1 はじめに 2006 年 6 月に成立した「就学前の子どもに 関する教育、保育等の総合的な提供の推進に関 する法律」が同年 10 月に施行され、発足した のが、認定こども園制度である。認定こども園 とは、「幼稚園、保育所等のうち、以下の機能 を備え、認定基準を満たす施設」(文部科学省・ 厚生労働省幼保連携推進室 2006)とされる。 ここでいう以下の機能とは、「保護者が働いて いる、いないにかかわらず受け入れて、教育・ 保育を一体的に行う機能」と「すべての子育て 家庭を対象に、子育て不安に対応した相談活動 や、親子の集いの場の提供などを行う機能」の 2 つを指す(文部科学省・厚生労働省幼保連携 推進室 2006)。つまり、従来の幼稚園と保育 所を併せもつ機能と、地域における子育て支援 を行う機能の両方を満たしていると認定された 幼稚園や保育所等が認定こども園を名乗れるの である1)。 認定こども園制度は、明治時代から続く、幼 稚園と保育園という就学前の子どもの教育・保 育を担う二元体制を揺るがすものであり、発足 当初から様々な批判にさらされた。また、発足 後も問題点が露わになることも少なくなかっ た。このように認定こども園制度は、必ずしも 順調に進んできたとは言えないところがある。 そこで本稿では、就学前の子どもに関する教育・ 保育に関する日本の歴史の検討と、認定こども 園制度をめぐる意見等の検討を通して、現行の 認定こども園制度の課題を明らかに、認定こど も園制度の在り方を探る手がかりを示したい。 2 幼保二元体制の歴史 (1)幼保二元体制の確立 就学前の子どもの教育・保育を行う施設が設 立されたのは、明治初期だと言われる2)。1872 年に制定された「学制」の 22 章では、「幼稚小 学ハ男女ノ子弟六歳迄ノモノ小学二入ル前ノ端 緒ヲ教ルナリ」(第 22 章)として、幼児のため の教育施設が制度として明文化された。しかし、 「学制」がモデルとしたフランスの学制に「育 幼院」という就学前の教育、保育施設の規定が あったため、形式的に条文化されたものにすぎ ず、幼稚小学が実際に設立されることはなかっ た(文部省 1979:34-5)。そんななか、日本初 の幼稚園が 1876 年 11 月に設立される。東京女 子師範学校附属幼稚園である。この附属幼稚園 は、監事(園長)を関信三が務め、主席保母に はドイツ人の松野クララ(クララ・チーテルマ ン)が就任し、フレーベルの教育に基づく幼稚 園教育を始める。学制によって就学が始まった 小学校の就学率の全国平均が 4 割弱に過ぎな かった 1876 年当時、幼児を対象とした施設に 子どもに通わせるのは、上級階級の子弟に限ら れていた(文部省 1979:38)。この幼稚園開設 後、幼稚園は全国に広がっていった。1879 年 4 月、鹿児島女子師範学校附属幼稚園が、東京女
認定こども園制度の課題
The Various Problems of “Nintei Kodomo En” System
井 上 剛 男
Takeo INOUE
キーワード: 認定こども園、幼保一元化、保育・教育の質たとしても勉強に集中しづらかった。そこで、 彼らが連れてくる乳幼児を、授業が終わるまで 預かる「別室」を作った。また、1890 年 5 月に、 筧雄平が鳥取県に「下味野村子供預り所」とい う農繁期託児所を開設している。農繁期に農作 業中の親から乳幼児を預かるものであった。 一方、都市部でも、貧しい家庭の乳幼児を中 心に受け入れる施設が、キリスト教関係者に よって開設される。1900 年の東京で、野村幽 香と森島峰によって設立された二葉幼稚園がそ れである。また、工業化や都市化の進展により、 工場や炭鉱に乳幼児をもつ母親が就労すること が増え、都市部で工場労働者の子弟を対象にし た託児所が作られる。1894 年に東京深川の東 京紡績株式会社に付設された託児所が、企業内 託児所の始まりとされる。その後、福岡県三井 炭鉱(1896 年)、鐘淵紡績株式会社(1900 年)、 日本煉瓦製造株式会社(1906 年)などにも託 児所が作られる。 このように就学前の子どもを対象にした保 育・教育施設は、幼稚園と託児所という 2 つの 異なる経緯からそれぞれ生まれる。さらに、そ れぞれの保育・教育施設を、異なる省庁が所管 することで、その違いが決定的となる。幼稚園 の所管は、文部省であった。1890 年の小学校 令では、幼稚園教員の資格が規定される。幼稚 園保姆は、女子である者に限られ、小学校教員 の資格を有する者か、府県知事から幼稚園保姆 の免許を与えられた者と定めていた。さらに 1899 年 6 月、「幼稚園保育及設備規程」が制定 される。これは、「幼稚園の保育の目的、編制、 組織、保育内容、施設整備に関し、国として定 めた」(文部省 1979:115)文部省令である。 つまり、今でいうところの「幼稚園教育要領」 のようなものである。この規程では、「入園の 年齢は満三歳から小学校就学までであること」 や「心身ヲシテ健全ナル発育ヲ遂ケ善良ナル習 慣ヲ得シメ以テ家庭教育ヲ補ハン」という保育 の目的を明記した(文部省 1979:115)。この ように幼稚園は、文部省のお墨付きを得ながら、 主に就学前の富裕層の子弟の教育・保育機関と しての地位を確立していく。一方、託児所は、「家 庭で放任され、町の中や街路で一日中、下品で 乱暴な遊びをしている幼児に憂えて設立された 子師範学校附属幼稚園から出向した保母豊田芙 雄の指導を受けて、開設される。1879 年 5 月、 大阪府知事渡辺昇が東京女子師範学校附属幼稚 園に派遣した 2 人の小学校女性教員(氏原鋹と 木村末)によって、大阪府立模範幼稚園が開園 する。