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企業の社会的相互作用の考察 -- 松下電器事例研究 --

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(1)企業の社会的相互作用の考察 一松下電器の事例研究一 N.W. チェンバレンの所論をふまえて. 大. 森. 弘. 1) 社会的資産と企業活動 2) 社会的目的と戦略的決定 3) 社会的目的と常規的決定 4) 経済的対位法にかんする企業. 5) 社会的用具としての企業 6) 企業活動の場としての社会 7) 企業と社会の相互作用 8) 企業の社会的相互作用の事例. 1). 社会的資産と企業活動. 企業が経済的活動をおこなう統一的組織であることは, 広く認められてい るところである。 だが社会については, 統一的な組織であることをあまり強 調しない傾向がある。 しかし,N.W. チェンバレンもいうように,「社会も また一つの組織された経済的単位として機能する」注l)のである。 たしかに企業が多数の部門や工場, 支店あるいは 関連会社から構成され て, すべての業務の流れがさまざまな過程で機能的に関連づけられているよ うに,社会での「経済もまた生産, 流通についての全体的構想によってすべ て機能的に関連づけられる,無数の家計. 企業, 政府部門から成り立ってい る」注2)といえるのである。 ただ社会の経済の 規模の大きさのためと, 階層 注—1) Neil W. Chamberlain "Enterprise and Environment " 1968. 大森他訳「企業と環境」ダイヤモンド社刊, 昭和49年,173頁。 注ー2 ) N. W. チェンバレン, 前掲訳書173頁。. -91. (255)-.

(2) 的構造がそれほど強くないために. その統合的性質は目立ちにくいだけであ って, 財貨の生産や配分などの決定は, まさに「一つの意思決定過程によっ て効果的に行われる」注. 3). のである。. こうした観点からすると, 「企業はより大きな 経済的システムの一 つの下 位単位であり. その業務的活動は全体的活動の中でそれが占める役割に依存 している」注. 4). といえる。 したがって企業は. その組織内において下位部門. や個々人に自由裁量権の行使を委ねるのと同じように. その機能的役割の遂 行にあたって自由裁量権の行使を程度の差はあれ委ねられているといえる。 もっとも時と場合によって. たとえば戦争のような特殊な状況とか. 公益企 業などのような独自の役割などによって強制されたり制約されたりすること はあるにしても, つぎのようにいいえよう。 「一企業が自らの下位部門に与える 自由裁量が限定 されるのに比べて. 社 会的システムがその企業という構成要素に許容する自由裁量が一般により大 きいことは, 明らかに重要である。」. なぜなら 「それは社会的目的の直接的. 一 な 一 つの関数であり, システムの諸目標を達成する 手段である」からであ. る。 社会経済という 社会的システムは. その社会的目的を 達成せんがため に.「企業自体に含まれる階層的構造を上方へ延長して」 構成されており, 「企業は組織化された経済の一 つの下位単位であるという」注5)構成になって いる。 このような理解は. 歴史の流れとともにますます現実的となっており, 現 代的であり将来的な把握といえよう。. 一. 国内において. たとえば日本株式会. 社論がいわれることなどその典型であり, そのことは日本だけにかぎられな い程度の差であり, それはさらに多国籍企業の活動から国境にまたがる範囲 においてもたとえばEC経済廊の事例などで理解されるところである。 そ 注— 3) 注-4). N. W. チェンバレン, 前掲訳書173頁。. N. W. チェンバレン, 前掲訳書173頁。. 注— 5). N.W. チェンバレン, 前掲訳書174頁。. -92 (256)-.

(3) のことは個別的な企業の歴史のなかでも種々に見出されるところでもあり, たとえば松下電器の経営の歴史において, 第二次大戦以前の日本経済のなか での自由な企業活動に比較して, やがて戦時体制に組み込まれていくなかで の軍需生産への強制と民需生産の制約という経営状況は, 特殊とはいえ如実 に社会的システムの 一構成要素としての企業の存在を明示しており, システ ムの目標を達成する手段でもあることを明確にしている。 さらに戦後の動乱 をへながら, 民主化と自由化の潮流のなかで復興した松下電器の経済的活動 をやがて制約してしまったのは, 消費者選動を引き金に独禁法の適用をはじ め社会的また政治的あるいは文化的な要因であり圧力である。 たしかに今日 的にも将来的にもますます, 「企業は組織化された 経済の一 つ の下位単位で ある」ことに, 松下電器をはじめ, あらゆる企業が例外でありえることは出 来ぬ傾向のようである。 さて社会が企業と同様に組織化された経済単位であるとしたら, すでに企 業について考察したように, 社会が その機能を遂行するために, いわゆる 「真の資産」をもたなければならない。 チェンバレンはこれを「社会的資産」 とよんで,. つ ぎのような資産をあげている。. まず「天然資源の構造」をあげ. ているが, これは天然資源そのものだけでなく, 国益のための民間開発を奨 励する法的原則や私的利用にかんする公共的規制それに保護手段などの制度 をふくめた資産である。 また 「労働力の源泉である人口」も, 真の資産の 一. つである。 人口はただ数量的だけでなく, 質的――健康や活力, 知性の発. 達,. 技術や訓練,. 道徳や士気の発揚,. 地理的分布など一一 尺度が より重要. であるという。 第三の社会的資産について一一 国家的資産の第三の範疇はエ 場, 百貨店, ショ ッビング・ センタ ー , 保険会社のような私有の生産的諸施 設から成っており, それらは私的に所有されてはいるが, やはり公共的な富 をなすものである 一ー という。 たしかに一国の国民総生産は, その国の企業 部門にその所有形態と関係なく大きく依存しているのが事実である。 最後に まさに国家的資産そのもの,. つ まり「社会所有の生産的諸施設」をあげる。. -93. (257)-.

