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社会システム論の過去・現状・課題

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滋賀大学経済学部研究年報Vol.11994 一155一 記念講演

社会システム論の過去・現状・課題

飯 尾

 本稿は1994年6月30日に,本学に新設された 社会システム学科の発足を記念しておこなわれ た特別講演と質疑応答とレジュメを,講演者の 飯尾要氏の好意により再録したものである。内 容は,第1部として講演そのものとそれに対す る質疑応答を,第II[部として当日配布されたレ ジュメを収録している。したがって,第1部の レジュメを参照しながら,第1部の講演内容を 理解されたい。本稿が,発足問もない新学科の 内容の充実に役立つことを期待する(鈴木正仁・ 梅沢直樹 記)。

第1部

      i994. 6.30 【司 会】ながらくお待たせいたしました。本 日,司会を仰せつかりました福岡です。どうぞ よろしくお願いします。  今日は二つお祝いすることがございまして, われわれのほうの学部の新しい学科,社会シス テム学科の発足をお祝いするということ。もう 一つは,学生定員増に伴いまして,新しい建物 として第2研究棟が完成いたしまして,その落 成のお祝い。この二つのことを記念して,この ような会を催させていただきました。  来賓の皆さま,教官諸氏,学生諸君の皆さん, お忙しい中お集まりいただきまして,たいへん 有り難うございました。最初に記念講演といた しまして,飯尾要先生にお話をしていただくと いうことになっております。実を申しますと, 私も4月から文化システム論なる講義をやらさ れておりまして,文字通り手探りでやっている 状態でして,今日は是非,私も勉強させていた だこうという積もりでまいりました。  それでは,講師の先生につきまして,吉田学 部長のほうからご紹介していただきたいと思い ます。 【吉 剛経済学部長の吉田でございます。暑 い中をようこそおいで下さいました。新しい校 舎はエアコンが効いているのですが,古い校舎 はまだです。今日は講師の先生はもとより,お 聞きの皆さん方にもちょっと暑さをガマンして いただかなければなりません。  本日の演題はここにご案内してますように, 『社会システム論の過去・現状・課題』です。 私どもが昨年10月に発足させました社会システ ム学科,まさにその学科の名称に相応しい演題 で飯尾先生にご講演をいただくことになってお ります。  飯尾要先生を紹介させていただきます。飯尾 先生は,1929年に神戸でお生まれになり,東京 大学経済学部をご卒業されております。長い間, 和歌山大学経済学部にご在職でいらっしゃいま したが,今春退官され,現在,大阪経済大学経 営学部経営情報学科の教授でいらっしゃいます。 また,社会経済システム学会の会長をも務めて おられました。先般,本学では塩原勉先生にも ご講演いただきましたが,塩原先生はこの社会 経済システム学会の現会長です。私どもの学校 でも,社会経済システム学会に大勢の先生が加 入されておられますが,そういうふうに二重, 三重に私どもの新しい学科と教育システムに縁 の深い先生をお迎えした訳であります。

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一156一 滋賀大学経済学部研究年報Vol.1 1994  飯尾先生の著書としては1972年に『経済サイ バネティクス』を刊行されておられますが,こ れは私どもも非常に深い関心で読ませていただ きました。1986年にilシステム思考入門』,さ らに1994年,最新の著書になりますが,『経済・ 経営システムと情報技術革命』をいずれも日本 評論社から出版されていらっしゃいます。これ らの業績からも分かりますように,先生はまさ にわが国における社会システム論の第一人者と いうことができます。  では,先生のご紹介はこれぐらいにいたしま して,さっそくご講演のほうを始めて頂きたい と思います。どうぞ,よろしくお願いいたしま す。 社会システム論の過去・現状・課題 §1 社会システム論の生い立ち  飯尾でございます。暑いんで上着を脱がさせ ていただきます。  本日は,今,吉田学部長からご紹介いただき ましたように,お知り合いの先生がたくさんお られます。それから,尾上学長とはもう30年来, 公私共にお付き合いいただいております。そう いう学校で,こんなおめでたい日に呼んでいた だきまして,非常にうれしく思っているわけで す。それで,できる限り何かお役に立つような 話をしたいと思っておりますが,うまくいくか どうか。1時間強,3時ぐらいまでお話しよう と思っております。  先程,司会の福岡先生からお話がありました ように,質疑応答もお受けしてということでお 話したいと思います。  まず,社会システム論については,もう既に ご勉強なさって,お判りの方がおられると思い ますけど,その部分は復習というようなことで 聞いていただいたらいいと思います。  最初に, 『一般社会学大綱』の著者,パレー トに触れたいと思います。経済学でいうパレー ト最適のパレートです。そのパレ・・一一トの『社会 学提要』の中に,「社会の状態とかシステムと いうものは,いろんな作用とか力が合成して状 態が決まってくる。それを社会システムと呼ぶ」 というような言葉があります。そういう運びで, 社会システムの均衡状態という話をかなり詳し く展開している。そういうのがあります。また, 皆さん方ご存じの社会学者ないし経済学者のマッ クス・ウェーバーが,『経済と社会』という本 の中の「支配の社会学」という分野などで,ヒ エラルヒーのことを書いている。その部分は, システム論的に言いましても,そういうヒエラ ルヒー・システムについての説明としては,殆 ど,完壁に近いと思っておるわけです。  そういう形では社会システム論ないしシステ ム的思考というのは,ずっと昔からあるわけで ございます。けれど,本日は実はその話ではご ざいませんで,レジュメ冒頭の二つ目のスター 印に書いてございますように,19世紀後半から 20世紀にかけての自然科学革命に立って,1940 年代ぐらいに生まれてきた情報科学の一分野と してのシステム理論というものを,ご説明申し 上げたいと思っています。  その新しいシステム論という考え方を社会科 学に応用したものとしての社会システム論が, 今日お話申し上げるテーマです。だから,広く 社会システム論というのは,ウェーバーもそう だとか,うんと遡ってアリストテレスでもそう いう考え方があるじゃないかという話になるわ けですが,それではなくて,もうすこし限定さ れました,情報科学の一分野として現れてきた システム論,ないしそれを使った社会システム 研究の方法論というようなものがどういう恰好 で出来上がってきたか,そうしたことをお話し たいというわけでございます。  自然科学の先生がおられましたらご存じでご ざいましょうが,今申し上げました19世紀後半 から20世紀にかけての自然科学革命というのは, 広重徹一私は旧制高等学校は京都なんですけ ど,その時の同窓生で,もう亡くなりましたが, 日本の科学史のほうではいい仕事をして,かな

