論文種別:原著論文
表題:
愛好者を組織化するドイツにおけるサッカーの制度的特徴からみたスポーツ組織の課題 Challenges of sport organizations as suggested by the institutional characteristics of German football related to the organization of its enthusiasts
著者名:
1)笠野 英弘 KASANO Hidehiro
所属先:
1)山梨学院大学スポーツ科学部
Faculty of Sport Science, Yamanashi Gakuin University
所属先住所:
1)〒400-8575 山梨県甲府市酒折 2-4-5 2-4-5 Sakaori, Kofu, Yamanashi, 400-8575
キーワード:主体的なスポーツ組織論,制度的構造,ライフストーリー,社会的性格 Key word :a theory of sport organizations as subjects, institutional structure,
life story, social character
ランニングタイトル:愛好者を組織化する制度からみたスポーツ組織の課題
Abstract:
The purpose of this study is to interpret the institutional characteristics of organizing sport enthusiasts from the viewpoint of four Japanese soccer players in Germany, based on the theoretical framework of the subjective theory of sport organization. In this study, the institution of soccer in Germany was determined to be an institution that enables the organization of its enthusiasts. By clarifying its institutional characteristics, we demonstrate the direction through which the Japan Football Association could create and transform the organization of enthusiasts. The methodology used for analysis was the life story interview method. For this particular study, the life stories of four Japanese soccer players in Germany were constructed based on interviews, and the institutional characteristics of soccer in Germany as recognized by those players were interpreted.
As a result of the analysis, compared with the institution of soccer in Japan, the institutional characteristics of soccer in Germany as seen in these players’ life stories are as follows: (1) the “Sport Ideology” component of the institution that emphasizes the soccer play (practice), and separates evaluations in soccer from evaluations in living life, (2) the “Sport Rules” component of the institution such as securing the opportunity for enthusiasts to play in official games and practicing less time, (3) the “Sport Symbols” component of the institution such as rewards for enthusiasts, (4) the “Sport Behavior Patterns” component of the institution such as playing styles that respect individuals, and focusing on playing games, and drinking beer after practice and games, (5) the “Sport Civilization” component of the institution such as guaranteeing the playing environment (soccer field) of enthusiasts, and (6) the “Sport Organization” component of the institution such as the league system by regional club (separation from school).
These institutional characteristics can be interpreted as the characteristics that affirm the social character of enthusiasts, that is, the institutional characteristics that give enthusiasts legitimacy. Therefore, the challenges for Japanese sport organizations will be found in how to create such institutional characteristics.
Ⅰ.研究の背景と目的 本研究の目的は,スポーツ愛好者注1)を組織化する制度注2)的特徴を,ドイツでサッカ ーを実践する日本人の視点から,笠野(2018a)が示した主体的なスポーツ組織論の理論 枠組みに基づいて解釈することである.愛好者の組織化によってスポーツの社会的な力を 増大させていくことがスポーツ体制の重要な役割であり存在意義である(佐伯,2004)と いったスポーツ組織の視点からの要請と,高度化に偏重した行為者の社会的性格の変革が 求められる(笠野,2019)といった行為者の視点からの要請により,笠野(2018a,p.45) は,「愛好者を含むスポーツ行為者全体をどのように組織化していくかを考えることが,企 業組織の課題でも教育組織の課題でもなくスポーツ組織の克服すべき課題」だ注3)とし, 愛好者の組織化を検討する理論枠組みとして図1 を示した.[※図 1 挿入]この枠組みでは, スポーツ組織が主体となって生成する制度が,組織または制度への登録者や未登録者の社 会的性格注4)形成に影響を及ぼすとともに,スポーツ組織,あるいは登録者や未登録者が 主体性を発揮することによってその制度や組織を変革し得ることが理論的に示されている. この理論枠組みに照らしてみると,日本人サッカー行為者がドイツに渡ってサッカーを 実践するということは,日本サッカー協会というスポーツ組織からすれば,彼らを組織化 できないがために彼らをドイツに志向させてしまっていると捉えることもできる.