計算機と人間心理の相互類推をとおした概念変化の分析
Analysis of conceptual changes through mutual analogy between
digital computers and human mind
森田 純哉
∗Junya Morita
静岡大学情報学部
Faculty of Informatics, Shizuoka University
Abstract: Analogy between digital computers and human mind has been repeatedly discussed in the history of computer science and informatics. However, the importance of this analogy has not been fully noticed in ordinary society. Aiming to establish a method of conceptual changes through this analogy, this paper reports a class study utilizing web-based materials concerning the analogy between computers and human mind. The preliminary analysis of free description is presented as the result of this research.
1
はじめに
計算機科学あるいは情報学の歴史において,コンピ ュータと人間の類似は繰り返し指摘されてきた.コンピ ュータの生みの父であるチューリングとノイマンは,そ れぞれが両者の関係を議論する著作を残している [1, 2]. また,近年の深層学習の展開に例証されるように,人 工知能,すなわち人間との類似に注目したコンピュー タソフトウエアの研究は,計算機科学の進歩を確実に 支えてきた.一方,人間とコンピュータの類似は,人 間内部の精神,心理を理解する営みでも注目されてき た.コンピュータの記号処理を人間心理のメタファー として用いる認知心理学,人間内部の心的プロセスを コンピュータ上のモデル(認知モデル)として具体化 する認知科学の研究が進められ,そこで生産された知 識が社会に流通してきた. これらより,人間にかかわる知識とコンピュータに かかわる知識は,どちらかが一方向的に影響を及ぼす 関係ではなく,相互に影響し合う相補的な関係にある と考えられる.すなわち,人間を参考にすることでコン ピュータの理解や革新が促され,コンピュータをベース とすることで人間の心的メカニズムが理解される.本 稿では,両者の相互関係に注目する観点を,「人間とコ ンピュータの相互類推」と呼ぶ. 人間とコンピュータの相互類推は,人工知能や認知 科学の学界において,目新しい観点ではない.ただし, この認識が一般的な社会に浸透しているとは言い難い. ∗連絡先:静岡大学情報学部行動情報学科 〒 432-8011 静岡県浜松市中区城北 3 丁目 5-1 E-mail: [email protected] 日本では特に,人工物であるコンピュータは工学,人 間にかかわる知識は人文学と明確に区別して扱われる 傾向がある.近年では両者を融合する大学組織も増加 しているが,そこに至る入学者は「理系」と「文系」に 区分け済みである.彼らは,高校において,情報学も 認知科学も心理学も学んでいない.よって,大学にお いて,人間とコンピュータの相互類推を前提とした学 問分野を学ぶ際に,彼ら自身の自己認識にも影響する 概念変化を起こさなければならない. 概念変化は,発達心理学や認知心理学,学習科学に おいて扱われるトピックであり,当研究会のテーマとも 新和性が高い.しかし,これまでの研究対象は理科や数 学など初等教育や中等教育を対象としたものが多かっ た.大学の認知科学教育における概念変化を扱った前 例も存在するものの [3],人間とコンピュータの相互類 推を学ぶことによる概念変化の詳細やその障壁,概念 変化を促す方法などについては明らかにしてこなかっ た.こういった背景から,本稿では著者自身が行った 「人間とコンピュータの相互類推」にかかわる授業実践 を報告し,そこで得られた概念変化にかかわる予備的 なデータを示す.2
方法
2.1
対象授業および受講者
本研究にて報告する授業は静岡大学情報学部におい て実施された.この学部は「文工融合」を理念とする. 1995年の誕生以来,工学部をルーツとする情報科学科, 人工知能学会研究会資料 SIG-ALST-B506-12 - 59 -人文社会学を扱う情報社会学科が一つの学部に共存し てきた.そして,2016 年度には,情報科学科と情報社 会学科の両者の特徴を含む行動情報学科が新設され,3 学科の連携が試みられている. 本稿では,この組織において行われる授業科目とし て,1 年生後期の専門科目「情報と心理(2016 年度)」 を報告する.この年度に新設された科目であり,行動 情報学科の学生にとって選択必修科目,他の学科の学 生にとっては選択科目となっている.授業の履修登録 者は,情報科学科 76 名,行動情報学科 58 名,情報社 会学科 32 名であった.受講者数の都合上,情報科学科 の学生を対象としたクラス,行動情報学科と情報社会 学科を対象としたクラスに区分されて授業が行われた. ただし,両者で内容や方法は区別せず,同じものを利 用した.本稿では 2 つのクラスを区別せずに結果を報 告する.
