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マラヤ北西部における中国人集落の構造 (下) [A Chinese Community Structure in Northwestern Part of Malaya (Continued)]

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A ChineseCommunityStructurein Northwestern PartofMalaya (continued) by KiyoshigeMAEDA 4 社会構 造(Ⅰ)-自治組織 (1) 組 織 ア p-ル ジ ャングスの中国人集落 は,地域 的に は パ ダ ソララ ソ村 に属 し, 行政 的に も, 形式 的には, マ レー人村 長 (ketuakampong)の統制下 に おかれ る よ うに な ってはい る。 しか し, 実 質的には, この集落 は, 村 長 の統 制下に はな くて, 中国人に は, 中国人集落 を代表す る人

(ketuaChina)- か りに, 中国人世 話人 と呼 んで お く- がい て, この世 話人 は, パ ダ ソ ララソ区 (mikim)の マ レー人区長 (penghulu)に直接 つ なが ってい る。 ア ロール ジ ャングスに限 らず, 一体 に マ ラヤの中国人 は, 自分達 の父祖 が こ の 地 に お い て 18) 「閑地釆居」(P`iTiChtiChti)した ものだ とい う根 強 い 自負心 を もってい て, マ レー人 の村 長 は もちろん, 区長に対 してす ら, 指揮, 命令 され る とい う表 現 は好 まない。 集落 のみ な ら ず, 国家全 体 につい て も, 同様 の ことがいい えて,平素 か らマ レー人に対 して, か な り強 い対 立意識 を抱 い てい るもの と見受 け られた。 ア ロール ジ ャングス中国人集落 の世 話人 は, 中国人集落民 な どに よって, 選挙 され るもので あ るとい うのが,調 査前 におけ るわれわれ の推 測 で あ った。 しか し調査 の結果, 事実 は これ に 反 して,全 く, 世話 人選挙 に関 して何 らの規 定 もな く, ただ, 村 人衆 目の見 る ところ集落 の財 産 家で, 社 会的地位 も高 く, 時間 的 な余 裕 を もちえ, しか も, 社会奉仕 (公益,KungI)に 熱心 な年輩者 が, 自然 に代表者 に推 され ることにな ってい る との ことであ った。 従 って,任 命者 もなければ,任期 も定 まっていない。 また, マ レー人 の側か ら ketuaChina といわれ る世 帯番号 (60)に直接尋ね てみ て も, 自分 は単 な る世 話 人 (帯助 人PangChuJen) に過 ぎない とい う。 集落 の中国人は, この人を平素,伏盛 (HuoShang)と名前 だけを 呼 んで 19) お り, 公職 名を強 い てつ ければ何 とい うか と の間 に対 して, 考 えた あげ く, 「代表 人」 (Ta主 18) 開拓 して,集落とすること。 19) 村内には同姓が多いので,姓は省略 して名だけでよぶ。敬称はつけな くても, 日本のよびすてのよう な感 じはない。 44 - 4

(2)

4-前 田 :マ ラヤ北 西 部 に お け る中国人 集 落 の構 造 (下) PiaoJen)が適 当 で あ ろ うとい うこ とで あ った 。 そ れ で い て, 集 落 の融 和 と団結 が 自然 に保 た れ てい る こ とは, わ れ わ れ と して, 当初 は少 な か らず 了解 に苦 しむ こ とで あ った。 結 局, 財 産 家 で人望 あ る者 , この よ うな人が, 地域 社 会 の み な らず, 同族 , 同郷 出身者 , 同業者 な どの集 団に お い て も奉 仕す べ きで あ り, 一般 の 中国人 は, そ れ よ りも家業 に忙 しい のが 実情 と見受 け られ た。 (2) 代 表 者 ア ロール ジ ャ ングスに は,60年 も昔 か らす で に私塾 が あ り, また, 現在, 集 落 の 中央 部 に あ る中国人小 学校 は,1929年 に創設 せ られ た。 こ うした 中国人学校 は, 当 時 の統 治者 か ら援 助 を 受 け る ことな く. この集 落 の財 産 家 で, 社 会事 業 のた めに寄 付 し, 奔 走 す る こ とを惜 しまない 人達 に よって, 自主 的 に創 設 し, 維 持 ・運 営せ られ て現 在 に至 った。 集落 の人達 のほ とん ど唯 一 の, 長 期 にわ た る共 同事業 で あ る この小学 校 は, 現在 , ア ロール ジ ャ ングスの 中国人 戸 主全 員が, この小 学校 の理 事 (董 事,Tung Shi,BoardofManager)

お よび理 事 長 (主 席,Chu Hsi,Chairman)を選 出 し, この理 事 長 以下 に よって 小学 校 は運 営 され る よ うに な った。 そ して, いわ ば小学 校 の校 区 の代 表者 で あ る理 事 長 が, 周 辺 の マ レー人 や村 人 達 か ら, 自然 に集 落 の行政代 表 者 と 目され る よ うに な った もので あ る らしい。 従 って, 代表 者 ら しい者 は あ って も, 副代表 者 も正 式 に は決 め られ てい ない し, 村 の行政 上 の こ とを議 す る機 関, 組 織 もない。 村 政 は, 主 と して, 理 事 長 で あ る世 帯 番号 (60),く福建 省 安 子実県 仙都村 出身, 精 米所 経 営, 47才 > に委 ね られ, 彼 が単 独 で決 しか ね る よ うな事 態 が 発生 す れ ば, 世 帯 番 号

(

2

6)

,く二広東 省 台 山県 出身, 金 舗 お よび雑 貨 店経 営,

3

3

才 > に はか り, な お も相 談 を要す る よ うな こ とが あれ ば, 世 帯 番 号 (18),く理 事 長 の実 弟, 雑 貨店経 営,42才 > お よび世 帯 番 号 (22),く広 東 省 台 山県 出身, 金 舗 経 営,55才 > も加 わ る こ とが あ る とい い, 村 民 大 会 を 開 くこ ともあ るか との問 い に対 しては, それ ほ どの大 事 は今 まで なか った とい うこ とで あ った。 この4名は, もち ろん, 小 学校 の理 事 に選 出 され てい る。 結 局, 集落 の行政 は, 集落 の住 民 た ちの共 通 の関心 事 で あ る子 弟 の教 育 を委 ね られ た もの, 集落 に お け る唯 一 の公職 で あ る小学 校 の理 事 に選 出 され るほ どの有 力者 が, 副次 的 な職 能 と して依 託 され た よ うに な ってい る とい え る。 なお, ア ロール ジ ャ ングスの行政 , 学 校 運 営, そ の他公 的 な こ とにつ い て, 早 期 に この地 に 到 達 し, 集 落 開拓 に功 労 のあ った老 人達 (老 前 輩,LaoChienPal)は, 事実 上 隠 居 して, こ れ に関与 して い ない よ うで あ る。 小学 校 理 事 会 の役 員 氏 名 な どほ, 後 の教 育 に 関す る項 に お い て表 示す る。 - 45- 45

(3)

5 社 会構 造 (ⅠⅠ)一 家族 と婚 姻 (1) 家 族 ア ロール ジ ャングスの 中国 人 の家族 総 数 は,表 3 (前 号 p.77)な どで示 した よ うに65戸 で あ るが, そ れ を家族 員 数 別, 形 態 別 に示す と表14の よ うに な る。 表

1

4

A.∫

.

