教育実習生の「授業技量」についての観察ノート
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(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第40巻 第1号. 平成元年 10月. lof Hokka ido Un Journa iver i ion (Sec tyofEducat i t s l on I C) Vo .40 .l , No. october ,1989. 教育実 習生の 「授業技量」 について の観察ノー ト 若. 原’. 直. 樹. 〈研究の目的と方法〉 この研究 の目的は, 教育実習に初めて臨む学生 (3年生) がその時点でどのような授業技 量を持 ちあわせている のか, またそれを実習期間中にどのよう に高めていくのかを 教育実習生 (以下 , , 「教生」 という) の授業を観察することによって知ることである 本論でいう 「授業技量 」 (または . 単に 「技量」 ) とは, 授業中に発揮さ れている教授遂行能 力のすべてをさす . 授業についての教師の仕事は教科内容や教材を理解し解釈して授業を構想する事前の過程と そ , れを授業の中で表現して計画を実現する実行の過程とにわ けられる 本論で言う授業技量 とは後者 . において発揮さ れる教授行為の能力 である 授業を成功 に導くためには もちろん授業 前における . , 周到な調査・研究・構想の準備が不可欠であるが ここではそ れとは切り放して考察対 象を授業最 , 中の能力に限定した. 授業技量は少なくとも必ず次の三つの要因によっ て構成されて いる (A)教生の 教科内容・教 . , 材についての認識, (B)同じく子 ども (個人・集団) についての認識 (C)教生自身の教育観及び , パーソナリティ 従来, このうちのAについての深い考察から教師の教授行為を論理的に確定する . 授業研究が蓄積さ れてきた. B・Cに比べてAの認識対象が最も客観的で具体的な対象であり .ま ,・ たその考察から得ら れた 成果は同じ教材を用 いる他の実践 への直接的貢献度が高いから である そ .・ のような技量はかなりの程度一義的に定型をなし他への伝達も 可能な社会性をもつところから む , しろ 「教育技術 (授業技術)」 と呼ぶにふさわ しい様態を持つ . 「教育」 について知的・論 理的に研究する ことよりも むしろ 学生 しかし教育実 習は, 学生が・ , , が 「教育する」 ことについての体験的知識を獲得する場 である 教育実習の理念が何であるべきか . の立ちいっ た議論は別 にすると, 実 際には教生にとっ て実習とは子 どもを知る機会 (B) であり , 自分の教師としての力量・適性を自覚する機会 (C) となっ ている そこで 教生の教授行為を上 . , 記B・Cを中心 に観察して, その観察によって得た知見を学生に フィ ー ドバックすることによっ て 教育実習の改善に直接役だてようというのが本研究の動機である . ところで, 年齢の低い児童の教育におけるコミュニケーショ ンは単に知的であるだけではなく全 人格的であることが必要なので, 授業を観察する場合教師と子 どもとの人間的なかかわりを視野の 外におくわ けにはいかない, もちろんそこを観察し記述しようとすれば いきおいその表現は多少 , なりとも主観的になることをまぬがれない これまでの授業 研究において教授行為の個人的側面(上 . 記B・C) について論 じられることが少なかったのもこの主観的解釈を避けるためであっ た しか . し主観的であるという 理由で, 大学および実習校が教生の個人的な技量 についての指導を手薄にし Aの教科内容 研究・教材作成についてのみの指導に終始するの であれば 教生に対する指導として , は 〈知育偏重〉 となり, 延ては教生 にも実習期間を子 どもに対 する知育偏重で過ごさせることにな りかねない. 29.
(3) . 若 原 直 樹. have ) はずしたり」 また授業技量を, 伝達可能な教育技術 (授業技術) とちがっ て 「持っ たり ( 「 be )」 能力と考えるな らば, 教生の個性にまで踏み込 できる能力ではなくその教生とともに ある ( むことなく客観的に記述できる部分だけで技量を論ずるのは どう しても皮相的である. その例とし て, 「多くの授業研究は個々の授業技能を主観的に批評するにと どまる」という批判に立ったある研 1 )では, それに代わっ て 「教授技能を客観的に分析」す るとして 「教師と児童の発言をカテ ゴリー 究( 分類」 して集計し, それを数量 的に表現している. しかしそうした精密な 「分析」 によ って得られ た結論, すなわち,〈熟練教師の方が実習生よりも教授効果 が大きい, 教授効果を規定する技能は広 範にわたる, 実習生の方 が熟練教師よりも発問回数 が多く KR が少ない〉 な どの結論は, それら一 連の授業を主観的に観察 した結果得られるであろう印象とほと んど変わらない. いわ ば, この研究 は観察者の 主観的印象を数字によって改めて表現 し直している (にす ぎない) のである. こう した 傾向は, 「客観的」と称 した教育工学的授業研究で しばし ば目にする傾向である. いみじく もそれら の 「客観的」 研究はかえっ て人間の 「主観的」,な授業観察がさほ ど大きな間違いをおかすものでは な い こ と を 教 えて く れ て い る の で あ る,. したがっ て筆者は, 授業の 〈主観的な解釈〉 イ コール 〈偏向した解釈〉 であるとは考 えない, む しろ, 教授行為について 一歩踏み込んだ論述をするために, 本論ではあえて 授業を主観的に観察し また表現する. ただし, 筆者はそうすることにようて結局は多くの読者の賛同を得ることを目標に していて, もしそれが実現されれば本論はふ ある意味において --「共同主観的」 という意味にお いて -- 客観的である, と考えるのである. 以上の理由で本論では, 教生の教授行為のうち機械によっ て拾えるのでもない, また全員の解釈 が一致するという保証があるのでもない授業技量について観察し, それに説明を与 えた. すなわち 2 )に共通に見 られる教生の技量の特徴, また どの教生にも見られる初期と後期と 良い授業・悪い授業( の技量の差異, これらを, 「話す」 「見る」 「聴く」 「動く」という人間の 基本的能力を軸に観察した. その際, できる だけ筆者を子 どもの立場に置いて (子 どもの身になって) , 教生から受ける 〈感じ〉 を直観的にとらえる ことに努めた. それによっ て筆者の担当する教育専門科目や教育実習の 事前指 導の改善に生かしたいというのが, 本研究の目的 である. 988年附属小学校に配属されたうちの28人の教生ののべ50時間である. 筆者の観察したのは,1 ただし, 一人の教生ごとについて言うと, 最も多く見た場合でも, 3時間 である (3時間見た 教生 が6人, 2時間 が10人, 1時間が12人, 計50時間) . 220人)に対して 実習中の授業についての質問 また実習期間終了直後, 大学にもどっ た全実習生( 紙法による調 査を行ったが, その結果のうち本 論述に関係のある部分を随時紹介し援用するゞ. 工. 話. す. .言うまでもないことだが 授業中の教師の仕事はことばを使うこと すなわち 「しゃ べる・声を , , 出す・話す・語る」 ことによって成立している. 教師が黙って立つていても黒板に命令文を書いて も授業は始まらず, 教師の声・語りと ともに授業は始動する. 授業者の技量の大半は話すこととと もにある. 本論の視点に立った場合には, 他の多くの話芸・語り芸 (落語・義太夫・浄瑠璃・漫才・ 講談・大道芸・演説・ 演劇……) と同様に授業において も, 教師の話す内容の重要さと同等にその 話 し方の巧拙が授業の成否を決めるもう 一つの 要因である.. 30.