2.2
機材
受講者は毎回の授業において,各自のラップトップコ ンピュータを教室に持ち込んだ.教室からは Wifi 経由 でインターネットにアクセスできた.この環境を生か し,Web 教材を活用した授業を行った.グローバル IP を有するサーバを著者の研究室内に設置し,講義資料 をダウンロードできるサイトを開設した.また,Web アプリケーションとして実装される実習環境や実験環 境を,受講者に利用可能な形で提供した.受講者は,授 業内,授業時間外にかかわらず,サーバにアクセスし て学習を進めることができた.2.3
授業の内容
計 15 回の授業において,情報処理的な認知モデルを メイントピックとする授業を行った.人工ニューラル ネット,プロダクションシステム,類推,認知アーキ テクチャを個別トピックとしつつ,認知科学と人工知 能の基本的な研究成果と方法を教授した.以下に授業 で扱ったトピックと内容を,授業の進行に即して示す. 1. ガイダンス 本授業の目標と進め方を伝達した.人間の心的な 活動を情報処理としてとらえる「情報処理的人間 観」の取得を目標とすると伝え,そのためにコン ピュータ上に人間の認知のモデルを構築すること を伝えた.また,第 1 節で議論した「人間とコン ピュータの相互類推」の観点に即し,情報システ ムの開発において人間心理を考えることの有用 性,人間心理を探るためにコンピュータを用いる ことの有効性を指摘した. 2. 方法論と歴史 行動主義,ダートマス会議,認知科学の誕生など の歴史を紹介した.その中で,物理記号システム 仮説など [4],認知モデルの根拠となる思想を伝 えた.認知モデルのアプローチとしては,記号を 直接表現する「記号表現」,ニューロンの発火パ ターンとして分散的に記号を表現する「分散表 現」を紹介した. 3. 分散表現と人間の知覚 Web上の人工ニューラルネットのデモを触らせ1, 誤差逆伝播のアルゴリズムを体験的に理解させ た.さらに商用のディープラーニングの認識器を 触らせ2,現在の開発の到達点を理解させた.ま た,人工ニューラルネットによる認識と人間によ る認識の差異を理解させるために,視覚的注意の 実験を教室内で実施した3. 4. 記号表現と人間の問題解決 ゴール設定や状態遷移など,ニューラルネットに よる表現が困難な認知機能をモデル化するため にプロダクションシステムを導入した.プロダク ションシステムの実習では,著者自身が過去に開 発した滑車の問題に関わる支援システムを利用 した [5].Web ベースのプロダクションシステム (どこプロ)で動作する実習環境である.この環 境での実習を経ることで,ルールによる状態遷 移,変数によるパターンマッチなどの記号操作を 体験的に学ばせた.さらに,毎回の実習後に「プ ロダクションシステムと人間心理の関係」を問う 自由記述アンケートに答えさせ,情報処理的人間 観に繋がる概念変化を狙った. 5. 記号表現と人間の記憶 どこプロに実装される系列位置効果のシミュレー タを動作させた [6].また,教室で取得した実験 データ(単語の自由再生課題)を同シミュレータ でフィッティングする実習を実施した.その中で, モデルのパラメータと人間の個人特性(忘れやす さ,ゆらぎなど)が対応することを指摘した. 6. 類推と認知モデリング 本授業のメイントピックである認知モデリングを メタ的に考察するために,類推にかかわる講義を 行った.類推のモデルとして構造写像理論 [7] を 導入した.また,類推のモデルを実体験として理 解させるために,事例に基づく平面構成を行わせ, 事例と作品との表層的類似度と構造的類似度を観 察させた [8].この回の授業のまとめでは「認知 1 http://jsdo.it/z kro/u84J 2https://www.clarifai.com 3http://www.theinvisiblegorilla.com/videos.html - 60 -モデリングとは,人間とコンピュータの構造的対 応を探索的に最大化すること」と伝えた. 7. 