さらに 1880 年 4 月には、キリスト教主 義の桜井女学校附属幼稚園が日本初の私立幼稚 園として東京で開設に至る3)。このように幼稚 園が次々と開設された。ところが、新しく開設 された幼稚園の多くは、モデルとした東京女子 師範学校附属幼稚園同様、富裕層の子弟向けの 就学前の準備教育機関という性格を色濃く帯 び、一般の幼児教育機関とは言い難いもので あった(角野 2007:25)。 それに対して文部卿代理九鬼隆一は 1882 年 12 月、地方でも設置でき、貧困層も入園できる、 簡易な幼稚園の設立を示論して奨励した。東京 女子師範学校附属幼稚園をモデルとする幼稚園 の設立には多額の設備費用がかかるため、幼稚 園の普及が進まなかったことが背景にある(文 部省 1979:44)。また、「大衆の入れる幼稚園 を簡単に創れるようにすれば、街頭において危 険で卑猥な遊びをするよりよい」(日本保育学 会 1968a:35)とする考えも働いていた。1884 年 2 月になると、文部省は、小学校に幼児を入 学させることを禁じ、幼児には幼稚園的な方法 で教育をすべきであるという通達を出した。こ うした流れを受け、全国で簡易な幼稚園が設置 されるようになった。東京女子師範学校も 1892 年 9 月に一般家庭の子弟を対象にした幼 児教育施設である「分室」を誕生させている。 さらに、政府による簡易幼稚園の奨励、地方 への普及は、富裕層を対象とした従来の幼稚園 とは異なる教育・保育施設を誕生させることに つながった。初期のものとしては、1890 年 6 月、 新潟県で、赤沢鐘美と仲子夫婦が開設した静修 学校内に設立された「別室」が挙げられる。静 修学校は、中流以下の家庭のために設立された 学校で、小学校に通学できない子弟のための子 守学校を付設していた。この子弟のなかには、 弟や妹の子守りを任されて、幼児を連れてくる 者が少なくなかった。学齢児童が乳幼児の子守 りをする習慣が当時、あったからである。彼ら は、学校に来ることが難しく、たとえ学校に来
児童福祉法(1947 年 12 月)により保育所と名 称を変更し、厚生省が所管する児童福祉施設と なった。そのため、「『市町村長』は、『保育に 欠ける』乳幼児を保育所に対して入所「措置」 しなくてはならないと、規定され(中略)あわ せて保育所の設置費や経費の公的負担や最低基 準についても定められた」(鳥光 2003:117)。 また、戦前の託児所は、「低所得階層だけが利 用する施設とみなし」ていたが、保育所は「保 育所を利用する家庭を、所得の多寡にかかわり なく、保護者が共働きなどで、日中、乳幼児を 監護することができない場合であれば、どんな 家庭でも差支えないものとした」という(日本 保育学会 1975:42)。幼稚園と保育所(託児所) はそれぞれ、戦前からの変更点があるものの、 互いが別々の組織として戦後も位置づけられ た。ただし、幼稚園と保育所それぞれの教育方 針や教育内容に大きな違いがあったわけではな い。文部省は幼稚園の保育内容の基準を定めた 「保育要領」を編纂する目的で、幼児教育内容 調査委員会を 1947 年 2 月に設置する。委員会 の 16 人のメンバーには、幼稚園関係者、文部 省の官吏、大学教授に加えて、厚生省の官吏(副 島ハマ)、恩寵財団母子愛育会関係者(山下俊郎、 内藤寿七郎)、託児所関係者(吉見静江)など も選ばれていた7)。また、完成した「保育要領」 (1948 年)の「まえがき」には、「幼稚園やそ4 の他の幼児のための施設4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 、教師や保母が今まで 以上にその識見を向上させ、その技能を高めて いくことが必要となるのである。本書はこれら の人々のためにできるだけ役立つように編集さ れた」(日本保育学会 1975:36 からの再引用、 傍点は引用者)とある。つまり、就学前の子ど もの教育・保育の基準について、幼稚園だけで なく、保育所などのその他の幼児のための施設 に向けても示そうとしたものだと言える。この ように、幼稚園と保育所は、対象とする子ども、 教育方針や教育内容にほとんど差はなかった。 そのため、幼保二元体制を改めるチャンスだ と考える人も少なくなかった。たとえば、日本 の幼児教育の重鎮である倉橋惣三は 1946 年に、 満 2 歳以下と一時利用の子どもは託児所に、満 3~4 歳以上の子どもは幼稚園に通うという「年 齢別二省管轄一元化論」(角野 2007:30)を提 ものであった。ゆえに幼児の教育といっても、 家庭の保育に欠ける子どものために、いっそう 適当な教育環境を提供しようという趣旨のもの であった」(日本保育学会 1968b:103)。こう いった趣旨は幼稚園の設立当初には見られた が、幼稚園は高額の月謝をとっており、貧困層 の子どもには通えるものではなかった。そこで、 放任されている子どもを救済する目的の施設が 作られたのが託児所である。1908 年、内務省は、 貧しい家庭の乳幼児を対象にした託児所を幼児 保育所として整備し、感化救済事業の 1 つに位 置づけ、幼児保育所に助成金を与えることに なった(日本保育学会 1968b:276-7)。幼児保 育所という幼稚園とは別種の就学前の子どもの 教育・保育施設が、内務省主導で形成されてい くことになる。このような内務省の取り組みを 受け、赤沢鐘美らが静修学校の「別室」での保 育活動を1908年4月に「守孤扶独幼稚児保護会」 と名称変更して始めたのが、幼児保育所の始ま りだとされる4)。