amag 山 アマ ン ?amat) 沖永 良部 島 沖永 良部 島 アマ ム amamu 田皆 アマ ム?amamll 与論 島 与論 島 アマ ン amarI 東 区 ア-マ ン a:maN 宮 良 (1926:110) 官 良 (1926:110) 長 田 ・須 山 (1977:865) 中本 (1976:21) 官 良 (1926:110) 宮良 (1926:110) 宮 良 (1926:110) 当山 (2006/9/4収集) 当山 (2006/9/3収集 ) 当山 (2006/9/3収集) 宮良 (1926ニ110) 当山 (2006/9/2収集 ) 当山 (2006/9/2収集) 当山 (2006/9/3収集 ) 野原 ・宮城 (1988:32) 野原 ・宮城 (1988:38) 野原 ・宮城 (1988:47) 野原 ・宮城 (1988:50) 安渓遊 地 (2006/9月収集 :私信) 野原 ・宮城 (1988:53) 宮 良 (1926:110) 中本 (1978:13) 中本 (1979:20) 野原 ・宮城 (1986:166) 野原 ・宮城 (1986:138) 宮良 (1926:110) 中本 (1982:17) 宮良 (1926:110) 高橋 ・菊 (2002:179)
史 料 編 集 室 紀 要 第32号 (2007) 表2.沖縄 ・宮古 ・八重 山諸 島の字 (集 落) にお けるオカヤ ドカ リの方言 島名 市町村 字 (集落名) 方言名 文献 (刊行年 :掲載頁) 沖縄 島 国頭村 浜、宇 良 辺戸、辺野喜、比地、桃原 与那 宜名菓、楚洲、安 田、安波 大宜味村 大宜味 塩屋 今帰仁村 与那嶺 本部町 具志堅 謝花 、伊豆味、谷茶 、崎本部 豊原 、新里、東 、渡久地 瀬 底 名護 市 名護 官里 、宇茂佐 喜瀬 、屋我、久志 山人 端 大南 宜野座村 松 田、惣慶 、漢那 松 田潟原 宜野座 金武 町 金武 (金武 区)、金武 (並里 区)、伊芸、屋嘉 金武 (中川 区) 恩納村 恩納 うるま市 田場 、前原 川崎 、石川 喜仲 勝連南風原 、勝連平安名 嘉手納町 嘉手納 、野国 宜野湾市 神 山、新城 、喜友名、伊佐 、大 山 莫喜志、大謝名 、我如古、安仁屋 宜野湾 北 中城村 喜舎場 、仲順、島袋 、萩 堂、大城 熱 田 和仁屋 、安谷屋 渡 口 中城村 伊集 、奥間、津覇、添石、安里 新垣 、久場 、屋 宜 西原町 幸地 、棚原 翁長 呉屋 、小那覇、小波津、掛保久 我謝 、安室、桃原 浦添市 城 間、港川 、経塚 、伊祖 那覇市 首里 旭町 南風原 町 兼城 神里 宮平 、山川 与那覇、宮城 、大名、新川、照屋 、津嘉 山 豊見城 市 与板 、高安 アンマム アマム アンマ ンモー、アマ ンモー アマ ン アンマ ン アンマム アマ-ムー 仲宗根 (1983:20) アマ- ム ア-マ ン ア-マ ン アンマ ク アマムー 宮良 (1926:110) ア-マ ン アマモ アマム アマモ-アマム アマ ン、ア-マ ン ア-マ ン アマム ア-マ ン アマム* ア-マ ン ア-マ ング ヮ-ア ンマ ク アママ-ア-マ ン アマナー アマナー アマ ン ア-マ ン アマ ン アマナー ソー ジムヤー アマナー アマナー ア-マ ン クスクェ-ア-マ ン、ア-マ ン アマナー アママ-アマ ン アマ ン 国立国語研 究所 (1963:112) ア-マ ン* ア-マナー ア-マ ン アマナー アマ ン アマ ン *当山未発表
史 料 編 集 室 紀 要 第32号 (2007) 表2.(っづき) 島名 市町村 字 (集 落名) 方言名 文 献 (刊行年 :掲載頁) 糸満市 糸満 阿波根 、武 富 国吉 商域 市 新原 、垣花 伊 平屋 島 伊 是名 島 伊江 島 久米 島 粟 国島 渡名喜島 南大東島 宮古島 大神 島 池間島 伊 良部島 多 良間島 石垣 島 竹富島 小浜 島 黒島 新城 島 新城 島 西表 島 鳩 間島 波照間島 与那国島 常 LLr、奥武 小谷 、新里 旧知念村全域 (久高含) 津波古、伊原 、屋比久、仲伊保 佐敷 、手登根 、冨祖崎 前泊 伊是名 仲 田、諸兄、 内花、勢理客 伊 江島 比屋定 山里 、上江洲 、太 田 仲地 兼城 西銘、儀 間、比嘉 大原 宇根 、真謝 、泊 鳥 島 浜 東 、西 東 、西 、南 全域 西原 平良 他 聞 佐 良浜 佐 和 田、仲地、伊 良部 多 良間 新川 、石垣 、大川、登野城 四箇字以外 白保 上地 島 西表 干立、祖紬 、船浮、浦内 与那 国 相納 アママ-アマ ン ア-マ ン ア-マ ン アママ-アママ- 当山 (1989a:444) アマ ン アマ ン 当山 (1989a:444) アマナー 当山 (1989a:444) アマム* アマ ン アマム アマム アマム、アマ ンム アマム アマムー、アマ ン アマムー アマ ンム ア-マ ン アマ ン アマ ン アマ ン ア-マ ン アマ ン ア-マ ン アマ ン アマム アマム アマム アマ ン アマム クーアマ ム ア-マ ンツァー ア-マ ン ア-マ ン アマ ン ッアー アー ンツァ、アマ ンツァ アモーマ、ア ンボー ン アマ ン アマ ンチア アマ ンツァー アモー ア-モ ア ミンチヤー ア-マ ン アマ ン 生塩 (1999:23) 中本 (1980:19) 名嘉真 (1988:143) 宮良 (1926:110) 中本 (1977:53) 平 山 (1983:979) 当山 ・仲 間 (1990:278) 当山 ・仲 間 (1990:278) 平 山 (1983:979) 宮良 (1930:171) 加治工 (1997:136) 宮 良 (1926:110) 宮良 (1926:110) 宮 良 (1926:110) アマ ンプ アマ ンブ 宮良 (1926:110) *当山未発表