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社会システム論の過去・現状・課題 (飯尾  要) 一 157一 り有名になったとこで亡くなったんですが一 その広重君の『近代科学再考』なんかにも出て まいりますが,非常にそのあたりで革命的展開 がございました。  どういうことかと言いますと,数学で言いま すと記号論理学ですとか,公理論的な集合論で ありますとか,公理論的な確率論というのは, その時できてきたわけです。それまでは数学は 量の科学とみられてたんですけれども,今,中 学校で集合など教えますように,量という概念 よりも先に構造ということがあります。現代数 学のブルバキ派が言いますように,構造の科学 という恰好で数学というものが規定されるとい うような変革が起きてきたわけです。  物理学のほうでは,これもいろいろ考え方が ございますでしょうけど,よく言われている考 え方で言いますと,アインシュタインまでが古 典物理学で,量子力学の段階から現代物理学に なる。湯川先生なんか,自然認識の仕方の変革 というものが量子力学で起きてきたとおっしゃっ ている。そういう熱力学,統計力学,量子力学 の展開というのは,やっぱり,19世紀後半から 20世紀にかけて起きてきたわけです。  それから,化学のほうでは,原子,分子の構 造と周期表というものから化学反応をみるとい う,近代化学が成立してくる。  さらに,生物学も細胞説というのが19世紀の 30年代ですし,進化論が19世紀半ばです。シス テム論と関わり深いことで申し上げますと,岩 波の文庫で翻訳が出ている『実験医学序説』を 書いたベルナールは,結局,人間の身体の中で いろいろ循環して,それで,われわれが36度5 分の平熱とか脈拍60だとかを保っているんだと いう,いわゆる恒常状態というものを科学的に 説明した。そういうことも19世紀半ばで起きて きたわけです。  また,神経生物学での脳神経のネットワーク というコンセプトも,この段階で出てきた。そ れから生態系のコンセプトもその段階です。こ のように,数学,物理,化学,生物学,神経生 理学,生態学というものが非常に変わってきま した。そういうのと並行しまして,制御工学は, コンピュータはまだですけれども,機械的な装 置としての制御工学というものが非常に発達し てきた。それから,無線ですとか,ラジオのよ うな通信工学が発展してくる。そういう恰好で, 今ここにズラッと並べましたような分野全体の 中で,それまでの自然科学的認識と非常に違う 視点一広重のいう「要素論的・機械論的な従 来の科学とは著しく異なる構成のアプローチ」 が生まれてくる。非常に新しい時代だったわけ です。そして,そういうものを背景にいたしま して,1940年代に三つの学際的グループが,し かも同時的にそれぞれ独立に生まれた。これが 非常に大切だと思います。  つまり,一つはウィリアム・ロス・アシュビー というイギリスの神経医学者であります。それ から,ルイ・フォン・ベルタランフィー。この ベルタランフィーというのは生物学者でござい まして,ウィーンの人であります。欧州大陸に なるわけです。最後に,ノーバートeウィーナー でありまずけれども,彼はアメリカです。この それぞれが自分の周囲に,今ズラッとあげまし たようないろんな分野の人を集めました。  たとえば,アシュビーは神経医学者であるけ れども,周囲に数学,物理学,化学,生物学と いろんな人を集める。ベルタランフィーは生物 学者であるけれども,その他に工学者でありま すとか,数学者だとか,そういうのを周囲に集 める。ウィーナーは自分は数学者であると言っ ているわけでありますが,その周囲に同じく神 経医学者とかいろんな人を集める。そういう恰 好で,イギリスとウィーンとアメリカに,いわ ゆる今日で言う学際的グループが三つ誕生して たわけであります。しかも,当時彼らの問に交 流はなかったとみられます。交流がなかったん だけれども,この三つのグループが全部同じ結 論,方向に劉達した。これが非常に面白いとこ ろだと思うわけです。同時並行的に同じ結論が 出た。

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一158一 滋賀大学経済学部研究年報Vo1.11994  それはどういうことかと申し上げますと,レ ジュメの図の下に書いておりますように,どの グループも,生物体でありますとか,人間の神 経システムでありますとか,行動とかいうよう なものについて,要するに情報と制御のシステ ムという恰好で捉えていきます。例えば,非常 に簡単な例で申し上げますと,生物体にもフィー ドバック制御が働いているし,人間の神経シス テムにもフィードバック制御が働いているし, 行動科学みたいな場合にもフィードバック制御 が働いている,と。今日では常識みたいなこと でございますけど,そういうような問題の立て 方をして,全部が共通法則みたいなもので動い ているではないか,と考えた。従って,いろん な生物体の動き方みたいなものについて,合目 的的にそういうものが動いているわけですけど, それは決して神秘主義的に理解すべきではない。 一つのメカニズム,情報と制御から自動制御が 行なわれるメカニズムがあるんで,それで合目 的的に動いているというような状態が現れるん だというわけであります。  それは,アシュビーの言葉を借りますと,機 械と人間の脳と社会組織との間に,極めて多く の興味深い,示唆的なパラレリズムがある。パ ラレリズムは,相似性,並行性,どう訳すか難 しいわけですけども,ともかく全部に並行的に いろいろな現象と法則がみられる。  だから,ある一つの分野を研究したモデルを こっちのモデルに使ったり,こちらのモデルで 研究したものをあちらへ使ったりというような 恰好で,パラレリズムを活かして研究していこ うじゃないか。こうした方向性が,この三つの グループの全部に共通して現れたということで ございます。  レジュメでは先程触れた個所に1,2,3と まとめておりますが,物理,化学的領域生物 学的領域,人間心理・行動領域などにおいて, 各システムの異なったレベルに注意しつつ一し たがって,物理システムと生物システムと人間 システムとをおんなじに見るというわけでは決 してございません一レベルが違うんだけれど も,その構造というものの相似性,並行性,場 合によってはそこにおける共通の法則性という ようなものを摘出することに努力を傾けるとい うのが1であります。  2は,1と重なっておりまずけれど,特に情 報と制御という概念を非常に重要視します。い つも私は,システム・情報・制御のトライアン グルという恰好でこのレジュメの図を出すわけ です。システムというのは全体の部分だとか, 構造だとか,それでしたら,先程申し上げまし たアリストテレスの本にも出てくるわけであり ますから,そんなものはギリシャの時代からあ るじゃないかという話で終わるわけです。そう じやなくて,1940年代に現れてきましたシステ ムズ・セオリーの考え方というのは,システム は個々の要素がつながっていると考える。個々 の要素は物理的な作用でもつながるけれども, その場合に情報の流れというものが非常に重要 になる場合が多いというわけであります。  情報という概念は一方,制御につながります。 これは後でご紹介するグレニエフスキという人 が指摘しています。私なりに説明しますと,人 間と人間の関係ですと,コミュニケーション, 挨拶というのは,情報を流すことです。「ハロー」 とか「オウ」なんていうのが一番簡単な挨拶で ありますけど,人と顔を合わせた時に「オウ」 と言ったり「オウ」と手をあげたりするのは, あんたに対して私は敵意はない,仲良くしたい ということであり,だからまた相手を自分に対 して仲良くさせたいということでもあります。 昨日別れた友だちと学校であくる日また会った 時に,「こんにちは」と言うのは,僕はあんた に敵意を持ってませんよ,昨日と同じように付 き合いましょうということです。少し気を悪く してりゃ,プイと横を向くわけです。プイと横 を向いてりゃ,なんだろうということで判るわ けです。だから,そういう意味合いでは,挨拶 というものが既に相手の状態というものを自分 に好ましい状態に持っていきたい,つまり,相