(4) . . 教育実習生の 「授業技量」 についての観察ノート. ( 1 ) 声. ①声の高さ. ● . ● ● . ・. 響く高い声になる. 全体的 に教生の声は高い. 教生がそのようにからだや頭 を緊張させて高い声で話すために 教生 , の初期の授業には落ち着きのない印象が生ま れる. 中には, 特に男子学生の中 に声の低い教生がい. .● ● ●●. 授業者の声がどんなものであるかは, 授業の雰囲気を作る上できわめて重要である . , まず気になる のが, 頭に響かせている高い声の場合である. 特に初期においては, 緊張している 教生はその緊張を解かないまま話すのでどう しても高い声になる 緊張のためゆっくりと腹 で呼吸 . することができず, 胸や肩で浅く呼吸している からである 緊張していないとしても 最初のうち . , はどう しても 〈教える〉 という気持ちが強すぎて, 知的に頭で考えながら一生懸命話すため に頭に. て, その場合は落ち着 いている感じを与える. また5週目ともなると, 一見するともう現職教師の ようにさえ見えてくる雰囲気を持 つ教生も少なくないが, それは落ち着いた声によるところが大き . . . ②話す速さ. 題を示すので, 子 どもがよくその意味を取れずすぐに反応できないでいる場合がある これも5週 , 間のうちに顕著に変わっていく. 実習後に集めたアンケートにおける非強制の自由記述の質問 「授業に慣れてくるにつれて次の事 柄 に つ い て の あ な た の 認 識 は どう 変 わ う て き ま した か 『自 分 の .. が,. と変わっ て. きた.』」 の初めの空欄に 「話し方/話す速さ」 と入れて, その次の空欄に 「ゆっくりと落ち着いて 話せるようになった.」 と続けた回答がもっ. とも多かった ( 3 6人) . 自分の 〈声の高さ〉 についての 記入例はなかっ たが (つまり自覚できていないが) , 〈話す速さ〉 については自覚できて いるのであ る. また速さがそう改善さ れたのは, 日がたつにつれて平常心になり( 1 ) 呼吸を深くして子 どもの前 に立てるようになつたことと,( 2 )子 どもの反応を待てるようになり沈黙の時間(黙っていられる時 間) が増えたことによっ ている. 確かに, 〈声の高さ〉 は自分ではなかなか矯正 できないことであるが 〈話す速さ〉 は意識すれば自 分で制御できる. そしてゆっくりと話すことで高 い声の欠点はカバーできる ある教生 (女) は , . 筆者の観察した限りにおいてはよい授業のできる教生のひとりだったが やや声が高い しかし , , . 柔らかい口調でゆっくりと話すのでその高さ がほと んど気にならずにすん でいた . 2 ( ) 話しかけ ること. さて, 〈話す授業技量〉 において声の大小・高低・緩急よりももっ●と決定的なことがある それは . , 子 どもに 〈話しかけている〉 か どうかである. 先ず〈話す〉ことができること‘ 〈話す〉は〈離す/放す〉である 声を自分のからだから離す (放 . す=放つ) こ とである. 顔を上 げて, 全体 に向かっ て大きな声 (たとえ小さくてもはっ きりした , 力のこもった声) でハナスことである. 教室の後ろから入ってまず授業を眺めたとき 誰でも その , 教室に教師を中心とした 集中ができているかをす ぐに直感することができるが その集中を決定す , る要因の一つが, 教師の声が子 どもに向かっ て離れているかどうかである 男子の教生にはこれが . 初めからできているものが少なくない. 要するに, 顔が上がっ ていて声に力があり最後列の子 ども まで十分届いていること, 子 どもや参観者が思わず声の出所 (=教生) に顔を向けて しまう強さを 31. .・ ● ● ●●. ・ ●● ● . ●●●●・ ‘. 声が高い時はまた概して早口でもある. 緊張しているときあわてているとき早く結論を言おうと するとき, やはり呼吸が浅いた め声の高い早 ロになる. 教生は初期には, 高い声で口早に発 問し課.