史 料 編 集 室 紀 要 第32号 (2007) 県内のオカヤ ドカ リの方言 は、当山 (2000)が指摘す るよ うに 「アマ」の音韻 を主 とし た方言か ら成 り立 ってお り、琉球文化圏 としての共通の音韻 を持 ってい る といえよ う。 し か し、一例 だけ北 中城村渡 口にこれ まで とは異 なる 「ソー ジムヤー」 とい う方言が兄いだ されてい る。 これ はイモ リ科 のシ リケ ンイモ リ (当山,1989b)、またはヤモ リ類 (当山, 1989b;当山ほか,1998)の方言 にみ られ るものである。 再調査す る必要があろ う。 表2に示 され た資料 は、未調査の地域 もあるがほぼ沖縄県全体 をカバー してい る。 しか し、 これ は主に短期間のアンケー ト調査か ら得 られたデー タであ り、不十分 な部分 もある か と思われ る。今後、改 めて細かい調査が必要であろ う。
3.崎 山
(1993)の論考 当山 (2000)は、オカヤ ドカ リが伝承や針突 に神話や トーテム として関わってい ること に加 え、その方言 がアマ ミク神 と関連 してい る可能性 を指摘 し、アマ ミク神 は北か らや っ てきた海人 (あま) とす る外 聞 ・桑原 (1990)の考 え方 にそってオカヤ ドカ リの民話や方 言等 に関す る起源 の問題 について検討 を試みた。 日本建 国以前 に、琉球人 の祖先 となった 海部族 が九州 か ら奄美 を経て南漸 した とす る伊波 (1939)の主張はその後 の 「沖縄学」研 究に大 きな影響 をお よぼ してい る。 当山 (2000)も北 (日本本 土)か ら南 (琉球)-の方 向性 に沿 って展 開 した ことになるが、オカヤ ドカ リとアマ ミク神 との関連 は とぎれたまま で、結局つなげ ることはできなかった。 崎 山 (1993)の論考 は、 これ らの問題 について明快 な考 え方 と示唆 を提供 して くれてい る。崎 山 (1993)は、創世神話 の人間創造 において、出現 した人間 として不完全 な子が海 の小動物 と意味的 に連合 してい ることに注 目し、アマ ン (オカヤ ドカ リ) をキー ワー ドに して、琉球の国生み神話がオセアニア経 由であることを述べてい る。以下 、その概要 を記 す。 (1)創世神話 との関連 崎 山 (1993)は、創世神話 の 「不完全 な子」 としての事例 を中国、 ミク ロネ シアな どの 動物等 の事例 をあげ、その次 にオセアニアの ウジムシ、貝、ヤ ドカ リな どの小動物 によっ て比喰的に置 き換 える地域 に注 目してい る。 そ して、創世神話 にヤ ドカ リが登場す るのは 八重 山の特色で あ るとして、 白保 に伝 わる民間伝承 をあげ、『古事記』『お もろ さ うし』 と史料 編集 室 紀 要 第32号 (2007) (2) 関連 して次の よ うに紹介 してい る (引用文 は崎 山 (1993)による)0 A白保 の民間伝 承 大昔、 日の神がアマン神に天から降りて下界の島を作るように命 じた。アマン神は土石を槍矛で かきまぜ島を作ったあと、アダン林のなかでア-マンチャー、すなわちヤ ドカ リを作った.その 後、神は人子種を下し、ヤ ドカリの穴から二人の男女が生れた。 B『古事記』 イザナキ ・イザナ ミの二神が漂 う国を治めるため天命によって下界に降り、沼矛をかきまわして オノコロジマを作 り、さらに、みとのまぐわいによって生まれたのはヒルコであった。それで再 度、天命を乞い、八つの島を生んだ。 C『おもろさうし』 (巻10の2) 天地のはじめに日神が下界をみおろして、アマ ミキヨ ・シネ リキヨに島を作るよう命 じた。作 ら れた島じまには、アマ ミキヨ ・シネ リキヨの子孫でなく、日神の子である霊力をもつ男女を下し た。 崎 山 (1993)は、古事記 のイザナキ ・イザナ ミがアマ ン神 に、 ヒル コがヤ ドカ リに置 き 換 え られ ると解釈 してい る。 そ してベ ラウの創 世神話 の事例 をあげて、ベ ラウのオオジャ コが八重 山ではヤ ドカ リに取 って代 わってい ることを指摘 してい る。そのひ とつ の理 由 と して、熱帯のオオジャコは、八重 山ではほ とん どみ られ ない といわれてい るので、人 々の 認識 か ら後退 した もの と解釈 してい る。 また、島の造成がアマ ミキ ヨによって直接 な され たのではな くて、天命 に従 って行 われてお り、『お もろさ うし
』
『中山世鑑』 の記述 はアマ ミキ ヨの上に 目神 (天帝)が重なってい ることか ら、アマ ミキ ヨを国人の始 め とす る伝説 とは矛盾 してい るとしてい る。 (2)オース トロネ シア との関連 次 に崎 山 (1993)は、琉球にみ られ るヤ ドカ リの方言 はオース トロネ シア語 の祖語 に由 来す るとい う考 え方 を示 してい る。 これ らは、言語研究 において、単なる音 と意 味の類似 性 による比較 だ けではな く、前述 のよ うな 口頭伝承 による裏付 けの重要性 も指摘 してい る こ とは注 目され る。4.
