1930年代における農村女性の労働と出産 : 岡山県高月村の労働科学研究所報告をよむ
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(2) 90. 2つの本に描かれた農村女性はきわめて対照 的であるが,ここに近年の農村女性研究を加え. 究である.医療史における大柴弘子8),人口史. ることで論点を整理してみよう.戦前の地主制. 中期から近代にかけての農民家族や農村女性の. や小作争議に関する研究蓄積とくらべた場合,. なかに出生コントロールの志向性を見出そうと. 農村女性についての研究は決して多くない.だ. している.そのなかで大柴は,出産の季節変動. が,この20年ほどのあいだに注目すべき研究. (月別増減)が農業労働の繁閑と関連している. がいくつか登場している.. ことを指摘し,農村女性には産後が比較的楽な. 1つは農業労働と女性のかかわりを考察した 斎藤修,香月節子,私の研究である.斎藤は,. 農閑期に出産を合わせようとする傾向があると 述べた.沢山もまた大柴や鬼頭らの研究をふま. 農業労働一般ではなく,農業の集約化が農村女. え,出生コントロール志向のなかに農村女性の. 性の農業労働負担を増大させ,それが乳幼児死. 主体性を読みとろうとしている.. の鬼頭宏9),産育史の沢山美果子10)らは,近世. 月は,栃木県における養蚕農家の労働分担を詳. 3つ目は,農家経済の「戦略」・「配分」の 機能のなかに農村女性を位置づけた谷本雅之の. 細に検討することで,1894年には機i織や裁縫,. 研究である11).谷本は,織物業が問屋制家内工. 繭の糸引き,雑貨の販売・仕入れなどに従事し. 業として長く存続した一因を農家経済の側に求. ていた母親が,1908年になると嫁や女性の雇 人とともに,蚕の世話で忙しくなったことを明. め,小経営であったとしても農家経済が存続し. らかにした6).養蚕を拡大して繁忙期をむかえ. がら家族構成員に分担させる「家族労働力の戦. たこの農家では,男が力のいる桑刈りを,また 女たちは室内の給桑や繭かきなどを分担した.. 略」があったからだと指摘した.農村女性はこ ’こで,季節の変化や農業労働,家事・育児の状. 養蚕終了後には雇人に給金が支払われ,母親に. 況に応じて,副業(織物)・農業・家事の三者. も40日分の小遣い10円が渡されている.以上. に労力を「配分」する存在であると位置づけら. の研究もふまえ,私は養蚕の導入が商品経済と. れた12).4つ目は,『家の光』の投稿欄を対象に. の接触を増やすだけでなく,農業経営の集約化. して農家の家事分担を考察した板垣邦子の研究. を促して農業労働時間の増大,農閑期の縮小を. であり13),板垣は家長が家事を統轄していた戦. 亡率の高さの背景にあることを強調する‘).香. たのは,農業労働・家事労働・副業を配分しな. もたらしたこと,その過程で繭の飼育と繭掻き に多くの女性労働が投入されるようになり,男. 女の労働分担にも変化があらわれたことを指摘 した7).養蚕=商品生産の導入は,このように. 農業労働の分担を変化させ,女性の農業労働の 変化と時間の増大をもたらしたこと,そのなか からは女性が労働の対価を得る例も出てきた.. 2つ目は,出生のコントロールに注目する研. 5)斎藤修「農業発展と女性労働」『経済研究』 42巻1号,1991年. 6)香月節子「農家の生産生活」『真岡市史』民 俗編,1986年.. 7)大門正克「農民の生活の変化」『講座世界史』 第4巻,東京大学出版会,1995年,大門「農村問題 と社会認識」『日本史講座』第8巻,東京大学出版 会,2005年.. 8)大柴弘子「19世紀以降近江農村の母性健康 障害」『公衆衛生』49巻7号,1985年.. 9)鬼頭宏「もう一つの人口転換」『上智経済論 集』44巻1号,1998年. 10)沢山美果子『在村医のカルテからみた女性 の出産と身体観』(文部科学省研究費補助金・基盤 研究(C)(2)研究成果報告書)2004年. 11)”谷本雅之『日本における在来的経済発展と 織物業』名古屋大学出版会,1998年,5・6・13頁, 谷本「もう一つの『工業化』」・『岩波講座世界歴史 22 産業と革新』岩波書店,1998年.. 12)谷本は,最近では農商務省『余剰労力調査 事例』(1918年調査)を用いて農家経済における経 営主や妻や役割を詳細に検討している(谷本「近 代日本の女性労働と『小経営』」氏家幹人ほか編 『日本近代国家の成立とジェンダー』柏書房,2003 年).. 13)板垣邦子「性別役割分担の形成」『米沢史学』 15号,1999年..
(3) 9■. 前から,戦後になると女性が家事・育児を担当. 品生産は農産物価格や金肥増大を通じて農家経. するようになり,農家でも性別役割分担が進む. 済に困難をもたらす側面があったからである.. とした.. 栗原の言う「前向きの困難」は,農家経済だけ. 以上の研究史をふまえて,検討すべき論点を. でなく,労働や生活にもあてはまる言葉のよう. 3つ提示してみたい.第1は,本稿が対象にす. に思う.商品生産へのいっそうのとりくみと労. る1930年代の農業労働と女性のかかわりにつ. 働負担の増大,それによる生活の困難.西日本. いてである.この点については,斎藤修や香月. における先進的な農業地帯に属する岡山県高月. 節子の研究を継承して,労働負担一般ではなく,. 村において,農業労働が出産に与えた影響を調’. 農業発展が農村女性の労働に与えた影響を考察. 空した農業労働調査所の報告は,以上のような. する必要がある.先の著作で丸岡秀子は,農業. 文脈のなかに位置づける必要がある.あるいは. 労働調査所の報告から農村女性が産前・産後に. また,農民京家商品生産による「前向きの困難」. 農業労働に深くかかわっていることを指摘し,. は,谷本雅之の言う「家族労働力の戦略」や農. 戦前の農村女性の過重な労働負担に言及してい. 村女性の労働力の「配分」にも影響を与えたも. る’4).過重な労働負担はその通りであり,大事. のと思われる.「前向きの困難」のもとで農村. な指摘だが,問題はその原因をどこに求めるか. 女性の労働と生活はどのように変化したのか,. であり,農業労働一般や小農一般として理解す. 農家経済の側から家族労働力の配分を考えた谷. るのでは足りないように思う.. 本の視点を継承しつつ,そこに農村女性の側か. 栗原百寿や西田美昭がつとに明らかにしたよ. ら考察する視点を加えるとどうなるか,それを. うに,第1次世界大戦後になると,商品生産へ. 問う必要がある.. のとりくみは養蚕から稲作,果樹,疏菜にまで ひろがり,階層も小作農民にまでおよんだ15).. 第2は,農家の家族構成と農村女性のかかわ りを歴史具体的に検討することである.ここで. 農民的小商品生産の発展志向については,今ま. いう家族構城とは,3世代同居か2世代同居か,. でもっぱら小作争議との関連が議論されてきた. 舅・姑の存在の有無のことである.戦前の農家. が,香月節子の研究などをふまえれば,農民的. の家族構成については社会学の研究があるが,. 小商品生産は農業労働の分担にも影響を与えて. そこに女性が登場することはまれである17).ま. いたことが想定できるはずである.仁恩期の農. た今まで,戦前の嫁と姑との関係や農家と女性. 村女性について考察する際に大事なことは,こ. のかかわりについて一般的に指摘されることが. の農業労働の分担を視野に入れることであろ. あっても,具体的に考察されることはほとんど. う.. なかった.この点は,先の「家族労働力の戦略」. かつて栗原百寿は,農民的小商品生産への積. 論でも農村女性の役割は選択・調整という一般. 極的な対応をはかる農家経済について,「前向. 的な指摘にとどまっており,板垣邦子の研究で. きの困難」と評したことがある16).農民的小商. も,『家の光』の投稿欄という史料の性格に規 定されて,農村女性と農家のかかわりを知るこ とは難しい.農家の家族構成は農村女性の農業. 14)丸岡前掲書,77−90頁.. 労働や家事労働負担と大きくかかわっていたは. 15)栗原百寿『栗原百寿著作集1 日本農業の 基礎構造』校倉書房,1974年,栗原『同著作集H 日本農業の発展構造』校倉書房,1975年,西田美 昭『近代日本農民運動史研究』東京大学出版会,. ずであり,その考察が必要となる.. 第3は,農村女性を考察する視点を明瞭にす. 1997年.. 16)栗原百寿「香川農民運動史の構造的研究」 1955年『栗原百寿著作集W 農民運動史 下』校 倉書房,1982年,35頁.. 17)有賀喜左衛門などの一連の著作を参照のこ と..