中国人の員数別,形態別家族数 単独家族 夫婦家族 核 家 族 幹 家 族 拡大家族 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 1 1 1 1 1 1 1 1 2 2 8 5 6 2 4 2 汁 1 3 3 4 2 2 3 1 1 1 1 1 4 3 31 21 6 4 3 2 2 9 8 9 6 7 5 3 0 1 2 1 2 1 計 1家族 の平 均 員 数 は7.4人 で あ る。 表14で も5人 家族 か ら9人 家 族 の数 が 多 い。 1人 ぐらし もあれ ば, 最 も大 きな家族 数 は17人 家族 が1戸 あ り,16人 家族 2戸 が これ につ いで い る。 1家 族 の家族 員数 が 多 い の は, 必 ず しも, 親 と有 配 偶 の 長 男 を 中 心 と す る3世 代 の幹 家族 (Stem 20) family)辛 ,親 と2人 以上 の有配 偶者 とそ の子供 か ら構 成 され る3世 代 の拡 大 家族 (extended family)が 多 い ことのみ に よる もので は ない。表14で も明 らか な よ うに, 親 と未 婚 の子 供 か ら 構 成 され る核 家族 (nuclearfamily)の 家族 員 数 もか な り多 い。 これ は,結局,子供 の数 が 多 い とい うこ とで あ る。

未 婚 の若者 達 は, 理 想 的 な子供 の数 は3名 な い し5名 とい って い るけれ ども, ア ロール ジ ャ ングスで の現 実 は,全 く産む に任 せ て い る状態 で あ る。 既 婚 者 は ほ とん ど. 産 児制 限 (節 育 )

20) G.P.Murdockの家族類型の概念に よる。

(4)

46-前 田 -.マ ラ ヤ北 西 部 に IJlけ る中 国 人 集 落 の構 造 (千 ) - 避 妊 お よび堕 胎- につ い て, 一 般 的 な知識 は も ってい る よ うで あ る が,蓑 恥 心 (伯 蓑

P

孟Hsiu)が そ れ を行 なわせ ない。 都会 地 の ア p-ル ス ターに行 けば 別 と して, ア p-ル ジ ャ ソグスに は, 産 児制 限 に 関す る器 具 お よび薬 品 の販売 は全 く見 られ なか った。 周 辺 の マ レー人 の家族 が, ほ とん ど核 家族 に分 散 す るのに 比 べ て, 中国人 の家 族 は, 数 わ上 で は核 家族 が 多 くて も, 幹 家族 や拡 大 家族 も決 して少 ない とは い えない。 しか し, 核 家族 , 幹 家 族, 拡 大 家族 間 の流 動 変 化 は 激 し く, 子 供 は結婚 す る と,別に 1戸 を構 え る傾 向が強 い。 こ の こ とは, 拡 大 家族 数 の少 な い の を見 て も明 らか で あ る。 事 実 , ア ロ-ル ジ ャ ングスの 中国 人 家 庭 で は, 家長 が年 寄 る と, マ レー語 や急 変 す る世 事 に うとい た め に, 隠 居 して, 子供 に 家長権 をゆず る傾 向が 強い 。 そ して, 家長権 をゆず るに 当 っ て も, 長 男が これ を継 がね ば な らぬ とす る考 え方 は薄 く, また, 家 業 は必ず 長 男が継 承す べ き もの で あ る とも考 え てい ない。 そ して, 子供 が 家長権 を ゆず り受 け る現 象 は, 決 して, 子 供 達 が老 人 を軽 視 して い る とい うこ とで は な くて, 子供 達 は家 庭 内に お い て は, 常 に 父母 に対 して 畏 慨 の念 あ るか の如 くつ か え, 父母 は常 に家 庭 の精 神 的支 柱 に な って い る。. 一 般 的 に い うな らば, 父が在 世 して い る聞, 家 業 の上 で協 同が 必 要 とされ る場 合 に は, 既 婚 の息子 家族 も同居 して, 家業 に従 事 す るが, 父が 死 亡 す れ ば, 息子 達 は 別 の世 帯 を も うけ て, 独 立 の生 計 を営む よ うで あ るO 父母 の位 牌 (香 炉位 写 真 6参 照 ) も, と く に長 男が守 らね ば な らぬ とす る考 え方 は薄 い。 また , た とえ既婚 の兄弟 の家族 が 母親 と同居

て い て も, 生 計, 食事 は, 兄弟 家 族 別 々に行 な って い て, 母 親 は末 弟 の家族 員 に な って い る場 合 もあ る。 従 って, ア p-ル ジ ャ ングスの 中国人 の間 で は, 拡 大 家族 は経 済 的 な事 情 に よ -〕て 構 成 さ れ , 必ず しも, 望 ま しい家 族 生 活 で あ る とい う 考 え方 は存在 しな い。 核 家 族 の 中に お い て, 千 供 が成 長す れ ば, 職 を得 た ものか ら他 出 し, 餐 に と どま った 息子 が 妻 を め と って, 親 の面 倒 を 見 る結果 , 幹 家族 の数 が 比 較 的 多 い の で あ る、1 そ して, これ も, 親 が 死 亡 す れ ば, 核 家族 - と 移 行す る。 電 気 は夜 間 のみ , 水 道 も 娯 楽機 関 も 一 切 な い, この ア ロール ジ ャン グスの, しか も, 建 築 - 47-写真G KetuaChinaの両親の位牌で, アロ-ルジャングスでは最 も立派 なものである。 47

(5)

後数十年 を経 た階星 において,核 家族 な らば ともか く,多人数で, しか も新 旧の考 え方 の対立 しやす い, 幹家族 あ るいは拡大家族 の親子世代 が, 円満 な人間関係 を維持 し続 け ることは非常 に困難 な ことであ り, と くに,嫁 と姑,嫁 と嫁 の間 の不和 な どに よって, 核家族化す る傾 向は ます ます強 い。 (2) 婚 姻

)

婚 姻 年 令 婚姻年令 については,年長者 の間では, 婚 姻 は遅 いは どよい といわれ てい る。 ア ロ-ル ジ ャ ングスの中国人年長者 の大部分 は, 中国か ら,独身, あ るいは, 結婚 していて も妻 を故国に残 して,単身 出稼 ぎに来た ものであ り,長期 の苦難 を経 て, 一応 の経 済的安定 を得 るに及 んで, よ うや く, 中国あ るいは マ ラヤで妻 を要 ったか, また は,故 国に帰 って妻 を迎 えて来た もので あ る。 マ ラヤの都市において も, 最近,若者 が経済的 な 自立 を見 ない ままに, 恋愛 に走 り,早 期 に結婚す る風潮が見 られ るが, ア ロール ジ ャソグスでは,恋愛 の喝 もほ とん ど聞かず, 極端 な早婚 の例 もなか った。 これに関連 して, ア ロ-ル ジ ャソグスの戸主 で55才以上 の者18例の婚 姻年令 を見 ると,平均 男28.9才, 女19.0才であ る。 これに対 して,35才以下 の戸主14例につい て見 ると,そ の平均 は, 男23.2才,女19.9才であ る。 女性 の場合 は僅かに上昇 してい るとい う ちのの, 男性 の場合 にはか な りの低下が見受 け られ る。 ㈱ 配偶者 の選択 な ど ア ロール ジ ャングスは, さきに も述 べた よ うに,道路 の開通以前 は交通 は至 って不便で, 陸 の孤 島 ともい うべ きところで あ った。 それ に加 えて,集落 内は,後 に表示す るよ うに同姓が多 く- 林姓 と陳姓で全 家族65戸 の中,30戸 を 占め る- , 中国人 の同姓不要 の原則 に よって. 配偶者 の選択範 囲は, いち じる し く限定 され る。 男性 は,商用,就 職,通学等で,他 の市街, 集落- 出て,配偶者 を選ぶ機会が ないで もないが, 生活環境 劣悪 な この集落-婚入 して来 る女 性 は得がた い。 結局, 男性, 女性 とも年 長者, あ るいは, ア ロールス ターの周旋者 の仲介に よ ることが多 くな るとの ことであ る。 ア ロール ジ ャングスの中国人 も, 出産,結婚, 死亡 の3件, と くに結婚 と年長者 の葬儀 を最 21) 重要行事 と見 てお り,形式 を尊 んで, 費用をか けて,大規模に行 な う。 周辺 の マ レー人農民 の 多 くが, 中国人か ら見れば, きわ めて簡易 な手続 と,僅 少 の費用で結婚 して, 甚 だ しい ものに 至 っては,1カ月を経過せず に離婚 し,時 には, い った ん離婚 した夫婦が復婚す るとい うこと な どほ, 中国人が極 めて奇異に思 い, かつ,軽侮 の念を もつ ところであ る。 ア ロール ジ ャソグスにおいて, 中国人 とマ L,-人は,た とえ壁 を隔 てて生活 していて も, 辛 素 の交際 は もちろん, 相互 の出産,死亡 について も,何等 の意思表示を行 な うことが ない。 た 21) 一般に結婚費用は約M $1,000≒邦 貨12万円。 48 - 4

(6)