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社会システム論の過去・現状・課題 (飯尾  要) 一159一 手を制御したいから挨拶するんだということに なります。ですから,情報を流すということは 制御ということ,ある状態をコントロールした いということと一致するわけです。これは,細 胞と細胞とか,機械と機械との問でも似たこと になります。  そういう意味合いで,あるエレメントとある エレメントとがつながって,全体としてのシス テムを形成するという時には情報が流れるし, 情報が流れるということは,どっちかがどっち かを制御するとか,あるいは,両方がお互い制 御し合うとか,そういうような関係で要素間の 制御関係というものが問題になる。だから,そ ういうシステム・情報・制御という三角形で問 題を捉えていくというのが2番目の特徴になる わけです。  先程申し上げましたように,マックス・ウェー バーだっで情報とか制御に似た概念を使わない わけではありませんけれども,一応,そういう 広い意味でのシステム論と,今申し上げました アシュビー,ベルタランフィー,ウィーナーが 出たあと現れてきているシステム論とは上述の 点が違うわけです。情報・制御というコンセプ トを使ってシステム分析を行なっていくという のが,当時現れてきたやり方です。したがって, 研究方法の一つの特徴として諸科学の学際的な 交流というものを重視するというような恰好に なっていったわけであります。  レジュメに小さい字でアシュビーとベルタラ ンフィーやウィーナーの文献をあげております のは,あんまり紹介されないものをあげてみた わけでございます。若い学生さんもおみえでご ざいますのですこし参考になる本も申し上げて おきます。アシュビーのものとして有名な本は, 翻訳されているのが二つございまして,『サイ バネティクス入門』という本と,『頭脳への設 計』という本が宇野書店から出ています。どち らも似たような本ですが,有名な本であります。  ベルタランフィーは『一般システム理論』と いう本がよく知られています。これもみすず書 房から翻訳が出ております。ウィーナーもたく さん本を書いておりますけど,代表的な本とし ては岩波書店から出ている『サイバネティクス』, それから私が学生さんによくお勧めするのが, 『人間機械論』というみすず書房から出ている 本です。これは翻訳はいいんですけど,題がよ くない。『ヒューマン・ユーズ・オブ・ヒュー マン・ビーイングス』,人間の人間的使用とい うのが原題です。ウィーナーという人はものす ごくヒューマニズムに立つ人でした。だから, 情報技術革命になるけれども,上手にやって人 間主義的な社会を作らなければいけないという のが, 『ヒューマン・ユーズ・オブ・ヒューマ ン・ビーイングス』という本なんです。それが 『人間機械論』と訳されたので,当初は何か人 間を機械みたいにするのがサイバネティクスだ と誤解されたこともあるのですけど,原題は今 申し上げたとおりであります。  それはさておき,レジュメにあげましたのは, 40年代に彼らがそれぞれ一番最初に書いた,注 目される論文です。アシュビーは精神医学の雑 誌に「適応と均衡」という論文を書き,ベルタ ランフィーは自然科学の雑誌に「物理的なシス テムとして考察された有機体」という論文を書 いた。そしてウィーナーは,「行為と目的と目 的論」という,人間の行為の合目的性というの はどうして成り立っているんだというようなこ とをシステム的に明らかにしたいという論文を 書いた。みな,先程申し上げた共通の思考に立っ ていたわけです。  そのほかに大切な人としましては,最近非常 に脚光を浴びておるわけですけど,マカロック とピッッという神経医学者がおります。彼らは ウィーナーのグループになるわけですけど, ニューロン・モデルを開発していった。1940年 代ぐらいから,人間の脳細胞がノイロンまたは

ニューロン(NEURON)という神経素子でつ

ながっていっている,そういうモデルを開発し ていったわけであります。  それから,もう一人有名な人はフォン・ノイ

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一160一 滋賀大学経済学部研究年報Vol.1 1994 マン。経済学のほうで言いますと,ゲーム理論 をモルゲンシュテルンと一緒にやっているノイ マンであります。このノイマンという人はプロ グラム内蔵型計算機というのを考えたわけでし て,このノイマンのオートマトン研究も重要で す。ノイマンの論文では,図書館にあると思い ますが,「コンピュータと脳」という翻訳があ ります。薄い本ですけど,現在読んでも非常に 面白い。コンピュータと脳はどこが違うかとい う,今の段階でのコンピュータにでもまだ通用 できる話があるわけです。  もう一人は情報理論のシャノンです。じつは, このあたりの人は全部,交流がございます。情 報理論のほうでエントロピーという概念がある んですけど,物理のエントロピー概念を情報理 論のほうへ使った。そのときエントロピー概念 を使ったらどうだというのは,ノイマンが教え たんです。これは,ちゃんと文献に書いてあり ます。ノイマンがシャノンの部屋へ行って話し ていて,シャノンが「こんなことで困っている んだ」と言ったら,ノイマンが,「なら,エン トロピー概念を使ったらどうだ」と言うので, 情報エントロピーの概念が出来たというわけで す。それほど彼らの間には非常に交流があった。 そういう恰好で,このへんの人たちが1940年か ら50年のあたりに非常に活躍していったわけで あります。  そういうことを背景にしまして,1954年に一 般システム論協会というのがアメリカにできま した。この場合は経済学者のボールディングな どが非常に積極的な役割を果たしました。ボー ルディングは,経営科学の雑誌に「ゼネラル・ システムズ・セオリー」という論文を書いてお りますけど,これは公文俊平さんが訳したボー ルディングの『経済学を超えて』 (竹内書店) というちょっと分厚い本の中に収録されており ます。  ついでに申し上げておきますと,小さいこと ですが面白いことがあります。ボールディング はゼネラル・システムズ・セオリー,アシュビー もシステムズ・セオリー,ベルタランフィーは システム・セオリーといいます。普通,英語で 言いますと,形容詞用法というか,こんなとこ ろにSを付けたらおかしい。システムが所有す るんでも何でもないんで,複数のSみたいなも のなんですけど,これを英語の先生はおかしい と思われる。だから,和歌山大学で社会システ ム設計学科が出来ました時に,私はわざとシス テム設計というのはソーシャル・システムズ・ デザインだと,Sを入れた。英語の先生が, 「これ,飯尾さん問違ってるのではないか」と, 言って来られたんですけど,ほんとうは合って るんであります。そんなことで,単数にしたり, 複数にしたり両方するんですけど,ベルタラン フィーは異を立てて絶対に複数は使わない。と もあれ,ボールディングもこういう論文を書き まして,一般システム論協会が出来たというこ とです。  同時に,56年に国際サイバネティクス協会と いうのが,これはヨーロッパを本部にして出来 ました。私はこちら側の会員になっているわけ です。さきほどの公文俊平さんという,元東大 で,今,国際大学にいる方は,一般システム論 協会のほうに入っておられる。いずれにいたし ましても,国際的なこういう学会も出来まして, 学習でありますとか,ラーニング・システムと かを研究することになった。学習というのは, 行動パターンというものをいろいろと変化させ ていくことです。行動なり制御というのは,あ る状態変数が起きてきた時にそれに反応するわ けですけど,ワン・パターンな場合が「学習の ない状態」ということになります。生得的反応 だけでいくと,ミミズやナメクジでも,いつも フィードバック制御はやるわけです。だけど, ミミズやナメクジというのは学習がない。蜂な んかも,よく経済学者が蜂は賢いように言いま すけど,蜂はギリシャの蜂も現在の蜂も同じ巣 の作り方をしているわけで,全然,学習がない わけです。だが,いわゆる脊椎動物になってま いりますと,反応パターンそのものを変えてい