(4) 92. ることである.この点は冒頭の丸岡秀子とエン. 留意する必要がある.この点はとくに出産に対. ブリーの評価にかかわる.2つの本で描かれた 農村女性の特徴は対照的であるが,しかし両者. する調査者の見方を考える際に重要になる.. はおそらく排他的な関係にあるのではない.丸. 1.倉敷労働科学研究所と農業労働調査所. 岡が描くように,戦前の農村女性は重い労働負. 1921年7月,倉敷紡績の社長大原孫三郎は,. 担や厳しい出産環境をかかえていた.だが,農. 紡績女工の労働研究を目的にした倉敷労働科学. 村女性がこうした環境を受忍することと,出生. 研究所(倉敷労研)を倉敷紡績万寿工場内に創. コントロールの志向性をもったり性への楽しみ. 設し,所長に暉峻義等を迎えた.暉峻は,大原. を持ったりすることは両立しうることである.. 孫三郎によって1919年に創立されていた大原 社会問題研究所のメンバーであり,倉敷労研に. むしろ,出産環境が厳しくて乳児死亡率が高け れば,当事者の農村女性は出産時期のコントロ. ールなど,出産環境の改善を試みることが想定. は暉峻の誘いによって旧知の石川知福(生理 しげみ. 学),桐原藻見(心理学)がメンバーに加わり,. できる.戦前の農村女性は自ら語ったり文字史. ついで入木高次(生体測定学),末吉治郎平. 料を残したりすることが少なかった.また実際. (生化学)が参加した.研究所の設置にあたり,. におかれた状況は厳しかった.しかし,そこか. 生理学だけでなく心理学を加え,医学(生理学). ら農村女性を受忍のイメージのみで描くとすれ. と心理学などの諸科学の総合によって臨もうと. ば,それはあたらないように思われる.他方で,. したのは,労研がはじめてのことであった.こ. エンブリーの本では,労働負担や出産環境のに. れ以降,労研では,暉峻が労働科学の体系化と. ついての記述が散見するが,労働と出産の関連. 栄養基準や妊産婦のテーマに,石川が心・肺機. は見えにくい.その一方で最近の研究では,農. 能,桐原が労働日の感覚知覚変化,八木は体重. 村女性の農業労働負担や出産環境の厳しさが後. 変化,石川・末吉らがエネルギー代謝率のテー. 景に退くことがあり,そのことも気になる.農. マにそれぞれとりくみながら18),昼夜二交代作. 村女性の労働負担と,おかれた状況に対して農. 業に従事する紡績女工の疲労・負担研究という. 村女性が働きかける側面の両方を見つめる視点. 共通テーマの研究を進めていった.. が大事なのであり,本稿ではこの2つの視点か さて,以上のような3つの論点を設定すると. 暉峻義脚は,1929年,香坂昌康岡山県知事 から農村調査を委嘱された.1930年の岡山に おける陸軍大演習を機に,「県下農民の生活状. き,本稿で活用する農業労働調査所の報告は格. 態」19)を天皇に報告するためである.これを受. 好の史料といえる.ここでは,農業労働・家事. けて暉峻は,岡山県下の2ヵ村(赤磐郡鳥取上. 労働・育児が妊娠・出産・産後の生活に与えた. 村と都窪郡帯江村)で栄養調査と農業労働調査. 影響が農村女性に即して調査されている.報告. を1年間行い,天皇に資料の供覧と説明をした.. のなかには農村女性の詳細な個別調査があり,. 1933年1月,倉敷労研は,「農村婦人の労働並. 農業労働や農家の家族構成が農村女性におよぼ. びに生活の改善の基本的研究」のテーマで有栖. す影響を測定するのに役立つ.また報告からは,. 川宮記念厚生資金と服部報公会から助成金を受. ら農村女性を考察することにしたい.. 当時の農村女性が出産にどのように対応してい たのかを読みとることも可能である.他方で農 業労働調査所では,農業労働過程や農具につい ての調査も行われており,農業労働と女性の関 係を多面的に考察できる.ただし,農業労働調. 査所の調査には,労働科学研究所のめざした 「労働科学」の方法が反映しており,その点に. 18)桐原二見「労研のおいたち」『労働科学の生 い立ち』労働科学研究所,1971年,84−85頁. 19)暉峻義等「倉敷労働科学研究所農業労働調 査所の組織胆石i能」『報告』1号,1933年,3頁(以 下,「組織肝機能」と略記)..
(5) 93. 表1 農業労働調査所の調査内容 昭和恐慌期 岡山県赤磐郡高月村 調 査 内 容. テーマ. 収 録 細 目. 項 目. 農民. 栄養・食料. 米自給用疏菜・加工食料など. 7,14,30,31,38 Q,5.41. _村主食物改善 ?事用具. 農村女性. W6. 体力. 農民の体力. 9*,10*. 病気. 梅毒. 36. 妊娠・出産・育児. 妊娠,出産,産褥生活,保育,乳児 一. 13*,22,27,32,. R3,35,40,43 妊婦の家事改善. 17. 苡渇?善. Q6.34. 巨. P6.24. 衣類. 農家女性作業服. 21. 農具. 種類,数量. 23,39.54. 作業方法. 農業労働方法の改善. 18,19,20*,25. 農業経営. 農業経営の進化. 29,42*. 作業強度. 収穫時稲作労働のガス代謝. 15. 共同耕作. 干害対策としての共同耕作. 12. 交換分合. 耕地の交換分合. 3.4. 土木工事. 11. E業病=急性ニコチン中毒. Q8. k地賃貸価格. R7. 家事. 農業労働. その他. 出典:倉敷労働科学研究所『農業労働調査所報告』,日本労働科学研究所「農業労働調査所報告』. 注1:「収録」欄の数字は,「農業労働調査所報告』の号数. 注2:「収録」欄のうち,*のみ高月村以外の調査.9・10は,赤磐郡鳥取上村(1930年)での調査.13は,「岡山県 下某4力村」での調査.20は都窪郡帯江村と高月村,42は児島郡興徐村,それ以外は,1933年から35年までの 高月村調査.. けた20).有栖川宮記念厚生資金は,1932年秋に. 科学的研究」を行うとあった21).「農業労働の. 「農山漁村の福祉を増進する目的」で設置され. 生理値の測定」にとどまっていた1929年調査. たものである.助成理由によれば,労研は 1929年調査のときに農村女性の農業労働と. に対して,労研はここに「農村生活に関する全 面的なる研究」をスタートさせることになった. 「母性的活動」の重要性を知ったが,農村女性. のである22>.. の実際は「伝統と経験」に「放任」された「最. 労研は,さっそく農村調査地の選定に乗り出. も欄むべき状態」にあり,農村女性の「労働の 合理化」と「生活の改善」のために「正確なる 21)「有栖川宮記念厚生資金選奨録』第1輯, 1933年,「緒言」,185−186頁.助成金は6000円.. 20)暉峻義等「農業労働調査所の概況」『労働科 学』18巻5号,1941年,85頁.. 22)暉峻義等「回顧十五年」『労働科学』13巻5 号,1936年,17頁..
