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南スラウェシのサゴ生産

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東 南 ア ジア研究 21巻2号 1983年9月

南 ス ラ ウ ェ シ の サ ゴ 生 産

高 谷 好 一 ●

Sago Production in South Sulawesi Yoshikazu TAKAYA

*

Thisisaresearchreportortwosago-villagesin KabupatenLuwu,SouthSulawesi.DesaTakkalala,

a communltyWhich formerlyproduced sago for subsistence,hasbeenundergolngadrasticchange inthelast10to15yearsduetotheimprovement ofthehighwaysystem andtheconsequentinflow ofa largenumberorBugismlgrantS,Who are industriousplantersorclovesandothercashcrops. ThemarketprlCeOrSagohasrisenrecently,be -cause the newcomerswelcomed thiscrop asa cheapsubstitutefわrrice. Butsomevillagershad already converted theirsago fわrestinto banana

は じ め に ス ラウ ェ シにお け る最 大 のサ ゴ生 産 地 は, 南 ス ラウ ェ シのル ウ (Luwu)県 にあ る。 ル ウ 県 は年 降雨量 が 3,000mm を超 す湿 潤 地帯 で あ る。 しか し,南 ス ラウェ シはその全体 が湿 潤熱帯 を なす わ けで はない。南 ス ラウ ェ シ南 部 で は乾季 が卓越 し, そ こは稲作 地 を形 成 し て い る。南 ス ラウ ェ シは この よ うに南 部 の稲 作 地 と北部 のサ ゴ地 か らな って い る。 通 説 によ る と,現 在南 ス ラウ ェシの主 流 を な して い るブギ スや マ カ ッサ ル が栄 え る以前 に は, ル ウ地方 が栄 え たの だ とい う。 ス ラウ ェ シ最 初 の王朝 が生 まれ るの はル ウのパ ロボ * 京 都 大 学 東 南 ア ジ ア研 究 セ ンタ ー ;TheCenter forSoutheastAsianStudies,KyotoUniversity

andcocoagardens. Theyarehopingtotransfわrm the villageinto a sortoftruck-farmlng Village wherethey can grow morevaluablecropsthan sago. In contrast to Desa Takkalala,Desa PengkajoangremainsagenuinesagoIVillage,where sagoisthemainstayoflife. Besidessagoproduc -tion,VillagersrelyheavilyonralSlngbuqaloand f

ish. Theybelievethatthisisthebestcombi na-tion fわrtroplCallowland,and argue thatsago cultivationcanbeacommerciallysoundbusiness iramarketissecured. (Palopo)で あ り, それ は13世紀 で あ る とい わ れて い る。 しか し, 同時 に,王 国 とい って ち, ル ウのそれ は広 大 な森 とサ ゴ と魔 術 の国 で あ った と もいわれ て い る。 この地 域 が外部 に接す るよ うにな る の は,20世 紀 の初 め に な って オ ランダが この地 を征 服 して か らで あ る とい う。 こ こは, オ ラ ンダ時代以後 ,藤 と 樹 脂 を 出す地 方 と して 知 られ る よ う に な っ た 。 ル ウ地 方 に実 際 に入 って みて そ の歴 史 を 聞 いて み る と,す べ て の人 が必ず述 べ る こ とは, カハル ・ムサ ッカル (Kabar M uzakkar)の 内乱 の ことで あ る。 この一種 の ス ラウェ シ独 立 運 動 はル ウに は特 に大 きな爪跡 を残 した。 政 府軍 に追 わ れ た独 立派 の人 た ちは,最 後 に は この森 に逃 げ こん で抗戦 す るか らで あ る。 オ ランダ時代 ,一 時経 済 の波 に乗 るか にみ え

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東南 ア ジア研究 21巻2号 図1 調査地のタッカララとペンカジョアンの位置,な らびに サゴの分布 た このル ウは,第 2次 大戦後 の十数年 間 は完 全 な破 壊 に見 舞 われ るので あ る。 ル ウは本 来 サ ゴ常 食 圏 で あ る。 しか し, 内 乱 の終結後 は,南 のマ カ ッサル や ブギ ス地 方 か ら多量 の移民 が流 入 す るよ うにな った。人 口稀 薄 なサ ゴ地帯 へ の,人 口 ち ょう密 地帯 か らの 米 食 民 の流 人 で あ る。 1960年 代 後 半 以 級 , ル ウ県 は この移民 の波 に洗 い続 け られ て い る。 特 に, 自動車 の通 じる幹 線 道路 ぞ いで は, この こ とは顕 著 で あ る。 この森 の世界 ル ウにお いて も, サ ゴは ど こ にで もあ る とい う もので はな い。 それ は明瞭 に2種 類 の限 られ た分布域 を持 って い る。第 1は山麓 で あ り,第2はマ ング ローブに近 い 236 海岸 地帯 で あ る。 こう したサ ゴ の分布 は図 1に示 して あ る。 こ う した 全 体 的 な 枠 組.の 中 で ,私 はふ たつ の村 を調 査 の対 象 に選 ん だ。 ひ とつ は, タ ッカ ララ (Desa Takkalala,Kec a-matanWara,KabupatenLuwu)

で あ り, い ま ひ とつ は ペ ン カ ジ ョア ン (Desa Pengkajoang,

Kecamatan Malangke

,

Kabu-paten Luwu)で あ る。 前 者 は そ の生 態 的立地 か らい う と,戻 状 地 を流 れ る小 川 ぞ いの もので あ る。 これ は同時 に幹線 道 路 が 通 過 し, したが って,急 速 にブ ギ ス人 植 民 の起 こって い る地 区 に も相 当 して い る。 一 方,後 者 はマ ング ローブ に近 い海 岸 の も のの典 型 で あ る。 これ は同時 に 幹 線 か ら離 れ て いて, そ の意 味 で は移民 はみ られず, いわ ば よ り純 粋 なル ウの居 住 地 と考 えて よい。 しか し, こ こはカハル ・ ムサ ッカル 時代 に は最 後 の砦 に な った と ころで もあ る。 そ の意 味 で は戦乱 の爪 跡 の強 く残 る地 域 で もあ る。 以 下 , この2調 査 村 につ いて サ ゴ生 産 の現 状 を述 べ る。 Ⅰ タ ッカ ラ ラの サ ゴ生産 トi タ ッカ ララのたたず まい タ ッカ ラ ラはル ウ県 の県庁所 在地 パ ロボの 南 5km の ところ にあ る。南 ス ラウ ェ シの主 府 ウジュ ンパ ンダ ン とパ ロボを結 ぶ幹線 ぞ い に もな って いて, サ ゴを生産 す る村 と して は 交 通至 便 の位 置 にあ る。 タ ッカ ララは地形 学 的 にい う と,小 さい扇 状 地 の上 に位 置 して い る。扇 頂 か ら海岸 まで

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高谷 :南スラウェシのサゴ生産 の距離 は約 6km で あ る。 そ して, その上 に は幅 6m ぐらい の小 川 が い くつ か 流 れ て い る。 こ こに は図2に も示 した通 り,海 岸 か ら 次 の土 地 利用 区 が あ る.(9海 岸 砂 州 な らび に そ の前面 の干 潟 ,(夢養 魚 池,③ マ ング ローブ, ④ シダ原 , な どの海 岸 に平 行 な帯 状 地 区 と, そ の西 の,⑥ 屋 敷林 地帯 ,④ 水 田, そ れ に⑦ サ ゴ林 で あ る。 以 下 , ご く簡 単 に各 地 区 を記 載 す る。 (云 砂 州 な らび に干 潟 砂 州 は

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m

と幅 の 狭 い もの で あ る。 満潮 位 か らは0.5m ぐ らい の高 さを持 って い る。 ダ ンパ イ ヒル ガオ と思 わ れ る ものが広 が るが, 時 に コ コヤ シが植 え られ る。 マ ング ローブの一種 ラッセ(lasse;Avicennia sp.)が這 い あが る こ と もあ る。前 面 の干 潟 に は, 波 打 ち際 に ベ ロパ (beropa;Sonneratl'a sp.)が , そ して, そ の背 後 に ラ ッセが あ る. ③ 養 魚 池 も とはマ ング ローブ ・ニ ッパ林 で あ るO そ れ を伐 開 し,土 手 を築 いて養 魚 池 と した もの で あ る。 エ ンパ ン (empang)と呼 ば れ て い て,主 と して サバ ヒイ (Chanoschanos)が飼 わ れ て い る。 この集 落 の重 要 産 業 の ひ とつ で あ る。 (む マ ング ローブ ま だ養 魚 池 にな って いな い マ ング ローブで あ る。 ト yケ (tokke;Rhizophorasp.)が優 勢 種 で あ るが, 時 に ニ ッパ を混 ず る。 ④ シダ原 E3 干 潟 [コ 砂 州 匡]養魚池 [ijマ ングローブ 巴ヨシダの多い草地 凪 ココヤシ集中地区 [□ 屋敷林 巳家 臨 サゴ林 eBサゴ採取地点 匡 水田 (1981年に耕作 したもの) [可 水田(1981年に耕作 しなかったもの) A;土壌採取点 B;サゴ株立ち記載点

C;

塩水浸入地のサゴ D;ココア園への変更区 図

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タッカララの土地利用

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東南 アジア研究 21巻2号 ラッビオ

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と 呼 ばれて い る シダ類 が卓越 す る。 これ は高 さ 1.5m ぐらい に な る. 時 に, この中に菊 に似 た草 (Plucheai n-dica)が群落 を作 る。 ところど ころに ココヤ シが 植 え られ てい る。 図2中 に は, 特 に コ コヤ シの集 中 してい るところが別 に示 して あ る。 (む 宅地 と屋敷林 これ は ソンカ川 の 自然姥 防上 にあ る。地盤 は砂質 で あ る。最 も多 い木 は ランサ ッ ト(La n-sium domestt'cum)とココヤ シで あ る。 ほ か に, ドリア ン, マ ンゴー,バ ナナが多 い。 ビ リンビン (Averrhoa bilimbi), ジ ャンプ 一 ・ アイル (Eugeniaaquea)