考 察 当山 (2000)で十分 に説 明できなかったオカヤ ドカ リとアマ ミク神 との関係 について、 崎 山 (1993)の論考 に もとづいて再度検討 してみたい。そ して、 これ らの伝承 をもとにオ (2)それぞれ要約 して紹介されている。史 料 編 集 室 紀 要 第32号 (2007) (3) カヤ ドカ リの方言 について考 えてみたい。 なお、アマ ミキ ヨは 『お もろ さ うし』、アマ ミ クは 『中山世鑑』 に出て くるが、以後本稿では文献か らの引用 を除いて特 に断 らない限 り、 これ らを含 んだ広い意味での 「アマ ミキ ヨ」 と称す る。 (1)オカヤ ドカ リと神話 アマ ミキ ヨ 崎 山 (1993)は、 「ヤ ドカ リを表す語 と、神話上の名称 であるアマ ミキ ヨ、アマ ミヤ と の間には、共 時的 に意 味的連 関は存在 しない」 と結論 づ けてい る。 しか しなが ら、 「八重 山においてアマ ンチュ- をア-マ ンチャー、す なわちヤ ドカ リとみなす よ うな民間語源説 が現れ た とい う [八重 山 1953:23]。 しか し、実際は この説 明の逆で あろ う。琉球諸語 の アマ ン (ア-マ ン) にこそ、ヤ ドカ リの原意が とどめ られてい ると考 え られ る」 と記 して い る。私 はオカヤ ドカ リが基 になってい る とい う崎 山 (1993)の後者 の考 えに注 目したい。 首里王府 の史書で もっ とも古い開聞の物語が記 されてい るのが1650年 に編纂 された 『中 山世鑑 』 である とされ てい る (小 島,1983)。大林 (1973: 311) は、『中山世鑑』 よ り先 行す る文献であ る 『琉球神道記』や 『お もろ さ うし』が伝承 された神話 に よ り近い と考 え てい る。 それ か らす ると、『お もろ さ うし』 は開閉神話 が記 された もっ とも古い史料 とい うことになる。 このよ うな中で、小 島 (1983: 187)は
「
『中山世鑑』が 『琉球神道記』 を 利用 した とい うよ りは、『琉球神道記』以前 に、開聞神話 を記 した文献 が あ り、袋 中も参 照 し、『中山世鑑 』 も部分的に引用 してい るのか も しれ ない」 と記 してい るが 『お もろさ うし』 の利用 については触れていない。 山下 (2003:290)は、『お もろ さ うし』 の創世神 話 に注 目し、「
『お もろさ うし』 のなかの創 世神話 のオモ ロは、 「琉球王朝神話 」群 と類縁 性 を持 ち、実は 「民間神話」群 を源流 に してい る神話 といえよ う」 と結論 づ けてい る。 遠藤 (2004)は、沖縄 島のアマ ミキ ヨ伝 承 について、『琉球神道記』『お もろ さ うし』 『中山世鑑』『球 陽』『琉球国志略』 の文献 と彼 が これ までに収集 して きた 口承伝承の問に 2つの重大 な問題 点があることを指摘 してい る。 第一 の問題 点 の概要 は次 の とお りである。 「私 [遠藤]が沖縄全域 で聴 取 した七万余の 中でアマ ミキ ヨに関す る伝承が多 く聴取 され るのはアマ ミキ ヨの渡来地 と伝 え られている 沖縄本 島南部 の玉城村 だけであ り、他 の沖縄本 島 と奄美 では ごく少数 の方 しか伝承 してお らず、ま してや宮古、八重 山ではかけ らさえも聴取 され ない」 と記 してい る。そ して、王 府 の神 聖性 の基礎 となってい るはずのアマ ミキ ヨ神話 ではあるが、それが各地 にほ とん ど (3)「あまみきよ」
「しね りきよ」で二神 とい う説もあるが、ここではとりあっかわない0史 料 編 集 室 紀 要 第32号 (2007) 伝 え られ なかった、 と述べてい る。 第二の問題点は、アマ ミキ ヨの後商 と自ら名乗 る人達の 口承伝承 と主 として王府 が編纂 した文献 との間の伝承 の違 いである。遠藤 は、アマ ミキ ヨの聖地が集 中す る沖縄 島玉城村 (′1) において263名 の方か ら2513話 を聴取 し、アマ ミキ ヨに関連す る37話 が掲載刊行 され た と い う。そ して、アマ ミキ ヨの後商 が居住す る仲村渠 と百名 の伝承 によると、アマ ミキ ヨが 渡来 したのは、そんなに古い時代ではな く、新 しい文化 を持 って渡来 した一族で あるとし、 天か ら降下 したのではな く、船で百名 の浜に着いた とい う。そ して、アマ ミキ ヨを開聞神 話 と結びつ けて語 る人はなかった、 と記 してい る。 以上 を踏 まえて遠藤 (2004)は、 「天神 降下始祖 は、 しば しばア-マ ンチ ュす なわち天 人 と呼ばれ、そのア-マ ンチ ュは、各地で山や 島を運んだ巨人神 として伝 え られていた。 そのア-マ ンチュの映像 と玉城 に伝 え られたアマ ミキ ヨが複合 して成立 したのが、王府 の アマ ミキ ヨ神話で あった と思 われ る」 と記 した。 そ して、 「アマ ミキ ヨ神話 を王府 の神話 として取 り込んだのは、伊波按 司時代である第一 尚民時代以前 には逆上れ ない もの と思わ れ る」 と結んでい る。 これ までの検討 を総合す る と、ヤ ドカ リとアマ ミキ ヨとは意味的連 関は存在 しない とす る崎 山 (1993)の指摘は、遠藤 (2004)によって も裏付 け られ る。 これ によ り私 は、伝承 (5) の中のア-マ ンチ ュは、アマ ミキ ヨではな くてむ しろ八重 山白保 の事例 に出て くるアマ ン 神 と同一線上 に存在す る とい う考 えをもつ に至った。 この ことについては次の 「針実 の意 味」 の項で も再度検討 を行 う。 このよ うな意味で、遠藤 (2004)がア-マ ンチュ とアマ ミ キ ヨの二つの神話が複合 してできたのが王府 の神話だ とす る指摘 は注 目され る。 これ らの論点 を整理す ると次の よ うになる。 ア-マ ンチ ュまたはアマ ン神 とアマ ミキ ヨ の民間神話 が 『お もろ さ うし』『琉球神道記』『中山世鑑』等 にみ られ る王府 の創世神- と つながっていった、 とい うシナ リオである。 それでは、玉城 の神話 は どの よ うな位置づ けができるのか。遠藤 (2004)の考察 を参考 にす る と、む しろ伊波 (1939)、外 聞 ・桑原 (1990)が提唱す る 日本文化 の南漸 とよ り深 い関わ りがあるか もしれ ない。 針突の意味 以下は、八重 山歴史編集委員会 (1954:2ト22)に記 され た石垣 島 白保 の創世神話である。 (4)遠藤 (2002) (5)ア-マンチュについては伊波 (1904:297)、佐喜真 (1922)に記されている