(6) 夕4. し,選定を委嘱した岡山県による候補地4ヵ村 に暉峻が直接足を運んだ結果,赤磐郡高月村が. 究を行い,さらに忍石とともに2人の女性で農 村女性の調査を行ったこと,吉岡金市を中心に. 選ばれた.ここから,高月村に設置されたニカ. して農業労働の系統的調査を進め,1930年代. 所の農業労働調査所(本所と支所)と労研内の農. における西日本の先進的農業の現段階を把握し. 業労働研究室で農業労働調査がスタートした23).. たこと28),農業労働や家事労働について,ガス. 表1は,のちに農業労働調査に参加した内海. 代謝による作業強度の測定やストップ・ウオッ. 義夫の指摘24)も参考にしながら高月村での調査. チによる測定など,労研で行っていた研究方法. 報告を整理したものである.高月村の調査は3. を導入したこと,時間調査による妊婦の生活時. つの系列に整理することができる.第1の系列. 間記録や村全体の農具の徹底調査などの新しい. は,栄養・食料一体カー病気からなる農民の調. 調査方法を導入したことなど,農業労働調査所. 査である.第2の系列は農村女性であり,これ. では労研の方法を継承・発展させた特徴的な調. はさらに妊娠・出産・産後・保育の調査と家事. 査が行われた29).. 作業・労働作業(衣服)の改善調査の2つに区. 調査地に選ばれた高月村は,現在,岡山駅か. 分できる.第3の系列は,農具一作業方法(農. ら北東にバスで20分程度のところにある(現 赤磐市).岡山市に近い高月村は,商品経済の 影響を早期から強く受け,調査当時,農業経営 の多角化と兼業化が同時に進行していた.1932. 業労働方法の改善)一農業経営の進化を中心に した農業労働の調査である.内海がいうように, ここには暉峻なりの労働科学の観点から,農民,. 農村女性,農業労働を「多面的かつ系統的」に 考察しようとする意図が示されており,「新し. 年の現住戸数は518戸,人口2702人であり,田 246町(うち二毛作が148町),畑は53町であっ. い研究対象にくいついて,徹底的に調べあげよ. て,米,麦のほかに,甘藷・大根・青羽・漬. うという意気ごみがひしひしと感じ」られた,. 菜・ゴボウ・馬鈴薯などの辛菜,梨・ブドウ・. と内海は回顧している25).. 柿・桃などの果実,養蚕も多くとりくまれてい. これらの調査を実践するために,暉峻は2年. た.疏菜は「早生」で「大なる収益」をあげ,. 問の約半分を高月村で過ごした26).農業労働調. 「果実」は「温室栽培」も少なくなく,動力機・. 査所には勝木新次(次長/生理学),横川つる. 農具の共同使用,共同耕作も行われていて,農. (婦人及小児衛生主任/医者),船型幾久(家事. 業は「比較的多角的」な経営の段階にあった30).. 作業調査主任),吉岡金市(嘱託/農業経済). 当時の本業農家は総計319戸,このうち5反. の4名を常駐させ,高月村の農事研究会や青年. 以下経営が68戸,5反∼1町が132戸,1町∼1. 団,婦人会,女子青年団,尋常高等小学校の協. 町5反が93戸,1町5反∼2町が26戸であった3’).. 力を得る体制をしいた27).それまで研究の乏し. このうち,ごく大まかにいえば1町以上を経営. かった農村女性について,医者である横川つる. を配して医学・生活調査の観点から本格的な研 28)先の3つの系列のうち,第2の系列の妊娠・ 出産などの調査と吉岡金市が担った第3の系列が優 れた研究といえる.. 23)前掲,暉峻義等「組織及機i能」6頁,14−15 頁.. 24)内海義夫「暉峻博士と農業労働調査」暉峻 義等博士追憶出版刊行会『暉峻等等博士と労働科. 29)農業労働調査所は,倉敷労研が東京に移り, 日本労働科学研究所となって以降は,神奈川県中 郡成瀬村(1936−39年),栃木県下足利郡筑波村 (1940−43年)と設置場所をかえて続けられた.本 稿はこのうちで倉敷労研時代の高月村のみをとり. 学』1967年,178頁.. あげる.. 25)同前.. 30)前掲,暉峻義等「組織及機能」7頁.. 26)前掲,暉峻義等「回顧十五年」17頁. 27)前掲,暉峻平等「組織及機能」など.. 31)吉岡金市「農具の種類並に数量に関する調 査」『報告』54号,1940年,41頁..
(7) 9∫. する農家の多くは,米麦の二毛作に果樹・疏 菜・養畜などを組み合わせた多角的農業を営ん. 調査所報告』に発表されている33).岩崎は早期. でいた32).女性も含め一家をあげて集約的農業. 原因を「母の出産前の生活状態」と「日本気候. にとりくむこれらの農家では,1年にわたって 農閑期が少なかった(この点,後述).これに. 風土」による乳児の「遺伝的特質」に求めてい. 対して,経営規模1町未満の農家のうちで,と. への注目は,高月村調査に継承される視点であ. くに5反未満の農家では,早くも跡取りを兼業. ったが,他方で岩崎が早期の乳児死亡の原因を. に出し,農業経営は父母や妻でまかなう兼業化. 乳児の「遺伝的特質」に求めたように,十分な. が進行していた.多角的農業を営む専業農家と. 調査にもとつかずに乳児死亡の理由を農村の特. 兼業農家,あるいは家族形態の相違は農村女性. 殊性や貧困に求める研究があった34).高月村調. の分担にどのような差異をもたらしたのか.こ. 査は,このような研究への批判を念頭におきつ. の点を念頭におきながら,次に高月村の調査報. つ展開されることになったのである.. の乳児死亡が多いことを確認したうえで,その. た.岩崎の指摘した「母の出産前の生活状態」. 告の検討に移ろう. /. 2.農村女性の妊娠・出産・産後調査. (2)妊娠・出産・産後の調査目的と概要. 高月村の調査のうち,農村女性の妊娠・出. (1)農業労働調査所以前. 産・産後・保育に関する報告を表2に掲載し. 農村女性の出産・産後の生活について,戦前. た.①を除き,②から⑦までの調査報告のすべ. に行なわれた本格的な調査は高月村がはじめて. てに共通しているのは,農業労働が妊娠中や産. であったが,農村の乳児死亡については,それ. 後の農村女性に与えた影響に焦点を合わせてい. までに医学の分野でいくつかの研究が存在して. ることである.冒頭に紹介した丸岡秀子や岩田. いた.農村における乳児死亡率の高さと,出産. 重則が受けとめたように,高月村の調査報告は,. 後早期に亡くなる乳児の多さに関心が集まって. 農業労働が妊婦にもたらした負担の大きさを知. いたからである.. るうえで大きな衝撃力をもっているが,それは. 当時はまだ官庁統計を使った研究が多く,実. 高月村調査の主目的が何よりも農業労働負担の. 地の調査がようやく始まった段階であった.そ. 妊婦への影響にあったからである.. のなかの1つ,高月村の調査以前に,「岡山県. ここでの調査目的の背景には暉峻義等の問題. 下某4力村」において農村女性の妊娠・出産・ 保育を調査した岩崎辻男の報告が,『農業労働. 32)同前は,高月村の農家の農具保有状況を調 査したものである.調査農家100戸のなかで1町∼ 2町の経営層は46戸あり,このうち米麦に果樹を兼 ねた農家は36戸(78.3%),米麦に疏菜を兼ねた農 家は28戸(60.9%)であった.これに対して,5反. 34)農村の特殊性に還元する例として,農村で は出生届を守る習慣が乏しく,そのため生後10日 以内の届出義務をこえてしまった場合には,処罰 を恐れて生後10日以内の死亡と届ける「習慣」が 多いため,農村の乳児死亡率が高くなっていると いう解釈があった(丘三品冶「本邦乳児死亡率の. (56.9%),米麦+疏菜は31戸(70.5%)であり,5. 高き原因と其対策(二)」『東京医事新誌』2851号, 1934年).また,石川県の農村(鳳至郡柳田村)に おける死産を調べた研究では,「納税額少なき階級」. 反未満経営層10戸のうち,米麦+果樹と米麦+山 菜はともに4戸(40.0%)であった.果樹や疏菜を 加えた多角的農業を営む農家は,経営的上層に多. あるいは小作農(小作および自小作)に死産率が 高く,貧困=「経済的生活」が死産率と密接な関 連をもっていることが強調されていた(村上賢三. いといっていいだろう (4頁).. 「農村の死産に就いて」『東京医事新報』2701号, 1930年).死産の研究では役場資料が使われていた が,高月村調査とくらべてみると「経済的生活」 の把握が十分でないことがわかる.. ∼1町経営層44戸のなかで米麦+果樹は25戸. 33)岩崎二男「農家主婦の母性的活動に関する 研究 其1農村婦人の妊娠,出産,哺育に関す る考察」『報告』13号,1935年..