8--前 田 :マ ラ ヤ北 西部 にお け る中国人 集落 の構 造 (下 ) だ,中国人 の結 婚 の場 合 に限 り, 新 郎 の戸主 が, マ レー人 の然 るべ き人- プ ソグル とは限 ら 22) ない- に祝 儀金 を渡 して, マ レ-人 のた め に別 な会場 と料 理 の準 備 を依頼 して, 「酒 」食 を ふ るま う。 しか し, この場 合 で もマ レー人 は, 中国 人 に対 して祝 儀 を贈 った り, また は, マ レ ー人 の結婚 に 際 して返 礼 と して 中国人 を招待 す る よ うな こ とは な く, 全 く, 中国人 か らマ レー 人 に対 す る一方 的 ふ るまいで あ る。 こ うした こ とに よって, 中国人 が人 の一 生 の 中で, 結 婚 を最 も重 視 してい る こ とが うか がわ 2

3

れ,この 「終 身大事」(ChungSh芭nTaShih)の大 事意 識 が, 平素 ほ と ん ど往 来 の な い 中国 人社 会 か ら, マ レー人社 会 に対 して唯 一 の意 思表 示 を行 なわせ る もの と思わ れ る。 表15 A.J.中国人の姓 と出身地別家族数 (註

:

○印は客家である。) 宿 建 省 広 東 i 林 陳 鐘 洪 張 染 施 侃 白 苛 摩 戴 翁 謝 季 尤 朱 揚 黄 梅 蹴 任 呉 周 ⋮ 計 9 1 6 1 1 2 2 1 1 1 1 安 「 4 南 ︼ 2 5 福 州 [台 山 中 山 汀 州 2 1 ∵ 二 二 聖 2 8 6 5 3 2 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 2 35 9 8 3 4 1 2 2 65 22) マ レー人はイスラムの戒律に よって,酒類は飲まないことになっているが,こうした席では,酎酉丁す るものもあるとい う。 23) 終身大事 とは結婚の意である。 - 49- 49

(7)

(C) 姓 と 婚 姻 ア p-ル ジ ャ ングスの 中国人 の姓 の種 煩 はか な り多 い。 戸主 の姓 のみ を 中国 の出身地 別 に示 せ ば,表

1

5

の よ うに な る。 さきに表

3

に おい て示 した よ うに, 福 建 省安渓 県 出身者 が全体 の半 数以上 に も及 ぶ が, そ の3分 の2近 くは林 姓で あ る。 安 渓 県 出身者 とい って も出身地 は5つ の 村 に分 れ てい て, 仙 都村 , お よび, 山道 村 出身者 が最 も多 く, この両村 の 出身者 は大 部分林 姓 で あ る。 ア ロール ジ ャ ングスで も, 同郷 出身 の 同姓者 は 同祖 先 の親 戚 (親 人,ChinJen)で あ る とさ れ てお り, しか も,前 に も述 べ た よ うに, 同姓不 要一 何 ら親 戚 関係 の ない, 遠 隔地 の同 姓を も含 め て- の原則 が, い まな お 固 く守 られ てい るた め に, 配 偶者 の選 択範 囲はか な り限定 さ 24) れ る。 この限定 範 囲を一 層狭 め る要 田 と して,望 ま しい婚 姻 相手 は, な るべ く中国 の近接 地域 出身者 の 中か ら求 め よ うとす る傾 向が存在す る こ とで あ る。 ア ロール ジ ャ ングス また は近郷 に 居住 して, 異 姓 で あ って,故 郷 が近接 してお り, そ の上 , 一般 的 な諸 条件 が合 致 して いなけれ ば な らない とい うことは結婚 難 に更 に拍 車 を加 え るこ とに な る。 た とえば, ア ロール ジ ャング スの村 内婿 の例 を見 る と,表16の よ うに な る。 なお, 広東 省 出身者 は10戸 , 福建 省福 州の 出身 者 は3戸 あ るが,村 内で通婚 してい る例 は ない。 以 上 の点 を考 察 して も, 配 偶者 が ア ロール ジ ャングス以 外 の地 か ら求 め られ る よ うに な るの は, 不 思議 で は ない。

16 A.∫.中 国 人

村 内 婚 世帯番 号

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) 芦 侃

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5日 芸 (57) 【 陳 (中) (中) (下) (中) (上) (下) (中) (中) I, : # 】 // ヲ 梁 同安県 /y /y 十 二

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考 安渓県 L;蓋…

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/y /y ク ク -;,:- -妻は,(68)林氏の娘 故人の夫は ,(28)林氏の弟 妻は,(81)翁氏 (継父)の娘 妻は,(47)尤氏の妻の母 'y i妻は

(35)陳氏の娘 註 :備考の ( )内は世帯番号を示す 。 ※ほ故人

(D) 婿 養子 と義 子 ・養女 ア ロール ジ ャ ングスに も, 結 婚 の後, 男性 が裏方 の姓 を 名 の る, いわ ゆ る婿 養子 の風 習 は な 24) 同村出身者の婚姻例が多い。下層者には,他村,他県出身者 との通婿が見 られ る。 50 - 5

(8)

0-前 田 :マ ラヤ北西 部 に お け る中国 人集 落 の構 造 (下 ) 25) い。 「女 婿

(NilHsti) とい うの は,す べ て娘 の配 偶者 を指 し,婿 養子 の ことで は ない。 しか し,や や似 た よ うな もの と して, 「招女 婿

(ChaoNdHsii養 子 を も ら う) とい う言葉 は あ る。 招女婿 の場 合 , 結 納 金 (碑金 PinChin)も挙式 費 用 もす べ て裏方 が 負担 す る。 た だ, こ の場 合 ,生 れ た子 供 の幾 人 か に妻万 の 姓を つ け る とい う約 束 は あ る。 ま た, 子供 が な い と き は, 親 戚 ・知 人 あ るい は他 人 ,また は,タイ人か らも ら うこ ともで きる。「送 児子」 (SungErh 26) Tzユ子 供 をや る)あ るい は 「買児子」(Ma主ErhTzd)とい い,女 児 の場 合 M $80-10()∼120 ぐらい, 男 は M $200-300ぐらいが謝 礼 (紅 包 HungPao)の基 準 との ことで あ る。 しか し, 出生 届 を済 ませ て しま った子 供 は, 姓 名の変 更 が 面倒 な うえ, 里親 に対 す る監督 が あ って, た び たび子供 を連 れ て ア ロール ス ター に あ る福 利部 (Fu LiPu-Department of SocialWelfare)- 出頭 しなけれ ば な らない ので, 病 院 の看護婦 な どに依頼 してお い て, 出生 直後 も らい受 け, 初 めか ら自分 の子 供 と して届 け 出 るのが 好 都合 との ことで あ る。 な お,養子 , 養 女 とは少 し離 れ るが,老 後 た よるべ き子 供 が ない場 合 , クア ラル ソプ-ルの 養老 院 (安老 院,AnLaoY''dan)に入 れ ば, そ れ です む- とは, あ る中学 生 の言葉 で, 現 代 の 中国 人青年 の家族 生 活 に対 す る考 え方 の一端 を表 わす もの と して 興味 を感 じた。 (E) 妻 の 出 身 地 戸 主 につ い て,婚 姻 時 にお け る妻 の 出 身地 を見 る と,表17の よ うに な る。 表17 で 妻 の 出身地 をAとBに区分 した が,A に 属す る地 域 は, ア ロ-ル ジ ャ ソグス, お よび,そ の近接 地域 で あ る。 そ して, ケ ダ-州 の首 府 で あ るア p-ル ス ターを 除 けば ,す べ て 中国 人 の集 落 で あ る。 表 17に お い ては, 事 例 の数 も少 ない上 に, 表17 A.∫.中国人戸主の妻の出身地 妻 の 出 身 地 名 数 AlorJanggus AlorStar A AyerHitam TepiLaut KubangRotang Kedah州内のその他の地域 Ke dah州外のその他の地域 不 例 ク ク ク ク 一 例 ク ク ク ア ロール ジ ャ ングスの女性 の婚 出先 が 明 白で ない ので, これ のみ に よって, た だ ちに断 定す る ことはで きないが, ア ロール ジ ャ ングス を流 れ る運 河 の上 流 に あ る シ ソパ ンウ ノパ ッ ト (SimpangEmpat)(図1 前号 p.72参 照 ),