史料 編 集 室 紀 要 第32号 (2007) 大昔 、 日の神 (てたんがな し) がアマ ン神 を呼んで、お前 は天 か ら降 りて下界 の島を造れ と言わ れたのでアマ ン神 は命 を受 けて出発 した。 その時天 (あま) の槍矛 (や りは こ) を授 けて、多 く の土石 を与 えた。 アマ ン神 はその土石 を持 ち運 んで天 の七色 の橋 の上 か ら大海 に投 げ入れ、天 の 槍矛 でか きまぜ る と土石 が凝 り固まって八重 山がで きた とい う。 この島には阿且 の木 がいた る所 に茂 って年 々その実 は薫 りたか く熟 したが、神 はまだ人 間や さ ま ざまの動物 を造 らなかった。 後 になっては阿且林 の 甲の穴で、ア-マ ンチ ャー (寄居 虫や どか り) を造 ったが、ふ しぎな こ とには 「カブ リー」 と大声 をは り上 げて地上 にはい出た。 ア-マ ンチ ャーは阿且 の実 を食 って生 き、 あ らゆる島に繁殖 して思 うぞんぶんに横行 した。 ず っ と後 にな って神 は人種子 を下 したのであ る。や どか りの生れ た穴か ら玉 のよ うに輝 いた美 しい二人 の男女 が、や っぱ り 「カブ リー」 と叫びなが ら地上 に生れ 出た。 地上 の人 とな った ものの、腹 がすいてたま らないので、赤 く うれ てい る阿且 の実 に飛びつ くよ うに して食べた らとて も甘 かった。 これ は二人 の生命 の神木 で あったのである。 <略 >これ か ら人 間が始 まった と言 うのである。豊年祭 の時に、阿且 の実 の芯 の 白いや わ らかな 部分 で 「スナイ 」 (みそ あ え) を こ しらえて神 前 に供 え る習俗や 、また盆祭 な どに仏 だん に供 え て感 謝 の意 をあ らわす な らわ しが残 ってい るのは このいわれ だ と故老 は言 って い る。 [大正5年 (1916年) 白保 部落で採録 ] 針 葉 紋 様 と そ の 名 称 カ イ マ タ ク ジマ (海 の生 物 ) マ /レブシ (丸星) ア マング ヮー (ヤ ドカ リ) マ /レブ シ ア マ ング ヮ-ヤ イ ヌ サ チ く槍 の 先 ) マ タサ カ ー (又が裂 け て い る) ホ ー ミグ ヮ(宝 貝 の こ と) マルブシ (丸星) テ ィーナ -イチチブ シ (5つの星) 図 1.オカヤ ドカ リの名称 が付 いた文様 (具志川市教育委員会,1987より)
史 料 編 集 室 紀 要 第32号 (2007) 八 重 山 に は 、 オ カ ヤ ドカ リが創 世 に 関 わ る民 間神 話 が 比 較 的 多 くみ られ る反 面 、奄 美 ・沖縄 諸 島 に は そ れ が み られ な い (小 島, 1983)。 こ れ につ い て は 、私 は奄 美 ・沖縄 に も昔 はオ カ ヤ ドカ リが創 世 に 関 わ る民 間神 話 が あ った と考 え て い る。 とい うの は 、 奄 美 ・沖縄 の女性 の針 実 にみ られ るア マ ン の文 様 (図1、 2を参 照 ) が それ を物 語 っ て い る と思 われ るか らで あ る。 小 原 (1962: 40)は 、 ア マ ンの文様 につ い て 沖 永 良部 で 収集 した 資 料 で 次 の よ うに記 して い る。 沖永 良部 島ではその左 手の模様 を 「アマム」 とい う名で よび、「ヤ ドカ リ」 を簡便化 した文様だ といっ てお り、「我 々の祖先は 「アマム」か ら産まれて来、 われ われ もや は りそ の 「アマ ム」 の子孫 で あ るか ら、この 「アマム」を入墨 したのだ」 と答えた この沖 永 良部 島 の伝 承 は 、 八 重 山 自保 の伝 承 にみ られ る人 間 の誕 生 に オ カ ヤ ドカ リが 関 わ っ て い る とい うこ と と根 はつ な が って い る よ うに -
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薗 図2.茎状突起にみ られ る文様 (小原, 1962:65より) 1-12までは右手茎状突起部にみられる文様。 13-23は左手茎状突起部にみられ、「タンポ ポ」「菊の花」「アマン」と呼ばれている。こ れらは、「アマム」が象徴されており、「トー テム」的な意義がうかがわれる (小原,1965 より)0 み え る。 ま た 、遠 藤 (2004:88)は 、石 垣 市 平得 の1916年 生 まれ の女性 が伝 えた話 と して 次 の よ うな報 告 を して い る。 太陽加那志がアマ ン神 に土 と石 を与えて、下界に下 りて島を造れ と命ず るとアマ ン神 は、天の七 尺の橋の上か ら島のできそ うな海 の真 申に土 と石 を投 げ落 として、天の鉾でかきまぜて八重山の石 垣島を造 ると、その島には阿且の木が茂 って実がなった。アマン神がカブ リー とい うと、阿且の木 の下の穴か らアマ ンが造 ったヤ ドカ リが這いだ して、阿且の木の実を食べて生きて増 えるよ うにな った。その後で、太陽加那志が人種 を降ろす とヤ ドカ リが出て来た同 じ穴か ら美 しい男女の若者が、 「カブ リー」 と言 って出て来て阿且の実を食べた。太陽加那志が二人を池の端に立たせ反対の方向 に回 らせ ると、二人は出会った ところで抱 き合って夫婦にな り、三人の男の子 と二人の女の子にめ ぐまれて島の始祖 となった。