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「不均等発展と消費限界」について

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Academic year: 2021

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(1)Title. 「不均等発展と消費限界」について. Author(s). 大野, 勇一郎. Citation. 北海道學藝大學紀要. 第一部, 7(1): 138-147. Issue Date. 1956-07. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3581. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第7 巻. 第1号. 北海道学芸大学紀要 (第一部). 昭和31年7月. 「不均等発展と消費限界」 について 大. 野. 勇. 一. 郎. 釧路分校経済学研究室. lat ion between Yuichi ro ONo : on the Re ion and Uneven AccumLulat ion Limi ted Consumpt. 〔1〕. いうまでもなく 「部門間不均衡」 「消費制限」 の二要因の統一的把握、 その論理的結合 というこ とは、 マルクスの恐慌論における基本問題なのであるが、 最近、 早川助教授は、 論文 「不均等発展 と消費限界--マルクスにおける加速 度の機構について」 において、 固定資本投資の特性と加速度 機構との組合せによるマルクス恐慌理論完成への一つの新 しい途を さし示めされたo そこでは不比 例恐慌と過少消費恐慌とは矛盾なく統合せられ、 周期的恐慌の必然性は、 いささかの淀みもみせず 鮮やかに論定されている。 だが、 その整然たる理路 と明快なる論定とに魅了されながらも、 吾々が 僅かに抱いた一つの疑問は、 このように構想された恐慌理論が果してその侭マ ルクスの意図に添う ことになるものだろうか という点であった。 続いて渡部助教授による精撤なる吟 味と鋭い批判とが 論文 「不均等発展と消費限界--早川泰正氏の所論によせて」 と して発表された。 だが、 それは吾 吾の疑問については直接こたえてくれるものではなかったようである。 小稿は相次いで公にされた以上の二つの貴重な論文に恵まれた吾々が、 吾々なりに、 どのように それを学びとり、 また如何なる点に疑義を残したかを語るとともに、 同じ問題に対する吾々自身の 未熟な理解の若干をも書添えた、 謂わば一つの学習ノートである。 従って、 吾々はここで両論の熟 れ か に 軍 配 を あ げ よ う な どと 企 て る も の で は な い し、 ま た、 そ の 器 で も な い。 〔註〕 1年1 早川泰正 「不均等発展と消費限界--マルクスにおける加速度の機構につい て」 経済評論、 昭和3 5頁 月号、86一9 界--早川泰正氏の所論によせて」 経済評論、 昭和31年3月号、71- 不均等発展 渡部福太郎 「不均等発展と消費限 76頁. 〔1 1〕 渡部助教授は先ず慎重に地固めをされて後に、 その二つの疑問を提示されているのであるが、 加 速度原理、 乗数理論、 ないしは両者の結合による景気循環の解明ということ自体にたいして批判的 であられるのでないとすれば、 ここでは加速 度原理が資本の完全使用を前提としてのみ適用される ものであることを、 改めて念を押す必要はなかったように思われる。 たとえば、 恐慌のあとの不況 局面を考えるとしよ う。 そこには遊休資本設備が存在するだろう。 だが低物価、 低利潤率の苦境を 脱出するた めに此の時期に大量に行われる、 新技術の導入を伴った設備の更新、 拡張、 ということ -138-.

(3) . 「不均等発展と消費限界」 について. を考える場合、 陳腐なる或いは社会的に磨損 した旧設備の遊 休の故に、 投資需要の波及が阻害され るとは云い難いであろう。 --もっとも此の様な局面の想定は全く 吾々自身の懇意に基くものであ り、 早川助教授の示される投資需要波及の局面は必ず しも此の様な限定されたものではないように 思われる。 だが、 その投資需要の波及、 拡大 ÷→資本設備の拡大、 完成 一;産出量の加速度的増加 という推移の起点となり、 またその大勢を決定づけるものは、 恐慌を出発点とする 「一大新投資」 である と解 す る の が、 少く と も マ ル ク ス の 意 図に 添 う こと に な る の で は な い か と 吾 々 に は 考 え ら 、. れるのである。 更にまた、 この様な立場に立つ場合においてのみ、 その後の小規模の再、 新投資の もたらす影 響を一応考慮の外に残したまま、 投資需要波及局面、 産出量累加過程、 と順を追う て二 つ局面を画き、 その議論を展開することが出来るの ではなかろぅか。 また早川助教授のご構想においては固定的生産手段 KI の完成以後の局面が問題の中心なのだか ら, 投資需要の波及過程において乗数機構とのからみ合わせのないことは議論 の本筋に はあまり影 響がないように思われる。 だから渡部助教授がその第一表に拠って指摘されるような超過需要の存 在に応じての投資の増大は、 この局面では、 所謂 「リカー ド効果」 なぞという事 に思い煩わされる のであればともかく、 さもない限り、 不均等発展の一層の激化への土台をっみかさねる という程 、 度のものでしかないであろう。 最初に加速度原理をもってきたのは、 その不均等発展が加速度機構 に特徴づけられたものであることを示すため であったのだろうし、 またこの場合 加速度機構 の故 、 の不均等発展なのであり、 加速度機構に特徴づけられた生産と消 費の矛盾を導き出すことに目標が あるのだから、 加速度機構の作用を媒介とする限り 「不均等発展」 と 「消費と産出能力との非離」 との間に因果関係がないとは云い切れないであろう。 而かも此の着想にあって は その固定的生産 、. 手段 K,の継続的な産出能力の発揮が、 加速度機構の故に、 生産力を文字通り加速度的に増大せし めてゆくことが、 その生産と消費の矛盾を招来する原 因だとされるのであって ドマ← ルの方程式 、 』 - -省一 が直接 こ説き明かにしている に ろ 蝋 耶”か異なるよぅである こ 部 は が 効 。 果 を 持 つ こ と で はな しに、 1 = dK の意味における 4K が毎期加速度的に増加する点が注目され 、 41 の 増 加率 が (” では な しに) こ れ に 及 び が た い こと が 生 産 と消 費 の 輩 離 を 論 証 する と い う こ と に なっ て いる。 