児童研究とデューイ教育学(5)
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(2) 甲南女子大学研 究紀 要第 38 号 人間科学編 (2002年 3月. 20. ). 書 お よび を論文 を通 して ,こ のす で に激 しく活動 的 な. 1894年 シ カ ゴ大 学 に 転 任 した デ ュ ー イ は 直 ち に当. 存在 と しての子 供 とい う彼独 自の子 供 観― 彼 独 自の. 地 の 児童研 究 会 す なわ ち イ リ ノ イ児 童研 究 会 (Thc 11-. 児童研 究 の 成果――につ い て考 察 して い くこ とに した. linois Society for Child―. い ,と 考 えて い る。. 会 の質問紙調査 に答えて,幾 つかの重要な児童研究 の. Study)に 入会 し,翌 年同研究. 成果 を挙げてい るが,そ れ らの中 においてい まわれわ 1。. す で に 激 し く活 動 的 な 存 在 と して の 子 供. れが 問題 に してい る点 に関 わって,わ れわれは,「 教 育 に適用 された児童研究 の成果」 (“ Results of Child―. これ までの幾 つ かの著書 や論文 を通 してデ ユー イに お け る絶 え ぎる経験 の改造 としての教育 (education as a continuing reconstmc●. 方. 2の. on of expenencc)と い う考 え. 本 質 を明 らか にす る過程 にお い て ,わ れ われ は. 彼 におけ る子供 につい て考察 し,そ れ を一 応次 の よ う に纏 めて い る`。. 中の次 のような. Study Apphed to Education",1895)の. 言葉 を借 りることに しよう。 「1.児 童研究 の成果 の適用が に対 して)禁 ず るであろ う. (当. (当. 時の教育 の現実. 時 の教育 の現実 の). 根本的な間違 い は,私 の判断 によれば,教 師あるい. すなわち,何 よりもまず① 「人間の子供 は未熟 な存. は両親 の観点 か ら子供 を取 り扱 ってい る とい う習 慣 ,す なわち,子 供 を教育 されるべ き・開発 される. 在 (an immature being)で あ り,そ して未熟な存在 で. べ き・教授 されるべ き・あるいは楽 しまされるべ き. あ るが ゆ えに,無 力 な存在 (a hdメ css being)で あ. イ 可ものか (sOmething to be educatcd,devclopcd,in―. る」, しか し② 「人間の子供 にお い てのみ,こ の未熟 性 (immaturity)は 単 なる空虚あ るい は単 なる欠如 を. stmcted,or amuscd)と して考 えているとい う習慣 で. 意味 してい るのではな くして,成 長 の可能性. 本原理 は,① 子供 は,常 に現存 してお り緊迫 してお. (the pos―. ある。……・2.(児 童研究 の上 に立つ教育理論 の)根. sibility of growth)を 意味 して い る, しか も③ 「この. り, したがって誘導 された り引 き出された り開発 さ. 成長 の可能性 は積極的 に現存す る勢力 (a fOrce pod―. れた りする ことを必要 としない,自 分 自身の活動 を. tively present)と. して の 成 長 す る 能 力. (ability tO. もった存在 (a being With activities of his own)で あ. grOw)を 意味 してお り,そ して④ 「成長す る能力 と. る ,し たが って② 教 育者― 両 親 で あ ろ う と教 師 で. しての未熟性 は社会的交渉のための能力 (an equipment. あ ろ う と一 の 仕事 は,こ れ らの 子 供 の 活動 を確 認. for sodd intercourse)と して の 依 存 性 (dependencc). し,こ れ らの子供 の活動 との結 び付 きにお い てそれ. と “ 経験 か ら学 ぶ "能 力. らに対 して適切 な機会 や条 件 を提供す る こ とにこそ. (the aЫ lity to“ lcam■ om ex―. peHenc"と して の 可 塑 性 (plasddty)か ら成 っ て い. あ る, とい う ところにある。 」 (E5204). る」,そ れゆえに⑤ 「人間の子供 は,社 会的交渉 のた めの能力 としての依存性 に基づいて積極的 に成人の助. 次 に,余 りに も有名であ り,あ るい はわ ざわ ざ借 り る には 及 ば な い か も しれ な い けれ ど も,(デ ュー イの. 力 を呼 び込 みなが ら,“ 経験 か ら学 ぶ"能 力 としての 可塑性 を発揮 して,先 行 の経験 の成果 に基づいて活動. 子 供 観 を強 調 す る た め に),わ れ わ れ は,1898年 4. を変容す る こと (to modify actions on the basis of the re―. て 行 わ れ た 講 演 の 1節. sult of p」. or cxperience)に よって ,経 験 の 改造一 成. (『. 学 校 と社 会』原 初 版 〈動θ. θ′αんグ Sθ εJι ヶ, Original Edition〉 Sc力 θ. , 1899, 所訓又)を. 借 りる こ とに しよ う。. 」 長― を続 けて い く。 この よ うに,デ ュー イにお い ては,人 間 の子供 は. 月 ,シ カ ゴ大学 附属小学校 の 父母 そ の他 の人 々 に対 し. ,. 「〈教 育 は “引 き出 す こ と"(“ drawing out")を 意. 未熟 な存在 ではあ るか も しれ な い けれ ども, しか し決. 味 す る 〉 とは 非 常 に しば しば行 わ れ る 陳 述 で あ る. して消極 的 な存在 (a negative being)で はな くして積. が , も しわ れ わ れが この 陳述 を 〈教 育 とは教 育 とは. 極 的 な存 在 (a pOSitive being)で あ る。 人 間 の 子 供. 注 入す る 過 程 (the process of pou五 ng in)で あ る 〉. は,正 にすで に激 しく活動 的 な存在である。. とい う陳述 と対 照 す る ため にの み 使 用 す る な らば. ,. あ るいは この 陳述 は優 れた陳述 で ある といい うるか. 1.す で に激 しく活動 的 な存在 としての子供. も しれ ない 。 しか し,結 局 ,こ の く教育 は “引 き出. われわれは まず ,デ ュー イが 人間 の子供 をすで に激. す こ と"と を意味 す る 〉とい う考 え方 を 3歳 ・4歳. しく活動 的 な存在 として捉 えて い た とい う こ とその こ. ・7歳 あるい は 8歳 の子供 の 日常 生 活 と結 び付 け る. とにつ い ての 考 察 か ら一-2つ の 言 葉 を引 き合 い に出. こ とは 困難 で あ る。子供 は,(成 人が 引 きは出す よ. す こ とに よつて一 始 め る ことに しよう。. り以前 に),す で に走 り回 り,物 を撒 き散 ら し…….