阿且は二人の始祖の命の木だったので、八重山の豊年祭の ときは阿且 の新芽の 白い部分で汁 を作って神 の前に供 え、お盆には仏壇 に阿且の実を供 える習わ しになってい るとい う。 この石 垣 市 平得 の神 話 は 明 らか に 白保 の神 話 (八 重 山歴 史編集 委員 会, 1954)と類 似 し て い るが 同 一 で は な い 。 ま た 、 オ カ ヤ ドカ リが創 世 神 話 に登 場 す る八 重 山 の事 例 は 山下 (2003)に も紹 介 され て い る こ とか ら八重 山に は広 く同様 な伝 承 が存在 して い た こ とが想史料 編 集 室 紀 要 第32号 (2007) 像 され る。 次 に、ア-マ ンユーに関す る語桑や伝承 について検討す る。方言の辞典 には次の よ うな 事例 があげ られてい る。 ① アマ ン ・ユー :昔の代。天の世。神 の世。 あマイユー ともい う。 (伊是名村教育委員会, 2004)0 ② アマ ンユ、アマニ :昔世、大昔の時代、神代の意味を示 してい る。 (生塩 ,1999)0 ③ アマヌユー :昔 の世。 (仲里,2002)0 ④ アマ ンユ :昔の世。昔の時代。 (国立国語研究所,1963) ⑤ ア-マ ン ・ンユー :太古。神代。世の初 め下界 は青海原 な りLが、 白沙相寄 りて洲 をな し、先づ寄居 虫生 じ、 これ よ り白洲 は愈 々成長 して島 とな り、次で草木禽獣人類皆生 育せ りと云ふ。 あまの よ (海人世) の義。 (宮良,1930) ⑥ アマムカシ ウ :大昔。 アマはア-マ ンユーのア-マ ンであろ う。 (宮城,2003) ⑦ ア-マ ンツァーヌ ユ - :大昔。太古。八重 山の天地創成 の時、最初 に現れた生物 がア -マ ンツ ァーであった とい う神話がある。 (宮城 ,2003) (砂ア-マ ンユー :大昔。 (宮城,2003) 以上、 これ らは①伊是名 島、②伊江島、③沖縄 島本部町具志堅、④沖縄 島那覇市首里、 ⑤八重 山、⑥ ∼⑧石垣 島の地域 の語嚢お よび伝承 を反映 した もの と思われ る。長 田 ・須 山 (1977)には、 この語桑が見つか らない。 たぶん残 りに くい語嚢 の一つだった と思われ る。 伊波 (1906:33)には高離 島 [宮城 島]の神人 の神 に告 ぐ詩 の中に 「あまん世」がみ られ るが、おそ らくかつては奄美か ら八重 山にかけて広 く分布 していただろ う。それ で、ア-マ ンユー に類す る言葉 は、八重 山歴史編集委員会 (1954)にみ るよ うな 日の神 または天帝 - アマ ン神- オカヤ ドカ リ-人間誕生までの期 間 を意味す る言葉 と考 え られ る。 そ して、 アマ ンユーは、オカヤ ドカ リも しくはアマ ン神 のいずれかが名称 の標徴 になってい ると思 われ る. それ では、ア-マ ンチュは どうだろ うか。 ア-マ ンチュの 「チ ュ」は一般的に沖 縄 の方言では 「人」のことを意味す る。そ うす る と、オカヤ ドカ リは動物 なので対象外 に な り、可能性 としてアマ ン神 が浮かび上が る。 したがって、ア-マ ンチ ュはアマ ン神 とつ ながってい る と思 われ る。前 にも述べた よ うにアマ ン神や ア-マ ンチ ュは同一線上の意味 として存在 してい る と思われ、地域 によって呼び方や機能等が変化 したのか も しれ ない。 しか し、現在 の.段階においては、アマ ン神 とオカヤ ドカ リとの関係 についてはまだ よくわ か らない。 この よ うな ことか ら、奄美 ・沖縄 では、オカヤ ドカ リが関与す る創世神話が王府 の影響 によ りオモ ロ等 のなかで変化 していきなが ら置 き換 わ り、反面王府 の影響 が少 ない八重 山
史 料 編 集 室 紀 要 第32号 (2007) では残 されて きた と思われ る。一方、奄美 ・沖縄 に残 っていたアマ ン文様 の針突 は、その 痕跡 の一つ を示 してい るもの と思われ る。特 に、アマ ンユーや ア-マ ンチュは、それ を物 語 ってい る と考 え られ る。つま り、オカヤ ドカ リはアマ ミキ ヨにはつなが らないのであ り、 む しろア-マ ンユーや ア-マ ンチ ュ とつながってい るか も しれ ない。 これ に関連 して松本 (1971) は次 の よ うな興味深い考察 を してい る。 日本国家が多数の部族の融合から生まれてきたように、日本神話も無数の地方的伝承の錯綜から 生まれてきたものである。ちょうど孝明に満天の星が一つ一つ消えてゆくように、独 自の神話 と祖 神をもっていた多くの部族は、次第次第に皇権の前に屈従 し、その神話は、皇統神話中に吸収され、 大ヒルメノムチすなわち天照大御神の信仰が最後に日本全国に光 り輝 くようになったのであろう。 上記 の松本 (1971) の見方 をもとに考 えると、結局沖縄 の創世神話 は皇統神話 に吸収 さ (6) れ ることな く独 自の神話 として残 り、同様 に王府 の神話 に よって沖縄 ・奄美 の民間神話は (7) その王府 の神 話 に吸収 されていったのだ ろ う。 さらに王府 の影響が沖縄 ・奄美 よ りも少 な い と思われ る八重 山では よ り多 くの民間神話が残 された と考 えることがで きよ う。 不完全な人間 崎 山 (1993)は、八重 山白保 の創 世神 話 と 『お もろ さ うし』『中山世鑑』 につ いて、ア マ ン神や アマ ミキ ヨ ・シネ リキ ヨの上 に 目の神や天帝がいて、 この神様 の天命 で島造 りが 行 われ た としてい る。 その上で 『お もろ さ うし』『中山世鑑』 の記述 は、アマ ミキ ヨを国 人 の始 め とす る民間の伝説 とは矛盾す る とい うことを指摘 してい る。 そ うな る と、『お も ろ さ うし』 の創世神話 は民間神話群が源流 になる とい う山下 (2003)の考 え方 に一つの矛 盾 が生 じるこ とになる。 それでは、 この矛盾 を ど う説 明 した らよいのか。崎 山 (1993)は、 民間神話 には前 に述べたアマ ミキ ヨとアマ ン神 とがあ り、 これ らの神 は別 の もの とす る考 え方 を示 してい る。 これ をヒン トに考 える と、 これ らの矛盾 は民間神話 のアマ ミキ ヨ (上 に 目の神や天帝がいない世界観) にアマ ン神 (上 に 日の神や天帝がい る世界観) を取 り込 んだ結果 が王府 の神話 になった とい うこ とで説 明できるのではないだろ うか。 八重 山 白保 の創世神話 に類す ると思われ る神話 が宮古島にもある。谷川 (1987)は営古 島の創 世記 について次 の よ うな報告 を してい る。 -・むかし、むかし、天の大神が親天太 ・母天太の神をこの世につかわして、宮古の島建てを命 (6)ここでは、薩摩が侵攻する1609年より古い時代の方がより影響が強かったと思われる。 (7)福田 (1997:147)、島尾 (1977:139)には奄美大島や沖永良部島の創世神話が紹介されているが、 全体的には少ない。
