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『天使も踏むを恐れるところ』における聖女デオダータの意味について: 沖縄地域学リポジトリ

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全文

(1)

Title

の意味について

Author(s)

川本, 真由子

Citation

英米言語文化研究 = British & American language and

culture(46): 15-31

Issue Date

1998-03

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/10362

(2)

聖女デオダータの意味について

川 本 真 由 子

WhereAngels腕αr加Tread(『天使も踏むを恐れるところ』)は、E.M.

フォースターの五篇の長編小説のうちの最初のものであり、異なる文化、価

値観を持った人間たちの遭遇と、それによって露呈される人間‘性の諸側面、

そしてより深い生への洞察といった、他の作品にも多かれ少なかれ見られる

フォースターの小説の基本的パターンが、はっきりと打ち出された作品であ

る。筆づかいは風刺というには軽快で、譜謹に富み、人物たちは概して暖か

いけれども突き放した目で眺められている。その一方でこの小説は二つの突

然の死によってドラマティックに展開する筋を備え、暗く深い人間の'情熱を

も垣間見せてくれる。この小論では、より深い生への洞察、例のフォースター

の、「人生の真実の姿や意味が啓示的に人間に訪れる瞬間」’がどのように提示

されているかを、主として聖女デオダータヘの言及との関連において考察し

てみたい。

LionelTrillingはフォースターとキリスト教との関係について"Hehasno

faithintheregenerativepowerofChristianityandheisfrequently

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べている。確かに、フォースターの作品には−特にいくつかの短編(『永遠

の命』『首飾り』『紫色の封筒』には−キリスト教の聖者たちや聖職者たちへ

の敵意が見て取れる。これらの作品では自分ばかりか周囲の人間たちの'性を

l近藤いね子編『20世紀英米文学案内20フォースター』(研究社、1980)、p.81.

2LionelTrilling,"ForsterandtheLiberalImagination",Tuノe九t趣ノ2

CenturyVieuノs:Forstered.byMalcolmBradbury(EnglewoodCliffs: Prentice-Hall,1966),p.78.

(3)

も抑圧し、自然な生命力をそこなう者たちとして、あるいはそういった生命

力を決定的に欠いている者たちとして宣教師や聖女、絵画に描かれた聖女が

出てくる。

WhereAノigels凡artoT,'℃αdにおける聖女デオダータやその教会への主

な言及は二回であるが、それらは奇妙に印象的なので、フォースターがこの

小説の舞台となっているモンテリアーノ(実在のモデルはサン・ジミニャー

ノであると言われている)の町の単なる観光名所として挿入しただけだとは

到底思えない。それでは聖女デオダータは先にあげた短編小説の中でと同様

の否定的意味を担わされているのだろうか。この作品のなかでのうオースター

の意図はもっと複雑に見える。以下にその二回の言及箇所を検討してみよう。

一回目はリリアの遺児である赤ん坊をその父親(ジーノ)の手から引き取

るべく、フィリップがその姉ハリエットと共にモンテリアーノの町に近づい

て行く箇所である。

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同書への言及並びに同書からの引用はすべてこの版により、引用のページ数は括弧に入

れて本文中に示す。

(4)