(3) 杉浦 美朗 :児 童研究 とデュー イ教育学. (5). とい った あ らゆる活動 を して い る。子 供 は,(彼 の. 自分 自身 の活動 を もった存在 で あ り,す で に激 しく活. 内 にあ る)あ る活動 の 隠 された活動 の萌芽 を引 き出. 動 的 な存在 で あ る」 とい う子供観一 人 間観一一になる. す ため に成 人が大 きな注意 を もって接近 しなければ. こ とは 当然 な こ とで はなか ろ うか 。生活体す なわち有. な ら な い ,純 粋 に潜 在 的 な存 在 (a purely latentt. 機体 と して の子供 一 人 間一 は,(悪 しき意味 にお け る). being)で は な い 。子 供 は ,(成 人 が 引 き出す よ り以. 思弁 や思索 の世界 に生 きて い るので はないの であ る。. 前 に)す で に激 しく活動 的 (already intensely active). 彼 らは両価性 の 世界 にお いて生存 闘争 とい う形 にお い. であるであ る。 」 (M124-5). て具体 的 に生 きて い るので あ る。そ して ,(正 しき意. このように して,繰 り返す まで もな く,デ ュー イに. 味 にお け る)学 問 も科学 も具体 的 に生 きる こ とす なわ. よれば,「 子供 は,常 に現存 してお り緊迫 してお り ,. ち生 存 闘争 を通 して生 まれて きた ので あ る"。. したがって誘導 された り引 き出された り開発 された り することを必要 としない,自 分 自身の活動 をもった存 在 であ り」,ま た「子供 は,(成 人が引 き出す よ り以前. 生 命衝動 の奔流― す で に激 しい活動 ― しか し,こ のす で に激 しい活動 とは具体 的 にい か な. る ものであろ うか。 われわれは 『思考 の方法』改訂版. に)す でに激 しく活動的である。 」 あるいは,言 葉 を換 えるな らば,「 子供 は,正 に本 来的 に (inherently)積 極的 に活動的な存在 (an. 3。. pOsitively. activc bcing)で ある。 」 い うまで もな く,こ れ こそ. ,. デ ューイの子供観 の真髄 であ る。 われわれは何 よ りも まず, このことを銘記 しなければならない。. ″ (〃 θ. ″ιttJtt Revised Edition,1933)の. 中 の次 の よ. うな言葉 を借 りる こ とに しよう。 「 ……子供 に とつて は,世 界 は常 に新 しい。新 し い 世界 と接触す る度 ご とに,健 康 な存在― 子供― は何 か ス リリ ングな もの にぶ つ か る。 この何 か ス リ リ ングな もの は,単 に受動 的 に待 ち望 まれて い る と. 2.す でに激 しく活動的な存在― 両価性 の世界 に生 き. い う よ りは,熱 心 に探 し求め られて い る。 あ らゆる. る子供― しか し,続 い て,わ れわれは,デ ュー イにお い て. 感 覚器官― 運動 器官が常 に活 動 す る機 会 を求 め て. い る。…… この よ うな. は,何 ゆえに「子供 は,純 粋 に潜在的な存在 でな くし. (あ らゆる感覚器官― 運動 へ いこうとす る傾向性 を総 の かって出て 器官 )外 向. て,自 分 自身の活動 をもった存在 であ り,す でに激 し. 称 して,わ れわれは好奇心 (curiosity)と 呼 んで い. く活動的な存在 である」 といわれるのかを問わなけれ. る。……この ような好奇心 は生命衝動 の奔流 (a宙 _. ばならないであろう。言葉を換えるならば,わ れわれ. tal ovedow)で あ り溢 れ る有機 的 エ ネルギ ーの湧 出. は,デ ューイにおいては,何 ゆえに「人間の子供の未. (an expression of abundant organic energy)で. 熟性 は積極的に成長する能力 とい う意味 における成長. る。 」 (L8 141-42). の可能性を意味する」のかと問わなければならないで. 繰 り返 す まで もな く,『 思考 の 方 法」改 訂版 の 中 の. あろう。 か つ てわれわれはデ ュー イにお ける生命 の本質 につ. あ. 言 葉 を借 りたの で あ るが ,こ の よ うな 生 命 衝 動 の 奔 流 ,溢 れ る有機 的 エ ネ ル ギ ー の 湧 出― デ ュー イは生. い て考察 し,両 価性 の 世界一 生活 体 に とって プ ラ ス. 理 的次元 における好奇心 (curiosity on the physiological. ・マ イナスの 両価値 を もった世 界一一に生 きて い る生. level)と 呼 んで い る一 こ そ,正 に有 機 体 と して の 人. 活 体 (organism― ― 有 機 体 )が そ こ にお い て生 存 闘争. 間 の子供 の生 きて い る姿 である。 そ して ,こ の よ うな生命衝動 の奔流 ,溢 れ る有機 的. (stmggle fOr existence)と い う形 にお い て生 きざるを えない ことをを指摘 したのであるが°,こ の両価性 の. エ ネ ルギ ー の湧 出 と しての好奇心 を もってす で に激 し. 