史 料 編 集 室 紀 要 第32号 (2007) じた。島造 りのは じめは中骨をつ くることで、あたまは北の島尻、狩俣、 しっばは保良の岬をつ く った。そのまわ りもみごとにつ くり、浜々も完全につ くって宮古島と命名 した。そ して親天太 ・母 天太の神の住家に万古山がきめられた。人間をつ くるには、まず蛙をしらべてそれを手本に苦労 し(8) ふわ てつ くった。 しか し、はじめの神は 「水の子」であった。それか ら多 くの人間をつ くった。最初の 村建てを平井村 と名づけた。 これは万古山のす ぐ近 くにある。その村は数年のあいださかえていた が、ある年の十五夜の 日に、村民がブタを殺 して神にささげたので、神は血だ らけのものは非礼だ とお こり、他の神 々 とも相談 して、この村か ら追い立てた。数 日間ヤ ドカ リで攻 めさせたので、村 人はこの村 をたちのき、八重山に新 しく平井村を建てた-上記 の 内容 か ら、宮古 島にお い て も島造 りを命 じる大神 が存在 して い る こ とがわか り、 それ が本 来 の形 態 を示 して い る よ うに も思 え る。 谷 川 (1999)は 、最 初 の人 間が 「水 の 子 」 で あった とい うのは 「記紀 」 の国生み の ときに水蛭子 が生 まれ た の と同様 で あ る とし、 見す ごせ ない重 要 な要素 を含 ん でい る と記 してい る。 これ は崎 山 (1993)がい う神 話 の不 完 全 な人 間 とい うことにな るが、八重 山 白保 で はオカヤ ドカ リにな ってい るの に対 し、宮 古 で は水 の子 に な ってお り、オ カヤ ドカ リが神 の使 い と して登場 してい るのは興 味深 い。 谷 川 (1987, 1999)で はオカヤ ドカ リが神 の下等 な使 い とされ てい る こ とを強調 し、 さら に谷川 (1999)は南 島ではオ カヤ ドカ リが神 の使 い と してひ ろ く認 識 され てい るこ とを述 べ てい る。 宮古 島の創 世神話 に神 の使 い と して のオカヤ ドカ リが存在 してお り、オカヤ ド カ リが創 世神 話 に登場す る とい うこ とで は八重 山 白保 の神 話 と共通す る とい える。 大林 (1973: 365)は、 「生 み損 ない」 のモ チー フ と して、久米 島、多 良 間、波 照 間、石 垣 (白保 ) をは じめ、 日本 (「記 紀」)、台湾 、 中国南西部 、 ボル ネ オ等 の事例 を記 してい る。 そ して琉 球 を中心 に 日本 か らイ ン ドネ シア にか け る研 究 の重要性 を指 摘 してい る。 後藤 (2002:ll)は、 「不完全 な子 」 の事例 と して スマ トラ島西 に あ るニ アス 島 と中央 ボ ル ネ オ のカヤ ン族 の神 話 をあげてい る。 その 内か らニ アス島の事例 を紹介 す る。 原初には土地も世界もなかった。霧の中に名のつけようもなく、 目にもみえないものがあった。 その うちに霧が分かれて女神が生まれ、この女神が世界を創造 した。次に石が現れて、全人類 と神 々の祖である原初母神が生まれた。 この女神は結婚 しないで二組の男女の双生児 を生み、二組の男 女はそれぞれ結婚 した。末っ子の男子は姉 と結婚 して、二人は人類の祖 となった。 この姉は、手も 足 もなく丸い子供 を生んだ。父親の忠告に従って、母親は我が子を小刀でまっぶたっに切って、一 半を川の源 に、他の半分を河 口に投げた。 このふたっの半身が、この世の最初の人間、山の民と海 の民になった。 大林 (1973)お よび後藤 (2002)が報告 した上記 の事例 は、 日本 、琉 球 にみ られ る神話 がオー ス トロネ シアの神 話 とも共通す る要素 を もつ こ とを示す例 とい え よ う。 (8)谷川 (1999)では神の部分が人間に置き換わっている。
史料編 集 室鬼己要 第32号 (2007) 以上、 これ までの展 開 を整理す ると、創世神話 にオース トロネ シア、琉球、 日本本土 と 共通す る部分がみ られ る。 さらに琉球の島造 り神話 は、宮古島か らも同様 な神話 が確認 さ れ てお り、八重 山、宮古、沖縄諸 島 と連続的に分布 してい ることが理解 され る。 これ まで 述べてきた よ うに、琉球 ではオカヤ ドカ リが関与す る神話 が先行 し、 この神話が同 じ島造 り神話 の源流の一部 になってい る可能性 がある といえよ う。 (2)オカヤ ドカ リの方言 崎 山 (1993)は、琉球 にみ られ るヤ ドカ リの方言はオース トロネ シア語 の祖語 に由来す る とい う考 え方 を示 してい る。ただ し、崎 山 (1993)は、海 中に生息す るヤ ドカ リ類 と陸 上 に生息す るオカヤ ドカ リとの区別 を していない。む しろ 「水生の小動物」 とす ると海 中 のヤ ドカ リ類 になって しま う。 オカヤ ドカ リは確 かに幼生期 を海 中で過 ごすが、その時期 は人 目に触れ ることはほ とん ど無い。陸上に上がったあ と初 めて宿月 に入 るよ うになって か ら人 目に触 れ る よ うに な る。 琉 球 列 島 に は 、 オ オ ナ キ オ カ ヤ ドカ リCoenobita brevimanus、 ナ キ オ カ ヤ ドカ リCoenobita rugosus、 ム ラ サ キ オ カ ヤ ドカ リCoenobita purpureus、サキシマオカヤ ドカ リCoenobitaperlatus、オカヤ ドカ リCoenobita cavlbes、コ
