日本倫理学案
著者名(日)
井上 円了
雑誌名
井上円了選集
巻
11
ページ
213-284
発行年
1992-03-20
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00002935/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja〔 日本倫理學案 ︹劒一話、略解、嚢磁 弁上 勅
譲㌶遵纏灘欝肇ム。、︸宏蓮。徳.
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鋤踏賠婚 ︹ (巻頭) 4.刊行年月日 初版: 明治26年1月7日底本:3版明治28年8月1日
5.句読点 あり 6.その他 (1)見出しの一部が目次と本文 とで相違していたので,目次の とおりとした。 1.冊数1冊
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勅序目
本文:212難
罷綱 故2ぱ竃 、衡活勅 壬 ロロ 朕惟フニ我力皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠二徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我力臣民克ク忠二克ク孝二億兆 心ヲ一ニシテ世世蕨ノ美ヲ済セルハ此レ我力国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実二此二存ス爾臣民父母 二孝二兄弟二友二夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆二及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ 啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常二国憲ヲ重シ国法二遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公二奉 シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕力忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺 風ヲ顕彰スルニ足ラン 斯ノ道ハ実二我力皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶二遵守スヘキ所之ヲ古今二通シテ謬ラス之ヲ中 外二施シテ惇ラス朕爾臣民ト倶二拳拳服膚シテ威其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ 明治二十三年十月三十日 御名 御璽 日本倫理学案 213
序 言 214 近来、倫理の書、続々世に出ずるも、みな西洋倫理の訳述にして、いまだ日本倫理の著述あるを見ず。しかる に明治二三年一〇月、教育の聖諭ひとたび下りてより以来、勅語桁義、注解の書、前後相接して発行あるも、こ れもとより倫理学として講述したるものにあらず。故にわが国、いまだ自国の倫理書を有せずといわざるべから ず。余かつて大いにこれを遺憾とし、すなわち自らその浅学不才を顧みず、あえて日本一種の倫理学を組織せん ことを期し、よりて哲学館、倫理科中にその一科を置き、朝夕、学生とともにこれを講究せり。今その要領を編 して一冊子となし、題して﹃日本倫理学案﹄と名付け、これを世に公にす。すなわちこの一書なり。これ一は哲 学館にて教授する倫理の主義のなにに基づくかを世間に知らしめんと欲し、一はわが邦人をして日本倫理学を講 究するの必要なるを知らしめんと欲する微意のみ。しかしてこの編はただ要領綱目の順序を掲ぐるに過ぎざれば、 その詳細の説明のごときは、目下哲学館にて発行する講義録に登載すべし。 本書は学理上わが国の人倫を論述せるものなれども、その精神は徹頭徹尾勅語の旨意に基づき、経も緯もとも に勅語をもって組織せるものなれば、その主義は儒教にあらず仏教にあらずヤソ教にあらず、すなわち国体主義 なり。故に巻初に謹みて勅語の略解を掲げ、つぎに本論に入る。しかしてその略解のごときは、浅学その本義を 誤らんことを恐れ、左の数書を参考してこれを定む。 聖諭大全︵国家教育社編︶ 教育勅諭術義︵文学博士重野安繹氏撰︶
教育勅語街義︵那珂通世秋山四郎両氏撰︶ 勅語街義︵文学博士井上哲次郎氏著︶ 勅語詳解︵文学博士末松謙澄氏撰︶ 勅語解釈︵内藤趾嬰氏撰︶ 勅語講義︵栗田寛氏述︶ 勅語註解日本教育之基礎︵渡辺武助氏撰︶ 教士目勅ヨロ術義 ︵Aフ泉︷疋介氏著︶ その他二、三の書あれども、これを略す。 本書の目的は日本の倫理を論定するにありて、世界共通の倫理を論究するにあらず。しかしてその証明は、 が別に著述せる﹃倫理摘要﹄に譲る。故に本書を読むものは、よろしく﹃倫理摘要﹄を参看すべし。 明治二五年一二月二〇日 著者 井上円了識す 余 日本倫理学案 215
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勅語略解
朕惟フニ我皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠二徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ ︵略解︶ 謹みて案ずるに、皇祖皇宗とは天皇陛下の御先祖御代々の御事にして、天照皇大神︹あまてらすおおみか み︺より神武天皇に至るまでを祖と称し、その以下御代々の天皇を宗と称し奉るべし。しかしてこの一章は、祖宗 の皇国を開きたまいし功業の大にして、その規模の壮なる、また臣民を愛撫したまいし仁徳、恩沢の深くしてか つ厚きことを詔らせたまえる御辞なり。今これを史上に考うるに、太古わが国いまだ開けざるに当たり、わが天 祖天照大神、皇孫壇々杵尊︹ににぎのみこと︺に三種の神器を授け、この国の主となさしめ、もって皇統一系、天 壌無窮の宝詐を定めたまいしより、彦火々出見尊︹ひごほほでみのみこと︺を経て鶴鵡草葺不合尊︹うがやふきあえ ずのみこと︺に至るまで、三世の間は日向の高千穂の宮にましまししが、神武天皇に至り東征して群賊を平らげ、 始めて海内を統一して都を大和の橿原に移したまえり。これ実にわが国の紀元にして、その即位より今日まで、 年歴二千五百五十有余年なり。その間、歴代の天皇みな祖宗の遺訓を奉じて万民を愛育したまいしをもって、そ の恩徳深く民心に感染し、皇運ひとり今日に栄ゆるのみならず、まさに無窮に向かいて進まんとす。ああ、盛ん なるかな。 我力臣民克ク忠二克ク孝二億兆心ヲ一ニシテ世々蕨ノ美ヲ済セルハ此レ我力国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦 実二此二存ス日本倫理学案 ︵略解︶ 謹みて案ずるに、わが国の人民はもと同一族より出でたるものにして、一人として皇室の臣民にあらざ るなし。故に忠孝の関係のごとき、他国にありてはその道異なるも、わが国にありてはその致一なる習俗を成せ り。これ真にわが皇祖皇宗の御遺訓にして、君臣の大義なり。億兆の臣民、いにしえよりみなその心を一にして この道を尽くしきたれるは、すなわちわが国風の万国に卓絶するゆえんにして、実に皇統一系の国体に固有せる 一種の美徳というべし。教育の道もまた実にその源をここに発するものなれば、今後の方針もこれによりて定め ざるべからず。この意を本章に諭したまえるなり。そもそも忠孝の道のわが国固有の美徳なることは、上は歴代 の天皇より下は億兆の臣民に至るまで、その例、枚挙するにいとまあらず。