(4) これらはいうまでもなく,学校,公衆衛生施設,電信電話網,鉄道,それに 消防や警察の制度, 軍隊から高速道網,等々,あげれば際限がないほど多数 の資産,このうち国によって所有と運営が公私,種々な組合せはあろうが, そのことはあまり重要ではない。 なぜなら一ー経済の銀点からすると,この 二つの所有形式の区別は,主として諸活動に影響を及ぼして社会的諸目的に 適合する路線に そったものに するための手段の選択にあたり, 重要である ーが, しかし一—その分類の仕方がどんなものであれ,すべての社会的資 産に関して,政府の機能は明確,それらの価値を保持し高めること—ーであ る。 だがそのために国家として政府そのものは,企業と同様に資産の価値を維 持し向上するよう,たえず変化にたいし注意をはらう必要がある。 すなわち 社会的資産の価値を維持しようとすれば,嗜好や技術の変化に対応したえず 資産を変形さしていく必要があるからである。 たとえば都市化段階において は,水質や空気もその価値を保存するのに特別の対策が必要になってくるよ うな状況である。 そういう意味では, チェンバレンも指摘しているように,' 「人々のもっている知識の全体は, 新知識の発見によってたえず侵食されて —. おり, この資産価値の逓減を防ぐためには, 予見が必要である」注. 6) といえ. よう。. 2). 社会的目的と戟略的決定. 社会的資産の価値を維持,向上させるのは,国家そして政府がになうべき 社会的目的の重要なものの一 つである。 チェンバレンも一一社会的資産を維 持したり,高めることを語る場合,われわれは必ず調整機能,すなわち管理 的役割を中央政府に割り当てる。 事実,政府は一 つのシステムと考えられ,. 注— 6) N. W. チェンバレン,前掲訳書177頁。. -94 {258)-.

(5) その構成要素として家計, 企業, 地方自治体を含む経済の管理者である一一 という。 そうかといって一ー すぺての政府活動が経済管理的な性質のものと は限らない一ー ともいう。 当然,・ 教育や軍備それに外交など種々な活動の範 囲がある。 いずれにしても, 組織された社会において, 一つのシステムとしての政府 は, その管理的役割をはたすために, 企業の場合と同様に, 目的を内包し, 目標を設定するはずである。 たとえばチェンバレンのいう事例としては, 価 格安定や成長率と完全雇用の継続などをあげている。 しかし目的. 目標とい っても, ただ経済が 成長を追求する というだけでは抽象にすぎて明確でな い。 それは企業の場合に利潤追求を目的としたのと大差ない議論である。 っ まり全般的目的だけでは十分でない。 むしろ全般的目的をふまえた特殊な具 体的目的こそが. その社会の個性的存在を実証するものといえよう。 これについては企業論におけると同様に, チェンバレンはつぎのようにい う。 経済の成長あるいは成長率目標――そのような全般的目的は明らかにさ まぎまの方法で追求することができる。 どんな経済にも自動的にあてはめる ことができるような最適成長率, あるいは一定の成長率を実現する最適のバ タ ー ンというものはない。 自由裁量の範囲は少なくとも営利企業のそれと等 しい一ーという。 そして「要するにある政府は, もちろん自己が管理してい る社会的システムを特徴づける社会的・政治的諸価値をつねに考慮に入れな がらではあるが, 政策の選択によってその成長率を選ぶことができるのであ ー る」注 7)と。. ここで チェンバレンは ,「価値セット」(Value Set) という概念を提起す る。 この概念は. 企業の場合における利潤追求という全般的目的から個別の 企業を個性づける特殊なプログラムないし戦略の選択が支配されるまであろ う「戦略セット」(Strategy Set)に類比されるべき内容である。 たしかに経 済の成長とか成長率など―――経済の全般的諸目的は, せいぜいその経済的 注—7) N. W. チェンバレン, 前掲訳害179頁。 -95. (259)-.

(6) 志廊すなわち それがめざす一般的方向をわれわれに示すにすぎない。 それ らは傾向を示すにすぎず正体を明らかにしない。 ある経済の諸目標を知りた いとするなら, その種々な特殊のプログラムを調査しなければならない。 そ うしたプログラムの選択は, まさに企業の場合における戦略セットに支配さ れるものであり, 特定の社会における場合には. それを「価値セット」と呼 ぶ方が適切であろう. という。 異なる文化は異なる価値セットを反映する一ーこのことは文化人類学者の 証明をまつまでもないことという。 すなわち「ある文化の価値体系は. 一つ の社会の全般的な経済的諸目的のみならず. その達成に取り組む方法をも決 定するであろう。」注8)しかもある社会の価値セットは, 容易に規定できるも のでもなく, また計量化は勿論のこと不等式化の表現すら困難であるが, そ の影響を無視することはできない。 こうした「歴史的影響の産物」を経済理 論の構築において考慮することが困難と危険を大きくしている。 「価値セットは国によって異なる。 また時間がたてば変わる」ーー チェン バレンがいうように. アメリカの価値セットも, 1800 年代の分散化した農業 社会のそれと. 今日の都市化した工業社会のそれとは著しい差異が認めら れ, それはラテン文化を基礎にした今日のラテン. ・. アメリカの価値セットと. も明らかに相異しているのを 認めざるをえない。 ラテン 「家族という単位が重要な役割を果たし.. ・. アメリカでは.. 農場や企業も家計の延長とみなさ. れる傾向がある」注9)という。 だがアメリカは「市場志向的な資本家経済」 の価値セットを構成している事実を確認することができる。 こうした「ラテ ン的家族主義」と比較でき,「アメリカ的個人主義」と対照をなすのが,「日 本の集団哲学の特徴」であるともいう。 そこで観察されている日本的集団行動は. つぎのような三つの前提に基ず いているという。 要約しておこう。 第一に. 注— 8) N. W. チェンバレン, 前掲訳書180頁。 注-9) N. W. チェンバレン, 前掲訳書181頁。. -96. (260)-. 集団は業績を志向する.. 第二.