(古びた塔の群れのなかにひとつだけ、十字架を頂いた塔があった。聖 デオダータ教会の塔である。聖デオダータは、中世初期すなわち、いわゆ

る暗黒時代の聖女で、町の守護聖人であり、彼女の物語には甘美さと野蛮

さが奇妙にいりまじっていた。彼女の神聖さは桁はずれで、食べることも 遊ぶことも働くこともせずに、一生涯、母親の家で寝たきりで過ごした。 そのあまりの神聖さに嫉妬した悪魔は、さまざまな方法で彼女を誘惑した。 目の前においしそうなブドウをぶらさげたり、すばらしいオモチャを見せ たり、ずきずき痛む頭の下にやわらかい枕を押しこんだりした。しかしす べて無駄とわかると、悪魔は彼女の目の前で母親をっまづかせ階段から転 落させた。しかし、あまりにも神聖な聖女は、母親を助けようともせず、 そのまま仰むけにベッドに寝ていた。そしてついに天国に召されて聖人の 列に加えられた。)4 聖デオダータについて注意を払う批評家は少なく、Stoneはデオダータを 紹介するにあたって、"Andcomicirreverenceinformsthebook.Hereis SantaDeodata..."*という書き方をし、Beerは、"SantaDeodata,the satirizedsaintofthenovel"*と軽く触れているにすぎない。そして二人と もフォースターがこの聖女を郷撤の対照として提示していることに疑いを抱 いていないようである。McConkeyはもう少し詳しく、 "ThetoweroftheCollegiateChurchofSantaDeodataservesmuch moreadroitly:Forsterproceedsfromthetowertoadescriptionof thesaintherself,adescriptionwhichisnotonlyabeautifullyironic 4E.M・フォースター『天使も踏むを恐れるところ』〔白水ブックス117(中野 康司訳、白水社、1996)、p.122.以下、日本語訳は、一、二箇所を除いてこの見事な 訳を使用させていただいた。なお、引用箇所のページ数は括弧に入れて本文中に示す。 5WilfredStone,TheCα"eα凡dtheMountain;AStudyofE.M・Forster (StanfordUniversityPress,1966),p.163. 6J.B.Beer,TheAcノlieuementofE.M.Forster(London:Chatto&Windus, 1962),p.67.

(5)

commentarybutwhichdevelopsaminorvariationuponthemajor themeofPhilip'srefusaltoacceptresponsibilityinhisworld・His superciliousdetachmentinthenameofculturecorrespondstothere-ligiousdetachmentofSantaDeodata... ” 7 と述べている。McConkeyは、フィリップの現実世界における責任回避、文

化の名の下における徹慢な傍観者的態度と、聖女デオダータの宗教的な現実

逃避はパラレルになっていると示唆する。確かに、"Shewasonlyfifteen

whenshedied,whichshowshowmuchiswithinthereachofanyschool

girl."と続けるフォースターの筆致は皮肉で、なにひとつ現実世界で役に立

つ行動をしなかった聖女を批判しているように見える。しかしその後に続く、

"Thosewhothinkherlifewasunpracticalneedonlythinkofthevicto-r

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throughtheinvocationofhername,theyneedonlylookatthechurch

whichroseoverhergrave."[79-80](彼女の生涯は無意味だという人がいた ら、ポッジボンシやサン・ジミニャーノやヴォルテッラやシエナの勝利のこ

とを考えてみればよい。これらの都市の独立は、いずれも彼女の名前を唱え

ながら勝ち取られたものなのだ。そしてまた、彼女の墓の上に建てられた教

会を見ればよい。)[122-123]というくだりは、まったくの皮肉とは受け取れ

ないし、もっぱらフィリップの内心の声であって、彼の現実逃避の自己弁護

なのだとも受け取れないふしがある。この「甘美さと野蛮さのいりまじった」

物語の中の肯定的な側面がなにげない様子で顔を覗かせているように感じら

れるのである。即ち、無行動という面ではフィリップと似通っているものの、

聖女デオダータはフィリップが持たないものを持っていた。生きている間、

目に見えてはなにひとつ行動しなかったにせよ、死後に人々を鼓舞して戦い

に勝たせたり、教会や壁画を生み出させたりしたのは、彼女に何らかの精神

7JamesMcConkey,TノleNovelsofE.M.Forster(NewYork:Cornell UniversityPress,1957),p.102.

(6)