そ う して み れ ば、 た だ 単 に ハ ロ ッ ドニ ドマ ト ル o モ デ ル の Var i ant で あ る と の み は断 じ力 たいの では あ る ま い か。 も っ とも 此 の 場合 KI の産出能力の継続的発揮がもたらす生産能力の増 加ということにその注意. を集中される早川助教授は、 これを K・ K3 の新投資に応ずる固定的生産手段供給のための不断の 1 ) マルクスの資本家は利潤 貯水池の如く説明 しているマルクスの態度に不満を述べておられるが、 を追いもとめて資本の完全利用と拡大を続けて行くものとされているようであるから、 K 、 K3 の 新投資は KI の産出能力発揮を受けて立つという態のものではないことになるかと思われる。 その 限りにおいては、 少くともマルクス自身の意図からすれば、 それは何らの誤想でも失敗でもないこ と にな る で あろう。 KI が毎期零であることに不満を示されている渡部助教授の批判も或いはこの 様な理解に繁るものなのかも知れない。 だが同助教授の第一表に拠る消費需要の増加が消費財産出 力を上廻る期間の誘発投資が KIの新投資を求めるから、 というご指摘は、 早川助教授のど構想に 2 ) 対 す る も の と して はあ ま り効 果 的 で は な い よ う に 考 え られ る。. 渡部助教授の提示される第一の疑問は最終的基礎部門において新投資が毎期零となっているとい うことである。 そして第二の疑問「企業家の投資態度」は此の第一の疑問と結びついたものである。 然しそれらの疑問は吾々の理解し得る限りでは、 あまり妥当なものとは受けとり難いもののように 思われる。 と云う訳は、 早川助教授の KI が 毎 期 零 と さ れ て いる の は KL の 完 成 後 の こ と で あ り、 渡部助教授が直接指摘されているのは、 それ以前の投資需要波及の局面におけることである。 (二 一139-.

(4) . 大. 野. 勇. 一. 郎. つの局面を区別して考えるのは、 また考え得るのは後述の理由に基く) また、 それが KI の完成と 機能の発現をみる第二の局面のことであるとすれ ば、 そこでは K の産出能力の継続的発揮が新し い投資財需要に応ずるに充分であって KI の新投資を必要としないと考え得るであろう。 いずれに しても、 恐慌後における大量の固定資本の更新、 拡張を始発点として波及した投資需要が KI を完 成したものという見地に立てば、 第一の疑問も第二の疑問も、 早川助教授の展開されている議論の 運 びにはあまり影 響を及ぼさないものと考え得るようである。 「KIが毎期零ではあり得ない」 だろうということの理由は (循環の基底線把握が、 恐慌後の一大 新投資に拠点を置くものである限り、 KI を毎期零として議論を進めても別に誤りはないものと吾 吾は考える) マルクスの資本家の投資態度という様な抽象的な把握とは別に、 そしてまた渡部助教 授のご指摘における如き視角とも異なって、 次の様に理解することも出来るのではないかと思う。 即 ち、 K 、K2、K の設備がそれぞれ完全利用されている場合を出発点とすれば、 その後 K2 、 K3が増 加され、 それが完全利用される場合には、 これらと結合 さるべき流動資本もそれに応じて増加しな ければならない筈である。 だとすれば KI 部門は、 自らの補填投資のほかに、 K2 部門の生産設備 の増加に基く原料、 補助材料--労働力は一応考慮の外におくと して--の増加に応ずるために、 それを供給する KIの設備も (正常運転するものとして) また増加されねばならないことになるだ ろ う、 と い う 理 解 で あ る。 とす れを 実際には混合投資なのに固定資本投資のみを流動資本投資から 切 り離 して 図式 化 した こ と に問 題 が あっ た と い う こ とに も な ろ う。 だ が そ こま で行 け ば、 ドマ ー ル. 3 ) の基本方程式そのものが、 あらためて吟味しなおされねばならないことになるのかも知れない。 或いはまた次の様に考えることも出来るかも知れない。 即ち早川助教授は消費需要の増加に始発 する誘発投資が KI を 完 成 した 後 に お い て は、 K3 、 K2 の新投資に基く固定的生産手段需要は KI の産出能力の発揮によって充分にみたされ、 K の新投資は最早や必要がないとされたのかも知れ ない。 だがこの様な見解に対 しては、 マルクスの想定する資本家は需要の増加をまってのみ新投資 をするものではない、 各生産階段の資本家は蓄積衝動にかられて絶えず資本の拡大を企てるもので ある、 こ の こ と は K1、 K2、 K3 いずれの部門の資本家においても同じである、 KI 部門の資本家だ. けが新投資を しないと想定するのは正しくない、 という反論が成立っようでもある。 あるいは渡部 助教授の第二の疑問には此の様な理解が底流していたものかとも受けとられる。 更にいま一つ。 投 資需要波及過程と産出能力発現過程との二つの局面を一応区分して把握し得たのは、 固定資本の耐 用年数に恐慌の周期の物質的基礎をもとめているのではないが、 恐慌のあとの大量の固定資本投資 に、 景気循環における支配的な役割を荷わせ、 加速度原理 ÷→ KI の完成、 (不況 ÷→回復÷→好 況への局面) KI の産出能力の継続的発現÷→産出量の加速度的増加、 乗数原理 }消費能力の直 線的増加、 (好況 ÷→恐慌への局面) とされたのかも知れない。 これは実は吾々自身の側における 懇意的な、 というよりは謂わば希望的推測とでも云う べきものに過 ぎない。 然し此の様に解釈すれ ば、 固定資本の耐用命数が区々であっても、 その大部分が恐慌の後に更新、 拡大されることになり その後における小規模な更新の分布は大勢を左右するものではあり得ないだろうし、 また渡部助教 授が指摘しておられるように、 資本家が超過需要の存在に応じて投資を増大するものとしても、 そ れは早川助教授の議論の本筋に影 響をあたえ得るものではなくなる、 と吾々は考える。 〔註〕 1). 「……資本主義生産が発展し、 従って労働の生産1 生が、 従って不変資本が、 従って特にまた固定資 1 本からなる不変資本部分が発展せるところでは、 全部面における固定資本の単なる再生産、 及びこ れと並行せる、 固定資本を生産する現存資本の再生産は、 蓄積基金を形成する………、 即ち、 拡張 「剰余価値学説史」 第2部第3章3 した規模の生産のために、 機械を、 不変資本を供給する……」( 、 改造社版、 277頁) 40- -1.

