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チュル、、コ
の純生産論
その地代論的研究
安
達
新
十
に 良 圏 ● 序 本稿に於て研究の課題とする所は、チユルゴーの﹁富の形成と分配に塗する省察﹂︵勾繰冨答。昌ω霞冨時。﹃∋簿凶○ロ①け貯 象の宵げ口¢oコ創Φのユ。すOo昏ωΦの︶に展開されている彼の﹁純生産﹂ ︵Oδ血三けp卑︶理論の地代論的研究である。 チユルゴー地代理論に離しでは、東浦庄治氏の研究﹁チユルゴー地代論の構成﹂ ︵農業纏濟研究、第二総.大正十五年︶という論交が ある。氏は、チユルゴーに於ける地代形戌過程を次の諸段階に分って考察して居られる。郎ち、 一、雫等鮭曾︵地代なき砒會︶ − A、雫等自給脛濟魅曾 B、雫等交換糎濟肚會 二、濁占駐會︵地代護生飛會︶ A、個人的猫占肚會︵差額地代の獲生︶ B、階級的猫占肚會︵︸般地代の護生︶ チユルゴーの純生壼論 一チユルゴ董の純生塵論 ニ 一、第一次的階級的猫占肚會 2、第二次的階級的猫占紅會 從って、研究の便宜上、チユルゴーの地代形成過程の段階形式に關しては篭同氏に構うも、必ずしも、同氏と見解を同じくするものでは ない、否、後論の如く同氏の所説に疑問なしとしない。また、チユルゴーに於ける純生産一地代理論は、同氏考慮の範園1主として、第 扉邸より、第十八笛に書くるものでなく、チルスゴーの﹁省察﹂潜蟄が之に關二一をもつものである。故に、彼の純生産i地代理論はb ﹁省察﹂全節との關聯に於て、検討せられなければならない。この意昧に於て。チユルゴーの﹁省察﹂全体系を要記すれば、次の如き論 理的關聯を以て構成せられている。 臼自第 ︼ 箇.、至第十入節一地代の理論 ⇔自第十九鮪即、至第二十八節一土地制度論 ⇔自第二十九飾即、至第四十八旅岬!漕賦値・貨晶幣弘酬 画自第四十九節、至第七十節1資本の理論 、 ひ ㈹自第七十︼節、至第八十九節一貸付資本論 因自第九十碑即、至第百笛畔;純生琵と砒會階級 從つτ、地代理論それのみが周題であるのではなくして、純生産との關聯に転げる、その基本的表現としての地代が、乃至は、純生琵と 脛濟肚會の全構造との關聯が⋮澗題とせられなければならない。 即ち、本稿に於て論考の課題とする所は、 一、 ゙の純生産︵地代︶理論が如何なる点に於て、ケネー否、重農主義的見解一般と相違するか。 二、彼の純生産︵地代︶理論は維濟學新史に於て如何なる地位を噛むるか、という点である。 從って、この課題に勤磨する意味に於て、
一、 註ノー; チユルゴーに於ける肚會獲展と純生瀧の地代化過程 チユルゴーに於ける純生産︵地代︶と利潤、利子との關聯、との二項に於て、彼の純生産一地代理論を以下に考察する。 以下、チユルゴーよりの引用は︸§ぞ乙9ま讐弓でF3H三口丘。潭9﹃︹一円一月ご浸一・己︹︻三二。ぞ・湊窪︵一部ε1︷X.=揖霧^﹃臼、=﹁順e叶︵簿 一︸・︾。≡μ・.三ψ副。︵︸。 ︾。¢h・μ・ごけ箋。。謀。α。﹃琶・磁g亥g。㏄︶三h£。。欝倒﹃。エ。︸[¢琴臼﹂。・H¢〒︵自G^︶ロ。b・同一。。﹃切。監幽。匹。含。・;コメト﹀凹︸二。k 中のンい三ξの英蘇蜜考︶に振る。爾、邦謬としては、永田清旧註﹁チユルゴオ﹂富に心する省察︵岩波文庫︶琴考。 幽 彼は、 ﹁省祭﹂﹁第一笛﹂に、﹁土地を均等に分割し、其虚で介入が自己の生存に必要なもののみを持つと椴際すれば、 商業︵Ooヨヨ興。Φ︶貸交換一安蓬−は不可能である﹂と題して、 ﹁若し、土地が一壷全住民の聞に、各々自己生存の爲め に必要なる量を正確に斬有し、それ以上のものを杢然有せざるが如くに分配されるとすれば、綜ての者は不通であり、、誰 も他人の溜めに働こうと欲しないであろうことは明らかでめる。叉、何入も他入の努働に封ずる何等の支綿手段をも有し ないであろう。何故ならば、生活苦要物を生産するに必要なだけの土地を費する野選は、湿掻穫の蚕部を消費し、其結果、 他人の垣網と交換し得る何物をも持たないからである。﹂ ︵O・㎝ω♪邦謬二十一頁︶と、先ず、雫等な農業的白給維濟職金口 を経理毒忌の史的難平の原始的原型として理論的に假心する。即ち、この維濟王卿は﹁群体的な経濟紘脅﹂であり、同時 に分業もなく、從って、商業h交換︵一、α07二〇騎。︶のない﹁自給的な経済厭倉﹂である。この意味に簸て、それは﹁軍なる 維濟重機の融會﹂であるが、他面より見れば、 一つの﹁雫等的な純濟耽動﹂でもある。その内面的構造を構成要件という 点より考察すれば、 e生産手段としての土地所有配分の雫等。こ、に想定せられた猷倉に於ては最重要生恥手段たる﹁土地の量的配分﹂は各 チユルゴーの純生濠論 三
チユルゴーの純生産論 四 個人を模準として自給自足可能なる範囹に制限せられてる、併し、未俳の未占有地は存在するものと想定され得よう。他 方その﹁土壌の質的規定﹂に題してぱ土熱なる種類の耕作にも各部壌が好摘であると想定せられている。 ︵併し、後者の 椴定は次の﹁第二節﹂に於て取除かれることとなる。︶また差釜地代の下生要因となるが如き王難の豊饒性に呈しては何 等優劣なきことが一つの三五でもある。 へ即ち、この假定は後に﹁第十二節二に於て取去られることになる。︶ 目違的資質上のヂ等iこの想定は後に﹁第十二節﹂に於て撤回せられるのであるが、i生産脅の肉体的精榊的盗質の雫等 註 が必要な條件である。 謝 若し、この條件を認めないならば、人約資質の差異に起因する−.特に、笹塚者の痙管能力に起因する剰余所得が護生して、彼の準等 纏濟冠會は成立し鯨ないであろう。しがし、この.賃の剰余所侮は副管痙濟的な聞題範暁に崩するものであって、それは直接には、瀧 會程濟お視角に於げる地代の圃題には閑聯一をもつものではへ’5い、. ⇔所得︵一号芙勤居所得一︶のに丁喋。斯くして上記二馴の條件が成立する結襲として、この靴含に於ける先入の所得は雫 等であb、唯、生活維持に必要な範囲の農業勤努所得の形態に限定せられ、この経済華甲構迭の下に於ては、剰余生産物 は勿論、利潤∵地代等の諸股入の聖主的諮範疇は未だ成立し得ないことはいうまでもない。 しかし腿史内事實より考察す几ば、第一、第二の儂定は必ずしも必要なものではない。第一ハ椴定に遷しては、唯﹁實質的な意昧で耕 地の公雫配が﹂という慣件さへあれば足りる。即ち、古代の農村共同休でば耕地の豊饒性と家族人員激の爾差等に劉上して、耕地交錯を 媒介とし、各家族への耕地面漬の配分が行われ、それ彗假に不陣立.であっても、﹁實質的な意味での耕地の公卒配分﹂という状態は確保せ られる。また第二の假定に草しでも、それが調え存しなくても、共同体的強制或は、梢互扶助溜度が類したことも事實である。從って必 要な假定は、歴史約事實としては、唯第三の儂定∪みである。 以上の如く彼は先ず、雫等、自給の罷業齪休顧弁を経蝉騒命の端緒的形態として想定するのであるが、斯かる純潜蔽愈 は史的に、現實に、存在し得ざる論理的惜想であるが故に、縛濟静寧の假想的條件を逐次除去せんとする漸時接近法を採
