ハーバード・ビジネス・スクールと日本という「外
国」(特集 外国を研究すること)
著者
山崎 繭加
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
216
ページ
17-19
発行年
2013-09
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00003628
一九〇八年に世界最初のビジネ ススクールとして創設されたハー バ ー ド・ ビ ジ ネ ス・ ス ク ー ル ( ハ ー バ ー ド 大 学 の 経 営 学 大 学 院、以降HBS)は、約二三〇名 の教授、一二〇〇名のスタッフを 抱える世界最大のビジネススクー ルでもある。ハーバード大学のメ インキャンパスからチャールズ川 を隔てた反対側、ボストン市のな かに一つの大学並みの美しい独自 の キ ャ ン パ ス を 構 え る( 写 真 )。 私 は H B S の 一 二 〇 〇 名 の ス タ ッ フ の 一 人 と し て、 東 京 の 日 本 リ サ ー チ・ セ ン タ ー に 所 属 し、 H B S の 教 授 が 日 本 に 関 連 し た 事 例 に基づく教材(ケース)を作成し たり、研究プロジェクトを行った りする際に、調査、ネットワーク の提供、執筆のサポートをする、 という立場にある。つまり、教授 が日本という「外国」を研究する 際に、より彼らが日本に対し包括 的 か つ 深 い 理 解 に 基 づ い た う え で、学び研究することができる環 境を整える仕事だ。よって、ここ で書くのは、外国を研究する研究 者自身の話、ではなく、日本とい う「外国」をHBSの教授たちが ど の よ う に 学 び 考 え る か を「 現 地」の立場から眺めてきた観察日 記、のようなものである。
●
HBSでの「外国」の躍進
観察日記に入る前に、HBSに おける外国研究、そのなかでの日 本 の 位 置 づ け に つ い て 説 明 し た い。教授陣は、戦略、組織行動、 ファイナンス、会計、アントレプ レナーシップ、マーケティングな どの一〇のユニットに分かれてお り、ある地域を専門にカバーする という教授はいない。なぜならビ ジネススクールの教授にとって、 あくまで主の研究対象は企業で、 国 や 地 域 は 企 業 が 事 業 を 行 う 舞 台、という位置づけだからだ。と はいえ、ボストンにとどまってい たら、アメリカ以外の舞台の理解 があまりにも進まない、というこ とで、過去一五年ほどかけて配置 さ れ て き た の が、 世 界 各 地 の リ サーチ・センターである。現在セ ンターは、パリ、ブエノスアイレ ス、香港・上海、ムンバイ、イス タンブール、そして東京に設置さ れ、総勢五〇名程度のスタッフが 働く。 HBS始まって以来の初の非・ 北米出身の学長となったインド人 の ニ テ ィ ン・ ノ リ ア 学 長 の リ ー ダーシップで、この数年、研究・ ケースのグローバル化、すなわち 学校にとっての「外国」を題材に することが特に強く推奨されるよ うになった。中国やインドなどの 伸び盛りの新興国は舞台そのもの への理解を深めたいと思う教授も 多く、自分の研究テーマやケース 作成ニーズはいったんおいて、と りあえず現地に行き学ぶ、という ことが多いと聞く。そのため、中 国やインドのセンターは、ひっき りなしにやってくる教授の応対で おおわらわらしい。●
日本の位置づけ
ひるがえって日本はどうかとい うと、伸び盛りの新興国に比べる と目新しさに欠けるため、日本と いう舞台に自発的な興味を持つ教 授は少ないのが現実だ。よって、 日本の場合は、ある企業の状況な りテーマなりが、教授のやりたい 研究や書きたいケースとぴったり 一致した場合にのみ、日本に行こ う、学ぼう、ということになる。 そして、日本のカバレッジが減り つつある海外のメディアの情報の なかから教授が自分の興味と合致 MBA の学生が授業を受けるクラスルームが ある建物と中庭(筆者撮影)山
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アジ研ワールド・トレンド No.216 (2013. 9)するものをみつける、という確率 は 非 常 に 低 い た め、 日 本 リ サ ー チ・センターからの能動的な日本 についての情報発信、 「売り込み」 が必要となってくる。 日本にやってくる教授が少ない の は、 ほ ぼ 全 員 に と っ て 日 本 が 「外国」 、というのも理由のひとつ である。教授の約四割が、アメリ カ以外の国出身だが、この四〇年 ほど、日本人の教授は一人かゼロ かであった。また日本で教育を受 けた教授はおらず、日本に住んで いたという教授も若干名。しかも 英語がほとんど通じない、英語の 情報がない、となると、なかなか 研究の対象にするハードルが高く な っ て く る。 だ か ら こ そ 日 本 リ サーチ・センターの価値があると いうことなのだが、例えばインド は ど う か と い う と、 学 長 を は じ め、三〇名以上インド人教授がい る。彼らは、自分の「母国」のイ ンドのビジネスコミュニティと強 いネットワークを持っており、し かもHBSの観点からみたらイン ドはグローバル「外国」案件で、 その知識を深めることが推奨され ているから、どんどんインドに行 き、どんどんケースを書き、どん どん研究を進める。インドは少し 特例だが、他の地域も日本と比べ れば、出身もしくはその地域との 縁がある教授がいるので、何らか の 活 動 が 起 こ り や す く な っ て い る 。
●日本を研究する教授の特性