(5) . 若 原 直 樹. 持っていること, である. 教生の, その授業に向かう気概を感じさせる声である. むしろ逆の例を上げる方がわかりやすい. 教生A (女) の最初の授業, 教生B (男) の研究授業 では, どちらも緊張のせいだと思われるが, 唇だけを使っ てひそめた小さな声 で話していた. こう いうとき, 自然に, 見ているこち らまでそれに同調し息が詰まっ て しまうものである, これでは子 どものからだも萎縮してしまい, 元気な意見を出すことはもちろんのこと活発な発想それ自体が封 殺されてしまう, 特に研究授業で大学の友人や指導教官 が教室の後ろで見ていると, できれ ばその 人達には聞かせたくないという心理が教生に 生じがちである. 次に, 〈話す〉 上に, さらに 〈話しかける〉 のである. <離し/放し〉 たあと, 〈かける〉 . だから ・ 単に大きな声でさけべばよいというものでもない. その声を子 どもに 〈送り届ける〉 こと一 空中に 放した 後, 子 ども全体にいわ ばフワリとかけなくてはな らない.・この感じをこう ・して文字で表現す と意味しない いことは存在しないということである るのは難しい が, 決して, 表現できな . われ , われの耳は無意識のうちに, 事務的に話される声と親近感の含んだ声とを判別している. わかりや すい話をする人, 面白い話をする人は, この 〈かける〉 ことができる人である. 聴衆のひとりひと 3 り に, 「あ の 人 は こ の 私 に 向 か っ て だ け 話 し て い る の で は な い か」 と 思 わ せ る 話 し 方 で あ る() .. このことについて, 自分の話し方が 「声に強弱/抑揚 がついてく る (9人)」 「大きな表現で変化 14人)」ように変わ ってきた, という形で自分の変化を自覚 している教生もいた. だが筆 をつ ける( という初期・後期の差以上に教生間の個 人差の方が大きい, すなわち, 者の観察 では, 慣れてくる, ほとんど最初か らこの 〈話し=離 し, 放し〉 ができている教生 がいるし, その中には早し うちから -. 〈話しかけ〉 へと上達していく者もいる. たとえば教生 C (女) の語りかけは見 事で, 低学 年の心に \ していた. く●ないのに子 どもは静かに授業に集中・ ぴっ たりと合っ ていて声はさほど大き・ 反対にいつまでもそうでき ない教生がいる. 機械のように単調に 話す教生,,ひとり言のように話 す教生’ 教科書を見ながら話す教生, いずれも声 が後列の子 どもまでを包むこと ができないでいる. こうした教生の授業を見ていると, 教師の声は単に聞こえればよいという ものではないことがよく わかる. 子 どもにこと ばを放射して自分の ほうに集中させ, 同時に自分の声で子 どもを包みこむと いう話し方 は, 初めての実習においては難しいことではあるにして も, 未来の教師には ぜひとも体 得してほしい技量である, ( 3 ) 「ですます調」 と 「だねかな調」 子どもに話しかけるという気持の強弱は声の質だけにではなく,語りの文末に端的に表現される. ・ ・ます(ますか) 教生は, 最初子 どもに向かっ て「…… です(ですか). /…・ . /……してください.」 という調子 (以後 「ですます調」 と呼ぶ) で話すが, しだいに 「……だね. /……だよね./……か 「だねかな調」 と呼ぶ) に変わっ てくる この変化はかなり授 業の質を決定する. な.」 という調子 ( . ま 、す調」 で発問 というのは, 初期のうち, 教生 が 「では, ……はどうなりますか.」 などと 「です, 「 すると, 必ず子 どもは挙手し, 教生がそれを指名 し, 指名された子 どもが立っ て 私は, ……だと 思います. 皆さん, いいですか.」な どという, お定まりの授業の 形式をとる. もちろんこの形 式の おかげで,初期の不慣れな教 生の授業が大きな 破錠をみせずにす んでいることは確かである.「授業」 と呼べる体裁をかろう じて作るタガとなっ ている,. とこ ろ が 日 を 重 ね る ごと に 慣 れ て き て 教 生 が, 「こ れ は … … な の か な.」 な どと ス ッ と 「だ ね か な. ● また自 調」 で問い か けると, その問いかけが形 式ばらない自然なものであるがゆえに子 どもの方も4 ● 「 ・ ・なんじゃ ない?」 ● 然に, 挙手もせず指名も待たずその場ですわっ たまま 「それは…… だよ. 」 …・ 一定時間続いていく ・ と口々 に自由に応答するの である. そしてそう した応答が . もちろんそれでも 32.
(6) . 教育実習生の 「授業技量」 についての観察ノート. 中心的な重要発問では挙手を促し指名 するという場面は依然として必要なわけだが いわば中心的 , な重要発問を授業を構築する礎石にた ●とえれば, 「だねかな調」による自由な発問はその礎石を支え る砂利 (じや り) の役目を果た しているのである 高跳びの踏み切り (中心発 問) と助走 (自由応 . 答) の関係にあるとたとえても良い. すなわち 「だねかな調」 による自由な応答は 教師と子 ども , のコ ‘ミュニケーショ ンをキメ細かく精妙 にする機能を持っているのである そしてまたそ のうちと . げた応答によ って子どもと教師の心理的距離が相互に接近するという役割を同時に果た して いるこ とも見逃せない. もう一つ重要なこr とは, 概 して 「ですます調 “まこ ども全体 に向かって話すことばであり 「だね , かな調」 は子 ども ひとりひとりに向かっ て 〈話しかける〉 ことばであるという点である . 学生がアンケートに答えて, 慣れてくるにしたがっ て「自分の声に強弱や抑揚がついてきた (9 , 人)」「自分らしく自然に話すようになってきた( 15人)」「大きな表現で変化をつけて話すようになっ ・教生のからだの緊張がとれてリラ ックス し子 ども に親愛の情 た( 14人)」と述べているが, これは, 緒もわくようになって, それをすなおに自然に表わすことができるよう に変わ っ てきたことを意味 している. 「手振り身振りが大きくなった ( . 10人)」と答えているのも同様であるが, そう したうち とげた情緒が 「だねかな調」 の口調を生むのであろう . しかし, これも初期・後期の差異以上に教生ごとの個人差の方が大きかった 早いうちから 「だ . ねかな調」 で話す者がいるかと思えば, ずっ と 「ですます調」 で通す者もいた 前者の典型的な例 . である教生D (男) は子 どもひとりひとりに話しかける 「だねかな調」 で したがっ て子 どもの , , 挙手にはよらない自由な発言を常時 ひき出 して授業を自然に活気づかせていた 対照的なの が 教 . , 生E (女) である. 彼女は口 ごもるわけでもないし早口でもない その反対に実にはっ きりした発 . 音で大きく話す. ところが聴いていて気になるのが, あまりにも明瞭すぎる 「ですます調 なので 」 ある. きっ ぱりとした 「ですます調」 のしかも長い説明は 彼女の場合 いかにも無知な者 (子ど , , も) にこの私が教えてあげますという押しつけがましさを感じさせた また授業が知 的にのみ進行 . するものだから, その明瞭な 「ですます調」 はまるでテレビ講座番組の講師のよう で 教師は正解 , を堅持してガラスの向こうに立っ ているようである 彼女の授業を見ていると授業は単に知的なコ . ミュニケーショ ンだけで成立しているのではないことが良くわかった . もちろん 「だねかな調」 が良 いといっ ても教師の口調があまりに日常的で卑俗 に流れすぎて 授 , 業が粗野になることは警戒せねばならない しかし今回見た 教生についてはそち らに行き過ぎると . いう心配はなかった. むしろ, いつまでたっ ても変わらず 「ですます調」 である教生 の授業を見て いると, 教師がいつも取り澄まして高みから子 どもに話している感じがしてそれが授 業の雰囲気を 固くるしいものにして いることは否定できず, 教師と子 どもがもっ と接近するために意識的にでも 「だねかな調」 に変えた方が良いと思われることがしばしばあ た っ .. 1 1. 見. る. 一般に人間関係の, とくに対話場面では 目を どこに向けて話すかはきわめて重要な問題である , , 教師が教室の中で自分を中心にした 緊密な空間を作り出そうとするときに 〈声〉 と並んで〈目〉 が , そ れ を 決 め る もう 一 つ の フ ァ ク タ ー で あ る .. まず初歩 的な課題は, きちんと顔を上 げて子 どもたち に目を向けることである 初期には大勢の . 他人 (子 ども) に身をさらす恥ずかしさか ら伏目がちになるのが普通である つまり 子 どもから , . 33.