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社会システム論の過去・現状・課題 (飯尾  要) 一 161 一 く。だから,ある刺激を放り込んだ場合に,ど う反応するかということが条件によって変わっ てくる。その一番初歩的なのが条件反射であり, より複雑なものが学習です。工学のほうで言い ますと,適応制御とかアダプティブ・コントロー ルとかいうことになる。これは工学の用語です。 行動科学でありますとか,心理学,認知科学の ほうでは学習と言います。先生によりましては 学習と適応制御の違いを言う方がおられるんで すけど,私は一緒だと思っています。それを別 にするほど差はありません。  もう一つ,60年代から研究されているもので, 最近,経営扇島学などで,セルフ・オーガナイ ズィング・システム,自己組織系というような ものの研究が非常に注目を浴びてきております。 これは,適応制御とか学習よりももう一段高い もので,あるシステムが環境と相互作用する時 に,自分の構造そのものも変えていくという場 合です。アシュビーなども非常に初期の段階で, 自己組織系というものを人に判らせようとして, 非常に簡単な説明を使っている。例えば,部屋 で暑いからルームクーラーをつけるというので なくて,部屋が暑かったら部屋を出ていくとい う,場そのものを変えてしまうというような, そういうのが自己組織系なんだという説明をし ているわけです。そういう構造変化を引き起こ していくものが自己組織系なんです。脳なんか が発展していくのは,そういう自己組織系とし て,どんどんどんどん脳回路が形成されていく んだ,という。だから,それと同じように,あ るいは生態の発展や進化みたいな話もそうなん ですけども,そういう恰好で組織でありますと か,そういうものの発展というような原理をも う少し考えていくことができないか。これが自 己組織系ということの研究になるわけでありま す。さらに,最適化ということで,そういうこ との中で起こってくる状態のオプティマルな制 御というのはどういうものであるか,というよ うなことが研究されます。  これも,もし図書館にありましたら貴重な文 献ですが,シャノンとマッカーシーが編集しま した,『唯一トマータ・スタディズ』というの がプリンストンから1956年に出ている。この本 をご覧になりますと,15人ぐらい学者が出てく るわけですけど,全部,偉い人ばっかり出てく るわけです。それが集まってシステム論を研究 しておる有名な本なんです。またヨービッッが 編集しました自己組織システム研究の国際会議 の文献なんかもあります。  ここで,ヘンリク・グレニエフスキをご紹介 しておきます。私はこの人に依拠したので余計 にご紹介したいわけですけど,しかしそれだけ ではありません。彼は社会システム論の発展に 非常に重要な役割を果たしました。彼はポーラ ンドの学者でありますが,ベルギーの国際サイ バネティクス協会の第1回大会で,論理モデル, 生物モデル,経済モデルというものを統一的に 記述するシステム・モデルを報告しました。論 理モデルというのは,「問い」が入って「答え」 が出てくるというモデルの話です。生物モデル は,普通の生物。経済も普通の経済論,原料が 入って生産物が出るという経済のモデルですけ ど,そういうもののシステムを統一的に記述す るシステム・モデルというものを作ったわけで す。絵に画きまして,箱を画いて,投入,産出 を記号化して,その変換様式というものを記号 化していくのは,こういうようにすればできる という形のものを報告しました。これが社会シ ステム理論にとってかなり先駆的なものであっ たとみられているわけであります。ただ,ポー ランド人でありますので,ウィーナーほど有名 にはならなかった。けれど,彼自身は,尾上学 長が個人的にもお付き合いがあった経済学者の ティンバーゲンとか,ポーランドの経済学者の オスカー・ランゲと交流を持っていたわけです。 それで,そのグレニエフスキの「サイバネティ クス・アンド・エコノミック・モデルス」とい う英語の論文がありまして,それが今申し上げ ました報告であります。  その後,グレニエフスキの「門下」,たとえ

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一162一 滋賀大学経済学部研究年SU Vol.1 1994 ばユーゴのメサロビッチ,チェコのクリール, さらにハンガリーのコルナイ,これらは全部グ レニエフスキのいわば「弟子」でありますが, それが「西」で活躍し「西」の一般システム論 協会の中心部分になっていくわけです。そうい う恰好で社会システム論というものが徐々に発 展してきたということであります。  その後,ベルタランフィーもアメリカへ行き ます。そういう恰好でアメリカ,イギリス,ヨー ロッパ大陸でシステム論や社会システム論が起 きてきた。  そこで,一つ申し上げておきますと,アング ロサクソンのほうでは割合,「システム理論」 という言葉を使うんです。私は72年に本を書い た時に,『経済サイバネティクス』という題を 付けているわけで,『経済システム論』と書か なかったんです。それは,国際サイバネティク ス協会という名前に現れておりますように,ヨー ロッパとか東ヨーロッパのほうは割合に「サイ バネティクス」という言葉を使っていたからで す。それに対して,一般システム論協会のほう は,ゼネラル・システムズ・リサーチ協会となっ ているわけです。大陸ヨーロッパ系は東西を問 わず「サイバネティクス」という言葉を使い, アングロサクソンのほうは「システム論」とい う言葉を使った。中身は殆ど一緒なんですが。  ときには辞典なんかに,システム論の中で非 常に狭い分野がサイバネティクスだという説明 があるんです。そういう具合に言えないことも ありませんが,私にいわせれば,それは正確で はありません。むしろ,名称みたいなものの違 いです。だから,国際サイバネティクス学会の 大会では,セクションの名前は何々システムズ, 何々システムズという恰好になっているわけで すね。ともかく,当時,私はどちらかというと グレニエフスキなんかが好きなんで,自分は 「サイバネティクス」を使いました。ですけど, 最近は,「経済サイバネティクス」と書かない で「経済システム論」と書いているわけです。 「サイバネティクス」という言葉はやっぱりな じみにくい言葉なんで,「システム論」という 具合に言ったほうがいいかなと思っているわけ です。そんな恰好で,「システム論」とそれを 使った経済システム論社会システム論という のが出てくるということになります。 §2 今日までの社会・経済システム論の発展  この項に取り上げますのは,システム論の社 会経済的な応用といったことになります。60年 代,70年代,今申し上げました一般システム論 協会も国際サイバネティクス協会も会議がどん どん活発化しましたんで,毎年,雑誌が出ると いう恪好で研究が出ました。特にアメリカの場 合には,狭い意味でのマネジメント・インフォー メーション・システムから,DSS(意志決定支 援システムズ),つまりコンピュータを経営に 入れて意志決定をやるという経営情報システム というのが非常に発達してきました。その中で 組織の集権,分権というのが問題として出てき た。組織の集権,分権という問題を解くのには, システム論というのはまさに適合的な道具であ るので,そういう恰好で経営のほうから,まず 「システム論」というのが出てきたわけです。  マクドノブというのはペンシルバニアの人で すけれど,『情報経済学と経営システム』とい う本を1963年に書いてます。広い意味での情報 の中に一番低いレベルのものがデータで,それ が構造化されたものが1急報で,それがもう一つ 構造化されたものがインテリジェンス,知識だ という分類があります。このデータ・情報・知 識の三分類みたいなコンセプトは,じつはマク ドノブが63年ぐらいに言っています。それから, サイモンなんかも自分では「システム論」だと 思っているわけです。  また,イギリスのほうでは,面白い方なんで ご紹介しておきますと,スタッフォード・ビー アというたくさん本を書いた学者がいます。シ ステム論というのは実践的な関わりというのを 持っておりまして,あんまり知られてないと思 うんですが,今からご紹介するお話もそうした