ムラサキオカヤ ドカ リcoenobitaviolascensの 6種が分布す る (仲宗根 ,1987;当山 ・黒住 , 1987)。私 が関わった方 言調査 はすべてオカヤ ドカ リとして調査 を してい る。表 1、 2に 示す方言 には他 の文献 か らの引用 も含 まれてい るが、おそ らくすべてオカヤ ドカ リの方言 とみ られ る。 また、崎 山 (1993)に出て くるヤ ドカ リは、特 に断 りがない限 りオカヤ ドカ リとして扱 う。 当山 (2000)は、オカヤ ドカ リの方言 をアマ ミク神 と関連づ けて、 日本本土か らの文化 の南漸 とい う説明を試 みてい るが、前に も述べているよ うに、解 明 された とはい えない。 再度、解 明 されない原 因 を考 えてみ る。沖縄 ・宮古 ・八重 山諸島にお ける調査 に よると、 オカヤ ドカ リはサ ンゴ礁 が発達 した島や海岸 に多 く生息 してい る (当山 ・黒住, 1987;当 山,2006b)。 また、琉球列島に生息す るオカヤ ドカ リは、太平洋か らイ ン ドにか けての熱 帯域 に広 く分布 してい る (仲宗根 , 1987)。反面、 日本本 土ではわずかに確認 され るだ け で生息数 は少 ない。 オカヤ ドカ リの生息地 を中心に考 える と、当然の ことなが ら南方 の熱 帯域 の島々 とはサ ンゴ礁 とい う点で共通す る。その よ うな意味で、オカヤ ドカ リの祖語 を 南方 のオース トロネ シアに求 めるの も理 にかなってい るとい えるが、当山 (2000)では こ うした動物分布 の視 点が欠 けていた とい うことになる。 崎 山 (1990)は、 日本語 の形成 にお けるオース トロネ シア語族 との接触 の経過 を三期 に 分 けて時代 区分 してい る。
史料 編 集 室紀 要 第32号 (2007) ・ハイ期 (オース トロネ シア第一期 ・縄文時代後期)ハイ、ハエ :南 あるいは南風 を 意 味す ることばな ど。 ・ヨネ期 (オース トロネ シア第二期 ・縄文時代晩期∼弥生時代初期) ヨネ :米 を意味 す るこ とばな ど。 ・ハヤ ト期 (オース トロネ シア第三期 ・古墳期)ハヤ ト :隼人な ど。 そ して、-ヤ ト期 に含 まれ る方言 として、現在 の琉球語諸方言、 ことに先島方言のなか に沈澱 してい るもの も少 な くない と考 えてい る。その中にヤ ドカ リを意味す るアマ ン系の (9) 請 (原オセ アニア語**emang) をあげてい る。 したがって、表1と2にみ られ るアマ ン系 の方言 は、琉球文化圏の方言 とい うだけではな く、オース トロネ シア語 の祖語 と共通す る 言語 と考 え られ 、古墳期 ごろに入 ってきた言葉 とい う解釈 がな りたっ。 も し、オース トロ ネ シアか ら入 ってきた と考 えると、八重 山か ら宮古、沖縄 、奄美諸 島を経 由 した ことも考 え られ る。 この よ うな意味で表 1、 2にみ られ るよ うな方言 を調べ ることは重要な作業 と 思われ る。 これ らは言語学的な分析 が必要 と思われ るが、私は言語学の専 門ではないので この方面の検討 は専門の方 にゆず りたい。 ただ、集落 (村 ・シマ)の成立や分村移動 につ いては、『琉球 国 由来記』や 『八重 山島年来記』等 の近世史料や考古学等 の資料 をもとに 言語 の系統 を裏付 ける検討 ができると思われ る。 ロー レンス (2006)は これまでの区系言 語 か ら歴史的な視 点 に基づ く琉球方言の系統について論 じてお り、 ロー レンス (2000)で は八重 山方言 の系統 について生物学の分岐分類学の手法 を用いて調査 した結果 を報告 して い る。 しか し、分 岐分類学の方法 を用い るな らば、検討対象 とす る方言が単系統でなけれ ばな らないが、安本 (1987)は 「日本語 は、その地理的な位置 な どのために、多 くの言語 がそそぎこむ形 で成立 してい る」 とし、河川 図式のモデル を示 してい る。 また、一般的に 日本語 の祖語 は波状的に入 ってきた と言われてい る (中本,1985;ほか)。 これ は琉球 に も適用できる と思 われ る。つま り、異 なる地域か ら時期 をかえて入 ってきた ことも考 えな ければな らないだ ろ う。 いずれ に して もいろいろな手法で分析す ることは有意義であろ う。 そ して、オカヤ ドカ リの方言 を系統的に調査す ることは今後の課題 とい えよ う。 崎 山 (1993)は、 「地名 のアマ ミ (奄美)の語詔京について も、海部 (海人部)、海見、海 水 、天廻 な どに求 める諸説 があ り、決着 をみていない。 しか し、ヤ ドカ リとの関係 につい ては、 これ まで論 じられた こ とがない」 と記 してい る。今 回、表1に示す とお り複数の地 域で 「アマ ミ」 とい うオカヤ ドカ リの方言 を収集す ることができた。 アマ ミとい う地名 と (9)崎山 (1993)では 「後次的二次的なオース トロネシア諸語を含む地域的なオース トロネシア語 -の再構形」の説明記号として用いている。
史料 編 集 室紀 要 第32号 (2007) オカヤ ドカ リ方言 との関係 について次の 3つの考 え方 があ りえる。(丑オカヤ ドカ リの方言 は地名 のアマ ミか ら派生、②地名 はオカヤ ドカ リの方言か ら派生、③類似 は偶然 で どち ら も関係 しない。 ① については、他 の地域 のオカヤ ドカ リの方言 (表 1、 2参照) を考慮す る と想定 しに くい。② については、オカヤ ドカ リが創世神話 の源 になってい ること、オカヤ ドカ リの方 言がオース トロネ シア語 の祖語 に由来す ることを考 えあわせ る と可能性 がある考 え方であ る。そ して、(丑は従来の考 え方 とい うことになろ うo② の仮説が成立す るか どうか今後 と も検討す る必要があろ う。