(7) . 若 原 直. 樹. 目をそらしたい気持ちと教科書や指導案を頼りに したい気持の両方でそこばかりを見, そこから目 を離すにしても教 室の前半分 ほどまでしか視線が伸 びないのである, 視線が前半分にしか送られな けれ ば教生の存在感は当然そこまでしか届かない. 声の 〈離れる〉 必要性を前述 したが, それはこ の視線 とも深い関係を持つ. 目の行くところに声も行くからである. 視線によって前半分の子 ども にしか気持ちが行っ ていないのであれ ば, 声もその範囲までに 』か く離れて〉 行かず, 後ろの子 ど もにして見れ ば教生の声が聞こえていても自分には話 しかけてくれていないように感じられるので ある. 最後列のす ぐ後ろに座っ ている筆者に はそれがよくわかる. 後ろ半分には教生の視線も声も 〈届 けられて はいない〉 ので, 後ろの子どもにしてみれ ば, 「自分は教師の視野には入 っていない」 と授業の圏外に座 っているかのように感じられる. 第二の段階は,後方までまた四隅の子 どもまでを確実に視野におさめることができる段階である, こうなれ ば, 声も自然に教室全体にまで広がるようになる. この段階からスタートできる教生も多 い. 視線も上がり, どの子からも教生の顔 が見える. だが, 「視野におさめる」のではま だ不十分で ある. なぜなら, それではまだ子 ども 〈全体〉 を漠然と眺めているか らである. 教生は子どもの顔 を見ているという よりは, 〈子 どもたち〉という群衆を見下ろしているの であり, 目の焦点は特定の ものに向けて絞られる ことなく平均的に揺れる. こういうときの声 が, 話 し (放し) てはいるが, ま だ 〈話 しか け る〉 ,に は 至 っ て い な い 声 で あ る.. 第三段階は, 子 ども全体を眺める第二段階からさ らに進んで, 〈子 ども一人ひとり〉を見る段階で ある. 任意の子 どもの目を次々 に見る, あるいは複数の子の 表情を一度にはっ きりと見つめること である. そう したときに初めて, 子 どもの関心を自分にとらえ授業に集中を作ること ができる (そ れを長く持続できるか どうかにつ いては今度は授業内容の問題が関わってくる.)というのは, 第 一 に, そうすることによっ て子 ども一人ひとりの目を自分の 方に向けさせ集めること ができるからで あり, 第二に, そのときには自然に声 も 〈話 しかける〉 声になるからである. 呼びかける対象が決 まってこそ, 声の量が決まりその抑揚や硬軟の加減が決まってくる. 子どもの顔をしっ かりと目で とらえて自分の話しかける対 象者を意識することによ っ て, 教生のことばが生きてくるのである. ア ンケートにおいてもこの ことを指摘 した任意記述, 「一人ひとりの顔が見えるようになってき た.」 「教室全体を細かく見 るようになった.」 という意味の回顧 が実に96件あった. これは, 任意 の自由記 述であるにも関わらず全質問項目中最大の 一致項目として特筆されるべきことである. こ のことからも, 授業技量上達の過程とは子 どもが 〈見えてくる〉 過程だといっ ても決して過言では ≠ まし1.. たとえば, 技量のなかなか上達 しなかった教生F (男) がいた. 指導案のレベルでは他人に劣る 大きな欠 点はなく平均的である. むしろその大きな原因は, 授業中の彼の目にあっ た. 第二段階な いしは第 一段階にとどまっ ているのである. 顔が上がっ ていても視線は落ち 着きなく動き回り, そ れも子 どもの顔のない中 空や窓や教卓の上をウロウロと去来する. そのように目が話す対象をとら えないので, その声も誰にともなく話しているよう で力 が (あるいは芯が) なく, 子 どもに聞こえ ていても子 どもの く耳には入らない〉 のである. 子 どもの方も, 視線によるつながりをFに期待で きないので教師 Fを見るのをやめ, それぞれ任意の方を眺める. このように子 どもの視線をた ばね ることができないので, 授業はしだいに散漫になっていく.. 34.