一方で, 渡独する彼らからすれば,日本の制度では満たされない何かを求めてドイツに渡ってサッ カーを実践しているといえる.すなわち,日本におけるサッカーの制度は彼らの社会的性 格を肯定するものになっていない,あるいは,少なくともドイツにおける制度では彼らの 社会的性格が肯定されると考えられる. ドイツでは,「ドイツ国民(人口約8,200 万人)のおよそ 3 人に 1 人は,身近な地域の スポーツクラブに所属し,生涯を通してスポーツに親しんでいる」(ブロイアー・黒須, 2014,p.20)ことから,まさに高度化志向の競技者のみにとどまらず,愛好者までもが組 織化されているといえる.そして,ブロイアー・黒須(2014,p.30)によれば,近年は民 間フィットネスクラブ等の商業スポーツ施設や,「スポーツクラブ等の組織等に拘束された くないという個人主義志向」,すなわち「組織化されていない形態でのインフォーマルなス ポーツ参加」者が増加しているにもかかわらず,「スポーツクラブは,やはり最も広範なそ して最も濃密なスポーツ提供の網の目をつくっている」という注5).彼らは,この「ドイツ のスポーツシステムは国際的比較において多くの点で大変成功しているシステムであり, したがって他国へ『輸出することのできる』システムとして推奨できるもの」だという(ブ
ロイアー・黒須,2014,p.193).このようなドイツにおけるスポーツのなかでもサッカー は最も多くの者が組織化されている.ドイツサッカー連盟の会員登録者は約690 万人(笠 野,2018b,p.24)であり,先に示したようにスポーツクラブに所属する者がドイツ国民 の3 分の 1(約 2,700 万人)だとすると,その 4 分の 1 にあたる.そして,笠野(2018b) は,ドイツのサッカーにおいて多くの愛好者が組織化されている事例を報告している注6). また,「ドイツにおけるプロサッカーリーグの平均観客動員数が世界 1 位となっているこ とや,ドイツサッカー連盟が管轄するリーグ及びクラブ運営は健全であることが一般に知 られており,日本をはじめとして様々な国々の模範となっている」(笠野,2018b,p.21). このような事情から,本研究では,ドイツにおけるサッカーに着目して,その制度が愛好 者の組織化を可能にする制度であると措定し,その制度的特徴を明らかにすることで,日 本サッカー協会が主体的に愛好者を組織化するために生成・変革する制度の方向性を示し たい.そこで,図1 の主体的なスポーツ組織論の理論構成における「スポーツ制度」をド イツサッカー連盟が生成する制度とし,「スポーツ制度外」にいる「未登録者」を渡独した 日本人サッカー行為者と捉え,彼らがドイツのサッカー制度のなかに入ってサッカーを実 践することで,日本との異同をどのように捉えているのかを調査し,そこから彼らの主観 的解釈によるドイツにおけるサッカーの制度的特徴,すなわち,愛好者の組織化を可能に する制度的特徴を解釈する注7).その解釈された制度的特徴を,スポーツ組織注8)が愛好者 を組織化するために主体となって生成・変革する制度的特徴として捉える. Ⅱ.先行研究の検討 本研究では,主に「スポーツと越境」に関する先行研究等を検討する.それは,上述し たように,越境する者は,越境前の制度的環境では満たされない何かを求めて越境してい ると捉えれば,彼らの越境後の制度的環境から,越境前の制度やそれを生成するスポーツ 組織の課題を示唆することができると考えられるからである.また,スポーツ行為者が越 境するということは,異なる制度的環境に身を置くこととして捉えられ,彼らは越境前の 制度的環境と比較することによって越境後の制度的特徴を認識しやすいと考えられるから である.すなわち,越境した者の視点から彼らを取り巻く制度的環境の特徴が浮き彫りに なると考えられるからである.「主体的なスポーツ組織論」(笠野,2018a)は,笠野(2012) が示した「行為者の論理からスポーツ組織や制度の展開を検討する…行為者からのスポー ツ組織論」(笠野,2018a,p.46)注9)を進展させた理論であることから,この分析枠組み
を用いる本研究では,行為者の視点から,彼らの社会的性格との関係に焦点を当てながら 制度的環境の特徴を解釈していこうとするものである.ただし,制度的環境が社会的性格 に及ぼす影響ではなく,ある社会的性格を既に有する越境者が見出す越境先の魅力等の制 度的環境の特徴,換言すれば,越境者の社会的性格(例えば志向)がどのような制度的環 境の特徴によって満足され得るのかを彼らの主観的な解釈から明らかにしようとするもの である.これらの理由から,「スポーツと越境」に関する先行研究を,ある社会的性格を有 する越境者からみた越境先の制度的環境の特徴がどのように論じられているかという視点 に焦点を絞って検討を行う. 日本体育学会編集の雑誌『体育の科学』では,2010 年に「スポーツと越境」というテ ーマで特集が組まれ,スポーツと国境,グローバル化,外国人スポーツ留学生などのテー マで議論されている.例えば河野(2010)は,競技者が自分にとって有益な環境,すなわ ち,整った自国外のトレーニング環境や国籍変更によって代表選手になることなどを求め て国境を越境している現状を示している。しかし,それら各国の制度の特徴は述べられて おらず,競技者の社会的性格との関係から制度を捉えているものでもない.また,千葉 (2010)は,アメリカのプロバスケットボールリーグである NBA が世界中のバスケット ボール選手に影響を及ぼしていることを指摘しているが,そもそもNBA という制度や, アメリカを始めとした各国のバスケットボール界の制度的特徴には言及していない.同様 に,左近充(2010),原田(2010),生沼(2010)のいずれも越境前後の制度に焦点をあ てたものでもなく,行為者の社会的性格との関係から制度を捉えているものでもない.同 誌の特集以外のスポーツと越境に関する先行研究においても,例えば,石原(2011),千 葉・守能(2000),高橋・佐々木(2012),高橋(2004)などは,主に越境者の社会的性 格の側面について言及してはいるが,それらの社会的性格がどのような制度的環境の特徴 によって満足され得る(あるいは形成され得る)かといった視点では捉えていないと同時 に,そのような制度的環境の特徴を明らかにしようとしたものでもない.反対に,千葉・ 海老原(1999),根元(2012),松元・高橋(2009),千葉(2001)などは,行為者の社会 的性格ではなく,いずれも留学を含めた越境する仕組みや制度について論じてはいるもの の,ある社会的性格を有した越境者からみた越境先の制度としてそれら制度が捉えられて はいない. 一方で,同誌の特集のなかで,制度と行為者の社会的性格との関係が示されている論考 もある.石原(2010)は,日本における独立野球リーグの現状を,企業スポーツ(アマチ