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杜会システム論の過去・現状・課題 (飯尾  要) 一153一 システム論の性格をよく示してくれると思いま す。  ビーアはイギリスの経営システム論学者で, 『デシジョン・アンド・コントロール』という 本を書いているわけですが,面白いのは,1970 年から73年に,若い方はご存じないと思います が,チリで社会党と共産党が一緒にアジェンデ 政権という政権を選挙で作ったことがある。の ちに軍事クーデターでつぶされたわけですけど。 そのチリに平和裡にそういう社会主義の政権が 出来た時に,ビーアは経済顧問で行っているわ けです。チリで新しいタイプの計画経済みたい なものをサイバネティクスを使ってやれないか というわけで,それで非常に面白い設計を試み ました。その途中なんですけど,なかなかうま くいかないで,丁度彼が帰っている時に軍事クー デターが起きて,彼は助かった。こういう関わ り方をするほどの人もいたわけです。  もう一つは,これもマーケティングの方なら ご存じなんですけど,マーケティング論のほう でシステムズ・アプローチは非常に重要な役割 を果たしたましたし,またシステム論の発展に マーケティング論が寄与しました。ロー・オル ダーソンという入がおりまして,神戸大学の荒 川祐吉先生という元の商業学会の会長さんが ズッーとよく研究なさった研究者ですが,マー ケティングの神様みたいな存在です。このオル ダーソンはシステム論者であります。アシュビー だとかそういうのを使いまして,アシュビーの 批判なんかも勿論やっているわけですけども, そういうアシュビーによる概念も自分の中へ入 れて,マーケティング・ビヘビア・システムと いう概念を作り出すわけです。普通のマーケティ ング論というのが実際的な技術工みたいになっ ているものを何とかして学問的,科学的理論の 分野に引き上げようという功績をオルダーソン は果たしたわけですけど,その場合にシステム 論が大きな道具になったということであります。  もう一つは,私自身がそういうことに関心を 持っていたので,言いたくなるわけでもありま ずけれども,システム論が東ヨーロッパで非常 に盛んであった。グレニエフスキの弟子がたく さんいて,それがのちに西のほうに脱出してい くわけですけど,そういうこともあるほどに, 共同経済と言いますか,社会主義経済みたいな ものと,市場理論というものを何とかして接合 することができないかということを,東ヨーロッ パの経済システム論者はみな研究したわけです。  どうして,そういうことになったか。マルク ス主義からの離脱指向としてのシステム研究と いうことです。つまり,アンチpマルクス主義 という言葉は当時の東ヨーロッパで言えないん だけど,機能的に問題を捉えるということにな れば,あまり政廣から叱られることもないだろ うというわけです。  ですから,例えばWsプルスという人はポー ランドの人ですが,この人の本も『社会主義経 済の機能の一般的諸問題』というのが原題です。 社会主義経済というものをいろんなイデオロギー 的な側面を抜いてしまって,機能だけで一般的 諸問題をみるとどうなるかということを考えて います。そこで,集権化と分権化ということを 論じていって,分権のほうがシステムとして有 効だというようなことを一所懸命論証しようと する。それを何とかして数学モデルみたいなも ので証明しようとするわけです。そういうのが だいたい,プルスと並んでレジュメに書いてお ります人の殆ど全部の傾向であります。  O.ランゲというのは,やはりポーランドの 人ですけど, 『システムの一般理論』という本 も書いて,三巴ヨーロッパにそういう傾向をど んどんおしやっていった。1.ブリッシュという のはハンガリーの人です。これも似たようなこ とです。J.コルナイというのは近代経済学の ほうでかなり有名になった人ですが,この人も 「反均衡の経済学』という翻訳が出ております。 この本の経済システムの考察も,二藍が申し上 げたようなことです。O.シクというのは,チェ コの人であります。これも最近,海青社から 『人間の顔をした経済システム』という1991年