(8) . 教育実習生の 「授業技量」 についての観察ノー ト. 1 1 1 . 聴. く. ここでは 〈聴く〉 と言っ ても, 発問そのものではなく その発問に答える子 どもの発言を教生がど んな態度で聴 いているかについて述べる 教育においては 実は教えることよりも聴くことのほう . , が大切である, しかし, このことは一般にはなかなか認識されていない おそらく教生も教えるこ , と, すなわち説明・板書・指示・発問・指名など自分の方からの能動的行為については腕を磨 こう と努力しているが, 一 方, 聴くことは受動であるから何も難しい ことはないと考えている ことだろ う. しかし, 教師の聴き方がどうであるかによっ て 子 どもの発表意欲は大きく異なるものである , . ( 1 ) 目を見な力ぐら 最低必要なことは, 発言する子 どもの目を見て聴くことである 目で対象者をとらえてはじめて . ことばは生きてくると前述したが, それは子 どもの側から言っ ても同じこと で 聴いてく れる教師 , がいてこそ子 どものことばも生きてくる 前述の教生Fに典型的に見られるように初期の教生には , 発言者の目をみない傾向があって, これが小さからぬ問題 である 子 どもが答 えているのに その . , 間指導案や教科書 に目を落としたりその他の空間に目をやっ ていてその子の目を見ない教生は少な く,ない. これでは話す方の気がそがれる また教師が発言者の目を見ることによって 実はほかの . , 子どもたちの注意もまた 発言者に向けられる のである 教師の聴き方 は自然に他の子 どもたち に . とっての模範になる, というより聞こうとする教師の姿勢に子 どもは自然に同調するものである , 教生Fの場合, 教師が発言者に集中する態度を示さないので他の子 どもたち もまた教師と同じく思 い思いの方向に視線をやり, 教室の雰囲気はバラ バラになってしまう こう したことの繰 り返しで . , だんだん発言しようとするものが少なくなり, そのかわりに私語が増えてくる . 発言する子 どもの顔を教生が見ないでいる 一つの理由は 教生自身の出す発問が平凡でやさし・ す , ぎること である. 教生の授業では, 指名された子 どもが発問に答える前に当の教師にとっ てもまた 他の子どもにとっ てもその答えが予想できることがかなり多 い 教師自身が聴くま えからすでに 見 . 当がつき, 子 どもの発言に深い興味と注意をもっ て耳をかたむける必要がないので つい別の何か , をしながら聴いてしまうのである 悪い発問は 教師自身をも弛緩させる . , . ただし, 授業の運営の都合上発 言者の目を見てや れない場合もある その代表的な場合は 教師 . , が板書 している最中である. 子 どもたちだけで次々に指名 しあい その発言を順 に教生がどんどん , 板書するという光景がよくある. しかし, 聴くことを尊重する観点 から言うとそう いうこともでき るだけ少なくする方がよ い. 子 どもにとって聴いてくれる相手がいないというのは 話しにくいも , のだからである. そういう時の子 どものことばを聴いていると 実感のこもらな い お定まりのイ , , ントネーショ ンのく学校ことば〉 (学校だけでしかしゃ べらない口調) である場合が多く ことばが , 生きていない. 子 どもにとっ ては話す 〈離す/放す〉 ことはできても 教師は黒板に向いており , , 他の子どもたちもそのチ ョークの動きを見ているから, 〈かける〉相手がいないからである いくら . 発言内容が正しくても,自分の目を見て 聴いてくれる人がいなければ発言する充実感は得られない . コミュニケーシ ,ない ・ヨ ンとして不十分だからである. どうしても授業の進行上そ の手順が避けられ ときには, 板書しながらも次に述べる 「あいづち」 や 「くりかえし一 の技量を用いることである . 2 ( ) あいづち 聴くとき に大切なことは目を見ることに重ねて 子 どもに「先生は君の意見をよく聴いているよ 」 , . 35.
(9) . 若 原 直 樹. と知らせるあい づち を打つことである. 慣れてきた教生は自然にそれをするようになる. 子 どもの. 意 見 の 区切 り ご と, 息 つ ぎの 短 い 間 の た び ごと に 「は い.」 と か 「う ん.」 と か 「あ あ, な る ほ ど.」. と合いの手を入れてやることである. これだけで発言者はずいぶん話しやすくなる. たとえ教師が 発言者の目を見ていたとしてもそれだけでは不十分で, もしじっ と黙ったまま聴いていて, 発言が 終わっ てもやはり黙ったままおもむろに板書し出す というのでは, 発表 した子 どもにすれば自分の 意見が鑑定されている ようで, しかも鑑定結果を知らされないようで不安である. 特に低学年では, 自分の思っていることをきちんと正確な表現で言うことが難 しく, 言い淀んだり不可解な表現をす ることがあるから, 教師はあい づち で励ましてや らなくてはいけない. それに目とあい づち で発言 者をはげますことは, ほかの子 どもたちをも発言者に集中さ せることにもなる. それをしないで, た どた どしい発言 (低学年でなくても) の終わるのをじっ と黙って待っていると教室の雰囲気は間 の びして, 教師も子 どもたちも弛緩し授業が緊張を欠いてくる. 3 ( ) くり返 し このあい づちをさらに発展させたのが, 「くり返し」 である, 「くり返 し」 とは, 子 どもの発言の 内容を (特にその語尾の部分を) 教師がおうむがえしする ことである. たとえば, 子 どもが 「だか ら火が消えるのは空気がないからだと思います.」 というとすかさず 「ああ, 空気がないからね.」 とか, 「その場合, 2リ ッ トルより多くなる んじゃ ない?」 と言うと「うん, 2リッ トルより多く な る.」 と か 「主 人 公 は う れ し か っ た の だ と 思 い ま す.」 と 言 う と 「う れ し か っ た と 思 う の ね.」 と そ の. ままくり返すことである. こうした 「くり返し」 は, あいづちよりもなお 効果的に子 どもを励ます. 子 どもに, 先生は自分の意見をよくわかっていてくれるという 安心感・信頼感を与える.「あいづち」 で子 どもの意見をよく聴き, 「くり返 し」でその意見を了 解したと知らせるのである. しかもそれが 教生のおだやかな, 笑みのこもった目とともにおこなわれるとなお効果的である.・教室の雰囲気も 俄然な ごやかになる. 教室がこのように子 どもにとって安心できる 空間であることがよい授業を作 る土壌である, やはりこの技 量についても, 時期の差もあるがそれ以上に個人差の方が顕著であっ た. に) 明 確 化 「くり返し」 のさらなる 応用として 「明確化」 がある. これは子 どもの長い発言やわかり づらい発 言の趣 旨を教師が手 短かにまとめて, 発言者に確認することである.・これによっ て発言者の真意を 知ることとそれをみ んなの問題にすることの 一石二鳥を同時に果たす. 2年生担当の教生G (女) もが 「何言ってるか の算数の授業 で, ある子 どもが少しわかりづらい発言を してほかの多くの子 ど・ , … …」 と 代 わ か ら な い,一 と 口 を 揃 え て 言 っ た と き, 「あ, 先 生 は わ か っ た よ. あ の ね, S 君 は ね,. わっ て説明した. このタイ ミングは良かっ た. 子 どもたちの声には要領の悪い発言のSをややなじ ような感情 が含まれていたし, それを感じたSは瞬間しょう然として立ち尽く したからである. る・ このように, 良い授業には必ずタイ ミングの良い明確化 が行われている. この教生はまた, ある子 の発言 が長く こみいっていて, ほかの子がそれを聞くのに 飽きてきた様子 が見えた ときす ぐさ ま 「待っ て そこまでのことを・はっきりさせるからね.」といったん明確化して空気を引き締 めてから, . な機転の積み重ねが授業の成否を分ける要 続けて 「うん, それで?」 と話を促した. こういう小さ● 一 因の つである. 「くり返 し」 も 「明確化」 も筆者が教生の多くの授業 を観察して発見し区別したことだがその事実 をそのように命名 したとき, 両表現とも期せずしてカウ ンセリ ングにお ける面接 技法の用語に一致 36.