(5) . 「不均等発展と消費限界」 について 2 ) 渡部助教授の第一表、 4Pc 欄は K, K2 K: 、 、 - がすべて産出能力を発揮するものとしたために、 1 、 2、 4、 7 11… … と な る も の と さ れ て い る が こ れ は 4Yc の欄 4 4 4……に対 、 置させるものとし 、 、 、 て は、 1、 2、 3、 4 5… … と な る の では な か ろ ぅ か 4Pc 欄 が 1 2 4 7 11… … と あ ら わ さ れ る 、 。 、 、 、 、. ためには毎期 KI の新投資が加わらなけれを な らないし その場合 4Yc 欄 は 8 12 16 20 24 、 、 、 、 、 、 ・ ・ ・ ・ ・ ・となる。 また第二表の 4Pc 欄、 1、 2、 4、 9、 21、 48… … は1 2 5 12 27 58… … でな い か 、 、 、 、 、 と思われる。 なお渡部助教授の第二表を早川助教授の図表にな らって書替えれば次の如くなるであ ろう。 1 ( ) ( { 2 3 ) ) ) 性 (印 ( 6 ). J. 』. \ \. 5K 『. \. Y. 2Y dP. \ \. 4Y. \ \. 1 2K R. 2 7K 2. \. 9Y. .. 58KR. \. 21Y. 48Y. 3) 「(ドマールの) 生産力方程式 1 び=「dr に於ける投資 ”ま乗数効果をも たず 追加投資 41 のみが乗 、 数効果をもつことになっている。 けれども乗数の思想においてはすべての投資が所得派生効果をも. ち・ 従って乗数効果を伴うものでぁる。‐ ・ ・ ・そうである以上、 乗数方程式 誓 -- ・ 3ト ★ - にお. ける投資は 41 だけに止まるべきものではな いだろう …… ィ1 による所得追加が乗数効果だけな 。 らば、 需要に於 て新たに此の需要に対応さす べき供給増加は 4 1の資本係数分の一、 即ち d 倍であ り、1 ではないはずである。」 高田保馬:「ケイ ンズ論難」176- 7頁 「 (ドマールの) 方程式の左辺の d1 と右辺の 1 とは 等 しく投資の語が用 いられているが 質 、 的内容を異にする。 所得増加をもたらす投資は 『民間資本形成』 のすべてである しかし 、 生産 、 。 、 性増加を直接におこすのは、 そのうち民間企業の生産設備のみとすべきであろう すなわち ドマ 。 、 ール方程式の両辺は、 ただちにこれを結合するわけにはゆかない 」 高橋長太郎:「国民所得 と資本 。 蓄積」 (経済研究、 第1巻第4号)27 0 -2 71頁. 不均等発展と内在的矛盾との関係についての諸家の見解は必ず しも同じでないよう であるが 、吾 吾の理解し得た限りでは、 不均等発展それ自体ではな しに いわゆる基本的矛盾に根ざす不均 等発 、 展が生産と消費の矛盾をはらみ、 その成熟 拡大が 二大生産部門間均衡の破壊に導く のだ、 と解 、 、. 釈 する のが、 マ ルク ス の 意 図 に 添 う も の だろ う と 考 える そ の 意 味 で は 資 本 制 生 産 の 矛盾というこ 。. とからは一応独立に導き出されている不均等発展が 必然的に生産と消 費の矛盾 恐慌を招来 する 、 、 ということを論証されようとする早川助教授のご構想については 吾々なりに一つの疑問が 残るの 、 であ る。. いったい、 マルクスの再生産表式に示されている不均等発展が内在的矛盾を表現するか否かの 見 解の分岐を生み出している一つの原因は これを資本制生産に特徴づけられた不均 等発 展として受 、 けとる か 否 かと いう こ と に ある の だ ろう が い ずれ の 立 場 に 立 つ に しても 表 式 その ものが示すと 、 、. ころだけから、 生産と消 費の矛盾に基く二大部門間の均衡破壊を論定する ことは出来ないよう であ る。 何故ならばそこでは、 早川助教授のご構想にかかわら しめて理解すれば 第一部門 における個 、 人的消費の大きさに応じて第二部門の蓄積率が決定されるようになっている 第二部門 の資本家所 。 得は第一部門の拡大に均衡するように投資と個人的消費とにふり分けられているわけ である。 第一 部門の投資の大きさとは一応別個に その個人的消費力にあわせて第二部門の蓄積がなさ 、 れている 限りでは、 二大部 門間の不 均衡が、 謂うところの消費制限によって招来されるということ は表式そ のものは語り得ないだろうし、 生産財の産出力増加が結局において消費財の産出量 増加に成熟 して ゆくという関係はその全き姿において示され得ない 2 。) 恐慌の主導権を握る筈の、 消費力を無視 し 一141-.