では、前述のようなハードルを 乗り越え、日本を研究やケース作 成の対象とした教授たちは、どの ように日本を学ぶのであろうか。 まず属性であるが、出身国、専門 と も に、 そ れ ほ ど ば ら つ き は な い。 た だ、 必 ず 日 本 を 研 究 プ ロ ジェクトの一環に盛り込んだり、 定期的に日本のケースを作成した りする教授には共通点があり、そ れはパートナーがアジア系(日本 含む)であるか、日本に数カ月以 上滞在したことがあるか、その両 方、ということだ。 自身が持つ日 本での ネットワークにおいて、他 の研究者にはアクセスがしにくい 情報やデータを使って研究の差異 化ができるという実際的な理由が あ る の も 確 か だ が、 日 本 に 対 す る、なんとはなしの親近感を抱い ている、というのが大きいように 思う。教授が研究をデザインする 際にはすべてをロジカルに組み立 てているのではなく、エモーショ ナルな部分での影響も受けている のだろう。●
「現地」としての関わり方
現在進行形の日本が関わる研究 プロジェクトとしては、日本企業 における女性活用と企業業績の関 係、環境ビジネス起業家(グリー ン・アントレプレナーシップ)の 歴 史、 食 生 活 の 変 化、 な ど が あ る。研究プロジェクトへの関わり 方は限定的で、そのテーマについ ての概要をまとめたペーパーの作 成、データの収集、インタビュー のセッティング・実施、サーベイ の実施などを担当する。 こ の な か で 一 番 や っ か い な の が、データの収集だ。アメリカは 世界のなかでも群を抜いてデータ が揃っているため、それを念頭に 「 こ の デ ー タ を 探 し て 送 っ て く れ ないか」という依頼が、軽い感じ でやってくる。しかし、多くの場 合、データのあるなしを確認する だけで、図書館、省庁、研究所、 などもろもろの組織への問い合わ せ で 一 日 か か る。 「 あ る ん だ け ど、 地 下 の 倉 庫 に …」 と い う 時 は、直接訪問し満面の笑顔で、一 緒に地下にもぐってもらう必要も ある。無事データそのものが入手 できたとしても、直近一〇年ぐら いを除けば、ほとんどが紙ベース で、根気のいる入力作業が待って いる。単純な入力だったら中国の アウトソーシングの会社に頼めば いいのだが、 歴史ものだと文字そ のものを、また 文脈を読み解きな がらの入力になるため、結局自分 でやることが多い。あとは、探し ているデータは存在しないことが わかった時に、ただ「ない」とい うのではなく、入手可能なデータ から代替案を考え提示する、とい うこともよく行っている。 こうしてせっかく苦労して集め てまとめたデータも、大掛かりな 研 究 の ほ ん の 一 部 に し か な ら な い、砂漠に水を撒くような徒労感 にはいつまでたっても慣れない。 また、これでは日本のデータを用 いて研究をしようという人がいな くなるわけだ、と悲観的になって い た が、 最 近 ム ン バ イ の 同 僚 か ら、 イ ン ド の デ ー タ の 未 整 備 具 合、入手における属人的な要素の 大きさのことを聞き、同じ苦労を しているのは日本だけではないの だと知って、少しほっとした。●
日本という「外国」の
学び方の教授による違い
次にケース作成について。教授18
アジ研ワールド・トレンド No.216 (2013. 9)は、 自 分 の コ ー ス を 設 計 す る 際 に、全体の教育目的を設定し、そ こからモジュール、そして各授業 における教育目的へと分解し、既 存のケースのなかに自分が教えた い内容を実現するケースがない、 という時にケースを作成する。ほ とんどがアメリカのケースだった 時代もあったが、今では半分近く がグローバルなケースとなってい る。 研 究 プ ロ ジ ェ ク ト と は 異 な り、 ケ ー ス で は、 企 業 の 選 定 か ら、インタビューの設定・実施、 ドラフト作成、企業とのやりとり ま で、 「 現 地 」 は か な り 主 体 的 に 関わる。 日本にケースを書きにやってく る教授たちには、大きく分けると 二タイプいるように思える。まず は、 自 分 の な か に「 こ う あ る べ し」というフレームワークがはっ きりとあり、そのフレームワーク に対し、日本の企業その他がどう あてはまるのか、あてはまらない の か を 見 る タ イ プ で あ る。 例 え ば、ある国際会計を専門とする教 授は、組織とは透明性が高くなく てはいけないという信念を持って おり、日本は透明性が低いので問 題だ、という認識であった。いく つかのインタビューで、日本にお ける透明性の定義の違いなどの説 明 を 受 け た も の の、 「 そ れ は い い 訳にすぎない」という考え方を変 えなかった。たまたま来日中にオ リンパスのスキャンダルが発覚し たことも彼の確信を高めたのかも しれない。ケースに入った「日本 の corrupt ( 腐 敗 ) の 文 化 」 と い う表現も強すぎるのでは、と思っ て懸念は伝えたものの、そのまま 残された。 一方で、もちろん自分の中にフ レ ー ム ワ ー ク は 持 っ て い る の だ が、日本にいる間は、一度そのフ レームワークはおいて純粋に学ぼ うとするタイプもいる。そのあと で、 自 分 の 持 っ て い る フ レ ー ム ワークと合わない場合は、なぜ合 わないのか、理由は個別の企業に あるのか、産業構造にあるのか、 社会・文化的なものなのか、を知 ろ う と す る。 営 業 が 専 門 の 教 授 が、 日 本 の 医 療 機 器 メ ー カ ー の ケ ー ス を 作 成 し た 際、 そ の メ ー カーの営業担当の給与体系が各自 の売上にほとんど連動しない、そ れでも給料のよい外資に転職する こともない、と知って驚愕した。 アメリカでは営業といえば完全業 績連動が常識だったからだ。そこ で彼は単に「日本は労働市場が硬 直しているから人が動かない」で 片付けず、質問を繰り返し、営業 においても、個人ではなくチーム ワークを重視した構成になってい ること、それによって営業の人た ちはお金では測れない働くことの 意義を感じていることを知る。そ うした教授の姿をみてとてもうれ しく思ったのを覚えている。