認知アーキテクチャ ここまでに扱われた個別の認知プロセスのモデル を統合するために,認知アーキテクチャを導入し た.認知アーキテクチャの代表として ACT-R[9] を紹介した.さらに,スタンドアロンで動作する ACT-Rの環境をダウンロードさせ,チュートリ アルのモデルを実行させた.ACT-R の利点とし て,多様なモデルが共通のプラットフォームで一 貫して構築できることを強調した.また,ACT-R のモジュールと脳機能との対応を示すことで,分 散表現との接続を述べた. 8. 認知アーキテクチャと身体・社会の統合 先端的なトピックとして,認知アーキテクチャと 身体・社会を結ぶ統合的な人間観を議論した.身 体と認知アーキテクチャを統合するモデルとして, ACT-RΦ[10]を紹介した.このモデルが神経伝達 物質などの生理学的なパラメータを含むこと,そ のパラメータの状態が感情としてモデルに認識さ れ,認知プロセスを変化させることを議論した. 社会との統合には,著者自身が過去に構築した模 倣によるコミュニケーションの成立モデルを紹介 した [11].モデルの紹介に先立ち,そこで扱われ る実験を Web 環境を利用することで体験させた [12] 9. まとめ 最終回の授業では,情報処理的人間観とはという 観点で上記のトピックを振り返った.人間とコン ピュータの相互類推の観点に即し,情報学部にお ける今後の学習(情報技術の習得と人間理解)と の関係を述べた.
3
授業の評価
以上のように「情報と心理」は本項の冒頭であげた 「人間とコンピュータの相互類推」を前提とする授業内 容となっている.この類推と関連する概念の状態は,各 回の自由記述アンケートにて把握を試みた.自由記述 アンケートからの概念変化の把握は,最終的には定量 的で客観的な方法によってなされなければならない.し かし,原稿執筆時点において,本授業は最終試験を残 し,全日程を終了していない.よって,ここでは得ら れた回答を事例的に提示し,その傾向を議論する.特 に初回の授業,および第 14 目の授業後において,共通 して答えさせた以下の項目に対する回答を検討する. 1. あなたにとって「情報」とは何ですか 2. あなたにとって「情報学」とは何ですか 3. あなたにとって「計算機」とは何ですか 4. あなたにとって「心」とは何ですか 5. あなたにとって「心理学」とは何ですか 回答の例を表 1 に示した.これらは,各学科につき, 1名の回答を任意に選択したものである.3 名の回答を みれば,一見して,プレに比べ,ポストにおいて多く の記述がなされたことがわかる.また,プレの回答に おける「心」や「心理学」への回答は,「本人にしかわ からない(心)」,「純粋(心)」,「人の心を読み取る (心理学)」など,素朴あるいは曖昧なものとなってい る.それに対し,ポストでは「心」を「神経伝達物質」 によって記述する回答(行動情報学科,情報社会学科) や,「心理学」を「メカニズム」や「仕組み」の探求と とらえる回答が記述された.これらより,この 3 名の 受講者に,本授業に参加したことによる概念変化が生 じたことがわかる. ただし,上記の回答は,心を情報処理として捉える ものではなく,人間とコンピュータの相互類推による 概念変化を確かめるものではない.本研究の目的にお いて重要なのは,「情報」,「情報学」,「計算機」の項目へ の回答である.「情報」についてのポストでは,3 名のい ずれもが人間(器官や脳)と関連づけた.また,行動 情報学科と情報社会学科の受講者は,「情報学」や「計 算機」のポストにおいて,明確に「人間とコンピュー タの類似」に対する言及を行った.特に,行動情報学 科の受講者は,情報学を人間(私たち)を学ぶものと 捉えたうえで,コンピュータ側(AI)の開発に言及し, 人間とコンピュータの双方向的な関係を示唆している. なお,表 1 にて情報科学科の受講者は,計算機に対 して「与えられたプログラムに沿ってしか動くことが できない」,心に対して「極めて複雑で,何かで完璧に 表現することはできない」との回答を記入した.