(6) . 大. 野. 勇. 一. 郎. た無制限的な蓄積行動は、 如何なる意味においても 「無政府的」 な生産をなすものではなくなって しまう 様である。 増加した、 もしくは増加せしめた第一部門の個人的消費力に対応して第二部門の 蓄積率 がさだめられ、 それに必要な限りでの生産財が第二部門によって需要されている。 だからこ ど こでは剰余価 値率の変化を一応考慮のそとにおけば、 資本構成が高度化し、 蓄積率が大になるほ 不均等発展は激化することになる。 表式そのものに関していう限り、 不均等発展は資本構成高度化 1 ) の部門構成における反映であり内在的 矛盾を示さないとも云い得るであろう。 だが実際には生産財の供給増加はやがて消費財の産出量増加となって成熟してゆく。 しかも此れ 衡動とが社会の個人的消 に対してマルクスの想いえがく資本制生産においては、 階級的分配と蓄積 て恐慌の爆発となる。 得ざる実現の破綻を導い 費力を制限するのだから、 その矛盾はやがて収拾し (資本制生産の真の制限が資本それ自身であり、 叉恐慌の原因が始めから制限されている社 会の消 費力でないからといって、 資本論の第1巻第7篇で恐慌を 説明するのはあたらない。 消費を制限する のが無制限的蓄積を進める資本の側の行動だと解すればよいのではあるまいか。 そもそも、 その謂 わゆる無制限的な蓄積をなし得ることの一つの理由は、 消費の制限をなし得るという土台の上に立 )然しその っているからだ、 と考える方が、 或いはむしろマルクスの真意に近いのではなかろぅか。 曲りなりに え得て 、 爆発点に 立ち至るまでは、 価格の変動や信用の供与などによってその爆発を抑 れる。 こ てゆくものと考えら 生産が繰りかえされ ながら再 も表式に示されている様な条件をみたし のことは抑え難い限度にま で達した二大部門間の不均衡が恐慌となって爆発し、 それによって均衡 が一応回復された後においても同様にして繰りかえされる。 資本制再生産は動揺、 困難、 恐慌を伴 いながらも、 ともかくも表式に示されるような条件をみたしつつ続けられてゆくものであろう。 表式に示されているのは、 たしかに 「再生産の均衡条件」 というよりは 「再生産の法則」 として 3 ) 拡張表式における均衡は第二部門についての特殊な取扱いによってさ 把えられるべきであろう。 さえられているのだから。 そしてまた此のことは現実の再生産における均衡破壊への必然性を意味 しているものとも解し得るであろう。 いずれにもせよ、 表式においては第二部門の蓄積は消費力の 増加にあわせられており、 そしてそれに必要なだけの生産財は追加されているが、 それは第 一部門 門の拡大がも たらす筈の消費財産出力の増加を全幅的に表わしてはいない。 第一部門の拡大が第二 部の拡大から絶対的には独立であり得ないということは遂にあらわされないでしまっている。 だか 4 ) ら消費制限は第一部門の一方的肥大に対して何ら蹟きの石とはならないで済むのである。 早川助教授はマルクスの拡大表式は一産業の追加資本形成が他産業の並行的資本形成をすでに予 定して行われることを示しているに過 ぎないから、 不均等発展の内生的要素が過剰生産を必然化す を論証し得ないのだとご指摘になっておられるが、 第一部門の拡大からもたらされる第二部門の産 出量増加を、 表式が正しく示し得ていないことが、 生産と消費の矛盾による二大部門間の均衡破壊 を永遠の彼岸に押しやり得ている点をも衝かれる方が、 或いはより多く、 そのご構想の線に添い得 たの ではなかったかという様な気がする。 「消費の一定の状態が均衡の一つの要素である」 ことに疑念をいだかれ、 「部門間均衡」 のほか に 「社会の消費力」 を持ち出さねばならない理由 を解しがたいものとされて、 制限された消費力と それにのみ即応して発展 している第二部門をその侭に しておいて、 生産財の実現の破 綻を説き明か r ) そうと工夫すれば、 謂わゆる 「自律的発展説」 が生み出されることになるであろう。 不均等発展の限界を社会の技術水準にもとめて、 その均 衡破壊を解明される見解においても、 そ れは 生産財生産の増大が結局において消費財産出量の増加となって表われる点を 明らかにはしてい C=IV と い う 条 な いも の の 様 に 思 わ れ る。 即ち、 IC : IV、 江C : 亙V が 技 術 的 に 決 定 さ れ、 n 件をみたすことが均衡維持のために必要なことから、 結局、IC は =V に 制 約 さ れ る、 と い う こ と -142-.