また、二葉幼稚園も、二葉保 育園と改称し、貧困層の子弟に保育の機会を与 えるという幼児保育所としての性格を明確にし ていく。ここに現在の日本における幼保二元体 制の萌芽を見いだせる。 1926 年に公布された「幼稚園令」では、3 歳 未満の子どもが入園することを許可したり、保 育時間の規定を撤廃したりするなど、幼児保育 所を幼稚園として位置づけることが画策された 5)。しかし、幼児保育所を所管する内務省は 1938 年、「保育所令要綱」を議会に提出し、幼 稚園と幼児保育所は法律上も区別されることに なる。と同時に、現在まで続く、幼保一元化を めぐる論争が始まることになる。 (2)戦後の幼保一元化論争6) 幼稚園は戦前、幼稚園令によって制度化され てきた。しかし戦後になると、幼稚園は、学校 教育法(1947 年 3 月制定)によって、学校と しての位置づけを得る。学校の 1 つとなった幼 稚園は、戦前のような「一部の富裕階層の幼児 のための教育機関」ではなく、「広くすべての 国民の幼児に対して、ひとしく開放される教育 機関として位置づけられることとなった」とい う(日本保育学会 1975:36)。一方、託児所は、
育所保育指針」を策定し、幼稚園教育に準ずる 形で保育所の教育内容を定めた。しかもその後、 幼稚園教育要領が改定される度に、保育所保育 指針も改定されるようになった。 1971 年、中央教育審議会は、「今後における 学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施 策について」を答申し、保育に欠ける子どもが、 保育園で幼稚園に準ずる教育を受けられるよう にし、将来的には、幼稚園として必要な条件を 満たした保育所には、幼稚園としての地位を合 わせて付与すべきと提案した(中村 2009:86)。 幼稚園を優位に見る、新たな「幼保の二枚看板 論」が台頭したのである。それに対して、厚生 省が管轄する児童家庭局の中央児童福祉審議会 の保育制度特別部会は 1971 年に、「『保育』と『教 育』はどうあるべきか」を答申し、中央教育審 議会の提案を、養護と教育を分離させるもので あり、児童福祉という観点で問題があると批判 した。この対立を加速させたのが、行政管理庁 が 1975 年に発表した「幼児の保育及び教育に 関する行政監査結果に基づく勧告」である。こ の勧告は、市町村によっては、幼稚園と保育所 の設置状況が一方に偏っていることや、市町村 によっては、年齢によって幼稚園と保育所の入 園所を区別するなど、制度の趣旨に即さない運 営がみられると指摘している9)。そこで行政管 理庁は、文部省と厚生省に協議の場を設けるこ とを勧告した。これを受け、文部省と厚生省は 1977 年、「幼稚園及び保育所に関する懇談会」 を設置した。しかし、この懇談会の最終報告書 (1981 年)では、「幼稚園と保育所は、学校教 育施設と児童福祉施設であり、目的・機能が別 であるため、お互いに必要な役割上、簡単に一 元化が実現できる状態ではない」と結論づけた。 ここまでの時期の幼保一元化論争を振り返る と、村山祐一(村山 2008:198-9)が示唆する ように、幼稚園と保育所のあり方を議論する視 点が十分ではないものの、地域や親たちの思い を踏まえながら、子どものために保育の課題や 改善を探り、幼保の連携を図ろうとする姿勢が 読み取れる。しかし、1981 年の第二次臨時行 政調査会の第一次答申は、ある意味で牧歌的な 状況にあった幼保一元化論争に、新たな一石を 投じることになる。第一次答申では、財政健全 案した。一方、厚生省児童局養護課長の松崎芳 伸は 1947 年に、幼稚園を所管する文部省と保 育所を所管する厚生省の両方から認可を得るこ とで一元化を図る「幼保の二枚看板論」(手塚 2014:19)を考案している。しかし、これらの 構想は、現実化には至っていない。教育基本法 案をめぐる国会審議で、幼稚園と保育所の一元 化に対する政府の答弁は、次のようなもので あったからである8)。 何とかして一元化できないかということを話 し合ってみたのでございますが、しかしいずれ も大体似たような勢力でもありますし、まだい ずれも一割以下といった収容幼児数でございま すので、この際はまずお互いにどちらでもいい から、幼児収容機関が殖える方がよいのではな かろうかというので、私どもとしては不本意で ありましたが、両方とも自分たちの機能を発揮 し て、 幼 児 教 育 の た め に 尽 く そ う( 岡 田 1970:126-7 からの再引用) 幼保の一元化論争の決着は、こうして留保さ れる。 1950 年代以降、幼稚園と保育所は、互いの 違いを明確にする戦略をとるようになる。1951 年児童福祉法改正で、保育園の対象児を「保育 に欠ける」乳児又は幼児に限定し、そうした限 定がない幼稚園との差異化を図った。それに対 して文部省は 1956 年、「保育要領」を「幼稚園 教育要領」に改定し、公示している。さらに、 決定的なのが、文部省初等中等教育局長と厚生 省児童局長が 1963 年に連名で出した「幼稚園 と保育所の関係について」の通知である。「幼 稚園は幼児に対し、学校教育を施すことを目的 とし、保育所は、『保育に欠ける児童』の保育(中 略)を行うことを、その目的とするもので、両 者は明らかに機能を異にする」(第 1 項)として、 幼 保 二 元 体 制 の 保 持 を 表 明 し た( 新 藤 2008:182)。その一方で、「保育所のもつ機能の うち、教育に関するものは、幼稚園教育要領に 準ずることが望ましい」(第 3 項)として、教 育内容に違いがないことを示している(新藤 2008:182)。事実、1964 年に幼稚園教育要領が 改定された翌年(1965 年)、厚生省は初めて「保