りつ∼、経堂疏倉の歴史的獲展に想癒しつ、経廻的現實に向って下向すべく論理を展閉して行く、この点に、重農主義一 般には存しない1一晦に於いてブルヂヨア的であるとはいえ−一下濟薩含に劉する彼の史的護展叩台が見出され得る。 ︵こ の点に關しては後論参考︶ 彼は次いで﹁第二節﹂に去て卒等自給魔羅靴含より干等交換詰責瀦會への推移に博して、﹁上記の一︵即ち、﹁第一筋﹂の︶ 一安達!認定は曾て存在しなかったし、叉其れは存績11’得なかったであろう。耕作の多食性と需要の複難性︵ξ幸く2,Q。臓 飢$審羅註ロ。簿冨∋三面9Ω窓αoωび。の。財H。。︶は土地の一生産物と他生産物との安比を招致する。﹂︵7釦讐︶と題し、先 ず、 一、土地︵性質︶の多様性、二、需要の複雑性を媒介として農業紅會内部に於ける分業、從って交換の可能性を説 く。即ちこ、に彼がいう土漿の性質の弟等とはリカードに於けるが如き土壌地味の優劣的下等ではなくして適地泌作とい う意味に於ける土壌の技術的差異である。斯如く一方に於ける耕地の多様性と彼方に於、ける需要の複維性がある結果、生 産︵物︶の複雑化即ち分業、從って交換の可能性か成立する。勿論、適地適作は後に於ては身業、的分業の利釜とその意識 の獲展と倶に漸次意識的に.篤行されることとなる。︵づ﹄錺︶ ︵彼の・分業観に忘しては叢論参考︶ しかし農業融曾内部に於ける分業と交換が成立するためには更に他の根本的な條炬が必要である。即ち一、 ﹁土地所有 榔﹂ ︵冨嶺8薮鼠α①ω器環帥配湯︶の確保、二、生活必要以上の土地耕作一即ち、剰余生塵物の形歳可能性である。彼は 第一の点に關して。 ﹁此量定︵一鶴一節のi安蓬i︶は曾て存在し得なかつ江。何故ならば、土地は、分割される前に耕作されたからであ る。即ち耕作こそ、分割の、而して各へに其所有を保諦する法律の唯一の動因であったからである。さて最初の耕作者は 恐らく能う限り多くの、從って生存の工め.には必要以上の土地を耕作した。﹂と、 ︵o㎝ω心邦課二十一i二頁︶ 土地所有樺の威立は土地耕作勢働という人闘の歴皮質行爲に起閃するものであり︵軽て、その限りに於て脱農學派一般 チユルゴーの純生蔑論 五
チユルゴー∂純生一産肱欄 山 ノ、 に於けるが如く﹁自然内国序﹂︵一、つ冠︵マ①ロ欝貫蝕︶に起源するものでばなく、︶唯、法律はこの人聞の勢働薯實を泊暖した 詑 も外ならのにないと解している。斯くして彼に於ては、土地耕作の思置幕實こそ土地分配の些準を決定するものとなる。 謁 彼はトロ地所有罹に結して、別に﹁第九怖﹂に於て﹁王地の万入北ハ有が止み、あ地所育擢が確立されたのは最初に耕地を耕し、其牧穫を 確保する爲めに其れを柵で開饒した口口勢働によって一ド・ある。肚會が確立し、偶々の力よりも優位となった公約模力即ち法律が一切 の他人の鮭害に資して各人に其財産り完全た.る所有樫を保有することが出來た。﹂︵﹂︶・惣旨・邦課二十九頁︶と、また一、第十七節﹂に 撃て・地主は﹁物埋的執序の必然性﹂ ︵﹃99ジ巴3︷㌘二♂=o・︻こ︶ξ工凶^旨一←に依って耕作者を必要とする。:然るに耕作者が地主を 必要とするのは唯、 ﹁人闘の慣雪と窪々の法律﹂︵︵一二。^窪く三重二一脇一r≡丁重、工簿︷ざψ8一・い。三戸、g。︶とが最初の耕作者に封し⋮︵叉假 令耕作を止める場・.日に於てさへも︶既に占甘していた熟地所有樺を⋮︵其相績者に陣して︶倶証したからである。﹂︵隔︾︸︶・,.お旨き邦 羅三十五頁︶と、即ち彼は電農←ヒ叢凝念−土地所有灌は神一”一理に於て、 ﹁自然胸秩序﹂亡起源するものであって塾 ﹁入爲約法則﹂ ︵ぎジ℃cエ裂く窪︶によって認定せられるものではないとなす よh離反して、自然灼秩序の形而上學的赤雪を放棄し、 一面に於いて プτヂョアけ的で’のるとはいえウ﹂午一唯病人へ両川の⊥工多聞耕作螢燭怖とい・り陳歴史繭過程トと薯審貝・四臨門に、入⋮聞胱命口靭度ム・のものの発旗展の内Uに、求め て屠る。 斯如く土地所有樺の満、立と、それによる耕作者の耕作園圃の蹟大、その幅下としての余剰生産物の獲得可能性等の就魯 的、基本的條件の上に、土壌の性質的叢異性、或は需要の複維性とを媒爺として、農業瀧含内部に於ける分業11交換が成 註 立する。 調 彼は余剰生産物の墨筆を耕作面∵漬の生存必要以上への濃大という点に求めているが、それが欝欝生産力の塘大という点より考察ぜら れたものであるかどうがは﹁純生産﹂の源泉とP闘聯に於て後論ずる。 併し、この農業的交換輕濟就命は未だ単粒確立濟愈ノ曾であり、不手押緯濟就含ではない。即ち、余剰生馬物の形成は可 能であるが、それが所得の不雫等を惹起する原因とはなり得ない。第二節に於て除去する條件以外に第一節に想定した諸 腰件が残存する限り、各人の所得は昇等であり、生産物の余剰そのものは⋮それが完蚕に消費せられる限b−−祉命成員一 註 般の余剰所得であh一、地代、利潤は存在し得す、唯千等な喪業勝働所得のみが存在するにすぎない。 ・
謝ケネーの羅濟表﹂の三階級よりなる吐露構成は﹁臭備秩序﹂によって周定々裾唾約に規定されたものであり、その限りに於て 肚會そのものに労する庵史的獲展の信念を欠くも一のであるが、伺時に﹁自忍受法叫﹂そのものよりE地所有樺と、そ0純生蓬牧得罐 を認め、吐會階級の形成と土地所有の燭占とが地代を焚生せしめる原因であると考えなかったに反し、チユルゴーは卒竿纏濟趾曾i 地代なき肚會を想定して、それより糎濟祉會の叢展の裡に、地代が形成され行く悠件を明確ならしめる点に於て、ケネi否軍農主義 一般とは異った輕濟社曾の歴史的護展観念を持つものであるといい得る。 上論の如く彼は二等的農業経濟頭重として先ず手等自給経濟就魯︵第一節︶雫等交換維濟耽倉︵第二節︶を想定するが それ等二耽愚説濟はいすれも農業親愛乱撃であり、それは杢く現實とは遊離した想定である。彼は漸次接近法によって彼 の想定せる野業を逐次除去して現實激倉への接近を犬め、次ぎに階級的土地猫占吐愈を想定する。先ず彼の﹁省察﹂の順 註 序に從って、階級的土地濁占融會への序論としての第三、第四節を考察しよう。 