世界 にお ける生存闘争 とい う形 において生 きざるをえ. く活動 的 な存 在 と して子供 を捉 える こ とこそ ,『 民 主. ない生活体 の宿命 こそ,(等 しく生 活体 で ある)人 間. 主 義 と教育 ]に お い てデュ ー イ 自身が宣言 して い る彼. の子供 が 自分 自身の活動 をもった存在 であ りすでに激. の教 育学 の 第 1原 理人 間 の衝動 や本能 と 自然 的 エ ネ ル. しく活動的な存在 であ らざるをえない所以ではなかろ. ギ ー の生 物 学 的連 続 (the biological continuity of human. うか。. impulses and instincts with natural energies一 一M9. 周知 のように,デ ュー イは しば しば進化論的自然主 蓋 (the CV01utionary naturalism)の 立場 に立 つ哲学者 であるといわれてい るのであるが,進 化論的自然主義 の立場 に立つ彼 の子供観一 人間観― ―が「子供 は……. 333). の 具 体 的表 現 で あ る , とい って よい で あ ろ う°。.
(4) 甲南女子大学研究紀 要第 38号. 人間科学編 (2002年 3月. ). もった存在 である」 とい うことを十分 に知 っているの. Ⅱ.子 供 が 為す何 ご とか としての成 長. で あ るが,『 民 主主義 と教育]の 中か らさらに次 の よ うな言葉 を借 りることに しよう。. 前項 において,進 化論的自然主義 の哲学 の立場 に立. 「 (子 供 を)比 較的 に (comparatively)に 見 る代 わ りに絶対 的 に (absolutely)見 るな らば,(子 供 の). って人間― 子供― を提 えて「子供 はすでに激 しく活 動的な存在 である」 とするデュー イの子供観 について 考察 したのであ るが,次 にわれわれが問題 に したいこ. 未成熟性 は積極的な勢力あるい は能力 ,す なわち成 長す る能力 を表 してい る。 われわれは,か つ て幾つ. とは,(当 然 に予想 され る こ とか も しれ な い けれ ど. かの教育理論 が述べ ていたように,子 供 の中か ら積. も),「 教育 と して定義 され る成 長― 経験 の 改造―. 極的活動. は,す でに激しく活動的な存在である子供が為す何 ご とか (something they do)で ある」 とい うことであ. た り誘導 した りす る必要 はない。生命が存在す ると. る。. (cager and impassioned activities)が. (pOSitive activities)な. る もの を引 き出 し. ころ,そ こにはす でに貧 るような情熱 を込めた活動 存在す る。成長. これ までのわれわれ の考察 か らす るな らば ,あ るい. は この よ うな活動 を して い る子 供 が 為 す何 ご とか. は全 く当然 の こ とを説 くことに なるにす ぎない か も し. (something they do)で あ つて ,彼 らに対 して為 さ. れ な い け れ ど も,し か し,不 登 校 ,い じめ ,学 級 崩. れ るイ 可 ご と か (something done to them)で は な. 壊 ,学 校崩壊 …… とい う病理現 象 が これほ ど問題 にな. い。 」 (M947). ってい る現在 にお い て さえ,表 面 にお い ては ともあれ. 言葉 を換 えるならば,「 すでに激 しく活動的 な存在. 根底 にお い ては ,子 供 を教育 してや る,成 長 させ てや. で あ り,自 分 自身 の活動 を もった存在 で ある」子供. る,発 達 させ てや る…… とい う考 え方― 教 師 あ る い. は,い うなれば 自ら成長 し続ける存在. は成 人が教 育 の 主体 で あ る とい う考 え方― 一が 未 だわ. bdng)で ある。未熟 な存在 であるか もしれない けれ. が 国 の教育 の現場 の主 流 を成 して い る以上 ,わ れわれ. ども, しか し,自 ら成長 し続けることこそ,正 に子供. は「教育 と して定義 され る成 長― 経験 の改造一 は子. であることである。 われわれはこのことを銘記 しなけ. 一一 子供 が 教育 の主 体 であ る 供 が 為す何 ご とかであ る」. ればな らない で あろ う。なぜ な らば この こ とこそ. とい う考 え方― を主張 し続 け なけれ ばな らな い で あ. (次 いでわれわれがデ ュー イにおける教育 の本来 の在. ろ う。. り方 として取 り上げることになるであろう)自 己教育. さらに は ,周 知 の よ うに,学 校週 5日 制 ,生 活科. ,. (a self― growing. ,. の 根拠 であ るが ゆ えであ る. 総 合的 な学習 ,地 域学習 …… と子供 を教育 の主 体 た ら しめ よ う とす る,上 (文 部科学省 )か らの下か らの教. 2.太 陽 としての子供. 育 (PadagOgik von unten)運 動 が ,正 に花盛 りの現在. い ま,「 自 ら成長 し続 けけ る こ とこそ ,正 に子 供 で. で は あるが ,繰 り返す まで もな く,根 底 にお い ては事. あ る こ とであ る。 …… この こ とこそデ ュー イにお け る. 情 は少 しも変 わ って い な い。 それ どころか ,学 力低下. 教 育 の 本来 の在 り方 と しての 自己教 育 の根 拠 で あ る」. 防止 の名 の 下 に,よ り強度 な聴講― 吸収―一記憶 の学. とい ったの で あ るが ,そ れ に つ い て の 考 察 に先 立 っ. 習 が強 化 される とともに,で きる子 とで きない子 を分. て ,こ の 「教育 は子供 自身 の 自己教育 であ る」 とい う. けて教育 しない とわが 国 の科学技術 や産業技術 は世 界. こ とに対す る誤解 を解 い て置 くこ とに した い ,す なわ. に遅 れ を取 る こ とになる とい う主張― 教 育 の二 極 分. ち,わ れわれの い う自己教育 が い うなれば誤 れ る児童. 化論― さえ出て きつつ あ る。 われ われが 「教 育 と し. 中心 主義教 育. て定義 され る成 長― 経験 の改造― は子供 が 為す何 ご. stood),敢 えて 自己矛盾す る言葉 を使 用 す るな らば 自. とかで あ る」 と主 張 し続 けなけ ればな らなん い所 以が. 由放任主義教育 (laissez_faire education)と 混 同 され な. ここに もある。. い よ うに幾 らかの考察 を加 えて置 くこ とに した い。 な. (child―. centered education mis― under―. ぜ ならば,① 一方 において,自 己教育 を一方的 に否定. 1.子 供 が 為す何 ご とかの成 長. し,相 変わ らず他者教育 しか存在 しえない と考 えてい. 全 く繰 り返す まで もな く,わ れ われ はす で に,「 子. る人々がお り,② 他方 におい て,(不 登校 な どとの関. 供 は (成 人が引 き出す よ り以前 に)す で に激 しく活動. わ りにおいて)フ リー・ス クール といった名 の下に他. 的 な存在 で あ り,(誘 導 され た り引 き出 され た り開発. 者教育 を一方的 に否定 し,自 己教育 ―実際 にはい ま指. された りす るこ とを必 要 としない )自 分 自身 の活動 を. 摘 したばか りの誤 れる児童中心主義教育あるい は 自由.
(5) 杉浦 美朗 :児 童研究 とデ ュー イ教育学 放 任 主 義 教 育 を主 張 す る る人 々°,さ らに は 学 校 教 育 否 定 論 を安 易 に主 張 す る 人 々 が 存 在 す る が ゆ え で あ る。. そ こで,(い うなれば話 の前半か らであるが),わ れ. (5). social sidc)一 一社会一. の両佃1面 か ら捉 える こ とを強調. (E585)は ,両 側 面 の 内 にお いて は まず心 理 的側 面 が先 行 す る と して (E585),次 の して い るデ ュー イ. よ うに述 べ て い る。. われはまず ,ア メリカにお ける “ 児童研究 の父"(“ Fa― ther of Child― Study")と 呼 ばれるジ ョンズ・ホプキ ン. and powers)が ,あ らゆる教育 の材料 を供 給 して く. ズ大学 の大学院時代 のデュ ー イの恩 師 の 1人 ホ ール. れ ,出 発点 を提供 して くれ る。教育者 の努力 (the ei. (Granvile Stanlcy Hall,1844-1924)の 誤 れる児童中心. fo■. 主義教育 を殆 どそのまま踏襲 してい るかの ように思わ. 身 の イ ニ シアテ イブ に よって 遂 行 しつ つ あ る 活 動. れると共 にそれゆえに「デューイ教育学」理解 の蹟 き. (some act市 itics which thc child is carrying on of his. の石 ともなってい る とい われる,『 学校 と社会』 の 中. own initiativc indcpendcpendcnt of thc educator)と. の次 の ような言葉― これ も余 りにも有名 な言葉であ. び付 く と き以 外 ,教 育 はタト部 か らの圧 力 (a pressure. るが一一を借 りることか ら始めることに しよい。. ■om without)に 還元 されて しまうであろ う。確 か. 「子供 自身 の 本 能 と能力 (the child own instincts. 「 に れ まで の あ なた方 に対 す る 話 の 中 にお い て),私 は古 い教育. (“. 旧教育"〈. of the cducator)が 教育者 とは独立 に子供 が 波 自. に,そ れは一 定 の外 面 的成果. “ 01d Education"〉 ). (ce■ ain. 結. extemal re―. sults)を 挙げ ることはで きるであろう。 しか し,こ. の典型的な諸問題点 ,す なわち子供 の態度 の受容. の一定 の外面的成果 なるものは,本 当の意味 におい. 性 ,子 供 の機械的分類 ,カ リキュラムや教育方法論. ては教育的 (educative)と は呼 ばれえない。 」 (B5. の画一性 について強調 しす ぎた嫌 いがあったか もし. 85). れない。 しか し,と もあれ,古 い教育 は,重 力 の 中 心が子供 の外側 にあると述べ ることによって要約 さ れ うるであろ う。