的な価値があったのかもしれないということを、このくだりは伝えているの

である。この聖女のモデルは聖フィオナであると言われていて、もとの伝説

には聖女がこのように寝たきりになった理由が伝わっているらしい。8しかし、

この小説の中でのこの聖女の用いられ方を見る限りでは、フォースターは無

知からではなく、意図的に除いたのだとさえ思えてくる。この箇所における

聖女デオダータの紹介は、一見フィリップの現実逃避の宗教的ヴァリエイショ

ンを差し出すようにみせかけながら、もう一つ、非常に重要なものを暗示し

ていると言えるだろう。それは、目には見えないものの、強力な価値の存在

である。

聖女デオダータヘの意味深い二度目の言及は、アボット嬢がジーノと赤ん

坊に会って大きな精神的転回を経験した後、聖デオダータ教会へ祈りに行き、 それを追ったフィリップと会話をかわす場面である。ジーノが赤ん坊を愛し ていることを知ったアポット嬢は自分は敵方へ寝返ったのだとフィリップに 告げる。 "Whyaren'tyouangrywithme?"sheasked,afterapause. "Becauselunderstandyou-allsides,Ithink-Harriet,Signor Carella,evenmymother." "Youdounderstandwonderfully.Youaretheonlyoneofuswhohas ageneralviewofthemuddle." Hesmiledwithpleasure.Itwasthefirsttimeshehadeverpraised him.HiseyesrestedagreeablyonSantaDeodata,whowasdyingin fullsanctity,uponherback.Therewasawindowopenbehindher,

revealingjustsuchaviewashehadseenthatmorning,andonher

widowedmother'sdressertherestoodjustsuchanothercopperpot. Thesaintlookedneitherattheviewnoratthepot,andatherwid- owedmotherstillless.Forlo!shehadavision:theheadandshoul-8E.M・Forster,WノlereA堰elsFeα『toTread,p.181.

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theroughcastwall.Itisagentlesaintwhoiscontentwithhalfan-othersainttoseeherdie・Inherdeath,asinherlife,SantaDeodata

didnotaccomplishmuch.[119]

(「どうしてわたしを怒らないんですか?」しばらくしてアボット嬢が言っ

た。「あなたのことがわかっているからです。いや、みんなのことがわかっ

ているからです。ハリエットのこともシニョール・カレッラのことも、そ

して母のことも」

「ほんとうによくわかっていらっしゃるわ。このごたごたのすべてがわ

かっていらっしゃるのはあなただけですわ」

フィリップはうれしそうに笑った。アボット嬢にほめられたのははじめ

てだった。彼はうっとりしたように、聖なる死の床にある聖女デオダータ

のフレスコ画を見つめた。聖デオダータが横たわった部屋には窓があり、

窓の外には、彼がけさジーノの家で見たのと同じような景色がひろがり、

やもめ暮らしの母親の鏡台には、やはりジーノの部屋で見たのと同じよう

な銅の水差しが置かれている。聖デオダータは、その景色も水差しも母親

も見ていない。そう、彼女は部屋に浮かんだ幻を見ている。大きなほうろ

うびきの飾り物みたいな聖アウグスティヌスの上半身が、漆喰塗りの壁か

らすべり落ちてきたみたいに部屋にぽっかりと浮かんでいる。上半身だけ

の聖人に見取られて死んでゆくとは、まことに控えめな聖女だ。聖デオダー

タは、生きているときも死ぬときも同じようにつつましく控えめだった。)

[184]

そしてフィリップはこの直後、アポット嬢に「何もしない」こと、人生の

傍観者であることを厳しく責められるo"Inherdeath,asinherlife,

SantaDeodatadidnotaccomplishmuch."という一文と、フィリップの

無行動へのアボット嬢の非難は明らかに呼応している。表面をみた限りでは、

ここにおいても、聖女デオダータの無行動ぶりは、フィリッフ°の無行動に注

意を喚起する役目を果たしているのだ。しかしこのくだりも、よく見ればデ

(8)