(7) に,それは集団的業績を志向する,第三に,仕事や報酬は地位によって配分 される,ということである。 これを「有機的な社会観」と評価している。 そ の解説をつぎのように表現する一ー集団の調和は,それが集団の業績達成に 貢献するかぎりにおいて重要である。 そうかといって調和自体が究極的目標. ..... でもない。 幸福の概念でもそうである。 エイプバリー(Avebuiy)卿の言葉 を引用して,こう説 明している。 「日本の理想は幸福の責務よりも責務の幸 福の方をずっと強調してきたのである」と。 いずれにしても,チェンバレンが強調するように,「最も重要なのは 集団 の諸目標である。そして,いったいその何が重要かというと,・内容には関係 なく,それらが集団の目標であることである。」 集団の首脳たちもただ「利 己的願望」としてでなく,「集団的合意」 をえるものとして,目標を決定す るのである。 それは集団の首脳も,集団的な目標に従うことでは,他の成員 と同じであるからである。 こうした「集団志向的哲学」が,いかに日本の工業化への飛躍の基礎にな ったかは, ヨハネス・ヒルシュマイア ー CJohannes Hirschmeier) によっ て解 明されている。 国家そのものが「集団」として,短期的に西欧に追いつ こうと努め,国民経済的任務を果す企業家の役割を強調したのである。ここ にある社会の価値セットがもつ個別の企業の特殊な目標に与える影響を典型 的に見出すことができる。 チェンバレン はいう,「ある社会の 経済的議事日 程は,その社会の価値の産物である」注10)と。 たしかに一一価値セットの意 義は,それがある社会の特殊の,したがって必然的に将来志向的な諸目標を 決定する助けになり, 経済成長のような,あるいは最低生活水準であっても, 全般的目的に,どのような方法で,どの程度まで社会が内容を与えるかを決 定する助けとなることである—ーと。 さらに「価値セットはまた経済的戦略 を支配する規範を確立する」という。 こうしたことは「文化相互間の相違」 を観察することによって,時と所を異にする価値セット間の差異を認識する 注—10) N. W. チェンパレン, 前掲訳書186頁。. -97 (261)-.

(8) ことができ, 経済的戦略をはじめ, 特殊な目標の選択についてやそれらを実 現するために適用させる規範にたいして, 価値セットがもつ意義をより理解 することできよう。. 3). 社会的目的と常規的決定. 社会は, 意思決定の問題について, すでにみた企業と同様な状況におかれ る。社会的目的にたいして, 戦略的決定とともに常規的決定の課題をも つの である。 それぞれの社会は, 将来志向的な特殊な目標とともに, 現在の要求 を満足させ, よりよき将来に投資する手段を用意するためにも, 現在進行形 の経済的活動を 安定化させる必要性に 直面するのである。 すなわち「常規 化された活動というこの現在の甚礎は, 過去から引き継がれてきたその国家 の真の 資産の 利用法を改良し洗練しよう とする,. 継続的努力の結果であ. る」注11) といえる。 つまり一ーねらいは最高の能率をあらわす水準で経済的 活動を安定させることである一ーと。 ただここでいう最高の能率というのは, 「一定の投入から 可能最大限の産 出を獲得する」という微視的尺度, あるいは習慣的用法での生産性だけでな く「現存の真の 資産の可能最大限の利用」という利用可能な全資源の投入を 考慮した総合的意味での生産性をも意味している。もっとも「経済の管理者 としての政府が, 各生産単位内部の生産性についてなしうることは比較的わ ずかである」注12) といえよう。 それは 「私的創意工夫」に依存しており, そ ·れを刺激することが効果的であるといいえよう。 いずれにしても「こうして政府の短期的な, 進行中の, 日常的, 常規的決 定は, 現存する社会的な真の資産が可能にする水準で, 経済的活動を安定さ せることをめざして行われる」といえる。そのために個別企業が常規的活動 注—11). N. W. チェンバレソ, 前掲訳書187頁。. 注—12). N. W. チェンバレン, 前掲訳書188頁。 -98. (262)-.

(9) に適用するのと同一の能率基準を, た とえ能率の対象は相異して特定の 資源 か ら の最大産出よりむしろ全資源の完全利用を意図しているとはいえ. と に か く 能率基準を政府は経済的 シ ス テムの全体に適用 するのである。それは製 品 価格をはじめ, 利子率, 信用の利用可能性, 賃率や労働力の流動性, 輸 出 補助金, 税率, 民間消費と公共消費の比率の変動に影響す る さ ま ざ ま な政策 によって, 能率的な結果を達成しようとする。 たしかに「現在の経済的活動の安定した基礎とい う 全般的目 標 は , 現存の 真の資産の完全な 利用によってのみ達成することがで き る」注13) のであ る 。 し かし経済成長とい う 全般的 目 的については, 真の資産の完全利用では達成 しえない。なぜな ら 「それ ら の戦略的 目 標と決定は, 時間を通 じての真の資 産の 形態変化を通じてなし遂げ ら れるのである」 注14) か ら 。 そこに社会的 目 的とそれを達成するための常規的決定と戦略的決定の補完的役割が理解 さ れ, 相即的関係が見 出 さ れる。. 4). 経済的対位法 に は んす る 企業. 経済的な安定は. 経済的な均衡への傾向を具現するのにたいして, 経済的 な成長は不安定化の効果をもた ら すが, 全般的 目 的として双方 と もに追求 さ れなければな ら ない。これはすでにみた企業の場合と同様 で ある。 「この両 者は必然的にある程度の両立性と矛盾 を具現する一種の経済的対位関係で追 —. 求 さ れなければな ら ない」注. 15) と.. チ ェ ンバレンもいう。. 真の資産の完全利用による経済の安定化は. 技術変化などでの真の資産の 形態変化によって撹乱 さ れる。たしかに一一 時間を通じての成長は革新 を要 求するが, 革新 はしばしば現在の活動の水準の維持 と衝突する。 企業の場合 注—13) N. W. チェンバレン. 前掲訳書189頁。 注—14) N. W. チェンバレン, 前掲訳書189頁。 注—15) N. W. チェンパレン, 前掲訳書189頁。. -99. (263 ) -.