教育 の中心が教師の中に,教 科書 の 中に,そ の他 ともあれ子供 自身の直接 の本能 と活 動. (the immediate instincts and activities of the child. himself)以 外 の あなた方 のお好 きな ところにある. 3。. 心 理 的側 面 =子 供 的倶1面 と社 会 的側 面 =環 境 的 側 面 の 相 互作 用. い ま,「 デ ュー イ教育 学」 の理解 に とって,正 に蹟 きの石 とな り,そ れを誤 れる児童 中心主義教育― 自 由放任主義教育― と多 くの人 々 に解釈 させ て きた と ころの 2つ の言葉 を引 き合 い に出 したのであるが,こ. いってよいか もしれない。 )こ のような (古 い教 育 の)考 え方 に基づいて話 を進めてい くならば,子. れ らの言葉がデューイ自身の言葉 であ りなが ら,本 来. ついて余 り多 くの. の「デュー イ教育学」 の理解 にとって蹟 きの石 になっ. (と. 供 の生活. (the life of the child)│こ. こ とは語 られ ない で あ ろ う。 (代 わ りに),子 供 の学. た り誤解 の源 になった りする所以 は,わ れわれにとっ. 翌 (the Smdying of the chiH)に つい て多 くの こ と が 語 られ るか も しれ な い けれ ど も,し か し,(そ こ. ては,心 理的側面― 子供的側面― ―が強調する余 り ,. where the child lives)で はない 。 しか し,い まやわ. 引 き合 い に出されてい る言葉その ものの内 にも社会的 佃1面 一 環境的側面一 一が殆 ど全 く無視 されてい るかの よ うに受 け取 られてい る ところにある よ うに思 われ. れわれの教 育 に対 して到来 しつつ あ る変化 は,重 力. る。 しか し,デ ュー イは本当 に一方 を重視するの余 り. の 中心 の移動 であ る。 それ は,天 体 の 中心 が地 球 か. 他方 を軽視 してい るであろ うか。. にお い ては)学 校 は子供 が生 活す る場所 (the place. ら太 陽 に移 った ときに コペ ル ニ クス に よって導 入 さ. ここにおいてデュー イが批判 して い る社会的側面. れた変革 に似 な くもない ほ どの変革 で ある。 この度 は子供 が太 陽 にな り (the child becomes the sun),. 一 環境的側面― 教育 の仕組 み― とは,彼 の時代 の 学校教育 を中心 に考 えるならば,① 教育委員会 (教 育. この太 陽 の周 りをい ろい ろな教育 の仕組 みが 回転す. 委員 ,教 育長 ,指 導 主事 な ど),学 校 (校 長 ,教 師. る。子供 が 中心 で あ り (the child ls center),こ の 中. 同級生な ど)③ 教育内容. 心 の 周 りにい ろ い ろ な教 育 の仕 組 みが 組織 され. 材 な ど)な どで あ ろ う。 (も ち ろん,デ ュー イ 自身. る。 」 (M123). は,こ れ らの社会的側面一 環境的倶1面 ― 教育 の仕組. 同様 に して また,わ れわれは「私 の教育学的信条」 の 中の次 の よ うな言葉 を借 りることがで きるであろ. み一 の改善 に加 えるに,学 校 内外 にお け る実験 学 習,実 習 学 習,体 験 学 習……の 重 視 を強 調 して い. う。 (次 に触 れるように),常 に教育 を心理的側面 (the. る。 ). psychological side)一. ―個 人 =子 供― と社会的側面 (the. ,. (カ. リキュラム,教 科書 ,教. しか し,「 大学附属小学校 の組織計画」,「 私 の教育.
(6) 甲南女子 大学研 究紀 要 第 38号. 人間科学編 (2002年 3月. ). 学 的信条」,『 学校 と社会』原初版 ,『 民主主義 と教育』. い 。 これ までの考察 にお い て十分 に示唆 されて い る よ. な どを通 してデ ユー イが本 当 に主張 しようと して い る. うに,こ の 子 供 の 生 まれ つ きの活 動 傾 向 の 自発 性 こ. こ とはは ,次 の 1点 に尽 きるであ ろ う。. そ,デ ュー イの教育観 を “ 古 い教育"の それ とは全 く. そ れは ,心 理的側面 =子 供的側面 と社会的側面 =環. 異なった ものたらしめてい るものである。 われわれは. 境 的側面 の 関係 を これ まで とは逆 転 せ よとい う こ とで. 『民主主義 と教 育』 の 中の次 の よ うな言葉 を借 りるこ. あ る。 もちろん ,そ れは ,前 者 は必 要 で はな く,後 者. とにしよう。 「・……純粋 に外部 か らの指導 (purely. のみで十 分 であ り,後 者 の侭 に任 せ よとい う こ とで は. extemal direc―. ない。具体 的 にい えば ,例 えば ,そ れは,教 育者 の努. don)と い うもの は不可 能 で あ る。環境 はせ いぜ い. 