(8) 96. 関心があった.暉峻は,1917年に日本連合衛 生学会において「婦人労働に関する生物学的見 解」を報告し,「婦人労働者」の妊娠保護につ. 表2労研・農業労 ①. テーマ. 号. 著者. 出産準備. 22. 横川つる. いて提言を行った35>.「労働生理学的実験的根. 拠」にもとづき,妊娠後期の7ヶ月から8ヶ月. ②. 出産状況. 27. 横川つる. 其3農村に於ける o産状況調査報告. ③. 産褥生活. 32. 暉峻は,「労働階級婦人の出産に関する調査報. 暉峻三等・. 其4農村婦人の産. 。川つる. 告」36),『社会衛生学』37),「婦人労働に関する. 生物学的見解」38>,「妊婦に関する労働生理学. 其2農家に於ける o産準備. における労働時間は6時間までにすること,9 ヶ月から10ヶ月の時期には労動禁止にするこ と,というのがその提言であった.これ以降,. 論文タイトル. 生活についての批. サ的考察 ④. 乳児の発. 40. 横川つる. 其3乳児の発育. ⑤. 妊娠申の. 43. 暉峻義等・. 農村婦人の妊娠過程. 的研究」39)などを執筆し,女性労働者の妊娠保 護iについて一貫して発言し続けた.. 暉峻自身,農村女性の妊娠調査は,工場女性 労働者への提言を念頭において始めたと述べて いる40).そこには,「強制的」に労働に従事し,. 黷フ状態 ⑥. 労働の「自己調節」が「不可能」な工場女性労. 乳児の死. 。川つる 33. ャ産. 白井伊三郎. 農村に於ける死流産. E横川つる. ノ就て. 白井伊三郎. 農村に於ける乳児死. E横川つる. Sと母の生活状態に. 働者に対して,農村女性の農業労働は「自由」 であり,労働の「自己調節」が「容易」だとい う対比的認識があった.他方で,当時の研究で. ⑦. 1歳未満. フ乳児死. 35. Sと母の. Aて. カ活状態. 35)暉峻義等・田原辰江「農家主婦の家事作業 に関する研究一其一,農村妊婦の家事的労作の 遣り方の改善について」『報告』17号,1935年,1 頁(以下,「家事的労作」と略記).. 36)『労働科学研究』2巻2号,1925年. 37)吐鳳堂書店,1927年. 38)『労働科学研究』8巻2号,1931年. 39)『労働科学研究』9巻4号,1932年.. 40)前掲,暉峻義等・田原辰江「家事的労作」2 頁.. 41)横川つるは,1902年7月10日に岡山県倉敷 市近郊の中庄村に生まれ,倉敷精思高等女学校卒 業後に上京して東京女子医学専門学校に入学, 1928年春に同校を卒業後,東京亀戸の東洋モスリ ン医務室に勤務,間もなく帰郷して岡山医科大学 に入局し,1933年,労研の農業労働調査所に勤務 している.労研時代の横川は,「妊産婦の労働条件 と新生児,乳児に関わる諸問題」について研究成 果をまとめたが,学究としての勤務に疑問を抱き, 臨床医としての再出発を決意して1938年に再度上 京したと記している(横川「老婆の一代記」東京. 女子医科大学皮膚科学教室『コスモスの花畠で らい医療にたずさわった女医達の記録』1990 年,63頁).. 出典 『農業労働調査所報告』各号.. 注:「論文タイトル」について,①②④には,「農家婦 る研究」というメインタイトルがあるが,この表で. は農村の死産流産が「頗る高率」であることが 指摘されており,そのため農家の妊産婦の日常 生活を「詳細に観察」する必要があると暉峻は 考えていた.農業労働の「自己調節」が「容易」. にみえる農村女性の妊娠・出産過程は実際にど うだったのか,高月村調査はこうした問題関心 をもって始められたのである.. 7つの報告は課題の設定や調査方法,記述方 法などによって3つに分けることができる.第 1は,高月村に赴任した横川つるが最初にとり くんだ①と②の調査報告である41).とくに農家. の出産準備について調べた①は横川の初めての 報告であり,手探りのうちに調査を進めている. 様子がよく伝わってくる.横川は,「農村は非.
(9) 夕7. 働調査所における農村女性の妊娠・出産・産後の調査(高月村) 調査対象. 調査期間 34.1. 出産母親27人. 調査に関するデータ. 戸主職業,自小作別,耕作 新生児のために準備した日用品,産褥 面積,直接国税,家族数. ∼35.2. 調査内容. のための日用品. 34.1. 訪問10余戸,. 産室,産婦の生活状況(初めての起立. ∼35.3. 調査100戸余. 日・洗濯日・家事一切日・農業労働日),. 助産状況(3例),胎盤始末. 産婦5人. 生年月日,戸主職業,耕作 5人の個別事例/農業労働・家事労働・ ・作付面積,家族構成. 34.1. 乳児12人. ∼35.11. 育児・食事・自由・睡眠の時間調査. 乳児の生年月日,家族の職. 出産から1年間の身長・体重・胸囲・頭. 業,母の仕事・年齢・出産. 囲・栄養・疾病. 経験. 妊娠中の母12人. 生年月日,出産経験,家族 数と家族状態. 12人の個別事例/妊娠中の体重,農業 ・家事・自由時間と内容. 32.7.15. 死流産数13(同. 戸主職業,主婦の主な仕事,. 死流産に至る生活状態,死流産の月,. ∼34.7.14. 期間の出生数. 自小作別,耕作面積,家族. 死流産と母の年齢.・子どもの数. 133). 員数,女性の教育程度. 32.7.15. 出生数133,満1. 乳児死亡率,出生順位・出産年齢と乳. ∼35.7.14. 歳未満で死亡し. 児死亡,乳児死亡の年齢別・原因・時. た児数21. 期,妊娠中の母の生活状態,家族の社 会的経済的地位・母教育程度と乳児死 亡,部落別死亡率. 人の母i生的活動に関する研究」というメインタイトルがあり,③には,「農村婦人の母1生的活動に関す は省略した.. 衛生」という「常識的な説明」に満足せずに調 査に着手し,新生児のために用意された日用品. から了承を得た.5人の産婦は,時計と用紙, 鉛筆を受け取り,5分ごとの時間利用を農業,. と産後のための用具類を具体的に書き出してい. 家事,育児,食事及自由,睡眠別に毎日記録し,. る.②は,産室の状況を図解しながら,初めて. 農業と家事については,さらに作業内容も記入. 起立した日や農業労働に従事した日を調べて,. した.横川は5人を毎日訪ねて記録の「補正」. 産後の生活の様子を記述したものである.①と. を行った.この調査方法について暉峻・横川は,. くらべれば,産後の農村女性の様子がよくわか. 「ありのま・」の「生活記録」と呼んでいる.. る調査報告となっている.②については,のち. 生活記録に農業経営,家族構成などをあわせて. にとりあげることにしよう.. 個別の産後の生活記述をおこなった③には,横. これに対して,第2の③④⑤は調査方法や記. 川の単著であった①②とくらべて独創的な観点. 述方法を一新し,とくに「暉峻義等・横川つる」. と知見がいくつもみられた(この点,後述).. の連名による③と⑤は斬新な報告となってい る.産婦5人の生活について調べた③では,調 査所が産婦に時間記録を依頼し,最終的に5人. 妊娠過程を考察した⑤も個別的な生活記録であ り,旧聞記録と妊婦の体重調査を組み合わせて. 妊産婦12人について調査したものである.③.