(7) . 「不均等発展と消費限界」 について. が、 生産が消費から 「相対的」 に独立だということの意味だとされることは、 生産的消費が個人的 消費に制約されるということは指摘し得ても、 生産手段の増加が消費財の供給増加となって結実し てゆく点を示してはいないようである。 そこでは、 むしろ恐慌を導き出す矛盾は生産と消費の間と 6 ) その意味では第一部門 いうよりは、 蓄積と技術水準との間にあるかの如く にさえ受けとられる。 が更に細分されている早川助教授の迂回生産的な立体構造図式にあっては、 第一の投資需要波及の 局面は、 謂わば、 生産が消費から相対的に独立であり得る段階、 第二の産出力発現の過程は、 生産 手段の増加が消費資料の産出量増加に成熟、 完成してゆく段階で、 謂わば、 生産が消費から絶対的 には独立であり得ないことを表わ してゆく局面であろうから、 マルクスの表式とは異なって、 生産 財生産の増大が消費財産出量の増大となって結実して行く過程が明瞭に示されている。 そしてこの こと は 吾 々の マ ルク ス、 レー ニ ンの 諸 命題 に 対 す る 理 解 を 一 歩 前 進 せ しめ 得 て い る と と も に、 ま た. 「消費の一定の状態」 とは消費財の種類と量において需給の均衡している状態であるとか、 「部門 間均衡」 のほかに 「社会の消費力」 を持ち出さねばならないのは何故か、 という様な解釈や疑義の 7 ) 生ず る 余地 を な か ら しめ て い る よ うで あ る。. 不均等発展が単に資本構成高度化の部門構成にお ける反映であり得る限り、 不均等発展は二大生 産部門間の均衡を破壊しないことになるであろう。 だから表式における不均等発展は資本構成高度 化の部門構成における反映に過ぎないとする立場においては、 その不均等発展それ自体は内在的矛 盾を 表現 す る も の で は な い と いう 理 解 に な る の が当 然 で あ ろ う。 然 し、 お そ らく、 マ ルク ス の 意 図. における不均等発展は、 それが資本構成の高度化を反映するものであると同時に、 それを導く動機 および目的は、 資本構成を高度化する場合のそれと同じく利潤原理によって説き明かさるべきもの であろう。 資本構成の高度化は労働の生産性を高め、 その搾取率を上昇せしめ得るものだったろう し、 また、 産業予備軍を発生せしめて賃銀の高騰を抑制し得るものでもあったろう。 従ってまた、 蓄積衝動をみたすための利潤量を獲得する基盤を提供するものでもあったかと思う。 そしてそれは 一方において生産力を増大せしめると共に、 他方においては社会の個人的消費力を狭瞳化せしめて ゆく も の であ っ た 筈 で あ る。 こ の よ う に して、 資 本 構 成 の 高 度 化 と、 こ れ を 伴 い、 こ れ を 反 映す る. 不均等蓄積は、 やがて生産と消費の矛盾を暴露して不均衡に転ずる。 なぜならば、 第二部門の発展 は、 表式に示されているような、 制限された社会の消費力の限度にとどまるものではあり得ないか らである。 この様な運びで考えて来ると、 資本構成の高度化ということから全く独立に不均等発展 を説明することは、 マルクスの意図に添いがたい結果になるような気がする。 不均等発展を導き、 またそれを可能にしている同 じ原因が、 生産と消費の矛盾を導くのであって、 その様な動機と目的 とから離れた不均 等発展そのものが生産と消費の矛盾を生み出すのではないようである。 加速度機 構と固定資本投資の特性のみから、 あるいは、 少くともこれを主軸として説明される不均等発展を 以て、 いわゆる内在的矛盾 --恐慌を解明することは、 マルクスの真意からいささか 距ることにな るの で はな かろぅ か。 吾 々に は そ の よ う に 考 え ら れ る の で あ る。 マ ルク ス に お い て 見 出 さ れ る 加 速. 度機構は、 生産の加速度的増加を説明するためのものであって--早川助教授の ご高示の如く 消 費力 の 制 限、 狭 感 化を 説 き あ か す こ とを 目 的 と したも の で は な い の で は あ る ま い か。. 消費需要の増加に応じて新投資が行われた結果が、 加速度機構と乗数機構の作用の結合によって 周期的恐慌の必然化をみちびくものであるとすれば, 周期的恐慌は必ずしも資本制生産に特有なも のではなくなるのではあるまいか。 加速度機構は資本主義生産にのみ見られるのではないのであろ うし、 (迂回生産を資本家的生産と呼ぶような立場は別として。 ) 乗数理論は貨弊経済の存するとこ ろ、 社 会主 義 社 会に お い て も あ て は ま るも の だろ う と 考 え ら れ る。. 資本構成の高度化は、 一方において不均等発展に反映するとともに、 他方において消費力の制限 -143「.

(8) . 大. 野 勇. 一. 郎. を意味する。 資本構成が高度化されればされる程、 社会の個人的消費力は生産力に対して相対的に 狭瞳化されてゆく。 だから、 生産財が消費財に成熟してゆく過程、 早川助教授の図式における第二 の局面が生産と消費の矛盾の激化の局面であり、 実現の困難が加速度的に成熟してゆく段階、 恐慌 を惹きおこす局面であるということになろう。 そしてまたこれは 「資本がその全力能を発揮する」 局面なのでもあろう。 ここでは労働力の不足が賃銀をいかに高騰せ しめても、 加速度的に増大、 成 熟する消費財産出量は、 総額としての社会の個人的消費能力を、 すでに遥かに上廻るものとなって いると解されるべきであろう。 早川助教授は、 賃銀騰貴と利潤率低下にたよる恐慌理論をもって広 義の不比例説とされ、 消費制限とは無縁であるとしておられるようであるが、 吾々は同助教授の新 しいご構想から、 む しろ、 この利潤率低下理論を実現恐慌として把握し得る視角を学びとることが 出来るように思われる。 ともあれ、 この消費財産出量累増の局面は表式の示さざるところである。 だが資本構成の高度化ということから一応はなれて説きあかされている早川助教授のご構想にあっ ては、 この消費財産出量の加速度的増加の面が明瞭にしめされているのに対して、 消費力制限の面 は出てないことになる。 