,

ナンカ (Artocarpus integra),ラ ン ブ ー タ ン, シル サ ック (Anno murt'ca(a), ア レカ (Areca cafhecu)な どが あ る。 こう した果樹 の樹 陰 に家 々がな らぶ。野 菜 園 は皆無 とい って よい。 ⑥ 水 田 図2には,前年度耕作 されて水 田 らし く刈 株 の残 って い る田 と,前年度耕作 されず, カ ヤ ツ リ草 で雄大 に覆 われて い る ところとが区 別 して措 いてあ る。水 田耕作 に対 して は人 々 は,必 ず しも非常 に熱心 とい うわ けで はな く, こう した休耕地 が毎年 で きる。 (ヨ サ ゴ林 自然疑 防 と後背湿地 の漸 移地帯 に位 置 して い る ことが多 い。 この林 内で1982年 8月15日 現在, サ ゴ採取 を行な って い る地点 が図2に は示 してあ る。 以上 が タ ッカ ララの土地利用 であ るが, こ れ に関連 して村役 場 に保存 され てい る統計数 字 には,以下 の ものが あ る。 a) デ サ総面 積 b) 利用 別面 積 宅 地 水 田 園地 (屋敷林 な ど) 養 魚 池 238 約 9km2 65ha 250 275 195 湿地林

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115 計 900ba C) 動物 水牛 牛 馬 山羊 豚 鶏 ア ヒ ノレ d) 職業 農業 漁 業 賃労者 公務員 他 国者 その他 135東 144

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169 0 2,271羽 595 201戸 85

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30 22 21 計 512戸 上 の統 計 によ る と,サ ゴ林 は湿地林 とい う 項 目の 中に入 れ られてい る。 また, サ ゴ採取 者 は農民 ,漁民,賃 労者,公 務員 な ど と して 示 されて い る。 水 田耕作 者 も漁民 も賃労者 も 公務員 も, そのほ とん どが年 の うち何 日か は サ ゴ採取 のために働 くので あ る。 ほか の仕事 は一切行 わず,年 中サ ゴ採取 のみを行 い, そ れで生 計 を立 てて い る家 は30戸 あ り, それ は 賃 労者 の中に数 え られ てい る。 トii サ ゴ採取 サ ゴ採取 はふつ う 4人 が一組を な して行な っている。 時 に は3人 で行 うこと もあ る し, 6人 ぐらいで一組 を作 るこ ともあ る。 各組 は 粉 砕

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)

用 の機械 を1台ずつ持 ってい て, サ ゴ林 中の水 のえ られ る適 当 な場所 にそ れ を据 え, そ こをサ ゴの洗 い場 に決 め る。洗 い場 の水流 とい うの は, ふつ う極 めて貧弱 で あ る。 サ ゴ林 中には,川 と呼 んで よいのか, あ るい は一時的な水 み ち と呼 んで よいのかわ か らないよ うな ものが,3-4m 幅で ところ ど

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高 谷 :南 ス ラウ ェシのサ ゴ生産 ころにみ られ る。 そ う した ものの中で,比較 的水量 の安 定 して いそ うな ものを選 んで, こ れ を水場 と してい る。 時 には,乱流 してゆ く 水路 を ご く簡単 に整形 して,求 めた水場 に水 が よ り多 く集 ま る よ うに して い る(, こ う し て,少 しは安 定 した流 れ に サ ゴ の葉 柄 で 堰 (patampan)をか け,小 さな プール を作 って, ここを洗 い場 に して い る。 サ ゴ洗 いの原理 は簡単 で あ る。 プール の水 をバ ケ ツで汲み あげて, サ ゴの葉柄製 の トユ に流 しこむ。す る と, この水 は トユの下 端 に とりつ け られ た袋 に流 れ こむ。袋 には粉砕 さ れ たサ ゴの髄 が入れ られ て いて,水 を流 しこ む と同時 に,これを力 まかせ に もむ。す る と, 水 に溶 けて繊維 か ら離 れ た澱 粉 は袋 の細 かい 目を通過 して,水 とともに下 の沈澱槽 に落下 す る。 しば らくす る と, この沈澱槽 の底 に は サ ゴが沈澱 す る とい った具合 で あ る。 洗 い場 には この洗液 設備以外 に, サ ゴの髄 を粉砕 す る粉砕機 が据 え られて い る。最 もふ つ うの洗 い場 の設備 は, プール のまわ りに3 組 の トユ と沈澱槽 の組合せ が あ り, それ とは 別 に,極 めて簡単 な小屋 が けを して粉砕機 が 1台 おいてあ る とい うもので あ る。 サ ゴ林 の 中に, ふつ うは15m 四方 ぐらいの空地 を作 って, そ こに この一式 の設備 をお き,作 業 を 行 う。 こう した洗 い場 が数百 m ず つ離 れ て 作 られて い る。調査 時点で は, タ ッカ ララに 12カ所 の洗 い場 が あ る といわれたが,私 は 9 カ所 しか確認 しえなか った。 1本 のサ ゴの立木 が滞 れ サ ゴに精製 され る まで に は,実 際 に は次 のよ うな工程 を経 る。 (∋ まず立木 の切倒 し (mallempok) で あ る。 これ は他 の立木 を傷 めな い方 向を選 んで 倒 す。 ふつ う,斧 (wase)で地上 50cm ぐら いの ところか ら切 り倒 す。 ひ と りで約1し8分 で切れ る。 最近 はチ ェー ン ・ソーを用 い る人 が増 えて きた。 チ ェー ン ・ソーだ と3分 で切 れ る。 (夢 倒 れた木 か ら葉 を切 り落 とす(dibajai)。 これ は山刀 (parang)で行 う。 1本 につ きひ とりで30分 かか る。 (釘 幹 だ けに な った サ ゴ を, 約 1m の長 さの丸太 (batang)に切 断 (mampolo)す る。

背 の低 いサ ゴで10本 ぐらい,背 の高 いサ ゴだ と15本 ぐらいの 丸太 にな る。 これ は 斧 で行 う。 ふた りか か りで約 1時間かか る。 (も 1m の長 さの丸太 にな った ものを洗 い 場 まで運 ぶ。 このため にはサ ゴ林 中に葉 柄 を

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本ず つ レール (tete)状 に敷 いて, その上 を転 がせ て運 ぶ。 ひ とつ の洗 い場 に運 んで く る最遠距離 は 50m ぐらいで あ る。 運 搬距離 によ るが,50m だ と,4人 で 1本 のサ ゴの木 を運 び き るのに半 日かか る。 毎) 洗 い場 につ いた丸太 は, そ の皮を斧 で はぎ (dikuli),髄 だ けにす る。 さ らに これ を 縦 に割 り,数個 の角材状 の ものにす る。 この 角材 も batang と呼ぶ。皮 はぎか ら角材 まで に,1mの丸太 1本 につ き, ひ とりで20分 か か る。 (砂 角材を粉砕機 (parutmasin)で粉砕 し て, オガ クズ状 にす る。 粉砕機 は,直径 30 cm,長 さ 70cm ぐらいの ドラムに , 1cmx 2cm 間隔 ぐらいで碁盤状 に無 数 の 釘 を 植 え こみ,釘 の長 さが 1cm ぐらい 出たよ うに し た もので あ る。 この ドラムを7.5馬力 の エ ン ジ ンで回転 させ, それ に角材状 の髄を押 しつ けて粉砕 す る。 こう してで きたオガ クズ状 の もの はサ ラエ ン(saraeng)と呼 ばれ る。 粉砕 作業 はひ と りが行 い, 十 数 m の1本 のサ ゴ を粉砕 す るの に1時間半 ほ どかか る。 (う オ ガ クズ状 の サ ゴ は近 くの トユ (s u-maka)に運 ぶ。運搬 に はサ ゴの葉柄製 の 2斗

ぐらい入 るバ ケ ツ(basongまた は rumba)杏

用 い る。バ ケ ツ2個 をサ ゴの葉柄 で作 った天

秤 棒 (rempa)で運 ぶ。 運 搬距離 は せ い ぜ い

20m ぐらいだか ら, 時間 はほ とん ど か か ら

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東南 アジア研究 21巻2号

う。

⑧ オ ガ クズ状 のサ ゴを トユの先 につ けた 袋 (kamunto)に入 れ る。 運搬用 バ ケ ツ半 杯 分 が一度 に洗 う量で あ る.-荷 は したが って 4回 に分 けて洗 う。袋 にオガ クズ状 のサ ゴを 入 れ る と, ニ ッパ の葉 で作 った水汲みバ ケ ツ (tambu) で, 川 か ら水 を 汲み, トユを通 じ て 袋 に流 し こみ, 袋 の中のサ ゴを もみ洗 う (mapperra)。 これが サ ゴ精製 中,最 も手間を とる仕事 で あ る。 ふつ うの立木 1本分 を洗 う のに,3個 の トユを利用 してほぼ 1日かか る。 ここで い う1日とは,朝 8時 に始 め夕方4時 に終 る作業 の ことで あ る。 この間 に,昼 食 の 1時間 とそのほかお祈 りな どの休止 で約1時 間,計2時間の休止 が あ るか ら,実労働時 間 は6時間であ る。 3カ所 で洗 ってい るか ら, 1本 の木 を 洗 うのに18時 間 か か る こ とに な る。 @ 沈 澱槽 (bangka また は koang)は髄 を くりぬ いたサ ゴの幹 でで きて い る。 たいて い2本分 を縦 につ ぎ足 してい るので ,十数m の長 さが あ る。 ふつ う9日か ら10日分 ぐらい の洗手隙を行 うと, この沈澱槽 は澱粉 で い っぱ い にな る。 ⑲ い っぱいにな ると,底 に沈澱 した濡 れ サ ゴ (tabaro)杏, ニ ッパで編 んだ 円筒形 の 倭 (tumang)につ め る。 1俵 は 3kg に作 る。 沈澱槽