(10) のように, 現在の要求と将来の要求が相争うことも と き どき見られる一ーと いう。 —. 「しかしなお一方は 他方にとって 不可欠である。j注. 16) チェンバレンの指摘. のとおり, 成長と安定は相即的な関係にある。 それは, 「 歴史的に検証され た不可避性」 とまで表現して強調する。 その論述 を 引 用 しておこう一ー もし 時間を一つの流れとして見れば, 過去, 現在, 将来は融合し, おのおのが他 の形成にとって ひとしく重要である。 長期的な特殊の諸目的は, いかに強 引 に提起されようと, 短期の連続がそれを 可能にするのでなければ確固として 追求することはできない。 現在の経済的投入の利用が不十分であるか, また は現在の経済的産 出の消費が過度であれば, 長期的意図 を犠牲にする。 あ る 社会において, その社会的目的は, 現在の短期的目的も将来の長期的 目的も, それぞれ独 自 の政治的影響力 をもつ種 々 の利害者集団によって評価 されるので , 二 つの目的の間に軽重はつけられないし, なんらかの妥協をす るしか仕方ない。 こうした政治的妥 協 を相争う利害者間に満足いくようにす るには, 現在の満足を求める圧力 を緩和するのに十分であり, かつ将来志向 的な計画のための資源 を十分に供給しえるだけの現在の産 出 を実現する必要 があ る 。 この均 衡 を実現させえ る のは, 現存の真の資産の常規的利用による 短期的達成である。 もっとも今日の短期的な規模 自体は, 過去において資源 を 委託し準備された成長の効果を具現したものであり, そのことは真の資産 形態の長期にわたる変化によるもので もある。 したがって「各時期の間の相 互作用は, 安定性への傾向と変化への傾向, 均 衡と不均衡という対位法的主 —. 題と 同 じく避けられない」注. 5). 17) ことを明確にする。. 社会的用 具と して の企業. 注—16) N. W. チェンバレン, 前掲訳書 190頁。. 注—17) N. W. チェンバレ ‘ノ , 前掲訳書 191頁。. -100 (264 ) -.

(11) 社会は企業を社会的用具として利用する。 それは社会が安定性と成長性と いう全般的目的を達成するにあたっても, また現在の活動と将来志向的計画 を準備するにしても, あるいは 常規的決定や 戦略的決定を おこなうにして も, い いえることである。 このことは チ ェ ンバレンもいう よ うに, 「これは 私的活動が社会の諸目標にそって用いられるべき公共的資産であるというこ との別の表現にすぎない。 それらのプライバシ ー が保護されるのは. それが その文化の価値セッ ト に由来するものであり, それ自体, 社会的諸目的に貢 — 18) といえる。. 献するとみなされるからである」注. たとえば西欧社会のよ うに, プライ パシ ー , 自律性が一 つの社会的価値と して保護される場合, 政府は企業にたい して特殊な地位を与える。 企業はそ の社会的役割を遂行する自由裁量の地位を与えられるのにたいして, 政府は システム全体の目的を達成すべく努力して企業の活動を調整する。 もっとも 社会システム全体の目的自体が, 企業の自由裁量を制約する政府の権限を制 限はする。 しかし社会シ ステムの一 下位単位としての企業の, 私的な目的を 追求する自由裁量の機会は, かなり十分に与えられているとい え よ う。 また社会を全体システムとしてみる場合, 企業を一種の全体システムとみ たときと 同様のことが, つまり企業全体と その下位単位を なしている事業 部, 工場あるいは部門の場合にみられるよ うに, 全体システムと下位システ ムの諸目的には必然的に相 違する面と合致する面の双方がある。 チ ェ ンバレ ンが企業と社会を対比させながら考察しているところをみてみ よ う。 まず企 業の場合をみている一ー下位単位を構成する人々の専門的役割と個人的目標 が, システム全体を指揮する人々の役割と目標に合致することはけっしてあ りえないので, 目的は分離している。 下位単位の構成員たちは, 自分をちの 専門的役割を他の下位単位の機能と妥協させられ, 調整されるべきものとし てとらえる組織上の立場にはいない。 これを社会ないし政府の場合と対比し てみると, たとえば鉄鋼産業に属する企業がその投 資, 価格決定, 人事政策 注-18) N. W. チェンバレン, 前掲訳書191頁。. -101 ( 265 ) -.

(12) について政府と 同じ見解を とることは おそらく あ り えないであろう, とい う。 た しかに一ー動機をもたない組織の積み木ではなく, 目的をもつ人間から 成 り 立っているから, 企業はシステム 設計者の掌中にある対象以上のもので ある。 すな わち企業はそれ独自の諸目標をもっている一一 のである。 し たが って. 鉄鋼会社が全般的な社会福祉をそれらの活動の唯一 の目的とすること はおそら く あ り えないであろう, という。 何故なら企業と しての存在の独自 性が否定されるからである。 そうかといって, 企業は社会という全体シ ス テ ム の枠組のなかに下位単位 と してサ プシステムと し て位置づけられるのであるから, 企業の目的は部分 的に社会システム の目的と合致 し な ければならないといえる。 そのため―― よ り 大 き な経済的システムに統合されていな ければ, 鉄鋼会社は存続 し続け ることも, 前進することもで き ない 一ーといえる。 「こう して企業は, シス テ ム機能の遂行とシ ステム目標の達成からある程度独立 し , ある程度それら —. に依存 している」注. 19) と チ ェ. ンバレンはいうのである。. そこで社会という全体システム の経済の管理者と しての 政府は, 「二つの 型の行政手段―� をもっている, という。 このことをつぎ のように説明 しているー一社会の価値 セ ッ ト が是認するかぎ り , 政府は規制 によって企業の自由裁量に 枠をはめることがで き る。 たとえば. 鉄鋼産業は 法律あるいは適切な行政命令 に よって規定された政策に従 わなければならな ぃ , ょ うに。 また企業などの一ー下位単位の自律性が社会の価値 セ ッ ト によ って保護されるかぎ り , 政府はさまざまな誘因に頼らな け ればならない。 た とえば, 鉄鋼産業投資は税制全般や信用政策の変化によって影響を受ける. 鉄鋼価格決定は政府の説得や指導方針によって影響を受 ける, ょうに。 このような規制に し ろ誘因に しろ, 政府がもっている行政手段による権力 は, 完全に発揮 するというよ り , 必要の場合に 行使されればよいものであ 注ー19) N. W. チ ェ ンパ レン, 前掲訳書192頁。. -102 ( 266 )-.

