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ドイツ・ロマン派とジェンダー

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Academic year: 2021

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全文

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ドイツ・ロマン派とジェンダー

著者

山下 剛

雑誌名

東北ドイツ文学研究

53

ページ

83-86

発行年

2010-10-30

URL

http://hdl.handle.net/10097/00127120

(2)

特集

ドイツ・ロマン派とジェンダー

はじめに

本特集は,ドイツ・ロマン派文学をジェンダーという視点から捉えようとするも のである。 1970 年代のアメリカで本格化した女性学研究の進展に伴って,ジェンダー研究は 80 年代以降,全世界的に大きな潮流を形成するにいたっている。ジェンダーとは本 来は文法上の性を指す言葉だが,現在は生物学上の性別の意味を含みながら,「社 会的・文化的に期待される男女の性のありよう」を意味する言葉としても使われる ようになっている。ジェンダー研究は,男性中心の価値観で作り上げられてきた諸 学問の「客観性」や「価値中立性」をジェンダーという視点から問い直し,それら の解体と再構築を目指すもので,その範囲は経済学,歴史学,社会学,言語学,文 学,音楽学,芸術学など多方面にわたっている。本編に入る前に,ここでは 3 編の 特集論文の紹介も念頭に置きながら,ジェンダーにかかわるドイツ・ロマン派の諸 相を思いつくままに拾い上げてみよう。 ドイツ文学研究の分野では従来男性中心に展開してきたと思われていた文学史の 読み直しが急速に進んでいる。その結果,18 世紀後半の啓蒙主義の時代から女性の 活躍が目につくようになり,それがいよいよ本格化するのが初期ロマン派以降であ ることが明らかになってきた。啓蒙主義の時代に教養市民層が社会の表舞台に登場 しはじめると,生活水準の向上や教育の普及を背景に,女性たちも手紙という自己 表現の手段を獲得する。そしてすぐれた手紙の書き手の中からは『シュテルンハイ ム嬢の物語』(1771)のゾフィー・フォン・ラロッシュ(1731-1807)のように実際 に書簡体小説の創作へ乗り出す女性も現れ,女性は男性によって一方的に描かれる だけでなく,自らも描く存在となっていく。 産業革命以降の社会構造・産業構造の変化によって,男女の役割分担が徐々に固 定化してくると,女性は家庭内に押し込まれ,創作活動から遠ざけられる傾向が強 まったが,するとこのジェンダー規範を従順に受け入れる動きばかりでなく,これ を疑問視し,これに抵抗する動きも目立ってくる。初期ロマン派の理論やサークル の形成には女性も大きな役割を果たすようになり,「女性性」が重要なテーマとし て盛んに議論された。1798 年,99 年にイェーナで絶頂期を迎える初期ロマン派運

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特集 ドイツ・ロマン派とジェンダー 84 動では,さまざまなジャンルや区別を乗り越えようとする「総合ポエジー」,「総合 哲学」という考え方から,文学活動における男女同権が実践された。畠中論文が指 摘するように,A. W. シュレーゲル(1767-1845)によるシェイクスピア翻訳に際し て妻カロリーネ(1763-1809)が果たした大きな貢献,並びに A. W. シュレーゲル, フリードリヒ・シュレーゲル(1772-1829)やシェリング(1775-1854)らの思想形 成に及ぼしたカロリーネの影響は特筆すべきものであるし,また,女性が実名で作 品を発表することに社会からの抵抗が大きかったこの時期,カロリーネやドロテー ア・ファイト(1763-1839)が夫やパートナーを献身的に支えながら自作を匿名で 発表したことにも注目する必要がある。彼女たちは自己の自立を求めて離婚と結婚 を繰り返したが,しかし,それによって女性解放や急進的な社会改革を果敢に訴え たと考えるのは,やや早急に過ぎるだろう。彼女たちは文学活動や家庭内での男女 同権は求めたものの,当時のジェンダー規範にはむしろかなり忠実に従った,ある いは無意識に従わざるを得なかったと言えるのである。 18 世紀末以降のベルリンではユダヤ人女性であるヘンリエッテ・ヘルツ(1764-1847) やラーエル・ファルンハーゲン・フォン・エンゼ(旧姓レーヴィン)(1771-1833)ら がサロンの女主人として,民族,宗教,階級,性別を超えた幅広い交友を取り仕切 り,当時の思想・文学運動に独自の存在感を示したことも忘れるわけにはいかない。 サロンは,男性社会の中でさまざまな制約を受けていた女性が,社会とのつながり を見出し,教養を身につける自己実現の場でもあった。啓蒙主義がサロン発展の土 台をつくり,若いゲーテ(1749-1832)やシュトルム・ウント・ドラングの文学運 動がサロンに新たな刺激を与えた。ベルリンの階級社会から疎外されていたユダヤ 人女性は,啓蒙が進みユダヤ教の伝統に縛られていなければ,キリスト教徒の女性 よりはるかに自由に豊かな交友や精神生活を享受することができた。高度な教育を 受けていた彼女たちの特権的な立場が,女性差別に対する問題意識を育んでいった ことにも注目すべきである。 カロリーネやサロンの女主人たちは高度な批評能力を持ち数多くの興味深い書簡 を残したが,その能力を創作へと生かすことはほとんどなかった。女性たちが残し た書簡は時代のドキュメントとしてだけでなく,文学としても十分に鑑賞にたえる 価値を持ち合わせていると思われるが,多くの場合,書簡は恣意的に,しかも断続 的にしか残されておらず,それらが書き手の人格や世界観の全体を指示していない ため,これが人物像にさまざまな解釈や憶測を生む原因ともなっている。独立の著 作を持たない女性は,その意味でも,文学史における再評価に際して難しい問題を 抱えていると言えるだろう。 女性たちが創作へ乗り出す際も,まず書簡体小説という形式が選ばれたことには 理由があった。書簡体小説は,男性によって独占されていた他のジャンルと競合せ ず,創作する女性に対する批判を和らげる効果があったのである。手紙は自己表現・ 自己確立の手段として女性によって獲得された後,自由な発想,率直で自然な感情