力 と子供 が 彼 自身 の イニ シアテ イブ によ って遂行 しつ. の ところ反応 を喚起す るための刺激 (stimuli to call. つ あ る活動 の 関係 を逆 転 せ よとい う こ とであ って ,前. out responses)を 提 供 す る こ とが で きる にす ぎな. 者 は必 要 で はな く,後 者 の活動 の侭 に任せ よとい う こ. い 。 (当 然 の こ となが ら),反 応 とい うもの は個 人が. とで はない 。そ して ,両 者 の 関係 を逆転せ よとい う こ. すで に所有 して い る活動傾 向 (tendencies already pos―. On)を 取 り戻 せ とい. sessed by the ind宙 duJ〉 ― 一 生 まれ つ きの活動傾 向. もし前者 は必要 で はな く後者 のみで十分 で あ り,後. 一 か ら生 まれ て くる もの で あ る。 あ る 人 が 脅 迫 (threats)に よつて 何 ご とか を為 す と きに さえ,彼. 者 の侭 に任 せ よ とい う こ とであ る とす るな らば ,そ れ. が恐 怖 の本能 (an insunct of fear)を もってい るが. は① 「教育 は絶 えざる経験 の改造 であ り」,② 問題 の 「経験 は生活体 一子供 ―と環境 の相互作用である」 と. ゆえにのみ ,脅 迫 は効果 を発 揮 す るこ とがで きるの. とは,両 者 の 相 互 作 用. (interac●. う こ とで あ る。. で あ る。 も し彼 が 恐怖 の本能 を もってい ない とす る るい は恐 ′ な らば 1布 の本能 を もっていた と して も. い う「デューイ教育学の根本原理」 'そ の ものを否定す. ,あ. ることである。周知のように,「 あれかこれか」(“ Either ―Ors")の 思考方法の拒否 は「デュー イ教育学」の根. それ を自ら制御 す る こ とがで きる とす るな らば ,光. (L13 5)で ある。われわれは「大学附属. とち ょう ど同様 に,脅 迫 は彼 に対 して何 の影響力 も. 小学校の組織計画」の中の次のような言葉を借 りるこ. 及 ぼ さない であ ろ う。確 か に,成 人 の慣 習や規則 は. とができるであろう。 「すべての教育の究極の問題 (The. 子供 の活動 を喚起す る と共 に方 向づ け る刺激 は与 え. 本的立場. りが 目の見 えな い 人 に物 を見 せ る こ とがで きないの. em. るけれ ども,結 局 ,子 供 は彼 ら自身 の活動 が最終 的. ,心 理的要因と社会的要因を調 和 的 に働 かせ る こ と (tO co― ordinate the psychologた J and social factors)で ある。 」 (E5224). に取 るであろ う方 向 の決定 に関与す るので あ る。厳. uldmate proЫ. of Jl education)は. 密 な意味 にお い ては ,何 ご とも子供 に対 して強制す る こ とはで きな い し何 もの も彼 らの中 に押 し込 む こ とはで きない (nOthing Can be forced upon them or. Ⅲ .子 供 と 教 師 の 在 る べ き姿. into thcm)の で ある。 この こ との看過す る こ とは人 間性 の発達 を歪 め る こ とで あ り妨 げる こ とであ る。 指導 されて い る本 人一 子供一 の現存 の本能 や習慣. い ま,わ れわれは 「デュー イ教育学」 が誤 れ る児童 中心主義教育― 自由放任主義教育― を主 張 して い る と誤解 してはな らない とい う こ とを強調 した ので あ る. れ る こ とが ,彼 らを効率 的 か つ 賢明 に指導す る こと. が , しか し, い うまで もな く, この こ とは決 して 「子. に な る。正 確 に い えば ,す べ て の 指 導 は 再一 指 導. (the c対 sung insuncts and habits)の. 供 は太 陽 で ある」 とい う こ とその こ とまで も否定 して. (re―. dircc● on)一 一子 供. 役割 を考慮 に入. 自身が す で にあ る 方 向 に方 向. しまって よい とい う こ とで はない 。最後 に,わ れわれ. づ け て い る彼 らの生 まれ つ きの活動傾 向 か ら流 れ出. は「子供 と教 師 の在 るべ き姿」 を求 め なければな らな. て きて い る活動 を成人が肯定 した り強化 した り否定. い であ ろ う。. した り弱化 した りす る とい う意味 にお い てふ たたび 方 向づ ける こ と一―にす ぎない )(M930). 1.生 まれ つ きの活動傾 向 の 自発性 われ われ は まず ,(デ ュー イにお い て 要求 ・本 能 ・. 2。. 教 師指導 の必 要性. 衝動 ・性 向 ・傾 向 な どの 名 を もって呼 ばれて い る)子. い ま,「 厳密 な意味 にお い て は,何 ご と も子 供 に対. 供 の生 まれ つ きの活動傾 向 の 自発性 (thc spontancity of. して強制す る こ とはで きない し何 もの も彼 らの中 に押. native tendencies)の を重要性 を指摘 しなければな らな. し込 む こ とはで きない…… 。 ……・正確 にい えば,す べ.