オダータに関して否定的な要素ばかりを含んでいるとは言えない。"Forlo! shehadavision…Itisagentlesaintwhoiscontentwithhalfanother sainttoseeherdie."とあるように、たとえ半身だけの聖人といったつつま しいものであっても、ともかく聖女はvisionを見ているのだ。そしてこの箇 所で興味深いのは"justsuchaviewashehadseenthatmorning"と "justsuchanothercopperpot"という二つの句である。これによってフォー スターはフィリップが見た、ある‘情景と、この絵を併置しようとでもしてい るかのように思える。聖デオダータが描かれているこの絵の中に見られる同 じ景色と銅製のポットを、フィリップはまさにその朝、ジーノの部屋で見た のだった。それはアポット嬢がジーノを手伝って赤ん坊を入浴させた後のこ とである。 Heputachairforherontheloggia,whichfacedwestward,andwas stillpleasantandcool.Thereshesat,withtwentymilesofviewbe-hindher,andheplacedthedrippingbabyonherknee・Itshonenow withhealthandbeauty;itseemedtoreflectlight,likeacopperves-sel....ForatimeGinocontemplatedthemstanding.Then,toget abetterview,hekneltbythesideofthechair,withhishands claspedbeforehim. SotheywerewhenPhilipentered,andsaw,toallintentsandpur-poses,theVirginandChild,withDonor.[112] (ジーノは彼女のために、西に向いているのでまだ涼しい開廊側に椅子を 移した。うしろに三十キロほどひろがっている景色を背にして、アポット 嬢は椅子に坐り,ジーノは彼女の膝に、水をぽたぽたたらしている赤ん坊 をのせた。赤ん坊は健康と美に輝き、まるで銅器のように光を反射してい るようだった....アボット嬢に抱かれた赤ん坊をジーノはうっとりし たように見つめた。それからもっとよく見るために、礼拝のときみたいに 両手を合わせて椅子のそばにひざまずいた。 フィリップが部屋に入ってきたとき彼らはこういう状態だった。そして

(9)

これはどこから見ても、聖母子と礼拝者の図であった。)[173-174]

このジーノの部屋でのアボット嬢の姿は聖母のイメージと重ねられている。

そしてこの場以後、アボット嬢は急速に精神的背丈を増し、フィリップにとっ

て何か偉大なものを啓示する存在となる。先程の教会の場面でフィリップの

無行動を非難する彼女は次のように描写される。 Shehadoftenbeendecided.Butnowbehindherdecisontherewasa

noteofpassion.Shestruckhimnotasdifferent,butasmoreimpor-tant...[119]

(アポット嬢はこれまでにもたびたび断固たる態度を示したことがあった。

しかしきょうは、その断固たる態度の背ツ後にさらに怒りが控えていた。フィッ

プには彼女が別人に見えただけでなく、なんだか普通の人間より偉い人間

みたいに見え...)[185]

しかし彼女の偉大さはフィリップにはまだ十分理解されていず、再びジー

ノに会うべきでなく、ハリエットを連れてすぐ引き揚げるべきだと忠告して

くれた時も、"nothinghangsonit"[122](「ぼくが決断してもしなくても大

勢に影響はない」)[119]とフィリップは答える。それに対しアボット嬢は、

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likeblasphemy・There'sneveranyknowing−howamltoputit?−

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onitforever."[122-123](「なぜだかきょうは、つまらないことがみんな、

おそろしく重大なことみたいに思えるのです。あなたがいまおっしゃった、

『ぼくが決断してもしなくても大勢に影響はない』という言葉も、なんだか神

にたいする冒涜みたいに聞こえます。どう言ったらいいのかしら、つまり、

わたしたちが何かをしたりしなかったりしたときに、それがどういう影響を

与えるか与えないかなんてことは、誰にもわかりませんわ」)[190-191]と言

(10)