吾々はここで渡部助教授が、 消費制限--過剰生産の一例を、 極端に高い 貯蓄率の仮定によって説明 してみせておられることを想いおこ してみよう。 そしてその高い貯蓄率 が謂 う と ころ の敵対 的 分 配 関 係 に も と ず く も の で あ る と 想 定 して み よ う。 そ う す れ ば、 マ ル ク ス の. おそらくは想い画いたであろう消費限界の何たるかが大凡把握出来るように思われる。 マルクスに 関する限り、 蓄積は資本構成の高度化を伴うものと解釈する方が万事好都合なのではあるまいか。 少 なく と も、 吾 々 に は そ の 様 な気 が す る の で あ る。8 ). 〔註〕 1) 富塚良三 「再生産論と恐慌論」 (商学論集、 第2 0巻第4号、 31一303頁) 参照 2) 高木助教授が拡大再生産表式は 「景気循環の好況局面をある程度まで近似的に表現 し得る」 が 「景 気循環の不況局面えの産業的運動の後退は、 拡大再生産表式には表現されていな い」 と云われてい るのは、 あるいは此のことを指 しているのかも知れない。 高木幸二郎 「拡大再生産表式と恐慌」(経 3頁 済評論、 昭和27年5月号) 19 3) 山本二三丸 「恐慌論研究」 参照 4) 「表式は本来、 資本家的蓄積の均衡、 不均衡の問題を取扱う理論ではなく、 資本家的蓄積の矛盾は 当然なんらかの形で表式に表現されるとはいえ、 それは表式の不均衡 (実現の不可能) という形 で はあらわれないのである。 」 岡稔、「再生産表式の一考察」 (経済研究、 第3巻第4号)291頁 5) 吉田義三 「景気変動論」(経済学全書第9巻) 参照 6) 野々村一雄 「不均等蓄積と不均衡」 (経済研究、 第2巻第2号、 1 1 2一127頁) 7) 岡本博之 「恐慌諭の基本問題-- 部門間不均衡 と ミ消費制限 の連繋」(経済評論、 昭和2 0 5年1 3巻第3号) 月号) 林直道 「再生産-恐慌論と近代景気理論」(経済学雑誌、 第2 8) 「ドマールが資本蓄積による不況の説明において労資間の相対的所得分配の一定を終始仮定したこ とを考慮に入れると……生産能力の如何なる増大も所得の無限の成長と均衡化されることにな る。 然 し、 投資の生産力拡大効果 (ぴ効果) は過剰蓄積を通じて不況化えの傾向をはらむであろうし、 その乗数効果による所得の増大は、 階級間の所得分配関係の変化を内にふくむことによって社会 の 消費需要を相対的に縮少させると考える方が現実的であろう。 そうだとすれば労資間の所得分配関 係を一定と仮定 して、 資本蓄積の問題を分析することは非現実的なやり方であるといわねばならな し-…・ このことはハロッ ドにたいしても同様にいえることではある。」 末永隆甫 「現代経済変動理 論」 284頁. l l n 〔 〕 「通常、 マルクシス トは、 恐慌そのものの成因とその周期性の理解を分離し、 後者のための物質 的基礎として、 固定資本の回転期間を指摘している。 しかし、 この回転期間そのものが、 二つの恐 」 しかも、 「固定資本の回転は、 過 慌成因のいずれかと結びついて、 論 証されているわけではない。 一 144-.

(9) . 「不均等発展と消費限界」 について. 剰生産恐慌の発生過程について何事かを説明するよりは、 むしろ、 『恐慌はつねに一大新投資の出 発 点を なす』 と い う 見 地 か ら、 メ カニ カ ル な 循 環 運 動 の た め の トゥー ル の 一 つ で あ る に す ぎな い 」 。. しかし、 「その周期性のためのかかる物質的基礎を別にしても、 マルクス体系 は、 本来的に 周期 、 的恐慌理論の十分の素材を備えている。 」 のだから、 「一方 では資本そのものが限界をなす如き生産 力の発展と、 他方ではかかる発展に逆行する個人的消費の制限性とが、 たんなる矛盾の指摘として でなく、 因果的に統一されねばならない。 」およそ以上のような見地にたたれて、 早川助教授は、 こ のたびの新ら しいご構想をきたえあげられたわけである。 「生産された固定的生産手段は、 その期間中は更新需要を派生することなく 産出能力を継続的 、 に発揮する。 固定資本の回転周期と恐慌のそれを結びつけようとしたマルクスの理解の根底に こ 、 の 自 明 の 事 実 があ る こ と は、 い う ま でも な い。」と さ れ る 同 助 教 授 に と っ て は、 に も か か わ ら ず マ 、. ルクスが、 「固定資本の更新と貨幣的填補とのギャップを認識して 『同等不変な規模での再生産に もかかわらず、 恐慌--生産恐慌--が生ずる であろう。』という結論を生み出した」 程度にとどま っ て い る こ と は、 あ る い は、 あ き た ら ない こ と で あ ろ う か と も 思 われ る だ が マ ルク ス の 場 合 。 、 、. 「固定資本の回転 は 全般的(大野) 過剰生産恐慌の発生過程について何事かを説明」 させようと 1 ) たかだか、 その周期を規定する一つの物質的基礎を提供するもの 意図されているものではなく、 とされているに過ぎないよう である。 全般的過剰生産恐慌発生の必然化する基礎として は 通常 、 、 別に、 その所謂、 資本主義経済に内在する基本的矛盾、 が用意されているわけであるが 早川助教 、 授のあたら しい試みは、 この様な基本的矛盾ということとは 一応 別個に 資本制生産における 、 、 、 全般的過剰生産恐慌必然化えの傾向を論定するための一つの有力な理論 的装置を吾々にもたら して く れ たも の と 云う べ き で あ ろ う。 だ が マ ルク ス 恐 慌論 の 解 釈 に 関 す る 限 り で は 少 く と も そ れ 、 、 、 を 中核 と して 議論 を 進 め る こ と に は、 い さ さ か 疑 問 が残 る か に 思 わ れ る の で あ る 。. 固定資本の平均的耐用年数が、 恐慌の周期を規定するという理解には疑問があるが 2 、) 固定資本 の大量的更新、 改善に始発する恐慌後の一大新投資が、 次に来るべき回転循環の新たなる物質的基 礎となる、 ということについては吾々は異論はない。 そして早川助教授も、 「恐慌はつねに一大新 投資の出発点をなす」 という見地から、 恐慌後の不況期における固定資本の大量投資が 「循環運動 の た め の一 つ の トウ ー ル」 に な る こ と は否 定 さ れ て い な い よ う で あ る が、 す でに 言 及 して あ る 如 く. 