ュア)とプロリーグとの境界といった視点から述べている.そこでは,「競技レベルの下が ったプロリーグ」(石原,2010,p.321)ではあるが「自らのパフォーマンスによって報酬 を得る」(石原,2010,p.321)ことのできる独立リーグの制度的特徴と,その制度内で野 球をすることによって「野球をやっていたからには,引退後プロでやっていたといいたか った」(石原,2010,p.321)という行為者の感情,すなわち,行為者の社会的性格注10) との関係が捉えられている.また,「社会人野球で優勝しても所詮アマチュアで一番という だけ」(石原,2010,p.321)といった行為者の社会的性格とそのような社会的性格を形成 する社会人リーグの制度的特徴との関係を読み取ることができる.しかし,彼は,アスリ ートにとっての越境の意味を主題として論じており,本研究で焦点をあてている越境者(既 にある社会的性格を有する者)からみた越境先の制度的環境の特徴を明らかにしようとし ているものではない.さらに,本研究で視野に入れているような,その制度の変革や変革 主体については言及していない.また,石岡(2010)は,フィリピンやタイのボクサーが 日本のボクサーの「ドナー」として存在している側面を示しながら,ボクシングのような チャンピオンスポーツには敗者の生産原理が常態化していることを明らかにしている.す なわち,ボクシングは純粋な競技能力に基づくものではなく,そこには様々な社会的要因 が介在しているとし,「敗者の生産がボクシングマーケットに常態的に組み込まれた制度的 条件」(石岡,2010,p.327)だという.そして,「チャンピオンにまで登り詰めた者が, そこからの脱落後は若手有望選手の『噛ませ犬』として自らの肉体を提供」(石岡,2010, p.326)し,負け犬役を甘受せざるを得ないと述べ,噛ませ犬ボクサーに職人の気概を感 じ取るべきだという.このように,ボクシングの制度と,ボクサーが自ら「噛ませ犬」を 受け入れるという社会的性格との関係が論じられており,制度が行為者の社会的性格を形 成する側面を示唆している.しかし,その制度をいわば受け入れていく視点で論じられて おり,本研究のように,ある社会的性格を有する者(「噛ませ犬」を自ら受け入れる社会的 性格をもつボクサー)の主観的解釈から制度的環境の特徴が明らかにされたものではない. ましてや,どのような主体がそのような制度を生成し,あるいはその制度を変革していく ことが可能なのかといった視点からは論じられていない. 以上のように,「スポーツと越境」に関する先行研究では,多くが制度または社会的性格 のどちらか一方に焦点をあてたものであり,石原(2010)や石岡(2010)のように両者の 関係を捉えることができる論考においても,本研究で試みようとしている,ある社会的性 格を有する越境者からみた越境先の制度的環境の特徴を主観的解釈によって明らかにする
ものではなく,また,その制度生成や変革の主体としてのスポーツ組織との構造的な関係 から論じられているものでもない. Ⅲ.分析の枠組みと方法 本研究では,以上の先行研究とは一線を画し,図1 の主体的なスポーツ組織論の枠組み に基づいて,越境(渡独)した日本人サッカー行為者からみたドイツにおけるサッカーの 制度的特徴,すなわち,愛好者の組織化を可能にする制度的特徴を,彼らの主観を含めた 語りから解釈する.そのため,解釈的アプローチとして有効なライフストーリー・インタ ビュー法を用いる.同法は,量的調査に代表される実証主義的アプローチとは異なり,仮 説を索出することに主眼を置いて解釈を進める方法である.人間の主観に着目するライフ ストーリー論の理論的基盤はウェーバーの理解社会学や,それを批判的に継承したシュッ ツの現象学的社会学にある(武井,2010).例えば,ウェーバーがいう「理念型といった 概念化した装置を用いて現実をみることによって,人間の主観的意味を合理的に理解し, 論理的に説明」できる(武井,2010,p.71)ことから,研究者の視点や分析(解釈する) 枠組みが極めて重要となる.したがって,本研究では,理念型としての主体的なスポーツ 組織論の分析枠組みに基づいて解釈を進める注11).また,現象学的社会学では,社会は個 人の主観から理念化されるものとして捉えられている(シュッツ・ルックマン,2015)こ とから,本研究では個人へのインタビューを通して,彼らの主観から制度的特徴を解釈す る. 具体的な方法としては,渡独した日本人サッカー行為者に対するインタビュー注12)から 彼らのライフストーリーを構築するとともに,彼らが考えるドイツにおけるサッカーの制 度的特徴を解釈する.ライフストーリーの構築にあたっては,分析枠組みに基づいて,制 度と社会的性格やそれらの関係に焦点をあてるが,制度と社会的性格をそれぞれ個別詳細 に示すのではなく,あくまでもそれらに焦点をあてながらもスポーツにかかわるライフス トーリーとして構築する.それは,本研究の目的がドイツにおけるサッカーの制度的特徴 を明らかにすることであり,ミルズ(1965)やシュッツ・ルックマン(2015)がいうよう に,対象者が解釈する制度的特徴は,彼らのライフストーリーをともに把握することで理 解ができるようになるからである.すなわち,制度的特徴を理解するためには,その特徴 を理念化した(その特徴を特徴として把握した)対象者のライフストーリーを理解するこ とが求められるからである.したがって,対象者のライフストーリーを示すことによって,
ドイツにおけるサッカーの制度的特徴が浮き彫りになるものと考えた.また,対象者のラ イフストーリーを示すのは,それを日本のサッカーにおける制度的特徴を示す資料として, ドイツの特徴と比較するためでもある. そして,ドイツにおけるサッカーの制度的特徴については,主体的なスポーツ組織論に おいて援用している菊(1993)が定義した制度の構成要素(①スポーツ・イデオロギー, ②スポーツ・ルール,③スポーツ・シンボル,④スポーツ行動様式,⑤スポーツ文物,⑥ スポーツ組織)に基づいて彼らのインタビューから解釈する.ただし,制度を構成する各 要素は相互に連関しており,解釈する制度的特徴を各要素に明確に当てはめて詳細に示す ことは難しい.そこで,それぞれの要素(視点)から特徴を示しはするが,それらは暫定 的な分類であり,本研究では制度をそれらの要素が相互に連関した総体的なものとして捉 える. 対象者は,日本のサッカーにかかわる経歴において,所属や競技レベルが異なる4 人と した(表1).[※表 1 挿入]以下,まずは日本人サッカー行為者 4 人のライフストーリーを 構成し,次に,それを比較対象としながらドイツにおけるサッカーの制度的特徴を示す. その際,本研究の問題意識としてある愛好者の組織化と紐づけながら解釈する.そして最 後に,その解釈された制度的特徴を,スポーツ組織が愛好者を組織化するために主体とな って生成・変革する制度的特徴として示したい. Ⅳ.渡独した日本人サッカー行為者のライフストーリー 以下,「」は対象者の語り,()は筆者の補足,…は中略を示している. 1.N のサッカーに焦点をあてたライフストーリー N は出身地の千葉県で,小学校 1 年生から地元のスポーツ少年団に入ってサッカーを始 めた.少年団では公式戦もあり,「市内だったらまあまあくらい」のレベルのチームだった. 「練習は…ガツガツやれっていうのは多かった」が,ゲーム(紅白戦)が多く,指導者は 「厳しくはなかった」.そして,小学校 3,4 年生の頃からは,少年団の活動に加えて,J リーグクラブのジェフユナイテッド千葉(以下「ジェフ」と略す)のスクール注13)に通い 始めている.また,少年団の監督が地域のトレセン注14)のコーチでもあったことから,キ ャプテンだったN にトレセンの選考会を受けるように勧めてくれた.しかし,残念ながら 不合格となったため,N 曰く「わりと強かった」F クラブというチームを監督が紹介して
くれて,小学校5 年生から F クラブに入団した.小学校 6 年生のときには,継続していた ジェフのスクールから推薦してもらってトレセンに参加していたため,中学生になるとき にジェフの入団テストを受けようとした.しかし,ジェフの入団テスト前である「小(学 校)6(年生)の本当に始めくらい」に,中学生になっても F クラブに残るという誓約書 のようなものを「書かされる」ため,結局入団テストを受けることなく中学校3 年間も F クラブで活動した.F クラブでは,チームプレー(戦術)の練習や選手に考えさせる練習 もあったが,「ゴールのまわり何周とか」決められて走る練習も多かった.F クラブには 1 学年 20 人ほど在籍しており,公式戦には出場できない選手もいたが,そのような選手の なかには小学校から中学校に上がるときに辞めてしまった者もいる.N は,中学校 3 年生 のときのクラブユース選手権で千葉県2 位となり,関東大会に出場した.このような比較 的高い競技成績もあったため,静岡県のサッカー強豪校である S 高校からの誘いを受け, サッカー推薦でS 高校に進学することになった. S 高校では,いわゆる素走りの練習や筋トレはなく,パスや 1 対 1 などのボールを使っ た基礎練習が多かった.