ジ ュル ソ (Jurun), トビ ラ ウ ト(TepiLaut), アイ-ル ヒタム (AyerHitam)は, この地 域 の 中国 人 のひ とつ の社 会 圏 を構 成 してい る よ うに思わ れ る事 柄 が 少 な くない。 表17で は, この 社 会 圏が 同時 に ひ とつ の通婚 圏 で あ る ことを 示 してはい ないが,ketuaChinaと呼 ば れ る世 帯 番号 (60)の妹 が シ ソパ ンウ ソパ ッ トの最 も大 きな精 米所 に嫁 いで い る例 な どもあ り, ア p-ル ジ ャ ングスの女性 の婚 出先 な らび に上 記 の諸 集落 につ い て の調 査 をす れ ば, この点 が 明 らか 25) 夫 と妻が同姓 とい うことは,中国の習慣 として考えられない。 26) M$1≒邦貨118円 - 51-51

(9)

にな るで あ ろ う。 ただ,前 に も述べ た よ うに, ア ロール ス ターか ら, ア ロール ジ ャングスを経 て北上す る高速 道路が完成 し,従来, 陸 の孤 島 の観 のあ った ア ロール ジ ャソグスお よび上 記 の諸集落 は,一躍 , 交通 の要 路に な って,主 と して ア ロ-ル ス ター との交渉 が頻繁に な り, 旧来 の水路 に よる往 来 はほ とん ど絶 えた ので, こ うした社 会 圏は現在 では崩壊 しつつ あ る ことが考 え られ る。 (F) 村 内におけ る親族 関係 今 まで述 べ て きた村 内におけ る婚 姻関係 につ い て考 察 して も, す でに ア ロール ジ ャングス中 国人集落 の性格 の特徴 が多少示唆 され てい るが,親族 と姻族 の関係 につ い て考 察すれば, この 集落 の構造 的特徴 は い っそ う浮 き彫 りに され る。 ア ロール ジ ャ ングスに最初 に来 た 中国人 は,世 帯番号 (48)洪 氏 の父, 福建 省 同安 県 出身 と いわれ るが (表

5

前号

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8

0

参照),この洪 氏 はす でに死去 し, そ の子 の洪 氏 は ア ロール ジ ャ ングスに親族 も姻族 もない。 洪 氏 と同姓 の家 はあ るが, 同 じ岡安県 出身 であ って も, 中国人 の い う同郷 同祖 先 で はない。また , 親族 ・姻族 とい う点か らも, 広東 省 出身者10戸 の間, 福建 省 福 州出身者 3戸 の間 には,何 らの関係 も見 られ ない。 集落 内の主 な親族 ・姻族 関係か ら構 成 さ れ る集 団は,す べ て,福建 省安渓 県 あ るいは同安県,南安県 出身者 で あ る。 そ の主 な もの3つ 27 鐘 lノ I

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上 中下 階 層評価 -- 同郷 同祖先 □ 小学校理事 ※ほ,アロールスター-移住 -

(10)

52-前 田 :マ ラ ヤ北 西 部 に お け る中 国人 集 落 の構造 (下 ) を図示す れば, 図 3, 図 4, 図 5の よ うに な る。 図3, 図 4に示 された戸主 はす べ て安渓 県 の 出身者 で あ り, 図 5の場 合 は 岡安 県, お よび南 安 県 の 出身者 で あ る。 これ らの図には,表10(前 号 p.88)に よる階 層評価 の印 (上 ・中 ・下 ), お よび,小学校 の理 事で あ る者 に は⊂二コ印を付 しておいたが, 注 目すべ きことは, ア p-ル ジ ャ ングスで最 も裕福 で あ る といわれ る6戸 の うち, 4戸 までが, 図1に おけ る林 氏 の一族 で あ る点 で あ る。 しか も,実 質 的に集落 の指導 的役割 を演ず る小学校 理事15名, 実 際 には転 出 した 者 が1名あ って14名の内,10名が この一族 か ら出てい る。 したが って, この一族 の 中で経 済 的 に も,社 会 的に も重 きを なす ものが,ketuaChinaと 目され る よ うに な るのは 自然 のお もむ く ところで あ る。 この よ うに,細部 にわ た って考察 を加 えて くる と, 一 見, ま と ま りのな さそ うな ア ロール ジ ャングスの中国人集落 の構造 は, は っき り浮 き彫 りに され る。 行政 組織 と し て は 何 ひ とつ 明 確 な ものが な くて も, この集落 の 中核 をなす ものは, 社 会 的に も経 済 的に も福 建 省 の 安 渓 配 -- 主 と して仙都村- の 出身者 で あ る。 同 じ福建 省 出身者 で あ って も,福 州 出身者 , あ るい は広東 省 出身者 は, 大部分第 2次世 界大戦 中に, 米作地 帯 で あ る この地 区に 疎 開 し て 来 た と か,精 米所 に住み込 み の労働者 で あ る とか で あ って, いずれ に して も, ア ロール ジ ャンブスの 中国人 の主流 をなす もの とは考 え られ ない 。 極 言す れば, 関 南 の安渓 県の 1分村 が, この マ ラヤの北西 隅に存在 してい る とい うことで あ って, あ る安瑛 県 出身 の 中国人 は, ここは r小安渓」(HsiaoAnChi)で, 言語 ,風俗 ,習昭 のす べ てが,祖 国そ の ままであ る と広言 していた。 6 宗教 お よび主 な年 中行事 ア ロール ジ ャソグスの 中国人は,年長者 も含 め て,一般 的に, 日常 の慣習 と して家族 の守 護 神 で あ る神 仏 を両 り, あ るいは宗教 に関 係あ る年 中行事 を形式 的に踏 襲 して い る と い う点 で は,宗教 に関心 を払 ってい る よ うに見 え るが, と くに個人 と して信仰心が強 い とは思 えない。 2

7

福建省 出身者 お よび客家 出身者 は, 一 家 の守 護神仏 と して, 「大 伯公

(Ta Bo Kung, 写 28) 真 7参 照) を両 るものが 多 く, また, 同省 出身者 には商業従事者 が多 い関係か らか, 「1謁帝」 (KuanTi, 写 真8参 照) を両 る者 も少 な くない。 これに反 し て広東省 出身者 は, 「観音」 (KuanYin, 写 真 9参 照) を岡 る ものが 多い O そ の他 に, 天 の神 と して, 福建 省 出身者 は 「天官賜福」(T`ienKuanT`zhFu,写 真10参 照) を,広東 省 出身者 は 「天神」(T`ienSh色n) ●●● を両 り,か ま どの神 と して, 福建 省 出身者は 「司命

(SaMing)を, 広東 省 出身者 は 「虻 神」(TsaoShen)を両 る。 また,広東 省 出身者 のみ 「J地神」(Ti Shan, 写 真11参 照)を祭 る。 27) 大伯公 とは土地神の別名で,中国固有の神ではないとい う。 28) 関帝は,財産に関する神で,特に商業従事者にこれを両 るものが多いとい う。 - 53- 53

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写真7 大伯公 の 肖像。 写真9 観音を両 る例。 54 写真8 関帝 の肖像。 写真10 天官賜福を示司る例。 - 5

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4-前 田 :て ラヤ北 西部 に お け る中 国 人 零落 の構 造 (下 ) 写真11 地神を両 る例O 写真13 紙 の位牌。 - 55- 55 写真12 家 族の神 々の一覧表。 写真14 漢の忠臣蘇武,歴史の時間に用㌧ られ る掛図。(小学校にて所見)

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観 音は,福建省 出身者 の間では 「仏祖」(FoTsu) と呼ばれ, 潮 州出身者 には 「亜娘」(Ya Nian)と称 され,広東省 出身者 以外 の家庭 で も祭 られ ることは問 々あ る。 しか し, ア ロール ジ ャングス周辺 の 中国人集落で,大 伯公あ るいは関帝を祭 り, 門前 に天官賜福 の線香立 てを 出 し てい るものは,大体,福建省 出身者 であ る と見 て間違 いない とい うことで あ る。 なお, ア ロー ル ジ ャングスの中国人 の中には, 「天主教」(T`ienChuChiao- カ ソ リック)

,

「基督教」 (Chi TuChiao- プ ロテス タ ン ト) の信者 はな く, もちろん, イス ラム教徒 もいない。 ア ロール ジ ャングスのほ とん どの中国人 の家庭には,表 の間 の正面に, さきに挙 げた家族 の 守護神仏 の 肖像画 の 1種 と, そ の横 に 父祖 の位牌 お よび諸種 の神 々の一覧表 の よ うな ものを祭 ってい る (写 真12参 照)。 守護神仏 はいずれ も彫刻像 で はな く, 赤 い紙 に画かれた絵 であ り, 色あせ てい る もの も多 く, また, 貧困な家庭 では,単に赤 い紙に, 金色で神仏 の名を書 いただ け の もの もあ り (写 真