(10) 夕8. 表3報告に掲載された安藤伊勢子の生活時間表 安藤伊勢子. 産婦名. 大正元年9月生. 家族. 農 業. 51歳. 主人. 母. 家 事. 45歳. 妹. 農. 業. ナ. シ. (小学児童). 家事労働. 農業労働. 事. 仕. 父. 満21歳6ケ月 月. 年齢. 事. 仕. 年齢. 子. 26歳. 第一子. 2 歳. 15歳. 第二子. 1 歳. 食事及自由時間. 育児. 作業ノ種類. 時間. 時間. 時間. 睡眠時間 就床より. 日. 作業ノ種類. 供. 時間. 休息. 其他. 翌朝起床 まで. 分娩 當日. 3月8日. 午前1時28分分娩終了. 9日. 用便,. 201. 食事二起床歩行. 解キ物. 2,101. 1,001. 10.2α. 501. 11,301. 1,001. 8,401. 201. Il,301. 第. 10日. 養畜(牛ノ水タキ). 101. 掃除,洗濯,裁縫. 7,001. 1,101. 1,001. 3℃Ol. 301. 11,101. 一. 11日. 同 上. 1α. 掃除,裁縫. 6.1α. 1.3α. 501. 3,301. 201. 11,301. 週. 12日. 同 上. 201. 炊事,. 掃除,. 洗濯,裁縫,雑用. 9,301. 1,401. 1,001. 2,301. 101. 8,501. 13日. 同 上. 3α. 炊事,. 掃除,洗濯,. 裁縫. 9,001. 2,201. 1.0α. 2,101. 出典:暉峻義等・横川つる「農村婦人の母性的活動に関する研究. goOOl. 其4 農村婦人の産褥生活についての批判的考察」. 『農業労働調査所報告』32号,1936年。. のあとに書かれた④は横川の単著であるが,③ の調査方法を継承して乳児の体重測定を行い,. 農村女性・農民家族経営と乳児の体重のかかわ りを個別的に記述している42).. 報告の第3は,「白井伊三郎・横川つる」の 連名によるものであり,死流産と乳幼児死亡の 諸要因について検討したものである(⑥と⑦).. 白井は東京帝大医学部出身で労研に所属してお り,調査地において横川が収集・記録した個別 的記録をふまえ,連名で報告をまとめている.. ⑥と⑦には2つの特徴がある.1つは,死流産 と乳幼児死亡の個別事例について,妊婦の労働. 状況を中心にした記録をおこなっていることで. ある.もう1つは,それぞれの要因を探るデー タが掲載・分析されていることであり,とくに ⑦では乳幼児死亡の要因を,出生順位,出産年 齢,年齢別乳児死亡,家族の社会的・経済的地. 位などから詳細に検討している. (3)5人の産婦の生活記録(日常生活への移行過程). 一調査報告 その1一. 以上7つの報告のうち,重要な知見が含まれ ている③・⑦・⑥について,報告からわかるこ とを読み解いてみよう.. 産婦5人を対象にした③の報告には,それぞ れ農業経営,産後の生活時間の表と図が掲載さ. れている.報告に掲載されている生活時間の表. と図を,5人のうちの1人である安藤伊勢子に ついて例示した(表3と図1).③では,これら. の図表に農業経営の基礎データ表を加えて,5 人の産婦の生活記録を記述している.5人のう ちの安藤清栄・小倉司都枝・安藤伊勢子は⑤の. 妊娠調査の対象にもなっており,若松重子の乳. 児は④の乳児調査の対象にもなっていた.図2 は,③と⑤を用い,産前・産後における安藤伊 勢子の生活時間を例示したものである.. 表4に③で調査対象になった産婦5人の出産 42)先述のように,労研の八木高次は体重調査 を通じて労働の生体への影響を測定しようとして いた.表2の③と⑤で実践された体重調査の前提に は,八木の調査があったものと思われる.. 時期・家族構成・農業経営などをまとめた43).. わずか5人のデータであるが,ここから産婦の 生活について多くの示唆を受けとることができ.
(11) 夕9. 図1 報告に掲載された安藤伊勢子の生活時間図 24 20. k農業労働時間. 1. ←家事作業時間. 16 12. ←育児時間 . ←自由時間 8. る要因は2つあったように思う.姑の有無と世 代間居住のあり方である.5人のうちで姑が存 在したのは安藤清栄・小倉司都枝・安藤伊勢子. である.家事労働への復帰は,小倉司都枝の 「緩徐」に対して(産後第3週で10時間),安藤 清栄は「急速」であり(産後第2週で9時間),. 2人の移行のテンポに相違がみられたが,安藤 清栄・小倉司都枝の家事労働の「負担」はとも に姑の存在によって「軽減」されており,2人. 4. ←睡眠時間. 0. 一一一. ともに睡眠時間も比較的長かった.. 2人の妊産婦の状況を簡略に記しておこう.. 時 出 第 第 二 間 産 一 二 三 日 週 週 週. 1町を経営する農家の安藤清栄は,妊娠末期が 農繁期に重なり,「相当無理」をして田の草取 りや梨園の作業に従事したので,体重の増加が. 出典:表3に同じ. 「著しく不正型」となった.出産後はこの農家. ↑. にとって「比較的閑散な時期」だったので,農 る.産婦の生活,いいかえば日常生活への移行. 業労働の「一切」を家族に委ねることができた.. を分かつポイントは大きく分けて3つあった. 出産時期,家族構成,農業経営の3つである.. だが家事労働への復帰は早く,産後1週目には 炊事作業に従事し,2週目になると「完全に平. 出産時期が農閑期か農繁期のいずれにあたる. 常に復した」.このように清栄の家事作業への. のかは,産婦の生活を規定する大きなポイント. 復帰は「著しく急激であるやうに見える⊥が,. であった.5人の出産時期は,農閑期(安藤清. しかしその移行は「一歩一歩」「漸進」してい. 栄・小倉司都枝・安藤伊勢子)と農繁期(赤岩. て「秩序的」であり,「著しく安定」していた.. 唯子・若松重子)に分かれ,この相違がそのま. それは姑の手助けがあったからであった.. ま産後の生活で農業労働に早く復帰したか否か. もう1人の小倉司都枝の農家では,夫が自動. の分かれ目になった.すなわち,農閑期に出産. 車運転手を,2反6畝の農業経営は母がそれぞ. した3人は産後しばらくのあいだ家事労働だけ. れ担っており,司都留自身は帽子製造の内職を. に従事し,農業労働にはタッチしなかったのに. していた.妊娠中の司都立は帽子製造と家事の. 対して,農繁期に出産した赤岩唯子と若松重子. みに従事したので「順調」であり,産後は4週. はともに家事労働だけでなく,農業労働にも従. 間後に平常に回復している.姑の存在,農閑期,. 事していた⑳.. 小規模農業経営という条件のもとにあったの で,司都枝は「相当に慎重」に平常に移行する ことができた.このように,姑が存在する場合 には産婦が手助けを受けることができたのであ. これに対して家族構成が産婦の生活を規定す. 43)以下の叙述は,引用も含め,断りのない限 り,表2の③による(暉峻二等・横川つる「農村婦 人の母性的活動に関する研究 其4 農村婦人の産 褥生活についての批判的考察」『報告』32号,1936 年〈以下,「産褥生活」と略記〉).. 44)表4の注2に記したように,5名の産後の生 活の調査期間は異なっており,同じ基準でくらべ 「ることはできないが,農業労働への従事は赤岩唯 子が第3週から,若松重子は第1週からであった.. り,三世代同居は,産婦の家事労働負担を緩和 させる側面があったのである.. だが同じく姑と同居していても安藤伊勢子の. 場合には事情が異なっていた.1町2反を経営 する伊勢子の家は,5人の女性のなかで経営規 模がもっとも大きく,「疏菜園芸」を中心にし て「高度に発達した農業経営」を行っていた..