(7) 杉浦. 美朗 :児 童研 究 とデ ュー イ教育 学. 25. (5). ての指導 は再一指導 であ る」 とい うデューイの言葉 を. 点 である目標 にまで導 いてい くことこそ,教 師の指導. 引いたのであるが, しか し,す でに示唆 されてい るよ. 性 であ る,と 考 えてい る。 この意味 にお い ては,「 デ. うに,こ のことは決 して彼 が誤 れる児童中心主義教育. ュー イ教育学」 にお い ては,教 育 の本 質 は,そ れが. ― 自由放任主義教育―一に陥 っているとい うことを意 味す るのではない。「デュー イ教育学」 にお い て も. (子 供 の観点 か ら捉 えるならば)自. 師の観点か ら捉 えるならば)間 接教育 である, とい う. 教師の指導 の必要性 は十分 に認 め られてい る。 われわ. ところにある。. ,. 己教育であ り (教. れは『学校 と社会]原 初版 の中の次 のような言葉 を借 りる ことに しょう。. 3。. 共同活動者 としての教師. 「われわれは時 として,次 の ような質問 を耳 にす. い ま,「 デ ュー イ教育学」 にお い て も,教 師 の指導. る。〈もしあなた方― デューイを含 めてシカゴ大学 附属小学校 の教師 たち― 一が子供 の空想 とか衝動 と. 性 の必要 で あ ることが 十分 に認 め られて い る と同時 に,そ れは間接教育 とい う形 を取 って発揮 されるべ き. か本能 とかか ら出発するならば,子 供 の空想 とか衝. ことが主張 されてい る, とい うことが明 らかになった. 動 とか本能 とかはすべ て非常 に粗野であ り出鱈 日で. のであるが, しか し,具 体的 には子供 と教師の関係 は. あ り散漫であ り,全 く洗練 されて もしない し精神化. いかなるものであるべ きであろ うか。 われわれは「私. されて もい ないがゆえに,一 体 ,い かに して子供 は. の教育学的信条」 の 中の次 のような言葉 を借 りること. 必要な規律や情報 を獲得す ることになるのか。〉 も. に しよう。. し子供 の空想 とか衝動 とか本能 とかを興奮 させ恣 し. 「現在 (1890年 代 )の 教育制度 にお い ては,1つ. い侭 にさせる以外 に道が 開かれてい ない とす るなら. の社会生活 の形式―-1つ の共同体生活 の形式― と. ば,こ のような質問が発せ られるの も尤 もなことで. して の学校 (thc school as a fom of social life― a. ある。 (も しそ うであるならば),子 供 の活動 を無視. fom of community life― )と い う考 え方"は 無視 さ. した り抑圧 した りす るか,さ もなければそれ らを甘. れて い るが ゆえに,子 供 に対す る強制 と制御 の余 り. やかすか,わ れわれはいず れか しなければならない. に多 くが教 師 か ら発せ られて い る,と 私 は信 ず る。. えば)組 織. しか し,学 校 にお け る教 師 の位 置 と役割 は 1つ の社. された施設や教材 (organization of equipments and of. 会生活 の形式 と して の学校 とい う考 え方 に基 づ い て. materials)を もっているな らば,も う 1つ の道がわ. 理 解 され るべ きであ る,と 私 は信 ず る。学校 にお い. れわれの前 に開かれてい る。 われわれは子供 自身の 活 動 を 方 向 づ け る こ と が で き …・Ocan direct. て,教 師 は,① ある観念 を子供 に注入すべ きではな. であろ う。 しか し, もしわれわれが. (例. (・. child's activitics),そ. れ らをある一 定 の進路 に沿 っ. ・giVing the exercise along ce■ て 働 か せ (…・. ain. い (学 習指導面),あ るい は② あ る習慣 を子供 に押 し付 け るべ きではない (生 活指導面)。 学校 にお い て,教 師 は,③ l人 の共同体 の成員 (a member ofthe. linc),か くして論理的には子供が辿 る進路の終点 で. community)と して,子 供 に及 ぼ されるであろ う影. …can. 響力 を選択 し,彼 がそれ らに正 しく対応 しうるよう. ある目標 にまで導 い て い くことがで きる. (…. lead up to the goal which logically stand at the end of the path followed。. )」. (M125). に援助すべ きである。 」 (M588) この①②③ のいず れ も教師 にとって重要な ことであ. 繰 り返す必要はないで あ ろ う。 この よ うに,「 もし. るが,な かんず く③す なわち「教師 は,1人 の共同体. えば)組 織 された施設や教材― 社会. 的佃1面 =環 境的側面 の重要な要素― をもってい るな. の成員 として,子 供 に及 ぼされるであろう影響力 を選 択 し,彼 がそれ らに正 しく対応 しうるように援助すべ. らば,… …われわれは子供 自身の活動 を方向づ け,… …. きである」 とい うことが教師につ ては重要な ことであ. それ らをある一定 の進路 に沿 って働 かせ ,… …論理的 には子供 が辿 る進路 の終点 である目標 にまで導 いてい. る。デュー イは,教 師 は,子 供 にとって,正 に共同活 動者 (co― operator)で あ るべ きである ことを要求 して. くことがで きる」 のであるが,こ れ こそ 「デュー イ教. い るのである。. われわれが. (例. 育学」 における教師の指導性 である。 デユー イは,子 供 自身の活動 を無視 した り抑圧 した. 言葉 を換 えるならば,デ ュー イによれば,教 師→子 供 とい う上下関係 は子供. =教 師. とい う相互関係 に転換. りしようとしない と同様 に,そ れ らを甘やか した り放. されるべ きである。例 えば学習指導面 を中心 に考 える. 任 した りしようとは しない。彼 は,社 会的側面 =環 境. ならば,教 師 は,一 方的 に子供 に対 して課題 を割 り振. 的側面 の整備 を通 して論理的には子供が辿 る進路 の終. つた り情幸 風を提供 した りす るのではな くして,子 供 と.