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一164一 滋賀大学経済学部研究年ee Vol.1 1994 にスプリンガー社から刊行された著作の翻訳が 出ておりますけど,結局,この人なんかもそう いう,今申し上げたような類型に入ります。  それから,もう少し「第三の道」を模索しよ うという形の研究になっていきます。B.ホル バートというのは,ユーゴの,最近はそれほど でもありませんけど,ユーゴの経済学者の中の 会長みたいな人だったのですが,この人も「シ ステム論」でマーケット・ソーシャリズムとい うようなことをやった。そういう研究が60年代, 70年代,非常に盛んであったわけです。これは, 現実に非常に役割を果たした。だから,ただ研 究してただけじゃなくて,民主化へ東ヨーロッ パが動いていったということの中で,経済シス テム論というのが果たした役割は大きかったと 思います。  これと並びまして,西側の近代経済学のほう では,L.ハービッッでありますとか, R.ドー フマンなどの学者が,当時,東側の動きに相対 する恰好で比較経済体制分析というのを非常に 盛んに致しました。例えば,ハービッッに,資 源配分過程における情報効率と最適性を扱った, 「オプテイマリテイ・アンド・インフォーメー ション・エフィシェンシー…」という有名な論 文があります。市場システムというのは,情報 的に分権化されたシステムだということを定式 化したのがハービッツのこの論文であります。 そういう議論が非常に盛んになって,それが東 側における研究と割合に交流を持った。その場 合には,脱イデオロギーになって,情報学を数 学モデルなんかで話できるわけですから,そう いう意味合いで交流が行なわれた。東の人の論 文もどんどん西の雑誌に載ったという形で交流 が行なわれたのです。  それと,もう一つ,情報工学の発展を背景に しまして,システム理論の数学的定式化という ものが60年代から70年代に進みました。これは, システム工学そのものの分野の中でも進んでき たわけです。以上が,社会経済システム論の今 日までの発展かと思います。  レジュメのこの項の最後で,T.パーソンズ 以来の流れなんて書いていますが,社会学のほ うではウェーバーでありますとか,その流れの パーソンズとかありまして,パーソンズも社会 システム論であります。私は経済学者ですので, そんなには詳しくはありませんが,パーソンズ などは,私が今申し上げている社会経済システ ム論とウエーバーとかパレートみたいなものの 問,交点みたいなところにある「システム論」 だと思うんです。  レジュメの3ページにまいりまして,日本で はどうであったかということを簡単にご紹介し ます。いきなり私が出てまいりますが,これは アイウエオ順で書きましたからです。同時に, たまたま発表順にもなっているわけです。それ で,『市場と制御の経済理論』というのは1970 年です。  それから, 『経済サイバネティクス』を書き ました。これは経済システム論のテキストとし ては日本で最初のものです。もう一つは,もう お亡くなりになりましたが,川島武宜先生。法 社会学の東大の先生で,私が学生の頃の先生で すが,この川島先生はお年であるにもかかわり ませず,所有権というのは何であるかという問 題を機能論的にやるということについては非常 に先駆的な先生であったわけです。それが川島 先生です。  公文俊平さんというのは,当時東大の先生で, 公文さんらが書いた『経済体制』という本が出 て,これもシステム論です。それから,彼が書 いた『社会システム論』もあります。  社会学のほうでは,後で出てきます吉田民人 先生と並んで,塩原勉先生。阪大を今年退官さ れましたけれど,塩原先生の『組織と運動の理 論』なども,現在でも非常によく引用されます。 末石先生というのは環境工学の方です。吉田先 生は先般講演にお呼びになりましたね。東大か ら今,中央大学にいっておられますけど,この 論文が社会システム論としてよく知られていま す。それから,涌田さんというのは,私,存じ

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社会システム論の過去・現状・課題 (飯尾  要) 一165一 上げませんけど,1975年に『経営情報論』とい う本を出されています。この本,最近,このレ ジュメを書く時に戸棚にありましたのでもういっ ぺん見てたんですけど,現在でも全く通用する 本であるというので非常に感心しました。  このへんが初期の研究であります。いま述べ た川島,公文,吉田,塩原,末石の各先生と, ここの尾上先生でありますとか,京大に当時お られた山口昌哉さんという数学の先生でありま すとか,あと,神戸大の伊賀隆,京大の佐和隆 光,名大の島津康男らの各先生と私が発起人に なりまして,82年忌『社会経済システム学会』 というのが日本で出来たわけです。現在は北は 北海道から南は沖縄までの136大学で71機関, 450入近くの会員がおるわけです。中身は経済 学,経営学,社会学,環境工学,情報工学の方々 が入っておられる。そういう恰好で10年余りやっ ている。そういう恰好で日本でも社会経済シス テム論というのが定着してきたという状態になっ ています。  そういうことの反映で,社会システム学科と いった,ここのような学科ができる場合もあり ますし,講座としてあるいは学科目として,こ の10年間ぐらいに社会経済システム論でありま すとか,社会システム論でありますとか,そう いう何々システム論というシステム論の講義が, 社会科学の学部,学科の申に,東京でも関西で もどんどん増えてきたという状態になっている わけです。 §3 近年,よくとりあげられるテーマ  近年,よくとりあげられるテーマということ で,これは私のバイアスが入っているかもしれ ませんけど,できる限りバイアスを入れないで という積もりで考えてみました。  よく話題になっているというものをとりあげ ますと,まず,プリゴジーヌというこの間京都 に来ました物理科学者,ノーベル賞をもらった プリゴジーヌ,それと数学のハーケン,そうい う人らによる「ゆらぎ」とか「散逸構造」とか 「相転移」というものがあります。  これはちょっと誤解されている面がありまし て,科学雑誌なんかに出てくる時には「自己組 織系からゆらぎの時代へ」などと言われたりし ます。自己組織系というのはセルフ・オーガナ イズィング・システムだから,何かガチッと固 めるような印象がするんですね。フワフワした ものが環境との相互作用の中で自分をオーガナ イズしていくという。だから,何か集権的,計 画的でガチッと。それに対して「ゆらぎ」とい うのは秩序を揺るがせる話なんで,「自己組織 系」の時代から「ゆらぎ」の時代へという,そ れはジャーナリスティックに言うのはおもしろ いんですけど,理論的にはこれははっきりと間 違いであります。  じつは, 『非均衡システムにおける自己組織 化』というのが,プリゴジーヌの『散逸構造』 の原題でございまして,熱平衡から遠く離れた 条件下で,無秩序あるいは熱的カオスという状 態が起きてくるけれども,そこから秩序への転 移が起きてくるという話です。読んでもなかな か難しくて,判った積もりでも,もういっぺん 読んだらまた忘れているという話で判りません ですけれども,まあそういう話です。要するに, 「ゆらぎ」を通して新しい秩序へ行くという自 己組織化なのです。  判りやすい本では,『存在から秩序へ』とか, みすず書房から2冊ほど啓蒙書みたいな本が 出ております。それで見ましても判りますよう に,決して「ゆらぎ」,「散逸構造」というの は自己組織系のコンセプトの否定じゃなくて, むしろそれを深めたものなんです。従来も自己 組織系というのは環境と相互作用して変化する と考えられてきました。上等なシステムであれ ば,自分の組織をぼんぼん変えて,進化,発展 していくんだということになります。またそう いうことが何故起きるかという話になるわけで す。  システムというものは,環境に突き当たった 時に,旧来の組織であれば何か混乱が起きてく