うのである。そしてフィリップの不決断は、赤ん坊の死へと繋がってゆく。

聖母子の図のようにアポット嬢の膝の上で朝日を浴びて光り輝いていた赤ん

坊は、雨が降りしきる暗い森の中で、泥にまみれて死んでしまう。

次にアボット嬢の中にフィリップが見る偉大さが言及されるのは、赤ん坊

の死を知らせに行ったフィリップが危うくジーノに殺されそうになり、アボッ ト嬢に救われる箇所である。アポット嬢にさとされてジーノは狂乱状態から 我に返る。 ...andthenhegaveapiercingcryofwoe,andstumbledtowards MissAbottlikeachildandclungtoher. AllthroughthedayMissAbotthadseemedtoPhiliplikeagod-dess,andmorethaneverdidsheseemsonow.Manypeoplelook youngerandmoreintimateduringgreatemotion.Butsomethereare wholookolder,andremote,andhecouldnotthinkthattherewas littledifferenceinyears,andnoneincomposition,betweeenherand themanwhoseheadwaslaiduponherbreast.Hereyeswereopen, fullofinfinitepityandfullofmajesty,asiftheydiscernedthe boundariesofsorrow,andsawunimaginabletractsbeyond.Sucheyes hehadseeningreatpicturesbutneverinamortal・Herhandswere foldedroundthesufferer,strokinghimlightly,forevenagoddess candonomorethanthat.[139] (...そしてジーノは、耳をつんざくような悲痛な泣き声をあげ、子供の ようによろよろとアボット嬢に歩み寄ってしがみついた。 この日一日じゅう、フィリップにはアボット嬢が女神のように見えてい たが、いまはまた、これまで以上にそう見えた。大きな悲しみに襲われた 人間は、たいていはいつもより子供に見え、いつもより親しみやすい感じ になるものだ。しかし逆に、いつもより大人に見え、いつもより近寄りが たい感じになる人間もいる。アボット嬢と、その胸に顔をうずめているジー ノは、年齢はほとんど変わらないはずだし、同じ人間であるはずなのだが、

(11)

フィリップにはとてもそうは思えなかった。アポット嬢の目は無限の‘憐れ

みと威厳にあふれ、あたかも悲しみの果てを見極めて、そのむこうの、人

間には想像もできない場所をみつめているかのようだった。このような目

を、フィリップは偉大な絵画のなかで見たことがあったけれど、生きてい

る人間のなかに見たのははじめてだった。アボット嬢は、苦しむ者をやさ

しく抱いてやさしくなでていた。苦しむ者にたいしては、女神でさえこれ

以上のことはできないのだ。)[214] そしてフィリップは感動のあまり顔をそむける。

Hewashappy;hewasassuredthattherewasgreatnessinthe

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(彼は幸せだった。この世に偉大なものが存在するということを確信する

ことができたからだ。このすばらしい女‘性を手本として、自分もすばらし

い人間になりたいと心の底から思った。これからは、彼女から受けたこの

啓示にふさわしい人間になるように努力するのだ。大げさな祈りや太鼓の

音もなく、彼は静かに改宗したのである。彼は救われたのである。)[215]

ここではアポット嬢は今度は聖母ではなく、女神にたとえられている。

そして小説の最後では、彼女は次のように描写されている。列車の中で、

アボット嬢はフィリップに、ジーノヘの恋を打ち明ける。彼女は「自分の愛

はほんもの」だと知っている("asfarassheknewanythingaboutherself,

sheknewthatherpassions,oncearoused,weresure"[146])。そして

彼女がこの恋を恥じているにもかかわらず、フィリップは彼女の中に「何か

不滅なもの」を見る。アボット嬢は自責の念を口にするフィリップに言う。

(12)

"Don'ttalkof'faults'・You'remyfriendforever,MrHerriton,I think.Onlydon'tbecharitableandshiftortaketheblame.Get oversupposingI'mrefined・That'swhatpuzzlesyou.Getoverthat.” Asshespokesheseemedtobetransfigured,andtohaveindeedno partwithrefinementorunrefinementanylonger・Outofthiswreck therewasrevealedtohimsomethingindestructible-somethingwhich

she,whohadgivenit,couldnevertakeaway.[147]

(「『ぼくのせい』だなんて、おっしゃらないでください。いつまでもわた しのお友達でいてくださいますわね、ヘリトンさん。でも、わたしにたい して寛大になったり、問題をはぐらかしたり、ご自分を責めたりするのは やめてください。わたしを上品な女だなんて思うのもやめてください。わ たしを上品な女だなんて思うから、わたしのことがわからなくなったなん ておっしゃるんです。もうわたしのことを、そんなふうに思うのはやめて ください」 彼女は話しながら変身していくかのように思われた。もはや上品とか下 品とかいうこととは無縁な存在に、変身していくかのように思われた。恐 ろしい廃嘘のなかから、何か不滅なものが現われたかのようにフィリップ には思われた。彼女が与え、もはや彼女が持ち去ることはできない不滅な ものが現われたかのように思われた。)[230] アポット嬢はフィリップにとって、何か偉大なもの、不滅なものを垣間見 せてくれる存在である。そして彼女がその偉大さを獲得するのはジーノとの かかわりからであると考えざるを得ない。オペラを見た晩から、ジーノに一 人で会いに行った朝のあいだのいつかに彼女は恋に落ちた。フィリップより はずっとましだったかもしれないが、ソーストンで慈善事業に精を出す、