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杯 のサ ゴを俵づ めにす るの に,

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人 で 1日かか る。 ひ とつ の沈毅槽 がい っぱい に な ってい ると,ふつ う300俵 のサ ゴが とれ る。 以上 が濡 れサ ゴ精製 までの工程 で あ る。 時 に は沈澱槽 が い っぱいにな らないで も,仲買 人 がや って くるこ とが あ る。 こんな時 には, まだ途 中で も俵 づ めを開始す る。 水場 の流れ を整備 し, トユ と沈澱槽 を据 え つ け,機械 を運 び こむ な ど洗 い場 の建 設 は, 上 の工程 とは別 に, ふた りがか りで約5日間 かか る。 もし,沈澱槽 その ものを新 たに作 ろ う とす る と, また 別 に ふ た りで

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週 間 か か 240 る。 しか し,沈澱槽 はた いてい古 い ものを現 場 に運 び こんで, それを使用す る。 一度 こう して洗 い場 が建 設 され,仕 事 が始 め られ る と,4カ月 か ら5カ月 ぐらい はそ こ にいて, まわ りのサ ゴをすべてそ こで処理 し て しま う。 この4カ月 あま りの間 に処理す る 木 は, だいたい70本 ぐらいで あ る。 こう し て,直径100m ぐらいの範 囲か ら稼行可能 な 木 を処理 し終 え る と, そ こを ひきあげて,吹 の新 しい場所 に移 る。一旦 ひ とつ の洗 い場所 が ひきあげ られ る と,次 にその近 く-帰 って くるの は,丸3年後 ぐらいで あ る。 1地点 で 1時期 に採取 されて い る木 は, したが って, 樹 齢 に して3年 ぐらいの幅 の ものを含 んでい る ことにな る。 もっ ともここで少 し く註を加 えてお く必 要 が あ る。 それ は,洗 い場 のすべ てが上 に述 べ た よ うにサ ゴ林 内にあ り,機械 を据 えた もの で はない とい うことで あ る。 実 際 には粉砕機 を持 たない洗 い場 が あ る。 それ は図2中で, ソ ンカ川 の川 の中 に示 された2例 で あ る。 こ こで は洗 い場 は幅約 10m の ソンカ川 の中に しっ らえ られて い る。 トユはサ ゴ林 中の もの と同 じ くサ ゴの葉柄製 の ものだが,沈澱槽 に は丸木舟 が用 い られ てい る。 この川筋 な らど こで も水 は豊富 だか ら,適 宜, この川 に浮 か べ た丸木舟 を移動 させ てサ ゴを洗 ってい る。 もっと も, この洗源法 は川が汚 れ る とい うこ とで, あま り歓迎 されない。 この種 の川 中の洗 い場 は,屋 敷林 中に点在 す るサ ゴを処 理す るのに用 い られて い る。サ ゴの純林 で はないか ら,切 り出せ るの はふつ うは

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カ所 で

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本程度 で あ る。 こう した少 数 のサ ゴのために利用す るよ うな機械 の余 裕 はない 。 したが って, ここで は粉砕 は手で行 われてい る。す なわ ち,切 り倒 され,葉柄 が と り払われ る と,1m の丸太 には切 断 され な いで,長 いままで皮 が はが され,長 大 に横 た わ ったままの髄 にかんなをか けるよ うな格好

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高 谷 :南 ス ラウ ェシの サ ゴ生産 で粉砕 作業 が行 われ る。用 い られ る道 具 は, 一種 のお ろ しが ね

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)

で あ る。 これ は幅 20cm,長 さ 1m ぐらいの厚 板 に 1°m〉(2cm ぐらいの間 隔で無 数 に釘 を打 ちつ けた もので あ る。 この手動 のパ ル トで は, 1本 の木 を粉 砕 す るの にふた りで3,4日かか る とい う。 Ⅰ-iii 生態 サ ゴ林 は湿地 とい うべ きなのか,乾 地 とい うべ きな のか, その表現 に迷 う。 サ ゴ林 の 中 に入 る と,た しか に多 くの ところに深 さ数cm か ら十数cm の水溜 りが あ る。 また,全体に 土 は湿 って い る。 現 地 で もサ ゴ林 は ラワ ・ラ ワ

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の一種 と考 え られ て い る。 ラ ワ ・ラワ とは湿 地 も し くは湿地林 の ことで あ る。 乾 季 で も土 の湿 って い る こ とが多 いか ら, ラワ ・ラワ と考 え られて い るのだが,湛水 は 雨季 にな って もそ う深 くはな らない。 タ ッカ ララの場 合, 雨 季 で も平 均 湛 水 深 が 10cm を超 す深 さにな るよ うな ところはまず な い と い う。水 田の多 くの部分 が湛水探 30cm 近 く にな るのに比 べ る と, この湛 水 は非常 に浅 い もの といわね ばな らな

い。

湛水深 が こ う して あ ま り大 き くな らない ことは, その地形 的位 置 か らして当然 で あ る。先 に も触 れ た ご と く, ここは 自然堤 防 と後 背湿 地 の 中間帯 にあた っ て いて,水 はよ り低位 の後背 湿地 の水 田部-流 出す るか らで あ る。 サ ゴ林 は一度 そ こが開 かれ る と, た ちま ちか な りよ く乾 く土 地 にな って しま う。 この ことは, タ ッカ ララで最近 あ るま とま ったサ ゴ林 を ココア園 にかえ る と い う ことで皆 伐 され た時,証 明 され た。 それ まで あ った小 さな水 溜 りは消 失 し,地表 は乾 いて しま った。 こうい う性 質 を持 って い るサ ゴ林 を, はた して湿地 と呼 んで よいのか ど う か と迷 うので あ る。 最 も大 きなサ ゴ田地 のほぼ 中央 と思 わ れ る ところ (図2中 に は A で示 す) で の土 壌 断 面 は,以下 の通 りで あ る。 地 表-3cm : サ ゴの葉 な どの集 積 した腐 植 層 3-85cm :明褐色 と褐色 の直径 2-3cm の 雲状 斑 の あ る灰 色 の 粘 土 。 こ の 中 に は 新 ・旧のサ ゴの根 が多 い。根 はいず れ も 断面 直径 5-7mm。新 しい もの は黄色 だ が,古 い もの は黒色 を呈 し, 時 にその ま わ りに青灰色 の部分が くっつ く。 非常 に 湿 って い る とい う感 じはあ ま りしない この断面 で み る と,土性 は粗 粒 で あ り, そ れが 自然堤 防 の堆積物 で あ る こ とを示 して い る。 しか し, それ に もか かわ らず,比較 的浅 所に多湿 を示 す グ ライ色 が現 れ て い る。密 閉 した樹冠 に厚 く覆 わ れ た地面 は, こうい う土 壌環境 を 自 ら作 り出す ので あ ろ うか。 こう したサ ゴ林 は,その 中に入 ってみ る と, 5m か ら 10m に 1株 ぐらい の密度 で株立 ち して生 えて い る。 樹 冠 は密 閉 していて,上 か らみ る と, とうて いその 中 に は入 れ そ うにな いが,実 際 に林 内 に入 ってみ る と, そ こは意 外 に歩 き易

。株 間が広 く,下 生 え もほ とん ど生 えて いな いか らで あ る。 タ ッカ ララの場 令 , そ の土佐 のた めで あ ろ うか, そん な に土 が ぬか るむ とい うこと もな い。 95%以上 のサ ゴ は,何 世代 も前 に植 え られ た もの とい うこ とで, その来歴 は明 らかで な

い。

しか し, 中に は例 外 的 にその起 源 の明瞭 な もの もあ る。図3はそ う した ものの ひ とつ で あ る。図3に示 した もの は,集 落 の西端 に 近 い, あ る農 家 の裏庭 の実例 で あ る (図2で はB で示 されて い る)。 この家 は, 日本 軍駐 留 時代 に新 た に ラワ ・ラワを 開墾 して建 て ら れ た もので あ る。 そ してそ の時,3本 のサ ゴ を植 え たので あ るが, ここに図示 した もの は その うちの2本 分 で あ る。 日本軍 駐留 時代 と いえ ば,い まか ら約40年 前 で あ るが,この植付 け後13年 ほ ど して か らの ちは, この2本分 か らは毎 年 ほぼ2本程度 のサ ゴを切 って い る。

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東 南 アジア研究 21巻2号 時 に は伐 採 のな い年 もあ ったが ,多 い年 に は 4,5本 切 った年 もあ った とい う。 図3で, 丸 の 中に記 して あ る数字 はその個 体 の推定樹 齢 で あ る。 例 え ば,(釧 ま生 後6年 日の個 体 とい う こ とで あ る。 この図か らす る と,約40年 前 に15m の間隔を お いて植 え ら れ た2本 のサ ゴ は, そ の後 分 けっ して,現 在 で は7株 に分 か れ, そ の7株 は現 在 で は下 に 示 した よ うな樹 齢構 成 にな って い る。 12年 生 1本 6年 生 3本 11 0 5 1 10 1 4 3 9 0 3 11 8 2 2 26 7 2 1 50 ふつ うの林 内 に入 って図3のよ うなサ ゴ ・ ク ランプの構 成 とそ の分布 図 を作 り,例 え ば, 10年生 のサ ゴの本 数 を数 えてみ る と,1haあ た り30本 か ら50本 ぐらい にな る。 いいか えれ ば,毎年 1haあた り30本 か ら50本 の成 木 が 生産 され て い る とい うこ とにな る。 仮 に1本 の成木 が300kgの濡 れ サ ゴを生 産 す る と仮 定 す る と,haあた りの濡 れ サ ゴ生 産 量 は,9 tonか ら15tonとい うこ とにな る。 一 方 ,先 に イ ンフ ォーマ ン トた ちが話 した よ うに, ひ とつ の洗 い場 で は, だ いたい半径 50m ぐらい の ところか ら70本 のサ ゴを集 め て い る。 これ を もとに計算 す る と, こ こで稼 行 対 象 にな って い るサ ゴ の成木密 度 は, ほ ぼ haあた り90本 と な る。 彼 ら は