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一 !66 一 滋賀大学経済学部研究年報VoL1 1994 る。丁度,今の日本の政局みたいなもので,混 乱が起きてくる。それは何かが悪いんで,いっ ぺんグジャグジャになって,また新しいシステ ムができるという,そういう「ゆらぎ」という ものを通じて,「相転移」,物理のほうで言う 「フェイズ・トランディション」みたいなもの が起きてくるという,そういう話が「ゆらぎ」 です。ハーケンのほうも一緒です。平衡から遠 く離れた条件下における秩序形成としての相転 移という問題の捉え方であります。従来の自己 組織系というのは,ただ,自己組織化という現 象の結論だけを見てたけれども,どうして自己 組織化のプロセスが展開されるのかということ を「ゆらぎ」を通して見るというわけです。  もう一つ大事なことは,従来の制御理論では 外乱というもの,「乱れ」というものは,悪い ものとみられてきた。つまりディスターバンス が起きるからディスターバンスをできる限り排 除して安定化作用を営まねばならない,そのた めにはどういう制御システムがいいかという捉 え方になっているわけです。そこが違うわけで す。「乱れ」というものがなければ,次のステッ プへの発展はない。だから,フラクチュエーショ ンでありますとか,そういう「乱れ」というも のを非常に積極的に評価します。「乱れ」を悪 いものとみますと,例えば記号で言いますと, 何か無限大の記号みたいなのを付けて,別にそ のなかみにまで入らなくていいという考え方で す。フィードバック制御の原理で言いますと, 外乱というものは直接観測する必要はないんで す。外乱で結果がズレだとすると,ズレた結果 と自分の目標値とを照らし合わせて,左へ5度 ズレれば右へ5度修正しろ,右へ7度ズレれば 左へ7度修正しろという恰好でいくわけですか ら,外乱自体の観測ということについては努力 を払わないわけですね。  新しい見方ではそうじやなくって,ディスター バンスでありますとか,そのために起きてくる フラクチュエーションの現象そのものの中へ入っ ていかないと,新しいレベルへの組織化という ことが発見できないじゃないかというわけにな ります。そういう一つのサジェスティブなとこ ろがあるわけです。そういう形の研究が一つ問 題になってきている。これは社会学とか,経済 のほうへ応用したい。だけど,そういうのは話 としては面白いんですけれども,なかなか難し い。話としては,私が今申し上げた,政局が混 乱しているとそれを通じて新しい秩序なんて, そんな恰好で使いまずけれども,実際にそれを 理論的にキチッと仕上げるということになると, 物理学やら化学で使われているほどには仕上げ にくい。  ただ,プリゴジーヌは,『散逸構造』の本を ご覧になると判りますけど,後ろに社会構造モ デルが出てくるわけです。だから,社会構造の ほうに適応したいという野心は満々とプリゴジー ヌ博士の中にはあるわけなんです。  もう一つは,情報技術革命の社会的インパク トの研究です。情報技術革命の発展によりまし て,「自律・分散・協調システム」という恰好 になっている。簡単に言いますと,これまでは ホスト・コンピュータがあって,端末があって, 集中型に処理するという,それもまだ続いてま す。けれど,その他に,ワークステーションが 横並びにあって,みんなが同じデータベースを 共有して,同一レベルのものが横並びのネット ワークを組んで仕事をするというのが発展して います。最近の情報処理学会などの機関誌の論 文をご覧になりますと,むしろこの話ばっかり です。 『自律・分散・協調システム』。そうい う具合に,情報利用における並列性と,トラン スペアレンシー(透過性)が進展しています。 そのデータ,情報がどこにあるかということを 知らないでも,その情報にみんながアクセスで きる状態というのがトランスペアレンシーです。  今までだと,あるデータが人事課にあって人 事課へ電話掛けて教えてもらうとか,国会図書 館にあるということで国会図書館に電話を掛け て教えてもらう。そうじやなくて,「何か判ら ないけど,こういうこと判らないか?」という

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社会システム論の過去・現状・課題 (飯尾  要) 一 167一 ことでパソコンをポコポコとたたくと,その問 いかけがひとりでに答えのあるところへ回って いって,必要なところヘパサッと答えが返って くるというのが,トランスペアレンシーなんで す。そういうことが行なわれてきている。そう いうような状態になってくると,結局,従来の ヒエラルヒー的な,いわゆる経営管理論で教え る,トップがあってミドル・マネジメントがあっ てロワー・マネジメントがあってランク・アン ド・ファイルがあるという形の,それで戦略的 決定は一番上がやって,業務決定は下でやるん だというような形のことでいいだろうかという 疑問が出てきます。  どこまでが本当かは判らないとしましても, 例えば,総合商社なら総合商社が社長以下全員 同じワークステーション置いて,データベース は全員共有でやるんだという話になる。そうい うようになった場合に,従来の管理システムと いうものでいいんだろうかという議論が,経済・ 経営・社会において今盛んになってきている 「ネットワーク・システム」論なんです。  「ネットワーク・システム」という言葉,こ れもまた,すこし問題がある。ネットワークと 言うと,実はヒエラルヒーもネットワークなん ですよ。だけど, 「ネットワーク・システム」 というのは「ヒエラルヒー・システム」に対置 する概念として出てきているんです。従来型の ピラミッド型システムでない,横並びにこうい うような状態をネットワークだという考え方で す。だけども,非常に誤解を生むわけですね。 「インフォーメーション・ネットワーク工学』 なんていう本をみますと,本来は,ネットワー クの中にヒエラルヒー型ネットワーク,横並び のネットワーク,分散型のネットワークと出て きます。  それで,うちの学会でもいっか「ネットワー クとネットワーキングと分けたらどうだ」とい う意見が出ました。だけど,そんなことしたら 益々判りにくくなってしまう。ともあれ,一応, 世間で言われている「ネットワーク・システム」 というのはヒエラルヒーでないシステム,つま り並列処理で透過性を持って,自律・分散・協 調型で動いているシステムのことです。それが 流通システムとか,企業間システムとか,自治 体のシステムとか,市民運動システムというよ うなところで研究をされてくる。現在の社会経 済システム論ではむしろ「ゆらぎ」も面白いん ですけど,このネットワーク・システム論の分 野の研究が今のところ非常に進んでいる。私ど もの学会でも,こういうテーマに関係する研究 が毎年報告されている状態になっています。  これと関連して大切なものとして,60年代の ニューロン・モデルのマカロックに英語の「ヘ テラルヒー」という論文があるんです。「ヘテ ラルヒー」というコンセプトはヒエラルヒーの 反対概念なんです。それで情報科学のほうでは 使われています。ただ,普通の英語辞典には出 てきません。「ヘテラーキー」というべきなん でしょうけど,一応,ドイツ語読みで「ヒエラ ルヒー」と普通言われているから,それに倣え ば「ヘテラルヒー一 」。 「ヘテラルヒー」という のは,こういう概念なんです。  それで,先程申し上げたマカロックのものは, 脳神経の構造はヒエラルヒーではなくて,ヘテ ラルヒーもあるということを一所懸命書いてい る論文です。5ページくらいの論文ですけど, その中で面白いのは,マカロックもその時に社 会的なことを頭に描いて書いたんですね。つま り, 「最高善」というものがあって,一「最高 善」というのはキリスト教で言う,一番上のグッ ドーそこから価値が導き出されてくるような のが,ヒエラルヒーだと。そうじやなくて,ヘ テラルヒーというのは,異質な一「ヘテロ」 というのは異質という意味なんですけど一異 質なものがみな集まって,それが同権に自分を 主張するような在り方というのが「ヘテラルヒー」 だというわけです。  だから,そういう社会システムにもっていけ るような表現を一杯使って,論文を書いている。 題も「ヘテラルヒー・オブ・バリューズ」となつ