"charmingsober"[6](まじめでかわいらしい)[11良いお嬢さんだったキャ

ロライン・アボットは、それを"sordid"だと感じるにもかかわらず、"sure"

な"passion"を持つに至った。そしてその"passion"によって彼女は物事に

たいする洞察力を得、フィリップの目に偉大であると映るようになる。ブイ

(13)

リップが彼女に恋するようになったのも、彼女が自分の望むものをはっきり

認識したことと無関係ではないように思われる。聖デオダータ教会での会話

で、自分は人生の傍観者だとフィリップが宣言した時、彼女は、「あなたに何

かが起こるといいですわね。ほんとに何かが起こるといいですわね。」[188]

とまじめな調子で言うが、その何かというのは、「ほんものの欲望」と言い換

えることも可能だろう。

小説の最後の場面で、「すばらしいことはみんな終わってしまいました」と

アボット嬢はフィリップにむかって繰り返し、ソーストンのもとの生活に戻

ることを告げる。一方フィリップはアボット嬢への恋を告げずじまいになっ

てしまい、彼もまた、「すばらしいことはもうすべて起きてしまった」と考え

る。それでは二人は全くもとの、人生の傍観者的状態に戻るのだろうか。

彼らの恋は実る様子はないが、小説全体が指し示しているのは、決してぺ

シミスティックなものではない。フィリップはジーノに殺されそうになった

時にアボット嬢に救われるが、肉体的に救われると同時にこの世に何か偉大

なものがあることを実感し、精神的にも救われた。彼は「改宗」し、これか

らは完全に人生の傍観者であることはないと推測される。小説の最後で、

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[147-148]「ひどく汚らわしいと彼女が考え、そして、フィリップにとっても

まったくの悲劇に終わったこの出来事は、それでもなお至高の美しさをたた

えていた。フィリップの精神はそれほどまでに高められていた。」[231]とフォー

スターは書く。

さらに、この小説には、Waggonerが"theendlesswebofconnections"^

と呼び、フォースターが他の作品においても追求していると指摘する、人間

の生と生とのかかわりの神秘がある。フィリップが、アポット嬢にジーノヘ

9HyattHoweWaggoner,"NotesontheUsesofCoincidenceinthe

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の恋を打ち明けられた時に、フィリップはこのことに気付く。 ...Afterwards,inthechurch,Iprayedforusall;...andthat “ Imightneverseehimorspeaktohimagain.Icouldhavepulled through-thethingwasonlycomingnear,likeawreathofsmoke; ithadn'twrappedmeround.” "Butthroughmyfault,"saidPhilipsolemly,"heispartedfrom thechildheloves.Andbecausemylifewasindangeryoucameand sawhimandspoketohimagain."Forthethingwasevengreater thansheimagined.Nobodybuthimselfwouldeverseerounditnow. Andtoseeroundithewasstandingatanimmensedistance.He couldevenbegladthatshehadonceheldthebelovedinher arms.[147] (「..、そして、あの人の家に行ったあと、わたしは教会でみんなのた めに祈りました...そしてわたしは二度とあの人に会わず、口をきくこ ともないようにと祈ったのです。そのときはそれでなんとか切り抜けられ ました。それはまだ、煙の輪のように近づいてるだけでした。わたしをすっ かり包みこんではいませんでした」 「でもぼくのせいで、彼は愛する子供を失い、そして、ぼくの命が危機 にさらされたために、あなたはまた彼に会って、また彼と口をきくことに なってしまったわけですね」深刻な調子でフィリップは言った。実際これ は、彼女が思っている以上に重大なことなのだ。この出来事の意味を完全 に理解できるのは、もはや自分しかいないとフィリッフ・は思った。そして、 できるだけ完全に理解するために、彼は非常に距離を置いてこの出来事を 眺めた。それゆえ、彼女が愛するジーノをその腕に抱いたという事実さえ、 喜びをもって眺めることができた。)[229-230] アボット嬢が煙の輪のようにおぼろげであった'情熱の本質を、はっきり認 識するに至る成り行きには、意図したわけではなかったが、フィリップ自身