今、臣民中その著しきもの二、三を 挙げば、武内宿禰の五朝に歴任したるがごとき、藤原鎌足の天智天皇を輔翼したるがごとき、和気清麿、菅原道 真の忠誠をつくしたるがごとき、楠正成、新田義貞等の勤王を唱えたるがごとき、みな忠君をもって名ある者な り。また平重盛、北条泰時のごとき、孝道をもって聞こゆる者なり。わが国体はこの忠と孝との大道によりて組 成せるをもって、外は三韓を征服して国威を海外に輝かししことあり、内は建国以来、一人の神器を凱観するも のありしを見ず。これ実に国体の精華といわざるべからず。 爾臣民父母二孝二兄弟二友二夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆二及ホシ ︵略解︶ 謹みて案ずるに、ここに﹁爾臣民﹂と呼びたまいて第一に孝を諭したまえるは、孝は人倫のおおもとな るをもってなり。兄弟の道も夫婦の道も朋友の道も、みなこれより分かる。故に古来、孝をもって百行のもとと なせり。父母に続きて親しきものは兄弟なり。友とは兄弟の間のむつまじきをいう。そのつぎは夫婦なり。夫婦 は実に一家のもとなり。夫婦和順せざるときは、一家の和合を失う。つぎに、朋友の間は信を重しとす。信とは 217
言行の真実なるをいう。以上は、一家の人倫について詔らせたまえる御辞なり。もしひろく世間に対する徳義を 挙げば、己を守り、人に接するに恭、倹、博愛の諸徳を修めざるべからず。恭とは行儀を慎むをいい、倹とは検 束を義とし、身を節制してみだりに費やさざるの意を含む。これを内にして、恭、倹の徳を養い、これを外にし てひろく衆人を愛するは、また道徳の本旨なれば、ここにそのことを諭したまえるなり。そもそもわが国の人倫 は君臣の義をもって最も重しとし、これに次ぐに孝をもってし、忠孝一致のおおもとより兄弟、夫婦、朋友の道 相分かるるに至りたることは、実に国体に固有せる一種の特性なれば、そののち儒教ならびに仏教の他国より入 りきたりたるも、この忠孝一致の大道に基づき、ともにこれを助くることとなれり。故をもって、古来、忠信孝 悌をもって世にあらわれたるもの、幾人あるを知らず。あるいは里閲に旋表せられ、あるいは恩典を賜りたるが ごとき善行美謹は、枚挙するにいとまあらざるなり。 学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ以テ徳器ヲ成就シ ︵略解︶ 謹みて案ずるに、教育は理論、実際、智育、徳育の兼備を要するものなれば、まず学を修めて理論を講 じ、業を習いて実際に就き、智育によりて智識、才能を開発し、徳育によりて道義、徳行を養成せざるべからず。 智能とは智識、才能を義とし、徳器とは徳と器量とを義とす。この教育学問は古来、歴代の天皇の奨励したまえ るところにして、上古にありては神道ひとり存し、中古にありては儒仏二道行われ、ともにわが国の教育学問を 組織し、これに基づきて政治を施し、実業を起こすに至れり。くだりて徳川幕府の時代に至りては、もっぱら儒 道によりて教育を設け、各藩みな文武二道を策励せり。更に大政一変して明治の昭代に至りては、教育学問の盛 んなる、前代いまだその比を見ざるなり。ただ遺憾とするところは、智育余りありて徳育足らず、理論の一方に 218
日本倫理学案 走りて実業を忘るるの弊をきたせるにあり。これにおいて、天皇陛下この二者の両全を奨諭したまえるなり。 進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常二国憲ヲ重シ国法二遵ヒ ︵略解︶ 謹みて案ずるに、人すでに学業を修め智徳を養いたる上は、進みて公衆の利益を計り、世間の事業を起 こさざるべからず。公益とは社会公衆の利益をいい、世務とは世間の利益となる種々の事業をいう。またわが国 民たるものは常に国憲、国法を守らざるべからず。国憲とは明治二二年の紀元節をもって発布せられたる憲法を いい、国法とは刑法民法等、種々の法律を総称するなり。まずこの憲法は、わが天皇陛下の祖宗の御遺訓に基づ き、国家の隆運を進め、臣民の幸福を増さんと思し召されて発布せさせたまえる万世不磨の宝典なれば、われわ れ臣民は子々孫々に至るまで、謹み慎みてこれを遵奉すべき義務を負うものなり。また、われわれ臣民はこの国 に住する以上は、国法を守り世益を計るべき責任を有するものなり。 一旦緩急アレハ義勇公二奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ ︵略解︶ 謹みて案ずるに、緩急とは、緩の字その意味軽くして、単に急といわんがごとし。﹁公二奉シ﹂とは、国 家のために身を致し力をつくすをいう。その意、一旦危急の変乱あらば、われわれ臣民は忠義を守り、勇敢の気 風を奮い、死をおかして天下国家のために全力を尽くし、もって国体を維持し、皇室を保護すべきをいうなり。 ﹁以テ﹂以下は、上の﹁父母二孝二﹂より﹁義勇公二奉シ﹂までを総括してのたまえる御辞なりと見るべし。﹁天 壌無窮ノ皇運﹂とは、天祖以来一系連綿として今日に及び、天地とともに窮まりなき皇統、宝詐をいう。わが国 は前に述べたるがごとく、万国に比類なき一種特別の国体を有し、われわれ臣民は古来、忠信孝悌の人倫を重ん じ、智徳を開発し、臣民の義務を尽くし、国の大事あるに当たりては義勇を奮いて身命を顧みず、もって建国以 219
来今日まで皇室国体を護持しきたりし上は、更に今日より天地のあらん限り、万世無窮に向かいて皇運を輔佐し 奉らざるべからざるなり。 是ノ如キハ独リ朕力忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン ︵略解︶ 謹みて案ずるに、﹁是ノ如キ﹂とは﹁爾臣民﹂以下の諸章を総括してのたまえる御辞にして、孝、友、和、 信、恭、倹、博愛の諸徳を修め、学業、智徳の進歩を計り、平常無事の日は実利、公益を興し、国憲、法令を守 り、一朝、事あるに当たりては身をもって国に殉じ、もって天壌無窮の皇運を輔翼し奉るは、われらの祖先のわ れわれに残せる至善至美の習俗なれば、われわれがこの美風を守るときは、上は天皇陛下に対し奉り忠義順良の 臣民たるはもちろん、下はその遺風を子孫に伝えてその徳を万世に輝かし、もっておのおのその祖先に対する孝 道を全うし得るなり。これによりてこれをみるに、忠孝二道のその致一なるゆえんを知るべし。 斯ノ道ハ実二我力皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶二遵守スヘキ所之ヲ古今二通シテ謬ラス之ヲ中外二施 シテ惇ラス ︵略解︶ 謹みて案ずるに、﹁斯ノ道﹂とは孝、友、和、信、義勇、奉公等のことにして、わが国倫理のおおもとを いう。すなわち忠孝の大道これなり。前にのたまえる孝、友、和、信等は、これを要するに忠孝の二道に外なら ず。しかしてこの二道一致は、天皇陛下の新たに設けさせたまいしにはあらずして、皇祖皇宗の国を開かせたま いしときより成立せる大道なれば、これ実に祖宗の御遺訓なり。故にその道たるや、かしこくも上は天皇陛下を 始め奉り、下は億兆の臣民の遵奉して、一日も忘るべからざるものなり。﹁之ヲ﹂とはこの道を指す。中外とは国 の内外をいう。すなわちこの道は天地の正理、天下の公道なれば、世に古今の異あるも決して変ずることなく、 220
国に内外の別あるも、決して二致あることなきゆえんを論じたまえる御辞なり。 朕爾臣民ト倶二拳々服膚シテ威其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ ︵略解︶ 謹みて案ずるに、拳々とは捧げ持つを義とし、服膚とは胸に著くるを義とす。故にその意、皇祖皇宗の 御遺訓を大切に守り、しばらくも身を離さざるように持つをいうなり。これ天皇陛下の深く祖宗の御遺訓に御心 を注がせたまい、億兆の臣民とともどもに、心を一にし力を合わせてこの道を守り、もって祖宗に対せんことを 期したまえる懇切なる御聖諭なり。ああ、われわれ臣民は、なんぞこの御聖諭に対して、日夜謹み慎みて遵守す ることを思わざるべけんや。 日本倫理学案 221