部員は100 人ほどで,A,B,C の 3 チーム編成で活動し,B,C チームとしての公式戦はほとんどなかった.N が高校 3 年生のときに新人戦とインターハ イで県の優勝を勝ち取ったが,全国大会では2 回戦で敗退した.そして,高校卒業後にド イツに渡ってサッカーをすることになった.そのきっかけは,N が中学校 3 年生で S 高校 への進学が決まっていた頃に,ドイツでのサッカー経験をもつF クラブのコーチが N にド イツへの短期留学を紹介し,2~3 週間ほどドイツにサッカーの短期留学をしたことだった. その短期留学時にN の面倒をみてくれたドイツ人から,ドイツに残ってサッカーを続ける ように誘われたが,S 高校への進学が決まっていたため,高校卒業後にまたドイツに戻っ てくると伝えていたという.高校入学時には,卒業後の進路をドイツへのサッカー留学と 決めて先生にも伝えていた. そして,昨年ドイツに来て7 部リーグのクラブで 1 シーズンプレーした.そこでは,そ れぞれ選手とは別の仕事をもつ19 歳~30 歳代の 20 人弱の選手が在籍し,選手兼監督の 下,週に3 回の練習を行っていた.その後,今年は 5 部リーグのクラブに移籍して活動し ている.このクラブでもそれぞれ選手とは別の仕事に就いている20 人ほどが週に 3 回の 練習を行っている. 2.S のサッカーに焦点をあてたライフストーリー
S は神奈川県出身で,小学校 2 年生の終わり頃に地元のスポーツ少年団でサッカーを始 めた.練習は「そんなに多くなく,たぶん土日だけとかしかやってなかった」が,1 年生 から対抗試合はあった.練習内容の「メインはやっぱゲームだった気がします.…パスと かも何かやった気はします.一応個人技術」の練習もやっていた.小学校6 年生までその 少年団でサッカーを続け,地元の公立中学校進学後は部活動でサッカーを継続した.サッ カー部は1 学年 15 人程度の計 45 人ほどで,「僕らのいた地域では弱くはないですけど… 県大会に出れたら素晴らしいくらいの感じで…出てもたぶん1 回戦で負けるような感じ」 だった.「監督は,たぶん…野球出身だった気が…でもその人はたぶんサッカー部のコーチ としては長いことやってた方」で,中学校の先生だった.監督が不在のときはキャプテン に練習メニューを伝え,キャプテンが練習の指揮を執っていた.「中学に入ると毎日部活で って形で練習して」いたが,「そんな走るっていうのはあんまりなかった」.また,「結局野 球部とか陸上部とかいるなかでの練習だったんで,もちろんその広さとか充分じゃない」 し,「使えて(グラウンドの)半面」だった.中学の場合,3 年生は夏で引退してしまう者 が多いため,「結局2 学年でやること(期間)が多いので,30 人,35 人」ほどだったが, それでも狭かった.当時2 軍チーム以下の選手は,練習試合はあったものの公式戦はなか った.したがって,大会などに参加する際は,試合に出場できない選手は「みんなで(試 合を見に)行って,ただ帰る」だけだった.その頃は,小学生時代も含めて,「もちろん(サ ッカーの練習を)やってくなかで,たぶんその辛いとかってのもあったと思いますけど」 基本的には楽しかったと感じている. S は「中学の段階で地区選抜みたいのに…監督が選んでくれたというか,それで(選抜 チームに)行ってたりもしたので」サッカー強豪校であるN 高校に進学し,同校のサッカ ー部に入部した.ただ,サッカー推薦ではなく,学業の推薦で進学した.サッカー部は, 「僕らの3 個上(3 歳年上の代)が全国(大会)に出て,それを見て僕入ったので,なか なかレベルは高いところ」で,入部して 1~2 か月ほど「結構しごかれるというか,そう いう時期があって,どんどん(部員が)減って」いった.しかし,それでも最終的に新入 部員として40 人ほどが残り,2~3 年生も各 30 人ほどいたため,総勢 100 人ほどの部員 がいた.当時はA,B の 2 チームに分かれて,A チームには体育教員でもあった監督が 1 人,B チームには外部指導者の監督が 1 人ついていた.「1 年生のときは…(サッカー推薦 で入部した)数名以外は基本的にみんなその B チームからのスタート」で,「通称ナマテ ィー」と呼んでいた自分の名前を書いたT シャツを 1 人 3~4 枚は作って着ていたり,「練
習の最後に走りがあるんですけど,そこの比率がすごい高」かったり,「水もあんま飲んじ ゃダメだし」,きつい練習メニューで「しごかれ」た.2~3 年生になってもコーチは変わ らず,「頭ごなしに来ることも多」く,「叩かれる人はいますね.僕も叩かれたことありま すし,そんなに多くはないですけどね.(ただし,)問題になるとかは特に」なかった.A チームの成績は県内で上位だったが,S が所属していた B チームに公式戦はなかった.た だ,近隣のチームや他校のB チームなどとリーグをつくって試合をしていた.当時は,「休 みたい(という気持ち)もたまにはあった」が,「楽しいって気持ちはやっぱでも常に根本 にはあったと思いますね.あと,たぶん1 回も休んでいないと思いますし」という. その後,「内部でのテストみたいのがあって」,高校の系列大学でN 大学の体育系の学科 に進学した.N 大学のサッカー部は「サッカー推薦じゃないと確か(入部するのは)ダメ とかで」,「正式にはサークル扱いになる」N 大学 B 学部のサッカー部に入部した.ただし, 東京都大学サッカー連盟に所属し,公式戦にも出場できるサッカー部で,「当時(東京都大 学サッカーリーグ)1 部でやってて,それこそ結構強くて」という.そこでは 4 学年で 70 人ほどの部員が所属していたが,監督は不在で,「各(年)代のキャプテンで,もう練習メ ニューとかスケジュールとか全部組んで」活動していた.練習は,グラウンドが狭く,ミ ニゲームなどはできたものの紅白戦などはできなかった.練習は厳しい部分もあったが, 「高校時代に比べると,もう(練習)メニューなんかハナクソみたい」に感じるほど楽だ った.ただ,大学時代も楽しくサッカーができていたという. S は,「大学4 年の頃,僕就活とか特にしてなくて,でも何かそのサッカー,最後の大会 の前にちょっと怪我して,何か辞めれないなという」気持ちがあった.「大学 4 年の 2 月 …もうそのままいったらプー(フリーター)になることが確定してるぐらいの時期に」旅 行に行ったポルトガルで,たまたま知り合った日本人から,ドイツはワーキングホリデー でビザが楽に取得できてサッカーもする環境があることを聞き,ドイツに行くことを決め た.そして,大学を卒業して1 年半ほどアルバイトをしてお金を貯めて,8 月にドイツに 渡った.はじめは,ドイツで一からサッカーチームをつくるというプロジェクトに参加す る形でドイツに来たが,まだチームが存在していなかったため,1 年間は様々な地域クラ ブを転々として週に3 回ほど練習参加していた.そして,やっと 1 年後の夏に決まった 7 部に所属するクラブで活動をはじめ,チームとしては5~7 部を行き来しており,今年で 9 シーズン目を迎えている.現在のクラブでは,ブンデスリーガ2 部に所属するクラブでプ レーした元プロ選手が監督をしており,毎シーズン開始前の準備期間は毎日練習をするが,