(8) 甲南女子大学研 究紀 要第 38号. 教 師 が問題 の解決 を巡 って観察 ・推 断 0推 論 ・ 回憶 ・ 実験 の結果 を交換 し合 い討議 し合 うべ きであ る。す な わ ち,教 師 は子供 と一緒 に問題 を探究す る こ とを要求 され る。. 人間科学編 (2002年 3月. ). 最 も端的 に示 して い る,と い って よいであ ろ う。 (な お,〈 他 方 にお い て〉われ われ は,「 デ ュー イ教 育学」 は社会的構成主義 〈Sochi COnstrucavism〉 の立場 に立 つ もので ある,と 考 えて い る。 しか し,本 論文 が最 終論 文 となる一連 の諸論文 にお い ては,「 デュー イ教育 学」. もち ろん,特 に学習指導面 にお い ては教 師 は ,多 く の場合 に知 性 的指導者 (the intellcctual leader)で. ある. こ とを要求 され るであ ろ う・ しか し,そ れは子供 に対 して問題 に関す る一 定 の情報 ,な か んず く可能的解決 茎 (pOSdble solution)を 提供す る こ とで はない 。 も し. 教師が このような役割 を演ずるならば,子 供 は直 ちに 探 究 者 (inquirer)た る こ と を止 め て し ま う で あ ろ. う。教師 には,自 らも 1員 である学習集団の共同活動 としての探究が行 き詰 まって しまったたときに,正 に. における子供観 が 中心 の 問題 になってお り,教 育そ の ものが全面的に問題 とされてい ないがゆえに,「 デ ュー イ教育学」 の社会的構成主義 の側面 はやむをえず省略 されて い る。なお,後 者 に関 しては,先 に挙 げた拙著 『初等教育 の在 り方 を求 めて―デ ュー イ教 育学 の展 開 ―』 日教研 1992,pp.122-63.参 照。 ). 7)不 登校 =フ. リー・ス クー ル =自 由放任主義教育 とい. う理解 の仕方 に対 しては異論が出て くるであ ろ うし またわれわれ 自身 もこの ような単純化 とで もいって よ ,. い 理解 に対 しては賛成 し難 い ところが あ るが ,し か. 共同活動者 として知性的指導性 を発揮することが要求. し,(よ かれあ しかれ)一 般的 にはこの よ うに理解 され てい る傾 向があ るがあることも否定す ることがで きな. され る。教 師 には ,飽 くまで も共 同活動者 と して子供. いがゆえに,こ こにおいてはこの よ うな理解が 一般 的. の 自己教 育 を援 助 す る こ とが 要 求 され て い るの で あ. であるとされて い る とい う意味 にお い て取 り上 げる こ. る。 これ までの考察 か らして全 く繰 り返す まで もな く,「 デ ュー イ教 育学」 にお い ては,教 育 の主体 は子 D。. 供 であ る. くどい ようであ るが,わ れわれは この こ. とを銘記 しなければな らない 。. とにする。. 8)「 教育 は絶 えざる経験の改造 として理解 されなければ な らない」 とい うこと,そ して問題 の「経験 は生 活体 と環境 の相互作用 である」 とい うことが 「デュー イ教 育学 の根本原理」 であることには,誰 も異論 を挟 まな いであろ う。. 9)デ ュー イは一般的 には学校 は 1つ の共同体生活 の形. 注. 1)こ の こ とに関 して は,拙 著 『デュー イにお ける活動 的な仕事 の研究』風 間書房 1981年 ,拙 著 『デュ ー イに おける総合学習の研究』風 間書房 1985年 ,拙 著 『デ. 式 (a fOrm of community life)と い う表現 をしてお り 先 に挙 げた拙著 『デュー イにお ける総 合学 習 の研 究』. ュー イ教育 学 の展 開 ―新 しい学力 のため に一』八千代. 活 の形式 とい う言葉 を使用 してい る。 10)本 論文 にお い ては,わ れわれは 自己教育 の根拠 と し. 出版 1995年 などを参照 されたい。 (な お拙論は省略. ). 2)1897年 の「私 の教育学的信条」 における「教育 は絶 えざる経験 の改造 と して理解 され なければな らな い」 (E5 91)こ そ,「 デュー イ教育学」その ものの 出発点. ,. その他の拙著 にお い ては,わ れわれ も 1つ の 共 同体生. て生 まれつ きの活動傾向 の 自発性 とい うことを挙 げて い るわ けであ るが,し か しもちろん,こ れ は一面 的 な 取 り上げ方であ り,わ れわれは同時 に子供 の 自己制御. であ る と共 にわれわれの 「デュ ー イ教育 学」研 究 の 出. の働 きとしての知性 を自己教育の根拠 として挙 げなけ. 発点 で もある。. 3)拙 著 『デュー イ教育学の展開 ―新 しい学力 の ため に. ればな らない ことはい うまで もない であ ろ う。なお 後者 につい ては先 に挙げ た拙著 『デュー イ教育学の展. 一』八千代出版 1995年 pp.55-8。 参照。 4)拙 著 『初等教育 の在 り方 を求 めて―デ ュー イ教育学. 開 ―新 しい学力 のために一』八千代 出版 1995年 にお い て 詳細 に論議 され て い る。 デ ュー イ にお い て は. ,. ,. の展開 ―』 日教研 1992年 pp.24-6.参 照。 5)〃 θ″ Wυ ttjれ た,Revised Edlon,1933,p.191.(L814). jθ グ Eグ ε α′ 4,1938〉 の 中 経験 と教育』)〈 盈″ rj`れ ε κ `α “ の言葉 を借 りることになるが),「 教育 の理想 目的 は. 6)こ. 自己制御 の能カ ー知性 ―を子供 の 中に創造す る こ とで. の 第 1原 理 は「デュー イ教育学」 が (一 方 にお い て)進 化論的 自然主義 の立 場 に立 つ ものであ るこ とを. (『. ,. ある。 」 (L1341).
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