第一講緒論
第一節 道徳に理論応用の二種あること けだし人倫、道徳の原理は、世の古今を問わず国の内外を分かたず、常に一定して二致なかるべしといえども、 これを一国、一社会の上に適用しきたりて可否得失を論ずるときは、その風俗、習慣、政治、国体等の諸事情に 応じて、一国、一社会に特有なる道徳を生ずべし。あたかも同一種の草木が地味、気候の異なるに従い、その形 状を異にするがごとし。しかしてその特有なる道徳中に、一脈の理法の貫通して存するあり。この理法を講究し て原理原則を定むるもの、これを倫理学中の理論に属する部分とし、その世と国との事情に応じて生ずる変化異 同を講究するもの、これを倫理学中の応用に属する部分とするなり。応用に属する部分にまた、理論と実際との 別あり。すなわち道徳の、世と国とに応じて異なる理由を講究するはいわゆる理論なり。その理論すでに一定せ りと仮定して、ただその方法のみを修習するはいわゆる実際なり。実際は技術に属し、理論は学問に属するなり。 今、余は便宜のために、その学問中、理論の一方を講ずるものを理論的倫理学と名付け、応用にわたりて講ずる ものを実際的倫理学と名付く。これに対して、技術に関する方を修身法もしくは修身術と名付く。しかして余が これより講述せんとするものは、この実際的倫理学なり。すなわち一国、一社会に一種特有の道徳を生ずる原因、 事情を論定するものなり。 222日本倫理学案 第二節 日本の倫理 一国、一社会特有の道徳を論定せんとするには、まずある一国を標準と定めて立論せざるべからず。故に余は わが日本帝国を標準と立てて、その一種特有の道徳を論定せんとす。これ余が本論を起草せる目的にして、その 意、数十年来、教育社会の一大問題たるわが国の倫理を一定せんとするにあり。しかりしこうして、わが国の教 育、道徳の方針は、明治二一二年一〇月三〇日をもって、わが叡聖文武なる天皇陛下より下し賜りし勅語によりて 一定せりといえども、余がここに論ずるところは、欧米各国において哲学者の一般に講ずるところの理論的倫理 学をわが国の上に応用しきたりて、その国体、人情に従い 種特有の倫理を定めんとするにあれば、これまた目 下の急務にして、これを講究するは余輩の国家に対する責任なりと信ず。しかれどもその精神は、あくまで勅語 の聖旨を守り、あえてその方針を失わざらんことを務む。故に勅語の略解を巻初に掲げ、全編を題して﹃日本倫 理学案﹄と名付く。これを案というは、世間いまだこの種の倫理を論究するものを見ざれば、余が一己の立案に かかるをもってなり。 第三節 理論的倫理学と実際的倫理学との関係 理論的倫理学にありては、あるいは人生究寛の目的を論じ、あるいは善悪一定の標準を論じ、あるいは良心の 起源、意志の自由、行為の進化を論じ、古今に貫通し、万国に普遍せる道理を学術的に講究するをもって、その 論、実に精確にしてかつ公正なりといえども、いまだ世間の応用を示さざるをもって、実際上、迂潤の論たるを 免れず。あたかも人類生存の重要にして、衣食住の欠くべからざる理由を説きて、更に寒暖、地位に応じて生活 の方法を異にせざるべからざるゆえんを示さざるがごとし。故にもし倫理の実用を示さんとするときは、必ず気 223
候、地位、政治、国体、人情、風俗等に応じてその方法を異にするゆえんを説かざるべからず。これここに日本 倫理学を講究するの必要なるゆえんなり。しかるにわが邦人は大抵みな、理論的倫理あるを知りて実際的倫理あ るを知らざるをもって、人倫の大道は万国同一なれば、よろしく西洋文明国の人倫をもってわが道徳とすべしと 論ずるものあるに至る。これあたかもわが気候、地位の異なるゆえんを知らずして、寒帯あるいは熱帯地方の衣 食住をそのまま用いきたりて、わが国の衣食住を定めんとするがごとし。今日より後は衣食住の問題は、わが気 候、地位に応じて、いかなるもの最も適当せるかを講究せざるべからず。これと同じく倫理学の問題も、わが国 体、人情に応じて、いかなる道徳の最も適当せるかを講究せざるべからず。これ余が本論において、実際的倫理 学上、わが国特有の道徳を講ずるゆえんにして、理論的倫理のごときは、ただその応用を説くに必要なる点を摘 示するのみ。 第四節 理論的倫理学の問題 そもそも理論的倫理学において講ずるところの古来の大問題を挙げば、人生の目的および善悪の標準を定むる 諸論なり。その論多岐に分かるるも、要するに幸福論と非幸福論との二派なり、本然論と経験論との二種なり。 幸福論者は、経験によりて幸福は人生の目的たることを論ず。すなわち功利教等の説これなり。非幸福論者は、 我人に先天性道徳心ありて、幸福の有無に関せず独立して善悪を判定すべしという。これ直覚教の唱うるところ なり。故に非幸福論者は、人生の目的は幸福にあらずして徳にありとす。かくのごとき問題は、理論上にありて は重要なる論点なるも、実際上これを見るときは実に迂潤の論たるを免れず。けだし実際上、全く幸福を離れて 完全の徳を見んこと難く、また、徳を離れて高等の幸福を求めんこと難し。もしこの二者ともに、その最も高等 224
日本倫理学案 完全なるものについてこれを考うるときは、その間に分界を立つることあたわざるべし。しかしてその別あるを 見るは、ただ幸福の下等なるものについていうのみ。しかるに古来の倫理学者の、強いてこの二者の間に向背を 定めんことを務めたるがごときは、畢寛一種の僻見に外ならず。かつ理論は理論にして、実際は実際なり。理論 上いかなる争論あるも、必ずしも実際の関するところにあらず。もしこれに反して、実際上の道徳は理論の一定 したる上ならでは講究すべからずとするときは、今日のごとく諸説相争うていまだ定まらざる以上は、実際上講 究すべき道徳なしといわざるべからず。しかるに我人の修むべき道徳は自然に一定して、我人、朝夕にこれを実 習するはなんぞや。これ他なし、理論と実際と、その問題を異にするによる。たとえば理論上善悪の標準いまだ 一定せずというも、実際上自然に一定するところありて、我人は日夜善を修めて、人の人たる道を全うせんこと を務む。故に余は、理論上の論究は実際上にありてこれを見るに、迂潤の空論たるがごとしというなり。しかり しこうして、今日倫理学上、人生の目的、善悪の標準について徳と幸福との両説相争うをもって、もし強いてこ れを定めんと欲せば、よろしくこの二者を合したるものを取るべし。すなわち完全の徳と高等の幸福と一致合同 するものをもって、究寛の目的、最上の善なりと定むべし。これを仮に名付けて福徳一致論という。 第五節 良心の起源発達 つぎに理論上、良心、行為の起源発達を論ずるに、また二派ありて、本然論者は道徳の本心は我人固有の天性 なりとし、経験論者は経験教育の結果、あるいは進化遺伝の結果なりとす。今その論ずるところを見るに、経験 論者は、仁慈、博愛の公情は人の生まれながら有するものにあらずして、知識の発達に伴いてようやく生じたる ものなれば、自利、自愛の私心を離れて別に存するにあらずといい、また人類は動物より進化してきたりしもの 225