通常は週3 回の練習で,監督も積極的にプレーをしながら練習している. 3.R のサッカーに焦点をあてたライフストーリー R は,1993 年の J リーグ開幕でサッカーが「一番盛り上がってるとき」に,「やっぱカ ズとかラモスとか…をみて憧れてサッカーやりたい」という思いになり,ちょうどその頃 にスタートしたセレッソ大阪のスクールに姉の友達と「一緒に連れてってもらったのがき っかけ」でサッカーを始めた.幼稚園でスクールに入り,地元の小学校に通ってからも週 に2 回ほど活動していた.当時 3 か所あったセレッソ大阪の「スクールから選ばれた人た ちが集まる」小学校3~4 年生のチームと 5~6 年生のチームがあった.R はそれらのチー ムに選抜されて週に3 回くらいの練習をし,「小学校 6 年生の時は一応その小学生のなか のトップって呼ばれる…セレッソ大阪ジュニア(チーム)に所属」していた.そこでは後 に日本代表にもなった選手とも一緒にプレーしていた.スクールの練習はとにかく楽しか ったため,「雨の日でも…練習ないって言っても,親に頼んで連れてってもらってコーチと PK 戦したり」していたという.R が小学校 6 年生で所属したセレッソ大阪ジュニアチー ムは20 人ほどの選手がいたが,「全員…時間は少ないですけど,交代して(試合に)出る ことはあるんで」みんな楽しくサッカーをしていた.全国大会には出場していないものの, 多くの大会に出場したが,負けることはほとんどなかった. 中学校進学時には,R はセレッソ大阪ジュニアユースチームに入団できなかったため, 地元の中学校(サッカー部はなかった)に通いながらE クラブに入ってサッカーを続けた. E クラブでも,後に日本代表にもなった選手と一緒にプレーしていた.中学校 3 年生のと きには大阪で3 位になり,関西大会のベスト 8 まで進んだが,全国大会には出場できなか った.E クラブでは,「ブラジル人のコーチ」を筆頭に他のコーチも含めてとても厳しく, 「負けると走らされたり」怒られたり,「負けることが許されないようなチームだった」. 「笛とかでこう,笛回されてパコーンとかいかれます(叩かれます)からね.でもまあそ れが今ほど問題視されるような時代でもなかったんで.子どもたちも自分たちが悪いって 分かってるんで,試合に勝てないことが」とR はいう.E クラブには中学生年代の選手だ けで60~70 人ほど在籍し,3 年生のみのトップチームとそれ以外のチームという 2 チー ムに分かれて活動をしていた.「1 年生も…学年毎での大会」があったため,ある程度はみ んな試合に出場することができていた.当時は,「楽しかったっていうよりはきついという か,…練習内容はブラジル人なんでゲームが多かったんで,ゲームは良かったんですけど,
ただやっぱ怒られないようにみんな頑張りますよね」.そのため,練習に「僕は行きたいっ て感じはなかった…あんまり」.「ただ,公式戦でやっぱ試合で出られるっていうところが」 楽しくて,良い成績を収めることができていたことからもサッカーを続けていた. 高校は山梨県にあるサッカー強豪校のT 高校に「一応特待生という形で」進学すること になった.T 高校サッカー部は 3 学年で 60~70 人の選手が A,B,C の 3 チームに分かれ て活動し,A チームのみが公式戦に出場できるため,B,C チームの選手が試合をする機 会としては練習試合くらいしかなかった.監督は指導者資格をもっていたが,「僕らの当時 はもう,まさしく走れ」といった指導で,「練習 2 時間半から 3 時間っすね.毎日,毎日 っすね.今じゃ考えられない」,「公式戦があったら次の日がオフ」だったが,ほとんど休 みもなかった.その監督は,R が T 高校に進学する前から全国大会出場という成績を残し ており,R が 3 年生のときも全国大会出場を果たした.ただし,その頃の練習は,「きつ いっす.また練習か…また走りか,と」いう気持ちがあったが,「もうやらなきゃいけない」 という思いで練習していたため,「楽しくはない」という.しかし,「そのままエスカレー ター式というか,一応AO 入試っていう形で」進学した T 大学でもサッカーを続けた.「何 なんすかね,何かだんだんそのサッカーのない生活が考えられないんすよね.何か,サッ カー,練習やってて当たり前じゃないですけど」とR は自身の心境を語っている. T 大学サッカー部は 4 学年で 100 人ほどの部員が所属していたが,2 軍や 3 軍はなく, 練習は1 つのグラウンドで全員一緒に 1 時間半から 2 時間行っていた.そのグラウンドも サッカーの公式試合に必要な大きさはなく,ボールも30 球ほどしかなかった.「もう僕ら からしたら練習行く意味があるのかどうかとか(思っていた).…1,2 年生のときなんか 授業多かったんで,(授業)終わったら(練習)終わってるとか,自主練だけの日もありま したし,…1,2 年生の 2 年間,本当今でも後悔するくらい無駄だったんじゃないかなって 思う」.しかし,R が 3 年生になると,T 高校の先輩が T 大学サッカー部のコーチとして 新たに来て,「それからちょっと練習内容も変わって,一応(練習の)時間帯は同じでも, ちょっとグループ分けてやったりとか」するようになった.そして,3 年生以降は「楽し くサッカーできましたね.試合も出れたんで」といい,4 年生では主将も任された.T 大 学サッカー部の成績としては,R の入部当時は関東大学サッカー2 部リーグに所属してい たが,2 年連続で降格して東京都大学サッカー2 部リーグになってしまった.翌年には昇 格し,R が卒業する年までの 2 年間は東京都大学サッカーリーグ 1 部に所属していた. その後,R は大学を卒業し,関東社会人サッカーリーグ 1 部に所属する群馬県の M クラ
ブに入ってサッカーを続けた.そのきっかけは,T 大学に M クラブのセレクション案内が 届いたことだった.R は親と相談し,「社会人で 3 年だけやる…その 3 年間で芽が出なか ったら(プロになれなかったら)もう諦める」ということになり,M クラブのセレクショ ンに合格してサッカーを続けることになった.そして,R は M クラブで選手としてプレー しながら,仕事の一環としてM クラブのスクールコーチをしたり,M クラブに協賛して いる会社のとんかつ屋で働いたりして給料を得ていた.他のメンバーも,「ほとんどの人が そのスポンサーで働かせて」もらい,午前中はサッカーの練習,午後から夜まで仕事とい う生活だった.「僕はもう帰ってきたら23 時とか…で,そのまた次の日,朝 8 時半にはグ ラウンド(に)行(くと)…いう毎日を2 年間」過ごしていた.M クラブには 20 人ほど 選手がいたが,「トップチームに入って,元日本代表とか元プロの選手って5~6 人いたん すよね.(R は)大卒で入るじゃないですか.プロの世界ってやっぱ言われるんすよね,下 手くそだったら下手くそって平気で言われますし.何でできないんだ(と).もうその 2 年間で本当正直泣いてました,僕.…でもその…2 年間はきつかったっすけど,身体的に も精神的にも.ただ,その…練習っていうのはやっぱ身になりましたね.プロってこうい う考え方してんだ,プロってこういう見え方がしてんだとか,ボールの動かし方とか,ポ ジショニングの取り方とか.今までは,(型に)はめられたサッカーだったんで,中学から 大学まで,全然サッカーって違うんだなって思いましたね」とR は振り返る. R は M クラブでの 2 年間の活動後,ドイツに渡ってサッカーを続け,現在 5 年目を迎 えている.もともとドイツに渡ってサッカーをすることになったきっかけは,代理人を目 指していたT 大学の後輩から誘いを受けたことだった.「僕社会人で 3 年サッカーやった らもうサッカー辞めようと思って(いて)…,2 年間 M クラブでやったんで,3 年目に海 外,最後の,どんなもんなのかやってみようと思って決心して,そいつを信じてドイツに 旅立った」.ワーキングホリデーという形でドイツに渡り,その後輩に家探しやチーム探し を手伝ってもらいながら通訳もしてもらい,当時7 部リーグに所属していた D クラブに入 り,週に3 回の練習を通して 2 回の優勝を経験し,現在は 5 部リーグに所属している. 4.T のサッカーに焦点をあてたライフストーリー T は,「物心ついたときにはもう結構(サッカーボールを)蹴って」いて,大阪で通って いた幼稚園のチームで「試合とかもちゃんとユニフォーム着てやって」いた.小学校に入 学するときに京都に引っ越し,「何かその…市内で一番強いチームやったんで」,少年団の