(15)

も介在していたのだ。そして彼女のその認識と共に「何か不滅なもの」が現

れ、それは「彼女が与え、もはや彼女が持ち去ることができないもの」であ

る。ここで再び触れられているのは、以前アボット嬢がフィリップに説いた、

人間が「何かをしたりしなかったりした時にそれが与える影響」のことであ

る。フィリップはアポット嬢が自分の‘情熱を、人生における欲望を、はっき

り認識する過程に巻き込まれ、その過程で彼はアポット嬢が二度と持ち去る

ことのできない何かを受け取ったのだ。この、人間の生と生との蜘妹の巣の

ようなかかわりの神秘については、すでにジーノの赤ん坊が死んだ後に次の

ようなくだりがある。

Asyethecouldscarcelysurveythething.Itwastoogreat.Round

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andhighhopes.Peoplehadbeenwickedorwronginthematter;no

onesavehimselfhadbeentrivial.Nowthebabyhadgone,butthere

remainedthisvastapparatusofprideandpityandlove.Forthe

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transmuteortotransfer,butwell-nighimpossibletodestroy.[133]

(フィリップはまだこの事件の全体を見ることはできなかった。事件はあ

まりにも大きすぎた。泥のなかで死んだイタリア人の赤ん坊のまわりには、

激情と期待が渦巻いていた。この赤ん坊をめぐっては、みんなが意地悪に

なったり間違いを犯したりした。何もしないで眺めていたのは自分だけだ

とフィリップは思った。いま、その赤ん坊は死んでしまったが、あとには

自尊心と哀れみと愛が、途方もなく大きなかたちで残された。死者は非常

に多くのものを運び去ってしまうように思われるけれど、実際は、生きて いる人間のものは何も持っていきはしない。死者が周囲に引き起こす激‘情 は、簡単に変化したり転移したりはするけれど、けっして無になることは あり得ずにいつまでも生きつづけるのである。)[206-207]

(16)

上記の二箇所のくだりを読むと、フォースターは、一度存在した’情熱、あ るいはその影響は消えることがないと主張しているようだ。フィリップとア ポット嬢の恋は実らないままで小説は終わっている。にもかかわらず、小説 全体は情熱の不滅’性を指し示しているのだ。 そもそも、リリアとジーノの‘情熱があった。それはリリアの幻滅したあげ くの死という悲劇に終わったが、あとに赤ん坊を残した。そしてその赤ん坊 も死んだがその成り行きの中で、アボット嬢とフィリップは‘情熱を、多かれ 少なかれ人生の傍観者的存在であった彼らが、人生の中にわくわくするよう な欲望を見出したのだ。 このように見てくると、聖女デオダータの物語も、同様のことを指し示す 意図を持って挿入されているのではないかと思えてくる。生きている間も死 ぬ時も、彼女は大したことは何もしなかった。けれども何らかの"passion" を持っていて、死後にその"passion"は人々を動かした。つまり、一人の人 間が持った'情熱が他の人々に伝播して数々の勝利や教会や壁画といった文化 に変容したのだとフォースターはほのめかしているのかもしれないと思えて くる。 先に述べたようにフォースターは教会や聖人に対して敵意を持っていたこ とがいくつかの作品でうかがわれるし、この作品においても表面的には、「何 もしなかった」聖女デオダータは無行動のフィリップと対応させられている かもしれない。フィリップは現実を逃避して楽しく聖女デオダータに思いを 馳せるし、何もしないことをアボット嬢に責められた時も聖女デオダータの フレスコ画をうっとりと眺めていた。しかし同時に、フィリップに「聖母」 や「女神」のイメージを重ねられるアポット嬢は自らのジーノヘの愛を認識 した後、聖デオダータ教会に祈りに行き、フィリッフ°はそこで彼女の魅力に 気づき陶然とするのだ。 Buthedidnotmove,foritwasanincreasingpleasureto nearher,andhercharmwasatitsstrongesttoday.... ofsentimentalismwhichhadcarriedherawayhadonly himtobe Thegush madeher