なれば、その善悪を判定する良心のごときも、禽獣の、苦を避けて楽に就く本性の発達したるものに外ならずと いう。これに反して本然論者は、道徳は人類特有の美性にして、人の禽獣に異なるゆえんのもの、主としてこの 性を有するにあり。しかして幼時および古代にその性の作用を見ざるは、心中に胚胎して存し、いまだ外部に発 顕せざるのみなりという。しかれどもかくのごときはみな理論上の争論に過ぎずして、実際上にありては我人お のおの生来多少の道徳心を有し、これによりて善悪を判定し、かつ行為を規制するに足るをもって、あえて煩わ しくその起源を論ずるを要せず。また理論上一大問題とするところは、意志は自由なりや否やにあれども、実際 上にありては、同じくその可否を喋々するの必要なるを見ざるなり。 第六節 実際的倫理学の問題 果たしてしからば、実際的倫理学として講究すべき問題は、目的標準のいかん、良心意志のいかんの点にあら ずして、一国、一社会の道徳は、いかなる方針を取り、いかなる方法を用うべきかを論定するにあり。語を換え てこれをいわば、一国、一社会の政治、国体、人情、風俗に適応する実際上の道徳を講究するにあり。これを講 究するに当たりて要するところは、ただわずかに理論上の原理を既定するにあるのみ。まず人生の目的ならびに 善悪の標準については、完全の徳と高等の幸福とをもって最上の善とし、いわゆる福徳一致をもって目的と定む べし。つぎに道徳の本心に関しては、我人今日の社会にある以上は、生まれながら有するところの良心ありとし、 これを発育するに教育、経験を要するものと定むべし。その他、あらかじめ論定せざるを得ざるものは義務なり。 義務には法律上の義務と道徳上の義務との二種ありて、道徳上の義務は、我人各自の間に自然に成立せる道徳的 規律に従いて、我人の必ずなさざるべからざる本分をいう。これにまた、個人に対するものと国家に対するもの 226
日本倫理学案 との二種あり。今その関係を知らんと欲せば、まず国家の由来を知らざるべからず。太古にありては各人孤立し て生存し、いまだ互いに連合して団体を結ぶに至らず、ようやく進みて各人その力を合わせ、その業を分かちて 一団体を結ぶに至れば、これを社会という。また更に進みて、一定の土地あり、一定の政府あり、一定の臣民あ るに至れば、これを国家という。今日の我人は国家を組織せる社会にありてその一分子をなすものなれば、我人 は一個人として生存するのみならず、国家の一部分として生存するものなり。これにおいて我人の義務も、個人 に対するものと国家に対するものとの二途に分かれ、したがって道徳上に個人的道徳と国家的道徳との二大綱を 分かつに至る。これ、今日教育社会において国家教育論の起こるゆえんなり。 第七節 理想上の目的 すでに理論上、人間の目的標準は福徳一致にありとし、我人の義務は個人に対するものと国家に対するものと 二種ありとするときは、我人はその目的とするところの完全の徳と高等の幸福とを求めて、一方にありて自己を して円満の人物となさしめ、これと同時に他方に対して、その国をして円満の国となさしめんことを務めざるべ からず。語を換えてこれをいわば、個人の福徳を円満ならしむると同時に国家の福徳を円満ならしめ、二者両全 をもって目的とせざるべからず。この目的に向かいて進むもの、これいわゆる道徳の進化なり。これにおいて我 人は、将来達し得べき円満完全なる個人および国家あることを想定せざるべからず。この想定によりて得たるも のは、いわゆる理想上の個人ならびに理想上の国家なり。よろしくこの理想の体をもって我人の目的とすべし。 今これを経験上に考うるに、我人は古代より今日まで、ようやく進みてようやく完全を得たるものなれば、今日 勿 より将来に向かいても、同じく進化して理想上の完全に達することを務むべし。またこれを思想上に考うるに、
我人固有の本性として今日の地位にとどまることあたわず、必ず更に進みて我人の有するところの理想をみたさ 28 んことを望む。故に余は、我人の目的は、個人ならびに国家に対して福徳円満なる理想をみたすにありというな 2 り。
第二講 実際的倫理論
第八節 各国倫理の応用を異にするゆえん すでに理論上、倫理の目的ならびに標準を論定したれば、これより一国、一社会に応用するに、種々の事情に 応じて倫理に異同を生ずるゆえんを述明せざるべからず。およそ国異なるときは内外百般の事情もまた異にして、 これによりて各国特有の性質を生ず。この特性によりて成立せる国家の体、これを国体という。なお人に身体あ るがごとし。故に国異なるときは国体もとより異にして、日本には日本の国体あり、シナにはシナの国体あり、 西洋には西洋の国体あり。かくのごとく各国みなその国体を異にする以上は、教育、人倫の適用もまた、これに 応じて異にせざるべからず。なお人体異なるときは、衣服の裁制をも異にせざるべからざるがごとし。今その国 体のよりて起こる原因を考うるに、いずれの国にても、その国創立の当時に存する種々百般の事情、および歴史 上経過しきたれる内外の関係、その原因となること疑いなし。しかして一国、一社会の内部より生ずるものを内 因とし、気候、地位、国際等すべて外部よりきたるものを外因とす。かくしてひとたび成立したる国体は、いや しくもその国の独立を失わざらん限りは、必ず多少の発達を経て継続するものなり。なお人の身体の、その生命日本倫理学案 のあらん限り漸々発達して継続するがごとし。 第九節 国家の体に原形材質の二種あること 今日の学者は一般に唱えて曰く、国家は一個の有機体なりと。すなわち国家の性質組織の、禽獣人類のごとき 生物に類同するところあるをいうなり。果たしてしからば、国家の事情は一個の生物について比考することを得 べし。およそ生物の体には原形と材質との二種を有す。たとえば、動物の発育するに要するところの食物は材質 を供給するものにして、これを消化吸収してその固有の体質に変ずるは、動物の生来有するところの原力なり。 この原力は、よく外界より摂取する種々の材質をして一定の形を取らしむるをもって、これを原形という。この 材質、原形の二者、相合して動物の発育を現ずるなり。しかしてこの原形は祖先以来の遺伝性にして、決して材 質とともに外界より入りきたりしものにあらず。今これを国家の上に考うるもその理同一にして、国家の体にも 原形、材質の二種を具有し、その発達にもこの二者の相合するを要す。しかしてその材質は国外より入りきたる も、これをしてその国固有の特性に一変せしむるところの原力は、国内にありて存せざるべからず。たとえば百 般の文物のごとき、国外の諸邦より入りきたるも、これをその国の文物となすには、必ずひとたびその体形に変 化するを要す。これすなわち国体中に存する原力の作用なり。これを国家の原形というべし。この原形、よく継 続するときは、永く国家独立の命脈を維持することを得るなり。この原形と材質と相合して一体をなすもの、す なわち余がいわゆる国体なり。わが国のごときは建国以来、国体中に存する一種の原力ありて、その発達の際、 百般の文物、三韓、シナ等の諸邦より入りきたりしも、これをわが特性に一変してわが体質を構成し、もってそ 29 の独立を維持し、その国体を継続するを得たり。故に今後もこの国体を発育する養分は広く海外万国に取るも、 2
これをわが固有の原形によりてわが固有の性質に一変し、もって日本国の日本国たるゆえんのものを失わざらん 却 ことを務めざるべからず。 第一〇節 国民の団結 かくてもしこの国体を万世無窮に維持し、永くその国の独立を失わざらんと欲せば、まず国体をして輩固なら しめざるべからず。国体をして輩固ならしめんと欲せば、まず国民の団結を計らざるべからず。国民の団結を計 らんと欲せば、まず国家の組織を進め、社会の秩序を明らかにせざるべからず。すでに国家は一個の有機体なる 以上は、動物、人類と同一の規則に従うべきこと明らかなり。今、動物の発育するや、身体内部の組織ようやく その部分を分かち、各部もまたその作用を異にし、全身を統轄する神経組織起こり、またその組織中に大脳のご とき中心を生じ、各組織間の関係いよいよ進みていよいよ明らかなるに至る。今これを国家の上に考うるに、そ の神経組織は政府に比すべく、その大脳は君主に比すべし。この組織間の区域判然として相分かれ、その人民に 対する関係いよいよ定まり、各部分の秩序いよいよ明らかなるに至りて、国家の団結を輩固ならしむることを得 るなり。国家の団結葦固なるときは、国体を万世に維持し、国力を海外に伸べんこと、あえて難きにあらざるな り。 第一一節 国民の和合 すでに国家の秩序組織の必要なるを知らば、これと同時に一致和合の必要なることをも知らざるべからず。一 国は一家より成り、一家は一人より成る。故に国家団体の元素は人民なり。なお有機体の、細胞より成るがごと し。人民は一国の細胞なり、一家は細胞の小団体なり。一家にありては親子、兄弟、夫婦の別あり、一国にあり