3

年 に

1

度 切 って い る とい う こ とで あ るか ら,1年 にす る と30本 とい うこ とにな り, そ の 年 収 量 は 9tonとい う こ とに な る。 ク ランプ分布 密 度 か らの計算 とほ ぼ一致 す る こ とにな る。 サ ゴの吸枝 は,最 初 の3年 ぐらい は菓 数 を 増 やす が,幹 は出 さな い。早 い と3年 目 ぐら いか ら, お そ くと も4年 目に は, そ の中央 は 幹 (batang)を 明瞭 なか た ちで現 す 。この幹 は ふつ う40cm か ら 50cm の太 さが あ る。 そ して,一 旦 幹 が現 れ る と, それ は急速 に背 丈 を伸 ばす。図3か らみ る と, 2年生 ま で の個 体 数 は極 めて多 いが,3年 生 に な る とそれ は11個 にな り,4年 生 以 後 は3本以下 に減 じて い る。 こ こで は, 時 お り行 われ る屋 根葺 き用 の葉 の採取 以 外 ,人 工 的 な間 び きは全 く行 われ て い ないが ,結 果 的 に は,幹 の 出 る段 階 で個 体 数 の調 整 が 自然 に行 わ れて い る よ うにみ え る。 この幹 を 出す 時期 ,す なわ ち

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年 目 ぐらい にな る と個 体 数 が 減少 す る とい う現 象 は, 一 般 の林 内で も明瞭 に認 め られ る ところで あ る。 タ ッカ ラ ラで はサ ゴは15年生 ぐらい の ものを切 るのだ とい う。10年生 ぐら いで も切 れ な い こ とはな いが,花 の咲 く直前 の15年 目 ぐらいが最 高で あ る と い う。彼 らにいわせ る と,10年 生 のサ ゴだ と,粉砕 した オ ガ クズ状 のサ ラエ ンは 1時 間 もす る と赤 色 に変 色 し, し (彰 幹の出ているサゴ。数字は発芽後の推定年数 ○ 発芽後2年 ぐらいと思われるサゴ ● 発芽後1年またはそれ以下 と思われるサゴ . I:二二もとは同一の親か ら出たクランプの一群 図3 約40年前,ラワ ・ラワを開いて崖敷地 とされたと ころに植え られた3本のサゴは, いまは十数珠に なっている 242

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高 谷 :南 ス ラウ ユシのサ ゴ生 産 か も,1バ ソ ンのサ ラエ ンは洗准 後 は4分 の 1バ ソ ンにな って しま う とい う。 一 方,15年 生 だ と変色 はそれ ほ ど急 速 に は進 まず , しか ち, 1バ ソ ンのサ ラエ ンか らは 2分 の 1バ ソ ンの濡 れ サ ゴが え られ て,歩 どま りが 高 い と い う。 もっ と も しか し, 実 際 に林 地 に入 って みて,樹 齢 を い ちい ち聞 いてみ る と,15年 生 な ど とい う もの に はほ とん ど出会 わ な い。 ほ とん どが12-13年 生 で 切 られ て しま って い る よ うで あ る。 樹 齢 が サ ゴ採取 に適 した もの に達 して い る とい う判 定 は,次 の諸 点 を確 認 して行 うのだ とい う。 @ 葉柄 の外 側 に 白 い 斑 点 が 無 数 に現 れ る。 遠 望す る と, これ は, しみ に食わ れ た よ うにみ え る。 近 くで手 に とって み る と, ゴマ粒 よ り少 し大 きい くらい の粉状 の 白斑 が ,表 皮 に無 数 につ いて い る。 ⑤ 若 い時 に は,葉柄 の外 側背 部 に あた る と ころに, 明瞭 に通 って いた幅 2cm ぐら いの黒 い帯状 の線 が ,成木 にな る と消 えて しま う。 ⑥ 葉 のつ き方 が,若 い時 の クンチ ュ ップ (kuncup;直立 して空 を向 いた状態 )か ら, リンダ ン (rindang;横 に 開 い た 状態 ) に な る

1

)

⑧ 1枚 ず つ の葉 が,葉 柄 も小葉 も全体 が 短 く, こぶ りにな る。 土 地 の人 た ちにいわせ る と, サ ゴ はいか な る土壌条 件 の ところにで も旺盛 に成長 して, 結 局 は広 大 な純 林 を なす とい う。 しか し, ど こで も同 じよ うな生 育 を示 す か とい うと, そ 1)校正の段階で本稿を佐藤孝先生 (神戸大学名誉 教授)にみていただいたところ, この記載は, む しろ逆ではないか とのこ指摘を受けたOサゴ が非常に若い時は もちろん葉は立 っており,そ れが長ずると横に開 くのであるが,あるいは, 収穫適期が近づ くと,再び直立するのか もしれ ない。 この点に関 しての情報にはいささかの不 安がある。機会をえて調べなお してみるつ もり である。 うで はな い とい う。 彼 らはサ ゴを そ の立 地 に よ って3種 に分類 して い る。 高燥 地 のサ ゴ, 多湿 地 のサ ゴ,海 水浸 入 の おそれ の あ りうる 土 地 のサ ゴの3種 類 で あ る。 それ らは次 の よ うな性 質 を持 って い る。 ④ 高燥地 のサ ゴ これ は 自然堤 防上 の高燥 地,例 え ば屋 敷 地 な どにみ られ る もので あ る。 樹 高 は1 0-15

m

ぐらい に しか な らない。 しか し,太 さ は多湿 地 の もの と同 じ くらい に太 くな る。 髄 の水分含 量 は低 く, 中 に は白色 の上 質 の 澱 粉 が ぎ っ しりつ ま って い る。 屯) 多湿 地 のサ ゴ 樹 高 は 20m 近 くに伸 び る。 高燥地 の も の と同 じ く,15年 目 ぐらいが収穫 の適 期で あ る。 水 分含 量 が 高 く, したが って澱 粉含 量 が低 い。多湿 地 のサ ゴのサ ラエ ンの3バ ソ ンか らえ られ る濡 れ サ ゴの量 は, 高燥 地 のサ ゴのサ ラエ ン2バ ソンか らえ られ る も の とほ ぼ等 しい。したが って,多湿 地 のサ ゴ は背丈 は高 くな るが,澱 粉 の実質収 量 とな る と高燥 地 の もの とほ とん どかわ らな い。 髄 は しば しば,樺 色 も し くは薄 い赤 色 を呈 して い る。 ⑥ 塩 水浸 入地 のサ ゴ 図2で,C と示 した地 区 のサ ゴな どが こ れ に入 る。 乾季 に塩 水浸入 の危 険 の あ る と ころのサ ゴで あ る。 こ うい う ところのサ ゴ は, ふつ うは 10m 以上 に はな らな い。 成 長 は しば しば途 中で 中 断 され て 倭 生 と な る。髄 は しば しば黒 味 を帯 び,澱 粉 収 量 は 低 い。 タ ッカ ララで は

,3

種 のサ ゴの うち,高燥 地 のサ ゴが最 もよい ものだ と考 え られ て い る。 こう したサ ゴ は, しば しば ド リア ンや マ ンゴ ー と共生 して い る。 サ ゴ は一 般 に水 洗 して 精 製 す る もの で あ る。 しか し, 高燥 地 のサ ゴの 中 に は時 に特 別 上 質 なサ ゴが あ る。特 に中央 部 の

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分 の

1

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東 南 ア ジ ア 研 究 21巻2号 らい, す なわ ち中位 の

3m

ぐらい に は 水 分 含 量 が特 に低 く,繊 維 質が少 な く, 雪 のよ う に 白い澱 粉 のつ ま って い る こ とが あ る。 こ う い うサ ゴが みつ か る と,人 々 は水洗 を しな い で,粉 砕 した あ とは, その ま ま 目の細 か いふ るいで通 して澱 粉 を え る。 極端 に水 分含 量 が 低 いか ら, サ ラサ ラ して いて, こ う した精製 法 が可能 な ので あ る。 ふつ うのサ ゴは湿 って いて, こ う したふ るい によ る選 別 な どは と う て い不 可 能 で あ る。 こ う して え たサ ゴ は特 別 な風 味 が あ る とい うので,す ぐに 自分 た ちの 家 で菓 子 に して しま う。 市 場 に は こう したサ ゴ は出て こない。 タ ッカ ラ ラの サ ゴ は, す べ て トゲ のな いサ ゴで あ る。 私 は一 株 だ け

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-

8mm

の トゲ のあ る ものを み たが, これ は例 外 で あ った。 トiv サ ゴ生 産 の変 遷

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年 の今 日の タ ッカ ラ ラのサ ゴ は,

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年 前 の

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年代 の初 め の ころのサ ゴ とは, そ の 意 味 が か な り違 って い る

。1

9

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年 代 前半 まで の タ ッカ ララで は, サ ゴ はまだ唯一 の主 食 と して の座 を 占めて いた。 しか し, い まで はサ ゴ はい くつ か あ る主要 食糧 の うちの ひ とつ に な り下 が って お り, む しろ,産 出 され るサ ゴ は商 品 と して の意 味が よ り重 要 にな って きて い る。 タ ッカ ララの今 日のサ ゴを考 え る時 , この こ とは知 って おか な けれ ば な らな い。 村 の言 い伝 え によ る と,デ サ ・タ ッカ ララ の 中心 を なす カ ンポ ン ・ソ ンカは, ル ウ王 朝 が パ ロボに都 を移す前 , まだそ の宮殿 が マ ラ ンケ (これ は タ ッカ ラ ラの 東 北 約 40km の と ころ にあ る) にあ った時, す なわ ち13世紀 に, マ ラ ンケの人 ソ ンカによ って 開 かれ た と ころで あ る とい う。 マ ランケか ら海 を 渡 って や って きた ソ ンカ は, ソ ンカ川 の河 口近 くに 居 を構 え た とい う。 そ の ころ はまだ水 田 は全 く知 られ て い なか った か ら,人 々 はサ ゴ と魚 と コ コヤ シだ けで生 きて いた。 244 タ ッカ ラ ラの生 活 の状況 が もっ とは っき り わ か るよ うにな るの は,私 の イ ンフ ォーマ ン トにな って くれ た