N クラブに入った.「低学年のときは土日だけ(の練習)やったんですけど,…時々試合 があって.高学年のときからは水曜日と木曜日も練習をして週4 回ですかね.それで試合 してっていう感じで」活動していた.1 学年は 20~30 人で,「クラブのなかでセレクショ ンをして2 つにチームを分けて」いた.N クラブには,後に日本代表になった選手がおり, T より 1 歳年上だったが,一緒にプレーもしていた.N クラブでは「徹底して個人技術を トレーニングしてましたね.(高学年の)最初の頃とかは,試合毎にテーマがあって,右足 だけしか使ったらアカンとか,逆足だけしか使ったらアカンとか,パス出したらパス出し た選手を追い越さないとアカンとかっていうのをコーチがテーマとして決めて,それをや ってた」.「体罰的な意味の怒鳴るとかはあんまりなかったですし,…別に厳しい根性論っ ていうのはなかったですけど」,勝ちにこだわってはいた.「自分の親がちょうどそのとき コーチやってた」ため,「サッカー自体は楽しかったですけど,その小学校卒業に進むにつ れてすごいプレッシャーとか」を親から受けるようになった.「家で,試合終わっても言わ れることが多くて,…だから,…いかに怒られへんようにするかっていう気持ちでやって た」.N クラブの成績は,「僕が 5 年のときに全国大会に出場」したが,後に日本代表にな った選手の存在が大きかったという.T 自身が 6 年生のときは京都府予選の決勝で負けて しまい,全国大会には出場できなかったが,個人としては京都府選抜に選ばれていた. 中学校は地元の公立中学校に進学し,F クラブで水曜日から日曜日まで練習をしていた. T は,J リーグクラブのジュニアユースチームのセレクションに受からなかったため,「京 都でベスト8 くらいのチーム」だった F クラブに入団した.F クラブは 1 学年 30~40 人 の選手が所属し,「練習は学年毎に分かれて(行い,各学年に)だいたい 2 人ずつくらい コーチがいた」.F クラブのトップチーム(中学 3 年生年代)の指導者が元プロ選手のブラ ジル人で,「J(リーグクラブ)がやってるような練習(を)…自分たちもやったり」して いた.T の学年のコーチは,その指導者とは異なったが,「結構…伸び伸び」やらせてくれ た.「ちょうど親もコーチじゃなくなった」ため,解放感はあったが,「結構自分がチーム でも上手い方であったりとか,キャプテンとかもやってたんで,…気持ち的には軽くはな かった」.また,「中学のときは,1 年のときから…毎週月曜日がトレセンの練習日やった んで,京都の選ばれた 30 人くらいで集まってトレーニング…(していた)」.なお,F ク ラブとしてはT が在籍した 3 年間では京都でベスト 8 が最高成績だった. 高校は,大阪にあるサッカー強豪校のO 高校の「セレクションを受けて,…受かったん で」,進学した.O 高校サッカー部では,「1 学年 24 前後」の人数で,セレクションに合格
しなければ入部できなかった.監督が以前に指導していた高校は,強かったが「ガチガチ の根性論,それこそ根性論みたいなところでやってて,(O)高校のときも根性論みたいな のはありましたし,ほんまに高校(の)ザ部活みたいな感じですね.いろいろ…ミスをし たりとか,忘れ物したり遅刻したら坊主にしないといけないとかっていう決まりだとかあ りました」.「朝6 時半くらいに家出て,帰ってくるのが 23 時とかやったんで,携帯とか 恋愛とか学校(のサッカー部では)禁止で,みつかったら坊主とか…土日も,土曜日も学 校あったんで午前中,日曜日は試合ですし,ちょうど他に遊ぶ時間とかもなく」,「先輩後 輩っていうか,特に先輩との関わり合いとかが大変でしたけど」,楽しかったという.O 高校サッカー部の競技成績としては,インターハイで全国ベスト 8 まで進んだ.なお,T が高校1 年生のときには,高校は大阪だったが,京都にある実家から通っていたため,京 都の国体少年の部のメンバーに選ばれ,全国 4 位に入った.しかし,「京都サンガのユー スの選手であったり,早生まれの選手がいてたんで,全然試合に出れなかった」. 大学には,D 大学に学校の指定校推薦で進学した.D 大学サッカー部は,関西大学サッ カーリーグに所属し,「僕が(大学に)入る前…は全国のインカレとかに出場してて」強か った.T が進学してからは関西大学サッカーリーグの「1 部と 2 部を行ったり来たりして いた」.200 人弱の部員が A,B,C,D の 4 チーム分かれて,B,C,D チームも公式戦は あった.D 大学サッカー部の監督の「下についてたコーチが…すごく上手い選手で,…指 導力とかってのもすごくあって,本当に威厳のあるコーチ」だった.「僕はたまたま 1 年 のときにそのコーチに見てもらえて,毎回怒鳴られながら」練習していた.ただ,「半年で …そのコーチ辞めちゃったんですけど」,「1 年のときはすごく楽しくて,その厳しい怒鳴 られてるコーチにみてもらってるときは,すごい何をやっても怒られるんで,いいプレー しても褒められるんじゃなくて,何かもっとこうしろみたいな,常に要求してくるんで, 自分がその環境がすごい良かったといいますか,心地いいというか.何か,こう縛られて る方が,今思うと良かったのかもしれないですね」とT はいう.D 大学「2 年のときが一 番楽しくなかった…トップチームにはいるんですけど試合には出れなくて…」,一方で,「3 年のときが一番楽しくて.試合はずっと負けてましたけど,試合にもコンスタントに出さ せてもらって,楽しかったんですけど,4 年になって」監督が変わってから,T がチーム の活動よりも自分の進路を優先する行動をとったことで「B チーム(に)落とされて大学 生活終わりました」という. その後,「大学4 年になる前くらいからは,当然 J リーグでプレーすることを望んでた
んですけど,…(J リーグクラブの)練習参加にすら行けてない状態で,…(D 大学サッ カー部の)B チームに落とされてっていうのもあったんで,…そのときくらいから…先輩 が短期留学で1 回スペインに(行って)…海外でプレーすることになった…(という)影 響もすごい大きくて」,「海外で自分がやってきたことっていうのがどれくらい通用するの か…サッカー辞める前に肌で感じたかった」ためドイツに渡ってサッカーをすることにし た.そして,渡独した当初は6 部リーグに所属するクラブに入って 1 シーズンプレーし, 現在は2 年目で 4 部リーグに所属するクラブでプレーしている.なお、いずれのクラブで も基本的に練習は週に3 回である. Ⅴ.ドイツにおけるサッカーの愛好者を組織化するための制度的特徴 ここでは,前章で構成したライフストーリーを踏まえ,そのライフストーリーから把捉 できる日本のサッカーにおける制度的特徴と比較しながら,ドイツにおけるサッカーの制 度的特徴を対象者のインタビューから明らかにする.対象者はサッカーにかかわる経歴も 競技レベルも異なるが,愛好者の組織化という観点から日本と比較したドイツにおけるサ ッカーの制度として,彼らに共通して認識されている特徴がみられた.それらは,制度の 構成要素のそれぞれの観点から以下で詳述するが,表2 のように示される.[※表 2 挿入] ①スポーツ・イデオロギー注15) ①-1.サッカーのプレー(実践)を重視 ドイツ人は,サッカーが「下手でも能力が落ちても,…その自分の全力でやるじゃない ですか…だから楽しいと思う」,「歳とってもとったなりに真剣に」プレーするし,「試合中 とかやっぱ言い合ったりする…けど,…楽しいなって思うからやってるんすよね.しかも ドイツ人なんで楽しくなかったら絶対やんないと思うんすよ.人柄的にも国民性っていう か」とN がいうように,ドイツ人はサッカーの競技レベルに関係なく,プレーに全力を注 ぎこむといったサッカーの実践過程にスポーツの楽しさを見出している.ドイツでは,「下 手だからどうとか,辞めるとかっていう感じはない」とS もいうように,競技レベルの高 低にかかわらず自らの持ちうる力を発揮してプレーすることがサッカーの楽しさであると 捉えられているのではないだろうか.また,ドイツ人は「試合出れなかったらどんどん(試 合に出場できる)チーム(に)…移籍して」いくが,日本人の場合は,試合に出ることが できずにベンチにいることがあっても,少しでも上のリーグに所属しているクラブで活動