謝 東浦氏は第三、第四、第五筋を早生的交換痙濟祉會を論明するものとして、之に所属するものであると解されている。 ︵東浦庄治氏 ﹁チユルゴォ地代論の形成﹂縫業聖主研究第二総五六五頁以下︶但し、疑問なしとしない。第三節、鋸四節は農耕加程より加τ過程 の分離総立、即ち農耕者と加工者との分離過程hその分業の結果としてり農照顧と加工品との交換護生過程を倶に、分業の利釜とい う技術的黒点より説明せ6とするもの.であって、まだ爾階級の祉會的分離渦程並びに匝因洗歪に無しτの説明は存在しない。彼はそ の説明を第九節、第十節に委ねている。故に、これらの捷術的・心癖的説明が相補完して第︸次的階級土地揚占肚會︵生琵者︵翼? ^ぞ。鼠。¢︶階級昌耕作者階級と鍍傭者︵。・ξ§9Φ︶階級巳工匠の階級との分離︶への推移を説明するものである。また第三筋第四節 は雫質的農業交換輕濟趾會よりの、分業のより高度の護展を説明し、それを媒介として第⋮次階級的郷地掲占漱會への推移を準備す るものでもある。從って東浦氏の如く、前者の就會を説明するものではない。また、後者り耗會の論明として之に購齢するものとも 考えられない。チユルゴー﹁省察﹂の節別順序より見τも、同氏の如く第五節までを前者の祉會、第六節以下を後者の就會を読明す るものと機械約に考えることは困難である。 また、同氏は、 つ濁占祉禽己の中に﹁個人的猫占杜同一として﹁差口硫地代託生の瓢肌即しを想定して居られるが、之は氏自身に依る 想定であって、チユルゴーに勝ては何等明確な形体に於て型置されては贋ない。唯、それは、止別するとすれば、聖堂的農業糎濟祉 會より、階級的土地猫凝望禽へ込る前に考察の順序としての想定としてのみ意味をもつものであろう。 チュルゴーの純生玄厘弧酬 七
チユルゴーの純生産論 入 彼は第三簿に於て﹁土地の生産物は人間の欲望を充たし得るためには永く且困難な準備︵O鴨薯鋤﹃①弧Oμ︶襲加工を必要 とする。﹂ ︵や窃も。α︶と、また第四節に於、て﹁準備温加工の必要は生餌物と昔話との交換を齎らす。﹂ ︵や繊O︶と農耕過 程より加工過程の分離猫立、即ち農耕者と加工者との分離過程11その分業の結果としての農産物と加工晶との交換機生過 程を分業の指事特技術的観点より論明する。この点で、彼は分業の利釜を意識し、思置.節に於て﹁⋮若し自己の土地に各 種のものを産出せしめ、叉自己の諸欲望充足に之を使用する同一入が総て此等の中里加工を自から施さねばならぬとした ならば彼れが塗然祓長しないことは確かである。⋮−各人の総ての他の欲望に就いても同様のことが謂えるのであって、 若し彼が自己の耕地と勢働にのみ頼るとすれば、多大の時間を浪費し、苦痛を蒙り、然かも、総ての点に於て設備も極め て悪く、土地耕作も最悪となろう。﹂ ︵℃P器α一①邦繹二+三一四頁︶と、また第四飾に於て﹁⋮総てのものは斯かる組 織︵ρ﹁﹁四P頴OコP①β汁︶から利釜を得た。何故なら、各人は唯一種の努働に辱心することによって遙かに大なる歳功を牧めた からである。農業勢働者は白点の耕地より出資る限り多くの生産物を警世し、他の緬ての必要物を、自身の選書によつて 作るより遙かに客易に、その余剰物の交換によって獲得した。﹂ ︵P器①邦謬二十四1充頁︶と、いう。上論の鮭會に於 ける土地が適地黒作の外に、こ、に於ては入閣の性質上の差異i併し、人聞の適材遍業というが如き技能的差異がまた分 業を護展せしめる一襖機となる。 斯如く彼は分業の吐含的罷職に熱しては明確に意識する祈があったが、第四節に於けるが如く、農耕者は余剰生産物を 生産し、他方、加工者は工業的分業に從毒するとは想定するか、後者は何等介剰生産物を生産するものではないと思惟し、 爾階級一般に製して均尊く勢働生産力の獲展と余剰生恥物の形威を認めていない点に於て、分業が勢働生産性の照準と余 剰生産物或は純生産の形成に如何に土壁するかを考察すろ所がなかったといえよう。即ち、彼は未だ分業、を以上の諸要囚 に關隣せしめて考察するものではなかった。即ち。この点に後のアダム・スミスに於けろ早寒かある。︵特に、國歴年第︸ .
編の分業論、第三編、第一章、参考︶ 彼は次ぎに第五、第六、第七、第八節に於て、生席駄階級と被傭者階級との維濟的機能に歯する本質的差異を論じ、第 九、第十節に於て、繭階級への分離に幽する耽會的過程と其原因裁縫とを論じている。次に後者を先に、前者を後に論ず ることにする。 彼は第九節に煮て﹁最初の時代に於、ては、地主は耕作奢と匿別されなかったに違いない﹂として、その理由を耽命焚展 の初期の時代に於ては﹁⋮他人に耕地を耕作せしめることは確實ではなかったであろう。他人にとって見れば、 一切の辛 勢を費しながら、総ての牧穫が自己に厩さないと謂うことは容易に了解出面なかったからG猫お、斯かる最初の時代に於 ては、各農業勢働者は、その望む限り多くの土地を見出したから、心を惹かれて他人の爲めに働くようなことはなかっ た。総ての地畔はその耕地を耕すか、若しくは全然之を放棄しなければならなかったのである。﹂︵O・αω㊤邦課二十九頁︶ と。次ぎに第十節に於て﹁杜愈の進歩、絡ての土地は所有者を持つ。﹂として﹁併し人は土地を充し、而して次第に之を 開墾して行った。最良の土地は、永い問には、総て占有されるに至った。後に來たものは、唯だ前の者が拒絶した不妊の 土地のみが淺された。併し結局、総ての土地は其所有者を見出し、而して、土地を所有し得なかったものは、被傭者階 級として雇われ、土地所有耕作者の余剰生産物と白雪の筋肉勢働とを交換する以外に彼等には先ず方法がなかったのであ る。﹂︵O.㎝ω¢邦諜三十頁︶。と。即ち爾階級の仕含的分離原因を入口の増加とそれに依る土地開墾に麟騙せしめ、土地所 有の全面的形振と倶に、生産手段としての土地より遊離された被傭階級か成立すると解している。しかしこの腰會に於、け る生産者階級に議しては未だ、土地所有者と農業絆螢者或は農業勢働者との分離は存在しない。斯くして、靴會的分業一 農耕過程より加工過程の、また農耕者より加工者の技術的分離、爾階級間に於ける生産物の交換流通を先行的條件として こ、に爾階級の杜暮雪分離によって第一次階級的土地蜀高論會一しかし、それはマルクスの﹁箪純な商品生産者硅會﹂に
チユルゴーの純生産論九