9

参 照), 父祖 の位 牌 さえ も,赤 い紙 に字 を書 いただけの ものが あ る (写 29) 真13参 照)。そ して平 日の朝夕には, おのお のの神に3本ず つ の線香 を供 え,1日と15日には, 1対 の赤 ロー ソクを点 じる。 しか し,朝 夕線香 を供 え, あ るいは赤 ロー ソクを点 じるのは多 く 老主婦 であ って,若年者が これ を行 な うのを見かけた ことが ない。 この点につ いて, 中国人に 質問 した ところ,老人は毎朝起床す るのが早 い とい うだ け の ことで, 若年者 が祭神 して,何 ら 差 支 えはない との ことであ った。 後 の教育 に関す る項 で述べ る よ うに, 中国人が この地域 に移 住 して来 たばか りの60年 も以前 に, この地 にはす でに私塾 が あ り, また,1929年 の学校設 立,1932年 の校舎建築 な ど, 中国人 が教育 に対 して払 って きた努力 は, ア ロ-ル ジ ャングスにおいて, 今 日,現実 に見 る ことがで きる。 また,集落 内には 「医薪房」(YiYa°Fang-Clinic一 診療所) が あ るが,1軒 の寺廟, 1カ所 の面司さえ もない。 た だ, ア p-ル ジ ャソグスを流れ る運 河 の上流 にあ るシ ソパ ンウソパ ッ トに, ア ロール ジ ャ ングス, シ ンパ ソウソパ ッ ト, ジ ュル ソ, トビラウ ト, パ ダ ソ-ソ (PadangHang)の5つ の 中国人集落民が協 同 して建 てた 「克 明堂」(K

`

MingT`ang)とい う小 さな両が あ る。 建築年 は1958年 で,総建築費はM $5,935であ る。 しか し, そ の歴 史 と規模 において,小学校 や医薪 房 に比べ て格段 の見お と りがす る。 結局, 出稼 ぎ地 での きび しい現実 と,教育 の普及に よって,宗教 はほ とん ど迷信 と認 め られ, 僅かに生活慣習 と して,一部 に形式 のみを残 してい る よ うに見え る。 マ レー人が イス ラムを固 く信 じ 生活 の中において, そ の戒律 を守 り続 けてい るのに反 して, 中国人 の場合 は多分 に融 通性があ り,甚 だ現実的であ るといえ る。 29) 中国人社会では,公用の場合は陽暦,家庭生活では 「農暦」(NungLi,陰暦)が用い られる。 56 - 56

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-前 田 :マ ラヤ北 西部 にお け る中国人 集落 の構 造 (ド) つ ぎに, ア ロール ジ ャ ングス 中国人 の主 な年 中行 事 は つ ぎの とお りで あ る。 1. 正 月初 - (一 日) (新 年 )

2.

正 月初 九 (九 日) (拝 天 公 ) 天 の神 を拝 す る。 た だ し, 広 東 省 出身者 は拝 しない 。 3.正 月十 五 (拝 月亮 ) 月 を拝 す る。 た だ し, 福 建 省 出身 者 は拝 しな い もの が 多 い。 4.三 月 (清 明節 ) 父祖 の墓 まい ど)をす る。 (3月何 日で あ るか は年 に よ って異 な る。)

5.

五 月初 五 (五 目) (端 午 節 )

6.

六 月十 五 (半 年 円)

1

年 の なか ば を終 った 感 謝 。

7.

七 月十 五 (七 月半 , 鬼節 ) 祖 先 お よび 無縁 仏 を拝 す る。 広 東 省 出身 者 は 七 月十 四 日に 行 な うこ とが 多 い。 8.八 月十 五 (仲 秋 節 ) 9.十 一 月 (冬至 ) 10.十 二 月三 十 日 (団 円節 ) 1年 を 終 った 感 謝 。 出稼 ぎに 行 って い る家族 も父 母 の も とに 帰 らな けれ ば な らな い。 7 教 育 (1) 集 落 の小 学 校 の理 事 と校 史 ア ロ-ル ジ ャ ングスに早 期 に釆 村 した 中 国人 は, 表

5

(前号

p.

8

0)

に 示 した よ うに, 農 民 や 小 商 人 と して移 住 した も の で あ って, 生 存 して い る 年 長者 に お い て も, 英 語 は い うに及 ば ず , 中国語 で も北 方 系 標 準 語 を話 せ る者 は な く, また , 文 盲 で は な い が, 教 育 の程 度 は至 って 低 い。 しか し, 彼 らは 子 弟 の教 育 に は 一 般 に極 め て熱 心 で あ る。 しば しば 述 べ た よ うに,世 帯 番 号 (26)- 在 世 して い る もの の 中 で は最 初 の釆 村 者 , 表5参 照- が60年 前 に この集 落 に 到 達 した と きに もす で に 私塾 が あ った とい うほ どで あ る。 現 在 で もア ロール ジ ャ ングスは もち ろ ん, 附 近 の どの よ うな 中 国 人 集 落 を 訪 れ て も, ほ とん ど例 外 な しに, 中 国 人 の小 学 校 が 見 ら れ る。

7 ロ- ル ジ ャ ン ブスに は 文 華 学 校 国民 型 華 文 小 学 校 〔BOON HW A National-Type (Chi -nese)PrimarySchool〕- 義 務 教 育6年 制- が あ り, これ は,全 村 民 に よ って選 ば れ た15

名の理 事 (董 事 )- 理 事 長 (主 席) を含 む- に よって運 営 され る。 理 事 の氏 名等 は表18に 示 した とお りで あ る。 理 事 の任 期 は 3年 で あ り, 毎 年 3分 の 1ず つ 改 選 され る こ とに な って い る。 この小 学 校 の設 立 か ら現 在 まで の概 略 を, 校 史 は つ ぎの よ うに述 べ て い る。 『本校 は1929年 に創 立 せ られ た 。 創 立 の は じめ, 校 舎 は1問 の籾 倉 庫 を 教 室 に充 て て いた。 最 初 の教 師 は 曾 謀 方 氏 で あ って, 私塾 式 教 育 法 に よ って, 10数 名 の学 童 を教 育 して い た。 この 30) よ うに して ,4年 を経 過 して後 , 当 地 の教 育 に熱 心 な人 士 ,林 茂 益 , 鐘 志 和 , 洪 以劉 , 梅 振 林 30) 林茂益,鐘志和両氏は現在 も理事に任 じ,梅振林氏は2男が これに代 り,洪以劉氏は不明。 - 57- 57

(15)

表17 A.∫.中 国 人 学 校 理 事 1 2 3 4 5 世 帯番号 転 居 Simpang Empat 15 35 15 1 2 3 4 5 1 2 3 4 5 註 : 4 8 7 8 0 1 2 7 1 6 年 令 l出

身 】

職 都 郡 山 安 山 ′1 ′Jリー 広 東 台 山 安 渓 仙 郡 安 渓 仙 都 安 渓 山 道 広 東 台 山 37 45 34 40 45 安 渓 仙 郡 安 渓 仙 郡 安 渓 仙 都 安 渓 仙 都 安 渓 仙 都 業 E階 層評価 経 店 店 所 店 店 ク 米 貨 貨 精 雑 雑 金 舗 宿 営 員 主 仙 主 精

所 労 働 者 農 業

(

作) 雑 貨 店 店 主 (兼 金舗) 雑 貨 店 店 主 ラ 精 ト 雑 精 米 所 経 営 ク ツ 貨 米 運 送 業(運転手) 店 店 主 所 経 営 1.替 助人代表- 多額 寄 付 負担 者 2.官委代表- 政 府任 命監察 3.校 友 代表- 卒業生 4.家長代表- 父 兄 5.受托人代表- 旧理 事 氏な どが, 児童 の教育水準 向上 のた めに,毅然 と して寄付金募 集 の先頭 に立 ち, 幾 多 の困難を おか して募金 の後,着極 的に工事を推 進 し,1933年夏 ,鍵峨 た る新校舎 は,落成す るに至 った 。 新校舎 の使用後,学 童 は50余 名に増加 した ので, 理事者 は これに対応す るため, この年 に翁 如錦氏を初代校長 と して, また,別 に教師1名を増 員 し, 新学制 の教学法を採 用 して学童を教 育 した。約6年 を経 て貧民が離任 し,1938年初, 陳朝鴻氏が校長 とな り,3年 の後,陳氏が辞 任 し,翌年 ,江集 中氏が校長 と して招聴 された。 1941年, 日本軍 の南侵 に よ り閉校 とな り,1945年 日本 の投 降に よって46年春,再 び開校 した。 再 開後, まず 影家良氏を校 長に招碑 し, また教師