日本倫理学案 ては君臣上下の別あり。親子夫婦の間和合せざるときは、一家盛んならず。君臣上下の間和合せざるときは、一 国盛んならず。しかして一国の和合は一家の和合より成る。一家の和合は必ずその中心となるべき体あるを要す。 これ和合のもとにして、また団結のもとなり。すなわち一家にありてその中心となるべきものは父母にして、家 族ことごとくこれに向かいて結合するときは、すなわち一家の和合をなすべし。一国もまたしかり。その人民の 中心となるべき体なかるべからず。その体はすなわち君主なり。人民ことごとくこの中心に向かいて結合すると きは、すなわち一国の和合を見るべし。けだし国に国主あり家に家・王あるは天地自然の理法にして、ひとり人間 社会にのみ固有なる規則にあらず。一個体の動物もその発育するに従い、組織中に中心となるべき部分生じ、い よいよ進化すればいよいよ中心に諸力の集合する傾向あり。地球もなおその中心ありて、地上の物品みなその中 心に引かるるを見、天体も太陽その中心となりて、惑星その周囲に集まるを見る。故にいやしくも国家あるとき は必ずその主宰者ありてこれを統治し、人民みなその体を中心として一致の運動をなし、これによりて国家人民 の和合を計らざるべからず。 第一二節 義務に個人的国家的の一一種あること すでに国家の元素は人民にして、一個人を離れて一国を盛んにすることあたわざるを知らば、これと同時に、 一国を離れて一個人の幸福と徳とを全うすべからざるを知るべし。しかして幸福と徳とは前述のごとく我人の究 寛の目的とするところなれば、我人は自己の福徳を祈ると同時に国家の隆盛を祈らざるべからず。国家その独立 を保つときは、我人その下に安堵することを得、国家その独立を失うときは、我人は外人の奴隷となりて苦しま ざるべからず。故に我人いやしくも自己の幸福安寧を全うせんと欲せば、必ず国家の独立を祈らざるべからず。 231
これにおいて、我人の、自己に対する責任と国家に対する責任との二種を有するゆえんを知るべし。語を換えて これをいわば、個人的義務と国家的義務の二種の存するゆえんを知るべし。すなわち、さきにいわゆる我人の目 的は、個人と国家との完全を期するにありとはこのことなり。 第=二節 平等差等の関係 以上述ぶるところによりて、一人と一家と一国との三者、おのおの密接なる関係を有するを知らば、その三者 の間に平等差等の関係あることをも知らざるべからず。およそ社会を組織せる各人は平等同権なりというも、こ れただ表面のことのみ。もしその裏面に入らば、差等異権の存するを知るべし。今、もし社会の階級を破壊しき たりて、上下の区別を一掃し去るときは、ここに平等同権の真理に達するもののごとしといえども、人にはもと より賢愚強弱の別なきあたわずして、老少男女の別またおのずから存すれば、この数種の人民ことごとく同一の 事業に就くことあたわず。必ずやその性質と才力とに相応する社会の地位を占有するに至らん。しかるときは、 自然の勢いとして差等異権を生ぜざることを得ず。これ平等と差等と相離れざるゆえんにして、平等の中におの ずから差等あるゆえんなり。しかして平等に偏するも差等に偏するもともに真理にあらずして、真理はこの二者 の中道にありと知るべし。故に、人の一家に対し一国に対するも、この二様の相離れざる関係あることを忘るべ からず。自己と他人とを同視するは平等の見なり。自己と他人とを別視するは差等の見なり。自家と他家とを同 視し自国と他国とを同視するはみな平等の見にして、これを別視するは差等の見なり。自己を愛して他人を忘る るは差等に偏するなり、他人を愛して自己を忘るるは平等に偏するなり。自己を愛しながらその裏面に他人の愛 すべきを忘れず、他人を愛しながらその裏面に自己の愛すべきを忘れざるは、いわゆるその二者の中道なり。し 232
日本倫理学案 かしてこの間にまた、先後軽重の順序あることを記せざるべからず。われに父母あり、他人にも父母あり、とも に父母たるにおいては平等なるも、その間にわれと他人との差等ある以上は、わが父母を先にし、他人の父母を 後にせざるべからず。わが人民に君主あり、他の人民に君主あり、ともに君主たるにおいては平等なるも、われ と他との差等ある以上は、わが君主を重しとして、他の君・王を軽しとせざるべからず。これいわゆる平等差等の 中道なり。この中道に基づきて、一家および一国の人倫の成立するを見るなり。 第一四節 国際の関係 この平等差等の関係は、またこれを国と国との間に適用しきたりて、国際の関係を示すことを得べし。たとえ ば、自国を愛することを知りて他国を忘れ、そのはなはだしきに至りては平常無事の日にありて他国を敵視し、 あるいはこれを軽賎して禽獣視するがごときは、差等の見に偏するものなり。もしこれに反して自国と他国とを 同一視し、はなはだしきに至りては自国よりも他国を尊重するがごときは、平等の見に偏するものなり。故に平 常の交際上にありては、自国と他国と互いに友情をもって相親しみ、一朝競争するに当たりては、自国を助けて 他国を排せざるべからず。これいわゆる平等差等の中道なり。しかりしこうして、時弊を矯正するに当たりては、 あるいは平等に重きを置き、あるいは差等に重きを置かざるべからず。すなわち時弊、差等に偏するときは、こ れを矯正するに平等を用い、時弊、平等に偏するときは、これを矯正するに差等を取らざるべからず。たとえば 一国、一社会にありて上下の懸隔はなはだしく、したがって圧制の極端に走りたるときは、平等同権説を唱えて その弊を正さざるべからず。また、同権主義その中道を失いて財産平均論のごとき邪説の行わるるに至りては、 差等異権説を唱えてその害を防がざるべからざるなり。 233
第一五節 帰 結 34 以上述ぶるところのものは、各国に一種特有の国体あるゆえん、国家の独立に要する事情、および一国と一家、 2 一人との関係を示したるのみ。しかしてその要点、左の三条にあり。 第一に、国家に原形と材質との別ありて、二者相合して国体を形成すること。 第二に、国家は一家より成り、一家は一人より成り、一人は国家有機体の一元素にして、個人と国家は同一 の関係を有すること。 第三に、一人と一人との間、一人と一国との間、ならびに一国と一国との間に、平等差等の関係あること。 この三条についてこれを考うるに、我人は一人一家の幸福安寧を計り、あわせて一国、一社会の独立隆盛を祈 らざるべからず。かくて我人は、人生の二大目的たる、理想上完全の個人と完全の国家とに向かいて進まざるべ からず。以上は、各国一般の上について論じたるものなり。これよりは、この論をばわが国すなわち日本帝国の 上に応用して、わが教育の方針、倫理の主義を定めんとす。
第三講 日本国体論