5.ま とめ
琉球列 島は、屋久 島 と奄美大島 との間に動物地理でい う旧北 区 と東洋 区 との境界線 が存 在す るといわれてい る。 これか らも明 らかなよ うに、奄美か ら八重 山までのサン ゴ礁 に囲 まれた 自然 は 日本本土 よ りは南方 に類似す るものが多い といえよ う。 このよ うな ことも考 え合 わせ る と、方言や神話 な どにみ られ るオカヤ ドカ リと人 との関係 は、 日本本 土 よ りは む しろ南方 に共通す るものが見つか る可能性 がある とい うのは当然の ことか も しれ ない。 柳 田 (1952)に始 まる稲 を中心 とした 「海上の道」の仮説 は、金 関 (1955)に よって言 語 を中心 に問題提起がな された。その後、言語 については、言語学の研究で 日本語 の祖語 にオース トロネ シア語 が含 まれてい ることが一般的に認 め られ るよ うになってお り、 この よ うな意 味で は金 関 (1955)の指摘 は注 目され る。 また、南 か らの農耕文化 (佐 々木, 2003)や石斧文化 (小 田,2002)の事例 もあ り、琉球列 島 とオース トロネシア文化 とのつ なが りを考 えないわけにはいかない状態 になってい る。 これまで、創世神話 においては、 明 らかに南方つ ま りオー ス トロネ シアか ら琉球、 日本本土- と共通す ることが言 われ てお り、柳 田 (1952)のい う 「海上の道」 をもっ と南方 まで広 げて考 えな くてほな らない と言 えよ う。 そ して、オカヤ ドカ リの方言や それ の登場す る創 世神話等 を 「オカヤ ドカ リ文 化」 とす ると、今後 オー ス トロネ シア文化 を含 めた調査 をすす めなけれ ばな らないだろ う。 オカヤ ドカ リが琉球 の創 世神 話 に関わってい る (宮古 ・八重 山)、または関わってい る 可能性 がある (奄美 ・沖縄) とい うのは認 め られ るが、なぜオカヤ ドカ リが関わってい る のかについては結局わか らない。琉球 に近い台湾や フィ リピンは、オカヤ ドカ リも生息 し てい るが、 この よ うな視 点か ら調査 された資料 は筆者 の知 る範 囲では無い。今後 の調査進 展が望 まれ る。史料編集 室紀 要 第32号 (2007)
6.
要 約 1.オ カ ヤ ドカ リとアマ ミキ ヨ とは意 味 的 につ な が らない こ とが再確 認 され た。 2.ア マ ンユ ー や ア- マ ンチ ュ とアマ ミキ ヨの民 間伝 承 か ら王府 の創 世神 話 が で きた可能 性 を整 理 した。 3.八 重 山 にみ られ るアマ ン神 の創 世神 話 等 か らア- マ ンユ ーや ア- マ ンチ ュな どの言葉 や 伝 承 が派 生 した 可能性 を指 摘 した。 4.奄 美 や 沖縄 にお い て オ カヤ ドカ リが 関与す る創 世神 話 が ほ とん どみ られ ない の は、王 府 の神 話 に よって置 き換 え られ た 可能性 が あ る こ とを指 摘 し、針 突 にみ られ るオ カヤ ドカ リの文 様 はそ の痕跡 の一端 で あ る こ とを考 察 した。 5.沖縄 の創 世神 話 が 日本 お よび 南方 の創 世神 話 とつ なが って い る こ とを再確 認 した。 6.奄 美 、 沖縄 、 宮 古 、八 重 山に は ほ ぼ類 似 の オ カヤ ドカ リ方 言 が確 認 され た と同時 に、 これ らは オ ー ス トロネ シア語 系 と して扱 うこ とに よって い ろい ろな面 で整 合 性 が認 め られ そ うで あ り、今 後 の研 究課題 と して あ げた。 文 献 遠藤庄治 (2004)沖縄の祖神伝承.pp.82-93. GYROS⑤ (ジャイ ロス,特集沖縄の苦悩).勉誠出 版. 遠藤庄治編 (2002)たまぐす くの民話.玉城村教育委員会. 福 田晃 (1997)神語 り ・昔語 りの伝承世界.第一書房. 後藤明 (2002)南 島の神話.中公文庫.中央公論新社. 具志川市教育委員会編 (1987)具志川市の針突.具志川市教育委員会. 平山輝男編著 (1983)琉球宮古諸島方言基礎語嚢の総合的研究.桜楓社. 外聞守善 ・桑原重美 (1990)沖縄の祖神アマ ミク.築地書館. 法政大学沖縄文化研究所編 (1986)琉球の方言11-八重山 ・与那国島. 法政大学沖縄文化研究所. 359p. 伊波普猷 (1904)琉球の神話.[伊波普猷全集第1巻 古琉軌 pp.296-305.平凡社.1974年] 伊波普猷 (1906)琉球人の祖先に就いて.[伊波普猷全集第1巻 古琉球,pp.17-48.平凡社 1974 年] 伊波普猷 (1939)日本文化の南漸.[伊波普猷全集第5巻,pp.295-602.平凡社.1974年] 伊是名村教育委員会編 (2004)伊是名島方言辞典 本編.伊是名村教育委員会. 加治工真市 (1997)琉球 ・竹富方言の基礎語嚢 分野2、動物.琉球の方言22,pp.136-148.法政 大学沖縄文化研究所. 金 関丈夫 (1955)八重 山群島の古代文化一宮良博士の批判 に答 うー .[谷川健一編 ,叢書わが沖縄史 料 編 集 室 紀 要 第 32号 (2007) 第三巻起源論争 ,pp.31-110.木 耳社 .1971年] 小 島理示豊 (1977)琉球 の開閉神話 の物語形式. [琉球学 の視角 ,pp.184-212.柏書房 .1983年] 国立国語研 究所編 (1963) 沖縄語辞典.大蔵省 印刷 局. ロー レンス, ウェイ ン (2000)八重 山方言の区画 について.宮良常壮記念論集 ,pp.547-559. 宮 良
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