B

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歳 ) の

4

代 前 の バ チ ∃

(

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c

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が, パ ロボか らこの地 に移 り 住 む よ うにな って か らで あ る。 これ はい まか ら約

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0

年 前 の こ とと考 え られ て い る。 この 時, バ チ ョはす で に開 けて いた タ ッカ ラ ラの 集 落 を避 けて, そ のす ぐ上 流 に居 を構 え た。 現 在,タ ッカ ラ ラとマ ワ

(

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)

の 中間 にあ た ると ころで あ る。 この時,彼 は

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頭 の水 牛 を ひ きつ れ て きて, 入居 と同時 に

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0ha

の 水 田を 開 いて い る。 こ こで

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00

頑 の水牛 と

5

0ha

の水 田 に関 して は,少 し説 明 を加 えて おい たほ うが よ

い。3

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頭 の水牛 とい うの は , そ のほ とん どす べ てが周 辺 の ラワ ・ラワで の 放 し飼 いで あ った。 それで も家 の近 くに は小 さな水牛 囲 いを作 った。 それ が今 日で も, バ ラ ・テ ドン

(

Ba

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do

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)

とい う地 名 で残 っ て い る。 バ ラは囲 い地, テ ドンは水牛 の意 で あ る。 この水牛 囲 い はその後 放棄 され, い ま で はあた り一帯 はサ ゴ林 にな って い る。 水牛 は役 畜 や食用 と して持 って こ られ た ので はな い。一種 の ステ ー タス ・シ ンボル で あ り, 財 産 と して飼 って おかれ たわ けで あ る。 一 万 ,

5

0ha

の水 田 は 自 らが耕作 したわ けで はな い。 当時 , ソ ンカ川 の上流 山地 に住 んで いた 山の 民 に耕作 させ た。耕作 条件 は収 穫 の9割 を耕 作 者 の 山の民 が と り, 1割 を バ チ ョが とる と い う ものだ った。 バ チ ョに とって は,米 は暗 た まの儀 礼 の際 に必要 な だ けだ った か ら, こ れ で十分 で あ った。

5

0ha

の水 田が実 際 に ど の程 度 耕作 され て いたか は,全 くわ か らな い。 水 田 はあ った とい うだ けで, バ チ ョた ち はほ ぼ完全 にサ ゴに頼 って いたか らで あ る。 タ ッカ ラ ラが変化 を とげ るの は,

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06

年 に な って オ ランダ が ル ウ を 領 有 して か らで あ る。領 有 直後 , ウジ ュ ンパ ンダ ン ・パ ロボ道 はそれ まで の馬車道 にか え て, 自動車道 に作 りか え られ るよ うにな った。 藤 や コプ ラが商

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高 谷 :南 ス ラウ ェシの サ ゴ生産 品 と して売 れ るよ うにな り,この時,サ ゴ も少 しだが売れ るよ うにな った。 こう した 品物 は 新 し くで きた 自動車 道 で運 ばれ る こ ともあ っ たが, よ り多 くは, ソ ンカ川 の河 口の沖 合 に とま った ス ラバ ヤか ら来 た大船 に,小 舟で運 ん で積 み こん だ。 大船 はい ろい ろな雑貨 品を 積 んで パ ロボに来 た ものだ った。 そ の 中に, しば しば シ ャム産 の米 が積 まれ て いた。 また 時 に, ス ラウェ シ南端 の ジ ュネボ ン ト( Jene-ponto)か ら塩 な どを積 んだ舟 が や って きた。 彼 らは コプ ラ,膝 , それ に タ ンニ ン用 のマ ン グ ローブ の樹 皮 , サ ゴを積 んで帰 った。 サ ゴ はか くして, この時代 にな る と少 しは 売 れ るよ うにな った。 しか し, そ の量 は極 め て 限 られて いた。 当時 はまだ粉砕 用 の機 械 は な く, お ろ しが ね様 のパ ル トもな く,人 々 は サ ンベ(sambe)とい う, ち ょうな様 の ものを 用 いて,髄 を ほ じ くり出す よ りほか に方法 が なか ったか らで あ る。 これ で は とうて い量産 はで きなか った。 オ ランダ時代 の生 活 でバ チ ョ時代 と異 な る 第 2の点 は, この ころにな る と彼 ら自身 が少 しで はあ るが水 田を作 り出 した こ とで あ る。 しか し,米 作 はまだ け っ して 大 き な 比 重 は 持 って い なか った。 あ いか わ らず , サ ゴを圧 倒 的 な主 食 と し,少 しず つ藤 な どの生産 物 を 売 って,基 本 的 に は 自給 的 な 生 活 を して い た 。 第2次世 界 大戦 中 もこの生 活 の模 様 はあ ま りかわ らなか った。強 いて この時期 の特 徴 を 求 め る とす る と, それ は 日本軍 の奨 励 によ る 水 田の拡充 で あ った。 この時,稲生 産 は以前 よ り増 大 した。 しか し, 日本軍 が去 る と,宿 作 は再 び う とん じ られ て しま った。 タ ッカ ラ ラが極 めて大 きな変 化 を受 け るの は,1955年 に始 ま り1965年 まで続 くカハル ・ ムサ ッカル の 内 乱 時 期 で あ る。 この 時 期 に は,極 めて多 くの住民 が戦乱 を避 けて集 落 か ら逃 れ た。残 され た住 民 も水 田耕 作 は完全 に 放棄 した 。せ っか く努 力 して育 てて も,実 った 稲 が 自分 の手 に入 る とい う保 証 は全 くなか っ たか らで あ る。 それ に第 一 ,水 田 に 出て働 く こ と自体 が危 険 で あ った。人 々 は再 び完全 に サ ゴに依 存 した。 一粒 の米 もなか ったが, 負 生 活 にそれ ほ ど困 る こ とは なか った。 内乱 が過 ぎ る と,住 民 た ちは再 び帰 村 して きた。 サ ゴ生 産 は増 加 し,水 田耕 作 も再 開 さ れ た。生 活 は時 と と もに,再 び戦前 のそれ に 近 づ いて い った。 しか し, この時 に は戦前 の それ と違 って, ブギ スの入植 者 た ちが殺 到 し 出 した。彼 らもサ ゴを食べ た ので, サ ゴ生産 は一 段 と増 えた。 タ ッカ ララで サ ゴが商 品 と して伸 び 出す の は,1975年 にな って か らで あ る。 この年 ,住 民 の ひ と りが粉 砕機 を手 に入 れ た。彼 は, ル ウ県 の主 要 サ ゴ産 地 の ひ とつ で あ る ウ オ トゥ (Wotu;タ ッカ ララよ り東 北東 70km)で,こ の機 械 の使用 され て い るのを みて, そ こか ら 購 入 して きた。 それ まで の手 び きのパ ル トに 比 べ る と, この エ ンジ ンで 回転 す る粉砕機 は 比較 にな らな い くらい大 きな粉砕 能 力 を持 っ て いた。1978年 ごろ まで に この粉砕 機 は住 民 の間 に急 速 に広 ま り,1982年現 在 で は8台 に 増 加 す るにいた った。 そ して これ が, タ ッカ ラ ラのサ ゴ生 産 を急増 させ る こ とにな った。 加 えて, た また ま内乱後 に進 行 した移民 の流 人 によ る人 口増 が あ って, サ ゴ は商 品 と して の位 置 を確保 す る こ とにな った ので あ る。 サ ゴが商 品 とな る と ともに, タ ッカ ラ ラ住 民 の食生 活 は急 速 に米 に移行 して い った。 も っ と も, とはい って も,1982年 の今 日にお い て も食生 活 にお け るサ ゴの位 置は なお高 い。 人 々 は朝 食 には,揚 げバ ナ ナや モ チ米 の おか ゆ にな らんで バ ゲ ア(bagea;サ ゴの ビス ケ ッ ト) を食 べ る。 昼 食 と夕食 は同 じよ うな 内容 だが, サ ゴを主 食 に魚 を おかず に食 べ る こ と が多 い。 この場 合,サ ゴ はダ ンゲ(dange;一 種 の種 な しパ ン), カ プル ン (kaprung;一種

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東南 ア ジア研究 21巻2号 の ダ ン ゴ汁 ), シノ レ (sinore;妙 りサ ゴ)に 料 理 され る。米 も食 べ られ るが,米 だ けが食 べ られ る こ とはまず な い。例 え ば, カプル ン や シノ レで, もうほ とん ど満腹 に した あ とに 米 を少 し食べ る。 人 々に食事 の こ とを 聞 くと, それ は tallu tammassarangだ と い う。 Talluは三 つ , tammassarang は分 割 しえ な い とい う意 味 で あ る。 タバ ロ (tabaro;サ ゴ), ベ テ (bete; 負 ), パ レ(pare;米)はル ウ人 の生 活 に とっ て三 つ の分 割 しえ な い不可 欠 な主要 食糧 で あ る とい うので あ る。 しか し, パ ロボな ど, 町 住 み の人 た ちにいわせ る と, 田舎 の人 た ち は そ うはい うか も しれ な いが実 際 に は米 はほ と ん ど食 わず , サ ゴ と魚 だ けで生 活 して い るの だ とい う。