第一六節 わが国の教育道徳の国体をもととすること 前講述ぶるところによりて、すでに国異なるときは国体もまた異にして、その国の独立する限りは、この一種 特有の国体を維持せざるべからざるゆえんを知らば、すなわちわが国にはわが国特有の国体ありて、我人は全力日本倫理学案 をつくしてその隆盛を計らざるべからざるゆえんを知るべし。しかしてその隆盛を計らんと欲せば、教育も道徳 もともにこの国体を基本として組織せざるべからず。たとえその材料は他邦より入りきたるも、ひとたびこれを わが国体の原形の上に考えて、その固有の体質に一変するを要するなり。今これを歴史に徴するに、上古より中 世の間、わが国の教育、宗教等は大抵みなシナ、三韓、インドより漸々入りきたりしも、自然にわが国風に一変 し、わが国体を維持するをもって目的とするに至れり。よりて今後の方針も、あくまで国体を基本とせざるべか らず。ことに今日のごとき、万国競争の盛んにして優勝劣敗の行わるるに当たりては、我人は諸強国の間にこの 国体の独立を維持し、その国勢を振起せざるべからざれば、人民相和し相合して、国家の団結を輩固ならしめざ るべからず。これによりてこれをみるに、教育も道徳も、国体を基本として定めざるべからざるゆえんを知るべ し。もししからずば、決して人民の和合、国家の団結を期すべからず。これ今日、国体為本の教育道徳の必要な るゆえんなり。故に余がこれより講ずるところは、わが国体の上に教育道徳を適用しきたりて勅語の聖意を遵奉 し、もって日本一種固有の倫理を論定せんとするにあり。 第一七節 わが国体の一種特殊なるゆえん 今これを論定せんとするに当たり、まずわが国体の、一種異なるところあるゆえんを述べざるべからず。前に 論ぜしがごとく、わが国の国体も建国以来の歴史により、内外百般の事情に応じて発達しきたりしものなること 明らかなりといえども、その中に一種不変の精神の相続するありて、内外より摂取せる百般の事情も、その精神 のために一変して一種特異の性質を化成し、その建国以来の国体は千秋万歳の久しき、富嶽とともに魏然として 東海の表に吃立し、ほとんど宇内を敵下する勢いあり。かくのごとくその国体の万国に卓絶せるゆえんのものは、 235
上に万世一系天壌無窮の皇室をいただくにあり。しかりしこうして、そのよりて起こる原因を探求するに、実に 左の三条の存するを見るなり。 H 皇室ありてのち人民あり、人民ありてのち皇室あるにあらざること。 ⇔ 臣民一にして二ならざること。 日 忠孝一致をもって人倫のおおもととなすこと。 この三条はわが国体の他邦に異なる原因にして、なかんずく第一条を主眼とす。第二、第三は第一条より分派 したるものなり。故にまず第一条の意を説明すべし。 第一八節 皇室ありてのち人民あること 謹みて案ずるに、太古わが国いまだ開けざるに当たり、四面森林深くとざして農業耕作を業とする者なかりし に、天祖天照大神、皇孫壇々杵尊に命じてこの国の主となさしめ、もって万世無窮の宝詐を定めたまいしより、 三世相伝えて神武天皇に至り、中原を平定して荒野を開き、海内を一統して都を大和に定め、爾来、歴代の天皇 一系相受け、もって今日に至る。わが億兆の人民、大抵みな神孫皇族の末育、もしくは皇室より分かれたる功臣 の末孫にして、祖先以来皇室を輔翼し、君命を遵奉しきたりしものなり。その例証のごときはすでに史上に昭々 たれば、今あえて証明するを要せず。それすでにしかるゆえんを知らば、ここに皇室ありてのち人民あり、人民 ありてのち皇室あるにあらざるゆえんを知るべし。他邦はすなわちしからず。まず人民ありてのち人民中の強者、 立ちて酋長となり、進みて君主となり、もって一国をなす。その国体の相殊なること、もとより同日の論にあら ず。これわが国に一種特殊の国体を現じたるゆえんなり。 236
日本倫理学案 第一九節 臣民一にして一一ならざること かくてまず皇室ありてのち人民ありたるを知り、またその人民はみな皇室の一族および臣下にして、君民一家 の国風なるを知るときは、四千万の同胞兄弟はみな王臣なり。実に普天の下、王土にあらざるなく、率土の浜、 王臣にあらざるなしとは、わが国をいうなり。ここをもって、わが国に限り、臣民一にして二ならず、億兆の人 民みなこれ皇室の臣下なり。しかるに他邦にありては、あるいは臣と民とに別ありて、官にありて君に仕うるも のを臣といい、下にありて君に治めらるるものを民という。臣は文武百官にして、民は農、商、百姓なり。ひと りわが国は臣民一致の国風を有す。これ第一条なる君民一家の国風より分かれきたりしものにして、わが国体の 他邦に異なる一種の特性を組成せるものなり。よりてこれを第二条に置き、もって勅語に天皇陛下の﹁爾臣民﹂ と呼び掛けたまえる聖意のあるところを恐察し奉るべし。 第二〇節 忠孝一致をもって人倫のおおもととすること すでにわが国はその億兆の臣民みな皇室、皇族の末喬より出で、君臣一家の国風を有するを知らば、古来、忠 孝一致をもって人倫のおおもととなせることをも知るべし。これまた、他邦にその例を見ざる一種特有の国風な り。他邦にありては忠孝その道を異にし、シナのごときは孝をもって重しとす。しかるにわが国は、忠をもって 最も重しとせり。これ率土の浜みな王臣にして、臣民一致の国風あるによるなり。しかして君につかえて忠なる は、すなわち親につかえて孝なるものとなし、忠孝両全し難きときは、むしろ孝を捨てて忠を取らしめ、もって 億兆の臣民みな皇室を輔翼し奉りきたれり。今、更にその起こるゆえんを考うるに、わが国君臣の間はあたかも 一家中の父子のごとき関係ありて、天皇陛下はわが父なり。これに忠を尽くすは、父に孝を尽くすと同一の感情 237
を有し、忠は孝の大なるもののごとく考えきたりて、ついに忠孝一致の国風をなし、なかんずく、忠を重しとす る人倫をなせり。実にわが人民の忠義の感情は一種特別にして、他邦人種中にいまだその比を見ざるところなり。 これこの一種無類の国体をなすゆえんにして、古来、三韓、シナ等より帰化せしものもみなこの国風に感化せら れ、忠義を重んずる風俗をなせり。かくのごとく忠孝をもって道徳の大綱となし、その大綱より兄弟、夫婦、朋 友に関する人倫の分かるるゆえんを示したるもの、実にわが国の道徳なり。故に勅語に、一家の人倫を諭したま える前に、﹁爾臣民克ク忠二克ク孝二﹂とのたまえり。また、勅語の終わりに﹁是ノ如キハ独リ朕力忠良ノ臣民タ ルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン﹂とのたまえるは、もって忠孝一致の国風なるゆえんを知 るに足るなり。 第一=節国体の精華 以上三条によりてきたせる結果は、万国無比の皇統連綿天壌無窮の国体これなり。わが国ひとたび西洋諸国と 交通を開きしより以来、一として西洋に対してわが栄誉とすべきものなし。ただわが国体に至りては、西洋人の 深く嘆美するところなり。果たしてしからば、わが国一種の人倫たる君臣一家、忠孝一致の国風は、実にわが国 の美徳なり。故に勅語に、これを﹁国体ノ精華ナリ﹂とのたまえり。けだしわが国の今日まで東海の上に独立し きたりしゆえん、また将来永く万国の間に独立することを得るゆえんのもの、この国体のよりて起こりし原因を 離れて他に求むべからず。ここをもって、わが国教育の本源も、また全くここに発せしを知るべし。故に、勅語 に﹁教育ノ淵源実二此二存ス﹂とのたまえり。これによりてこれをみるに、皇祖皇宗の国を開かせたまえる規模 の大にして功業の壮なるを想見すべし。故に、勅語に﹁皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠二徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ﹂ 238