(13) る。 たとえば企業が社会的価値を愚 弄するよ うな自由裁量の行使の仕方をす る場合である。 あるいは社会的価値を満足に確保しえない場合には,さらに その社会的価値を保護するために, よ り大きな規制権力を政府が強化するこ とになるであろう。 「こうして経済的シス テムに おける集権化と分権化の程 度は, ち ょ うど企業についてもあてはまると同様に,時間 を通じて修正する —. ことができるものである」 注 20) と,. チ ェ ンバレンは指摘して, つぎのよ うに. いう。 「規制に よ ろうが誘因によ ろうが, 経済的シス テムの管理者としての 政 府のねらいは, 社会の全般的, 特殊的諸目的の達成をめざす路線にそ っ て 企業が進むよ う, 方向づけることである。」注 2 1). 6). 企業活動 の 場と し て の 社会. 社会全体の経済的シ ス テムの管理者としての政府が, 規制や誘因に よ る権 力を一方的に行使す るわけではない。 それはすでに考察した企業の場合と同 様に, 企業の一部門, 事業部や工場が自 己の利益になる機会を企業内で見出 し , それを開発, 利用する自由をもつよ うなものである. という。 チェンバ レンはつぎの よ うに解説している。 「西欧の私企業経済に 見られるほどにま で分権化が進めば, 個々の企業は恵まれた位置に置かれる。 企業は経済的シ ス テムの下位単位として, その原則によ っ て要請される義務を果たさなけれ ばならないが, これらの義務は 限られている。 高度の自律性を もつことに より,. 企業は社会そのもの 一ー企業が その一部を なしている シ ス テムー一—. を, 自 己の目的のために開発, 利用すぺき 舞台として 扱うことが 可能にな る」注 22) と。 この ような企業の新 機会というのは, 企業の環境変化やその役割変化によ 注ー20) N. W. チ ェ ンバ レン, 前掲訳書193頁。 注—21) N. W. チ ェンバ レ ン, 前掲訳書194頁。 注ー22) N. W. チ ェ ンバ レン, 前掲訳書194頁。. -103 (267)-.

(14) って生み 出されるものである。 企業の環境変化は, 主と し て需要面では大衆 の嗜好の変化や人口 構成の変化であり, 供 給面では製品の革新や生産技術で ある, といえる。 また社会 シ ス テムにおける企業の役割の変化は, 社会的諸 目 的 をよりよ く 満足さすために企業の 自 由裁量を もっと制限 する方がよい か, あるいは増 大する 方がよいか, の公的な 決定にかかっている, という。 たとえば戦時中や不況時それに災害時 な どのような非常時には, 社会的な諸 目 標が至上のものに なり, たとえ過度の集権化の結果, 非能率が生 じ ても下 位 シ ス テムの 目 的の逸脱 を抑制することができる。 これと反対に, 豊富と安 全の時代においては, 社会的 目 的は実験や革新の奨励が促進され, そのため には分権化によって 自 由 裁量が広くゆきわたる必要がある。 このように企業が開 発, 利 用 の舞台と し て社会を扱うということが, 必然 的に社会的諸 目 的に有害という結果には な ら ない。 む しろ企業的 イ ニ シ アテ ィ プが社会的費 用 を最小にするよう想像力 にあふれた方法で社会の必要や欲 求 を満足させる有益 な 場合が多 々 あるはずである。 た し かにチェ ンバレ ン も 確認するように, 「事実,. 革新のこの有益 な結果が, 私的 自 由裁量権を社会. の価値セ ッ ト の 中に含むこと を 正 当 化する主な 論議であり, またおそらく は, 西欧が変化を進歩とみ なす傾向の主要 な 理 由 であろう。」注23) 経済的 シ ス テムのなかで企業間の競争も, 革新 を促進するものと して期待 できる。 企業間の競争は, 革新者にたい して模倣者を生み, 革新が拡散され る効果を生み, その過程で社会の風景を描き改める意義をもつ。 もっとも革 新 をもたらす企業的イ ニ シ アティ プは, 社会的諸 目 的にたい し て良い影響も 悪い影響も与える可能性はある。 し たがって, 政府は社会の利益に反すると 思う活動 を規制するか, 否認 し, また有望と思われる活動 を奨励するとい う ょ うに, 企業がとる行動いかんに反応 し なければなら ない, という。 た しか に, 経済的 シ ステムの管理者と し て, 政府はその シ ステムの下位単位の 自 由 裁量の発揮の仕方に無関心でいることはできない。 そのため 「その仕事は, 注 -23) N. W. チェンバレン, 前掲訳書 196頁。. -104 ( 268 ) -.

(15) 望まし く ない結果をもつ企業機会には 道を閉ざし , 好ましい結果が見込まれ る機会を企業が開拓するのを 援助することである」 注 24) ともいう。 こうした 事例については, と く に最近, 環境汚染や公害問題をはじめ海外投資などの 問題まで, 随分と列 挙しえるところである。. 7). 企業 ・ 社会間の相 互作用. 企業と社会の相互の関係および 作用については, 安定性あるいは均衡化へ の関係と成長性あるいは不均衡化への関係の二側面によって相異している。 前者の関係は一政府と企業の, システムと下位システムの諸目 的は. い く つかの点では必然的に相違するが, 互いに補強し合う傾向をもっている一一 のである。 それにたいして後者の関係では一一社会にとって企業は一 つの利 用すべき用具であり, 企業にとって社会は開発, 利用すべき舞台である一—— といえる。 これらの事例について多数あげられるが. 国民総生産における高度成長経 済や完全雇用への誘因と反応は, 均衡化への相互 作用の典型であり,. エ ネル. ギ ー 政策におけ る 原子炉問題や省 エ ネルギ ー 対策への規制と変化 は , 不均衡 化のなかでの相互作用の好例といえるであろう。 チェ ン バレンの言葉によって一ーこれまでの要点を く り返せば, 政府をそ の管理者とする経済的シス テ ムは. そのシステム内の下位単位である企業の 諸 目 的と部分的に競合し, 部分的に合致する諸目的をもっている。 おのおの はその自由裁量権の範囲内で活動を起こし, 互いに他方の イ ニ シアテ ィ プに 反応する。 おのおのはそれ自体の利点が確保 さ れるような安定した関係の樹 立に努め, またおのおのは自己にと っ て有利であろうと思うやり方で, たえ ずその関係をうち 壊しては再建している。 その過程で, おのおのは自己にと ってより好ま し い解決, 妥協による取決めをはかろうと努力して, 他方にそ 注—24) N. W. チェンバレン, 前 掲訳書196頁。. -105 ( 269 ) -.