1

名を増 員 し,

1

年後 に影氏が辞任 し,後 に 林徳孝 氏が校長 にな った。そ の とき学童 はす でに70余 名で あ った。 1949年末,林徳孝氏が辞任 し,理 事者 は林徳 音氏を校長 と し, 1954年末 に至 って林徳音氏が 辞任 し,李福興氏が任 を継 ぎ,李氏は1959年末 に辞任 し,1960年初, 陳奇聾 氏 が これ につ ぎ, 今 日に至 ってい る。 本校 は,現在 120余 名の学童, な らびに華文, 英文 の専任教師5名兼任 の マ レー語教師3名 お よび兼任 の校 務員1名がい る。 本校 に戟前 多年歴任 した理事老 主席林茂益 氏は, 戦後,商務 の都合に よって ア ロ-ル ス タ-に転居 した ので,そ の後任 と して林伏盛氏が選 出 された。 林伏盛氏は教育 に熱心 で,かつ, 人 望 も篤 く,学校再 開後,ひ きつづ き10数年 の長 きにわた って,理事長 の職 を担 当 してい る

58 - 58

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-前 田 :7ヲヤ北 西部 に おけ る中国 人 集落 の構 造 (下 ) (2) 小 学 校 の現 況 (勾 学 童 と教 師 と校 舎 現 在 , この小 学 校 に学 ん で い る学 童 数 は, 周 辺 村 落 か らの通 学 者 も含 め て211名 で あ り,教 師 は校 長 陳 奇等 氏 以 下6名 で あ る。 さ きの校 史 に よる と, 校 舎 建 築 の1933年 当 時 , 学 童 数 は50余 名 で あ った が , 現 在 で はそ の4倍 を 超 え る増 加 を 示 して い る。 校 舎 は, 古 色 蒼 然 と した 旧校 舎 31) の ま まで あ り, そ の後 ,堰 , 改 築 は全 然 行 なわ れ て い な い。 6年 制 の小 学 校 で は あ るが ,2階 の屋 根 裏 の部 屋 まで教 室 に充 て て, よ うや く4教 室 が とれ るだ け で , 1階 は土 間 の ま まで あ っ て, 特 殊 教 室 は もち ろ ん, 職 員 室 も事 務 室 もな い。 学 校 は , 教 室 と教 師 の不 足 に よって, や む な く複 級 教 育 を行 な って い る。 す なわ ち,

1

,

2

年 次 は合 併 して1学 級 , 3年 次 お よび4年 次 は単 独 ,5,6年 次 は合 併 して1学 級 を な して い る。 教 室 は1,2階 に 各2室 あ るが , 単 に衝 立 で 仕 切 られ て い るだ け で あ る。 授 業 は, 何 の科 目 に よ らず , 戦 前 の 中国 の小 学 校 と同様 , 音 読 をす る こ とが 多 い の で, 衝 立 を越 え て, 相 互 に大 声 が 反 響 し, 学 校 は全 く喧 騒 の一 語 に つ き る。 また , 複 級 の年 次 は, 同教 室 に お い て, 同 時 間 表 で授 業 を行 な って い るので あ るが , 教 師 は 1節30分 授 業 の 内, 前 , 後 半 各15分 に分 け て, 対 象 年 次毎 の授 業 を行 な う。 例 え ば ,1,2年 次 複 級 の と きは, 1年 次 に対 して15分 , 残 りの15 分 で2年 次 に対 す る授 業 を行 な うの で あ る。 従 って, 1年 次 の習 って い る と きに は, 2年 次 は 自習 とい うこ とに な り,校 舎 の狭 陰 と設 備 の不 完全 に よる喧 騒 とは, 数 育 上 , 多 大 の支 障 を釆 して い る。 学 校 は政 府 の規 定 に よって,1日, 1,2年 次生 に対 して は210分 , 3,4年 次生240分 , 5, 6年 次生270分 の授 業 を行 なわ な け れ ば な らな い 。 授 業 は 午 前 8時 か ら9時30分 まで に3節,9 時40分 か ら11時40分 まで4節 , 昼 食 のた め30分 休 憩 の後 , 午 後0時10分 か ら1時10分 まで計9 節 が 行 なわ れ る。

(

B

)

授 業 の 内 容 授 業 内容 は ,表19の示 す とお りで あ る。 各 学 年 を通 じて, 中 国語 (華 語 ) に 関 す る ものが 最 も多 く, 算 数 関 係 が これ に つ ぐ。 マ レ-請 - 重 文 (W uW an)あ るい は, 現 在 で は 「国語 」 と よぶ こ とに な って い る- は , 入 学 時 よ り漸 次 多 くな り, 5,6年 次 に至 って, 1遇 7節 を 学 ぶ よ うに な るが , 5,6年 次 の華 文 関 係 科 目14節 に比 べ て, な お, 2分 の 1に過 ぎな い。 学 校 に お い て は , 毎 日の朝 礼時 に お け る校 長 の訓 辞 か ら, 授 業 のす べ て に至 る まで, 北 力 系 標 準 語 で行 なわ れ る。 31) 校舎新築の計画があ って, 理事会は約20ル ロン (約5ha)の土地を購入 した とい う。 なお,マ レー 人学校の場合,土地 ・校舎 とも国家の負担に よるが,中国人学校の場 合は,土地は当該小学校の理事 会が準備 し,建築のみ国家の負担に よるとい う。 - 59 - 59

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学 童 は,学 校 以 外 の場所 で は, 父祖 の 中国 の 出身地 の言語 , ア ロール ジ ャ ングスにお い て ほ, 少数 の広 東 省 出身者 も含 め て福 建 語 を使 用す る ことが 多 いが,就 学 以後 は, 少 な く と も学 校 内 で は,す べ て, 北 方 系 標 準語 を使 用す る ことを 強 い られ る。

(

C

)

上 級学 校 - の進学 就 学 率 は, 現 在 , 義 務教 育 で あ るた め, 100%で あ るの は異 とす るに足 りないが, 中 学 校 - の進 学 者 が計38名 もあ る。 中学 校 は, 初 級 中学 の上 に さ らに高 級 中学 (と もに3 年 課 程 ) が あ るが, いず れ に 表19 A・∫.中国人小学校授業科 目表 計 民 史 理 然 生 公 歴 地 自 衛 一 1 一 3 2 2 一 3 2 2 2 3 4 1 2 2 3 3 2 2 6 7 0 8 8 1 工 工 楽 育 図 手 音 体 7 一 3 4 3 1 1 2 計 I 3 1 2 ㍉ 十 日 J 「 ‖ 3 3 6 0 1 1 して も, 学 生 は ア ロール ス タ -へ 通学 す るか, 下 宿 (住 宿) しなけれ ば な らな い。 ほ とん どの 中学 生 は, ア p-ル ス ターの 中学 校 に在 学 して い るが,世 帯 番 号 (18)の長 男 だ けが, ペ ナ ンに あ る韓 江 中学 (高 商 都 ) に 在 学 してい る。 現在 まで の と ころ, ア ロール ジ ャ ングスに は, 大学 進学 者 , また は卒 業 者 は い ない。前 記世 帯 番 号 (18)の長 男 は大学 進学 を希 望 してい るが, 彼 の説 明 に よる と, ペ ナ ンの 中学 校 に在 学 す る場 合 ,学 資, 生 活 費 を ふ くめ て1カ月約M $70を要す るが, 香 港 の大 学 に進 学 す る場 合 1 カ月約M $300, シ ソガポ ールで は約 M $200を必 要 と し, 欧 州 へ留学 す るのに比 べ て あ ま り 差 が ない。 しか し, 台湾 の大 学 に留学 す る場 合 は ,物価 の関 係 で約M $50で足 りる。 な お経 費 の点 のみ で な く, 台 湾 の大 学 で は, 中国語 に よる講 義 が 多 く, 日常 語 も彼 らの福建 語 が通 用す るので, これ も彼 が台 湾 留学 を希 望す る理 由に な って い る。 彼 は, 高 級 中学卒 業 後 , 台湾 の大 学 - 進 学 して卒 業 の後 , で きれ ば 更 に, オ ー ス トラ リアの大 学 に1,2年 間 留学 して 帰 国 した い と述 べ て いた。 マ ラヤに お い てほ, 自国 あ るいは英 連邦 内 の国家 の大 学 を卒 業 しな い限 り, 大 学卒 と認 め ない との ことで あ る。 いず れ に して も, ア ロール ジ ャ ングスの若者 の 中で今 明年 の 内に大学 に進学 す る可 能 性 のあ るのほ ,現 在 の と ころ彼1人 で あ る。 なお, 学 生 が政 治 活動 を行 な うこ とは 厳 禁 され て お り, 彼 の言 に よれ ば , 学 生 は校 外 に お い 60 - 60