トⅤ

商 品 と して のサ ゴ タ ッカ ラ ラの統 計 資料 によ る と, この村 の 総 戸数 は約500戸 。先 に も述 べ た よ うに, こ の うちの約90%が何 らか の格 好 で サ ゴ採 取 を 行 な って い る。 しか し, この90% の人 た ちの す べ てが 自分 のサ ゴ林 を持 って い るわ けで は な い。 サ ゴ林保 有 者 は住 民 の半 分 ぐらいだ と いわれ て い る。 こうい う状 況 の もとで, サ ゴ は, いわ ば刈分 け小 作 的 な契 約 の もとに生産 され て い る。 最 もふつ うに行 われ て い る方法 は, サ ゴの立木 の所 有 者 は生 産 物 の3分 の1 杏,実 際 に採取 作 業 を行 な った作業 者 は3分 の2を え る とい う もので あ る。 サ ゴが販 売 され る時 は, ふつ う仲 買 人 の手 を通 じて行 われ る。 仲 買人 は洗 い場 まで来 る こ とが多 い。 この時 は3kg入 りの1俵 が Rp. 150(¥ 60)ぐらいで買 われ る。 も し,幹 線 道路 まで運 び 出す と,Rp.200ぐらいで売買 され る。 これが パ ロボの市 場 に出 る と, もう 少 し高 くな る。 サ ゴが商 品 にな る とい うの は,近 年 この地 にブギ スの入 植 者 が激増 したか らで あ る。 こ 246 の人 た ちは本 来 は米 食者 で あ る。 しか し, こ こに入植 して くる と例 外 な くサ ゴを食べ るよ うにな る。 誰 もが最 初 は不 味 だ と思 いなが ら 試 してみ るが,安価 とい う こと も手伝 って, そ の うち食事 の相 当 の部 分 を サ ゴに頼 るよ う にな る とい う。 こ う した入植 者 た ち は自身 で はサ ゴ採取 は全 く行 わ な いか ら, サ ゴは商 品 にな るので あ る。 こん なわ けで あ るか ら, サ ゴ は,ハ リ ・パ サ ール (haripasar)といわ れ る週2回 の市 日に は, 必 ず 出 ま わ る の で あ る。 これ に加 えて, オ ラ ンダ時代 か らの遠 隔地 へ の輸 出 も,細 々 とで はあ るが続 いて い る。 主 要 な輸 出先 は東 南 ス ラ ウ ェ シ の ク ン ダ リ (Kendari)と南 ス ラウ ェ シ南 端 のブル クンバ (Bulukumba)周辺 で あ る。 クンダ リはそれ 自体 がサ ゴ常 食地 で あ るが,最 近 はブギ ス人 入植 者 の激 増 して い る ところで あ る。 ル ウ産 のサ ゴ は クンダ リ産 のサ ゴよ り上 質 とい うこ とで, ほぼ定 期的 に輸 出 され て い る。 ル ウのサ ゴ は上 質 だ とい うこ とにな って は い るが, 実 際 に は品質管理 が行 わ れて い るわ けで はな い。 だ いた い こ こに は, 品質 を 区別 す る等級 とい う ものが な い。 す べ て のサ ゴは 同 じ等級 で あ り, 同 じ値段 で あ る。少 々古 く な って,外 側 に黒 っぽ いか びが生 えた りして ち,値 段 はか わ らな い。 品質管理 に関 してわ ず か に気 がつ け られ て い る点 といえば,俵 づ め の時 に, しっか りと押 しつ けて密 につ め こ む とい うこ とだ けで あ る。 万 一 ,緩 く空 隙 の 多 い状態 でつ めて お くと, か びが 内部 に まで まわ って しま って,全 体 が臭 くな って しま う とい うこ とで あ る。 サ ゴが このよ うに商 品 と して確立 し出 して か らは, いわ ゆ る専 門 のサ ゴ商人 な る ものが 生 まれ るよ うにな った。 タ ッカ ラ ラに はまだ この種 の専 門家 はいな いが,近 辺 の村 々 に は 時 々い る。 ベ ロパ (Beropa;タ ッカ ララの南 約40km の村 ) の サ ゴ 商人 は, この種 の商

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高谷 :南 ス ラウ ェシのサ ゴ生産 亮 を最 初 に始 めた, いわ ば草 分 けで あ る。彼 は この商 売 を1973年 に始 め た。彼 自身 ブ ギ ス 人 で あ るが,彼 に続 いて何 人 か の ブ ギ スが こ の商 売 を始 め た とい う。 同氏 の商 売 の方 法 は次 の通 りで あ る。 同氏 は週 2回 開 かれ るベ ロバ のハ リ ・パ サ ール を 商 売 の主 舞 台 に して い る。 自分 で ル ウ人 のサ ゴ採 取 者 の間 を まわ り, 濡 れ サ ゴを集 め, そ れ を- リ ・パ サ ール に 出 して, ブギ ス と トラ ジ ャの顧 客 に売 るので あ る。 こ こで は, タ ッ カ ラ ラの場 合 と違 って 5kg入 りの 俵 が 用 い られ て い るが, 同氏 はふ つ うRp.300で買 っ て きて Rp.500で 売 る とい う。 ふつ う市 日 に は500俵 か ら700俵 ぐらいな らべ て,500 俵 ほ ど売 る とい う。 売 れ残 った分 はそ の次 の市 日に売 る。 俵 入 りのサ ゴ は, そ の ま ま放 置 し て お いて も1カ月 は持 つ か ら,倉 庫 な どな く て も商 売 に はい っ こ う支 障 が な い とい う。 ル ウ人 か ら集 め た サ ゴの ほ か に, 自分 が生 産 した サ ゴ も売 る とい う。 彼 自身 はサ ゴ林 を 持 って い な いか ら,立 木 を買 うので あ る。 成 木 の集 中 して い るあ た りに 目をつ けて, そ こ の持主 か ら1本 Rp.3,000か ら Rp.4,000ぐ らいで何 十本 か の木 を買 い とる。 そ して, そ れ をル ウの労 務 者 と契 約 して,濡 れ サ ゴ に さ せ るので あ る。 この時 の条 件 は次 の通 りで あ る。 す なわ ち, 同氏 は粉 砕 機 を提 供 す る。 一 方 , ル ウ労務 者 の ほ うは沈 澱 槽 な ど一 切 の他 の道 具 と労働 力 を提 供 す る。 そ して,生 産 品 は同氏3, 労 務 者 1とい う割 合 で配 分 す る と い う もので あ る。 同氏 は ク ンダ リ通 い の船 の船長 に友 人 が い て , 時 にそ の船 長 の依 頼 で サ ゴを集 め る とい う。船 長 のた め に集 め る時 は, だ い た い1回 につ き1,000俵 だ とい う。 同氏 の縄 張 りはベ ロバ だ が , ベ ロパ以 外 に も似 た よ うなか た ちで サ ゴが売 られ て い る と い う。 す なわ ち, ど こで も週2回 開 か れ る-リ ・パ サ ール が 売 買 の場 で あ る。 同氏 は, ウ ジ ュ ンパ ンダ ン ・パ ロボ幹 線 道 路 ぞ い のハ リ ・パ サ ール で売 られ る俵 数 を次 の ご と く推 定 して い る。 場 所 に よ って, 1俵 の重 量 が異 な るが, す べ て5kg俵 に換 算 して い る。 シ ワ (Siwa) 300 ブ リコ(Buriko) 300 ボ ネ プ テ ィ(Boneputi) 300 バ トゥロ トン(Batulotong) 300 ラ ロ ンボ ン(Larompong) 300 ス リ(Suli) 300 チ ンポ(Cimpo) 300 ベ ロパ 500 チ ラロ ロ ン(Cilalolong) 200 パ テ ド ン (Patedong) 200 パ ダ ン ・サ ッパ (PadangSappa) 200 プ ア (Bua) 500 パ ロボ 1,000 パ ロボよ り北 に関 して は,彼 は正 確 に俵 数 で言 い表 す だ けの情 報 は 持 っ て い な い が, 上 に述 べ た パ ロボ以 南 よ り も そ の 産 額 は は るか に大 きい もの だ と い う。 特に マ サ ンバ (Masamba)の市 場 は相 当 に大 きい も の だ と い う。 上 の推 定値 は1982年現 在 の もので あ るが , 同氏 によ る と, この生産 量 は過 去 何 年 か は毎 年 増 え続 けて きた もの だ とい う。 そ して, こ の傾 向 は今 後 もまだ数 年 間 は続 くもの と,級 は予想 して い る。 と ころで, 同氏 にサ ゴ生 産 が将 来 増 大 す る 可 能 性 が あ るのか と問 う と, それ は難 しい問 題 だ とい う。彼 によ る と,現 在 サ ゴ は同重 量 の米 に比 べ る と, ち ょうど半 値 だ とい う。 ル ウ人 生 産 者 に いわせ る と, この値 段 が20%で もあが るよ うな こ とになれ ば, よ り馬 力 を か けて増 産 す る とい う。 しか し,消 費 者 の ブギ スや トラジ ャの人 た ち に して み れ ば, あ ま り 高 い もの にな るな ら, い っそ米 を食 べ た ほ う が よ い, とい う こ とにな るの だ そ うで あ る。 結 論 的 に い って, 同氏 は, い ま よ りほん の少

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東南 アジア研究 21巻2号 Lは単価 は上 昇 し, その状態 で生産 は漸 次伸 び るだ ろ うが,飛躍 的発展 とい うの は期待 薄 で はな いか とい う。 ところで,生産 され るサ ゴの うちで販売 さ れ るサ ゴは, どの ぐらいの比率 を 占め るので あろ うか。 タ ッカ ララの場合 で試算 してみ る と,次 のよ うにな る。 例 のベ ロバ のサ ゴ商人 によ る と, タ ッカ ララ自体 にはパサール はな いが, この集落 は パ ロボ の市 日に は

5k

g

換 算 で毎週約

4

00

俵 を売 って い る とい う

。5kg

俵 はふつ う20人分 の主 食 にな る量 だ とい うか ら, これ は8

,

00

0

食分 にあた る。 1日に換算 す る と1,143食分で あ る。 仮 に,非 サ ゴ生産 者が毎 日1食分 をサ ゴ食 に してい る と してみ ると, これ は1,143人分 の1日の食糧 とい う ことにな る。 す なわ ち, 人 口約2