(16) の交渉力を及ぼ すー一のである。 こ れ は すでに 考察 し た 企業 内 部 における 「地位一 個性ー交渉力の結合構 造」 と概念的類似性をもつものである。 企 業 内 部における全体 シ ステ ム ー下 位 シ ステム関係と同様に, 社会あるい は 経済 内 部を類比 して理解 し よ うとす れば. つぎのように検討 し え よ う。 社会 シ ス テム 内 における企業の地位は, 企業内の個 々 人の地位 ほ ど 階眉的に規定 さ れて い な い , こ の 問題を どう吟味 し て い くか。 ま た 個性の問題 は, 企業の戦略セットであ り , 社会 シ ステム の も つ価値セ ッ トとの関係が吟 味 さ れるべきであろう。 さ らに交渉力 は, シ ス テ ム の諸目的 と の関連におい て企業の目的が どれ ほ ど相違 しているか, ある い は どれ ほ ど合致す る か, また企業 と シ ステム管理者 た ち , 政府がそれぞれ の目的を達成 し ようとするにあ た り , 両者ともどのような代替的方法を利用 できるかにかかって いる, こ れらの問題の吟味である。 こ う し た社会あるい は経済的 シ ステムと企業間の相互作用 は, すべてにみ た企業 内 シ ス テムでの個人間の相互作用に類比さ るべきものであるが. こ の 問題に た い する示 唆は, チ ェ ンバレンも指摘 するよ うに, ア メ リ カ の偉大な 二人の制度学派経済学者, ソ ー ス タ イ ン. ・. ヴ ェ プ レン (Thorstein Veblen). と ジ ョ ン · R ・ シ モ ンズ (Jhon R. Commons) の研究の成果にあるという。 す な わ ち , シ ステム を構成 し て い る人 々 の 進行中の活動を支配 し , あらゆる 状況で交渉力の行使が容認 さ れるものは . お び た だ し い 制度的な 手続や慣行 的 な集成の 中に組み込まれている, と いう成果である。. 8). 企業の社会的相 互作用 の 事例. こ れまで企業の 社会的相互作用という課題につ いて, チ ェ ンバレンの所論 を祖述し , 理解 してきたつも り である。 こ の理解, いわば チ ェ ンバレン. ・. モ. デルをいかに松下電器の事例をとお し て さ らに理解するか, こ れからの問題 である。. -10 6 ( 270 ) -.

(17) 社会のサ プ ・ システムである 企業, つまり 日本経済の なかでの松下電器 は, すでにみたように 双方的二面性によって 機能する。 「社会的用具として の企業」の側面か ら すれば, 政府の誘 因や規制に適応する松下電器の機能が 理解される。 また他方の側面は, 「企業の開発, 利用の舞台としての社会」 に企業みずか ら 機会や事業を創造していく松下電器の機能の理解である。 松下電器というか, 創業者である松下幸之助は, はやくか ら 創業の理念と して, その「信条」や 「網領」に「社会的公器」たる企業の役割と位置 づけ を 明示化し, 「社訓」 である, いわゆる 「七精神」 の 冒 頭にも 「産業報国 の精神」をうたいあげ, 日々全従業員に 唱和させ, その精神の組織的な慣 行化, 具体的な制度化をはかっている ことも, すでに考察 した機会注--25)が ある。 日本という国家の社会的価値あるいは価値セ ット (Value Set) を 積 極的に容認し, むしろ建設的に貢献することこそが, 企業の社会的な使命で あ ると創業当初か ら理念的に認知していたことは, 当時の社会的また経済的 な環境および松下電器の企業的位置か ら して特異性があり, 個性的であった といいえよう。 したがって松下幸之助および松下電器は, 企業そのものを「社会的資産」 と把握し, 人材や資源, 資金を「社会か ら の預り物」として「社会的価値」 つまり社会的使命に そうよう有効に経営するところに, 「社会的公器」たる 経営のあり方を 徹底 して 追求していく。 そこには 「社会的目的と戦略的決 定」および 「常規的決定」 の関係で. 本来的に 設計段階か ら して乖離や葛 藤はないはずである。 企業としての「戦略 セット」 (Strategy Set) は, 松 下電器においてすくなくとも理念段階で社会の「価値セット」とシン ク ロ ナ イ ズしており, まさにシ ナ ー ジ効果をもっているといいえる。 ただチェンパレンもいって いたように. 「価値 セ ッ ト は国によって異なる。 また時間がたてば変わる。」 空間的, 時間的な, あるいは風土的, 歴史的な 変化というものを 「価値セ ット」なり社会的価値観に組み込む必要があ る 。 注ー25) 拙稿 「経営理念一 目 的 と 個性ーの考察」 商経学叢62号。. -107 ( 271 ) -.

