著者
亀井 伸孝
雑誌名
先端社会研究
号
創刊号
ページ
315-319
発行年
2004-12-20
URL
http://hdl.handle.net/10236/11440
2004年度 第 2 回国際シンポジウム
高度情報社会における危機管理
──安全性の向上か、それとも監視の強化か──
2004年 9 月 20 日(月) 神戸国際会議場 国際会議室 共催:朝日新聞社 〈基調講演〉 デイヴィッド・ライアン(David Lyon) (カナダ、クイーンズ大学社会学部教授、同大 Surveillance Project ディレクター) 「公的問題と個人情報──現代社会におけるリスク、恐怖、安全、監視」 〈パネリスト報告〉 諏訪 彰弘(杉並区危機管理室地域安全担当課課長) 「防犯と防犯カメラ−いかにして犯罪を防ぐか」 山中 茂樹(朝日新聞社防災力取材班編集委員) 「知力・地域力で情報生かせ」 小倉 利丸(富山大学経済学部教授) 「監視と市民社会」 〈司会〉 荻野 昌弘(関西学院大学社会学部教授)2004年度 第 2 回国際シンポジウム「高度情報社会における危機管理」報告
監視体制の監視へ
亀井
伸孝
* キーワード:監視体制の監視、監視の両義性、コントロールのための監視、ケアの ための監視 2004年 9 月 20 日(月)、神戸国際会議場国際会議室において、本 COE の 2004 年度第 2 回国際シンポジウム 「高度情報社会における危機管理− 安全性の向上か、それとも監視の強化か」が開催された。ライアン氏の基 調講演と 3 名のパネリストによる報告、全員によるパネルディスカッショ ンが行われ、一般からは約 60 名の参加があった(本 COE 関係者、報道 関係者を除く)。 カナダ、クイーンズ大学教授のライアン氏は、監視と近代社会に関わる 同時代の諸問題を分析し、積極的に発言することで世界的に知られる社会 学者である。基調講演は 9・11 以降の監視をめぐる動向の分析を中心と し、アメリカの「対テロ戦争」をきっかけとした脅威の日常化を背景に、 市民に対するコントロールのための監視がつとに強められている現状が報 告された。リスクと恐怖はらせん状に互いを増幅し合う関係にあり、監視 の強化は安全性の問題の解決どころか、新たに問題を作り出す結果を招く と論じ、脅威と監視ではなく信頼や公正さに根ざした安全性を実現する社 会のあり方を展望した(ライアン氏の講演については本誌 321∼355 ペー ジを参照)。 次いで 3 名のパネリストから、情報と安全性に関わるさまざまな角度か らの報告がなされた。諏訪氏は、行政の立場で防犯カメラに関する条例制 定を担当した経験から、安全性とプライバシー保護の調和を目指す政策の ────────────────── * 関西学院大学実例と課題を報告した。山中氏は、新聞記者として阪神・淡路大震災とそ の後の防災体制を取材した経験から、防災のための情報収集・開示と、そ れを活かせるコミュニティの信頼構築の必要性を論じた。小倉氏は、現代 資本主義論研究の立場から、国家が「プライバシーの守護神」として姿を 現しつつ網羅的な監視体制を強めている現状を指摘し、監視技術を民主的 にコントロールすることが必要と述べた。 おおまかに分類すれば、ライアン、小倉の両氏が情報の収集・開示をめ ぐって慎重な姿勢をとるのに対し、諏訪、山中の両氏は、情報の収集・開 示の必要性を認めつつその運用方法をさぐる方向に力点があったと言え る。ただし、両者は一つの問題をめぐる単純な対立関係にあるのではな い。以下では、重要な問題群につながるであろう論点をしぼって紹介した い。 まず、監視をめぐる基本的なスタンスである。一般には〈監視社会論= 反監視〉との連想が生まれやすいが、今回の議論をたどるかぎりは監視否 定論ではなく、むしろ「監視体制をいかに監視するか」へと焦点がしぼら れてきている。ライアン講演は、保護のために行われる「ケアのための監 視」に言及し、これを否定的にとらえてはいない。彼が批判するのは、体 制がもっぱら恐怖に根ざした「コントロールのための監視」へと急旋回し ている昨今の事態である。小倉報告は「善意の監視は悪意の監視に転用し うるが、その逆はなりたたない」という命題を示すが、少なくとも「善意 の監視」があることを認めている。どちらも監視それ自体を廃することを 主張しているわけではない。「反監視」から「監視体制の監視」へ。まさ に「毒を以て毒を制する」のが監視社会における現実的な戦略であり、こ のシンポジウムの討論者の間でも共有されていた地平であった。 これとも関わる重要な論点として、監視が本質的にはらむ両義性をめぐ る問題に焦点が当てられた。そもそも「監視」と訳される surveillance は、「親による子どもへの目配り」というようなニュアンスも含む、福祉 と親和的な概念を合わせ持っている。本シンポジウムの特色は、「防犯」
と「防災」をドッキングさせたことだろう。山中報告は、高齢者や障害者 の被災に備える意味でも情報の収集・開示が必要と述べているが、監視社 会論は、今後ニーズが増すと思われるこの種の「福祉情報管理」の問題に 正面から向き合うことが必要だろう。「市民社会は健常で若い構成員だけ ではない」という当たり前のことを念頭に置いた、監視社会論の一層の展 開が望まれる。それはまた、ケアのための監視が常にはらむ危険性、たと えば情報の目的外使用や流出などの事態をどのように阻むのか、その具体 的な提言が求められているということでもある。 本シンポジウムにおける具体的な提言として、行政の関与を主題とした 諏訪報告があったが、その具体性ゆえに監視の効用と危惧とが正面からぶ つかったテーマでもあった。杉並区が制定した条例は、民間業者等が防犯 カメラを設置するときに、区への届出と表示を行うことを義務づけた。こ れはまさしく「監視体制の監視」を具体化する方策の一つだったはずだ が、かえって自治体お墨付きの監視カメラの増加を招く可能性があり、ま た情報の目的外使用等に関わる危惧が十分払拭されたとは言えず、この行 政による新しい試みに対する批判論者の警戒は解けなかったようである。 このずれは簡単には解消しないものの、自治体の新しい役割として、監視 それ自体でなく「監視体制の監視」を業務とするというアイディアが実例 とともに示され、新しい論争を生むきっかけをもたらしたという意味で、 興味深い報告と議論だった。 今回のシンポジウムは、テロ、防犯、防災、戦争の話題が同居し、まさ に異種格闘技のごとき様相を見せていたが、それゆえにかえって人々の幸 福をめぐる核心的な問題群が浮かび上がったように思われる。「監視社会 への警鐘を鳴らす」というようなおきまりの結論を導く企画に終わるので はなく、監視の両義性を認識しつつ「監視体制をいかに監視するか」をめ ぐる理論と実践のアイディアがかわされた、類例のない企画だった。 今後ともこの実践性をさらに敷衍するための筆者のアイディアとして、 関連企画「監視機器展」の開催を提案したい。市民が監視テクノロジーを
実際に見て触り、使うことを通して、「監視体制の監視」を実践するきっ かけを大学が提供することができるだろう。本 COE の将来像の一つであ る社会科学系の博物館構想ともからめつつ、実現されることを期待した い。