(10) . 教育実習生の 「授業技量」 についての観察ノート して しま っ た. カ ウ ンセ ラ ー はク ラ イ エ ン ト と の こ・と ば上 の や り と り よ り も そ の こ と ば の 底 に 潜 ん. でいる感情を理解し受容するに とにつとめそうすることによ ってクライ エント自身による克己心の 発現を期待するが, この一致はそうしたカウンセ リングと同様の過程が授業中の教師と子 どものコ ミュニケーショ ンの中にも地下水のように流れ ていることを意味している . ともあれこの技量によっ て①教師と子 どもの呼吸があってきて対話にリズムが出てくる ②先生 , は良く聴いてく れていると いう安心感・信頼感を子 どもにもたらす ③同じ内容を教師 の 声で増幅 , するので, 問題が発 言者一人から子 どもみんなの問題へと公式に広げられる さらに重要なことと . して, ④教師が「ああ, ……と考えたのね 」と発話することによっ て その つど教師自身が子 ども . , の視点に立っ てそこか ら問題を見るようになる すなわち教師は発言を聴きそれをくり返すごとに , ごく 短 い 瞬 間 で は あ る け れ ども い っ た ん 「子 ども に な っ て い る の で あ る そ して そ れ に よ て , 」 っ .. 次に繰り出す発問や指示が自然に子 どもに適合してくる , さらに付言す れば, これはカウンセリ ングの場合と同じく 「技術」 ということよりも もっ と深く 教育観の問題でもある. つまり, 聴くことの多い授業とは 子 どもの一歩後 ろに下がっ て子 どもに , ついていこうとする教師の教育観を表わして いる 自分の意見よりも子 どもの意見を優先して 子 . , どもが自主 的に学習目標 へた どりつくことを期待しているのである 「(前から) 引き出す という 」 . よりは 「(後ろから) 寄り添う」 教育といってもよい そしてそれ故 にこの技術を行使することは教 . 生 (特に初期の) には難しい. 授業目標にうまく 到達させる (少なくても外見上) ためには教師が 先に立っ て説明し指示することの方が確実 で, 子どもの意見をあまりに聴きすぎることはそれだけ 授業進行を混迷させる危険性が多 いからである だから 授業とは教師が子 どもを〈指導すること・ . , 説得すること〉 だとする教育観からは聴き上 手の技量は生 れない 聴き上手の教生の授業には子 ど . も尊重の姿勢が表われている. 教生のそ の姿勢を無意識のうちに察知する子どもたち はその教生に 親愛感をもち, そう してできる両者の相互信頼によっ て授業には親密な雰囲気が生 れるのである . このように教師にとって子 どもの意見を聴く事はきわめて重要な技量であるのだが このことは , 普通あまり指導さ れ 、ることもなく, 調査を見てもこ れを自覚している教生の記述は見当たらなかっ た.. 教生は訊 (き) くことはできても聴 (き) くことはできない傾向をもっている .. W. 動. ”) 表. き. 情. さて, 次に教生のからだの 〈動き〉 について述べる 子どもでも誰でも人 間は (動物は) 動くも . のに注目する習性があるから, 教室の中に 〈動き〉 をつくることも集中を作るための 重要な授業技 量のうちであ. る. 教生の最も 微細な動きはその目に表われ, それは意味ある 〈表情〉 ,として子 どもや参観者に独特 「 な印象を与 える. そして先にあげた く 見る」 の3段階〉 が進むにつれて 教生の表情が豊かになっ , てくることが観察でき ・る. 慣れてくるにしたがっ て, 表情が穏やかになってくるのである. 笑顔が 多くなると言つても良い. 教生H (女) は, ある子 どもが勘違 いして単純な誤答をし本人だけそれに気 づかないでいるとき , 何も語らずニッコリ笑いかけた.その微笑が,「勘違いしましたね もう一度答え直してち ょうだい . . それまで先生 は待っています.」というメ ッセージを意味していることはまったく明らかだゥた そ , 37.
(11) . 若 原 直 樹. のメ ッ セージは無言のうちにも確実に子 どもに伝達され, 誤答はすぐに本人によっ て訂正された. この笑みに見られるよう に, 穏やかな柔らかい 表情にはそのときのその子 どものありようをそのま ま認める受容的な雰囲気を教室に作り, 子 どもののびの びした学習を招く効果を持つ. すなわち彼 女の笑みは他の子 どもたちにとっては,「勘違いはだれにでもある ものだから, 誤答した子を怒る必 要 は な い も の で す, 私 も 怒 り ま せ ん. 待 つ こ と に し ま す.」と い う メ ッ セ ー ジ に な っ て い る の で あ る,. ア ンケートにおいて教生たちは, 「自分の表情」 が「にこやかに/やわらかに/明るく/生き生きと 61人) と実習期間中の変化 を表現している. /豊かに, なった.」 ( 一般 に授業中の教師に は二つの表情 がある. 一つは, 計画した学習指導案のとおりに進めようと して常にその計画に子 どもを引き寄せようとする指 導案向けの顔である. もう 一つは, 子 どもの顔. を見, 発言に耳を傾け問いかけるという子 ども向けの顔である. 前者の顔は考える顔である から, 無表情であっ たり目が中空をさ まよったりして, いわゆる思案顔に なる. しかし子 どもはその表情 から, 先生が自分たち以外の何 かを考えていることを知り, それだけ学習対象に集中する気がそが れるのである. 初期の教生の表情 が固いのは緊張しているこ とのほかに, このように学習 指導案だ けを頼りにそれに固執しているからでも ある. それはまだ泳 ぎに自信の持てない者 が海岸に沿って だけ泳 ごうとするの と同じ道理である. ところが慣れてきて, 指導案から少しぐらい離れても何と かきっ とまた戻っ てこられるという自信 が出てきた教生は, 子 どもの意見に熱心に耳を傾けそれに 驚いたり感心したり し, その表情を自然に豊かに変化させる. 先の61人の見解は, 子 ども向けの顔 、 をできるように余裕 ができたことの意味でもある. 一般に授業がうまく展開しているとき は必ず, 教生は (教師は) 指導案などどこにも全然用意していないかの ような表情をしている, ただ子 ども とともに 〈今, ここで〉 生きているという表情である. 表情は考えているとき 静止し, 感じている とき躍動する. 