チユルゴーの純生産論 一〇 相感ずる一が完成する。 この露点への.蔵命吋推移通程に宜して、甑に引用したる如く、 ︵第十笛︶彼はリカードの所論ーセ壌地幅に關する優劣 の差等、從って人口増殖の結果、耕作の優良地より劣等地への下降一と同様に耕作の下降的序列ケ想定している。即ち、 このことは彼が土地の優劣性H土地の自然的差異に起囚する所得の差等としての差.谷地代の存在と形成の必然性とを意味 するものである。彼が弟釜地代の存在と形祓を明確に規定してるのは第十二筋に於てであり、 ﹁⋮縮ての土地は均しく豊 饒ではない。同一の面積の土地と同一の努働を以てしても、二人は甚だしく異った生塵︵物︶を土地よb獲得し得たであ ろう。⋮﹂ ︵PqへO︶と、即ち農産物牧穫の差益一州釜地代の形成を示すものである。斯如く、彼に於て、就愈閣係に於 ける土地所有の全面的形成とは無闇係に、優良地の個入的占有という、n然的關係を起因として獲生する差釜増血に關す る†張が見出される、併し彼はそれを以て、 ︵リカードの如く︶地代獲生の基礎.條件、從ってまた地代理論と債値理論と の相互交渉に於て、之を捉えんとするものではない。この意味に於、て、彼に於、ては、茱釜地代の形威と存在に關する認識 は一感存在する、併し、債仙、債格論との交渉に於て差谷地代法則にまで理論的に認識されているのではなく、唯、土地 所有の不雫專、或は土地地味の優劣差等に依る所得の不李等の一壷囚として想定せられたものである。 斯くして﹁第八節﹂に於、て﹁第一に韓含は分れて二階級となる。 一は愚婦軒即ち耕作者の階級であり、二は被傭軒階級 即ち工匠の階級である。﹂ ︵O●0ω。。邦謹二十八頁︶と。然らばこれ・レ・爾階級の温語的機能に於ける本質的差異如何。彼は 第五節に於て﹁生産する︵農道︶努働者は擁隠する︵O吋曾母。︶工匠に勝る。 ︵鷺業︶勢皇考は富戸循環の最初の原動力 ︵δO鴨①∋冨﹃∋oσ凶δ︶であり彼こそ土地より総ての工匠の報酬︵δω巴四隅①︶を生産する。﹂︵や窃9Q♪︶と、 一面忠實に重 農主義的見解を奉じている、しかし他面彼は﹁︵生産者階級の⋮安蓬⋮︶優越︵仁μ①ロな8節葺α︶は名響︵ず。づ需嘆︶とか 威嚴︵山妻三審︶とかの優越ではなく、物理的必然性︵忌。㊦の。。凶8づξの凶ρβΦ︶のそれである﹂ ︵サα撃.︶と論くことに於て
重農學派的な自然的秩序の形漏電學詫よb雄反して、農業の工装に聾する優位は題.叢が生活上卿ξ重事な食料乃蚕、原料を 余剰生産物として供給し以て、他の耐倉階級の維持を可能ならしめる⋮靴含存立の基礎である一という突,観的現世の事實 に認識の根擦を求めているのである。 次いで彼は生産者階級と被傭者階級との所得の相違に附して、第六節に於て﹁岬労働者︵肥Oββ﹃凶Φ﹃︶の賃銀は勢働者⋮間の 競孚によって生活必要費額に阻.定される。勢働者は唯、生命を維持するもの︵QQ鋤くδ︶を得るにすぎない。﹂︵℃・㎝も◎紀︶と 題して﹁腕と勤勢とを有するにすぎない輩純努働者は他入に其県勢︵QQ餌b㊦言Φ︶を費る以外に何物をも持たぬ。彼は之を 或は高く、或は安く費督する。然しこの慣格は一それが高かろうと安かろうと1勢働者・日面によってのみ決定されるもの ではない。其れは彼の勢働購入者との間の一致より生するものである。⋮勢働者の賃銀が其生活必要費額に限定せられる ことは如何なる種麟の勢働に就ても起らねばならぬことであり、要事与野、起るのである。﹂︵やゆ無︶と、即ち縦傭者階 級の所得はその生存費︵法則︶によって規定されると論じている。反之生産者階級の所得に關しては、第七節に鞭て﹁農 業獣が働者は其艸労働が勢働賃銀以上に生産する唯一のものである。故に彼は撃ての富の唯一の源泉︵一、Oβ凶ρβ①ωo貫oo山Φ、 け090法。ず①ωω①︶である、、﹂ ︵℃αOつ。︶と註して﹁⋮王地は総ての他の者叉総ての約束とは關係なく、直接、金葉勢働者に その勢働の戸部を支早うものである。自然は絶封的に必要な額だけに満足せしめるように彼と取引をしない。自然が與う るものは、欲望、或は、一勢働日︵一〇=﹃ロ①Φ︶の前説の慣脅的評債︵§①曾9。ξp臨。ロ8p︿①四一。雪①濠︶に比するものでも ない。それは地味の豊饒の物理的結果であり、土地を豊饒ならしめる覚めに使用せる困苦や手段よりも遙かにその適切な ることの結果である。農業勢働者の勢働が必要以上のものを牛∵産するのであれば、彼は自然が彼の辛勢の賃銀以上に純粋 の賜物︵O虹﹁ユ。β︶として彼に患うる余剰を以て、疏脅の他の歳員の募働を購入することが出干る。﹂ ︵O・駅OQ︶と。 斯如く生乳者階級の外に被傭者階級11生産手段としての土地を所有せす﹁、腕と勤労とを有するにすぎない軍純跨働者﹂ チユルゴーの純生産論 一一
チユルゴーの純生産論 一二 ︵O.αω哩︶の川現する場合に於て、爾階級の所得に於、ける弟異が嚢生する。即ち生盛者階級の勢働牧盆一純生士厘は自己の 生活必要以上に出する生産物余剰としてこ、に、人間藁囲生産力よb論明せられす、自然的關聯に於て土地の自然生産力 に起因する﹁自の賜物﹂ ︵口β血O旨 ユΦ 一骨 ⇔鋤けβ円①︶として現われ、同時に生産者階級に於ける土地所有の杢面的猫占と被 傭者階級の土地所有よりの分離という耐再的關聯を媒介として生廉者階級の手中に地代として自己を韓化する。勿論生産 者階級の所得はそれ自身に於、ては試乗報酬であり、その限り地代と勢至との未分離の裡にあ、るとはい煮、被傭者階級との 努働︵生旋転︶交換に於て、以上の耽魯關聯を媒介として爾階級の所得の差異が出現して、生塵者階級に、その勢門部分 の他に、純生産H地代が明確に匪分諦脇することとなるQ 彼の第一次的階級経輪吐禽一生産者階級と被傭者階級との.分離せる靴會︵マルクスの㎜早純商品生崖者の就愈︶ に於ては 未だ、生産者階級自体に於て、土地所有者と農業純督者との分轄は存在しない、即ち、土地所有者自身が農業経螢者であ った。然るに、今や、彼は、第十一節に於て﹁地主の賃銀耕作者に封ずる耕作努働の賦課が可、能となり始める。﹂と註し て、﹁併し土地は之を耕作する地tに生存資料や、交換の方法によって彼が必要とする他の物を獲得する牧穫のみならす、 猫お、多くの余剰生産物を齎すから、彼はこの余剰を以て、自己の土地耕作の爲めに入に支蔽うことが出た﹂ ︵ooひω㊤1 課O︶という。即ち生産者階級は自己の消費必要分以上の余剰生産物の獲得とその節約とによって﹁動康的富﹂︵ユ。ゴ①沼①ω ∋oげま自。蹄①ω了,づ窃Ob。一﹁資本の蓄積﹂が可能となるのであるが、それによって土地所有者が資本所有者として、他方に 於て、彼が農業勢働者に封立するという耽會關聯が成立する。 註① 彼に於ける動産的富11資本の蓄積即ち、資本所有者と賃銀勢勤皇との分離、資本鎖壌の成立叢展に塗しては後節第二十九節、或は 第四十九節以下に論ぜられている。後論A参考。 ② 彼がこ、に想定する駈は、彼が上地耕作嗣度に聞して後筋、第二十節、第二十︸箇、第二十三箭にいう賃銀耕作制、或は奴隷、耕 作制等のま地耕作制度の護展史的態様に該富するものであろう.、