(18)

-前 田 :マ ラヤ北 西 部 に お け る中 国 人 賃落 の構 造 (下 ) て,

5

人 以上 が 同一行動 を とる ことさえ許 され ない との こ とで あ った し, た また ま,彼 と懇談 した数 日前 に報 道 され た シ ンガポ ールの分離 独立 につ いて意見 を求 めた ところ, 学 生 は政 治 に つ い て語 る ことは許 され ていない との ことで, 一 言 の感想 談 さえ もひ き出す こ とが で きなか っ 3

2

)

た。 また

,

「馬大」(MaTa)卒業生 は, マ ラヤにおい ては,そ の大学 の政 治活動 が 烈 しい理 由 で,就 職 に当 って困難 を伴 な うことが多 い との ことで あ った。 8 7 ロー ル ジ ャンゲス 中国人の故国 との関係 (1) 引揚 げ帰 国 と観光 帰 国 ア ロール ジ ャ ングスの中国人が,そ の 出身 の地域 別にそれ ぞれ の同郷者 意識 を もちなが らも, 一方, 中国人 と して の強 い民族意識 と団結 も保 ってい る こ とは前 に も述 べた とお りであ る。 例 えば, マ ラヤ生れ の 中国人 で さえ も, 中国 とい う場 合, しば しば,祖 国 (TsuKuo)あ るいは 祖 家 (TsuChia)とい う言葉 を用 い る。 また,祖 国 とい う場合 も,そ の使 用 例か ら推 察 して, 祖 家 の場 合 と同様 ,単 に故郷 とか祖 先墳墓 の地 を指す もので あ って, と りた てて, 国家 とか政 権 の所 在 を詮 索す る もので はない。 ア ロール シ ャ ./グスへ早期 に来 村 した 中国人 は, 家業が一応 の安定 を見 る と, 息子 な どを後 継者 に残 して帰 国 し,老 後は故郷 で過 した例が 多 い。 しか し

,1

9

3

7

年 に始 まった 日中戦争, 引 きつづ く第

2

次世 界大 戦, 日本軍 の マ ラヤ占鼠 あ るいは, 中国 の内戦,

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9

4

9

年 の中国革命 な ど一 連 の動乱 に よって, ア p-ル ジ ャングス と故 国 との往来 はほ とん ど杜 絶 していた。 現在 で も, 中華 人民共 和国 とマ レー シアの問には国交が ないため, 帰 国には手続 上,諸種 の不 便は伴 うが, 引揚 げ帰 国あ るいは期 間

4

カ月 まで の観光 帰 国は可能 にな ってい る。 しか し,集落住民 の多数 を しめ る中, 下 層者 (表10, 前 号 p.88参 照) は, 経 済 的 な理 由の み か らい って も帰 国 な ど考 え難 い状 況 にあ り,そ の上,長期 間 にわ た って, 故 国 との往来 が杜 絶 して いたため,老年者 においては,故 国に在 る父母, 兄弟 な どの多 くが死亡 し, 反 面, マ ラ ヤで の係 累 が増 加 した こと, お よび, 引揚 げ帰 国 した ものは, 再 び マ ラヤに渡航 して来 られ な いな どの理 由に よって,現在 , 引揚 げ帰 国を考 え てい る ものは ない。 ア ロール ジ ャ ングスの 中国人 の若者 は, しば しば,われわれ に対 して,中国は強 大 にな った, 原子爆 弾 も保有 して い る,昔 日の社 会 の腐敗 と貴 官 汚吏はな く, 治安 も頗 る良好 で あ る と誇 ら し く語 って きた。 しか し, 別 の面で ,それ に附随す る故 国 の政 治 の きび しさ, お よび,故 国か らの便 りが,多 く金 銭 と物 資 の送付 を依頼す る ものであ る ことな どに よって, 故 国 の生 活が不 如意 で あ る らしい こともよ く承知 してい る。 結局 , マ ラヤは物 資は豊 富 であ り, 気候 的に も住 33) み よ くて

,「1

日働 けば,3日遊 んで暮せ る 自由が あ る」 とい って, 中国を誇 らし く語 り, 観 32) 馬釆亜大学の略,現在のシンガポール大学を指す0 33) 「四時都是夏,一雨変成秋」- いつ も夏だが,一雨降ると,す ぐ爽涼になるとい う諺がある。 - 61- 61

(19)

光 帰 国の希望 は もつが,現在 では, 中国は帰 国 して住むべ き ところでは ない と考 えてい る。 34) 帰 国旅 行者 は一般 に35才以上 の者 が 多 い。 例 えば,世 帯 番号 (60)は, 第2次世 界大戦後, 1954年 に最初 に観光 帰 国 し, 最近 には世 帯 番号 (14)が1965年 3月か ら5月 まで帰 って来 た。 そ の間,5名が観光帰 国 した との ことで あ る。 (2) 観 光 帰 国 の 1例 中国旅 行か らア ロール ジ ャングスに帰来 して,2カ月を経 たばか りの前 記 , 世 帯 番号 (14) 35) に観光 帰 国につ い て質 問 した。 彼 の職業 ,釆 村事情 な どにつ いては, さ きに述べ た。現在 ,彼 の父 と, 父 の第2夫 人 お よび 5人 の異 母 兄弟 は屋 門 にお り, 実 母 と実 弟 は安渓県 に居住 して い る。 た また ま,彼 の妻 の祖 母 〔世 帯 番号 (60), (18)の母〕 が最近 ア ロ-ル ス タ-において逝 去 した とき, 肉親死 別 の悲 しい場 面 を 冒睡 して, 彼 は故 国 にあ る 自己 の老 令 の父母 の健在 の う ちに, 帰 国 し孝 義 を尽 して くる ことを発意 した。 パ スポ ー ト (護 照 HuChao)で の渡航先 は, 香 港 とな って い る。 事 実 は 中国に 旅行す る も ので あ る ことは, 携帯 品そ の他に よって, 容易 に推 察 で き る もの と考 え られ るが, ともか く, そ の ま まで 出国で き る ことにな って い る らしい。 彼 の場 合 , 出発港 は ペナ ソであ り, シ ンガポ ールを経 て香 港 につ き, さ らに広東 省油頭 に到 着 した。 い うまで もな く, 中国 の

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は取得 していない ので あ るが, 船 が抽頭 に着 くと, 官 吏 が乗船 して来 て,一応 の調 査 の後, パ スポ - トとは 別 に帰 国証 明書 を発行 して上陸 を許 可す る。 - 造 々 と故 国 の港 まで帰 ってか ら, 入 国を許 可 され なか った場 合 ど うす るか, との問 い に対 して, 自分達 は 中国人 で あ り, 入 国ではな く 「帰 国」 で あ るか ら, そ の よ うな ことは絶対 にない とい う。 抽 頭 に上 陸 の後, バ スで度 門 に, 更 にバ スで安 漢 に帰着 した。 国 内旅 行 は, 福建 省泉 州,宿