吾々の理解としては、 この恐慌後の固定資本の大量的更新、 改善 -- 一大投資に 早川助教授の 、 「投資需要波及局面」 の起点をおいてほしかったように思うのである 恐慌につづく不況期におい 。 て、 低金利、 既存固定資本の価値減少、 という様な条件に助けられながら 低物価 低利潤率とい 、 、 う苦境を切り抜けるために、 技術的革新をともなった、 固定資本の大量的更新 改善がおこなわれ 、 る。 (これは固定資本の再投資でもあり、 また或る部分については新投資でもあろう あるいは大 。 量の再投資が、 更に新投資を誘発して、 いわゆる一大新投資になるものと解 してもよいであろう ) 。 それが、 加速度機構によって説きあかされるような、 投資需要の波及を惹きおこす と考えてもよ 、 いだろう し、 また、 投資が消費需要を増加させて、 それが早川助教授の説かれている様な順序で 、 その後の局面を展開させてゆくものと解してもよい であろう 3 ) 固定資本投資の耐 用年数が種々様 。 々 であっ て も、 ま た、 そ の 投 資 が あ る 年 度 の みに 集中 す る も の で は な い に して も 大 量 の 固 定 資 本 、. 投資を伴う一大新投資が恐慌後に行われるということが理論的に納得的なものである限り、 それが 「社会全体について云うならば、 多かれ少なかれ、 次にきたるべき回転循環の新 たなる物質的基礎 となる」 ことは、 即ち、 固定資本の特徴的な性格が、 --集中された、 大量の投資 であるが故に- - その後の景気循環について支配的な役割を果すものであることは、 早川助教授の解明されるところ に よ っ ても き わ めて 明 白 な こ と の よ う で あ る。 -145-.

(10) . 大. 野 勇. 一. 郎. [註〕 1). 「注意を要することは、 固定資本の更新の特殊性 が週期的恐慌の物質的基礎であるということは、 けっLて、 固定資本の更新の特殊性が週期的恐慌の原因であるということではないということであ る。」 川崎巳三郎 「恐慌」63頁 2) 「それでは、 この売と買との分離は、 無制限に発展することが出来るかといえば、 そうではない。 固定資本の更新期間によって規定される総回転期間のうちに、 この売と買との分離は統一されなけ ればならない。 ……この10年をとってみて、 この間における売と買とがなお一致しない場合には、 この統一はただ強力的にのみ恢復される。 それが過剰生産恐慌 である。」と云われることには疑問が 残るようにおもわれる。 (同上62頁) 3) 「この不況における再投資こそ 不況を転 じて回復え向う過程を説明する要因である 再投資なく 、 。 して不況の底からの回復は起りえない。 この再投資需要が投資財生産を刺戟し、 再投資が最高潮に 達してから、 それが新投資需要を誘発する。 さきに引用 した Marx の 「恐慌はつねに一大新投資 の出発点をなす」 という語句は、 このようにに解すべ きであろう。」高橋長太郎 「固定資本の回転と 01頁 19 投資決意」 (経済研究、 第6巻第2号)1 56年3月稿) (. 〔追記〕 その後あらたに同じ問題に対して富塚助教授のご見解が 「固定資本投資と加速度的畜積--早川 泰正氏 「不均等発展と消費限界」 によせて」 (経済評論、 昭和31年5月号) として発表されたので それを学びおえて後の吾々の理解を追記させていただくことにする。 〔V〕. 富塚助教授の疑問は先ず 4Cー ーモ き 41 といぅ命題そのものに向けちネ .る。 これはまた同 41. 時 に、 1ぴ= ÷覆 ÷. ・. と い う ドマ ー ル の 基 本方 程 式 に対 す る易走間 でも あ ろ う が、 こ の 点 に つ い て は. 吾々も基本的には同感である。 産業投資に乗数理論を適用する ことの可否という問題 は一応問わな いとしても、 ドマールの方程式には猶、 次の様な疑問が残る。 いったい、 今期の新投資 1が前期の それよりも大きい部分についてのみ乗数効果を伴う所得の増加があるとする理解は、 新投資1の内 容が固定資本投資だけである場合にのみ成立つものかと思われるが、 これに対置させられている1び なる生産量増加は、 新投資 1の内容が固定、 流動両種の不変資本投資 であることを必要とするよう である。 成程、 生産性を直接に増加せしめるものは主として生産設備 であろうし、 また、 び効果な るものは、 原料、 労働その他の事情から来る制約を考慮に入れてのもの である様だが、 それにして も、 原料、 補助材料等も前期のそれより多く準備されるのでなければ、 その在庫高を減少せしめで もしない限り、 生産物の供給増加は考え難いのではあるまいか。 労働雇傭については、 或いは、 生 産性の上昇に基くその節減ということも想定し得るであろうが、 (富塚助教授は、 この点は別に考 慮にいれておられない様である。 「K2 によって Y 一単位を生産するに必要な雇傭量を B2 と す れ ば、 そ の雇 傭 量 も、 E2 、 2E2 、 3E2… … と 期 毎 に 増 加 して ゆ か な け れ ば な ら な い 筈 で あ り、 そ れ に 伴 って賃銀所得も同一歩調で増加して ゆかなけれを な ら な い 筈 で あ る。」 と さ れ て い る。) そ の 場 合 に. あっても、 今期の雇傭の絶対量は、 少くとも前期のそれを上廻るものと考えるのが寧ろ現実的であ ろう。 今期の新投資分 についてのみ貨幣支出を伴う固定資本投資に関しては、 その前期を超える部 分のみが乗 数効果をもつ所得の増加になるものとなし得るだろうが、 流動不変資本投資については 今期の新投資のすべてが乗数効果をもつ所得の増加となると解すべきであろう。 新投資 1の内容が 固定、 流動両種の不変資本投資を含むものとすれば、 今期の新投資 1が、 少くとも、 前期のそれと 同額の場合には、 所得は増加するものと考えねばなるまい。 更に可変資本投資をも考慮に加えるな らば、 所得の増加は一層大きくなる筈である。 〔註〕 別の機会に吾々が高田保馬博士の ドマール論難を学びと った態度は、 この意味に於ても、 極めて末 46- -1.