(3)認定こども園の誕生の経緯 1990 年代になると、少子化対策として、就 学前の子どもの教育・保育問題が語られるよう になる。1989 年の合計特殊出生率が丙午だっ た 1966 年の 1.58 を下回る 1.57 だったことが直 接の背景にある。そうしたなか、文部省は「幼 児教育の振興策に関する調査研究協力者会議」 の報告(1991 年)で、幼稚園の 3 歳児保育を 認めた。さらに、1997 年には「預かり保育促 進事業」を予算化し、幼稚園での延長保育を奨 励するようになった。一方、厚生省は、「子ど もと家庭に関する円卓会議」の報告「子どもと 家庭アピール : 子育て新時代に向けて」(1992 年 12 月)のなかで、「多様化する保育需要に対 応できるフレックス保育サービスの創設や最寄 り駅など保護者にとって利用しやすい場所への 保育施設の設置など地域や職域のニーズに応じ た様々な保育サービスの検討や、子育てに関す る相談支援の充実を図っていくこと」を提唱す る。3 歳児までは家庭で育てるべきであり、保 育に欠ける子どものみ保育所で預かると主張し てきた厚生省が、保育に欠けない子どもを一時 的に預かることや、保育所で預かる子どもの保 護者以外の育児相談を行うことも保育所の役割 に位置づける。1994 年のエンゼルプランでは、 保育所が、多様なニーズに応える保育を行うこ とや、地域の子育てセンターとしての役割を果 たすことを、数値目標として設定され、予算化 された。さらに厚生省は、実効性を高めるため、 地方児童育成計画(地方版エンゼルプラン)の 作成を各自治体に指示している。保護者のニー ズに対応することによって、少子化対策を行う という方向性は、厚生省がこれまで守ってきた 保育所の措置制度(市町村が保育に欠ける子ど もを入園させる措置を取る義務があるという制 度)を揺るがすことになる。中央児童福祉審議 会の答申「少子社会にふさわしい保育システム について(中間報告)」では、「措置を行う際に 希望する保育所を訊くことが通例であるが、制 度上は利用者が選択できる仕組みではない」の で、「利用者が保育所、保育サービスを選択す る仕組みとすべき」ことや、「多様な就労形態 と夫婦共働き家庭の一般化が進む中で、保育所 を利用することが極めて普通の子育ての形態と 化を目指すため、公立保育所の統廃合や民営化 を行うことや、保育所運営費の国庫負担率を軽 減し、保育所の保育料の大幅値上げを提言した。 第二次臨時行政調査会の第一次答申は、幼稚園 と保育所への公費負担という論点を持ち込み、 幼稚園と保育所の対立を激化させる。1984 年、 日本私立幼稚園連合会、全国学校法人幼稚園連 合会、全国私立幼稚園連盟の 3 団体が全日本私 立幼稚園連合会を結成し、「幼児教育の一層の 充実振興に関する基本構想」を発表した。構想 では、年齢別に区切った幼保一元化とともに、 「幼児教育と保育に対する独自性と行政介入か らの独立」を前提にした「保護者に対する直接 助成方式」、つまりバウチャー制への転換を提 案した(池田ほか 1997:325)。これに対して、 日本保育協会、全社協保育協議会、全国私立保 育園連盟という 3 つの保育所関係団体が共同 で、「緊急化する保育所問題」を発表し、次の ように反論している。「第 1 に保育所は、行政 における地域調整の下、入所措置が行われてい るため、幼稚園のように園児獲得のためのもの ではない。第 2 に私立幼稚園の経営の解決方法 として幼稚園と保育所に自由選択権を導入した 場合は、経営第一主義で競争が起こり混乱がお こる。第 3 に福祉の対象として配慮すべき利用 者が、利用しにくくなる恐れがある」(手塚 2014;32)。要するに、保育所は社会的弱者の子 弟のための施設であり、自由選択となれば、彼 らの救済がおろそかになってしまうという点 と、園児数の減少に伴う経営危機の解決策とし て、幼稚園が保育所の領域に介入しようとする のはおかしいという点をあげている10)。こう した幼保一元化をめぐる幼稚園と保育所の鋭い 対立は、「幼稚園・保育所はその目的・機能は 異なるが幼児教育において重要な役割を果たし ており、就園希望、保育ニーズに適切に対応で きるよう、基本的にはそれぞれの制度の中でそ の整備・充実を図る必要がある。この際、幼稚 園・保育所の設置状況には地域により偏りも見 られることや家庭の機能の変化など今度予想さ れる多様な要請にこたえるため、両施設の弾力 的運用を進める」という臨時教育審議会の第三 次答申(1988 年)によって一応の終結を見る。