(18) これは 「対位法」 なる変化の概念, あるいは成長と安定. 不均衡と均衡につ いての社会的, 歴史的そして経済的な概念か ら しても当 然のことである。 い わゆる 「 日 本の集団哲学」も歴史的に時間の推移とともに, 安定的に均衡化 しつつも変化し, 進化論にい う 小進化を累積していき, その量的な累 積効果 がある時点で爆発 し , 成長的な不均衡をまねき, 質的な大進化を招来さす。 この時間的な変化過程のなかで, 社会的, 経済的環境が, したがって社会シ ステムの価値 セ ットが, 企業の戦略 セ ットと. 理念的にはともかく内 容的と いうか機能的に 整合性を もたなくなり, いずれかの硬直化に よるギ ャ ップ は. マイ ナ スのシナ ー ジ効果を生むようになる。それは企業の戦略 セ ットの 形骸化による場合もあるし, 社会の価値セ ットの形式化による場合, そして 両者の場合の相乗効果の場合もあるであろう。 松下電器の場合も, そうした傾向がないわけではない。 第二次大戦前の社 会的環境では富国強兵の国策のなかで富国の価値セ ットを先取りし, 物資豊 富の水道哲学 の実践は社会的共感をえて. 業績の向上も飛躍的であった。 や がて大戦中の強兵策の価値 セットにも適応 して軍需産業化 していく過程は, 産業報国の精神を理念とするだけに. 社会のサ プ ・ システムとしての企業の 自 律性に限界のあることは当 然であろうが, いずれに し ろ国内外ともに業績 と業容はさ ら に飛躍している。 ただ戦後の混迷はいず こ も同然というが. 軍 需産業化していただけに. 民需産業への転換はなかなか困難なものがあり, かえって朝鮮動乱の特需景気など外圧をえて. 日本経済が復興の軌道に乗る のに合わせて再建の道を歩んでいる。こうした過程の詳細については, 別の 機会注26) にまとめているので割愛するが, 松下幸之助 自 身, 戦後に 述懐して いるところによると. 分をわきまえなかったこと 一一 応分の経営をすること の肝要さを反省しているが, これは社会的な価値 セ ッ トと企業的な戦略 セ ッ トが合致する ことも必要であるが, 全面的に合致することの不必要さ, むし ろ サ プ ・ システムとしての企業の独 自 性を否定さえする意味を痛感したので 注—26) 拙稿 「松下幸之助」 ー 日 本の企業家(4)戦後篇一有斐閣刊, 昭和55年。. -10$. ( 272 ) -.

(19) あ ろ う 。 商売を修業 し た船場の商法にい う 「分限」 の 概念で あ ろ う 。 そ の 反省を ふ ま えてか, 戦後の激動に も ま れ た 松下電器は 家庭電器 を主軸 に , 日 本経済の高度成長政策の 社会的価値セ ヅ ト に 同調, 増幅 さ れて , ま さ く 家電王国 を 構築す る に い た る。 戦後の 混乱 の な かに は じ め た PHP 運 動 (Peace and Happiness through F'(l)sperity, の 略字)」ふ 企 業の 経営理念 と と も に 社会理念, い わ ば社会的価値セ ッ ト ま で思索 しよ う と し た も の で あ り , 繁栄, な かんず く 物資の 豊富 さ をつ う じ て , 社会的 に も 企業 的 に も 「集 団的合意」 を え よ う と す る 活動で あ っ た ろ う 。 だ が高度成長経済政策の 社会 的なカ ゲ リ と ヒ ズ ミ が露 出 さ れだすにお よ ん で. やがて社会的価値セ ッ •卜 も 企業的戦略 セ ッ ト も と も に 理念 レ ベ ル で の 形 式的整合性 は さ る こ と な が ら , 機能的, 内 容的 な 実態 レ ベ ルで は いずれに も ギ ャ ッ プが露呈 さ れ る よ う に な る 。 昭 和40年代に入 り , 戦後最大 と い わ れ た 大不況が 「東芝の 悲劇」 を生み, . よ う や く 家電業界は じ め 日 本経済全体が構 造的変化の前兆期 に 突入す る の で あ る 。 松下電器 も 開闘 以来 と い わ れ る 減収減益 に 見舞われ, 家電王国 を下支 えて し て い だ 系列販売会社網が崩壊寸前の危機に 直面 し , 大義名分と 商売実利の 乖離を追求 さ れ, 家電企業集団 の 改革, 再編成 に 内 部的 に は取組ま ざ る を え な く な る 。 企業 内 部に お け る 集団的合意な い し 集団的 目 標の再調整で あ り , '. こ の こ と は従業員全体の企業の価値観 と い わ れ る 獣略 セ ッ ト の 合意や共感に. も , 世代的J 階 層 的 あ る い は職能的 に ギ ャ ッ プが見 出 さ れ, こ の再統合 も 大 き な課題 に な り つ つ あ る の で は な か ろ う か。 そ れ は 社歌, 社訓の 口語体的表 現の 調整以上の も の を実態的 に も と め て き つ つ あ る の か も し れな い。 さ ら に 企業外部 に お け る ギ ャ ッ プ と し て の 反応は, 社会的 な 問題 に ま で な っ た市 湯 製品 と の 関連で, 独禁法違 反行為 と 取沙汰 さ れ, ま た 消費者不買運動に 連動 し た 訊. 一. 連 の 問題 の 惹起で あ る 。 企業的 に 社会的正義 と す る.戟略 セ ッ ト. か な ら ず し も 社会 的 な 価値ゼ ッ ト と し て 受入れ ら れな い事例 と い え よ. う 。 こ れ は 社会的価値セ ッ ト の 内 容的な変化に, 企業的戟略 セ ッ ト が適応 し. 一109. ・. ( 2窃)-.

(20) きれなかったといいえよ う 。 それ以後の松下電器の対応 ふ 社会的な多面に わたる誘因と規制に適応 しながらきているが, なかでも創業者したがって企 業的戦略 セッ ト の生みの親で あ る松下幸之助の第一線か ら の退役は, とくに 社会的価値の多様化, 体系 的価値の大変化の経営環境に あって, 革新 的な戦 略 セット形成の契機となるものといいえよ う 。 、 さて 「企業の開発, 利用の舞台としての社会」にたいする松下電器の対応 はどうであ っ たろうか。 いまま でにみた 「経済的対位法」ではないが, 戦前 また戦中も, とくに戦後においてはことさらに, たえず成長路線をもとめ, そのあいだに経済的均衡をつくりだしていったのが, 松下電器の 基本的な対 応で あったといえよう。 松下電器の企業姿勢というか研究開発 はつねに顧客 志向, 市場志向で あり, 社会的 ニ ー ズの解決をはかろうとするところに新 製 品, 新 市場を開拓し, 新 事業を創造しきたっている 注 27) 。 この実状について はすでに詳細な検討をしているので, ここで反復する機会にせず, 事例的に 要約だけしておこう。 松下電器が創業される機縁になったのは, なによりも社会的に当時が電気 時代の 曙光の 時期で あ ったことで あ り, 松下幸之助が事業的に開眼したのも 自転車から電車への転換に気付いたからで あ る。 電力会社, 大阪電灯での顧 客ニ ー ズにこたえた ソ ケ ッ ト の創意工夫も, そうした社会的な環境の産物と いいえる。 それを出発にして電化時代を先駆して, 「誰れでも買える コ タ ツ」 や 「故障のない時計のような ラ ジ オ 」な ど, 戦後の電化プ ー ムの「三種の神 器」洗濯機, 掃除機, 冷蔵庫をはじめ今日のテレ ビ や ビ デ オまで, 家電王国 の形成過程は, まさに社会そのものを開発の舞台にして成立しえるもので あ ったといえる。 これか ら の松下電器もやはり, 社会的 ニ ー ズの結晶としての 新 製品そして新 事業の開発をあ くことなく社会という舞台で演じ続けるで あ ろ うことは, 企業のもつ歴史的風土性からしても推察しえる。 さて最後にここで, 「企業, 社会間 の相互 作用」の課題にかんする松下電 注—27) 拙著 「研究開発政策」 千倉害房刊, 昭和49年。 ー. ←. 110 ( 274 ) =.