こう いった言及は,一見すると本研究の目的に対してネガ ティブなものにみえる.しかし,これらは実習によっ て人間あるいはコンピュータへの理解が深まった結果 生じたものとも捉えられる.実際,本研究と手続きを 一部で共通する先行研究 [5] においても,認知モデルの 実習によって人間の柔軟さへの気づきが増加すること が指摘されている.認知モデリング,あるいは人間と コンピュータの相互類推は,理解のために行われるも のであり,本来は差異を否定するものではない.特に 学習の場において,この類推の現時点での限界や適用 範囲に気づくことは重要と考えている.4
むすび
本稿では,人間とコンピュータの相互類推を扱う授 業実践を報告し,概念変化の事例を示した.これらの 事例は一般的な傾向として示したわけではない.今後, - 61 -表 1: アンケート回答の例 所属学科 質問 プレ(第 1 回目の授業での回答) ポスト(第 14 回目の授業後の回答) 情報科学科 情報 コンピューターに関係すること なんらかの機器や器官を通じて得られるもの 情報学 コンピューター関連の技術を学ぶこと 情報という抽象的なものをできる限り具体的にしたもの 計算機 便利なもの 与えられたプログラムに沿ってしか動くことができないもの 心 本人にしかわからないもの 極めて複雑で,何かで完璧に表現することはできない 心理学 行動から考えていることを当てること 人間の思考の傾向や,メカニズムを解明しようとするもの 行動情報学科 情報 一瞬で人間を変えてしまうもの 情報とは私たちです.視覚的な情報や聴覚的な情報などがあ りますが,すべて動物が作り出しているものです.そして, 情報を作り出している私たちも情報を作り出すため脳で様々 な情報を処理しています. 情報学 正しい使いかたで情報を扱う学問 情報学とは私たち自身を学ぶことです.私たち自身を学ぶこ とで情報学のホットな話題である AI につなげることができ るのです. 計算機 パートナー 人間の生活をより良いものにする機械です.さらに私たちを 数値的に表現できる機械でもあります. 心 様々な方向に進むことができる純粋なもの 心とは感情です.そして感情は脳です.感情は興奮性神経伝 達物質と抑制性神経伝達物質の分泌量によって変化すること からそう考えました. 心理学 自己更生、他者調整 心理学とは脳科学です. 情報社会学科 情報 利用すると世の中をうまく渡っていけるも の 外界の刺激に対して脳神経が反応した結果として生成される もの 情報学 情報をうまく利用するための学問 情報の性質や意味,媒介手段などについて学び,情報をうま く利用できるようになるための学問 計算機 便利な道具 簡単な計算はもちろん人間の脳の模倣のような複雑な処理が 必要なことまで性能次第では様々なことができるデバイス 心 よくわかりません 脳の神経物質の分泌の結果として発生する感情を自意識が認 識したときに初めて生まれるもの 心理学 人の心を読み取り行動を予測する学問 脳の感情や自意識に関する働きやその仕組みを解明する学問 テキストマイニングなどの手法を利用することで,定 量的な分析を行い,知見を一般化していく予定である. 人間とコンピュータの両者がかかわる情報学は,確立 された答えの決まっている領域ではない.通常は閉じ た空間で行われる授業実践を公共化することで,情報 学の発展が促されると考えている.
謝辞
本研究で用いた実験や実習の材料は,これまでの共 同研究のなかで開発されてきたものである.また,金 沢工業大学金野武司氏からは,今回の授業実践のため に実験システムを受けた.ここに感謝の意を表する.参考文献
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[12] 金野 武司,橋本 敬: 人工言語の共創課題を用いたことば への気づきの誘発に関する試み,第6回知識共創フォー ラム, (2016)