視点に立って新しい児童育成のための体制を整 備する観点から、地域のニーズに応じ、就学前 の教育・保育を一体として捉えた一貫した総合 施設の設置を可能とする(平成 18 年度までに 検討)。あわせて、幼稚園と保育所に関し、職 員資格の併有や施設設備の共用を更に進める」 として、認定こども園の制度化を 2006 年まで に検討することを決定事項として示している。 2004 年 12 月、中央教育審議会幼児教育部会と 社会保障審議会児童部会の合同の検討会議が 「就学前の教育・保育を一体として捉えた一貫 した総合施設について(審議まとめ)」を提出し、 幼稚園と保育所が合わさったような「総合施設 という新たな選択肢が生まれることで、幼児教 育の機会の拡大や地域の子育て家族に対する支 援の充実が図られるとともに、幼稚園と保育所 をめぐる諸問題や待機児童の解消等につながる ことが期待される」と総合施設を新設する意義 を強調する。その一方で、「規制改革や地方分 権等の流れを踏まえ、地域は自主性を持って地 域の実情や親の幼児教育・保育のニーズに適切 かつ柔軟に対応することができるようにするた めの新たなサービス提供の枠組みを提供しよう とするものであ」り、「既存施設からの転換や 既存施設がその有する機能を互いに生かしつつ 連携することなどを含め、可能な限り柔軟な制 度とする方向で検討すべきであり、積極的に施 設の新設を意図するものではない」とも指摘す る。要するに、この総合施設は、規制改革や地 方分権といった政治的な動向と折り合いをつけ るための新たな枠組みであり、従来の幼稚園と 保育園の二元体制を前提にしながら、補完的に 新設されることになったと言うのである。そし て 2005 年には、「就学前の教育・保育を一体と して捉えた一貫した総合施設」のモデル事業が 全国 35 か所で行われ、総合施設モデル事業評 価委員会がそれらのモデル事業の評価を行っ た。この評価を参考にして成立したのが、2006 年 6 月「就学前の子どもに関する教育、保育等 の総合的な提供の推進に関する法律」である。 同年 10 月に施行されることで、認定こども園 制度が開始されることになる。 なっている今日」、「保育コストや子どもの年齢 などに配慮した均一の保育料体系に改める方 が、利用者間の保育料の公平な負担にかなうも のと考えられる」といったことが提言される。 それを受け、1997 年には直接入所方式と応益 負担の実施を可能にする児童福祉法改正が行わ れる。 少子化への対応を迫られ、幼稚園と保育所の あり方が変化するなかで、両者の違いが曖昧に なる。そうしたなかで、1996 年 12 月、地方分 権推進委員会の第一次勧告では、「少子化時代 が到来の中で、子どもや家庭のニーズに的確に 応えるため、地域の実情に応じ、幼稚園・保育 所の連携強化及びこれらに係る施設の総合化を 図る方向で、弾力的な運用を確立する」ことが 提言される。文部省と厚生省は、この勧告を受 け、1997 年 4 月に「幼稚園と保育所の在り方 に関する検討会」を設置し、1998 年 3 月に「幼 稚園と保育所の施設の共用化等に関する指針」 を策定した。そして、空き教室などを利用して、 幼稚園と保育所の共用化の試みや、構造特区を 利用して、幼稚園児と保育所の子どもとの合同 保育の試みが行われるようになった(鳥光 2003:136)。しかし、その試みはあくまでも特 殊なケースに過ぎなかった。認定こども園が登 場する 2006 年までは。 さらに、2002 年、地方分権改革推進会議の 最終報告「事務・事業の在り方に関する意見― ―自主・自立の地域社会を目指して」において、 「我が国の現状を鑑みれば、地域によっては幼 稚園と保育所はほとんど均質化しており、国が 主張するような強固な差異は感じられないのが 実情であ」り、「施設としての幼稚園と保育所、 制度としての幼稚園教育と保育は、それぞれの 地域の判断で一元化できるような方向で今後見 直していくべきである」と提言している(新藤 2008:183 からの再引用)。翌 2003 年 2 月、総合 規制改革会議が「規制改革推進のためのアク ションプラン・12 の重点項目事項に関する答 申――消費者・利用者本位の社会を目指して」 を答申し、その重点項目事項の 1 つに「幼稚園・ 保育所の一元化」を挙げている。ここでは、「近 年の社会構造・就業構造の著しい変化等を踏ま え、地域において児童を総合的に育み、児童の
こども園は、認可幼稚園ではあるが、保育所の 認可は受けていない。「保育所型」とは、認可 保育所が保育に欠ける子ども以外の子どもも受 け入れるなど、幼稚園的な機能を備えたタイプ の認定こども園を指す。したがって、認可保育 所ではあるが、幼稚園の認可は受けていない。 「地方裁量型」とは、幼稚園・保育所いずれの 認可もない地域の教育・保育施設が幼稚園機能 と保育所機能を併せ持つタイプの認定こども園 を指す。したがって、このタイプで設置された 認定こども園は、幼稚園の認可も保育所の認可 も受けていない。 認定こども園の職員資格は、保育する子ども の年齢によって異なる。満 3 歳に満たない子ど もの保育に従事する者は、保育士の資格を有す る者とされている11)。一方、満 3 歳以上の子 どもの保育に従事する者は、幼稚園教員の免許 状及び保育士の資格を併有する者が望ましいと されている12)。 認定こども園の認定件数の推移を見ておこ う。 教育振興基本計画(2008 年 7 月)では、認 定こども園を早期に 2000 園にすることを、今 後 5 年間に取り組むべき施策として位置づけて いた。しかし、2014 年 4 月時点の認定件数は、 図 1 のとおり、目標の 7 割弱に留まっている。 (2)認定こども園制度への批判と対応 では、認定こども園には、どんな問題がある と言われているのか。認定こども園制度の開始 当初から見聞できる主な批判を整理しておく。 1 つ目は、認定こども園制度では、保育に欠 ける子どもを含め、あらゆる乳幼児に対して保 育を保障するという国の責任を果たせないとい う批判である13)。認可保育園では、保護者は 市町村に入所申し込みを受け、市町村が、その 保護者の子どもが「保育に欠ける子ども」がど うか判断し、入園の決定も行う。