確かに 「思う」 は 「面 (おも) う」 である. ( 2 ) 手 だれでも想像できるとおり, 教生の手は初期である ほど動きが少なく, 慣れるにした がっ てよく 「手の内を見せない 」 動いてくる. 一般 に手は自分 を開放することに不 安を持つ場合は動かない( .) . 「 固くなる また緊張している場合にも 身が縮まり, .」 教生は全体的に言っ て手の動き が少ない. 中でも目につくの が, 腰の前か後ろで両手を組んでい る教生である, あとは教科書を持ったままそこから動かさない場合である. それらが直ちに悪い結 果をもたらすという訳ではないが, 見ているものにやや堅苦しい感じを与える. 手をいつでも動き 出せるように楽に ブラ下げておけば, 話の流れとともに自然に動きだすこと があるのだが, 腰の前 や後ろで組んでいるの では, そのチャ ンスをみずか ら封じていることにも なる. 話すときに, 手を動かすこ とはきき手の目を引きつける大きな効果を持つ. 表情も手も使わず「と きな」●と・した方 ても大きな一 と話すより, 目を大きく見開いて両手をサッ と広げながら 「こんな大- が話は面白い. 第 一 に 「大きな」 ということばがその手と目によっ て補強さ れる (臨場感が増す) からであり, また第二に手の動きはその 「大きい」 という観念を伝える教師の情緒の高まりを表わ していて, それが子 どもにも伝わるからである. 話上手の人は手の動く 人でもある. その代表とも 言うべき教生D(男)は, 「昨日, 先生ね, わざわ ざお ばあち ゃ に電話かけて聞い てみたんだよ. 『も. し も し, お ば あ ち ゃ ん … …』っ て. そ し た ら お ばあ ち ゃ ん が ね, 『そ の こ と だ っ た ら ね, … …』… …」. と話すとき, 受話器を耳に当てる 形に右手を動かし, おばあち ゃ んの話す順になると 左手に持ち変 えるという手の 動きをつく っ た. これはほんの 一例だが, 声を使い分けるその語り口とともに自然 によく動く彼の手に だれもが自然に引きつけられズミ 彼のように自然に でなくとも, 意識的に努力 38.
(12) . 教育実習生の 「授業技量」 についての観察ノート. して手を動かすことも有効である. それで聞き手 (子ども) の目を集めることができるし またそ , の手の動きが自分の情緒の動き を誘発して, しだいに自然な話 し方や自然な手の動きに立て直すこ とができるからである. 3 ( ) あ. し. 教生は最初教室の どこに立つか, やはり教卓の後 (黒板側) に 「正しく」 立つのである 板書の . ために教壇上を左右に動くことはあっ ても, 机間巡視の時を別にすれば 話し発問し指名する通常 , の時には教卓の前 (子ども側) にはなかなか出てこない それはやはり, 子 どもの目に我が身を晒 . す圧迫感から逃れるために教卓を盾にした い気持ちからである (他にも 教科書を胸 に抱いたり顔 , . の前においたり,手を腰の前で組んだりするのも同じ気持ちの表われである )その足場の不動さが . , やはり子 どもに軽い緊張を強いる. これが慣れてくると必要に応じて立つ位置を自由 に変える つ , まり ,よく動き回るようになる」 アンケートでも 「立つ位置が子 どもに近くなった.」 「あちこち動き 回るようになっ た.」 との自覚を記述して いる教生が25人いた 1年担当の教生1 (女) の授業を . 見た時に感じたことだが, 教室の広さや子 どもの机の配置は1年生も6年生と同様 であり 前の子 , どもと後ろの子 どもとでは教師ま での距離に相当な違いがある 1年生の場合からだが小さ ●いのと . 一つの興味への持続が難しいのとでその距離の遠さは実際以上で 後列の子 どもには学 習に集中す , る上でハ ンディ があるように感じら れた. 後列の子 どもからは教師のからだはかなり遠く に見え , 教師の存在感が薄く感じられるのである. おそらく教師側から言っても 子 ども全体を掌握 し制御 , するには後ろの子が遠い距離にいるように感じられるのではないか 低学年の場合教卓や黒板 にこ . 「子 どもの中に入って」 だわらず, 教室の中央に進んで ( ) あちこちに顔を向けまた積極的に立つ位 置を変えて話した方が授業の集中を作りやすいように思われた . ところで, 授業の中にモノを取り入れた場合はそれを操作する必要によっ て 教生は手あしを動 , かさざるをえない. 自分の作っ, た紙飛行機を飛ばすことで授業の導入を作った教生J (男) の例の ように理科の授業がその典型である. 実験のために忙しく手あ しを動かしているうちに 教生は自 , 分では気づかない間にからだの緊張がとれて声も大きくなる し話し方も自分 らしくなることが 多 い. 授業にモノを持ち込むのは子 どもの興味を喚起し問題解決をわかりやすく するためだが- それ だけでなく教師 自身をリラ ックスさせるそのような効果もある その点 道徳や国語の授業ではそ , . れが難しく, 教生はどうしても堅苦しくな りやすい . 以上のように教生の手足がよく動くこと は,第一に子 どもの耳目を集中させる大きな要因となる . 第二に, 教師のからだの大きな動き は自然に子 どものからだやこころの動きを誘い 授業に活気を , もたらすことができる. 第三に教生のからだの動きが盛んであるという ことは教生が子 どもに一生 懸命関わっている熱意をあらわしていて, 教生のそういう姿を前にしたとき子 どももやはり教師に 一生懸命関わっ ていこうと対応する だから教生の態度が余りに知的に冷静 であってもいけない . . 教師であることとその教生の生身の人間として持つ〈地〉(パーソナリティ) とが混然一体となって いる没頭がむしろよ い結果を生む. 〈地〉をまっ たく出さないでいると 子 どもに その教生には日 , , 常の別の顔があるに違いないとかえっ てそこにその人物の二面性を感じさせてしまう のである そ . の人はただ教師としての役割を演じているだ けではないのか そう感じた子 どもは自分もまた〈地〉 . を出すのをやめて〈生徒〉としての役割を演じ始める もちろんこの反応は無意識のうちにである . . よい授業をして いる教生は, 必ずといっ ていいほど子 どもに向かっ て心を開いている人間味を , その声とからだの動きの中に自然に表わしている 逆説的であるが 教育実習はもちろん教師らし , , さを身につける場ではあるのだが, 同時に子 どもの前で自分らしさ (良い意味での) を発揮する能 39.