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一168一 滋賀大学経済学部研究年報Vol.1 1994 ています。神経細胞がそれぞれバリューを選択 する時に,実はヘテラルヒーの部分もあるから, それを研究したわけです。事実,神経生理学で 最近判っていることはそうなんです。神経ルー トが5本ぐらいある時に,どれかが必ず大将に なるというんじゃなくて,5本並んでるうち, これがキャッチしたらこれが大将になってあと に命令するし,ここがキャッチしたらこれが大 将になって命令するというような形である。そ んなことが研究されています。  そして,ドイツの社会システム論のヘイル (PM.Hej1)は,それをどんどん発展させてい きまして,指揮の移動と言いますか,あるチー ムの中で指導者が決まるんじゃなくって,ある テーマについてはこの人が指導者になるし,あ るテーマについてはこの人が指導者になるとい う,指揮の移動を行なうことが,ほんとうの自 己組織系だと言います。これは抽象的なことで はございませんで,現在,会社で行なわれてい るプロジェクト・チームをこしらえる時の,プ Uジェクト・チーム・リーダーの在り方という のは,比較的それに近いです。課長がかならず リーダーになるというのじゃなくて,たまたま いろんな課から3人ずつ集まってきて,15人ぐ らいで編成した時に,そのテーマについてはA 君が一番詳しいから,A君がリーダーになる, 別の問題になれば,B君がリーダーになるとい う恰好でやるわけです。そんな恰好で「ヘテラ ルヒー」あるいは, 「ネットワーク・システム」 ということが今日,研究の中心になってきてい る。  もう少しそれが具体的になってきますと,そ ういうものを現実の経済や経営というところに 入れていく考え方になります。ちょっとご紹介 しておきますと,たとえば「参加型市場経済」 ということになります。これは私の造語であり ますけど,「参加型経営」という言葉はありま す。パティシペイトリーとかパティシペイティ ブなエコノミーやマネジメントです。  それはどういうことかと言いますと,情報技 術革命が進みまして,知的労働が非常に一般化 してきたということに関係します。既にご存じ だと思いますけれども,現在,学校の経営学部 で教えますピラミッド型の管理システムという のは,これは産業革命の時にできたものなんで すね。つまり,産業革命の時に単純労働者が急 速に増えて,イギリスの申心工業地帯で20歳以 上の男子労働者が2割ぐらいしかいなかった。 最近の統計でそうしたことが段々判ってきまし た。あとは女性と子どもです。そうしますと, 字の読める者,書ける者が3割ぐらい,計算の できる者も3割しかいない。ところが,機械は シッカリ動かさなきゃならないから,すべてを 上から命令しないと仕方がない。それがテーラー やフォードに引き継がれて,ヒエラルヒーがで きたというわけです。  だけども,レジュメに引いたハーバードのズ ボブの言葉にもありますように,現代のように, 非常に労働者が賢くなってきまして,管理する 者と管理される者との境界がなくなる具合に一 般労働者の知的水準というものが上がってくる。 そうなってくると,ピラミッド型管理システム というものは,役に立たんといいますか,時代 に合わないじゃないかという問題です。  これは,例えば次のような動きに現われます。 レジュメにご紹介しておきましたように,EU で社会権憲章というのが1989年に通っておりま す。サッチャー首相が反対したけど,11力国が 多数決をして通して,その中に労働者の情報権 と事前協議権,管理参加権が謳われているわけ です。それに基づきまして,「ヨーロッパ会社 法」というのが今,審議中です。それに「労働 者参加指令」というのがついておりまして,こ れは重役会議みたいものに労働者を3分の1な いし,2分の1入れなさいと規定しています。 あるいは,それを入れない場合には,工場の中 で労働者委員会というものをこしらえさせる。 産業別労働組合ですから,企業別に労働者委員 会というのをこしらえて,それに情報権と事前 協議権を与えなさい。つまり,重役会議に出た

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社会システム論の過去・現状・課題 (飯尾  要) 一169一 時と同じような,情報権と事前協議権を与えな さいというわけです。さらに,もしそれが国情 に合わない場合には,労働組合と経営者団体が 団体協約を結んで,今言ったようなことを実現 しなさいということになります。要するに,こ れら三つのうちのどれかを実現しないと会社と して認めないという法律です。会社法の付則と してそれができる。これが,現在審議中であり まして,なかなか通らないかと思っておりまし たら,今年の2月17日目日経新聞に出ておりま ずけれども,イギリスが社会政策条項から離脱 いたしましたので,それで残りの11力国で好き なことができるんで,今のEU委員会は年内に 11力国で別の措置を使って,今申し上げたよう なところまではいかないけれども,労働組合に 情報権と重要問題についての事前協議権を与え るという措置を実施するという方向を始めたら しいです。  だから,日経新聞の記者が書いているように 年内というのはどうかなと思うんですけど,非 常に日ならずして実現していきそうです。そう しますと,日本の進出企業数一卜社あるんですけ ど,全部適用を受けますので,日本に非常に跳 ねかえってくる。対岸の火ではない状態に,今 ヨーロッパはなってきておるということであり ます。  そういう労使関係というような形で進んでい る参区域一つと,もう一つは経営の側からの参 加があります。レジュメに挙げておいたクイン・ ミルズというのはハーバードの先生で,スコッ ト・モートンというのはMITの経営学の先生で す。そういう人々が全部,参加型経営論なんで す。クインnミルズの言葉を借りますと,「ヒ エラルヒーは死んだ」というのが本の最初の言 葉なんですけど,そういう言葉で参加型経営に いかなければダメだというのが情報処理システ ムのほうから議論になってきている。  以上が集権・分権・参加型経営という話でご ざいます。労使関係のほうからの問題としても 出てくるし,経営自体を改革していくという経 営者側のパースペクティブからみても参加型経 営というのが問題となるという恰好で,情報化 社会論というのが,何か抽象的な話じゃなくて, 非常に現実的,政策的な問題として展開する。 経営情報学会なんかでも非常にこの問題が今, 問題になっているわけであります。そんなとこ ろが近年よく採り上げられるテーマかと思いま す。 §4 当面の課題として考えつくこと  最後に,当面の課題として考えつくこととい うことで,理論的なことをちょっと述べます。  一つは,社会システム論は今までは脳,生物, 機械というのが非常に似たところがあるという 点に注目し,私らもそれを追求してきました。 だけど,ここにも書いていますように,そろそ ろ社会システムというものが他のシステムと違 うというところはどこだということをハッキリ させる段階に入ってきているんではないかと思っ ているわけです。ですから,私も「自己組織系」 じゃなくて,「自己変動系」という言葉を使っ たりしています。必ずしもうまく成功はしてな いんですけども。ともかく,何か普通のシステ ムと共通性があるんだけど,社会システム自体 が独自性を持っているというような,そういう システム特性というものを大きな面でも小さい 面でも調べる必要が出てきているんじゃないか。 そういう段階に入ってきているだろうと思いま す。  また,社会システム論の研究から一般システ ム論の研究に寄与していくという段階にきてい るだろうとも思います。その場合の大事なポイ ントは,私としては,2番目のスター印に書い た問題だと考えています。つまり,一つハッキ リしていることは,個人と社会という問題の場 合に,決して機械とその部品というようには扱 えないということです。たとえば,自転車のタ イヤは自転車のタイヤだけでは役に立たないで, 全体としての自転車の中にあってはじめて自転 車のタイヤです。そんな恰好になっています。

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