これに対して 認定こども園の場合、保護者は認定こども園自 体に申し込み、入園の決定も認定こども園がお こなうことになっている。したがって、障害や 疾病のある子ども、外国籍の子どもなど、特別 な配慮が必要とされる子どもが排除される可能 性がある。しかも、認定保育所の保育料は、国 3 認定こども園制度をめぐる論争 (1)認定こども園とは 認定こども園制度をめぐる論争を検討する前 に、認定こども園制度について整理しておこう。 まず、認定こども園は、文部省初等中等教育局 長が 2006 年 9 月に出した「就学前の子どもに 関する教育、保育等の総合的な提供の推進に関 する法律等の施行について(通知)」という通 知によると、近年の次のような状況に柔軟に対 応するため、設置されるという。 ①保護者が就労している場合には保育所、就労 していない場合には幼稚園を利用することと なり、保護者の就労の有無で利用施設が限定 されるため、就労形態が多様化する中で、就 労を中断又は再開する場合に同一の施設を継 続して利用することができない。 ②少子化の進行により子どもや兄弟の数が減少 する中で、子どもの健やかな成長にとって大 切な集団活動や異年齢交流の機会が不足して おり、地域によっては、幼稚園、保育所それ ぞれでは子どもの集団が小規模化するととも に、運営面から見ても効率的でない状況があ る。 ③都市部を中心に多くの待機児童が存在する中 で既存施設の有効活用による待機児童の解消 が求められている。 ④核家族化の進行や地域の子育て力の低下を背 景に、幼稚園にも保育所にも通わず、家庭で 0~2 歳の子どもを育てている者への支援が大 きく不足している。 次に、認定こども園は、「幼保連携型」、「幼 稚園型」、「保育所型」、「地方裁量型」の 4 つの タイプに分けられる。「幼保連携型」とは、認 可幼稚園と認可保育所とが連携して、一体的な 運営を行うタイプの認定こども園を指す。した がって、このタイプで設立された認定こども園 は、認可幼稚園であり、かつ認可保育所である。 「幼稚園型」とは、認可幼稚園が保育に欠ける 子どものための保育時間を確保するなど、保育 所的な機能を備えたタイプの認定こども園を指 す。したがって、このタイプで設立された認定
イプの認定こども園であるかによって、利用で きる財政措置制度が異なることになる。幼保連 携型の認定こども園であれば、幼稚園就園奨励 費も、保育所運営費も受給の対象となる。幼稚 園型の認定こども園であれば幼稚園就園奨励 費、保育所型の認定こども園であれば保育所運 営費がそれぞれ受給対象である。それに対して、 地域裁量型の認定こども園は、幼稚園就園奨励 費も、保育所運営費も、受給の対象外になる。 このように、認定こども園のタイプによって、 受けられる国の財政措置が異なる。 これらの課題にどう向き合ったのか。2014 年 8 月「就学前の子どもに関する教育、保育等 の総合的な提供の推進に関する法律」が一部改 正される。主なポイントは 2 つ。1 つは、幼保 連携型の認定こども園が、この法律に基づく単 一の認可施設になったことである。そのため、 これまでは、学校教育法に基づき文部科学省が 幼稚園部分を、また児童福祉法に基づき厚生労 働省が保育所部分を、それぞれ指導監督してき たが、この法律に基づき、内閣府による指導監 督に一本化されることになった。もう 1 つは、 認定こども園のタイプで異なった国の財政措置 を「施設型給付」で一本化したことである。市 町村が施設と保護者に給付を行うが、保護者へ の定めた基準をもとに各世帯の前年度の所得に 応じて設定されていたが、認定こども園の保育 料は、施設が独自に設定する。そのため、保護 者の経済的理由によって入所拒否を行う施設 や、経済的理由によって入所を断念する保護者 を生み出すこと、さらには保育料滞納者の子弟 の預け入れを施設が拒否することも考えられ る。 2 つ目は、認定こども園は、現在の幼稚園や 保育所の基準を切り下げるものになりかねない という批判である14)。少なくとも、幼稚園型 の認定こども園や保育所型の認定こども園は、 幼稚園か保育所のいずれかの認定しか受けてい ない以上、認定の受けていない部分での保育の 質の低下を招く恐れがある。地方裁量型の認定 こども園になると、どちらの認定も受けていな いのだから、言わずもがなである。当然、認可 の有無だけで保育の質が決まるわけではない が、認可を得るには一定の水準を満たしている 必要がある。 3 つ目は、認定こども園に対する国の財政措 置制度の複雑さという問題である15)。認可幼 稚園には幼稚園就園奨励費(私立の場合は、こ れに加えて私学助成がある)、認可保育所は保 育所運営費が支給される。したがって、どのタ 図 1 認定こども園の認定件数の推移 94 229 358 532 762 909 1099 1359 0 500 1000 1500 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 注 1 :縦軸の単位 : 件、横軸の単位 : 年 注 2 :その年の 4 月 1 日現在の認定件数 出典: 文部科学省・厚生労働省幼保連携推進室「認定こども園関連情報」(2014 年 10 月 19 日取得、 http://www.youho.go.jp/joho.html)をもとに作成