斯くして彼は﹁⋮賃銀生活者にとっては、他の仕事に於けると同様に此仕事に於て、勢銀を取得することが出來た。斯 くして、土地所有は耕作勢働から分離されねばならなかったし、叉闇もなくそうなったのである﹂︵やαお邦課三十頁参 考︶、という。然らば何故に、如何なる原因によって、土地所有者と農業経立者との孫離が蛮生したのであろうか。しか し當面の耽倉に於ては生産者階級に配分せられている土地面積は自己の生活維持必要上一余剰生産物としての純生蔭の形 成可能程度狂であるかまだ各人に賭しての所有土地面積は同一であると假漏せられている。彼は次ぎに第十二節に於て ﹁土地所有の分割に於ける不雫等。これを不可避のものとする諸原因﹂と題して、土地所有不平等愚生の過程と原因とを 論じ、以て土地李等配分の假定を除去して行く。彼は土地所有不評等護生原囚を、 ﹁既に浮べた如く先ず、最初の土地所 有者は其家族との耕作に於て、力の許す限り多くの地面を占有した。より強力なろ、より勤勉なる、より多く將來を懸念 する者は、其れと反封の性質を有する者よりも多くの土地を取得した。其家族多敏なる者は、より多くの欲肇とより多く の腕とを有するから、猫お一二其所有を獲大した。此れが既に第一の不亭等であった。 総ての地面は均しく豊饒ではない。同一面積の土地と同一勢働を以てする二人は甚だしく異れる生濃を土地より獲得す る。即ち、此れが不雫等の第二の原因である。 土地所有は親より子に移る場合、其家族数の多小に慮じて多少小部分に分割される。代々の者が相噛するに從い、時と して此蓮産は細分され、時としては分家断絶の爲めに新に結合される。即ち此れが不李等の第三の原因である。 一入の怜倒・活動.而して特に節約と選入の怠惰・不活動・浪費との封照は総ての中で最も彊力なる不情思の第囚の原 理であった続﹂︵や鰹O邦繹三十一頁参考︶という四個の原因、家族勢働蟻、人間資質差、土地豊度差、相績的原因等に り ぱ 求めている。 註 彼はこの点に冷して纏濟外的な武力、脚力的前官關係による土地所有不雫等原因を忘れている。傑し、邪論、第ご十一節﹁奴隷によ チユルゴーの純生産論 ︸三
チユルゴーの純生産瓶醐 一四 る耕作﹂に於て多少の考慮はしている。 斯くして、以上の原因によって土地所有の不亭等が不可避的であれば、その結果、こ、に第十三節に於けるが如く﹁不 平等の結果。耕作者は地主より、慨別せられる﹂に葦る、即ち﹁⋮浪費する.或は、不幸な地主の︵財産︶部分は、より宰幅な る叉はより賢明なる地主のそれを増加するに役立つ。而してこの無限に攣化する土地所有の不雫等の中に於て、多くの土 地所有者が耕作し得る以上のものは所有せぬという事は不可能である。しかのみな農.す下る者は其富を雫穏裡に享得せん と欲し、垂下ての蘭質を困難な勢働に用うる代りに自己の翁めに働く者に其余剰の一部分を與えろことを選ぶのは極めて 當然である。﹂ ︵,凱自邦詳三十二.屓、滲考︶と。土地の商晶化︵第五十六、五十七、五十八節参.老︶を媒介として、土地 所有に於ける不千等の結果、こ、に全然土地を所有せざる階級︵彼の狭義の生仁者階級︶と自から耕作し得る以上を所有 する階級︵襯・王階級︶とに生産者階級蛇身が分離する。しかし斯かる胱禽が維持せられる下めには、余剰生産物の生産の 可能性と倶に、土地所有制度の確立とか根本の必要量件である︵第九節参考㌔ 斯くして彼は第十五笛に於て﹁粧會は新に耕作者工匠及び地主の三階級、即ち生産者階級、被傭者階級及び財を自由に 庭分し得る階級︵o訂沼Φ島のロ〇三三①︶に分たれる﹂ ︵oOα自1α合︶と史的赤墨的立場を採りつ、、重農學論傳統の三階 級就禽形成︵説︶を説く。 然らば斯様に耽含構成が攣容するとすれば、それに慮じて﹁耕作者︵階級︶と地主︵階級︶との聞に於ける生塵物の配 分﹂ ︵p課H︶は如何なる内容をとるであろうか。彼は第十四節に於て﹁⋮土地の生産物は二個の部分に分たれる。一は 生活必要物と勢働の報酬即ち地主の耕地耕作を引受ける條件たる農業勢働者の利潤︵買Q黛︶とを包含する。淺部は土地 が耕作者に其元贅︵国く自。βOOの︶及び辛努に封ずる賃銀以上に純粋な賜物として窺うる猫立且つ自由に耳管し得る部分であ る。これが地主の部分即ち隠里︵﹃Φく①β二①︶である⋮﹂ ︵マ駅亀︶と、後者が地主の牧釜U地代に予熱する、勿論生塵者
階級と被傭者階級とは﹁⋮何等の牧入を差せす、叉均しく土地生摩物より支意われる勢銀によって生活する⋮雨階級がそ の勢働及び元資、の債格のみを牧羊するということは共通である。﹂ ︵O‘一心卜⊇第十山ハ箇参考︶。 從ってこの筆戦に於ける生産者階級の所得は土地と勢働との自然的關係、即ち、土地の自然的生席力に起因する一從っ て﹁蚊が働の生産性﹂は見愚なわれているが一純生産の自己牧得とは逆に、土地所有の濁占的不準等の結果として、土地所 有者との耽命關係に於て、被傭者階級の水準まで引き下げられ、こ、に純生産は研謂、地代として地主階級の所得を構成 することとなるQ 註 この点に於て彼は﹁農業勢働者の利潤﹂ ︵第十四節︶或は﹁勢働及び元資の儂格﹂ ︵第+六節︶と﹁利潤﹂の形成を認めているが、 それは既に資本關係の成立後の肚會を豫照し、その励命目えも含めての一般的規定であると解し得る。 斯くして、上述の如き厭愈階級構成が完成されるとともに、地主階級と生亮.階級との問に、土地耕作古写が群生するこ り ととなるQ彼は第十九節以下に﹁地主がその土地より牧釜を抽出し得る方法﹂ ︵二五ω︶として一しかしそれは他面より 見れば土地︵耕作︶制度の獲展史でもある1五筒の耕作方法を列燃している。即ち、 第一、賃銀勢働者による耕作︵。葺霞①℃母α①ωぎ∋ヨ。ωω9。奪刷①の︶︵第二+節︶ 第二、奴隷︵隷農︶による耕作︵o旦け貫Φ℃母霧。訂く窃︶ ︵第二十一節・第二十三節︶ . 第三、定額地代を條件とする土地の譲渡︵四一凶①旨二二臨Oβα口 hO⇔亀ω 曽 一90 0ず餌﹁㈹①ユ一d口O ﹃Oα①<斜コO①︶一声小作制︵第二十 四節︶ ・ 第四、分盆小作︵ooぎ芦勾強。づ母酔6マゆ︶ ︵第二十五節︶ . 第五、小作、土地の賃貸︵楽手二丁醤O自一〇<鋤毬ユ①ωけ①冥①。。︶普通小作︵第二十六節︶←賓本家小作︵第二十ヒ節︶ 註 しかし、之を土地耕葎制度の獲展史態檬.として把握することも可能である。爾、このチユレゴーの見解を、後のアダム・スミスに於 ける土地制度論︵國闘乱、第三編、第二章に於ける︶と比較すれば、殉者の聞に一脈相通するものがないであろうか。 チユルゴーの純生産謝 一五