(12) ■00. 図2 産婦の生活時間記録(安藤伊勢子) 24 20 16. □育児 ■睡眠 四自由時間 □家事労働 團農業労働. 時間 12. 日. 出典:表3に同じ,および暉峻義等・横川つる「農村婦人の妊娠過過程」「農業労働調査所報告』43号,1938年. 注:1.1935年3月8日出産. 2.生活時間の合計が24時間にならない日が多いが,これは原資料のままである.. 先の図2を振り返れば,妊娠末期の伊勢子は1 月に主に農業労働に従事し,2月になると農業. 労働を優i面し,伊勢子の代わりに姑が農業労働. 労働が減って家事労働が増えている.しかし,. に従事したのではないかということ,もう1つ は,この時代の家事労働にみられた主婦の権限. 妊娠中の「家事の主要部分」は「姑」が分担し. は,一義的にあらわれなかったのではないかと. ており,また,安藤家の1∼2月は「農閑期」 にあたっていたため,妊娠末期の伊勢子の労働. いうことである47).残念ながら詳細は不明だが,. 姑の存在が産婦の家事労働の軽減に結びつかな. 負担は重くなかった45).それゆえ,妊娠中の伊. い場合があることを確認しておきたい.. 勢子の体重は順調に増加している46).. 他方で姑のいない赤岩唯子と若松重子には,. しかし,産後の伊勢子の家事労働への復帰は. 夫の兼業化,農繁期の出産という共通性があっ. 「可成急速」であり(産後第1週で6時間),そ. たが,産後の生活は異なっていた.そのポイン. れは「まるで孤立無援の主婦」のようだと指摘. トは舅の有無と農業経営のあり方にあった.二. されていた.この点は図1・図2からもわかる ことであろう.妊娠中と産後の伊勢子の家事労 働負担の相違は,何に由来するのだろうか.あ るいは,産後の生活における清栄・司都枝と伊 勢子の相違は何にもとっくのだろうか.事例が. 45)暉峻義等・横川つる「農村婦人の妊娠過程」 『報告』43号,1938年,59−60頁.. 47)「高度に発達した農業」を営み,「労働配分 はよく合理化」されていた安藤伊勢子の家では, 農業労働を優先するため,農閑期であってもそれ まで伊勢子が担っていた農業労働を姑が担当し, その代わりに伊勢子が「可成急速」に家事労働を 担うようになったのではないか(引用は,前掲, 暉峻義眼・横川つる「産褥生活」12−13頁).ある いは,この時代の農民家族における家事労働は, 主婦の権限をもつ姑と嫁の関係のなかでもっぱら 女性によって担われていた.ただし,.この調査か らすれば産婦の家事労働の負担は一義的でなく, 産婦によって軽重があったことがわかる.主婦の 権限のあらわれ方については,さらなる検討が必. 46)同前,60頁.. 要であろう.. 少ないので確かなことはいえないが,伊勢子に. ついて考えられることは2つある.1つは,農 業経営の多角化が進んだ伊勢子の家では,農業.
(13) 一τ0■. 表45人の産婦のデータ(岡山県高月村,1930年代半ば). 月日 安藤清栄(a). 8.1. 農業 比較. 人数. 舅,姑. 7人. 舅,姑. 農業経営 子ども. 3人目. 3.1. 夫. 経営. 形態. 専兼. 家事. 農業. 1町. 米麦二毛作. 自小作. 専業. 農業. 「急速」. なし. 自動車. 「緩徐」. なし. 怐C養畜. 閑. 5. 繁. 4. 姑,妹. 1人目. 2.6反. 米. 小作. 兼業. 2人目. 1.8反. 米麦二毛作. 自作. 兼業. ^転手. @ (22歳) 赤岩亀戸(c). 11.28. 精米業 a・bよりも. 6.30. 繁. 5. 舅. 2人目. 米麦二毛作. 5.3反. 小作. 兼業. 石工. {畜. @(22歳) 安藤伊勢子(e). 「漸進的」. 條ヤ短い. @(23歳) 若松重子(d). 日常生活への移行. 耕作. I閑. @(29歳) 小倉司都枝(b). 家族構成. 出産時期. 産婦. 3.8. 閑. 7. 舅,姑. 2人目. @ (24歳). 1町2反. 米麦二毛作. a・bよりも. 「飛躍的」. u著しく長い」 自作. 専業. 農業. 「可成急速」. なし. 怐C疏菜. 出典:表3に同じ.. 注:1.出産年は,安藤清栄・赤岩乙子・若松重子は1934年,小倉司都枝・安藤伊勢子は1935年. 2.「日常生活への移行」調査は,安藤清栄(第3週まで),小倉司都門・赤岩唯子(第4週まで),若松重子(第6 週まで),安藤伊勢子(第1週まで).. 世代家族で夫が精米業に専念していた赤岩幽幽. し,炊事や買い物,風呂焚き,風呂の水汲み,. の家族では,農作業と家事労働のすべてが面子. 2歳と乳児の世話など,出産直後の産婦には負. の肩にかかり,しかも農繁期に出産したため,. 担な「家事万端」を「悉く1人」で「処理」し. 面子は産後5日目には早くも農作業に従事しな. なくてはならなかった.重子の家事労働時間は. くてはならなかった.だが,唯子の家族構成は. 清栄や司都枝とくらべて「著しく長」かった (第1週で6時間).また,農繁期に出産した重. 「単一」であり(夫婦と子ども2人),、耕作規模. 1反8畝の農業経営は「頗る単純且つ小規模」 であったため,農作業への復帰も「漸進的」で. 子の農業労働への復帰は「飛躍的」であり,6. 家事労働時間は姑の手助けを受けた清栄・司都. 日目からは畦の豆植えや牛の飼料の草刈を行 い,7日目には「敢然」と田植を行っている. 姑が存在しない重子の家事は「孤立無援」であ. 留とくらべても短かった(第3週で4∼5時. り,舅と同居していることも加わって,家事労. あり(第3週∼第4週で1日平均約1時間40分),. 間).. 働に多くの時間を費やしていた.姑のいる清. これに対して夫が石工だった若松重子の家で. 栄・司都枝・唯子と比べると睡眠時間は「著し. は,5反3畝の小作経営を62歳の「老年」の舅 と22歳の重子の2人で担っていたため,いきお. く短か」く,姑の不在,兼業の小作農家,農繁. 期の出産による負担は重子の肩にのしかかった. い「農業の大部分」は「若き」重子に「課せら. といえよう.. れ」ることになった48).産後5日目になると,. 以上のように,産婦の生活と家族構成の関係. 重子の家事作業の「ほとんど」は「平常に回復」. は一義的でなく,産婦の生活は姑の有無や舅の 存在,家族のサイズによって規定されており,. さらに農業経営のあり方が要因として加わっ 48)若松重子についての引用は,表2の③および ④による(前掲,暉峻義士・横川つる「産褥生活」,. た.. 横川つる「農家婦人の母性的活動に関する研究 其の3乳児の発育」『報告』40号,1937年,69頁. 3つ目の農業経営については,すでにふれて きたように,経営規模,多角化,兼業化,労働. 〈以下,「乳児の発育」と略記〉).. 力のあり方によって産後の生活が変わってき.