児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を 培う重要なものであることにかんがみ、国及び 地方公共団体は、幼児の健やかな成長に資する 良好な環境の整備その他適当な方法によって、 その振興に努めなければならない」として、幼 児期の教育の重要性と、国や地方公共団体が幼 児期の教育を振興していく責任があることを明 らかにしている。この責任に国や地方公共団体 はどう応えていくつもりなのだろうか。今回の 法改正の内容からは見えにくい。 その一方で、子どもを預ける保護者は、認定 こども園をどう思っているのだろうか。2008 年 3 月に行われた認定こども園に関するアン ケート(文部科学省・厚生労働省幼保連携推進 室 2008)によれば、認定こども園を利用して いる保護者の 75.5% が、自分たちが利用してい る施設が認定こども園の認定を受けたことを評 価し、86.6% の保護者が、認定こども園制度を 推進していくべきだと回答している。では、「認 定こども園」のどの点を評価しているのか。複 数回答の結果の上位から順に見ていくと、「保 育時間が柔軟に選べる」(46.5%)、「就労の有無 にかかわらない施設利用」(45.7%)、「教育活動 の充実」(30.9%)、「異年齢交流」(27.3%)、「子 育て支援活動の充実」(24.6%)となる。ここで 注目すべきは、「保育時間が柔軟に選べる」、「就 労の有無にかかわらない施設利用」という上位 2 つの回答(ともに 4 割以上の回答)は、子ど もへの保育内容と直接関係がない点にある。つ まり、今の保護者は、認定こども園に、わが子 に対する高い水準の保育や教育よりも、子ども を預ける際の利便性の高さを求めていることが うかがえる。その意味では、政府が今日、施設 の水準が多少下がるのを覚悟して、保育を行う 認可施設を増やす政策をとるのは、民意に応え るものだと言えなくもない。しかし、認可施設 が増え、待機児童が減少した時、改めて問われ るのは、認可施設そのものの保育・教育の質で あることは言うまでもない。 その点を考える上で重要になるのが、1 つ目 の「認定こども園制度では、保育に欠ける子ど もを含め、あらゆる乳幼児に対して保育を保障 するという国の責任を果たせない」という批判 である。確かに、「施設型給付」を導入するこ の給付も認定こども園が代行して市町村に請求 できる。そのため、認定こども園が財源を安定 的に確保できるとされる。 4 認定こども園制度の課題 ――まとめにかえて 今回の「就学前の子どもに関する教育、保育 等の総合的な提供の推進に関する法律」の改正 は、先にあげた 3 つの批判のうち、3 つ目の「認 定こども園に対する国の財政措置制度の複雑 さ」に応えるものであったといえよう。しかし、 現行の幼稚園や保育所が認定こども園に移行し たくなるような魅力をもつ制度改正にはなって いない。移行する手間を軽くしただけに過ぎな いからである。1990 年代の少子化対策によっ て、幼稚園はすでに延長保育ができる。そうし た立場にある現在の幼稚園が、認定こども園に 移行することにどんなメリットがあるのか。あ るいは、保育所の待機児童が問題になるほど、 保育所に入園したい子どもが引手あまたな昨 今、保育所が認定こども園にあえて移行する意 味はあるのか。おそらく問われているのは、認 定こども園になることで、何が新たにできるの かという部分ではないか。現時点では、高い志 をもって、認定こども園に移行する幼稚園や保 育所を除けば、地方の人口減少が進んだ地域の ような、単独では生き残れない幼稚園や保育園 が、統合される形で認定こども園になる場合し か、施設側が認定こども園に移行するメリット を見いだせないような気がする。 また、今回の法改正は、2 つ目の「認定こど も園は、現在の幼稚園や保育所の基準を切り下 げるものになりかねない」という批判に、何も 回答していないと言える。今回、幼保連携型の 認定こども園を、改正「就学前の子どもに関す る教育、保育等の総合的な提供の推進に関する 法律」に基づく単一の認可施設としたが、幼保 連携型の認定こども園への移行を幼稚園にも保 育所にも義務づけなかった。つまり、今のまま でもよいとしたのである。いみじくも、認定こ ども園制度が開始された 2006 年に、教育基本 法が改正され、第 11 条に「幼児期の教育」の 条文が新たに加えられた。その条文では、「幼
10)幼保一元化論が幼稚園経営者の救済策であるとい う保育所の批判は、1980 年代初頭から既に見られ る。日本私立幼稚園連合会が 1982 年 8 月に「幼 児教育についての考え方」を発表し、幼稚園が長 時間保育などを行い、保育の機能も充実させるこ とを提案したのに対して、全国保育協議会が 1982 年 9 月に「こんにち提起されている保育所・幼稚 園問題(一元化論)に反論する」を発表し、日本 私立幼稚園連合会が示した、私立幼稚園の幼保一 元化論を、現在の幼稚園関係者の安定経営のため のものだと批判している。 11)ただし、満 3 歳に満たない子どもの場合であって も、学級担任は幼稚園の教員免許状を有する者で なければならないと規定されている。 12)ただし、幼稚園教員の免許状か保育士の資格のい ずれかも併有できない場合は、いずれかを有する 者でもよいと規定されている。また、満 3 歳以上 の子どもの場合であっても、長時間利用時の保育 に従事する者は保育士の資格を有する者ではなら ないとされている。 13)たとえば、杉山(2001)、村山(2008)など。 14)たとえば、米沢(2007)、伊藤(2011)など。 15)たとえば、永井(2008)など。 引用文献 古木弘造 1949『保育叢書 3 幼兒保育史』巌松堂書店 . 池田祥子・友松諦道編 1997『戦後保育 50 年史 証 言と未来予測 4 保育制度改革構想』栄光教育文 化研究所 . 