日本倫理学案 とのたまえり。 第一一二節 君主は国家の中心なること この君民一家、忠孝一致の美風は、ひとり倫理上、一国の精華なるのみならず、国家の団結を輩固ならしめ、 国勢を強大ならしむるに大いに利あるものなり。およそ団体を輩固ならしむるには、その中心一定して、四方よ りこの一点に向かいてその力を集めざるべからず。今わが国の団体は君主をもってその中心とし、億兆の人民み なその心を一にしてこれに帰向し、一国あたかも一家のごとき関係を有するは、国家の団結を成すに最も適した るものというべし。ことに忠孝の二大義を経緯として、もって国体を組織せるがごときは、実にわが国の今日ま で独立しきたれるゆえんにして、また将来に向かいて永く独立すべきゆえんなり。およそ国家の独立に最も要す るものは、国家、団結の中心ありて一致の運動を有するのみならず、その中心の、古今にわたりて一貫するもの なかるべからず。しかるにわが国は一統連綿の皇室ありて、ただに国家、団体の中心となるのみならず、数千年 間の歴史を一貫する中枢となれり。すなわち皇室は、国家の縦横にわたりて中心となるものなり。この中心に向 かいて周囲の分子、すなわち人民を結合するものは忠孝人倫の大道なり。これわが固有の国風にして、この国風 を維持するにあらずば、国家の独立を期し難し。故に我人は互いにその心を一にして、固くこの国風を守らざる べからず。勅語に﹁億兆心ヲ一ニシテ世々蕨ノ美ヲ済セルハ﹂とのたまえるは、すなわちこの国風を守りて今日 に至るを諭したまえる御辞なり。もし果たしてこれによりて国家の隆盛を得るに至らば、これと同時に一家の安 寧、一人の幸福を全うすることを得べし。ここにおいて、我人の目的たる自己に対する義務と国家に対する義務 魏 とを完成すべし。故に我人はこの一種固有の国体に基づきて、教育道徳の方針を定めざるべからず。しかるにそ
の方針をば、われに捨てて、かえって外国に取らんとするもののごときは、実に盲目の国民たるを免れざるなり。 40 第二三節 理想的国体 2 かくて教育道徳の方針は一種固有の国体に基づきて定むべきものとするときは、その将来の目的について一言 せざるを得ざるものあり。すなわち、さきに道徳の将来に対する目的は、理想上円満完全の個人と国家とを考定 し、これに向かいて進まざるべからずと述べたるも、今わが国体の皇室を中心とするものに至りては、その完全 なる個人も国家も、忠孝一致の円満なる理想によりて構成し、これに向かいて進まざるべからず。換言せば、円 満完全なる忠君の理想をみたすをもって目的とせざるべからず。この理想の中に、完全なる個人と円満なる国家 の成立を見るべし。けだし道徳上個人的国家的の別あるも、親子の関係、夫婦の関係、朋友に対する義務、政府 に対する義務等の別あるも、これみな表面上の外見に過ぎず。その裏面に入りてこれをみるに、忠孝一致すなわ ち忠君為本の一大道あるのみ。この大道の理想上に孝、友、和、信等の現象を示すものと想定し、一切の徳行に みな忠君のためなりとの意をもって尽くすべきは、わが国人倫の理想的解釈なり。かくのごとくにして、始めて 将来無限の時間に対して、一統連綿天壌無窮の理想的国体を完成するを得べし。
第四講 個人的道徳論第一
第二四節 人倫の種類 すでにわが国体の一種特絶なるゆえん、 ならびにその国体に応じてわが人倫の一種特殊なるゆえんを述べたれ日本倫理学案 ば、これより人倫の組織ならびに関係を論ぜざるべからず。そもそもわが国は前述のごとく、国体上において君 主をもって中心とし、皇室をもって本源とし、忠孝一致をもって大道とし、君に忠を尽くすはすなわち親に孝を 尽くすものとなす。これ国家に対する人倫のおおもとなり。もし家族に対する人倫を挙げば、孝をもって基本と す。そもそもさきにすでに述ぶるがごとく、我人の有する義務に二種あり。すなわち個人に対するものと国家に 対するものとこれなり。故に道徳おのずから二様に分かる。すなわちその一を個人的道徳といい、その二を国家 的道徳という。さきに道徳の目的は個人の完全と国家の完全を期するにありといえるは、この二様あるによるな り。しかして個人的道徳に、自己に対するものと家族に対するものとの二種あり。国家的道徳に、自国の君主、 人民に対するものと、外国の君主、人民に対するものとの二種あり。その表、左のごとし。 国家の元素は一個人にして、一家の分子は一人なり。一人相合して一家を成し、一家相集まりて一国をなす。 故に一人の幸福は進みて一国の幸福となり、一国の利益は分かちて一家の利益となり、互いに利害得失を同じう するものなり。今、道徳を個人、国家の二大部に分かち、もってわが国の人倫を見るに、一家にありては孝を主 とし、一国にありては忠をもととするなり。これより、まず自己に対する道徳を説き、つぎに一国の上に及ぼし、 忠孝二道の、人倫の大綱なることを論定せんとす。 241
第二五節自己に対する徳義 42 そもそも自己に対する道徳は実に人倫の起点にして、一国、一社会の道徳はみなその源をここに発せざるはな 2 し。故に自己の道徳を全うするときは、一国、一社会の道徳をまっとうすることを得べし。語を換えてこれをい わば、人生の目的たる福徳二者を円満ならしむることを得べし。まず人の、自己の身心に対してなさざるべから ざるものを挙げば、左のごとし。 ︵第一︶ 身体を健全にすべし。 ︵第二︶ 智識を開発すべし。 ︵第三︶ 徳性を養成すべし。 この三者は、人のその身に尽くすべき義務にして、教育上のいわゆる体育、智育、徳育これなり。その他、人 は情操を純良にせざるべからず。これいわゆる情育なり。人の心性作用は情、智、意の三種に分かるるをもって、 教育上にも情育、智育、徳育︵すなわち意育︶の三種なかるべからず。この諸義務を全うするときは、ひとり一 人の幸福のみならず、一家もこれによりて栄え、一国もこれによりて盛んなり。もって父母に対するときは孝道 となり、もって君主に対するときは忠義となるべし。 第二六節 身体を健全にする義務 まず体育すなわち身体の健全についてこれを述べんに、身体は精神、思想の根拠とするところにして一国、一 社会の基本なれば、我人の第一に愛重すべきは身体の健全なり。身体健全ならずば、学問事業を成すことあたわ ず、智識徳義を養うことあたわず。身体健全なるときは無病長寿の幸福を得るのみならず、一家の財産も一国の
日本倫理学案 富強もみなこれによりて起こり、もって父母の心を安んずべく、もって君主の恩に報ずべし。ことに万国競争の 今日に当たりては、一国人民の体育の発達は国家の独立に欠くべからざるものなり。かつそれ、人はこの天地間 に生育する以上は、その生存を保全し、その種属を継続する義務を有するものなり。故に人たるものは、その生 命をまもり健全を祈りて、もって子孫の繁殖を期せざるべからず。決してみだりに身体を殼傷し、あるいは自殺 をはかるべからず。これによりてこれをみるに、一身の健全は忠孝二道を全うし、人生の目的を達すべき起点な り。しかりしこうして、身体ひとり健全なるも、智識、徳義を開発するを知らず、一国、一社会を利益するを知 らざるに至りては、父母に対して不孝、君主に対して不忠なるはもちろん、かくのごときは禽獣と同一にして、 人類と称し難し。これあに、人生の目的ならんや。 第二七節 智識を開発する義務 つぎに、智識を開発するは、また人のその身に対する義務の最も大切なるものにして、人類の人類たるゆえん、 人類の禽獣に異なるゆえん、・王としてここにあり。かつ智識進まざるときは一家の事業起こらず一国の文運盛ん ならず、智識進むときは一家、一国の幸福これとともに進むべし。たとえば、一家の中に智識の人に勝れたるも のあるときは一家の名誉となり、一郷中に智者、学者の起こるあるときは一郷の利益となり、これを拡むるとき は一国、一社会の名誉利益となるべし。すなわち古代インドおよびギリシアに学問盛んなりしをもって、その国 ひとたびほろびたるも、その名は依然として万国の史上に輝くにあらずや。また西洋諸国、近世大いに富強を得 たるも、その原因は智識、学問の進歩によらざるなし。今日、万国競争のときに当たり、優勝劣敗は必然の勢い 脇 なりというも、単に兵力、腕力をもって競争するにあらず、智力、道理をもって理非を闘わしめざるべからず。