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表出という女性独自の様式と文体を作り上げていった。 時代はやや下るが,ベッティーナ・フォン・アルニム(旧姓ブレンターノ)(1785-1859) も祖母ゾフィー・フォン・ラロッシュと同じく,書簡体小説で世に出た。ベッティー ナが発表した 3 点の書簡体小説『ゲーテとある子どもの往復書簡』(1835),『ギュ ンデローデ』(1840),『クレーメンス・ブレンターノの春の花冠』(1844)は,初期 ロマン派の若々しい時代精神を当時の反動化したドイツに改めて思い起こさせるも のとして高く評価される一方,大胆に虚構をも取り込んだ独特な手法は読者の戸惑 いや反感も引き起こした。ラーエルのサロンにも出入りしていたベッティーナの関 心は,書簡による過去の再現にはなかった。著作によって社会を動かすことが重要 だった。これが後に社会の不正を訴え,弱者救済に身を投じていくベッティーナの 姿につながる。初期ロマン派の女性観は保守反動化した後期ロマン派ではなく,ラー エルやベッティーナを経由して,「若いドイツ」へと受け継がれていったのである。 1810 年にベルリンで設立された「キリスト教=ドイツ午餐会」は後期ロマン派の 政治的信条を代表しており,当時のジェンダー規範をさらに強化する方向に進んだ。 会員たちは女性やユダヤ人の社会進出を厳しく非難し,女性を男性に従うべきもの としたのである。しかし,アルニム(1781-1831),アイヒェンドルフ(1788-1857), フィヒテ(1762-1814)らとともに会員の一人となったクライスト(1777-1811)の 作品に登場する女性像は,それほど単純なものではない。『ハイルブロンのケート ヒェン』(1808)で,主人公は当時のジェンダー規範そのままに,男性に対する無 意識的で無条件の献身を示しているが,新本論文が論じているように,同年発表の 『ペンテジレーア』(1808)におけるペンテジレーア像ははるかに複雑な様相を呈 している。諸規範を踏み越えてゆくペンテジレーアという「不可解な」存在とその 行動を言語によって演出するために,クライストはドイツ語に特徴的な文法上の 3 つの「ジェンダー」を実に効果的に使用しており,このような作品が成立する背景 には,単純な二項対立的なジェンダー論理を逸脱する,クライスト自身の個人的傾 向があったというのである。ここには女性の活躍が男性社会を脅かしつつあった時 代状況やそれにおののく男性の意識も垣間見えるようで,きわめて興味深い。 女性音楽史研究もこのところかなりの進展を見せている。19 世紀には音楽理論の 体系化が進んだが,ここでも男性理論家によって一方的に作り上げられたジェンダー 規範が女性を創作活動から排除した。肉体性と結びつき信仰の妨げとなる女性には, 精神性の現れである音楽は作れないという言説がまことしやかに広まっていったの である。女性は作曲をする男性を補完するものとして曲の再現,即ち演奏行為に押 しやられるか,創造的男性に霊感を与える女神として男性に献身する役割を期待さ れた。フライア・ホフマン著『楽器と身体』(春秋社)の訳者の一人でもある阪井 氏は,女性音楽史の最近の研究動向を踏まえ,E. T. A. ホフマン(1776-1822)の音 楽小説を素材に音楽と文学の橋渡しを行っている。華奢な肉体の持ち主である女性 歌手がさまざまな理由から病や死に捉われ,身体や声を奪われていく経緯が,いく

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特集 ドイツ・ロマン派とジェンダー 86 つかの作品を通して精緻に分析されていく。 ロマン派の時代以降,少なからぬ女性が文学運動にかかわるようになり,男女双 方から実に多様な男性像・女性像が提示されることとなった。当然ながら,女性が 抱く自己イメージも時代とともに変化している。特集論文 3 編というのはこれらの 諸相を論じるにはいささか寂しく思われるかもしれないが,これらの論考はそれぞ れ現在のジェンダー研究の到達点を示しており,我々の認識に揺さぶりをかけるの に十分なラインナップとなっていると言えるだろう。 (山下 剛)

参照

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