(13) . 若 原 直 樹. 力を養う場でもある.. 結. 語. .授業の内容的な問題(教科内容・ 以上, 教生の技量について筆者の観察から知ったことをもとに, 教材・授業目標) を一応切 り放して÷ 教生個人の パ」ソ ナリティ から発する技量についてのみ, そ の 〈話す・見る・聴く・動く〉 技量を単位にして論述してきた. 最初に述べた とおり● , こうした技 量は授業内容を論ずるように客観 的に分析することはできにくい. しかし, それらの技量が授業に ある種の雰囲気を醸し出して授業の成否に 一定-の影響を与えているこ とは誰も否定できないであろ う.. 授業を参観する者は, 参観している最中においてはその授業の成功不成功を授業目標への 達成程 度によっ て判定するわけではない. 多くの場合, 子 どもが嬉々 として活発に学習しているか どうか によっ て, 換言すれば教室の中にみなぎる緊密な雰囲気や調子の良いリ ズムによって授業の成功を 直感的に知ることができる. その直感の当否を確かめるために後の時間の授業研究ではさ まざまに 論議されることになるのだが, 本論での興味は授業最中のそう した直感そのもの が何に由来してい る か に つ い て で あ っ た.. アンケート調査においても直接 教生に, 「『(授業が)うまくいっ てるな』 とう れしくなるのは, 主. に, 何 が どん な 状 態 の と き で す か. 自 由 に 記 述 し な さ い.. が, い つ に な く● .・ し て い る の を. みとめたとき.」と問うたが, 任意の記述を指定 しているにもかかわらず, ほぼ全員の教生がこの問 いに答え, そのまたほぼ全員の答え が, 最初の 空欄に 「子 ども・生徒」 の主語を入れ, 続けて 「活 発に反応する/生き生きと学習している/ 自分に集中している/元気よく発言する/楽しく作業を すすめている/積極的に参加している/……」 と表現に違いはあっ ても同様の意味内容を書いてい るのである. 主語に 「自分が」 と書き, 「自分が指導案 どおりに子 どもを指導できているのをみとめ たとき」 とか 「無事に授業目標を達成できたとき」 な どとする回答は皆無だった. 授業にとっ て最 も肝要なことは学習主体である子 どもが自主的に学んでいるか どうかだという基準を, ごく自然に みな体得 しているのである. こう した授業観は, 教生のそれまでの教育研究の成果 でもあるが, さ らに遡及すれ ば人間がだれでも基本的に持っ ているコ ミュ ニケー ショ ン能力の示す直観 的な感覚 (セ ンス) であると思われる. 反対に 「授業中 『ああ, 失敗だ.』 と思うときはどんな瞬間ですか.」 と問うと (これは選択式) , やはり7割の教生が 「子 どもの目や表情がうつろなとき, または授業以外のことを考えている表情 が見えるとき.」 の選択肢を選んでいる. 要するに, 授業者は子 どもの顔を見れ ば自分 の授業の成否をす ぐに知ること ができるということ である. また教師自身は自分の表情を自覚でき ないが, 実はこどもの顔の明るさ暗さ・熱中の程度・ 思慮の深浅がすなわち教師の顔のそれでも ある. 両者の表情は鏡のように一致する. もし一致して いなけれ ばそれは不自然な, 不成功のコミュ ニケーショ ンである. こう したことは授業以外の 一般 の人間関係における対話の成否と何も変わらない.、 以上, 本論では, 〈対話としての授業〉 という視点で教 生の授業の観察結果を表現してきた. . . さて最後に, 本論を簡略に要約して, 教生 (教師) の授業技 量の上達をいちおう段階的にく ぎっ て整理してみる. 40.
(14) . 教育実習生の 「授業技量」 についての観察ノート. A. 話す (声) ・, 1.. 高 い 早 口 で ある, う わ ず っ て い る ,. 2 . 落ち着いてはいるが, まだ声がからだから離れていない.. 1. 3. 話 し (離 し/ 放 し) て い る. 4. 話 し か けて いる.. 5 . そのうえ挙手・指名によ らず子 どもたちと 〈だねかな調〉 で自由に対話する, B. 見る (目) 1 . 子ども以外のものや場所に目をやっている. 2 . 前の方の子どもに目をやる. 3 . 子ども全体を眺める, 見回す. 4,. 一 人 ひ と り の 子 ども を 任 意 に 見 る .. 1 1. C. 聴く (目と耳) 1 . 発言者の目を見ないで聴く. 2 . 目を見て聴く. 3 . うなづきやあいづちを入れる. 4. 発言をくり返し, または明確化す る. . D. 動 く (表 情 ・ 手 ・ 足) 1. 表 情 が 固く 変 わ ら な い. 手 も 組 む な どして 動 き に く い 状 態 に して い る . 2. 主 と して モ ノ を 動 か す 必 要 に よ っ て 手 あ し が 動 く .. 1 1 1. ・. 3. 表情が柔らかくなる. 話す時に手足が動くよう になる . 4. まったく自然にふるまう .ことができる. 目や表情が絶えず変化し, それに伴って手足もよく大 きく動く.. 1. 動く. 見る. 動く 見る. 4. 2. 1. 1. 2. 3. 4. 4. 3. 2. 2. 3. 4. 3 4 聴く. 教生X. 4. 教生Y. 聴く. 41.
(15) . 若 原 直 樹. この4つの授業技量を軸にグラフを作り, 教生の授業技量を上記の例のように評価することもで きる. この グラ フによっ て 一人 の教生の, 時期による上 達の程度の差異, または複数の教生間の比 較が, 容易にかつ可視的になる だろう.. 注 ( 1 ) 北尾倫彦・速水敏彦 「授業技能の分析的研究~実習生と熟練教師を比較して~」 (大阪教育大学紀要第V部門 第 3 4巻 第2号) ) 本論でいう 「良い授業」 とは, 子どもが教師に援助されながらも主体的に活発に学んでいる授業,という程度の, ( 2 ごく常識的な意味である, 『ことばが勢かれるとき』 (思想の科学社) 『劇 3 ) 「話しかけ」については, 教育の著作も多い演出家竹内敏晴の著書( ( へ~からだのバイエル』 (青雲書房) 『からだが語る言葉』 (評論社) 他,) と直接のレッスンから多くを学んだ. (本 学 助 教 授. 42. 旭川 分校).
(16)
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