(11) . 「不均等発展と消費 限界」 について 熟なものであった。 ここにあらためて博士の御寛恕を乞うておかねを ならない。 高田保馬博士 「ケ イ ンズ論難」 拙稿 「成長率理論 の一吟味」(北海道学芸大学紀要 第1部第6巻第2号) 、. 富塚助教授が、 その第二の疑問を提示されて後、 「かく して氏のいわゆる 「産出過程」 と 「投資 需要過程」 との二局面は交互に規定し条件づけあって、 総体としての加速度的蓄積の過程となって あらわれるのである。 」 と云われている点については、 吾々は別段異議はない。 また、 『加速度機 構』 なる 『因果的過程』 の論理的起点、 事実上の起動因として 氏において暗黙の中に前提されて 、 いるところの消費需要の増加は、 自生的ないしは偶発的に生ずべきものではなく それ自体 蓄積 、 、 過程の所産ない しは随伴現象と して把握されなければならない 」とされていることにも それが続 。 、 いて言及されている 「恐慌後の一大新投資」 に出発点を求められるものであろう限りに於ては全く 同感である。 ただ、 ここで同時に吾々が考慮しておかなければならないことは 資本制生産におけ 、 る蓄積過程 は、 つねにその生産力増加に比例 して社会の個人的消費力をも増加せしめて ゆくものだ ろうかという点である。 「投資需要過程」 の局面においてはともかく 少くとも 「産出過程」 の 、 、 段階に於ては、 蓄積に伴う消費力の相対的狭曝化という矛盾が 資本制的蓄積の矛盾として徐々に 、 その正体を露呈して来ると解すべきものではないだろうか にも拘わらず 「資本の絶対的過剰生 。 、 産」 という点に立ち至るまでは、 蓄積は、 利潤率の低下に拘わりなく 資本の重みに比例して進め 、 られるために、 やがて必然的に、 消費需要不足=過剰生産なる破局に追いこまれるのではあるまい 力。. 富塚助教授が、 その第四節において、 加速度的蓄積と固定資本の問題に関する試論として展 開さ れている拡張再生産表式は、 その云われる如く、 「資本構成および剰余価値率が所与の場合 当初 、 の年度における各生産部門の投下資本 (とりわけ固定資本) の大いさとその相互の比率 関係如何に よって、 爾後の均衡的蓄積の進行速度が規定される。 蓄積の進行を主導するのは 第一部門 とり 、 、 わけ労働手段生産部門であるから、 労働手段生産部門における固定資産の大いきが 蓄積速度に対 、 して最も規定的な意味を持つのである。 」 ことを結論づけるものではあろぅが、 そこには 「不均等 発展」 も 「消費制限」 もない。 従って、 そこでは 「部門間の均衡が維持されていたと しても 新投 、 資が突然に減退するという事態」 が生じなければ、 恐慌の必然性は論証し難いことになるであろう し、 また、 その 「蓄積を突然に停頓せしむべき要 因を、 右の意味での拡張再生産過程それ自体のう ちに求 める こと は 出 来 な い。」 と い う こ と に も な る で あ ろ う 。. 「資本制生産の真の制限は資本そのものである」 という命題に出来得る限り忠実であられようと する同助教授は、 その限りにおいては正しい見地に立たれているものと思うのであるが それにし 、 ても、 この命題に添うためには、 「不均等発展」 も 「消費制限」 も一応これを背後に押しやって 、 どう しても、 質銀急騰--利潤率低下--資本の絶対的過剰生産--蓄積停止 という運 びで恐慌 、 の発生を説かねばならぬことになるものであろうか。 一方において消費力を狭溢化せ しめながら押 し進められる蓄積が、 やがて、 自らのつく りあげた 「消費限界」 なる障壁につきあたる そして 。 、 資本は資本と しての機能を果し得なくなる。 即ち、 「消費限界」 が 「資本の絶対的過 剰蓄積」 なる 極限点を決定するのであって、 「資本の過剰蓄積」 なる事態が 「消費限界」 を出現せしめるのでは ない、 と解することは許され得ないものだろう か。 而かも、 その 「消費限界」 を主導的につくり出 したのは、 蓄積=投資活動、 資本そのものであるとすれば、 依然として 「資本制生産の真の制限 、 は資 本 そのも の であ る」 と い う こ と に な る で あ ろ う。 吾 々は賃銀の急騰に導かれる恐慌が想定し得 る 恐 慌 の一 つ の タイ プ で ある こ と ま でも 否 定 す る つ も り は な い だ が よ しん ば そ の 様 な 事 態 の 。 、 、. 発生がなくとも、 蓄積が資本制蓄積 である限り、 生産と消 費の矛盾が周期的恐慌を必然的なもの に す る と 解す る の が、 よ り 多く マ ルク ス の 意 図 に 添 い 得 る も の で は な い か と 思う の で あ る 。 i47-.

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