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JAIST Repository: 一酸化二窒素の光分解による窒素分子生成過程

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Academic year: 2021

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(1)JAIST Repository https://dspace.jaist.ac.jp/. Title. 一酸化二窒素の光分解による窒素分子生成過程. Author(s). 蜂谷, 暢英. Citation Issue Date. 1999-03. Type. Thesis or Dissertation. Text version. none. URL. http://hdl.handle.net/10119/2582. Rights Description. Supervisor:梅本 宏信, 材料科学研究科, 修士. Japan Advanced Institute of Science and Technology.

(2) 一酸化二窒素の光分解による 窒素分子生成過程 蜂谷 暢英. (梅本研究室). 【諸言】N2 O は対流圏内に 310ppb 程度存在する温室効果ガスである。この濃度が過去 50 年間に急激に増加している。しかし、複雑な地球化学的循環系に取り込まれているため に、これまでその原因はわかっていない。N2 O は対流圏中では安定で、成層圏まで拡散 し、90%はそこで紫外線によって窒素分子と準安定状態の酸素原子に光解離される。N2 O の光分解は今まで数多く研究されてきたが、その大部分は生成された酸素原子を見たもの で、N2 を見たものは少ない。本研究では N2 分子に着目し、その生成過程についての知見 を得た。 【実験】真空チャンバー内にパルスノズルより噴出した N2 O に pump laser(210,205nm) を 照射し、光分解させる。 N2O+h205 210 N2(X16+ )+O(1D) 光分解生成物 N2 (X1 6+ ) を probe laser(202∼204nm) の (2+1) 光子でイオン化させる。 N2(a001 6+) N2(X16+ )+2h202∼204 N2(a001 6+)+h202∼204 N+2 +e0 生成した N+ 2 を飛行時間型質量分析計 (TOF-MS) で質量選別した後、MCP で検出した。 【結果・考察】今回の実験で得た N2 の共鳴多光子イオン化 (REMPI) スペクトルとそれ から求めた回転分布をそれぞれ図 1 、図 2 に示す。光分解生成物 N2 は高い回転励起状態 (ピークが J=70) にある。また振動励起はなかった。N2の平均回転エネルギーは pump 光 が 210nm の時が 1.16eV 、205nm の時が 1.22eV であり、それぞれ有効分配エネルギーの 51.6% 、53.6%であった。 以上のことより N2 O は直線分子のまま解離するのではなく、曲がった状態を経て解離 すると考えられる。この曲がった状態は、Hopper の励起エネルギー計算と照らし合わせ ると、21 A0 状態である。 ;. nm. !. g. g. g. g. ! !. nm. nm. 図 1: 210nm 光分解生成物 N2 の REMPI スペクトル keywords. g. 図 2: 210nm 光分解生成物 N2 の 回転分布. 一酸化二窒素, 光分解, 共鳴多光子イオン化, 飛行時間型質量分析. c 1999 by Nobuhide Hachiya Copyright .

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