故に智識、学問進歩するときは、国際の競争に加わりて優勝の地に立つことを得るなり。果たしてしからば、智 識を開発するは、一家に対しては孝となり、一国に対しては忠となり、人生究寛の目的を達することを得べし。 しかれども、智識一方をみがきてこれを実行するゆえんを知らざるときは、いたずらに空論虚想に走り、ややも すれば軽躁浮薄に陥り、国家の進歩を妨ぐる恐れあり。故に、人すでに多少の智識を得たらば、いかにしてこれ を実行すべきかを考えざるべからず。一国の人民ことごとく学者となるの必要なしといえども、農商工に従事す る者、従前のごとく無智不学にては、到底今日の世界に立つことあたわず。いわんや外国と競争して、実業上に 智力を闘わすにおいてをや。故に国民たるもの、みなことごとく智識を開発し、あわせて実業を研習し、もって 国家の隆盛を祈らざるべからず。たとえ学者たりとも、学問に迷酔して社会、国家を忘れざらんことに注意せざ るべからず。勅語に﹁学ヲ修メ業ヲ習ヒ﹂とのたまえるは、学問と実業との両全を諭したまえる御辞なれば、わ れわれ、あに慎みてその意を体認せざるべけんや。 第二八節徳性を養成する義務 つぎに、徳性を養成するは人生の最もあがむべき美風なり。人もし智ありて徳なきときは、あたかも木ありて 葉なく、花ありて香なきがごとし。かつ徳性は万般の事業の基本にして、いやしくもこれを欠かば、なにごとも 成すべからず。一家の和合も一国の団結も、この性を離れて他に求むべからず。およそ世間のいわゆる徳とは、 人心中の善を行い道を守らんとする性質を義とし、その種類に、個人に関するものと社会に関するものとの二様 あり。社会に関する方は後に一家および一国に対する道徳を述ぶるときに譲り、今ここにただ個人に関する部分 のみを挙げんに、第一に、節制の徳を守らざるべからず。節制とは衣食酒色等の諸欲を制止して、極端に走らざ 244
日本倫理学案 らしむるをいう。たとえば奢修を戒め倹約を守り、無益に費やさざるがごときも、この徳に属すべし。一家の富 も一国の富も、一人の節制倹約によらずば決して興すべからず。かつ節制倹約は体育と密接の関係を有するをも って、一身の健全上欠くべからざるものなり。また、遊惰に日を送り、無益に光陰を費やさざることに注意する も、倹約の一なり。時間は金銭なり。無益に時間を費やすは、無益に金銭を費やすに同じ。もし人みな事務を勉 励し、無益に時日を消費せざるときは、家として栄えざるはなく、国として盛んならざるはなし。ただ倹約の弊 は、その適度を失して吝畜に陥るにあり。これもとより人の戒めざるべからざるものなり。第二に、個人の守る べき徳は恭譲なり。恭譲とは、一身の行儀を慎み礼譲を重んずるをいう。これまた人の美風にして、一家の和合、 一国の団結に欠くべからざる徳義なり。もし人みな倣慢不遜にして、他人を軽賎し礼譲を知らざるときは、各自 の間に不和闘争を生ずるより外なし。いずくんそよく社会の秩序安寧を保たんや。これ世間に礼節の必要なるゆ えんなり。ただその弊たる、卑屈に流るるにあり。故に礼譲を守るも、卑屈に陥らざることに注意すべし。勅語 に﹁恭倹己レヲ持シ﹂とのたまえるは、この節制、恭譲をいうなり。第三に、個人の徳とすべきは智慮なり。智 慮とは、なにごとに限らずその結果、影響の利害得失を先見して、みだりに着手せざるをいう。もし人にして智 慮なくば、禽獣にひとしき行いをなすに至るべし。他人の行為の意に適せざることあるもみだりに憤怒せず、一 時の薄利を見てただちにこれに走らざるは、智慮あるによる。大事大業は、必ず遠大の智慮あるにあらずば、な すあたわざるなり。ただ智慮に過ぐるの弊は、決心、断行の力を減ずるにあり。この弊を防ぐは、勇気によらざ るべからず。しかして勇気は、我人の第四に要するところの徳なり。人に勇気なきときは、小難を恐れ細事に屈 し、なにごともなすあたわず。一家の事業も一国の事業も、勇にあらずば決して成功すべからず。しかしてまた、 245
勇の弊は粗暴に流るるにあり。この弊を救うは、智慮を待たざるべからず。もしひろく勇の意味を適用せば、克 己作用のごとき、勉強、耐忍のごとき、みな勇の一種に属すべし。これ人の精神の力にして意志作用に属すべき ものなれば、これを意志の勇力と名付けて不可なることなし。しかして克己作用のごときは道徳中最も大切なる 部分にして、諸善行大抵これに基づかざるはなし。また勉強、耐忍のごときは百般の事業の無形的資本にして、 一家の繁昌も一国の富強も、一としてこれによらざるはなし。農工商のごとき諸業は、これを拡張するに金銭等 の資本を要すというも、これよりも一層大切なるものは、勉強と耐忍なり。これ実に人の職業に対する義務とい うべし。更に進みて勇気の最も大なるものを挙げば、国民の元気、愛国の精神ありて存す。これをわが国にては 日本魂という。これ国家の独立を維持する一種の霊気なれば、我人必ずこれを養成せざるべからず。その他、個 人的徳性に属するものに廉直、公平、潔白、温順、厳重等の名目あれども、今述ぶるところのものと後に述ぶる ところのものとを参考せば了解すべきをもって、いちいちここに説明せず。これを要するに、人もし以上の諸徳 を養成するときは、忠孝の大道も人生の目的も、一時に全うすることを得べし。しかりしこうして、わが国維新 以来、学問大いに進みたるも徳義ようやく衰え、愛国の精神もこれに従いて地を払うに至れり。ここにおいて、 教育上もっぱら徳育を奨励せざるべからず。これかしこくも天皇陛下の勅語を下し賜いし御趣意にして、その中 に﹁智能ヲ発シ徳器ヲ成就シ﹂とのたまえるは、智徳兼備を奨諭したまえる御辞なり。 第二九節 情操を純良にする義務 以上、体育、智育、徳育を講述したれば、更に情育について一言せざるを得ず。情育は人の情操を純良にする 方法にして、智識、徳義に伴いて進歩するものなれば、別にその養成法を講ずるを要せざるがごとしといえども、 246
日本倫理学案 情そのものの性質は多少他の作用に異なるところあれば、ここに別に一項を掲げて論ぜざるを得ず。およそ人の 情は野鄙に流れやすきものにして、その快楽とするところも下等に傾きやすきものなり。しかるにその弊を制止 して、高等純良の情操を発達せしむるは、情育の力なり。また、人は小事の意に適せざるあるも、たちまち激怒 し、あるいは響悶する習性ありて、不幸、災難に会するときは、人をうらみ天をののしるがごとき情癖あり。し かるに、よくこの情癖を医して不平を和ぐるは、情育の目的とするところなり。故に情育その目的を達するとき は、ひとり一身の快楽をまっとうすべきのみならず、人と人との間を調和し、家族の交情を親密ならしめ、社会 の交際を円滑ならしむるを得べし。かつ愛国の精神のごときも、これを一種の情操として、情育の方法により養 成せざるべからず。真理を講究するをもって無上の快楽とし、事業を成就するをもって至極の幸福とするがごと きも、またこれ一種の情操にして、これを発達するには情育の方法を待たざるべからず。故に、かくのごとき高 尚重要の情操を育成するは、人のその一身に対する義務の一なりというべし。しかしてこれを育成する法は、要 するに美術によらざるべからず。人もし美術によりて、まず個人的情操をして純良完美ならしめたる上は、これ を一国、一社会の上に応用して、愛国の感情を発育せしめざるべからず。かくのごとくにして、始めて人は個人 に対し、また国家に対して人生の目的をまっとうし、あわせて忠孝二道を全うすることを得べきなり。 247