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morealluring.Hewascontenttoobserveherbeautyandtoprofitby thetendernessandthewisdomthatdweltwithinher.[118-119] (しかし、フィリップは動こうとしなかった。アボット嬢のそばにいるこ とがますます楽しくなってきたし、きょうはとりわけ彼女が魅力的に見え たからだ...、彼女を襲った感傷の嵐は、彼女をひときわ魅力的にした だけだった。いまはただ彼女の美しさを見つめ、彼女のやさしさと賢さを 思って陶然とするだけで満足だった。)[183-184] このように見てくると、このキリスト教の聖女はかならずしも否定的な意 味ばかりを担わされているのではなく、情熱の不滅、ほんものの欲望の神聖 さという、この作品のテーマを暗示するものとしても用いられているのでは ないかという気がしてくる。勿論、聖女デオダータの'情熱は天上に向けられ ていて、アボット嬢の、美貌ゆえにジーノを愛したその地上的’情熱とはまる で異質なのではないかという指摘もあり得るかもしれない。しかし両者とも、 プライドに凝り固まった、世俗的には有能な、"well-ordered,active,useless machine"[69](「よく整備されて活発に動く無用な機械」)[106]のようなヘ リトン夫人一フィリップは批判しながらも長らくこの母親の操り人形であっ たのだが−の対極に位置するものであることは確かだと思われる。聖女デオ ダータは現実における無行動という点で一見フィリップと同類のように見え ながら、実は内に秘めた情熱という点でアポット嬢の同類であり、フォース ターは、この聖女に二重の意味を担わせているように思われるのだ。 ロマンスを夢み、異国でよりよく生きようとしたリリアは不幸と幻滅のど ん底で死に、自らの命の延長としてジーノが熱愛した赤ん坊も無残に死に、 アボット嬢とフィリップの恋は実る様子がない。それにもかかわらず、読後 感は爽'決である。”この爽‘快さは、この小説が、この世に欲望を見出した人間 10「小説はほとんど意図的に、弱々しいかたちで、悲しい会話で終わる。しかし読 後感は爽快である。」とライオネル・トリリングも述べている。『E.'M.フォースター』 (みすず書房、1997),p.98.

(18)

の喜びを描いていることから来ると思われる。アボット嬢は真の欲望を見つ

け、フィリップは真の欲望を知った人間だけが他人に与えることができると

思われる啓示を彼女から受け取った。アボット嬢の中から現れ出る不滅の、

偉大なもののくだりを読む時、読者は、聖デオダータの人々を鼓舞する神聖

さは、天上に‘憧れる彼女の、燃えるような欲望から来るものなのかもしれな

いと推測させられる。しかもこの小説では、アボヅト嬢に顕著に見られるよ

うに、欲望のおかげで、人は成長が可能なのではないかということもまた、 ほのめかされている。「死者は何物をも持ち去りはしない」とフォースターは

言う。過去は現在の人々の中に生きていて、一度存在した価値は滅びないの

だと言わんばかりだ。赤ん坊は死んだかわりにフィリップの内面の生は活性

化し覚醒した。よりよく生きようとしたリリアの‘情熱は彼女の個体にあって

は実を結ばなかったものの、アボット嬢とフィリップと、ひょっとしたらジー ノの成長に与かつたかもしれない。この小説の爽’快さはさらに、作者の視野 のひろやかさにあるように思われる。'1フォースターのまなざしは個体の生を 超えて、もっと大きな生の広がりと連続性一人間の、他の人間への影響、価 値の継承一といったものへ向けられているらしいのだ。人々は死ぬ。けれど も生の炎は転移し、変容し、不滅であると彼は主張しているように思えるの だ。 11Waggonerは、HenryJamesと比較している。Waggoner,p.82.

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