(14) ■02. た.とくにここでは,安藤伊勢子のように集約. おり,出生届の問題や乳児の「遺伝的要素」が. 的な多角経営を営んでいる農家と,兼業農家で. 理由にあげられていたが49),この調査報告では. も一定の農地を耕作していた若松重子のような. とくに妊娠末期の農村女性の過労に原因が求め. 農家では,産婦の日常生活への移行が早かった. られている.また乳児の死亡原因については,. ことを確認しておきたい.. 出産前の農村女性が休みなく農業労働に従事す. 以上,わずか5例の調査報告であるが,時間. るために,胎児の発育不良や早産を招き,先天. 調査にもとつく個別生活記録には多くの示唆が. 性弱質の乳児の出産が多くなるからだといわれ. 含まれていた.. ている.時期についても,夏場は麦の収穫や田 植え,田草取り,梨の収穫iなどで忙しく,「母. (4)乳児死亡の要因を探る. の農繁期に於ける過激なる筋労作」が乳児死亡. 調査報告 その2. に大きな影響を与えていると指摘している.. 2つ目の調査報告から乳児死亡の要因を探っ てみよう(表2の⑦).この調査は,1932年7月. 5つ目のポイントは乳児死亡と家族の経済的. 15日から2年間における高月村の乳児死亡を調. よる階層別の乳児死亡率を示した.従来は「富. べたものである.この間の出生数は133人,そ のうち1歳未満の死亡数は21人であり,乳児死. の程度低き階級」に乳児死亡が多いといわれて. 亡率は15.8層目なる.1933年越全国の乳児死亡. はH階層であり (20.7%),ついでIV・V階層. 率は12.1%,岡山県は12.5%なので,それとく. であった(17∼18%).それに対して,乳児死. らべれば相当に高率であった.. 亡率がもっとも低いのは納税額のもっとも多い. この報告では乳児死亡率に関する当時の見解. VI階層であり(6.6%),次が納税額のもっとも. と対比して高月村の事例を位置づけている.ポ. 少ない1階層であって(13.6%),生活水準に. イントは5つある.1つは母の出産年齢との関 係についてであり,それまで乳児死亡率が高い. よって乳児死亡率の高低が決まっていたわけで. のは25歳以下と30歳以上の年齢層だといわれ ていたが,高月村では25∼29歳であった.. 2つ目は乳児の死亡時期であり,生後5日目.. 地位との関係についてである.表5に納税額に. いたが,高月村で乳児死亡率がもっとも高いの. はなかった.. では,H階層とIV・V階層はなぜ乳児死亡率 が高かったのか.表5の職業と耕作面積を見て. までの死亡が10人(47.6%)に達し,早期乳児. ほしい.これによれば,H階層の父の職業は農 業,農業+兼業,農業以外がほぼ3分の1ずつ. 死亡の割合が高かった.3つ目は乳児の死亡原. であり,母の79%は農業に従事し,耕作面積. 因であり,従来は呼吸器病が多いと言われてい. は3反∼1町が48%であった.ちなみに1階層. たが,高月村では先天性弱質が多かった(21. の場合は,農業以外の職業に従事する父が大半. 人のなかで先天性弱質は13人,呼吸器病は2. であり,母は農業担当者と家事のみ担当者が 半々であった.以上からすれば,H階層には父 が兼業をして母が農業に従事する兼業農家が多 く,1階層は非農家が多かったといっていいだ. 人).4つ目は乳児死亡の時期であり,今まで. 高率と言われていたのは1∼5月であったが, 高月村では夏季の6∼8月であった.. 以上の4点について,報告ではいずれも農業 労働が母体に与える影響の大きさから説明され. ている.すなわち,25∼29歳で乳児死亡率が 高いのは,この年齢層で「農業労働婦人として. 49)表2の⑦では,従来の説として,前掲注34) のように出生届に理由を求める考えやく前掲,丘. の役割」と「出産による哺育の任務」が大きく,. 村欽冶「本邦乳児死亡率の高き原因と其対策. 「母体の使消」が激しいからであった.早期乳. 介されている(岩崎冷雨「日本気候風土と乳児死. 児死亡が農村に多いことは今までも指摘されて. 亡率(その1)」『労働科学研究』6巻1号,1929年).. (二)」),乳児の「遺伝的要素」に求める考えが紹.
(15) ■03. 表5 階層別の乳児死亡率(岡山県高月村,1930年代半ば) 1. 1. 皿. IV. V. vr. 10円. 10∼. 20∼. 30∼. 60∼. 90円. 以下. 20円. 30円. 60円. 90円噛. 以上. 出生数. 22人. 29. 22. 23. 22. 15. 死亡数. 3人. 6. 3. 4. 4. 1. 階層. 納税額. 乳児死亡率. 主. 父. なる. 職 業. 母. 計. 133 21. 13.6. 20.7. 13.6. 17.4. 18.2. 6.7. 15.8. 農業. 14%. 34. 32. 61. 64. 53. 42. 農業+兼業. 18. 31. 32. 22. 9. 13. 22. 農業以外. 68. 31. 36. 17. 27. 33. 35. 農業. 50%. 79. 77. 100. 82. 60. 76. 0. 7. 14. 0. 5. 13. 6. 50. 14. 9. 0. 14. 27. 18. 1町以上. 王4%. 17. 23. 43. 55. 40. 31. 3反∼1町. 18. 48. 45. 35. 18. 33. 34. 翻鵬び}. 68. 34. 32. 22. 27. 27. 35. 農業+兼業 家事のみ. 耕作. 面積. 出典 白井伊三郎・横川つる「農村に於ける乳児死亡と母の生活状態に就て」『農業労働調査所報告』35号,1937年. 注:1.出生期間は,1932年7月15日から1934年7月14日まで.死亡数は,上記の期間に生まれた乳児が1年以内に亡 くなった人数. 2.乳児死亡率は,出生100に対する死亡数の割合. 3.「主なる職業」と「耕作面積」の数値は,それぞれの階層の「出生数」を分母とした割合. 4.「耕作面積」の区分は,原資料のままである.. ろう.他方でIV・V階層には1町以上耕作する. 経営を補うために父親が精米業に従事した赤岩. 農家が4∼5割存在し,父の6割程度は農業専. 三子のような農家,あるいは一定程度の経営規. 業であり,母もほとんどが農業に従事していた. 模を持ちながら,商品経済の浸透に対応して父. (8∼10割).ここからIV・V階層に多いのは経. 親が石工になった若松重子のような農家では,. 営規模の比較的大きな専業農家であり,高月村 の場合,この階層が多角的な農業の担い手であ. 母親の農業労働負担が重くなり,乳児死亡率が. った.ちなみに,税額のもっとも多いVI階層に. たことは,一定の経営面積を利用して,家族労. なると,農業以外の職業にたずさわる父や家事. 働力の集約的な燃焼による多角化へと向かった. のみに従事する母が増えている.. 農家の姿である.ここでは,果樹や疏菜などの. 高月村の乳児死亡率は農業と強い相関関係を. 商品生産への積極的対応が女性の労働負担を増. もち,乳児死亡率が高いのはいずれも農業との. 大させ,乳児死亡率を増加させたと考えられ. かかわりの強い階層の女性であった.そのなか. る.. で乳児死亡率がもっとも高いH階層とIV・V階 層は,それぞれ農業の兼業化と専業化を代表す. こうしてみれば,この段階の農業労働は農村. る階層であった.先の表4を振り返れば,H階. 繁期における過労が乳児死亡につながったこ と,農業のなかでも商品経済への2つの対応で ある兼業化と集約的多角的な専業化には,いず れも女性の労働負担を増大させ,乳児死亡率を. 層には赤岩唯子や若松重子の農家が,またIV・. V階層には安藤伊勢子のような農家がそれぞれ 属していたといっていいだろう.わずかの農業. 高くなった.他方で安藤伊勢子の例からわかっ. 女性の出産に負担を与え,とくに妊娠末期の農.