チュルゴーの純生窟論 一六
斯如く、彼は種々な﹁土地利用方法]を山斗し、第二十七節に於て﹁、この最後の方法は総ての中で最も有利である。然 し、其れは國が既に富有であることを予想する。﹂として、﹁⋮この方法は耕作の投資をなし得る富有な耕作著の存する虚 では誉詞に於ても樹立され得る⋮﹂ ︵℃・ααO︶と、即ち姿本家的小作農成立の條件として小作者に於ける﹁資本蓄積﹂を 重親している。しかピ、斯かる英國的資本家的小作の形成のためには地主階級と資本家階級と勢働者階級との、,特に當面 の問題である限り、後二階級の階級的分離が根本の前捉である。然かも、その基本的瀧倉關係戒立の爲めには﹁資本の蓄 積﹂とその﹁階級的猫占﹂とが、更に土地所有と資本所有との評者に於て後者の前者に封ずる相獣的優位が、土地所有の ﹁経学外的七二﹂の脱剥と軍なる土地賃貸關係への韓化︵地キの近代化︶とが必然條件である。こ∼に於て、彼は、第二 十九節以下に於て、 ﹁貨幣の蓄積﹂11︵♪ヨ餌ωαゴ﹁頴Φ耳︶或は﹁資本形威﹂の過程を、商口川一貨幣i資本の帝展過程とし て、マルクス﹁資本論﹂の藩誰法的樗成を想起せしめる如く、論理的に展開して行く。從って、以下に於て、斯かる資本 關係の護展と純生産11地代との關聯を考察しよう。 ’ 一 以上の如く、彼は資本形成過程を商品−貨幣−資本への開展史的閣聯に於いて考察すするのであるが、この点で、後のアダム.ス、・、スと 同康b第三十一節以下に﹁商業︵臼交換U︶の獲生﹂從って、市場の摘大に伴って出現する﹁商品評贋︵一、。養露F二⇔昌︷蕾。7・︺器い8=戸, 葺臼壌雲雀︶の原埋﹂を説明する。即ち﹁:提供する財貨に封してもつ愛着と受坂らんとする財貨に暑してもつ欲望とを比較し、それに 七って、交換される物の数量を決定しなければならない。・・暴言すれば、各交換を遊離されたるものとして、文、個々別々に行われるも のとして考うる限り、各交換物の償値は相互に比較される契約者の欲望、或は願望と手段以外に尺度なく、彼等の意志の一致によっての み決定される○﹂︵︸γ﹂記︶︵爾三十二節蓼考︶と主潮主義的償値理論の劇鯛点よら需要供給読を展開している。彼は更に、第三十三筋以下に噸 . 商口m交換の護展の裡より、酒虜理論との閣聯に窪いで、特宝島の僻幣佗ゐ渦準・.噛賦凹物に考塞L、簿幣﹂大質梶用を﹁鍛て∩稗値0懲捕 尺度﹂とともに﹁健﹁贋値の凡ゆる商品の代表静担保﹂︵第三+九簡ご・ヨ﹂︸規完t、金銀が、その裏門的特骨の故に、貨幣となり 且つ、それが︸設化するに浸んで、肚會の分業を容易にし、交換タ甚大し、邊に﹁−其敢獲、または勢働の奪却によって可汲的多くの貨 幣獲得のみを考麿⋮することが出來た。﹂ ︵第四十八節℃.﹂︵己︶と螢利的交換生謹への獲展を説く。然らば、以しの如き本質を有する貨幣 が、資本としての貨幣、即ち、貨幣貸本に韓化するのは如何なる重氏に於いてNあろうか。彼は、貨幣資本の形成に先立つで先ず、實物資 本の形成という閥角より、特に、第五十節に於い︵、﹁・沿費せられざる年々の生際物の蓄積より生する字種の所有物﹂︵℃・こコお︶即ち、 余剰としての﹁ 甥琵的富﹂︵比。ぎ一色︼受︾ご旨菖奉ω︶の蓄積を司能ならしめるものを節約11貯蓄に、しかしτ、それを可能ならしめる源泉を 先ヰ獲生史的には、土地駈有者の牧偲する﹁自然の賜物﹂の外に、重農‡義者一般と異って、産業利潤にも認めている。特に、彼は、後の も も アダム・スミスと同様、利潤の源泉に紛して、一、勤勉による生産︵脛︶費・麦娼の︼般約水準以下への切下げ、二、個人約工費の笛約 による実費の節減に根擦を求めている。︵℃●ヨ罷︶、しかし、か、ろ琵業利潤と自然の賜物とよら、その節約を媒介としてb動琵的富11・實 物資本の形成が可能となる。從って、そこでの資本の形成過程ば圭地所百階級に於ける純生産の浴費節約、或は、輩純商品生産者祉會内 部に於ける商品生産者の勤勉と篤厚よリプルヂヨァー的に説明せられb縄濟外的車力過程−U原生的蓄程過程は忘れられている。 次いで、彼は借物資本の性格に聞しては、第五十一節に暑いτ﹁,動産的富は総ての有利な勢働に⋮封ずる必要不可峡の先決條件である。﹂ ︵︸︾●ヨ諦︶となし、ボーエムに於ける﹁清費基本﹂或は、賃銀基本の意昧に規定されている。︵第五十二節、第五十九節参考︶。然るに、貨 幣使用の一般化とともに﹁貨幣は、畜積容易な鴬め、直ちに動的富の中で最も多く求められ、箪純な筋引法によりその量を絶えず塘加する ところの手段となった。自己の常費必要以上の年々の三値を年々取得する者は誰でも、この余剰を保蔵し、之を蓄積することが出來る。 これら蓄積せられた贋値は資本︵OQ三E︶と呼ばれるものである。﹂︵℃・諮ご、即ち 生活上の考麿より、或は、特に、瞥利的口的のた めに貨幣が、蓄積・使用されるに及んで、資本として、即ち、群書資本に激化する。 註一 この点に於いて、ヶネーが﹁貨幣の富﹂と﹁眞實の富﹂とを匿翻し、電商主義に封回し、前者を軍なる流通手段と解し,貨幣の資本作用 一貨幣資本を自然的秩序より、唯、農業.−十地投資に限定し、農業資本に於い︵,前携として、生漉手段、乃至、多望基本の實物資本を チユルゴーの純冨土粛厘弘副 一七
チユルゴーの純生謹論 一八 電憂し、貨幣の資本としての意義は輕視せられていた。然るに彼は、冨の形成は必ずしも、農業耕作より成立するものではなく、貨幣そ のものが蓄積せられ、資本化することになつで、富を形成することが認められ、︵更らに、資本の蓄積に解しても、土地自身←自然の賜物 エ も も カ U純生産の外に一興牧入の節約・貯蓄をその要因と解している点は既論の如くであるが︶軍農ホ義者一般が節約・貯蓄が資本蓄積の漕極 的機能であう、所傳の支出形式如何−特に、生淺的支出によってのみ、それが積概的に可能であるというに解して、彼は焚生論的立場よ 三二 り資本畜積の要因を、唯、所得余剰の節約一般に求める点に於いて重農‡義者一般より離反して行く。 註﹁ 拙 稿、ケネ’の純生産論︵彦根纒專論叢.復刊第︸号、四十二頁蓼考︶。 鞠融二 山口正太郎、重曲辰學派纒四濟墨二〇五頁豪ア考。 斯如くして、貨幣が資本、馨利資本に韓化するに及んで、それは様々な使用方法をもつこととなるが弩彼は、第八十二節に於いて、五 個の異なる資本使用方法を略説する。