したいと考えるのではないかとR がいうように,ドイツ人の方がサッカーの試合やプレー することそのものに価値を認め,日本人の方が地位や結果の評価を重視していると考えら れる.ただし,ドイツ人は目の前の「1 試合には絶対勝ちたいって思ったりとかしてるん で,そこはすごい(日本とは)違いますね.目の前のものに賭ける強さっていのうは違い ます」とT がいうように,結果を重視しないわけではなく,あくまでもプレーすることを 前提とした結果,いわば結果を求める過程としてのプレー(実践)を重視しているといえ よう.なお,日本では選手があるチームで他の選手よりも競技レベルが劣るために試合に 出場することができない場合,彼が競技レベルの低いチームに移籍すると,脱落した者や 逃げた者といったレッテルを貼られることがあるが,それに対してN 自身は,試合に出場 できない選手が試合に「出れるとこ(チーム)に行って何が悪いって思うタイプ」だとい い,試合に出場できなければすぐに移籍して出場することができるチームでプレーするこ とを重視するドイツ人の考えに共感している.Nは,そのような考えをもつからこそ,す なわち,移籍することが好ましいこととして捉えられない日本の環境に不満を感じ,日本 から離れてドイツに渡っているのだといえるかもしれない. 以上から,ドイツでは,サッカーのプレー(実践)を重視することが制度を構成する要 素であるスポーツ・イデオロギーの1 つの特徴といえる.この特徴は,競技レベルの高低 や所属クラブの地位,結果等に関わらずサッカーを辞めてしまう者を減少させる,すなわ ち愛好者のサッカー実践の継続を可能にする制度的特徴といえよう. ①-2.サッカーにおける評価と実生活における評価との分離 N によれば,「日本って実力あっても人としてダメとか,そういう人間関係,しがらみ …で(試合に)出れないとか…(日本だとプレー中に)後輩は先輩に気遣(う)」ことがあ り,「(日本の場合)チームとか入るときとか,コネ…(が)多いなって感じが(するが) …ドイツ(の場合は)…やっぱ結果残せば目とめてもらえて,声かけてもらって」希望す るクラブに入ることができるというように,サッカーにおいてはサッカーのプレー(実践) のみで評価される.一方で,日本の場合は,実生活での先輩と後輩との関係(先輩は後輩 が気を遣わなければならない存在だという評価)をサッカーにも持ち込む(サッカーのプ レー中にも先輩には気を遣わなければならない)ことなど,サッカーにおける評価と実生 活における評価との関係(結びつき)が強いことを指摘している.S も,「やっぱ負けた時 に(ドイツ人は)すごい早く切り替えちゃいますよね.もうちょっと悔しがって(欲しい
と,ドイツに来たばかりの)当時はすごい思いました」.「試合終わってもうシャワーの段 階で切り替わっちゃってる」が,「結局サッカーなんで,別に負けようが死ぬこともないし」 と,今ではあまり気にしなくなったという.このようなサッカーの勝敗による悔しさ等の 気持ちの切り替えの早さや,実生活にまで悔しい気持ちを引きずらない(持ち込まない) ことは,例えサッカーにおいて敗者という評価がなされても,実生活においては敗者とい ったような評価がなされないと認識しているからこそ可能になるのではないだろうか.し たがって,このような気持ちの切り替えの早さといった点にも,サッカーにおける評価が 実生活における評価と分離されていることが反映されていると捉えられないだろうか.ま た,R は,自身が日本で所属していた M クラブで経験したような選手同士の「言い合いは もちろん(ドイツでも)ありますけど,お互いリスペクトした上での話なんで.ドイツ人 って何か僕が思うにですけど,…今の場面はこうでしょっていう場面の話をするんで,人 間否定とか全体的なことは言わないんすよね」.だから「例えば喧嘩しても次の日はまた手 と手かわして,またゼロから戻る.それがやっぱ日本人との違いかなってすごい感じまし たね」というように,日本ではサッカーにおける評価と実生活における評価が結びつきや すく(このR の例では,日本ではサッカーで言い合いになると相手の実生活での人間性や 考え方にも言及して否定する傾向がしばしばみられる),そこにドイツとの差異を認識して いる.N も同様に,日本では実生活における上下関係を意識するあまりサッカーにおいて 真剣に取り組む言い合いが少ないと指摘している.また,T は,ドイツでは「みんな(ク ラブの選手は)学校行ったり,働いてたりしてるんで,サッカーに対して割り切りがすご いある」といい,サッカーで「ミスとかしても次の日には(気持ちを)切り替えれてたり, …(プレーや結果が)良かったらはしゃぎますけど,悪かったら悪かったですぐ(気持ち が)切り替わったりっていうところ」がドイツの特徴であることを指摘している.なお, T が所属した高校サッカー部における規則(忘れ物や遅刻によって坊主にすることや,携 帯電話や恋愛の禁止等)は,例えば恋愛禁止という実生活の規則を設け,その実生活にお ける規則を破るという評価がなされれば,サッカーにおいても評価を下げられるという意 味で,まさにサッカーにおける評価と実生活における評価とを結びつけた顕著な例といえ る. このようなサッカーにおける評価と実生活における評価との分離といったスポーツ・イ デオロギーの特徴も,いわば非日常として楽しめる場としてのサッカーを担保し,愛好者 の組織化を維持していると考えられる.
②スポーツ・ルール ②-1.公式戦の出場機会確保 スポーツ・イデオロギーの観点でも示したように,ドイツではサッカーの試合に出場し てプレー(実践)することが重視されているため,R がいうようにドイツ人は試合に出場 できなければすぐに移籍するが,それは,競技レベルが低い選手であっても公式戦に出場 することができる制度が整備されている,すなわち,競技レベルが低いチーム(選手)の ための下部リーグまで整備されていることはもちろん,あるクラブの2 軍チームに所属し ていても,1 軍チームと所属リーグは異なるが,同じピラミッド型リーグ構造のなかで公 式戦に出場することのできる制度が整備されているからだといえる.ドイツのサッカーリ ーグの構造はピラミッド構造になっており,約25,000 クラブの約 177,000 チームが参加 している(笠野,2018b,pp.24-25).笠野(2018b,p.27)がドイツ人サッカー行為者の 事例を紹介しながら示しているように, 1 軍チームが 6 部リーグに,2 軍チームが 8 部リ ーグに所属しているあるクラブでは,2 軍チームであっても 1 軍チームと同じピラミッド 構造の下部リーグ(8 部リーグ)で公式戦に出場することができる.すなわち,その構造 によって,クラブ移籍ではなく,チーム移籍(同一クラブ内でチーム変更)をするだけで 公式戦に出場することが可能になる.近年は日本でも2 軍チームが出場するリーグなどが 増えてきているが,それらのリーグは1 軍チームが出場するリーグとは別のリーグ,すな わち,同じピラミッド構造にはなっていないリーグであることが多い注16).したがって, 同じピラミッド構造内のリーグの公式戦に出場したい場合は,日本では別のクラブに移籍 しなければならない.しかし,日本の場合,特に学校運動部活動制度においては,移籍す ることは学校を転校することになり,移籍すること自体が難しい.このような状況にある にもかかわらず,日本では100 人規模の部員がいるサッカー強豪校の部活動に入部しよう とする者は少なくなく,それは,公式戦に出場することよりも,サッカー強豪校に所属す ることで高い評価を受けると考えていることも理由だろう.公式戦に出場することを重視 するのであれば,もちろん学力との関係も大いにあるが,部員数が小規模な学校の部活動 や,自分が必ず試合に出場できるような(少し低い)競技レベルの学校の部活動,あるい は,サッカーにおいては日本でも増加している地域のクラブチーム(競技レベルの高くな いクラブチーム)に入部することを選択する者がもっと多く存在しても良いのではないだ ろうか.Rがいうように,日本人の方が地位の評価(サッカー強豪校に所属していたなど)