伊藤良高 2011『保育制度改革と保育施設経営――保 育所経営の理論と実践に関する研究』風間書房 . 角野雅彦 2007「幼保総合施設『認定こども園』の制 度化に至る経緯とその課題」『四国学院論集』 122:21-53. 文部科学省 2006「幼児教育アクションプログラム : 文 部 科 学 省 」(2014 年 10 月 19 日 取 得、http:// www.mext.go.jp/a_menu/shotou/youchien/ 07121721/001.htm). 文部科学省・厚生労働省幼保連携推進室 2006「認定 こども園概要」(2014 年 10 月 19 日取得、http:// www.youho.go.jp/gaiyo.html). 文部科学省・厚生労働省幼保連携推進室 2008「認定 こども園プレスリリース」(2014 年 10 月 19 日取得、 http://www.youho.go.jp/press080612.html). 文部省 1979『幼稚園教育百年史』ひかりのくに . 村山祐一 2008『「子育て後進国」からの脱却――子 育て環境格差と幼保一元化・子育て支援のゆくえ』 新読書社 . 永井紳一 2008「認定こども園の行き着く先――介護 保険・障害者自立支援法との対比・比較から見え てくるもの」『保育情報』374:43-8. 中村強士 2009『戦後保育政策のあゆみと保育のゆく え』新読書社 . 日本保育学会 1968a『日本幼児保育史 第一巻』フ とで、経済的理由による排除を一定程度食い止 める効果はあるだろう。しかし、認定こども園 の保育や教育の質を問われ出した時、どんな子 どもが在籍しているかが重要になる。ややこし い家庭の子を育てるよりも、まともな家庭の子 を育てるほうが容易だからである。いずれ大き な問題になる可能性を秘めているので、何らか の対策を考える必要はあるだろう。 < 註 > 1 )認定を行うのは、都道府県知事である。認定基準は、 国の指針を踏まえて、各都道府県が条例で定める ことになっている。 2 )江戸末期にも、永井堂亀友の『小児養育気質』に 記された幻心の保育施設や、佐藤信淵が『垂統秘 録』に著した「慈育館」「遊児廊」という 2 種類 の保育施設に関する記述はあるが、実際にそうし た施設が作られたかどうかは不明である(日本保 育学会 1968a:21-30)。 3 )桜井女学校は、1876 年に桜井チカが創設した女学 校で、キリスト教による女子教育を志した。外国 人宣教師の力を借りずに日本のキリスト教徒で始 めた初期の女学校と言われる(日本保育学会 1968a)。 4 )古木弘造によれば、静修学校内の「別室」が後に 「守孤扶独幼稚児保護会」に発展し、「通常わが国 託児所最初のもの」(古木 1949:110)となったと される。 5 )1926 年、第一回全国児童保護会議において、文部 省は、託児所(幼児保育所)を幼稚園令のもとに おきたいと内務省に伝えたが、内務省はその提案 に消極的であったという(岡田 1970:41)。 6 )戦前にも幼保一元化論争がなかったわけではない。 たとえば、1938 年の教育審議会において、多くの 議員から、幼稚園と託児所の一元化が要望された という(手塚 2014:15)。ただ、本格的な戦争を 行う直前という緊迫した社会状況下にあったこと もあり、本格的な議論には至らなかった。 7 )恩寵財団母子愛育会とは、明仁天皇(2014 年現在 の天皇)が誕生したことを機に、裕仁天皇(昭和 天皇)から伝達された御沙汰書をもとに 1934 年 に創設された母子健康・福祉の課題に取り組む公 益団体である(社会福祉法人恩寵財団母子愛育会 2014 年 10 月 19 日取得)。 8 )衆議院教育基本法案委員会での文部省説明員坂元 彦太郎の答弁。 9 )設置状況の偏在とは、都道府県によって幼稚園と 保育所の割合が偏っていたことを指す。事実、 1965 年当時、香川県では 8 割の 5 歳児が幼稚園に 在籍するのに対して、長野県では 6 割強の 5 歳児 が保育所に在籍していた(鈴木ほか 1980:375)。
手塚崇子 2014『幼保一体化施設の運営と行財政―― 就学前教育・保育の一元化をめぐって』専修大学 出版局 . 鳥光美緒子 2003「戦後保育・幼児教育政策の歩みを 見なおす――幼保二元行政システムのもたらした もの」森田尚人・森田伸子・今井康夫編『教育と 政治――戦後教育史を読みなおす』勁草書房 :115-141. 米田光弘 2007「子どものための保育所・幼稚園・認 定こども園の未来への提言――保育の本質の視点 からの検討」『保育学研究』45-2:230-8. レーベル社 . 日本保育学会 1968b『日本幼児保育史 第二巻』フ レーベル館 . 日本保育学会 1975『日本幼児保育史 第六巻』フレー ベル館 . 岡田正章 1970『保育学講座 3 日本の保育制度』フ レーベル館 . 岡田正章・久保いと・坂元彦太郎・宍戸建夫・鈴木政 太郎・森上史朗 1980『戦後保育史 第 2 巻』フ レーベル社 . 社会福祉法人恩寵財団母子愛育会 「社会福祉法人 恩寵財団母子愛育会 創立の経緯」(2014 年 10 月 19 日 取 得、http://www.boshiaiikukai.jp/keii. html). 新藤慶 2008「幼保総合施設の実態と課題――認定こ ども園を扱った諸研究の検討を中心に」『新見公 立短期大学紀要』29:181-8. 杉山隆一 2001『保育の「市場化」と公的責任』自治 体研究社 .