(21) 器, あるいはもっと広義に日本企業にとっての今後の問題を提起しておきた い。 すでに松下電器をは じめ多数の日本企業は海外進出を種々の形態で実践 しており, いわゆる多国籍化ないし国際的企業を超えて世界的企業にまで成 りつつある。 松下電器もその事例の一 つである。 ただ松下電器は戦前も東南 ア ジ アを中心に各国へ工場進出をは じ め海外へ事業を展開した経験は持合わ せてはいるが, とくに戦後40年代以降は戦前の後進国中心型だけでなく, 欧 米をは じ め先進国へも事業進出しているなかで, 独特な経営展開をしている 事実に注目しておきたい。 国内の松下電器の経営については, 独自の経営理念を中核にその精神的, 行動的な展開を実践している実態については, すでに確認する機会をもって いる。 これは一種の日本的経営の特徴といえるかもしれないが, 松下電器の 独自性もあ ろ う。 いずれにしても日本的な歴史性および風土性のなかで, ぃ わば社会的な文化セット. (Culture Set) との整合性, あるいは相互作用と. して相乗効果をあげる企業の経営活動といえる。 これも企業. 社会間の相互 作用の一種といえよう。 だがこうした経営活動を, 企業の多国籍化の展開のなかで, 形式的にも内 容的にもなんら変更せずにほとんどそのまま適用し実施しているのが, 後進 国だけでなく先進国 においても 現実である。 たとえば 経営理念をは じめ社 歌, 社訓を現地語化して, 毎日の朝会などで唱和するのも一例である。 この ような松下電器の経営活動は, 経営の共通性, 普遍性をとくに理念的なもの に強調しているように理解しえるが, はたしてどうであ ろ うか。 経営理念的なものといえば, と くに企業にとっては戦略 セットであるが, それは企業, 社会間の相互作用からして, 社会的な価値 セットとの整合性お よび相乗効果をもとめるものである。 そうした場合に多国籍化する相手国の 社会的な価値 セットあるいは文化 セットとの調整は基本的な問題として, ど う なるのであ ろ う。 もちろ ん社会的目的にたいする常規的決定としての適応 なり調整にはやぶさかでないはずであるが, より戦略的決定やその規範とな. -111 ( 275 ) -.

(22) る戦略 セット と の関連である。 松下電器が企業の経営実践の成果として,確実に業績を進展させている結 果からすると. この問題は実際として過程的に はともかく結果論としては解 決ずみということになろうか。 論理的に は. チェンバレンのいうように「価 値 セットは国によって異なる。 また時間がたてば 変 わる。」広義 における環 境適応理論 (Contingency Theory) の立場からしても, 多国籍化の相手国 を 「企業の開発, 利用の舞台としての社会」と とらえるとしても, 社会的サ プ ・ システムの位置なり役割からすると, まず「社会的用具としての企業」 でなければなるまい。 ここに企業内システムにおける, すでにみた「地位一個性ー交渉力の結合 構造」という概念的類似性を, 社会的システムにかんしても適用することが できよう。 この関連で検討すべき事例として, 電子工業の中国への進出の問 題があげられよう。 このこと については新 聞紙上 を は じめとした報 道で周 知 の事実なので詳細 にし ないが, 松下幸之助の日本電子工業 界全体としての中 国との国家的合弁構想 は長期的展望あるい は経営的信念としてはとも かく, 日本の電子工業界の集団的合意をえられていないし,松下電器自体として 三 洋電機に中国合弁を先駆されている実状である。 国内的な集団の合意, 目標 もさることながら,たとえ計画経済の中国といえ広大で多様な風土のなかで 複雑な伝統をも つ 歴史をふまえて, はたして国家的合弁が全体システムとし て共通性あるい は普遍性をもって可能であろうか。 むしろ国内的にも中国側 からしても, 日本電子工業 界における松下電器の企業的地位 を 階 層的 に ふま ぇ. そのなかで企業的戦略 セットとしての経営の個性と中国の社会的価値セ ット と 整合性 があ り 相乗効果の 期待できる 事業機会から開発していってこ そ. その経営の交渉力は 日 本の企業と中国の政府の社会的目的を達成しよう とする努力とに まさ に 「共存共栄」の相互作用が期待しえるといえよう。 そ うい う 意味で. 三洋電機の中国進出 は好例であり,企業レベ ルでの進出形態 であり,企業. 社会間の相互作用を 「地位一個性一交渉力の結合構造」のな -112 ( 276 ) -.

(23) かでふまえているといえる。もっとも松下電器が進出 先の相手国の実状をわ きまえず, 社会的目的のためにならないことを目標に行動しているというこ とでは決してない。むしろ松下電器の海外進出の実態は全くその逆である。 また中国進出についても, 松下幸之助は松下電器という企業レベ ルからの発 想ではなく, 中国全体としての社会的目的に共感し, 日本電子工業界全体と しての集団的合意に共鳴させたい念願で, 業界レベ ルあるいは国家レベルで の国策的ないし国士的な立場からの発言であると理解もしておかなければな らないであろう。. -113 ( 277 ) -.

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参照

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