州,

江西 省贋 滞 (東116055',北 28015'),折 江省杭

,上海 な どを経 て度 門に帰着 し, 再 び油 頭 か ら乗船 , も との コースを経 由 して, ア ロール ジ ャングスに帰着 した。 36) 料金 は, 総槍 で往 路 はM $180,復 路 は85中国 円- 約M $100- であ り,往 復 お よび 中国 37) 内旅 費 に約 M $500,土 産,小 遣 いな どを含 め て,M $1,000で足 りる との こ とで あ る。 この旅 行 を通 じて彼 の得 た新祖 国観 は,役 人 が親切 にな った こと, 社会 が全 く浄 化 され た こ と- 阿 片吸 引, 賭博 ,娼妓,盗 人 な どが姿 を 消 し, 治安 が よい ので, 夜 間で も門を閉め る必 要が ない- ,工 業 化 の進展,交通 の改善 な ど多岐 にわ た るが, 一 言 にいえば, 中国は よ くな 34) 35才以下の者が中国に帰国すると,徴兵されて,再びマラヤに帰 ってこれないとい う。 また,マレー シア政府が,若年者は共産主義教育に染まりやすいため,再入国は許可 しないのだともい う。 35) 『東南アジア研究』第3巻第5号拙稿,pp.82-83。 36) 船槍の貨物の上に板をひいて寝る。寝具などは携行する。 37) 別な村人の説によれば, トランジスターラジオ,時計,衣類などを中国に持 って帰って, 内密で人に 頒てば,現金支出は半額 ぐらいで止まるとい う。 62 - 6

(20)

2-的 田 :マ ラ ヤ北 西 部 に お け る中 国 人 集 落 の 構 造 (下 ) った とい うこ とで あ る。 行 政 につ い て も, 以前 は, 県- 郷一 村一 保- 甲 とな って いたが, 現在 で は, 区一 大 隊一 小 隊 とい うよ うに軍 隊 化 され , 末端 の小 隊 には, 小 隊 長 のほか に書 記 長 が い て, 書 記 長 が権 力 を握 ってい る とい う。 た だ, マ ラヤ帰 りの彼 に とって祖 国が寒 か った こ と, お よび食料 は安価 で あ った が, 衣 料 な どは 少 な く, 一 般 に 貧 困に 見 えた とい う。 38、) 彼 の結 論 は, や は り南 洋 は よい, 暑 さ も朝, 昼 , 夕 の mandiで凌 げ る し, こ こに住 み 慣れ た とい うこ とで あ る。 彼 の この結 論 は, ア ロール ジ ャ ングスの 中国人 の 中年 層 以下 に ほぼ共 通 す る もの と見 て よか ろ う。 そ して, これ は結 局, 中国 は遠 くな った とい うこ とで あ り, ア ロー ● ● ● ● ● ● ル ジ ャングス中国人 の マ ラヤ定着 化 の傾 向を示す もの とい え よ う。 9 む す び ア ロール ジ ャ ソグスの 中国人集 落 の特 徴 を要 約す る と, つ ぎの よ うに な る。 この集落地 附 近 - の 中 国人 の最初 の移 住 は, 決 して古 い もので は な く, 約65年 以前 に遡 り う るにす ぎず , 初 期 の 中国人 は主 と して, 中国か ら直接 , ペ ナ ン, ア ロール ス ターな どを経 由 し て渡 航 して来 た もので あ り, マ ラヤの 中, 南部 の錫 鉱 山, ゴム園か らの流 入者 は い な い と見 ら れ る。 住 民 は,初 期 の ころは, 福建 省安 渓 県 , 同安 県, 南 安 県, あ るいは広 東 省 出身者 が ほぼ 同率 を しめ ていた が ,現 在 では,安 渓 県- と くに,仙 郡村- 出身者 が 多 く,中で も世 帯 番 号 (60) 林伏 盛 氏 を頂 点 とす る林 氏 の親族 ・姻族 が経 済 的 に も,社 会 的 に も重 きを しめ る,同郷 出身者 , 同族 を 中心 とす る, いわ ゆ る地 縁 血縁 関 係に よ-lて結 ば れ て い るO 住 民 は, マ レー人 農 民 を対象 に, 主 と して精 米所 , 雑 貨 店 , 金 舗 な ど小 売 業 を経 営 し, あ るいは, そ れ らで雇 用 され る店 員, 労働 者 と して働 く。 一般 に マ ラヤの中国人 といえば, 錫鉱 山, あ るい は, ゴム園従 事者 を連想 す るが , ア p-ル ジ ャングスの中国人 とそれ との関係 は ほ とん どな い。 一 般 に マ ラヤで は, 中 国人 は裕 福 で あ り, マ レー人 は 貧困 で あ る といわ れ て い るが, この集 落 で は,

5

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戸 の財 産 家 と他 の村 民 との貧富 の差 はか な り大 きいL7 現 在 , 住 民 と故 国 との関 連 は緊 密 で は ない C 裕 福 な ものは生 活環 境 の よい マ ラヤ

0

)都会 地 に 進 出 しよ うとす る し, 貧 困者 は ア ロール ジ ャ ソグスに と どま る よ りす べ が ない 。 そ して, 第2 次世 界大 戦 後 , この集 落 か ら離 れ て行 った者 は あ って も, 転 入 して来 た ものは い な い とい う事 実 か ら推 して, この村 の今 後 の盛 衰 が予 測 され る よ うで あ るO いず れ に して も, 中国 人 の故 国 との関 連 が 弱 くな り, マ ラヤ定着 化 が進 み つ つ あ る こ とは事 実 で あ る。 行政 につ い ては, い うまで もな く, マ レー シアの行政 系統 に は 属 しなが らも, 多分 に 自治村 38) 南洋 とい う場合, 日本語での東南アジアとい う意に同 じ。 - 63- 63

(21)

的な傾 向が見 られ, また,村 内では 明確 な行政組 織は存在 しな くて も, 地縁血縁 の家族的 な ま とま りの中で,集落 の融和 と団結が保たれ てい る。 宗教 はほ とん ど形骸 を と どめてい るにす ぎず,個人 の信仰 とい うよ りは, 家庭 あ るいは中国 人社会 の単 な る惰性的年 中行事 に堕 してい る観が あ る。 こ うした祭 日 (節

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は,現在 で は,正 月の数 日を除い て年 中無休 で働 く中国人達 に とって格好 の憩 いの 日とな り, 関心は祭 日 の一 家団輿 の楽 しい食事 につ なが るだけであ る。 教育については,極 め て熱意 を示 してい る。 学校 においては,知識 の教授 もさることなが ら, 中国人 と しての伝統 の礼儀,作法 な どを失わせ まい とす る努 力が見 られ る。 礼儀 ,作法 の点で は, 中国人 と周辺 の マ レ-人農民 とは極 め て対 照的であ り, 中国人 が マ レ-人 を軽侮す る主 な 理 由は, 礼儀,作法 を知 らず信用を重 ん じない とい うことで あ り, 父母祖先を軽 ん じ 怠惰 で 金 銭を浪費す るとい うことな どが これについで い る。 ア ロール ジ ャソグスの中国人に は,現在, マ レーシアに定着 し, 同化 しよ うとす る傾 向は見 られ るが, マ レー人 との同化を考 え る ことは至難 であ る。 言語,宗教,風俗 習慣 の相違 に加 え て, この数十年 の間にわた って中国人 の頭 に惨 み こんだ マ レ-人に対す る軽侮 と不信感 は,余 りに も大 きい。 マ ラヤにおいて, 中国人 人 口あ るいは勢力が比較的少ない といわ れ るケダー州 の, しか も,そ の偏遠 の地 ア ロール ジ ャソグスにおいて も, 中国人 の経 済的進 出が この よ うに 強 力で あ り, ア p-ル ジ ャソグスな しに, 周辺 の マ レー人農村 を考 え ることが不可能 な現実 を 日睦 して, 中国人 のす ぐれた資質 と,刻苦耐労,勤 倹節省, 友誼 と信用を重 ん じる美風を改 め て深 く認識 した ことであ った。 終 りに, この報告稿を作成す るに当 って,前 号 「上清」 の場合 と同様, 竜谷大学助教授 口羽 益生民 な らびに京都大学東南 ア ジア研究 セ ンター助手坪 内良博 氏に,一貫 して, 全 面的に御指 導,御援 助 いただいた ことを重ね て記 し,衷心か らの謝意を表 したい。 64 - 64

表 1 7 A .∫ . 中 国 人 学 校 理 事 1 2 3 4 5 世 帯番号転居Simpang Empat153515 1 2 3 4 5 1 2 3 4 5 註 : 4878012716 年 令 l 出 身 】 職都郡山安山′1′Jリー広 東台 山安 渓仙 郡安 渓仙 都安 渓山 道広 東台 山3745344045安 渓仙 郡安 渓仙 郡安 渓仙 都安 渓仙 都安 渓仙 都 業 E階 層評価経店店所店店ク米貨貨精雑雑金舗宿営員主仙主精米所労働者農業(小作)雑貨店店主(兼 金舗)雑貨店店主ラ精ト雑精

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