,

3

00

人 の タ ッカ ララは 白 らが消費す るサ ゴ とは別 に, 1,143人 の購買 者 に サ ゴ を供 給 して い る こと にな る。 先 にあげた幹 線道路 ぞいの市場近 く の集落 は, いずれ も, その生産 したサ ゴを だ いたい似 たよ うな比率 で販売 にまわ して い る と考 えてみて もよいので はなか ろ うか。 幹線道路 にそわない集落 はどう した状況 に な って い るので あろ うか。例 えば タ ッカ ララ に隣接す るデ サ ・マ ワ (図

1

参照) を とって み る と,次 のよ うな状況 で ある。 ここは例 の ウジュンパ ンダ ン ・パ ロボ幹線道路 よ り

2-

3

km 離 れてい るのだが,サ ゴは もう商 品 と し て の意 味 はな

い。

この集落 に も サ ゴ が あ っ て, 人 々 はサ ゴ もかな り食 べ て い る。 しか し,販 売 は全 くしない。理 由は, ここはす で に幹線 か ら遠 く, サ ゴを肩 で運搬 して幹線道 路 まで 出 して まで売 りに出す気 はない とい う ので あ る。 このマ ワが サ ゴの販売 に熱心 で ないの は, ほか に もっと重要 な理 由が あ る。 それ は, こ の山に近 い集 落 は最近 で は山腹 に大 々的 に丁 子を植 えてい るか らで あ る。 この ことのた め に実 際 には労働力が不足 してい るのであ る。 248 丁子 は一旦 出荷 が始 まる と, サ ゴな どよ りは るか に高価 な品物 で あるか ら,運賃 は問題 に な らない。 さ らに もっと別 の理 由 もある。 ソンカ扇状 地 の扇 頂 に近 い このマ ワで は,昔 か ら水 田が かな り重要視 されて いたよ うで あ る。 確証 は ないが, イ ンフ ォーマ ン トの B 氏 の

4

代前 のバ チ ョの水 田を耕 した 山の民 とい うの は, この人 た ちの ことのよ うで もあ る。 彼 らは昔 か らタ トル (トラジ ャ) の 山地 と結 びつ きが 強 く,水 田耕作 は彼 らの文化 の一部で もあ っ たよ うで あ る。 その ことはいまで も認 め られ て,例 えば,このマ ワまで来 ると,ソンカ川 の 分流 に はい くつ かの簡単 な井堰が か け られ て 港瀧稲作 が行 われて い る。 こんな ことはタ ッ カ ララで はつ いぞみか けない こ とで あ る。 要 す るに, こう して,少 し山地 にかか る と,完 全 なサ ゴ食圏 とい うよ りは,稲 を も作 り, な おサ ゴを も食べ る とい う一種 の混食圏 にな っ て くる。 そ して, そ うい うところには,最近 で は山に近 い とい う環境 を活 か して丁子栽 培 が伸 びてい るので あ る。 タ ッカ ララの人 た ちは水稲 の話 にな る と決 ま って, マ ワで はよい米 が とれ るけれ ど も, 自分 の ところは駄 目だ とい う。 なぜ な ら,上 流 のマ ワで養分 が全部 吸い と られて, タ ッカ ララに来 る と精気 のない水 にな って しま って い るか らだ とい う。 また, マ ワに は山が あ っ て丁子 で金儲 けがで きるが, ここには山がな いので それ はで きな い とい う。 そのかわ り, 幸 い,幹線道路 に面 して い るか ら,パ ロボな どへ の 出稼 ぎはで き るのだ とい う。 したが っ て, とりあえず は, このサ ゴ と出稼 ぎを 中心 にお くのだ とい う。 タ ッカ ララの人 た ちの こ の言 い分 は, タ ッカ ララの現況を的確 に表現 して いるよ うにみえ る。 幹 線 道 路 ぞ い に は タ ッカ ララのよ うな集落が点 々 と続 くのであ る。

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高 谷 ;南 ス ラウ ェシの サゴ生産 ⅠⅠ ペ ンカ ジ ョア ンの サ ゴ生産 Ⅰトi 地理 的背景 ペ ンカジ ョア ンは図1に示 したよ うに,大 きなル ウ低 地 の海岸部 に位 置 して い る。 まわ りには広 い平坦 地 が続 き, 山 は望 みみ る こ と もで きない。 これ は小 さな扇状地上 の タ ッカ ララ とはお よそ異 な った環境 で あ る(, ル ウ低地 はマサ ンバを頂点 にほぼ半 円形 を して い る。 円周 の外側 を 山が と り囲 み,直径 部 が海岸 にあた って い る。 直径 を なす海岸 線 は約 60km で あ る。 この ル ウ 低地 は一見 ひ とつ のデル タのよ うに み え る か も しれ な い が,実 際 に はそ うで はない。周辺 の 山地 か ら 多 くの河川 が流入 して作 った,一種 の氾濫原 群 で あ る。流 人河 川 は大 きい ものだ けを とっ て も西か らボ ンペ ンガ ン(Pompengan)川, ロ ンコン(Rongkong)川 , クボ (Kebo)川 , バ レアセ (Balease)川 な どがあ る。 これ らの 川 は山を 出た とたん に扇状地 を形成 し, 山か ら離 れ る と自然堤 防 と後背湿地 の組合せ か ら な る氾濫原 を作 る。低 地 の主 要部 は この氾濫 原 群 か らな る。 そ して, これ らの氾濫原 は海 に近 づ くと海岸 のマ ング ローブ に漸 移す る。 マ ング ローブ は図1に も示 されたよ うに,数 km か ら 5-6km の幅が あ る。 ル ウ低地 は し たが って大 き くは三つ の部分 か らな る。 周辺 部 に発達 す る扇状 地群 と, 中央部 を構成す る 氾濫原複合 と,海岸 ぞいのマ ング ローブで あ る。 これ らの三つ の部分 はそれ ぞれ に特有 な景 観 を持 って い る。扇状 地群地 区 は, 図1か ら も窺 い知 る こ とがで き るよ うに, この あた り にお け る人 口集 中地 区で あ る。水利 のよい と ころに は水 田がみ られ, サ ゴ もみ られ る。集 落 は多 くは年 おいた深 い果樹 の屋 敷林 で覆 わ れ, その あ りさま はタ ッカ ララのそれ に酷似 して い る。 事 実, これ は, ダ ッカ ララか らパ ロボにいた り, さ らにパ ロボ ・ウ ォ トゥ幹 線 道 路 ぞいに,サ ッバ ン(Sabbang),マサ ンバ , ボ ネ ・ボ ネ (BoneBone)と続 いてゆ く山麓 扇状地帯 で あ る。 ル ウ低地 中央部 の氾濫原複合 は一種 の未 開 発 地 区で あ る。 しか し,深 い原生林 地 区か と い うと, そ うで はない。 かつ て焼畑 か何 かで 広 くもとの森 が破 壊 されて しま った らし く, 大部分 の ところが二次林 で覆 われ てい る。 そ の中で最 も卓越 す る もの は背丈 十 数

m

に伸 び るパ ンチ ェで あ る。 そのほか にはパ ンダ ナ スや膝 も多い。ところによ って はパ ンチ ュが な く, そのかわ りシダ類 と潅 木 の混合が広 く 広 が る。 半湿性 の環境 で, いわ ゆ る ラワ ・ラ ワ と呼 ばれ る ところで あ る。 こう した 中に, ご く稀 に点在す る小 さな集落 の まわ りには, 焼畑 の トウモ ロコシ, オ カボ, キ ャッサバ な どの畑 が あ る。 低位 の よ りラワ ・ラワ的 な と ころには, いわゆ る焼畑水 田がみ られ る。 こ れ は ラワ ・ラワ林 を焼 き払 い,穿 孔 して点描 す る ものだが,雨季 にな る と湛水 して,点播 した稲 は一見水稲様 に育 つ とい う稲 で あ る。 このよ うに, この地 区 は全体 的 に は粗 放 な土 地利用 で, まだ焼畑 が卓越 して い る地 区 とみ て よい。 この地 区 にはサ ゴはほ とん どない。 む しろ 自生 のア レンが点在 して い る。 このル ウ低地 で, いま ひ とつ の人 口集 中地 区 は,上 記 の氾濫原 とマ ング ローブの接触部 で あ る。 ここには しば しば陸封 され た砂州 も し くは 自然堤 防が走 って い る。 これ らは時 に 500-600m の幅を持 ち,周辺 よ り 1.5m ぐら い高 い。 きれ いな 白砂 でで きて い る ことが あ る。 こう した ところによ く集落 が立 地す る。 そ して, この種 の集落 の周辺 に は, しば しば 広 大 なサ ゴ林 がみ られ る。 ここで述べ よ うと す るペ ンカジ ョア ンは, こう したマ ング ロー ブ背後 の集落 の ひ とつ で あ る。 ペ ンカ ジ ョア ン の 詳細 は図4に示 して あ る。 ここに示 した もの は,デ サ ・ペ ンカ ジ ョ

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東南 ア ジア研究 21巻2号 図4 ペンカジョアンの土地利用 ア ンの うちの カ ンポ ン ・ラップ (Labbu)と, それ に東 接 す るカ ンポ ン ・トンペ (Tompe), な らび に 西 接 す る カ ン ポ ン ・ウ ェ ラ ウ ィ (Uelawi)の, それぞれ一部ずつであ る。 こ れ らの集 落 の中心 で あ り, また玄 関 口にあた る ところ は,感潮河川 を海 か ら約

4km

入 り こんだ川 港 で あ る。 これ らは同図 中には錨 の 印 で示 して あ る。 こ こまで は満潮 時 な ら7-8 ton のア ウ ト・リッガ -で潮航 して くること が で きる。集 落 と集 落を結 ぶ交通 路 と して は, 250 この ほか に貧弱 な道 が あ る。 この道 は乾季 な ら少 し内陸 に迂 回 して単車 で パ ロボ- の連絡 を可能 に して い る。 しか し,人 々 がパ ロボ行 きに この道 を 利 用 す る ことは皆 無 とい ってよ い。人 々 はみ な舟 を利 用 す る。 図