(16) 一τ04. 表6 死流産を体験した農村女性と家族状況 (1932年7月15日∼1934年7月14日) 経営面積 死流産を体験:した母の人数. 3反. 3∼. 5反∼. 1町. 「満. T反. P町. ネ上. 3. 1. 3. 4. 13. 111. 1. 3. 4. 913. 111. 211. 328. 非農家. 2人. 農業+家事 母. _業以外の職業. ニ事. 2. 農業専業 父. 計. _業兼業 _業以外の職業. 2. 3. 1. 出典:白井伊三郎・横川つる「農村に於ける死流産に就て」『農業労働調査所報告』33号,1936年.. 増加させる側面があったといえよう.機械化以. 妊娠早期の死流産が多いのはどのような理由. 前の農業労働と商品経済への対応には,農村女. によるのか.報告から4つ指摘してみよう.第. 性の負担を増大させる側面があったことを確認. 1は,死流産を体験した農村女性の家族状況で. しておきたい.. ある.表6に13人の家族の経営面積と母父の職 業を示した.13人は3つのグループに分けるこ. (5)死流産の原因は何か. とができる.1つは,経営規模が5反以上に属. 調査報告 その3 調査報告の検討の最後に死流産をとりあげる (表2の⑥).1932年7月15日から2ヵ年におけ. し,父は農業専業あるいは農業兼業で働き,母. が農業と家事を担う,いわゆる専業的な農家で ある(5人).もう1つが父は農業以外の職業に. る高月村の死流産は13人であり,この間の出. つき,母が農業と家事を担当する,いわゆる兼. 生数133とくらべればその比率は9.9%になる.. 業農家であり (6人),3つ目が非農家である. このうちで法律によって届出の義務のある妊娠. (2人).ここからは,先の乳児死亡と同様に,. 4ヶ月以上の死産は12人であり,出生数と対比 すると9.0%になる.これは,同年間の岡山県. 規模の大きな専業化および兼業化が死流産に大. の6.4%,岡山市の5.6%,1933年の全国の 5.4%とくらべればかなり高率である.報告で は,全国の死産は妊娠末期に多く(妊娠7ヶ月 以上の死産が総死産の72%),また妊娠末期の. 死流産が6∼10月の農繁期に集中していること であり (13人中の8人),第3は13人全員が出. 死産の割合は農村部の方が都市部よりも高いと. る(13人中の11人).. いう村上賢三の研究が紹介されている50>.それ. 報告には,13名のうちの10名について死流 産の経緯と妊娠中の労働状態をまとめた個別記 録が掲載されている.「はじめに」で紹介した 岩田重則が,この個別記録を転載して農村女性. に対して,高月村では妊娠早期の死流産が多く (妊娠7ヶ月未満の死流産が74.6%),その点が 特徴的であると言われている.. きな影響を与えていたことがわかる.第2は,. 産順位第4子以上に相当していること,最後は. 母の年齢が30歳以上に集中していたことであ. の労働負担を指摘しているように51),個別記録. 50)前掲,村上賢三「農村の死産に就いて」5− 6頁.石川県鳳至郡柳田村の例.. 51)前掲,岩田重則「いのちの近代」..
(17) ■0∫. からはたしかに農村女性の厳しい労働環境が伝. 80.6人(男子47.2人,女子33.4人),「葡萄」は. わってくるが,それを農業労働一般として理解. 50.2人(男子22人,女子28.2人),「柿」は37.3. してはならない.右の4つの指摘から浮かびあ. 人(男子23.5人と女子13.8人)であり,梨や葡. がってくるのは,農業労働負担が大きな専業農. 萄の投下労働力は男子よりも女子の方が多かっ. 家か兼業農家に属し,30歳をこえて第4子以上 の妊娠をした農村女性が,妊娠早期に農繁期を. た.梨の晩三吉と廿世紀の場合,労働力を多く. 必要としたのは袋掛と採取・整理・貯蔵などの. 迎えるなかで死流産を体験したということであ. 労働過程であり,この2つの労働過程は主に女. る.西日本の農業先進地における商品生産への. 子によって担われていた53).果樹生産は多くの. 積極的対応と労働力の農外流出,年齢,出産順. 女子労働力に依拠していたことが確認できるで. 位,季節などが重なったなかに死流産はあった. あろう.多角化はこうして労働時間の増加と農. のであり,⑥の報告にも西日本の地域性が反映. 繁期の長期化を招き,農村女性,とくに妊産婦. していたことを確認する必要がある.. に大きな影響を与えた.農業労働調査所の調査 報告では,「農業経営の多角化が農村婦人の労. (6)調査結果にみる高月村の農村女性. 働負担を加重となす」54)といわれている.この. 以上3つの調査報告を含め,表2に示した7. 「労働負担の加重」とは,労働時間の増大に農. つの調査報告からわかる高月村の農村女性につ. 繁期の長期化を加えて理解すべきであろう.. いてまとめておきたい.西日本の先進的な農業. 多角化・集約化のいっぽうで兼業化が進展し. 地帯に属する高月村の場合,産婦の生活は農業. たことも高月村の特徴であった.高月村の兼業. 労働と出産時期,家族構成によって大きく規定. 化については残念ながら全体の推移を明らかに. されていた.これらの規定要因のなかでも重要. することができない.ここでは,兼業化と多角. なのは農業労働であり,農村女性の農業労働負. 化を比較しながら,妊産婦に与える影響につい. 担は,とくに商品経済に対応した多角化・集約. ていくつかの点を指摘しておく.多角化と兼業. 化と兼業化の2つの方面で重かった.. 化はともに商品経済に対する農家経済の対応策. 高月村では,1町程度の経営面積をもつ専業 農家を中心にして米麦作に果樹・辛菜栽培,さ. であり,労働力の集約的な燃焼をはかるもので. たとえば米麦作に果樹を加えた経営の;場合,5. あったが,次の2つの点で相違があった.1つ は階層の相違であり,高月村の多角化は主に1 町前後を経営する自作・自小作農家によって担. 月には果実袋かけ,6月麦収穫i,7月田植え,. われていたが,兼業化はおそよ5反以下の自小. 9−11月梨収穫・出荷,11−12月米収穫と農. 作・小作農家を基盤にしていた.同じ商品経済. らには養蚕を加えた多角経営が展開していた.. 繁期がつづく.これに疏菜や養蚕が加われば, いっそう忙しくなったであろう.. 1931年度における高月村の果樹生産費調査 が判明する(1反当り)52).それによれば,梨 おくさんきち. の「晩三吉」の反当労働力は154.1人(男子. 59.9人,女子94.2人),梨の「廿世紀」は166人. 53)晩三吉で労働力を多く必要としたのは,荷 造販売27.0人,袋掛24.4人,雑人夫23.6人,採 取・整理・貯蔵20.8人であり,これらの過程では いずれも女子の労働力が多く,とくに袋掛では男. (男子78.0人,女子88.0人),「三尺葡萄」は. 子6.3人,女子18.1人,雑人夫は男子4.9人,女子 18.7人,採取・整理・貯蔵は男子8.4人,女子12.4 人と女子が多かった.廿世紀では,袋掛で男子7.5 人,女子28.1人,採取・整理・貯蔵で男子19.5人,. 52)赤磐郡高月村青年団産業部「果樹生産費調 査」岡山県農会『農家の友』435号,1933年,25−. 54)白井伊三郎・横川つる「農村に於ける死流 産に予て」『報告』33号,1936年,175頁(以下,. 30頁.いずれも反当の事例調査である.. 「死流産」と略記).. 女子24.5人であった..
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