を重視することも1 つの理由としてあり,対象者全員が,自らのサッカーにかかわる経歴 において公式戦に出場することができない選手が多く存在していたことに言及している. N は日本の場合,2 軍チーム以下の選手は公式戦が少ないことでサッカーの真剣勝負を通 した楽しさを享受する機会が少なくなっていると指摘しており,この差異が,ドイツでは そもそも試合に出場できずに辞めていく者が少ないとS に思わせ,日本では高校や大学卒 業後にサッカーを辞めていく者が多い(笠野,2010)状況を生み出しているといえる.近 年はだいぶ改善がみられるが,日本では多くの部員が所属するサッカー部やクラブでもト ップチームしか公式戦に出場できないことや,S,R,T の経験のように,日本では選手に 厳しく辛い練習をさせ,R と T に至っては体罰とも捉えられるしごきの様な練習をさせる ことで,むしろサッカーを辞めていく者が増えるような仕組みにもみえる.ただ,T に限 っては,そのような「厳しい怒鳴られてるコーチにみてもらってるとき」の方が心地よか ったという. R によれば,中学生の頃は練習に「僕は行きたいって感じはなかった」が,「公式戦でや っぱ試合で出られるっていうところが」楽しくてサッカーを続けていたこと,また,大学 3 年生以降についても「楽しくサッカーできましたね.試合も出れたんで」というように, 公式戦の出場機会確保は,サッカーを辞めさせないこと,すなわち,愛好者の組織化を維 持する側面からは極めて重要な制度的特徴(公式戦に出場できなければ移籍することが当 然のこととして認められているという黙示的なルール)といえよう. ②-2.練習の少なさ T は,「まず練習量が少ないなっていうのは圧倒的に感じた部分」だという.この点も対 象者全員が指摘していることであり,4 人の対象者がドイツで所属したほとんどのアマチ ュアクラブでは週に3 回の練習が基本になっていた.T は物足りなさを感じるほど練習が 少ないといい,R は,「最初はやっぱ楽でいいなと」思っていたという.このような練習の 少なさといったスポーツ・ルールの特徴は,例えばバーンアウトを生み出すような日本の 練習過多の傾向に比して,サッカーをやらされているという感覚や,少し練習を休みたい といった思いを抱かせず,また,辛く厳しいトレーニングを伴うものであるというイメー ジを生み出さずに,サッカーを自発的に楽しもうとする愛好者を育成しているといえるの ではないだろうか.ただし,対象者は日本の高校や大学までの青少年年代における練習量 (回数)とドイツの成人(社会人)年代における練習量(回数)とを比較しているため,
この練習の少なさが対象者にとっては特徴的なものとして認識された可能性もある.すな わち,日本においても練習量(回数)が少ない成人(社会人)年代におけるアマチュアチ ームは決して少なくなく,ドイツと日本において大きな差はないと思われる.しかし,本 研究における対象者への調査と同時期にインタビューを実施した,DFB が公認する指導者 の最上位資格であるフスバル・レーラー(Fußball-Lehrer)という資格を有しているドイ ツ人サッカー指導者U 氏によれば,「ドイツでは回数も量もそんなに多くは練習しない. C ユース(13~14 歳年代)までの子どもは週 2 回が通常,どんなに多くても 3 回だ」と いう.また,U 氏は,J リーグがはじまる前年の 1992 年に宮城県知事からの依頼で宮城 県のサッカーをプロモーションする3 か月間のプロジェクトに携わって以来日本のサッカ ーと関係を持っているが,「(日本では)特に高校になると激しい練習と過剰な頻度で(サ ッカーをすることに)疲れてしまう…(そして)それ以上(高校を卒業してから)続ける 人も少ないし,辞めてしまう人が多い」といい,「もし15~18 歳のうちに 5 時間の練習を 週6 でやってしまうと,選手を壊してしまうことになる」と説明する.これら U 氏の発言 から推測すると,青少年年代全体においてもやはりドイツにおける練習の少なさは特徴だ と考えられよう.したがって,青少年から成人までのドイツのサッカー全体として,練習 の少なさが特徴として挙げられ,その特徴が,サッカーを自発的に楽しもうとする愛好者 の育成につながっているように思われる. ③スポーツ・シンボル ③-1.報酬 S は,ドイツに来て「8(部)とかでも…場合によっては 9(部)でも」,プロ選手では なくてもサッカーのプレーに対して「本当にお金がもらえるということ」に驚いたという. R は実際に D クラブ(R が加入した当初は 7 部リーグに所属)から「基本給が 50 ユーロ …それは電車賃っていう形でチケット(を)…もらって,(試合に)勝てば 100 ユーロ, 負ければ0 で,引き分けが 30 ユーロ」もらっていた.T は,ドイツ人の目の前の 1 試合 に賭ける思いの強さについて,「お金もらえますしね…ワンチャン(もしかしたら)この次 の試合勝てたら給料もらえるぜ,みたいのとか,そりゃ(全力で)やりますよね,そうい う環境があればね」と説明するように,ドイツではこの報酬があるがゆえに,スポーツ・ イデオロギーの特徴でも述べたように,目の前の1 試合やプレーに賭ける思いが強くなる と考えることもできる.「日曜日になると試合に勝ってお金もらえて…ってやってるとやっ
ぱり楽しい」と思うとR がいうように,この報酬(競技レベルが下がれば大した額ではな いが)がサッカーの楽しさを増幅させているといえる.これはあくまでも越境者としての 対象者の主観的解釈であり,この報酬がドイツ人サッカー行為者の社会的性格に及ぼす影 響についてはさらに議論を要するが,少なくとも対象者のような越境者にとってはこの報 酬がドイツにおけるサッカーの制度的特徴,あるいは制度的魅力になっていると考えられ ることから,この報酬は,競技レベルの低い愛好者注17)を排除しない1 つの要因になり得 るといえよう.なお,S が「日本はもう関東(社会人サッカーリーグ)1 部とかでもたぶ ん(選手が活動する)お金(を自ら)払って…サッカーする」というように,日本ではド イツの5 部に相当するリーグに所属するチームであっても活動資金は自ら負担することが ほとんどである. ドイツでは「どこ行ってもサッカーの話をしてる人とか多かったり,本当下の方の例え ば9 部 10 部とかの試合とかでもお客さんいますし」,試合を見に来て,声援を送る観客は 当然いるが,それに加えて特に,プレーに対してヤジを飛ばすような「あのわけわかんな いおっちゃんとか」がいて,「ああいうところが,すごくいいなと思いますね.ああいう人 の,そりゃもちろん言われてムカつくこともありますけど,お前何がわかってんの,って 思いますけど,でもやっぱああいう人たちがいるからこそ,たぶん何かドイツのサッカー の文化っていうか,支えてるんじゃないかな」とS が感じているように,競技レベルが低 いリーグであっても観戦料を支払う観客が訪れる仕組みがこの報酬を支える1 つの要因と なっている.なお,報酬だけでなく,特にヤジを飛ばす観客がいることも,スポーツ・イ デオロギーの特徴でも述べたような,選手がその試合やプレーに賭ける思いを強くさせる 一因となっていると考えられる. 貨幣を記号的シンボルとして捉えれば,特に競技レベルが低いリーグに所属する選手へ の報酬というスポーツ・シンボルとしての制度的特徴は,ドイツのサッカーにおける制度 から愛好者を排除しない要因の1 つになり得ているのではないだろうか. ④スポーツ行動様式 ④-1.個人を尊重したプレースタイル N は,日本とドイツのサッカーにおけるプレースタイルの差異について言及している. 例えばN はサイドの選手だが,サイドのポジションは「1 対 1 になる局面が多い(が), …(日本では)やっぱ無理なとこはいかない(無理して1 対 1 の勝負をしない)で,(味