即ち、 一、土地購入、二、農業資本、三、琵業資本じ四、商業資本、五、貸付資本としての諸使用方法を列墾・している。從って、こ、に於いて 資本諸像が順次塊實に形成されることとなる。 ︵尚、この点に幽しては、後のアダム・スミス國胴亀、第二編、資財の性質・蓄積・用途 について、その内、特に、第四、第五章と比較すれば興味がある。︶しかし、今、欝面の問題点﹁資本の最初の用法、地所の購入﹂11土 地購入と地代牧得目より考察しよう。 ︵勿論それは、M面よb考察すれば封建制度下に於ける土地所有“土地財塵に封ずる貨幣財産の侵 蝕作用﹄土地の商品化過程に封鷹するものである。︶ 彼は第五十八飾に於いて﹁総ての貨幣資本、或はまた、何等かの慣殖額は、此の一定部分に均しい牧童を生産する土地 と等細物である。資本の最初の用法。地所の購入﹂と題して、 ﹁⋮或る牧釜を生する地所は此牧釜の或る時聞の倍数に均 しい偵徳の絡和と等尋物であるから、その結果として、何等かの債値総髄はこの額の一定部分に均しい牧釜を生する地所 註 と等債物となる。﹂ ︵Pα禽第五十八節参考︶という。 註 更らに彼は土地の償格に曝して、第五十七笥に於いて、艀体的には、﹁土地︵葺ま畳u。︶の値絡はその牧釜の箪に画趣かであろう。 ・土地の市償は斯如くi地の下値が牧釜の儂値と保つ比例によって親芋せられる。﹂と、動体的には﹁・倫、 この十三は 総ての他
の商品の儂格が供給と需要︵コ汽穿=み一餌=す冒p輔葺^﹃︶聞の異なる比例に正比しで攣化するように、土地の費却希望者と購入希望者と の敷の劣少に從って攣化する。﹂ ︵一︶剛︸’3こ衛:“邦繹七十二頁参考︶ともいう。 即ち、この点に於いて、嘗って、土地の自然的生産力に起因する﹁自然の賜物﹂としての純生隆.は土地の階級的猫占と いう颪倉關聯を媒介として地代に韓化したが、八、や、 ︵貨幣︶盗本の形成とともに、その土地所有の購入を媒介として純 生産は土地購入貨幣慣値に封ずる利、士として、即ち、地代と謄本利子との交錯關係が嚢生する。いうまでもなく、彼のこ の見解は土地評債が地代と利子率とに煙具を置くものであるが故に、それ自働因果顛倒的見解である。術、同時にそれは 土地地代と寒雲利子との同一化、從って、費本制的に資本利子の名に於いて地代を説明せんとするものである。 彼は次いで製造業者、農企業に於ける︵潅業︶資本り形成と作用を論考する。即ち、彼は、第五十九籏に於いて﹁・肚曾の大部分が腕 一つで生活する場合には、斯かる賃銀生活者は或は、その勢働の材料を得るために、或は、勢銀の支梯を待つ閥、生活するために、何等 かの前梯を持ち始めることが必要となった。﹂ 公岡、第六十笛蓼考︶、勿論、これは被謹書階級に黒してSあるが、生聖者階級に關しても 黙黙であb、w込に雨高級中、 一方に於いて資本を蓄資した資本家階級と地方に於いて生命手段より分離された勢働者階級との階級的分離 を見るに至る。 ︵第六十一節、第六十五鮪蓼考︶即ち、こ\に電農學派的な立体的階級構造鯉に封して、資本家・勢働者階級という卒面 的な階級關係が介入し、こ、にマルクスの﹁資本制商品生産砒曾﹂が出現する。しかし、この根本的二心關聯の上に、貨幣乃至、實物基 本は.利潤實現の手段、即ち資本として機構する。 斯くして、彼は、第六十二笛に於いて﹁曲用蒸企業に於ける資本の使用二戸及び必要不可罰の利潤に即すろ与論﹂と題し て﹁⋮彼等の資本、即ち、原・年嵩君恩の回牧以外に、 一、何等勢働せす、自己の盗.本を以て獲得し得る牧釜に均しい利 潤、二、蚊万賃及び自己の勢働。危難・産業の偵格、三、企業に使用される財礎の消耗⋮を年々袖尽するものを牧穫中より 獲得しなければならぬ。これらは穂て、土地生産物の寺格より先取されねばならぬ。余剰は土地所有者が耕作者に與うる 影響栗樹立のための田地使掬許可に封ずる支佛に役立つ。これが小作の慣格︵寄鴇一x氏仁富﹁ヨ鋤7qΦ︶、土地所有者の牧釜 チユルゴーの純生窯圧論 一九
チユルゴーの純生産論 二〇 純生産である。即ち、上地の生罪する惚てのものぱ総ての種類、の前佛の回牧及び、前町を投ずる者の凡ゆる種類の利潤の 限度まで之を牧益と見倣し得ない。それは、軍に、耕作費用の回牧︵貯鴨。霞盆α①の時巴り。良①o戸二ε﹁①︶と見倣し得る。﹂ ︵づつ・ミ01頓二︶というQ即ち、農業春、本の素材的贋仙無骨環並びに農業盗塁利澗に漉して彼が論く所はゑケ⋮の見解と 殆んど同様であり、農葉資本利潤は﹁耕作費用の回牧﹂として、郷費に繕腸せしめられる。從って、純生産はケ・不−同様 に土地生産物品格が耕作費用を超過する士関としての礎余H分解部分として現われる。然らば、何故、既論の如き︵主親 説内な︶需要供給開係に於、いて決定される圭地生鳶物債格は農業資本利潤を内に含んだ耕作費用を超過するものであろう も も カ も か。彼のいう所の土地所右の掲撃力が生南閣係より接接的に農堅物傾、格を耕作費用以上に川71き上げるのであろうか。果し て然らば彼の純生歳は債光跡、格論上よりは自然の賜物ではなくなるであろう。從って、彼に於いては未だ地梓、理論と領値 理論との交渉闘聯は不充分であり、職漁理論との闘聯に於ける絶封地代鹿柵論陣は存在しない。それは唯、ネケーと同様 債.値・債格⋮岡惚の根底に於いて、土地、從って、遅漏勢働は消費必要以上の余剰生産物を生出するが、それは、土地の自 然的生産力にへ入周の券働生礎性としてゴはなく︶起因するものであるが険に、土地生塵物債格と耕作費用との差額は自 然の賜物であるという自然置生親と素材的親善とを強く把持するものであるともいえよう。.斯如く、彼は、土地所有の階 級懸濁占の赫果として純生混一自然の賜物一の地代化を詫くとはいえ、それは黒餅關係の進化を媒介としての實物分解開 聯の攣化を読明するにすぎす、その績値愛鳥開係の根底には自然護生観と素材灼観念とが潜在し、魚倉關係の獲展、その 結果としての土地所有猫占︵生平上昇︶に起因する豊崖物慣、格の予想的引上作用一生慶者の流揃關係に於ける直接的販賞 素望作用とは異る!從って、農産物慣格と耕作費用との蒙等の七生、即ち、絶封地代の形、匝を債値理論と地代理論との交 渉に於いて考察−−勿論それは自然の賜物としての純生産の否定に終るのであるが一するまでには蚕っていない。 彼は次いで、第六十三節、第六十四節に於いて、資本的小作企業者とその費本,畜漬の存否は農業縄濟を擾大、或は縮少すると解し、第