4

に は,二 次林 , ロ ボ (lopo),草地,天水 田, 潮 汐港 概 田, サ ゴ林 ,莱 樹 の多 い屋 敷地, マ ング ローブ,養魚池 が示 して あ る。簡 単 に これ らにつ いて説 明す る と,以下 の 通 りで あ る。 (∋ 二 次林 例 の ラワ ・ラワその も ので あ る。 前 記 の パ ン チ ェ,パ ンダナス,藤 な どのほか に, ところ ど こ ろにサ リサ リンと呼 ばれ る幹 の 白い背 の高 い木 が 立 ってい る。 これ は丸木 舟 を作 るのに重 要 な木 だ とい う。 稀 にア レン (砂 糖 ヤ シ) が あ る。 (釘 ロボ 焼 畑跡 の二 次林 で あ る。 図4に示 され た も の は,1976年 か ら1978年 まで の3カ年耕 作 さ れ たが, その後 放置 され た もので あ る。 多 く はパ ンチ ェで あ るが,直径

3

0

-

4

0c

m

の切珠 か らは さかん に傍 芽 が 出て いて, いま は樹 高

5

-

6m

のパ ンチ ェの一 斉林 にな って い る。 (む 草地 かつ て は水 田 と して使 われて いたが,最近 の少 な くと も

1

0

年 は水 牛 の放 牧 地 として利 用 され て いた もので あ る。 パ ラ ・パ ラ (pala

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高 谷 :南 ス ラウ ェシのサ ゴ生産 pala;チ カ ラシバ) が水牛 に 食われ て 地面 に へ ば りつ くよ うに して生 えて い る。 多 くは, カハル ・ムサ ッカル の内乱 時, ここに立 て こ もった 内乱 軍 の兵 士 た ちが開 田 し,7-8年 は か な りて いね い に水 田 と して使 って いた とこ ろだ とい う。 いわ ゆ る焼畑 水 田 と違 って, こ の場合 は抜根 し耕起 して使 用 して いたか ら, 水 田放棄 後 もここに は森 は復 元 して いな い。 ④ 天水 田 例年 植 え付 ける水 田で あ る。 厳 重 に柵 で囲 まれて い る。1982年 に は しか し, 1筆 も植 付 けが行 われ なか った。何 十年 ぶ りか の天候 不 順 で雨 が な く,植 付 け水 が え られ なか ったか らで あ る。 (む 潮 汐港 概 田 潮 汐作用 の及 んで い る水 田で, いわ ゆ るサ ワ ・パ ッサ ン ・スル ッ(sawahpasangsurut) といわれ て い る もので あ る。ふつ うは雨季 に 塩 水 が薄 め られ た時期 に植 付 けを行 う。1950 年代後 半 に開 田 され た。 そ れ 以 前 は マ ン グ ローブで あ った。1982年度 は天水 田同様 ,天 候 不 順 で植 え付 け され なか った。 @ サ ゴ林 の ちに詳述。 ⑦ 果樹 の多 い屋 敷地 多 くみ られ る もの は ,コ コヤ シ ,マ ンゴー , ド リア ン, バ ナナな ど で あ る。 ほ か に ラ ン サ ッ ト, ジ ャック ・フル ーツ, パ ン ノ キ, ジ ャンプ 一 ・ア イル, ビ リンビ ン,サ ラック な どが あ る。 各屋 敷 はふつ う空 濠 を掘 り, さ らにその内側 にサ ゴの葉 柄製 の柵 を作 って, 野豚 や水牛 が入 りこまな いよ うに して い る。 ⑧ マ ング ローブ 最 も卓越 す る樹 種 はテ ッコ(tekko)とバ ン コ(banko)- と もにRhizophonasp.- で あ る。 す らりと伸 びた 木 が 比 較 的 密 に つ っ 立 って い る。 感潮 ク 7)- クぞ いに はニ ッパが よ くみ られ る。波 打 ち際 に はベ ロバ が卓越す る. こう したマ ング ロ-ブ 中 に は, ところ ど ころ に土手 が築 いて あ って,養 魚池- の転換 の途 中の ものが あ る。 ④ 養魚池 以前 はマ ング ローブで あ った ところ に土手 (高 さ1.5m, 上 盤 幅 2m, 底 幅 3m が 規 格 と して奨励 されて い る) と水 門 を築 き, 1区 画 1ha前 後 の養 魚池 と した もので あ る。 マ ング ローブ は伐 採 ,抜根 し, ふつ うは水深 を 深 め るた め に さ らに 掘 削 して い る。 主 と し て, ポ ロ (bolo;Chanoschanos)が飼 われ て い る。 以上 が 図

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に現 れ た もので あ るが, デ サ ・ ペ ンカ ジ ョア ンの統 計 は次 の よ うな数値 を与 え て い る。 a) デ サ総面 積 b) 利用 別面 積 養魚池 園地 (屋 敷林 な ど) 水 田 C) 植物 サ ゴ ココヤ シ マ ンゴー ド リア ン d) 動物 水牛 牛 山羊 鶏 ア ヒノレ e) 職業 農 業 漁業 林業 商 業 ・工 業 そ の他 計 約100km2 700ha l19 249 733株 3,840本 70 40 200頭

0

50 2,420羽 565 362戸 53 20 21 28 484戸 こ こで注意 して おか な けれ ばな らない こと 描, ペ ンカ ジ ョア ン (484戸,2,994人) は

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東 南 アジア研究 21巻2号 タ ッカ ララ

(

51

2

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2,

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人) とほ とん ど同 じ規模 の人 口 しかないのに対 して, その村総 面 積 は, タ ッカ ララの 9km2 に対 して,100 km2と実 に11倍 の巨大 な ものを持 って い る と い うことで あ る。 ペ ンカジ ョア ンの人 口密度 はkm2あた り30人 と,稀 薄 で あ る ことを知 っ ておか な けれ ばな らない。 上 の統 計 をみ る上 で, もうひ とつ注意 しな けれ ばな らない こ とは,上 の数値 が必 ず しも 現 存す る実数 を示 して い る もので はない とい うことで あ る。 これ は基本 的 に は徴税 の対 象 とな って い る ものの数字 であ るにす ぎな い。 例 え ば,植 物 の数 な ど実 際 には これ の何十倍 もあ る。水牛 に した ところで 同 じであ る。 逆 に,養魚池 は現在 で はまだ これ ほ ど多 くは実 在 して いない。将 来 は実 際 に養魚池 にな るは ず だが, い まはそ うで はない, しか し, もう い まか らす で に登録 だ けは養魚池 と してお こ うとい うマ ング ローブ地 も含 まれ てい る. 水 田な ど も実 際 には長年耕作 されず に草地化 し て い る もの も含 まれ て い る。 そ うい う観 点か らす る と, サ ゴはひ ど く過 小 評価 されて い る。 図4か らも想像 され るよ うに,実 際 に は数万株 , あ るい は十数万株 あ ろ うか と思 われ るサ ゴが, ここに は733珠 し か示 され て いない。余談 にな るが, それで も サ ゴが こう した公式 の統 計 に表 れて くる とい うの は慶賀 すべ き こ とで あ る。 ふつ うはタ ッ カ ララの場 合 のよ うに, た とえ多量 に存 在 し て いて も記 帳 され ない。 この植 物 は中央 の人 た ちには 自生 す る雑草 ぐらい に しか考 え られ て いな いよ うで あ る。 その意 味で はペ ンカジ ョア ンの この統 計 に は, さす が にス ラウェ シ 第 1のサ ゴ村 だ けの ことはあ る とうなず か さ れ る。 Ⅰトii 生 態 確 固た る証拠 はな いのだが,地 元 の人 た ち は, サ ゴは ここで はいつ の時代 にか外部 か ら 252 導 入 された外 来植物 で あ る と信 じてい る。 こ の こ とは,図4にみ られ るサ ゴの分布 か らも 安 当 な ことのよ うに思 われ る。 もし自生 だ と す る と,ル ウ低 地 の中央部 の氾濫原地帯 に, もっ と広 い 自然分布 が あ って もよ さそ うで あ る。 先 に も述べ た ごと く,実 際 に は中央部 に はサ ゴはない。 そ うい うところに時 たま生 え て い るサ ゴをみ る と,地 元 の人 た ちはそれ は カハル ・ムサ ッカル の軍 隊が植 えた ものだ と い う。 微 視 的 にみて も, サ ゴの 分 布 は こ こで は は っき りと した規則性 を持 って い る。 まず第 1にサ ゴはマ ング ローブ帯 には侵入 して いな い。 しば しば マ ング ローブ に接 して サ ゴ の 立 って い ることが あ るが, よ くみ る と,両 者 の地盤 にはは っき りと した違 いが あ る。 マ ン グ ローブ は干 潟部 を 占居 して い るが, サ ゴは それ よ り少 な くと も50-60cm は高 い砂州 の 上 に生 えて い る。 もっ とも しか し,砂州 の上 で も,マ ング ローブ にあま りに近 い ところに はサ ゴのないのがふつ うで あ る。土 地 の人 に いわせ る と, そ うい うところで も生理 的 に は サ ゴは十分耐 え られ る。 しか し,処 理用 の淡 水 が え られ ないか ら, ふつ うはそ うい う とこ ろには植 えな いので あ る。 サ ゴは したが って,本来 は淡水域 の氾濫原 の もので あ る。ところが,この氾濫原 の中で も またその分布域 はは っき りと決 ま って い る。 比 高 0.5-1.5m ぐらいで,緩 い起伏 を繰 り返 す微地形 の中でサ ゴは高位部 のみを 占めて い る。低位 部 は,二次林 と して残 され て い るか, 水 田にな って い るので あ る。 この ことに関 し て,土地 の人 は次 のよ うな説 明を して い る。 す なわ ち,最初人 々が この海岸 低地 に住 みつ いた時,彼 らは選択 的 に高燥地 に居 を構 え, その周辺 の比較 的水 はけのよい ところにサ ゴ を植 えた。低位部 は雨季 には洪水 の流 れ る こ とが常 だ った し, ワニな ど もいて, け っ して 利用 し易 いよ うな ところで はなか ったか らだ

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