六十五節に於いて﹁:大農企業を構成維持し、恒常的賃貸償格−・私は敢て斯う謂う一を土地に付表し、十地所有者に際して常に均しい可 及的大なる歯釜を保証するものは資本︵︵ボ戸三三藁︶それのみであることと思われる。﹂︵7ミ。二邦謬八十二頁蓼老︶という。即ち、嘗って 土地の自然的生産力に海呈する自然の賜物としての純生産の増大は、今や、資本り媒介的,黒熊に基くものとして現われる。 次いで彼は﹂商業資本︵第六十六節︶貸付資本︵第七十筋一︶の形成を論じ、貨幣の償疸に關しては糞詰魂的免解をとるが︵第七十七 節︶第七十五節以下に貸付資本り女面響巨利子離の決定を貨徹⋮資本の需要供給−所得の節約と投資の需要如何、即ち需要供給説に求め る。しかし資本の所得傘はその投資局碕の如何により相異するが、孕常的には資本利潤、貸付利子、土地攻釜の頒偉をとら乍ら相互の均 衡を保持するという。斯くして、今や、利子隼と資本の所得率との相互攣動によって、土地投資、爺業及爺商門口等の活動規模の攣動と貨 ︷幣資本の移動とが惹起せられる過程を説明するが、この点で後のケインズと 宰相通するものがある。即ち、こ、に、貨幣資本は自由放 任と私利追求の自働的作用を媒介として、利子率と資本の所得奪との相互攣動開聯によつτ移動し、重農主義︸般の自然的験序よりする 農業生産への生蓬的支出︵戸苓で。こい⑦℃﹃9ぽ。謡く$︶或は、蜘豊本に饗する重繭山圭義二軍⋮則・絶三主蓑〃三焦灌と葺く⋮封駕することとなる。 斯如く、以上の点に於いて、彼の﹁省察﹂中には、土地所有藍土地財産に引して、貨幣資木一貨幣的富、從って、資本 利子の局面が重要な地翫を占めている。それこそ、彼の葺代的背影、邸ち、アンシヤンレヂユーム末期、佛蘭西に於ける 分釜農制を基盤として、それに当擦する土地貴族に封ずる、重商産県下育成され︷木づた商工業の、或は金融沌只族の市民的 富11貨幣資本の蓄積嚢展という事實に相封慮するものである。 ︵綾の農業の資木童劇化と資木一般の自由放任の強調︶ 虎で、彼は、最後に、斌脅階級を牛産者階級、被傭者晒級、地皐階級に分類し﹁貨幣の貸賃資本家は耽會の三階級のい すれに配されるべきか。﹂ ︵第九十二節、℃・80︶という形態で問題を自から批出し、自答していう。﹁貨幣の貸桐資本家 はその身分に呈しては財を自由に庭直し得る階級に駈する。﹂︵第九十三節、中切︹5︶彼はその理由として﹁貨幣の貸主の 抽掛する利子はその使用に關しては自由に庭興し得る。﹂︵第九十四節、やq箋︶が故にと。しかし、彼は自から、この背 チユルゴーの純生簸論 一二
5 チュルゴ;り純生裡雁眠湘 ご二 定を否定していう。 ﹁建家が白己の必要を充たすのに不便なくその一部を獲得し得る競映に於いて、貨幣の利子は自由に 慮分され得る.し﹂︵銘九十五節、O唄$.︶些し,﹁上地の純生産以外に固則宝に於いて眞に自山に寸分し得る富はないG﹂︵第九 十八節、ワ紹O︶と頃農試養的見解に逆戻りする。二の点に於、いて、彼は﹁⋮貸付貨幣の利子は土地の牧釜、若しくは耕 作・諾業・商業の諸企蒸に於ける利潤から取られるということが分かる。﹂︵同︶.密¢︶と。然らば、資本の帯磁は何にその 根源をもつものであろうか。いうまでもなく、利潤は資太の作用に起肉すると彼は解して.いるが、 ︵第六十二節︶ ﹁利潤 が謄働者の賃銀に、企業者の利潤に、前上の利子に分配せられるとしても、その本質を攣化するものでもなければ、ま た、勤勢階級がその書賃の限度に於いて参輿する類i誌面の漬格以上に、年歳階級によって生産される絹織の額を増加し ない。故に、土地の純生産以外に牧紐はなく、あらゆる他の年々の利潤は、或は、この牧釜によって支梯われ、或は、牧 盆を生するに役立つ費朋の一部を購成するという命題は不動である。﹂︵O,㊦O︺︶と、即ち、 ︵一面に於いて既論の如く脛 費・支川の切ドげによる不完至競争ーー監動態的過程を媒奮として、 しかし︶根元的には純生産より工面われると解してい る。 斯如く、彼は﹁省察﹂の後節に於いて土地財産一見地所育者と貨幣財産i貸付資本家との淫心を求め、結局、前者にの み﹁財を臼山に継馬.し得る階級﹂たるの地砺を春雷し、次第に.弔慰誰蝿的見解に二郷する。彼が斯く、貨幣貸付資本利子 −貸付資木家に嘉して土地地代−土地所有者を車要説する所以は、 まさに、 彼の立時に於ける佛蘭西靴直の現下そのも の、即ち、ルイ十四世の大陸戦孚と官延貴族の奢移による國家財政の危機、反之、特樺賃族の税制改革三斜、金融三族、 和視講負人の國庫牧入への寄生化等の総体的矛盾に封感ずるものであった。 結 び
當両の問題である純牛帯.一地代理論に於いて、彼ぱ霞隠里派一般の自然銅秩序に於ける固定的軟弁構歳観より雌れて一 面ブルヂヨアー的ではあるが、経濟油倉の皮毛聚展親念を担うものである。即ち、彼が寒く所は歴史的事實ではなくして 歴皮的獲展に即賞しての漸次接近法による理論的論述である。斯かる経濟靴愈の罐史的獲展延を具有する結果、土地所有 樺−從って、純生産牧得樺は重農學派一般に於けるn然的秋月に起因する軸の賜物としてゴはなく、人間勢働に於ける土 地耕作という歴史的前面に起因するものとなる。即ち、ヂードのいう如く﹁土地所有襟は神の法たる制度の地位より引き 落されている。所謂る﹁土地投資﹂を宅張することさえ断念している。それは最早占有という事實と靴命的効用とに基く にすぎない。﹂ ︵Oご①簿凌琢慶す8冒①亀ΦωUoo霞ぎ①の両ooコ。ヨぎ属①9H誌①・ロQ◎鼻︶ ︵邦澤古屋美貞氏課ヂードリスト経 濟思想史上巻八十一頁参考︶と同時に、重商屯養的蛍葛の否定一資本一般自由放任特に農業の資本素義任を説くとはいへ 彼の純生産論は稗學的形而上學的無念より離脱し、当家が安杢、且、安定的に紳綿飴に賦課する、建って、眞に自由虞分 し得る階級を地主階級に求める以外にはケネーに於けるが如き、重農的命題は存しないQ また土地所有観が斯く史的獲展性を持つに至って攣化すれば、純生崖自体も、その生害根源に於いて土地と勢働との自 然的關聯−勢働生塵力の護展という見地を欠くが、!土地の自然的生産力に起与する純粋の﹁自然の賜物﹂としての性格 を担い乍らも、それが経濟三番の構造的面癖に於いて、土地所有の階級的濁占の結果、地代に韓化し、更らに、資本の蓄 積、資本關係の喪展とともに、 ︵貸付︶貨轄資本との關聯に於いて、前期資本的に、土地投下貨幣資本の利子と同一親さ れるに至る。即ち、こ、に封建性と資本性との交錯が成立する。しかも、それこそ正に、既論の如く、彼の時代的背影、 重商毛義的絶心室義的機構より大革命に至る船艦酉経濟構造の過渡的な就愈的現認のπ映像でもあったといへよう。 ︵完︶ チユルゴーの純生︷産弧醐 二三